1 :
馬謖:
なんで逆落としできなかったんだよ
天蕩山じゃ上手くいったじゃん
なんで駄目なのかさっぱりわかんねーよ
うわ、なんか丞将むちゃくちゃ怒ってるよ、どうしよう
2 :
錦馬超:2005/05/19(木) 01:00:34
たしかに兵法って俺達にはわかりかねる部分があるよな。
敵軍が逃げたときに、追撃して成功する例と失敗する例があるけど、
どういうときに成功して、どういうときに失敗するのかがわかりにくい
逆落としも同様だし、川を半ば渡ってるときに攻撃しないのはなんで?
長旅で疲れてる軍勢に夜討ちを仕掛けるのは常套手段って言ってたけど、
毎回夜討ちしかけてるわけじゃないしね。
夜討に関しては、『日本外史』の『諸将服信玄』の上杉謙信のように
夜討をさそってやってきた敵を倒すという策もありますし、
暗闇の中を攻めこむと言うのはなかなか難しいのでは・・・?
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 01:05:28
相手が疲れていても自分がもっと疲れていれば、攻撃しないだろう
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 01:14:38
街亭の山頂には水源がなかった。
街亭は守りに力を発揮する地形。
相手は歴戦の張コウ。
馬謖も実戦経験を沢山つめば名将になったんだろうな。
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 01:24:55
実戦経験がほとんど無いのに指揮官になったのが間違い
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 01:27:56
>>7だな。まだ王平が指揮官の方が100倍いいよ。
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 01:28:36
孔明が劉備の助言を聞かなかったのが悪い
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 01:30:11
魏延最強
横山三国志どおりのマジレスが一通り出たことだし、終了にしとけ。
劉備はまだ実践経験が浅かったから馬謖を用いるなと言ったのかな
それともこんな奴役に立たないというニュアンスがあったのかな
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 01:36:24
終了でも良いんだが、普通に街道を守ってればどうなったんだ?
奇策に走らず、剣閣での姜維並の覚悟で死守しようとしたならば守り切れたんじゃないかな。
もちろん、他の戦線の状況にもよるけどね。
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 02:46:20
>>13 街道を守ってたら張郃にボコボコにやられていたと思われ。
平地での会戦では勝てないでしょう。
>>14 微妙だろ。一番痛かったのは水が得られない地形で持久戦やったこと。
援軍が来るなら別だが、蜀軍にその余裕が無いのは奴が一番よく知ってた
はずだし。それでもやったなら死罪も当然だな。
16 :
錦馬超:2005/05/19(木) 03:32:31
馬食だって兵法を一通りは心得ているはずなのに、なんで山頂に陣を布いたのか
馬食の目からは
水源を断たれるデメリット < 戦術上のメリット
とうつったはずなんだが、なんぞや、と
馬食が馬鹿だからって話になると終了なんだが、仮にも諸葛孔明が任せたのは
馬食がただの馬鹿だとは思っていなかったからであろうし、
小生にはわかりかねます
持久戦に関してもよくわからないところがあるんですが、
参謀役が「関にこもって応援を待ちましょう」と言ったら、
将軍が「守って守れるものでもない、打って出よう」というシーンが多く見受けられますが、
打って出るメリットは?もう、兵法わからんちんですたい
17 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 03:41:36
>>16 俺も詳しいわけではないが・・・
>水源を断たれるデメリット < 戦術上のメリット
短期決戦なら逆落としは有効な戦術って事だろ。基本的に蜀軍は寡兵だから
上手く魏軍を挑発して撃退しようとしたと思われw
ま、机上の空論で勝った気でいたんだろうね。
>打って出るメリットは?
乱戦なら敵将が間違って討死って事が有り得るからと思われ。
流れ矢で死ぬって話よく聞くだろ?
18 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 03:44:43
演義での話だが
逆落としで相手に大ダメージを与えても
防衛線だから陣地に戻るために結局また山を登らなきゃいけない。
そこを攻撃されて
相手より、より大きなダメージを受けてしまったとある。
なかなか感慨深い。
19 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 03:48:28
>守って守れるものでもない、打って出よう
打って出ると士気が上がる。
用兵が相手より上手なら有利に戦える。
玉砕戦法 ( 体面を取る ) 。
>流れ矢で死ぬって話よく聞くだろ?
矢が届く所で指揮なんてしないでしょ…
指揮官は大抵、中軍にいるはず。
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 03:51:48
>>19 狭隘地の関なら分からんぞ。ま、んな事言ってても最終的には
玉砕戦術なんだけどね。
21 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 03:52:34
持久戦は兵士の指揮が下がるといわれているが
俺にはその気持ちがよくわからん…
安全な所から攻撃なんて最高じゃないか。
それとも手柄の立てようがないから出世欲が失われるのであろうか。
打って出るといっても正面からの攻撃ではなくて
敵の側面を突く奇襲戦法がほとんどのはず
というか篭城しないであえて打って出て戦果を上げるパターンというのは
それしかしらない
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 03:59:14
三十六計逃げるが勝ち!という言葉を知っているか
三十六計というのは基本的な36の兵法をまとめたものだ。
ここで自分が不利な状況の時に採用すべき6計を紹介しよう
美人計 美人で相手を油断させる 曹操が美人にうつつを抜かして負けたはず
空城計 ありえないことをして相手を驚かせる 孔明がシバイにやったはず
反間計 敵のスパイを仲間にする さいか、さいちゅうあたり
苦肉計 肉を切らせて骨をたつ。 こうがいのアレ
連環計 敵をほんろうする。 文字通りアレ
走為上 逃げるが勝ち。 夜逃げ最高
23 :
錦馬超:2005/05/19(木) 04:59:04
深夜にもかかわらずレスありがとうございます
みなさんのあたたかい解説にもかかわらず兵法とは謎ばかりですね
空城なんていい例ですよ
もし城の門が開け放たれていて、ガラーンとしてる、と
孔明がひとりで悦に浸って琴なんぞひいてるぞ、と
うーん、不気味ですね 不気味ですが…
芝居「むむ、これは空城の計か いや、しかし、諸葛孔明がそのような賭けにでるとは…
(その辺の兵卒に)おい、そこのお前、ちょっと見てまいれ」
ってならないのが不思議
つまりシバイは
そんなことしてる間に
敵の攻撃が迫っているかもしれないと咄嗟に判断し
退却したわけですね
これならもし自分の見当違いでも被害を最小限に抑えられます
将に必要なのは迅速な判断です
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と
好意的に解釈してあげてください
所詮は物語です
