1 :
無名武将@お腹せっぷく:
悲運の武将、陳歩について語りましょう。
おまえ、よく人にバカじゃねーか?って言われるだろ?
金玉帝十九年 生殖省 辺児子県出身の武将
御羽射党の乱のとき、戦いに参加。瀬宮州の戦いで敵将万黄を打ち破り、騎上位大将軍に任じられる。
宦官許昆の讒言により失脚、江炉漫画島に流され死去。享年72歳
泣いて陳歩の皮を剥くの故事はあまりにも有名
高僧だったという話はないか?
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/22(火) 00:07:03
雲虎
ドチンピラがぁ〜!
糞スレageてんじゃねー。
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 01:55:55
結構面白かったんですが
宦官を毛嫌いしてたんだよな
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 20:35:00
漁スレの予感
女が近寄りづらいスレはここですか(ノД`)
この板自体こないだろ?w
陳邦敬 陳歩の子
童帝十一年に進士。二十七歳に中出省に入官。宰相楊如と共に王朝の最盛期を築いた。
阜依羅智王の乱のとき和平策を進言するも、武将宋狼らの主戦派と対立し宮廷内で勢力を失う。
後威零帝が即位し、楊如の後を引き継ぎ宰相となった。八十三歳に死去。
3にでてたよね あ、5だったかも。とにかくでてた。いたいた。いたってば。
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/25(金) 01:12:27
許昆の讒言により失脚しなければ、歴史に残る名将になってたと思うよ。
なんせ万黄を倒したくらいだし。
おまえら病んでる。病んでるよW
病陳歩
18 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/25(金) 02:59:25
部下の邦刑と不仲だったのは有名な話
邦刑 夏成(ほうけい かせい)
陳歩の旗揚げ以来付き従ったが陳歩からその性格の悪さを嫌われ「奴は人の皮を被った獣のようだ」と言われ、本人もその事を気にしていた。
万黄との戦いの際、先鋒を願い出、万黄と戦うが、万黄の軍師である菊門の策により討ち死にした。この戦いを「みこすり半の戦い」と言う。
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/25(金) 06:01:35
その息子は「蓬轡審貰」(ほうひ しんせい)
息子の方が名将っぽいなW
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/25(金) 12:49:27
真の名将は親戚の関遁 蓬瓊 (かんとん ほうけい)
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/25(金) 14:45:16
そして万黄の典医は華蛇の志を継いだ名医、甘慈蛇(かんじだ)
やべ、ワロタ
迷スレの悪寒
万黄の初陣は陳歩に突撃されて破れ、戦い後は血を流して倒れていたらしい。
おまえそんな上手いことばっか言えるんなら少しはその能を世の中に役立てろよ
甘慈蛇の手厚い治療が無かったら、万黄は初陣で死んでたよな。
もしそうなっていたら、瀬宮州の戦いも高校の教科書に載るほどの大きい戦い
にならなかっただろう。
万黄の魅力は、戦いをしていくたびに強くなっていくところだよな。
29 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/25(金) 22:30:43
蒼天已死
陳歩当勃
歳在甲子
天下大吉
袁如 公才とか徐資 公盛のエピソードキボン
袁如 公才
宮廷に置いて賄賂を得て私腹を肥やし、腐敗を招く。
さらには袁如を真似る者も数多く、腐敗はますます酷くなる。
しかし、あまりに露骨で後先考えないそのやり口は多くの者から
反感を買い、結果袁如に関わった者の多くは、罷免される事となる。
(なお、袁如の進退は不明。一説には追求の手を逃れ、
余生を不自由なく楽しんで過ごしたともある)
が、腐敗した性事が正されるには遅すぎた為、各地に腐敗政治が
蔓延する事になった。
あっと、政治が性事になってたよwwwwww
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 20:25:32
万黄の軍師の菊門と明智光秀って、俺的にイメージが近いんだけどどう?
陳歩の絶頂期っていつだと思う?結構意見が分かれるところだけど。
陳歩は生涯現役だよ
江炉漫画島に流されたのって何歳のとき?
六十九歳かと
訂正
許昆じゃなくて李昆
こいつが異民族の三駆駄利・汗の援助をうけて陳歩を失脚させた。
許昆は味方
粗珍
40 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 01:56:19
珍顧の礼WWW
>>4 俺が調べたのとちょっと違う。
「泣きながら陳歩の皮を剥く」
だったと思うんだが?
42 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 03:32:49
基本的に温厚な人物だったらしいが戦場では凄かった。
万黄の領地だった地域では今でも子供が泣くのを止めるのに「陳歩が来るよ」と言うらしい。
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 03:36:05
陳歩を影で支えた名軍師と言えば、尿道炎だよなぁ。尿道一族は三公(雲湖・陳湖・満湖)を
一族から出した名族だし。
44 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 03:51:52
陳歩の周辺人物では薫仁(字は輪具)も抑えておきたいね。
薫仁は自分が精一杯武功を立てているにも関らず陳歩の方が上位なので彼を憎んでいたが
陳歩の人柄の素晴らしさに敬服して飲頚の交わりを結んだ。
瀬宮州の戦いでは敵将万黄に対し、突撃を得意とする陳歩が戦いやすいように先制攻撃を仕掛け、
連続突撃により陳歩軍が疲弊すると代わりに万黄と戦う事と言う共同作戦で見事勝利を収めた。
陳歩の最大の見せ場は万黄の旗本四十八騎の驛卞との一騎打ちだろうな
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 16:50:40
>>33 そうか?漏れとしては戦国で例えるんだったら黒田如水が近いと思うが・・・
47 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 17:22:53
>>44 俺も薫仁は好きだな。
薫仁は「みこすり半の戦い」での活躍も、もっと評価されていい。
先陣の邦刑が菊門の誘引にはまって包囲殲滅されたとき、
中軍にいた薫仁は引っかからずに、見事な撤退戦をやってる。
このとき総崩れして、渡河する時間が稼げなかったとしたら、
陳歩も淫水に追い落とされてあぼーんしていたかも。
薫仁って「くんじん」と「くんに」の二つの読み方があるよね?
これって「かこうとん」と「かこうじゅん」みたいなもんなの?
俺は普段は「くんに」って読むけど。「くんじん」だとしっくりこない。
49 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 21:41:34
>>43 同意。
肥の尿道炎の能力値が低すぎじゃね?
知力78(だったっけ?)はありえん。
正史準拠なら90代当然でしょ。
また精子厨か
アホ名将スレの議論のように進行しているんだなW
52 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 22:41:47
>>49 90後半でもおかしくない。
カントンの戦いでは、満の大将の満火素を伏兵で討ち取ってるし。
ちなみに三国鼎立は
陳(ちん)
満(まん) 雲(うん)
虎穴に入らずんば孤児を得ず、みたいなものか?
そのときのエピソードきぼん。
不倫相手の泡姫とも最後ドロドロだったしな
57 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/29(火) 12:56:45
良スレ発見!!
俺、陳歩大好きだよ!
それにマジ尊敬してるし。
本当讒言食らったのは可哀想。最強の武将なのに。
息子の陳宝と陳虎についても詳細キボン
59 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/29(火) 16:14:53
あと陳矛も
従弟の陳鎮はどうなの?
この人って守勢に強いって聞いたけど?
>>57 たしかに、今まで陳歩のスレがたたなかったのが不思議。
でも、ここに来ると改めて人気があるのがよく分る。
>>58 うろ覚えですまんが、確か陳宝は、刺客の胤金に暗殺されたんじゃ
なかったっけ?
陳鎮はその武勇に慢る事なく全体の戦局を見通す能力は陳歩軍随一だったよな。たとえば陳歩の初陣である盛漢討伐戦でも敵の策にはまって敗走する味方のしんがりを引き受けて盛漢の弟盛観岱を逆に討ち取ったくらいだし。
陳鎮って、攻城戦にも強かったよな?
陳歩軍の、目の上のたんこぶだった根同霧城を陳歩が攻めたとき、なかなか落とせないのを見て
「城門をすべて押さえているからダメなのです。敵は逃げ道がなくなるから必死になって守ります。ここはわざと城門を1つ空けておき、そこから逃げてきた敵を殲滅しましょう。」って進言して、見事に陥落させたよな。
三国志の劉備という武将も、黄巾族って言う反乱組織を攻めるときに、陳鎮が使ったこの戦法を使っていたそうだ。
あと、曹仁という武将も、陳鎮を見習って戦ったと聞いてるぞ。
そういえば、陳鎮の能力ってどのくらいだっけ?結構冷遇されてたような気がするけど・・・
陳鎮 81 77 69 32 76
くらいだった
>>64 かなりの冷遇だよな?陳歩は彼を「我が軍法の師。私は彼の足元にも及ばない」と言ったのに・・・。
陳歩の初陣で壮絶な死を遂げた名将道卓を忘れてないかい?
>>66 ・・・・!!!!
その名前は・・・・!!!
68 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/29(火) 18:04:10
これ何人くらいでやってるんだ?
おまいらサイコーだよ!!w
良スレage
いかに名将とはいえ死に際はかなりあっさりだった
>>62にある敵の策にはまった陳歩を助ける為に…
陳歩にとっては生まれてからずっとそばにいてくれた父のような存在だったんだろう
ただ俺が思うに彼の死が陳歩を成長させたと思う
まだ理想ばかり抱いている若い青年に
当時盛漢にいた後の好敵手、満(古?)軍と戦うことの現実をみせつけてくれたシーンだった
>>58 陳宝
陳歩の息子。三丈(7.23b)もある巨大な槍を振り回す豪傑。正史には、浅黒い顔と精悍な体を持っていたとあり
恐らくは異国人との混血だったと思われる。
瀬宮州の戦いに父の陳歩、邦刑とともに出陣。その際、万黄が配下を麓のみこすり半に残し、自分だけ山上に布陣
したのを見て、万黄が逆落としをかけるつもりだと踏んだ彼は陳歩に「父上が敵の逆落としを止めている間に、私と邦刑が
麓の阿奈留を倒せば、敵の水を断つことができ、万黄の如きは簡単に討てる」と二ヵ所攻めを進言した。
明朝、邦刑を先頭に彼は阿奈留の陣へ突撃した。麓の阿奈留は南蛮出身であり険阻な山路での戦いには不慣れだと
油断していたのだ。ところが、実はこれは敵の軍師菊門の策であった。万黄は夜の間に下山しており、逆に陳宝、邦刑の
軍勢を飲み込んでしまったのだ。これにより別働隊は孤立し、邦刑も討ち死にしたため、陳宝は本陣に逃げ帰った。
珍歩と、その生涯の宿敵だった斉苗(せいびょう)の間のエピソードは泣かせるものが多いよなぁ。
陳だった、スマソ
73 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/29(火) 18:32:24
よういや珍歩ってのもいたな
74 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/29(火) 18:41:46
陳歩が候内舎生に出した「坐面知るは苦し」の詩をみても、
かなり禅の教養もあったようだ。
南蛮の王、不江羅血王(ふえらちおう)って、陳国志随一の猛将だよな?
76 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/29(火) 19:10:15
弟の伊魔羅血王(いまらちおう)は知将だった。
珍歩も不遇だよな。
梅武を討ち取ったのは珍歩の手柄なのに。
いや、痴将だろう
>>1 おまいの名前はカタルーニャ語だと「チンポ」という意味になります
蘇鎮の裏切りさえなければなぁ・・・とか言ってみるテスツw
>>71 だよなぁ。あれはまさに一進一退の攻防だった。
そういや斉苗の軍師、兪備曼の「二穴攻めの計」ってどんなんだったっけ?
>>81 それに引っ掛った軍はたちまち敗走してしまう恐ろしい技だったよなぁ・・・。
猛将の兪備曼も「あれほど恐ろしい計略は前例がない。たとえ1000年経とうとも、これを越える戦法はないだろう」と言わしめたからな・・・。
>>71 陳歩と斉苗がお互いを認め合ってたからね。だからいいエピソードが多いんだろうね。
斉苗との初戦で縦横無尽に暴れまわる陳歩を見て、斉苗はおもわず側近の于甫に
「于甫、いい漢だなぁ」ともらし、戦時中にも関わらず陳歩の陣に名産の耶羅那烏賊を送らせたという。
それを受け取った陳歩もまた、斉苗の度量の大きさを感じたという。
>>83 だけと、最後には斉苗は性病で死んじゃうんだよな…
陳歩はその死を身内のことのように嘆き悲しんだとか。
でも斉苗の息子、斉奕、斉昂も斉苗に劣らないよな。
85 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 08:51:04
みんな性病で死んじゃったけどな……
陳国は234年に性病がはやって一説には人口が4割減少したって
見方もあるからね
87 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 10:34:45
斉苗の息子達の情報キボンヌ
88 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 12:24:30
しかも末期には北方の華璃句美の度重なる襲来でかなり国力疲弊したしね
普吐魔羅将軍の騎馬部隊の機動力に、さすがの陳華洲も防戦一方だったしなあ
蛮族の栗取巣も忘れるな。
正史には出てこないとかくだらねーこと言うなよ。
お前ら陳歩軍随一の名将の絶麟についても語れよ
一番最初に戦場に突っ込んでいき、戦いが終わるまで戦場に踏みとどまる程の精力の持ち主だぞ
93 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 15:42:02
まぁ、とりあえず今までの奴を整理しようよ。
94 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 16:33:32
誰か斉苗の息子の斉司について教えてくれ!
陳歩なんて誰でも思いつくありがちな名前
案外ゲームの架空武将として登録してたりして
(( (`Д´) (`Д´)
(/ /) (/ /) ))
< ̄< < ̄<
あるある救助隊!
あるある救助隊!
_(Д´ ) _(Д´ )
ヘ| |\ ヘ| |\
< <
あるある救助隊!
あるある救助隊!
( `Д)_ ( `Д)_
/| |ヘ /| |ヘ
> >
>>94 人海戦術が得意
だが、烏合の衆なので、戦争が終わると軍が全滅状態
97 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 17:27:16
陳国
陳歩 金玉帝十九年 生殖省 辺児子県出身の武将
幼少の頃から名将道卓に支えられてすくすくと立派な偉丈夫に育つ。彼は、幼い頃から支えてくれていた道卓を
父とも慕っていた。やがて、珍顧の礼に答え、乱世に身を投じる決意を固める。当時盛漢にいた後の好敵手、
満軍相手に強気で臨んだ初陣であるが、敵の計に乗せられ、大敗。従弟の陳鎮に殿軍を任せて一命を
取り止めたものの、名将道卓を失う。陳歩は、道卓の死に深く悲しみ、もう二度とこんな愚かしい戦いはしないと
決意、泣いて自らの鍛錬に勤め、その故事は今も「泣いて陳歩の皮を剥く」(成長には痛みが伴うという意)として
伝えられている。
その後、一回りも二周りも成長した陳歩は、初陣の万黄を突撃で蹴散らし、人生最大のライバル、斉苗との
戦い、親交、そして別れを経験。斉苗が死んだ時は、まるで身内の死の様に嘆き悲しんだと伝えられている。
その後も目障り極まりない満軍の根同霧城を攻めるが中々落とせず、陳鎮に策を授けられこれを落としたり、
案外勝ち負けの激しい人物ではある。
彼の人生最大の戦い、瀬宮州の戦いではみこすり半において邦刑を菊門の策により討たれ、自身も危うく
逃げ延びるも、体勢を建て直し、瀬宮州にて怨敵万黄を打ち破り、騎上位大将軍に任じられる。この時の、
万黄の旗本四十八騎の驛卞との一騎打ちは、彼の人生の中で最大の見せ場といわれ、高校の教科書にも
載っているほど。
しかし、やがて異民族の三駆駄利・汗の援助をうけた宦官李昆の讒言により失脚、六十九歳のときには江炉漫画島
に流されてしまい、失意のままに死去。享年七十二歳。
候内舎生に「坐面知るは苦し」の詩を出したり、禅の教養もあった所を見ると、結構な教養人らしい。高僧だったという
話もある。故事に「泣いて陳歩の皮を剥く」(成長には痛みが伴うという。
基本的に温厚な人物だったらしいが戦場では凄かったらしく、 万黄の領地だった地域では今でも子供が泣くのを止める
のに「陳歩が来るよ」(歩来来)と言う。
なお、泡姫とは不義の中にあったらしい。
道卓
陳歩の先代の頃から付き従った名将。陳歩から父の様に慕われていたが、陳歩の初陣にて、敵の計に掛かった
陳歩を救う為、単騎敵軍に突入、縦横無尽に暴れまわり、陳歩の退路を切り開くことに成功するも、道卓は万余の
敵に囲まれ、壮絶な戦死を遂げる。彼の死は、まだ理想ばかり抱いていた若い陳歩に満軍と戦うことの現実をみせつけ、
彼の大いなる成長を促した。
陳鎮 陳歩の従弟
陳歩の初陣から付き従った良将。守勢と攻城戦に強く、大敗北であった陳歩の初陣では、殿軍を勤め、深追いしてきた
盛漢の弟盛観岱を返り討ちにした。また、根同霧城攻略戦では、むやみやたらに押すだけで、中々城を落とせない
陳歩に、「城門をすべて押さえているからダメなのです。敵は逃げ道がなくなるから必死になって守ります。ここはわざと
城門を1つ空けておき、そこから逃げてきた敵を殲滅しましょう。」と進言、見事に城を陥落させた。この戦法は後の世に
も伝えられ、劉備や曹仁という壮々たる武将にも受け継がれた。
しかし、肥の陳国志では冷遇され、能力値は 81 77 69 32 76 程度。
尿道炎
陳歩を影で支えた名軍師。尿道一族は三公(雲湖・陳湖・満湖)を一族から出した名族である。カントンの戦いでは、
満の大将の満火素を伏兵で討ち取るなどの活躍を見せた。
絶麟
陳歩軍随一の猛将。一番最初に戦場に突っ込んでいき、戦いが終わるまで戦場に踏みとどまる程の精力の持ち主。
陳邦敬 陳歩の子
童帝十一年に進士。二十七歳に中出省に入官。宰相楊如と共に王朝の最盛期を築いた。 阜依羅智王の乱のとき
和平策を進言するも、武将宋狼らの主戦派と対立し宮廷内で勢力を失う。 後威零帝が即位し、楊如の後を引き継ぎ
宰相となった。八十三歳に死去。
陳宝 陳歩の子
陳歩の息子。三丈(7.23b)もある巨大な槍を振り回す豪傑。正史には、浅黒い顔と精悍な体を持っていたとあり
恐らくは異国人との混血だったと思われる。
瀬宮州の戦いに父の陳歩、邦刑とともに出陣。その際、万黄が配下を麓のみこすり半に残し、自分だけ山上に布陣
したのを見て、万黄が逆落としをかけるつもりだと踏んだ彼は陳歩に「父上が敵の逆落としを止めている間に、私と邦刑が
麓の阿奈留を倒せば、敵の水を断つことができ、万黄の如きは簡単に討てる」と二ヵ所攻めを進言した。
明朝、邦刑を先頭に彼は阿奈留の陣へ突撃した。麓の阿奈留は南蛮出身であり険阻な山路での戦いには不慣れだと
油断していたのだ。ところが、実はこれは敵の軍師菊門の策であった。万黄は夜の間に下山しており、逆に陳宝、邦刑の
軍勢を飲み込んでしまったのだ。これにより別働隊は孤立し、邦刑も討ち死にし、陳宝は本陣に逃げ帰る羽目になる。
後に刺客の胤金に暗殺される。
陳虎 陳歩の子
陳矛 経歴不詳
邦刑 夏成
陳歩の旗揚げ以来付き従ったが、陳歩からその性格の悪さを嫌われ「奴は人の皮を被った獣のようだ」と言われ、本人も
その事を気にしていた。みこすり半の戦いの際、先鋒を願い出、万黄と戦うが、万黄の軍師である菊門の策により討ち死に
した。
蓬轡 審貰 邦刑夏成の子。
関遁 蓬瓊 邦刑夏成の親戚。
陳国の名将。
楊如
宰相。陳邦敬と共に陳王朝の最盛期を築いた。
宋狼
阜依羅智王の乱の際、主戦論を唱え、陳邦敬と対立、陳邦敬の宮廷内での勢力を奪った武将。
許昆 陳歩の味方。
薫仁 輪具
陳国の名将。精一杯武功を立てるも、陳歩になかなか追いつくことが出来ず、やがて彼を憎む事となる。
しかし、陳歩の人柄の素晴らしさに触れるにつれ、考えを改め、彼に敬服し飲頚の交わりを結んだ。
みこすり半の戦いでは、先陣の邦刑が菊門の誘引にはまって包囲殲滅された際、中軍にいた薫仁は
引っかからずに済み、その後の見事に撤退戦を戦いきった。 もしも、この時総崩れし、渡河する時間が
稼げなかったとしたら、陳歩も淫水の流れに呑まれ、後世の歴史も変わっていたかもしれない。
瀬宮州の戦いでは敵将万黄に対し、突撃を得意とする陳歩が戦いやすいように先制攻撃を仕掛け、
連続突撃により陳歩軍が疲弊すると代わりに万黄と戦う事と言う共同作戦で見事勝利を収めた。
なお、名前の読み方には「くんじん」と「くんに」の二つの説がある。
泡姫
陳歩の不倫相手。陳歩と恐ろしいまでにドロドロした愛憎劇を繰り広げた。
陳華洲
陳国末期名将。北方からの侵略者、華璃句美国の普吐魔羅将軍と幾度もの激戦を繰り広げる。しかし、普吐魔羅
配下の騎馬部隊の機動力にはずいぶん手を焼いたようで、騎馬部隊が出ると人に引きこもり防戦一方になった。
満国
万黄
満国の名将にして、陳歩の怨敵。初陣で陳歩に突撃されて破れ、戦い後は血を流して倒れたが、典医甘慈蛇の
手厚い治療によって一命を取り留める。みこすり半の戦いでは菊門の策により陳歩の旗揚げ以来付き従った
邦刑を討ち取ることに成功。しかし、瀬宮州の戦いにおいて陳歩に破れる。
万黄は戦いを乗り越える度に強くなり、その人となりは後世の人々にも愛され続けている。
菊門
万黄の軍師。みこすり半の戦いにおいて、策にて陳歩の旗揚げ以来付き従った邦刑夏成を討ち取る。
甘慈蛇(かんじだ)
万黄の典医、華蛇の志を継いだ名医。彼の手厚い治療無くば、万黄は初陣で死んでいたと言われる。
盛漢
満国の将。
盛観岱
満国の将、盛漢の弟。陳歩の初陣において、逃げる陳歩を調子に乗って深追いし、陳鎮に討たれる。
阿奈留
満国の将、南蛮出身。みこすり半の戦いに参陣。
その他の国々
斉苗
陳歩生涯の宿敵。斉苗との初戦で縦横無尽に暴れまわる陳歩を見て、斉苗はおもわず側近の于甫に
「于甫、いい漢だなぁ」ともらし、戦時中にも関わらず陳歩の陣に名産の耶羅那烏賊を送らせたという。
それを受け取った陳歩もまた、斉苗の度量の大きさを感じ、お互いを認め合う中となる。
その後も、 陳歩といいエソードを数多く残すが、性病にかかりて死ぬ。陳歩はその死を聞き、身内の
死の様に嘆き悲しんだ。
斉奕
斉苗の子。斉苗に劣らぬ名将であるが、性病で死ぬ。
斉昂
斉苗の子。斉苗に劣らぬ名将であるが、性病で死ぬ。
斉司
斉苗の子。人海戦術が得意をしたが、烏合の衆を金で操ったようなもので、戦争が終わると軍が全滅状態に
なってしまっていたという。実は兄弟一の愚将かもしてない。ちなみに、彼も斉気の祟りか性病で死んでいる。
兪備曼
斉苗配下の軍師にして猛将。自らの計略、「二穴攻めの計」について、「あれほど恐ろしい計略は前例がない。
たとえ1000年経とうとも、これを越える戦法はないだろう」と語っている。・・・・確かに引っ掛った軍はたちまち
敗走してしまう程の恐ろしい策ではあるが、本人にも多少ナルシスト的なところがあるのではないだろうか。
于甫 斉苗の側近。
不江羅血王
南蛮王。陳国志随一の猛将。蘇鎮に裏切られた。
伊魔羅血王
南蛮王不江羅血王の弟。知将。痴将とも。蘇鎮に裏切られた。
蘇鎮
南蛮の裏切り者。
袁如 公才
宮廷に置いて賄賂を得て私腹を肥やし、腐敗を招く。 さらには袁如を真似る者も数多く、腐敗はますます酷くなる。
しかし、あまりに露骨で後先考えないそのやり口は多くの者から 反感を買い、結果袁如に関わった者の多くは、
罷免される事となる。(なお、袁如の進退は不明。一説には追求の手を逃れ、余生を不自由なく楽しんで過ごしたともある)
が、腐敗した性事が正されるには遅すぎた為、各地に腐敗政治が蔓延する事になった。
珍歩
経歴不明。梅武を討ち取ったが手柄を横取りされたらしい。
梅武
経歴不明。珍歩に討ち取られたらしい。
普吐魔羅
北方の異民族、華璃句美国の将軍。陳国末期、陳国に幾度も襲来し、国力を疲弊させた。その配下の騎馬部隊の
機動力の前には、陳国末期名将、陳華洲も防戦一方であったと言う。
栗取巣
蛮族。正史には出てこない。
三駆駄利・汗
異民族。李昆に陳歩を失脚させるための援助を行った。
候内舎生
国籍不明。陳歩の友人?
