918 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/02(土) 13:13:32
>>916 わかった、もういい。
釣りだったか。釣られた俺が馬鹿だった。
ここまで間違っているのを堂々と書いているのは逆に尊敬する。
釣りじゃないとしたらその間違いぶりはあまりに悲惨なので、もうやめといた方がいいぞ。
一応誤解する人がいないように書いておく。
1 史料等の提示がない。脳内妄想だけならもういいから。
2 絹の名産地といえば蜀だってことは知ってるよね?
3 銀は当時ほとんど使われていない。高校教科書レベルだよ?
919 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/02(土) 13:21:12
みんなオナニーうまいと思うよ。尊敬します。
920 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/02(土) 13:27:52
>2 絹の名産地といえば蜀だってことは知ってるよね?
関中5 蜀3 呉2ぐらいじゃないか?
>>920 別に関中における絹生産は否定していないぞ。
その割合の根拠は知らないけど。
ただ例の馬鹿が益州での絹生産を否定していたのに反論しただけ。
922 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/02(土) 13:30:03
>>919 ちみは荒俣広がオナニーだといっているんだね
>>911 世界最初の世界帝国アケメネス朝ペルシア≒周
>>903 官僚もいないギリシアなんかと一緒にしないで下さい。
>>904 は い は い
秦の元々の扱いは、進歩した異民族程度ですよ。中原諸国と違って騎兵はいる
あと戦車は戦闘用じゃありませんw
>>922 荒俣はオナニーだろ。ただ見ていてとても楽しいオナニーだ。
>>923 そういう末節を後出しで訂正するしか能が無いなら、もうどこにも出てくるなよ。
分からないとか間違ったなら、そう言えよ。
肝心な部分については逃げている品。
当時銀が流通していたってのはどこのマンガで読んだの?
>>904 いきなり戦車だけ突っ込ませるようなアホ戦法が敗因なだけじゃねーかw
戦車が無力の証明になってねぇ〜〜〜
>>917 素直に篭城したら?
野戦で其の条件なら勝ち目なし
>>924 官僚がいないって?
中国の郡県制は、ペルシアのサトラップ制の踏襲ですが。
アレクサンドロスは、ペルシアのサトラップ制を踏襲してますが。
むしろ、>924 は周を帝国扱いしている時点でもう駄目
結局のとこ、秦は比類無き超帝国でも無敵の軍団でもなかったと。
932 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/02(土) 17:14:42
そういえば、ペルシアはギリシア攻略のために二百六十万なんていう大軍を動員したらしい。
まあ、確実に嘘だろうが
933 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/02(土) 18:55:23
そんな議論する前にアレクサンドロス三世が東征失敗してるじゃん
>>929 >郡県制は、ペルシアのサトラップ制の踏襲
もう少しくわしく。
純粋に知りたい。
あっちの方が中央集権は早かったんだっけか?
中国は軍閥・豪族の歴史だかんな
ペルシアのサトラップ制を郡県制と同列に置ける感覚は
マケドニア厨ならではw
937 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 01:16:30
先頭に立ってたんなら、狙い撃ちしてしまえば終わりだろうが
938 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 01:17:42
サトラップはダレイオス一世が拡大した帝国を二十の州に分けて
各州に送った総督のことです。このサトラップは基本的には王に忠実で、
規定された額に従って中央に税を納めていました。このサトラップに
軍事権までもたせてはそのうち勝手に独立しかねないので、それとは
別に防衛のための軍の指揮官も派遣して中央集権に努めました。
それとは別に「王の目」「王の耳」という監督官で地方を念入りに
監視しました。
サトラップの形式は始皇帝の郡県制に似ていると思いません?
始皇帝が遠い遠い国の制度を全て知っていたとは思いませんが、とりあえずは
ペルシアのほうが早いのです。ローマはどこをどう考えてもまねていたと思いますが。
エリシャ・グレイはアレクサンダー・グラハム・ベルをパクったし
カール・フリードリヒ・ベンツはゴットリープ・ダイムラーをパクったんだよね
画期的なことを考え付く人間が二人も居るわけないもんね
>>938 ペルシアと秦は「遠い遠い国」だが、バクトリアと秦は比較的近い。
ペルシア→マケドニア→セレウコス朝→バクトリア・・・を経由して秦に伝わったんだと思う。
>>938 >サトラップは基本的には王に忠実で
>規定された額に従って中央に税を納めていました
>軍事権までもたせてはそのうち勝手に独立しかねないので
郡県制と何処が似ているんだかw
少しだけ進歩した封建制じゃん、春秋時代の古臭い制と大差無い。
郡県制では、郡、県の長は官吏で給与制、役人も秦に雇われてる
規定された額だけ収めればあとは好き勝手に〜なんてのは低レベルな代物。
なんつーか、マケドニア厨って凄いな。
943 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 04:46:55
当初のサトラップの権力は治安・軍事・行政・裁判の多岐に渡った強大なものでしたが、
それをダレイオスが舌先三寸と恫喝でその権力を奪っていったんです。それにサトラップは度々任地を変えられています
とても封建領主とは思えませんが? 地方で世襲した云々はそもそも郡県制は世襲するほど続いてないから無視
それにサトラップのもとで記録を担当していた書記官や徴税事務官も王直属
ペルシアは他民族の風習を積極的に取り入れ、尊重しました
強引に法治の水を飲ませて御破算したどっかの誰かとは大違いです
大体、ダレイオスが即位したのは紀元前526年
それから三百年も経ってかわりばえのないシステムを作ったらある意味尊敬する
法治の水は、漢にも唐にも流れてますよ、郡県制も
>それにサトラップは度々任地を変えられていますとても封建領主とは思えませんが?