>このとき同じく敗退した高翔はそれ以後も重用されており、馬謖が殺されたのは
>敗戦の責を問われたものでなく、諸葛亮の言い付けに背いたからだと分かる。
>しかし命令違背が馬謖の判断によるならば配下の張休らが処刑された理由が
>説明できない。おそらく違背の主犯は張休らであり、馬謖はそれを制止する立場に
>ありながらそうしなかった監督責任を問われたのではないだろうか。
と、某むじんサイトで考察されとる。
でも兵法に溺れた馬謖が歴戦の張郃に敗れたという演義的な解釈ならともかく、
部下を統率できなかったが故に敗れ、また処罰されたというのでは山頂布陣が意味不明。
そこで、ひとつ妄想を。
部下の将軍が二人も処刑された上に、その統率者までもが極刑を受けるというのはどういうことか。
これは、部下の二将の罪がその統率者をも死罪に処さねばならないほどの重罪だったということではないか。
それほどの罪となると、おそらくは背反。命令違背といった程度のことではなく、反乱に近いものであったと考えられる。
ただしこの背反はあくまで蜀国内の政治向きのことであって、唐突に魏に降るという類のものではない。
具体的には、独裁制を敷く丞相諸葛亮の指図を受けまいとする諸将(おそらく益州閥)の動きであった。
馬謖が街亭城を捨てたというのは、諸葛亮に背いた将軍たちに街亭城を占拠されてしまったため。
したがって諸葛亮子飼いの馬謖は前線にあって孤立するという憂き目を見、山頂に布陣せざるを得なくなる。
そんな事態にあってもなお彼の下に残ったのは、魏からの投降者で政争に関わりようもない王平ただ一人だけ。
やがて混乱状態のまま張郃に打ち破られると、指揮系統の定かならぬ蜀軍は四散し、王平の部隊だけが機能し得た。
27 :
26:2005/05/19(木) 05:11:54
某ニセクロサイトでは馬謖の背反であったかもしれないと匂わせているが、それだと後の馬謖の言などが奇妙に思える。
むしろ前線で背反事件が起こるとすれば、魏延や呉懿を差し置いて子飼いの馬謖を抜擢した諸葛亮に対してであったはず。
抜擢された馬謖はオヤビン諸葛亮に背く必要もないが、その配下の諸将には十分に火種があったということ。(王平にはない)
馬謖の処刑に難癖をつけた者のうち、益州閥の李バクは失脚し、荊州閥の蒋エンはお咎めなしというのも、こういう事情なら不思議ではない。
同じく荊州閥の向朗が投獄された馬謖を逃がしたという話もあるし、李バクは後に諸葛亮を誹謗して処刑されている。
あくまで根拠のない妄想だが、奇怪な大敗と行き過ぎた重罰について、馬謖がバカで孔明はテンパっただけだ、と済ますのではつまらんと思う。
別に演義ベースでいいじゃん
三国志の時代に、敗戦の将が処刑されたのはよくあることなんですか?
この、泣いて馬謖を斬ると、
劉備が関羽の援軍に間に合わなかった人たちを斬ったのと
くらいしか思い浮かばなくて…。
(蜀軍ばっか)
あとは魏でウキンがいじめ殺されたくらい…?
>>26、27
その文章を読んで思ったのは、
諸葛亮が自分のために馬謖を処刑したんだろうなってこと。
>魏延や呉懿を差し置いて子飼いの馬謖を抜擢した
だったら、責任は諸葛亮が取らなくてはいけない。
諸葛亮に対して反乱が起こるような雰囲気であれば、
風当たりはかなり強そう。
そこで、馬謖をスケープゴートに仕立てて矛先をかわす。
(この場合、命令違反は本当か嘘かはどうでもいい)
>馬謖の処刑に難癖をつけた者のうち、益州閥の李バクは失脚し、荊州閥の蒋エンはお咎めなし
これも、難癖の理由が的を射ている方がとがめられたのかも。
「カク〜」を冠する武将は名将しかいない!!
「カクカ」曹操に郭嘉さえいれば赤壁の戦いはなかったと言わしめた。
「カクワイ」夏侯覇や姜維を圧倒。
「カクト」袁紹配下の知将
「カクシ」ミニ董卓
「カクショウ」孔明相手に一歩も引かず
「カク」曹操を圧倒
うーん、すご過ぎる法則を発見してしまった。
「カク〜」という名前の武将を見かけたら逃げたほうがいい。
「カク〜」は外れ無しに名称だ!
夏侯姓なんて結構ヘタレいるし。
>>26-27 根拠がなさすぎて支持はできないが歴史への妄想としては面白い
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 15:43:01
ミニ董卓って名将なの?
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 16:24:13
歴史への妄想といえば、当時の情報伝達手段はかなり不十分だから、
諸葛亮まで街亭の実態へ伝わらなかったかも。孔明も机で街亭で陣を展開すれば、
何とか一時は持つだろうと予想したが、実際街亭に行ったのは馬謖だろう。
そこで馬謖はその場で街亭の防御状況は予想よりずっと脆いと判断して、
やむを得なく山に退避してしまった。まあ、結局負けたけど全滅を逃れた。
ただ、いずれにしても孔明の軍令に違反して、敗戦を招いた。いろいろ政治闘争
の結果として犠牲になってしまった。
これも妄想としてありえるだろう。
「防御するにはこちらが余りにも弱過ぎたので、余は攻撃した」
南北戦争の南軍司令官、リー将軍の言葉
22を読んだら、
今核兵器を作っているところという、かの国が思い浮かんだ。
やっぱり不利な状況ってことなんだろうな。
>>30 敗戦の将が処刑されたという話にはあまり覚えがない。
とりあえずは関羽を救援せず、孟達を離反させてしまった劉封。
しかしこれ、内実は諸葛亮の進言によって後顧の憂いを断たれただけ。つまり政争の一環。
次に朱桓の子、朱異。
朱異はかなりの名将で、諸葛誕の乱に際してほとんど孤軍奮闘していたが、
孫チンチンの命令を拒否したために処刑された。これも敗戦が原因ではなく違背による処刑。
そして孫晧の時代に交趾奪還二方面軍の一方を担った李ボウ。
荊州から陸路で交趾に向かった虞翻の子・虞らは交趾奪還作戦を成功させたが、
建安から海路を取った李ボウらは行程が険しすぎたようで、途中で軍を返した。
帰還した李ボウは勝手に軍を返した罪を問われ、一族皆殺しの目に遭った。
袁紹の将・麹義の誅殺も、一応は易京包囲の敗戦責任を問われるという形だったかもしれない。
あとは夏侯淵の戦死に責任があったためか、曹操に嫌われて于禁の下につけられたという朱霊。
「包囲されてから降服した者は許さない」といって昌キを処刑しておきながら、自分は関羽に命乞いした于禁。
これらは処刑こそされていないが、敗戦によって主君に疎んじられたクチかと思われる。
もっと探せば出てくるかもしれないが(特に後漢末)、少なくとも敗戦で処刑というのは一般的ではない。
劉封・麹義は政争の犠牲者、朱異・李ボウは命令違反(おまけにトップが超DQN)。
してみると「馬謖は敗戦の責任を取って処刑された」というのはかなり異常な事態といえるかもしれない。
勝敗は兵家の常というし。
ただ、呉主伝注に、
是歳將軍テキ丹叛如魏.權恐諸將畏罪而亡,乃下令曰:「自今諸將有重罪三,然後議.」
とある。
部将が失策の責任を問われるのを恐れて魏に亡命することがあるので、ミスは三回までOKということにした、と。
こんなのを見ると、敗戦責任を問われて処刑されることも少なくはなかったのかなぁという気もする。
>>39 くわしくありがとうございます。
敗戦に関して何か重大なミスがあれば、
処刑まではいかなくても、なんらかの罰はありそうですね。
でも3ストライクでアウト! はかなりつらそう。
で、やはり馬謖は異例なんですね。
まぁ、ことわざになるくらいですし…。
政変系なんでしょうか。
>>31 李バクと蒋エンの言っていることは同じ。
楚の将軍・子玉の故事に喩えているところまで同じ。
ただし、李バクは馬謖が処刑される前にこれを止めようとして諌め、
蒋エンは馬謖の死後になってそのことを非難したという違いがある。
ところで李バクと蒋エンの二人は、出身こそ益州と荊州の違いがあるものの、
劉備の機嫌を損ねたところを諸葛亮に助けられたという経歴が同じだったりする。
>蒋エンは馬謖の死後になってそのことを非難
これはリバクの処刑後? 処刑前?
