1 :
無名武将@お腹せっぷく:
もし官渡の戦いで袁紹が勝っていたら?
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 13:56:49
2
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 13:57:12
呉に負ける
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 14:00:06
袁譚がオヤヂを暗殺してもとの木阿弥。
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 14:17:49
7 :
4:2005/05/01(日) 14:21:36
>>5 ってか、どっちにしろ病死だもん。
ただ、張郃が曹操側につくことはなかったかもね。
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 14:35:19
>>7 しかし、曹操だって敗北で手痛い打撃を被っているよ
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 14:37:12
>>7 勝ってたら案外もうちょっと長生きしてるかもよ。
負けた時と勝った時とじゃ心理状態も健康状態も違うだろうし。
しかし久々に良スレが立ったな。
いずれにせよ、許攸は口が元で殺されるだろうな。
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 14:51:25
1.袁紹が中原を制圧する
2.曹操が河北を制圧する(史実通り)
3.孫権が漁夫の利を得る(袁曹共倒れ)
だいたい、この3パターンが考えられるね
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 14:54:01
>>12 んじゃあ、それでひとつずつ検証といくのか。
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 14:58:09
>>13 どの可能性が高いかということも検証したほうがいいね
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 15:02:08
>>14 そこからか……。
んじゃ、まず袁紹がどんな状態で勝つかを決めないと。
官渡で曹操死ぬ?張郃は袁紹側?……まだあるか。
とにかく、誰が死んで、生きてる奴はどっち側に属するかだな。
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 15:13:01
>>15 曹操が生きてるか死ぬかで場合分けしたほうが良いね
17 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 15:21:35
>>16 そうだな。曹操死んだらAは無くなるか。
じゃ、曹操死亡ルートを先に。
その場合、曹操の後継は曹丕か。
もち張郃その他の寝返りは無し・烏巣の兵糧も無傷と。(順序逆か。)
あとは主だった武将の生死だが。
曹操が死ぬのはありえないんじゃないかなぁ
19 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 15:27:58
とりあえず、多少拡大解釈してみる。
「官渡の戦いに勝った」は、結果的に「袁紹が滅び、曹操が栄えた」になる。
これを踏まえて、当面の「官渡での勝利」の定義を「曹操の滅亡」にしては?
細かい設定も色々とあるので、とりあえず以下を前提に議論してはどうか。
1.顔良・文醜は生存、関羽は劉備と共に荊州へ。
2.袁紹軍から曹操軍への投降者は無し、その逆も無し。
3.曹家は根絶やし。
投降者については、やはり「誰が投降し、誰が投降しないか」の判断が困難。
これはこれで議論すると面白いが、とりあえず別にしては?
関羽については、除外しておいた方が分かり易いと思った。
これも、スレの主旨とは少し離して議論してみたい論点ではある。
20 :
ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/01(日) 15:28:01
>>18は既定の歴史が頭から離れないコチコチの糞石頭WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
21 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 15:30:41
>12
3はないんじゃないか。
孫策死んだばっかで体制固めに忙しいし。
曹操の敗北は直接の戦闘よりも兵糧切れで許に退くって事だろう。
で中原に足場をしっかりつくったら劉表があっさり帰順しそう。
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 15:36:32
>>21 袁紹勝利なら、劉表の代で帰順するかな?
でも、劉表には劉備がいるから・・・・帰順すると、劉備はどうなる?
>>20 いや、官渡以前には董卓暗殺に失敗したとき、徐栄に敗れたとき、苑城で襲われたとき、
官渡以後でも赤壁敗れたとき、イ水沿岸で馬超に奇襲を受けたときと、曹操は助からないと思われる状況でも生き延びてたりする
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 15:38:39
>>19 ん、
>>19でいこう。解りやすい。
とりあえず極端な例をひとつ作る方向ね。
で、その設定でいくとまず@は確定だな。
敗戦武将(旧曹操配下)は歴史上あぼん扱いとして。
そうなると孫権と劉璋と馬騰と劉表と張魯くらいか、残ってんのは。
劉備が孔明と会うことも無さそうだな。徐庶がどうなるかでまた違うけど。
とりあえず河北は袁紹独り占め?
>>22 袁紹が漢王朝の臣下として権力を握るか、自ら皇帝として独立するかで違ってくるな。
もし、袁紹が献帝を擁立し続けるなら、はじめだけだろうが。
袁紹は劉虞を擁立しようとしてたんだっけ?
とりあえずは曹操と同様、擁立し続けると思う。自分の代で
簒奪まではいかないんじゃないか。
27 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 16:29:24
エンショウも曹操も統一後の禅譲路線だろ。
官渡で勝利したエンショウがどこまで進むか。この段階で許までは攻め込まないだろう。
袁紹が、許攸や田豊の言う事を聞き入れないような性格な限り
官渡の戦いで勝ったとしても、一時凌ぎにしかならないのでは
結局天下統一はならず敗れ死ぬかもしれない
公孫瓚と争ったときは、劉備とも戦ったわりに
正史での劉備と袁紹の関係はまんざらでもなさそうに見えた
もし劉備が曹仁に敗れず、許昌を落とせていたら多少戦局は良くなっていたかも
まあムリだが
29 :
ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/01(日) 16:32:53
ワロタ
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 18:36:00
袁紹が史実の曹操の運命を辿る可能性は?
漢朝が続いたかどうかだけ気になる。
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 20:51:57
官渡戦勝利→袁紹、河北を平定(匈奴等と結んでいる為、領土は磐石か?)
→荊州侵攻開始
ここで、劉備の動向について考察。
劉備は漢朝復興を大義としているが、天下統一したい子なので・・・・・・・・
袁紹とは対立する可能性が高い。
劉表が、袁紹と劉備を天秤にかけた場合、どちらに付くかが重要と思われる。
劉表が劉備側に付くと、荊州(或いは、江東とも)と袁紹軍との全面対決か?
袁紹側に付いた場合、劉備は史実通りに長坂逃避行に出るのでは無いか。
曹操と袁紹とを比べた場合、袁紹にとって有利なのは悪名の程度だろう。
曹操に比べて、袁紹の方は儒思想や民草からの抵抗が少ないのでは?
そういう意味では、曹操よりもスムーズな領土拡大が見込まれる気がする。
袁家はいわゆる名門だから、劉表は袁紹と対立することはないと思うな。
袁紹は漢の臣という立場からは逸脱できないと思うし、そう考えると劉姓の
勢力が袁紹と戦うことは考えにくい。(劉備は除く)
孫家は袁紹と戦う力はないだろうから、不安要素としては意外と袁術かも?
書きながら思ったけど、これって
官渡→桶狭間
曹操→信長
袁紹→今川義元
みたいなもんじゃないか?
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 21:50:40
>>33 >曹操に比べて、袁紹の方は儒思想や民草からの抵抗が少ないのでは?
劉備や孫権でも、曹操よりは儒思想や民草からの抵抗が少ないのでは?
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 23:53:02
劉表とエン紹は同盟者というか漢の重臣どうしで争わん。なんで曹操の
場合のように官トのあとは南にはせめんだろ。孫権を牽制しつつ馬超を
せめる。曹操の臣家は手紙をエン紹に送っていたとゆうことでほとんど
吸収しているし、それほど苦戦せず馬超は下せるはず。そしたら自ずと
天下統一だろ。劉障は漢の名門であるエン紹には抗さないだろうし、こ
こまできたら赤壁のようなことはなく孫権も下る。問題はエン紹の寿命
と劉備だが、劉備は対曹操のような勢いは得られないだろうし問題はな
いはず。まあ、寿命と息子がなあ。しかしおしいな。がちんこ勝負しな
いで田豊の策でいってたらなあ。まあそこがエン紹のいいところ
曹操が破れたとて、献帝を抱えている以上、すぐに消えるようなもんでもないだろ
曹操は官途でまけたら、裏切りものがでるだろうし食い物ないし
エン紹と劉表にはさまれてかなりきついんじゃない?曹操にとっ
て官途でのまけは決定的のようなきが
39 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 01:34:24
つまり、
>>19を基本とした条件の場合
「官渡での勝利後、袁紹は一気に天下統一出来る」という結論になる?
名門袁家の威光により、馬超・孫権・劉表・劉章は降伏。
劉備も対曹操ほどの勢いは出ず、袁紹に敵なし。
ただし、袁術の動き次第で情勢も変わるかも知れない。
馬超・孫権はうまくいくというのは怪しいと思う。
>>19は官渡の戦いに袁紹が勝った=曹家根絶やしにしてるからな。
実際に根絶やしになる可能性は見込めないだろう。曹操は逃げるのも早そうだし。
だから、
>>19から曹家根絶やしを抜いて、曹操生き延びてたら、他の群雄に対して
そう簡単にいかず、袁紹が孫権で揉めれば、逃亡した曹操が劉備化して、地方に割拠する可能性もあるんじゃない。
>>40 馬超が曹操とやり合ったのって、奴が単に異民族に強硬な曹操にビビッただけでしょ。
異民族を懐柔してた袁紹ならあっさり下りそうだ。
問題は孫権だが、曹操相手に比べて張紹らの抗戦反対派が多いだろうなぁ。
劉備だって劉表の食客になれないわけだから(袁紹と劉表は敵対しないだろうから)何も出来んし。
汝南で賊やるのがせいぜいじゃ。
別に袁紹と劉表が争わなくても、劉備が劉表の食客になることはできるだろ
そして劉表死後の跡目争いで劉剞を担いで荊州乗っ取り、さらに益州入り。
まあ、官渡の戦いに曹操が勝った時点から、その先の展開予測できるヤツはtotoに当たる人間
よりも少なそうだからなあ。よほどうまく転がるかもしれないし、とても悪い方向へゆくかもしれない。
歴史のIF語りって、結局、その人その人の期待に従って前提条件つくってゆくもんだから
あんまり、意味ないな。
中原から駆逐された曹操は流れて劉備と合流。
夢のタッグの逆襲が始まる。
こんなストーリーはどうだ?
>>43 袁紹と孫権はまず戦うだろ
袁紹と劉表が組んでて劉表に孫堅を攻めさせたんだから旧臣はこぞって抗戦になる
汝南にいる劉備と同盟はしやすいだろうし
曹操について、官渡の時点で
>>19の逆考えても結構統一期待できるかもよ。。
もし、曹操が官渡の戦いで勝っていて、袁家を根絶やしに出来たら、馬超は鐘ヨウの下に
入ってるし、劉璋は降りそうだし、孫権も曹操と誼を通じていたから問題なさそうだし
劉備は劉表の食客で力ないし。問題は劉表だけだが、これも寿命の問題だ、とかね。
49 :
45:2005/05/02(月) 02:54:20
水差すようなこと書いちまったけれども、袁紹が勝ったら、どういった政権になっただろうか
とかは興味ある。
息子3人、高幹のポジションはどういったものになるか?とか、沮授の役職は?とかさ。
袁紹体制は、ゆくゆくは曹魏と同じ様に潁川出身の人材主体になって、河北の地元名士は
中枢から排除されることになったんだろうか。
>>47 孫堅に劉表を攻めさせたのは袁術なんだが。
とは言え、孫権と袁紹が結局は戦いに至るというのは賛成だ。
51 :
19:2005/05/02(月) 19:56:15
では、そろそろ次の段階を論議してみたい。
今までのレスを見て行くと、「曹操の生存」という可能性を支持する人が多かった。
という訳で、次の条件の元で再度考察して欲しい。
1.顔良・文醜は生存、関羽は劉備と共に荊州へ。
2.袁紹軍から曹操軍への投降者は無し、その逆も無し。
3.曹操は、落ち延びる。
曹操の生存に加えて、曹操軍の主な将や軍師はどこまでが無事か?
こちらは、少し切り離して論議してくれると分かり易くなると思う。
たとえ曹操が存命していても、相当な打撃には変わりない。
史実においても、当時は袁紹有利の形勢だったわけで、そこで
敗れたとなると相当厳しい。
当然、多くの将兵を失ってるだろうし、そうなるとあとは袁紹の
物量作戦により、ジリ貧ってのが一番考えやすいと思うんだが。
各人好きなように妄想すればいいさ
献帝死んでくれないかなーと内心思いつつも、
世間へのポーズの為に強攻策に出られなくて、
外交で曹操に丸め込まれて終わり
55 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 23:01:56
袁紹は、献帝廃すつもりだったの?
別の人物を天子に擁立しようとしてた気がする。
曹操が負けると天子を盾にする可能性もあったわけだが、その時袁紹なら
どうしただろう。
天子には絶対手出ししなかったのかな。
別の人物は袁紹に殺された人に殺されてる。(漢字出すの面倒なんで名前は省略)
劉虞は公孫瓚の命を受けた段訓によって薊で斬られている。旱魃の中、「もし劉虞が
天子にふさわしかったら、天は雨を降らすだろう」とか公孫瓚が無理難題かけてさ。
凄い慕われていた人らしいね。
官渡で負けても投降者は無しなの?
袁紹に曹操臣下からの手紙がたくさん来てたって言うじゃない。
59 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 00:29:51
もし劉虞が公孫瓚の攻撃から持ち堪えて時間を稼いでいてくれたら、
そのうち袁紹の援軍が到着して助かっていたと思う?
淳于瓊の守る烏巣に、張コウの援軍が駆けつけていれば、
曹操・楽進を討ち取れるわ、曹操軍は戦況をひっくり返せないわで袁紹が勝てると思う。
そのまま許昌と劉協を奪取して、
曹操軍残党は長安に逃げる…かな?
まあ、壮大なエン紹包囲網ができあがるだろうな。
62 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 01:12:05
長安に落ち延びた曹操残党どもが漢中、涼州と手を結び、
南から孫一族、北から公孫一族という大包囲網だ。
おそろしの〜〜ww
64 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 01:25:54
劉備は自分の旗さえ挙げられればどちらでも良さそうだね。
物語として面白いifにしろよ
袁紹の寿命が延びたとしても彼の死後跡継ぎ争いが勃発して
結局滅びそうな予感。
もしくは袁術に乗っ取られるとか。
袁家の息子で統率力ありそうな人材って誰かいる?
68 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 01:53:00
袁術は、官渡の戦い以前に死んでるのでは?
あ…そうだったっけ。
曖昧なまま書き込みしてスマソ
でも袁紹の死後は本当にあっさり滅びそうだ。
>>67 郭図、審配、逢起、辛評はやっぱり分裂するだろうな。2つのグループ間で仲悪そうだし。
袁譚グループには、郭図(潁川)辛評(潁川)がいて、彼らは沮授(河北)張コウ(河北)を讒言。
袁尚グループには、逢起(賓客)審配(河北)がいて、彼らは田豊(河北)許攸(賓客)を排除。
袁譚グループの潁川組(荀ェとかも)を重用する姿勢を見せれば、曹操からの投降組も増えそう。
逆だと、投降者は増えないだろうね。
残りの袁煕、高幹もそれなりに統率力あったようだし、両グループの仲介を考えると袁煕あたりが
良いのでは?
あの戦乱のごたごただったからしかたない。
戦時中じゃなかったら、案外普通に長男に決まるかも。
72 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 09:28:16
官渡では劉表が漁夫の利を得られる可能性があったのに馬鹿な奴だよな。
お互いが疲弊してる隙に一気に攻めたら、中国統一できるだろ。
73 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 11:08:02
>>70 両派閥の共倒れで史実通り曹操が漁夫の利を得た可能性は?
>>72 孫権が漁夫の利を得る可能性は無かったのか?
74 :
可児 ◆KAMIsCZBtU :2005/05/03(火) 11:21:15
もし、内部分裂が起こったとすると・・・
片方の派閥(仮に袁譚派)が曹操と結んで袁尚派に対抗する、
という形にはならないか?
それを受けて袁尚派が孫権もしくは劉表と結ぶとか。
袁譚は青州刺史になる前に、袁紹の兄の家(袁基?袁遺?)を継がせられていたんだよね。
これって、徳川家だと結城秀康みたいなポジションだったということ?
76 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 12:49:08
内部分裂の可能性は一番高いと見る。
負けたからボロクソに言われているが、
袁紹内政、軍事何れもかなり上手くやっている。
ただ、一番内乱を起こしやすい火種、つまり家督相続の問題をとんでもない
悪策を取った。たとえ勝っても後は内紛になると見る。
個人的には袁紹って病気が急に悪化して急死したんじゃないかと思う。
後継者の発表をしてなかったからややこしい事態になったんでしょ。
袁譚にするにせよ、袁尚にするにせよ、きちんと発表しておけばあれだけの混乱もなかっただろうし、
二人ともそこそこの才を持ち合わせてたみたいだから曹操にあれだけ簡単にやっつけられたってことは無かったと思う。
軍事的政治的にも一流の才を持っていた袁紹ほどの者が後継者をうやむやにしたまま死ぬなんて普通の状態じゃ考えられないっしょ。
ただまぁ曹操でも一時は曹植を後継者に考えた事もあるらしいから、
袁紹がなかなか答えを出せずにいた可能性はあると思う。
三男の袁尚を一番可愛がってたらしいし。
仮に袁譚を指名したとしても、袁尚が黙ってそれに従うかどうか。
また袁尚の取り巻きが黙ってるかどうか考えると、やっぱり
内紛は起こるべくして起こったと言えるんじゃないか。
袁紹の代で内部分裂はあり得ないから。まずあり得ないから。
曹沖のこと知ってるだろ?曹丕が帝位についてからも度々漏らしてた言葉知ってるだろ?
つーか多分、官渡で袁紹が勝っていたら寿命が来る前に天下統一できるんじゃないかと
それと後継者についてだけど、確か袁譚に青州、袁煕に幽州、袁尚には自分のいるところを治めさせようとしてたんじゃねっけ
これって袁紹は後継者定めてたわけだろ。だから病気が悪化しての急死はないだろうし
後継者公表して死ぬか死ぬ前に天下統一するか
>>それと後継者についてだけど、確か袁譚に青州、袁煕に幽州、袁尚には自分のいるところを治めさせようとしてたんじゃねっけ
これって袁紹は後継者定めてたわけだろ。
え・・・だれに?
>>79 すまんが、何が言いたいのか要領を得ない。
まず誰も袁紹の代で内紛が起こるなんて言ってない。
あと結局、誰を後継者に指名した事になってるか詳しく教えてくれ。
ケコンしたw
後継者のことは袁尚でFAでいいじゃん
袁譚が納得しないとしても先代が定めた事だからって周りが諌めるとか
邪魔だから袁尚に謀殺されるとか
周りは諌めるどころか、煽りそうなんだがw
何かこう考えると袁紹って一代の傑物だったんだなー
袁紹以上の人物って曹操以外に思いつかない
孫策・孫権ならまだしも孫堅て。群雄ですらないやん。袁術の部将やがな。
90 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 13:47:38
>>87 さすがにそこまでは思わないけど、実際の袁紹は善政を敷いて
民に慕われてたって話を聞いた時は意外な感じしたな。
演義だと名門袁家のボンボンで、部下の進言に振り回された
挙句に程イクの策にはまって悶死ってイメージしかなかったから
93 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 13:59:21
94 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 14:02:00
袁紹の場合、野心の形という点では、他の英雄達と一味も二味も違う気がする。
曹操と袁紹との二人に共通する部分かな?
ただ、部下の間の対立が、袁紹生存中から顕在化してるあたりがもったいない。
言い方が拙いが、袁尚に継がせようと思うんなら前もって袁譚取り巻きの郭図、辛評らの
潁川出身の人々を粛清・追放しておくべきだったということか。
でも、曹操を攻める段階でそれやったらその後の悪影響も大きそうだなあ。
99 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 15:06:45
もし曹操が死ぬ前に後継者を決めていなかったら、袁紹の二の舞になったであろうか?
100 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 15:40:07
うーむ
曹丕が甄姫の男妾にされてたのは想像に難くない
>>99 曹操の子供達は特定の地域に地盤をしっかりと張っているということがない点が袁紹の場合と
違う。後、袁譚と類似の立場にいたのが曹植だけれども、彼の気質は対抗するのに向いてないかも。
曹丕の指名がなく、曹植が本心から禅譲に反対していて、声高に漢朝を護ることを訴えていたら
だいぶ違ったかもしれないが。
袁譚は分家してるし、外で軍勢持ってるしで格段に独立性が高いので、それに比べると
曹家の場合指名がないとしても、分裂を抑えこむのはそれほど困難ではなかったのでは。
曹家の場合、漢→魏の交替を望む後継者の方が、外の将軍達の支持を得そうな希ガス。
とりあえず官渡で勝った場合は袁紹死後なんて考えなくていいだろ
官渡で勝利→曹操食糧難→曹操が劉表を攻める→曹操あぼーん→孫策ぬっころ→劉表死亡→劉j降伏
孫策が死ななければ袁紹と孫家で争う事は無いかな?
