【善人?】劉備玄徳について語るスレ【野心家?】

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1無名武将@お腹せっぷく
ネタスレとか叩きスレではない、劉備玄徳について語るスレが
なさそうだったので立ててみました。
蜀漢王朝を正統とする後世の人々の見方の流れから、
三国志平話や三国志演義で主人公として扱われ、
純粋な善人として見る事には疑問が呈示される現代においてもなお
漫画、ゲーム、小説で主人公として扱われる事の多い
自称中山靖王の子孫、蜀漢の初代皇帝にして関羽と張飛のアニキ
劉備について語ったり考察してみましょう。ただ萌えるだけでもOKです。
演義と正史の劉備の違いについても考察しましょう。
2無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 09:43:19
そんなあなたに蒼天をお勧めする
3無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 09:48:17
自分の息子をぶん投げる劉備萌え
4無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 19:33:29
演義:善の塊のような人。
蒼天:やるときはカリスマ性があるが、普段はorz
無双:演義と同じく善人。ちょっときちゃってる感じがする
5無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 19:37:46
似たようなスレなかったか?
6無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 03:30:24
俺の劉備像

戦に強く、義理堅く、プライドが高くて自信過剰な面もある。
義兄は大耳、義弟は虎髭。美しく長い髭の持ち主で、顔が赤い。
得物は青龍堰月刀。愛馬は赤兎馬。マジで一騎当千。関平は実子だと思う。
7無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 03:35:51
乱世の姦雄ってのは曹操よりむしろ劉備に当てはまる気がする。
8無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 03:46:52
劉備にも当てはまるかもしれんが、姦雄っぷりでは曹操が上じゃまいか?
梟雄というのも少し違う気もするが
9無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 07:33:52
奸雄というには、劉備はあまりに不器用すぎる…
劉備には、その気になれば地盤を安定させ
曹操と敵対できるチャンスがいくつもあったはず
曹操が力ずくで攻め込んだ徐州を、劉備が譲り受けたというのは
二人を対比するようで面白いエピソードだと思うけど
その徐州も呂布にあっさり奪い取られてるし
劉ソウが寝返ったとき、諸葛亮は劉備にジョウヨウを攻め奪うように言ったのに
生前劉表に世話になったのに何でその息子を攻めれるかと進言を退けたから
長坂でさんざんな目に会う
善人ではなくとも、要領の悪いお人よしだった
そこに惹かれる武将もいたんだろうか
10無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 10:28:18
赤壁以前の劉備に地盤を安定させるチャンスなんかねーよ
11無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 10:32:39
徐州があるぞ
12無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 10:45:01
西は曹操、南は袁術、北に袁紹、東に海
敵しかいない状況じゃ無理無理
13無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 11:12:28
陶謙に徐州を託されたからって、ゲームみたいにいきなり州を掌握できるわけないもんな
曹操に攻められてボロボロの徐州を任されたわけだし、新体制も確立しなきゃいかんわけだし
呂布を迎え入れなかったとしても、徐州を守るには体性を整える時間を稼がなきゃならん
曹操、袁術との同盟は絶対無理でも袁紹と組む事はできたんじゃまいかと思うのだが
多分そんな暇なくあぼーんだろうな
14無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 11:18:11
当時曹操と敵対している状態で袁紹と結ぶのも無理
15無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 12:40:42
実際、まともに地盤と言えるのは荊州が初めてだろ
それまでは他の軍閥のヒモ付きか、あまりに不安定なものばかりだ

むしろ、あれだけ敗走し、さらには朝廷に弓引いたりしている(朝廷が正式に任命した刺史を殺して反乱)のにもかかわらず名望は損なわれていないというあたり、とんでもない人物だと思う
16_:2005/05/09(月) 15:18:20
大義のために小義を捨てることは玄徳的にはいけないのだろうか
なにはともあれ漢の再興が目的ならば、劉表くらいなんでもござれ
17無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 15:22:06
>>12
全部と同時に敵対してた時期なんてないぞ?
18無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 16:33:46
張飛と呂布が兄弟並みに仲が良かったら袁術潰した後に曹操に潰されてたかなぁ?
19無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 19:43:26
>>16
同じように大義(天下の平定)のために小義(漢室)を蔑ろにした曹操は酷い言われよう。
現実に中原に安定と復興をもたらしたのは曹操なのにねえ。
20無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 20:30:50
劉表の死後ジョウヨウ攻めてれば本当に成功したかも疑問に思える
すぐそこまで曹操が迫ってきている状況で、そんな暴挙に出て果たして持ちこたえられたかどうか
『義の人』劉備の人気はガタ落ちだろうし、そうなると荊州の士大夫の反劉備派はさらに増えるだろう
呂布に対する陳登親子の二の舞にもなりかねない。そんな状況で曹操の大軍に対して篭城したところでジリ貧ではないか?
劉備の本音は世話になった劉表云々というより、曹操が怖かったのではないだろうか?
とりあえず出来る限り曹操から遠ざかろうと逃げ出したのは正解だったように思う
21無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 21:11:11
>>20
同意
結果論ではなく、劉備はあの時点で考え得るベストな選択をしたと思う
逆に言えばそれだけピンチだったわけだが、それを生き延びるどころか荊州支配に持って行ったんだから、ものすごい逆転劇だよな
22無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 21:56:28
そう考えると、劉備って実は凄い頭良いやつだったんじゃないか
まあ兵法に関してはちょっとだめぽだけど
悪い意味で言ってるわけではなくて、
逃げる天才というか
三十六計逃げるに如かずだし
23無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 21:59:46
夷陵でも生き延びてるし
サバイバル能力なら三国志中No1だろ
No2は曹操
24無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 00:23:06
新たに土地を得た場合、まず統治からやらないと戦争なんてとてもできないんだから
ただ転々としていた劉備には曹操大暴れの乱世真っ只で地盤を安定させるなんてできなかっただろうよ
曹操でさえ編入したばかりで心服してないうちに荊州水軍を使ったせいで陸口への到着が遅れたわけだし
魯粛も呉が長年劉表と敵対していたせいか南郡の民心を掴めず
統治がうまくいかないから体よく劉備に荊州を貸したという説もある
勝手に揺らいでる上に曹操がすぐに入って来れない蜀は、劉備にとっては超ラッキーでウマーな土地だったんだろうな
25無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 01:20:31
聞こえてくるのは凄腕の傭兵集団の頭領で戦争経験豊富、かつ並ならぬ人徳がありしかも皇族らしいという評判
会ってみれば大耳で腕長という常人離れした容貌、しかも両脇には尋常じゃない大男を従えている
接してみると何度も死線を潜り抜けてきた凄みと人情味のある親分肌な性格で、高祖劉邦を思わせる