>>42 李バクが処刑されたのは孔明死後だぞ。聞くまでも無い事だろう
李バクは馬謖に関する諫言で処刑されたわけじゃない。丞相参軍を外されて蜀に帰国させられただけ。
諸葛亮が死んだとき、「諸葛亮には帝位簒奪の野望があった」とか上表したために、怒った劉禅に殺された。
劉禅は心から諸葛亮を信頼していた、という美談として取り上げられたりする。
裴松之は李バクについて「超空気読めないヤツ」というような評を下している。
じゃあそもそも、リバク処刑は馬謖にカンケーないのでは
李バク失脚といってる人はいるが、処刑といってる人はいないな
丞相府から追い出されるってのは当時の蜀漢ではかなり左遷ぽいかも
しかし李バクってのは空気の読めない奴だな。
劉備を怒らせ、諸葛亮を怒らせ、劉禅も怒らせて終いには死んじまうんだからな。
海のリバク
読めないのは相手の力ではなく場の空気か
50 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 01:53:44
馬謖が実直だったらなあ・・・蜀好きの俺には耐えられん。
蜀好きだけど馬謖は別に嫌いではないな
相手が張郃では諸葛亮の指示通りに戦ってたとしても勝てるかどうかわからんし
諸葛亮を責めるわけではないが、なんであの局面で馬謖に大将任命したのかの方が不思議だ
馬謖は古の名将の必勝の策を使い、勝ったつもりでいたのだろうが…
古の名将の必勝の策とは彼らの声望によるところが大きい。
戦にセオリーは有っても、それを行えば勝てる策などない。まさに生兵法!!
そもそも、逆落としをするな! と諸葛亮が言ったのは本当ですか
>>53 三国志演義では街亭は砦のない平地だったが
正史では、街亭には砦があり
諸葛亮は、蜀の本隊が到着するまで
街亭の砦を魏軍から死守せよと命じた
だが馬謖は、砦を放棄して山に陣を置いたため
水道のある砦を魏に占拠され、米を炊く事が出来なくなった
これに関しては、馬謖が決めた事ではなく
部下が勝手に暴走して、馬謖はその部下に強く意見する事が出来ず
その部下の言いなりになってしまったという説もあるが
どちらにせよ、王平の忠告を無視したのと
王平のおかげで魏兵の追撃を免れたのは確か
ショウエン、李バクが馬謖の処刑に反対したのは
"馬謖は罪を犯したが、活かして育てておけばモノになるかもしれないのに
もったいない"とする趣旨の主張であり
街亭敗戦の責任が馬謖にあるという意見自体を疑う発言はしておらず
参軍した将の中に馬謖の責任を弁護する者がおらず、馬謖自身が一度逃亡してる所からも
馬謖のせいで負けたという空気が、軍全体に流れていたのだと思う
もちろん馬謖に大任を任せた諸葛亮にも責任はあるが
諸葛亮の目に見える範囲では、馬謖は非常に有能だったので
馬謖が街亭で失態するとは予測出来なかったんだろう
馬謖が自分の能力を自覚していれば、任命された時辞退する事も出来たが
どっちも結果論のレベルでしかない。
妄想シリーズ
街亭に到着した馬謖は張郃の軍勢と布陣を一目見て「平地に陣取っても負ける」と
想像した。ここで負けると結果として街亭も蜀の野望もご破算になり、抜擢した孔
明師匠に全責任がかかってしまう。
そのくらいならば自分が突出したことにして孔明が浴びる批判を避けることが蜀の
将来には不可欠ではなかろうか。
逆落としをすればあるいは大勝利を得るかもしれず、勝利すればその栄誉もまた孔
明のものになる。
「よって私は山上に陣を構える!」
あの超エライ諸葛亮先生に期待されてたら、
そりゃー自分の能力を過信するでしょ。
しかも歴戦の勇者に「策」で勝つ。
諸葛亮先生にさらに絶賛される自分を想像して
うっとりしてたと思うよ。
>>54 ただし十万の軍兵が馬謖を悼んで涙を流したともある。
それにしても、降将で文盲で性格も偏狭であったとされる王平の助言を馬謖が聞き入れるわきゃない。
諸葛亮が王平を高く評価して、実戦経験に乏しい馬謖を補佐させたというならともかく、そんな気配もない。
王平が優秀な軍人だったのはまさに拾い物の発見であって、馬謖との対比はかなり結果論くさい。
これは馬謖を責めるべき点じゃないと思う。
劉備が高く評価して後に蜀の各方面軍を担った人材に鄧芝・馬忠がいるが、
第一次北伐時にはそれぞれ趙雲、諸葛亮に付けられており、いまいち重用されてない。
これ以降、鄧芝が東方、馬忠が南方、王平が北方を統率していくことになるが、
どうもこの時まで諸葛亮は軍事における将帥の価値というものを理解してなかったっぽい。
見事な撤退を成し遂げた趙雲隊について鄧芝に尋ねていることからもそれがわかる。
たぶん馬謖の処刑は、敗戦責任という以上に、諸葛亮の路線変更という意味合いが強かったんじゃないだろうか。
諸葛亮はそれまで、エリートに叩き上げをつけるという采配を取ってきた。これは軍師中郎将、軍師将軍という
経歴を辿ってきた諸葛亮なりの構想であり、また変わり者を嫌う諸葛亮の人材嗜好が反映されたものでもあった。
それに劉備の漢中戦時にはゴロゴロ転がっていた乱世の猛将が北伐時にはほとんど失われていたこともある。
しかし街亭以後は一転して、アクの強い叩き上げを重んじるようになる。その皮切りが馬謖の処刑。
蒋エン、李バクはそういう意味では諸葛亮の真意を読めず、的外れなことを言っているといえるかもしれない。
諸葛亮にしてみれば、馬謖や馬謖タイプの才子肌の人材はもう二度と重んじないつもりであったから。
特に李バクの挙げた百里孟明は、晋の先軫に連戦連敗しながら名将に成長していった秦の将軍だが、
小国の蜀漢にそんな余裕はなかったし、また諸葛亮には秦の穆公のような度量を見せることも出来なかった。
(才能や性格の問題ではなくて、人臣にすぎない諸葛亮にとって立場的にやってはならないことだった)
>>57 一箇所だけ。
「降将で文盲で性格も偏狭であったとされる王平の助言を馬謖が聞き入れるわきゃない」
つまり、感情論で部下の進言を却下したと。そして、その進言どおりに事態は推移して
破れたと。それじゃあとても弁護はできないぞ。
>>58 馬謖でなくても聞き入れないだろ
そりゃ感情論じゃなくて常識の範疇
もし王平の意見を聞いて失敗した場合は、
「なんでいいとこ一つもない人の意見を聞いたの?」
ということになるな
>>57 確かに孔明は馬謖の失敗を繰り返してないな
魏延を単独で使うようにもなったし
魏は曹休が街亭以上の失敗をやっちゃってる
なんか歪んだ発想になってるな。
ちょっと一から考え直してみてくれないか?
