勝頼があほなんちゃうくて、信長が頭よかったんだよ
2 :
甘寧:2005/04/14(木) 13:07:46
このスレ一番乗りだ!
信玄が長生きしてても武田は滅んでたよ
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 14:03:05
たしかに勝頼はバカではない ただ降伏すべきだったね
ながしろのあと
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 14:31:18
じゃあ、てんもくあんで自殺すべきじゃなかったね
といっておこう
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 14:54:36
過去スレでガイシュツな案が延々ループするんだな
あと1年滅亡遅らせればいいだけの話やん。信長死ぬんだからw
武田が滅亡した直後だったから
畿内が空白になった訳だし
武田家臣を吸収した家康が最後に天下をとったってことは、武田があと1年凌いでたら、武田幕府が作られてたってことだ!
11 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 16:26:24
加藤等に狙われて家康の屋敷に逃げ込んだ石田三成のように、敵中に活を見出せば生き残れる。
そういえば武田信勝だかその子だかが逃げ延びて猿飛佐助になったっていう設定もあったな。
続々々にしたつもりが、気づいたら続々になってたんだ
あの時もし信長の和睦を受け入れて同盟結んでいたら
どうなっていたんだろ。
それでも武田は滅んでいたんだろうか。
秀吉が勝頼を使えば東国は簡単に手に入る
みたいな事いってたような気がするな
>>11 信玄・信長にあって勝頼にないのは駆け引きの器用さだな
つまりあれだ
信勝っちゃん生んですぐ死んだ嫁の伝手で
信長ちゃんと「元々は信勝生んだ俺の嫁の義父じゃぁあ〜りませんか」で
うまいことやってればよかったんだね
ただ、おやじ信玄の晩年の信長攻めについて言い訳を考えなきゃね
「あ、あれは親父がどーしても家康に一度ギャフンと言わせたかったみたいで、、
俺としちゃ、内心複雑でしたよ、、このまま織田家とも仲悪くなったら困るな、と、、
もう親父も死んだし、これからは若くして信勝生んで死んじゃった嫁の分まで
仲良くしなくちゃ、、、ひとつ若輩ですが、よろしくお頼み申します。
それから徳川さんにもよろしくお伝えください。
彼には近いうち、こちらからも直接お手紙書こうと思ってまつ。
ま、武田家は当面、上杉あたりをテキトウにあしらいます。
我が武田家が織田家や徳川家に敵対する事はありませんから、ひとつご安心を。
くらいの事やっとけば良かったってこったね
東は武田、西は織田でそのまま、日本を二つの国にわけるなら、織田との和睦もありかもしれんけど、
織田は天下統一を目指してたわけだろ
当時の織田の勢いを考えると、今潰さないと、どっちにしろ最終的に潰されそうじゃん
勝頼の采配は正直すぎて巨人時代の王みたいだ
家康は森祇晶のように嫌がらせを得意とする
信勝と佐代姫はやってた
21 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 19:45:00
勝って頼られるとは全く逆の最後でした
結局勝頼は馬鹿ってことか
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 21:10:24
黒髪の乱れたる世ぞ果しなき思いに消ゆる露の玉の緒
(黒髪のように世界は乱れていまして
信勝様と私の命も露のように消えようとしています)
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 21:17:26
結果論だけど、義信殺したのが不味かったな
>>14 信長の事だから機会をうかがって滅ぼしたんじゃないかな
変な妄想オタがいるな。
勝頼はバカ
28 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 21:41:18
勝頼って現代人だったら真っ先にオレオレ詐欺に引っかかりそうなタイプだよな
昨日のその時〜は正直期待外れだった・・
だって擁護しようがないんだもん
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 22:33:51
足利幕府を守るために信長との同盟を断るって明らかに嘘だろ
なんだ、ばかスレ立ってたのか
・信長との和睦案を蹴る(これはしょうがないかな・・・でももったいない)
・長篠の無意味な大敗(信玄じゃ120%ありえない戦い)
・家康に懐を突かれ、跡目争い中の北条養子長尾景虎への援軍取りやめ
景虎討ち死に、北条との同盟破棄(なにやってんだよ)
・高天神を見捨てて名声が地に落ちる
(いくら勝ち目なくても援軍出すそぶりさえしないとは、これじゃ見捨てられる)
・最後は女と老人数十人しか付き従ってくれなかった
(今までのわがままのツケが出ちゃったね)
34 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 22:44:44
>>33 勝頼は引くべき所で引かず、押すべき所で押さず、という感じだな。
性格が愚直すぎて駆け引きに向いてないんだろうな
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 22:52:00
氏真ですら朝比奈泰朝が同行したんだよ?
重臣が一人もいなくなった勝頼って・・
>>35 氏真は萌えキャラだが、勝頼は違う。その差だ。
37 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 23:01:53
勝頼と氏真はよく比較されるけど、ビミョ−にタイプが違うよね
>>37 比較なんぞされているか?
氏真は馬鹿殿様で、勝頼は戦争基地外だろ。全然違う。
まあ、どっちが早く国を滅ぼすかっていうと、勝頼の方だがな。
39 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 23:07:07
氏真は武田が滅んだとき「ざま−みろ」と思っただろうね
勝頼が戦争キチガイですと
41 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 23:09:13
ただのキチガイだよな
>>35 最後まで従ってくれた重臣は一応いる。
土屋以外は胡散臭い連中ばかりだがw
>>40 「俺は親父以上の武辺者だ、手前ら馬鹿にすんじゃねーぞ!」って
ノリで家臣にあてつけつつ、合戦ばっかしてましたからねえ。
45 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 23:13:49
関係ないけど、勝頼・夫人・信勝の辞世の句って天目山で詠んだわけだけど
織田から逃げつつも筆と墨は持っていってたのか
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 23:15:55
昨日の「そのとき」で新参の武士2人が名乗り出たとかいう話しって
要するに跡長コンビ?
>>45 なんでお前は必ず紙に書くと決め付けるのだ。貧困な想像力だな。
(っつーか、筆記用具を持っていないと決め付けるところも貧困だが)
辞世の句なんて、本人が書いたのや追贈されたのとかあるから注意
イヒ
勝頼公
おぼろなる月もほのかに雲かすみはれてゆくえの西の山の端
(雲でよく見えなかった月が晴れて鮮明に見えるように、向こうの
西の山の方向から織田軍が押し寄せてくるのが見え始めた)
信勝公
あだに見よ誰も嵐の桜花咲き散るほどの春の夜の夢
(桜の花が嵐によって散るように、武田の隆盛も嵐のような織田の大軍に
よって滅し、春の夜の夢のようにはかないものであった)
勝頼夫人
黒髪のみだれたる世ぞはてしなき思いに消ゆる露の玉の緒
(風呂にも入れず乱れている私の髪のように武田の治世は乱れ、かつての
栄華も思い出となってしまった)
52 :
◆Zz2vbA3gyA :2005/04/14(木) 23:35:33
テスト
景徳院に生害石が置いてあるから、やっぱり野外で切腹したんだろうね
北条夫人の辞世は甲乱記の記載によるもの。
(理慶尼にはまた違う作が伝えられてる)。
夫に殉じる若妻の心境と悲哀がよく詠われてるとは思うけど
型にはまった流麗さが目立つので、後世の創作のような気もする。
辞世の句は立会いの坊主が詠み与える場合もある。
58 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 00:12:26
信勝15歳でこんな完成度の高い歌を詠めるのか?
勝頼はバカ
正直このスレいらないだろ
北条院殿の辞世の句って、たしか遺髪と一緒に氏政に送った手紙の
中に書いてあったんじゃなかったっけ?
その手紙も、兄上様お怨み申し上げますという内容だったとかなんとか
>1
馬鹿スレ立てんなよカス
辞世の句って死ぬときに読むもんじゃなくて、死の前に事前に用意しておくもんだろ
歌の先生にもちゃんと添削してもらって
バカばっか
氏政への手紙って小田原城にあるあれか?
65 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 01:09:50
>>6 極論じゃ無いよ
正論
武田信玄は、自国支配も完遂できとらん
66 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 01:15:03
勝頼は矢口
ツマンネ
68 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 01:45:23
3人の辞世の句は景徳院建立の時に徳川家に居候している元大名に頼んで
詠んでもらった作品です
69 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 01:46:24
侍女も逃げればよかったのに。一度しかない人生なんだから。
>>33 >>・信長との和睦案を蹴る
和睦の先にあるのは・・ 信長に下る気がないなら決定的な力差になる前に潰さねばな。
>>・長篠の無意味な大敗
勝敗は兵家の常だからな。同じ大敗でも関ヶ原の石田三成よりはマシだろ。
1575年に長篠で大敗して1582年に天目山で滅ぶまで時間はあったんだから。
>>・家康に懐を突かれ、跡目争い中の北条養子長尾景虎への援軍取りやめ
>> 景虎討ち死に、北条との同盟破棄
北条が関東〜越後にまで勢力を伸ばすのもまた脅威だよな。
これは信玄でもどう判断したか。
>>・高天神を見捨てて名声が地に落ちる
高天神落城および城代岡部真幸の玉砕は武田滅亡の一環だわな。
>>・最後は女と老人数十人しか付き従ってくれなかった
最後まで切腹しなかったのは大望があったからと思いたい。
石田三成が斬首されたのと同じだろう。
魚津を見捨てて名声が地に落ち
織田の大軍が迫っていた上に
国内に反乱分子を抱えていた上杉景勝が生き延びて
五大老まで上り詰めてるんだから
運もあるよな
73 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 09:49:40
>>71 信長は案外優しいので、和睦しとけば大丈夫。
傘下大名にはされちゃうけど、家名を伝えるためならしょうがない。
当初のスレで出てたように
・勝頼隠居、信勝相続(後見)、甲斐一国、信忠配下へ
・信州勢は信忠直下へ編入
・勝長だって使えます。
ただ、こんな”屈辱”を勝頼は受け入れないだろう、と。
降伏して滅ぼされた北畠の事も思い出せ
75 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 10:48:19
それじゃ和睦じゃなくて臣従だろ
71の言っているのは和睦なだ
>>71 何が臣従だよ馬鹿が
形の上では思いっきり和議
下らん妄想してるヒマがあったら最低限の知識仕入れて来いクズ
>>・勝頼隠居、信勝相続(後見)、甲斐一国、信忠配下へ
>>・信州勢は信忠直下へ編入
>>・勝長だって使えます。
これが和睦と思う人いたらかかってこい
武田本家の後継に信長の息子ないし血縁を迎えるのが最低の条件だと思うな
永続的和睦=織田傘下に組み込まれる
だから。北畠・神戸みたいに
信勝は織田の血筋じゃん。
所詮養女の子で、しかも産んだ当人は死去
弱いだろ
信長に屈した北畠・神戸の当主の末路って悲惨だからなあ
勝頼が素直に信長と和解できなかった気持ちも、よく考えて見ると分からんでもない
徹底的に存在を拒絶されまくったほりえもんと信長がだぶる
>>80 龍勝寺殿は養女といっても織田信秀の孫には違いない。
83 :
四郎:2005/04/15(金) 12:34:35
御館の乱は解決できたはず。
影虎→関東管領上野半国支配。
景勝→上杉家相続越後・越中支配、関東から手を引く。
北条家→関東を支配。
勝頼→三国同盟、後顧の憂いなし、家康潰し。
実際急速に傾き始めたのは、乱以後の北条家を敵にしてから。
氏政が執拗に甲斐を攻める。
信玄と勝頼の決定的な能力の差は『外交』。
>>71 石田三成よりマシだからって、それで良い事にはならんだろう。
というか〜よりマシ、というのは意味無いだろう、
石田三成だって今川義元よりマシ、とか他の歴史上の大敗を上げていけば、
〜よりマシと言えるが、それに意味は無い。
勝長が武田本家を継ぐことを前提とすれば
於松も使えないかな?
信長も北畠・神戸シナリオ武田Ver.となると
さらなる長期戦は覚悟だろうから
信忠と於松の子を勝長の養子する位のことはするだろう
>>85 信玄直系で諏訪の血も入ってない
信玄からの家臣達を納得させるならその手だろうね
ただ、そんな暢気にかまえたかな
87 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 12:58:07
和睦にしろ臣従にしろ要は信長が
北畠みたく皆殺しにするつもりだったかどうかじゃないかな?
かといって勝長が信雄みたく皆殺しできたとは思えん
信長の一声あれば兵を出し、物資を出し、織田の一兵卒にも頭を下げるくらいの
気持ちで従えば甲斐一国安堵はされるだろうし虐殺も可能性は低いと思う
信長は降伏してきた波多野とかも殺してるからなぁ。
信長包囲網以降、信長の降伏者に対する処罰はどんどん厳しくなっていってる
武田の場合、虐殺はしなかったのではないかな?
でなくても長島の件で反信長の火に油を注いだわけだし
多少の強引な条件も突きつけたと思うが、それさえ飲み込めば
あとはいいよって感じで
源氏の名門は何かと利用価値がありだしな
確か武田家は公家や文化人ともつきあいがあったし
93 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 13:43:36
>>92 勝頼とは全く関係ないけど信玄と三条夫人の結婚は
天皇の勅命という説もある。
もし本当なら武田は朝廷ともつきあいがあったのかも…
ただ最後は朝敵にされてしまったみたいだけど
>>84 キモはそこじゃない。勝頼の場合は、滅亡までに少なくとも5年間程度猶予があったって事。
身の振り方を決めるには十分な時間があったと思う。
やはり勝頼は外交下手ということだな
朝廷とパイプがあったなら最悪な事態を免れる術もあったろうに
>>93 公家の間では武田討伐に反対する武田同情派の声も多かったという話もある
「歴史が動いた」でよく、足利幕府の権威を守るために、
光秀とか勝頼は本気で働いたとされてるけど、
そもそも日本が戦乱の時代に突入し、
全国の武将達が天下取りを目指し始めたのは、
肝心の足利幕府に、
権威や統率力がなくなったからじゃないのか?
なのになんで、無力でちっぽけな幕府の権威を守るために、
光秀や勝頼が、本気で骨を折ったみたいな風に、えがかれてるねん。
特に光秀は、将軍義昭とじかに会って、
天下を治める事のできる人物かどうか、知っていたはず。
あの番組のそこらへんが、いつも納得いかない。
骨を折ったのは自分の為って落ちじゃないの。
事実光秀は出世に大いに役立ったし、勝頼というか武田も西へ勢力を伸ばす口実と他家との連携に繋がった。
信長が利用できるうちは丁重に扱ったのと同じ具合に、価値が無くなればそれ相応の扱いになるな。
>>97 そう思うなら見るなよ
初めから歴史群像と大差ない番組だろ
TVは娯楽でしかないんだよ
NHKって特に公平を心がけなきゃいけない放送局だから、とりあえず、全員に肯定的な味方をするんじゃないのか
実際は、野心9割大義1割みたいなもんでも、大義をとりあげとくねん
101 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 18:50:17
>>72 しかし上杉の重臣達は次々と鉄砲に討たれてないよ
人の数だけ、歴史観は存在する。
武田の重臣が逃げ戦を得意としなかったのが原因じゃないか?
基本的に逃げ回らなきゃならん相手などいなかったし信玄が戦上手だったし
まあ兵力、物資の差があそこまであったらどうしようもないか
そもそも武田が勝ってきた相手ってのは
兵力、物資の差がある相手だけだから
逆の立場になったら実に脆い
105 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 19:00:22
ながしろで単純に死にすぎだろ 優秀な武将に兵士が1万も死んだ
ただ負けたならまだ立ち直れるけどこれだけ殺されると立ち直れん
多分使者1万人は誇張
全軍の2割死んだら大敗と言われてるのだから
長篠の武田が1万5000〜2万と言われてる中、1万死んだら超壊滅的
その後7年持ちませんですよ
107 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 19:21:32
二俣岩村見捨てたことはスルーですか?