曹操軍の主な将や軍師などの生き残りについてだが、
白馬城の戦い参加武将(曹操以外) 史実 曹操軍勝利
曹仁、夏侯惇、徐晃、張遼、于禁、張繍、劉延、魏禾中(ぎちゅう)、荀攸など
(ケン城の程イク、許都の荀イクは動く可能性低なので生き残る?関羽は劉備の元へ遁走とする)
延津・陽武の戦い参加武将(曹操以外) 引き分け
曹洪、楽進、(曹仁)、(于禁)、(徐晃)など
烏巣焼き討ち参加武将(曹操以外) 曹操軍勝利
史渙、(曹洪)、(徐晃)、(荀攸)など
となるが、白馬で引き分けまたは文醜・顔良生存、延津・陽武で文醜・顔良参加などで勝利となって、許攸が降らなくなり、烏巣焼き討ち事体無くなる。
元々袁紹軍は多勢だから囲んで殲滅も可能→参加武将殲滅も可→許都包囲可
そうなるとほとんど曹操軍は残らなくなるな
後は青州兵がどちらにつくかだな
つーか官渡で負けたのは沮授や田豊の策を容れなかったからってよく言われるけど
食料庫焼き討ちされたから撤退したんじゃないの?袁紹が
袁紹の後継者について上で議論されていたけど、
官渡で勝って落ち着いたら多分袁尚を指名したと思われる。
袁尚も父ほどではないが中々の気骨がある人物だし、
兄、袁譚の粛清が上手くいけば巨大な勢力を保持したまま代替わり可能だろう。
>>105 というか許攸の逆恨みと淳于瓊の怠慢。
食料庫焼き討ちされなければ勝ってたし、
淳于瓊が酒なんぞ飲んで酔っ払ってなかったら
曹操と言えど奇襲は成功しなかったかもしれない。
袁尚と袁譚どっちに継がせようとしてたのか実際よくわからなくない?
長男袁譚は信頼できるからこそ青州という前線をまかされてたともいえるし、
袁尚はまだ若くて頼りないから手元に置いてたってことかもしれないし。
史書にある「〜〜は〜〜と思っていた」って記述は信憑性が無いとまではいわないけど完全に信じるのはどうかと思う。
>>108 袁尚の取り巻きと、袁譚の取り巻き比較すれば、冀州という地元の名士に支えられた
袁尚を後継者に指名した方が安定すると考えたんじゃない。
袁尚に継がせたのは、それなりに裏の背景と整合性をもつ後継者指名だと思うよ
継がせた?
健康な長子を差し置いて、他のを後継に指名すんのはまずいだろ
譚は一度は駆逐されたとはいえ、その後青州を完全支配するとこまでいってんだし
>>110 ちゃんと読みなおしてみると審配がかってに擁立してたんだな、スマン。
それにしても、沮授の息子も袁尚側についているってことは、袁譚に対する反感も
それなりに大きかったんだろう。
袁譚といえば項羽に小粒ながらも似てるって書かれててた本を昔読んだことあるよ。
今だに納得できないが。
>>114 '欠点が'項羽に似ている、って意味じゃないかな?
悪いところがってことかそれだと納得。
でもその本のその箇所はそんな流れでなかった気が。
誰か知ってる人いないかな。タイトルは覚えてないけど文庫で表紙に人形劇三国志の人の人形があったよ。
官渡の戦い 袁紹勝利
↓
曹操追悼戦開始
↓
献帝を使い停戦の勅令
↓
袁紹の配下、進撃を進言
↓
もう曹操などいつでも倒せると侮り、しつこい奴を牢獄へ
↓
寿命、内乱、引き抜き、袁家分裂
↓
あとは史実どおり
官渡の戦い 袁紹勝利
↓
曹操壊滅、洛陽付近の人材が全て袁紹へ
↓
圧倒的な人材と大戦力で劉表・袁術・呂布など撃破
↓
海軍を吸収し更に攻め込む
↓
長江以南で孫家に大敗、袁紹寿命、お家騒動で内乱
↓
三国志
119 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 20:48:13
孫権ってそんな大した奴じゃないだろ
俺的英雄ランク
曹操>>袁紹>>>劉備≧孫策>>呂布=袁術>>劉ヨウ>張繍>楊奉>韓遂>張バク=馬騰>>>孔融>王郎>>劉表>劉エン>>董卓>韓福>>孫権>陶謙>その他
あくまで自分では、いくらエン紹の力が巨大とは言え曹家を皆殺しにする力があるとは思えない。曹繰は許昌を捨て、長安に逃げ込む。
根絶やしにするためエン紹は、まず劉備や馬騰の協力を借り、曹家をここで皆殺し。帝もここで処刑したいところだが、時期を待つ。
が、エン紹の寿命の方が先に終わる。後継者にはエン尚を指名。エン尚は帝を処刑する。(と思う)
長男が面白くない上に、エン紹軍の漢再興派と長男が手を組み謀反、劉備ら諸群雄も反エン尚連合を。(盟主は劉表が妥当かな?)って感じかな
>>120 やりたい放題やってたら反感かって殺されてしまった孫策が
現実に呉を建国した孫権より下とはな。
123 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 22:25:44
>>121 皇帝を処刑したら、劉備らの諸勢力に逆賊討伐という大義名分を与えることになるよ
124 :
122:2005/05/05(木) 22:26:04
>>122 しまった逆だ。
やりたい放題やってたら反感かって殺されてしまった孫策が
現実に呉を建国した孫権より上とはな。
125 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 23:26:53
流れなーがーれーてーいつーかー
127 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 00:34:56
審配の文章に、袁紹は袁譚を廃嫡し、袁基の後継ぎとした。
袁尚を後継者に、先祖の霊に報告し、系図に書き記していた。
袁譚も、袁紹の事を、叔父と呼んでいたって現実のことじゃないかな。
だとすると、今度は逆に「どうして廃嫡されたはずの袁譚が後継者争いに参戦できたのか?」
という問題が生じるな。
廃嫡されたか、どうかなんて大した問題ではない。
エン紹の長子である事実になんら変わりはない。
130 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 01:22:46
袁紹には、三人の子供がいました。
( ´∀`)袁紹 (・w・ )袁譚 (・e・ )袁煕 (・∀・ )袁尚
袁紹は、末男の袁尚を可愛がり、自分の後継ぎにしようと考えました。
ヨシヨシ( ´∀`)ノ(・∀・ )パパス!!
やがて、袁紹が死ぬと袁譚は長男の自分の権利を主張します。
Σ(;・∀・) (・w・ )フォア! (・e・ )
袁尚は、自分こそが後継者と主張し、袁譚と対立します。
クルァ!( ・∀・)・・・・・・☆・・・・・(・w・ )ホゥッ! (・e・ )・・・
この対立が一因となって、袁家は崩壊。三人も夢半ばにして逝きました。
( ・w・ )人( ・e・ )人( ・∀・ ) (´∀`;)
袁煕も野心さえあれば、後継者争いに加われたかな?
( ・e・)<無用な野心は身を滅ぼす元なのだ
133 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 07:22:01
袁紹がなまぬるかったってことか。袁譚や、取り巻き
の郭図等を殺しておけば良かった。
田豊は殺しておいた
>>130 カワ(・∀・)イイ!!
しかし現実を考えると・・・
袁家好きとしては、なんとか統一する方向で妄想したいんだけど
難しいな
>>135 袁家で統一させたければ袁紹存命中に果たすしかない。
ただ袁紹は戦死じゃなくて病死だからifネタでも寿命を延ばしづらいんだよな
袁紹と袁術も仲悪かったし、袁家は一族でいがみ合うことが多いな
それに較べて曹・夏侯家は異様に結束力が高い
138 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 11:34:19
袁紹が曹操を打倒しても、袁紹は史実通り病死だろうから
(寿命が数年は伸びるかもしれないが、それでも天下統一までは無理だと思う)
袁家の内乱で、孫権あたりが漁夫の利を得た可能性が高い
ただし、曹家の残党がいれば勢力を挽回する可能性が高い
「うわべはいいが小心者、陰謀を好むが決断力がない」
袁紹って君主より参謀とかの方が向いてるんじゃないのか?
何進に献策してる場面を見ると、とても晩年の袁紹と同一人物なのだろうか
と思ってしまう。優れた民政家らしいし。
田豊と反りが合わなかったのも同じ参謀タイプでその才能に嫉妬してたから
かもしれんし。
名門に生まれず何進(長生きしたとして)か曹操に仕えていたら、違う意味で
歴史に名を残せたかも。
名望層の一人だから献策の能力はあるだろう。
漢の世が何事もなく続いていたら三公にはなれただろうし。
反対に、袁紹君主で参謀が曹操だと最強国家になったんじゃないかと
夢見てる袁紹ヲタです
143 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 18:00:37
曹繰に勝ち、エン紹がその後中国統一しました。(と仮定)
ここでエン紹は後継者も決めずに死ぬ。
(次男エン煕も死んだと仮定し、帝はまるっきり無視とし)
もちろん二人がモメると思います。仮に長男とエン尚が真っ向に戦ったらどちらが勝つかな?(人口や物資は同じ、兵力も同じ。どちらにつくか判断が難しくなるから官途で死んだ武将、曹繰に降った武将はいないと仮定します)
袁譚てさ、外に出て叔父(伯父)の家を継いだんじゃなかったけ?
事の根本がさ、袁氏の氏族内のイニシアチブ(一族内での族長権?)を
袁譚に取らせ、袁尚には袁紹が継いだ家の家督を取らせるところにあった
と思われ。
袁紹が健在で官渡の戦いに勝っていたら、天下統一後は袁一族の族長権が
袁紹→袁譚へ移る予定だったのに(元々袁紹は養子として今の家を継いで
いたのだから、自分の血を本の血胤へ戻したいと思っていたのでは?)
官渡の戦いで敗北、中原統一が出来なくなった状態で袁紹が死んだ。
ために袁氏の氏族内の族長権争いが分かりやすい形で矮小化され、
家督権争いという形でのポスト袁紹を巡る争いにすりかわっていった
んじゃね?
145 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 19:02:49
袁紹がイエスマン以外の配下を信用できずに自滅するよw
袁譚が継いだのは袁基の家だっけ。袁譚、袁尚の間の争いは見た目には、郭図、辛評、審配、
逢起らの間の権力闘争に袁譚、袁尚が乗っかっちゃった印象あるけれども。
族長権争いというと分族それぞれに根付いた勢力間の争いとして思い浮かぶんだけど、郭図、
辛評らの外部から来た勢力もその枠で捉えられるのかな。彼らも袁基の家と結びついた
存在だったのか?それとも彼らがそうした争いに乗っかっただけなのか?
それとも、族長権争いの基となる背景となる勢力は正史に名前が出て来ないレベルの人達かな?
>>143 既出かもしれんが、天下が治まった後の後継者争いなら
普通に嫡男有利だと思うんだが。
袁紹のもとにいた冀州出身の人々は、ほとんど袁尚に結びつくことになるのかな?
それだと、袁紹の覇業の中核を占める人々の相当部分が袁尚について、天下が定まっても
袁尚も十分争えるか。もっとも、漢朝における袁紹の位置が曹操と同じものとも限らないしな。
考えてみたら史実における譚・尚の争いって、もちろん
本人の意思もあっただろうけど、その取り巻きや側近達の
争いでもあったわけで。
てことは、すんなり嫡男って事にはならないかもな。
田豊・・・田が豊か・・・
郭図・・・囲みに図る・・・
後者が勝利。
151 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 21:27:52
袁氏中心の世なら、官位で先んじていた袁譚有利と見た
152 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 21:48:16
劉備は袁譚派だろうし。
審配の工作後、沮鵠らの名士が袁尚についたのは、どういった経緯によるものだったのかな。
単純に軍事力で押さえられていたからか、それとも積極的に支持するものであったのか。
155 :
143:2005/05/06(金) 23:14:46
あの兄弟じゃ平和な世でも争いはあったと思いますよ。
実際に安定しかけてた委鬼ですら(漢字出ません)曹繰死後の、息子らの争いがイイ見本じゃないですか。あと、孫権死後の呉。
仮にエン紹を当てはめて後継者を決めない状態で息子が争ったら、どちらに分があるかと思ってレスしてみました。
どっちみち長男が勝っても弟が勝っても国自体は長持ちするとは思えません。
156 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 23:32:30
>>143 曹繰に勝っても、袁紹では中国統一は無理かな
中原は統一できるかもしれないけど、揚州や荊州や益州を制圧する前に死ぬだろうな
後継者を決めてなければ、兄弟争いで自滅か・・・
そのとき、孫権や劉備は袁家の騒動を利用できるだろうか?
袁紹の兄の家を継いだ袁譚が車騎将軍を称したことは族長権を要求したこととして
捉えて良いのかな? 袁譚の族長権の要求と、冀州の要求はまったく別のこと?
鄴の守備は審配から審配と対立する孟岱に結局移されていたのかな、それとも違う?
蔣奇、郭図、辛評の言う審配の持つ力の大きさとは一体どの程度のものだろう?
袁尚が後継者になることを許したのは、審配の持つ力が決め手になったんだろうか?
ここらへん、ちゃんとした解釈、推測というのはあるんでしょうか?
曹繰と書いてるのが気になるわけで
(操・∀・)< 曹 操 だ よ
沮授や田豊は生きてたら、どっちを推すのだろう
やっぱ長男か
160 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 19:45:49
高幹が漁夫の利をw
161 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 20:13:15
>>120 曹操だって?
荀ケ・荀攸・賈く・郭嘉・程c・劉曄・陳羣・司馬懿・徐庶がいて
天下統一できなかったのに?
162 :
ぶばっ ◆ZnBI2EKkq. :2005/05/07(土) 20:20:59
ぶはーっ
袁紹の病死と言うが死の様子を見るとストレスから来る急性胃腸炎だと思うんだよね
官渡の敗北がなければ曹操並に長生きしていた可能性はあるぞ
165 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 23:15:53
ならないな
何故なら袁紹が官渡で勝っちゃうと統一しちゃうからだ
167 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 23:20:56
赤壁での敗戦は曹操が河北統一に8年もかけて孫権に地盤を築く時間を与えちゃったからだろ
200年の段階で袁紹が勝利した場合袁紹に懐いてた河北とは違って曹操の地盤一気に袁紹になびくだろ
事前の根回しも多いし
そうすると袁紹の南下が孫権が揚州を纏め上げる前に始まるから赤壁も何もないな
169 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 00:26:37
>>168 曹操も赤壁で敗北した直後に病死していたら、曹家も袁家のような末路を辿ったであろうか?
170 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 00:33:13
だからないって
どうだろう
後継ぎになれそうなのはその頃二十歳やそこらの曹丕が一番年長だよね
て事は逆に後継問題起きないと思うんだよね
他に選択肢がないから
もちろん後で史実のように凄惨な兄弟喧嘩(いじめ?)になると思うけど
曹操が死んだ瞬間は家中を割っての跡目争いには発展し難いんじゃないかな
曹操の子が後を継ぐとは限らないんじゃ。他の有力な朝臣を中心とした体制になる可能性も
あると思う。
>>172 曹・夏侯氏の生き残りがいたら曹丕をたてる可能性は高いと思う。
逆に言えば宗族・一族の支援なしには曹丕が上に立つのは難しいのでは。
上のほうにあった生き残りの可能性が高いのは程cと荀ケか。
荀ケの去就によるのでは?
>>173 赤壁の敗戦直後に曹操が死ぬって前提だから諸夏侯曹は丸々残ってるっつうの
175 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 23:13:46
もし曹操が赤壁で勝っていたら、天下を統一していたのは曹操だったと思う?
思う
177 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 23:22:59
>>175 それは間違いないと思う。
孫権に対抗する力が無くなれば
後は軍事面無能の劉王章か
軍は精鋭だが軍師的な存在を欠く馬騰くらいしかいない
178 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 23:42:57
袁紹が官渡で敗戦を喫したあと、もう少し生きていれば天下統一の機会はあったと思う?
袁紹は同じことを繰り返すと思う
180 :
。:2005/05/09(月) 00:25:29
もし、袁紹勝ってたら、後継者争い→内乱になってたろ。曹家より候補者が多いし、どっちみち袁紹もカントの後内部分裂で崩壊してるし
>>180 それ袁紹死後だから
存命中は内訌起きてない
182 :
。:2005/05/09(月) 01:38:54
あの時代だから平均寿命短いんじゃないか。官との頃には袁紹もいい年だったろ
183 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 06:29:06
袁紹が勝っても、史実通り死ねば後継者争いで袁家は滅亡に至ると思う
しかし、曹操も壊滅的打撃を受けていれば急激な挽回は期待できない
孫権や劉備には、史実より良い展開になったかもしれない・・・
184 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 17:58:25
袁紹と曹操、二人は黄巾の乱以前からの旧友。
ニコリ( ´∀` )袁紹 マソコ( 'A‘ )曹操
董卓が政権を握ると、二人は都を離れました。
( `∀´)董卓 =====( ´∀`)ニゲロ( 'A‘)マソコ
袁紹は、曹操を含む各地の諸侯と共に反董卓連合を結成、董卓と戦います。
(;`∀´)(´∀`;)('A‘ ) ( ゚д゚)(゚Д゚ )( ´ー`)諸侯達
この戦いで董卓は倒せませんでしたが、呂布の裏切りで董卓は死にます。
呂布( ・A・)つ)`∀´)、;'.・ ワーイヾ(´∀` )ノ゛マソコヾ('A‘ )ノ゛
董卓死後、曹操は献帝を保護、擁立。袁紹は、中原の北に地盤を固めて行きます。
( 'A‘)人(・ω・ )献帝 ヨシヨシ(っ´∀`)っ【北方4州】
やがて、曹操は中原の南4州を平定。袁紹と曹操は、勢力を二分する事になりました。
( ´∀`)−−−−☆−−−−('A‘ )(・ω・ )
ある日、曹操配下だった劉備が徐州で反乱します。
Σ( 'A‘)マソコ!? 劉備ヾ( ゚∀゚ )ノ゛カーン!!
劉備は速攻鎮圧され、袁紹の元へ。劉備配下の関羽は、曹操に投降しました。
( 'A‘ )人( -_r )関羽 ヘルプ!!( ゚∀゚)っ( ´∀` )
185 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 18:21:00
袁紹と曹操の緊張感は高まり、黄河を挟んだ両軍は遂に全面対決へ。
ウホッ!!ヾ( ゚∀゚ )ノ゛( ´∀`) ('A‘ )人( -_r )アニ・・・
こうして、官渡の戦いが勃発。兵力では、袁紹が圧倒的優位にありました。
( ´∀`)つ ハァハァ( *´Д`*)顔良 ( -_r )アニ・・・ ⊂('A‘ )
初戦では、袁紹軍の猛者の顔良が、関羽に斬られました。
(*´/ /Д`*)アッ ( -_r)っノ←青龍堰月刀
顔良と並ぶ武将、文醜も倒されましたが、袁紹軍は曹操を包囲して行きます。
グスッ( つ∀`) ((('A‘;)))ガクガク
そして、袁紹軍は曹操の本拠地・許の喉元である官渡で曹操を追い詰めます。
( ・∀・)・e・)・w・)( ´∀`) ('A‘;)ウアァァァァ!!
しかし、大軍の袁紹軍にも弱点が・・・・・それは、兵糧攻めに弱い事です。
【飯】 (´∀`;)ビクビク ('A‘ )ン?
曹操軍は、ゲリラ的戦法で袁紹軍の兵糧線を次々に分断して行きました。
( ・∀・)・e・)・w・)<ハラヘッタ (´∀`;) ('∀‘ )ニヤリ
そして、烏巣にあった大兵糧庫の奇襲成功によって、袁紹軍の士気は激減。
ヾ( '∀‘ )ノ゛ Σ( ´д` )ガーン
こうして、袁紹軍は総崩れ。曹操は、官渡の戦いに勝利しました。
( '∀‘)人(´∀` )
素人考えで、曹操が官渡で負けた場合、
◆袁紹軍が勢いに乗って許昌まで攻めてきて落城した場合
●曹操、捕らえられて斬首
●曹操なんとか逃走
のふたつの可能性があると思うんだが
逃走した場合って曹操に逃げる場所あるかな?
どっか匿ってくれそうな勢力ないし、袁紹に恩売るためにみんな血眼になって
討とうとするような気がするんだけど。
逃げられた場合曹操は皇帝の詔勅で強引に袁紹と和睦して時間を稼ぐだろう
188 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 19:54:46
>>187 皇帝の詔勅でも、袁紹は和睦を拒否するだろうな
そうすると名士層が黙っちゃいないから袁紹領内で政情不安に陥るぞ
曹操を悪者にしたてるよ。皇帝を無理やり操ってるっていって
勝てば官軍だから
192 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 20:10:44
もともと袁紹は献帝を認めない立場だったし、自分の傀儡となる対立皇帝を立てるだけのことだよ
董卓が立てた偽帝とか言えばいいことだし
それで大きく動揺するような奴はすでに袁紹から離れているはずだよ。袁紹は献帝をずっとないがしろにしてきたんだから
193 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 20:41:41
献帝の即位は無効だと主張すればいいだけのことでは?
