もし三顧の礼が無ければ!

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1無名武将@お腹せっぷく
孔明の不運は劉備と出逢った時から始まった!

天下をとるほどの才を持ちながら軍師に甘んじ挙句は愚君劉禅を支えるはめに!
もし三顧の礼がなければ孔明自らが挙兵し統一を成し遂げていたかもしれない!

劉備さえ居なければ・・・・・悔やまれてならない・・・・

2無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 21:46:07
2げっと阻止
3無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 21:46:18
俺、マジで孔明だけど何か聞きたいことある?3
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1078758382/
4可児坊 ◆pmqa0lowaM :2005/05/05(木) 21:47:26
2get
三顧の礼なんぞなかった!!
5無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 21:57:54
ネタか釣りかしらんが、
三顧の礼はあっただろ。

出師の表にも書いてあるし。
6無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 22:05:51
やー
7無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 22:34:34
劉備が天下統一
8無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 22:56:54
劉禅なんか暗殺して、木像でも飾っておけば良かったんだよ
9無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 23:22:56
三顧の礼が無ければ諸葛亮は名も無きニートで歴史に埋もれていたはず
10無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 10:15:21
まぁそれはそれでいいんじゃまいか
11無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 10:23:38
四顧の礼をすればよい
12無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 20:11:25
孔明が君主だったら劉備よりもっと優秀な人材が集まりそうだな
劉備はバカ正直すぎて君主には向かない
国の為には非情な選択をしなければならないと思うし
もし孔明ならそれが出来たと思う
13無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 20:28:33
諸葛亮が劉備の配下になって蜀を建国したからこそ三国志が成り立つんじゃ?
そうじゃなかったら後世まで語り継がれず歴史に埋もれていたはず
14無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 20:33:13
>>12
非常な選択をするヤツが大丈夫なら曹操の下へ行く。
劉備はアンチ曹操の象徴的存在だったからこそアンチ曹操が集った。
孔明じゃ儒者くらいしか集まらん。
15無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 20:39:54
孔明さんは人材見る目無いからダメ。まず魏延は殺すだろうし馬謖を重宝して失敗するのがオチ
16無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 20:50:02
三顧の礼無ければ外交の天才孔明が一生引き篭もりだから曹操が天下統一して魏統治下の
平和な世の中になった
17無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 21:13:06
疑問はなぜ曹操じゃなく劉備だって事だ
単純に統一が目的なら曹操についていたら容易だったろうし

まあ相性の良し悪しや曹操の血筋もあると思うが・・・
名士の諸葛家は家柄も気にしていたんだろうな
劉備の血筋に目が眩んだか・・・・
18無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 21:30:33
劉備が死んだとき劉禅にとってかわるチャンスがあったにもかかわらず
孔明はナンバー2を選んだ事からもそもそも独立志向はなかったのでは

19無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 23:01:07
>>17
諸葛亮は、管仲に成りたかったんでしょ。曹操、孫権、劉表じゃ、No.2になれないんで
劉備を選んだんじゃ。三顧の礼なくても、劉備のところへ押し掛けていったんじゃない。
20可児坊 ◆pmqa0lowaM :2005/05/07(土) 00:03:48
曹操の下じゃ、多くの名士の一人にすぎないからな。
楊修と同格がせいぜいかも。
21無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 01:01:43
もし諸葛亮が楊修の立場にいたら、曹植を後継者にして、仲達滅多切りでゆくゆくはNo.2の宰相に。
22無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 02:44:27
人材不足の劉備の配下になったからこそ活躍の場が与えられた訳で。
まあホウ統が死んだのが痛すぎるな。
ホウ統が生きていたら北伐は成功していたかもしれない。
孔明は政治に専念しホウ統が軍事を担当すれば展開はかなり違っていたかも。
23桃缶 ◆jrxragAXiU :2005/05/07(土) 16:17:03
曹操の配下は優秀な奴が多いから出世が見込めないとか言う理由で、諸葛亮自ら劉備に仕官したんじゃなかったっけ?
24無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 17:22:22
>>23
それ本当?
25無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 17:27:08
三顧の礼がなければ劉表が天下を取っていた




とかホザいてみるテスト
26無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 17:40:29
>>23
自らってお前、三顧の礼どこ行ったんだよ?
まぁ、魏じゃあ孔明から仕官したって言われてたらしいが。

