暫く辺りを見張っていた二人だが、やがて近辺に一人の人影が現れた。人の笑い声とは得てして人を引き付け易い。恐らく先ほどの景虎と昌景の大きな笑い声に釣られてやってきたのだろう。
迂闊に大声を出したことを詫びようと、景虎が言葉を発するより早く、重秀の目が輝いた。
恐るべきその視力と下心とで、その人物が女性であることにすぐ気付き、心を躍らせていた。
重秀「これはこれはなんと麗しい、こんなところで素敵な女性に出会えるとは。俺は重秀、この余興から君を護る為に帝に一泡吹かせようと思うんだ」
先ほどの難問題等どこ吹く風か、重秀は恐るべき速さでその女性、ノドカに近づき、プレイボーイ特有の、ナンパ用の爽やかスマイルとスウィートボイスでさり気なく肩に手をまわした。
ノドカ「あら、ウフフ・・・、いい男ね」
ノドカの言葉に重秀はウィンクと調子のいい口笛で答えた。が、その言葉に特別な感情が含んでおらず、軽くあしらわれたこともすぐに察知できたので、重秀にとっては残念な反応であった。
しかし、ノドカから離れようとしない重秀を見かねた景虎は静かに忠告する。
景虎「・・・状況を見極め、時には退く判断も必要だぞ」
――パチーーーン!!!
その直後、辺りに渇いた大きな打撃音が響いた。
景虎「・・・天の戒めに感謝する」
その言葉に気付いたのか、ノドカは景虎に微笑を浮かべながら去っていった。
さて、しばらく経って、彼は自らの若い行動を省みている頃だろうか。
重秀「はっはっは!いやぁ、気の強い姉ちゃんだった!」
どうやらそうでもないようだ。元来お気楽者の彼の辞書に、そのような言葉は無いらしい。
重秀はマンガのように、ほんのり焦げてチリチリになった髪の毛に手を突っ込んで掻きながら愉快に言った。
ほっぺたには、真っ赤に腫れた手の平の痕が付いていた。やはりそれも、マンガのようだった。
景虎「ふっ、憎めん奴だ」
重秀「おうおう軍神サンよォ!オレはやるときはやる男だぜ!はっはっは」
景虎「・・・ふっ」
重秀「さて、そろそろ戻るとするか!」
景虎「恋の傷は子供にでも癒してもらうんだな」
重秀「アーアー、聞こえないフリ聞こえないフリ・・・、っと、なんだ、こっちに来たのか。よく俺達の居場所がわかったな」
昌景「全くお前はこんなときでも気楽なものよ・・・。よく響いておるぞ、お主のデカい笑い声は。・・・少しは用心せい」
すっかり回復した親泰を背負い、どこからともなく現れた昌景が呆れた様子で呟く。
重秀「おお?なんだ?お前今笑いやがったか?このガキが!」
今度は頭をやめて、親泰の脇腹を擽っている。
親泰「うわわわわ、あ、あはは、あはははは!や、やめてよぉ、もう」
景虎「・・・ふっ」
昌景「お前は全く、やかましいな」
二人もついつい笑みが零れる。戦い慣れした男二人の、ひと時の優しい笑顔だ。
重秀「お前の親父の名前は?」
親泰「え?またそれ?」
重秀「いいから言ってみやがれ」
昌景「お、おい!具合もたった今良くなったばかり・・・」
親泰「長宗我部国親!」
いきなりの成り行きに、親泰は重秀を見つめ、目をしばたいたが、やがてはっきりと、そして堂々と言い放って見せた。
昌景「おお!」
景虎「・・・長かったな」
重秀「ああ。まだこの島のどこかで生きてる兄貴を探して、国で待ってる親父の元へ帰ろうぜ」
親泰「はい!」
重秀「で、お前の兄貴の名前は?」
親泰「・・・、サ、サイトウ、ドウサ・・・」
重秀「あーあー、聞こえないフリ聞こえないフリ」
昌景「・・・やはりかなりやっかいな代物のようだ」
景虎「・・・腹が減ったな」
トラックに詰めてあった食料はもうない。
小柄な昌景に背負われた、もっと小さな子供の罪悪感を掘り起こさない為にも、彼らはそのことには触れずに食料配布地点に足を向けた。
この僅かな間に、色々なことがありすぎたのだ。子供の親泰だけでなく、屈強な武人三人も己の空腹に気づいていたところだ。
昌景「迂闊にも出遅れてしまったようだ。放送から大分経っておるな。まだ残っておるかな?」
重秀「無かったら、本当に海にでも行って釣りでもすっかい?おりゃ紀伊の海でよくやったもんだぜ。はっはっは」
景虎「ふふふ、小生もだ」
親泰「あ、僕もです。土佐の魚は美味しいですよ」
昌景「ほう。景虎殿や親泰もか。山育ちの私は川釣りしかしたことはありませぬな。国へ帰ったら土佐にご馳走に参ってもよろしいかな?」
親泰「はい!お待ちしております!ああ、もう自分一人で歩けます」
昌景「そうか。だが無理はするなよ。決してだ」
親泰「はい」
重秀(ふぅ・・・、よかったぜ・・・。とりあえずなんとか元気になってくれたようだ。ちょっとは俺にも心開いてくれたのかな?)
重秀「・・・」
親泰「・・・?」
重秀「おう」
親泰「は、はい?」
無言で見つめられたあと突然声をかけられ、子供の親泰は驚いた。
――真剣な顔だ。爆発から救ってくれたときと同じ顔だ。
重秀「一時の感情に流され、道三とかいう爺さんを殺っちまったのは謝る。仇と思いたいなら一向に構わん。この命が欲しいのならくれてやる」
親泰「え?」
重秀「だが、この島を脱出するまで、すまないが預けてくれ」
親泰「ええ?」
重秀「お前の兄貴には恩があるんだ」
親泰「僕の兄上に?」
重秀「ああ、すまねえ、一番上の兄貴の元親の方だ。ま、いきなりこんなこと言われてもわからんだろう。詳しく聞きたけりゃいずれ話す。とにかく、弟であるお前を無事な姿で兄貴に会わせることが、勝手だが俺の恩返しになるんだ」
親泰「え?あ、はい・・・」
重秀「俺も末弟だ。お前と同じく兄貴が居る」
親泰「え?お兄さんにも?」
重秀「ああ。あいつらの背中を追ったから俺は強くなれたんだ。お前にも元親という大きな背中がある。その背中を忘れない限りお前はどんな難にも負けはしない」
この人は悪くない。でもだから道三が悪いのかといったら、それも違うように思えてならなかった。理由や経緯は異なれど、二人共自分を護ってくれたことには違いない。
この島に居る誰もが、狂った余興に放り込まれた被害者なのだ。段々と意識がはっきりしてきた親泰の頭に、この余興そのものに対する怒りの感情が生まれ始めていた。
昌景「ふふ、兄貴か。私にも故郷に兄者が居てな。故にそやつの言うこともよく分かる」
親泰「・・・あに、・・・うえ?モ・・・、モトチカ・・・?」
親泰は、重秀の顔を見、その後ゆっくりと空を見上げた。その名前は、聞いたことあるような無いような、やっぱり不思議な名前だと思えた。
――兄上・・・?
景虎「・・・ふふふ。そのような者が小生にも居たな。そういえば・・・」
自分の息のかかった者を、余興を動かす駒として送りこむ、常套手段の一つ故、それ自体は容易に予想は出来るだろう。
だがまさか、長宗我部元親、これほどの男が“それ”であるとは
この時・・・
まだ・・・
・・・誰も知る由もない・・・。
【44番 香宗我部親泰 『長曾禰虎徹』】
【29番 飯富昌景 『オーク・Wアックス』『フルーレ』】
【58番 鈴木重秀 『USSRドラグノフ(残弾4発)』『SBライフル(残弾14発)』】
【69番 長尾景虎 『片鎌槍』『十手』】
食料配布地点3-Eを目指します。
「失礼します」
軽いノックの後、廊下に響く声と共にゆっくりと鉄製の扉が開かれる。
「待っていたぞ、ここに来い」
このゲームの名目的主催者である天皇のいるモニタールームより一回りか二回りほど小さい部屋。
その四方の壁を埋め尽くさんばかりの本棚と、その間に所狭しと並べられた書籍が入ってきた者を圧倒する。
その真ん中に少し古びた木製の机と、簡素な肘掛のついた椅子が置いてある。だが、椅子には誰も座っていなかった。
「早く来い、渡す物がある」
部屋の主でこの大会の実質的主催者のロヨラは部屋の右手にあるロッキングチェアに大きな革の袋を乗せて、立っていた。
手すさびにロッキングチェアをきいきいと軋ませながら、揺らしている彼はとても、この島で起こっているような邪知暴虐な事を考える人間には思えなかった。
頭から黒いローブを着込んだ従者はその姿を見つけると小走りでロヨラの傍に駆け寄る。
ロヨラはその従者の方を見やると、揺れるロッキングチェアを静かに手で止めた。
「お前にこれをある参加者の元に持っていって欲しい。」
言いながら、ゴルフバッグ大の革の袋を軽々と持ち上げて床に下ろし、そのチャックを静かに開けていく。
そこから姿を現したのはいくつかのパーツに分解されてもなお、かなりの長さをもつ『USSR PTRS1941』―通称「シモノフ対戦車ライフル」であった。
「その参加者とは、以前話されていた?」
その長大な銃身に少しばかりたじろぎながらも、従者が冷静に聞き返す。
「ああ、そうだ。」
言いながら、ロヨラは分解された銃身をそれぞれ、静かに床に並べて、その一つ一つを確認する。
「よほどイレギュラーを討った06番が気にいったのか、褒賞の品を聞くと、悪趣味な事を考える帝の割にはこんな物を出せといってきた。」
手を休める事無く、ロヨラは答えた。
そのまま、全ての部品と弾薬、そして説明書があることを確認し終えると、それを元通りに皮袋の中に戻していく。
「ヴァリニャーノが出るとは言っていたが、今まで黙っていた彼奴がいきなり行動を起そうとするのも妙だ。」
言って、部品を入れ終わると金属のチャックをしめ直し、それを従者の方に差し出す。
「とはいえ、58番や69番のような者が我々には向かう動きを見せているからな。私は不測の事態に備えてここに残らなければならない。」
従者はその体に対してもかなり大きい皮袋を背負いながら、ロヨラの話を黙って聞いていたが、主の意を察して発言した。
「ですから、自分が浅井長政のもとへ行けばよろしいのですね?」
「そうだ。06番は今現在4-D付近で確認されている。、RouteTを使えばすぐに接触できるはずだ。」
「わかりました。仰せのままに。」
言い残して、かがみ込んでいた腰を上げて、そのまま部屋を出て行こうとする。
「待て」
今までになく、そそくさと立ち去ろうとする従者の様子を見咎めて、ロヨラが強い声で引き止めた。
「何か?」
振り向いた際に、烏色のローブの間から従者の横顔がちらりと覗く。
その奥の澄んだ瞳は紛れもなく、ロヨラの知っている従者のそれであった。
「いや、何でも無い。今、島は危険だ。フロイス達もきな臭い動きをしている。地下通路を通っている時も油断はするなよ、後から撃たれぬようにな。」
「お気使いありがとうございます。」
一礼して、従者は入ってきた時のように静かにドアを開ける。
そのままドアが閉まる、無骨な音が響き、部屋はまた無音の世界に戻った。
・・・・・・。
しばらく前からあった誰かに見られている感覚は、気のせいなどではなく、やはり今、目の前に居る彼女の視線であった。
いつか会いに来ると予測はしていたが、それでも唐突な再開に動揺は隠し切れなかった。
当然、向こうにもこちらの心理状態は筒抜けらしく、ノドカの姿を借りたそいつは腕組みをして、余裕の笑みを浮かべている。
こちらは、ばれていると知りつつも少しでも自身の心理状態を悟られないよう、表情を堅く、無言のまま、相手の目を見据える。
沈黙が保たれたまま、お互いの視線が交錯、いや一方は頑なに見据え、一方は底の知れない目でそれを受け流した。
「震えているの?」
長かったのか短かったのかは分からないが、沈黙の睨みあいを崩したのはノドカの口から出た一言だった。
彼女は少しも身構える事も無く、腕組みをしたまま、先程よりも心理状態を読みにくい笑みを浮かべている。
だが、沈黙の空間にどんな物と言えども、一言入っただけで、私の体を硬直させていた空気は薄れ、こちらも簡単な言葉なら返答できるような空気になった。
「ああ、震えている。」
本当に簡単に、しかも包み隠す事無く、正直に答えた。
―どうせ、嘘を言ってもさらに動揺を誘われる様な事を言われるだけだろう。
そう思ってのことだった。
「怖いの、私が?」
