もし三顧の礼が無ければ!

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66無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 22:48:07
崔州平あたりと一緒に天下について語りる妄想オタ……になってる
67無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 22:53:19
魏の中等官僚あたり?
68無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 23:00:48
魏には仕官しないと思われる。
瑾兄さんの所に行って居候になる。ってのが落ちかな?
69無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 23:06:30
奥さんの実家の居候とか?
70無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 23:18:31
劉禅だからやりたい放題出来たんだろ
71無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 23:22:00
ホウ統って呉から劉備側に移った経緯が良くわからんよね。
実は呉のお目付け役だったんだけど、劉備が巴蜀で独立することを感づいたんで、後ろから射られたんジャマイカ。
72無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 00:43:15
シュウユ〜(´・_・`)  (・ー・)ホウトウ
ホウ統は周喩に仕えてんだけど周喩が死んで
他の人が評価してくれなくて
(´・ω・`)ホウトウッキモ (´Д⊂出てってやる〜
昔馴染みの孔明のいる劉備のとこに行った
孔明〜ヽ(⌒o⌒)人(⌒-⌒)ホウ統〜
73無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 00:46:24
ホウ統は誰かの臣下としてより、南郡の役人として見た方がいいと思うよ
74無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 01:39:47
>>71
普通にジュンイクと同じ友好的移籍だと思うが
当時の劉備と呉の関係は悪くなかった訳だし
75無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 02:25:33
三顧の礼が無ければ
呉は下り、魏が統一した。
そして諸葛亮は黄忠あたりを雇って
巡幸する曹操めがけて分銅を投げ付けたりして
新しいドラマが始まるのです。
76無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 05:38:05
劉備が存在しないものとすれば、孔明はバッチョとかをかつぐしか選択肢がなくなったのか。
さすがに老人かつぐわけには・・・w
77無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 06:40:44
孔明の前半生の働きと言えば、孫権との同盟くらいだからね。
78無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 09:37:08
>>74
あれは周喩の変わりに、と劉備が蜀取りを申し出て、それならばと呉側がホウ統をつけてくれたんじゃないか。
当事の呉の合肥攻めもそれなら意味があるし、独立を宣言したら物凄く関係が悪化したわけだし。

>>73
賊討伐ならともかく、役人が蜀取りの手伝いをする意味もよくわからん。

ていうかまるきりスレ違い棚、ごめんよ
79無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 10:09:48
管仲・楽毅に自分をなぞらえる辺り、世に出る意志は持っていたと思われる。
兄のコネで孫家に仕える事は十分可能だっただろうけど、
なぜ負け続けの居候に仕えたか。

1:貴種大好きだよ(魏通説)
2:三顧の礼に感動したよ(演義・出師表説)
3:弱い奴を勝たせるのが快感だよ(軍略中毒説)
4:孫権のとこの入社試験に落ちたよ(実は無能説)
5:劉備は官能的だったよ(蒼天航路説)
6:実は関羽狙いだよ(蒼天航路亜説)

どの説を採るかによって劉備と出会わなかった場合の末路は変わってくる。
80無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 19:24:33
曹操以外でもっともネームバリューがあったのが劉備ってトコじゃねーの
81無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 23:00:53
>>79
7:徐州の件で曹操に恨みを持っていた
82公孫讃 ◆OQR/ZKnxDY :2005/05/18(水) 02:40:01
曹操、孫権にはすでに優秀な官僚・軍師・謀臣がいたから……
劉備は名もあるし、ろくな官僚がいなかった(いたのは筋肉バカばっか )
83諸葛亮 孔明 ◆Z2VdGlgHrU :2005/05/18(水) 02:58:09
三顧の礼が無かったら博望ハで劉備はとっくに死んでるでしょうね。
ある話だと曹操はジュンイク、カクを連れて、諸葛亮に会いに行ったとか。
カクがまず諸葛亮に尋ねてみると怪しげな箱があり、周りには誰もいない。
カクは曹操、ジュンイクを連れて玄関で待ってみたが、誰も出て来ないし、帰ってくる気配も無い。
今度はジュンイクが会いに行くと、箱の中から声がして、「英雄はどこです?」この言葉を聞いた
ジュンイクは曹操を会いにいかせた。
すると諸葛亮が座って、書物を書いていた。
曹操は我が軍師になってください!とお願いしたが、
諸葛亮が、「貴方は英雄なので私の知略がなくてもいいじゃないですか」
と言ったので腹を立てて部下を連れて帰ったとか。
うろ覚えですけど・・・・・・・。
84無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 03:09:23
>>83
演義の世界だと、まさに水魚の交わりという感じで劉備の飛躍がやって来るからねえ。
伝承では荀ケについても三顧の礼があるというのを読んだことがあるな。

でも、博望ハの功績を取られてるという意味では劉備もちょいと損してるな。実際、凄い軍師が
いたら、撤退で相手に損害与えるだけじゃなく、許都を脅かすぐらいのことはできたんだろうかね。
85諸葛菜 ◆Z2VdGlgHrU :2005/05/18(水) 03:29:16
>>84
確かにそうですね。
諸葛亮は実際、ホウ統、徐庶といっしょに誰かに士官したかったらしいのですが、
徐庶が都に行き、ホウ統が職務を見つけたので、張何たらという人と遊んでたらしいです。
諸葛亮はしぶしぶ劉備に士官しますが、劉備から徐庶の話を聞き、徐庶をなんとかまた劉備のもとに戻らせようとしましたが
赤壁でホウ統が徐庶を曹操のもとから逃がしてしまったので、徐庶は行方不明に。
ホウ統を劉備のもとへ引き寄せるため、周ユを殺さなくてもいいのに殺したり、
ホウ統に偽手紙を送り、孫権との仲を悪くさせたりして、ホウ統をなんとか引き入れましたが、
ホウ統にその事がばれて、諸葛亮を強制的に荊州の守りに命じたとか。
それでホウ統は諸葛亮に呪い殺された・・・と言う話がありました。
諸葛亮は一人で寂しかったんでしょうが、ホウ統を呪い殺す(結果的には違いますが)
など残酷な事をして、頭を働かさず、結局関羽を見殺しにしてしまう結果を招いたとか。
「僕らの好きな三国志」の本から引き抜きました。
86無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 03:34:03
>>85
そ、それは魔王が憑依した伝説の黒孔明ですね。あなオソロシヤ。
87無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 03:38:19
>>85
えっ最悪じゃん。諸葛亮
88諸葛菜 ◆Z2VdGlgHrU :2005/05/18(水) 03:48:57
>>85は劉備があまりにも諸葛亮がイリョウの戦を止めるので、嫌がらせで支配下に言い触らしたとか、
司馬イが五丈原の戦直前に言い触らしたとか、真相は分かりません・・・。
89無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 03:57:44
劉備、司馬懿どちらが言ったにせよセコイナ