108 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 19:23:51
7年もったのは「武田軍団」の貯金でしょ
>>83 これってその条件で景勝と景虎が反対したからうまくいかなかったんだろ
>>109 だから景勝と単独講和して駿河の救援に行った
そしたら何故かそれまで傍観していた北条が攻撃してきた
まあ勝頼としては北条が先に景虎見捨てたんだから自分が見捨てても構わないという気持ちはあっただろうな
112 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 19:56:39
東西から挟撃されるって最悪のパターンだと思うんだが・・
北条に徹底的に迎合すべきだったのか?
猫まんまもまともに作れない奴と同盟結んでどうするって話だよ
115 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 21:00:47
勝頼の外交って行き当たりバッタリな気がしない?
将来、どういう風に武田家を持っていきたいのかがよくわからない。
織田との同盟を断ったってことは、天下を諦めてないということだよね。
なら尚更、東方の安全に気を使うべきじゃなかったのかな。
勝頼が「自分が腹を割く代わりに武田の命脈だけは助けてくれ」といって腹割いたら武田は助かった
信長による北畠一族抹殺には、元亀年間に隠居した具教が密かに信玄と誼を通じて
助力を申し出ていたりしたからという説あり(書状もある)。
どのみち、降服も同盟と同じで政治の一環。降服して命を永らえようとするのなら、
相手に「降服を受け入れて生かした方が得だな」と思わせるよう努力を重ねなければ
ならない。もっと言えば、降服した後も信用を得られるように努力を続けなければ
ならないということだ。具教はそれに失敗した。
>>115 だから北条との敵対は明らかに北条が悪いだろ
>>117 信雄が北畠の伝統を止めただかなんだかが原因じゃなかったっけ
信長が勝頼に和議を申し入れたのが天正5年(甲陽軍鑑)だから、
信長に困った事情といえば、北陸戦線で謙信に追い返されたこと。
手取川は大敗とはいえないまでも、一方的にやられてる。
同じ時期に勝頼は遠江で家康を攻めているから、謙信との間に
密約(同盟)があったと考えられないか? 歴史家の中には
「その謙信も勝頼と固く手を結んでいた」とかいう人もいる。
もしも、義昭の「甲相越和議」を受けて謙信と勝頼、氏政が
組んでいたとしたら、勝頼の和議拒否の判断もあまがち間違いとは
いえないだろうな。天正3年に信長は「関東に出馬して上杉、武田、
北条の兇徒を成敗する」という書状を安国寺恵慶に送ってるし。
ところが、翌年の謙信の死が誤算だった?
121 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 21:37:22
>>118 勝頼が悪いでしょ
助ける約束したことは守らないと
>>118 道徳倫理的には北条の方に先に過失があったとも言える。
しかし、政治的には前方に大敵を抱えていながら後方の大国を、どんな事情理由があったにせよ
敵に回してしまったのは(結果論になるが)勝頼の判断ミス。
>>121 だけどあれ以上勝頼にどうしろと?
単独で景勝倒して景虎を後継ぎにしろとでも
前後の動きから考えると最初から氏政は武田と縁切るつもりだったんじゃないの、だったらどんな対応しようと
も北条は武田と敵対するんじゃない
>>124 前後の動きから、北条は景虎を助ける気がないことはわかるが、武田と敵対するつもりがあったかは分からないと思う。
126 :
125:2005/04/15(金) 22:20:22
日本語が変だった
北条は を 北条に へと修正
>>123 根拠のない想像ですが、例えば信玄だったら、景勝倒して景虎を後継者にしたあげく
様々な手練手管で北条の影響を排除し、上杉を北条ではなく武田の属国に仕立て上げる
陰険で狡猾な(もちろん褒め言葉)策略を廻らせたんじゃないかなあと期待するわけですよ。
むしろ、勝頼に足りなかったのはこの無神経なまでに利己を求める図太さではなかろうか?
(信玄の場合は後に悪影響を及ぼすほど溢れていたが、逆に勝頼にはほとんど見られない)
北条が約束した援軍をよこさなかったというのなら、「なら約束破ったから北条には越後の
利権はカケラもやらん。全部武田のモノだあ!」とか信玄なら絶対に言ってそう。むしろ
約束破ったのは独り占めするいい口実とみなしそう。
信玄の手腕を過大評価しすぎ
駿河侵攻の際に根回し不足で北条を敵に回し、さらに当時同盟中だった徳川に先制攻撃かけてこれも同時に敵に回して…なんてポカやってたぐらいだ
勝頼が信玄に代わっても同じだろ
>>128 むしろ更に悪い状況にしそう
北条と敵対しつつ、上杉には火事場泥棒して上杉とも対立とか
>>127 北条が援軍を出さない以上、武田が単独で景勝倒すのって無理じゃないか?
徳川織田と敵対している以上。
まあ当時の織田は武田にかまう余裕が無いから当面は徳川だけだろうけど、それでも厳しいだろ。
>>128 可能不可能ではなくて、よく言えばそれくらいの覇気をもって事に望んでほしいというか。
北条からの依頼で出兵して、北条が兵を出さないからどうこうなんてパシリにちかい。
軍を出すのなら、それくらいの主体性をもって行動してほしいというファンの願い
なのですよ。
やはり、いい悪いではなくて、御館の乱時の勝頼の主体性のない行動は政治的に問題が
あったと思うのですよ。北条を敵にしたことでさえ、自分の意図というより結果論なのだから。
>>127 北条が援軍を出すのが当たり前で、武田は北条の援軍の援軍でしかないからねー
なのに本来の援軍のはずの北条は兵をださない。
北条が領土拡大するなら武田の地が一番おいしそうじゃん
そのせい
本来北条は勝頼に感謝すべきなのに、何で逆切れしてるんだ?
勝頼がどうのこうのじゃなくて、氏政がなんかおかしいんだよ
>>133 だったら勝頼が何しようと北条とは敵対だな、むしろ景虎を助けて、兵を消耗した挙句越後とも敵対となるよりは
景勝と同盟結べたから、勝頼の外交は正しいんじゃないの?
>>135 まあ外交問題で北条を滅亡に導いた人間だから、どこかおかしいんだろう
まあ確かに氏政は馬鹿だよな、武田と敵対して武田を疲弊させたはいいが、戦果は織田と徳川に持っていかれる
武田と敵対せずに地道に関東で勢力を広げていれば、武田が滅びるのは更に先になりそのころには北条も織田と
戦えるぐらいの勢力になれたかもしれないのに。
氏政は目先の利益に踊らされて大局を誤った典型だな
そういえば氏政だけ信玄の生存を信じていたと言う話しもあったな
勝頼に氏政の外交オンチを理解して戦略立てろと言うのも酷な話しだし、御館はどうしようもなかったな。
信玄なら上手くやったかもな
越後は景勝、関東管領は景虎みたいな具合で
少なくとも北条に対して体裁はつくろっただろうな
信玄も親が偉大な人で領土もあそこまででかいのを譲りうけた状態だったらどうにもならんかったんじゃね
世代交代の時期って不安定で不利だもの
>>142 だからそれって勝頼が行った景勝景虎の和議内容じゃ…
交渉をまとめるのが信玄。
中途半端になってしまったのが勝頼。
>>145 それって同じ条件でも信玄ならできた勝頼なら出来ないって意味か?
何か勝頼にできたことなら信玄にも絶対できるという連中と同じような気がする
勝頼も優れた武将だが
信玄はさらに優れた武将であった。
>>146 信玄なら何とかなるという信頼感というか威信みたいのは現代でもあるように、当時もあったんじゃない?
こういう力が、外交や戦争の駆け引きを有利に持っていてくれる部分もあるだろう。
矛を交える前から信長が信玄を恐れていたのは伝わっているしな。
某小説じゃないけど、福島正則が家康相手では敵わないが秀忠相手なら赤子の手を捻るような物だって奴。
真田昌幸も徳川必勝策があるが、幸村では信頼にたる実績がないので実行不可能って奴もあったかな。
これ等と同じ。
実績が物語ってるよ
では信玄公万歳三唱でお開きにしますか。
>>150 信玄の外交実績って、なんか駄目なイメージがあるが
>>149 他者と他者の利害調整だから、十分な軍事力があれば信玄でも勝頼でも一緒じゃないか
>>152 信長包囲網も義昭が作ったものだしな
三国同盟もセッサイ
実際、信玄が死んだら崩れるの早かったじゃないか。
軍事力は変わってないはずだぞ。
>>155 何の話しだ?時間から考えて154へのレスではないと思うが
5秒か確かに早いな
一瞬包囲網の話しかと思ったが
>>153 調停者としてどちらが良くやるかだろ
信玄と勝頼を比べて勝頼のほうが勝ってると答える人は少ないだろう
というか何で最初の和議は破れたんだ?
上田家の主導権争い
景虎側が北条が本気で援軍出せば挽回は可能だと考えたからでは?
北条が碌に援軍を出さないと知っていれば無理に争いはしなかったと思う。
続き)…いえないけど、たしかに信玄は偉大だ
信玄って偉大か?まあ大名全体からみれば確かに偉大ではあるけど、実績からいえば5番以内に入らないのでは?
倒した相手も雑魚ばかりだし。
>>164 俺も聞きたい、倒した大名がザコばかりと言うのは同意だが。
でも煽りっぽいからもう別スレいってそうw
謙信と信玄が互角で、どちらも信長を破ってるから、1番目か2番目に強いんじゃない?
>>168 いや破ってないだろ
それに謙信はわりと信玄に戦そのものでは勝ってるだろ、劣勢のくせに
関東甲信越では間違っては無いな。
謙信と信玄は領土そのものは信玄が切り取っているから
戦術勝利が謙信で戦略勝利が信玄か。
信長は信玄にビビッてたし、信長直卒ではないが主だった武将が参加した
手取り川では惨敗だろ
172 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:18:56
謙信って5000も兵がいれば何万の敵にも互角以上に戦えたな
なんでやろ
太原雪斎が最強だって
戦術に関しては日本一ということだろう
>>171 「撤退中においつかれて、川が増水していたため雑兵が1千ほどおぼれた」
惨敗?
もう一つあげれば、信玄も信長を恐れていたよ。
というか信玄って戦下手じゃん
基本的に相手を上回る兵力でしか勝ってないし
基本的に相手を下回る兵力で戦をする大名が、着々と勢力を広げたことがあるなら名をあげてみてほしい
サイヤ人の王子(女の子)くらいか
>>177 戦の戦術手腕(戦闘手腕?)は並で、その1段階上の戦略には優れていたということだろう
>>175 惨敗だな
>信玄も信長を恐れていたよ
詳しく
「上杉に 逢うては織田も 名取川(手取川) はねる謙信 逃ぐるとぶ長(信長)」
こんな歌も出るくらいだからな。
>>177 まあ回りの強いのとは戦おうとはしなかったから、当たり前と言えば当たり前だな
まあだから雑魚にしか勝ってないと陰口を叩かれるんだろうが…
>>175 織田軍(信長)、謙信に惨敗じゃん
討ち取られたのが1000で、川に溺れた者、数知れず・・・。
謙信没後も、柴田勝家は河田長親が病死するまで、
戦線を立て直せなかったわけで。
信玄が信長を恐れてたって? どこで?
>>185 そんな戯言が広まるくらいだから、やはり惨敗なんだろ。
「信長公記」に書けなかったほどの惨敗
検証してみたいよな、秀吉が逃げて、
信長は岐阜城で震えてたらしいし。
190 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:41:02
織田厨によると信長公記に書いてないことは嘘っぱちだから、手取川も講談らしい
手取川合戦なら、勝家の書状が史料として残ってるよ
「北上するつもりですが、上杉勢の動きがわからない」ってな主旨で。
その後、逃げてるところを襲われて、アボン。
手痛い敗戦のわりには織田の主要な将が1人も死んでない事に疑問を感じるわけだが。
「信長公記」にも、勝家以下が出陣した記述はある
さすがに太田も、惨めな敗戦は書けなかったものと。
死んだから主要な将として名が残らなかったんだよ
信玄は確かに相手より兵力が少なかったことはほとんど無い、勝ち戦も兵力によるもので超一流とはいえないが
負け戦も少ないから戦下手はあんまりだと思う、確かに相手を上回る兵力で負けているのは情けない気も駿河
そんなのはほとんど無い。まあ戦の指揮に関しては無難な能力と言うのが妥当なのではないかと思う。
大敗に慌てた信長が勝頼に「上杉を討つために、これまでのことは
水に流しましょう」と、和議を申し入れ。勝頼は、なぜか拒否。
>>197 謙信が死ななかったらそこそこ勝算はあったと思うが
>>198 長篠は新しい戦法で、予期してなかったせい
今までの1:1の殺し合いが、鉄砲射撃で一斉に殺されまくったんだよ
始めてみたら、なんじゃこりゃああああ!!ってなもんで
>>200 いまだに、3段撃ち3000挺説なの?
うひゃーッ!!
だって勝頼は馬
>>201 馬防柵だろ
1段だろうが、あれがあったら酷いじゃん
殺しにいけないもん
武田騎馬軍団と織田鉄砲隊??
あまりにも、データが遅れすぎ!!
>長篠は新しい戦法で、予期してなかったせい
これは柵に特攻するっていう勝頼の斬新な戦法を予期してなかったせいってことですね
馬防柵はずっと昔からありました!
野戦築城の常識ですッ!
超自演やめてくれ
話しを戻そう
何はなしていったっけ?
反論できなくて荒らしにまわった織田厨のしわざだな
勝海舟の書に
「八王子千人同心(武田槍隊)」の記述があるが、
槍隊の密集隊形に驚いてる。つまり、武田の戦法は騎馬戦ではなく
長柄槍だったつーこと!
織田厨は害基地なので、落ち着きましょう!
論点を整理してって、何だったっけ?
じゃあ、なんで長篠で重臣ばっかりしんでしまったん?
>>213 謙信は強いけど、信玄は戦そのものは普通でいいんじゃないか
大体戦ったのは兵士だから、北陸の兵士が強かったってことでいいよ
甲斐の兵士は不潔にしてたからカユイくてあんまり強くなかったんだよ
謙信勝頼信長は強い 信玄は強くない
こうやっていっとけばおけば中国もおとなしくなるよ
>>214 相手を厨呼ばわりするほうが厨と思われやすいぞ、武田を応援するつもりならそのような発言は控えてくれ
こっちが迷惑する。
漏れは謙信厨だが、政略では信玄を尊敬するな
外交手腕はとくに。
じゃあそうやって自分が思ってればいいことだよな
結局自分が厨って言ってるのと変わらないから説得力なし
>>216 普通というけれど謙信相手に戦をしつつも奥信濃や西上野に
着実に勢力をのばし、対北条では三増峠で、対徳川織田連合軍には
三方ヶ原で勝っているのだが。
>>220 漏れは外交はあまり評価できないな、調略手腕と治水は尊敬するけど。
信長は弱いでしょうよ、桶狭間いがいは逃げ回ってばかりだし
信玄の戦わずして勝つに学んだのかもしれないけど
>>223 三方ヶ原は逆に負けていたらとんでもなく戦下手ということになると思うのだが…
むしろ戦場におびき寄せた手腕を誉めるべきであって。
227 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 03:10:51
信玄の外交でよく叩かれる点
・信長の媚び媚び外交に騙された
・駿河奪取の為に北条を敵にまわした
>>227 村上に和睦持ちかけたけど一蹴された
ソースは知らんがほんとかよ?
>>226 篭城を決め込んだ家康を野戦に引き込む、
立派な戦術だと思うが?
231 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 03:13:20
>>229 おれも知らんけど、そんなの叩かれるに値しないような気が・・
>>230 だから戦場での力量は普通でその前段階を評価されてるのでは?