「ああ、怖いさ。だが、それ以上に私もお前に聞きたいことがある」
おどろおどろしい雰囲気に気圧されぬよう、こちらからも話を切り出す。
ノドカもどうぞと促すかのように頷いた。
「お前との付き合いは長いから、お前の性質は知っているつもりだ。だが、そもそもお前は一体何なのだ?」
その疑問は、以前からずっと持っていて、時間と共に重要性を無くしたはずの疑問だった。
だが、ノドカがこうなった以上、うやむやにしてはおけない、今最も重要な疑問である。
「ハハハ、ハハハハハ!」
ノドカの口から、鬼の甲高い高笑いがする。
「何が可笑しいっ!!」
鬼によって歪められたノドカのあどけない顔が、虫唾が走るような醜悪な笑みを浮かべ、その透き通った声が耳障りな高笑いをするのに激昂した私はそれらを止めるかのように叫ぶ。
「何が可笑しいって?あなたの全てが可笑しいわ」
言って、今まで以上の癇に障る高笑いをしたかと思うと、急にそいつは俯いて静まった。
「あなたは、昨今では珍しく私達にかなり近い資質を持っていたし、分かっていると思っていたけど、見込み違いね。」
さも残念そうな台詞を、まったく残念ではなさそうに話す。
「近い?私とお前がか?笑止、私はお前と肉体を共有してはいたが、似てると思った事などないな。」
こちらが断じて否定する所を見て、興が冷めたのか、ノドカの顔が少し真剣な物になる。
「・・・では聞きましょうか、あなたは人が激昂したところで、肉体の能力が上がると思う?」
今までとは正反対な現実的な話に、激昂して上っていた血が徐々に収まり、代わりに冷静な脳が質問に対する答えを返す。。
「いや、怒りは実力以上の成果を引き出すこともあるが、それは多少の問題だな」
「その通りね。人間は感情によってある程度、クオリティの差は出るけど、それにも自ずと限界があるわ。」
満足そうに頷きながら答える。すると、不意にノドカが私の方を指差した。
「じゃあ、あなたはどうなの?」
「何?」
「もしあなたが、ただの人間だというなら、怒り狂った所で素手で軽々と人を殺すことができる?」
私ははっとした。確かに、私には怒りに身を任せて人を殺してしまっていると言う自覚はあった。
だが、その行為自体は鬼がやっていたせいか、今言われたような疑問が伴わなかったのだ。
しかし、私が疑問にしなくとも、怒りに身を任せて相手を殴り殺し、刀を持っていた時には敵を鎧ごと叩き斬っていたのは紛れも無い私自身の手なのだ。
「だが、それはお前が私の肉体に・・・」
私の中の陳腐な理性が、慌ててそれを否定しようと、言い繕い、反論しようとする。だが、
「違うわ」
と、何を言わんとしているか見透かされているように、一声で制止される。
「私はただの意識と理念の集合体。あなたに分かりやすいように言えばただの霊魂よ。人の体を作り変えるなんてできない。それどころか、選ばれた人間にしか憑依することもできない脆弱な霊よ。」
「では、何故?」
先を促すように問いただす。
「急かさないで。・・・あなたはあの日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が何故死んだか知っている?」
「確か、尾張国に寄った後、伊吹山の神に祟られて死んだと・・・」
「もう一つ、あなたは先祖の事をどれくらいまで知っている?」
一種の策略なのかもしれないが、こいつの質問はいつも人を深く考え込ませる。
何故なら、そのどれもが的を射ない質問であるように見えて、しかし、後から思い直すと結果的に、重要な意味を帯びている質問であったりするからだ。
今回もそうだ。考えた事もなかったが、私は祖父以前の浅井の家のことを全くと言っていいほど知らない。
気付けば、小谷にいることが当然となり、私の中での浅井家は祖父・亮政から始まったも同然なのだ。
しかし、その祖父自身は何処の出身だったのであろうか?鎌倉の昔から近江に根付いてきた佐々木氏を倒すほどなのだから、有名であるはずなのだが・・・。
「私が言い当ててあげましょうか?貴方にとっての祖先とは、あなたのお祖父さんの代まででしょう?」
「ああ、癪ではあるが、確かにそうだ。しかし、それとお前と何の関係がある?」
「聞きなさい、・・・日本武尊を倒したのは神などではないわ。伊吹の民よ。」
伊吹の民。聞いたこともなかったが、確かにあの辺り一体は数多くの薬草が芽吹く日本でも有数の産地であるし、古来から人が住んでいてもおかしくは無かった。
「それが、お前だと言うのか?」
「察しがいいわね。そうね、私は元々その民の皇だった人間ね。・・・これであなたの一つ目の質問の答えになったわね」
確かにこれで、ノドカと私の体に居る別の存在が、何なのかという疑問は晴れた。
「そして二つ目の質問。あなたと私の関係。これはその私達、皇がなんと呼ばれていたかを語った方が早いわね。伊吹の民は自らの事を「アサ」と呼んでいたわ。」
貴方が今使っている大和言葉も、伊吹の民の言葉も近い言葉だからわかると思うけど、『アサ』と言う言葉は、全ての始まりとか、明白なという事を意味しているの。」
つまり、「朝」であり、「浅」でもある。伊吹、つまり全ての始まる『息吹の山』っていう意味だったんでしょうね。」
眉唾な話ではあるが、確かに理にかなう話である。しかし、やはりというか、冗漫なその話に首をかしげた所で次の話が始まった。
「あと、大和の『忌部』の民の字からも分かるかもしれないけど、『イ』という言葉は元々、『忌』の意味も『斎』の意味も含む、神聖なものや目に見えないもの、
さらに、人の心を表す『意』でもあるわ。そして、彼らは忌まれる物であり、斎まれる物であり、意を体現する物、即ち私のような皇の事をそう呼んだわ。」
「しかしそれでは語呂が悪くは無いか?」
冗長ではあったが、何となく興味がもてる話に、私は相槌を打つ。
「そうね、彼らも、そのまま呼んでいたわけでは無いわ。琉球の言葉で琉球人自身のことを「内なる人」という意味で、『ウチナンチュ』、
大和人の事を『大和の人』という意味で『ヤマトンチュ』と呼んだように、彼らもまた、伊吹の皇という呼び方をしていたわ。」
「つまり、それは・・・えっ・・・」
その時私は自分の頭に浮かんだ言葉に、凍りついた。
「彼らの王の名は『朝忌(アサイ)』。時の流れで『アザイ』と濁ったけれど・・・あなたの祖先、それは早い話、私。これが二つ目の質問の答えよ。」
自分でも考え付いた事ではあるが、念を押されたような、そいつの言葉に私は愕然とした。
言えるものなら「出鱈目なっ」とでも言いたかった。しかし、理性が彼女の話を嘘だと否定する以上に、私の血というか、直感がそれが嘘ではないと分かってしまっていた。
「信じられないのも分かるわ。あなたが分かりやすいようにもう一つの視点から話しましょうか・・・。
日本武尊との激しい戦の後、辛うじて日本武尊は倒す事が出来ても、その後の状況ではいくら異能の一族と言っても、二次、三次の討伐隊を防ぎきる事は出来ずに伊吹の国は滅んだわ」
そして、ゆっくりこちらの目を見据えるようにして、ノドカが一歩踏み出す。
「けれど、一族は散り散りになりながらも生きていたの。根付いた土地の人間と睦み、子を育み、そして死んでいったわ。そうして、朝忌の血は確実に薄れ、徐々に他の人間と区別のつかない者となっていった・・・」
でもね、日本武尊との戦いで命を落とした皇も、その能力で、意識と理念を、それを受け入れるだけの器があった、一族の人間に移す事で生きていたのよ」
「それは・・・」
「わかったようね。その皇の意識が、あなたが鬼と呼んでいた私。そして、私を受け入れられる器を持った一族の生き残り。それがあなたよ」
「しかし・・・しかし、ノドカは何も関係がなかったではないか!どうして、お前は彼女に!?」
「私とて初めは驚いたわ。でも、前にも話したように禰宜の一族だったようだから、この娘もまたどこかの異能の一族だったのでしょうね。」
言って、ノドカが昌信のつけていた、あの面頬をその顔に装着する。
「あなたを使って私達の怨念を晴らそうかと思ってたけど、めったに思いのままにならぬあなたよりこの体の方がよっぽど使いやすいし・・・」
目にも留まらぬ速さでノドカが匕首を抜いて、その鈍色に光る切っ先をこちらに向ける。
「『朝忌』の名を持つ者は二人も要らないわ。私の残滓を返して早々に消え去りなさい!」
叫んだ瞬間、ノドカのいた場所にはただ砂埃だけが舞い、5間(約9m)は開いていたはずの間合いが一瞬にして詰められ、その手に握られた刃が私の胸に向かって迫り来る。
私は得物を抜く暇すら与えられず、大きく左に飛んで、第一撃の刺突をさける。
しかし、避けきった後、ノドカの姿を確認しようとした瞬間、ノドカの鞭のようにしなった蹴りが私の肩に炸裂した。
恐らく、走りこんできた勢いを殺す事無く、右足を軸にして回し蹴りへと転換したのだろう。さほど痛むわけではないが、軽量のノドカの体からは考えられない威力だった。
―小烏は使えない。あれではノドカの匕首の素早い攻撃に対応できない。かといって、5-7も駄目だ。
―ノドカを護らなくてはいけないのだ。今はただ受け流し、耐え忍ぶしかない。
そこでようやく、腰に差してあった昌信の形見であるエクストリーマ・ラティオを抜き放つ。
飾り気のない、シンプルな拵えが妙に頼もしく思えた。
考えつつ振り返ると、ノドカはこちらの反撃を警戒してか、またかなりの距離をとっていた。
「朝忌の皇よ、お前に話がある。」
お互いの攻撃が始まる前に私は声を張り上げる。
「何なの?命乞いなら受け付けないわよ?」
低俗な邪推だと思いつつもそれは気に留めず、ただ自分の主張だけを口にした。
「ノドカを解放しろ。私の体ならお前にくれてやる。私の体の方がお前も扱い慣れているだろう?」
「駄目ね。そうはいってもあなたの我は強すぎるわ。この抜け殻同然の娘ならば、力はあなたに劣ろうとも意のままになるわ。こんな良い体を諦める話があって?」
「しかし・・・」
「交渉決裂ね」
鼻で嗤うと、先ほどには劣るが、かなりのスピードでこちらの間合いに切り込んでくる。
その匕首は正眼に構えられていて刺突にも、唐竹割にも転じる事ができるので、こちらもその切っ先の動きに集中して待ち構える。
不意に切っ先が突いて来るでもなく、唐竹の方向に振り上げられるでもなく、大きく、後ろに引き下げられ、そちらに視線が行く。
その刹那、右手を注目していた私の顔はノドカの左手の掌底で一気に殴りつけられ、顎への一撃でぐらりとよろめいた瞬間に、間をおかず、胸と鳩尾に追撃の蹴りを喰らう。
「私が匕首を持ってるからといって、それで攻撃してくるとは限らないわ。今みたいにね。」
そのまま、ノドカはナイフを振り上げようとする。
だが、私はよろけながらも、目だけはノドカの方に向けており、ノドカもそれに感づいたのか、それ以上の追撃はなかった。
ノドカの攻撃がゆるんだのを機に、次はこちらから仕掛けていく。
右手にナイフは握っているが、それはあくまで、向こうの匕首を払うためだけにある。
必然的に、左手と両足が主体の攻撃となり、それぞれ一撃と一撃の短い間で正確に狙いを定めたにも拘らず、その全てが見切られて、軽々とかわされた。
しかし、それは計算の内だ。こちらの攻撃が緩慢になってきたのを見計らって、ノドカが今までバックステップしていた足を切り返し、そのままナイフを私の胸に目掛けて突いてくる。
その突き出されてきたノドカの右の手首を、私の左手で掴んで背負い込み、一気に投げつけようとする。
このいくらノドカの動きが速かろうと、掴んでしまえば、力の面で私に分があると考えた上での作戦だった。
しかし、
「甘いっ!」
と、声が聞こえたかと思うと、背負い投げ直前の体勢でノドカの左手が、私の首に巻きつき、一気に締め上げられる。
「ぐ、ぐ・・・」
これでは、ただ後ろを取られたのと同じ格好だ。しかも、徐々に締め上げられている首に力が掛かっている。