いっそ献帝&曹操もろとも許昌ぶちこわしで灰にしてしまうというのは
195 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 21:18:11
名士とかも、必ずしもみんな献帝を認めているとは限らないよ
劉虞を立てようとした奴らなんだから、いざとなりゃ献帝の首をすげ替えたり無視したりなんて平気だよ
袁紹が勝てば、献帝か別の傀儡皇帝が袁紹の支配下に入り最終的に禅譲ってコースが早まっただろうなあ
曹操が献帝を奉戴した後で袁紹が自分の領域内に呼びたいと言った
曹操がこれを断ったので二人は不仲になった
みたいなエピソードもあるから袁紹は献帝の詔勅が出ればしぶしぶながらでも従うと思うよ
197 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 21:52:38
献帝の詔一つで止まる袁紹なら、曹操は官渡前に袁紹を止めてたろうよ
実際にはんなことしてないわけで、帝位さえ窺おうとした袁紹が、圧倒的に優位な立場なのに詔くらいで止まるとは思えんね
199 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 22:08:29
勅命に逆らって進撃を続けたら、一時的には名声が下がるなどのデメリットがあるけど
献帝さえ確保できたら一気に挽回できるよ
献帝の身柄を寄越すなら和睦をするって言えばどうだろうか
あとはじっくり曹操を潰すだけになると思うんだが
このスレ見て思ったんだけど、
呂布が曹操に勝っていたら
司馬イがクーデターに失敗してたらって言うスレなんかもみんなの想像力が豊かだし面白そう
袁紹の場合は基盤と戦力の関係から勝つ可能性が低くなかったから盛り上がれるんだよね
ちょっと、その二つは可能性が模索しにくいかも
曹操側が献帝を連れて逃げれるか、献帝の身柄を袁紹に確保されるかで
話が大きく変わってくるな。
献帝確保したとして、袁紹どう出るかなあ。。
あっさり廃嫡しちゃう気がするんだが。
それはないだろ
袁紹が劉虞を擁立しようとしたのは董卓に名分がある状況の打開のためだから
自分の手元にいて自分の言う事聞いてくれるなら廃立はしないで利用するね
やるなら統一直前か統一後だな
205 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 12:37:44
混乱の最中に献帝が脱出してしまい、曹操も袁紹も献帝を確保できない可能性は無いの?
206 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 12:49:30
207 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 12:56:36
袁紹が曹操に勝てないなら呂布を配下にすればいいじゃない
献帝は洛陽方向に逃げてそれを混乱に乗じて出てきた関西諸侯が確保
とかだと歴史は大荒れに荒れるな
209 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 13:59:55
>>208 献帝が馬騰のところに逃げ込んで保護を求めるとか?
それで、馬騰が献帝の願いを聞き入れ確保するとか・・・
曹操も袁紹も献帝を取り逃がしたことになり、さてどうなるか?
210 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 14:03:41
袁紹は大して痛くない
もともと皇帝を擁していなかったんだから、それが続くだけだ
曹操にとっては致命傷かもしれん
馬騰は羌族の派閥が強すぎるし、張魯が献帝を受け入れるとは思えない。
関西の地方豪族が匿うとか言う事も考えられなくはないが、
どちらにせよかなり献帝は危険に晒されるだろうね。
212 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 14:29:19
袁紹にすれば、自分が献帝を確保できなくてもいいから
せめて、曹操の元から脱出してくれたらよかったのでは?
まあ困ったら秘密裏にさくっと暗殺しちゃえば
劉表か劉璋に頼るのが穏当なところじゃないか?
どちらもまごうかたなき劉氏の末裔なんだし
劉備が許都を包囲でいいよ
そこに曹操敗けるの報が届いて、さー大変
袁紹勝利の報とともに皇帝を保護してそのまま帰るとかじゃない?
>>214 相対的に近場になる劉表は袁紹派だし
劉璋のところまでいくのはリスクが大きい気が
218 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 01:44:15
この辺りで、勝手に袁紹勝利後の歴史を考えてみた。
官渡の戦いで袁紹勝利
→曹操、許昌へと敗走。この時、付き従った兵士は僅か百騎ほどだったという。
→袁紹、許昌へと進軍。曹操は、帝を連れて拠点を長安へと移す。
→袁紹、許昌を制圧。続けて、長安の曹操に向けて進軍。劉備、袁紹軍を離脱。
→曹操、部下の裏切りによって死亡。袁紹、長安を制圧して帝を保護。
→劉表、劉章、袁紹に恭順の意を表す。劉備、孫権の元へ流れる。
→袁紹病死。袁譚、袁尚の相続争いから、袁紹陣営が二分化。
→袁尚、袁譚を殺害。帝を廃し、皇帝となる。
→劉備、孫権の連合軍、荊州へ侵攻。涼州の馬騰、これに呼応して中原に侵攻。
→劉備、孫権の連合軍、荊州を制圧。袁尚、匈奴等と共に涼州制圧。馬騰を討伐。
→劉備、劉表軍を吸収して益州へ侵攻。孫権、合肥を制圧して中原に侵攻。
→劉備、益州を制圧。袁尚、孫権と停戦協定を締結。
→劉備、漢中へ侵攻。荊州の関羽、袁尚、孫権の連合軍により討死。
→劉備、荊州へ侵攻。袁尚、孫権の連合軍により大敗。
→劉備、病死。袁和、益州平定。袁尚、孫権との協定を破って江南侵攻開始。
→袁尚、江南を制圧するも病死。
全然根拠がないな
馬騰が動いた理由がわからん
221 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 02:28:19
>→袁紹、許昌へと進軍。曹操は、帝を連れて拠点を長安へと移す。
ここからもうあり得ない
長安はまだ完全に曹操に恭順しているわけじゃないし大小様々な軍閥が周辺に割拠してた
そんな場所に行けるわけねーだろうが
>→袁紹、許昌を制圧。続けて、長安の曹操に向けて進軍。劉備、袁紹軍を離脱。
長安侵攻できない
その前に曹操支配下の地域を他の連中に切り取られないように自分の支配化にちゃんと組み込まないといけない
それをやらないで長安に行ったらそもそも南下した意味がない
劉備が袁紹軍を離脱する意味も不明
曹操から劉備が離反したのは袁紹が勝つと思ってたから
それで袁紹が実際に勝ったのに裏切ってどうする
意味不明
>→袁紹病死。袁譚、袁尚の相続争いから、袁紹陣営が二分化。
これが結構微妙
袁紹が死んだ後に相続争いが起きたのは官渡の敗戦後のゴタゴタのせいで後嗣を決めていられなかった
その上もう急死したと言っていい早さで敗戦後病になり死んでいる
官渡で勝利した場合は後継ぎをしっかり指名する可能性がある
222 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 03:57:31
もし孫策が曹操への奇襲攻撃を成功させていた場合は、どうなったか考えようぜ。
袁対孫になるのか、ならないのかとか
223 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 04:03:54
成功させてもどっちみち孫策は暗殺されると思うよ
何て言うか自分の身辺警護甘く見すぎてる
225 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 11:24:17
袁紹が官渡で負けたあとは、一転して反袁紹勢力が優位になったの?
袁紹が官渡で敗北したあと倉亭の戦いで流れを戻そうとしたがそれがでも負け
さらにその敗北を受けてキ州反逆が起こりそれを平定したあと袁紹病死
まだまだ袁紹の勢力は強大だったけど以前ほど曹操にとっては圧倒的な差ではなくなったと思うよ
それでも袁紹が生きてれば黄河渡るのは難しかったんだろうけどな
228 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 11:55:08
>>227 それで、反対に曹操が死んでいたら再び袁紹が優勢に戻ったであろうか?
229 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 12:01:03
あの時点では曹操の後を継ぐ者がいないからねぇ
袁紹の時以上にバラバラになりそうな予感
230 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 12:13:07
>>229 しかし、袁紹陣営も官渡の敗戦が痛手になっているから条件は五分では?
231 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 12:18:07
曹袁どっちもバラバラになるので劉表一人舞台かな
232 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 12:19:59
>>231 袁紹が死なずに曹操だけが死んだという仮定だよ
ただし、袁紹は史実通り官渡で負けてるけど・・・
>>231 孫家がいる以上劉表の時代は来ないと思われ
234 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 12:31:10
>>232 それなら曹氏勢力は混乱の末に中原を追われ、袁紹が楽々制圧だろう
そうなると劉表も孫氏も袁紹に従うか攻められるかだな
235 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 12:31:32
曹操が赤壁で負けたあとは、一転して反曹操勢力が優位になったの?
236 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 12:32:38
>>234 しかし、袁紹陣営も官渡の敗戦が痛手になっているから条件は五分では?
烏巣襲撃は成功したものの、その時の傷が元で曹操死亡とかな
どのみち、袁紹は心労から早晩死にそうだけど
まぁ、不明な仮定が多すぎて話しにならん
曹操陣営にしっかりと根回ししてるからあれで曹操死んでたら一気に袁紹かその息子が南下して終わり
劉表勢力は長期的展望がかなり微妙なんで一人舞台にはならん
孫権が何をしようにも袁紹の中原併呑が早過ぎて間に合わないだろう
曹操が官渡から8年かけたから孫権もなんとか地盤固めて赤壁で勝利できたわけだし
袁家がそのまま統一で新王朝作って終わりだな
239 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 13:40:04
>>238 官渡の敗戦は、それほど大きな痛手にはならないのか?
袁紹がそんなにスピード制覇できるとは思えない
曹家として団結するのは無理としても
夏侯家やらなんやら近くにいるのに中原があっさり落ちるかどうか
公孫サン戦から続く出兵でなおかつ官渡で半壊してるなら、3年は動けないだろ
実際、官渡はどういう負けかたしたんだろうね。
沮授に加えて、審配の二人の子供も生け捕りにされたというのはどういうことだろ。
彼らは本軍とは別のとこにいて、撤退のこと全然知らされないうちに、本軍が撤退したとかそういうことかな。
撤退というか、各自で惨めな敗走になって逃げ遅れただけでしょ
245 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 16:13:34
>>240 官渡あたりで曹操が死んでしまうと、残された一族や子飼いの武将なんかは、董卓亡き後のリカク・カクシみたいな状況になると思うよ
最終的には掃討される運命だろう
ジュンイクなんかは王允に近い動きをするのかもしれない
246 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 17:03:07
>>245 それは違うなー。董卓んときはまだ、董卓残党共が自由気ままにやってたが、それは他国は成長してなかったから。官途んときはエン家が巨大化してる分団結すると思う。
仮に分裂する原因となる人間がいるとしたら、エン家に命乞いしてた者達(エン紹の家に押し入った時、曹操の手下が書いた命乞いの手紙が何枚もあったが曹操が破り捨てた)
247 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 19:27:05
1
曹氏一族の中には曹操の後継者たりえる実力と名声の者は存在しない
優秀な弟やいい年齢の息子はいないのだから
ろくな後継者がいないのでは統一した動きを取ることも難しい
2
漢の官僚としては、命令する曹操がいない以上、他の曹一族と心中する義理はない
3
朝廷には曹操をよく思わない官僚も少なくなかった
曹操という核がなくなれば、旧曹操勢力は分裂せざるをえない
袁氏なりに降伏するか、袁紹に討伐されるか、散り散りになって逃げ延びるか
248 :
どぼんど:2005/05/11(水) 19:39:31
にゃんじゅう==−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−!!!
後を継いだ曹仁が高速で天下統一
250 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 17:57:57
どちらが勝つにしても、袁曹共倒れの可能性は低かったということですか?
251 :
献帝配下の兵士:2005/05/12(木) 20:51:53
個人的には……
袁紹VS曹操→袁紹勝ち
調子に乗って許昌に進軍
許昌攻略中、献帝逃亡
献帝南に
劉備を配下に
劉表に呼び掛け荊州の都市に遷都
献帝、益州、陽州と同盟を→反袁紹連合成立(盟主 献帝)
長安方面の馬一族に官位贈呈→同盟若しくは中立を
袁紹VS献帝率いる反袁紹連合
袁紹領地の予州あたりの曹操残党が反乱
まぁ献帝側が勝ったとして→袁紹河北に撤退→病死→息子内乱→献帝側制圧
献帝天下統一
孫権→王若しくは公
劉表、劉備、劉璋→官位贈呈
こうして献帝は後漢の中興を見事成し遂げ、民たちから名君と呼ばれ漢は権威を回復し異民族を従え繁栄期を迎えましたとさ……
こんなストーリーがいいかも
252 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 17:27:52
献帝が強いなー。
253 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 19:45:23
献帝がものすごい名君だー。
254 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 19:56:45
こんなの『献』帝じゃない!
255 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 20:06:23
献帝の献って確かかなりいい称号だよ
256 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 20:26:32
>>255 調べてみたら確かにいいね
でも
>>251みたいなこと実際にやったら
別の謚号をおくられてたんじゃないかなと思って
257 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 20:41:37
>>256 >>251のみたいな事やったらたぶん文、武みたい称号に最上級の称号がつくと思う。
>>251の献帝は歴代皇帝の中でも最上の分類にはいると思うし
258 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 21:37:00
献帝の献て諡には、諡法にあるような表向きの意味だけじゃなく、帝位を献上したって裏の意味もある
もし再興を遂げたら、確かに献なんて諡にはならないね
その前が霊だの廃だからなー
260 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 22:02:22
廃や少は諡じゃないからね一応いっとくと
通称
あいつ確か正式な諡無いんだよな
皇帝扱いされてねぇ
確か、蜀のほうでも愍帝って諡してたぞ
263 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 15:03:06
劉協を、
蜀では「賊臣に囚われた哀しき皇帝」
魏では「賢臣に政治を委任し、最後には賢臣に天下を譲るという一世一代の決断をした賢帝」
というスタンスでとらえているようだな
264 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 15:42:44
>>251みたいになったら劉協の諡はどうなるのかな?
光文帝くらいはくれるだろう
266 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 18:28:38
武帝と文帝って同格なの?
267 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 18:33:09
>>266 文>武
個人的に、15代皇帝『武昭帝』
後武帝
いいよもう昭烈帝で
270 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 23:33:13
むしろ二つあわせて文武帝で
271 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 23:36:26
いいとこ安楽公だな
山陽公のままでおk
袁紹は子供を除くと親族の将が少なそう。董卓に殺されてるし。
息子達4人組(高幹含む)を除くと、袁一族で袁紹側についたのは袁遺くらいかな。
袁術側だと、袁嗣、袁叙、袁渙?
4人を引き立てたのは、曹操や孫策みたいに親族で頼りになる将が少なかったからか。
袁術は甥に楊修、孫権とかがいるな。
275 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 12:28:05
曹操にも頼れる親族はそんなに多くないよ
子孫が多いからそう見えるかもしれないが
姻族なんかも含めるなら、袁紹の方が多いんじゃないかな。あまり伝わってないだけで。
>>275 ( ゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
(;゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
_, ._
(;゚ Д゚)
277 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 18:22:17
目がかゆい?
>>275 袁紹は一番頼りになるはずの弟とも喧嘩してるし
叔父の袁塊一族は董卓に誅殺されてるし、
どう考えても曹操のが頼れる親族が多かったと思うよ。
てか、曹・夏侯一族の結束の堅さは異常だ。
初期から夏侯惇・夏侯淵・曹仁・曹洪・曹純・曹休と
頼れるどころか能力も人並以上の奴等がいるわけで。
汝南で劉備なんかと一緒になってた一族はどうしたんだ?
>>273 袁春卿を袁紹側に追加。父親は袁術側だったぽいが。
>>281 詳しく、よろ。大きな一族としてみた場合、曹一族、夏侯一族から外れるのは、曹真系統だけ
だと思ってた。
283 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 20:41:31
夏侯一族は親族なのか?
ということかね
>>283 なるほど、そういうことなのか。それは「親族」の解釈によるんだろうな。
285 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 21:06:02
三国志本文では曹操と夏侯一族って、なんであんなに親しげなのかよくわからんからな。
頼りになるやつが多いのは同意するが、曹操の親族って数は多くないような。
一応、曹嵩が夏侯家の出身だからってことになってるんじゃね?
正史にも書いてるし・・・
確かに従兄弟でもないと、あんな初期の寡兵状態から当たり前のように付き従わない気がする。
衛青は親族なのかね?
288 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 21:27:48
誰の??
従兄弟でも何でもなくて仲が良かっただけの衛青が初期の寡兵状態から一緒にいるんだが
>>286の説で言うと親族になるんだな
夏侯氏が皇族になったのは公主を娶ってる奴がいたり曹操の妻の妹が淵の妻だったり
書かれてる部分にも血縁が結構いるからな
旗揚げ当初から血族だったって事は書いてないだろ
それより曹真が曹一族から外れてる(
>>282)ってのが初耳だったorz
正史では出て来ないけど、『曹瞞伝』、『世語』とで曹嵩は夏侯氏の子で、夏侯惇の叔父と出てくるね。
信憑性をどうとるかは人それぞれだが。
>>292 『魏略』曰く、曹真の父、秦ショウが、追撃を受けて逃げ込んできた曹操をかくまってやり、
やって来た追っ手に、「曹操はどこだ?」と問われて、「私がそうだ」と答えて殺された。
そこで、曹真を養い、曹姓を与えたと言うよ。もっとも正史じゃ書いてないけど。
>>292 だからこそ司馬氏のクーデターが成立したとも言える
実際は姓をもらっただけで曹爽は皇族ではないからって理由でな
漢中で夏侯淵が殺されたときに敵討ちみたいな形で出兵したり、
惇も異様に信頼されて寝室出入りOKだし
夏侯家と曹家は姻戚関係だったと俺は信じている
譙にまだ曹操がいる頃、夏侯淵は曹操の罪を身代わりとなって引き受けてやってるし。
(曹操が夏侯淵を救い出したんで無事だったけど)
『曹瞞伝』によれば、 沛国相の袁忠が法によって曹操を処罰しようとしたことがあって
後に曹操の報復を恐れて交州に逃げたというけど、この時のことかねー。
そうだとすると、早くから曹操は、袁一族と因縁持ってたんだな。
299 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 00:39:28
個人的能力は、袁紹より曹操のほうが上だったわけ?
魏にエンショウが立つ事はありえません。馬超あたりに滅ぼされるでしょう
あるとき、二人は結婚式に忍び込み花嫁を奪った。バレて追われたが、
エン紹が誤って茨の茂みに落ち込んで動けなくなった。それを見た曹操が
「泥棒はここだぞー。はやく来いやー!!」
と叫んで追っ手の注意をエン紹のほうにそらして逃げた。
驚いたエン紹は必死で逃げましたとさ
>>299 そりゃそうだろう。
袁紹が曹操に勝ってるのは
容姿・身長・家柄・士大夫層への求心力
袁紹は袁紹でスタート地点は結構ギリギリの綱渡りしている
それを考えると曹操が圧倒的に上とはいえない
曹操の万能さを考えると総合的な個人としての能力では曹操の方が上なんだろうとは思う
袁紹もそれなりに凄いと思う。冀州へ行ったのは賭けだと思うし。審配らの不和が残念だが。
曹操は君子危うきに近寄らずというのに徹底して反した生き方を前半生はしてるのに、
なぜか命を失わなかった。何か憑いていたとしか思えん。
エン紹はつめが甘いよな。
307 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 02:30:47
袁紹の曹操に及ばなかったところは、苦労の差だと思う。
曹操は、兵を集めるので苦労したから、
いかに敵の戦力を自分の軍に引き入れるか。
部下のやる気を出すか。→才能、結果主義。
人の使い方に長けていた。
袁紹は 名門で才能もあったために。自分のような頭のいい家柄も良い人の
話をよく用いたのではないだろうか?
それが部下のやる気を削ぎ、離反にあったとおもう。
308 :
公孫讃 ◆OQR/ZKnxDY :2005/05/18(水) 02:31:32
詰めが甘いというか無茶をしなくなっただけ。
ゆっくり潰していこうと思ったんじゃない?
309 :
公孫讃 ◆OQR/ZKnxDY :2005/05/18(水) 02:33:17
>>307 最初の方は結構苦労してる。領土問題や公孫讃との戦とか
310 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 02:50:34
袁紹と曹操の最盛期は、それぞれいつだと思う?
311 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 02:57:09
袁紹
→公孫讃を倒して河北四州統一直後?
曹操
→荀イク死ぬ直後ぐらい?
直後?直前でなく?
313 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 03:09:11
直前だ
すまん
赤壁直前じゃね?
315 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 03:18:48
荀イク死後、落下しはじめてると思う。
赤壁前と言うか荊州降伏直後ぐらいか?
決戦は避けるべきだと
袁紹 はもし曹操の立場ならどこまで生きれたと思いますか?
私は赤壁あたりでコロリとやられるのではないかと・・・・。
317 :
公孫讃 ◆OQR/ZKnxDY :2005/05/18(水) 04:02:58
寿命が続けば天下統一できると思う。
劉表は降伏すると思う。
袁紹の性格からすると劉表降伏後にすぐには孫権に攻め込まないと思う。ジリジリ圧迫してジリ貧で孫権が負けると思う。
曹操の死にかけ
1.沛国相の袁忠によって処罰されそうになった時。(
>>298のように夏侯淵が身代わり?)
2.董卓のもとから去り、成皋、もしくは中牟で危機に陥った時。
3.徐栄に敗れて、曹洪の馬を借りた時。
4.袁術もしくは黄エンに殺害されそうになった時。(
>>294のように曹真の父親が身代わり?)
5.揚州募兵で、夜に反逆され帳を焼かれた時。
6.濮陽城内で呂布の騎兵に捕まった時。
7.張繍に叛かれ、曹昂の馬を借りた時。
8.潼関で馬超等に殺されかけ、許チョに助けられた時。
袁紹だったら、こんなに危機に陥ることはないと思うけど、もしこれを経験してたらどうなることか。
曹操には、桂小五郎と共通の才があるのか〜
320 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 06:14:52
延焼って実際よりもなんか評価低いね
>>318 徐他だったかに暗殺されかけて、カンを働かせた許褚に助けられた時
ってのは入らないかな
ミラクル田豊を讒言真に受けて殺しちゃってるからなー
官渡のあと数年で袁紹が死んでるけど
田豊の策聞き入れなかったのは案外体調が悪くて寿命を何となく悟ってたとしたら面白いな
正史読んでると、沮授の話聞いて曹操より先に天子奉戴しちやったら
袁紹のひとり勝ちな気がする
歴史にifは無いと言われるように袁紹もなんだかんだで失敗して統一を逃しそうだが
天子奉戴すれば曹操には勝てる確率がぐっと上がる気がする
>>324 失敗するとしたらどこで失敗すると思う?