まあ信玄の戦術レベルが普通以下ならば、寡兵で順当に負けた
徳川・織田・北条も普通以下ってことになる罠。
そしてサイヤ人の一人勝ち。
信玄と謙信を相手に
信長は男妾外交をした、ということでよろしいかな?
同じく男色家だったし。
>>227 信長との同盟は武田にも十分メリットがあるから騙されたとはいえない、そもそも一方にだけ利益があるような
同盟なんてありえない。
北条を敵にしたのは致命的だったけど、ついでに徳川も敵に回したし。
つーか、戦術なんてほとんどの場合は大して影響しないよ
数で頑張れ
>>227 >媚び媚び外交に騙された
信玄が信長と敵対を決めこむのは72年の義昭から御内書を受け取ってのもの
だから、それまでの信長の媚び媚びに騙されたとは言えないのでは?
それと他スレからの引用だが貼っとくよ
403 :無名武将@お腹せっぷく :2005/04/06(水) 22:50:41
>>400 致命的になったのは信玄の寿命も関係してるわけだし結果論かと。
まあ、武田を擁護すると北条は謙信の関東管領就任時の遠征で武田に危機を救われてるし、
その後も上野などで共同で陣立てもしてる。
その北条が駿河以外の四方に敵対勢力に囲まれる危険をおかしてまで落ち目の今川につき
なおかつ宿敵である上杉と同盟を結ぶことを予期しろと言うのは、
信長に光秀の謀反を予期しろということくらい難しい話だろう。
>>233 少ない兵で負けるのは当然だろ何でそれで普通以下とまで言うんだ
まあ負け方にもよるだろうけど
>>237 確かに上杉と結ぶと言うのはウルトラCだ
氏康は外交に関しては尊敬に値するか?
>>186 自分の倍以上の国力をもつ相手をどうも思わなかったら頭がどうかしている。
そして、自分だけでは勝てないと思っていたからこそ畿内の反織田勢力と結び、
朝倉が撤退したときにはあれほど激怒していたんだろう。
それから、河田長親は前にもみたがなんだそりゃ?
柴田は基本的に加賀の一揆と戦ったが、河田は越中に置かれていた。上杉配下の河田に
加賀の一揆衆への指揮権があったとでも?
>>235>>237 あくまで「よく叩かれる」と見うけられるってことね
織田の外交に騙されたってのは信長を贔屓しすぎだと個人的にはオモフ
駿河侵攻時の対北条に関してはちょっと今でもよくわからんが、少なくとも上手くは
ないかなと
>>237 というかそこの連中がこっちに来てるだけじゃないか、あそこは織田厨が幅きかせてて痛いし
越前の兵だけでは河田に勝てなくても無理無いと思う
織田も飛騨から美濃衆?が攻めたときはあっさり越中に侵入してるし
>>232 前段階というが相手を引っ張りだすのは戦術の部類だと思うが。
それに対小笠原や川中島の二回目などの戦術はすばらしいと思うよ。
>>238 そう、戦術的に同レベルなら当然。
だから信玄が普通以下なら同レベルと言ったまで。
武田の外交でまずいのは他にも
諏訪が落ち着く前に佐久攻めたり、小笠原と敵対してるのに村上とも敵対したりがあるけど・・・
>>243 それは御館の乱で上杉が内乱してたときだろ
どうあれ、手取川で勝って越前まで攻め込んでいながら結局織田から領地は奪えず、
織田の北陸方面も撤退することなく健在、翌年から通常どおりに軍事行動を開始している。
戦場で勝ってもそれを政治の勝利に結び付けられないという点で、謙信の悪いところが
モロに出ている戦いだと思う。
逆に織田からみると、軍事で負けていてもそれを政治の負けに及ぼしていないところが
うまい。
謙信は所詮守護代、信長は覇王
謙信が急死したからな。
それがなければ越前も取られそうな勢いだ、たしか遠征の準備してたし。
上で誰かが言っていたが戦術ではなく戦闘なら当てはまると思うけどね
実際に戦うまでは上手いけど戦場での戦いそのものは大したことはないとまでは言わないけど、
特筆すべきものではない、それぐらいの評価でいいと思う。
>>249 覇王ってなんだよ、そもそもは奉行の一人だろ
>>252 では「特筆すべき」戦いとは具体的にどのようなもの?
>>233 >徳川・織田・北条も普通以下ってことになる罠。
こいつらは寡兵で相手に勝つという実績あるからなー
信玄ほど堅実ではないかもしれないが
島津はなー、嘘みたいに強いからなー
草野仁vsマギー審司
耳川沖田畷、戦に強いと言うのは島津みたいな武将だろ
多数の兵で少数の兵に勝つ、そんなの勝って当然だろ
>>240 >自分の倍以上の国力をもつ相手をどうも思わなかったら頭がどうかしている
当時の情報で正確な国力比を把握できたのかね?
>そして、自分だけでは勝てないと思っていたからこそ畿内の反織田勢力と結び、
朝倉が撤退したときにはあれほど激怒していたんだろう。
つーか敵の敵は味方だろ。義昭を旗印にまとまっているのだし、
むしろ連携の痕跡がない方がおかしい。それを「自分だけでは〜」というのは
電波すぎ。朝倉撤退は信玄でなくても勝手に退陣したら怒るだろ。
>>177 戦下手かどうかはともかく
基本的に相手を上回る兵力でしか勝ってないし これは事実だな、それは認めるよ
相手を上回る兵力で戦をするのがなぜかネガティブに語られてるな
たえず常道を行った信玄がうかばれんな
264 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 05:04:56
>>248 手取川の戦いなんて存在しないという説が有力です。
実際、そのような戦いがあった形跡はありませんし、信用できる史料も存在しません。
おそらく七尾城救出に向かった織田軍が七尾城の陥落をきいて慌てて引き返したのが
織田軍敗北の噂になっただけと思われます。
ましてや上杉が越前まで攻め込んだなんて話しは俗説・講談の類にすらない妄想です。
>>250 謙信最後の大動員と言われているものは
関東遠征のものです。
ただし、たしかに大がかりなものではありましたが。
>>264 手取川合戦については良質な史料が全く存在してないのは事実。
特に肝心の信長公記に全く記述がないのは怪しいよね。
合戦で大敗北したにしては当時、織田家の武将が死んだという事実もなく、
全くの架空ではないにしろ小競り合い程度だった可能性の方が高いとはよく言われてるね。
雑兵レベルで損害出したんじゃないの?
あるいは上杉を恐れる余りに雨で増水していた手取川を強行渡河して損害出したとかさ。
267 :
264:2005/04/16(土) 05:49:24
>>266 君が上杉厨で
>>248 >>250を書いたのかな?
だったら上杉が「手取川の戦いで勝って越前まで攻め込んだ」がデタラメだとわかるでしょうが!
あくまで伝承だけど織田の兵士が長雨で増水していた手取川にはまって死んだという話しがあるように
上杉の兵士は越前どころか手取川も越えてないですよ。
というか越えたら後方が遮断されるわ渡河で損害は出るわで大変でしょう。
もっとも手取川の戦い自体、実在してないでしょうけどね。
馬鹿勝頼
269 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 08:04:21
上田原の悪夢
川中島の悲劇
三方が原の歓喜
そして信玄は死去
武田の次代を継いだ勝頼
天下への道、長篠
絶対に負けられない戦いがそこにはある
270 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 08:54:35
>>269 長篠で勝ったところで、天下への道は開けないんだけど
信長を討ち取れれば
272 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 09:22:08
273 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 09:25:49
ええいおのれら、武田騎馬隊なんかフィクションだとなんどいえば以下略
日本はね、歩兵しかないの 馬に乗ってる歩兵なの
武田信玄
諏訪を奪ったはいいが諏訪が安定する前上伊那の高遠や藤沢と敵対してる中、佐久に手を出したり
上伊那の諸勢力を屈服させた帰りに、まだ佐久を平定しきってないのに何故か小笠原領に侵攻して小笠原家と敵対したり
林城攻略によって一気に小笠原家を崩壊させたが兵を返すことなくそのまま軍を進めて戸石城を攻撃して戸石崩れ
義元死後駿河に侵攻してついでに徳川領にも手を出して徳川とも敵対
なんかいつも欲をかいて失敗してる感じだ
275 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 10:26:32
結局金山があったから、軍資金がアホほどあったからの武田よ
金掘りつくしたときが命運のつきるとき
276 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 12:52:18
1・長篠以前に同盟者となる
2・どうにかして長篠に勝つ
3・長篠以降に同盟者(服属)となる
4・逃亡して再起を図る
どの議論がしたいんだ?全部ガイシュツだけど
4を考えると、上手く逃げ延びても再起ってのは難しいかもナ。
家康に取り入って旧領に返り咲くか、関ヶ原や大坂の陣で散るか。
さっさと日本史板に帰ってやれよクズども
>>264 手取川を証明する史料は謙信書状と>183の歌などか、存在自体を否定する史料、
つまり他の史料との整合性で明確に否定されてるわけではない。
それに越前まで攻め込んだなんて誰もいってませんよ。
最後の遠征は上洛説と関東遠征説があったと思ったが関東説と言い切る根拠は何?
>>274 どっかのスレで見た書き込みだな
たしか史実に正確に書いてないと指摘されてたな
281 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 13:36:36
確かに勝頼が信忠・秀忠・景勝に劣っていたとは思えない。
ただ、信玄の後を継ぎ、織田・徳川に伍する人物としてはキツかった
ということだろうな
何かスレ進んでいるなと思ったら二万五千スレのループをしていたのね
283 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 13:41:00
>>278 三戦板の意味わかる?
わかったらさっさと死ね
>>281 どう見ても秀忠は馬鹿だろ?劉禅とあまり変わらない。
それは有能な勝頼・景勝・信忠に大変失礼に当たる。
(賢)勝頼――――――越えられない壁――――――秀忠&信雄(愚)
286 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 13:51:55
嫡子が後を継ぐ前に家臣たちに「こいつは馬鹿だ」とか「こいつは賢い」
と思わせる判断基準って何よ
秀忠が2代将軍に就いた時期を考えれば、大した問題も起こさずに
徳川幕府を磐石にした功績は馬鹿にできない。
政治力は凄いと思う。優秀な家臣も使いこなせる上役がいてこそ生きる。
288 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 13:52:41
>>279 >248が越前まで攻めたと言っているな。
ただ>248は織田厨のレスと思われるので織田厨の同士討ちか?
290 :
信玄:2005/04/16(土) 13:57:28
朝鮮さいこ〜
>>287 亀レスを承知で記すよ。
それは親父の家康が平和な世を積み重ねて築いた功績。
それに土井利勝・酒井忠世・安藤重信・青山忠俊などの優秀な
幕閣が大勢いたから。だからボロ出さずに済んだ。
有能な本多正純に至っては譜代の家臣なのに冷酷に改易してるぞ。
結果的いうと秀忠は無能ぶりは劉禅的。陰険さ曹丕的ってこと。
秀忠は2代目の役目を果たしただけでしょ。
既に戦国の時代は終わっていた訳で、個人的武勇や大規模な戦は不要だった。
自分の役割を理解していたと思う。
優秀な幕臣がいたじゃんというが、勝頼のように優秀な人物がいるのに使わない(使えない?)例もある訳で。
>>292 まあ、それは認めるよ。
…となるとこれも亀レスになるが、
仮に中国の三国時代に戦乱が早々と終焉して太平の世になれば劉禅は、
無能のレッテルを貼られることなく、それなりの政治家として、
名を残せたのではないかと思う。少なくとも戦乱向きの君主でないし。
そこが秀忠と劉禅の状況の差が生じた結果かも知れない。
294 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 14:22:59
ヤフー検索のヒット数では
「織田信長」・・・308373件
「武田信玄」・・・151001件
「武田勝頼」・・・23336件
(参考)今川氏真・・・5107件
勝頼のヒット数は信長の15分の1、信玄の7分の1に過ぎない
ところが、愚将という言葉を加えて検索すると
「織田信長 愚将」・・・95件
「武田信玄 愚将」・・・65件
「武田勝頼 愚将」・・・31件
(参考)「今川氏真 愚将」・・・13件
勝頼は信長の3分の1、信玄の2分の1にまで肉薄するのである。
(しかも信長・信玄は本人についてではなく、対戦大名や息子達について
「愚将」という言葉が用いられていることがほとんどである)
やはり世間一般の勝頼への評価は厳しいようだ。
勝頼も武田幕府の2代目としてはよかったのかもしれないのだが
>>279 逆にいうと手取川は謙信の個人的なものだけしか根拠がない。
手取川かどうかはわからないが攻め込んだ柴田軍が撤退したことは事実。しかしそれが
謙信の言うように大きな戦いで大勝利を収めたかどうかは疑問が残る。
信長公記は完全ではないという反論はあるが、地方のことでも細かに記述している公記で
記録がないことやほかの北陸方面の史料でも記述が無い事。他国にも合戦の記録が(噂の
レベルでも)見られないこと、勝った側に感状などの軍功の記録がなく、負けた側に軍を
立て直す動き(例えば、戦死した家への安堵状など)がないことなどを合わせると、「た
いした合戦ではなかった」という結論が出る。
この年十月には畿内の軍を信忠のもとに信貴山城攻撃に動員している点をみても、信長の
関心(危機意識)は北陸には向いていないことが見て取れる。
それから、謙信の最期の動員については「関東を攻めるためのもの」とはっきり明言して
いるよ(そう言って実は北陸へ目指すつもりだったという可能性ももちろんあるが)。
信玄・謙信があと30年寿命があったら、武田・上杉はどうなったかを
語る方が早くないか?
俺は両家とも存続したと思う
勝頼はなんで武田4迷信をつかいこなせなかったんだ?
武田が強かったのって、信玄が強いんじゃなくて、家臣が強かったんだよね
人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり だな。
>>300 じゃあ何で勝頼は駄目だったんだ。
>人は城、人は石垣、人は堀、
新府を2ヶ月で焼いた勝頼を見ると、まさにそう思うよな
>>301 義信事件で家臣に嫌われちゃったの しくしく
まあ勝頼は陣代であって、二代目じゃないから。
結局信玄が諏訪問題についてちゃんと対処しなかったのが、
家臣の不安を払拭できなかったんだし。
確かに義信を殺したのは信玄のミスだな
義信だったら上杉・毛利並には持ちこたえたと思うんだがね
>>305 最悪の事態はないかも知れんが、少なくとも信長の敵ではない。
信康と同等か、多少劣る程度だろう。
まだ政宗のほうがずっといい。
義信派粛清しなきゃ駿河攻撃できなかった
武田家の勢力拡大にはならなかったかもしれないが、織田徳川と直接対決する理由もほぼ無くなり
結果的に大名として長く存在できたかも
今川と一緒に徳川滅ぼしておけば、天正元年〜の武田は
「木曾と三尾国境にだけ兵を置けばよい結束力のある家臣団(当主は義信)」
になっていた
勝頼は不器用だなという気がする
勝頼は運がよければ蒲生氏郷のようなれたかな?
勝頼は所詮大名の器じゃなかった。
諏訪四郎時代は猛将で通ってただけに惜しいね。
信玄か義信の配下で終わっていたら猛将として後世に残っていたかもナ
>>280 そうだっけ?
史実に正確でないと言ってる奴が甲陽軍鑑か講談をソースにしているらしくて話しがおかしかったが、
まあ274の文章も確かに恣意的ではあるが。
315 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 16:16:13
毛利で言う吉川元春、徳川なら結城秀康、島津なら義弘・・これは言いすぎた。
確かなことは凡将では断じてない。
織田なら信孝か津田信澄だな。
今なんかあったな、なんだったんだろう?
あったな。サーバエラーが。
>>314 つーか晴信の家督相続前後の武田家を語るのに甲陽軍鑑をソースにせずに
何の史料を参考にしろと?