でもまぁ、、曹操の下には優秀な奴が多いっていうのは実際に言ってるけどな。
友人に対して。
27無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 09:49:47
徐州出身だから、大虐殺した曹操を恨んでたんですよ。
だから曹操には仕えなかった。
28無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 21:47:42
そう言う説もあるな。
29無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 22:37:27
劉備が荊州に来ることは想定してたのか?
30無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 22:40:44
徐庶「おれ魏に仕える事になったから、お前代わりに劉備んトコに仕官してちょ」

孔明「あ〜いいなぁ〜俺も一緒に着いてくよ」
31無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 00:22:55
「三顧の礼」は、実は孔明と劉備が待遇について条件交渉して、3度目で
ようやく雇用契約成立したというのが真相らしい。
32無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 00:26:53
何でいまだに三顧の礼が無かったとか言ってる人がいるんだろう...?
33無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 03:37:15
あってもなくてもどっちでもいい
34無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 04:34:07
孔明の方からが劉備を自ら訪ねた説もある。
その時に兵力増強策を献策して劉備に気に入られたと言う。
35無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 07:05:29
孔明の場合、人を見るめがないとゆうよりは
完璧主義すぎる性格のせいでまわりの人が近寄りがたいところがあったらしい。
要するにつきあいづらい人だったらしい。
劉備の場合は以外と遊び好きだったみたいで
クラスの人気者みたいなかんじだったんじゃないの?

孔明だけでは人は集まらないから劉備の存在も大事だったんじゃないのかな?
36無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 07:20:46
>>15
魏延と諸葛亮は義兄弟と言う事を御存じですか?

>>17
諸葛亮が徐州出身というところで想像してみてください

>>22
難易度の低い蜀攻略の途中で死んでますけど、可能なんですか?

>>35
実質の二代目の性格としては良かったかもしれませんね。
37無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 07:27:46
孔明は少年時代に徐州虐殺を実体験している。
一族で荊州に引っ越したのもそれが原因。
知り合いとかが殺されていてもおかしくはない。
38無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 08:10:08
三顧の礼はないだろ。
出師の表に書いてあるのは諸葛亮が勝手に書いたんじゃなかったけ?
たとえ君主になっても
人が集まらないと思うし、劉璋とて同族でもないわけのわからん奴を益州に呼ぶとは思わん。
39無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 08:24:08
>>36
諸葛亮と魏延が義兄弟というのは知らない。
詳しく教えて下さい。
40無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 10:44:34
マンコの礼
41無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 13:55:14
ショク攻略が難易度低いとかっておもしろいなー
このスレの孔明はビーム出しそうだw
42無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 22:30:51
臣(わたくし)はもともと無位無官の身、南陽に自ら鍬を取り、どうにか乱世
を生き抜いていければ十分だと思い、栄達を求めて諸侯に身を寄せる気はあり
ませんでした。
43無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 00:02:58
>>41

難易度

ボス 曹丕>劉璋
主な前線司令官 司馬懿>張任
部下の勇猛さ 魏>劉璋軍
兵数 魏>劉璋軍
国力 魏>劉璋軍
部下の忠誠心 魏>劉璋軍
補給の難易度 蜀→長安>荊州→蜀
計略難易度 総てにおいて猜疑心>内応了承済み
土地勘からの難易度 亡命者>地図から人口まで御丁寧に

どちらが難易度が高いかわかりますか?
44無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 00:17:51
>>43
それでも蜀攻略と叫んでみる
(´・_・`)<蜀の方が大変だ〜
45無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 00:23:27
さらに途中でふたりとも死んじゃって目的を果たせず
46無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 00:26:40
司令官の死際 引き分け時間切れ寿命>焦って前に出て流れ矢でシボンヌ
47無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 00:43:35
>>43
まぁ、その二つだけを比べるならおおむね正しいが、
ソレに対する劉備軍の強さは蜀攻略前後で雲泥の差だぞ。
自転車と原付なら原付のほうが早いだろうが、
原付に対抗する辺りには劉備のほうも電動自転車くらいにはなってる。
自転車の頃だと三輪車で、なおかつバックして進んでる感じだろ。
48無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 00:48:39
>>47
司令官の質 劉備軍>蜀軍
最終的に投入された兵力 劉備軍>蜀軍