上でも出てるけど袁紹が曹操を官渡で破っちゃうと孫権が地盤固める前に南下始まっちゃうぜ
だから曹操と同じパターンで統一逃すって事はないだろう
>>325 適当だけど
*献策退けてのらりくらりするという悪い癖が出て南下を遅らせてしまう
*統一前に袁紹の寿命が尽きて、おきまりの後継者争いが勃発する
二番目がかなり濃厚だな
曹操の下に集まった清流派を中心とした名士達は袁紹の下に留まるかね?
ジュンイクの影響も大きいしそういった点で
袁紹の南下までの動きがそううまくは行きそうに無いと思うんだが
田疇も、袁紹には出仕しようとしなかったし、なんかあったんだろうね。
330 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 13:22:57
田豊も復帰できるだろうが、袁ショウが進言を聞くかは微妙。
みんな袁紹はすぐ寿命で死ぬって言うけど、それは違うのでは?
官渡・倉亭の敗戦のショックから病死したようなものであって。
曹操のように220年頃までは生きたのじゃないかと。
袁紹のほうが5歳から10歳程度上らしい
334 :
331:2005/05/19(木) 19:32:42
俺は花嫁の話からして、同い年くらいかと思っていたが。
>>333 出典は?ちくまには特に記述無かったはずだけど。
>>334 ごめん、覚えてない
どっかのサイトか本だったはず
「袁紹は曹操よりも年長で実際は保護者のような立場だったのではないか」みたいな感じだったと思う
336 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 20:42:12
石井先生の曹操で言ってたかもな
>>335 そうですか。
でも興味深い話だね。自分も本をあたってみるよ。
338 :
893:2005/05/19(木) 21:04:44
演義での袁紹無能ぶりだけで考えると、どっちにしろ滅んだ気がするな・・・。
正史の方がまし??
>>335 336も言ってるけど、石井先生の「曹操」だかって本では、
袁紹とは立場が違いすぎて(家格とか)、とてもあのような仲だったとは
考えられない・・・みたいなこと書いてた。
袁紹のパシリみたいな存在だったんじゃないかと。
340 :
339:2005/05/19(木) 21:14:59
曹騰の権力は凄かったらしいじゃん
>>339 曹騰は宦官じゃ最高位の中常侍・大長秋だったからそれほどエン紹に劣ってるわけじゃない。
曹嵩も大尉になったじゃなかったか?
343 :
331:2005/05/19(木) 21:58:28
>>339 なるほど。
石井先生の「曹操」は未読なんで近いうち読まないと。
344 :
335:2005/05/19(木) 22:24:06
>>336>>339 あ、多分それだ
いろんな本ひっくり返してたんだけど見つからなくてイライラしてた
dクス
「曹操」はいま兄貴に貸してんだよな……聞いてみよう
昨夜確認したら
石井『曹操』にはエン紹は曹操の10歳ほど上ではないかと書かれてましたよ。
何ギョウからだと曹操は評価対象、エン紹は奔走の友。などの事例を考慮すると、という内容でした。
346 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 12:49:54
石井先生の曹操は名著。
三戦でもっと有名になってしかるべきなんだが。
蒼天航路もこれを明らかに参考にしてる
んなことはどうでもいい
>346
蒼天がか
なら読んでみようかな
袁紹がもし勝ったら、光栄三国志シリーズで今の能力+15くらいになる。
でもどっちにしろ病死
正史でソウソウをぼろくそに書く
351 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/24(火) 11:54:27
ジュンイクは皇帝を監視する佞臣、カクカはただの酔っ払い、テイイクは背が高いだけ、ジュンユウは陰湿、みたいな評価をされるだろうし、
カコウトンやソウジンがかろうじて二、三回名前が出てくるだけ。猪やケチは記録に残るかどうか。
ガクシンやウキンはいいとこカンキョシみたいな扱いだろう。
デイコウみたいだな。
レスがとまっているようなので、ネタ振り。
袁紹が(或いは袁術でも可)王朝開いたら、国号はなんになったと思う?
普通は封爵された国号が王朝名になるんだっけ?
自分も昔ごっちゃになっていたんだが、「成」はKoeiが広めたらしくて、「仲」家というのが漢家と同様に
国号を示すそう。仲は地名由来とは違うかな。どういった由来なんだろう?
袁術は王に封じられることなく、いきなり帝位についたけれど、袁紹はもし帝位につくとしても、王を経由する
と思う。だから、袁紹がどこの地に王として封じられることを望むのかによるんじゃないか。
>>318 このスレとしては、審配の伏せた弩兵の矢が曹操に当たりそうになったことを忘れてはいけません。
審配の最後は陳宮の最後に似たものがあるけど、曹操はなんで郭図や袁譚に対して厳しい態度を
取ったんだろう?
359 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/31(火) 12:27:15
出身地だからといって封建を望むとも限らないよ。
本拠地の王になるんじゃないかな。
つまり「魏」か「斉」あたり
河北の王者だし魏だと思うぜ
趙はないかな…。
中山とかも面白いな
363 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/01(水) 13:07:16
もし張角が長生きしていたら、河北を制圧して史実の袁紹と同じような運命を辿ったのでは?
袁紹が勝利して、曹操と同じ道を歩んだら
劉備が天下統一するかもね
理由→袁家のお家騒動が勃発するから
諸葛亮の紹介もなく劉備が士族を引き寄せられるとはどうしても思えない
366 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/01(水) 13:56:21
袁紹が勝利したら、劉備は孔明を家来にはできないのか?
>>366 袁紹が勝利するなら、劉備はそのまま袁紹の元に居続けると思うぞ
劉表んとこに逃げる必要性がない
荊州にいかない限り孔明に出会うチャンスはないだろう
曹操が敵だったからこそ徐州出身の名族を引き込むことができたわけで
袁紹が勝利したら史実ほど劉備の仲間は増えない
369 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/01(水) 14:49:31
袁紹が勝利したら、徐州出身の名族だけでなく荊州出身の名族も引き込むことができないと思う
370 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/01(水) 14:52:43
>>367 そうなると、孔明は誰の家来にもならなかったのだろうか
それとも、孫権の家来になったのだろうか
兄つながりでもっと後になってから孫権の部下になったかもしれないけど
孫権が袁紹相手に生き残れるかが問題
多分無理
372 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/01(水) 15:00:09
袁紹が勝つより、曹操が辛勝して袁紹が長生きして
結果的に袁曹が拮抗する状態のほうが、孫権や劉備に有利で
歴史としても面白くなったと思う
孔明は一生晴耕雨読か・・・
だな
袁紹勝利→跡目争い→どさくさに紛れて劉備が跡目を継ぐ
北は跡目争いに夢中→周瑜、西へ侵攻→蜀を制圧
南北朝成立です。
ちなみに諸葛亮はホウ統と供に周瑜のお供をしていると思います。
顕示欲は旺盛なので。
376 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/01(水) 17:24:45
377 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/01(水) 19:14:26
かならず劉備が負ける。
周兪、ほう統、孔明がいる孫権側に対して
曹操残党、袁家の生き残り、元祖劉備派とかで対立しそう。
袁譚の後ろ盾になりつつも、いろいろあってその勢力を次いでしまう劉備
こんな感じで
379 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/01(水) 20:34:48
跡目争いに食い込めるほど劉備は袁紹配下で有力だったわけねぇだろ
380 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/01(水) 20:34:56
>>377 ただし、劉備側のほうが圧倒的に兵力が多いよ
>>379 トウケンのところでも有力って程でもないような。
あれよこれよと手に入れるのが劉備
劉備には田豊、沮授、荀イク、荀攸、程イク、司馬懿らがいるよ。
カクは、袁紹が勝ちそうになったらちゃっかり袁紹側にいそうだな
劉備が袁家を継ぐような感じになったら、いつのまにか劉備の軍師になってそう(w
>>381 陶謙の時とは全然違う状況
徐州の後継ぎはいなかった
でも袁紹には息子がしっかりいるしその下にも色々な部下がきっちりついてて劉備の入り込める隙間はない
>>384 お家騒動があれば別かと。
劉表のところみたいに。
袁タンは跡目争いで曹操を頼ったくらいだからな
劉備にも入り込む隙はあるよ
眉唾だが親戚であるかないかの違いは大きいだろうし
荊州では士族を仲間に付けていることが決定的
>>388 つ陶謙の件
つ荊州では当初、豪族に切り捨てられた件
ただの妄想なんだから、話しが面白くなる方向に考えろよ
俺は現実的に考えるほうが面白い
陶謙、劉表の時のように後事を託されることはない
袁紹死後、分裂する袁家で袁譚派の一角を担う劉備
これは普通にある
393 :
893:2005/06/02(木) 13:47:31
文醜と顔良はシボンヌ済みですか?
>>392 劉キの時のように、いつのまにか乗っ取る可能性は無いわけですか?
同族じゃないからな
396 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/02(木) 21:37:16
ホウ統・孔明が孫家につくわけねーだろ。アフォ。
ホウ統は孫権に外見だけで嫌がられたし、孔明にいたっては、孫権では心をうごかせねーだろ。普通に考えろアフォ。
漢王室の血がないと大義名分が立たないからな
398 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 00:17:23
>>396 >孔明にいたっては、孫権では心をうごかせねーだろ。
曹操よりは、まだ可能性があると思う
399 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 00:19:51
もし赤壁の戦いで曹操が勝っていたら?
という話題では、あまりスレが盛り上がらないか?
天下統一で終わり。
という結論でしかないからなぁ。
401 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 00:27:39
>>219ο丁児の名前の由来・・・丁はチンコが勃起している状態で、左に付いている
οは、玉袋がぶら下がっている状態を意味している。
すなわちο丁児はチンコ・金玉(アホさ)を露出している稚児の意味で、
可児才蔵とは全く関わりが無いので、聞き分ける為にアホ坊(通称)と呼ぶ。
つーか、孔明って自分から劉備のところに押しかけたんでしょ?
つまり「こいつダメだから俺がいてやらなくちゃ」って思わせればいいんじゃないの?
403 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 00:39:39
>>219ο丁児の名前の由来・・・丁はチンコが勃起している状態で、左に付いている
οは、玉袋がぶら下がっている状態を意味している。
すなわちο丁児はチンコ・金玉(アホさ)を露出している稚児の意味で、
可児才蔵とは全く関わりが無いので、聞き分ける為にアホ坊(通称)と呼ぶ。
>>402 じゃなくて、「こいつの所だったら俺がNo2になれるな・・」と思わせればOK
なるほど、確かに曹操陣営と孫権陣営では絶望的だな
>>396 アホはてめーだ
ホウ統は最初周ユの部下だった
もう既に孫家についてるわボケ
407 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 02:01:56
406そこからホウ統は離れてんだろアホ。結局はただいたって理由にしかならんのだよヴァカ
>>395 あんま関係無いだろ、同族だから継いだではなく
実力者だから継いだにすぎん
趙匡胤のような感じで
>>407 劉備が荊州に居なければ、ホウ統はどこに行くんだ?
無職の諸葛亮を頼りにはできんし、
高官にしてくれる場所は魯粛のところぐらいしかないぞ
>>408 うさんくさい同族じゃなくても有力者になれたとでも?
自分にはそうは思えない
ただ居ただけじゃないわボケ
周ユの死体運んで呉まで戻るって事はそれなりの立場だってこと
袁紹が官渡で勝利してるって事は曹仁と身を削る荊州争奪戦しなくていいんだからもっと長生きできるわ
その間に周ユ幕下でもっと出世してるわい
>>409 なれるのは陶謙の所で実証済み
曹操の所でも左将軍にしてもらったしな
曹操は劉備を周囲がやりすぎって言う程に評価してたからな
陶謙の時は対曹操としての防波堤として頼みにされた
じゃあ袁紹配下ではどうか?
袁紹が劉備の寝返りを認めたのは対曹操のため
曹操が倒されたあとの袁紹が劉備に価値を見出す事はない
>>412 412自身で言っている通り、陶謙の所でも、曹操の所でも低評価
にも関わらず高官になったり、後継者に収まったりと
いつの間にかシンパを増やす事に長けているのが劉備。
何故袁紹の所だといきなり捨てられるのかがよくわからん。
対外政策から考えても地方司令官の地位は貰えるだろう。
更に言えば劉表の所でも同姓とはいえ邪険に扱われているのに
いつのまにか劉表の後継者顔が出来ている所にも注目。
その後に袁家のお家騒動があれば、いつのまにか乗っ取る事も夢では無いな。
新野に置くのは冷遇どころか頼りにされてるっての
新野が落ちたら襄陽までの間の戦略拠点皆無なんだからな
大抜擢と言ってもいいくらい
曹操の下では曹操にありない厚遇されてた
評価が低いわけじゃないっつうの
お前がよくわからないのはただの情報不足
>>414 小城に押し込まれたあげく、降伏は後で知らされるのにか?
それは代替わりしたから
劉表の時に降伏したのかね?
沮授、田豊、張コウ辺りと仲良くなる劉備がいいな
陶謙のところでも頼りにはされてるな
曹操のところでは牧にしてもらってる
袁紹のところでも一軍を任されてるし
劉表のところでは中央から外されて、前線司令官にいるわけだが
献策は受け入れられていないな。
で、他の諸侯と何がそんなに違うん?
袁紹のところにいたら官渡の戦後もただの一配下で終わり
ここでも〜してもらって、あちらでも〜してもらって
って答えるてる人間は劉備が荊州にくるまで一定の土地で割拠できなかった理由をどう答えるんだろうか?
名士との繋がり不在ってとこだろ
それじゃなおさら袁紹陣営じゃ出世できんわな
劉備は英雄だ
いろいろなところで高い評価を受けるのも当然だが
皇帝にまで上り詰めた以上記録に残る量が圧倒的に多いという点を考慮すれば
ここでこうだからここでも、なんてこと安直に答えられないと思うが
>>420 戦争が弱いから
南荊州時代は呉が保護してくれていたしな
劉表時代も土地は持っていない居候。
華北で曹操と対等にやれたのは袁紹だけだが
袁紹が纏めた後での乗っ取りであれば充分にありえる。
その後、他国から維持できるかどうかは別問題ではあるが
馬超あたりに散々な目に遭ったりと。
劉備が戦争に弱いって、完全に演義基準ですか?
劉備は戦争が強かったから各地で認められたんであって
全部が全部不思議な魅力とやらで全く実力も無く認められたわけではない
乗っ取れる状態ってのを理論的に示してくれよ
「それでも劉備なら…劉備ならきっと何とかしてくれる…」
といって劉備にボールを集めてプレーするのと
劉備にキャプテンを任せることにはかなり大きな隔たりがある
ミミ ヽヽヽヽリリノノノ = =
ミ______ 彡 ニ= 劉 そ -=
|_私は超雲_| ニ= 備 れ =ニ
| } __ 、._ `}f'〉n_ =- な. で -=
、、 l | /, , ,ヘ} <・> <・> |ノ:::|.| ヽ ニ .ら. も ニ
.ヽ ´´, ,ゝ| ノ(、, )ヽ l| :ヽヽ } ´r : ヽ`
.ヽ し き 劉 ニ. /|{/ 、ノ -=- /|.|:::::| | | ´/小ヽ`
= て っ 備 =ニ /:.:.::ヽ、 丶__ ノ |.|:::::| | /
ニ く. と な -= ヽ、:.:::::::ヽ、._、 _,ノ/.:::::| | /|
= れ.何 ら -= ヽ、:::::::::\、__/::..::長::| |' :|
ニ る と =ニ | |:::::::::::::::::::::::::::::::::::::..板:iY′ト、
/, : か ヽ、 | |::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::| '゙, .\
>>424 ,.、,、,..,、、.,、,、、..,_ /i
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劉備なんぞが袁紹の領地を乗っ取れるはずがなかろう。
俺もそう思っているがお前が言うと嘘っぽく聞えるから黙れ
大物扱いされている人と今実際に実力・地盤等を持っている人ってのは
違うからなあ。
劉備は確かに大物級だとは思うけど、実際に何の力(戦力等)を出せるのか?
って事になってしまうのでは?だから結果的に客将であちらこちらって事に
なっている人物。
どうやったら乱世でごく普通の金持ちが大物扱いされるの?
戦闘指揮ができるからと考えるのが一番自然
435 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 21:27:59
あの時代の「金持ち」=沢山土地や使用人を持っている=食い物と兵士を持っている
436 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 21:41:19
袁譚派として尚を倒して、その後じわじわと力を伸ばして乗っ取る。
437 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 21:58:25
袁譚を担いで袁紹の復讐戦と言って曹操と戦う
そんな感じか?
>>435 劉備程度の金持ちで雇える兵数くらいならいくらでも替えが効くだろ
少なくとも討伐軍で名を上げるのに有効な兵数ってどんなもんだ?
439 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 22:43:24
袁譚(劉g)・郭図(韓嵩)・辛評(伊籍)・張郃(黄忠)・高幹(黄祖)
袁尚(劉j)・審配(蔡瑁)・沮授(蒯越)・田豊(蒯良)・淳于瓊(張允)
顔良(劉磐)・文醜(文聘)・逢紀(劉先)・荀ェ(龐統)
許攸(諸葛亮)を手に入れて、乗っ取りだ。
>>438 金持ちの曹操でさえ反董卓軍の時に5000しか兵集められなかったわけで、、
劉備程度じゃたかが知れてる
441 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 00:24:35
なんかゲームと全く同じ感覚で話してるのがいるなあ
ああ、こっちの誤爆だったのか
443 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 02:04:56
>>251の献帝の勝利でおわる三国志がいい(三国志にはなってないけど)
>>422 劉備伝って曹操伝よりそんなに長かったか?
演義物のことなんて誰も聞いてないからな?
>>424 劉備は直に兵のぶつかる局地戦に強く、兵站面で脆い。
戦闘、戦術に強く戦略、戦争に弱い。
雇われ前線指揮官としては皆評価した。
勢力の当主としては・・・
445 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 23:27:21
とりあえず曹操伝で減点50
許都制圧。献帝保護。劉ショウ勢力吸収。統一。
447 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 09:23:38
孫家も3国になったから皇帝になったんであって、袁紹勝ってたら普通に孫権臣従して呉王にしてもらって終わりだろ。
448 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 12:40:37
それはないな
呉は相手が誰であろうと、仮に一旦は臣従したとしても荊州に進出して独立する野望は捨てないと思うよ。
>>448 そんなことないだろ。
もともと豪族集団だから、自分らの権利守ってくれるなら
上に立つ奴は誰でもいいわけで。孫家より袁家のが安定しそうなら
袁家に乗り換えるに決まってる
そこで周瑜がどうでるかが問題では?
けきょく張昭でさえも周瑜の意見に押さえれたわけで
周瑜が主戦に立つのかあるいは見送るのかは結構大きいと思う
451 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 16:16:34
周瑜だって無意味に袁紹に逆らって討ち死にするよりは袁紹の治める漢土の元で呉王に功臣としてやっていった方がいいと考えるだろ
周瑜だって無意味に曹操に逆らって討ち死にするよりは袁紹の治める漢土の元で呉王に功臣としてやっていった方がいいと考えるだろ
元袁術派ということもあって曹操の時ほど安易に降伏できそうにないのは気のせいか
てかさ、袁紹と曹操じゃ他地域の反応も違うだろうし、、
袁紹が献帝奉戴しちゃったらどこも逆らわないっつーか逆らえないと思うよ。
周瑜だって闇雲に曹操と争ったわけじゃないし。
はたして、帝が素直に袁紹に担がれるかどうか…
実際、清流派が口うるさいわけだが
それでも誰も逆らえないのか?
曹操と袁紹の大きな違いは徐州の虐殺だと思う
これが無い袁紹は曹操と違い天下を取れる可能性は高いな
袁術と宦官虐殺したけど、これはいっか。
曹操の徐州虐殺は天下とは大して関係ないような…。あっ〜そうかそうか。
徐州無理に攻めてなかったら呂布に領地掠め取られる事もなかったか。
袁紹も性格だけに献帝を庇護したとたんに、傲慢な態度取ったりして諸侯の反感買いそうだな。ww
江南の豪族も袁家を認めるとは思えん。
袁紹自体器の小さいトップ失格人間だし、息子達は皆無能。多少尚がマシな程度。
それに、袁家の陣営もすでに固まってるわけだし、後でよそ者の活躍の場はないだろうし。
一度、袁紹が中原に覇を唱えても、皆時間の問題だと思うと思う。
孫家もまず形勢観望でしょう。
ほっといても内部分裂して自滅したりするようなら相手にする必要もないし。
逆にますます力をつけるようなら同盟、臣従して機を伺う手もあるし。一戦交える手もある。
>>458 評判の悪さに拍車が掛かっている
親友の張バクや陳宮の造反を招くほどの評判の悪さが出てしまった
これがなけりゃ、劉備は台頭できなかったと思うぞ
袁紹はあの時点で既に名声ある。そこがぽっと出の曹操と違う。
確かに荀イク・郭嘉に捨てられてるけど、
それでも荀イクの兄貴とか清流派名士層を従えてるし、
うまくやれば曹操より天下取りは早いと思われ
462 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 19:04:34
呉は、孫氏も同調する豪族たちも、「江南の独立政権」を建て、維持拡大しようという意思のもと存立しているから、敵は曹操でも袁紹でも劉備でも献帝でも同じだよ。
完全に解体しない限り、いつか独立を試みるよ
463 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 19:09:49
袁紹なら、たとえ徐州虐殺やっても天下取りに影響しないだろ?