馬謖は大将。王平は部隊長。それ以上でもそれ以下でもない。
誰の意見に従う従わないじゃなくて、
馬謖は大将として、彼自身の最終決定として戦術上の正しい判断をする義務があった。
当然、そのためには必要な情報を集め、部下の意見も聞くべきだった。
そこまではいいよな?
で、
>>58や
>>60は王平の将としての資質だけあげつらって
「王平は将才がないから、何を意見しても一切聞き入れないのが当然で、無視した馬謖に非はない」と決め付けてるけど
王平みたいな叩き上げの部下がいて、
彼の現場経験に基づく意見を考慮しなかったために戦術上のミスが生じたとすれば、
当然大将たる馬謖が責められるべきでないのか?
何か間違ったこと発言してるかね?
も一つ追加
繰り返すようで申し訳ないが
部隊長は進言するだけ、最終決定権は大将にあるわけで。
極論すれば、王平が無能で偏屈でサディストで精神錯乱で性犯罪者だとしたとしても
戦術上正しい意見をすればそれを考慮するのが大将の責任。
もし進言の内容の是非をロクに検討しないで、
進言した人間の人間性だけで却下したのなら、大将が責められるべきなのが当然。
…てなことを
>>59は言いたかったと思うんだが
>>60は相変わらず王平の将才だけにこだわってるようだ
その大将が、死ななきゃつぐなえないミスをしたら、
大将を任命した人も責任取らないとおかしくない?
現場のミスで社長引責退任みたいなの
>>62、63が何を言ってるのか解らないのは俺だけか?
>>62 王平は将才あるっての。
ただし性格が悪い上に無学文盲、おまけに当時は蜀将として実績があるわけではなかった。
そういう人間は進言を聞き入れてもらえなくても仕方ない。
そういう人間の進言を聞き入れない大将は、無能というよりは凡庸と評すべきなのよ。
そこをあえて聞き入れられれば確かに有能な人物といえる。
たとえば品行の修まらない郭嘉をとことんまで重用した曹操は凄い。
これに対して郭嘉を弾劾した陳羣に国家の戦略を損なおうとした罪を問えるか?
もちろん曹操はそんなことはしない。郭嘉が批判されるのは当たり前のことだったから。
むしろ寵臣であっても不品行であれば弾劾するという陳羣の姿勢をこそ、曹操は評価している。
また、周瑜は元DQNの呂蒙を重んじ、その進言を度々採用した。まさに名将といえる。
しかし魯粛はそれでもまだ呂蒙を軽んじていた。魯粛は狭量と言えるだろうか?
夏侯尚は智謀に優れていたが杜襲は軽蔑した。これも主に品行の故ではなかったか?
劉表は元超DQNの甘寧を軽んじ、黄祖もまた同じようにした。このことも単純に責められるか?
当時の儒教社会にあって、進言の内容だけを見るというのはそれ自体が異質な思想であり才能だった。
だからこそ曹操、劉備、孫権の人材運用は素晴らしかったといえるわけだ。
>>57で長々と述べているのは、諸葛亮が第一次北伐の失敗以後、
「偏屈でサディストで精神錯乱で性犯罪者だとしたとしても」という発想をするようになったということ。
「無能」は入らないな。当たり前のことだが。
さらに言えば。
劉備を攻めた夏候惇と李典、赤壁前の曹操と賈詡、第四次北伐での司馬懿と張郃、
いずれも大将が参謀ないしは副将の意見を聞き入れずに失策を犯した例だ。他にもこの手の話はいくらもあり、
呉の鍾離牧はおよそ進言は入れられまいとグチをこぼしているし、孔明自身も魏延の建策を却下している。
参謀や副将には予備プランを用意して進言する責務があるが、それが入れられるかどうかは場合によりけり。
しかも李典や張郃は武人でありながら儒学を重んじ名声を得ていた人々であり、それまでの功績も多大。
おまけに王平のごとき一部将というのではなく、進言を責務とする地位についている。それでも入れられなかった。
戦略・戦術上の進言というのは、そういう性質のものなのだ。
>>63は「戦術上正しい意見」と言っているが、それが正しいかどうか判れば苦労はしない。
したがって、「無能で偏屈でサディストで精神錯乱で性犯罪者」という人間をエリートの参謀としてつける上司は大バカ。
もちろん諸葛亮はそんな大バカじゃないから、副将・参謀という意味合いで馬謖に王平をつけたわけじゃなかろう。
おそらくは自分の立案した大戦略を予定通りに行うためのプチ諸葛亮として馬謖を先鋒としたのであって、
王平はあくまで部隊長にすぎず(事実1000人しか率いてない)、彼だけが馬謖を諌めたのは、采配上は偶然でしかない。
>>64 諸葛亮は自分でも責任を取って、派手に降格してる。
何か、みんな燃えてんな。馬謖は燃料樽だったのか・・・。
最初から、馬謖がよほど無能に見える男であったら…
いや確かに馬謖には、才能はあった
辿った運命によっては、経験を積み、自戒し
名将になれたかもしれなかった
だが馬謖は、自惚れている割に経験がなく
そして彼の成長を待つ時間の余裕がないのが不幸であった
馬謖に才能があったのは確かで、諸葛亮はその才能を見抜き
愛していた
だがその才能のため、諸葛亮は大任を任せてしまい
自分の能力を過信した馬謖も、それが出来ると思って快く引き受けてしまった
まあ、部下が失策を犯したとき上司に責任が追及されるのは社会の常識ってことだけは確かだ
馬謖好きって意外と多いんだな。
だからこそ十万の軍兵が涙したんだよ
嬉し泣き
好きなわけじゃないんだよ。むしろ嫌い。
でも、戦術ミスで大敗した将軍は他にもいっぱいいるのに、
なぜか馬謖だけ問答無用でカス扱いなのが嫌なんだよ。
劉備が配下に婉曲ながらダメ出ししたほぼ唯一の武将なだけに、この歴史の評価は
仕方ないねぇ。
劉備が、口先だけの男だと評価したのも
諸葛亮が才能を評価したのも
どっちも間違ってはいなかったんだろう
才能はあるが自分を過信しているという
微妙な位置にあったのは間違いない
そもそも先鋒に向いてないし、才能があったとしても張コウほどなわけがない。
第一次北伐で前線指揮官として使える手ゴマは三つ。趙雲、魏延、呉懿。
趙雲は曹真の本隊を引き付けるのに打ってつけの人材だから陽動に用いる。
残りは魏延と呉懿。孔明以外は全員そのように具申した。
孔明はなんで馬謖にしたんだろう?