片手ではへし折られる事はないだろうが、鞭打ちになるかもしれない。
―このままではいけない。
悟った私は、一気に力を振り絞って、ノドカの右手を力の限り前方に引っ張る。すると、いきなり引き伸ばされたノドカの筋が悲鳴をあげ、彼女自身も小さな声を上げた。
そのまま、耐え切れなくなったのか、私の脇を通ってノドカの体が私から離れる。やはり、力自体は私のほうが上のようだ。
それに、皮肉な事ではあるが、戦闘による昂奮で、私の中の血も目覚めてきたのか、大分身が軽くなり、力が湧いてきた。
直後、感覚的に大きく後に跳んで、間合いを取る。頭はそうでなくとも、体は完全に戦闘体制に入っているようだ。
そして、睨み合いというほどの時間も無く、お互いが走り出し、影と影が重なり合った瞬間にナイフとナイフが交錯し、火花が散る。
鍔迫り合いでは、ノドカの匕首よりもこちらのエクストリーマラティオの方が長い分、有利である。
だが、ノドカはそのことに気付いているのか、すかさず、刀の峰に左手を押し当て、力を上乗せしてきた。
こちらは両刃だ。同じ事は出来ない。いくら、力の差があるとは言えど、腕一本で、腕二本分の力は凌ぎきれない。
―このままじりじりと押し込まれるよりは、いっそ・・・
思い立ってすぐ、あえて刀から力を抜いて、斜めに体を引く、思惑通りそれにつられてノドカがつんのめった形になって、一瞬バランスを崩した。
同時に、引いた左足を軸に、右足でノドカの鳩尾に膝蹴りを、追い討ちに、空いた背中に肘鉄を入れる。
「がはっ・・・」
苦悶の声を上げて、ノドカの唇から赤い物が覗く。恐らく、今の攻撃で内臓のどこかを痛めたのだろう。
だが、苦痛にもがきながらも、素早く体をスライドさせて私の更なる追撃から逃れたのは流石と言えた。
「やっぱり、殺しておくべきだわ。あなたの体は魅力的だけど、危険が多すぎる」
言って、今の打撲傷を覆っていた手を構え直し、まだまだ戦意が衰えていない事を示す。
「その体でまだやる気か?」
「・・・言ったでしょ、『朝忌』の渾名は私にこそ相応しいと。」
お互い、息が上がってきている。鬼の血が活性化している間は運動効率もよくなる代わりに、体力の消耗も激しい。
―このまま、どちらかの死でしか、決着がつかないのだろうか?
―そうなのであれば、私はこの手でノドカを殺すことができるのか?
―否、断じて否。昌信との約束を、私の誓いを忘れたか?
私にとっては大事な考えであるが、今のノドカ・・・つまり朝忌にはその様な事は関係ない。
こちらの考えなどおかまいなしに襲ってきたノドカに、私は大きく遅れをとってしまった。
低い体勢のまま、一気に間合いを詰められ、握られた刃が勢いよく切り上げられる。
体をそらしてそれを避けようとしたが、それでも、刃の一部が左の頬から額にかけて、ちょうど瞼を両断し、その奥の瞳も斬りつけられた。
かつて無い激痛にパニック状態になりながらも、慌てて、確認もする事無く後ろに跳躍して、間を開ける。
だが、どれだけ間があいたのかは分からなかった。恐らく、左目を切られたショックで、右目も一時的な盲目状態に陥ってしまったのだろう。
私の司会は一瞬にして奪われたのだ。
ともかく、傷の状態を知ろうと手で触れてみると、当然ながら、切られた箇所からは盛大に血が噴き出ていた。
光を失った自分にはわからないが、目の周りの傷から流れ出てきた血は、さながら私が血の涙を流しているようにも見えたことだろう。
その時、私の血の涙で呼び起こされる物があったのか、ふと朝忌の気配が消え、代わりに懐かしい気配が感じられた。
「長政様、泣いているんですか?」
―懐かしく、優しい、慈母のような声だった。
「ノドカ・・・なのか?」
尋ねた瞬間、ノドカの声が震えて、荒い息遣いに代わり、気配もノドカと朝忌の気配が混濁したような物になる。
「何故!?急にこの娘の空虚さが消えるなどありえないわ・・・!」
苦しんだような朝忌の声が聞こえる。ともかくノドカの意識が戻ってきている事は確からしい。
森の土にどさりと倒れこむ音が聞こえ、見えなかったが私は手探りで、倒れこんでいたノドカに触れて彼女の体を抱き寄せる。
「ノドカ、聞こえていたら返事してくれ」
「う゛、う゛ぅぅ・・・」
ノドカの口から、痛ましい声が断続的に漏れていおり、励まさなければならないと思った。
「頑張れ、ノドカ!何か、私に出来る事は無いのか・・・?」
そう聞くと、私の腕の中のノドカの体が急にびくんと震えて、小さな震えは止まり、気配も完全にノドカのそれとなった。
「長政様、目が・・・」
「ああ、左目は見ての通りだが、今は右目も見えないようだ。だけど、ノドカが無事ならば私はそれで十分だ。」
この言葉は強がりでも何でも無い、私の正直な本心だった。
これから、ノドカを護る者としての能力は半減するだろうが、今はノドカを護れたという事だけが嬉しかった。
「・・・嘘です・・・。」
「大丈夫だ、心配するな。それより、ノドカこそ大丈夫なのか?鬼の気配は消えたようだが・・・。」
聞くと、何故かまたノドカが小さく震え出した。
「長政様、落ち着いて聞いてくださいね。今、私の家に伝わる秘術を使って、私の意識を表面に出しました。」
「秘術?」
「はい、身に取り付いた霊を、自らの器に取り込む秘術です。」
言葉の真意はまだわからないが、私は全身が凍て付いたような感じがした。
「それは一体、どういう事なんだ?」
自分の予感が外れている事を祈りつつ、ノドカに聞く。しかし、
「私という人格の器の中に長政様の鬼を取り込んで、私の支配下において、おとなしくさせると言う物なんですけど、でも、やっぱり長政様の鬼は強いです。このままだと、私という人格が逆に取り込まれてしまいます。」
「冗談を申すな。」
「いいえ、今も私という意識が私の内側から突き崩されそうなんです。」
「では、すぐに私の中に、私の中に返すんだ。私なら大丈夫だから、早く!」
こんな時に、ノドカの顔を見ることが出来ないのが何よりも残念であり、ノドカの苦痛の表情を見ないで済むのが嬉しくもあった。
「完全に取り込んでしまったんです。もう返す事は出来ません。ごめんなさい、でしゃばった事をしてしまって。」
「いいんだ、それよりどうすればいいんだ、私に何が出来る?」
「何も。」
私は自らの無力感に脱力した。私は自分の先祖すら自分で処理できないのかという憤慨が胸を食い破りそうだった。
「・・・でも・・・」
ぽつりと、ノドカが呟いた。それに一縷の希望を見い出して、先を促す。
「でも、何だ。何でも聞いてやる。」
「じゃあ、一つだけ・・・」
「私を殺してください」
文字通りの絶句だった。先ほどまで、ノドカを心配して、ひっきりなしに動いていた唇と舌がまるで凍りついたかのように動かなくなった。
「悪い冗談はよせ。」
凍りついた心を必死にふりしぼって出せたのがその短い言葉だった。
「いいえ、このままだと、私の人格が逆に鬼に取り込まれて、私という存在は消えて、この体はただ単に鬼のものになってしまいます。でも今なら、私ごと鬼を殺すことが出来るんです。」
「しかし、それでは何にもならないでは無いか!私には出来ない。」
「長政様、何でもしてくれるって、言ったじゃないですか。」
心の中から心を突き崩されると言う私には想像も出来ないような痛みをこらえて、ノドカがはにかんだような声を出す。
その時私は、この暗闇を恨んだ。こんな時、もっと性格にノドカの挙止動作の一つ一つを見守りたいのに。
「私、父とも母とも死に別れ、この島で源五郎君も失っちゃって・・・もう、失うことに慣れれてますから。だから・・・」
「言うな。もう自分を苦しめるんじゃない。」
「長政様、お優しいんですね。う、ううっ・・・」
「どうした、ノドカ!」
「ちょっと、暴れてるんですよ・・・。お願いします。この苦しみから解放してください。・・・でも、その前に」
ノドカが、少し言葉を止める。その間に苦しげな荒い息遣いが聞こえた。
「私を殺す前に、その、あの時のように・・・口付けをしていただけませんか?」
その言葉に私は面食らい、滑稽なほどうろたえた。この状況になって初めて、ノドカの何一つ隠さぬ本心を聞き、驚いたからだ。
「だ、駄目ですか?」
ノドカが不安げな声で聞いてくる。見えないけれど、おそらく、捨てられた猫のような顔をして私の開いていても見えていない右目を見つめているのだろう。
「ノドカ、私達が共に生きる道は無かったのか?」
「あったでしょう。でも今はこれが最善だったと思います。」
「何が最善なものか!ノドカが死んでしまっては何にもならないだろう!」
「でも、誰かがどうにかしなくちゃならないんです。それがたまたま私だったんですよ。・・・でもたとえ自己満足だとしても、それが―好きな人の役に立てるのが嬉しいんです。」
「私のわがままで、長政様につらい思いをさせることは分かっています。でも、私の後を追う様な事だけはやめて下さいね・・・あ゛あ゛っ」
ノドカの痛みを堪える声がまた一段と強くなる。恐らく、もうノドカの心が食い破られかけているのだろう。
「ですから長政様、私の一生で一度のわがままを聞いていただけませんか?」
「ノドカ・・・。」
言われて、手探りで静かにノドカの顎を探し、あの日のような、ぎこちない口付けをする。
「あたたかい・・・。長政様を感じます。」
「私もだ。ノドカ。」
「う゛・・・長政様、思い残す事はありません。お願いします、私の心が殺される前に殺してください。」
私は静かに頷いて、ノドカから手渡しで渡された匕首を握り、それがノドカの手でノドカの心臓と思われる位置に導かれた。
「ノドカ・・・」
「長政様、愛しています・・・」
次の瞬間、私の手に力が入り、一瞬、匕首を握った掌に震えを感じたかと思うと、ノドカの気配も、朝忌の気配も、直感で感じられる全ての生命の気配と言う物が消えた。
その時、私はショックで右目の視力を回復することが出来た。
しかし、私は永遠にノドカという掛け替えのない女(ひと)を喪ってしまった。
私はただ声の限り哭いた。―真紅に染まった涙を流しながら。
【71番 長坂長閑 死亡】『無銘匕首』『U.S.M16A2 (残弾9発)』は06番浅井長政が回収。
【06番 浅井長政 『FN 5-7(残弾17発+mag1)』『天国・小烏丸』】左眼失明。4-D森
【残り14人】
348 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:12:29
ちょっとageときましょうね
「ようやく・・ここまで着いたか・・」
弟達の安否を気遣うが故か、元親は全速力で3−Hを抜け3−Gまで来ていた。
天皇の放送があるたび内心冷や冷やし、死亡者の中に弟達の名前が無いことを知って何度も胸を
撫で下ろす。だが、放送のない間にもこの余興は進行している。
今も危険な目に遭っているのではないかと思うと、元親は落着いていられないのである。
そんな思いが気力になっているのか、あまり疲れを感じず走り続けていた。
といっても化け物ではないのだから呼吸は荒れているし、身体的には疲れを感じている。
だがその足を止めようと思えない。少しでも早く目的地へ着きたかった。
(3−Fに着いたら少し休もう・・)
もしかしたら弟達も自分と同じように3−Eから離れている場所に居て安全かもしれない。
お互いの場所が何らかの形で確認できたら少しは安心できるかもしれない。
(あの天皇がそんな気の利いたことをするはずはないが・・)
元親はいろいろなことを考えながら走り続けた。
その頃、朝比奈泰朝は3−Eへ着いたものの様子を覗おうとワザと通り抜け、3−Fの森で
身を潜めようと移動していた。
食糧配給場所と言っていたわりに3−Eには人が居ないように思えた。
が、それぞれが警戒しているであろうからそんなに堂々と居るはずもない。
(油断は出来んな・・如何なる時でも警戒しておかねば)
3−Fでようやく腰を落着ける。
(もう狼とか出てこないだろうな・・?)
