>>717 平賀勢は壊滅されて無いよ。しかし、応仁の乱や船岡山合戦で武勲を立て、
鬼平賀と呼ばれた中国地方中の精強を、相手に激闘した尼子勢も強い。
「日本六十余州の勢を合わせもって攻めても、たやすく落ちることは
あるまいと言い伝えられた名城をわずか千騎ばかりで乗り破ろうとした
これもまた鬼平賀と評し得る不敵ぶり。平賀は小勢で、しかも高所からの
多勢を相手に渡り会い、先陣は谷下に追い落とされたが、三百騎は、
もとの場所を動かずに、整然と控えており、立原備前守は、味方多勢と
いっても、平賀が決死の覚悟をしている所へかかっては、勝てるはずが
ない。平賀は、敵のかかって来ないのを見すまして勢を引いたが、その
やり方は、まず自分の旗本を、静かに備え乱さぬように引かせて、小高い
所に登って守備を堅めさせる。その間は二陣を備え堅く踏み留まらせ、
敵が後を付けて来たら、それを防ぐように待ちかけさせ、旗本の態勢が
整ったのち、今度は二陣を隊を乱さぬように引かせる。こうして替わる
がわる、たがいの守備を堅めるという細心さであったので、さすがの
富田勢も、後を付けることが出来ず、平賀は、この日の合戦に世の耳目を
驚かせ、人々が誉めたたえることしきりであった。」
『陰徳太平記』現代訳から引用した。