春秋期や前漢初期の一部封建領主と同じです。
春秋時代は中華もペルシアも似たような発展具合だった
その後の差ですね、マケドニア、ローマと秦の差は。
945 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 04:59:07
誰かスレタイ憶えてる奴いる?
946 :
霊帝 ◇OU/VvbI9MY :2005/07/03(日) 05:01:23
947 :
霊帝 ◇OU/VvbI9MY:2005/07/03(日) 05:02:10
>>925は、とっとと秦軍の戦闘教義を出しやがれ(゙ `-´)/ コラッ!!
その秦の兵馬俑にも見られない騎兵は、どこにどれだけ居て、どのように運用されたのか?
秦の歴史の初期の、バルバロイ扱いの頃は除いて。
重装歩兵出しても「秦にもいる」
騎兵出しても「秦にもいる」
話にならんね。
949 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 10:43:45
アレクサンドロスの戦闘教義が詳細に伝えられていることと、
秦の戦闘教義が不明のままなのは、当時の歴史を伝えた人物の違いにあると思う。
古代に書かれたアレクサンドロス伝記は複数あるが、その中でも最も古いものは
プトレマイオスという人物の書いたもの。プトレマイオスはアレクサンドロス配下の
武将で、後にプトレマイオス朝エジプトを築いた。彼の書いた伝記はすでに失われているが、
元軍人であるからして、戦闘教義から戦術に至るまで詳しく書かれていた可能性は高い。
そのプトレマイオス版を資料にして、書かれたのがローマ人アリアノスの書いた、
「アレクサンドロス大王東征記」で、これは現代にも残っている。このアリアノスは
ローマ皇帝ハドリアヌスに仕えた将軍で、読めばわかるのだが戦場での様子を詳しく書いている。
これに対し、史記を書いた司馬遷は儒者であり、戦闘教義・戦術など興味の対象外。
だから秦の戦術、戦闘教義は残っていないのだと思うね。
編成を見れば戦術もある程度見当が付くが、
兵馬俑から推定されているという、秦軍の編成すら明らかにされない。
そういうところをちゃんとしないから、騎兵が活躍する秦軍とか、
重装歩兵の頭越しに弩を撃つ秦軍とか、
弩部隊の敵前兵科転換をする秦軍とか、
わけ分からない話が続々出てくる。
唯一の野戦戦術は
>>917だけ。(⌒▽⌒;) オッドロキー
戦術がさっぱりなので、頼りは数だけと思ったか、
漢の時代でも人口6000万なのに、500万を動員とか、どうかしている。
軍事に興味がなかった人が書いた、史記の数字がホラじゃないかと考えるのが自然。
そんなんだったらおいらもカリステネス偽書出しちゃうぞコラァ!(9 ̄^ ̄)9
じゃあ出せばいいじゃん
その何たら偽書について1000まで思う存分どぞ
952 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 12:46:37
中国の読書人は戦争に興味はあっても戦闘に興味はないからな
後の中国の名将たちも戦略はともかく、戦術について詳細に記された将軍はあまり思い浮かばない
単に奇抜な戦術を考えた将軍がいないだけなのかもしれないが
誰か、東洋軍事史、ていう学問知らないか?
953 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 13:07:45
「戦車」って言うのに戦闘用じゃないのか
指揮官用だから
中国軍事史というのが解放軍出版社というとこから出てる
956 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 13:55:45
サンクス
中国の戦術・数で押しつぶす、ですがなにか?
圧倒的な兵力に細かい戦術はいらん、堂々と攻めろと孫先生も言っとります。
猪突して包囲されるのはご愛敬。
958 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 14:41:24
カリステネス作と伝えられている『マケドニアのアレクサンドロスの生涯』とやらは
アレクサンドロスの父はエジプト王ネクテナボンであること。彼が呪術師であったこと。
エジプトが諸国の軍勢に攻め寄せられていることがネクテナボンに報告されるが、彼は意に介さないこと。
ネクテナボンは呪術によってエジプトの崩壊を予知し、マケドニアに落ちのびる。セラピス神殿の神官は、老王ネクテナボンが青年王となって帰国するであろうことを予言すること。
マケドニアの王妃オリュンピアスが、夫ピリッポスの件についてネクテナボンに相談すること。リビュアの神アンモンと交わりをむすび子を儲ければ、ピリッポスとのあいだはうまくいくであろうとネクテナボンが慰めること。
ネクテナボンのまじないにより、オリュンピアスはアンモン神と交わる夢をみること。
オリュンピアスは夢が現実になるようにと、ネクテナボンに依頼すること。ネクテナボンに王妃は寝室近くに寝所を与えること。
というトンデモ度百二十パーセントの怪奇文書です。
ガウガメラでアレクサンドロスが四万で六十万だか百万のペルシア軍を打ち破ったらしい。確実に大嘘だろうが
960 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 14:46:14
ところで、戦国の七雄の一体どいつが秦に協力するんだ?
結果はどうあれ、心の中で声援を送ると思うが
戦う前提としては統一後だろ
秦「帝国」だしぃ
>>960 ギリギリのところで勝ってもらって、弱ったところで叩く。
勝つのはどっちでもかまわないw
963 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 14:56:56
どっちが勝つにしろ、最初からこっちに味方をするつもりだった、と主張するわけですな。おぬしも悪よのぉ
964 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/03(日) 15:15:56
ようやく流れがスレタイどおりになったな
>>948 >その秦の兵馬俑にも見られない騎兵
>重装歩兵出しても「秦にもいる」騎兵出しても「秦にもいる」話にならんね。
また捏造ですか?
それとも都合の悪い事実は、史記だけでなく兵馬俑でも信用できないのかなw
中国古代軍制史/軍事科学出版社
中国古代戦争例選編/中華書局
あとはこの辺か
967 :
無名武将@お腹せっぷく:
さらにサンクス