三好は一度は足利幕府の中枢に食い込むことに成功しましたが
実際には天下を取ることもかなわずに死んでいきました。
何がいけなかったのでしょう。
適当に語ってくだい。
それは3好君に聞いたほうが…。
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/28(土) 17:14:28
俺に聞かれても…
松永って必要?
松永を洗脳させれば良かったんだよ。
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/28(土) 19:55:46
寿命・兵力・忠実な家臣
あと蘭闍待
弟を讒言で殺してる時点で駄目駄目
>>6 そんだけあれば長慶じゃなくてもいいじゃん。
3好禁止。
本人出入りもお断り。
3好に聞いても無駄。
ゲームしか知らない厨房に歴史が語れるはずがない。
jumyou
覇気
三好長慶 ◆Miyoc09dxEが厨界で天下を取るには
ネ申・変態観測を超えなければならない。
三好長慶 ◆Miyoc09dxEの話など
へ へ|\ へ √ ̄| へ
( レ⌒) |\ ( |\)| |/~| ノ ,__√ /7 ∠、 \ . 丶\ _ __
|\_/ /へ_ \) | | | |∠ | |__ | / ! | | |_〜、 レ' レ'
\_./| |/ \ .| |( ̄ _) | ) | | i | へ_,/ ノ ,へ
/ / ̄~ヽ ヽ. | | フ ヽ、 ノ √| | ! レノ | !. \_ ー ̄_,ー~' )
/ /| | | | | |( ノ| |`、) i ノ | | \_ノ ノ / フ ! (~~_,,,,/ノ/
| | | | / / | | . し' ノ ノ | | / / | |  ̄
\\ノ | / / | |___∠-". | | ノ / ノ | /(
\_ノ_/ / (____) し' ノ/ / / | 〜-,,,__
∠-''~ ノ/ (_ノ 〜ー、、__)
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/29(日) 20:35:33
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 03:03:40
結構、いい力を持ったんだけど…
家臣の結束が上手く行かなかったorz
17 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 03:13:47
本人の思考が古かったってのもあると思われ。
京都になまじ近いところにいたから将軍の力を過信したんだろうな。
そんでもって同じような奴らと仲間割れして政権崩壊。
そんなところでしょ。
松永久秀の讒言謀殺説を採用される三好家中は安宅冬康・十河一存ほか数人いるよな。
あれ、どこまで信用できるんだろう?
大仏を焼いたのも「公卿補任」では三好長継と松永久通とされているし。
「信長公記」には「久秀の仕業」とあるが、久秀滅亡の条で記されているだけに誇大記事の作為性を疑わざるを得ない。
一級史料では久秀の暗躍が本当に記されているんだろうか?
19 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 11:15:26
松永がいなければ…
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 17:27:24
いや、細川持隆や将軍足利義輝と上手く行かなくなった時点で…
苦しいな。
松永も嫌タイプだが…
細川・足利と上手く行ってれば松永を抑えられるよ。
そもそも細川・足利と上手くいってれば、中央に出てこなかったんじゃないの?
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/15(水) 00:10:04
>>1 あらゆる条件が足りなかったとしか言い用が無い。
そもそも、足利幕府ってのは、
三代義満の治世の、その中でもほんの一時期を例外として、日本全国を平定できていない政権だ。
初期は南北朝の騒乱、特に九州が落ち着かず、
一番幕府の力が安定していたとされる義満の時代さえ、土岐氏や大内氏などとの騒乱が続いた。
4代目以降になると関東公方との対立が激化し、その討伐に直接あたったのは、「近隣の有力守護」である。
それでも、諸国の有力大名が、一応は将軍家の顔を立ててくれているうちは良かった。
ところが、いったん一斉にそっぽを向かれると、もともと、実力で諸国を押さえていたわけではないので、自力で背いた諸国を従えることは出来ない。
典型例は、赤松円心が6代将軍義教を弑した「嘉吉の乱」が、その典型。
将軍を目の前でころされた三管領四職の面々は、周章狼狽して討伐軍の編成が大幅に遅れて円心をみすみす本拠地播磨まで悠々と逃がしてしまい、
最終的には、山名宗全の力でようやく円心を討伐できた。
このことからも、足利幕府の軍事基盤と政治基盤が、そもそも脆弱であったことがわかる。
それから応仁の乱を経て、足利幕府はさらに弱体化してしまった。
乱後も、管領家同士の内部抗争で弱体化に拍車がかかり続ける中、その弱体化しきった幕府こそが、三好長慶が牛耳った幕府である。
つまり、そんな状態の幕府を牛耳ったところで、それだけでは、そもそも天下の大局とは無関係。