464 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 19:15:03
根拠は?
465 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 19:18:11
袁紹の戦力なら、徐州虐殺の悪評があっても天下を取れるはずだよ
戦力だけで判断するなら、ゲームと同じく数字で判断するのと同じこと
戦力はあくまで戦を組み立てる基準で、そこから先の要素こそが肝
467 :
893:2005/06/08(水) 22:36:56
董卓の二の舞を演じる気がするが。
呂布の様な奴が居ないのが祟ってスグに殺されそう。
袁紹は良くいえば意見に耳を傾ける器だといえるけど、悪くいえば人の意見の
本質や良否を見抜いて取捨選択ができないうえに決断力に欠ける人物。
さらにいえば名士層の輿望にのりながら名士に振り回されたのが袁紹で、
逆にうまく名士層の意中を汲んで制御したのが曹操。
この三戦板でも袁紹を殊更にもちあげる住民もいるけど、「正史」をかじった
人間の陥りやすい誤解に思えるんだがなあ……。
469 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 22:55:35
>>467 顔良や文醜がいる。
武力は劣るけど忠誠心があるから呂布よりいいかもしれない。
袁紹が死んだら息子の跡取問題で自滅しそうな気がする。
470 :
893:2005/06/08(水) 23:05:46
>>469 おお!!
あの二人がいましたな!!!
私の大好きな二人が!!
472 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 07:22:35
劉備を味方にして元通り徐州の牧に任命
孫家の防波堤にもなって一石二鳥
473 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 08:04:23
いや、劉備はえんしょうの近くに置いたほうが吉
劉備は少しでも目を離すと途端に独立するからね
袁紹との約束で孫策は許昌突こうとしている
これは袁術に反旗を翻した=即独立ではなくて袁紹閥に(形だけでも)参加したって事だろ
つまり孫家はそのまま臣従するって可能性が高い
んで独立心あるのは孫家とその子飼いしかいないから後漢のような寄り合い所帯の帝国で統一してエンドだと思う
476 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 11:30:56
>>468 しかし、袁紹には余計な才能がない。
もうすこし膠着状態が続けば、曹操勢力をアレ以上に凌駕していた可能性がある。
あぼーん
478 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 12:24:22
>>475 西晋末期に江南豪族たちが再独立を検討した話知ってる?
中原から邪魔されないで支配や開発できるってのは江南豪族全体の希望だよ
孫氏や子飼いだけじゃないよ
まあそんな望みを吹き飛ばすくらいの力の差があれば従うだろうけどね
>>468 うまく名士層の意中を汲んで制御した人間が2度も3度も宮中大粛清をしますかそうですか。
まぁ片っ端から殺す事を制御というなら確かにそうだが。
>>468 袁紹をふりまわした名士って誰?
てか袁紹は名士層の輿望に自分からのって利用したんだよ
481 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 23:12:44
>>471 正史では文醜は斬られてないし、顔良も関羽を味方だと思って近づいたら顔良は敵だと思った関羽に斬られただけだし。
真っ当な勝負をしたらどちらが勝つかはわからない。
少なくとも二人がかりで戦ったら文醜顔良チームの勝ちだと思う。
>>481 上げてまでネタにマジレスするあなたが素敵
>>475 赤壁以前、曹操と孫氏政権は形の上とはいえ誼を通じて同盟結んでたよ。
それでも、抗戦を決意した。
>>481 顔良が関羽を味方だと思って近付いたって正史とその註のどこに書いてある?
味方を斬り込んで近づいてくる奴を味方だとは思えないな
歴史って作るものらしいからな
488 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 18:35:02
袁紹って領土拡張の大半は懐柔なのかな?
他の陣営と比較しても一番共和国っぽいですよね。
外様に嫌われたら終わり!みたいな。
後継ぎ指名も、腹に思いがあっても軽々しく口にできない状況を作られてしまった感じがしますね。
もし官渡に勝って直轄地が増えたら、はっきり後継指名するんじゃないかと…
怪しい予想…
489 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 19:22:16
でも後継者指名ってのは、誰でも悩む問題だよな。
曹操でさえ、カクの言葉が無ければ、後継者を決めかねたまま
死んで、内乱を起こしてたかもしれないし。
孫権も壊れちゃったし。
袁紹が後継者を決めかねていたから優柔不断と罵られるのはおかしいよな。
>>488 公孫サン倒してるし韓馥騙して領土奪ってるし
全然懐柔策じゃないぞ
>>489 それだけで罵られてるわけじゃないだろ。
袁紹の場合は有能な部下を揃えながらそれを活かせなかったからダメ出しされてんだな
>>492 それにプラスして荀ケや郭嘉に逃げられてるのが痛いな
荀ケや郭嘉は人を見る目が無かった
曹操が呂布あたりに倒されてたらそう言われているはず
496 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/11(土) 09:17:45
というか名前もろくに残らなかったかもよ
荀ケは審配となるのかね
498 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 12:21:53
袁紹と曹操の戦力比は?
全軍なら6:5とか5:4とかそれ程差はない筈
ジュンイクの戦略によって周囲の敵に対する守備も最低限度だけで済んでいたし
言う程不利じゃなかっただろう
500 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 13:43:12
袁紹と曹操の最盛期は?
501 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 13:48:42
>>498 官渡の戦いの兵力比は大体、10:1
>>500 袁紹の最盛期は公孫讃を滅ぼして、河北4州支配してた頃だろうか。
曹操は赤壁の前かな。
10:1は裴注でも指摘しているように明らかに魏側の誇張でしょ
曹操の戦い方を見てると少なくても3:1くらいだと思う
十倍もあったら袁紹も櫓立てたり、トンネル掘ったりしないか。
505 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 14:49:09
圧倒的な兵力差なら、伏兵を置いておけばいいだけのこと
もし決戦に敗北しても、本隊を後退させて敵が追撃してきたら
伏兵のほうに誘い込み、敵が近づいてきたら伏兵で逆襲すればいい
そうすれば、袁紹の勝ちだったのでは?
506 :
ギギギ砲元帥:2005/06/13(月) 14:52:12
うおおおおお
508 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 15:19:15
横山三国志と三国志演義を比べたら、横山三国志のほうが正史三国志に近い内容だろ?
509 :
無双ファン ◆.IjycOFqtg :2005/06/13(月) 15:21:25
いや、そうでなくてw
陣にひきこんで云々ってのが横山っぽいんですよ
510 :
無双ファン ◆.IjycOFqtg :2005/06/13(月) 15:22:35
あっ伏兵の間違い^^;
さすが!!無双ファンの言う事は違うね!!
さすが!!自殺志願者のレスが違うね!!
513 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 16:11:38
野球の配球と一緒です。ストレートなくして変化球の効果は薄いです。
514 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 22:58:31
曹操と袁紹が争っている間は、荊州は平和だったの?
515 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 20:14:46
どうせ漢帝国が続いて、門閥の旧弊も続いて、結局ネオ漢帝国が再びアボソだということでFA
袁紹が勝っても、袁世凱っぽい人生を送りそう
というか、袁術のほうが袁世凱っぽいぞ
というか、袁尚の方が袁世凱っぽいぞ
>>519 ああ、皇帝僭称しようとして袋叩きされて失意のうちに死亡とか、確かにそれっぽいねえ
>>514 平和というか、
孫家方面は黄祖が頑張ってたんで劉表の支配域では
大きな戦が無かった。
北が決着ついてなかったら孫権が南から攻め込んで来てたとおもう。>荊州
524 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 01:09:38
間をとって袁煕を後継に
525 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 13:01:47
人を一回の敗戦で決め付けてしまうのは悲惨すぎる。
諸葛亮を苦しめた張コウだって袁紹の配下。
大量の呉軍を破ったチョウリョウだって悪名高い呂布の配下。
生きてれば活躍できる時がある。
曹操だって赤壁で死亡してれば内乱で終わっていたと思われ。
そういう意味で可哀相と思う。
526 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 16:32:35
>>525 ただ、袁紹の場合はなぁ。
若い頃の素行が悪かったり。
何進への献策がまずかったり。
そもそも、董卓の対等のきっかけになった宦官誅滅の際の地方有力者の召募を行ったり。
反董卓同盟軍の盟主になったけど一戦もしなかったり。
重要なところで、簡単に失策を犯しているからよしんば官渡で勝ったとしても、次のターニングポイントで簡単に転けてそうで……
>>526 そうだな。しかしココで袁紹が勝利すれば誰も手がつけられないくらいに大きくなるし、寿命も伸びるだろうから無難に袁帝国始まるな。
528 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 22:23:36
>>527 誰も手がつけられなくなって、
本人も手がつけられなくなって、
分裂
が一番ありそうに思う……
たーしかーに
袁紹が後継者問題片付けるには、どっちかを殺すしかあるまい。
しかし、その決断がつかない間に死ぬ。
そして分裂
531 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 00:25:51
>>530 どっちか殺す=その派閥に属している臣下全てを罷免する(主だった者は族滅)
って事だよ。
そうなる前に、臣下の派閥化をある程度防ぐかコントロールできるレベルに押さえなければいけない。
曹操は、後継者問題について口出しする者を許さなかったけど、袁紹は口出しさせまくりだからなぁ。
冀州・幽州・青州であの内部分裂っぷりだから、さらに荊州や司隷あたりの人材を得たらどうなるか……
>>どっちか殺す=その派閥に属している臣下全てを罷免する(主だった者は族滅)
まあ、こんなことをしたら、滅びるだろうな。
マジで劉備あたりに乗っ取られるかも
>劉備あたりに乗っ取られるかも
ってどういうこった?
534 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 00:38:02
>>532 そんなことしなかったら、不平派を政権中枢に抱え込むことになって王朝が不安定になるじゃないか。
だから、曹操は曹植を殺すことを避けたわけで。
王朝のトップ交代に臣下が介入することを許すとどうなるかの実例が東漢王朝だったわけじゃん。
>>533 いや、まあ、妄想。異民族でもよろしいが。
>>534 ううむ…と言う事は家臣にバリバリ口出しさせてる袁紹では国も二代と続かん訳か
お前等に一言やろう
勝てば官軍
負ければ正史でも悪く書かれる罠
そもそも正史自体伝聞や推測で書かれている罠
能力がなければ漢でいくら名門あそこまで出世していない罠
537 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 03:31:50
>>356 あそこまでって、後漢の役職で公的に袁紹に最後に与えられたのは「渤海郡太守」だし。
それも、董卓の懐柔策で与えられた物だし。
538 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 03:42:10
みなさん、はじめまして
僕は三国志にハマッテいます。
はっきりいって、みなさんより知識はあると思います。
なんといったって無双を学校で一番早くクリアしたんですから。
一騎当千もマンガ・DVDともにそろえています。
ところで、みなさんはどの武将が好きですか?
僕は超雲が好きです。あのチャージ4なんて最高です。
Lv11武器ももってます。
ほかにも、諸葛遼が死んだふりをしてシバイを騙すところなんて
最高です。シバイは馬鹿ですよね(藁
女武将をあげるならチョウセンが最高です。
彼女は虎牢関の戦いで呂布にもひかぬ戦いをみせてくれました。
チョウコウは、なんかナルシストっぽいところがエンショウと
かぶっていいですよね。ナイスコンビです。オカマキャラですし。
僕は彼ら武将達を尊敬し、愛しています。
多分世界で一番好きだという自信があります。
さぁみなさんも好きな武将をドンドン書いてください!
ただし僕の武将とかぶらせないでください。
僕を敵に回すことになるのですから・・・。
>>537 後漢王朝から授けられた袁紹の階級において正式な物で最も高いのは「大将軍」
勘違いしとりゃせんかね?
孫権んとこだって晩年あれだけ政争の種巻いて引っかき回したのに
一応続いたわけだから、あれよりひどくなるわけない
袁尚VS袁譚の争いが起こったにしろ、袁紹が生きてるなら
孫権よりはうまく処理すると思う
巍と同じ位の勢力を築くが曹操程の野心家ではないため一応皇帝の下に付くから漢はもう少し続くだろ
人材登用も能力主義ではないので司馬家に乗っとられることはないな
だから軍師参謀の人材の差で官渡で負けたんだけどな
>>541 袁紹は曹操と互角かそれ以上の野心家
何を以って皇帝の下につくとか言ってるんだか…
人材登用は能力主義ではない?
張コウが何故袁紹配下でそれなりに軍勢持ってたか考えてないのかな?
袁紹は曹操程ではないにしても能力もしっかり見て人材登用してるっての
さらに言えば司馬氏は河内の名門
能力主義だろうと家門重視だろうとどっちにしても頭角を現す一族だっての
官渡の敗戦は許ユウの裏切りが原因で人材の差じゃないし
と言うか俺は釣られているのか?
>官渡の敗戦は許ユウの裏切りが原因で人材の差じゃないし
こうまで断言できるのってすごいね
まあ、それが目に見える一番の理由であることは間違いないけどな
実際許攸が裏切らなければ袁紹が勝てたかどうかってのは断言できん罠
勿論勝ってた可能性のほうがはるかに高いけど
じゃああの状況でどうやって曹操が勝つのか他の活路を教えてくれよ
人材の差だってことを示す話を一つ頼むよ
決戦の場で重要な軍事機密を知る同僚の罪を論って、
結果敵方に逃亡させ敗北を招いた家臣団の不和
それは人材の差じゃない
家臣の差なんかねーだろ
トップの差だ
エンの上層部は全て名門の家柄
能力よりも家柄が何よりも重要視されてた罠
あの時代はそれが当たり前
ソウも名門の家柄が出世に有利だが他に比べて重要視されないのと名門がエンより少ないで能力があり家柄がそこそこの良い人材が沢山集まる罠
有能なお前等ならどっちにつく?
今の会社なら年功序列と能力主義の携帯ならどっちに有能な奴が集まり無能が幅をきかせるかを考えてみれ
張コウは名門出身じゃないんだが袁紹にそれなりに扱われてるよ
袁紹は家柄だけ重視してたわけじゃなく能力も重視してる
曹操はなんだかんだで名門、門閥をしっかり重視してる
曹操は能力重視だが家柄も重視してた
孔融の事かーーーーー!!!!!!!!
袁家の武官は張コウにしろ顔・文にしろ麹ギにしろ
夏侯なんて「名門」と違って家柄はたいした事無いがいずれも一軍を任された将だなぁ。
逆に、家柄の大したことない連中を将として使ってたと考えることもできる
張飛のことを「戦争屋如きと仲良くなんかできるか」と馬鹿にした劉巴の例もあるし、
名家出身じゃない人間はみんなまとめて軍部に押し込めてたんじゃなかろうか
というのは穿ちすぎか
よく考えてみれば公孫瓚と戦ってた時の名言もあるし、やっぱ違うな
>>554はスルーしてくれ
556 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 18:34:00
夏侯淵たちは名家じゃないからね、あの頃は
あくまで曹嵩・曹操の縁故で引き立てられていたとみるべき
まさか夏侯嬰の末裔=名家なんて思ってないよな?
もちろん夏侯嬰の子孫=名家だよ
558 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 19:54:45
559 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 20:08:19
いや、夏侯嬰の末裔は名家で間違いない
名と実は別問題ってことか
あぁ、わかった556は劉虞くらいじゃないと名家とは言えないんだろうね
少なくとも劉備のように劉性じゃないと皇帝にはなれないもんね
さっき別のスレでちょっと話に上ってたんだが、
張飛が夏侯氏娶ったって話、
劉邦の末裔と夏侯嬰の末裔が結ばれたって意味があるんだな
郭図さえいなければ袁紹が勝ったw
その夏侯氏との間にできた子が劉禅の嫁さんだろ
諸葛亮が仙人だったってのと同じレベルで、
張飛が張良の末裔とかいう民間伝承ぐらいはありそうだな
567 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 20:44:18
張飛が張良の末裔とかいうと笑い話だけど
張紹が張良の末裔とかいうと信じるやつがいるかもしれないw
569 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 22:18:57
>>540 袁紹が孫権よりマシということはなさそう・・・
晩年の孫権は正直袁術並に性質が悪いぞ。
ちゃんとそのあとで理性取り戻してるから袁術よりはマシかと
やらかしちゃったことだけ並べ立てると確かに惨澹たるもんだけど
なんだかんだでちゃんと反省する(反省したパフォーマンスをする)のは立派
ボケちゃったんだからしょうがないよ
引き際も大事ってて事だな。
袁紹 官渡、後継者争い
劉備 夷陵
孫権 後継者争い、有能な臣下を次々に処分
こうして見ると晩年に決定的な失策がなかったのは曹操ぐらいか
(あえて言えば漢中を失ったことぐらい?赤壁はまだそれからしばらく生きていたし)
敢えてって…
漢中失陥は三国の鼎立を完全な物にしてしまった大失策だろうが
576 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 19:25:45
>>575 その前の赤壁があるわけだが。
曹氏政権の幹部に犠牲が出たという点では漢中の方が影響が大きいけど。
577 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 21:28:18
滅亡こそしなかったけど、孫氏を飛躍させた赤壁と蜀に北伐の拠点を与えた漢中は曹操にとっては大失策だよな
どっちも主に曹操のまずい戦略に起因しているし
ただ、
>>574が挙げてる3人の失策はその責任の大半が君主にあると思うが、曹操の場合は赤壁にしても漢中にしても曹操個人の責任とは言い切れないと思う。
>>578 赤壁〜南郡失陥はかなりの部分が曹操の責任じゃないか?
あるとすれば、曹操に頼り過ぎた組織構成か。
581 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 23:26:31
ちょっと待った。そもそも赤壁は、敗因どころか、その戦闘の詳細すら分からない訳だが。
582 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 00:06:34
戦闘の詳細なんかわからなくても、諸葛亮や周瑜の言葉などからは、曹操が兵を疲弊させたままのこのこと呉へ向かったことはわかる。
そこを返り討ちされた揚句に荊州まで侵略されてるんだから、曹操の戦略ミスとしか言いようがない
赤壁自体が時期尚早ってことじゃないの?
賈詡の諌めを聞いて、荊州の経営に専念してりゃ良かった
赤壁の敗戦だけなら大した痛手にはならなかったと思うが
南郡を落とされたのがまずかった。
あれで曹操の代による統一の目は殆ど無くなっちゃった。
江陵陥落が致命的だったな
あれで完全に荊州からの侵攻ルートはつぶれたし
何で曹操は一年もあったのに援軍出さなかったんだろ。
赤壁の損害がそこまで大きいとも思えないし江陵の重要さを理解してなかったのかな?
588 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 07:39:37
赤壁の損害が大きかったからじゃないか?
589 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 08:00:10
荊北奪取の余勢を殺され、兵に勢いがなかったこと。
兵力の逐次投入の愚を避けたこと。
赤壁の敗因が疫病の流行にあったが、その対策が立てられなかったこと。
そもそも、荊南まで取るつもりが亡かったこと(荊北の接収に向かっただけだった)
大規模な軍旅を起こすほど孫・劉の二勢力を評価していなかったこと。
業βに銅雀台を建設し、足元を固める方が優先したこと。
ほかに理由らしき物はあるかな?
590 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 08:23:38
>>589 >大規模な軍旅を起こすほど孫・劉の二勢力を評価していなかったこと。
これが油断では?
少なくとも荊南は越クラスの僻地と思われていたんじゃないかな。ド田舎に目くじら立てたらみっともないっていうくらいのプライド
592 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 12:51:06
理由はいろいろ考えられるが、結果として孫・劉二人に地盤を与える結果になったのだから、赤壁は曹操にとっては痛恨事
そして、赤壁に向かわず江陵を確保していれば孫・劉の伸長は食い止められたはずだから、何より大きいのは赤壁行きを決めた曹操の判断ミスだろう
荊州水軍を手に入れたとこで調練するとかしておけばよかったのにな
かように荊州水軍を評価してたのか?
>>593 自分が死ぬ前に孫・劉を始末しときたかったんじゃねーの?