胤金
刺客、国籍不明。勇将陳宝を暗殺する。
陳歩の初陣、陳軍VS満軍。満軍大勝、道卓、盛観岱討死。
↓
万黄の初陣、陳軍VS満軍。陳軍勝利、万黄重傷。
↓
斉苗との戦い、陳軍VS斉苗軍。斉苗病死、勝敗不明。
↓
根同霧城の戦い、陳軍VS満軍。陳軍勝利。
↓
カントンの戦、陳軍VS満軍。陳軍勝利。満火素討死。
↓
みこすり半の戦い、陳軍VS満軍。満軍大勝、邦刑討死。
↓極めて短い(1〜3日?
瀬宮州の戦い、陳軍VS満軍。陳軍大勝。
ちなみに三国は陳(ちん)雲(うん)満(まん)の順らしい。
おまえら雲国の武将のことも語ってやってください。
訂正
陳虎 陳歩の子、経歴不詳。
陳矛 陳歩の子、経歴不詳。
斉司
斉苗の子。人海戦術を得意としたが、烏合の衆を金で操ったようなもので、戦争が終わると軍が全滅状態に
なってしまっていたという。実は兄弟一の愚将かもしてない。ちなみに、彼も斉家の祟りか性病で死んでいる。
神スレ発見!
すげー神スレ
バヌアツ北ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
111 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 19:24:55
112 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 19:58:57
馬鹿良スレage
113 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 20:17:15
満国の滅亡を決定付けたと言ってもいい令布の戦いは悲惨だよな・・・
漏れは陳国派だが、あの戦いだけはいただけない
令布?
読み仮名ふってくれませんか?
この時代の諸国は兵役確保の為、性交を奨励した
それは儒教的にNGだったんで、中国では近年まで黒歴史にされてきた。
それまで淫・三国時代を扱った作品と言えば、魯李の「金Q性伝」ぐらいなものだった。
でも去年発売された「ダビチン・コード」のお陰か、随分と有名になったな。
ところで刎陳の交わりで有名な許盛(キョセイ)と入覇普(ニュウハフ)はみんな知らないかな?
珍歩っていうのは陳歩の誤表記じゃないのかな
陳正志には羅武浦の戦で陳歩が賊の梅武を討ち
取ったって書かれているし
陳歩は異民族の王"阿仁先巣"と紅門で会見した際に、
位の劣る自分たちに対して、陳歩の節度ある応対に感銘を受け、同盟を結ぶとともに
現在の技術でも難しく、とても貴重な長さ何尺もある純白の絹織物を貰ったんだよね。
これが歴史に残る「紅門での会見」だよね。
118 :
117:2005/03/30(水) 21:53:26
文章がちょっと変になっちゃったYO
>>113 令布の戦いは陳歩の軍師である尿道炎の騎兵を用いた策、「顔面騎乗の計」によって当時最強と呼ばれた精鋭集団「狼佗亜(ろうたあ)」を壊滅し、満国の将、満胡襲を捕らえた。(後に斬首)
その後、陳歩の軍の快進撃が続き満国の都の満光の近くまで進軍したからな。
雲国には、放屁(字:??)
陳国には、包皮(字:咬理)
という同音異名の武将がいたような気がする
121 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 22:21:30
脳はもうちょっと有意義に使おうよWW
雲国といえば、絶世の美女と謳われた大便、小便の姉妹を忘れてはなるまい。
名将弁挫もいたしな
令布の戦いはなァ〜。
万黄の奮戦虚しく、戦う戦は負け続けだし、来る援軍は突き破られるし。毘瑠の否任も、
狼佗亜の満胡襲も、近衛膜団の虎将、諸除幕もあんな姦計にかけられちゃあ可哀想だ。
何より、陳歩全盛の時に当たってしまってってのが痛すぎるよな。それまでは陳歩とは
結構互角に戦ってたんだし。
でも、延びきった兵站は陳歩軍に相当の負担を与えてたし、満光に迫られた時、満皇帝、
満益が怯えて、万黄の首を差し出したりしなければ(もしかしたら)どうにかなったかもな。
結局、その場は逃れたものの、万黄無しの満軍なんかじゃ、陳軍とは到底戦えないし。
数年にわたり無理難題吹っかけられ続けた挙句、関遁蓬瓊にいい様に蹂躙され、滅亡するハメに
なったんだよ。
満光攻防戦で、万黄の子、万拡(楠弧)が負けると分かってる戦いを、親を切り捨てた暗君の為に
戦ってる姿は、もう泣けてくるよ(´Дと)・゚・。
結局、3年の篭城戦の末、陥落したわけだが、万拡がいなきゃ3日で陥ちてたと。そう思わないか?
雲国といえば宰相のベンキ(漢字変換できん)だろ
弟のベンザもいたな
忘れちゃいけないのが水軍指揮の天才美出
水攻めにも長けていたな
満軍を打ち破った戦は本で読んだけど痛快だったね
う〜ん、和姦中のしか読んだことない俺にはついていけないレベルの高いスレだ!
おまいら、雲国といえば、やっぱ君主の雲項の笑い話だろw
あの名宰緒弁揮がせっかく推挙した大賢人、務世に「君は天下の盲腸なり」て言っちゃって、
務世が「それはあっても無くても同じということですか?」と怒っちまって、ねぇ。
ちゃんと猛将を盲腸と間違えたと、言えばいいのに、間違いを認めずに「何を言うとるか、
盲腸はあれで一応役には立っている。無いよりゃましだろう?」とか言っちゃって・・・・
結局務世陳に仕官しちゃうしw雲項ダメじゃん。どうせ早死にするんだからさっさと死んで、
弟の雲智に位譲るべきだったんだよ。戦バカじゃどうせいつか行き詰っちゃっただろうし。
雲国の脱襲もゲームでは評価が低い
地味ながらかなりの戦に出てるはず
彼のおかげで後続は安心して戦に参戦出来たと思う
でも、美出って、死にそうで死なないで、もう大丈夫か?と思うとまた死にそうになって・・・・
陳国志便器じゃあ陳の諸除易(伯濁)のダシにされるしさぁ・・・・
救いはどこぞの美周郎とは違って結構長生きしたってことかな?でも、その分便器じゃあ
諸清易に長い間ダシにされ続けるし・・・・報われねェ〜!結局、泄州攻略戦の途中で陣没するしさ。
しかも、泄州は横から諸除易に乗っ取られるし・・・・
諸除易って、戦争サッパリなくせに、詐術姦計策略陰謀なんでもござれの極悪軍師だし。
陳歩の存命中はあんま重用されなかったし。まぁ、陳歩没後、30年にわたって幾多の
戦争を乗り越え、67で逝くその真際まで一日10回ヤってた絶倫さは認めるけどさ。
死ぬ真際には、戦争も随分イケる口になったみたいだし。
こういうと、諸除易厨とアンチ諸除易が沸くな、必ず。
>>122 現代の基準では絶対に美女じゃないだろうけどな名前からしてw
基本的に雲国だけは好きになれんw
大便、小便は雲項の息子の雲治とその義兄弟の厥弁はに嫁いだんだよな。
その厥弁は雲項、雲治死後、雲治の弟雲香を見事に補佐している。
雲項、雲治が早死にした雲国は大変だったな。
>>128 でもさ、肥のゲームじゃ地味な武将が評価されないのはいつものことじゃないか。
肥も、肥良時代は良かったけど、ヒリョーになってからますますその傾向が強くなったし。
>>131 雲項もなぁ、弟の雲智に位譲るならともかく、息子の雲治に譲るしさ。まだ十代なのに。
その雲治も雲治で叔父に位を譲るんじゃあなく、弟の雲香に譲っちまうし。
地味だが結構政務は取れたし、外交力もあったんだぞ雲智!地味だけど・・・・
そのせいで肥ゲじゃあ能力値は 86 51 78 89 75 程度だしさ。
雲を語るなら億陀袈(おくだけ)も外せないな。
元々僧だったが、名宰緒弁揮に見出されて雲に仕官したんだよな。
武勇、知略ともに優れた人物だったらしく、
30歳にして武流有列人(ぶるうれっと)の地位に就いたのはなかなか凄いと思う。
>>126 漏れなんか横穴陳国志しか読んだ事無いからサッパリだぜ。
136 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 23:38:23
四大大尉って騎乗尉、正常尉、後背尉、あとなんだっけ?
>>134 精子じゃともかく便器じゃとても智略に優れてるようにゃあ見ないがなw
あれじゃあまるで水滸伝だよw和姦中はよほど破戒僧が好きだったのかね?
138 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 23:40:21
雲国の無敗コンビの輪式(わしき)楊敷(ようしき)を忘れるな
たしかにこのスレ笑えるんだけど
特に雲国の話の時は脱力感のある笑いなのは俺だけですか、そうですか。
>>138 奴らの統率力は半端ない。
水が渦を巻くように進軍する「水洗の陣」は誰にも止められなかったしな。
そういや万黄の軍師菊門の残した兵法書って確か「兵法69計」だよな?
卑猥な兵書だなw
陳国志9PK欲しいんだけど相場どれくらいよ?
中古でもおK
エンコー陳国志9PKは中古で8000円くらい
9PKは名作だけど、エンコー商法にはうんざりだよ…
陳国無双はキャラがみんな巨根だから女性に人気だと毎日新聞に書いてあったな。
防御度 商業 治安 備考
処襄 S B S
岸安(ギシアン) A A A
玉京(タマキン) B S B 疫病が発生することがある
辺都(ベット) A B B
淮府(ワイフ) B B A
繁定(パンテイ) A C B
於沛 B B B
梅春 C A C
瀬宮州 C B B
桑埠城(ソープジョウ)C B D 疫病が発生することがある
陰稽 B C B
知漢 C B C
包慶 B C C 疫病が発生することがある
雄南 C C B
童亭 D D B
慰安府 D D D 朝鮮族が侵入してくる場合がある
ずれたorz
水洗の陣に突撃して逝ってくる・・
乙。イ`
>>140 そんな艶技準拠の話をされてもねえ。
ここは精子準拠だよ。
当時はくみ取り式しかなかったから「水洗の陣」は成り立たないよ。
「水洗の陣」は後世の創作。
美出といえば満軍を打ち破った連姦の計
あれでしばらく満軍は使い物にならなかった
>>128 地味だし実際も不遇だったじゃない
便利屋扱いされていることを嘆いた脱襲嘆は有名
わが身はただ削られるのみ…の部分は感動もの
まぁどうせ武将なんてそんなものさ。
陳歩は讒言に遭って流されちまうし、万黄は主君満益に切られちまうしさ。
雲一族も股肱をかなり酷使してたみたいで、過労死や病気で倒れるものが
後を絶たなかったじゃないか。
まぁ、結局性病にかかりさえしなければ斉の斉苗一族最強ってことで。
>>119 遅レス
当時、陳歩の軍師だった尿道炎の令布の戦いでの進言「敵の砦を落とすには、まず、敵の最も愛するものを奪うのが上策なり。
満胡襲は大変な愛妻家であり、この妻を亡き者にすれば、敵は己の顔を潰されたと必ずこちらへ突撃してくるだろう。そこを一気に
騎兵で揉み上げる。これまさに敵の顔面に騎乗するがごとし」
実際、満胡襲は妻が暗殺されると、ひどく動揺して、辛くあたった配下の裏切りにあい、兵糧に火を付けられ、仕舞いには退路を
断たれたんだよな。で、突撃するしかなくなった狼佗亜は陳の大軍に飲み込まれて壊滅するわけだが…
満軍の狼佗亜は少数だが精鋭だし、さらに険阻な山路に堅固な砦を造って布陣していたからこそ尿道炎もこんな計を思いついた
のだろうが、それにしてもあまりに非道い。
令布の戦いもだけど、その前後の乞遁の戦い、啓桔の戦いも非道いよ。まぁ、令布の戦い程じゃないけど。
乞遁の戦いでは、毘瑠族軍の将否任に対して、毘瑠族の兵士を前面に押し出して戦わせ、毘瑠族軍の
戦意を殺いでるし、啓桔の戦いじゃあ豪関に立て篭もる万黄と近衛膜団に対して幾重もの包囲をかけた
上で兵糧攻めを仕掛け、目の前で連日大宴会を行って満兵の投降を促し、撤退する近衛膜団の退路に
まで宴会場を設置して、料理の匂いで惑わせて討ってるんだもの。こんな姦計にかけられちゃあ否任も
満胡襲も近衛膜団の諸除幕も可哀想だ。
でも、この一連の戦いって尿道炎の幕下に諸除易が付いて、やる計成す計「生温い」とケチを付けてたし・・・・、
兄が兵糧攻めにかけられてるのを見て、「兄も随分バカなお人だ。米が無いなら民を食えばいいじゃない。」
なんて暴言を吐いてたし、万黄の首を差し出させ服従させたら、搾り取れるだけ搾り取って、搾りカスに
なったら攻め殺してしまいましょうなんて進言を平気でするやつがそばにいちゃあな。
案外尿道炎も諸除易の毒気に当てられてたのかもな。
このスレにもすくないであろう雲国ヲタの俺が武将を書き綴ってやるよ
劉傑 雲国第一代皇帝。娼婦帝。人望があった。
庶徐 雲国の将。一度も戦闘をしたことがない。留守番。
云虎 雲国一の名臣。小国であった雲国の政務などを宰相としてすべて取り持つ
云治 云虎の弟。兄の影に隠れているが下根太太守として対陳国前線で活躍
於湿胡 蛮族の王。云虎に討伐され、帰順を誓う
でも云虎結構短命だったし・・・・跡を継いだ名宰相弁揮も長くはなかったし、
美出だって病弱気味で死にこそしなかったものの朝議休みがちだったし。
精子ではむしろ云治の方が有名じゃないか?艶技じゃ地味地味だけど。
やっぱ短命でも死ぬ前に大改革と荷洋族討伐を成し遂げた云虎の方が英雄的に
書きやすいのかもな。
>>154 雲国語るなら
切路(キレジ)と伊保児(イボジ)の名将コンビも忘れるなよ
そういやかなーり昔に珍々と満々って架空の武将を出した人形劇シリーズがあったよな?
>>152-155 詳細乙。
>>156 雲国の名将ですな。彼らが率いた軍団「謀羅義能褸(ぼらぎのうる)」は雲国でも屈指の精鋭部隊でした。
>>157 漏れはそれから陳国志に興味もって横穴陳国志→柴恋陳国志→そしてエンコー陳国志シリーズ、陳国夢想と手を出していった訳で。
陳国
尿道炎
陳歩を影で支えた名軍師。尿道一族は三公(雲湖・陳湖・満湖)を一族から出した名族である。カントンの戦いでは、
満の大将の満火素を伏兵で討ち取るなどの活躍を見せた。
彼のもっとも有名な戦い、満国攻略戦で、乞遁の戦いにおいては毘瑠族軍の将否任に対して、毘瑠族の兵士を前面に
押し出して戦わせ、毘瑠族軍の 戦意を殺ぎ、令布の戦いでは、「敵の砦を落とすには、まず、敵の最も愛するものを
奪うのが上策なり。 満胡襲は大変な愛妻家であり、この妻を亡き者にすれば、敵は己の顔を潰されたと必ずこちらへ
突撃してくるだろう。そこを一気に 騎兵で揉み上げる。これまさに敵の顔面に騎乗するがごとし」と進言、満胡襲の妻を
暗殺させ、配下の裏切りを誘発し、そこに間者を放ち兵糧に火をつけ、退路を断ち、我武者羅に突撃してくる狼佗亜を
陳の大軍で取り囲んで壊滅させ、 啓桔の戦いでは豪関に立て篭もる万黄と近衛膜団に対して幾重もの包囲をかけた
上で兵糧攻めを仕掛け、目の前で連日大宴会を行って満兵の投降を促し、撤退する近衛膜団の退路に まで宴会場を
設置して、料理の匂いで惑わせて討っている。まさに大活躍だが、この一連の戦いはその策のあまりの非道さに、
陳国ファンからもあまり好かれていない。
諸除易(伯濁)
陳国の策士、雲国の諸除膜の弟。若い頃は戦争が苦手だが、その智謀に物を言わせ、詐術姦計
策略陰謀なんでもござれの策士として歴史の裏で縦横無尽に活躍した。しかし、かなりのサディスト
であったらしく、非道との呼び声高い満国攻略戦においてて尿道炎の幕下に付き、やる計成す計
「生温い」とケチを付けてたし・・・・、 兄が兵糧攻めにかけられてるのを見て、「兄も随分バカなお人だ。
米が無いなら民を食えばいいじゃない。」 との」暴言を吐いた。さらに、満国の皇帝が降伏を申し出て
来た際も、「万黄の首を差し出させ服従させたら、搾り取れるだけ搾り取って、搾りカスになったら
攻め殺してしまいましょう」と兵器で進言。その面ようなを陳歩に嫌われ、陳歩の存命中は重く
用いられることはなかった。
しかし、陳歩の死後、宰相となり、陳の皇帝に阿り、旨い汁をすっていた宦官を大虐殺、陳国の
内政を復活させ、以後30年にわたって幾多の戦争を乗り越え陳を支えた。死の真際には、軍の
指揮者としても相当の手腕を持っていたらしい。結局、齢六十七で没するが、いざ死ぬその時まで、
一日10回ヤっていたというから相当の絶倫者(もさ)ではあったらしい。
なお、厨もアンチもかなり多いらしい。
務世
天下の大賢人。雲国の名宰相弁揮に推挙され、雲項に会ったが、雲項に「君は天下の盲腸なり」
と言われ、「それはあっても無くても同じということですか?」と怒って問い詰めるも開き直られ、
怒りのあまり雲国と敵対していた陳国に仕官してしまった。
包皮
陳国の武将。雲国に放屁という同音異名の武将がいる。
満国
満益
満国皇帝。陳の大群が満光に迫った際、恐怖のあまり万黄を切って降伏を申し出る。その時は降伏を
認められたものの、連年のように無理難題を吹っかけられ、ついに怒った満益が要求を断ったところ、
関遁蓬瓊率いる陳軍に攻めたてられ、滅亡した。憂国の士を切ってまで一時の安寧を願っても、それは
結局一時凌ぎ以外の何者でもない、という良い事例であろう。ちなみに、この時延びきった兵站は陳歩軍
に相当の負担を与えてたおり、あくまで万黄の指揮の元、徹底抗戦をしていれば勝敗は分からなかった
とも言われる。
万黄
満国の名将にして、陳歩の怨敵。初陣で陳歩に突撃されて破れ、戦い後は血を流して倒れたが、典医甘慈蛇の
手厚い治療によって一命を取り留める。みこすり半の戦いでは菊門の策により陳歩の旗揚げ以来付き従った
邦刑を討ち取ることに成功。しかし、瀬宮州の戦いにおいて陳歩に破れる。その後、破竹の勢いの陳歩軍に
押し捲られ、乞遁、令布、啓桔と連戦連負、ついに満光まで迫られ、恐怖した皇帝に帰順土産とばかりに
切り捨てられてしまった。
万黄は戦いを乗り越える度に強くなり、その人となりは後世の人々にも愛され続けている。
万拡(楠弧)
満末期の英雄、万黄の子。満光攻防戦で、負けると知りながら関遁蓬瓊に対し徹底的に交戦し、2年の間
都満光を守ったが、力及ばず、3年目に落城、討死した。
親を切り捨てた暗君の為、負けると分かってる戦いを戦い抜いた彼は、天下の忠臣と呼ばれ、後世の人々に
慕われている。
菊門
万黄の軍師。みこすり半の戦いにおいて、策にて陳歩の旗揚げ以来付き従った邦刑夏成を討ち取る。
後世に兵法書、「兵法69計」を残す。
否任
毘瑠族の出で、満国毘瑠族軍の将。大軍で攻め寄せる陳に、乞遁で毘瑠族の兵を持って挑んだが、
陳の軍師尿道炎はこれに同じ毘瑠族の兵を持って対抗、同族同士で戦っても戦意が上がるはずもなく、
戦意低下で列が崩れたところへ陳本隊の突撃を喰らい壊走、討死。
満胡襲
満国の将で大変な愛妻家。精鋭部隊、狼佗亜の指揮官。大群で攻め寄せる陳に対し、令布の険阻な
山路に堅固な砦を造って対抗するが、尿道炎の姦計により妻を暗殺され、ひどく動揺した彼は、配下に
辛くあたって裏切られ、兵糧も燃やされて退路も立たれ、やむなく活路を開かんが為、陳の大軍に決死の
突撃を仕掛けたが、衆寡敵せず、陳の大軍に飲み込まれて戦死した。
諸除幕
満軍近衛膜団の指令。啓桔の豪関にて陳の大軍を迎え撃つが、陳軍から幾重もの包囲を受けた 上、
兵糧攻めを掛けられ、目の前で連日大宴会を開かれた。戦意を喪失した兵士たちは次々と陳に投降し、
止む無く撤退する近衛膜団であったが、退路にまで宴会場を設置され、料理の匂いで惑わされながら
討ち果たされた。
雲国
雲項
雲国君主。負けず嫌いで我侭な戦馬鹿だったようで、名宰相弁揮が大賢人、務世を推挙した
際「君は天下の猛将なり」という所を、「君は天下の盲腸なり」と言ってしまい、怒った務世に
問い詰められ「何を言うとるか、 盲腸はあれで一応役には立っている。無いよりゃましだろう?」
と開き直り、逃げられたというお馬鹿な逸話が残ってる。雲国の君主の運命か早死にする。
雲智
雲項の弟。地味だが政務、外交の面で優れ、雲国を影から支えた。しかし、エンコーのゲーム
では冷遇され能力値は 86 51 78 89 75 程度。
雲治
雲国二代目君主、雲項の息子。早死にした父の跡目を継ぎ、十代で君主となるが、父と同じく早死に
をしている。
雲香
雲国三代目君主、雲治の弟。どうも雲一族は股肱をかなり酷使してたみたいで、過労死や病気で
倒れるものが 後を絶たなかった。
劉傑
雲国四代目君主にして第一代雲国四皇帝。娼婦帝。人望があった。姓が違うのは、劉家に婿入りしたからだとか。
弁揮
雲国の名宰相。
弁挫
雲国の名将。弁揮の弟。
美出
雲国の名将、水軍指揮の天才。連姦の計を用いて迫り来る満軍を打ち破る。しかし、病弱で
あった様で、度々死にそうになり、朝議を休んだりしていたようだ。しかし、死にそうで中々
死なず、案外長生きしたという。しかし、結局泄州攻略戦の途中で陣没する。彼の死後、
彼が命を欠けて獲らんとしたは、諸除易に横取りされてしまう。
艶技(便器とも)では完全に諸除易のダシと化していたという。
脱襲
脱襲嘆とも。雲国の武将。地味ながらもかなりの戦に参陣し、堅実に戦った。雲国の武将は堅実な彼の
後続を安心して守り、戦ったという。しかし、本人はそんな便利屋扱いに嫌気が差し、「わが身はただ
削られるのみ…」と嘆いている。エンコーのゲームでは評価が低い。
億陀袈
元僧の雲国武将。名宰相弁揮に見出されて雲国に仕官する。武勇、知略ともに優れた人物だった
らしく、若干 三十歳にして武流有列人(ぶるうれっと)の地位に就いた。
しかし、艶技では水滸伝の破戒僧みたいに描かれている。
放屁
雲国の武将。陳国に包皮(咬理)という同音異名の武将がいる。
大便
絶世の美女と謳われた美人姉妹の姉。現代の基準でどうかは不明。雲項の息子の雲治に
嫁いだ。
小便
絶世の美女と謳われた美人姉妹の妹。現代の基準でどうかは不明。雲治の義兄弟である
厥弁に嫁いだ。
輪式
雲国の無敗コンビ。艶技では、楊敷とともに必殺必勝の「水洗の陣」で敵を蹴散らした。
楊敷
雲国の無敗コンビ。艶技では、輪式とともに必殺必勝の「水洗の陣」で敵を蹴散らした。
庶徐 雲国の将。一度も戦闘をしたことがない留守番。
云虎
雲国一の名臣。小国であった雲国の政務などを宰相としてすべて取り持ち、内では大型の財政
改革を成功させ、外では蛮族荷洋族討伐を成功させた。しかし、やがて過労で倒れ若くして
帰らぬ人となる。
云治
云虎の弟。兄の影に隠れているが下根太太守として対陳国の前線で活躍。精子で兄よりも有名。
切路
雲国の名将で、伊保児とコンビで活躍した。彼らが率いた軍団「謀羅義能褸(ぼらぎのうる)」は
雲国でも屈指の精鋭部隊であったといわれている。
伊保児
雲国の名将で、切路とコンビで活躍した。彼らが率いた軍団「謀羅義能褸(ぼらぎのうる)」は
雲国でも屈指の精鋭部隊であったといわれている。
智江李望維(チェリボウイ)って陳国の武将なんだろ?