それに関しては、
>>57にそれっぽい解釈が載ってる
責任なすりつけられて殺られたんだよな。
たぶん孔明は派閥争いの件(ケイ州組・益州組・武官派)から自勢力の馬鹿を使ったんだが失敗。
素直に反骨使えばいいだろう。
街亭は囮。
街亭で防衛に専念して張郃の軍をひきつけている間に、
魏延が別働隊として長安を奇襲する算段になってた。
って北方のおっさんがソープで言ってたよ
>>80 長安に曹叡が陣取ってるんだから、奇襲なんて無理だろうがな。
長安で曹叡対孔明の直接対決が実現されたとしても
結局、どこに陣取ろうが馬謖は張コウに敗退。
曹叡に篭城され孔明もなすすべも無く撤退。
>>66 なんか混同していないか?
馬謖が、「王平の意見は兵法上こういう理由から取り上げられない」と却下したのなら、
結果はどうあれ問題はない。
しかし
>>57 は「王平は単なる部隊長で当時はたいしたヤツじゃあないから、馬謖が内容
ではなく発言者を理由に却下したのは当時の常識からいって当然」といっているのだが。
>>80 それじゃ囮ばっかで本隊がないぞ。
馬謖はたぶん魏軍の侵攻ルートを限定するために置かれたんだろう。
趙雲はトウ芝とともに陽動として曹真本隊を引きつける。これは成功。
諸葛亮本隊は丞相司馬・魏延を率いつつ天水を攻め落とす。これも成功。
曹真が囮に引っかかった以上、張コウは諸葛亮本隊を迎撃しなければならない。
諸葛亮の方も、張コウ隊を撃破できないと曹真本隊をたばかった意味がない。
張コウの進軍ルートは陳倉を通るか街亭を通るか。
街亭ルートだと離反しなかった涼州諸郡の方面に抜けられてしまう可能性がある。
だから諸葛亮は街亭の別軍でこれを阻み、転じて陳倉ルートを辿ってきた張コウ隊に
自身の率いる本隊でもって決戦を挑む必要があった。ところが張コウが街亭を抜いてしまう。
諸葛亮は陽動に陽動を重ねた結果、本隊が宙に浮くという戦略上の大失態を演じてしまった。
司馬懿や姜維だったら全速力で街亭に進軍して馬謖を救援しつつ張コウ隊と会戦しただろうに、
あくまで当初の作戦計画にこだわったところがいかにも不器用でよろしくない。
はぢめての北伐で緊張してよくわからんかったけど、気張って厳しくいこうと斬ってみたんだよ
荊州に関羽置いたり、夷陵で大敗したりした劉備の眼力をいまいち信用してなかったりもするかもね
つーか、諸葛亮のほうが劉備に眼力信用されてなかったわけだが
劉備の成功の秘訣の一つが、
人材を見る目だからな
諸葛亮は確かに頭良かったが
その点が劉備に劣ったと思えなくはない
ヤクザもんと優等生の違いのようだ
最初の北伐以後は孔明の人材を見る目も成長していくんだけどな。
劉備がヤクザもんを重用して、孔明がインテリを抜擢してた頃が、蜀漢の全盛期だな。
全盛期というか、限界な。言い方一つでずいぶん印象変わるもんだ。
>>90 それ逆じゃね?
ある一時期がその国の限界だった、なんて言い方は史書にもあまり見られないが。
まあでも、蜀の後を見ていると限界でも間違っちゃいないかな、とは思うが
蜀の後→蜀のその後
よほど人材かき集めない限りは3国で安定しかかった現状、天下統一はムリ。
結果論者というわけじゃないけど、蜀建国あたりが劉備&孔明の限界でしょう・・・。
っていうか、全盛期ってそこ以上伸びない時期のことなんじゃねーの?
そりゃ史書で「限界」なんて表現使ってる文献なんかありえないだろうけどさ。
全盛期ってのは後世から見た客観的な評価。
「それ以上伸びない」という"意見"じゃなくて「それ以上伸びなかった」という"事実"。
97 :
96:2005/05/24(火) 00:58:03
蜀の場合は全盛期=限界だったというだけで、等号で結べない場合もあるわいな。
なかなか面白いスレだと思ったんだがもうこのあたりで打ち止めだろうか。
誰か人いる?
97が意固地になっちゃったので白けたからここまでだよ。
馬謖に燃えずに自説大好き!に燃えてるからねぇ・・・。
馬謖そのものが街亭くらいしか語る場所ないからこんなもんだったんじゃないの?
じゃあ無関係でもいいよ
99みたいのが一番白けるけどな
103 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 23:35:01
石原都知事が「泣いて馬謖を斬る」発言、やっぱり作家は三国志読むんだな
人形劇三国志を見たのかもしれないぞ
副知事は命令違反じゃなく偽証だ。
知事のツマラン見栄で引き合いに出された馬謖の方が泣いてる。
副知事のやったことうんぬんではなく
可愛い部下を斬らねばならないっていう事では
故事成語か・・・。まぁ、そうなんだけど、石原に言われると片腹痛いんだよなぁ。
馬謖以下の幹部の処分については、敗戦の責任ではなく、交戦中の指揮に関係するのではないかな。
例えば、馬謖逃亡の記述があるが、街亭で魏軍と交戦中に不利になった段階で指揮を放棄して一部の幹部と逃亡したとか。
それなら、敵前逃亡(と言う概念が当時あったかは不明だが)で敗戦などよりはるかに責任は重いと思うけど。
正史によれば、馬謖が死罪になったのは、敗戦そのもののせいではなくて
孔明の軍令を無視し、さらに敗北してから逃亡を謀って捕らえられたか、
もしくは逃亡したが思い直して戻ってきたから、らしいな。
いずれにしても卑怯な振る舞いがあったようだ。
軍令を守って負け、潔く孔明に処罰を願い出たのであれば
せいぜい降格処分どまりで、いずれは復権できただろうに。
王平は策を進言したのではなく、軍令違反を嗜めたのだから、
王平に学があろうがなかろうが馬謖は従うべきだったんだがな。
>>109 街亭だけ取り上げられてるが列柳城を守っていた高翔も郭淮に敗れてる。
重要度の違いもあるだろうが高翔は処刑されず馬謖は処刑されたのはたんに敗戦だけが原因ではない証左だろうね。
ちなみに高翔は最終的には大将軍まで昇ったらしい。
>>109 正史によれば馬謖の処刑は敗戦と軍令違反のせい。
逃亡については向朗伝に見えるだけで時期も動機も街亭との関連も不明。
捕らえられたのか、戻ってきたのかも不明。
112 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 15:07:32
水が無かったから
顔が悪かったから
114 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 17:16:40
お腹空いたから
借りたビデオの延滞料金が気になっていたから
生理現象だったから
月巴のプログラムでつ
魏軍が、馬謖の決めた予定に違反して、違う行動を取ったから。
実は馬謖は魏に通じていてわざと負けたから
突然柴刈りに行きたくなったから
スレ違いかもしれないが、他に議論になりそうなところが見つからないので質問
じゃあ、誰 だ っ た ら 街 亭 の 守 り は 成 功 し た の だ ろ う か ?
馬謖の失敗談とかばかりがなんか有名だが、その頃の蜀の将で、ここぞ!!ってヤツはいたのか?
完全に後々の実績からの選定になるけど、王平かな。
街亭、祁山、興勢囲と、攻勢正面に立たされた状況下での戦術眼・用兵は
蜀将の中でも随一といっていい。
それも兵力で劣勢な局面での実績であり、蜀の歴史を通じてこれほど守勢下
での起用にふさわしい将はいない。
街亭の折では、王平の実績・位階に不足があったのがなによりつらいところ。
魏延だろ
位階は別軍を指揮させても諸将に文句言われない高さだ
魏延は生涯においてほぼ無敗だし実績もあげいてるから充分守れただろう
まあ、あそこで魏延を起用しないのは蜀臣一同「???」だったみたいだし、それが妥当だろうな
もしくは呉懿
むしろあの重要な局面で何故コイツなんだ
127 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/26(日) 11:49:46
あげ
129 :
征夷大将軍:2005/06/26(日) 12:05:20
多分どんな武将でも無理だよ。水もなかったし、ミニ食糧危機がおこりますぜ
のど渇いたら戦えないよー。
130 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/26(日) 12:18:37
のどが渇いたら唾を飲もう
ごくごく
ひとつだけ確かなのは、仮に馬謖が孔明の指示通り街道沿いに布陣して負けたとしても、
「孔明の指示通りに布陣して負けるなんて情けない野郎だ」と罵倒されたであろうということだ。
魏延もよーしパパ頑張っちゃうぞーとかやりそうだから駄目だな
街亭が平地だと思ってるのは素人
森林地帯なんだから、街道も細いもんだ
馬謖が山に登ったから水源を断たれたんだから
砦に入ってれば水不足におちいらなかった可能性は大。
諸葛亮の指示は不明だから勝敗については分からんが…
135 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/26(日) 14:47:57
「そのうち梅林にありつけるぞ」って、
スパイスの効いた嘘をつけば良かったのだ。
魏延で負ければ誰もが仕方がないと思えるのだ。
しかし他のヤツを出して負ければ、孔明は何をしている!と責められるのだ。
137 :
121:2005/06/26(日) 15:47:16
>>all
納得
王平、魏延は自分の中でも候補としてあったんだけど、ゴイってのは新鮮だった。
馬謖は街亭での失敗ばかり目立ってるけど、他のヤツ出しても負けたんなら
馬謖(と起用した孔明)ばかりを責めるのはちょっとかわいそうだよなって思ったんだけど……
やっぱ馬謖のせいなのか(苦笑)
新鮮というか、魏延か呉懿かと言われてたくらい普通の人選だが
だよなあ、普通
140 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/26(日) 16:28:43
失敗するのわかってたから、馬謖にでもやらせてしっぽを切ったんじゃないか
なんかあたりまえのように魏延だっていう意見があるけど、魏延は長安への
急襲策やこもごもの戦歴・性向をみても、守勢時の起用にそれほど有効な
人選かって思うんだが。
むしろ街亭のような局面では呉懿や(位階に不足はあるが)王平の方が適任に
思えるんだが……。
あの段階で、王平抜擢したら孔明は神だな
守勢とは言うが北伐は基本的に侵攻作戦なので別に問題はないだろ
攻勢の中の守勢だからダメとか言ったら日本の医療みたいになっちまうぞ
戦略のための作戦目的を理解してるかどうかだろ?
街亭は、天水郡他の攻略が済むまでの足止めが目的なんだし、
敵を打ち破る必要はない
まあ魏延は地位があるし背伸びしないが、青二才は手柄を立てようと
焦って、却ってアホなことをする。
146 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/26(日) 21:32:12
(´・д・`)ヤノナー
とりあえずあそこで馬謖が負けたことによって
諸葛亮が方針転換した意義は大きい
あそこで勝てなかったのは残念だが
負けて良かったんじゃないかね
んなわけねーだろ
151 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/02(土) 15:08:29
154 :
公孫紅:2005/07/02(土) 16:02:40
妄想……
最初から諸葛亮は馬謖に「山に陣取れ」と言っていた。
だから、馬謖は当たり前のように山に布陣しようとしたら、王平が「水がないから、山に布陣するのはよくない」と言った。
これに対して、馬謖は「諸葛亮先生は山に布陣しろと言った。きっと何か策があるに違いない」と言って命令通り山に布陣した。
王平だけが命令違反し、山には布陣しなかった。
ところが結果的に山に布陣した馬謖は敗退し、北伐は失敗におわった。
諸葛亮は失脚を恐れ、命令通りに布陣した馬謖を命令違反を犯したと言って処刑し、命令違反した、王平を命令通りに布陣したと誉めて、保身を謀った
そんなふうには考えられないか?
考えることは可能だが、可能というだけだな
しかし俺はそういう諸葛亮は大好きだ
158 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/02(土) 21:55:18
159 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/02(土) 22:01:15
たぶん正しい
160 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/02(土) 22:03:28
161 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/02(土) 22:14:44
馬謖最低最悪。こいつさえちゃんとしてくれたら魏を滅ぼせた。全てが上手く行った。
入り口さえ固めれば100%勝てる戦。それが街亭の戦い。それをあえて奇を衒い功を焦り
山頂へ。仲達も「もう蜀軍が来ていたのか、しまった。入り口を固められてはまったく手が出ない。
さすがは孔明。」とまで言って撤退しようとしたが、軍が山頂に陣を構えていることを知ると
「なんと。兵法を知らない愚か者め、目に物を見せてくれるわ」と俄然勢いづき突撃する。
子供でも守れた街亭の戦いにおいての馬謖の失敗は許せない。こいつは八つ裂きにしてもしきれない罪を犯した。
こいつは蜀の汚点、最大の癌だったのはいうまでもないだろう。くされ馬謖!!!!
162 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/02(土) 22:19:35
でも
馬謖を使ったのは諸葛亮
魏を舐めんなよォ
164 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/02(土) 22:49:05
孔明が魏延のことを信頼して街亭の守りを任せてたら歴史は変わってたってことか
劉備がまだ生きてて、孔明に馬謖の代わりに魏延を使うよう説得してたら蜀は滅亡しなかっただろうに
まあ、劉備も私情が元で死んだわけだし人のこと言えないか
166 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 01:53:52
167 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 02:02:24
荊州方面の守りについてたシバイがどうやれば涼州方面に進軍してた蜀軍を打ち破れるんだ?
無双?
トマホークとかじゃまいか?
172 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 09:27:26
横山三国志では(52巻参照)司馬が直接街亭に赴き、馬謖の陣を見て作戦を立てている。
息子の昭も一緒だった。
そうしてまた張郃が軽んじられるワケか・・・
>>169 少なくとも荊州はないだろ。
ちょっと前までヨウ州?にいて、馬謖の計略で失脚させられて田舎で引き篭もたんだし。
それで孟達討って長安に来たんだから、別に問題はないっしょ
演義乙
176 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 13:31:44
え?
芝居を失脚させたのは演技ネタだったのか?
信じてた・・・
孟達が弓で、とかも嘘だからね
曹真が病気で倒れるまでは、対蜀に司馬懿出てこねーよ
とりあえずこの時期の諸葛亮は敵味方問わず叩き上げの軍人舐めすぎ
新人を育てる、とかの局面じゃないだろ街亭は
180 :
о丁児 ◆71izTCnSlI :2005/07/03(日) 14:53:42
街亭はもともと勝つのはむずかしい戦。
街道各所を押さえてもいずれ大軍に突破される。
負けるのが当たり前、勝てばラッキー。
はたして総大将が趙雲なら処刑するか?無理な戦さの責任はコウメイにある。
本当に馬謖が使える奴なら殺さない。ようはスケープゴートにされただけだ。
181 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 14:56:15
ひつもーん
なぜこのホストではスレたてれないんですか
182 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 15:16:01
仲達「なに?蜀の守備隊はすでに街亭に入っていると?」
昭「はい」
仲達「さすが孔明。ここまで手を打っていたとはまさに神業・・・。」
仲達「わしの及ぶところではないわ」
(中略)
仲達「なるほど。この細い山道に砦を築かれたらいかに大軍とて通れないものを」
(中略)
仲達「馬謖のう。少々知恵がまわると聞いてはいたが大器の器ではないのう。
孔明は才智にたけても人を見る目はないと見える」
横山光輝三国志より抜粋
魏延軍の援軍を大都督仲達が左から、息子の昭が右から、張ゴウが正面から攻め立てた。
183 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 15:17:24
張ゴウ
街亭は時間稼ぎしてればいいだけ
黙って作戦目標の完遂だけしてればいんだよ
185 :
о丁児 ◆71izTCnSlI :2005/07/03(日) 16:21:03
>>184 ならば言われたことを素直に実行する愚直なものを総大将にすればいい。
馬謖のように小才を鼻にかけた、兵法好きな野郎を大将にすればああいう結果になるのはコウメイならわかるだろう。
防戦に努めるだけの戦なら将士から信頼されてる者を抜擢すべきだ。
まあ本人もわかってるが戦経験ゼロの若造を総大将に任命したコウメイが悪い。眠い。
初陣には丁度いいと思ったんじゃないか。
守ればいいだけってなら、誰でも出来るからな。
187 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 16:28:59
188 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 16:29:15
顔が悪い
街道に布陣して孔明の言う通りに戦ってたら、どんなアホでも
10日は持ちこたえられるはずだったんじゃなかったっけ?
王平以外にも、魏延がいたわけだし孔明の本体が到着するまで
耐えることくらいはできたと思うんだが
192 :
諸葛こおめえ:2005/07/03(日) 20:45:22
だって魏延キライだし
馬謖はいちおー親戚だもん・・・
193 :
公孫紅:2005/07/03(日) 20:49:18
馬謖は
守りだけなら王平とかで十分、そこに敢えて諸葛亮の秘蔵っ子と呼ばれた?自分が抜擢されたのは守り通すだけではなく
諸葛亮は自分に対してもっと別なことを期待してるんだ
と思ったとか?
194 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 20:58:18
ていうか街亭って祈山や五丈原より北に位置してる訳で
思いっきり最前線な訳で、
つまりは涼州方面の敵を撃破しろってことじゃないのかね
197 :
諸葛こおめえ:2005/07/03(日) 21:13:36
>195
そお、そのとおし。
魏延に長安急襲させるより、
馬謖に異民族征伐の勲章でも与えたいのが人情でしょ?
やっぱほら、普段からの人間関係って大切だよね。
198 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 21:15:48
全て馬超に任せてたら問題ナシ
馬超があと20年生きていたら・・・
200 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 21:18:51
200
>>195や
>>197をみてると、どういった状況下で街亭の戦いが惹起されたか
理解しないままに意見を述べてる人がいるのに驚き。
山から下りて街道を押さえるってことは真正面から敵とぶつかるってことだろ
相手は魏なんだし、兵力的に分が悪かった可能性は高い。
そういった要因の上でバショクが奇策に出たとも考えれないか?
つーかお前らの街道を守れば勝ってたってどういう地形を想像してんだ?
>>201 OK、いま張コウの伝読んで理解した。202はスルーで
204 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 21:42:25
全て孟獲に任せてたら問題ナシ
孟獲は文官
206 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 21:45:24
すまない…馬謖
わたしの愛する弟子よ
207 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 21:49:52
満寵とバショクってどちらが名将?
208 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 21:53:22
孟獲がインド象で突進してけばいいだけの話し
209 :
sage:2005/07/03(日) 22:05:38
ふむ
211 :
о丁児 ◆71izTCnSlI :2005/07/03(日) 22:55:36
>>193 そうだな、ご慧眼。やはりそれしかあるまい。コウメイは奴にプラスαを期待してた。
212 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/04(月) 04:00:01
孔明は赤壁の戦いでは関羽が昔の恩義から曹操を逃がすことまで読んでいた。
それ程の男が、馬謖の性格や態度から、あのような布陣を引くことを読めない筈はない。
孔明は衰えたのか?それとも馬謖に失敗させ切る為にあえて任命したのか?
>>212 多分、演義の作者が孔明の超人設定を忘れてたんだよ。
演義読んでないんだけど、そんなことまで読んでたんならなんで孔明は関羽に曹操追わせたの?
曹操が死んじゃうと孫呉が有利になって劉備が割拠できる土地が無くなっちゃうとか
確かそんな感じ
216 :
ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/07/04(月) 12:43:41
〜もしも無事に街亭を守りとおしたら〜
馬謖「丞相!街亭防衛の任を終え!ただいま帰還いたしました!」
孔明「・・・・・」
馬謖「丞相・・・?」
孔明「守りとおした?守り通すだけなら他の将にもできるわ。何故わたしがそちを大将に抜擢したか・・わからなかったのか?」
馬謖「し、しかし敵は大軍、守るだけで精一杯、とても攻めるなど・・・」
孔明「だまらっしゃい!!」
馬謖「!!・・・・」
孔明「なんたる生兵法、なんたる無策!かつての関羽なら小勢でも小勢なりの戦いを演じたわ!!」
馬謖「・・・・・・」
孔明「どうやら、そちを買いかぶり過ぎていたようじゃ・・・そちは・・そちは・・・打ち首じゃ、さがれ!」
馬謖「どえええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!」未完
217 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/04(月) 12:44:44
このホストではしばらくスレッドが立てれませんってどうゆうこと?
218 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/04(月) 12:56:30
だまらっしゃい!!
丞相の人を見る目がなかったってどうゆうこと?
220 :
諸葛玄人 ◆uUpznhPIvk :2005/07/04(月) 16:02:20
丞相の人を見る目がなかったってどうゆうこと?ってどういうこと?www
221 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/04(月) 16:20:31
そんな丞相ありえなくなくなくなーい?
盲目の軍師孔明
223 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/04(月) 17:19:18
tュ__________tュ
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人 .`rー――――──────一v′ 人
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
お国の事情でない事ない事押しつけられたに決まってるだろう。
馬謖、身を呈して神話を守の巻
227 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/07(木) 20:17:13
__|__ ノ__ |__
ノ|\ ノ __|__
ノ | \ |
ノ | \ |
∧∧ ∧___∧
= 三( ^皿^) /.(●),、(●)\
=三( つ┓ | ,,ノ(、_, )ヽ、 , |
=三/ ̄ ̄ ̄ ̄| `-=ニ=- ' .|
=三/ .ヽ、_ `ニニ´__ノ
=三| _______ ノ
=三◎⌒◎ ◎
孔明クール
馬謖が負けたら、死んで責任取るって言ったからでしょ。
「よいよい。勝つも負けるも兵家の常じゃ。」
231 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/10(日) 19:25:15
敗戦後の馬謖の心情(俺の会社での愚痴を参考に)
「そんなこといったってよ、俺にはムリだったんだよこんな作戦
丞相は丞相で無理難題おしつけるしよ、王平は俺のゆうこときかねーし、相手は魏の大軍と芝居だぜ?
そんでちょっと負けたら全部俺の責任かよ、まじやってらんねー
はあ、もういいよ 正直この国がどうなろうとしったこっちゃねーし
みんなよってたかって俺のせいにしやがって だったら最初っからてめーでやってみろっつーの
そんなにこの首ほしいなら好きにしろよ もうシラね」
仲達街亭にいないけど?
いたよ
だって荊州北部にいるじゃん
235 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/12(火) 13:50:58
相手がシバイだったからだよ。
相手は張郃。
237 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/12(火) 14:01:34
>>236 張郃は先鋒じゃなかった?しばいが作戦立てた
当時張コウの上司は司馬イじゃないし作戦立てる立場にもいなかったよ
>>237=235ですか?
この時期の司馬懿は驃騎大将軍・都督荊豫二州諸軍事として荊州南陽郡の
宛に駐屯しています。
孟達の叛乱を電撃的に鎮定はしましたが、蜀の第一次北伐には
参戦していません。
司馬懿が蜀軍と対峙するのは、第三次からです。
240 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/12(火) 14:22:30
そうでしたっ? 今から調べてみますね。
>>239 横光や無双で司馬イが出てきたのは事実だがな
ここでそんな話を持ち出されても……
演義厨って本当に頭悪いな
ちなみに司馬懿は4次のキ山からだろ?
>>243 別に『演義』に親しんだ人の場合、仕方のない事では?
いきなり厨呼ばわりはいくらなんでも……
それはそうと、祁山は仰るとおり第四次ですね。すみません。
演義に親しむのはいいけど演義だけで何か言うのは正史厨のいい的になるんで気をつけられたし
キャッチャー
やばい、寝坊した。
遅刻だ。
↓
街亭あぼーん
腹が減っては戦は出来ぬ
249 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 11:32:54
山にのぼったから
孔明が人を見る目がないから。王平でよかったのに…
251 :
ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/08/03(水) 12:30:28
〜もしも街亭の要所要所を押さえても負けていたら〜
馬謖「丞相・・各小道を押さえる作戦を採用しましたが、敵は大軍、残念ながら敗れまして・・・ただいま帰還いたしました・・・」
孔明「・・・・・」
馬謖「丞相・・・?」
孔明「なぜ貴様を大将にしたと思っているのだ?各所を守り通すなど小児病的発想!貴様は王平のいいなりか?」
馬謖「し、しかし敵は大軍、守るだけで精一杯、とても攻めるなど・・・」
孔明「だまらっしゃい!!」
馬謖「!!・・・・」
孔明「なんたる生兵法、なんたる無策!何 故 、 山 に 陣 取 ら な か っ た の だ ! !」
馬謖「!!・・・・しかし!あの山は水がありません!水を断たれ、包囲され火をかけられてお終いかと・・・」
孔明「 だ ま ら っ し ゃ い ! ! !」
馬謖「ひッ!!」
孔明「古今、兵法で『高きより攻め下る勢い破竹の如し』と言われてることを知らんのか!!」
馬謖「しかし・・」
孔明「しかしも、カカシもねえ!!どうやら、そちを買いかぶり過ぎていたようじゃ・・・そちは・・そちは・・・打ち首じゃ、さがれ!」
馬謖「どえええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!」未完
罪を馬謖におっかぶせただけ
そもそも守った先に何があったんだ
長安占領
255 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 16:36:09
>>255 釣りとわかってわざわざ相手にする貴様が氏ね!!!!( ^∀^)ゲラゲラ
257 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 17:19:56
258 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 17:21:20
>>257 名無しは魔玉と決め付ける。貴様はきょじょに間違いない!!
259 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 17:31:42
きょじょは一人ではない。
魔玉を嫌悪する全ての名無しがきょじょなのだ。
261 :
馬謖:2005/08/05(金) 12:20:38
つーか最初から無理だったんだよ。あんな少数で防ぐなんて・・・
王平の野郎はゆうこときかねーし、やってらんねーよ。
丞相もおれに責任をかぶせやがってちくしょう。
逃げたらつかまるしついてねー
死にたくねーよ。
死ねよw
死なないで
守るとか防ぐとか言ってるけど
ホントは街亭守備じゃなくて、先鋒軍だったんじゃないの?馬謖って。
『張コウ伝』だと「諸葛亮が祁山に出陣してきたんで、張コウが諸軍を率いて
諸葛亮の将・馬謖を街亭で防いだ」って書いてたよ。
あと馬謖が死刑になった理由としては、大軍を壊滅させてしまったからってトコ
じゃないかな。
夷陵で劉備が大敗して蜀の中核軍を失ったしまった後に、諸葛亮が育てた新兵たちが
南蛮平定とかを経てようやく一人前になりました。
でもせっかくのその新鋭軍を馬謖が壊滅させてしまいました。
って感じで、重罪。
>>264 隴西一帯を平定できてもいない以上、容易には東進できません。
街亭の戦いの時期、南安郡の上ケイには郭淮が健在で、隴西郡では太守・游楚が
抵抗を続けており、更に涼州刺史・徐バクが蜀軍への抗戦に備えて兵を送ってる
状況です。
そのため諸葛亮は隴西郡と郭淮の篭もる上ケイを結ぶラインを抑えるためにも
祁山と西県を基点に動く事ができず、上ケイの郭淮を監視するために列柳城へ
高翔を派遣し、その間に隴西一帯を制圧しておかなければ長安から西進して
くる張コウを先鋒とした魏軍とまともに戦えない状況で、そのためにも街亭を堅守
して魏軍を防がなければならず、いわば時間との勝負でした。
街亭一帯は隘路であるといわれており、魏の大軍を拘束して時間を稼ぐには
格好の地形であったといえると思います。
馬謖の責任とは、兵の損失といった戦術レベルの失策ではなく、北伐そのものを
破綻させてしまったという戦略レベルの大きな過失といえると思います。
266 :
264:2005/08/17(水) 23:08:32
>>265 ハズカシながら游楚と言う人物の事は、貴方の書きこみで知りました。
今、手許の正史で游楚の記述部も読みました。
解説どうもです。
しかし高翔(祥)と高詳ってやっぱり同一人物なんでしょうかね。
>>266 いえ、すっぱりとぶった斬る様な物言いでしたので恐縮です。
高祥は「魏略」、高詳は「魏書」の本文にみえる記述ですが、どれも高翔と
同一人物で間違いないでしょうね。
これは他にも所見できるところがあり、廖化などもそうです。
廖化は他に淳という名も持っていますが、「魏書」においてのみ廖惇とあり、
廖化、廖淳は「蜀書」や「呉書」の本文にみえる表記です。
馬謖軍が街亭で堅実に守ってれば(そんでも負けた可能性はあるが)、急遽、しかも長躯派遣された張コウ軍の方が撤退に追い込まれたかもね。
後の対戦でも、隴山を越えて軍を派遣するのは魏側でも結構な負担だったようだから。
もし、張コウ軍が停滞、あるいは撤退していたら、隴西以西の魏軍は組織的な野戦軍として機能するかはかなり難しいだろうから隴西は蜀漢の版図に入ったかもしれない。