>>320 274からのこれって二万五千スレの話しだよな
確か一次史料からは何かの戦いからは確認できないという話しだった、状況的にもありえなさそうな話しだったし
中国が2chに攻撃してきたかと思った
>>321 それは晴信相続の政情不安をみての小笠原、諏訪の甲斐進攻のことだろ。
それは確かに疑問な出来事ではあるが、>274はそれ以外にも突っ込み所が結構あるぞ。
324 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 17:31:19
1・長篠以前に同盟者となる
2・どうにかして長篠に勝つ
3・長篠以降に同盟者(服属)となる
4・逃亡して再起を図る
どの議論がしたいんだ?全部ガイシュツだけど
長篠の敗退後、どんな行動取れば勝頼は信勝にきちんと国を渡せるの?
隠居
北条に臣従
少なくとも勝頼は切腹か隠居。
織田に臣従
あーあ 織田厨が来てまたスレが酷くなった
どちらかというと厨、厨うるせえ奴のせいで荒れてる
単に裏切られただけじゃなく、家来に攻められてアボンした
馬鹿殿をどうして好きになるかね?
>>305 上杉の何がどう持ちこたえてるというんだ
まさにたまたまだろう
信長がいなければ日本史は変わっていたが
勝頼がいてもいなくても歴史は変動しなかっただろう
そう言うな、織田も武田も生き延びなかったわけだし
織田は大名だっつの
337 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 20:43:53
>>279 その謙信書状に関しても「織田が案外弱かった」とか抽象的な事しか書いてなくて、
単に織田が七尾城が陥落したのを聞いて上杉と戦わずして撤退した事を
せせら笑っているような表現に取れるのだが。
京都の落書きも似たようなものだろう。
ただし、織田軍が謙信との直接対決を避けたというのと、
急いで撤退したため増水した手取川を渡河するさいに溺死する兵がいたというのは事実らしい。
まあ七尾城が陥落してない状態でない限り織田勢には付け込む隙はなかったろうし。
>334
気づいてると思うが、文章ヘンだぞ
>>337 「千余人討ち捕り、残る者どもことごとく河へ追い篭み候いける
折節洪水漲るゆえ、渡る瀬なく、人馬浅からず押し流れ候」
織田(柴田)勢、壊滅的だと思うが・・・。
手取川の戦いって謙信の自画自賛の手紙しか史料ないでしょ
織田方の武将が討たれたってこともないし
どう見ても過大だろう
>>340 一次史料を否定ですか?
勝家の不安そうな書状も残ってまつが。
>341
長篠設楽原も、じつは大した戦じゃなかったのさ。
勝頼がそう書いてるもん。
また織田厨か
344 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 20:59:12
>>333 運も実力のうち
もし三方ヶ原の戦いで信玄が家康の首に拘っていたなら江戸時代は別の人間が開いた時代になっていたわけで
上杉家は御館の乱に信長軍進行に関が原敗戦に世継不在で藩主急死に忠臣蔵事件に財政破綻寸前で版籍奉還と計6回のお家断絶危機を自力または他力で凌いできた
これだけ続くと本当に毘沙門天の御加護があったとしかいいようがない
>>341 一次史料といっても戦した本人の主観で書かれたものじゃん
織田軍の損害具合は過大だろうってこと
信長公記がなぜ出てくる?
だいたい秀吉が勝手に帰っちゃったりと内情不安定で、退く構えだった勝家軍のケツおっかけただけでなんで謙信がそんなに評価されるわけ?
信長本隊に勝ったわけでもないのに
七尾城から退却する織田勢を後ろから急襲し
ある程度、損害を与えて離脱したという程度の合戦だろうね。
「壊滅的」って事はないだろう。
それに謙信は川中島もそうだが、自分の主観ですごく戦果を課題に取る癖があるからね。
秀吉がビビッて逃げて
信長が安土で震えてたから
>349
手紙をよむかぎり、壊滅だな
ことさらに否定する史料もなし
やっぱり当時の時代を動かしていたのは信長だからね
その信長軍から小さいとはいえ一勝拾ったのは評価のステータスになるんじゃないの?
353 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 21:08:15
アホ謙信厨は救いようが無い
>>351 名のある武士も死なず、信長公記にすら記されてない合戦などたいした事はない。
仮に雑兵に若干の損害が出たとしても当時の織田の国力から言って無視できる程度のもの。
だいたい謙信など北条にあしらわれる程度の武将だし。
迷惑ですから、別スレ立ててやってください
スレ住人一同。
戻そう。その手取川で負けた信長が
慌てて勝頼に「これまでのことは水に流し、一緒に上杉を討とう」
てのが永禄5年11月の和議申し入れなんだろ?
>>352 織田に一回や二回戦術的に勝利した
大名・武将なんてごろごろいますが、
明智光秀を撃退した波多野とか、
信長の兄を殺した一向衆とか
>>349 「否定する資料がない」と何度言われても分からないのな。
感状が現存しないのが不審だというなら、
桶狭間の合戦だって存在が疑問だと言えないこともないし、
有力な武将の戦死がないというなら、
姉川の合戦での浅井勢の犠牲は大したことなく、小競り合いだったと言えない事もない。
感状、有力武将の戦死というのは状況証拠の一つに過ぎないんだし。
この程度の論拠では、否定は無理。
織田厨がくるとこうなる
自分達のスレが盛り上がらないからって必死杉
>356
信長の和議を蹴ったの、
勝頼と謙信が裏で同盟してたんじゃないかという説だな。
ちょっと、考えにくいが・・・。
誰か織田のスレ、作ってやれ
講和を拒絶しながら、天正九年になってようやく御坊丸を返すことで講和の道を探ろうとしたっぽいが…
どうにもな
上杉・毛利・本願寺・武田の第二次信長包囲網ってやつか
でもこれって第一次と比べて書状の遣り取りも残ってないし俗説と断じられて仕方ないかな
>>356>>363 天正5年末の段階で、勝頼が謙信をあてにしてたのは確かだと思うよ。
義昭が何度も「甲相越和議」書状を送りつけてるし。
第二次織田攻囲網
謙信の小早川隆景あての書状(越佐史料5-337)があるね
それと、六角氏の謙信あて書状(歴代古案)。
>369
武田との同盟の記述もある。上杉氏文書だけど(w
謙信が上洛しなかったんでアテがはずれてるけど、天正5年8月に
松永久秀がマジで挙兵したんだから、それなりに大掛かりな
仕掛けだったんだろ。
>>371 でも、その時期に勝頼は遠江に出馬じゃんか。
進む方向が違うんだよ、徳川は北条に任せとけばいいのに。
>>359 それは悪魔の証明だ。
「手取川は大きな戦で柴田軍は壊滅した」と主張する側が、その史料を提示すべき。
残されている史料に記録がない(証明史料の不足)。柴田軍のその後の行動をみても
大打撃を受けているとは思われない(状況証拠)。
これを否定して手取川が大合戦であったとする証拠(史料)を挙げる責任はそちらにある。
それから甲陽軍艦の信長が同盟を提案したというのも他の史料からの裏付けがとれない限り
そのままには受け入れられないな。
>>373 339 :無名武将@お腹せっぷく :2005/04/16(土) 20:50:46
>>337 「千余人討ち捕り、残る者どもことごとく河へ追い篭み候いける
折節洪水漲るゆえ、渡る瀬なく、人馬浅からず押し流れ候」
織田(柴田)勢、壊滅的だと思うが・・・。
これで、謙信VS勝家は終了!
ほぼ同時期に、松永久秀が謙信の上洛を期待して信貴山
で信長に叛旗を翻したのも傍証。
「軍鑑」の和議申し入れについては上杉家文書、謙信と小早川らの書簡
から、信長包囲網の完成がうかがえ、したがって信用できる
と思われ。
ことごとく沈んだ中、まったく指揮官以上の将兵に損害が無い織田軍はバケモノか!?(笑
>>371 天正五年の謙信の軍事目的は、あくまで能登。上洛なんて考えていないよ。
加賀の柴田軍を追ったのも七尾城救援軍に対する後詰決戦の一種。正確には救援に
間に合わなくて撤退中の軍への追撃になるが。
兵を捨てて逃げるから、あーんな狂歌で笑われる(w
おまいら、別スレ立てれ!
>>374 そちらの言を受け入れると、謙信は柴田軍が壊滅して加賀越前は無防備なのに
引上げたと。松永久秀と上洛の約束をしていて久秀はそれを信じて反乱を起した
のに、謙信は軍事的に余裕があったはずなのに見捨てて兵を返したと。
「冬が近かったから引上げたんだ」という反論があると思いますが、では謙信は
冬になれば引上げざるを得ないと判っていながら上洛の軍を発して予想通り冬が
きたから上洛を諦めて引上げたと。バカですか?
冬の到来と越後軍の撤退を読めずに謙信を信じて兵を挙げた久秀はバカをみましたね。
それと他の人もいっていたが、当事者の書状を検証もせずに全てを事実とみなすのは
思考の放棄ですな。
勝頼の書状によれば、馬場山縣内藤その他重臣達が戦死しまくった長篠は「ちょっとした
小競り合い」なってしまう。
>379
仰せのとおりですから、もう引き上げてスレを汚すのやめてくらはい
ここは武田勝頼のスレッドなのです
100万石かかえた大名が自害する寺もないってのがねえ・・
大名の正室・側室があわやレイプって危機に晒されたのも珍しい
誰か織田のスレ、作ってやれ
えーと話を戻すと。
甲陽軍艦にあった信長からの和議提案が本当かどうか。
本当なら、勝頼が断ったのは何故か。
断った可能性として、謙信との密約や同盟などによるものなのかどうか。
こんなとこか?
>>384 御意!
>>385 および、おのおの方
以後、勝頼に無関係の「織田」「上杉」レスはスルーでよろしこ!
387 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:36:23
そもそも謙信書状が謙信のついた嘘だという事を誰も思わないのか?
タイムマシーンで新府城に行き北条夫人の胸揉んだら俺どうなるだろう
>>384 しかし武田に越後あげたら柴田軍がやることなくなるじゃん
誰か、甲陽軍艦の和議の部分の記述を挙げてくれー。
>>389 うん? ちょい意味不明だが。
当然、分割ってはなしだろうと思われ。というより、
謙信上洛の噂で、情勢が逼迫してたからだろ?
和議申し入れが事実だとしても、謙信・北条と結んでいる勝頼が
何を理由に断ったかだが、関東の情勢ではないかな?
謙信の天正3年の大動員が、史料では関東なのだから、そうすると
「甲相越」の同盟は危うい。
>391
スマソ、「軍鑑」の品53出典だと思われるが、いま手元にない。
柴辻俊六氏の「武田勝頼」(新人物往来社)にも引用と批判が
あったはず。これも手元にない・・・。誰か、よろしこ。
ふーん、林屋辰三郎(日本の歴史・中公)なんかも
甲越同盟説なんだね。
>>392 >謙信の天正3年の大動員が、史料では関東なのだから
天正6年3月の誤りだと思われ。
関東越山は北条との戦いというより、結城の要請。これが内容不明。
>>394 勝頼との書簡がないのが不思議。
上杉文書の甲越和議の信憑性は、どうよ?
永禄五年というと、まだ勝頼は心情的に余裕だったんだろうか。
北条夫人を迎えたのも、この年のことだし。
まずった、天正五年だ
盛り返せる自信があったんだと思うよ、勝頼も。
北条氏政と兄弟になって、上杉が織田を負かしたあとなんだもん。
これからゆっくり、家臣団を再編成して、商人も家臣に加えて軍資金
も磐石に、と。信長が泣きを入れてきたんだったら「ふざけるな、このバカ!」
ってなもんだろ。いまさら、和議も出来んし。
なんでか、信長からの和議は「泣きつく」になっているな。
少し調べてみたよ。この時期、信長は伊達輝宗に謙信の後方を突かせようとして、
本庄繁長にも内応を呼びかけてる。この調略の延長に、勝頼との和議も
あったんじゃないか? 義昭の「甲越相和議」が本当に成っていたら、
かなり危機感を持っていてもおかしくないはずだ。
自分は、甲陽軍艦の記述自体に疑問を覚える。つまり、この和議があったとは思えない。
何故なら、この時期の信長に武田と休戦しなければならない理由がないから。
例えば後年荒木村重が離脱したときは、大阪包囲の崩壊、播磨の羽柴軍が孤立、さらに
波多野と結びつくことによって丹波の明智軍の敗退と三つの戦線に異常事態が発生した
ため、この時は朝廷も動かして本願寺、毛利との和睦を画策している。(同時に進めて
いた高山、中川への寝返り工作が成功し、各戦線の建て直しに成功したので和議は撤回
したが)
前の方に天正5年11月とあったが、その時期は手取川の詳細がどうあれ上杉軍はとっくに
越後に引き返しているし、畿内の松永も10月には滅んでいる。さらに言えば、岩村を失って
以降の武田は美濃に攻め込むこともなく、つまり織田領国に侵攻することもなくもっぱら
東海で徳川と戦うだけ。つまり、信長にとって武田はすでに自領を脅かす勢力では無くなって
いる。
>>400 義昭の「甲越相和議」がなったところで、信長からすればその三家は以前から敵対して
いたのだから対して状況に変化はないような。
北条が関東経営を諦めて全軍を西にふりわけて武田と共同して上洛を目指す、と言う
のなら話は変わってくるが。北条が上杉武田と同盟してやることは北関東の経略以外に
考えられないし。
>>401 うん・・。でも、ちょっと見落としているな。
謙信は天正5年の年末にかけて、越中と能登に分国法を定めてるんだ。
領国化しなかった謙信にとっては、珍しいというか最初の処置で、
加賀をめぐって、かなり政治的緊張が高くなっていたのは確か。
で、11月7日に、信長に内応したとされて柿崎景家が処断されてる
(なかった説もあり)。
謙信が越後にもどったのは12月(歴代古案)だから、「勝頼との和議」
(軍鑑では11月)よりも後のこと。この情勢で、勝頼を頼んだとしても、
おかしくはないと思うが。
>>403 >義昭の「甲越相和議」がなったところで、信長からすればその三家は以前から敵対して
>いたのだから対して状況に変化はないような。
以前からと言っても、同盟があったとしても天正4年7月のこと。
天正3年まで、謙信と信長は同盟関係がつづいてる。長篠設楽原で勝頼に勝った
から、信濃に兵を進めてくれ。と謙信に書状を送ってる(天正3年6月13日)し。
>403
謙信と本願寺の和解(信長との敵対)は天正4年5月!
この時期、すでに勝頼は謙信と同盟していたと思われ。
>>401 その時期、信長は毛利の水軍対策(天正4年7月に敗北)で大変な時期だったんだよ。
北から謙信、西は一向衆と毛利、東は勝頼じゃ、困っていたはず。
信長が謙信に大敗して、毛利と本願寺に手を焼いてると
知ってたら、そりゃ和議は蹴りますわな
大敗してないからな
>>407 困ってはいただろうが、そのうちの武田は完全に徳川に一任しているのがその時の信長。
信長はどうでもいいが、仮に甲越相の同盟軍が成立していたら
謙信の永禄3年の実績(11万)から考えて、北条が3万、武田が2万5千
軽く15万の兵を動員できるわけで、上洛しなくても鎌倉に幕府を開いて
将軍を立てて。というような想像をしてしまふ・・・。
>>409 織田厨ハケーン! みんな、スルーしる!
と、釣られてしまうw
またノコノコ出てきてたか・・・、では終了ッ!!
>>411 謙信には連合軍の総司令官になれる度量はないので一年ともたずに空中分解すると思う。
>>411 その11万って、北条に対抗するために集まった軍勢だろ?