絶対こいつ蛮族だよな。名前が漢民族の名前じゃねえし
早くも訂正(汗
脱襲
雲国の武将。地味ながらもかなりの戦に参陣し、堅実に戦った。雲国の武将は堅実な彼の後続を安心して
守り、戦ったという。しかし、本人はそんな便利屋扱いに嫌気が差し、「わが身はただ削られるのみ…」と
嘆いている(脱襲嘆の故事)。エンコーのゲームでは評価が低い。
その他の国
於湿胡
蛮族荷洋の王。云虎に討伐され、帰順を誓う
阿仁先巣
異民族の王。陳歩はと紅門で会見し、その節度ある応対に感銘を受け、同盟を結ぶとともに、友愛の
印として、現在の技術でも製造が難しい、とても貴重な長さ何尺もある純白の絹織物を贈った。
この話は、後世にも「紅門での会見」として伝わっている。
許盛
刎陳の交わりで有名な人物。
入覇普
刎陳の交わりで有名な人物。
とりあえず大幅な改定があった人&新登場の人々を。
170 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 16:43:20
>>154 云虎のライバル、芝居(しばい)や親友の裴玩(はいがん)も有名だよな
俺的には云虎の最後の戦い四畳半の戦いが好きだな
しかし俺は斉苗がもてはやされてるのが嫌だな。
だってこいつは袁如 公才の政治混乱のお陰で
日の目を浴びたようなもんだろ?
まあだからこそ名前が残ってるんだろうけど。
つか、なんでか斉苗と袁如 公才が影で手を結んでたって
気がしてならない。
はっきりと記されてるわけじゃないんだけど。
なんでだろうなぁ。
173 :
166:2005/03/31(木) 16:45:41
>>169 乙。主な戦いもヨロシクw
>>170 四畳半の戦いって芝居の陣が四畳半しか無かったからついた名前だよな。
云虎の陣は何畳だったんだろw
云虎 名宰相、早死に
↓
弁揮 名宰相、早死に
↓
美出 病弱宰相、そのくせ長生き
雲一族人使い荒杉。
前魏(ぜんぎ)・・・陳国、満国、雲国の三国鼎立前の王朝)
鍾 秀玄
前魏の正上位大将軍
魯出
前魏の騎上位大将軍。陳歩に位をとられ恨む。
居怜帝(いれてい)
前魏の第15代皇帝。酒色に溺れ官位を金で売った為に宮廷の腐敗を招いた。
曹賈
字は学会。御羽射党の乱を招くきっかけとなる曹賈の乱を起こす。一年で鎮圧された。
オナ禁してもいつか夢精しちゃう〜♪
誰にも止められない射精は続いてく〜♪
177 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 16:57:24
曹乳(そうにゅう) 曹賈の弟。兄と共に前魏に対して反乱を起こす
名前がワロスWW
>>173 イチジクカンチョウ
あの有名な「天空一字九間長の陣」か。
一間 = 181.8cm
九間 = 1636.2cm = 16.362m!
だから、数多の兵が集まって16mもの櫓を組んで戦ったって事になるな。もう、ガンダム並みの
高さだ。僅か四畳半の広さでよく組めたもんだ。云虎もその高さには随分苦戦したと伝えられて
いるしな。
でも、云虎自身の陣はそんなに狭くないだろう。少数で山頂に陣取って、兎に角高さの
アドバンテージを生かさなければ負ける芝居とは違うんだから。
統率 武力 知力 政治 魅力
尿道炎 72 54 90 71 51
満益 25 38 55 31 22
諸除易 75 70 85 75 43
万黄 88 92 84 65 80
菊門 61 22 90 84 70
否任 71 70 54 45 66
満胡襲 81 51 67 69 70
雲項 78 55 54 62 77
雲智 86 51 78 89 75
雲治 12 10 68 75 80
雲香 55 21 70 71 77
云虎 70 40 85 88 65
云治 84 75 72 60 70
>>172 陳舜珍の小説ではそう書かれているな
☆秘本☆でも陳曰く―の部分に考察がある
袁如の国で流行ってた性病に斉苗はかかってるらしいし
その性病は斉苗の国では流行ってなかったっていうのも怪しい
陳歩と泡姫の間に隠し子がいたらしい
学会で発表されるぞ
名前は陳夏諏というらしい
184 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 17:17:22
「みこすり半の戦い」について補足すると、
菊門は先陣の邦刑を引き込むために、万黄の将帥旗を掲げ、自陣を本陣と見せかけた。
邦刑は菊門の陣を本陣と見て突撃し、菊門が仕掛けた十面埋伏にはまってしまった。
横穴陳国志の邦刑って、菊門のかませ犬みたいな描かれ方で、
「わわわ、これは万黄でなく菊門だぞ!?退け!退け!」とか言って雑魚の印象だけど、
蒼天の邦刑は新解釈で巷の評価も上がったよね。最期の台詞、
「我ら、万黄ではなく菊門に突入したか!だが、意外に悔いなき天命よ・・・おお!快なり!!」
ってカッコよすぎだよ。
肥の能力値も影響されて、急に武力と魅力が上がったしなw
俺が一番納得できないのはなんで「陳国志」なんだよ
満国や雲国だってあるんだから「三国志」にするべきだ
186 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 17:20:08
なんでもかんでもキン太の影響にするやつ大杉
187 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 17:20:15
書籍は
三国志艶義
三国志便器
三国志精子
勃・三国志
横穴光輝・三国志
蒼天行為
こんなもんでFA?
なんだこのスレはw
笑い殺す気かw
曹賈の乱、曹軍VS前魏軍。前魏軍勝利、曹賈、曹乳戦死、天下騒乱し群雄世に出る。
↓
荷洋族討伐戦、雲軍VS荷洋族、雲軍勝利、於湿胡帰順。芝居あくまで抵抗。
↓数年の抗争
四畳半の戦い、雲軍VS芝居軍。雲軍勝利、芝居討死。云虎、持病のおしりぴりぴり病悪化。
↓
陳歩の初陣、陳軍VS満軍。満軍大勝、道卓、盛観岱討死。
↓
万黄の初陣、陳軍VS満軍。陳軍勝利、万黄重傷。
↓
斉苗との戦い、陳軍VS斉苗軍。斉苗病死、勝敗不明。
↓
根同霧城の戦い、陳軍VS満軍。陳軍勝利。
↓
カントンの戦、陳軍VS満軍。陳軍勝利。満火素討死。
↓
膣壁の戦い、雲陳連合軍VS満軍、連合軍大勝。
↓
泄州攻略戦、雲軍VS泄州軍、美出病死、勝敗不明、陳、泄州を横取り。
↓
みこすり半の戦い、陳軍VS満軍。満軍大勝、邦刑討死。
↓極めて短い(1〜3日?
瀬宮州の戦い、陳軍VS満軍。陳軍大勝。
↓
乞遁の戦い、陳軍VS満軍。陳軍勝利、否任討死。
↓僅か。一ヶ月前後?
令布の戦い、陳軍VS満軍。陳軍大勝、満胡襲討死。
↓僅か。一ヶ月前後?
啓桔の戦い、陳軍VS満軍。陳軍勝利、諸除幕討死、万黄斬首。
↓数年
満光篭城戦、陳軍VS満軍。陳軍勝利。万拡討死、満益刑死。満滅亡
↓陳末期、結構な時間?
北国蛮夷の乱、陳軍VS華璃句美軍。勝敗不明。
その他時間軸不明
南蛮夷平定戦、陳軍VS南蛮族、陳軍勝利、蘇鎮離反、不江羅血王、伊魔羅血王戦死。
参加した武将の生き死にや勝敗を考慮して時間軸決めてみた。南蛮夷は早くするか遅くするか、
陳歩を参加させるか陳歩の前で道卓と先代出すか陳歩の後で諸除易、と後期武将か、どうする?
>>116にもある穆貴の書いた陳精志も忘れるな。
まあ、これは陳国人が書いたんで陳びいきがすごいんだけどね。
陳歩が一晩で満国の将を百人斬りしたなんていうトンデモ記述も有るしね。
>>185 精子書いた陳汁(ちんじゅう)が陳の人だったからだろ?
満の国の武将の陳巣肛って陳歩と血縁なの?
袁如の売官で宮廷での賄賂とか横行が
>190の初めに入れれそうだな。
196 :
:2005/03/31(木) 17:50:45
前魏の腐敗から始まった話だからな。
前魏も結構重要だぞ
なんで
>>181だと否任なんかのステまで出てるのに、陳歩のステ出てないんだよw
今更だが「珍歩」も実在したぞ。もちろん陳氏と珍氏は全く別の一族だが。
さらにいうなら珍歩は陳歩の部下。
陳精志の「羅武浦の戦で陳歩が賊の梅武を討ち」というのは、
大将同士としての記述であって、実際に梅武に手をつけたのは珍歩というのが最近主流の説。
手柄を横取りされたってのも、この記述によって勘違いしたのが原因で生まれた話らしいよ。
もっとも陳正志でも名前はでてこないほどなので、そんな重要な人物ではなかったらしいけどね。
200 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 18:12:21
不江羅血王、伊魔羅血王
201 :
181:2005/03/31(木) 18:12:43
陳歩は、若い時の体力と陣形の堅さを武器にした正攻法も凄いけど、
年取った後の技巧的な戦い方も魅力的だよな。
204 :
184:2005/03/31(木) 18:34:17
>>185 ん、前のレスが陳国志だったんで習ったのだが、俺も三国志とすべきと思う。
で、
>>188でFAでいきたいね。
>>187 コーエー=エンコーねw
おk
>>202 南蛮夷平定戦が技巧的な戦いの頂点かな。
敵陣をすばやく包囲し消耗させる不江羅血王、伊魔羅血王の『吸引の計』に対抗すべく、
蘇鎮に離反を約させ周囲に伏兵を配した。
敵が沙亜と言う場所まで進軍してくると、蘇鎮軍と伏兵に岩を投げさせ(岩射)一気に打ち破った。
これぞ名高い『沙亜面埋伏の計』。
もっとも、蘇鎮軍はお粗末すぎて、岩射させてもほとんど役に立たなかったらしいがねw
>>205 結局、蘇鎮は後の戦でヘマして諸除易にバッサリ切られちまうしな。
能力値なんか 34 32 12 8 15 程度だし。
ちと時代が進むが、炉国の楊徐(ヨウジョ)は名将だよな
あと徐子仲・徐士公・徐史大(ジョシチュウ・ジョシコウ・ジョシダイ)の三兄弟も捨てがたい
炉国なんて無いしw
>>207 徐史大は年齢的にその後の色(ショク)の時代の将だろ。
徐士公もたしか色まで生きてたよな。
まあどっちにしても時代的にスレ違いだと思う。
前魏
↓
雲国 陳国 満国
↓
陳国
↓
色国
↓
色国 姦国 後陳
↓
後陳
陳国志で俺の好きなきわものは
男何(おなに)、桝多 字:勉諸(ますた べんしょ)、治居(じい)の三人だな。
なんせこいつ等「桃尻の誓い」で義兄弟になって以来雲、陳、満三国を結構困らせた
盗賊団を作ったからな
>>214 それは日本名だろ。
正しくは 王南 慰射(オウナン イイ)
麻須太 勉諸(マスタ ベンショ)
慈伊 朱允(ジイ シュイン)
任侠である彼らは個人的武勇も高かったんで、各国の食客として度々登場した。
でも結局最後まで自分の国を持てなかったんだよな。
まあその所為で、判官贔屓な気質の日本人に受けたんだけどさ。
梅武(字 澱洞)
陳の将軍。若い頃より容姿に優れ、才は陳歩に匹敵するともいわれる。
戦場での武勇は絶倫で、萎える事を知らない戦いぶりは満軍をして
「澱洞は一珍これ魔羅也」
といわしめた。
しかし、性は野心家であり、陳歩の遠征中に要衝である万年緒城を占拠し独立した。
実に五年もの間陳軍に抵抗を続けたが、最期は陳歩の策に嵌り、羅武浦に誘い出された所を陳歩配下の珍歩に討ち取られる。
占領地では梅武の死を悼み多くの女性が喪に服したという。
妻子が無く、一説によると不能者であったともいわれる。
珍歩
陳の将軍。陳歩に従い、美人局の計にかかった梅武を討つ
その功により玉門将となるが、万戸候になれなかった事に不満を持ち
宰相楊如に讒言し陳歩を陥れようとしたが発覚し平民に落とされる。
その後69歳で死亡した。
あれ?珍歩って名前かえなかったっけ?なんか玉を食べる夢を見たからなんちゃら・・・
それは欽玉じゃなかったっけ?
欽なんとか(忘れた)→龍が玉を飲む夢を見た→欽玉
>>217 元の姓は介。
彼は玉を食べる夢を見て吉夢と考えた。
そして介歩の介に王とチョンチョンを付けて並び替え、珍歩と改名する。
しかし後になり、きちんと夢占いしたところ、凶夢であることが判明。
「玉」の字は並び替えると平民の「平」となり、これは平民に落ちることを意味する。
その為、彼は不遇の晩年を送ることになってしまう。
>>215 そうだったのか!俺は便器の日本語訳しか読んだ事しかないんだ。
正しい名前を教えてくれてありがとう!
漏れは雲国の丁毛と陳の殷毛の対決が好きだなぁ。
都にあっては謀略家として才をふるってた殷毛だけど、実はとてつもない臆病者で
将として戦にでるとてんでだめ。
丁毛との戦いでも連戦連敗。遂にこれまで、とおいこまれたとき
自分の髪を剃り上げて気合を入れて丁毛の軍を撃退した。
まぁ、連戦連勝で丁毛軍がかなり油断してた、ってのもあると思うけど。
>>214 お、俺もそいつら好きだぜ。
精子厨にはこいつら嫌いって香具師も多いけど
俺は「桃尻の誓い」の
「我等おかずは違えどもイク時は同じ日、同じ時を願わん!」
ってので惚れちまった
はるか西方の大陸で数々の所業で有名をとどろかせたエローッパ帝国の
ワイセッツ・オットーコ将軍が参謀ペド・ロリーの提案により東方で活躍した陳歩に手を向け、
西方から遠征して「(共に大陸制覇を)やらないか?」と持ちかけたが、
陳歩に「やりたくない」と断られた挙句に、
要害"通封仕益田"で両軍激しくぶつかり合った末に完膚なきまで叩きのめされ
逃げ切れずに将軍が捕虜として収監された"通封仕益田の大戦"も素晴らしかった。
お前ら水を得た魚だな
お前ら万個を得た珍個だな
珍万の交わり
おまいら、後陳の英雄、後陳公(ごちんこう)の面朗(遂傷)は語らないのか?
戦場に、毎度奇抜な格好で現れ、一騎打ちの相手の敵将が笑い転げてる間に討ち取った
勇将(?)だぜ。
その姿に敵将は、「面朗(おもろう)て、遂て傷(やがてダメージ)」と恐れたそうだ。
王南三兄弟と言えば、赤痢馬(せきりば)にのった斉苗との一騎打ちだろ。
かの陳歩と互角以上に打ち合える斉苗を三人がかりだが、追い返したアレだよ。
あれで三兄弟の名は一躍天下に轟いて、いろんな人が食客に抱えたんだよな。(皆裏切られたけど。
斉苗って呂府がモデルだったのか・・w
鶴翼の自慰と八卦の自慰について詳しく教えて
231 :
無名武将@お腹せっぷく:黄帝生年紀年4716/04/01(金) 11:38:11
梅武って確かに稀代の名将なんだけどなんとなく戦い方が硬いよな。
柔軟性がないっていうか臨機応変さに欠けるっていうか、
たまに痛い場合があるっていうか、血が出ちゃうっていうか。
梅武の参謀役の田治は後方支援的な役割で精子にも記載されてるけど、
艶義にしか出てこない老子温(ロウション)って実在したのかな?
艶義では予言とかで梅武を助けてたみたいだけど。
有名な割に話に上っていない許盛(キョセイ)と入覇普(ニュウハフ)について語ろうか。
彼らは道卓の部下であり、入覇普は道卓軍団一の武勇を誇っていた。
陳歩の初陣を遡ること二十年、陳歩の父・陳沈は「二曾(ニピイ)の戦い」での道卓軍の活躍を讃え、
500人斬りの活躍を見せた入覇普と、敵の「八穴同攻の陣」を看破した許盛に左玉・右玉の位を与えた。
これは軍団内の武官・文官の最上位であった。
しかし入覇普は「文武は同等であるのに、何故私が左玉であるのか」と考え、許盛を嫉んだ。
それを察した許盛は入覇普を避けるようになった。
何故そうするのか、問われて許盛は答えた。
「竿である将軍が居るからこそ、右玉と左玉である二人は活躍できる。
しかし同時に、左右の玉があってこそ、竿である道卓殿は将軍でいられる。
我ら二人が争い、共倒れになったとしたら、道卓軍は種なしになってしまうではないか」
これを聞いた入覇普は大いに恥じ、下半身裸になって許盛に詫びた。
その後、彼らは互いの一物を握りあい、例え友人の為に宦官になろうと後悔しない友情『刎陳の交わり』を結んだ。
彼らは竿である道卓が死んだとき、自分の竿をへし折り、それからは宮内で人材育成に励んだという。
道卓の不倶戴天の敵、満国末期の殷蘭(インラン)・殷抗(インコウ)も忘れるな
殷蘭殷抗はなァ、若い頃朝廷を救わんとした先代&道卓と争って、先代が死に、道卓も陳歩の初陣で
戦死すると、今度はまだ若かった満の君主に取り入って、満の衰退期には万黄斬らせたりしてるし。
結局、陳歩(というか諸除易)に八つ裂きにされてしまったが、享年98、94は当時としては脅威だな。
前魏末期から、満末期まで国を腐らせ続けた、ある意味筋金入りの猛者だなw玉無しだけどさ。
道卓は30歳まで生きて妖精だか仙人だかになったっていう話は
後年の創作?
よく満益は凡愚とか言われてるけど実際は違うと思うんだよね
配下の言を良く聞いてたらしいし
最後に万黄斬ったのがちょっとマイナスだけど
>>236 あれ、殷蘭やら殷抗やらが側近だったから「凡愚」と言われてしまったワケで。
取り巻きが万黄だの菊門だのだったら、間違いなく「聖天子」と呼ばれてるな。
238 :
無名武将@お腹せっぷく:黄帝生年紀年4716/04/01(金) 17:22:03
おまえらとりあえずこのスレゲーム化しろ
話はそれからだ
239 :
無名武将@お腹せっぷく:黄帝生年紀年4716/04/01(金) 17:27:29
ちょっと聞きたいんだがMMRってあるじゃん。あれってそのまんまの名前で売られてんの?