耳を澄まし辺りを警戒する。周囲には気配は感じない。
少しはなれた場所から来る者が居ないかを確認するために、耳を地へ伏す。
(・・・・・)
(・・・・・)
(・・・・!)
足音と思える振動が泰朝の耳に感じられた。
(何かが来るな・・獣の動きではないと思うが・・誰だ?また天皇の狗か?)
姿の見えない敵に泰朝の緊張は高まった。静かなせいか自分の心の拍動が聞こえる。
ドッ・・ドッ・・ドッ・・ドッ
泰朝は足音の方向を予測しその方向を見据え待つ。
そこへ駆け込んできたのは自分より遥かに若い青年元親である。
元親は息を乱しその場へ座り込む。疲れきっているためか、周囲に警戒する余裕が見られず、
泰朝の存在にも気がついていないようだ。今、泰朝が得物を片手に襲い掛かっても元親は反応で
きず易々と討ち取られてしまうだろう。しかし、そんなことは起きなかった。
ここに居たのが泰朝でなかったら状況は変わっていたであろうが。
「御主は誰だ?」
いきなり聞こえた声に驚き元親は身体を強張らせた。木の陰から老将が姿を見せる。
「・・・・・」
自分より長いリーチの得物を持つ男を前に元親は言葉を失った。誰も居ないだろうと心のどこか
で安心していた元親には、泰朝の存在がどれほどの恐怖に思えたであろうか。
「もう一度聞く。御主は誰だ?」
「わ、私は・・ハァ・・長曽我部・・元親・・だ」
まだ回復していないため、息を苦しそうに荒げながら元親は名乗った。
「某は朝比奈泰朝だ。」
「ハァ・・ハァ・・」
泰朝の真っ直ぐ自分を見据える眼に、元親は鬼になる前の自分と似ていると感じた。
前の自分なら『正義』を持つ者に出会えたことに喜びを感じていたであろう。
だが、今の元親には苦痛に思えた。
(私が鬼に魂を売る前に出会いたかったものだ・・)
「御主は余興に乗るものか?」
「・・・・」
「このくだらぬ殺し合いに御主は何を望む?」
「・・・・」
次から次へと出される泰朝の質問攻めに元親の心は穏やかではなかった。
前の自分ならやましい事も無く、素直に率直な返事をしていたであろう。
だが、殺し合いに乗ってしまった今では、泰朝を納得させる答えが見つからない。
(やはり戦うしかないのか・・?)
弟達のために鬼となろうと決めたはずの心が痛む。
だが、ここで躊躇している間に自分の知らないところで展開が動いているかもしれない。
「答えられぬか?」
泰朝の声が微かに低くなる。元親はその小さな変化をも聞き逃さなかった。
(私を敵だとみなしたか・・争いは避けられそうに無いな。この男は余興に乗るものを悪である
と定めているのだろう。ならば、私は立派な敵だ・・)
ようやく整ってきた呼吸。恐怖心も最初よりは薄らいできていた。
「私は弟達を救うために余興に加担すると決めた。くだらぬ殺し合いに望むは弟達の無事と幸せ
だけだ!」
「天皇の狗ということか」
「理由があるとはいえ、結果的にはそうなるな」
「ならばここで某に殺されても文句はないな」
「・・ここで死ぬつもりはない。弟らを守るためにもこんなところで歩みを止めるつもりはない
のでな」
「ほざけっ!!」
怒りに任せた泰朝の一撃は恐ろしいほどに力任せであった。
当たっていれば即死であったであろうが、元親は冷静に相手の動きを見切りその一撃を避けた。
ブオンッと大きな音がし宙を斬る。巻き起こった刃風で木がなぎ倒された。
「ふぅ・・嫌な得物だ。私の持つ鎌の何倍だろう・・その得物のリーチは(当たっていないのに
木がなぎ倒された・・下手な回避をしていたらやられかねないな)」
元親はリーチの不利を考え、相手の攻撃を警戒し間合いを取りつつわざと木のある方へ相手を誘
う。チラッと視線を泰朝から外し、木のほうへ向けた元親。次に視線を戻したときには既に遅く
泰朝の体当たりが元親の身体を捕らえていた。
「がはっ・・!」
泰朝の左肘が元親の腹に入った。一瞬の隙を突かれたことで防御体勢の取れなかった元親は、勢
いのある泰朝の体当りで吹き飛ばされてしまった。
「ゴホッ・・ゴホッ!」
苦しそうに咳き込む元親に泰朝は容赦なく襲い掛かった。青龍偃月刀が元親には死神の鎌のよう
に思えた。
「クッ・・!!」
必死にかわすが、次から次と泰朝の攻めの手は休まらない。致命傷は必死で避けるが、掠り傷は
避けられなかった。手や足のいたる所から血が流れる。
(この余興でここまで追い込まれたのは初めてだ・・)
「天皇の狗はなかなかしぶといな。まだ頑張るか」
泰朝は怒りで力任せの大振りであったために元親はかわせていた。冷静な攻撃であれば致命傷を
受けていたかもしれない。
「一つ聞かせて欲しい・・どうしてそこまで余興に乗るものを赦せぬのだ?」
「大切なものを奪い去ったこの忌々しい余興に加担する蛆虫どもが赦せぬだけのこと。他に理由
はいるまい」
「このような争い無意味とは思わぬか?」
「よくほざく・・命乞いならもっとマシに・・」
「さっきも申したが、私は弟達のことしか考えていない。私はただ大切なものを守りたいのだ!」
「どのような理由にせよ天皇の狗には相違なかろうが!!」
「ぐっ!?」
青龍偃月刀の柄で足を払われ、元親は体勢を崩す。
「このように争うことが天皇を喜ばせていると思わぬのか?」
言葉を止めた時点ですべてが終わるような気がして、後ろへ後ずさりつつ元親は発し続けた。
ドンと背中に木があたる。
「御主の申すとおり、どれほどもがいても天皇の手中で転がされているだけかもしれん。
だが・・」
「それでも悪を斬り捨てなければならんような気がしてな」
農民が田を耕すような体勢で青龍偃月刀を振り上げる。
全身全霊を込めて元親に振り落とされた。
ガキイイイイィィンッ
刃が重なり合った音が響いた。
「!・・・」
寝転んだ体勢の元親は自分だけでは受けきれないとみて、木に鎌を突き刺し、力を込めて泰朝の
一撃を受け止めた。直撃は免れたが元親の身体から血が滲んだ。
「受けとめる所を高めにとったが・・やはりその刃風は恐ろしい。もう少し低ければ血が滲むく
らいじゃすまなかったであろうな・・」
「・・そこまで短時間の中計算したのか?腕一杯挙げた場所で受けとめる。まさか木を使うとは
思わなかった、・・それに、これも某には計算できなかった」
自分の心臓に置かれたウィンチェスターM1897に眼を向けつつ泰朝は無念そうに発した。
「某の負けか」
「私は・・・・・」
その時元親にロヨラの言葉が思い出された。
『貴方がこのまま血の雨を降らせないというのであれば、代わりに我々の手の者がお二人に血の
雨を降らせて貰うだけですよ』
(この戦いとて誰に見られてるかわからぬ。今更何を迷う?私は仏を既に裏切ったではないか!
甘い感情はもう捨てなければ・・・)
元親は泰朝に言葉を告げた。
「本当は御仁のような方を殺したくは無い。だが、弟達を助けるために私はここで貴殿を殺さな
くてはならない。赦してくれとは申しません。恨んでくださって結構です」
「何を今更・・・」
元親の瞳に涙が見えた。と同時に、泰朝は怒りに熱していた体が徐々に冷めていく感じがした。
「大切な者を守るために狗に成り下がるは某、認められぬと思っていた。だが、綺麗事だけでは
この余興の中生き残れぬのかもしれん。悪を斬っていたとはいえ『殺し』に変わりないのだ。某
は己自身を正当化しすぎていたのだろう」
「・・私も初めは同様だった・・」
元親の銃を持つ手が微かに震える。泰朝はそれに気づき手を伸ばす。
引き金にかかる元親の手を優しく握り微笑んだ。
「この細腕で修羅の道を歩むか。だが、まだ鬼になりきれておらぬとみえる。某は最期に御主と
一戦交えて良かったと思うぞ。―ようやく・・主君の元へ詫びに逝ける」
「どうして・・・」
「侍として戦で散るは本望。たとえ、くだらぬ殺し合いでもな。某の武器は御主が使ってくれ。
戦利品と思ってな。義元様、朝比奈泰朝、これより参りますぞ!」
泰朝の手に力が入り元親は引き金を引かされる形となった。銃音が響き、地に倒れた体勢の元親
に覆いかぶさるように泰朝の身体は崩れ落ちた。元親は暫らく動かなかった。泰朝の返り血を浴
び、血に汚れた元親はただ涙を流した。
(いっそあの一撃を食らったほうが楽であったかもしれぬ・・親貞、親泰・・どうか生きていて
くれ。でなければ、自分の心を捨ててまで生き残る意味がない―)
元親の負った傷が今頃になって痛み始めた。
【65番 長曽我部元親『鎌』『ウィンチェスターM1897(残弾3発)』『青龍偃月刀』】
3−Fで少し休息して3−Eへ向う予定
【09番 朝比奈泰朝 】3−Fにて死亡
残り13人
「とりあえず、ここに居ても仕方ないから、長政の所へでも行ってみる?」
(うむ。ここに居ても仕方ないしな。そうしようか。)
それから数分後・・・
「そういえば、人間と猫とどっちの方が楽しい?」
(人間と猫?わしは人間の方が好きな事ができるからな。なにより、猫は立てないから不便じゃ)
「だよね〜。あたしも人間に戻りたいよ。」
(そうか。わしと一緒なのか。おぬしも大変じゃな)
「あれ?あたし今すごい事言ったんだけど、何も感じないの?」
(何か言ったか?)
「だ・か・ら・、あたしも人間に戻りたい」
(人間に戻りたい・・・人間・・・な・・なんだって!?もしかして、おぬしも元は人間なのか?)
「実はそうなんだ。テヘッ。あたしの人間だった時の名前は凛って言うんだよ。」
(凛と申すか。何処の国に住んでいたのだ?)