「北条と協力して織田と戦う」なんて言ったら敵の敵は味方で織田と結ぶ連中じゃないのか。
>>414 ここ勝頼スレだぞ。
>仮に甲越相の同盟軍が成立
だとしたら、
もちろん勝頼が評定衆の筆頭! 景勝と氏政が同格の評定衆で、北条三郎(関東管領)を供奉。
謙信は隠居して後見役。佐竹、里見、結城、太田らが平評定衆で、将軍を近衛前久の推薦で
取り寄せる。で、畿内政権(織田・徳川)、西国政権(義昭・毛利)と三つ巴の戦い。
軽ーく、関東幕府が勝てるだろ?
関東幕府・・・。というのは、
謙信と氏康が関東府に固執したのは史実だし、信玄も西上説があるにはあるが、
相模の星谷に府を置くという構想があったようで、あながち妄想でもないんだな。
天下というのは天子様のおわす場所(京都)であって、
関東武士にとっては鎌倉が武家の府。これ、甲斐源氏なら当然です。
謙信は平氏→藤原だから資格無し。北条も氏素性がわからん。
420 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 02:29:50
そこで武田信虎ですよ
>>419 勝頼スレからはずれてスマソだが、謙信が弾正少弼を景勝に譲り、
三郎に関東管領を禅譲したのは、最近の研究では北条・武田との関東政権構想だったらしい。
没後に、身内から足並みが崩れてしまうわけだが。。
422 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 02:39:13
将軍を取り寄せって…
足利国朝とかじゃだめなんか
後世の史実(信長の近江政権・秀吉の大阪政権)から
単純に戦国時代を「上洛競争」と捉えるのは誤り。上杉と北条は
関東が天下と考えていたわけだし、じつは武田も同様。なによりも
雄弁にその内実を語っているのが、徳川の関東政権の成立。
戦国時代とは、京都政権(足利)から関東が政権を奪還する流れだった
という仮説も成り立つんだな。
424 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 02:43:23
後世の史実(笑)
>422
いちおう、鎌倉幕府の例にならって、公方は親王様か縁戚筋を
足利姓は手垢にまみれてて、もう駄目ぽ・・・
初代執権、源氏朝臣甲斐武田勝頼、いいね。
しかし、諏訪勝頼なんだよなぁ。
じゃーもう諏訪幕府でいいじゃん
>諏訪幕府
上品だが、ショボイなぁ・・・
うんまあ、初代執権武田勝頼の時点ショボイからそれは言いっこなしで
>>421 面白いね。詳しく読んでみたいから、誰の学説か教えてくれ。
>>430 421ではないが、
古くは謙信研究の第一人者の井上鋭夫の説。
最近では「武田氏研究」28号・「上越市史」別冊あたりを読んでみれ。
>430
謙信研究プロパーの学者は、おおむねその説だよ
でないと、天正5年の「名字尽」と6年の関東陣触れが説明つかんのよ
>>432 というよりも、御館の乱の家臣団の完全な二分化が、
上田長尾と古志長尾(上杉旧臣)の怨恨説だけでは説明できないから。
スマソ、スレ違いだが…。
いや、勝頼は信玄の遺言どおり、謙信と固く手を結んでいた
信玄「余が亡きあとは謙信を頼れ」
勝頼「ええッ? だって敵じゃん」
信玄「いいから、言ったとおりに」
勝頼「ふーん・・・」
4年後のこと・・・。
勝頼「やっぱ、親父が言ったとおりじゃん。信長の話、蹴っちゃお」
信長「どうした?」
勝頼「てめぇなんざ、いらねぇよ! ボケ」
信長「なッ、何だとぉ!」
勝頼「いつでも攻めてこいや」
信長「む、むうッ。であるか!?」
謙信死後
勝頼「あわわわ、わ・・・」
景勝「こっちも大変なのよ。味方してくれんだろ?」
勝頼「こ、困ったなぁ」
つまり、勝頼は馬鹿ってことか
>435
いや、親父の遺言に忠実であった・・・。
それと同様に軍艦に依拠するなら親父の遺臣には忠実じゃなかったわけだが
>軍艦?
そうだよな、もっと軍艦があればなぁ・・・。
軍鑑の著者なんぞに言われなかったのに。
「軍艦」があれば、信長なんぞに負けなかったよ
はぁーくだらねー
変換めんどかっただけなんだが そう、確信犯ってやつですよ
軍艦がなぁ……。www
信玄が存命の時じゃ信長が生き延びれる確立はそんなに高くなかったからな。
義昭の包囲網が機能してれば何にも問題はなかった。
勝頼を馬鹿にしてる人に取ったら浅井長政、別所長治、六角承定らも同じ先見性の無い馬鹿といわれるのかな。
>>442が二万五千上洛スレに宣戦布告しますた!!!
健闘を祈る!!
>>446 うお、ち、ちがうって、信じてくれーー
ぬれぎぬだー
>>401 >丹波の明智軍の敗退
これは時期が違うよ
>>449 都合の良いように解釈してしまうのが織田厨です
時系列など平気で無視します
典型的な信玄厨の自演だな
典型的な織田厨の切り返しだな。
俺はただのアンチ信玄だ
武田厨なのかは知らんが
織田について悪意ある表現が多いな
で、それを指摘されると厨呼ばわりで逃げを打つ。ワンパターン杉
所領(スレッド)のない尾張浪人(織田厨)の介入はスルー!!
以上、よろしこ!!
信玄と信長が直接やりあってないのが全ての原因だな。
戦っていれば信玄が勝っていたと盲目的に信じてる奴が多い。謙信も同様。俺もそう思うが。
信玄・謙信>>信長・家康>>勝頼
って構図が本当は勝っていたのに死んだから負けたと、織田を格下に見る理由だろう。
「天下人になったやつよりもこっちのほうが本当はスゴイんだぞ!」って心理ですか。
見方かえれば、信玄も謙信も寿命がつきるまでに天下を握る力を身につけられなかった、
ということだろう。
458 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 12:37:21
信玄なんて、在地支配も出来ていない二流守護大名じゃん
佐々木(六角)義賢や今川義元と同じくする公家大名では…。
信玄はともかく
謙信があの時攻め込んだところで織田に勝てるわけないだろ
仮に第2次手取り川があったとして二の舞になったら、反織田勢力が一気に盛り返すだろ。
織田の天下なんて足元全然固まってないから。それは謙信も同じだけどね。
462 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 16:05:45
都市部をおさえてる信長とド田舎大名を比較するのがまちがってる
武田の国力なんか信長の10分の1ぐらい
463 :
449:2005/04/17(日) 16:08:30
俺は織田厨だけどな
>>460 俺はそうは思わない、謙信が78年に織田領に攻めこめば多少可能性はあったと思う
別所の裏切りで播磨が孤立してる、その上秋に荒木が裏切ってかなりの兵力が播磨摂津に拘束されてるから
もし戦ったら手取川のときよりも織田は兵力が劣勢になるはず
うぜぇ作家の天下史観に毒されすぎ。
武家政権は関東でしか成立せんのよ、足利が倒れたのも
関東府が叛きつづけたから。その証拠に、信玄を真似た家康が
江戸開府。平家を騙るうつけや足軽ふぜいに、源氏の棟梁がつとまるか?
恐惶謹言 勝頼
>>464 信玄がいつ東に向かったんだ?
信虎以来、武田はずっと西志向だぞ。
>信虎以来、武田はずっと西志向だぞ。
あくまでも「西上説」
小説の読みすぎ?
417 :無名武将@お腹せっぷく :2005/04/17(日) 02:23:31
関東幕府・・・。というのは、
謙信と氏康が関東府に固執したのは史実だし、信玄も西上説があるにはあるが、
相模の星谷に府を置くという構想があったようで、あながち妄想でもないんだな。
>>457 厳密に言えば信長も天下人になるまえにやられたな。
それに史実でも信長は武田、上杉にびびってたしな
>>465 >信玄がいつ東に向かったんだ?
えッ?? 上野に侵攻して領有してますが?
小田原にも攻め入りましたが?
>>468 上野は対上杉戦の一環
小田原は駿河攻めの一環だろ
>>469 東美濃攻めも対織田戦の一環
遠江攻め三河攻めも対徳川攻めの一環w
言い出したら、北上説が最有力だな
あさっての方向に走り出す信玄wwww
関係ないが、大河の「義経」で武田勢が先陣だった。
久々に武田菱(四つ菱)見て、うれしかった。
473 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 21:28:10
勝頼が信長を倒すと仮定した場合
う〜ん・・・
誰か勝頼が勝つ方法おしえて
また織田厨が荒してたのか
やはり武田菱は栄えるな
476 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 22:51:09
やはり武田菱は笑えるな
478 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 08:08:55
で、勝頼が勝てる可能性があったかをおすえてよ〜
スル〜しちゃあイヤ!!
>>463 そこで謙信が勝った所でどうにもならん
1578年の話だぞ?
ゲームのやりすぎじゃないのかw
信長もヤバイと思ったからこそ、勝頼に和議を申し入れたんだろ。
ほかに理由が考えられん。
それは480が馬鹿だからな
匹夫が英雄の考えを理解できてたまるかよ
家来に殺されたバカ殿が「英雄」??
そら知んかったw
上杉勢なんて、動員できても1万ソコソコでしょ
西上なんて無理、あれは上洛に見せかけての、能登あたりへの反上杉勢力への
単なる牽制だけ
オヤジの遺産である二万五千を40人にしたのだから勝頼の評価が低いのは当然
>487
仮に上杉が1万で5万の織田を粉砕したのなら、凄いというしかない。
名臣なんて言われながら何も出来なかった高坂、馬場、内藤、山県、真田等が悪い。
信玄時代の板垣、甘利を見習え。
結局は、旧体制から脱却できなかった武田は消えるべくして消えた。
勝頼も悪いし、信玄も悪い
評価が高いのは、徳川が天下を取ったからで、武田滅亡後に家康が、旧武田系家臣を取り込むのに
信玄を褒めておいた方が都合がよかったからで、実情は、2〜3の割引が必要だと思う。
いや、6〜7割の割引が必要
戦国時代の一時期羽振りの良かった大名なんて他にいくらでもいる
武田もそんな地方大名の一つにすぎない
今川・武田両氏が滅んだことで日本の公家大名による、
貴族政権が終焉したからな。その前後に室町幕府が滅亡してるからな。
490 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 16:46:11
軍勢繰り出して信長領土を侵食、マジで焦らせた武田が偉いなら、
信長血祭りぎりぎりのとこまで追い込んでいる(朝廷介入で和議)朝倉はもっと偉い。
偉くない
武田はせっかく信長が日本をまとめて
戦国時代を終わらそうとしてんのに
古臭い田舎大名の癖に邪魔しようとした
武家政権(幕府=源氏の長者)も樹てられず、公家でもなく、
むなしく家来に殺されたバカ殿(信長)が、なぜスレの中心話題に?
それは、織田スレッドがないからであろう。
ここまで読んだ
公家大名に突っ込まないのは優しさなのかそれとも呆れてレスする気が失せてるのか
>>488 そんな地方大名にびびってた信長は池沼ですか?
495 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 18:55:51
>>493 呆れてるだけ
だって、上で、守護大名とちゃんと書いてあるレスに対して、
「公家大名」とアホ訂正してる香具師に、施す薬は無い
496 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 20:10:07
おいおまえらオチケツ。
支那畜のような意味のない誹謗中傷ばっかりだぞ。
親方の乱で勝頼がミスったのが間違いでしょ
>>495 書いてないじゃんww
どこにも守護大名なんて。
だったら『公家大名』でも全然問題ないだろ。
武田や今川のご先祖は元々京都の公家だったはずだろ!
平安期に武家として地方に天下りしただけ。頼朝もその点は変わらない。
『公家大名』なんて『普通』は言わないな。
『普通』じゃないから『無問題』
公家:(くげ)
朝廷に仕える役人の呼び名。
▽公家(こうけ)はもとは天皇・朝廷の意味であったが、
やがて朝廷の役人をさすようになった。
鎌倉時代以後は武家に対して、朝廷に仕える公卿・殿上人(てんじょうびと)
・地下(じげ)の役人(昇殿をゆるされなかった役人)をさし、
公家衆ともいった。
>>498 そりゃーまあ、源氏も満仲まで遡れば京都の下級公家になるが。
んなこと言ってたら、官位と位階持ってる戦国武将の全員が
「公家大名」じゃないか。信長だって官位も位階も貰ってるし。
むしろ、武家政権を開く資格としては源氏なのかどうかが問題。
ちなみに、勝頼は位階と官位のほかに義信の管領待遇を受け継いでるはず。
そういえば、平氏を騙る前の信長は藤原姓だったね。
じっさいは神官の系譜だったらしいが。
織田氏の発祥地の越前って神官を司った藤原北家の一派が多く、
特に斉藤氏や富樫氏が勢力あったな。もちろん忌部氏の後裔もいたが。
もしかしたら信長は発祥地を利用し藤原一門の姓名を便乗して、
右大臣に累進できたのかな??
506 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 23:42:23
>>498 藻前の目は節穴だ。
>>458 >信玄なんて、在地支配も出来ていない二流守護大名じゃん
>>459 >佐々木(六角)義賢や今川義元と同じくする公家大名では…。
~~~~~~~~~
>>505 いや、カネの力だが。のちに、その空しさを悔いて
官位を返上。無惨な死期を悟っていたといわれる
>>507 それじゃあ、松平家康が徳川で源氏になって将軍になったのもカネの力だな。
しかし虚しさも感じず悔いもせず官位を返上もせず、と。
そういや信玄もカネで信濃守護を買っていたな。
甲斐源氏は頼朝公の挙兵を主力軍として担った坂東武士団
上方の平氏の片割れと一緒にすんな、ボケェ!!
>>508 >そういや信玄もカネで信濃守護を買っていたな。
ほう? 出典明らかにせぇ!! 想像で書いたわけじゃねぇんだろ!?
>>509 信長の右大臣就任をカネの力というのなら、信玄も含めて他の大名の官位叙任も
カネの力によることになる、ということだろ。
>>508 おい、どうでもええけど順序がラリってるぞ↓
>松平家康が徳川で源氏になって将軍になったのもカネの力だな。
朝廷の権威に媚びて媚びきれず、公家側近の怒りを買ってアボンした信長
よりは、能力があったってわけでさ(w
>>508 >そういや信玄もカネで信濃守護を買っていたな。
具体的に出典明らかにせぇ!! 想像で書いたわけじゃねぇんだろ!?
>>508 >そういや信玄もカネで信濃守護を買っていたな。
史料は何なんだ?? 答えろよ、オラァ!!
できれば、
信長か右大臣を「カネで手に入れ」「虚しさを悔いて」「無残な死期を悟った」
という出典を明らかにしてほしいな
>>507 には。想像で書いたわけじゃあないんだろ?
武家の天下ってのは関東にいしかねぇんだよ!
信長の「天下布武」ってのぁ、畿内政権に過ぎんのだ!
わーったか!!!
>>514 >>508 >そういや信玄もカネで信濃守護を買っていたな。
具体的に出典明らかにせぇ!! 想像で書いたわけじゃねぇんだろ!?
>>508 >そういや信玄もカネで信濃守護を買っていたな。
史料は何なんだ?? 答えろよ、オラァ!!
思いつきか!? どこに典拠があんだよ、ゴルァ!!
>>508 マジで典拠示せぇ!!
>そういや信玄もカネで信濃守護を買っていたな。
逃げんな、ボケがァ!!!!
何とか言わんかい!!!
>>508よ
まだ居るんだろ? これから10分以内に出典が明らかに
出来ないのなら、こう宣告しよう。
>そういや信玄もカネで信濃守護を買っていたな。
は、思いつきのデマだったと!