荊南を得て以後はさして強さは変わらない(荊州関羽強し)
忘れてるかもしれんが夷陵の後だぞ北伐は。
一番強かったのは漢中討伐時代だろうね
49無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 05:51:25
34がすでに語ってるが、三顧の礼がなくとも1回目で孔明が劉備の軍師におさまって
以下史書と同文。
50無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 17:02:18
一番見落としてるのは地形でしょ?
三戦板に限らず歴史を語るときに忘れがちなんだけど、重要な視点
ショクと言う山険の地から出て戦うのも、攻め入って制圧するのも非常に難しい
吃音は化け物だね
51無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 17:55:00
>>43
劉備軍団の戦いの中で蜀攻略なんてかってない程の大戦だろ?
後にも先にも国一個潰す戦いなんて彼等にとってこれっきり。
なんで対魏戦とだけ比べてるの?

>主な前線司令官 司馬懿>張任
張任が前線司令官……最高のギャグだな
司馬懿と比べるなら呉懿か劉盾だろ?

>計略難易度 総てにおいて猜疑心>内応了承済み
内応失敗してるんですけどw

蜀攻略において劉備軍は犠牲者を多く出してる。
代表的なのは流れ矢(雨の様に降り注いでくる矢のことだよ。念のため)でホウ統。
一年以上も粘られて、当初の予定よりもかなり多くの被害を出したのが蜀攻略
劉備が兵に略奪を許して鼓舞してるところからも苦戦具合が判るってもんだ
52無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 19:08:02
魏じゃ>>34の説が語られてたって話しだな。

でもまぁ、出師の表に嘘つく必要性もないから、
三顧の礼はあったと思うけどな、俺は。

ハイショウシも注でそう言ってたろ。
53無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 23:37:42
>>51
ホウ統と諸葛亮を比べたから

張任が一番がんばって印象的だから

内応が失敗するまでに随分策謀で成功してますが
普通に考えて内応者が居た方が楽だから

にも関わらず犠牲者が多く苦戦しているから

54無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 00:24:32
>張任が一番がんばって印象的だから
お前消えろよ
55無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 00:26:45
>>54
51が出している苦戦した場所の司令官は張任な罠
56無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 00:34:21
>>54
他に疑問点はおありですか?
57無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 00:37:01
54晒しage
58無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 02:51:51
無知というか馬鹿が必死になってるな藁
北伐の諸葛亮と比べられるのは蜀攻略戦では劉備だけだろ。アホか
それに敵の大きさなんか比べてどうすんのよ。戦の内容を見ろ内容を
北伐と蜀攻略戦を比べて、どちらが危険で壮絶な戦だったかわからんのか?
ホウ統は死んだから、陳倉でどうしようもなかった諸葛亮の方が上とでも?そんなもん優劣つけられるかよ
俺はホウ統をそう高く評価してないし、諸葛亮は素晴らしい人物だったと思ってるが
お前の比較はとんちんかんでクルクルパーで浅はか過ぎる。出直してこい
59無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 02:56:22
考察で”思っている”とか“印象”なんて一番出しちゃいけない言葉だ
60無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 03:09:40
>>58
落ち着け。元となっっている>>36の発言は>>22の「ホウ統が生きていたら北伐は成功していたかも」
という発言に対してのものだ。ホウ統が生きていたとしても、北伐戦を成功させる方が困難だろうと
言うのはそんなにおかしなことじゃないぞ。

よく文脈みてカキコしよう。
61無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 08:18:40
>>58
北伐で諸葛亮が一番気を付けていたのはリスクマネージメントである。
戦略に依って軽減されたリスクを持って。困難さを語るのは如何なものか。

陳倉は短い期間で要害攻略で難易度が高い。想定された期間で倒せないから退いた。
正しい判断かと思う。そこでぐずって蜀軍壊滅したら諸葛亮は無能のレッテルを貼れるだろう。

北伐と蜀攻略の軍事的難易度の話をしているのに劉備と諸葛亮の司令官の資質の
話に摺り替えるのは止めていただこうか。
62無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 10:40:02
>>58
m9(^Д^)プギャー
63無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 21:21:03
どうでもいいが>>1は何を根拠に孔明が天下統一できると言っているんだ?
64893:2005/05/13(金) 21:23:01
>>63

>>1は孔明厨なだけ。
65無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 22:38:04
三顧の礼が無ければ、
孔明は一生晴耕雨読の生活を続けていました。
もちろん歴史に名など残りません。