陳歩(ちんふ)とか万黄(ばんこう)とか薫仁(くんじん)あたりはともかく
菊門とか尿道とかもうちょっとなんとかならんだのか
ちんふ? 誰だそれは。
まぁ確かにストレート過ぎる気がしないでもないが、いいじゃないかw
>>223 漏れもエローッパの英雄好きだよ
フェラー将軍の射撃戦術はマジネ申
エローッパの話題はスレ違いです
コレはまとめサイト作らないとダメだなwwwww
ぜひ次スレ行くまでに作ってもらいたい。テンプレに貼れるし。俺はそういう技術はないんですまんの。
大まかな設定として、この物語は「陳国志」で、
三国鼎立時は、陳(三国志で言う魏)満(三国志で言う蜀)雲(三国志で言う呉)
南蛮地方に、不江羅血王、伊魔羅血王の勢力、で良いのか?
あと、東方に女王「於女子(おめこ)」が治める島国もあったよな。
亀頭(きとう)という怪しい術で占いとかしてた。陳国から「陳印」をもらったよね。
まぁ陳滸伝オタのおいらはお呼びじゃないわけだが
>>240 尿道炎は司馬炎っぽいからまだイイw
>>245 「辞典形式」で作ったほうが良くない?まとめサイト作るなら。
(ち)
陳歩(列伝が載る)
陳国(国の由来、紹介)
みたいな感じで。
>>246 「裟世湖伝(させこでん)」があるじゃないか。陳国志のだいぶ後の物語だけど。
淫乱108星が集うヤツ。
ていうかここまで話が大きくなるとは思わなんだ
西涼といえば、菌馬糞
一つ聞くがこれは三国志の前なのか?あとなのか?
>>251 殷のさらに前の、夏王朝よりさらに前の話
年号は「満性」。陳歩が生まれたのは満性5年。
>>252 すると中国史の原点とも言えるな。三国志の凡将ベンキさんもきっと
雲国の人の子孫なんだろうな
254 :
無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184/04/02(土) 00:20:52
シモネタって平和のシンボルだねW
陳国の誇る知将の宇会草将軍を忘れては困る。
鏡を使った戦術で、自軍の軍勢を2倍に見せかけて数に勝る相手を圧倒して数々の戦を勝利に導くことに成功したが、
敵の女将軍(名前は忘失)の上記戦術で攻略に失敗して失脚した。
258 :
無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184/04/02(土) 08:55:25
いーや雲は呉がお似合いです!
・陳帝国
西北、巴蜀、荊州を占める大国。首都は玉京。
・満帝国
中国北部を占める国。三国時代の魏に当たる。首都は淮府。
・雲帝国
中国南部、呉越地方を占める国。首都は岸安。
260 :
無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184/04/02(土) 09:58:52
>>259 雲の岸安は首都じゃない。雲一族の故郷ってだけ。本当の首都は勃沌(ボットン)だよ
お前らはどの戦いが一番好き?
俺はやっぱり
>>190>>191には載って無いけど羅武甫の戦いだな
曹賈の乱で、前魏の官軍に追い詰められた曹賈が鍾秀玄率いる十万の大軍に千騎で立ち向かうところ。
曹乳の陽動作戦で見事に壊滅させるんだもん。やっぱり曹賈はカッコイイぜ!!!
>>261 曹賈信者キタ━━━━(°Д°)━━━━!!!!
そういやボッキー・チェンがこの時代を元にした映画をやるらしいな。
タイトルは確か「性拳」だった。
ブラウス・ヤブリーの乳房遊技は70年代の名作だけどな
ちょっと苦しかったけどな
>>261 羅武甫(ラブホ)の戦いは華があっていいよな
大勝のわりには令布(レイプ)の戦いのような悲惨さがない
精子厨でたまに、南波(なんぱ)の戦いと補州斗(ほすと)の戦いがホントにあったと
思ってる人がいるが、アレ演義の創作だろ?この2つの戦いで活躍した、時呉魯(じごろ)も
架空の人物だし。
伽津智(きゃっち)も架空の人物だしな。
>>266 羅武甫の戦いは戦場全体が回転する仕掛けになってたらしいじゃん。
>>267 無かったわけではないよ、実際にあったけど、ただの小競り合いで終わった。
時呉魯なんて人物は確かに居ないけどね
それよりも博諾亦(ハクダクエキ)の旗本七騎たち、
鵡守胡(ムスコ)、辺泰(ヘンタイ)、侯備(コウビ)、潘植幾(ハンショクキ)、蘭皓(ランコウ)、梅峻(バイシュン)、介濬(カイシュン)
たちのエピソード知ってる?俺の資料には名前しか載ってなくてorz
>>269 あれはただ単に曹賈が千人の兵を大軍に見せるためにやった包囲のことだよ。
それを見た鍾秀玄が混乱して戦場が回転してるように見えたって言うそれだけの話さ。
>>269 その出典はもしかして数年前に少年誌にだして3話目で辞めさせられた
陳国志のやつか?
あんな糞漫画読むのやめとけよ。
羅武甫の戦いを勝手に解釈して「ラブホテルの戦い」とか言った作者だぞ。
全く意味の分からんトンチンカンな事を言って反感を買ったのを知らんのか?
田和(デンワ)
殴州辺瑠郡鐘県の人。字は通信。若いころから才知に優れさまざまな発明をした。
現在の「糸でんわ」にあたる物を発明した事でも有名。当時は小さな木の中身をくり
貫いた物を使用していた。その才能を万黄に見初められ満国に仕える。
皇帝、満益に重用され、野部流賞という宝珠を貰う。
>>272 >>269ではないが俺、結構そのマンガすきだったよ。陳歩がチンコの格好してるのwww
まぁ陳国ヲタには許せない奴も多いと思うけどな。あんだけ古の名将を馬鹿にしてるんだから
277 :
無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184/04/02(土) 14:17:43
>>270 そういえば俺も名前は知ってるけどどんな活躍したか知らないなw
エンコーの陳国志]にも出てこないし。
>>270 博諾亦って云虎の第三次南征の時に不江羅血王、伊魔羅血王の仇討ちをしようとした奴だろ、確か。
精子によると結構な武将らしくて一度は云虎を退却させそうになるほど追い詰めたらしい。
旗本七騎達はよくわからん。でも結構強いんだと思うけど
梅峻はたしか竹眉の七賢の一人だったよな。
梅武との関係は下通鑑も調べたけどわからなかったよ。
280 :
279:黄天当立184,2005/04/02(土) 14:32:20
竹眉の七賢は梅獨だった勘違いスマソ
>>280 竹眉の七賢は
梅獨・後穴・伊簿・公内炎・巴解くらいしかわからないな・・・
>>270 辺泰は、後に炉国の楊徐と壮絶な争いを繰り広げた
姦国の猛将・魯 理昆(ロリコン)の始祖らしいことが
エンコーの武将ファイルだか何だかに載ってた希ガス
283 :
無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184,2005/04/02(土) 14:46:11
>>280 まぁ梅って姓はこの時代、沢山出てくるからな。まぎらわしい
>>282 そうだったのか、thx
魯理昆は姦国の中でも結構好きだな。妻の未成氏は14歳で魯理昆の子供を産んでるし
梅旋って金で女を買ってたんだぜ。うらやましいな
あ、当時はそれが常識?
286 :
無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184,2005/04/02(土) 15:03:19
顔謝将軍と謝盛将軍の詳細も頼む
>>245 すでに次スレに逝く気マンマンのおまいに乾杯w
やる気満々だなw
お前ら前魏の名将陳甫嵩を忘れるな
艶義では雑魚だが精子ではほとんど無敗だぞ
>>284 魯理昆といえば、
炉国の武羅昆(ブラコン)
色国の馬座昆(マザコン)
姦国の魯理昆
後陳の士子昆(シスコン)
の戦国の四昆子といった方が有名かも
なんかわからんがもよおした。。
陳歩が連勝したのは、やはり部下の名将「昆童夢(こんどうむ)」の戦功のおかげでもあると思う。
相性ぴったりだったしな。
293 :
無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/02(土) 16:21:00
ただ昆童夢は慎重すぎて機を逃すことがたびたびあったからなあ
せめて中国古代っぽい名前にしろよな
国の四公の一つだな。
昆・御汰・大尉・厨
>>295 炉国には他にも不座昆(ふぁざこん)もいるしな
公みたいなもんだっけ?
一つだけ言える
俺はお前らが大好きだ
双那李ってすごく世渡りが上手いよな。
陳国と満国を何度も裏切って、そのくせ
きっちりと寿命を全うしたんだから。
ところでさあ個人戦闘能力ベスト5ってどのへんだと思う?
ちょっと厨っぽいけどさーw
陳国の都:斉濃 巨山・摩羅山のふもとに位置するほか、周囲を密林に覆われるという天然の要害を持つ都。
土地は肥沃だったが、摩羅山は当時活火山だったということもあり、人口は伸び悩んでいたが、なぜか優秀な
人材が多く輩出された地でもある。陳歩は、摩羅山信仰の第一人者でもあった。
満国の都:賜宮 緩やかな丘の上にあり、肥沃な土地と豊かな水資源に恵まれていたため、三国の都の中で
一番栄えた。当時は珍しい地下城が建設されたが、その遺跡はいまだ見つかっていない。
雲国の都:大朝 不毛な土地のうえ、異民族の侵入も多かった。本来、このあたりは人が住める場所ではなかったが、
十具魯城などの文化遺産をはじめとする歴史的建築物が多く残るまでになったのは、雲項の見事な開墾能力と政治力
の賜物であろう。
賜宮の地下城の遺跡がいまだ見つかっていないのは、令布の戦いで跡形も無く壊されたからかもしれない。
惨たらしかったんだろうなぁ…。
>>300 まぁ最強は凌統で決まりでしょ。
雲国と満国双方を相手に一歩も退かなかった陳国一の猛将。
>>304 凌統と常に比較された良将、馬威(ばい)もお忘れなく。
この2人は道斉藍(どうせいあい)の戦いで、保茂(ほも)夏威(げい)の両将を
討ち取ったからな。
女武将の令寿(れず)も忘れないで
中国東北部の狩猟民族、靺腸族の長、茂里茂里馬戯那は実は女みたいだね。
雲国は彼女?と結んで満国を討とうとしたがその企みは失敗したわけだけれど。
マジレスするなら前漢の李陵の武将の陳歩楽ならいたけどな。
309 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 11:19:21
陳国の甫茂は既にガイシュツか?
隠れた名将だと思うのだが・・・
陳毛は?
311 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 11:49:05
ガ板進出まだ〜?
陰語志
313 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 12:55:02
陳子
陳歩の一人娘
314 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 13:28:52
陳哥酢
陳歩の曽祖父。
牌姉妹による、南方の派婦派婦国の反乱を鎮圧した将軍。
陳家の創始者とも言われる。
昔MHKで人形劇やってたじゃん?
あれにでてた「陳々」てキャラクター好きだったなぁ。
316 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 19:39:22
やっぱ陳だよな
長いつきあいだから親近感がわくよ
満はキモいし雲は汚ねえ
陳歩 字 短皮
俺の俗称
淮摂王の司馬婁(しばる)は既出?
結構好きなんやけどねぇ
319 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 00:58:01
陳歩の親友、魯燐のことも忘れるなよ
>>318 司馬婁の子供、司馬句(しばく)も勇名で名を馳せたよね
陳哥酢
│
陳沈
│ 陳鎮(従兄)
泡姫┯━陳歩┯?
│ ├──┬──┬──┬──┐
陳夏諏 陳邦敬 陳宝 陳虎 陳矛 陳子
注)陳邦敬〜陳子は同腹ではない
みんな、智項を忘れてないかい?
賜宮の地下城には「腐乳が蓄えられていた」という記述が下通鑑にある。
腐乳ってチーズのことだよな?
チーズ臭かったんだろうなぁ。
とうもろこしも蓄えられていたかと
精子にはそう記載されている
325 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 10:08:25
イカだろ?イカと自然薯だよ。
陳歩の親族だか配下に「馬羅(字は馬並)」っていたろ?
名将?名相?だったって話だけど誰かしってる?
まだいっぱいいるよな。万黄配下の「繰兎栗鼠」「馬魏那」「馬威武」
すごい時代だったんだなw
326 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 10:09:57
兎(と)栗鼠(りす)な
一応w
>>301 遅レスになるが…
雲項の政治は情報公開が基本だったな。
腹に秘めることがなかったからこそ大朝のような地でも一国を維持できたのかもな。
このスレなんか途中から良スレじゃなくなってきたぽ(´・ω・`)ショボーン
329 :
327:2005/04/06(水) 11:04:59
自分でネタの説明するのも何なんだが
「腹に秘めることがなかった」ってのがポイントな。
…orz
もうちょっと良いネタ思いついたらまた来るわ。
>>328 同意。って言うかお前等名前被るのやめろよ
331 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 12:58:55
そーゆーお前は皮被るのやめれ。
332 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 13:48:35
>>328 うん。馬鹿馬鹿しい設定を三国志のウンチクを織り交ぜつつ
大真面目かつ緻密に発展させていく過程が良かったんだよな。
「薫仁」の読み方が二つあるとか、
蒼天「邦刑」の「おお!快なり!」とか、凄いよw
途中、神が設定の経過をまとめてくれたりもしてるのに、
ここしばらくは、流れを読まない単発駄洒落スレになっちまってる。
せっかく積み上げられた設定が引っ繰り返されるし、
台無しだよ・・・・・・(´・ω・`)
でも、もう一度、
や ら な い か ?
よし、じゃあまず君がこれまでをまとめてくれないか?
>>330>>332 あ、おまいらも?
設定なしでネタ投下したりいたずらにキャラ増やしてるからな…
漏れも最初はいろいろ作ってたけど、もうついていけないよorz
_
/,.ァ、\
( ノo o ) ) 空
)ヽ ◎/(. 気
(/.(・)(・)\ . 嫁
(/| x |\)
//\\
. (/ \)
おれもネタ道卓でいっぱいいっぱいだし
繰兎栗鼠とか普通に名前じゃないし
せめて名前っぽくしろよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
339 :
333:2005/04/06(水) 18:26:19
>>335 ごめん
俺だって前の人のネタを受けて新たなネタを投下してたりしていたんだけど
スルーされて、どうかしてた
お前ら他スレでは考えられないほどの仲の良さだなw
よゐこのルール
人物の名前は三国志の人物らしい名前にすること。
狙い所は異民族です。結構名前の感じに制限はないと思います。
誰かの出した人物にはなるべく人物像の幅が広がるようなコメントを加えていきましょう。
名前の呼び方がかぶってた場合、気がついたら「皮がかぶってるよ」と指摘しましょう。
そしてなるべくかぶらないように気をつけましょう。
皆さんの英痴に全幅の信頼を置き登場した人物は全て採用の方向でいきましょう。
かぶってる場合や前に登場した人物と設定に矛盾をきたす場合早く登場した人物
を優先します。気がついたら優しく指摘しましょうね★
こんな感じでどうでつか?
>>341 いいんでないの。この板の人ならやってくれるさ
まとめサイトキボン
まじごめんな。
345 :
335:2005/04/07(木) 09:34:29
>>339 あ、そうだったのか・・・
煽ってるんだと思ったんだよ。ごめんな。
>>341 「甘慈蛇(かんじだ)」
のようにフリガナも推奨したいな。
陳歩とか万黄とか邦刑とか、すでに定着している
有名どころwについては必要ないけれど。
令布(れいぷ)の戦いとか、
しばらく読み方に気づかなかったのは漏れだけ?
おまいだけですよ
それよりも知らない言葉とか多いwww
俺みこすり半とかシラネエし
四畳半の戦いワロスwwwwwwwwwwww
351 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/07(木) 20:46:38
期待age
訓読みと音読みに気をつけろやゴルァ
すっかり流れ止まっちゃったね・・・
いや、大丈夫。
もう一度今までの設定をまとめてくれる神が降りる。
355 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 23:46:36
m9(^Д^)プギャーーーッ
356 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 00:52:25
陳歩はいないけど陳歩栄という人ならいる。
五代十国時代の荊南の詩人
ついでに運値(うんち)というのもある。
これは俺のオリジナルで、運の値のとこである。
運値が高いと良いことがあり、低ければ悪いことがある。
チンポええage
むう・・・好きなんだがな、このスレ。止まったな。
359 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/13(水) 19:27:01
ageてみようか
360 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 07:21:23
性天廻(せいてんかい)
数ある中国拳法秘奥義の中でも最高位にランクされるものの一つがこの奥義である。
その真髄は己の意思で肉体の男性ホルモンと女性ホルモンを操作し
男女それぞれの肉体へと瞬時に展開させることにある。
そしてそのメリットとしては男女の肉体及び精神構造の違いを活かした
独特の技を繰り出せるということにある。
因みにこの奥義の始祖は王華摩という人物とされ
俗に「オカマ」というのはこれに発する。
民名書房刊「実用中国拳法 これであなたも嫁入らず」より
361 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 07:22:17
呉 竜府(ご りゅうふ)は
正確無比の打球で敵をことごとく倒したという
この現代でいうゴルフスイングにも酷似した打撃法は運動力学的観点からいっても 球の飛距離・威力・正確さを得る為に最も効果的であることが証明されている
ちなみにゴルフとは英国発祥というのが定説であったが 最近では前出の創始者 呉 竜府の名前でもわかるとおり中国がその期限であるという説が支配的である
362 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 07:25:04
363 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 07:34:54
西洋の剣法として盛んなフェンシングは、ヨーロッパが発祥の地とされていたが、その源流ははるか中国秦代に発明された彊条剣までさかのぼるという説がある。
その剣は、針のように細く鋭利にとぎすまされている為、わずかの力で素早く相手の急所を突くことができた。
これを中国拳法と融合させ、数々の秘技を編み出し必殺の武術として完成させたのが、鍬家二代目邊真愚(へんしんぐ)であり、その名が「フェンシング」の名の由来であるという。
364 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 07:35:51
近代スポーツ界に於て、中国の、国技とも言える卓球の圧倒的な強さは、世界が認めるところであるが、卓球の発祥が中国にあることは、あまり知られていない。
そもそも卓球は、拳法家達が己の反射神経と集中力の向上とを目的に考案した修行法であったが、いつしか強力な戦闘能力を持った奥儀へと発展したのである。
因みに卓球を英語でピンポンというが、これはこの奥儀の達人と言われた筒翻具(ぴんぽんぐ)の名に由来する。
365 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 07:37:07
スポーツ学会に於て、アイススケートの発祥はヨーロッパというのが支配的であるが、一部学者には、中国拳法説を唱える者がいる。
その第一の理由は、拳法家はあらゆる風土、気象条件での闘いを想定し、その条件に対応可能な武具を開発したからであり、実際、現代のスケート靴に酷似した武具が多数現存している。
もうひとつは、この拳の使い手に趨計斗(すうけいと)はという達人がいたからである。
366 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 07:38:18
中国拳法には猛獣・昆虫・爬虫類などを飼育・教育して独特の技として完成させたものが多々あるが、天釐蜘巣もまたそのひとつである。
利用される蜘蛛は、中国山東省菊露山にだけ棲息するという禽瓶蜘蛛と呼ばれる肉食動物であり、体から繰り出される糸はピアノ線並の強度と瞬間接着剤並の粘着力を合わせもっている。
性質は飼い主に対してのみ非常に忠実で、攻撃命令が下った敵に対しては非常に獰猛無比であり、一度でもその巣にかかれば絶対に逃れられないという。
未だかつてこの奥義から抜け出したものは皆無と伝えられている。
英語で蜘蛛のことを「SPIDER」(スパイダー)というが、これはこの奥義を極めんと蜘蛛の調教に挑んだ西洋の武闘家達がことごとく失敗に終わり、そのとき発した言葉「失敗だ〜」が「スッパイダ〜」→「スパイダー」と変化したものでないのはいうまでもない。
男塾は好きだがここではスレ違い
369 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 16:51:04
マハラジャのジャとは蛇のこと!
くらえ!
踊るマハラ蛇!
370 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 17:50:01
チンバラだ!
陰歩
陳歩が唯一恐れた歴戦の将。
陰歩が来ると、陳歩は戦うことすら出来なくなり、一説には立っていたのにも関わらず
立てなくなり愛用の愛車三角木馬に乗っていつも逃げ出していたという。
ちなみに陳歩が倍亜具等の計で陰歩を打ち破った戦いは、今なお逸話として語り継がれている
373 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 20:11:46
陳歩ってどんな容貌だったのかな?
やっぱり逞しくて黒々としたデカイ奴だったの?
一説には姿を隠すために頭まで布を被ってたとか
口元まで服を上げ、「一歩先の男」を演出したとかなんとか…
普段は小男だが、戦場に出るとその姿は大きく見えたという
376 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/19(火) 15:50:58
「勃たぬ陰歩、勃てる陳歩を萎えさせる」は演義の終盤でも
身震いするほどの名場面。
378 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/20(水) 00:05:07
朕兄弟はそれぞれ優秀で名高く、陳歩にも重宝された。
その長男の朕毛は群を抜いて優秀だった。
その朕毛は陰毛に白髪が混じっていた事から、
「白朕」と呼ばれていた。
その弟朕猛が軍規を乱して処刑された時に生まれた名言、
「泣いて朕猛の毛を巻き込む」はあまり知られていない。
泣いて陳歩の皮を剥くという、語呂が近い名言も存在する
379 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/20(水) 05:51:54
日本では男性生殖器のことを幼児語でチンポと呼ぶが、
これは陳歩将軍が使っていた槍に由来するそうな。
高願(こうがん) 字 印能
陳歩の幼馴染で、
陳の兵糧軍備の調達、輸送を担い、滞りの無かった能吏。
幼い頃から顔に皺が多く、あまり人前に出ようとしなかったが、
陳歩は彼を深く信頼していたという。
陳歩は息子たちに「何事も高願に相談せよ」と言い、
「誠至の人」と慕われた。
また、暑さが苦手だったと言う話も残っている
レベル高い職人
キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !!!!!
よいぞよいぞ。
いまごろ陳国無双4を買ったわけだが
セリフをしゃべるたびにピーピーうるさいのは仕様ですか?