>>508よ
心配するな、信玄は三条氏を通じて朝廷に働きかけ、
金品を寄進した見返りに信濃守護職を拝領したのだ。
信長も同様、謙信も家康も同様だ。
チャンチャン♪
521 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/19(火) 02:57:27
信長が始めに藤原氏を称し上洛の頃には平氏を
称したのはカネの力でも何でも無く単なる自称だろ・・・・
秀吉は既に平氏を称していたから関白になる為に
家柄の操作が必要だったが。
>>521 ちがう。秀吉は近衛前久の養子として、藤原姓を名乗り、
官位を取得。信長に関しては姓は自称だが、官位・位階は
カネと武力にものを言わせて。というところだな。
そこへいくと、武田はカネにものを言わせるまでもなく
朝廷と公方から媚びられる源氏新羅三郎義光公いらいの名門だから、ね!
523 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/19(火) 07:57:24
>>498 藻前の目は節穴だ。
>>458 >信玄なんて、在地支配も出来ていない二流守護大名じゃん
>>459 >佐々木(六角)義賢や今川義元と同じくする公家大名では…。
524 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/19(火) 08:16:20
>>522 その程度の家柄なら戦国時代に他にもあるが。というか義光直系としては佐竹の方が
上なのだが?
義昭はたしかに武田を頼りにしたが(利用したとも言い換えられるが)、朝廷はかなり
初期の頃から信長と結びついてお互い利用し合う関係に。
つまり、信長こそが武家の棟梁ならぬ
「公家大名」だと言っているのだ!!
526 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/19(火) 09:04:11
お前ら公家大名の日本一は土佐一条に決まってますよ。
↓が話しを男立ての乱に戻す
勝頼、北条と組めばよかったのにな。
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| 次でボケて!!! |
|________|
∧∧ ||
( ゚д゚) ||
/ づΦ
>>528 あんなに早く謙信が死ぬとは八幡さまにもわからねえよ
531 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/19(火) 14:21:06
おたての乱って、何で北条は景虎に非協力的だったの?
もっと気合入れて援軍出しても良かっただろうに
越後はともかくとして、上野ぐらいは押さえられたんじゃない?
序盤は、景虎方の方が有利だったんでしょ
氏政が相越同盟を一方的に破棄した時点で、既に景虎は一度見捨てられてる。
人質だったから殺されてもおかしくなかったからな。
小和田の本に「勝頼と結んだ景勝は」と書いてあるよ
勝頼に過失があるんじゃないの
534 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/19(火) 14:49:02
○和○さんね〜
535 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/19(火) 15:08:34
景虎自体を氏政が信用してなかったって事かな?
でも、兵を入れる大義名分にはなっただろうに、もったいない気がする。
動員力でも北条方が圧倒的だったのに、景虎を御旗にして上野の上杉領
をぶん取れた気がする。
結局は、関東に固持した北条の保守性の問題かな?
北条と結んでいれば小山田に裏切られることもなかった
勝頼は新府の労役で木曾を失い、高天神を見捨てて伊那衆を失い
親方の乱で小山田を失った
>>532 同じく人質だった柿崎晴家も何ごとも無く越後に帰国してるよな。
それでいて景虎は小田原に帰ってない。
>>535 勝頼には5月に出兵を依頼して出兵させておいて、
自分は6月になってから佐竹攻めに向かってるしな。
基本的に見捨ててるんだろう。勝頼も景虎も。
武田が上杉の内乱に介入して疲弊して
上杉も領内混乱してくれれば
北条はゆ〜〜っくり関東攻められるからな・・・・
なっ、北条アホだろ? 勝頼と景虎を見捨てて、じょじょにジリ貧。
それにしても、北条三郎景虎という存在がわからん。
謙信は本当に関東管領を継がせた(つもり)だったのだろうか? ワカラソ。
540 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/20(水) 00:18:24
ちゃんと氏政アホって書かないと北条厨は釣れないよ
それか統治システムの批判な
541 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/20(水) 00:23:34
アホなんじゃなくて
・どっちかっつーと織田天下の下での南関東支配を選んだ
・上杉をどうにかしようという余力がなかった
・んな遠いとこに構ってる場合じゃなかった
だと思うよ。
常識的につーかオマエラがあの当時の小田原城の主だとして、
越後の国内紛争に貴重な労力・兵力割けるか?割くか?
(越後から小田原まで突っ込んで来たあの毘沙門馬鹿は”常識外”)
つーか、信玄・氏康時代からだけど、越後攻めという選択肢ってそんなに下策かなぁ
いや、北条勢は単に寒がり集団だった。
三国峠の深雪を見て「さっ、寒そう!」「かんじきもねぇしな」
で、三郎見捨て勝頼裏切って撤退ーッ! 相模は暖かいもんネ・・・。
北条が越後まで支配と考えると色んな意味でバランス悪い
武田主導で、北条はあくまで援軍、1万前後
>>543 寒さもあったかも知れないが、上野と越後の国境は
上田勢(景勝)の拠点だな。先に北条(きたじょう)
を攻め込ませたが、地の利にまさる上田勢に翻弄されて
アボン…。勝頼も「氏政は何やってんだが」と思っているうちに
景勝が黄金と上野の割譲を対価に、和議。「仕方ねぇ」てのが真相か?
所領「自前スレ」のない尾張浪人「織田厨房」が来ないと
けっこう良スレになるね。と、実感・・・
普通に考えて越後1万に武田・北条でなんぼいるのかと。
越後1万も決して磐石じゃないし、その周りに後詰に出張ってくれる勢力もない。
でも、史実を考慮する限り難しかったんだろうなぁ。>越後攻め
永禄3年の信玄でも、国境の蓑冠城を落としただけで、
ほとんどカラの越後領内に攻め入れなかったわけだしなぁ……。
その辺がよくわからん
サイヤ人が絡むと常識で片付けられない現象が数々・・
つ 北条とともに越後国境を乗り越えてゆくスレ
>549
>サイヤ人が絡むと常識で片付けられない現象が数々・・
この意味が、ワカラソ・・・。サンカでいいの?
>>551 スマソ、サンカって?
傘下?参加?酸化?惨禍?産科?讃歌?三化?山河?三課?参化?参課?
>>552 551ではないが、サンカは山窩と書く。
サンカでもググれるから、後は自分で調べてね。
武田関連で言うと、大久保長安がそうだったという説がある。
彼については、松姫スレに詳しそうな奴がいるから、
そっちで聞くといいと思う。
554 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/20(水) 09:41:58
このスレ的に
「自称・毘沙門天の化身(新潟在住。彼女なし。京都大好きの粘着ひきこもり)」
のヒトのことだとだと思います<サイヤ人
>>551 >>553 はいはい、お花畑板あたりへ自主的に移動お願いします。
>>541 氏政はやっぱ関八州で一杯一杯だったんだな。
だから勝頼でもしばらく生き残れたんだろうが。
長篠の戦で負けた後、北条と同盟を組んだ時に勝頼自ら使者として
氏政に謁見していれば単純なウッチーは協力してくれたかもね。
>>555 だったら尚更武田と敵対する必要性が感じられないのだが…
>>554 純粋に疑問なんだがなんでお花畑板?
557 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/20(水) 12:57:14
いや、別に北条は越後まで攻める必要は無いと思うんだよ
ちょろっと上野の景勝領あたりまで、大軍を出せば和議に応じそうなんだけどね。
で、上野を頂く 安易かな?
それとも予想以上に佐竹がうるさかったのか?
なんでこんなにアンカーずれてるの?
>>544 血縁関係考えりゃ武田主導って無理でしょ。
勝頼に織田徳川と境接して戦いながら越後でもってのは。
だから春日山見上げて無理攻めを諦めて和議を結ばせようと
考えたんじゃないの。
>>545 だが9月になってから(遅すぎるが)弟たちが越後行った時は
普通に国境は超えて坂戸までは行ったよな・・・
氏政的には佐竹・芦名の存在が大きかったのでは?
中国人の知り合いが「全国の半分しか統一してない人が何で英雄扱いされてる
のかわからない」と言ってたよ
562 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/20(水) 19:53:34
勝頼が景勝支持になったのと、北条が徳川支持になったのは
どちらが時間的に先なの?
563 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/20(水) 20:10:26
つまり、
・勝頼が景虎を見捨てたから北条が同盟を破棄したのか
それとも
・北条が同盟を破棄したから勝頼が景勝に走ったのか
どちらなんでしょ
御館の乱で、4年後の北条夫人のオッパイの運命は決した
小山田が裏切っていなければ、岩殿から小田原に帰れたと思われ
>>561 中華では三国志の連中とか
項羽あたりは英雄でもなんでもないのか
>>563 御館の乱→景虎北条に支援要請→北条武田に援軍要請→5月勝頼越後に1万数千で出兵→
6月北条下野に遠征 勝頼景勝景虎の和睦を謀る→7月北条下野より帰還 時期は忘れたが一応景勝景虎の和睦成立→
→8月景勝景虎の和睦決裂 徳川駿河に攻めこむ? 勝頼景勝と単独和睦をして兵を引き上げる→
9月北条越後に援軍派遣(数千?)坂戸城を攻める 雪が降ってきたので越後より撤退→武田の違約を責めて同盟破棄
こんな感じかな
>>563 の問に対しては、一応前者ということになるのかね。
まあ北条のそれまでの行動が勝頼に不信感を与えたというのはあるだろうが。
氏政の弁護をしてみれば、勝頼が一万以上の軍勢で救援および和睦工作中ということで
よく言えば頼りにして、悪く言えば利用して下野に出陣したと。
出陣先が下野というのも、いざとなれば上野に転戦できるとふんだとか?
そして、時期によってことなるが和睦交渉の推移をみて(あるいは締結をみて)引上げたが
翌月の和睦決裂で再出兵。
>>569 もしその通りなら氏政すげー自分勝手だな
571 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 10:15:25
>>565 っていうか織田徳川の方向に投降していれば、
一応同盟関係なので北条まで送ってくれると思われ。<夫人
572 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 10:28:10
身の程を知れ
ということですね
俺の目は尻穴だ
やっぱり勝頼が悪いと思うよ
徳川に押さえの兵を出させつつ本隊は越後に留めるべきだったんだよ
友達にコピー頼まれたのに途中で自分の用事が見つかったから
帰宅するんじゃ、友情にヒビが入るのは当然では
>>571 浜松から逃れた氏真夫人のように篭城中ならともかく
山中での切りあいだから、そこまで丁寧な扱いができるだろうか・・
576 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 14:36:42
>>575 多分無理だろうね。
この時代、そういう事も攻勢側の兵の士気が上がる理由の一つでもあった訳で・・・・。
そうなると、北条夫人はじめ女衆が慣れない刀で一気に自刃した
理由もわかるな
>>574 俺は、北条が他家を頼った姿勢に問題があると思うよ。
本気で頼ってたかには、大きな疑問もあるけど
おたては、武田にとってよりも、北条にとっての方が勝負所だった気がするんだよ
まあ、結果論なんだけど・・・。
579 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 16:33:27
>>575 んだから新府や寺にいといて、甲府進駐軍が来たら投降
そしたら北条に送るでしょ。
>>578 だね
武田は勝頼が直接率いてたんだろ?
北条側に名のある武将は出陣しなかったような…
浜松じゃなくて掛川だったねスマソ
582 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 20:40:58
>>579 勝頼は北条夫人と側室だけでも寺に匿わせるべきだったよな
>>580 9月に氏那を出陣させてたと思う、兵力は3000で、で雪が降ってきたから一月も経たぬうちに撤退。
戦国時代の軍制を考えれば、三ヶ月ほども前に軍を編成して行動した直後にまた
大規模な軍を再編成するのは難しいだろうからね。
兵力3000というのは、それしか出さなかったというのではなく、直ぐに編成して
出陣できる数がそれしかなかったということでしょう。
>>574 「俺の身内だから(俺は何もしないけど)助けてやってくれ」と
既に信長・家康の二人と戦ってる勝頼に頼むのは論外でしょ。
>>584 おーい・・・・
信玄でも謙信でも勝頼でもいいが、みんな連戦する時は連戦するぞ。
北条に全くやる気が無いだけだろ。
北条の方が余裕あるはずだし
>>585 連戦というのは、編成した軍でそのまま、ということでしょう?
この時代は常備軍ではない。
一度解散させた軍勢をふたたび短期間で集めなおして編成し直すのは金も時間も
やたらにかかる。
「命令を下せば翌日には編成済みの軍が集結して行動開始」なんて信玄でも謙信
でもできやしないよ。大軍を編成するには、それなりの準備期間が必要。
>>568 をみると和睦決裂の直後に軍を派遣したように見れるから、急場しのぎで
とりあえず集められただけの軍をいそいで派遣したってのは間違いでもないと思う。
最初から北条が援軍出せば良かっただけ、若しくは関東での戦いが終わってからそのまま一部部隊を
向かわせればいいだけ。
589 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 13:50:06
>>582 夫人といえども、敵方になれば半分人質にするような時代だから
手放す意味が無いんじゃないか?
それに、小山田を頼った時点では、北条への大切な外交カードなんだから
連れて行くと考えるのが普通だと思うよ。
勝頼には、武田家が何よりも大切なんだから
590 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 14:31:24
勝頼は、夫人を北条方に返そうとしたが、
かみさんがきかなかったという話もあるんだが…
寺の匿いも同じく。
新田次郎か・・・。
592 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 15:24:36
謙信が勝頼だったら信長と同盟を結んでいる可能性が高い
謙信は「信長はそんんなに長く続かない」と読んでいた。
しかも、信長勢力の強さも分かっていたから
取り合えず同盟で期が来るまで乗り切る作戦を取っただろう。
同盟ってゲームじゃないしな・・・。
上杉だって織田と敵対した訳だし、信長にしてみれば、武田を残すメリットなんて無いよ。
結局は、旧式の在地支配システムの武田家が、時代の波に飲み込まれた。
ヒーロー(徳川家)の敵役は、強くて魅力がある方が、ヒーローが引き立つでしょ
そうゆう事です。
>ヒーロー(徳川家)の敵役は、強くて魅力がある方が、ヒーローが引き立つでしょ
>そうゆう事です。
これアテになるのか?よくある論法だけど
武田にのみ適用しても何も説得力ない気がする
武田滅亡後の徳川家は、武田家臣を必死で集めていたからね。
596 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 16:03:46
>>587 和睦自体は6月中に破綻して方々で小競り合いが始まってる。
勝頼は8月までは春日山には睨み利かせてたが
いいかげん本国を空けてられないから帰った。
北条氏政に弟を助ける気はさらさら無かったというのが
結局真相だろ。
アリバイ工作乙ってやつだ。
>>593 在地支配も何も、信長も支配体制はたいして変わらないよ。
>結局は、旧式の在地支配システムの武田家が、時代の波に飲み込まれた。
これ意味不明。
助ける気があったら佐竹攻めに行くより
押さえだけ残して越後に向かうよな。
別に沼田やら経由しなくても信濃通ればいいんだし。
何で? 織田と武田だと、そのままだと思うが・・・。
それを、ここで説明させるのか? かなり恥ずかしい講釈になる気がする。
ヤフーあたりから、戦国系のサイトにでも飛んでくれ
景勝の対応が迅速だったのがある。
景虎を見捨てたというより、単に氏政の読み違いじゃないの。
長引けば北条サイドの力が生きていたはず。
602 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 16:29:09
寄り親寄り子制度の違い
>>593 >信長にしてみれば、武田を残すメリットなんて無いよ
いちよ、武田家は源氏の流れを組む名門で、
天皇の意向もあり?三条家の娘が嫁いだような家
三条夫人が嫁いだ時は、三条西家の人間が、
天皇の使いとして同行したともいわれる。
仮に信長が、息子を征夷大将軍にしたかったとすれば
源氏の名門である武田家はある意味、必要だったのではないだろうか?
公家達も、文句はいえまい。
604 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 16:47:41
605 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 16:47:47
>>603 こじつけ以外の何物でもないな
別に武田の血を根絶やしにはしてないし、どうにでもなる事
こじつけは、信長の十八番
>>605 一族殺してますが、何か?