「え〜と、なんだっけ?お殿様は浅井って言うのは覚えているんだけど・・」
(浅井・・・もしかして、近江の国か?)
「まだ、3歳の時だから覚えていないんだけど、そうだったと思う」
(3歳と申したな。猫になってからどれぐらいたった?)
「え〜と、もう5年かな・・・戻りたくても戻れない。グスン」
(5年か・・・そういえば、どうやって猫になったのだ?)
「え〜と、あたしがこけた時に、猫の頭とぶつかってその時に入れ替わったみたい。」
(ふむ・・・わしの時とは場合が違うようだな。なんとかして、元に戻れないだろうか)
「そういえば、久政って何て言うの?偉い人?」
(わしか・・・浅井久政と申す。お主の住んでいたところのお殿様と言っておこうか)
「えぇ〜お殿様なの?ほらをついちゃだめだよ。こんなに頼りないお殿様なんていないよ〜」
(いや・・・わしは・・・)
「もうほらを吹くのはいいから・・・とりあえず、長政の所へ行こう!!」
(だから・・わしはおとの・・・)
猫の体を共有する久政と凛。はたして、この先どうなるのであろうか
義輝「・・・いい加減隠れていないで出て来たらどうだ?余が死ぬまで姿を現さぬつもりか?」
トラックが爆発する数分前に話は戻るが、何者かが己を尾行している気配を感じた義輝は振り向きそう呟いた。
いや、気配・・・というより足音と言った方がいいのかもしれない。
つい数分前から、義輝が歩くたびに後ろで『パキパキ』や『バキッ』という小枝を踏む音がしっかりついてくるのだ。
そして己が止まると、その音もピタリと止まる。
当然先ほどから何回も義輝は振り返っている。が、一応隠れる術は心得ているのか、足音の主の姿は見えない。
もっとも尾行する時に足音を立てながら歩いている時点で隠れる術も何も無いのだが・・・。
なんとなく、いや十中八九この足音の主が推測できた義輝は、少し声を荒げてその人間の名を呼んだ。
義輝「・・・余は少々気が荒立っておる。いかにお前でもあまり余をからかうと承知せんぞ?・・・藤孝」
さすがに名前が呼ばれると・・・というより、まるで名前が呼ばれるまで待っていたかのように
義輝を尾けていたその足音の主『細川藤孝』は木の影から姿を現した。
藤孝「ほう、これはこれは。上様ではありませんか。どうやらお元気そうで」
まるで今たまたま会ったかのような藤孝の台詞に、さすがに義輝も呆れた。
いや、そんなことよりおよそ将軍に向かって使うべき行動や言葉ではない。
が、さすがに付き合いが長いせいか、あるいは見えぬ何らかの縁か、義輝もそのことは追求しない。
義輝「あまり余を見くびるな」
藤孝「ほう。しかし意外とその正体に気づくのが遅かったですな。上様ともあろうお方が」
義輝「む・・・まったくああ言えばこう言う・・・まあ、それはよかろう。
で、なぜわざわざ余を尾けていた?何か異端の用が無ければ、お前もそんな事はしまい」
確かに、ただ合流しようとするだけなら声をかければいいだけだし、攻撃するなら、わざと『ばれる尾行』などは決してできない。
それは藤孝であれども例外ではない。おかしなマネをして義輝を怒らせてしまっては元も子もない。
とするなら、何かそれなりの用があったのでは?というのが義輝の推測であった。だが・・・。
藤孝「・・・ふむ」
義輝「む・・・なぜ考える?」
『何か用か』そんな言葉をかけられて、用があるはずの藤孝は真剣に考え込む。
さすがにこれは義輝も想定外だった。
無論藤孝には義輝に用がある。『落胤』と明かす、という用が。
だがこの状況でいきなりそんなことを言っても『突飛な冗談だ』とか『くだらん事を言うな』と言われるだけだろう。
この状況では後者が有力だが、つまり、まず義輝は信じない。そして話はそこで終わる。
下手をすれば、間に遺恨や欺瞞が残る。
そこで藤孝は『どうしたものか』と考える。そしてその結果、彼はある展開を思いつく。
藤孝「・・・よし」
義輝「・・・何を言っている?余は急いでいる。大した用でもなければ後に回すがよい」
当然藤孝の考えがわかるはずもない義輝は、そう言い残しその場を立ち去ろうとする。が、それを藤孝が止めた。
藤孝「心せわしきお方かな・・・しばし待たれよ」
義輝「む・・・なんだ?」
藤孝「・・・一手、手合わせを所望致す」
義輝「・・・手合わせ?」
当然、こんな言葉は義輝の想定外中の想定外である。
義輝、藤孝、実力の差はあれどこの二人は互いに剣の玄人である。そして持っているのは真剣。
それでやるとするなら間違いなくどちらか、あるいはどちらも死ぬだろう。
というより、はっきり言って手合わせをする必要などどこにもない。
だが、義輝の剣技においてのプライドは『手合わせ』という言葉を聞いて、わずかばかり心が沸き立った。
藤孝とは同門・・・つまり同じく塚原卜伝の『香取神道流(新当流)』を学んだ門徒でもある。
にも関わらず、今まで手合わせをした事は一度もない。一度たりとも、ただの稽古すらないのである。
無論、過去に『手合わせをしてみないか?』と義輝が言ったこともある。
全て『いやです』の類の言葉であっさり返された。
そんな藤孝が自分から『手合わせしてみよう』と言い出したのである。
心、とりわけ義輝の中にもある『上昇志向』『向上心』が沸き立つのも無理は無い。
だが、その義輝の『藤孝と手合わせをしてみたい』と言った思いは、他の要因によってかき消された。
義輝「手合わせ・・・か、ふむ。いや、それは出来ぬ。互いに持っているのは真剣・・・。
それになにより、そんなことをする必要はどこにもないのではないか?
余もお前も、油断さえせねばこの島で命を落とすような人間ではない。戻れば付き合ってやろう」
少し後ろ髪を惹かれるような物言いをして、義輝は藤孝の想定外の望みを断った。だが、藤孝はさらに言葉を返す。
藤孝「感覚は狂いますが、刀を返して棟で寸止めでもよいし、その辺の木の枝でもいい。
およそ実力とは無縁の勝負になりそうですが、まあ、互いの体調程度はうかがえる。それに・・・」
義輝「・・・それに?」
藤孝「先ほど『必要のない勝負』と仰いましたが、この島では『必要のなさ』すら戦いの理由になる。
必要の無い勝負がこれまでどれだけ繰り広げられたか、そしてそれで何人・・・いや何十人命を落としたことか?
それを把握するため、とまではいけないが、その戦いがどんなものか・・・それを知るのもいいでしょう」
『剣豪将軍』と言えどもやはり人間である。わずかな感情の揺れを信用している相手に隠す事は出来ない。
いや、むしろ『剣豪』と呼ばれるほど剣技を鍛えた人間だからこそ、過敏に反応してしまったのではないだろうか。
あるいは卜伝から『一之太刀(ひとつのたち)』という香取神道流秘伝を授けられた己が、剣技でまさか藤孝に遅れはとらぬという慢心だったのか。
とにかくどれにせよ、わずかに義輝が見せた『スキ』を藤孝は見逃さなかった。
この後藤孝にとって手合わせに持ち込むことは非常に容易であると言えた。
決して上手に出ず、だが決して己の威厳を損なわず、相手の心のスキとも呼べるようなものを最大限に引き出し利用する。
無論これは古今無双の教養者である細川藤孝の、言葉の文法、アクセント、声色、威厳その他諸々の彼にしか出来ない究極至高の技術であり
我々現代人に彼の真似が出来ようはずが無いのだが。
そして事はどうなったかというと・・・。
義輝「・・・まあ、構うまい」
少々粗暴な言い方だが、つまり義輝は違和感を感じながらもまんまと藤孝の術中に嵌ってしまったわけである。
藤孝「左様でございますか。では、参りましょう」
そう言いながら、藤孝はそのあたりの小枝を拾い、軽く手中で振り回す。
藤孝「・・・・・・・・・・・・おっと、そういえば、少々失念していた事が」
藤孝はまた手中の小枝を回転させ、思い出したかのようにそう呟く。
義輝「何のことだ?言ってみよ」
藤孝「手合わせとは言ってもさほど儀式ばる必要はなし。軽く身体を慣らす程度か、互いの程度を測る程度」
義輝「そのような事か?」
藤孝「いや、『その程度』と認識し、かつ、この手合わせにおいて申し上げたい事が一つ。
・・・この手合わせは」
そこまで呟いたとき、藤孝は不意に回転させていた手中の小枝を最低限の動作で義輝の顔に投げつける。
義輝「ぬ!?」
まさか唐突にそんなものが来るとは思わず、一瞬不意を突かれた義輝がすぐに正面に目を向けると
藤孝はすでに眼前にいた。
直後、剣閃が音を立てず己の頭上ギリギリをかすめていく。
義輝が我に返り刀に手をかけた瞬間には、すでに藤孝は必殺の間合いから遠く飛びのいていた。
藤孝「すこし気が抜けているようなので、元から言いましょう。この手合わせは」
藤孝「こういうのもアリでいくつもりですので、つまるところ・・・覚悟なされよ」
義輝「藤孝・・・貴様!!」
義輝「・・・貴様ともあろう者がこの島で狂ったか!このたわけがッ!」
藤孝「・・・さて?それはどうだか」
すぐに義輝は刀を抜く。ヒビが入っていることも忘れてはいないが、もはやそんな事を言ってはいられない。
本来なら銃を抜くべき状況だが、銃を構えようとする動作より
慣れた刀を抜く動作の方がスキが少ないと瞬時に判断したからだろう。
あるいは今だ所持している銃を撃ったことが無いのも、そう考える要因となったのかもしれない。
とにかく、義輝はいつの間にか剣を構えている藤孝に向かい、また剣を構える。
極限の緊張感、一歩も動けない威圧感が、その時から空間に広がっていった。
その一部始終のやり取りを、近くの木陰に隠れ解剖するように『観察』していた三好長慶は笑いを浮かべ呟いた。
長慶「ふ、義輝よ・・・互いに家臣には苦労するものだな」
長慶(しかし相変わらず細川め、解せぬ奴よ・・・ここで義輝を殺して奴に何の意味がある?
いや、殺すなら今の剣閃で頸を飛ばせばよい・・・と、なれば・・・?)