383 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 12:00:36
陳歩の戦いって押したり退いたりが絶妙だよな。
相手の弱点を見つけ長蛇の陣でそこに何回も突撃を繰り返す。
384 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 14:07:13
陳堀(ちんぼり)字は過機
陳歩とは遠い親戚に当たる。
奇言奇行で知られた人物である。短気で部下からの信望が薄かった。
左手が不自由でいつも褌の下をいじっていた
陳堀じゃ「ちんくつ」って読んじまうだろ
386 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 19:21:45
出伊(いでぃ)字は不明。
陰歩の家臣。
薬剤に精通しており、使用した薬剤から、エローッパ出身との異説もある。
普段はふにゃふにゃと背骨の曲がった男であるが、
秘薬「陪得(ばいえる)」を服用する事により隆々となったという。
その仮初の偉丈夫ぶりを利用して度々陳歩軍に潜入し、
面反(めんそる)を陳歩に服用させて彼の士気を削いだという。
陪得の製法を教える事を陰歩に強要されたため、陳軍への寝返った。
倍亜具等の計は、陰歩を熟知していた彼の提案だが、
陳歩からは当初「我には無用」と採用されなかったらしい。
陰歩との戦いはどうしても、陰歩に肩入れしてしまうな。
最後に倍亜具等の計で包囲され、特攻をかける前の兵卒への演説は
涙無しでは聞けない。
388 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 22:06:01
陰歩は元は陳国の将軍だった。
満国へ出兵するも菊門の策にはまり深追いした挙句、
折から広まっていた風土病と相まって大敗してしまった。
その時の負傷によって彼は生涯立てない体になった。
退路を断たれて、生き残った手勢を連れてやむなく降伏したが
満国の法により立てない者は国内に入れてもらえず前線基地「満谷関」の
預かりとなった。
その後彼は手勢と共に異民族討伐で功を上げ、陳歩を倒して男を立てる事を
条件に正式に満国に迎え入れられる事になっていたのである。
389 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 22:12:50
手満著の逸話、知ってる人いませんか?
390 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 22:14:02
あと満辺呂(マンベロ)もお願いします。
391 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 22:22:33
当時の陳歩は万黄や斉苗を討ち取った名将として名高く、
降将上がりの陰歩が勝てるとは誰も思っておらず、与えられた兵も元部下のみ。
体のいい厄介払いだった。
しかし彼の軍には立たざる者としての執念により、どんな劣勢に立っても
神がかり的な奇策により引き分けに持ち込み、陳歩軍の気力を萎えさせていった。
392 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 22:36:20
出伊の寝返りにより敗北が近い事を悟った陰歩は
置き忘れの陪得を使用して最後の戦いに臨む。
立てる者と立たざる者の最後の戦いは、始めは立たざる者が優勢だった。
が、バイ○グラの看板に誘い込まれた陰歩が襲撃した倉庫には
「バイグラ」と書かれた箱しかなく、罠にかかった事を悟った陰歩は
「嗚呼、俺は生涯満に入ること叶わぬのか」と叫んだという。
393 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 23:08:18
完全包囲された陰歩軍。僅かに手薄な部分があるがそれは明らかに罠だった。
罠と知りつつ突撃をかける前に、陰歩は部下達に詩を聞かせた。
「力山を抜き、気は世を覆う」
(※力だけじゃ山でヌけるほどの気力は湧かないよ。そもそも俺立たないし)
「錐行かざるを如何すべき」
(※錐のような鋭いモノが俺にあったらなあ。でも俺立たねえんだよな)
「虞や、虞や、汝を如何せん」
(※そういや、満谷関に虞って姉ちゃんいたなあ。まあ俺立たないけど)
394 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 23:21:34
部下達は彼の執念に涙し、その詩を口ずさんだ。
そして「パチモン掴ませやがって何がバイグラだ。突撃!」掛け声と共に突撃。
陳歩本陣付近に詰め寄ったが多勢に無勢、敵を多数道連れに全滅。
突撃の際の勢いに、陳歩は動揺し何度か立ち上がり逃げようとしたという。
その後陳歩は、その時の陰歩の表情が忘れられず、いざという時萎えに苦しむ事になる。
これが「勃たぬ陰歩、勃てる陳歩を萎えさせる」の故事となっている。
萎えに苦しんだ陳歩が、それを宦官許昆に相談した事が後の彼の失脚につながっている。
そもそも立つものが無い宦官に相談した事が彼の生涯最大の失敗だったといえよう。
395 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 23:26:38
396 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 00:44:39
ガッ陳歩ー
397 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 01:45:50
毛 幾三、長陣にイライラしがまんがならず敵陣に逝くが敵弓兵の精射をうけた。
398 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 03:26:36
張遼すれage
399 :
英武位将軍・加藤鷹:2005/04/24(日) 09:18:42
倭国より援交…いや援軍にまいった加藤鷹にございます。兵士1万5人と三種の神器である賠舞、露雄多亜、奪痴倭威婦を献上にまいった
倭人朝貢の話だな。
たしかこれで「前戯倭王」の金淫を貰ったんだよな。
でも、将軍まで送っていたのは初耳だな。
スピリッツでやってる、超陳国志〜Road破瓜〜のフィクションじゃなかったのか。
あまり知られてないことだけど、魏より先に倭国との接触はあったんだよね。
汚弥呼(おそらく卑弥呼のまえの女王だろう)が幾度となく親書を送っている。
俺は乙杯、畜備、入燐、牌図李とかが好きだなぁ。
許柔、頻柔、毘柔なども、それぞれ違う持ち味があっていい。
403 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/25(月) 01:02:38
(;;;;゜;;ё;;゜;;;;)
>>402 また、マイナーどころだな。
俺は横穴から入ったから、どうしても満に肩入れしてしまうが
最近は正史が普及して、陳派が増えてるみたいだな。乳派はそれでもまだ珍しいが。
>>402 俺は昔は許柔派だったんだけど、最近頻柔の良さも分かってきたんだよ。
満国の近衛膜団の将に、那須(ナス)とか九李(きゅうり)とか言う武将がいるが
こいつ等は確か皇帝や、万黄の寝室に入っても許されるくらいの奴等だったよな?
三歳児でもその名を知っている
それが陳歩
408 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 11:54:25
陳歩が江炉漫画島に流されたと聞くや、ここぞばかりにと雲国そして元満国の残党は一斉攻撃をかけた。
当時、陳歩の息子陳陳が国境線の守備に当たっていたが、彼は結構有能で、復讐を誓って攻撃してくる万黄の息子
満満や陰歩の元部下布脳を
何度となく退けてきた。
しかしこの戦いでは法計という部下とその舞台が足でまといで、突撃のたびに遅れを取り、血まみれになってしまっていたので
首都玉京まで進撃、占領されてしまった。
陳国は仕方なしに、江炉漫画島に隠居していた陳歩に出撃を命じることとなった。
409 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 13:24:13
倭国に金淫がとどき汚弥呼は喜び毎夜のごとく倭の下呂大国は酒宴をし二日酔い者が多発したらしいね。
そして次に、倭国には性行為の技術や知識が未発達でマンネリ夫婦が多発し社会問題となっていたため
大陸の知識と技術を学ぶべく現在最古の寺院といわれる淫乱寺の漏早(現在では老僧とかく)の
淫乱寺尿道を派遣したらしいね
410 :
:2005/04/26(火) 18:12:04
杯班(パイパン)
満国の政治家、二枸辧麒(にくべんき)について誰か語ってくれ
412 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 20:22:36
淫乱寺尿道は技の修得中に死んでしまい天に逝ったことで結局失敗だったんだけど
アッチをする際に使う昇天はこれが語源となった。
413 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 20:36:04
ここうけすぎ
本気でワロタよ
414 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 20:39:14
誰かひろゆきに報告して名スレに入れてもらえ
415 :
鬼董:2005/04/26(火) 23:25:31
・ 鬼董(キトウ) 陳歩が指揮する合戦では常に先鋒を志願した斬り込み隊長
愛用の武器は名槍で知られる聖死(セイシ)
「生が一番」 が信条で、鎧兜を着けず生身の体で戦場で疾駆する。
その勇姿を見た敵将の英図(エイズ) も 「その豪胆並ぶ者なし。」 と舌を巻いた。
まぁ 彼の武功で最も華々しいのは窒城(チツジョウ)の戦い
単身で窒城の奥まで攻め込み、窒城兵を突き殺し捲った。
そして、城の守将の欄志(ランシ) との一騎打ち
お互いに死力を尽くした勝負は、鬼董の名槍聖死が師休の下腹部を捕らえ勝負あり
しかし、鬼董は重傷を負った欄志に止めを刺さず、逆に10月10日手厚く看護した。
同僚の一人がその訳を聞くと、
「聖死が選んだ。それだけだ。」 と答えたという。
話を聞いた陳歩は鬼董の武勇と度量の大きさに感服し、鬼董に根同霧城(コンドームジョウ) を与えた。
なお現代で言われている 「10月10日」 は、
この鬼董の人に対する情け・労りが生んだ言葉である。
416 :
鬼董:2005/04/26(火) 23:30:07
>>415は間違い
・ 鬼董(キトウ) 陳歩が指揮する合戦では常に先鋒を志願した斬り込み隊長
愛用の武器は名槍で知られる聖死(セイシ)
「生が一番」 が信条で、鎧兜を着けず生身の体で戦場で疾駆する。
その勇姿を見た敵将の英図(エイズ) も 「その豪胆並ぶ者なし。」 と舌を巻いた。
まぁ 彼の武功で最も華々しいのは窒城(チツジョウ)の戦い
単身で窒城の奥まで攻め込み、窒城兵を突き殺し捲った。
そして、城の守将の欄志(ランシ) との一騎打ち
お互いに死力を尽くした勝負は、鬼董の名槍聖死が欄志の下腹部を捕らえ勝負あり
しかし、鬼董は重傷を負った欄志に止めを刺さず、逆に10月10日手厚く看護した。
同僚の一人がその訳を聞くと、
「聖死が選んだ。それだけだ。」 と答えたという。
話を聞いた陳歩は鬼董の武勇と度量の大きさに感服し、鬼董に根同霧城(コンドームジョウ) を与えた。
なお現代で言われている 「10月10日」 は、
この鬼董の人に対する情け・労りが生んだ言葉である。
名前をどちらにするか迷ったんだろうな。
陳歩の最後はやっぱり立ち往生だったのか?
諸説あるが、筆者は生涯現役だった説を採りたい。
生涯を満攻略に費やした彼はやはり最後まで勃っていたのだと!
江炉漫画島に流されてからは、見る影もなく萎えてしまったらしい
その数年後に死去。死ぬ直前は立つことも出来ない程衰えていたとか
そういや外国人から攻められた事もたくさんあったよな
インドの淫奴裸大王や
ハワイ島の覇女覇女覇、恐ろしい大モノたちの珍攻にも満国は耐えきったのは評価たかいよ
412
だが淫乱寺の教えに尿道が陳歩から授かった教えがまだ伝えられてるよ、戦国時代に加賀で起きた淫行一揆では陳歩から教わった「イケば天国、イケねば地獄」
を一揆軍に唱え加賀一国を制したくらいだもんな尿道はそれを伝えたんだからすごいよ
陳歩は、雌伏の時は院歩と仮名を使って、ひっそりと勢力を蓄えてたんだ。
その時代は満国の連中から馬鹿にされたりもしてたが、ついに十分な勢力
が溜まった時、没記(ぼつき)村にて、「今こそ陳歩立つ!」と言って挙兵。
後は怒涛の勢いで天下統一への道をほとばしるんだよな。
初期の道卓とかはどうなってるんだ
主人公が陳歩の小説では
道卓の活躍はあんまり描かれてない
登場→紹介→戦争→死亡って感じだし
でも陳歩の後の活躍の土台を作った重要な人物ではあるし
精子にも記述は多い
やはり、一般的には後浣の人物なんだろ。
後浣志とか見ると陳歩も霞むくらい名将だぞ。
陳国は尿道を駆け上がられて滅亡したからな。
結石という敵の石を飛ばす新兵器に成すすべもなく、やられたらしい。
雲国が天下取ったのは何もしてないからじゃね?陳国と満国の争いの見てただけだし。
あげるぞ
429 :
セシル:2005/04/28(木) 13:04:26
あげろ
○後浣史
陳歩は芸術の素養も高く、特に鱒の絵を好んだらしい。
本人も、暇さえあれば鱒を描いていたとされる。
最近の研究だと14歳ぐらいの頃から、かなり真に迫る鱒を描いてたようだけど。
>>432 最も古い作としては、9歳の時のものがあるよね。
ただこれは真贋論争中だが。
若くして書画にも精通していたのか。さすがだ。
宿敵、満黄との出会いがなければ、一生、
道卓と共に鱒を描き続けていたかもしれない。
おい、おまいらのことが好きだw
>>435 満黄× 万黄○
最近勘違いしてる人が多いが
名君として名高い陳歩。配下の数多の名将達を使いこなして
いたのだが、たった一人、持て余した将がいた。その名は正翼。
現在も「正翼を持て余す」の故事で知られている。
>>439 うぉフォ!まだそんなん残ってたんか!!
441 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 22:54:59
絵画史の視点から陳歩を見ると、
やはり彼は写生画の代表人物として有名だね。
(写生とは対象を見たままに描く事)
鱒を描く事で写生し続けてた。
当時から陳歩の鱒を描いた写生は凄いと評判だったらしい。
正翼は部下には怒鳴り散らし傲慢で、上には媚びへつらうと精子にあるんだけど
演義でのイメージが圧倒的に支持されていて、庶民に人気がある。
劇などでも、正翼を持てあました陳歩が老婆達に依頼をして、学を付けさせるために
正翼を取り囲んで無理矢理写生させるシーンがあるんだけど(有名)、その場面になると
観客は手を叩いて笑う。正翼は泣き崩れて萎んでしまうのだけど、それが何とも言えずユーモラスなのだ。
また正翼は気分家で、ノりだしたら止まらない性格。
其の為、功を焦って「例歩の計【れいぷのけい】」を仕掛けるが、
それを逆手に取られ、逆に相手軍の策にハメられて、敗走した。
(これを、例歩の計、号館剤【ごうかんざい】の計に責められる、と言われた。
今でも一時のノリに任せて痛い目に合う人の事を、年配の人は諫める意味で使ったりするとかしないとか)
その後、病で病床に伏した正翼を、陳歩が心配して
「正翼が病で衰退している」と側近に洩らしたらしい。
今でもうつ病で性欲が衰退する人の事を、年配の人は心配する意味で使ったりするとかしないとか。
誰か陳国の武将一覧を書いて下さい。
445 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 07:45:44
経似巣将軍。
発明家としても有名で陳国の兵士は下腹部が弱点で
すぐそこを蹴られて負けてたが、布亜ー瑠割賦というのを発明してその弱点を
克服した。
陳歩が活躍できたのはこの人のおかげだと言われている。
戦では、途中まで攻め一辺倒の猛将タイプだったが、相手の策に嵌められ死に掛けて以来
押したり引いたりして相手を焦らして攻める将に成長、陳歩も大いにその戦い方を参考にしたと言う
「虚勢の計」で相手を誘き寄せ、相手の性器を切り取って
大勝利を収めた戦いは演技では陳歩がしたと言われているが精子では彼の功績である。
――――――――――――――――終 了――――――――――――――――
447 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 21:43:05
万黄も配下の宿将程壮泰がいれば陳歩に破られる事も無かっただろうに。
壮泰は防戦を得意とする武将で彼がいる間万軍の者はまったく血を流さなかった。
しかし頭の固い人間だったらしく、程壮泰は幾度と無く万黄の行動を諌め束縛していた。
それを疎んだ万黄が彼を謀殺。
そして陳歩との戦いで万黄は流血してしまうのでした…。
448 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/04(水) 12:03:44
ぬるぽ
ガッ
――――――――――――――――終 了――――――――――――――――
昆虫から来ました。
>>451 え、何ゆえ昆虫からw
このスレ、誰かどっかに貼ったのか?
陳歩守
保守
ゆくあてさえわからずに
子宮をさまよう精子and精子
456 :
陳歩:2005/05/23(月) 05:58:49
おまいら大好き
457 :
陳歩:2005/05/23(月) 06:06:29
おまえらホントにありがとう。
2chという未来の美しき交流の場に俺のことを出してくれるなんて
正直日本も捨てたもんじゃないなと思ったよ。
458 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/23(月) 12:48:14
そういえば、陳歩は日本に使節団を派遣して
日本の時の女王・汚弥呼と交流を深めたんだっけ。
雲国の須嘉 登路 について教えて下さい。
軍師だというのは知ってるんですが、何か大きな戦功を挙げたことありましたっけ?
460 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/27(金) 14:32:45
ボッキage
汚弥呼はまた陳歩に援軍をおくったをだよな、
前回は英武威将軍の加藤鷹だけだったが
次は大戦と聞いて名士と名高い向井氏も派遣したと倭王援交紀には書いてあるよ、
向井氏は猪武者ではあったが戦えば必ず大きな戦果をあげた
英国の見聞司のマンコ・ボールは自国に戻り東洋で見た闘いを王に報告、向井氏を猪固球(チョコボール)と評し話したという。
いまだにイギリスっ子は向井という名を聞くとチョコボール!チョコボール!とはしゃぐ
聞いた事ある話しだ!チョコボールは向こうでは英雄の称号でナイトのさらに上の特別階級らしくイギリスでは過去に1・2人しかなった奴いないらしい
お前ら陳国厨は「一気昇天」なんか読まねーだろうよ
かわいそうになwww
あんなの陳酷使とは認めない。ただのエロ漫画だ。
出雲の阿女子おめこ
背貢須…(セクス)
背貢家22代当主
背貢家は代々陳家に仕え武術兵法の師として教授していた。
背貢須も陳歩に48手の秘技や夜戦の極意などを授けたという、そういった信頼関係から背貢家は陳家に重用されていた。
背貢須も陳歩に忠節を尽くし数々の戦いで活躍したが、嶺頭との戦いで下半身を負傷しやがて立たなくなり失意にくれ川に飛び込み自殺した。
嶺頭(れず)
本来地方の農家のせがれであったが、陳歩に対抗する万黄軍の戦いに出稼ぎに出た際に働きを認められ万黄に正式に仕官する
以降緒戦で数々の軍功をあげ異例の早さで出世していった。
陳歩の懐刀と呼ばれた背貢須との激しい一騎打ちは有名な話し。
背貢須の48手でさえ対処できない新しい戦い方をし、陳歩を驚愕させた。
さらに毎度討った敵の数を自慢するために討ち取った敵のキン*マを袋に詰め自慢していた。
人は嶺頭を「玉狩りの狼」と恐れた
>>468 満国の新武将
キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!
470 :
陳歩:2005/06/01(水) 00:01:15
保守あげ
保守するならageなくてもよかろうに…
マジで良スレ化したここが荒らされるのが恐い
472 :
470:2005/06/01(水) 00:34:01
473 :
470:2005/06/01(水) 00:36:10
ゴメンこんなつもりじゃなかった。
472はさげ忘れた!
本気で逝ってきます
汚弥呼の屋敷の庭には、それは立派な栗の木があって、可愛らしい
栗鼠も住んでいたそうだ。陳歩はその栗の木と栗鼠を大層気に入り、
汚弥呼の栗と栗鼠を見に、わざわざ多数の贈り物と共に倭国に訪れた。
これを朝貢ではなく、倭貢という。
476 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 19:37:47
/;;;;;;;;;;;;;\
/;;:::::::::::::::::::::::\
∈=━/,,;;:::::::::::::::::::::::::.;ヽ━=∋
L::;;,__ ..:::ゝ
//;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;ヽ
/ ;;;;;;;;:::::::::::;;;;;;;;;;;;;::::::::;;;;; ヽ
/j/三三三三三三三三三三ヾ、
l::||:::: |l
/ ̄\ ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′ ||
r┤ ト::::: \___/ ||
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
| _)_ノヽ\ ハ // / ヽ
ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ、
朱元璋:明の建国者。貧民の子から身を起こして,群雄を平らげ,元王朝を北方に追放
有能な家臣をほとんど殺し、一万人以上の処刑者を出したりと苦難続きだが、
持ち前の残酷さ(残酷さとも言う)と、その恐怖あふれる発言で混迷する明王朝を暗くしている(多分)。
その陰湿なキャラクターから、そのキャラクターが皆から嫌われていることは、
各種AAがあまり開発されていないとからも明らかである。
477 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 19:40:35
キューバからカストロ首相が挨拶にこられました。
┌─────┐
i;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;:i
|;;;;;二二二二二⊃
{ r' ー-、ノ ,r‐l
,-l l ´~~ ‐ l~`ト,
ヽl l ', ,_ ! ,'ノ ハハハ
ハ. l r'"__゙,,`l| こやつめが…
/ lヽノ ´'ー'´ハ
_,へ,_', ヽ,,二,,/ .l
_,<´ l ト、へ
478 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 19:50:02
,-─────、
/ ̄ ̄ ̄ ノノヽ `-、
,l' ノノ´´ノノノノ ‐'-`ヽ`l
l ノ ノノノノノノ∩ヽヽ l
l' ~~ノノノノ___ .∪ __.'l
l/ノ ,--──'' ̄ ̄`-,_|
丶_/::::::::::::::━'ソ:i:i:'━:i
iヽ.||:::::::, <・>ン ,'<・ >
| >|.} ` ' i,. ' ,' / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノー.i;;;;;::.. ..:::::_`ー::'゙:. .! / ゴルァ、豚供!!
, イ| i i;;;;;;::、;'./Vョヨコョi::;;' < 禿なんざぁ俺様にかかればイチコロだぞ!
., - ' || | ゙t;;;;;;;:::..i-r-、./::;;' \ めざせ500KB!
!! `、 ヽ,;;;;::ヽニニソ./\ \______________
ヾ、、ヽ、. ':、;;;;;;;;;;;;/|| \
. r‐-‐-‐/⌒ヽ-ーイ // `、
ヽ、 |_,|_,|_,h( ̄.ノヽY ビシッ ヽ
ー-ヽノ| `~`".`´ ´"⌒⌒) ヽ i
ノ^ //人 入_ノ´~| ̄ i |
\_ //__/ | ノ |
/
ティムール
明朝と戦おうとして遠征しようとしていて死んだ
元朝の子孫ということで朱元璋を敵とみなしていた
! ̄ ̄ ̄"'' ̄ ̄ ̄` ̄ ̄ ̄ ̄" ̄ ̄```!
i !
I〜--〜〜〜〜〜〜〜─〜〜〜〜〜!
I i ,、,、,、,、 ヽ ヽ
| 凶刃 |∩uuuu====;;'`i
`------------っ─--──────’ `ヽ \ `'i ヽ
从从 `i i' |::___|アヒャヒャヒャヒャゝ ヽ ;
( ヽ ( ゚∀゚) /⌒ヽ⌒ヽ ) !