まあ、しばらくの間は機内一円に号令することは出来た(実際ににそこまではできた)であろうが。
また、見方を変えれば、
そこまで弱体化して小さくなってしまった幕府だからこそ、
(言葉は悪いし、長慶を過小評価をするつもりも無いが、敢えてこう言おう)長慶「ごとき」が牛耳れた、とさえ言ってしまえる。
天下平定に必要だったのは、(それだけでもないけど)、「安定して動員できる直属軍」。
せめて、まず「大名」として生き残るために、直属軍を確保して、足元を固めるべきたった、と。
山名もその三管領四職の面々の一人なんだが。あ、他の連中が無能だったと言う意味か。
三好長慶の前の政権担当者である細川晴元が、安定した政権を築くことができなかった
のは、その「安定して動員できる直属軍」がなかったからだろうな。それを三好長慶
に求めて、下克上されたということだし。
それと、三好って中途半端だと思う。晴元を京都から追い出したくせに命は助けるし、
そのあとだって何度も晴元とは戦うのに、逃がしてばかり。長慶の弟義賢だって
主人である細川持隆を殺しておいて、息子の真之を阿波守護にしている。いつまでも
守護代の身分ではなく、大名としてやっていくためには傀儡とはいえ、守護をおくのは
あまり良い考えではないと思うが。
晴元がつき、長慶がこねた天下餅をよこからさらっていったのが信長
そもそも、晴元は三好宗家と徹底的に仲が悪かったが、あれはなぜなのかね?
仲良くしていれば政権の寿命も延びたかもしれないのに。
27 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/27(月) 18:42:16
寿命
松永がマジいらなかったな
足利家と仲良くしてりゃよかったんだよ
29 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/27(月) 19:08:27
足利幕府には直轄地が殆ど無かったのが致命的。三好長慶には力はあっても構想が無かった。寿命も足りなかったね。
30 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/27(月) 20:55:37
信長の野望でもこいつら中途半端だからな
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/27(月) 21:23:24
確かに三好は中途半端の代表格だ。
だが使ってみると、これがなかなか…あっという間に強くなるし。
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/27(月) 22:21:38
義賢で四国を統一してそのまま放置しとく。そしたら長慶が足利・本願寺・筒井連合に殺される。そして兄の仇をとりに四国軍団を率いて上陸。信長の野望でよくしたな〜
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/28(火) 03:37:27
三好義興の遺児のその後を教えて
34 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/29(水) 21:26:39
三好揚げ
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/29(水) 23:02:01
☆無題☆あるところにとてつもなくHが好きな中学生がいました。
その人は学校一の人気者でした。ある日、その人はある女性に告白されました。その男はOKの返事をしました。
その日の帰り、男は保健室に女性を呼び出し、ベットへ押し倒し思いっきりセックス&Hをしました。
女性は恐くなり逃げ出しました。
が、家に帰り部屋に行くとあの男が居ました。「おいで、おいで」っと言いながら不気味な笑みを浮かべていました。女性は逃げようとしましたが、腕をつかまれもうどうすることもできませんでした。
その後女性は人が変わり、H好きになりましたとさ。
このレスを見た人は幸福の人です。
3日以内に好きな人から告白されます。そして初Hを交わすでしょう。(キス程度
でもまず、このレスを5回以上違う場所に同じ題名、同じ内容で書き入れましょう。名前は変えましょう
構想不足、頭の切れすぎる謀臣、寿命。そんなとこか。
信長の野望では、結構三好長慶の能力値は高いな。まあ、他の畿内の武将の
能力値が低すぎるから(除く本願寺)、よけいに目立つのだろう。
細川晴元なんてカスみたいな能力値だし、ゲームでは優遇されているな。
実際カスだろ、晴元なんて。
38 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/11(月) 02:31:40
政康揚げ
笑岩提げ
40 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/18(月) 01:46:07
>18
同意
久秀は確かに悪党には違いないんだけれど
その暗躍の実態をもう一度検証しなおす必要はありそうだね
自由席特急券
>>22 要するに結局三好はちゃんと領国経営やって強力な軍団が作れなかったということでしょ?畿内の兵なんて弱兵で有名だったじゃないの?