595 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 19:11:28
>>590 油断というか、必要性の問題だと思うよ。
そのころ、劉備は根拠地を持たない流浪の浪人集団。
孫権にしたところで、地方豪族の親玉にすぎないわけで。
こんなの潰すために万の軍勢を起こすとなったら年単位での準備が必要。
正直やってらんない。
それよか、巴蜀の劉璋や涼州の韓遂をはじめとする後漢末からの異民族を巻き込んだ勢力、
北方の異民族も気になるしで優先順位は低かったんじゃないかと。
漢化された土地に対しては政治的な動きで対応することも可能だし。
596 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 19:29:53
>>595 だとしたら、曹操は完全に優先度を読み違えたな
特に呉の持つ潜在能力には気付かなかったわけだ
曹操は漢帝国の枠組みから離れた考え方はできない古い時代の英雄と言えるな
あの張昭が降伏派だったことを考えると
当時の良識から言えば孫呉は降伏して統一というのが自然だったのだろう
周瑜やらが頑張りすぎただけで曹操の評価を下げなくても良いと思うのだが
実際、統一した人間がいないからと三国時代の群雄を見下す輩が多いが
実力や運が拮抗した勢力が三つあっただけだと思う
本当に統一できない能力の欠けた群雄達なら戦乱状態が続くだけだと思う
数えてみたら中国大陸を統一できた人物って毛沢東まで含めても11人しかいないんだな。
(始皇帝、劉邦、劉秀、司馬炎、楊堅、李淵、趙匡胤、フビライ、朱元璋、順治帝、毛沢東)
半分以上までいけたのは相当なわけで。
国を建国できた群雄は無数にいるけど。
599 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 19:47:58
>>597 拮抗したというか、初めての儒教が支配する乱世だったわけで、漢という巨大な幻想からの
政権委譲の方法や戦国時代のように徹底して相手をたたきつぶすことができない(聖人君子
の道を説く儒教の徒としてはそれができない)環境の中での争いだからね。
この、三国時代に執られた「禅譲」という政権交代の手法は、その後なんと唐末から五代まで
使われることになるんだし。
新しい時代を模索した時代であるわけで、何らかの形ですでに既定の路線があった王朝交代
の原型を作ったとも言えるわけで。
安能氏だったかな。「儒教のおかげで煮え切らない時代だった」って評したのは。
その11人のうち半分は前代までの統一への蓄積があって成し遂げたものだしな。
正直、統一したからえらいとか言われても、例えば司馬炎なんかはとても名君には
数えられないし。
601 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 20:10:44
自力で統一を成し遂げたのは
劉邦、劉秀、李淵、朱元璋、毛沢東
ぐらいかな?
始皇帝 → 戦国時代半ばの蜀の開拓成功から国力は飛び抜けていた
司馬炎 → 曹操の覇業と祖父・叔父・父の成果
楊堅 → 北周の外戚
趙匡胤 → 後唐を簒奪
フビライ →モンゴル帝国の一部
順治帝 → ヌルハチ・ホンタイジの覇業の最後の部分
こんな感じ?
戦国期の秦は国力は飛びぬけていたが国内の争いが激しくて到底統一できる状況ではなかったわけだが
>>602 孝公から昭王の時代までに、そんなに激しい争いなんてあったか?
>>601 細かい訂正だが趙匡胤は後周の後を受けた形だな。後唐じゃなくて。
>>602 かーちゃんが起こした反乱か?
あれぐらい、あの時代なら掃いて捨てるほどある騒ぎだが。
跡継ぎを巡る公子間の争いなんてのも普通だし。
606 :
601:2005/06/23(木) 20:51:51
楊堅と趙匡胤って似てるなー。
どちらも、前王朝が天下の半分以上を制して天下統一にリーチをかけた段階で簒奪している。
あ、司馬炎も同じか。
国内での王族の力が強くて国の方向性が一方向に定まらなかったんだよ
指導力で抑え込んでた始皇帝が自力じゃないとしたら誰が自力でやれたものかね
事実始皇帝の強烈な指導力が無くなった秦はあっという間に滅んだじゃないか
>>609 奸臣をそのままにして、その行いを掣肘するものが居なくなったのと、国の基を制度として根付かせる
役目を担うべき二世皇帝が無能であったことが原因。
始皇帝崩じてすぐに他の王族が立ったわけではないし。
同じような王朝の崩壊例としては隋があるね。
>>609 昭王は力を持っていた王族を排除して自ら指導力を揮い、半世紀も王として君臨して
周辺諸国を侵略併合しまくっていたが。韓・魏・趙・楚などは国土の半分以上も奪われている。
はっきり言っても、始皇帝が即位したころはすでに秦による統一は秒読み段階にあった。
はて、俺はスレタイを読み違えたのだろうか?
スレは生き物だからな
614 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 11:33:28
秦は、いつから最強国になったのだ?
>>601 これが適用されるなら
楊堅 → 北周の外戚
李淵 → 隋文帝の甥っ子、唐国公、妻は北周の文帝宇文泰の孫娘
は、恵まれ過ぎだろ?
唐は乱世を制したように見えて、隋の乗っ取りの側面もあると思う。
616 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 12:20:04
>>601 その理論が通用するなら
劉邦 → 秦を簒奪
劉秀 → 前漢の親族
朱元璋 → 紅巾軍の後継
李淵 → 隋から禅譲
毛沢東 → 中華民国を駆逐
こんな感じになって、自力で統一を成し遂げたのは誰もいないということになるよ。
617 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 12:38:36
おいおい、劉邦が秦を簒奪?
簒奪の意味を調べた上で、横山漫画でいいから劉邦について勉強し直しなよ
>>616 いくらなんでも無理ありすぎ。
お前の理論じゃ統一事業は三皇時代まで遡りゃならんな。
619 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 13:30:25
>>618 自力で天下を統一したのは劉邦だけだろ?
えっ?朱元璋は?
劉邦は項羽の覇業を上手く乗っ取っただけだよ
秦の簒奪ではない
623 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/25(土) 00:23:58
袁紹の事がとても良くわかりました
625 :
メビ:2005/06/25(土) 00:30:09
本初
袁術の字は?
628 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/25(土) 01:22:11
公路
袁尚の字は?
631 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/25(土) 14:42:55
>>615 北周武帝が北朝を統一したあとに、孫を帝位につけ最終的に禅譲を受けたわけ。
楊堅は北宗の官僚機構をそのまま引き継いでいるし、天下統一の覇業は半ば以上北周武帝によってなされた物だよ。
対して、李淵は煬帝に警戒されて力をそがれていたし、煬帝が倒れたときは突厥の兵を借りて長安に進んでるし。
まぁ、武川鎮軍閥の支援は受けられたわけだけども。
分裂した国家の統一では、王世充・竇建徳と言った群雄を打ち破っているわけで。
官僚組織は、隋王朝の発展形の組織だけど構成する顔ぶれは変わっているわけで。
楊堅と李淵を「帝室の親族」ってだけで同じとするのは無理があるというか、バカ?
>>631 バカは言いすぎだと思うが同意。
群雄割拠状態を通過して統一王朝を立てるのと、
ある程度統一の道筋が立ってる状態を引き継ぐのとではやはり同一視はできんよ。
>>601があげた面子は王朝建てるまでにどいつもそれなりに苦労してる。
李淵も隋王室の親戚ではあったが、叛意を明確にした時点では最大勢力ではなかったはず。
あの時点では統一に一番近かったのは李密あたりか?
あのとき一番天下に近かったのは魏じゃないかな
その次に夏とかかな
唐はやや有力な勢力ってイメージ
人材も魏に比べると、唐は大分しょぼかったしね
少なくとも、唐は宗なんかよりずっと苦労してるよね
袁紹の事がとてもよくわかりました(゚∀゚)
袁紹の話しようぜ。
袁尚は話がしたい
637 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/29(水) 22:24:53
巻き添えアク禁から復帰できたんで、袁紹の話に戻そう。
冀州奪取の時のように変に策を弄する様子を見るに、ちょっと性癖に暗いところが見えるね。
その後の、韓馥への対応を見ると、当時の政治的にはあり得ない対応をしてるからねぇ。
韓馥を敬って祭り上げておけば、人望も集まってその後の官渡もどうなったかわからなかった
んじゃないかな?
公孫サン対策だったとはいえ。でも、その公孫サンとの決戦では良いところが出まくっているけどね。
ここの差はどうして出たんだろうね?
袁紹は自分が流れの本流、要は主導する立場から外れる事を嫌う傾向にある。
639 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/29(水) 23:14:00
>>638 董卓が流れの本流になったとき、自分から離れたけど?
640 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/29(水) 23:57:25
>>639 どこ馬の骨とも知れぬ董卓の風下に立つのが嫌だったのでは?
董卓の親も宮中に官位があった訳ではないし。
「名門袁家の当主」。堂々と戦うのを好んだとあるし、これに拘ってたとは思うよ。
>>640 というか頼れるのが"名門袁家の名"しか無かったんだろうな
袁紹って名声を落とさないように凄く努力してる。
ゴージャスに帰省してたのに、許劭のいる街通る時だけ質素にしてみたりとか。
642 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/30(木) 01:05:28
無知がバレるから、あまり話すな
後ろ盾が無いとどうしようも無い時代だからなあ。
例えば袁紹が曹操や孫堅みたいな立場だったとして
上にのし上がっていけたかどうか。
はぁ?
>>645 個人の力量や性質なんかは周囲の環境と切り離せないものだから
そういう仮定は全く無意味だと思う
650 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/30(木) 04:21:58
>>640 当時の袁氏の頭領であった袁逢・袁隗は董卓に従ってるのだが。
この二人が生きている間は、袁紹が頭領なんてあり得なかったわけで。
袁術ともっとうまくやってたらよかった希ガス
あの世にいるホンショはさぞ悔しがっていることであろう。
>>645 孫堅はともかく、曹操の出自なら
曹操みたいに無茶苦茶しなければ三公だって買えてます。
654 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/30(木) 22:20:09
>>653 つーか、曹嵩が買ってる。太尉だったかな。
655 :
可児スルー ◆fRwkTN0m02 :2005/06/30(木) 22:21:55
曹操は出自もだが、祖父が宦官なのがなァ〜〜
>>655 しかし、祖父が大物宦官でなかったらエリートコース中央出世は難しかった
かも知れないよ。
祖父が大物宦官じゃなかったら、曹嵩は養子に取られないだろうから
夏侯家のまま。夏侯操の出来上がり。
乱世の能臣として本初の部下で終わりそうだ
658 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/01(金) 00:23:16
かもじゃなく絶対そう。
曹操が超エリート(洛陽北部尉は充分エリート)コースを歩めたのは大宦官の祖父のお陰(曹仁たちの父なども)と言っていい
「夏侯操」のままだったら官僚にもなれなかったかもしれん
袁家も宦官を出しているんじゃなかったっけ?
>>659 出しているよ。
でも勢族の一人に宦官がいるのと、一人の宦官の出世で一族が潤った
ってのは違うと思うよ。
荀ケも結婚で人物評価にミソ付けられてるから、やはり宦官に対する悪いイメージは
かなり大きいんでは。
661 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/01(金) 00:57:01
そうだよ
みんな誤解してるみたいだが、
袁氏は「権門」であって「名門」じゃない
確かに彼を支持した名士もいたが、名士を代表する存在ではないぞ。
袁氏自身は党錮と無関係だし
>>661 一人、党錮くらったのいなかったけ?
閉じこもってしまった人は党錮でなかった?
手元に資料なくてウロ覚えなので、間違えてたらスマン。
663 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/01(金) 07:23:30
>>660 あれは、同姓なだけで無関係だったんじゃなかったっけ?
まぁ、その同姓のよしみで党錮を免れてるんだが。
>>661 4代も栄達が続けば十分名門ッス
汝南袁氏をもっと遡れば、光武帝の頃に地方豪族として県令まで上ってるし。
前漢の袁良は孟子の易を学んだ儒者だったから、清流派に分別されるし。
汝南袁氏の父祖とも言える袁安は後漢3代の章帝の時に三公に進んでるから。
汝南袁氏が「名門」にならないなら、後漢以降起こった家で名門なんて無くなってしまう。
664 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/01(金) 22:24:10
後漢で真に名門というのは前漢以来の張、金、韓、韋氏あたりを言うべきだろ
後漢になってから、時に権力者に付き従うことで高位高官を得て来た袁氏は名門と言うには早いよ
665 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/01(金) 22:41:00
>>664 前漢と後漢は同じ劉氏の王朝だけど、中身は全く違う王朝なんだよ……
666 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/01(金) 22:55:34
>>664 袁紹の祖父・袁湯の兄弟の袁[ 目于 ]は梁冀誅殺の際に功があったと言われるけどね。
その、袁湯は梁冀に嫌われて罷免されているし。
決して、権力者にこびへつらって成り上がった一門じゃないぞ
紹と術 見てたらそうは思えないかもしれないが。
667 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/01(金) 23:56:43
張、金、韓、韋
それぞれ初代や有名人を挙げよ
張、以外は後漢末やそれ以降にも末裔がいる
それだけ続いてるんだよ
袁氏は勢力はあるが名門というほどか?
あえて言うなら新興の名族ではあるかもしれんがー
名門かどうかは言った者勝ち。
4代続いて三公出してりゃ名門というのも通用する。
>>668 そだね。陳羣なんかも祖父からの家だけど、なんか名門級のイメージあるもんな。
>>667 お前は曹洪は曹仁には及ばないから名将じゃないって言ってるようなもの
孔融は?
672 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/02(土) 20:31:32
>>671 中国史上かつて無いほどの儒教国家だから、
孔子から二十代も続いてる家は紛れも無く名門だろう。
675 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/02(土) 22:22:42
>>674 孔子の一族を「名門ではない」とするなら、中国史上「名門」と呼べる家系は一切存在しないと言うことだが。
現代まで血筋は残ってるしな。
(´ι ` ) なるほどねェ
677 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 11:09:48
「名門」の定義がはっきりしない以上、
財力と権勢がなければ、劉備の「劉」と同程度の価値しかないのではなかろうか。
日本にも「藤原氏」や「織田氏」はたくさん居るが、
金と権威を保持してる「徳川氏」(の本流)とは比べ物になるまい…
そこで俺的には 袁>夏侯 と考えてるが、どうだろう?
いや、袁紹・曹操の若い頃の時代においては、
袁>>>>>>>>>>>>>>夏侯
袁氏はその権勢ゆえに当世随一といっても良い評価を受けている。
一方、夏侯氏は曹騰に養子を出すまでは、
沛ではもしかすると顔だったかもしれないが(それも怪しい)、
国政レベルでは一般人みたいなもの。
夏侯嬰の末裔なんてのもヨタ話としか見てくれないだろう。
679 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 13:44:12
>>678 袁氏は陳国公家に連なる名家なんだけどな。
そのうち、汝南に移り住んだ一族が汝南袁氏。
陳国は聖王・帝舜の末裔が周代に封じられた国だぞ。
権勢故どころか、その由来においても袁氏が上。
夏侯氏はどこから出た氏だっけなぁ
>>679 当時、そんな由来をみんな気にしていたとでも思ってんの?
まして、舜の末裔だからといって官職や権勢や経済力を得られたわけじゃにあんだぞ。
そんな由来説明されても喜ぶのは現代の半可通の三国ヲタくらいだってば。
袁紹とかの当時でさえ話半分にしか考えて無かったって。
681 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 14:19:06
>>680 名族であればあるほどそういった「ハク」は重要。
孔融や孔イ由が孔子の末裔と言うことで官職を得ていた例もある。
地縁による推挙制度が地方豪族や名家が官職を得やすい環境を作っていたのも事実。
郷挙里選制はこの地縁による推挙を制度化した物だし。
九品官人法だって、実態は郷挙里選制の焼き直しになってしまったし。
中華帝国の歴史では昔の聖王やその末裔を重く遇するのは普通にされていることだしね。
特に、儒教の隆盛によって周代の価値観か重んぜられるようになった西漢武帝以降の漢帝国時代にあって
はそういった周代名族に対する価値観は無視できないよ。
つーか、周代から魏晋南北朝時代まで官職に就くために必要だったのは、血筋と地方豪族とのコネだぞ。
科挙がまともに行われるようになるのは唐の武則天の時代まで待たなければいけない。それでも、科挙出
身の寒人と貴族階級出身の官僚とでずーっと争いを続けて居るんだが。
おいおい、孔融が孔子の末裔を理由に官職を得ていたと言っちゃっていいわけ?
「聖王の正統な子孫」は封建され、客礼をもって遇されたりはしていたが、
それ以外は殆ど「周の誰の子孫だから」なんて理由で重用したり、周囲の見る目が変わったりはしないよ。
箔付けは確かに間違いなく存在したけど、だからといって周代の名族の血筋なんてのが(上記の例外を除き)意味を持っていたなんて知らんね。
実例を2・3教えて欲しい。
>血筋と地方豪族とのコネ
そのとおり。「数代前までの近い血筋」での話だけどね。
数十代は離れる周代の血筋がどうのなんて、マジで信じていた人は相当少なかったと思うよ。
683 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 15:02:45
>>682 言い切っちゃうか。
周代から続く名族としては、弘農楊氏。これは東漢の名臣・楊震の家系。
あとは、清河・扶風竇氏もあるね。竇太后の家系。夏王朝の末裔って事になってる。周代の封地はどこだったか忘れたけど。。
晋の大夫の梁氏の末裔たる安定梁氏もあるけど、やんちゃがすぎて梁冀の代で族滅されてるか。
弘農楊氏はともかくとして、外戚の家系に周代の名族の血筋が見えます。
皇帝の妻なわけですから、それなりの格が求められたわけですね。
とりあえず、現代の感覚で歴史を紐解いても理解しがたいと思うんだが。
人望は家柄についてくるのだよ?袁紹なんてその典型だ
686 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 16:55:53
>677
確かに徳川さんだと山田さんや田中さんよりなんか立派そうに聞こえるが、
特定の土地に根ざした名族の山田さんや田中さんもありえるわけだよ。
なんにせよ、金持ってるかどうかが重要じゃまいか
ちなみに織田氏や徳川氏は今の日本にいるわけだが、
羽柴氏って、実在するそうだが、ありゃなんなんだ?
とスレチガイ覚悟で言って見る。
687 :
韓国府総督 下賎な支那人 ◆7eecG0qcOE :2005/07/03(日) 16:58:59
素晴らしき総理大臣の東条氏もいるよ
最近の日本では細川なる室町時代から続く河内源氏の名族の嫡男が総理大臣になったしな。
で、袁氏が名門じゃないって主張しだしたやつは何が言いたかったんだ?
三公輩出、紹・術の割拠、ハク全ては袁氏がかなり恵まれた立場にあったことを示すわけだが
権門だったことによる袁紹のハンデとかあったわけ?
その主張がなければ取り上げるのも無意味な議題だと思うんだが
690 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 17:36:43
>688
なんだかかなり昔のことに感じる漏れは正常か?
>>690 スケールが百年とかの単位の話をしてるときの20年は最近だろう
692 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 17:39:01
羽柴姓は豊臣恩顧の大名家系のいくつかが名乗ることを許されてるよ。
袁紹の裏声のすごさよ
696 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 21:52:49
>694
蒲生のほかには、どんなやつらが名乗ってんのだろうか。
やっぱ福島とか石田かな。
でも、豊臣の血は引いてないとわかってるから、あんま価値が湧かないね。
袁世凱は袁紹と関係あるのか?
それって「隣の藤原さんって藤原道長と関係あるのか?」と聞くのと変わらんような
でも中国の大学教授に孔子の子孫がいるんだろ?
コイヅミさんが「罪を憎んで…」発言してたとき、新聞に載ってたぞ。
孔融の代で族滅にされてなかったんだね。
そんなの言った者勝ちでは、孔子なんて紀元前5世紀の人間ですよ
その末裔なんて自称しても孔子とどれほどの縁故があろうか。
>>696 汝南袁氏は三国時代に滅んでいるから袁紹徒は関係ないけど、陳郡陽夏の袁氏の流れをくんでる可能性はある。
でも、北朝の地はシャッフルされてるから、正直ワカラン。
移り住んだ異民族がその土地の名士の氏を名乗ることもあったみたいだし。
>>698 孔融は次男だし。
孔融と息子たちは曹操に切られたけど、孔融の兄弟には手を出さなかったんだっけ?
>>701 孔融の兄は党錮に連座して既に死んで居なかったか?
うろ覚えだけど。(後漢書かな?)
703 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/09(土) 17:48:10
>>702 Yes
融の家系は途絶えてます。
[イ由]の家系もあるし
ttp://home.att.ne.jp/iota/ten_tairiku/sangokusiryou/kakeizu_ka.htm#孔乂、孔融
微子-微仲衍-宋公稽-丁公申-?公共-弗父何-宋父周-世子勝-正考父-孔父嘉-木金父-祁父-
防叔-伯夏-叔梁?-"孔丘"- 鯉-?-白-求-箕-穿-謙-鮒、樹、騰-忠-武-延年-"霸"-福-房-均-志-
損-曜-完、讚-羨-震-嶷-撫-懿-鮮-乘-靈珍-文泰-渠-長孫-嗣セ -コ倫-崇基-?之-萱-齊卿-惟?-
策-振-昭儉-光嗣-仁-宜-延世-聖佑-宗願-若?、若愚、若蒙-端立、端操、端友-琥、?、? -拂、ハ、
晉、拯-元用、元孝、文遠、元措、元紘-之厚、孔之全、萬春、之周-浣、治、洙、貞-思晦、思誠-克堅-
希學-訥-公鑒-?縉-承-宏緒、宏泰 -聞韶-貞干、貞寧-尚賢、尚坦 -胤植 -興燮-毓圻-傳鐸-繼?-廣?-
昭煥-憲培、憲-慶熔-繁?-祥珂-令貽-コ成←今ここ
孔覇から別れた家系が孔融の家系だそうで
704 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/09(土) 18:00:08
ちなみに、上の系図通り孔家は春秋戦国の宋の家系と言うことになっている。
宋は子姓の国……つまり、商(殷)の王族が封じられた国。
その絡みからか、孔家は商の祭祀を受け継いでいるらしい。
705 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/09(土) 20:29:06
孔融って三男じゃなかったけ?