ヽ ⌒ ´-−ヾvーヽ ノ ノ III i i
\ ☆ , 、 ☆ ,─,-─'''
ヽ i `─, +;,─-''" フランジュのヴァカとは、
iヘ,, __+、_rリ 私のことか!!!
iゝ、,,_,+、_r
,,-─-─`!二二'''i
( ! 獅子 i ̄ ̄`ゝ
// ノ`──'i; |__ ヽ
/ ,/' ( ( ヽヾ \
/ | ) ) | \
cccC,___) ~~~~~ (___、つっっ
リチャード獅子心王
国王
.。 。 。 。
.| ヽ / ヽ ./ ヽ / |
|: V V V .| 宮廷執事(俗人)
.|: .| ∧ ∧
|________.|. .)( )(
/ \ ;'''⌒ヽ..|| ;'''⌒ヽ..||
/ ヽ l===== ||... l===== ||
l:::::::::. | /~~|(゚∀゚ *)O /~~|(゚∀゚ *)O
|:::::::::: (●) (●) | |╋ |ノニニヽ. || |╋ |ノニニヽ. ||
|::::::::::::::::: \___/ | | |__╋_| | |__╋_|
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イングランドの三大長官(聖職者)
最高法官 大法官 財務府長官
|~ ̄ ̄| |~ ̄ ̄| . |~ ̄ ̄|
Θ|__†__| Θ|__†__| . Θ|__†__|
||(・∀・ ) ||(・∀・ ) ||(・∀・ )
⊂ヽ》†《~~ヽ ⊂ヽ》†《~~ヽ ⊂ヽ》†《~~ヽ
|| | | ヽ ゝ || | | ヽ ゝ || | | ヽ ゝ
||(_(__)~ . ||(_(__)~ . ||(_(__)~
もう終わりか・・良スレだと思ったのに
馬鹿が荒らしてるだけだろ
今荒らしが横行しているからな。
おまいら無闇にageるなよ。
484 :
470:2005/06/05(日) 11:47:57
ごめんなさい
485 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 21:54:25
三国どこにも組みせず、独自の宗教国家を築いた
田代(でんだい)のことを忘れていないか。
彼は後に神と崇められる男だ。
田代は信者に沐浴させてそれを覗くという変な儀式を行っていたそうだ。
それゆえに三国全てから邪教視されていたんだよね。
>>486 田代にまつわる、「短腰巻に蛸ができる」っていう故事成語あるよね?
あれってどういう意味なんですか?
ググっても出てこない・・・(´・ω・`)
田代ゲームだと使いやすいな
田代自体の能力が高い(特に魅力)し、土地も安定してるから
序盤かなり楽だよな。
でも配下が駆和曼(くわまん)しかいないのがちょっとな
田代の話題をするとき
バカ殿との評判高い士武堅(しむけん)や、豪族集団「羅津庵・弩州太」(らつあん・どすた)
は欠かせないはずが、
微妙に年代がズレていて板違いになるんだよな。
ていうか、田代と聞いて彼らが思い出せないほど
陳国志に出てくる田代はイメージが違う。
士武堅、駆和曼、そして田代で築いた一時代もあったんだけどなあ。
490 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 21:32:53
売武 や 寺別品 発区 陳貸 備蓄 および西洋人栗・渡栗鼠 きぼーん
491 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 21:41:13
霊府
梅武(ばいぶ)なら前の方で出てるぞ
駝鳥3兄弟を忘れるなよおまいら・・・
押すなよ、押すなよ!と敵陣で発言して、敵の攻撃を誘う軍略の天才だっただろ。
水計では殺す気か!って被ってた帽子を脱ぎ捨てた事で、敵の戦意を削がせたり、
捕まって処刑されそうになった時なんか、
「カットしないでね(首を)カットしないでね(首を)」と発言したことで、
九死に一生を得たりとか、兎に角、士武堅の素晴らしい配下だったんだよ!
その士武堅の扱い方は酷かったらしいけど、めげずに士武堅を支えたのも駝鳥3兄弟だったんだよ!
495 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/11(土) 17:16:54
駝鳥三兄弟を語れるスレが三戦板にあったとは驚いた。
>>494の話は艶義ベースのエピソードだけど、
三兄弟は精子でみると、外交官なんだよね。
陳国が満国侵攻の足がかりとして、乙女淫道信仰を基盤とする田代の領地に侵攻したとき、
田代陣営が満国から援軍を引き出せた要因には、三兄弟の外交手腕が大きかった。
三兄弟「満国には腰抜けしかいないと見える・・・陳歩なんぞ俺一人で討ち果たせるわ!」
三兄弟「もっともだ!万黄ごときの武勇では頼むに足らん!・・・兄者、俺に任せておけい!」
三兄弟「まてまて、兄者達の手を煩わすまでもない!陳歩は俺にやらせろ!!」
万黄「ぬうう・・・陳歩の武威を知らぬ者の戯言よ・・・しかし、そこまで言われて黙ってはおれん・・・」
「貴公らは後陣に控えているがいい!!満武の強、見せてくれよう!!」
三兄弟「どうぞどうぞ!」
三兄弟「どうぞどうぞ!」
三兄弟「どうぞどうぞ!」
496 :
495:2005/06/11(土) 17:20:54
スマソ・・・ageちった。
ちなみに乙女淫道=五斗米道・・・(ク、苦しい・・・)
駝鳥三兄弟の名前ってわかる?
字の方は知っているんだけど。確か
費吾(ひご)
慈聞(じもん)
留平(りゅうへい)
だよね?
>>495 なんか、万黄(・∀・)カコイイ!!!
スレの流れを踏まえているところもGJだなw
慈聞ははっきりいっていらないと思う。
∧ ∧
ヽ( ´∀`)ノ ちーんちーん
へノ /
ε ノ
∧ ∧
ヽ(´∀`)ノ ブ〜ラ〜ブ〜ラ
| |
ノ ω (
∧ ∧
ヽ(´∀` )ノ ソーセージッ! 500!!
\ \
/ ∩ \彡シュタ!
>>496 乙女淫道ワロタ。
馬鹿だな藻前・・・(愛)
ゲリラ戦が得意だった「殷琴」を非常に恐れていたとか。
>>494 「上奏してやる!」って口癖も有名だよね
皇帝に謁見する権限もないのに連呼するものだから
庶民の笑い種になってた
>>499 「上奏してやる!」
士武堅や駝鳥三兄弟の話をすると世界史板に行け、とかいう自慰厨がいるんだよなあ。
俺的には士武堅らの起こした「白ノ白ノ白・沈恥炉倫(パイノパイノパイ・チンチロリン)運動」は陳国志の文化面に大きく影響した文化運動だったと思うし、
彼らを三戦板で語る価値は充分にあると思うんだが。
陰淋(いんりん)
字を情意問。比較的女性上位の満国でも珍しい女将軍。
両翼を広げあえて本陣を晒す得無陣会脚の計で
雲国の主将発擦(はっする)を打ち破った事で有名。
しかし、このとき既に満国の衰亡は避けられないものとなっており、
しょせん徒花の勝利でしかなかった。
彼女があと20年早く生まれていれば三国の勢力図は大きく
異なっていただろうと言われている。
陰淋って確か上位都尉になったんじゃなかったっけか?
warosu
おまいら天才
山川出版の世界史用語集、陳国史のところ重要度3(16段階)ってあんまりじゃね?
陳歩に至っては重要度1・・・
>>511 重要度2の牌犯(パイパン)について教えてください
513 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 21:32:11
age
>>512 ググれ(自分でネタ作れ)よ馬鹿者。
教えてクンが出てくるとスレが止まるから止めてくれ。
>>490とかも見てらんない。
ソリッド・スネークって陳歩がモデルらしいね。
>>439の発言で知った
周辺諸侯
・金(之貌)キンバク
荒縄太守。領土が満国に隣り合わせており、度々小規模な攻撃を仕掛けていた。
柴馬裡の戦いでは精兵の縦列を網目状に張り巡らせた「亀甲縛りの陣」で満黄を包囲大いに苦しめる。
しかし、焦って総大将の満黄めがけて突撃したところに、満軍の蛮勇の将、内普の側面攻撃を受け、
結果的に亀甲縛りの陣は分断され四散、金バクも討死。程なくして荒縄は満国に併合された。
・禰武遷
士瑁郡の広大かつ肥沃な土地に居を置き、一台牽制を誇った禰武一族の代表格。軍備には疎かった。
しかし、その領土の巨躯と肥沃さから来る国力に、周辺各国も長年迂闊に手を出せなかったという。
転機は彼の晩年。和平を装った諸除易の甘言に乗り、食糧増産のため大規模な開墾を実施。
この「飽食の計」により国土が過拡大し守りが手薄となり、大開墾終了後わずか2年で陳国に平らげられてしまった。
517 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/05(火) 09:36:32
卞喜にウンコー
518 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/05(火) 12:36:08
桂歌丸(ケイカガン)
「陳記」や「大陸淫乱伝」といった資料にでてくる昇天8人衆の長老、
嫁のフジコのヘソクリを一度はみてみたいという野望に燃える
しかし8人衆の内にはそんな歌丸をよしとしない腹黒い者もおり常に危機にさらされていた
余談であるが同じ8人衆のなかにはリーダーの馬司会(バシカイ)と、同じく8人衆で物資を素早く運ぶ輸送隊の倭人 山田隆夫などがおり
彼らは陳記に記されてる限りでも宮美麗の戦いや尿水川の決戦、膣内平定戦など緒戦に従軍、大活躍し陳歩の覇業に貢献した。
もれは司馬陵太郎の「おーい陳歩」で陳極史にハマった
屋追(重要度10)
陳国の南にある蛮族の国。女性優位の国である。女性の姿形は醜く、時々陳国に出没しては
子孫繁栄のために美少年を誘拐していた。不如子(ふじょし)が建国。陳歩自ら北伐に乗り出し
平定。滅亡したものと思われたが最近、日本において屋追族の子孫が多数確認されている。
民明書房刊「高校世界史B用語集」より抜粋
×北伐
〇南征
満腔鎮マンコウチン
幼少より亀頭山で修業をした、綿鍋県を領す。
嫡子の満腔穴 マンコウケツ と共に侵攻してくる陳歩軍と数々の戦いをくりひろげた。
のち倭国より陳軍の援軍としてきた、加藤鷹と合同作戦をしいた陳歩勢と戦い敗れ一時支城をほとんど奪われるが
電撃的な奇襲作戦や計略により所領を奪還し以降6代およそ100年間、陳家と150回以上の小競り合いや戦いをつづけ独立を維持し地元に強く根付く礎を築いた。
519は世界史板へ行け!
ていうか「陳記」と「大陸淫乱伝」って
後世の猥談家が当時の人気猥談を
むりやり陳国時代に設定を移し変えたシロモノだって
「おーい陳歩」の司馬尿太郎が言ってた。
ところで俺も520と同じく「おーい陳歩」から入ったんだけど
みんなはどんな感じ? 最近はゲームの『真・陳国無粗相』から入ってくるヤシが多いの何の。
無粗相は今にしては珍しく腐女子が寄り付かない良ゲーム
自分は横穴蜜輝陳国志から入ったけど
昔は横陳から入るのが普通だったな。無粗相から入ってくるやつは振る舞いがイタい。
でも、これって年寄りが「最近の若いもんは・・・」って言ってるのと同じか・・・w
陳国志関連出版物一覧
『三国志』:陳汁 著
俗に言う「精子」。陳汁は陳国出身のため、陳国にやや傾いているといわれる。
『三国志艶義』:和姦中 著
俗に言う「艶義」。淫・三国時代といえばこれが一般的。
『金Q性伝』:魯李 著
中国の著名な文学者魯李が、黒歴史にされてきた中国の淫・三国時代にスポットを当てたもの。
「淫乱社会に生きるオリジナルキャラクター「金Q」という人間を描くことによって、
旧時代における中国人の卑劣な性癖をあばき出し、それを取りのぞくことによって、中国に光明をもたらすことを念願し意図した作品。
負けても勝ったと自慰する精神的勝利法、強いものには屈して抗することを知らない奴隷的敗北主義、革命が行われても革命の何者かを知らない無知さかげん、
それらは、みな排撃してやまないものである。」(中国学芸大事典)
『ダビチン・コード』:チン・ブラウン 著
「夏王朝以前、中国大陸はこんなにも乱れていた……」(PRフレーズ)
中国の儒教史観によって抹殺され続けた「淫」の歴史を暴いたとして世界各国でべストセラー。
近年の三国志ブームも、この本からはじまったといっても過言ではない。
『陳国志』:吉川英恥(※)
『おーい陳歩』:司馬尿太郎
歴史物の大家である吉川英恥や司馬尿太郎が、この時代のものを扱っている。
司馬のは広く読まれているようだが、吉川のものはやや文語で堅く、あまり読まれていないようだ。
『横穴光輝・三国志』:横穴光輝 著
あの『変人28人』や『オメッコさん』『ジャイアントモノ』等で有名な漫画家による三国志。
この本から三国時代にふれる人も多いはずだ。吉川英恥の『陳国志』を下敷きに、全60巻。陳国崩壊まで丁寧に描いた傑作である。
『蒼天行為』 王☆金玉 著
三国時代の悲運の名将・万黄にスポットをあて、現在も「モー淫グ」で連載の続く傑作マンガ。
『一気昇天』
三国時代に出てくる登場人物の名を借りた、爆乳ファンタジー学園ドラマ。
その他、倭人が主人公の『超陳国志〜Road破瓜〜』、
事実に反して満国が天下を統一してしまう歴史ifのはしり『勃・三国志』、
硬派な作風『柴恋陳国志』、軽いギャグタッチ『吸eet陳国志』(※)
現在も少年誌で連載中『ちんこくし』(※)、
また、タイトルが不明だが数年前に少年誌にだして3話目で辞めさせられた陳国志というのもあったようで、
トンチンカンな設定と勝手な解釈で読者に反感を買ったそうだ。
(※は、今作った新出)
『陳記』『大陸淫乱伝』
詳細不明。昇天8人衆の活躍が記載されているようだが、
後世の猥談家が当時の人気猥談を無理やり陳国時代に設定を移し変えた物だと
司馬尿太郎は批判している。
『脱襲嘆』脱襲 著
運国の将・脱襲の漢詩集。
わが身はただ削られるのみ…の部分は感動ものと言われている。
『陳精志』穆貴 著
陳国の歴史書といわれるが、
穆貴は陳国人なので陳びいきが過剰といわれれ、
陳歩が一晩で満国の将を百人斬りしたというトンデモ記述も存在。
また、「珍歩」と「陳歩」の誤記や誤解、混同を見られ、後世の歴史家にとっては頭痛の種でもある。
『陳滸伝』『裟世湖伝(させこでん)』 和姦中 作?
陳国志のだいぶ後の物語。淫乱108星が集う絶倫達を魅力的に描く。
三国時代のパロディのようなキャラクター造詣が見られる。
『陳国志武将ファイル』 エンコー 編
エンコーの『陳国志』シリーズの武将データを集めた資料。]が最新。
出版物以外
『MHKの人形劇』 MHK
陳々と満々というオリジナルキャラクターが出てきた。
『陳国夢想』『真・陳国無粗相』 エンコー
ゲーム。夢想の方は対戦格闘、無粗相の方はシムレーションアクションゲームとなり人気を博した。
このシリーズは、キャラクターがみんな巨根だから女性に人気だと毎日新聞に記述あり。
内政マニアの私からも一言。
満国の豊かな財源を支えたのは、「増田・別所(マスタ・ベッショ)」政策によるもの。
当時、主に税務をとりしきる位空(いくう)の位にあった馬魏那(
>>325)の献策を受けた万黄が
全領土の田畑の検地し、新田開発を推し進めたもの。
それまでは、少なくとも二人以上の集団でないと出来なかった屯田を一人でも出来るように
法制度をあらため、新たに新田を開発していいという画期的政策であった。
これにより、溜まりに溜まっていた農民の労働力を一気に放出することが出来、収穫機会が増えたが、
武官グループの盛観岱(せいかんたい・
>>103)らをないがしろにし、あまりにも刺激しすぎたため
後々の満国の崩壊の伏線に繋がっていると指摘する学者もいる。
この政策は陳国でも宰相楊如(
>>101)主導で行われたが、
とにかく土地を耕し、こすり、赤土が出るほど土地を腫らしてしまったため、
陳国のあとを継いだ色の時代で起きる園荘(えんしょう)問題の火種にもなった。
なぜか、雲国では、実施されなかった。
531 :
曹豹:2005/07/14(木) 12:58:38
ムヒョ
532 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/14(木) 20:20:54
はじめの陳歩
ここまでのまとめをキボンだな。
もうネタは尽きただろうし。
あと、読みやすいまとめが出来れば、
新規参入もしやすくなるだろうよ。名前だけの奴が結構いるから、そのへんの補完もしやすい。
534 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/17(日) 17:08:02
「今何歩?」
「10歩です!!」
ひゅっ。ぐはあっ。
「今何歩?」
「陳歩です!!」
ピーンポーン。死。
535 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/17(日) 22:10:28
537 :
称号・階級まとめ:2005/07/19(火) 12:15:15
将軍位三役
騎上位大将軍
正上位大将軍
後背位大将軍(※)
ランクは上に行くほど上位。
騎上位大将軍は陳歩、前魏では魯出、等。
正上位大将軍は前魏の鍾 秀玄、等が有名。
四大大尉
騎乗尉、正上尉、後背尉
また、臨時に上位都尉が置かれ、これはこの三つより上の権限を持つ。
これら4つを四大大尉と言う。
ただし上位都尉は歴史上満国の陰淋にのみ与えられた。
官職
位空(財務・人民の管轄・原語発音は「イクーッ」)
亜判(土木建築担当・原語発音は「アッハーン」)※
位耶庵(四方の軍事を管轄と賞罰・原語発音は「イヤーン」)※
膣金吾(宮殿の警備をつかさどる)※
尚徐令府(しょうじょれいぷ・皇帝の秘書。正しくは「尚徐令」だが、専用の官舎を指してこの名がついた)※
汁骨勲(しるごっくん・宮殿の宿営をつかさどる)※
※は今考えた新出。
538 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/19(火) 12:15:37
>>529追加
『下通鑑』 裴松弁(はい・しょうべん)?
陳汁の書いた三国志の注釈集といわれ、陳汁が切り捨てたエピソードの多くを補完している。
賜宮の地下城には「腐乳が蓄えられていた」という記述や、駝鳥三兄弟、王南三兄弟といったエピソードを大量に記載している。
539 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/22(金) 08:16:34
賢臣が君主を諫めるシーン
「その昔、淫の厨王は〜」
540 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/22(金) 11:27:57
異民族
貞
陳国北方の民族。
容姿はデブと不細工が非常に多く根暗な民族性だという。
一夫多妻制のためにかっこいい男にしか女があつまらないために
童貞率が異様に高く、童貞のまま人生を終える人も非常に多い。
また春画が発達しており、その芸術性は現代でも高く評価されている。
541 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/22(金) 11:42:54
倭の名将武田陳玄が陳歩の陣を参考にして、端恥陣(はちじん)を考え出したって本当ですか?
本当なら陳歩は倭にも影響を与えてる凄い武将なんですね。
542 :
皇帝永眠尚志 ◆phR7nehjRE :2005/07/22(金) 11:48:03
仕官者募集中〜
543 :
吉川英恥・陳国志・冒頭:2005/07/26(火) 09:52:04
前魏の金玉帝三十四年のころ。
今から2000年ほど昔の事である。
一人の画生があった。腰に墨壷を佩いているほか、身なりはいたってみすぼらしいが、総じて卑しげな様子は無かった。
年のころは24、5。
草むらの中にぽつねんと座って、膝を抱え込みながら絵を描いていた。
悠久とと水は行く―
そこは黄河のほとり。若き青年画生は、ただ河の中のマスを描き、写生していた。
「おーい陳歩!」
彼を呼ぶ声がする。振り返ると、丈七尺もある大男だった。
「またこんなところでマスを描いていたのか。まだ残兵も潜んでいるかもしれんというのに。だいたい、ここは山賊やら曹買の残党がまだうようよしているんだ。一人で歩くんじゃない。」
男の名は道卓。父母のない陳歩にとっては、生まれてからずっとそばにいてくれた父のような存在である。
陳歩は先ほどまで、雲国の客将である道卓の従者として、つい先ほどまで戦火の中にいたのだ。それは後に「四畳半の戦い」と呼ばれる大合戦であった。
「それとも、何だ。マスを描かねばならないほど、お前の情念に火をつけるものがあったか?」
道卓は笑いながら聞いた。陳歩は、身を堅くした。そして墨壷から筆をヌクと、一気にマスを描き、写生した。
マスを描きながら、陳歩は先ほど戦場でまみえた将を思い出していた。
炎に燃える敵陣。その向こうから、味方の友軍の将がゆらりと姿を現したのだ。
その紅の旗、ひだひだのついた紅の鎧、あわびの形をした紅の鞍に跨っている男。
「……あの将。万黄と言ったか」
道卓がつぶやくと、陳歩は身をさらに堅くし、巨大な気炎を上げた。それは、普段小柄な陳歩の身体とは思えないほど大きく、凄まじいものであった。
陳歩は興奮していた。班鄭(ぱんてぃ)という大男に守られたその万黄という将は、いままで陳歩が見たこともなく、しかし、何度も夢に描いた存在だったのだ。
奴を、貫きたい。
この身を尖らせて、あいつをヒイヒイ言わせて見たい……。
陳歩はこの高鳴る興奮を、ただマスを描くことによってしか紛らわせることが出来なかった。
「陳歩……勃て。勃つんだ、陳歩。お前はこの乱性の巨大な穴を、その身で塞いでやるのだ。」
画板のマスは、白く輝く光にテラテラ輝きながら、雄大に河を飛び跳ねていた。
warosu
547 :
陳国志艶義・サブタイトル一覧T:2005/07/26(火) 23:54:48
第一回 桃尻に宴して人々に請われ、陳歩ついに大地に勃つ……[珍顧の礼]
第二回 陳歩初めて兵を用うるも計られ、亜父・道卓を失う……[泣いて陳歩の皮を剥く]
第三回 万黄勇んで戦うも破れ流血し、名医・甘慈蛇手厚く治療する
第四回 斉苗、陳歩に大いに感銘し、耶羅那烏賊を送らす
第五回 陳鎮、陳歩に策を授けて堅城・根同霧を攻略す
第六回 兪備曼、二穴を攻め、陳歩たまらず嘆息す……[郁々(イクイク)の嘆]
第七回 斉苗一族病を得て世を去り、陳歩大いに嘆き悲しむ……[坐面知るは苦し]
第八回 尿道炎、奇兵を用いカントンの地を鎮める
第九回 蛮王、痴将と供に勃ち、南都を大いに悩ませる
第十回 許盛と入覇普、昔を語り薫仁を諌む……[刎陳の交わり]
続きは次回
548 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/27(水) 01:48:02
泣いて良辱(りょじょく)を切る
雲国の良辱軍10万に対し陳歩軍2万で挑んだ、陳国史前半の見せ場である。
良辱は山に布陣した陳歩を侮り、山のふもとを囲い水源をたって攻撃したが後がない陳歩のあまりの突撃の威力に敗北した。
また追撃してきた陳歩軍の渡河の最中を狙って攻撃したがまたも突撃され全軍総崩れとなった。
その時のあまりの突撃の凄さは亀が甲羅から頭を出すかのごとく「亀頭の勢い」とまで言われた。
この戦いの後、陳国は北方一体の支配権を確立し陳歩は後背位大将軍に任命されるという異例の大出世を遂げたが
良辱は雲国に召還され、「なんたる生兵法」と叱責され、将来を期待されながらも泣く泣く処刑されてしまった。
近年では良辱がとった作戦も間違ってなかったのではないかと見直しが進んでいる。
最近の流れ、
クォリティタカスwwwwwww
>>548 いつの時代だったか、この陳歩の兵法を真似して惨敗した武将がいたなw
うわ、すでに萎えたスレだと思ってたら息を吹き返してる。
しかも神降臨してるし。すげー。
552 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/30(土) 02:49:50
粗朕戦争(そちん戦争)
淫王朝滅亡後の政権をめぐり、性粗の覇王喘羽と朕王乳邦との間で、約5年に亘り、当時の中国のほぼ全土で繰り広げられた内戦。喘羽と乳邦の戦いとも呼ばれる。
淫滅亡後、圧倒的な軍事力を背景に政治上の主導権を握った喘羽は、紀元前207年、諸侯を対象に大規模な封系(ほうけい)を行うが、
その基準となったものは、その時の功績ではなく、あくまでも喘羽との肉体関係が良好か否かであった。
故に、ろくに手柄を立てなかったものが優遇されたり、逆に、
咸汁(かんじる)に一番乗りして淫を滅亡させた乳邦が冷遇されて、缶中に左遷される等かなり不公平なものとなり、諸侯に大きな不満を抱かせるものとなった。
王族・田栄が喘羽に対して挙兵すると、これをきっかけに封建に不満を抱く諸侯が続々とこれに呼応。劉邦を中心に項羽に反旗を翻し、乳邦は諸侯との
連合軍・69万人を率いて一時、喘羽の本拠・彭城を陥落させ、覇権を得るものの、喘羽に直ぐに奪い返され(彭城の戦い)、形勢は一時逆転する。
喘羽は、榮陽一帯に乳邦を追い込むも、乳邦配下の将軍・韓自他(かんじた)や喘羽に反感を抱く彭越や英頭(えいず)等の諸侯による後方撹乱行動、
陳平(陳歩の祖先)による(喘羽)陣営への内部分裂工作により、徐々に力を弱め、紀元前202年、垓下で朕及び朕(劉邦)陣営の諸侯の60万とも100万とも言われる連合軍に敗れ(垓下の戦い)、敗走中に48騎を引きつれ烏江で自殺する。
553 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/31(日) 03:20:39
屋追族の女王が主人公のゲームやってみたんだけど
陳国志馬鹿にしすぎだよな。
現実では捕虜になったのは屋追の女王のはずなのに陳歩があっさり捕虜になるってありえなくねぇか?