たまたま居合わせただけ、というわけでもないが、この状況は長慶にとっては千載一遇のチャンスでもある。
だがだからと言ってただ浮かれて状況を見守るほど三好長慶という男は愚鈍ではない。
長慶(今矢を放つか・・・?さすればどちらかは殺せよう。
だが、この長慶の目的、策はあくまでこの二人、共々の抹殺。
さすればもう一方はわしに気づく・・・後、わしは生きられまい。
やはり予定外の動作はわしに利をもたらすとは思えぬ・・・)
生来の慎重性からそう考えた長慶は『ここは見(ケン)でいく』と判断した。
長慶(今・・・このわしに気がつけるほど義輝も藤孝も余裕があるとは思えん・・・。
しかし、この二人が揃うのは良しだが、この状況では我が策は万全というわけではない・・・。
今は奴らの一挙一動何一つとして見逃さぬ・・・勝機は必ず我に訪れる!その時までただ『観』るのだ・・・)
先ほど長慶が食糧配布場所で手に入れた、水の入ったペットボトル・・・。当然その中にはすでに毒を入れている。
彼はその『毒入りペットボトル』をどのように使うか、木陰でまたもシミュレートしながら両者の対峙を観察した。
長慶の推測は当たっていた。
まず、まさかの裏切りで激昂している義輝は、木陰で完全に気配を殺した長慶に気がつくはずなどない。
そして藤孝も・・・いや、義輝、藤孝、長慶、この三人の中で今一番他に割く余裕が無いのは他でもない藤孝である。
義輝は藤孝の剣技の程を知らないが、藤孝は道場で義輝の稽古を観察していた分、しっかりと承知している。
藤孝と義輝が『まとも』に戦えば、まず間違いなく藤孝が負ける。
つまるところ、剣豪将軍と相対する威圧、プレッシャーは並々ならぬものがある、ということだろう。
藤孝(さて、と・・・ここからが重要だ。もはや一足ですら間違いは許されぬ・・・)
刀を握る藤孝の手が汗ばむ。
少し刀を握る手が汗ばむ。
藤孝が、なぜそこまでして『興味と悪戯心』のためにこのような行動を取るのか?と余人は疑問に思うだろう。
だが逆に言えば、それこそが我々凡人には決して到達する事の無い『天才の原動力』と言えるのではないだろうか。
顕如の前に散った本田正信の言葉を借りるなら、興味こそが藤孝の原動力であると共に原点となるのだろう。
誰しもが経験するように『人の反応』は想像し得ないからこそ受ける感覚は楽しいし、また痛む。
そして興味が沸く。
だからこそ人は人と接しあうのである。機械的な反応を繰り返されても人は何の感動も感じることは無い。
むしろ怒りを覚えるだろう。
今の藤孝は、ただその予測のつかない反応への興味のために、暴挙とも言える試みを起こした。
なぜ『落胤』が養父から明かされたのか、そのわけも知らずに。
義輝「・・・なぜだ?」
当然の事ながら今相対している義輝もまた別個の分野の天才でもある。
一分も経ってはいないが、相対している間に少し冷静になったのか、種々の疑問が彼にも浮かんでいた。
藤孝「なぜ・・・とは?」
義輝「・・・なぜ余を裏切る?余に何か落ち度があったとでも言うのか?」
以前重秀に『能無し』呼ばわりされた事も少しは要因なのか、まず己に非があるのか、と義輝は問う。
だが、その疑問は藤孝に大きな失望を与えた。
藤孝(さて・・・問われたいのはそんなことではないが・・・)
なおも藤孝は思案する。己の狙い通りに事を進ませる方法を。
藤孝(ならばもう一度・・・)
義輝の『なぜ』という疑問に答えず、藤孝は持っていた剣を上に構え足を直し、いわゆる『上段の構え』を取る。
義輝(む・・・『上段の構え』・・・これがこやつの基本形か・・・)
藤孝の剣術においての実力が未だ明確に見えてこないこと、そしてなにより己の刀にヒビが入っていることから
義輝の気概は藤孝を『現在の自分と同等、あるいは以上の実力を持つ相手』と認識した。
その後、義輝は姿勢をただし、剣を下に構える、いわゆる『下段の構え』を取る。
長慶(ほう・・・さて、剣術は得手というわけではないが、この場合有利なのは義輝か・・・)
いまだ木陰から機会を窺っていた長慶は、この対峙を『義輝有利』と判断した。
そもそも剣術において実力が上なのは義輝である。まっとうに戦えば十中八九義輝が藤孝を斬るだろう。
だが、それはあくまで『まっとう』に戦えば、の話だ。少なくとも虚実の戦い、心理戦においては藤孝が上である。
だが義輝もそのことは承知しているだろうし、生半可な陽動や揺さぶりでは義輝は恐らく揺るがない。
そういった要因から判断し、長慶は『義輝有利』と判断した。
長慶(気勢の甘い、だが勢いのある方が先に動くか・・・)
いまだどちらも剣の届く間合いから離れている。が、もう二歩ほど踏み込めばまさに『一足一刀、必殺の間合い』へと届くだろう。
その間合いに近づいたのは義輝からであった。下段の構えのまま、じりじりとすり足でわずかに前に進んでいく。
長慶(下段の構えで必殺の間合いに近づくか・・・なるほど・・・足を狙うつもりか?)
長慶がそう思うのも当然であった。全ての動作において、足動は決して欠かせない。
現代で言えば、野球選手はバットを振る際に手の力だけではなく足を重心にして体全体の力を引き出し、そして打つ。
野球と剣は同じ理論ではないが、なににせよ足の動きは体全体の力を引き出すために決して欠かせないものである。
その足を狙うというのは決して悪い戦術ではない。むしろ、戦局を磐石にするための定石とも言える。
それに足ではなくても、そのまま勢いを持ち突き出せば腰に刺さり、重傷を負わせる事も可能だ。
ただし、それはあくまで『相手の攻撃に自分が当たらなければ』という状況での話だ。
義輝が剣を振ろうと動作を示せば、わずかに遅れるものの藤孝も剣を降り降ろすだろう。
たとえ足の一本奪おうとも、上段から飛んでくる剣撃で頭をかち割られてしまっては何の意味も無い。
長慶(なれば義輝、どう動くか・・・・む!)
先に動いていた義輝に気を取られていたが、藤孝も少しずつ近づいている事に長慶も気づく。
互いにすり足でじわりじわりと近づき、必殺の間合いまであと一歩となった時・・・。
まず藤孝が勢い良く剣を振り下ろした。
長慶(ぬ!焦ったか!)
いまだ両者は間合いに入らない。それでは剣が届こうと相手に致命傷など与えられない。
かわされて仕切り直しとなるのが関の山だ。だが・・・。
義輝「しぇや!!」
義輝は一歩も後ろに退かず、下段に構えていた剣をそのまま上に振り上げる。
直後激しい金属音が響き、藤孝の剣は義輝の剣の圧力に負け、また腕ごと上まで戻された。
長慶(ぬう、応じ返し!!下段はそのための布石だったか!)
実際、『上段からの剣閃を下段からはじき返す返し技』を狙える人間などそういるものではない。
しかも、藤孝も剣術の玄人である。それだけで義輝がどれだけの実力者か推測できる。
先ほど長慶が考えた『足を奪うという定石』それを藤孝にも思い込ませるために、義輝は下段を構えたのだ。
そして今、義輝の目的どおり事は成ったのだが・・・。
義輝「ぐっ!」
義輝は下段から剣を振り上げたまま、なぜか怯んだ声を挙げる。直後、すぐに藤孝は後ろに飛びのいた。
藤孝「あまりこの藤孝を甘く見てもらっては困る。その程度、予測はついていた」
長慶(むう!なぜ細川が先に動く!?あのまま義輝が剣を振り下ろしていれば・・・ぬ!?)
必殺の間合いから両者が離れた後、義輝が片手で顔を押さえているのを見た長慶は藤孝が打った仕掛けに気づいた。
長慶(・・・石を蹴り上げたと!?)
長慶の推測は当たっていた。
義輝が剣で剣を弾き返そうとすれば、間違いなく藤孝の剣に目がいく。
ならば視界外の足で石を蹴り上げ顔に当てれば、攻撃のさなかにある義輝が怯むのも無理はない。
もっとも一度不意打ちを受けている義輝が怯むのはほんの一瞬だ。姿勢の問題もあるし通常では避ける事は不可能。
だからこそ、その怯んだ瞬間に後ろに飛ぶため、藤孝は必殺の間合いから一歩離れた場所で剣撃を繰り出したのだ。
・・・下段、返し技、義輝の思惑とその返しの返し、状況からここまで思いつくことはさほどの読みではない。
だが、一歩間違えばそれこそ即死か致命傷という重圧の中、こんな行動を取れる者など通常いるだろうか?
よほどの度胸、そして絶対なる自分への自信がなければこんなマネなど出来るはずが無い。
長慶(なんという胆!なんという自信!あやつ、まことに人間なのか!?)
長慶は思わず驚嘆の声を上げそうになる。が、その直後、長慶にまたも驚きが訪れた。
長慶(義輝・・・あの剣が折れたか!)
耐久力の限界だった義輝の破邪刀は、擦り上げ返しの勢いに耐えられず、ヒビの部分から割れていた。
藤孝(・・・上様の剣が割れたか。どうやら今までの事で少々無理をさせすぎだったようだな・・・)
今の一撃で藤孝の『太刀』も腰が伸びた(反りが大きくなった)が、割れてしまうほど大きな問題ではない。
そしてもう一度、藤孝は腰の伸びた太刀を上段に構える。
藤孝(こうなるとは思わなかったが・・・さて・・・)
そう藤孝が思った時・・・。
義輝「・・・帝に与したか?」
ふと、義輝が一言呟く。
この時、義輝の脳裏に一人の男が過ぎる。
LSDによって己の意志を無くし、己と対峙した井伊直親が。
思い起こしたのは、今の瞬間がその時の状況にあまりにも似ているからかも知れない。
だが義輝には、藤孝が彼や妖刀の男の様に狂ってしまった、つまり『大悪』だとはとても考えられなかった。
己にとっての股肱の臣であるという事もあるのかもしれないが・・・。
藤孝「まさか。我が命、そして意志は己だけのもの」
義輝「左様か」
藤孝「・・・」
義輝「お前の行動、今だ余には不可解・・・だが、余に知れぬ意志は込められているのだろう。
・・・だが余に刃を向けた以上、覚悟は出来ているのだろうな?」
藤孝「愚問。そして『覚悟』というものは決して軽いものではない事も承知」
義輝「ならば是非も無し・・・いや、是こそあり・・・。
余も見せよう。余の生涯に於いて究極無比の『覚悟』を」
藤孝の言葉をそう返すと、義輝が割れた破邪刀を、今度は『中段の構え』に構えなおした。
藤孝(割れ刀で中段だと・・・?)
たいてい動作の端々から相手の心のベクトルがわかる藤孝も、さすがに戸惑った。
割れた刀ではあるが、今の構えは彼等の師『塚原卜伝』を彷彿とさせるのである。
いや、あるいはこの気概こそ藤孝も名前しか知らない義輝の師匠、上泉秀綱の教えなのかも知れない。
とにかく、最初に対峙していた時の義輝の気概をさらに超える、時を止めたような『氣』という物を
今藤孝は身に感じていた。
一里先の針の落ちるさえ聞き分けられる状態とはまさにこの瞬間の事を言うのだろう。
今、義輝が構えているものは割れた刀にすぎない。
だが、藤孝は何か今までに無い一撃、己が耐えられぬ一撃が来る事を予感していた。
つまり、直感的に『次の一撃で己は死ぬ』と藤孝は感じたのである。
そして必殺の間合いにまた互いがじりじりと近づいていった時、不意に義輝は静かな声でまた藤孝に問う。
義輝「今・・・また問おう。なぜだ?」
藤孝「なぜ・・・とは?」
先ほどと同じ言葉が繰り返される。だが、次の言葉は先ほどとは異なったものだった。
義輝「生み出される全ての疑問・・・其に答えよ」
藤孝の望んでいた問い・・・つまり『最初になぜ義輝に手合わせを所望し、わざわざ怒らせるようなことをしたか』
その答えがそれであった。
『落胤』を信じさせるためにはどうするのか?それなりの流れ、とりわけ『嘘のつけない空気』というものが必要だ。
ではどうすればよいのか?そこで藤孝はこう考えた。
股肱の臣である己が叛逆すれば義輝は激怒しよう。だが、己が欲するのは『激情』ではない。
それすらも超えた、人間が持ちうる最高峰の感情『覚悟』が支配する空間なのだ、と。
つまり、その流れを生み出すために藤孝は義輝に斬りかかった。そして、挑発し、誘導した。
そして今彼の筋書き通りそれは成った。
異質の天才細川藤孝の覚悟は、また異質の天才足利義輝が持つ覚悟と混ざり合い、究極の空間を生み出した。
今この場で偽りや小細工は出来ない。いや、先ほどまで義輝が抱いていた怒りも存在しない。
あるのは互いの覚悟だけだ。
この空間、生半可な者では呼吸すら忘れてしまうだろう。
だが、その空間は同時に藤孝にもある種の悟りを引き出すことになる。
藤孝「・・・なるほど。さて、どう答えたものか?」
義輝「・・・」
藤孝「・・・」
しばらく極度の緊張感を保ったまま、言葉はそこで途切れる。
・・・そして不意に口を開いたのは、やはり問いかけられた藤孝だった。
藤孝「世の中には、知ってはいけない事がある。誰とて例外ではない」
義輝「・・・そうか」
藤孝は今ようやくわかった。なぜ養父は『己の血』について知ってはいけないと言ったのか、と。
秘密を知れば明かしたくなるのが人間である。ましてや興味を原動力にする藤孝であればそれはなお当然の事となる。
だが、突飛な秘密を明かすためには信じ込ませるための舞台が必要だ。
この場合はこの手合わせの域を超えた試合ならぬ『死合』だろう。この島でならそれは可能となる。
そして、全てのお膳立てを整えた今、まさに今、藤孝の命は風前の灯となる。
藤孝(父はなぜ話したのか?おそらくこの藤孝を試したのだ。そこまで見抜けるかどうか。だがこの藤孝は見抜けなかった)
命が助かるような状況ならともかく、確実に死ぬような状況ではさすがに藤孝も言うまい。
だが仮に普通の世界で藤孝がその事を漏らしたのなら?間違いなく藤孝に秘密を話した父もまず生きてはいまい。
おそらく藤孝の血については、細川家の最大のタブーの一つなのだろうから。
つまり、父は己の命を賭けてまで藤孝を試した・・・いや、つまり己の命を藤孝に託した事となるのだろう。
藤孝(見事だ、父よ)
養父の本心はわからない。だが、養父と共に生きてきた藤孝はそう判断を下した。
藤孝(こうなれば是非も無し・・・いや、是こそあり!覚悟を越えて見せよう!)