・・・って、孔明自ら劉備を訪ねた説もあるし、実際はどうだか。
>>1はスレタイを「孔明と劉備が出会わなかったら」にするべきだったのにな。
66無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 22:48:07
崔州平あたりと一緒に天下について語りる妄想オタ……になってる
67無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 22:53:19
魏の中等官僚あたり?
68無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 23:00:48
魏には仕官しないと思われる。
瑾兄さんの所に行って居候になる。ってのが落ちかな?
69無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 23:06:30
奥さんの実家の居候とか?
70無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 23:18:31
劉禅だからやりたい放題出来たんだろ
71無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 23:22:00
ホウ統って呉から劉備側に移った経緯が良くわからんよね。
実は呉のお目付け役だったんだけど、劉備が巴蜀で独立することを感づいたんで、後ろから射られたんジャマイカ。
72無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 00:43:15
シュウユ〜(´・_・`)  (・ー・)ホウトウ
ホウ統は周喩に仕えてんだけど周喩が死んで
他の人が評価してくれなくて
(´・ω・`)ホウトウッキモ (´Д⊂出てってやる〜
昔馴染みの孔明のいる劉備のとこに行った
孔明〜ヽ(⌒o⌒)人(⌒-⌒)ホウ統〜
73無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 00:46:24
ホウ統は誰かの臣下としてより、南郡の役人として見た方がいいと思うよ
74無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 01:39:47
>>71
普通にジュンイクと同じ友好的移籍だと思うが
当時の劉備と呉の関係は悪くなかった訳だし
75無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 02:25:33
三顧の礼が無ければ
呉は下り、魏が統一した。
そして諸葛亮は黄忠あたりを雇って
巡幸する曹操めがけて分銅を投げ付けたりして
新しいドラマが始まるのです。
76無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 05:38:05
劉備が存在しないものとすれば、孔明はバッチョとかをかつぐしか選択肢がなくなったのか。
さすがに老人かつぐわけには・・・w
77無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 06:40:44
孔明の前半生の働きと言えば、孫権との同盟くらいだからね。
78無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 09:37:08
>>74
あれは周喩の変わりに、と劉備が蜀取りを申し出て、それならばと呉側がホウ統をつけてくれたんじゃないか。
当事の呉の合肥攻めもそれなら意味があるし、独立を宣言したら物凄く関係が悪化したわけだし。

>>73
賊討伐ならともかく、役人が蜀取りの手伝いをする意味もよくわからん。

ていうかまるきりスレ違い棚、ごめんよ
79無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 10:09:48
管仲・楽毅に自分をなぞらえる辺り、世に出る意志は持っていたと思われる。
兄のコネで孫家に仕える事は十分可能だっただろうけど、
なぜ負け続けの居候に仕えたか。

1:貴種大好きだよ(魏通説)
2:三顧の礼に感動したよ(演義・出師表説)
3:弱い奴を勝たせるのが快感だよ(軍略中毒説)
4:孫権のとこの入社試験に落ちたよ(実は無能説)
5:劉備は官能的だったよ(蒼天航路説)
6:実は関羽狙いだよ(蒼天航路亜説)

どの説を採るかによって劉備と出会わなかった場合の末路は変わってくる。
80無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 19:24:33
曹操以外でもっともネームバリューがあったのが劉備ってトコじゃねーの
81無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 23:00:53
>>79
7:徐州の件で曹操に恨みを持っていた
82公孫讃 ◆OQR/ZKnxDY :2005/05/18(水) 02:40:01
曹操、孫権にはすでに優秀な官僚・軍師・謀臣がいたから……
劉備は名もあるし、ろくな官僚がいなかった(いたのは筋肉バカばっか )
83諸葛亮 孔明 ◆Z2VdGlgHrU :2005/05/18(水) 02:58:09
三顧の礼が無かったら博望ハで劉備はとっくに死んでるでしょうね。
ある話だと曹操はジュンイク、カクを連れて、諸葛亮に会いに行ったとか。
カクがまず諸葛亮に尋ねてみると怪しげな箱があり、周りには誰もいない。
カクは曹操、ジュンイクを連れて玄関で待ってみたが、誰も出て来ないし、帰ってくる気配も無い。
今度はジュンイクが会いに行くと、箱の中から声がして、「英雄はどこです?」この言葉を聞いた
ジュンイクは曹操を会いにいかせた。
すると諸葛亮が座って、書物を書いていた。
曹操は我が軍師になってください!とお願いしたが、
諸葛亮が、「貴方は英雄なので私の知略がなくてもいいじゃないですか」
と言ったので腹を立てて部下を連れて帰ったとか。
うろ覚えですけど・・・・・・・。
84無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 03:09:23
>>83
演義の世界だと、まさに水魚の交わりという感じで劉備の飛躍がやって来るからねえ。
伝承では荀ケについても三顧の礼があるというのを読んだことがあるな。