ってか劉備、君主だろ。さすがに言い触らすのはどうかと
90諸葛菜 ◆Z2VdGlgHrU :2005/05/18(水) 04:02:27
ちょっと話ずれてますよね・・・・・。
私がズラしたような者です。すみません。
劉備が三顧の礼をしなかったら諸葛亮は誰に雇われていたんでしょうね?
91公孫讃 ◆OQR/ZKnxDY :2005/05/18(水) 04:05:24
仕官はしないと思う。
そのまま20年後ぐらいは司馬徽みたいな人になるのでは?
92無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 19:08:17
臣(わたくし)はもともと無位無官の身、南陽に自ら鍬を取り、どうにか乱世
を生き抜いていければ十分だと思い、栄達を求めて諸侯に身を寄せる気は
ありませんでした。
93無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 19:16:20
建安六年[二〇一年]、河内郡は司馬懿を計掾に推挙した。この年、魏の武
帝[曹操]は司空となった。武帝は、司馬懿のことを聞き、仕官させようと
した。司馬懿は漢の命運が尽きかけていることを知ってはいたが、節を曲げ
て曹氏に仕えようとは思わなかった。そこで、中風で起き上がれないと理由
をつけて断った。武帝は人を遣わし、夜中にこっそり司馬懿の様子を探らせ
た。司馬懿は臥せてじっとしたまま動かなかった。武帝が丞相となると、再
び司馬懿を仕官させ、文学掾にしようとした。武帝は、使いの者に勅した。
「もしまたぐずぐずしているようであれば、捕縛せよ」。司馬懿は恐ろしく
なり、武帝に仕官した。
94無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 19:22:04
張昭は若い頃から学問に励み、智謀に長けていた。徐州の刺史であった陶謙
から家臣になるよう誘われたことがあるが、張昭はこれを拒絶した。そのた
め、陶謙にこれを恨まれて投獄されたが、当時友人であった王朗らの弁護に
よって助けられた。
95無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 19:31:24
中国では昔から、何度もやる事を「三たび」というから
出師の表に書いてあった「三たび訪れて下さった」は
高校の国語の先生が、本当に三回ぴったし行ったのではなく
数ははっきりしないがとにかく何回も行ったと解説していた
ただ諸葛亮が、何度も自分を訪れて下さった男に
感激したのは確かだそうな
96無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 20:03:57
劉キと劉備は仲良かったし案外アドバイザー的な存在として何度も相談に行ってたのかもな
その内に「どうだい?俺の部下にならないか」と
97無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 20:04:39
劉キと劉備は仲良かったしその劉キが評価して相談してる人物としてだな
98無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 20:23:37
演義だと、孫策が張昭を迎えるに当たって何度も訪問しているようだが、
こちらは特に語られないな。
99無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 20:35:53
張昭は、孫権と折り合いがあまり良くなくて
活躍したイメージが少なかったのがマイナスだったか
孫策は信頼してたんだが
100無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 20:52:14
知らない香具師が家に何度も来るのってうれしいか?
101無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 21:02:58
>100
ふつう、ストーカーか押し売りかと思うよね。
102無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 21:05:02
劉備は有名人だから来たらうれしいかも。でも顔知ってるのか?
そっくりさんだったらどうする。
103無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 21:11:01
手みやげ持ってきたか
104無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 21:23:38
劉備は何だかんだいって有名だったらしい
郭嘉も曹操に、落ち延びてきた劉備を殺すのがまずいのは
彼の名が既に四海に知れ渡ってるからですと説いた
105無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 23:06:15
郭嘉は劉備を殺すよう進言したんじゃなかったっけ?
106無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 00:16:52
呂布に追われて逃げてきた劉備を、
殺すように進言したのが荀ケと程c
それを言われた曹操が郭嘉に相談すると、
「彼は既に名が知れ渡っております。今彼を殺せば
天下人の信任を失う事となります」と言って、受け入れを主張すると
曹操が「お前の考えは私の考えと一致している」と笑って劉備を受け入れた
もちろん郭嘉だって劉備を警戒しなかった訳ではない
曹操が劉備に兵を与え、袁術討伐に向かわせた時には
郭嘉は曹操に、兵を与えて野に放すとは何たること、
彼は謀反して独立するでしょうと言い、その通りとなった
107無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 02:46:17
三顧の礼については、正史ベースじゃほとんど話すことなさそうだしね。
常々思ってたんだけど、孔明の居留守の話は昔の人にどう受け止められてたんだろう。
礼儀がなってないという印象も受けるんだけど、仙人並に偉い人なんだということで納得されて
たんだろうか?
108無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 03:19:41
相手が無礼でもこちらは礼を尽くす劉備という人格者を演出するイベントだろ
だから諸葛亮の礼儀作法はあまり気にしない
109無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 03:33:56
諸葛亮は居留守使ったッヶ?
寝てたのは仕方が無いと思うのだけど
起こさない方劉備が奇特なだけで
110無名武将@お腹せっぷく:2005/06/01(水) 03:10:18
  /\___/\
/ ⌒   ⌒ ::: \
| (●), 、(●)、 |
|  ,,ノ(、_, )ヽ、,,   | やるじゃん
|   ト‐=‐ァ'   .::::|
\  `ニニ´  .:::/
/`ー‐--‐‐―´´\
111無名武将@お腹せっぷく:2005/06/01(水) 04:11:08
当時の中国は地方によって使う言葉がまちまちだったから
劉備と孔明の会話は筆談だったんじゃないか? 

って説がなんかの本にあったな。

とは言え三顧の礼は演義の創作らしいがwそれはそれで夢があっていいような
112無名武将@お腹せっぷく:2005/06/01(水) 06:04:52
創作じゃ無いし
113無名武将@お腹せっぷく:2005/06/01(水) 06:24:28
三個の礼がなかったら
発明に没頭し、コロ助を作っただろう
114無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 13:19:44
もし三顧の礼が無ければ・・・四顧の礼になっていただろう・・・シコシコシコ
115無名武将@お腹せっぷく
コウメイはゲイ