言うなれば、人智を超えた才によって撒いた火種。
その火種を刈り取るため、今藤孝は己の血に込められた秘密を決して明かさぬ覚悟を決めた。
長慶(先ほど細川が飛びのいた距離は、必殺の間合いから五歩程度・・・そして今は四歩と言ったところか・・・。
過程から言えば、先ほどと違いまだ隠し種を持っているはずの細川が有利か・・・だが・・・)
そう、だが今の義輝から発せられる気のようなものは並大抵ではない。
『義輝は何か企んでいる』と長慶も感じざるを得なかった。
長慶(だが生半可・・・いや、どれほどの陽動でも細川は揺るぐまい・・・先ほどとは立場が一転したが、さて・・・?)
義輝と藤孝は、ともに中段の構えのまますり足でじりじりと近寄っていく。
そして必殺の間合いまで後三歩ほどとなった時、藤孝は唐突に口を開いた。
藤孝「・・・父は偉大であった」
義輝「・・・其は晴員か、元常か?」
藤孝「のみならず全て」
義輝「左様か」
そこで会話は途切れた。また互いにじわりじわりと近づいていく。
長慶(必殺の間合いまで残り二歩・・・そして一歩・・・)
その時だった。
突如、周囲の世界すべてを破壊するほどの激しい爆音が響き渡った。
長慶「ぬう!?」
その音に思わず長慶も声を出す。
だが長慶が義輝と藤孝から目を離した瞬間、その爆音を契機にして義輝は動いた。
必殺の間合いまであと二歩。割れ刀ではその距離はさらに広まる。
だが、義輝はそんな常識を無視するかのような超速で突っ込んでいった。
長慶「なんと!?」
そして爆音に気を取られた長慶がまた二人を見た時、そこでは既に勝負はついていた。
義輝は、先ほど藤孝がいた場所に割れ刀を突きつけている。だが、そこに藤孝はいなかった。
藤孝は義輝の側面に、また距離を離した場所に位置していたのだ。
つまり、藤孝は超速の義輝の剣閃をかわしていたのである。
義輝「・・・見事。『一之太刀』をかわすとは・・・お前の腕、これほどまでとは思いもしなかった」
藤孝「見事なのは上様の方。今の一撃の心技体、気概、そのすべてがこの藤孝の予想を完全に上回っていた。
惜しむらくは、刀が割れなければ。そして後一歩踏み込んでいれば・・・」
義輝「・・・あの音に動かされた。あの音が偶然というのなら、それは天がお前に味方した証・・・。
それに今の一撃で『一之太刀』の秘は明かされた」
長慶にはその会話は聞こえなかったが、その次の義輝の言葉はしっかりと耳に届いた。
義輝「・・・もはや、これまで」
この言葉が契機となって、その場に充満していた鬼気は緩やかに流れ出し、覚悟の境地も終消えた。
それはつまり、この二人の『手合わせ』という名の『死合』が終幕した事を意味していた。
その後義輝は何も言わず、持っていた『九字の破邪刀』を後ろに引く。藤孝もまた『太刀』を収めた。
藤孝「では、見事に隠れていた部外者には退場していただきましょう」
藤孝はそう言うと、『九字の破邪刀』の割れた先端部分を拾い・・・。
思いっきり真正面に投げ飛ばした。
先端はそのまま回転しながら飛び、長慶が隠れている木に勢い良く突き刺さった。
長慶「む!」
長慶(・・・ほう。気づかれていたか・・・いや、先ほど声を出したときに気づいたと考える方が自然か)
長慶とて凡人ではない。先ほどの『覚悟の境地』が超人的なものである事も気づいていた。
その空間ならば、爆音の際に己が漏らしたわずかな声でさえ聞き分けても不思議は無いと思ったのである。
長慶(さて、気づかれてはもはや我が策も用いる事は出来ぬ。ここは一時撤退と行こうか・・・)
そう考えた長慶はとっさに身を翻し、また森の中へ消えていった。
藤孝「ほう、長慶は逃げたようですな。なかなか見事な逃げっぷり」
藤孝はそう言うが、これは別に長慶を卑下しているわけではない。むしろその逆である。
藤孝「あやつめ、おそらく化けましたぞ。これはそう簡単に制す事は出来ませぬな。
ところで上様、いつまでそうしているつもりで?」
と、藤孝は軽い口調で、満足と無念入り混じる複雑極まりない表情で空を仰いでいた義輝に声をかける。
義輝「これほどまでに充実した、清清しい気分は、この島に来てから初めてかも知れぬ。
過程はともかく最後の一太刀、あれには憤りも憎しみも何も無かった。
そう、あの覚悟こそが幾多の先人が追い求めた『無我』なのかも知れぬ」
藤孝「ほう」
義輝「・・・だが、余はそのために刀を失った。己の力とも言うべき破邪の力を・・・」
そう言いながら、義輝は簡潔に語りだす。今までの事・・・井伊直親の事や、妖刀の事を。
藤孝「なるほど、妖刀。この藤孝もこの島で見たことはあるが、先ほどの割れ刀がそれと対を成す刀と?」
義輝「おそらく」
その言葉を受け、ふむ、と藤孝は少し考える。が、またすぐ簡単な口調で突飛な事を言い出した。
藤孝「ならばまたくっつくのでは?」
義輝「な、なんだと?」
藤孝「先ほどの話の流れでは、妖刀はまだこの世に存在しているはず。
なれば対を成すものも存在していなければならぬのが、世の常とも言える。
これは理屈ではなく、世の中の流れ・・・というか、決まりのようなもの。そういうものです」
義輝「・・・いかにとくとくと説こうが、割れたものは戻るまい・・・死んでしまった者と同様に。
無くしてしまったものを返らせる事など、余にもお前にも出来る事ではない。つまり・・・」
対を成すものがある、という藤孝の弁が世の道理ならば、死者が蘇らないのは常識過ぎる世の道理だ。
義輝の言う事は至極真っ当な事だった。
藤孝「無理だと?」
義輝「ああ、そうだ。無理であろう・・・違うか?」
藤孝「いや、その通り。無理でございます。死者を蘇らせるなどという事は。
しかし、既に今までの我々のこの島での行動は、常識を超えた『無理』な事ばかりやってきたのでは?」
義輝「・・・それはそうだが・・・」
藤孝「そもそも帝にしても、我々百人をこの島まで運んだのも『無理』があったことでしょう」
義輝「・・・うむ・・・」
藤孝「だが奴らはその無理を超えた。ならば我々も道理や無理を超え、奴等の度肝を抜いてやりませんか?」
義輝「他人事と思いおって・・・」
苦笑しながら義輝は言う。が、藤孝は『心外な』と言った様な表情をし、また饒舌に語りだした。
藤孝「他人事ではありませんよ。貴方が死ねば、この藤孝とてまた困る。
いいですか?貴方が生きて将軍としているからこそ、この藤孝もまた己の研鑽に全力を注ぐ事が出来る。
言い換えれば、この藤孝が先ほど上様の太刀をかわせたのも、また上様のお陰とも言える」
その言葉を受け、ハハハという義輝の笑いが響いた。その後、また落ち着いた表情で義輝が問う。
義輝「三度目の正直だ。なぜか、と今又問おう」
藤孝「ほう。なぜ、とは?」
義輝「茶化すな。余の頸を取るつもりであれば初太刀でも今でも悠々と取れるであろう。
何でも良い。言え。お主の命を賭けた覚悟、その理由を。たとえどのような理由であっても、咎めはせぬ」
藤孝「左様か。では申しましょう。私が命を賭け、そして上様にも命を賭けさせてまで伝えたかった理由を」
義輝「・・・」
藤孝「・・・」
しばし藤孝は考え込み、沈黙が辺りに訪れる。が、藤孝は唐突に口を開いた。
藤孝「上様は甘すぎる」
義輝「ぬ?」
藤孝「そうではありませんか?今、私が生きていることが何よりの証。
主に刃を向けるどころか散々挑発した者など当然。
なぜそれをなさらぬのか?」
義輝「意志の問題だ・・・お前の意志は『人殺しの愉悦』や『天下への野心』というものではない。
帝に与せぬものをなぜわざわざ殺すことがある?