でも、博望ハの功績を取られてるという意味では劉備もちょいと損してるな。実際、凄い軍師が
いたら、撤退で相手に損害与えるだけじゃなく、許都を脅かすぐらいのことはできたんだろうかね。
85諸葛菜 ◆Z2VdGlgHrU :2005/05/18(水) 03:29:16
>>84
確かにそうですね。
諸葛亮は実際、ホウ統、徐庶といっしょに誰かに士官したかったらしいのですが、
徐庶が都に行き、ホウ統が職務を見つけたので、張何たらという人と遊んでたらしいです。
諸葛亮はしぶしぶ劉備に士官しますが、劉備から徐庶の話を聞き、徐庶をなんとかまた劉備のもとに戻らせようとしましたが
赤壁でホウ統が徐庶を曹操のもとから逃がしてしまったので、徐庶は行方不明に。
ホウ統を劉備のもとへ引き寄せるため、周ユを殺さなくてもいいのに殺したり、
ホウ統に偽手紙を送り、孫権との仲を悪くさせたりして、ホウ統をなんとか引き入れましたが、
ホウ統にその事がばれて、諸葛亮を強制的に荊州の守りに命じたとか。
それでホウ統は諸葛亮に呪い殺された・・・と言う話がありました。
諸葛亮は一人で寂しかったんでしょうが、ホウ統を呪い殺す(結果的には違いますが)
など残酷な事をして、頭を働かさず、結局関羽を見殺しにしてしまう結果を招いたとか。
「僕らの好きな三国志」の本から引き抜きました。
86無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 03:34:03
>>85
そ、それは魔王が憑依した伝説の黒孔明ですね。あなオソロシヤ。
87無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 03:38:19
>>85
えっ最悪じゃん。諸葛亮
88諸葛菜 ◆Z2VdGlgHrU :2005/05/18(水) 03:48:57
>>85は劉備があまりにも諸葛亮がイリョウの戦を止めるので、嫌がらせで支配下に言い触らしたとか、
司馬イが五丈原の戦直前に言い触らしたとか、真相は分かりません・・・。
89無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 03:57:44
劉備、司馬懿どちらが言ったにせよセコイナ