穴山があるなんて寝言はいわないように
608 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 16:53:56
武田の血が何時根絶やしにされたんだ
それ以上に、そんな事ぐらいで、武田家を残す意味がわからん
どうにでもなるだろ そんな事
征夷大将軍任官が、簡単にできるとでも?
信長なら、力任せで就けれたと言いたいのだろうが、
朝廷はそんな甘くない。
家康ですら、家系図改竄で源氏だとこじつけた経緯がある
信長が征夷大将軍にこだわっていたかは知らんが
この時点で、この地方に影響力大の武田家を残す事とは、釣り合いが合わない。
紛争の火種をあえて残す事にも意味がない。
はっきりいって朝廷は、どうにでもなる。これまでずっと、どうにでもなってきたでしょ
天下人で朝廷を動かせなかった人いる?
国内の統一を目指していたのだから安定支配の方が重要です。
朝廷は、それからで十分
611 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 17:16:01
こういう考え方もできないかな?
武田討伐時、信長は朝廷に武田討伐の許可をもらいに行き
朝敵という大義名分を手に入れてたとも言われる。
大義名分とはいえ、それを手に入れるために朝廷に行くあたり
朝廷と武田の関係を重視していた可能性も否定できないと思う
>>611 同意。朝廷がどうにでもなるなら武田滅ぼした後にだって
自分の安定支配に反逆したから攻め込みましたと
言い訳できるし、朝廷もまさしくあっそと言った感じで、
信長好みでどうにでもなっていったろうね。
信長が本能寺で殺されさえしなけりゃ朝廷も織田家の一機関みたいになったろうな
82年当時で朝廷は信長に(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブルで年号やらの統一も間もなく押し通されるだろう
これは妄想だけど織田家が天下統一すれば信長が関白として天皇や公家を抑え
信忠が将軍として世を治めただろうと考えてみる
信長は征夷大将軍になろうとして、朝廷に断られたんだぞ。
平氏が開府とは、およそ古今に前例なし、と。
>>609 甘くないもなにも、朝廷は信長に、太政大臣・関白・征夷大将軍
のいずれかに就任するように話をもちかけてるし。
>>600 だったら勝頼に文句言うなよやつ当たりか?
信長なら「源氏しか就いた事の無い征夷大将軍に平氏である私が就く事で
源氏などよりも、真に実力あるものこそ将軍の座にふさわしいと世間に分からせるのだ」
とでもいって将軍になるだろう。事実いつでも将軍になれる所まで来てたし
ただその時信長がなる気がなかったのだが
618 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 21:42:06
信長に媚びたフリをしつつ、さりげに彼を殺したわけだ
>>614が何気に放置されワロタ
三職推任は何なのだと
武田を討伐した時点で征夷を達成したと見なされたと言われてるが
不破関以東は夷の住む土地
朝廷にだって、信長の不興をかってまで武田をかばう理由はないよなあ。
「新羅三郎義光以来の源氏の名門」と言う人はいるが、そもそも源氏の嫡流である
足利氏が凋落していっても基本的に武家の争いと傍観中立を貫いているのに。
「征夷大将軍に任官するのに武田が必要」というにはもはや何がなんだか。
本当に大将軍職に武田の影響が大きく作用するというのなら、余計な口出しで邪魔
されないように抹殺に動くのが当然だろうに。
622 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 00:00:26
なあ、そろそろ勝頼とかの話もしてみないか
じゃ俺が
78年正月の状態
毛利氏 中国175.5万石 43875
安宅氏 淡路6.2万石 1550
上杉 北陸135.4万石 33850
武田 甲信駿河100万石 25000
のほか 丹後一色 丹波波多野 播磨別所 摂津本願寺 紀伊雑賀
織田畿内東海北陸など447.1万石 111775
他に摂津播磨但馬丹波加賀の一部
徳川46万石 11500
兵数だけなら外交次第でまだ勝頼にも勝ち目はあったと言ってみる。
毛利・武田・上杉の外側
625 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 00:20:24
これはまた香ばしいレスですね
本人もわかってるみたいですが
もういいよ信長は、何百万石持ってようがあっさり死んで
織田家は衰退するんだし。
>>624 78年正月なら武田の外はあまり問題無いだろ、上杉は北条芦名伊達などとの関係がやや問題か?
毛利の外の大友はこの時期島津と敵対している時期、耳川の後なら全く問題無いだろうがそれでも
筑前を巡って争っていた時期よりはまし
まあそれでも織田の方が有利なのには変わり無いだろうけど。
武田は信清系列が上杉家で竜宝系列が旗本で続いたけど
織田は江戸時代なにやってたの?
>>623 謙信に北陸から牽制させて、その隙に徳川領に攻め込む、長篠の痛手も癒えてきてるだろうから
徳川に攻勢をかけていくつかの城を奪うぐらいは出来ただろうね。
確か最終的に700石取りまで落ちぶれたような
>>629 それだって謙信がもう少し生きていたらという前提付だもんな〜
>>627 いずれにしろ織田と本格的にやりあっている間後方を脅かさないなんて保証はないでしょ
>>633 信雄系が上野で数万石有楽系が高級旗本、秀信系が旗本だったと思う
まあ信雄系はそこそこ有名だからぐぐって調べてくれ。
>>635 ある程度の押さえを残しとけばいいだけの話しでは。
でもどっちにしろ遠国は動員率低いだろうからあまり関係無いのでは?織田と戦うのに周防長門などから大量動員するとは
思えない。
>>623 随分適当な石高だな、各大名の支配国もよく分からないし。
>>629 謙信と対峙するのは織田軍。北陸戦線は徳川には直接的な影響は全く無く、全力で
武田に対処できるから意味がない。
実際に、謙信が織田に対して攻勢をかけた77年においても武田が徳川領を攻めるの
ではなくて徳川が武田の城を攻めている。
>>637 動員しないからって時点で対織田戦線の石高を下方修正しなきゃならなくなる
>>608 武田信清のように逃げた奴とか
あるいは隠れてた奴は生き残れたが
普通に信長に降伏して助かったのは穴山信君のみ。
信君は家康のおかげかもしれんが。
>>640 これってただの目安だろそこから実際にどれだけ動員できるかはまた別問題だろ。
>>639 この時期の武田ってそんな大変だったの?
だったらますます北条は武田に援軍なんか頼んでるんじゃね-って感じになるな。
>>642 だからその目安を反織田にとってより不利に修正せざるをえなくなるってことだよ
>>641 信君は信長に降伏したの?
家康に降伏して配下になったんだと思ってたんだけど。
>>644 横からだが、
それは却っておかしくならないか、まず基準となる数値を出して、そこからどれだけ各戦線に回せるかを
だしたほうが石高を基準とするなら恣意性を排除できると思うが。
>>645 家康を通じて信長に降伏したと言われてたと思う。
>>646 恣意性を排除するなら、そのほうが確実だな。いきなり対織田に回せる兵を出しても根拠が曖昧になりそうだし
客観性に欠けるだろうな。
>>646 要は前提がおかしいか、その前提の展開のさせ方がおかしいかってことでしょ
どの道おかしいと
650 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 01:18:06
どの道勝頼は馬鹿だと
651 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 01:22:51
柴辻という人の本で酷評されてたよ、勝頼
652 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 01:46:42
柴辻が言うには勝頼の外交は一貫性がないんだそうだ
653 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 01:55:22
織田から攻め込まれたときに再三、援軍の要請をしたのに
北条と切ってまで結んだ景勝が援軍を送ってくれないんじゃ
ねえ・・
柴辻俊六氏の著書は俺も何点も読んでるけど、
勝頼に対しては非常に後出しジャンケンみたいな
非難が多いような気がするんだよなあ・・・・
もちろん研究者としては非常に尊敬している人の一人なんだけどね。
笹本正治氏あたりは逆に勝頼に対しては好意的な
解釈をよくするよね。
ま、結局は見方次第なんだけど。
最終的に滅亡しちゃったという事実があるから
「あの時のあの判断が間違いだったんだ」という言い方なら
いくらでも出来るわけでさ。
でも歴史って結構どう転ぶかなんて分からないもんだからねえ・・・・
655 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 02:00:49
滅亡のときに援軍を再三頼むって悲しいものがあるよな
>>653 信長の外交は非常に基本に忠実な遠交近攻の実践。
武田を攻めるなら北条の取り込みは必ずしたはずで、武田が
北条と結び続ける事に必ず利があったとも言えないと思うよ。
北条家にしてみれば武田攻めに協力すれば関東安堵するぞ
とでも言われたら織田についた方が絶対得な情勢だし。
それに信長は武田に対しても毛利に対しても自分から
同盟を破棄したわけじゃないし。実は信用ありそう。
景勝は少数ながら援軍は出しているには出している。
柴田らと戦いながらだから限界があるが。
657 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 02:05:29
新田の小説にこういう下りがあるよ
氏政「武田は滅びると申すか」
松田憲秀「その可能性が高いと思われます」
氏政「武田は北条にとって織田を防ぐ盾じゃ。滅びるのはマズイ」
氏政に景虎助ける気がさらさら無かったんだから
上杉景勝と結んで織田信長と戦うもの同士での
無用な紛争を無くすという意義は大きい。
それだけなら景虎を助けても同じじゃないかと言うかもしれないが
景虎が勝ったらその時は北条が突然一族ヅラするのは目に見えてる。
でもって、北条は関東が拠点だから信長に対して直接的な敵対関係が無く、
いつまでも武田を支援しなければならないという義理は実の所、無い。
信長が上杉攻めより武田攻めを優先するなら北条への取り込み工作から
発展して上杉まで武田の敵に回る可能性もある。
これは正に最悪の展開だな。
結局北条が武田にとって確たる同盟者たりうるという姿勢が
御館の乱などを通しても全く見られないわけで、景勝にシフト
するのはしょうがない気がする。
「最悪の状況」に対するリスクヘッジを優先したわけだから。
「起こり得る最悪の状況」を無視して「希望的観測」の元に
景虎を助けてやるのはむしろリスクの高い戦略ではないかな。
信長は武田に対しても毛利に対しても自分から
同盟を破ったわけじゃない。
武田も毛利も自分から敵に回って信長の怒りを買っただけだ。
>>657 それは所詮は武田にとって都合の良い解釈だなあ・・・・
武田が滅びるなら勝ち馬に乗っとこうという判断は当然あるだろうし
実際そうじゃない。
>>660 でも武田を追い詰めたのは北条と徳川で織田は長篠岩村以降は滅亡時以外直接は関与していない
で滅亡時は織田と徳川で北条は関与していない、戦果として領土を手に入れたのも織田と徳川のみ、
北条は結局、武田と戦うなどの苦労しただけでおいしいところは信長にもっていかれたのだから、勝ち
馬に乗ったわけではない。
たかが氏政だから仕方ない。
664 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 08:19:56
景虎は氏政の弟ではなく従兄弟という説の方が有力。
あんま信用はできなかったんじやないかな?
>>658 > 氏政に景虎助ける気がさらさら無かった
これが本当なら、御館の乱以降にも北条と講和を結ぶことは可能だったはず。
> でもって、北条は関東が拠点だから信長に対して直接的な敵対関係が無く、
> いつまでも武田を支援しなければならないという義理は実の所、無い。
佐竹と敵対しているという条件があるし、
いずれ上杉が立ち直れば、それとの敵対も考慮しなければならない。
3方見渡して味方にしたいのは武田のはず。
勝頼にとっては、国境を少し譲っておけば安泰が得られるはずだったが。
> 「最悪の状況」に対するリスクヘッジを優先したわけだから。
勝頼が自分で呼び込んだようなところがあるのだが。
御館の乱以降に北条との緊張緩和のための方策を講じてないし。
信長の武田上杉の扱いと比べれば短慮は明らか。
北条は武田の景勝との和睦条件の東上野の上杉領を武田に譲ると言う条件が気に入らなかったんじゃないの
>>654 >柴辻俊六氏の著書は俺も何点も読んでるけど、
勝頼に対しては非常に後出しジャンケンみたいな
非難が多いような気がするんだよなあ・・・・
内政についても新府城築城についても厳しい評価下しているよね。
てか勝頼の内政と新府城築城をやたらと再評価するほうが無理がある。
しまいには長篠で勝頼の責任がなかったと主張するのまでいるし。
組織のトップは結果出さなければ厳しい評価されて当然。
668 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 10:08:28
>>656>>658 その説、支持する
って、言うか、まだ武田と同盟あるうちに北条は、
根回しの上手い家康に取り込まれていたのでは?
武田と同盟を辞める理由はなんでもよかった。そこで家康がまた画策した。
家康が武田領に侵入する、勝頼は影虎を見捨て駆けつける。理由のできあがり。
何より影虎が死んだと文句の言ってる北条が助けに行ってない。
>>652の言うとおり外交に一貫性がない、先も見えてない、周りも見えてない、
が、滅んだ原因だろうな。そもそも喪にも服さず、北条、上杉、家康信長と
あっちこっち火を付け周る勝頼はお茶目過ぎw
むしろ内部の充実を図って、領地分散型から一極大兵方に軍を作りかえて、
それで平野の多い関東に打つて出て、石高を上げて、さらに兵を雇うべき!!
早い話が信長方式だけどw
外交に一貫性がなかったのは信玄からだしなあ。
信長家康との対峙だって、結局親父の外交方針を受け継いだわけだし。
あ、ここでいう外交の一貫性というのは、同盟を堅持するというのではなくて、
「戦略目標を達成するための外交」と言う点での、戦略のことね。政治状況が
変化しても過去の政治状況(同盟関係)に固執するのはそれはそれでバカだ。
勝頼の外交ヘタというのは、悪化した状況を好転させようと努力した形跡が
見られないことだと思う。
>>668 いずれ争う積もりでも、あの時期と状態ではまずいだろ。
信長方式なら、大敵を倒すまでは恥知らずなくらいのご機嫌取りをして
決戦を回避する。信玄もそうだ。
それをやらずに生き残った大名はサイヤ人くらい。
サイヤ人=毘沙門天の化身で合ってるよな?
672 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 13:41:32
合ってるんじゃない。
実際、あいつに触ったらヤケドするから、やめとけ的な扱いだった気がするな〜
非常識な人間は、場合によっては無敵になるからな〜
673 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 13:57:08
>>658 しかし武田領と接してる国境の長さからすれば
上杉より北条と結ぶ方が価値があると思うよ。
影虎が当主になれば、当面は東は安泰だし
徳川だけに専念できる。
北条と切ったことで、武田領のうち北信濃の越後国境以外は
全て戦線になってしまったのが滅亡を早めた原因ではないかな。
674 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 14:07:27
当時の勝頼にとっては遠江が戦略目標だったのだから、地理的に背後になる
北条との同盟を敢えて切る理由がないと思うんだけど・・・
逆に北条と同盟切るのならば、関東が戦略目標になるわけで、
背後にある徳川と結ぶべきなんじゃないのかな。
長篠以後の苦しい状態で、後期織田のような複数方向への同時戦争
みたいな状態にしてしまったのは失敗ではないかな
勝頼の本心にとって北条との同盟は切ったというより切れちゃったんじゃ
ないのかな
10年以上の激戦を演じ、結果的に巨大な損害を被り上洛も出来なかった信玄
関東平定の名の下に小田原まで攻められズタズタにされた氏康
天下人として数で勝りながらボコボコにされて嘲笑の対象にされた信長
触らぬ謙信祟り無し
「上杉の後継者争いから手を引く」くらいならともかく、「上野を譲り受ける」というのは
上杉と北条の係争地に手を出すということであり、それで北条が敵に回らないと考えたのだと
したらさすがに勝頼は問題があると思う。
逆に上杉からみると、泥沼の関東から手を引いてかつ同盟者である武田が北条に対する盾と
なって越後の防衛線が短縮される。短期的にみても、まだ残存する景虎派と北条の間を武田が
遮断することで孤立させられる。
この一連の騒動で利益をはじき出したのは景勝だけで、他は大なり小なり損失を被っているな。
しかし国の方針を勝頼の一存で決められる物なのか?