そしてやたら陳歩美化しすぎだろ?あいつら活躍したのはおっさんになってからで美少年じゃねーのに
流石に拷問はやらなかったんだけど、あれは拷問じゃなくてSMだな
なんで18禁ゲームにならないのかがよくわからない。
陳 志国
シコシコ(・∀・)
>>553 それがエンコーのネオエロマンスゲームクオリティ
556 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 00:47:50
シナチク
557 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/05(金) 14:54:51
屋追の儀式に攫ってきた美少年同士を性交させて屋追の神に捧げるという個身毛という祭典があるのですが
その美少年が儀式のあと行方不明になってるんですよね。
詳しい人に聞きたいんですけどそいつらはどこにいったんですかね?
558 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/05(金) 14:56:40
婆羅族(重要度7)
陳国遥か西方に生息していた異民族。男性優位の国である。屋追族との抗争に明け暮れる。
後に陳国と同盟を結び、屋追族を平定する。
肉弾三勇士(重要度2)
婆羅族の三人の猛将、鎖舞(さぶ)、穂藻(ほも)、夏威(げい)のこと。後に陳国の客将となる。
560 :
547:2005/08/06(土) 12:10:10
大学で陳国志についてまとめようとしている者ですが、
「膣壁の戦い」について、あまりに資料がなく困っています。
時系列から言っても当時膣壁で闘う必然性が陳・満・雲供にないですし
精子によれば、「満軍が全員性病にかかって出陣できず戦争自体なかった」という注釈があります。
艶義では、諸除易の怪しい妖術と美出の華麗な戦略で、安全日だと思って油断していた満国に奇襲をかけ、膣壁を赤い血の海に変えた名シーンにもなっています。
実際のところ膣壁で戦いがあったのでしょうか?
また「苦肉棒の計」とか「輪姦の計」の詳しい解説も誰かよろしくお願いします。
563 :
陳国志・地図:2005/08/09(火) 12:54:53
至 .〔 `゙''-,,,,__、 貞 ゝ 、・靺腸族 / ̄`"
エローッパ帝国 `~\ ・荷洋 ! !、
/ !____.._....、 ,i'''^´\ /
/ _ゝ ___、 ,,ー''''‐--ヾ/.!.,,__/、 !、
.! ..,,,、 ・婆羅族 ・金之貌 i'" / ゙"〜、,./ ,,./ .l__. _,..\
 ̄ \ _-ー''''^゙´"ー''-、 ゝ‐-'> / ,ノ ヽ、;―;;i ゙l. │
|'''t ,,,,___ / \ ゝ/ ! ×カントン / .! /
! ゙‐'゛ ⌒'''''''''―-、/ 〈 !___、 ._,! | `'゛
.!、 `''、_, `" ・淮府 \
\ l゙ .` ̄`'、 満 ,, -'ヽ
`-,, ・禰武遷 │ ヽ. .,___,! ・ 冫
\ l .,,,厂`"`'''''゙ 岸安`゙l
564 :
陳国志・地図2:2005/08/09(火) 12:56:36
゙'-、 , / ・玉京 .! ×膣壁 /
`! __,--、 / i'''′ ・勃沌 /
`゙゙゙゙゙^''''''―‐" .r'" ゙‐' `゙L 雲 / ,..、
! 陳 l / ││ ・江炉漫画島
ヽ..,、 i'"゛ / l. /
不江羅血王│ .,,,..―''′ !゙"'" `
`゙゙ヽ-‐´゙'゙‐'、 ,-'''''、 .r'"゙´
565 :
547:2005/08/09(火) 12:59:03
あまりうまく行かなかった……。
567 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/09(火) 18:00:54
やはり「死せる満黄、生ける陳歩を走らす」
は名言だよなぁ
そりゃ逃げるわ。
569 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/09(火) 18:18:10
白合族
陳国の北西一体を縄張りとしてる民族。令図(レズ)が建国。女性中心の国である。
屋追族と同盟を結び薔薇族と抗争を行ってきたが屋追族が陳国によって平定されると陳国嫌いなためか陳国討伐世論が急騰する。
万国と同盟を結び陳国に侵攻してきたが、これに敗れて女蜀地方に落ち延びた。
輪
江炉漫画島のはるか北方に生息する民族。島国である。女王卑目子(おめこ)が建国。
比較的平和な国だが最近輪冠と呼ばれる海賊などに荒らされている。
高栗戸鼠(こうくりとりす)
雲国東方の半島に位置する国。雲国の属国である。
陳歩といえば、奉桂丹省の出身という説が有力だけど本人は否定してたんだよな。
悪名高い陳黒斎を輩出した地である事を嫌ったんだろうか
>>569 いい加減「レズ」「クリトリス」は既出すぎ。
卑弥呼のポジションも
>>401からずっとある。
もうちょっと考えてくれ。高栗戸鼠とか面白いけど何個も同じのがあったら萎える
>>570 陳黒斎はもともと倭から渡って来た倭人というし否定する必要は無いんだけどな。
倭人といえば陳歩の数多い妾の中に倭人がいたらしい。
俗に、「於義の 方」
と呼ばれる人物で、陳歩自身、「彼女に出会ってから人生が変わった」と語ったそうな。
573 :
547:2005/08/13(土) 18:32:27
大学の卒論ももちろん陳国志で行くつもりです。タイトルは「中国史における陳国志の意義」。
陳歩の時代は、まさに中国の黎明期とも言える時代です。
それまで、蛮族同様だった漢民族が、政治に目覚め、本格的な国づくりを目指すことから、
この時代から「舜」の時代までを
「始舜期(ししゅんき)」と捉え、
「政のめばえ」が生じた重要な時期と定義し、陳満雲三国の政治体系の在り方を論じたいと思っています。
きょじょウルセエやい
575 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/13(土) 19:13:58
陳国史の次の時代「万湖4国(まんこしっこく)時代」も面白そうですね。
1万くらいの蛮族が中華に乱入して矛を交えつつも色々な文化が花開いたため
「乱交文化」とも言われています
陳国時代に比べるとあまり人気が無い時代ですが「秘水の戦い」や「白痴王の乱」等、負けず劣らず見せ場も多いですし。
政に目覚めたのがが陳国時代なら政に通じて逝く時期であったため
政に通じた政治家が「政通」と呼ばれ尊敬された「政通現象」が盛んでした。
そしてある部族に属するためにこれまでの姓を捨てその部族の姓に変更する「捨姓(しゃせい)」が起きたのもこの時代でした。
とりあえず、
>>573 を支持するw
いいよ。すごくいい。もっといこうぜw
577 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/13(土) 23:11:19
なんだ支持するって
578 :
576:2005/08/13(土) 23:29:38
え・・・いや・・・別に
このスレが好きで・・・
ネタも作ってきた者として・・・
>>573とか、すげぇと思っただけだが・・・
579 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/13(土) 23:49:25
>>578 お題もネタも出せないニートに反応するな馬鹿w
>>579 そういう殺伐としたレスは、このスレに似合わない
楽しくやろうぜ
581 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/14(日) 11:52:42
祖朕戦争
↓
陳国時代
↓
万湖四国時代
すげーなオイw
582 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/15(月) 21:36:42
/.| /.| ./.| 反日教育↓
/核/ ./核/ /核/ ←日本に照準
_ / / _ ./ / _../ / || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|∧∧
. \/ /ヘ \/ /ヘ\/ /ヘ || 愛国無罪 。 /支 \
◎ 丶i ◎丶i ◎丶i. .|\_______/| ←捏造 || 小日本 \ (`ハ´ )
_| 300000 |_ ||_______⊂ ⊂)
∧∧/ ̄ ̄ヽ _ \ ._______ /_ ∧∧ | ̄ ̄ ̄ ̄|
/支 \資源 i \ ._南京大虐殺記念館_ / ( ,,) |
(`ハ´ ) ⊂二 ̄⌒\ | ∩ ∩ | ̄| ∩ ∩ | 〜(___ノ  ̄ ̄ ̄ ̄
(つ とく__,;;ノ)\ ヽ | ̄ ̄ ̄ ̄ 口  ̄ ̄ ̄ ̄| llコ
/⌒__) /__ ) ∧∧ ノ) , ‐-ll、
レ' ゝ( //// /|. / 支 \ / \ 〜〜l _ l〜〜〜〜〜〜〜
/ / / //\ \( `ハ´ ) _/ /^\) ,! . ̄ l 「l
↑盗掘 / / / (/ ヽ、 ⌒ ̄_/ /漢 ̄ ̄二二二二`γ_、 三二―
( ( (/ ノ 愚 民 / ̄ (`ハ´) ,`~ソ 三二―
./ / `ー―――――一'´
|\ ↑領海侵犯
/ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 中国政府はこれまで一度も
| 日本国民に申し訳ないことはしたことがない
\________________
>>530 >なぜか、雲国では、実施されなかった。
当時、雲国の右府亜判(ウッフンアッハン)※1だった鐸魯侯 董棟が大反対したんだから。
董棟は雲国屈指の治水・農業の専門家で、
弟※の2摂砥侯 伊那樟、商王 兎と供に兎王・鐸魯・摂砥侯と並び称される程の、その治水の専門家としての見識を雲項はとても信頼していた。
その為に治水・農政・土木を司っていた右府亜判に任じられたんだよ。その董棟が中心になって反対したら、いくら雲項でも無理自慰はできない。
そもそも雲国は性豪族の連合政権なんだし、増田・別所政策なんか強行したら雲国は空中分解してしまう。
税や屯田がかかわってくるから、右府亜判の権限が減らされるという位空・位耶庵への縄張り意識もあっただろうし。
董棟が言った「雲一国のみに閉じこもるなら、二人以上の集団でないと出来なかった屯田を一人でも出来るようにしても良い。
しかし、中華千年の計を思えば返って人口が減じ国力を落とす。」は後世から見れば正しかったことになる。
※1佐府亜判は伊那樟の死と供に廃止され、右府亜判に一本化されたが名称の変更はなかった。
※2董棟と伊那樟は精子では森村の妾腹の子であるとされているが、艶義では義兄弟となっている。
584 :
内政マニア:2005/08/18(木) 09:40:34
>>583 なるほど。勉強になった。あの董棟の影響か。
董棟もまた、雲国の性豪族の一人で、
その性豪族を雲国では「地(ぢ)」と呼ばれ(地域を基盤にしていた豪族だったことからこう呼ばれる)
雲国の政治に強力な痛みを生じさせていたという。
特に有名な「地」は、董棟らの名士を多く排出した「吉礼地(きれぢ)」、雲項の外戚にあたる「異母地(いぼぢ)」で、
雲国の政治に大きな痛みと影響を及ぼした。
後に云虎(
>>167)の改革の一つ、「官朝(かんちょう)政の導入」も、
法の整備というよりは「地」の政治介入を阻止するための措置だったに違いない。
「官朝の導入は我が国の改革の一の軸である」との言葉から「一軸官朝(いちじくかんちょう)制度」とも呼ばれるが、
それだけ雲国における「地」問題は、根が深かったといえる。
しかし、云虎の早すぎる死や、不自然にも次々病死していく雲の宰相達の事を考えると、
やはり「地」が裏で手を引き、暗殺や謀殺などがあったのかもしれない。
まったく恐ろしい。
>>584 恐ろしいのはネタ職人としての貴殿の実力だよ・・・・・・
っていうか、最近の三戦板が無双と糞コテで荒れている中で、
一瞬このスレがすごくまともな議論をしているような錯覚に
陥ったよ・・・w
陳国の将軍でありながら満国に降って、
その後斜陽の満国を支えた勃起の兵法書「呉氏誤詞誌故四股」
勃起護謨以性器見満満黄
満黄曰寡婦好不倫旅之事
勃起、護謨し、性器をもって満の満黄に見ゆ。満黄曰く、「寡婦は不倫の旅の事を好む」。
587 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/22(月) 12:00:24
あんまり話題にならないが武器防具についても語るべ。
ぱっと思いつくのは、この時代の標準装備のこん棒だな。封神演義じゃないけど、ある程度自由に大きさが変えられたという。
あと、陳歩の精鋭が使っていたという「三節屈手刀(さんせつくっしゅとう・節屈手刀=せっくしゅとうの表記が一般的)」
は、鉄器が貴重な時代に切れ味抜群だったとか。
あと、不江羅血王(
>>104)が使っていた「鉄膣冷骨陀」とか、なんだかよく分からない武器だが、鋼の万子(一万人を相手にする)と呼ばれていたという出来だ。
万黄は初陣で大敗した後使用したという「鰻棒」。これは矛先がウナギに似ていたことから名づけられた。「ヤリ鰻(やりまん)」の呼び名のほうが一般的か。
それから防具で言うと、この時代は金属器が一般的でないので、皮をなめした鎧が一般的。
中でも道貞の防具は、頭まで皮鎧をすっぽり被せる代物だったとか。後に邦刑(
>>100)らの軍の標準装備になるが、
陳歩は道貞の死以後、この鎧を着けなかったという。「泣いて陳歩の皮を剥く」のエピソードが何か関連しているのだろうか。
武器といえば
陳国の陳歩愛用の武器、媒武(ばいぶ)と呼ばれる棒状の武器がある。
ぐりぐりえぐる様にして突く武器で満国の将兵を多く討ちとり、悲鳴をあげて息絶える者が続出したことから
満国に仇なす武器として恐れられたとなっている。
武器なら杵太棍(しょたこん)は外せないだろう。当時の少年兵がよく用いていた武器で
子供でも簡単に扱えるシロモノだったとか
物資の移動手段は三角木馬という一輪車が使われたようだな。
地形の険しいところも楽々、馬のように馬草も使わないため重宝したらしい。
おめーら笑い死にさせるつもりかよw
まぁ、陳国史の時代にはそんな複雑な武器はまだなかったんだけどな。
実際にあった最新の武器と言えば上空に向かって大きく反った太い矢筒から、矢をドビュドビュと放つ弩超あたりか。
さすがに封茎演義に出てくる呂李坤(ロリコン)みたいな荒唐無稽な武器はないが小説の影響力はこわいな。
ちょっと前に連載されてたSWEET陳国志、好きだったなぁ。
雲一族のキャラデザイン、髪型がみんな渦巻きで
「おいおい片チン、まんまじゃねえかw」って思った。
茂模(もも) 満国の将軍。字は大根。
若い頃の陳歩を、巧みな計略で翻弄した将。
偽装が得意で、満黄の影武者的役割を果たす。
陳歩はしばしば、茂模を満黄と勘違いし、
突撃して轟沈したことがあったという。
茂模のこの作戦は「素股の計」と名付けられ、
孫子の兵法書「虚実篇」にも逸話として取り上げられている。
ただし、魏武注によると、
「偽物でも、安心と満足が得られれば良いのではないだろうか」
と書かれている。
595 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/31(水) 21:17:40
おもろいage
>>592 封茎演義って太硬棒が出てくるやつだっけ?
それそれ。太硬棒が淫王朝を滅ぼして易性革命を起こした話を元に書かれた活劇。
ライバルの満硬豹の性交鞭など、こうとう剥けいな宝貝(あわび)と呼ばれる武器が多数登場する。
598 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/09(金) 21:11:20
肛門の会はどの作品だったかな?
「項眉(こうび)と蒙邦(もうほう)」。
肛門の会は姦文の授業でもやったね。項眉が蒙邦を誘い出して殺そうとしたけど
失敗したやつ。
>姦文の授業
受けてみたいw
厨国大陸の歴史
淫→臭→淫獣戦国時代→珍(恥垢帝建国)→前姦(蒙邦建国)→陰新→後姦(前魏?)
→陳、雲、満三国時代(陳国志)→陰晋→恵素恵無朝時代→隋割賦(ずいかっぷ)→亀唐→挿→便→
艶→陰清→厨華淫国→厨華淫民共和国
適当でスマソ・・・
いいんだが陳国志は中国の夏王朝の前の話なんで(
>>252)
漏れは601を支持したい。
夏王朝以降に殷と淫に分かれ、最終的に中華人民共和国と厨華淫民共和国
になったんじゃなかったっけ?
どうでもいいがおまいらが好きだ
陳歩の読み方は「ちんぷ」が正しいんだからな。間違えるなよ。
「かこうじゅん」が許されるのだから
「ちんぷ」じゃなくてもよいのでは…?
陳歩=ちんぽ or ちんぷ
万黄=まんこう or ばんこう
薫仁=くんに or くんじん
俺の場合はいずれも前者の読み方だな。
「横穴陳国志」が前者の読み方してるから、
こっちの読みが多数派じゃね?
俺も陳国志は横陳から入ったからな。
>>599 「蒙邦と項眉」って恥馬遼太郎が小説にしてたよね。
あれは傑作だったなぁ。
股裂竜作 封茎演義
週間少年ジャンキーに連載されていた、阿呆務の小説を原作にした漫画。絵柄のせいか
女性受けが良いため多数の矢追族の末裔がこの本を購入。現在、完全版が発行されている。
厨王の妃、勃己(ぼっき)のキャラが良い。ただ、股裂オリジナル色が強すぎるのが難。
横穴光輝作 淫臭伝説
こっちは厨国でのオリジナル原作を基に御大が描いたもの。純粋に封茎演義を楽しみたいのなら
こっちがお薦め。無論、原作に忠実。漏れはリアルで現在収集中。
PSゲーム封茎演義
エンコーが発売したシミュレーションゲーム。股裂版封茎演義の影響がありありと出ている(太硬棒
が少年だったり)。続編は何故かアクションゲームに。
611 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/16(金) 14:48:23
日本から陳歩に援軍にきた加藤鷹は1万人斬りをしたとかいう伝説があるぞ!
>>609 おれ、項眉に「宇父(うほ)」と呼ばれていたほどの笵増が
項眉をこっぴどく振るシーンでいつも泣いちゃうよ。
>>612 俺は項眉が最後、敵方の同郷の奴に手柄として自分の
陰茎を自ら切るシーンは感動だなぁ。
その後、他の兵士達と陰茎を奪い合って、項眉の体が跡形も無く消え去るところで
いつも泣いちゃうよ。
馬魏納(ヴァギナ)
陳記にはやや後期の陳歩軍の名簿に初めて名がでてくるため古参の将ではないと伺える。
しかし陳記に初めて名がでた時には伍長クラスの兵であったがわずか五年後には朕性将軍に出世している異例の奇才児だったと伝わる。
さらに独自の兵法の書を作成し後年、日本に伝わり戦国時代では太原雪斎、伊達政宗、上杉謙信、北条氏康、徳川家康、織田信長、毛利元就、島津義弘などが愛読していた
書には「朕朕勇み立っては萬満逃すものなり」など大変ためになることが書かれている
615 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/18(日) 04:09:30
李女鞍(イメクラ)
風族の族内での実力者、最強の部族とうたわれる風族であるが、所領である歌舞伎町県に満国が侵攻。歌舞伎町浄化作戦と銘をうつ、この電撃作戦に風族は痛手を受けた。李女鞍も多数の一門を失いながらも奮闘し、敵である満国の将にも絶賛された。
陳国史study
倭国の汚弥呼の直系子孫はかの高橋がなり である
616 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/18(日) 04:22:16
品詐炉(ピンサロ)
風族の族内での実力者、最強の部族とうたわれる風族であるが、所領である歌舞伎町県に満国が侵攻。歌舞伎町浄化作戦と銘をうつ、この電撃作戦に風族は痛手を受けた。
品詐炉はこの戦いで股間に深手を負い再起不能となっているところへ、満国の騎乗位兵が巨根大太刀で一閃。
あえなく品詐炉は満国兵に浄化されたと記されてる
617 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/18(日) 04:34:46
緒牌波歩(おぱいパブ)
風族の族内での族長、最強の部族とうたわれる風族であるが、所領である歌舞伎町県に満国が侵攻。歌舞伎町浄化作戦と銘をうつ、この電撃作戦に風族は痛手を受けた。
緒牌波歩は始め満国に対し伏兵作戦で見つからないように隠れていたが、浄化作戦に参加した満国兵に見破られてしまい多くの仲間を失う。
満国には風族ジャーナリストなる隠密組織がいて常に風族の様子を満国に報告しているのだ、それをしらない緒牌波歩の策は尽く看破、まんまと手玉にとられ歌舞伎町県を危機にさらしてしまう事になる。
おい!もまえら!