なんかに書いてあった気がする
706 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/09(土) 20:54:56
ちと教えてほしいのだが、
吉川三国志の官渡で鉄砲やら霹靂車が出てきて、
火薬とか大筒とかそんな描写が出てくるんよ。
三国時代てそんなんあったのですか。
707 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/09(土) 21:00:38
>>707 (´ω`)ノ[ 反三国志 ] ?
d?
反三国志では、孔明が火薬を発明した事になってる。
火薬は、不老長寿の薬を作ろうとした過程で偶然出来たらしいが、実際はわかんね
ちなみに初めて火薬を戦場で利用したのは、南宋VS金の採石機の戦いだったかと。
鉄砲が初めて発明されたのは元の時代だった。
で、普及したのは明以降だから三国時代にはない。
霹靂車ってのは官渡の戦いで実戦投入された「発石車」のことで、
それを袁紹軍が「霹靂車」と呼んでおののいていた、とされている
火薬らしきものは相当古い時期から発明されてた訳で
戦争でも何らかの形で使用されてた可能性はある。
下がりすぎたのでage
>>710 ビザンツの火炎放射器なんかはたぶんそうじゃないかな?
そっちは石油だろ
>>712 「ギリシア火」か?
原型はローマ共和国時代からあったみたいだが。
袁紹が勝ったら…いろいろ情勢が変わるからな
小石一つ動かすだけで人間の歴史って無茶苦茶変わるし
716 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/17(日) 21:58:50
やきうで、右中間を破った、って聞くたびに
淳于仲簡を破った、って想像して激しく悶える。
717 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/17(日) 22:10:52
718 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/17(日) 22:59:48
まず献帝廃立→適当に擁立→ギョウに遷都→袁紹病死→内部分裂→劉表中原進出→孫権荊州侵攻→劉表引き返す→馬騰長安奪取→曹操全滅→遅まきながらようやく劉備中原へ→しかしそこには息を吹き返した袁術陛下の大軍勢が待ち構えていたのだった!
つづく
それはない
>>718 内部分裂内訳(袁譚と袁尚、骨肉の争い。袁熈はオロオロしながら袁尚に付く→片方が敗死
→残党によりもう一方も戦死→忘れ去られてた高幹の出番だ!
→群雄、誰だっけそれ?と思うも結局思い出せないので無かった事にして話を進める)
→劉表中原進出へ続く
721 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/18(月) 08:35:10
>>720 劉々中原進出→孫権と対峙→馬騰軍乱入→袁家匈奴に攻め込まれ敢えなく滅亡→中原は三勢力に異民族を加え大混戦に→孫劉兵どん線を危惧し一次撤退→馬匈のガチンコ対決
→双方多数の死者を出し疲弊したところに我等が袁術陛下颯爽と登場し和解させる(その時の写真が社会の教科書の一番最後の方に載ってる)→中原は袁術陛下による暫定政権の管轄となりその威勢は世界の警察とまで呼ばれるようになったのだった
劉表の中原進出がまずありえない
袁術が息を吹き返すのがありえない
袁家が匈奴に攻め込まれるのがありえない
兵どん…兵站も読めないのか…
って言うかキモイからやめろ
723 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/18(月) 10:03:25
だったら袁紹が官渡に負けるのも有り得ない
ありえたから現実の歴史になっとるんだろ
バカか貴様
725 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/18(月) 10:31:15
結局歴史ってそんなもんだろ
726 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/18(月) 10:44:55
ずっとageで書き込んでんじゃねーよバカ
728 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/18(月) 12:46:54
有り得ないことが起きるから面白い
それが三国志
三国志に限った事でもないけどな。
まぁ歴史がダイナミックに動くのは大概予想外の事がきっかけなわけで。
袁紹がなんらかの形で勝てば、どう考えても安定(統一でなく)に向かうと思われる。
曹操対袁紹の構図で単純に捉らえているのが居るけど、漢という国を考えた場合、圧倒的に袁紹との融和率が高い。
曹操を逆賊と称する事があっても、袁紹を逆賊とする事があるだろうか。
荀或や陳羣などは曹操に仕えていたというよりも、漢の臣、と言う意識で居ただろう。
後に魏国に反旗を翻したのが清流派の文官らである事からも判る。
劉備、劉璋、劉表は漢には叛を起こさないだろうし、孫家も同様。
結局三国時代を経ず、漢と晋の中間の樣になるのではないか。
731 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/18(月) 22:28:51
>>730 >漢という国を考えた場合、圧倒的に袁紹との融和率が高い。
袁紹が(献)帝を廃して新帝を立てようとしていたのに融和率が高いって?
732 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/18(月) 22:51:08
>>730 >曹操を逆賊と称する事があっても、袁紹を逆賊とする事があるだろうか。
即位した皇帝を廃しようと算段していたやつを逆臣じゃないって?
単に献帝が正当でないと主張しただけでは?
曹操だって初めは歓迎されてたよ
735 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/18(月) 23:15:52
>>733 正当な手順で即位して、百官が万歳した皇帝を正当じゃないとするだけの物を袁紹が持っていたなら、
こそこそ裏工作する必要もなかったわけだが。
しかも断られてるし。
736 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/18(月) 23:22:11
その点玉璽持ってるってだけで天子を自負した袁術陛下は堂々とされておられた
袁術陛下が蜜水をすすって袁紹のもとに辿り着いていたら、と思うと無念でならない。
嘗蜜
>>735 仮に、正当でなくても根回しは必要。
派閥争いのようなものだから。
それでは根拠にならない。
それに、袁紹が断られたのはまた別の話。
袁紹の「名門であるという自認」が保守的に漢のシステムを維持する方向に向けば、
速やかに、安定した統治体制が作られるはず。
旧体制という印象の強いものになりそうだが。
>>730 は、劉備が漢王朝のためだけに滅私奉公したと信じているらしい。
741 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/19(火) 01:29:28
それより許攸がなぜ曹操に烏巣を密告したのかがわからん
淳于瓊が酔った勢いで自分で火つけたんじゃないかと思えてならない
742 :
730:2005/07/19(火) 01:30:19
>>740 そんなわけない。
それなら劉表や劉璋だって違うはず。
劉虞や荀或ならそうかもしれないけど。
庶民は体制なんてそれほど重要だなんて思っちゃ居ない。
筵売りが体制のために戦うだろうか?
曹操ほど変革を求めては居ないだろう、という事。
743 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/19(火) 01:33:01
まず、温泉に入っただろうな。
>>741 曹操と許攸は個人的な知り合いでそれなりに親交があった
烏巣の重要性を理解しているならここで自分が裏切ればどれだけ大きいかわかってるだろ
そしたら自分と仲もそれなりにいい曹操について自分の権益拡大した方がいい
元々袁紹陣内では許攸は肩身が狭かったようだしな
裏切る要素は十分
対陣中で何を考えたのか郭図が許攸を告訴したのが決定的に
するならするで構わないが、まんまと逃げられてる辺りアホとしか言いようがない
746 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/19(火) 08:51:06
>>745 そういや参謀陣が骨肉の争いしてたんだっけね
権益の為にとかでは危なすぎる橋は渡らないだろうね
清流派としてはもともと推移からすると、董卓が実権を握って以降袁紹こそが洛陽に入り大権を掌握して漢の大将軍に就任するのが正道と考えられていたと思われ。
格が下がる曹操が献帝を戴いて最初は抵抗感があったが、4年の間に徐々に正道が袁紹にあるべきという認識が薄れてきて、漢に仕える意図で多くの士人が曹操の下に集まる。
200年の頃には漢の軍である曹操の方が治まると考えられていても不思議ではない。
一応袁紹は当時、漢の大将軍なんだがな
GacktがKacktです。って言ってるAAありませぬか?
Gacktはラブソングとみせかけて、実は葉隠直系の武士道を歌っている。
士道ではなく、武士道。
衆道に通じる主君崇拝が現代において変形して、
「誰かのために死ぬことで自分の生を意味づけてもらいたい」という願望はそのまま冷凍保存されている。
スタッフ全員にスパーリングをやらせる尚武の気風、礼儀へのうるささ、男でも抱きつくなどの奇行、
現代生活において武士道を実践しているGacktは稀有のミュージシャンといえるだろう。
751 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/19(火) 19:53:50
そのあと、うまい料理に舌鼓
752 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/19(火) 20:26:33
>>750 マリスミゼルのメンバーで特に死んだドラムの奴は相当恨んでたらしいけどな
―――
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ヽ/ /\ \_ミ、_ ヽミ\ ヽ /
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ヽl:=ii;;;;=.、 ヽ`/‐`‐'´" .`レ!
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`:、 : 、 !
. \ : .) /ヽ‐、
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. \‐':.;;;‐;''' < Kacktです・・・
―――''^ ̄ ̄/ >、 ‐ / /
r' `ー―'´ /
`i ! r'´
! i、 /l
l !、_//
l ,;:;!!´ /
l l!;ツL./
! `l「
>>752 現在に至るまで次々とメンバーに逃げられまくってるManaと、その元彼女の性悪女社長が牛耳るバンド内で、
いちばん仲よしで有名だったのがカミとガクトだったんだけどな。
葬式の日取りは教えられなかったらしいがな…。
命日には必ず墓参りしてるし、公言はしてないが追悼曲もいくつか作ってる。
女よりも友人を優先する男だ、ガクトは。
例え袁紹が曹操より先に献帝推戴して中原押さえたとして、
袁術が黙ってるかな?
北上できないからあんまり関係ないな
むしろ同じ袁家の袁紹が帝奉戴してるのに袁術が帝僭称したりすれば実際の歴史より酷い展開が待ってる希ガス
>>747 清流派の連中の希望が袁紹をに大権、大将軍就任が正道ってのはどうかなあ。
頴川の人間は始め韓フクの元に避難していったら袁紹にすげ変わっていて残留。
そこから飛び出したのが荀ケと郭嘉。
荀ケは曹操の下に入り、そこから袁紹の所に入って居ない清流系の知人を引っ張りまくり&
献帝擁立画策。董卓の長安遷都に巻きこれた官僚層はここで吸収してると思われる。
軍閥の領袖の中での名門の大物でという意味で袁紹を支持したのが大半でないかな。
個人のビジョンをもって仕えていたのは極少数で後は流動的に仕えていたのではないか?
あと名門ゆえに門生・故史の多いのが袁紹(袁氏本流)の強みだと思うし。
759 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/20(水) 07:57:49
760 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/20(水) 13:05:32
炎症が勝っても、そのうち滅びる。あいつ愚か者だからな。
統一か戦乱のどちらかだな
ていうか統一したとして皇帝になるのか?
三国時代の鼎立状態を招いた漢室の影響がどう出てくるのか考えるのもおもしろそう。
劉虞擁立しようとあんなに必死になってたし、
献帝たてて統一ってことは無いような気がする
764 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/20(水) 13:43:16
袁紹が曹操より先に献帝推戴して中原押さえていれば、曹操はどうなっただろうか?
取り立てて新時代のビジョンを持たない人だから、もし官渡に勝ち袁紹時代を迎えたら、戴冠まで行かずに単なる後漢時代の内乱の時代として片付いてしまう時代だったかもね。
なまじ出世して後漢の宰相になっていたら中国の歴史家の一部にしか知られない人になっていたんだろうな。
766 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/20(水) 14:30:18
>>764 元々の勢力差があるから、ジリ貧で消滅ってのが可能性高そうだ。が、
曹操も荀ケも献帝擁立だけであきらめるとは思えん。
献帝以外の有利状況を作ろうとするだろう。
あとは何かしらミスに付け込んで乾坤一擲に出るか、
反袁紹同盟を創るかかな。
768 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/20(水) 17:36:41
曹操と孫権で「反袁紹同盟」か・・・?
しかし、たぶん劉備は袁紹側だろうな
>>759 リアルタイムのファンの間ではカミとガクトが仲がよかったのは常識なんだけどな。
表にあらわれたその発言のみをもって死ぬまで恨んでたと結論づけることはできない。
もちろん、そのときそのときにおいて感情の行き違いがあったであろうことは想像に難くないが。
つーか個人的にマリスミゼルは、フレンチポップやらゴシックやらシンフォやらワルツやらタンゴやらを
あえてお化粧してロックというフォーマットでやったという点くらいしか楽しめない。
88 :Nana:04/11/27 18:07:23 ID:Z4UxtI35
ホント今更な話だよ?
マナと社長のワンマンバンドって感じで漏れ違和感感じてたんだよね。
ガクト脱退については…
社長を恐れずハッキリ意見言えるのなんてガクトくらいだったし邪魔だったんでしょ。
ガクトばっか人気でちゃったし。脱退したのってガクトが作詞作曲両方やった頃だよね?
そこから歯車が狂った。
麺の金銭感覚がおかしい事とかも散々注意してたけどウザー(゜凵K)くらいにしか思っ
てない様だし。
ガクト行方不明みたいに言われてたけど、実際は家に居たんでしょあれ。
ガクトだけスケジュールを一切教えて貰えなかったから身動きとれなくて困ってたみたい。
ガクトがkamiの死を知ったのも報道でだし。
一番仲良かったのにすぐに会えなくてちょっと可哀想だった。
会いに行った事も社長は咎めたし。
Kamiの両親のファンお別れ会したいって気持ちも踏みにじったしね。
マナが言う『真実』なんて嘘で塗りかためられてたしね。
"彼の言葉に真実は見えなかった"
すげー神経してんなWと
証拠にはならないが、ま、こういう見解が普及してるってことで。
名前: Nana 投稿日: 01/10/04 20:46
だってカムイは行方不明とか言われたけどきちんと家にいたっていうし。
事務所から一方的に今後のスケジュール聞かされてなかったから、
動きようがなかったんだって。その間にマリス側はカムイが脱退した後の怒りのコメントを考えてたんでしょ?
右狂だって本音はカムイに付いていきたかった。
それにカムイが右狂の死を知ったのは、亡くなって暫くしてから。
これだけ暴露してもまだマリスを保護しますか?
名前: Nana 投稿日: 01/10/04 23:25
ガクとカミって、いつも何も知らせてもらえなかったし、
ある意味2人は、孤立してたんだよ。
マナばかりエコヒイキしてて、ガクはむかついてたんだよ。
それにね。ガクはカミの死も報道で知って、やっと会いにいけたのは2月1日
ガクがカミに会いに行ったことを伊藤社長は怒ったんだよ
たしかに、伊藤社長がいたからマリスは成り立ったんだけど、
それもどうかと思うし、カミの葬儀だってファンとのお別れ会をしたいと言ってた
カミの両親の気持ち踏みにじったのも社長だから
袁紹がもちっとしっかりしてたら、曹操が下についたままだったかもしれない
なんて電波飛ばしてみる。
無理かな?
そんな電波でいいなら、袁紹が完全無比な英雄だったら、千年帝国の祖となっただろう
本初カコ(・∀・)イイ!!
>>767 曹操は献帝擁立より前に敵を作りすぎてるんで
大同盟の領袖は無理ぽ。
誰も天下統一せずに、それぞれが勝手に王を名乗って独立ってのもありじゃないか?
官渡で決着がつかなくて、戦乱が長引いて膠着状態になったら、ありえない話では
ないと思うのだが。
曹操が中原の大部分、袁紹が華北と北方民族、劉備が益州、漢中と南蛮
孫権が江南、馬超が西方の諸民族あたりを収めて、そのまま独立国に。
その後、中国はヨーロッパみたいな小国群立地域になるのだ。
中国の歴史そのものを変えてしまった官渡の戦いって凄い!
電波でごめんなさい。
なぜ袁紹が天下統一って流れをそんなに必死に否定しようとするんだ?
778 :
776:2005/07/22(金) 01:02:46
>>777 袁紹が天下統一しても、たぶん政治的には後漢時代の焼き直しじゃない。
どうあがいたって、結局は地方豪族が実権を握ってるってのは変えられないしさ。
それよりもいっそ妄想をスパークさせて、中国の歴史そのものを変えてしまったほうが
ネタとして面白いと、俺の脳みそが判断したのだ。
どうせ妄想なんだから、するっと流してくれよ
異民族に蹂躙されることはなくなるだろうから
大きく歴史が変わると思うが……。
官渡で膠着したままだと曹操が押し潰されて終わるだけだよ
781 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/04(木) 14:27:48
あげ
782 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/18(木) 16:47:16
あげ
気づいたら止まってる。
袁紹が勝つためにはどうすればよかったのかね。
にらみ合って放置
785 :
貧血:2005/08/19(金) 07:35:29
>>783 大軍だから補給を万全にしてジワジワ進行。 消耗戦にもっていけば曹操軍の兵卒は瓦解&寝返り
時間かけれない理由があれば却下だが。。
田豊沮授の献策を取り上げる
>>786 その二人の策を取り上げちゃったら無策になってしまう。
つーか、官渡の戦いでもガチで曹操と遣り合ってボコボコにして勝ってたりする。
このとき曹操軍は壊滅に近い打撃を受けたらしい。(というか、袁紹は結構戦争に強い)
真正面から戦って勝てないから曹操は城に引き篭もったんだしな。
要するに、じわじわ攻め上げる戦をすればよかったんだよな、公孫瓚のときみたいに
>>789 じわじわ、とはいえども、会戦で公孫サンの野戦軍に壊滅にちかい損害を与えた
から、という経緯を忘れてはいけないでしょう。
195年の鮑丘の戦いでは、公孫サンの軍勢は大敗して二万もの損害をだします。
数字が実数とは断言できないにしても相当の敗戦だったろう事は、これ以降に
易京に篭もってる事からも推測できるかと思われますよ。
>>788さんの仰る戦いは陽武の戦いの事と思われますが、曹操が官渡へ退き
積極的な攻勢防御から持久戦に切り替えた事も、この野戦での敗戦が大きく
影響していると思われます。
(もっともこの戦いは戦力差が大きかったでしょうけど)
官渡で拙速策を求めたのは自身の健康に不安があったからと言ってみる
敗戦してすぐに死んでるけど健康に不安があったわけではなさそう
袁術も袁紹も敗戦後に血を吐いて死んでる
これ胃潰瘍とか胃癌の類だろ?
ストレスに弱い家系なんじゃないかと思う
こう言うのは遺伝するからな
拙速を求めたのは健康じゃなくて年齢じゃないかな
当時の一般的な寿命って50か60だからさ
年齢的に曹操と同年代かやや上だしストレスさえなければ210年代までは生きられると思うんだけどなあ
そこまで生きちゃうと曹操も覇業の道半ばにして死ぬだろうね
妄想終了
793 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/23(火) 10:23:05
>>792 中国人、戦で負けたあととか精神的ショックを受けた後簡単に血を吐いたりして死ぬからなぁ
「気死」って概念もあるし。
孔明に憤死されられた奴とかもいるしな
795 :
王朗:2005/08/23(火) 21:27:50
それって虚構…
演義だと孔明は人を憤死させまくってるな
現代ですら胡耀邦みたいな例もあるしねえ
799 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/24(水) 09:35:39
>>798 確か蒋介石が「気死」
蒋経国の言によれば、だけど
800 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/24(水) 09:49:16
憤死は自殺の言い換えの場合もあるぜ
まあ憤激→自殺だから間違いでもないが
801 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/25(木) 06:27:10
∩(・ω・∩)age
802 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/25(木) 19:38:13
陸ちゃん憤激〜!!!
袁紹は勢力の成り立ちがやはり不安定だよな
豪族名士有力者の集合体でなりたつ勢力の上にポンと袁紹がいて
曹操や諸葛亮のように中央集権化を推し進められる状況になかったので
袁紹でさえ有力者の意向に振り回される状況があった
後継を袁紹がキッチリ決めてたところで有力者達の利権の争いは起こっただろうし
それぞれを担いで分裂は避けられなかったんじゃないかなあ
カントで曹操に勝った華佗の手術で寿命が30年伸びたと二重の仮定があれば
いい線いくんではなかろうか
804 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/26(金) 03:27:19
>>803 >袁紹は勢力の成り立ちがやはり不安定だよな
>豪族名士有力者の集合体でなりたつ勢力の上にポンと袁紹がいて
東漢政権がまさしくこれなわけだが。
この政権構造は三国・魏晋南北朝・隋・唐 まで続く。
ぶっちゃけ、曹操も諸葛亮も地方豪族の権益はそうそう崩せなかったわけだ。
物資が豊かと言われる巴蜀の地で、兵糧の確保に汲々としたわりに饑饉等の話を聞かなかったり。
前線で屯田を行い兵を養わなければならなかったり。地方の豪族支配はなかなか強固だったのです。
地方豪族と正面から対決したのは武則天以降。科挙の厳密な実施が制度化されてからのこと。
というか、科挙そのもの(と、卿品)が地方豪族・貴族階級追い落としの手段だったわけで。
805 :
萌やし素麺:2005/08/26(金) 04:29:14
袁紹が官都で勝ってもアレだけ寝返りが出たら勝てん!寿命も近いし袁紹の性格と能力では中国統一は無理
俺の武将としの能力(武力38、知略62、政治力19、魅力48統率力30)かなり低能
さいですか
袁紹本人は天寿まっとうできても優柔不断が原因で呉の二宮の乱みたいな
後継者争いはじまって結局袁家の弱体化が起きそうな気もする
>寿命も近いし
これは何を根拠に?