ってか劉備、君主だろ。さすがに言い触らすのはどうかと
90諸葛菜 ◆Z2VdGlgHrU :2005/05/18(水) 04:02:27
ちょっと話ずれてますよね・・・・・。
私がズラしたような者です。すみません。
劉備が三顧の礼をしなかったら諸葛亮は誰に雇われていたんでしょうね?
91公孫讃 ◆OQR/ZKnxDY :2005/05/18(水) 04:05:24
仕官はしないと思う。
そのまま20年後ぐらいは司馬徽みたいな人になるのでは?
92無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 19:08:17
臣(わたくし)はもともと無位無官の身、南陽に自ら鍬を取り、どうにか乱世
を生き抜いていければ十分だと思い、栄達を求めて諸侯に身を寄せる気は
ありませんでした。
93無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 19:16:20
建安六年[二〇一年]、河内郡は司馬懿を計掾に推挙した。この年、魏の武
帝[曹操]は司空となった。武帝は、司馬懿のことを聞き、仕官させようと
した。司馬懿は漢の命運が尽きかけていることを知ってはいたが、節を曲げ
て曹氏に仕えようとは思わなかった。そこで、中風で起き上がれないと理由
をつけて断った。武帝は人を遣わし、夜中にこっそり司馬懿の様子を探らせ
た。司馬懿は臥せてじっとしたまま動かなかった。武帝が丞相となると、再
び司馬懿を仕官させ、文学掾にしようとした。武帝は、使いの者に勅した。
「もしまたぐずぐずしているようであれば、捕縛せよ」。司馬懿は恐ろしく
なり、武帝に仕官した。
94無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 19:22:04
張昭は若い頃から学問に励み、智謀に長けていた。徐州の刺史であった陶謙
から家臣になるよう誘われたことがあるが、張昭はこれを拒絶した。そのた
め、陶謙にこれを恨まれて投獄されたが、当時友人であった王朗らの弁護に
よって助けられた。
95無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 19:31:24
中国では昔から、何度もやる事を「三たび」というから
出師の表に書いてあった「三たび訪れて下さった」は
高校の国語の先生が、本当に三回ぴったし行ったのではなく
数ははっきりしないがとにかく何回も行ったと解説していた
ただ諸葛亮が、何度も自分を訪れて下さった男に
感激したのは確かだそうな
96無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 20:03:57
劉キと劉備は仲良かったし案外アドバイザー的な存在として何度も相談に行ってたのかもな
その内に「どうだい?俺の部下にならないか」と
97無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 20:04:39
劉キと劉備は仲良かったしその劉キが評価して相談してる人物としてだな
98無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 20:23:37
演義だと、孫策が張昭を迎えるに当たって何度も訪問しているようだが、
こちらは特に語られないな。
99無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 20:35:53
張昭は、孫権と折り合いがあまり良くなくて
活躍したイメージが少なかったのがマイナスだったか
孫策は信頼してたんだが
100無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 20:52:14
知らない香具師が家に何度も来るのってうれしいか?
101無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 21:02:58
>100
ふつう、ストーカーか押し売りかと思うよね。
102無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 21:05:02
劉備は有名人だから来たらうれしいかも。でも顔知ってるのか?
そっくりさんだったらどうする。
103無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 21:11:01
手みやげ持ってきたか
104無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 21:23:38
劉備は何だかんだいって有名だったらしい
郭嘉も曹操に、落ち延びてきた劉備を殺すのがまずいのは
彼の名が既に四海に知れ渡ってるからですと説いた
105無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 23:06:15
郭嘉は劉備を殺すよう進言したんじゃなかったっけ?
106無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 00:16:52
呂布に追われて逃げてきた劉備を、
殺すように進言したのが荀ケと程c
それを言われた曹操が郭嘉に相談すると、
「彼は既に名が知れ渡っております。今彼を殺せば
天下人の信任を失う事となります」と言って、受け入れを主張すると
曹操が「お前の考えは私の考えと一致している」と笑って劉備を受け入れた
もちろん郭嘉だって劉備を警戒しなかった訳ではない
曹操が劉備に兵を与え、袁術討伐に向かわせた時には
郭嘉は曹操に、兵を与えて野に放すとは何たること、
彼は謀反して独立するでしょうと言い、その通りとなった
107無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 02:46:17
三顧の礼については、正史ベースじゃほとんど話すことなさそうだしね。
常々思ってたんだけど、孔明の居留守の話は昔の人にどう受け止められてたんだろう。
礼儀がなってないという印象も受けるんだけど、仙人並に偉い人なんだということで納得されて
たんだろうか?
108無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 03:19:41
相手が無礼でもこちらは礼を尽くす劉備という人格者を演出するイベントだろ
だから諸葛亮の礼儀作法はあまり気にしない
109無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 03:33:56
諸葛亮は居留守使ったッヶ?
寝てたのは仕方が無いと思うのだけど
起こさない方劉備が奇特なだけで
110無名武将@お腹せっぷく:2005/06/01(水) 03:10:18
  /\___/\
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|  ,,ノ(、_, )ヽ、,,   | やるじゃん
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111無名武将@お腹せっぷく:2005/06/01(水) 04:11:08
当時の中国は地方によって使う言葉がまちまちだったから
劉備と孔明の会話は筆談だったんじゃないか? 

って説がなんかの本にあったな。

とは言え三顧の礼は演義の創作らしいがwそれはそれで夢があっていいような
112無名武将@お腹せっぷく:2005/06/01(水) 06:04:52
創作じゃ無いし
113無名武将@お腹せっぷく:2005/06/01(水) 06:24:28
三個の礼がなかったら
発明に没頭し、コロ助を作っただろう
114無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 13:19:44
もし三顧の礼が無ければ・・・四顧の礼になっていただろう・・・シコシコシコ
115無名武将@お腹せっぷく
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