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/22(金) 13:16:10
age
44 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/24(日) 00:50:14
結局戦国時代をそれなりに生き延びるためには相応の領国経営が必要なんだよね
織田と違い三好は家臣団の組織化が進んでいなかったが、
それを兄弟でカバーしてたわけだから(讃岐衆…十河 阿波衆…義賢 淡路水軍…安宅) 十河一存の早死には痛すぎる
こいつらが織田家臣の柴田や明智と激突したらどうなったのか大いに興味ある
それに三好が衰えなければ荒木村重や松永久秀も三好方として働いただろう
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/29(金) 09:11:35
兄弟は死ねば存在が無くなるが、
システムはそのシステムが瓦解しない限り死なない。
47 :
武士道:2005/07/29(金) 10:30:57
信長の軍団が兵士と農民を分離して採用したのに比べ、半農半士の多かった三好軍は農繁期の動員や長期出兵が難しかった。地方豪族が三好家に対して納税を渋ったため、軍資金や兵糧の備蓄がままならなかった。
48 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/29(金) 10:34:37
だからこそ三好は堺の商人と仲良くしたのだよ!
信長の軍団が兵農分離って……
50 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/29(金) 14:21:51
信長軍団が兵農分離できていたかいなかったか、という話は、
なんか昔、別スレで見たよ。
でも今ここで肝心なのは、
なんで、三好はうまくいかなかったか?
じゃないか?
結局三好は足利幕府を仕切りたかったんであって、
天下を仕切りたかったわけじゃない、
ってのが分かれ目だったんじゃないか?
六角家とか畠山家とか畿内の勢力がお家騒動でガタガタになる前で健在だったからとか
父の仇は討ちたいが、主君は殺したくない。畿内で政権はとりたいが、主家(細川家)
はつぶしたくない。将軍は居ると邪魔だが、殺したくない。
なんという中途半端さか。形ばかり奇麗事を並べ立てていては政権を維持するのは無理。
足利幕府でのポジションは、結局管領より下で終始したし、幕府機構を大幅に変革する
とか、幕府をつぶすとか、先々のビジョンというものがまったくなかった。
確かに阿波淡路讃岐を兵站として、畿内での政権は細川晴元の時よりは安定した。
でもそれだけだろう。下克上の申し子なんだからもっとはっちゃけてほしかった。
>>52 むしろ、三好長慶を下克上の代表例として挙げることが間違っていると思う。
>>52 結局三好はほとんど幕府の権力を握ることばかりに目が向いて領国経営とかにあまり目が向かなかったんじゃないの?っていうかそれは三好に限らず細川とか近畿の大名はそういう大名が多かったみたいだけど
主君である細川晴元を追放して、畿内を掌握した。
・・・立派な下克上だし、京都という当時の日本の中心地を支配下に置いたのだから
代表例の一つとして問題はないと思うが。
>>52 三好長慶を一段スケールダウンしたのが朝倉義景に思えてきた。
「スケールダウン」って言葉の使い方間違ってるよ
朝倉は違うだろ?
オヤジの後を継いでぬくぬく生きてきたボンボン
あえて「スケールダウン」という言葉をあてはめるなら浦上宗景だろ
父村宗の敗死、主家赤松や一族の政宗との抗争、有力家臣宇喜多直家に食われる
こんなとこか
58 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/02(火) 05:50:52
>>57 どこがおかしな用法なのか説明せずに噛み付く57。
上げてやる、かかってこい。
三好も領国経営はそれなりにやってる
既存の支配システムを直接支配する構造に再構築するのが出来なかったと言うべきかな?
朝倉もボンボンどころかそれなりにやっとるよ
まるで、武田勝頼と似たような状況だな。
長慶としては親父の代の地位の回復ぐらいの目標しかなくて、
実はそこよりずっと先に進んでいたことに気づかずにわざわざ
後戻りしてまで以前の地位に甘んじたって感じかな?
100万あてるために宝くじかったら、意に反して1000万あたっちゃった
でもあくまで欲しかったのは100万だから100万だけもらって残りは他人にくれてやった
後戻りねぇ。確かにやってることは中途半端だしな。
それに振り回された弟達や、細川晴元はいい迷惑だ。
それでも長慶は権力の座を譲ろうとはしなかったけどな。