武田家としての方針だろ
678 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 14:35:00
>>676 ここの所の知識が小説のみなんで、自身持っては言えないんだが
上杉から、多額の金が武田に和議の見返りに渡ったんじゃなかったっけ?
実際、武田の金山は、石ころしか出なかったし、軍資金が無ければ、動くに動けない。
679 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 15:37:58
結局、景勝一派の口車に勝頼が乗せられてしまったんでしょ
>>678 甲斐の金山は江戸時代になっても産出してるよ。
まあ、確実に産出量は減少してただろうけどね。
>>676 > 「上杉の後継者争いから手を引く」くらいならともかく、「上野を譲り受ける」というのは
> 上杉と北条の係争地に手を出すということであり、それで北条が敵に回らないと考えたのだと
> したらさすがに勝頼は問題があると思う。
名胡桃城の一件を見ても、なぜか北条は上野に執着がある。
謙信に上野を追われた家臣にでも義理立ててるんだろうか?わからん。
上野を初めとして、武田が関東に領地を持ってることが不満だったなら、
同盟は寿命だったのかも知れない。最大の難敵サイヤ人がいなくなってるし。
つくづく受身だよな、勝頼って。
織田徳川との対決という状況も信玄以来のものだし。上杉に関しても北条から要請が
あって動いて。
自分から有利な状況になるように動いていない。
683 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 20:19:26
ぶっちゃけ、大名としての器は、
今川氏真>武田勝頼
ですからねえ。
まあ名門武田家を滅亡させ、腹を割いて死んだ勝頼より
同じく名家今川を滅ぼしたが生き延びて、その名家の血と文化人としての才覚で
江戸時代まで生きた氏真の方が絶対勝ち組
686 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 21:50:03
少なくとも
今川氏真>武田勝頼>>>俺とお前ら
だと思う。
はあまたバカ沸いた。その通り。君のいう通りだ。少なくとも自分に勝頼の武勇も氏真の才覚も無い
だがだからなんだんだ?一日にこんな流れが2ちゃんでどれだけあるんだろうか・・・
>>661 違うな。武田の滅亡が確定的になった2月の後半から
駿河の東部を攻め取った。
しかし「参戦が遅い!」と信長が怒り、北条が取った領土は
徳川のものとなった。
>>665 >これが本当なら、御館の乱以降にも北条と講和を結ぶことは可能だったはず。
>佐竹と敵対しているという条件があるし、
>いずれ上杉が立ち直れば、それとの敵対も考慮しなければならない。
>3方見渡して味方にしたいのは武田のはず。
>勝頼にとっては、国境を少し譲っておけば安泰が得られるはずだったが。
越後で内乱してる時から既に織田が北陸の回復に乗り出してますね。
上杉謙信存命の頃でさえ、終盤は既に関東の脅威では無かったのに、
信長と敵対しながら景勝が関東で大きな働きをできるはずもなし。
武田と結んで武田の滅亡を少しばかり先延ばしにしてやるよりも
織田と結んで武田と戦えばむしろ関東の覇権は確実にできますよ。
だいたい、どんな条件を武田が示しても
「北条が武田を見捨てて織田につく」可能性はゼロにはなりません。
むしろ武田が危なくなればなるほど、武田の支援を止めて
織田に乗り換える可能性が高いのが戦国の世の常でしょう?
>勝頼が自分で呼び込んだようなところがあるのだが。
>御館の乱以降に北条との緊張緩和のための方策を講じてないし。
>信長の武田上杉の扱いと比べれば短慮は明らか。
織田信長は「中央に専念したいけど背後を衝かれると危なかった」程度の
勢力だった時期には確かに武田や上杉に対して下手に出たけどね。
それに一切の外交交渉の存在を否定する根拠はありますか?
690 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 23:33:59
みんな忘れてないか、勝頼のもう一つの失策を
御 坊 丸
「勝頼がどうすれば良かったか」ばかりに目がいって
氏政が信頼できる相手だと思ってる奴が多いな。
信玄は氏真が落ち目になったら攻め込んだし
それは戦国では当たり前だと思うけど。
氏政も同じ事するよ。
信頼できる同盟があるとすれば「敵の敵は味方」という
条件が確実に存在する場合だけ。
武田勝頼と上杉景勝にはこれが成り立つ。
しかし武田勝頼と上杉景虎+北条氏政だと
必ずしも成り立たない。
北条氏政が一戦も交えた事の無い織田信長を
意味も無く忌み嫌っていたとかでもない限り、
氏政は信頼できないし氏政の影響が及びそうな景虎を
越後の国主にすべきじゃない。
ヘタすりゃ信長の攻勢が武田に一点集中しかねない。
692 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 23:38:20
>>689 てか、将来起こりうる北条の織田への寝返りを心配する前に、
現実に北条を織田と同盟結ばせてしまった方が失策では
693 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 23:42:37
>>691 小田原攻めのときもそうだったけど、北条は意外とプライド高いから
ある程度の主権性を認めてくれる保証が無い限り、織田と隣接することを
嫌い、武田を織田の盾に使おうとするんじゃないのかな
現に本能寺の直後に織田を裏切っているわけだし
氏政が5月に勝頼だけ出兵させておいて
自分が6月に越後や上野じゃなくて佐竹攻めに行った
という時点で勝頼も疑心暗鬼の塊でしょうな。
もし「佐竹の方がこちらに攻め込む準備をしていたのだ!」とか
言い張るにしても、1000でも3000でも越後に送り込むぐらいの
余裕はあるでしょ。北条家は。
武田軍に合流するためには、何も沼田や坂戸を落とす必要は無くて、
信濃を経由すりゃすぐ勝頼と合流できるんだし。
ましてやこの点について何の言い訳もしていないのだとすれば、
「これは武田を疲弊させる策である」と取られるのは仕方無いような。
状況的には「自分では助ける気なんてさらさらない景虎を助けさせるために
勝頼に兵を出させる」事は「武田を疲弊させておいてから敵対し、有利に戦うため」
でしょう。
>>693 氏直と氏政はその点では対立したのでは。
696 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 23:52:24
甲斐に北条夫人のオッパイがある以上、好き好んで氏政が武田を滅ぼそうと
するとは思えないけどなあ
長篠で落ち目なのをわかって婚姻関係を結んだわけだし
>>696 一つ言えるのは、その時点ではまだ謙信が生きているという事。
そして行け行けドンドンの快進撃をしているという事。
翌年に「北条を攻める」名目で大軍を結集させた事からも、
77年の時点で北条と上杉の関係は良好では無い。
つまり婚姻には「対上杉の保険」という理由がある。
氏政にすれば「対織田における支援の約束」では無いだろうね。
そういう考えがあったのなら、翌年ちゃんと御館の乱の時に
5月の時点で兵を出すでしょう。
698 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 00:18:42
景虎が家督ついでも織田と争い続けるでしょ
だって織田と戦わないと上杉やることないじゃん
北条・上杉・武田という義昭君念願の三和が成り立つのでは
>だって織田と戦わないと上杉やることないじゃん
ワロタw
700とっとくな
5月か6月に上杉景信が戦死してることから、景虎派を勝たせるのは難しいのでは。
>>688 ますます北条駄目駄目じゃん
>>678 多額の金1万両とかは軍鑑ぐらいで、金銭に関しては上杉家から武田家に送った手紙に500両と書いてあったぐらいだと思う。
702 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 01:57:47
勝頼をしのぶツアー
一日目
9・00 JR豊橋駅集合、飯田線へ
10・00 長篠城駅着、長篠見物・合戦記念館見学・馬防柵見学
14・00 長篠城駅発、特急伊那路
18・00 伊那駅着
19・00 高遠着(泊)
2日目
9・00 ホテル発・高遠城址公園見学・歴史博物館見学
12・00 高遠発
13・00 伊那市駅発
15・00 上諏訪着・諏訪大社見学・上原城址見学・(法華寺見学)
上諏訪(泊)
3日目
9・00 上諏訪駅発
10・30 新府駅着
11・00 新府城址見学
13・00 武田八幡見学
15・00 新府駅発
16・30 勝沼ぶどう郷駅着
17・00 勝沼大善寺着・本堂見学(宿坊泊)
4日目
10・00 勝沼ぶどう郷駅発
10・30 甲斐大和駅着
11・30 景徳院(解散)
703 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 02:07:33
しかし、天目山に落ち延びる途中、よく落ち武者狩りや野伏に襲われ
なかったな。情報を逐一、相手に伝えられたりとかしてたはずだが。
705 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 02:19:22
寝る前に再確認
勝頼は馬鹿
なんつっても甲斐は鎌倉以前から武田の領土だから落ち武者狩りに見つかっても
武田の殿様とわかれば襲わなかったんじゃない?
それとも襲われてたけど知ってる人間みんな死んだのでなかったことになった可能性も。
大善寺は勝頼のことより、新撰組関連を強く押し出してたね
去年は大河ドラマの影響もあったし。
境内には理慶尼関係の説明板とかも建ってます、見逃さないように。
宿坊ではオリジナルワインも味わえます。
_____ ,,__
_,,-''''' ̄,,--''''''''-γヽ,
,,-γ ゝ,-'''~~ , , \ .ヽj
/  ̄ヽ ゝ ○ '''> ./ / / ヽヽヽ
| \ ヽ _i イ | | | | ノ
| ', 7~ '1__ゝ_/ /~ヽ 、__ノ,ヘイ|
ヽ \ / ,-, | |_ ヽ |u-lヽ
\ ''-/ / | 'ゝ ~,∪ ̄ _; ヽ|
_,,- ~ ''\ \-,, /ヽ_ヽ | / / ヽ 童貞はこのスレ立ち入り禁止よ!
,-' | ,-┴''''' ̄.\~--,,, ___个 - ,, _ ,,/ | `l
,ヽ .| | . | ヽ ̄''─|;_|;;;| ヽ `;
/ 'ヽ ヽ,,_''--,-'''''~ /| \ ヽ'-, \ `;
丶、\__,-' ̄| // ''ー-┘ |, ヽ ヽ
''--'ヽ__,,/-''~_,,-' _,,---'' .|\ |ヽ |ヽ
| ヽ-,,_~-''' ̄ |;;;;;;;; | \/ | |
>>689 > 武田と結んで武田の滅亡を少しばかり先延ばしにしてやるよりも
> 織田と結んで武田と戦えばむしろ関東の覇権は確実にできますよ。
武田が居ない状況が出てしまうと、上杉が織田と結び北条を攻めるかもしれない。
後世に織田が豊臣に代わってからこの構図が実現してる。
要するに武田滅亡の時点で、北条は臣従か滅亡かどちからになる可能性が高かったわけで
関東の独立した覇権を織豊政権が黙認するという考えが甘かった。
> だいたい、どんな条件を武田が示しても
> 「北条が武田を見捨てて織田につく」可能性はゼロにはなりません。
将来は判らないにしても、あの時点ではまずかった。
既にあの時点で信長はいい年なんで、
数年でも時間さえ稼げれば信長の健康に異変がある可能性もあった。
そうすれば最悪の時期を脱することも可能だったかも知れない。
どっちにしろ、武田にとって一番非妥協的な敵は織田徳川なので、
北条との宥和以外、選択の余地はなかったはず。
> それに一切の外交交渉の存在を否定する根拠はありますか?
外交努力の痕跡を知ってるなら、勿体ぶらずスレの皆に教えてほしい。
711 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 15:19:54
>>707 何で寺が商売にそんなに必死になってるんだろう
>武田が居ない状況が出てしまうと、上杉が織田と結び北条を攻めるかもしれない。
>後世に織田が豊臣に代わってからこの構図が実現してる。
>要するに武田滅亡の時点で、北条は臣従か滅亡かどちからになる可能性が高かったわけで
>関東の独立した覇権を織豊政権が黙認するという考えが甘かった。
現実に北条氏政は信長存命中はその臣従をするはめになっているよ。
君ほどには先見の明が無かったんだろうねw
>将来は判らないにしても、あの時点ではまずかった。
>既にあの時点で信長はいい年なんで、
>数年でも時間さえ稼げれば信長の健康に異変がある可能性もあった。
>そうすれば最悪の時期を脱することも可能だったかも知れない。
>どっちにしろ、武田にとって一番非妥協的な敵は織田徳川なので、
>北条との宥和以外、選択の余地はなかったはず。
都合のよすぎる妄想だね。
一番非妥協的な敵が織田徳川だから上杉と結んだのでしょう?
その上杉が同盟相手として信頼に足る条件は、上杉が北条から独立性を
保つ事だよ。
織田徳川と直接対立していない状態の北条が、武田を支援し続ける
理由は無いんだよ?
それこそ君は上段で「武田が居ない状況が出てしまうと、上杉が織田と
結び北条を攻めるかもしれない。 後世に織田が豊臣に代わってからこ
の構図が実現してる」と言っているけれども、
「景虎が上杉家を継いでしまうと、信長が氏政と氏政経由で景虎を
味方に引き入れて武田を攻めるかもしれない」のではないかな?
実際問題として、氏政は景虎の救援に全く積極的ではない。
その状況下で北条家のために尽くすのは馬鹿を見るだけだよ。
敵の敵は味方なんてのも絶対じゃないでしょ
北条の旗色と同じくらい怪しい
北条って織田に臣従してたの?
そうは思えないんだけどソースあったらキボンヌ田義勝。
とりあえず北条は真面目に助けようとしなかった景虎を
口実に武田と縁を切ろうとか言うんじゃねえよ!
どーでもいいじゃん
武田なんて
オマエラとは何のかかわりもないんだろ
>>716 無理にこのスレッドに書き込んで頂かなくても結構ですよ。
>>712 > 現実に北条氏政は信長存命中はその臣従をするはめになっているよ。
「舎弟になる」とまで言って、織田と結ばなければならなくなったのは、
武田との対立が自らを脅かすほどになったからだろ。
武田の側から対立を避けた場合、北条がどう出るかがここでの論点のはず。
俺は、そうなれば北条は織田との同盟は組まないとみる。
北条にとって目下の課題は佐竹との対立だったし、それを考えれば、
遠い織田との同盟より、近くの武田国境の安定が魅力的だろう。
> 織田徳川と直接対立していない状態の北条が、武田を支援し続ける
> 理由は無いんだよ?
武田と対立していない状態の北条が、織田徳川と結びたい理由もない。
武田にとっては、関東の領地争いの交渉と譲歩で時間を稼ぎたかったところ。
> 「景虎が上杉家を継いでしまうと、信長が氏政と氏政経由で景虎を
> 味方に引き入れて武田を攻めるかもしれない」のではないかな?
仮に景虎を助けなくても、北条の側には武田と今すぐに対立する理由がない。
境界争いが交渉のテーブルに乗って、武田側の譲歩の見込みがあるなら。
北条は佐竹との争いが一番大事だったのだし、実際景虎の危機でも常陸に出兵している。
この状況下では景虎を理由にして対立が決定的になるとは言えない。
武田の側は関越同盟の脅威なんて考えている暇はない。
遠い将来の関越同盟より、目の前の織田徳川同盟であったはず。
それを打開する手段がない以上、都合が良い妄想であっても、
時間を稼いで状況が変わるのを待つしかないはず。
>>718 >北条は佐竹との争いが一番大事だったのだし
だったら何で武田と同盟切ったの?
>>719 手元に資料がないのでうろ覚えだが、
先に出兵したのは武田じゃなかったか。
うろ覚えじゃなくボケが始まってるw
1579年7月の出兵のことかな?
上野、武蔵を攻撃してるみたい
おれもググっただけだが