「こりゃちょっと多分きっとマジでかなり只者じゃねぇかも!」

陶謙も呂布も曹操も董承も袁紹も劉表も魯粛も孫権も劉璋も諸葛亮や劉備についていった群臣たちも
おそらくそう思ったはず
俺ももしその時代に生まれていたら、多分きっとマジでかなり無条件で劉備についていくと思う
26無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 01:31:37
ここって劉備英雄スレッドの続きか?
あのスレ好きだったけど消えちゃったんだよな
27無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 12:20:54
そんなスレあったっけ?いつの話?
28無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 14:32:06
>>1
このスレ立てたモンですが、
そのスレの存在は知りませんでした
ただただ劉備が好きだったもので
29無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 14:32:39
>>1じゃなくて>>26へのレスでした…スマン
30無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 17:34:19
劉備の話しようぜ
31無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 18:28:46
学校の図書室に昔あった、まんが中国の歴史っていう本には
劉備の家の前には、でっかい桑の木だかが立っていて
それを見たある老人が
「ここから、いずれ高い身分になる人間が出るだろう」って言って
村人が「ここには貧乏な母子しか住んでねえぞ」っていうシーンがある
あとその漫画では、劉備の母親が
劉備に「いくら貧しくとも、貴方は中山靖王の血を引いてるのです。
その誇りを失ってはなりません」と言ってるシーンもあった
ただ張飛と関羽の素性に関する記述はなし。
32無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 00:24:13
33無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 02:33:00
どれだけ逆境でも配下に去られたことがほとんどないのはすごいと思う。
入蜀前に劉備の元を去ったのって陳群と徐庶くらいしか思い浮かばない。
34無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 02:47:43
そりゃお前が演義しか読んでないだけだな
3533:2005/05/11(水) 03:06:37
>>34
正史だと結構去られてる?
36無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 06:31:37
見捨てたというのが適切かどうか判らないレベルでは
陳登かな
俺は34じゃないよ
37無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 10:35:04
むしろ、徐州豪族で、徐州を失っても劉備に付き従ったのって、ビ兄弟以外に誰がいる?
38無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 11:48:44
豪族は土地につくから、逃げた奴についていくほうが珍しいだろう

それでも劉備についていった奴がいる、という言い方が正しいんじゃないか
39無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 13:21:30
史書に名前が載ってて、荊州まで劉備についてった人物としては

腐れ縁組

簡雍 関羽(ついでに実子の関平) 張飛

劉備を見捨てなかった組

趙雲 麋竺 麋芳 孫乾 陳到


こんくらいだろうか
予州刺史や徐州太守になった時に
本当はもっと多くの配下がいたかもって事考えると
相当見捨てられてるのは確かかも
40無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 13:36:06
配下が劉備を見捨てたんじゃなく、劉備が配下や土地を捨てて逃げたわけで

それでもついていった奴が、官吏や豪族にもいるってのは劉備の持つカリスマか
41無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 13:44:30
まあ普通は個人じゃなくてその土地の太守に仕えるもんだろうしなあ
付いてきた方が異常だよな
42無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 14:16:49
だからこそ凄いんだろ
43無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 14:57:14
口だけでノシ上がっただし
結果論からいって優秀
44無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 15:01:40
口だけってなんだ?
劉備が口先が上手いだけなら蜀漢建国すらできねーよ
45無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 15:52:21
当時、劉備にはかなりいい状況だってなんかの本で読んだ
理由は前漢が200年続いて滅びた後、同じ劉一族によって後漢が建てられてさらに200年続いた事によって民衆は漢は滅びても必ず復活するって信じられてたらしい
さらに劉備は劉邦と似て人望があったから民衆は劉備が漢の中興の人となるって思ったらしい。
まぁ劉備自体もかなりすごいと思うけどな
46無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 16:06:30
>>39
役立たずの劉エン(王偏に炎)もいるな。
47無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 16:59:58
>>45
しかも何しろ、物理的証拠はなかったが
(演義ではあった事になってる)
劉協は、劉備を皇叔として公認してしまっているし
曹操への牽制の意味を、多分に含んでいるんだろうけど
48無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 17:05:48
曹豹も劉備を見捨てた人々の一人だな。彼が叛かなかったら、劉備の状況もだいぶ違ったものに
なったかな?
49無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 17:17:48
腕が長い
50無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 17:31:46
曹豹の場合
見捨てたっつうよりか
張飛と喧嘩したっつうか
呂布伝の注と先主の注では記述が食い違ってるけど
どっちも喧嘩して張飛が殺そうとした事が書いてあるから
張飛の自業自得というか
51名無武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 18:19:21
>>31
中山靖王 劉勝は、実子だけで120人はいたそうな。
この時代なら実際1000人はいてもおかしくないらしいけど。
まぁでも皇室の血を引いてるんならやっぱすごいことだけどね
52無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 20:20:05
>>45
逆に言えば、なぜ天下をとれなかったんだろう。血筋で言えば、ライバル
の曹操なんて問題にならない。あっちは最も軽蔑すべき宦官の(養子とは
いえ)孫、なんぼ金もってるとはいっても、社会的には極めて低い身分。
本来なら、曹操は劉備の前にバッタのようにはいつくばるべき存在のはず
なのに・・・やっぱそれだけ曹操が卑怯で悪賢い人物だったってことかな?
53無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 20:27:25
曹操は宦官の孫だが、同時に三公の息子という、高級官僚の家の生まれでもある
早くからエリートとして活躍した実力と実績もある

生まれも地位も財力も、全部劉備は曹操に負けていたんだよ

それでもあそこまでのしあがったんだから、三国志で一番の超人だね劉備は
54無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 20:37:51
>>53
それは金でかった身分だろ―「三公の息子」(正確には買ったのは親父だが)
代々輩出した名門ならとにかく、所詮は成り上がりだぜ?みんな内心では
馬鹿にしてるって。その点、劉備は当時は落ち目とはいえ、中山王劉勝の
末裔という超一流の家柄、こればかりは「金」では買えんよ。
55無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 20:51:29
家柄で片がついたら天下は磐石だっつうの
バカかおめーらは
曹操は早くから地盤を築けたし劉備はそうではなかった
それだけの差だ
曹操はスタートダッシュの面でかなり運が良かった
56無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 21:09:54
それに袁紹の部下という立場でもあったからなんだよな、曹操は
劉備は使いっ走りって感じ
57無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 21:25:40
あと、年齢差も。7歳違い、だっけ?
58無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 00:16:50
>>52>>54
単に家柄で言うのなら、曹操の家は曹参の末裔(本流ではないが)で、祖父の曹騰は
宦官とはいえ清流派の士大夫からも尊崇を受けた傑物。本人は官僚として都の朝廷に
仕えた。
なんだってそこまで貶めようとするのかね。

一方の劉備の皇族ってのは真偽の確かめようのない本人の自称だぞ。そんなんで皇帝に
なれるのなら、劉備なんぞよりもはるかに血筋正しい正真正銘の皇族王族達が天下を
取れなかったんだ?

劉備を称えたいのなら、素直にどん底から才能でのし上がった事に凄味を感じればいいのに。
(真偽がどうであれ、皇族の末裔を名乗ってそれを看板にして政略にも利用したことは十分に
才能の一種だ)
59無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 00:34:30
劉邦の子孫、曹参(夏候嬰?)の子孫、孫子の子孫か
みんな名家だったんだなあ
60無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 01:15:29
自己申告なら日本の戦国だって天皇家、摂関家から、天穂日命、始皇帝、百済の聖明王の末裔と中々のものだよ。
61無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 08:07:38
孫堅が孫武の子孫ってのは限りなく100%に近いでっちあげだよ
孫堅は親父の名すら残ってない。孫家は周家と呉家と仲良くし出したのが始まり
言うならば孫権は孫堅の子孫なのだ
62無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 09:58:25
曹操が
黄巾の乱前:騎都尉→乱後:済南の相
と着々と力をつけてるのに対して
劉備は
乱前:無官→乱後:安喜県の尉
しかし役人を二百回棒で殴り官職を捨てて逃亡
その後戦功を立てて下蜜の補佐官に出世するも、また官職を捨てて流浪

と始まりそうでなかなか始まらない。この頃の意識の薄さがかなりの出遅れになったよね
尉や丞では大望に対して遠回りになると思ったのか単なる無法者だったのかはわからないけど
フラフラしながらでも各地で戦功を立てられる劉備なら、乱平定を繰り返して長沙太守にまで上った孫堅みたいに
下級の官からでも出世していけただろうと思うともったいない気がする
63無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 12:46:30
曹操は平時からエリート官僚の道を歩んでいたから、劉備や孫堅とはスタートラインが違う
それは間違いなく大宦官の孫・三公の子という生まれのお陰
曹参や夏侯嬰の末裔という触れ込みは全くと言ってよいほど関係ない
64無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 12:54:33
劉備玄徳×

劉玄徳○
65無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 12:56:41
>>64
君は陳寿の書いた三国志諸葛亮伝にも×つけるのか?
66無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 12:59:09
スタートラインが大きく違ってたのもあるが、
なんつうかこう、曹操には明らかに
何か大物になって歴史に名を残してやろう、という
強い意志力と、その為にはどうすれば良いかという試行錯誤を
重ねていたように見える
一方劉備には、やはり大物になりたいという気概は
あったかもしれないけど、
強い意志力と展望は持ち合わせていなかったんじゃないか
諸葛亮を得てからは、やっとどうすれば良いか判った感じで
それまではタナボタと成り行きであっちこっち行ってた印象がある
もちろん、各地を転々とした時に
必ず彼を受け入れてくれる人がいた事を考えると
天下に名が知れ渡っていたのと同時に、
人当たりの印象は決して悪くなかったんだと思う。
67無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 13:02:43
諸葛亮孔明×

諸葛孔明○
68無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 13:08:30
俺は後漢の曹操という臣は後に語られるようなエリート人間ではなかったと思うよ。
そりゃ家は名家なんだろうけど、彼自身は元気いっぱいなエネルギッシュな
青年で、優等生タイプではないような希ガス。
現に若いころは今で言うところのヤンキーだったし。
彼は乱世の奸臣ではなくて漢の忠臣だったんじゃないかなあ・・。
69無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 15:08:27
許邵が曹操を評して「治世の能臣、乱世の奸雄と評したのは有名だけど
曹操が若い頃は腐ってるとはいえ漢は健在、つまり治世だった
当時は何らかのコネがないと出世できないヘボ漢だったから家柄を利用したのは当然だけど
彼自身宮中の腐敗を糾弾する等、能臣たらんとはしていたようだ
ヤンキーが発起して更正→エリート街道まっしぐらってのが正しい気がする
すぐに乱世が訪れ奸雄ぶりを発揮していくに至るわけだけど
真面目に勤めてた事が曹操にとって有利に働いたのは間違いない
70無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 15:29:49
人脈を通じて推挙され、真面目に勤めて力を得てゆくのが普通だろう
孫堅や董卓みたいに腕っぷしでのし上がるのも乱世ならおかしくない
でも劉備みたいに行き当たりばったりで放浪したあげく結局成功しちゃう奴って他にいないよな
71無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 15:41:02
まあ政治家としてはかなり優秀だよね。
72無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 15:58:42
諸葛亮孔明×

諸葛孔明○

諸葛亮も○ では?
73無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 16:10:01
史実厨ウザイなあ。みんな分かってて書きこんでんだから
いちいち指摘しなくていいよ
リアルでも空気読めてない奴なんだろうな
74無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 16:11:32
>>72
それについての議論は散々交わされているけど
正史にも名と字を並べて書かれてる箇所がある事
こんな議論でスレが荒れるのもアホらしいって事
そんなのどうでもいいって人が多い事から

三戦板では

諸葛亮孔明○

諸葛孔明○

諸葛亮も○

と決まったような

というか劉備の話しようぜ
75無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 16:58:20
>>70
ようするに劉備は、不思議な魅力と
途中であきらめて投げ出したりしなかったのと
逃げるのが上手だったのと、
あと最後には、やっぱりとてつもなく運が良かったんだと思う
もちろん単に運が良いだけで、上に書いてる要素が備わってなければ
成功しようはずもなく
76無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 18:42:17
エリート中のエリートである袁紹の版図
雑草の中の雑草である劉備の蜀
どっちが国力高かったの?
77無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 18:45:13
>>68
曹操が漢の忠臣ってのはさすがに違うだろうけどな

忠臣は、自分が魏公に封建される直前に魏郡を広くしたり、息子が天子になるのを肯定するような発言はしないよ
(周文王は天子になってないが、息子がなっている)
78無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 19:45:04
曹操は、自分の書いた詩で
漢王朝に忠誠を誓う俺カッコイイみたいな詩を書いてたので
取れるだけひたすら権力を手に入れる一方、本当は
漢朝に忠臣として仕える事に憧れてもいたのかもしれないと
思ってみる
79無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 20:32:25
>>77
それ、違うよ。
「周の文王たらん」という発言を、日本人は「息子の代で皇位を奪う決意表明」のように
解釈するけど、中国において文王とは「悪逆な君主からどれほどひどく扱われても逆らわずに、
従い続けた」、絶対の忠誠の象徴の人物なんです。なんせ、「天下の三分の二を支配しても
なお糸寸王に従った」とされるほどですから。

だから、この場合は「(孫権や夏侯惇がなんと言おうと)文王が糸寸王に従い続けたように、
自分も漢の臣でありつづける」と読むべき。
80無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 21:11:01
王莽がやったのと同じような禅譲のお膳立て進めながらでは説得力皆無な発言だな
81無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 21:26:46
んー。日本人の解釈と中国人の解釈、どちらの意味も含んでたんじゃないかと
曹氏による帝位簒奪賛成派にも反対派も良いように受けとめられるし
82無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 21:33:38
>>81
それが正解だと思うよ。

実際、たとえ本人に禅譲の意志はなくても、やる気満々の後継ぎ息子を放置していたわけで、素直に忠臣とは言い難いね。

むしろ実際の禅譲の手際のよさから考えると、曹操生存時から用意は進んでいたと思うし。
曹操だけはそれを知らなかった、なんてありえんだろ。
83無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 21:39:46
小説だと簒奪を狙う野心家曹操に対して、漢室を守ろうとする忠義厚い劉備っていう構図だけど、
実際には逆だよな。
劉備は皇帝になると言いつづけて、実際に三国中最小の勢力であり反対もありながら法的な根拠、
資格もなく皇帝を名乗ったのに対して、曹操は「故征西将軍の墓と言われれば満足だ」と言って
最大勢力を気づいて敵からも(政略がらみとはいえ)皇位に登ることを進められながら拒否した。

実際劉備のやっていることって、漢室の権威を削いでいるんだよな。漢中王の僭称もそのひとつ。
84無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 22:02:44
曹操も漢皇帝の権威を削ぐという点では負けてないけどな

まあ劉備の場合、自分=漢の皇帝だからな
とんでもない不敬者には違いない
85無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 22:17:12
劉備は>>45のような世論に乗り続けてたんじゃないかな?
劉備が漢の中興の人となるって事は、もう当時の漢室に持ち直す力はないと思われてるわけだし
世論では既に劉備=漢という考え方ができていたのかもしれない
中興の人となる(予定の)人が「皇帝になる!」って言い続けてても信じる人もいただろう
劉備の漢中王、皇帝僭称は世論を支えるためのアピールとも取れなくはない事もなくはない事もなくはない
86無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 22:51:57
>>74
実際に話しをしたり呼び合ったりするときは
諸葛亮孔明 ×
諸葛孔明 ○
諸葛亮 ○

文中に書く場合は
諸葛亮孔明 ○
諸葛孔明 ○
諸葛亮 ○

史書の中でいくつか姓名字と繋げて書いている部分もある
徐庶元直と諸葛亮伝にも書いてあったりする
某田中さんあたりでも鵜呑みにしたんちゃうんかと
87無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 22:59:21
もうそれはいいから劉備の話しようぜ
88無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 23:10:31
>>85
漢朝を復興させようというのなら、まだ生存している献帝なり他の皇族なり、劉備よりも
はるかに筋目正しい候補者はいる。
89無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 23:24:37
漢室復興の意思と期待させる実力と人気の方が大事だろう
劉協に力はないし、劉ヨウに意思はないし、劉虞は死んだ
他に期待できる人物といえば劉表か?そもそも皇族を名乗ってないか
90無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 23:33:19
劉岱、劉表、劉璋も皇族の血を引いてる
まあ劉岱は死んでしまったし
(何故か演義では、その後曹操に仕えてるが)
劉表も死に、劉備は劉キを補佐するという形で荊州収めてたが
劉キが病死してしまったので、劉キの後を継いだと称して
荊州を領有した
顕著なとこでは、やはり劉璋の領土を奪ってるという事か
自分が天下を取るという野心は
間違いなくあったと思うよ それが悪いという訳でもなく
91無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 00:02:24
曹操に仕えた劉岱は全く別人。
たまたま同性同名だけ。
戦死した劉岱は劉繇の実兄でもある。

また魏の侍中の劉放は燕の刺王・劉旦(武帝の第三子)の後裔。
92無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 04:09:35
もし、劉備存命中に魏を倒したとして、劉協はどうなったんだろう。
探して皇帝に就けなおすのか。曹丕みたいに禅譲という名の簒奪で劉備が皇帝のままか。
93無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 05:44:49
名目は劉協が死んだので後を継いだ、だから一応元に戻すんじゃない?
後を継ぐのは劉禅って形にするだろうけど
94無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 06:14:35
劉備は、何よりも天下の人々から
不義理だと言われる事を恐れていたから
魏を討伐した後で劉協が生きてれば、皇帝の座を譲り
天下の人々から忠誠を賞賛される道を選ぶと思う
その時、劉協が皇帝に戻る事を選んだなら
劉備は漢の大将軍として政治的実権を与えられるか、
漢中王として、それまでの劉備の領土をそのまま治める事を許されるか
劉協が三度辞退した場合は、劉備がそのまま皇帝としてやっていくかも
95無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 08:29:06
>>88
劉備は積極的に活動してたからじゃないの?
他の劉一族は初期に滅びるか、積極的には活動してなかったのどちらかだし

負けるにしろ勝にしろ
各地を転々としてたから名前は売れてたと思うし

漢中王になった頃には
大多数の人間が劉備が中興の人になるって思ったと思うよ
96無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 12:37:41
劉備が魏を討ち劉協も取り戻したとしても、帝位を返上することはありえない。
皇帝は劉備のままだろう。劉協は「太上皇」などとして養われるかもしれないが、皇帝に戻るのはないよ。
実際に帝位を返上したら、「じゃあ劉備即位は間違い?」ってことになり、劉備も臣下も非常にまずい立場になる。
だからこそ、劉協を消すことはあれ、帝位から退くことはない。
形だけ返上のポーズを取り、劉協に断らせる、という禅譲をもう一度させるというところかな。
97無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 12:47:11
一大の英傑ではあったが、禅皇太子(当時はただの子供)を放り出した点で
蜀の将来に大きくケチがついてしまった。
日本人的な発想では世襲のイメージを大事にしなくちゃいけなかった場面で
部下の一人にすぎない趙雲を優先させてしまった。
あの場面で言い方ひとつで禅に対する印象はまるで違うものになった。
接待に古妻の肉献上するような時代だったから価値観も違ってたんだろう。
育児は微妙すぎて本当に難しい。
98無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 12:52:29
子供はまた作ることができるが、自分も部下も死んだら終わりだから
99無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 13:09:18
劉邦も捨ててるから

子はいくらでも作れるけど優秀な部下は少ないから
100無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 13:49:45
その発想の時点で現在と価値観が違うよな。
今そんなことしたらどれほど優秀な政治家であっても、絶対に世論がついてこないと思う。
101無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 13:59:56
玄ちゃん今の人じゃないから
102無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 14:00:41
そういうアレ捨ててアレを大事にしたりするアレを儒教ではエライとか思ってたんだよな
103無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 16:54:33
>>101
玄ちゃんなんて言われると善人と勘違いしそうになるからやめてくれw
104無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 17:25:51
というか、劉邦の故事をうまく使ってみせたんだろ

劉備が皇帝になったときは曹丕を王莽に、自分を光武帝になぞらえるような
意識を持ってたのかな
105無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 17:39:27
贈り名から考えても蜀漢は劉備は光武帝の再来ってことにしたと考えていいだろうな
106無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 18:19:25
でもなんか劉備の晩年はほんと
悲惨だった気がする
関羽は首刎ねられて死ぬし張飛も死ぬし
イ陵で多くの配下を失い、自責の念から病に倒れ
諸葛亮に後を託して死んでいくさまは哀れというか
曹操はそんなでもなかったのに
諸葛亮に安心して後を託せただけまだ良かったかもしれないけど
負けて逃げて、負けて逃げて、最後も結局負けて逃げての人生は
本当に波乱万丈だったと思う。
107無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 01:04:40
最後まで報われないからこその劉備人気ではあるまいか
108無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 08:15:17
夷陵の戦いさえなければなぁ。
まぁ、もし劉備が陸遜に勝って、建業まで攻め込んだとしても、
魏に荊州奪われて、結局益州に帰れなくなったんじゃないかと思うが。
109無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 11:36:44
>>108
逸をもって労をうつ
荊州なんて回りくどいことしないまま「遼来々」で劉備絶体絶命!
110無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 13:54:38
荊州を取るにはあれしかなかったんだろうけど
劉備が一世一代の大博打に出なければならなかった理由は本当に関羽の仇討ちだけだったんだろうか
あの頃の劉備にしては浅はかというか何というか、締まらない最後だったよな
111無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 14:28:48
孔明とは微妙に国家観が違ったままだったんだろうね。
112無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 14:51:17
>>110
もちろん荊州の事もあるだろうけど、
やっぱりイリョウの戦いは劉備の私情だと思う
蜀漢のイデオロギーの観点から考えれば
趙雲の言う通り、恨みを捨て呉よりも魏を討伐するのは当然だし
国家戦略的な観点から考えれば、諸葛亮や魯粛が考える通り
強大な魏に立ち向かう為には、呉と蜀は手を組まなければならない
劉備の死後、恨みを捨てて両国が唇歯の間柄になってるなら尚更
もちろん荊州という領土はそのままにしておくには惜しく
それを巡って争ったのも当然だから、
その辺のひずみの限界が生んだ、やむを得ない戦いだったのかもしれないけど
113無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 00:18:44
諸葛亮の天下三分では、劉備は蜀と荊州を得て両面から曹操を攻める計画だった
魯粛は、呉は長江流域を領有して曹操に対抗し、呉の独立を維持する国家戦略を立てた。長江流域ということは、最低でも荊州、できれば蜀までも取りたいということだ
諸葛亮と魯粛の天下三分は、根本から荊州を巡って対立する要素がある
荊州がなんとしても欲しい呉と、荊州をなんとしても持っていたい蜀が上手くやっていくのは無理だってことだ

それと、蜀の首脳陣は荊州出身が多い。故郷であり、家族や財産もある荊州を占領されておいて、諦めるのは無理。
劉備も、本人の弔い合戦以上に彼らの意を汲んで荊州を攻めたという面が強いのでは
114無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 00:20:30
あそこで呉と結ぶような君主には誰もついていかんよ
115無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 00:35:10
結果論としてだけど
それで荊州が奪い返せたらよかったのに(´・ω・`)
116無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 03:09:35
孟達が裏切らなかったら上傭方面から攻める事も可能で、
たとえ荊州を支配してなくても諸葛亮の計画通りに2方面攻撃はできたんだな。
関羽が油断して安易に北上しなければ…劉備が劉封を処刑しなければ…
関羽が荊州を失って斬られた事はかなり劉備の足を引っ張ったと言えるな
関羽以上に荊州を任せられそうな人材がいなかったんだから仕方ないけど
117無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 22:03:02
荊州がないと、二方面から攻撃はできても諸葛亮の計画どおりとはいえないなあ
荊州を失ったままの北伐ってのは、日本が清に鹿児島・山口を占領されたまま日露戦争を戦うくらい無理があったってことだよ
118無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 22:16:29
同盟出来たんだから、米はこっちで持参してでも
荊州通らせてくれたら良かったのに
おいそれと、そうなる訳にはいかんか
数万の大軍が領内通るのも不吉だし
119無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 22:22:31
劉備=ヤクザの親分、というわかりやすい例えをなぜ誰もしないのか・・。
赤壁のどさくさで荊州の一部を占領できてよかったよね。
あの物語の人間関係は任侠の世界のノリで見ると理解しやすいように思われる。
120無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 22:44:15
ヤクザの親分で片付くほど単純じゃないって

あと、赤壁のどさくさというけど、劉表亡き後の荊州支配者として、劉備を押す者は少なくなかったようだよ。
どさくさ紛れってだけじゃないよ
121無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 23:32:31
一応、劉表は劉備を手厚くもてなしたし
外から来た曹操に領有されるくらいなら…って
思った劉表配下や、在野の知識人は
何人かいた訳だ
122無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 23:37:08
しかし、劉表政権の主だったものたちはほとんどが曹操についているのだが。
123無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 23:37:28
劉備が荊州南部を攻めていた当時って劉g生きていたんじゃなかった?
むしろ孫権軍が攻めてくる方が侵略に近かった訳で
124無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 23:41:10
>>122
だから"何人か"と
125無名武将@お腹せっぷく:2005/05/16(月) 01:35:25
>>123
孫権のは当然侵略
劉表の後は劉jが継いで曹操に降伏しちゃったから劉備のも侵略
ていうか殆どが侵略戦争だからあまり意味を成さないかと
126無名武将@お腹せっぷく:2005/05/16(月) 01:41:14
孫夫人が加齢臭に耐えながら床を務めていた件について
127無名武将@お腹せっぷく:2005/05/16(月) 02:04:44
劉備はあえて言うなら内乱
劉備が曹操から逃げるのについていった奴や、曹操が逃げていったあと劉備に協力的な奴も少なくなかった
赤壁前から反曹操というか、中央からの独立維持派が少なからずいて、そいつらは劉備を支持したのだろう
128無名武将@お腹せっぷく:2005/05/16(月) 02:37:07
あの時代に劉表の元にいた連中なんて、反曹多かっただろうね
賢人なら普通は曹操に仕えるって
129無名武将@お腹せっぷく:2005/05/16(月) 06:05:39
徐州に曹操が責めてきたから、親兄弟とともに逃れてきた諸葛亮も
実は本当に曹操を嫌いだったのかも
130無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 00:27:04
何やっとんねん関羽
131無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 19:03:44
もし劉備がいなかったら歴史はどうなったんだろう
132無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 20:48:04
呉が天下二分、てのは短絡的すぎるか
133無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 23:42:40
徐州
陶謙あぼーん→子が継ぐ→陳親子の奮闘により陶一族の政権のまま残る
官渡の戦い
歴史より少し遅れてスタート→関羽いないので顔良が暴れる→袁紹順調→曹操あぼん
→広大な領土で帝も擁立の袁紹→でもしぼん→もう予測つきません
134無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 15:11:45
劉備がいなかったら呉が赤壁で曹操を追い返すことはできなかったと思う。
ていうか戦う以前に降服したかも。
どちらにしても曹操の天下だったと思う。
135無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 19:59:49
いや、本気で袁家の天下じゃないか
136無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 06:37:10
袁紹の勝敗に、劉備の動向は
大成を与えてないと思う
顔良は、元々敵の策略にハマって包囲された所を
真っ先に切り込んだ関羽が殺しただけであって
関羽が殺さなければ、他の将が殺していた
袁紹の敗北は許攸の寝返りが大きい
むしろ劉備は袁紹の別働隊として行動し、曹操の背後を二度も突いたので
それが成功してたら袁紹は有利になったかもしれない
137無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 07:16:47
官渡の前に徐州が劉備に譲渡されてないわけで、それによって起こる変化も考慮に入れないと
呂布がどうなるか、曹操が徐州を手にする事はできたか、いつどこで曹操VS袁紹が起きたか
考えてもどうしようもない事だらけだが、歴史が変わるなら許攸の寝返りだけが同じように起きるとは考えにくい
曹操や孫権が簡単に屈するとは思わんが、最も天下に近かった袁紹が天下を取る可能性が一番高いだろう

138無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 07:33:33
劉備がいる→曹操に抗う→でも曹操、遠紹に勝利
劉備がいない→曹操に抗う人間が一人消える→曹操余裕で勝利
じゃないの?
139無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 21:11:50
いや官渡は曹操軍総勢よりも袁紹軍の方がまだ多かった
その上で劉表、長安周辺の諸軍閥、孫策とあちこちに守備兵をしっかりとおかければならなかった曹操が
劉備の一人程度減ってもそんなに変らない
そもそも汝南には賊がかなりいたわけでやっぱり劉備いてもいなくてもそんなに変らない
140無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 22:27:08
劉備がいなけりゃ呂布が徐州入りしてない
呂布と袁術はどうせ滅ぶだろうが、曹操は徐州にとって大敵
徐州は袁紹に味方すると思われる
ただでさえ劣勢なのに、陳親子まで敵に回しては曹操はひとたまりもないだろう
よって袁紹天下に一票
141無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 04:11:01
劉備が陶謙の援軍にこなかった場合、あっさりと曹操が徐州を滅ぼし勢力が大きくなり、
VS袁紹がもっと楽になったかもしれん。行き場所なくした呂布を迎えて上手く使えば大きな力になるし。
人をどう使うかは曹操は得意なのであるいは呂布をも手なずけられたかも?
まぁ、あの頃の曹操にニ州を維持する力があったかどうかは疑問だし、
徐州は皆殺しで荒れ果ててるはずだし、そんな土地が増えた事で、も勢力が強くなったとはいえんかもしれんが。
142無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 07:10:45
曹操支配下の土地は皆黄巾の賊乱があって荒廃しているからな
国力が人力も資金も兵糧も全然ないと思う
その状態で徐州取っても結局維持できないと思うんだよね
143無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 09:57:56
でも、曹操ってそういう無茶やって結局大きくなり続けてるからね。
常識で判断できないような運とか行動力みたいなのがあるから一概には言えんと思う。
144無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 14:15:19
その辺の奴ならともかく曹操だからなー
普通に維持するんじゃね
145無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 17:05:01
劉備が余計な事言わなければ呂布は曹操に仕えてた可能性大きいかもな
でも呂布がおとなしくしてるわけがないから、逆に曹操は手を焼いたかも
146無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 17:42:27
袁紹の謀臣「将軍は曹操の下についてるような人物ではございません。曹操を斬って天子を奉戴するのです」
呂布「お、俺は、り、龍になるのだ」
147無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 20:55:45
>>146
それ、ドレッドだから。劉備じゃないからw
148無名武将@お腹せっぷく:2005/05/25(水) 22:38:57
ほしゅ
149無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 01:30:36
>>141-142
しかし、曹操は天下の動乱の中心となったエン州・予州を地盤に勢力を拡大したわけだが。
黄巾賊という点では、どちらも散々に荒された地だ。
150無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 01:33:48
予州の支配者はずっと劉備だったりする
151無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 08:21:50
>>150
許がどこにあるか言ってみ?
152無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 08:25:19
戦乱に荒れ果てた地を復興させたのが曹操。
戦乱からはやや離れ、統治者によって安定していた土地に乗り込んで支配して戦乱に
巻き込んだのが劉備。
153無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 08:33:28
漢中王以前の劉備の肩書きは劉豫州なんだが
154無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 08:42:38
>>153
肩書きが豫州牧の劉備が豫州の統治にどれほど関わった?
下ヒで呂布と対峙、呂布滅亡後は曹操保護(監視)のもと許で飼い殺し、曹操の下から
離脱後は徐州横領、徐州失陥後は河北の袁紹の下へ、官渡戦では袁紹の下から離れて汝南
で賊と合流、曹仁・曹操に蹴散らされた後は荊州の劉表の下へ。
155無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 16:38:33
曹操が支配してようが名目上は劉備だったって事じゃ?
156無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 17:07:44
それは支配者とは言わない
157無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 18:51:24
つまり曹操に不法に占拠された予州を取り戻すために劉備は戦い続けた、と
名実ともに予州牧として君臨するために
158無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 20:00:07
>>156
名目上は支配者
つまり>>150の発言はなんら間違ってはいない
159無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 20:10:54
豫州牧であることと豫州の支配者であることはイコールじゃないんじゃないの?
名目上とか言うなら豫州牧は豫州を皇帝から預かってるだけの管理者にすぎないし
曹丕による皇位簒奪が行われるまでは献帝が中華全土の支配者だったわけだけど
フーン、だから?って感じだし
160無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 20:57:25
よーく考えよー
名分は大事だよー
161無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 22:31:35
結論
州牧を三つも兼任した劉備は凄い
162無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 22:35:52
三公、丞相、国公、王位についた曹操はもっとすごい。

…劉備の漢中王なんて、自称つーか僭称だからな。
163無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 23:27:52
大司馬や王や皇帝になった劉備は以下略
164無名武将@お腹せっぷく:2005/05/27(金) 02:05:31
>>160
本人たちにとっては大事かもしれんが第三者から見ると愚かしく思う
165無名武将@お腹せっぷく:2005/05/27(金) 02:38:18
現代人から見るとな
当時は愚かじゃなかったんだよ
166無名武将@お腹せっぷく:2005/05/27(金) 05:41:40
ビアンカはさぁ、ガキの頃から一緒にいただろ?
ずっと好きだったんだよ、俺は。
後から出てきたフローラと結婚するヤツは絶対頭どうかしてる
阪神の助っ人で例えると、
ビアンカと結婚→アリアス
フローラと結婚→ホワイト
という感じだろ?
フローラを選ぶ香具師は頭おかしいよ。

最初、フローラに命令できないのって、主人公が入り婿で権力が弱いからだろうか?
167無名武将@お腹せっぷく:2005/05/27(金) 05:47:25
いや俺だってさあ、ビアンカ好きだったけど
ドラクエって、プレイヤー=主人公じゃん?
プレイヤーの中にはビアンカ好きじゃない人もいる
だからフローラ選ぶんだよ
曹操の配下になった人々は、
劉備の配下になるなんてどうかしてると思ってる
168無名武将@お腹せっぷく:2005/05/27(金) 07:33:52
巷では幼馴染に萌えるというけど、ちょっと違うと思うな
今いくらイイ女でスタイルも抜群といっても、昔っから知ってるわけさ
まだ眉毛が太かった頃の事も、髪型が変だった時の事も、奴が付き合ってた男の事も
そういう記憶が被っちまって、イイ女になったと思ってもどうしても抱く気にはならんね
陳宮みたいな気分とでも言ってみればわかってもらえるかな
169無名武将@お腹せっぷく:2005/05/27(金) 08:22:23
ビアンカは幼馴染といっても
6歳のころに数日遊んだだけ(それ以前に遊んだことは忘れてる)
170無名武将@お腹せっぷく:2005/05/27(金) 12:58:11
結論
お得だからってフローラを選ぶ曹操はダメ人間
171無名武将@お腹せっぷく:2005/05/27(金) 17:07:44
とりあえず人を食った香具師だったことは確かだ。
172無名武将@お腹せっぷく:2005/05/27(金) 20:43:36
曹操は集団婦女暴行犯
173無名武将@お腹せっぷく:2005/05/27(金) 20:46:29
劉備なら何しても俺は許せる
174無名武将@お腹せっぷく:2005/05/27(金) 23:05:30
>>171
確かにいろんな意味で人を喰った奴だな
175無名武将@お腹せっぷく:2005/05/28(土) 04:06:35
よく、
「人々は劉備の善政に感謝した」
なんて表記があるけど、実際どういう善政したんだ劉備は?
蜀入ってから何かやったのか?
176無名武将@お腹せっぷく:2005/05/28(土) 05:04:20
普通に政治してたんじゃない?
前の領主がひどかったってだけで
177無名武将@お腹せっぷく:2005/05/28(土) 06:45:23
善政したのは諸葛亮
蚕の糸を着物にする産業を広め
厳しい法律により、民は安心して暮らせた
ついでに劉巴は、貨幣を大量に製造した上で
市場を開き、民の経済を発展させる政策を提唱し
インフレも起こさず、うまく産業を賑やかにした

劉璋は、董卓のようにだめ政治を行ったわけではないが
東州兵を制御できなかったため彼らが略奪を働き
民は劉璋を恨んでたらしい
諸葛亮が、法正に
「前は法が緩みきっていたから、今は厳しくしておくのだ。
 それからしばらくし、下々にそれが行き渡ったら少し緩めれば良い」
と言ってるように、劉璋が統治してた頃の蜀は
民も兵もやりたい放題やってたように思える
178無名武将@お腹せっぷく:2005/05/28(土) 11:17:23
でも民衆は劉備様のおかげだと思ってたのですね
179無名武将@お腹せっぷく:2005/05/28(土) 20:21:15
そらだって劉備がいなきゃ孔明も蜀政に携わらなかった可能性高いだろ
180無名武将@お腹せっぷく:2005/05/29(日) 08:57:34
献策したのがコウメイでも断を下したのは劉備だったろうからね。
劉備いなかったらコウメイが世に出てたかどうかも怪しいし。

曹操→徐州殺戮したので大嫌い。絶対仕官しない。
孫権→無名のコウメイをわざわざ召抱えるほど度量が大きくない。

馬騰あたりに仕えても面白かったかも。
181無名武将@お腹せっぷく:2005/05/31(火) 20:51:10
ほしゅ
182無名武将@お腹せっぷく:2005/06/02(木) 21:56:12
>>180
諸葛瑾ちゃんのコネで仕えててもおかしくないんでない?
顧雍でも丞相になれたんだから出世なんてあっという間でしょう。
183無名武将@お腹せっぷく:2005/06/02(木) 22:35:05
全然関係ない話で恐縮だが、俺は片山まさゆき「SWEET三国志」の劉備が一番好きだ。
みんなはどうだ。
184無名武将@お腹せっぷく:2005/06/02(木) 22:44:35
どの劉備も俺を満足させるには至らないな
185無名武将@お腹せっぷく:2005/06/02(木) 22:45:56
劉備はあきらかに野心家でしょ。
じゃなければ勅から逃げたりはしないでしょ。あれは今後の
展開のための保守であるような気がする。
ちなみにエン家は内輪もめしてるのむりぽ^^
孫策がいきていれば曹操ではなく孫策がとったと俺は信じたい
186無名武将@お腹せっぷく:2005/06/02(木) 22:46:24
退屈ならどーぞ

輔漢の政府
http://jbbs.livedoor.jp/study/6134/

今、一番熱い場所
187無名武将@お腹せっぷく:2005/06/02(木) 22:52:32
           _,l   :.. ::.::::. :::::::::.. ::.. :::::爿      =     =
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188無名武将@お腹せっぷく:2005/06/02(木) 23:15:37
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           O 。
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.ヽ し き 蕎 ニ.    /|{/ 、ノ -=-  /|.|:::::| |  |  ´/小ヽ`
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ニ  く. と な  -= ヽ、:.:::::::ヽ、._、  _,ノ/.:::::| | /|
=  れ.何 ら  -=   ヽ、:::::::::\、__/::..::官::| |' :|
ニ  る と   =ニ   | |:::::::::::::::::::::::::::::::::::::..職:iY′ト、
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189無名武将@お腹せっぷく:2005/06/02(木) 23:17:14
>>186-188
うざい。
190無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 07:09:18
オレのイメージの劉備は
やっぱり漫画版天地を喰らうかね

俺はなんちゃらの子孫だぞーとわめいてて
関羽に川に放り投げられるけど
地獄に行って肝を食ったらたくましい男になり
腕っぷしが強く堂々とした男だが、民を憂い
国を良くするには俺が皇帝になるしかないと決断す

実は曹操も天地を喰らうのイメージが一番強い
自分が覇者になってやろうという野心を持つが
専横をふるう董卓には本気で憤りを覚えているし
死病を持つと恐れられていた売女に
「もしお前を抱いて死ななければ俺は天下を取る。
 死んだらその程度の男だったという事だ」という男らしさも持っている
191無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 08:26:49
>>190
もっと長く続いて欲しかったね、アレ。
どうも中途ハンパな終わり方だったから。
192無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 12:48:05
今はともかく、当時は絵が上手い方だったしな
まあゲームで我慢しる
193無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 20:39:00
上手い下手はよくわからんが、あれだけ迫力のある合戦シーンは未だに見たことない
蒼天呂布の暴れっぷりすらあのマンガの前では霞む
194無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 06:40:06
二つの騎馬隊が正面からぶつかって、あまりの勢いで
先頭数人が上にふっとんでるしな
195無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 20:48:29
あれの張飛、木の杭みたいなのを弓で打ち出してたよな
あれかっこええよなあ
196無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 16:10:45
うさ耳
197無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 01:49:03
曹操が呂布に頭かち割られてるのに生きてるのがすげーとおもった
その後龍降りてくるし

続きみたいなー
198無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 10:40:39
age
199無名武将@お腹せっぷく:2005/06/26(日) 00:50:45
ほしゅ
200無名武将@お腹せっぷく:2005/06/26(日) 02:25:48
200
201無名武将@お腹せっぷく:2005/07/14(木) 10:41:29
201
202無名武将@お腹せっぷく:2005/07/16(土) 11:24:58
なんかの間違いで、もし劉備が献帝を保護できたなら、劉備どうしたろうね。
203無名武将@お腹せっぷく:2005/07/16(土) 12:02:25
多分に後出しの意見くさいが裴潜の評通りの結果になったと思うよ。
「中原にいれば乱を齎すことは出来るが太平を招くことは出来ない」
「しかし要害の地を占めれば一方面のあるじとなるだけの器量はある」(裴潜伝)
204無名武将@お腹せっぷく
いいやつだけど善人とは呼べないような