この島でその様な者をあやめる事、それこそやってはならぬ愚行であろう」
藤孝「なるほど。まあこの藤孝も言及はしません。ただし、心には留めておいてもらいたい。
人の話は三割信用し、七割は疑う、という事を」
義輝「む・・・」
藤孝「人は嘘をつく。だが嘘をつくのは決しておかしな事でも、悪い事でもない。
問題は、その嘘が信じるべき嘘か、信じてはいけない嘘か・・・そこにあるのです」
義輝「信じてはいけない嘘・・・それは人を欺き、陥れ、亡き者にしてしまおうとする嘘か」
藤孝「左様」
義輝「・・・」
藤孝「無論、これまでも上様を助けたものはおりましょう。しかし誰であれ、心が揺らぐ事はある。
そして、そのものを疑う事、あるいは斬らねばならぬ事は苦になることも必至。
だが、それをせねばならぬのが上に立つものの宿命」
義輝「・・・それはわかっている。だが」
『だが』という言葉を残した義輝は、そこで一度言葉を途切れさせ、大きくため息をつく。
そしてその後すぐに藤孝の顔を見据え、しっかりと言い放った。
義輝「・・・人を信頼してこそ、得られる信頼もある。余は救いがある人間ならば、一人でも多く助けたいのだ」
藤孝「それも良いでしょう。それも一つの真理。真理は一つというわけではない」
そう言い残すと、藤孝は腰の伸びた太刀をその場に投げ捨て、またどこかへ歩き出そうとした。
義輝「共には来ぬのか?」
藤孝「長慶が気になります。先ほどの音も確かに気になる。
だが、我ら二人でのこのこ歩いていたら長慶に餌を与えるようなもの」
義輝「ふむ・・・」
藤孝「上様はお仲間と合流するおつもりで?」
義輝「うむ・・・お前もか?」
藤孝「・・・そうですな。先ほどの爆音も気になりますが、まあ、おおかた誰ぞの武器でありましょう」
含みを残したようなはっきりしない言葉で、藤孝は肯定する。
藤孝「では、私はこの辺で。あまり一場所に長居するのも好きではないので」
義輝「うむ」
藤孝「・・・ああ、それと」
少し歩いた藤孝が、思い出したように義輝に顔を向け、神妙な面持ちで言った。
藤孝「一之太刀は一撃必殺、究極至高の奥義。外れる事などまずありえない。
裏を返せば、この藤孝がかわせたという事は、あれは一之太刀ではない」
義輝「・・・何が言いたいのだ?」
藤孝「割れ刀の撃が外れるは道理過ぎる道理。あまり気にやむ必要はない」
それだけ言うと、また藤孝は森の中へ消えていった。
義輝「甘すぎる、か・・・」
藤孝が去った後も、しばらく義輝はその場で佇んでいた。
将軍としての気位は持っていたつもりだったが、あるいはそんな甘さはあったのかもしれない。
確かに『しめし』という点では、ここは藤孝を斬らねばならかったのかもしれない。
だが、それは通常の場合だ。この様に狂ってしまった島の中で、なぜそんなことをしなければならないのだろう。
力を持つものを、何より、帝に与したわけでも、天下を狙っているわけでもない人間を斬るということを。
義輝「いいや、藤孝よ。お前は自分しか見ていない。皆が皆お前の様な人間ばかりではないのだ。
人は時に迷う。それを、利と力、そして情によって先導していかねばならぬのが・・・将軍なのだ」
人に対する疑いは伝染する。そしてそれはそのうち、皆を疑心暗鬼に陥れるだろう。
その不協和音は、帝に向かう者達にとってあってはならない事だ。
義輝「お前が正しいか、余が正しいか。あるいはどちらも正しいのか、はたまたどちらも間違っているのか。
それはわからん・・・だが、余は初志を貫徹するのみ」
初志をまた口にした義輝は、木に刺さった九字の破邪刀の割れ端を取る。
そしてそれを己が刺さらないように持つと、刀に語りかけるように呟いた。
義輝「砕けたのも、まだまだ余が未熟ゆえ。許せ。だが、我が心は決して折れぬ」
そして、また義輝は切れ端を持ったまま、先ほど爆音がした方向へと向かう。
その音は、彼にとって信頼足りえる者達が起こした『トラックの爆発』であることを、まだ彼は知らない。
彼がその道を進むのも、あるいは割れた破邪刀が示した道だったのかもしれない。
そして歩く道筋の途中で義輝は藤孝を思い出す。
義輝「・・・父は偉大であった、か・・・あるいはあ奴、己の血の事を漠然ながらも知っているのか・・・。
であればこそ、あ奴は余にあのような態度を取るのやも知れぬな」
そう呟くと、義輝はすこし呆れたような、しかし濁りの無い笑いを残し、また歩き出した。
足利義輝、細川藤孝、三好長慶。
死するが当然のこの『手合わせ』で、この三人は傷一つ負わなかった。
それを成したのは、義輝の威厳か、藤孝の誘導か、卜伝の教えか、長慶の存在か。
はたまた、互いに知ってはいれども明かす事は無かった奇妙な兄弟の縁がそうさせたのか。
あるいは、いまだ成すべき事が残るこの三人の早すぎる死を、超越的な何かが許さなかったのか。
その答えもまた、覚悟の境地の先にあるものかもしれない。
【11番 足利義輝 『九字の破邪刀(破砕)』『梓弓(4隻)』『グロック17C(残弾16発)』】
(3-E森地点から爆発したトラックの元へ移動予定)
【83番 細川藤孝 『備前長船』】
(3-E近辺、なんとなく利家&上条を探すが、他に面白いものがあればそれに向かう)
【92番 三好長慶 『ジェンダワ(矢10隻)』『青酸カリ』『寸鉄』】
(行方は不明、目的・義輝と藤孝暗殺に変わり無しだが、誰に対しても殺意と警戒十分)
本部の暗い一室で、相変わらずオルガンティノは考え事をしていた。
オルガンティノ(以下オル):
(奴をこの部屋に引きずり込むこと・・・それ自体は容易い。
僕の計画通りなら、僕が彼に恨みを抱いているように、彼も僕に恨みを抱いているはずだ。
だから彼は僕を見た途端、喜びと復讐心に満ちた目でこの部屋に入ってくることだろう。
だがその後の計画は・・・ん?)
ギイィと重い扉が開く音がした時、彼は考える事をやめた。
オル「珍しい事もあるものですね。大した間も無く、この部屋に二人も訪れるとは・・・何用ですか?」
オルガンティノは眼が見えないため、誰かまでは声を聞くまで判別できない。
だが、一応彼は物腰穏やかな口調で扉を開けた人物に声をかける。
もっとも、そう声をかけた時も、決して警戒は止めなかったのだが。
オル(さて、まさかフロイスではないだろうし、先ほど訪れたロヨラさんとも考えづらい。となると・・・)
だが、彼が頭の中で人物を特定する前に、あまりにも特徴ある声・・・というか音を彼は聞くことになる。
?「ドゥンドゥンドゥンドゥンドゥン♪ドゥンドゥンドゥンドゥンドゥン♪」
扉を開けたその男は、鼻歌と共に奇妙な歩き方で部屋の中に入ってくる。
もっともその歩き方まではオルガンティノも見えてはいないが、もう既に鼻歌の一小節目で彼は人物を特定していた。
オル「・・・ヴァリニャーノさん、浅井長政の褒美に行ったのでは?」
ウンザリしたような口調でその名前が呼ばれた時、鼻歌はピタリと止まった。
ヴァリニャーノ(以下ヴァリ):
「『その鼻歌、マイケルジャクソンのスリラーですね』ぐらい言えよ。付き合いがいのない奴だな、お前」
ヴァリニャーノと呼ばれた男は『やれやれだぜ』と言ったポーズを取りながら、口を尖らせる。
だがオルガンティノは至極興味なさそうな、ぶっきらぼうな言葉で返した。
オル「それで結構。そんな事より、浅井長政への褒美はどうしたんですか?」
『この部屋からとっとと出て行け』と暗に示すオルガンティノの言葉を、事も無げにヴァリニャーノはかわす。
ヴァリ「いや、それがさ。ロヨラに止められちゃったんだよね。アイツ行くってよ、名前忘れたけど。
で、暇つぶしにどっか行こうと思ってたんだけど、なんか皆いないのよ」
オル「当然です。今は忙しいでしょう」
『僕もね』と言おうとしたところでオルガンティノは留まる。何が忙しいかと問われては答えられない。
少なくともこの男は『考え事をしているから』という理由では引き下がりそうに無い。
こんな男に対し言葉に詰まってしまうのは、己を天才と称するオルガンティノには耐えられない恥だった。
ヴァリ「あー、そうだよな。トラック襲撃から皆忙しそうに動いてるし。みんなやるじゃん、頑張るじゃん。
まあ俺は時代を超えたスーパーヒーロー『マイケル・ジャクソン』聴けるぐらいヒマなんだけど」
オル「はあ、そうですか」
『誰もお前に期待してないんだよ』という侮蔑をオルガンティノはぐっとこらえる。
オル(いや、こういう手合いには何を言っても無駄なんだ。だって馬鹿なんだから・・・)
そんな心など当然知るはずもなく、ヴァリニャーノは物珍しそうに部屋の中を眺める。
やがて彼は、部屋に備え付けてあるモニターを眺めた。
そのモニターの画面は分割されている。いくつかのエリアか、参加者を同時に移しているのだろう。
四つに区分けされた画面の一つには爆発後のトラックが、一つには誰とも知れない腐乱した死体以外に何も無い山中が。
一つには、生魚を手に持ったまま口にすることを躊躇っている前田利家が。
最後の一つには、草の根をかじっている吉良親貞が映し出されていた。
『草の根かじり泥水すする』を地で行っている親貞を見て、ヴァリニャーノは感嘆の声を上げた。
ヴァリ「やるじゃん」
オルガンティノは無視を決め込む。
ヴァリ「ところでお前、モニターとかその目でわかんのか?」
オル「耳で。わからないところは内線かなにかで作業員に聞きます」
ヴァリ「ふーん。やるじゃん」
ヴァリ「ところでお前、この残り13人の参加者達の中のただ一人の生き残りに賭けるなら、誰に賭けるよ?」
モニターの中をしばらく興味深そうに眺めていたヴァリニャーノが、唐突に呟いた。
オル「・・・なぜ急にそんな事を?」
ヴァリ「さあ・・・まあ、強いて言うなら偏屈トップクラスのお前の視点は誰なのかっていう興味だな」
オル「偏屈なつもりなんてありませんが」
ヴァリ「いいから答えろよ」
オル「はあ」
答えたいわけではないが、答えたくないわけでもない。
そう考えたオルガンティノは、無意識に両目の傷を手で覆い、静かに答えた。
オル「生き残り、ではなく生き残ってもらいたいというなら・・・吉良親貞・・・ですかね。
少なくとも僕に会うまでは、彼には死んで頂きたくはない」
ヴァリ「ふーん」
部屋のモニターを眺めながら、ヴァリニャーノは『予想通り』と言ったような顔をする。
ヴァリ「そりゃあお前にとっては大切な目の仇だからな」
オル「目というか・・・自分の仇というか・・・そんなものです」
モニターの中には今だ草の根をかじる吉良親貞が映し出されていた。
ヴァリ「しかしすげえ根性だな、コイツ」
オル「恐ろしいと思いますよ。生を欲するのはこの島では決して珍しくはありませんが
彼は病に侵されている分、その欲望・・・というか執念が人一倍ずば抜けて強い。
それだけ人一倍、死というものを身近に感じているのでしょう。
いうなれば、ナイフで身体を少しずつ削られていってる様なものですからね」
その吉良の事を、オルガンティノは『恐ろしい』とも感じ、また『醜い』『無様だ』とも感じていた。
『己の分を超える大金を賭け、必死で神頼みする人間』を見ている時に生まれる感情、といった感じだろうか。
人間なら誰でも持つ黒い感情がそう思わせたのだろう、とオルガンティノは己を分析した。
この島に100人が連れだされるより前のことになる。
宣教師達は『余興促進のための協力者』を作り出すために数人の人物に接触した。
顕如や三好長慶ら、朝比奈の言葉を言葉を借りるなら生粋の『天皇の狗』と呼ばれる者達である。
そういった人物と交渉する役目はオルガンティノやヴァリニャーノにも与えられた。
オルガンティノが割り当てられた人物は、『吉良親貞』であった。
病に悩む吉良親貞なら協力するだろう、と誰もが信じて疑わなかった。
だがその予想に反し、帰ってきたオルガンティノは目の刀傷から血の涙を流し恨み言を叫んでいた。
その時何があったのかは誰も知らないし、オルガンティノは今でもその時のことは決して話そうとはしない。
おおかた、吉良親貞の逆鱗に触れたのだろう、というのが全員の一致した見解だった。
だが、『出来て当たり前』を失敗し、視力を無くしたオルガンティノはその時からこの部屋に閉じこもる。
そして彼は不眠不休で恨み言を吐いた。時には激しい怒声もあったし、消え入りそうな声で泣くこともあった。
部屋からの怒声が聞こえるもあったし、壁に何かをぶつけるような鈍音が響く日もあった。
恐怖や侮蔑から、誰もその部屋の扉を開ける事は無かった。
そしてそれが一週間ほど続き誰もが慣れた頃、あくびをしながら部屋の前を通りがかったヴァリニャーノはふと足を止めた。
今日は怒声も罵声も怨声も鈍音も聞こえない。
無音なのはその日が初めてではなかったが、なぜかいつも以上に好奇心と恐怖心を煽られたヴァリニャーノは、勢いよくドアを開けた。
そして開けた瞬間だっただろうか、開ける前だろうか。唐突に穏やかな声がヴァリニャーノを迎えた。
オル『おはようございます。素晴らしい一日の始まりですね』
部屋の中心には、こびりついた己の血で顔から胸元にかけて真っ赤に染められたオルガンティノが笑顔で立っていた。
そしてその後余興が開催された時、吉良親貞は帝側の人間となり、北条高広と組み甘粕景持を間接的に殺害した。