敗戦の痛手で寿命を縮めて悶死・憂死する例も多いのですが……
809 :
萌やし素麺:2005/08/26(金) 16:31:35
袁紹の寿命と言うより病だな。袁術と袁紹は同じ病と言う説が有った(時期は違うが)まあ二人供敗戦後に発症した(袁術はスグに死亡した。袁紹は結構生きた)
小渕は憤死
>>807 利権争いで袁譚に付いたりする部下もいるから混乱していたようだが、
後継者に関しては袁尚だと決めていたぞ。
曹植がボケナスだったのが曹操がツいていたところだな。
袁譚もそれなりにボケナスだがそれなりに有能さの片鱗を見せたもんだから……。
もし、官渡で勝って210年ぐらいまで生きていたら
それまでに後継者争いを収拾できただろうかねぇ。
袁紹の事だ譚も尚も怖くなって殺してくれるんじゃないかな
816 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/28(日) 12:17:04
|∀・) ←ワクテカしてる袁煕
818 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/28(日) 13:37:55
袁煕が漁夫の利を得るのか?
819 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/28(日) 14:05:04
袁紹一家が途絶えたらやはり袁術がでてくるのか?
820 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/28(日) 16:59:55
袁と名のつく人々は何故もう一歩先へいけないの?
821 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/05(月) 00:18:21
age
>820
袁世凱とかな 時代違うが、こいつも…
>>822 20世紀に親戚みたいな自滅っぷりだもんな
袁家は後漢の四世三公の名門だが
前漢時代も三公だったの?
827 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/12(月) 19:11:08
いや全然。
後漢になってから出て来た家だよ。
828 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/15(木) 12:25:56
曹操と袁紹が拮抗する展開は、ありえなかったのか?
829 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/15(木) 12:27:06
830 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/15(木) 12:38:12
曹家と袁家が拮抗する事態か・・・?
831 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/15(木) 12:38:42
┏━━┓
┃━┏┃
┃ ┛┃
┃┗━┃
┗┳┳┛
┏━┻┻━━━━━┛┓
┃ ┏━━━━━┛
┃┃ ┃
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┗┫ ┃┃
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┃ ┃┃
┃ ┃┃
┗━┻┛
832 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/15(木) 12:58:17
袁紹が勝っていれば、曹操だけでなく孫権や劉備も滅んでいただろうな
833 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/15(木) 13:27:58
劉備は滅ばないだろ。
袁家の傘下に残って紹の死後に家督争い
劉表の元に行って表の死後に家督争い
紹が勝っても乱世は続くよ。
835 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/15(木) 13:44:25
>>834 君は袁紹がすんなりと国をまとめれると思ってるの?
紹の死後も何も起こらない?
へー
836 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/15(木) 13:48:35
837 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/15(木) 13:49:36
劉備は袁紹を裏切らないだろうし、孫権も袁紹に降伏する可能性だってあったはず
そうなれば、馬騰も劉璋も降伏して袁紹による天下統一が実現したのでは?
何で孫権が滅ぶんだ?
>>832 劉備は「とんだ食わせ者」という呂布先生の
お墨付きをもらってます。何とかなるでしょう。
840 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/15(木) 13:52:19
袁紹が勝っても寿命は短い
袁紹が死んだら後継争いで分裂
曹操も壊滅的打撃で再起困難
孫権が漁夫の利を得るか?
841 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/15(木) 14:03:24
袁家はお家騒動、曹家は虫の息(再起を図るが時間が必要)
孫家は南方進出に専念して中原には無関心
劉備が漁夫の利を得て、中原を支配できるか?
曹操は袁家のお家騒動で息を吹き返すんじゃないか?
荀ケたちも健在だし
843 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/15(木) 14:15:32
曹操も壊滅的打撃だよ、簡単に再起できるかな?
孫家は名家ではないしねぇ。袁家が覇権を握れば名家本位の世の中になって、
孫家の家来で名家出身の香具師が孫権を追い出して袁家をあがめる可能性はある。
845 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/15(木) 22:43:57
孫権が降伏しても、魯粛あたりが徹底抗戦するのでは?
846 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/15(木) 22:54:43
袁術が死なないでいたらさらに面白かっただろうと思う。
847 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/15(木) 23:12:49
袁術が袁紹の後継者になるのか?
つーか、自称皇帝ですから。ハイ
849 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/15(木) 23:51:46
袁紹が勝っても結果は同じだったかも
袁紹が勝利した場合、曹操と違って烏丸とか討たなくていいので南下開始はかなり早くなるだろ
その時、官渡時点で袁紹と同盟を組んでいた孫家は普通に臣従してそのまま豪族連合に近い統一王朝になる筈
851 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/16(金) 02:26:30
孫権が袁紹に降伏するのか?
>>851 宦官の孫の曹操にでさえ、張昭等の猛反対があったんだから
袁紹が帝押さえちゃってたら降伏論がさらに強くなると思われ
それはどうだろう。
主戦論者は、なにも曹操の生い立ちで宣戦を決めた訳じゃないだろうし。
854 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/16(金) 17:19:21
孫権が降伏しても、周瑜らは抵抗すると思う?
855 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/16(金) 22:14:30
官渡の戦いに勝って一番得したのは曹操だが
二番目に得したのは孫権で、三番目に得したのは劉備ではないかな?
>>850 一戦で全てが決まればね。
曹操を捕らえるなり殺すなりすれば何とかなるかもしれないが、
そうでなければ、まだまだゴタゴタするだろう。
857 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/16(金) 22:22:03
袁紹が生きていたら、また再起できたと思う?
>>856 官渡の後、[業β]を落とした時、見つかった書状の話を知らないのか?
官渡戦時に曹操の部下のうちかなりの人数が影で袁紹と誼を通じていた
あそこで曹操が負ければ雪崩れをうって寝返りが始まり曹操が存在していようといまいとあまり意味はなくなる
勿論最上は捕らえる事であるのだがそれに拘る必要はない状況になる
一戦で全てが決まりかけた所を引っ繰り返しての勝利だから奇跡の勝利だったんだよ
860 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/16(金) 22:33:25
曹操には関羽や張飛はおらんのか
かわりに許[ネ者]がいるでしょ
点がないのは許せ
862 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/16(金) 22:46:27
曹操は劉性じゃないから劉表にも劉璋にも相手にされずに悲惨な末路になりそう
>>857 南下開始がかなり早くなるだろうと言っているから、
そうとも限らないと言っているだけですよ。
>>859 苦難の時代から付き従ってきた家臣も多いでしょう。
865 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/16(金) 23:00:53
曹操が劉備の立場になったとしても、益州を制圧できただろうか?
866 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/16(金) 23:04:24
その前に劉表に受け入れてもらえるかどうか
867 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/16(金) 23:11:38
劉備と違って再起不可能か?
868 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/16(金) 23:15:40
曹操が袁紹に降伏するという選択はありえるの?
それはあるけど謀殺されそう
袁紹の捕虜になったら「先祖返りしろ」とか言われて宮刑に処せられそうだ
871 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/16(金) 23:34:47
曹操は袁紹に降伏するわけにもいかず、逃げ延びて身を潜めるしかないのか?
>>868 有り得る
曹操はがむしゃらに進んで気が付いたら魏公、魏王と出世しただけで
最初の本人の願望は漢左将軍曹操って墓碑に刻まれる程度だった
勝てないとわかったらそこで素直に膝を屈すると思うよ
官渡の大分前に一度、袁紹に臣従しようかと悩んでた事もある
873 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/16(金) 23:58:17
曹操が降伏したら、孫権も劉備も降伏して、袁紹が天下統一か?
874 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/17(土) 00:13:46
曹操は袁紹の家臣に謀殺されるな。
>>873 劉備じゃなくて劉表では?
劉表は袁紹に従うだろうから劉備には選択肢がないと思う。
劉備と曹操が組むってのはどうよ
官渡の戦いの最中は劉備はまだまだ袁紹配下だよ
選択肢も何も存在しないんじゃない?
878 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/17(土) 01:59:15
>>876 有り得る。
敵の敵は味方、共通の敵は味方だからな。
おそらく、孫権曹操劉備連合だな。
879 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/17(土) 02:05:16
劉備は曹操とは組まないな。
大儀をどこにおくかだが、
自分が覇権→大勢力に反抗ということで劉孫曹同盟。
漢帝国復興→袁紹についてその後独立。
880 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/17(土) 02:12:50
曹操は呂布みたいになってたんじゃないの?
根無しで、他勢力から襲撃→裏切り→捕縛
呂布並みに嫌われ者だろ。
またはリカク・カクシみたいに果てへ逃亡。
>>877 汝南にいたから動くことは可能だが拠るべき場所が見当たらない。
孫権は袁紹の勝ち方次第では降伏しない可能性もある。
882 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/17(土) 02:16:28
883 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/17(土) 02:17:59
孫権が袁紹に降伏はない。
親父の仇みたいなもんだから、それはないと思う。
そんな胆しかないなら、赤壁の前に曹操に降っている。
884 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/17(土) 02:22:15
劉備が諸葛亮と出会うことはなかったかもな。
885 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/17(土) 02:23:43
時代の分かれ目の戦い
濮陽の戦い
官渡の戦い
赤壁の戦い
関中の戦い
886 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/17(土) 02:29:01
>>881 汝南に移ったのは、戦いの後半だと思うよ
>>882 顔良、文醜が敗れた後ではあるけど官渡の戦いの途中だよ。
888 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/17(土) 02:35:33
汝南の時点で負けが決まれば、おそらく
>>879のどちらか。
889 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/17(土) 02:38:44
当時の関係は
=同盟 ×仲悪 △やや仲悪
袁紹=劉表×孫権△曹操
890 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/17(土) 03:01:16
曹植が兄嫁がらみで兄貴からいじめられることは防げる
孫策は官渡の最中、袁紹との同盟に従って北上しようとした準備中に殺された訳だが…
何をどうすると孫権が袁紹と仲悪くなるのかね
892 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/17(土) 21:04:16
孫堅が袁紹に降伏することはありえないけど、孫策や孫権なら袁紹に降伏することはありえると思う
降伏じゃなくて臣従をするんでないかな
楽観論ばかりだな。
曹操も劉備も孫権もそんな甘ちゃんじゃないだろ。
それに袁紹は優柔不断だし、すんなり統一とはいかないと思うね。
優柔不断ってより油断大敵の方が正しいかと
官渡は許攸いなきゃそのまま押し潰されて負けてたんだから
官渡以後も倉亭とか色々戦してるが曹操は兵糧の問題で自分から攻めに行けてない
896 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/17(土) 23:29:00
袁紹と曹操と孫権と劉備の戦力比は?
897 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/18(日) 01:18:20
孫権が袁紹と仲悪いのは、董卓征伐戦の後のことがある。
袁紹と同盟というほどの堅い約束じゃないしな
劉表とは最悪だから、手を組むはずもない
898 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/18(日) 01:19:12
899 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/18(日) 01:59:01
>>898 袁紹:曹操+孫権+劉備=10:4.8
袁紹が圧倒的だね?
900 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/18(日) 02:54:57
てか、劉備に勢力は無いと思うのだが。
>>897 孫権を孫堅だと思ってレスする
孫堅は確かに袁術の部下のようなものだったので袁紹とは仲が悪い
だが孫策が袁術から独立する時に袁紹の派閥に入っている
だからこそ官渡の戦いの時には出兵準備までした
官渡で袁紹が勝利していた場合、どう贔屓目に見ても曹操に残る実効支配地域はエン州の南側だけ
史実では袁紹敗戦後も河北四州は已然として袁紹の支配地域だった
曹操は袁紹の影響下にあった地域を攻め落とすまでに8年もの歳月を要している
つまり袁紹の南下は曹操の南下よりも相当に早く始まると見るべき
孫策から孫権に代替わりして208年頃になってもまだ揚州全部に孫呉の手は及んでない
つまり袁紹に対して孫権は史実よりももっと少ない手駒で向わなければならない
さらに孫呉は徐州からの知識人を多く擁しているが彼らも徐州大虐殺を行った曹操よりもさらに抵抗感なく袁紹を受け入れるだろう
結論としては袁紹が勝利した場合、孫権はその意思如何に関わらず降伏または臣従をせざるを得ない
902 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/18(日) 10:28:53
>>901 そもそも袁紹が南下するかどうかの時点で疑問が生まれる。
904 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/18(日) 12:55:01
孫権が劉表打倒に積極的だったのは、孫堅の仇討ちより
荊州支配が目的だったのではないかと思う
呉の豪族たちは、中原より荊州の領地を望んでいたらしいから
その根拠として、赤壁の戦いのあと
1.曹操 VS 孫権・劉備連合…中原争い
2.孫権 VS 劉備…荊州争い
この2つの選択肢があったのに、あえて2を選んでいる
劉表でなくても、荊州を支配する勢力は打倒目標になっていたと思う
905 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/18(日) 14:09:26
袁紹が許を落した時点で、劉表は従属。そうすれば孫権も
荊州を狙う前に従属。
曹操は韓遂の元に逃げ復活を狙う。
袁紹には天下が安定する前に死んでもらって、後継者争い。
袁譚(青州)派に、劉備(徐州)・(潁川派)郭図、辛評、荀ェ
陳羣、鍾繇、淳于瓊、司馬徽と弟子・劉表か孫権、劉璋のどっちか。
906 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/18(日) 15:26:17
>>905 袁尚…河北一帯
袁譚…青州
馬騰…涼州
劉備…中原一帯
曹操…徐州
孫権…揚州
劉表…荊州
劉璋…益州
こうなったら面白いね
>>902 袁紹の南下は起こる可能性が高い
劉表とは表向き手を組んではいたものの官渡の時手を貸さない恨みがある
孫策の支配下は元々袁術の支配下であった場所も多いし自分の本籍地にも近い
そして袁紹は劉氏の命数は既に尽きており自分が袁氏の国を作り皇帝になるべきだと考えていた
こうなれば統一のため九州制覇のために南下する筈だ
908 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/18(日) 15:34:40
>>907 俺も袁紹って、最後は帝位を狙うんじゃないかって思ってた。
ここじゃあまりそこに言及してる人って少ない様な…
910 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/18(日) 17:26:36
>>907 読んでいたら、劉表と張繍が裏で手を握っていて、後で
邪魔していたので、曹操を攻撃できませんでしたと言う
いい訳ができるようしていたなんて妄想が。
911 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/18(日) 19:31:32
劉表と張繍は結んでいたが、官渡の際に張繍は降伏したろう。
劉表は
912 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/18(日) 19:54:41
袁紹は劉表と張繍に曹操の背後を突くように命じてて、それを機会に南下しようと思ってたようだが。
もろくもその計略は叶わず袁紹は南下する機会を失ったわけだ。
その前にも劉備が曹操を裏切って徐州を奪って、曹操が送った部隊を一度は破ったけど・・・
2回目は対袁紹部隊の官渡戦線にいた曹操の精鋭部隊をわざわざ送ったんだよ。
それを好機と見た袁紹の参謀の田豊は南下をするように命じたんだけど、袁紹はそれを断った。
もしこの時に袁紹が南下していたらまた変わったと思うんだよ。
結局は袁紹の判断力がすべての鍵になっていたことで、優柔不断が招いたこと。
そんな事しなくても官渡は本来勝てた勝負
914 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/18(日) 21:46:33
>>911 張繍が降伏したのが、劉表の了解の元という意味だったんだが。
915 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 13:17:41
曹操軍が袁紹軍の兵糧庫を占拠したあと、袁紹軍も曹操軍の兵糧庫を占拠していれば
どんな結果になったと予測できますか?
917 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 16:09:56
>>915 占領しないで焼き捨てただけなのでその前提が成り立ってない
919 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 17:25:05
兵糧庫の守りを固めていればよかったのか?
正解
事実張合βもその事を進言している(突っ撥ねられたが)
921 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 20:15:51
公孫サンが健在なら、官渡の戦いは無かった?
922 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 20:19:09
公孫サンが劉虞を攻めたとき、なぜ袁紹は劉虞を助けなかったのだ?
923 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 20:22:20
>>919 それが最後のチャンスを意味していたんだよな。
3度も袁紹は機会を逃したことになる。
やることなすこと、裏目だらけの人生
うん
それが本初クォリティだと思ってる
あぁ、やっぱりあっちにしておけば良かった
が、口癖
929 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/21(水) 14:45:28
本当に袁紹が曹操を圧倒していたのか?
930 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/21(水) 14:46:41
本陣と兵糧庫を分けないで、本陣に兵糧庫を置いたらよかったのに?
ループすんな
>>930 本営に全ての膨大な物資を集積する事は必ずしも得策ではないですし、よほど
補給線が安全でなければ中継点や集積所を経由せずに直接輸送する事は危険
です。
兵站基地や食料物資の集積所に択ばれる地には、ある程度の条件が必要です。
前線の集積地までにある程度の中継点が存在する事、水運の利点が得られる事、
敵の妨害工作を受ける危険性の少ない事、などが挙げられますが、袁紹の輜重
はそれまでにも曹操の派遣した別働隊に襲撃されており、烏巣を中継点に択んだ
のもその危険性をある程度緩和できる目算があったからと思われます。
933 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/21(水) 15:11:41
兵糧庫を2箇所に設置したら安全だったと思う?
その分、警戒のための兵を割く事になるし、管理も面倒になる
935 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/21(水) 18:35:13
その代わり、どちらか1箇所の兵糧庫が占拠または焼討されても
あと1箇所の兵糧庫が残っているから、まだ兵站線を維持できる利点もあるのでは?
残った兵糧で全軍を賄わなければならないし、
片方をやられればもう一方もという恐れが蔓延するのは自然な流れ
その前に前提として兵糧の集積地は軍の最大の機密で許攸が裏切ったように内通者が出ない限り相手は中々知ることができない
ましてや袁紹陣営にいた許攸にさえ曹操の苦しい兵糧事情は知られていた訳でそんな状況では裏切り者は出ない
許攸は曹操の幼馴染みでかつ自分勝手な性格な性格な上にトラブルを起こしたのは戦争状態になってからなので配置変更も無理だった
また袁紹もただ手をこまねいて兵糧を焼かれた訳ではなくて曹操の本陣を急襲してた
ただ守将が良くやって陣は保持され袁紹の軍勢は張コウ等の離反もあり崩壊した
もしそこで本陣が破られていたらいくら兵糧を焼いてもそのまま押し切られて曹操の敗戦になっていた
これは本当に偶然の上に偶然を積み重ねた奇跡の勝利だよ
袁紹軍は人間の機微が分かってないね
戦場に軍事機密を知る許攸がいるのに、家族を裁いて許攸は放置
自分の保身のために同僚を陥れる幕僚達
因果を求めれば幾らでもある
許攸が歴史に果たした役割は大きいな
統一王朝の出現を防ぎ三国時代を成立させた歴史のキーマン
941 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/21(水) 21:23:39
袁家が簡単に滅亡しなければ、赤壁の戦いも無かっただろうね?
袁紹が勝利していたら後漢王朝の焼き直し統一王朝が出来たよ
誰かまとめろ
まさか2たてる気じゃねぇだろな
諸葛亮篭ったまんま
945 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/22(木) 12:21:35
袁紹軍の本陣が陥落していても、同時に曹操軍の本陣も陥落していれば
どちらが勝っていたと思う?
痛み分け
947 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/22(木) 14:45:28
袁紹自身の自覚と統率の問題と思われ
948 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/22(木) 14:55:12
曹操軍の本陣が陥落すれば袁紹軍の勝ちだろ?
どのみち、袁紹軍も継戦能力がないので、退かなければならない
両者痛み訳
袁紹は主力が壊滅する憂き目に遭わないので史実に較べれば袁紹の勝ちに近いな
951 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/23(金) 12:15:47
曹操と袁紹では、どちらが漢の正規軍になるの?
952 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/23(金) 12:18:36
曹操軍に錦の御旗が上がったために袁紹軍は崩れた。
953 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/23(金) 12:20:46
>>952 数は少なくても曹操のほうが正規軍だったという強みがあるのだね?
954 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/23(金) 12:25:51
そう。
錦の御旗が上がったと聞いた袁紹は、兵を捨てて冀州に帰ってしまった。
955 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/23(金) 12:44:41
956 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/23(金) 13:00:22
まだまだ戦う気がある将兵はたくさんいた。
そこで踏ん張って曹操軍を押し返していれば、ああまで家勢が衰えることはなかった。
踏ん張ってたら、曹操の河北制圧が2、3年早まるだけだな
袁紹没後息子たちの仲違いが始まるまで曹操は河北にほとんど手出し出来てない
一致団結していられればって前提付きで曹操の河北制圧は踏ん張れば踏ん張るほど先に伸びるか制圧不可能
959 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/23(金) 19:28:02
>>1〜
>>39読んだが、名門の威光により降伏??
お前ら低能すぎるwww
>>958 袁紹自身が見たとおり、対曹操相手に奮戦してたのはもっぱら三男の袁尚。
袁譚自身は曹操と結託したり約束破ったりと節操が無い。
こいつも無能じゃないんだが、大マジで袁譚さえいなければ
曹操は手も足もでなかったんじゃないかな。
961 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/24(土) 01:59:22
曹操は、なぜ袁譚を登用しなかったのだ?
使えない奴だから
964 :
無名武将@お腹せっぷく: