正史における反董卓連合軍ってのは、各地の地方官がめいめい勝手に挙兵したという感じで、
演義のように十何人の諸侯が軍勢を率いて一箇所に集結して結成したわけじゃあない。
446 :
名無し募集中。。。:2005/04/21(木) 23:16:50
>446
自力で海賊退治して金かせぐのが、恵まれてるってゆうのはおかしいでしょって。自力でかせぐのは悪いの?ってこと。それこそ孫堅に実力があり、劉備にそれがない証拠だと思う。
てか>438ツッコミどころ満載だな。五年後を考えることができる=今何をすべきか考えることができるわけだから、弱小のときこそ必要なわけだがね。
活動拠点や家庭環境によっても生き方は左右される、そこから戦略・戦術だって
おのずと変わってくるって話でしょ
孫堅の活動範囲には海賊がいて、それを討伐することで金も名声も手に入れられるって
チャンスがあった、それをサポートする一族もいた、現実に金に恵まれてるからこそ洛陽に
はせ参じて成果を上げるだけの軍を持てたわけだよ
これって恵まれてるでしょ?自分で金作るのは当たり前でそれが悪いわけないだろ
450 :
444:2005/04/22(金) 00:07:40
スマン、大きなを勘違いしてた、黄巾討伐も張純討伐もしっかし正史本文に書かれた。
劉備も金に特に困った様子は無いね、若い頃は叔父が出してくれてたみたいだし、
仲間を集める際は商人の張世平と蘇双が出資してくれてるし。
劉備に足りないのは長期的な視野というか粘り強さというか、
すぐに官職を棄てて何処かに行ってしまう所と思う、
まあ県の尉や、丞という下からの出発なんてやってられなかったのかもしれんが。
ただ特に勝ってる訳でもないのに、あちこち行ってるうちに出世してるのは凄い。
>>448 お前にも満載だ
目先の生活に追われることが、将来の大望を考えることとどうイコールになるんだよ
452 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 00:18:40
>451
将来の大望の絵を描ける人材からすれば、目先の生活をどうかするなんでどうってことないじゃん。諸葛亮や司馬懿が、生活するにはどうしたらいいのかわからないわけないだろ。
>449
まあ、海賊を討伐できる孫堅からすれば恵まれた状況だけどさ。状況を利用するのはあたりまえって自分もゆってるじゃん。劉備には何もなかったってゆうの?何もできなかったんじゃないの?
劉備の活動範囲は黄巾の激戦区だった
もちろん黄巾と戦ってたんだよね?
ワラタ
どっちの方が恵まれたスタートかなんてことはあんま意味のない議論だと思うんだけど
459 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 15:20:01
うん すごく
スタート時の有利不利は確実に存在する訳で、横一列で出世競争してる訳じゃないから
意味がない議論ではないと思う。
元手100円を100万にしたのと、元手10万円を1000万にした場合
どちらがより優れているか、それを判断するときに最終結果のみだけ横一列で語るのはどうかと。
要は「利殖率で判断すべきなんじゃないか?」そういう事を言ってるんでしょ。
ただ此処で言われてるほど劉備だけがやたらと不利なスタートだったとは思わないけど
有利でなかったのは確か。
でも孫堅の扱いは難しいとこかもしれん。
>>460 俺には
『大豆を豆腐にした人と、牛乳をチーズにした人のどっちが偉い?』
みたいに、比較しにくいことだと思うが。
最初から有利な立場にいるだけで有利とは限らないけどね。袁紹なんかは恵まれたスタートだったけど周りにライバルがたくさんいていつ下手したら曹操どころかコウソンサンに負けてたかもしんないし。
劉備と孫堅で一番違うところは地盤作りをしていたかどうかじゃないかな
孫堅自身が海賊かどうかはわからないが、ともかく海賊退治を通じて作り上げた組織を残して黄巾討伐にでた。だから死んでも、残った配下が息子の孫策をもり立てたわけだろ
劉備は負けたら、ただの流浪部隊長になっちまった
>>463 仰ぐべき子供がいたかどうかが一番大きいんじゃないか?
あと孫策の勢力作りに関しては、核としては孫堅時代からの古株もいただろうが、孫策自身で作り上げた部分の方が大きいんじゃないか?
築いた地盤をほっぽり出して逃げてるんじゃ?
見張りに出たまま全勢力を置き去りに逃亡できるあたりが
並みの外道とは一線を画す劉備の凄まじさ。
陳登とのコンビが見たかった。
孫堅は旗揚げ当初からの宿将だが、孫策にはいろんな人材が集まってるしな。二張が孫策のとこにきたあたり、孫策も人望すごかったんかね。
周ユのお陰
↑だろうな。
劉備ってなんか、執着のしどころが普通の人間と違ってるよな。
中国じゃ何考えてるのかわからん人間が好まれるとは聞いたことあるが・・・
父譲りの戦上手で若くて性格は明朗闊達
人気が出ないほうが不思議>孫策
劉備の子供の頃の、将来は天子の車に乗るんだ、というエピソードを見ると、
劉備は小さい頃からかなり権力志向が強い人間だった事が伺える、
しかしその一方で、遊学したものの勉強せずに遊び歩き、
黄巾の乱が起きた25歳の時まで役人にもならず(仲間を集めてぶらぶらしてたみたい)
官位に就いてもすぐにそれらを棄てて何処かに行く事から、
志は高いが、下積みというのが苦手(嫌い)という人間だったんじゃないだろうか。
孫堅は17歳以前に県吏として、曹操も20歳になると役職について下積みを積んでる。
ただどちらも黄巾の乱の際には既に30歳前後になってるので、
地味ながら年齢というハンデもあったと思われる。
>>471 >下積みというのが苦手(嫌い)という人間だったんじゃないだろうか
これ同意
実戦経験は豊富だが兵法知らず。
類まれな戦略眼を持つも、実務能力がからきし…。
だから多くの機会を得るも、生かすことが出来ない。
孔明はまさに正反対の人物だね。
実直で努力家、さまざまな知識を身に着けた孔明は、劉備に徹底的に欠けていた要素を補ってくれるものであったと。
劉備がその才能を生かすには、彼の弱点を補ってくれる人物が不可欠だったんだろうね。
曹操が曹植を連れて狩に行き、「わしがお前の今の歳と同じだった時、頓丘の県令として
名声を上げるために必死に努力した。今、その時の働き振りを振返ってみても一片たりとも
悔いはない。お前も励めよ。」と言ったエピソードは多分に自慢もあるだろうけど、
名声への意識の高さというものは、若い頃の曹操と劉備の間で違うものがあるかもね。
質が違うのかな。劉備にとっての名声は侠の間でのものにのみ関心があったとか。
あえて役職を捨てた、という可能性もあるぞ
幽州の外れの田舎役人じゃ栄達は望めないと思った、みたいな
しかし公孫瓚の下ではけっこうトントン拍子で平原国の相まで出世してるんだよな、劉備
>>474 劉備がトントン拍子で出世したのは、戦場がそこらに用意されてる時代がやって来たからか。
それまでの遊んでいたと評される侠との付き合いが役立つ時代の到来ゆえであって、
治世の能臣には劉備はなれないような。それでも、平原の相の後に、陶謙からの招きが
来たりするあたり、単に武名のみでなく、名士層での人脈でもなかなかのものを持ってたのかも。
曹操は破天荒っぽいけど本質は真面目な努力家だからなあ。。
曹操は破天荒っぽいけど、本質は自分の墓碑銘に漢征西将軍と刻まれることだけ
考えてた夢想家だからなあ。。
漢征西将軍として名前を後世に残したかった男と、天子になりたかった男の違いか。
周りから見ればただの馬鹿だが、劉備は劉邦に憧れて、若い頃侠と遊んでたってことも考えられそう。
本当のところ、性に合う、合わないの問題だったんだろうけどさ
先主伝の最初の書き出しあたりの部分は陳寿が高祖に擬して記述したにすぎないのではないか
>>471 それって劉備が後に皇帝になちゃったから何か意味のあるエピソードのように見えるが
今の餓鬼が将来サッカー選手やパイロットとかになりたいとかいう子供の夢と同レベルの
話じゃないか?
普通は口に出さない
不敬罪に問われるからな
劉備、狙ってやったのかどうか知らんが、
袁譚を茂才に推挙していたのは正解だったな
あれで袁紹とのコネができたんだし
ん?でも推薦してたのっていつなんだ?
ひょっとして平原の相だったときか?
あのときはまだ一応公孫瓚の部下だったワケだろ?
敵対関係じゃねーか
部下って言うか、客将みたいなもんじゃないのか?
>>471 そんなエピソードあるんだ。
高祖と正反対だな。
彼の発言は寧ろ項羽に近い。
485 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/25(月) 07:49:10
>>482 予州刺史になってからのことだろ
予州には袁氏の本貫、汝南がある
まあそんなちゃらんぽらんな劉備が俺は何となく好きだ。
でも劉備は多分乱世でなかったら単なる不良道楽息子だな。
>>460の言うように小さい所から元手を作るのと
それなりにあったものを大きくするのとでは必要とされる能力も違うし
どっちが立派というほどのものでも無いと思うんだがどうだろ。
でも劉備が戦下手か否かはくらべないとわからないんだが。
実際のところ比べようがない。
兵力や状況が違うし。
別に比べなくたっていいだろうに
このスレの存在意義が無くなる
比較でしか考察できないのか?
実際に劉備が何をやったのか見て決めりゃええやん
生まれを問題にするんだったら、曹操、孫権などと比較するのではなく
劉邦、朱元璋などと比較して、劉備が戦下手かどうか比較した方が良い。
劉邦自身は戦あんまり上手くないわけではない
大勢で寡兵に負けない程度には戦ができる
朱元璋ははっきり言って有能さならば長い中国史の中でも有数の皇帝
劉備は三国時代ならばトップクラス
時代も環境も全く違う3人を並べて比較しても何の結論も出ない