羞恥社の週間中年ジャップ
の今週のラインナップだ!よくみれ
巻頭カラー特大120ページ
北の零年〜めざせ祖国統一〜
毒苺100%
怒THE右衛門
:
:
新連載スタート!注目の歴史大作
陳 国 史
陳国史が連載されたぞ、作画は陳・F・画太郎だ。みんな本屋にいそげ!
>>618 キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!
万黄が実は女ってのと菊門が美形の青年
ってのはカンベンなw
620 :
547:2005/09/19(月) 15:02:53
陳、満の戦いを見ると、圧倒的に陳軍の勝利が多いが、満国を倒すまでに至らない事にお気づきでしょうか。
それは当時の戦いが、自国の領民にとって安全な範囲「安囲(あい)」の確立と、その確認のために行われたものだからと言う説が有力です。
当時「政のめばえ」が生じたばかりの拙い政治力しかなかった厨華民族は、
巨大な範囲の領土を持つことが出来ず、したがって小さいけれど安全な範囲の確定こそ為政者に求められていたから、とのことです。
したがって、陳、満、雲の戦争も、「安囲(あい)」を得、確認し、より確実にするために、
自国の領土を侵したり、逆に犯されたりという行為を繰り返しながら、お互いの傷つけないよう「安囲(あい)」を確認していたのでしょう。
したがってその戦いは、現代で言う「プロレスごっこ」のようなモノだったと推測できます。
621 :
547:2005/09/19(月) 15:04:58
しかし、↑はあまりにも美談すぎます。実は、もう一つ彼らを戦いに駆り立てたものがあります。
それは前魏末期・居怜帝(いれてい・
>>175)時代に現れた悪臣・袁如 公才(
>>31)による「買官(かいかん)制度」の確立による覇権争いです。
前魏末期、破綻した財政を立て直すため、官位を金で買う事にした制度で、これにより当時宮中にはびこっていた三徐寺(徐子仲・徐士公・徐史大……ジョシチュウ・ジョシコウ・ジョシダイ・
>>207・※)
らと袁如が結託し、群雄に「官位を買わないか」と持ちかけるなど、前魏の政治は大混乱に陥りました。
群雄は「買官(かいかん)」の資格を得るため、必死になって戦い、彼らにピーアールして「買官(かいかん)」を得るために闘った。しかし、本気で勝ってしまったら次に闘う相手が居なくなってしまうので、
結果的に、同意の上で、双方に「買官(かいかん)」が得られるように、勝ったり負けたりを繰り返していたという事です。
これもまあ、現代で言う「プロレスごっこ」のようなモノだったと推測できます。
現に、瀬宮州の戦いにおいて、官位の最上位である騎上位大将軍となった陳歩の次の戦いが、
あの悪名高い「令布の戦い」(
>>124あたり)であり、そこでの残虐さは精子記述の通りです。
もう「買官(かいかん)」が望めなくなった瞬間、相手の全てを奪いつくしてしまう陳歩の残虐さが、この戦いに出ていると思います。
まあ、陳歩もまた、名誉欲に弱い一人の人間という事ですね。
※:207では後の時代の人物とされているが、「下通鑑」には三人の記述と袁如の関係性が記されている。
これよると、袁如は徐士公と深い関係があるそうだ。
622 :
547:2005/09/19(月) 15:16:54
ちなみに、前魏の魯出(
>>175)が騎上位大将軍を陳歩に買いとられ配流された際、
名誉欲に狂った陳歩が覇権を握ったことについて
「もはや本国は蛮地と変わらぬ」との発言。
そのため、瀬宮州前後の前魏末期の混乱期を「本蛮(ほんばん)」と呼んで
区別する歴史家もいる。陳国時代の殆どは前魏時代と言っても過言ではない。
ちなみに「本蛮」の終わりの解釈は、各歴史家によって様々で、
一般には「舎制(しゃせい)するまで」「満族(まんぞく)が現れるまで」「疲れて寝るまで」と言われているが、
陳国時代の英武威(えいぶい)は「顔にかけるまで」となんだか良く分からない事を言っている。
一番ユニークなのが、日本を代表する芸人・ヒトシ=マツモトがバラエティ番組内で
「タクシーで家まで送っていってあげるまで」というギャグを披露していた。
深すぎて、よくわからない。
みなさんは、陳国時代の「本蛮」はいつまでだと思われますか?
623 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 15:18:41
何この良スレ
まとめサイトほしいな。
>>547氏は確か学生さんだったな。現在厨国では陳国志の研究盛んだから
興味があれば留学してみたら?特に南府京(なぷきん)大学がお薦め。
そこの綿子(めんす)教授が陳国志について多くの論文出してるし。
626 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/20(火) 21:23:31
南府京大学って、女子大じゃなかったっけ?
>>619 大変だぞ!陳・F・画太郎のやつ、めんどくさがって1話目で方針転換したぞー次回からは満国史だそうだ…
628 :
619:2005/09/20(火) 22:48:36
>>627 読んだよ・・・orz
万黄が萌えキャラって心配したとおりじゃねーかYO!
もういいよ。蒼天行為読み直して慰みにしてるとこだよ・・・
>>626 いや、ググったら共学だたよ。ただ、
>>625も間違ってる。
綿子教授は今、丹本大学にいる。で、丹本大は女子大。
629 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/20(火) 23:00:14
まだ元気に続いてたのかW
信じられんW
磨きがかかってるしW
監禁城
満国の北朝という地にある要塞。
城主は金家の、日成、正日、正哲、正男と受け継がれた。この城は日成が一代で築いた名城である。
拉致関、手歩呑関、野呑関の大きな3つの堅い関が13回に及ぶ陳歩軍の北部満国大征伐軍(満征)を阻止してきた。そして戦うたびに多くの捕虜を生け取りにし、監禁したためこの名がついた。
監禁城は金家の滅亡とともに陳領地に組み込まれ、以降は陳家の臣である失湖(しっこ)が代々受け継ぐ
金家滅亡と失湖
金家の滅亡は正日の跡取り問題で長男の正男が次男の正哲に家督を奪われたことに始まる。
正男は昔から遊びにほうけており、敵国であるにも関わらず美しいと評判の新出麗羅 城に単身見物に行き捕まり、諸国に天下第一のうつけ者と評判、それに反し正哲は品行方正で優秀なため正男は退けられた。
根にもった正男は数年後、酒に酔った正哲を暗殺し強引に城主につく。これに万黄はおどろく
が喜んだのは陳歩であった、すぐに失湖に大軍を与え監禁城をせめた、お家騒動による混乱と人心掌握のできてない情勢、能力のない大将、そしてなにより失湖のおどろくべき行軍速度により天下の名城と云われ恐れられた監禁城はわずか2日あまりであっけなく落ちたのである。
失湖軍は自慢の機動部隊の黄尿隊と決死の覚悟で死をも怖れね猛者精鋭集団の赤尿隊が多大なる戦果をあげている
糖尿隊もいたよね
おれもゲームの陳国志ではいつも重用させてもらってるよ。
息子の失禁も強いな、でも敗走させられると失禁しながら逃げるから仲間の信頼と配下の忠誠下がるんだよな〜
>>633あー糖尿隊はゲームだと扱いが難しいよね
それから失禁には犯゚波゚阿酢を与えておけば失禁しても信頼も忠誠も下がらないから安心して
>>634 おぉーホントだ!忠誠下がらねえ
ありがd
636 :
陳健一:2005/09/21(水) 01:59:40
さて、監禁城などについてstudyは完璧だね。今夜は特別にもうひとつ、お話しをしようか……
陳国志には数ある戦術があるが中でも最強のものが
>>468でも出た嶺頭が創作した「毘゚須問かかりの陣」である。陳歩の軍学の師である背貢須が敗れた戦い(
>>468参照)で使われた。物凄い速さで前後の隊が交代に突撃し、敵陣を崩す戦法である。
のちに戦国時代の日本で上杉謙信が「車がかりの陣」を考案した時にベースとした陣形である
637 :
陳健一:2005/09/21(水) 02:07:32
詳細は陳国志の「背貢須、羊水川合戦にて男を失す」の回をみよう
638 :
陳健一:2005/09/21(水) 02:08:41
639 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/21(水) 16:31:18
陳歩の直系子孫キタ━━━━━━━!
こないだ監禁城跡地に観光に行ってきました。いや〜、捕虜にされた人々の怨念がひしひしと感じられたなぁ・・・
隣接する博物館には失湖が金正男を処刑した直後を描いた絵画があり、正男の首に糞尿をかける幼少の頃の
失禁の姿に不覚にも笑ってしまいました。
現地の人の話では、城跡地は陰毛沢東が始めたエロレタリア文化大革命のせいで一度破壊され、後にケ小便の
手によって復旧したとのことです。
641 :
陳健一:2005/09/22(木) 04:37:49
はい今夜のstudyです。
陰毛沢東はエロレタリアの文化大革命の指導者でありますが、同時に性治文化人でもあります、彼は処淫造りなどの性をイメージした造りの部屋を造り。
意志を受け継いだ二代目である陰毛沢山により各地に普及しました。
のちに日本にも伝わり、二人の親子により伝わったことから父と子の名前から一字とり「東山文化」と呼ばれて今日にも京都の銀閣寺にその文化を見ることができる。
いやあ古代のロマンが思わぬところで見られるんですね、
では今夜の勉強はこれまでにしようかな。つづきはまた…
642 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/22(木) 13:14:26
許勢(きょせい)
許昆の一族。宦官。生まれつき金玉が無く、宦官として一生涯を終える。
643 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/22(木) 13:33:58
万幾(マンイク)の家系で万緒(マンチョ)なんてのもいたな たしか
644 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/22(木) 13:48:54
黄満(こうまん)
万黄の側近。
↑何このスレッドストッパー
明日から江炉漫画島にある陳歩廟に観光に行ってきます。上司への土産に珍味「烏賊草」を
買っていこうと思うのですが、皆さんの意見を伺いたいです。
>>646 陳歩廟には、陳歩が描いた有名な鱒の書画が所蔵されているよ。
ただ、公開時期があるから、タイミング合うといいね。
漏れは運よく見れたんだけど、陳歩が宿敵万黄を想いながら描いた鱒は、
すごい迫力で感動したよ。
で、上司に買っていくなら鱒の書画の絵葉書が、気が利いていると思うな。
あ、でも、烏賊草ってどんな味がレポ汁。俺は食いそびれたんだw
648 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/23(金) 19:48:56
御万緒
>>630 なんだその金家の名は。精子読めよ、金家といったら「玉」だろ。なんだ新でずに園て。演戯にもないし。どうせ『一気昇天』から得た知識だろ?
まったく最近の陳戦ファンはこれだから困る。もっとよく精子を読んで勉強しろというのだ。
精子厨は痛いよなぁ・・・
651 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/25(日) 00:10:56
なんかなぁ…せっかく息を吹き返したとこだったのに。
652 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/25(日) 00:24:34
陳健一いらね
653 :
陳健一:2005/09/25(日) 00:31:11
いや一級資料に指定されとる「江炉本書記」や「没記」「陳古記」に金家についてよく書かれているよ
。陳国志や満国志では三国志と違い信頼できる資料が実に豊富にあるから奥が深い。精子だけでなくその辺の資料もみてみなさい。まあだけど精子陳国志と違い、探すのは大変だよ。
金玉は金家唯一の生き残りで監禁城おちた時は人質として満国本城に居た。
のちの大活躍と凄まじい生きざまはいうまでもない事だがな。
ちなみに金正男がつかまったシンデレラ城祉のまわりには今、シンデレラ城址を囲うかのようにテーマパークが出来ているよ。
シンデレラ城址の前に金正男が捕まって罵られてる銅像があるから見てきなよ。
>>652そうか?個人的には勉強になるがな。
ところで私は初心なもので良くわかりませんが今までのカキコに出た陳家、満家の将で各部門、個人武力、軍事統率力、政治、外交、総合、の各五部門で優れた将のベストファイブはだれですか?
やっぱ政治なら許昆が挙げられるだろな
許昆は、九根官人法がやっぱり凄いよね
ちんぽの大きさで官僚を最高一根官から、最低九根官までの9等に分類するってのは、オドロキだ。
ちんぽ至上主義の最たるものだと、史書を読むたび許昆の人物眼に感心するよ。
同時に郡ごとに射精官(しゃせいかん)と呼ばれる役職を任命して、
管内の人物を見極めさせて一珍から九珍までに評価する。
やっぱり、自己申告だと、ちょっと大きめに言うもんな。
(この人物への評価を珍品と呼ぶ)
後に射精官は恥馬慰によって、州にも置かれるようになり(州大珍正)、
これが後に述べる貴族層による支配を更に強固なものとしていく。
恥馬慰って言ったら、諸葛亮の女装プレイにも嬉々として応えた傑物だ。
ちんぽだけじゃなく、器量も大きなやつだったんだろう。
657 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/25(日) 08:39:16
あと、廃班置漢(ぱいぱん・ちかん)も忘れるな
それまで大小無数の「班」に分かれていた大陸に、
新たに「漢」という土地制度を設けたのも、許毘だった。
これにより、それまで不毛だった大地にも、置漢が刺激となって、
剛々とした草木が生えるようになり、多毛作が可能になったそうだ。
658 :
646:2005/09/25(日) 21:35:12
江炉漫画島観光から帰ってきました。幸いにも陳歩廟で鱒の書画が見られましたよ。
いや〜ビクンビクンと今にも動き出しそうで躍動感溢れてましたね。647さんの言うとおり
絵葉書を購入しました。陳歩の雅号、「極太」と力強い書体着きのものです。
さて、烏賊草ですが青色の缶詰、通称青缶に入ってるのを買ってみました。これ、世界で最も臭い
食べ物と言われているんですね・・・青缶に「公共の場所で開けないでください」って注意書きして
あるし、現地では違反者に対して罰金を取られるようです・・・好奇心で買ってみたものの未だに
怖くて開けられません。そのうち勇気を出して食べてみようと思います・・・
659 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/26(月) 13:30:29
関巻(かんがん)字は無ト(むぎょく)。
宦官。幼少の時に自宮して金玉が無い。
字はここから由来する。
陳歩の側近。戦争の知識に優れ、万黄軍の策略を破る。
陳歩伝を読んでいると
時々陳歩が関巻を恐れているような描写があるのはなぜなんだろう。
関巻と陳歩がケンカした時のエピソードで
「関巻が剣を握ると、切り落とされるのではないかと思った」と言ってるし。
そんなに腕の立つ奴だったんだろうか?
661 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/27(火) 01:03:15
>>649 >>652 おまいらの言ってることは正しい。
「陳古記」の別本「陳古左氏伝」によると、
金日成→金日精
金正日→金玉日
金正男→金玉男
金正哲→金玉鉄
と書かれている。
ちなみに、この書には関巻にいての記述が散見されるが、節姦
(せっかん)という字が当てられており、学説上の対立がある。
ちなみに、陳歩が彼に恐れをなしたのは、彼の腕が立つからではない。
なぜなら、万黄軍との戦いにて彼が敵に手痛い攻めと挑発を受けたときに
「私には、突きまくって攻めかえすべき精力がない」と号泣したエピソード
があるからだ。
陳歩が彼を恐れたのは、その名の響きが嗜虐的な薫りを醸していると陳歩が
無意識に感じていたからだとされている。
そして陳歩が「お前、実は腕が立つのではないか」と問い詰めるたび、彼は
「いえ、私は立てて誇るようなモノも力も持ち併せておりませぬ」ときっぱり
言い放ったということだ。
662 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/27(火) 23:06:46
ト金(ぎょくきん)字は高巌(こうがん)。
西倉(せいそう)の名家、ト氏の家に生まれる。
兄弟にト右 奉殿(ぎょくう・ほうでん)、ト左 寅能(ぎょくさ・いんのう)が
いる。父はト宝 子種(ぎょくほう・ししゅ)。
許陳(きょちん)字は太摩(たいま)。
許昆の一族。
保守
664 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/28(水) 03:38:54
満家の満万は?
名言があるよね、陳家の陳珍は満万が世の中で一番というくらい憎くて満万を戦場でばったりみつけたある日、あまりの怒りにオーラで陳珍が大きく見えたことから。
憎い相手と対する時、人は通常より力を発揮するということわざで
『まんまんみてちんちんおっき』
という言葉が生まれた
>>664 あの言葉にそんな意味があったとはねぇ
そう言えば知り合いと陳国志の話してたら「おまえ戯志安知らねーの? にわかファンうぜーw」とか言われた。
調べたんだけどわかんなくてさ、誰か教えてえろいw人
>>664 不覚にもワロタw すごいな。『まんまんみてちんちんおっき』
かよ。w
m9(´゚д゚`)まんまんみてちんちんおっき
自慰子
陳の武将。若いころは猛将として鳴らし、老いてからは軍略家として大軍を勝利へ導いた。
ただ専門家からは「運が良かっただけ」などと批判されているようだ。
配下に有真土、中田氏などがいる。
晩年、兵法書「自慰子策画」を出版するも、あたりまえの内容しか書いておらずすぐに値崩れした。
自慰子は胡人という説もあるね。
ところで「まんまんみて〜」の故事は、やっぱりあの遼来来の元ネタでもあるんだろうか?
あのあたりの地方では、子供があんまりエロ&馬鹿な質問をすると
親が「珍勃勃!(ちんちんおっきっきするよ!)」とおどかすんだそうだ。
うちのゼミに来ている留学生も、子供の頃マジで怖かったそうだよ。
670 :
547:2005/09/30(金) 11:35:57
>>661 一応大学では、別本の『陳古左氏伝』の方をメイン資料にしています。
『陳古記』の方がもちろん歴史が古いのですが、
「古記(コキ)すぎてイキ過ぎた記述がある」との批評があるからです。
おそらく当時の社会情勢にあわない記述を書くために、そのような事になったのだと考えられます。
>>625 一度その南府京(なぷきん)大の綿子(めんす)教授が、法経(ほうけい)大学でゲストスピーカーで呼ばれたとき授業をモグりに行きました。
大半は厨語のため分かりませんでしたが、確かに言ってましたね「まんまんみてちんちんおっき!(満見見珍勃勃!・マンケンケンチンボッボッ!)」
その部分だけは確かに聞き取りました。
むこうでは今、前魏を実質崩壊に追い込んだ斉苗の再評価が進んでいますね。
また、日本では万黄の人気が高いのですが、向こうではそれほどでもなく、寧ろやや蔑ろにされているような印象を受けました。
あと、時系列の問題ですが、まだ陳国時代をどの時代に区分するのかで喧喧諤諤の模様。
中には、
「陳国志など誰かの妄想に過ぎぬ」とまで発言する人もおり、
「妄想で抜くなんて、レベルが高いにも程がある」と、独自の論理展開を繰り広げていらっしゃいました。
>>670 文献資料とわずかな物的証拠しか無いからね>陳国時代
炭素測定法でも何故か年代特定不可なんだとか。
672 :
佐倉広夢ハアハア ◆IENTwyoWGs :2005/10/01(土) 22:56:38
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.\__ _ ノ .ノノ イヽ
` 7 ヽ // / ノ ノ 人
) >> ./ !
/ \ .i | .ノ i
./ (.( .i
【佐倉広夢】
「そんなに僕のおちんちん、舐めたいの?しかたないなぁ」
673 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/02(日) 19:47:51
綿子教授って陳国志精子の原本を発見したことで有名なんだよな。
発見の瞬間、「どう見ても精子です。本当にありがとうございました」と言って
感極まって泣き出したらしい。
677 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 01:56:29
陳国志
陳…陳歩
満…満黄
粗…粗陳
精…精蜀季
脱…脱痴賄婦(南蛮)
倭…汚弥呼
殷…殷猛
黄…黄厳
宗…宗布
芸…強芸
これだけの精力がひしめきあってたけどみんなやっぱ陳派ですか?
今 道無(こん どうむ)
名は不詳。
当時の名鍛冶屋と言われ、今道無式具足などの名武器を作り、おもに陳家の者が愛用した。
それにちなみ今では陰茎につけるゴムのことをコンドームに言うという。
初めて買いたがセンスナスw
679 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 13:10:38
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【佐倉広夢】
「そんなに僕のおちんちん、舐めたいの?しかたないなぁ」
680 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 15:38:21
>>680 皮カブってるよ。ゴムネタはもうみんなオカズにしまくってるから、ほかのネタにしようや。
681 :
680:2005/10/05(水) 15:40:21
武 豊
馬がとても好き。
>>677 雲は?同じ名前の武将を使ってるのもいただけんな
吉 田豊
とっても木刀が好き
685 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/06(木) 04:38:38
>>677 「古記(コキ)すぎてイキ過ぎた記述」だらけの「陳古記」を典拠にしちゃいかんよ。
満黄は正しくは万黄。「まんまんみてちんちんおっき」の股事性語(こじせいご)
で有名な満万
>>664の「満家(訛り読みで「まんげ」と読むという説もある)」と万黄の「
万家」を混同した記述は散見される。この混乱状況をさして、現代の厨国の歴史学者の
綿子教授は「まんこうでいろんな精子まじってぐっちゃぐっちゃ」と表現している。
「粗陳」は南蛮王伊魔羅血王を裏切った「蘇鎮」
>>80。「粗」の字は、蘇氏の本拠地が
「湿気が多くてカスがたまりやすく、生えているモノが粗末な土地」という意味で
「粗鎮」と呼ばれていたことから用いられるようになった俗用の字だ。ちなみに、
この湿地帯は、かの陳邦敬
>>13が南蛮夷平定戦
>>205の後にこの地方を押さえてから
徐々に灌漑が進んで運河が開かれた結果、水はけがよくなり、巨大な根を張った木が
育つまでに見違えたという。これをさして、「陳古記」の史家は
「邦敬立って粗鎮からカワひかれ 巨根成って天をも突き刺す」と記した。
まさにこれも、イキ過ぎた記述だのだが。
>>685 あんた、最高www
スレの流れで積み上げられた設定を尊重して進めるのが
このスレの醍醐味だよね。
687 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/07(金) 00:48:32
手形・小切手法
略して「テコキ法」とも呼ばれた手形と小切手に関する法律
安易に訓読みを使うネタはご遠慮願います。
「陳歩」スレの面汚しです。
この間、厨国で最古の文字が発見されたらしいな。恍惚文字の一種かな?
690 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/07(金) 12:35:03
>>689 恐らく、「最古の恍惚文字発見」という報道は誤報だろう。綿子教授の見立てでは、発見された文字の字体は古い雅風隷書の
「恍惚雅満詞体」(こうこつがまんしたい)ではなく、「恍惚文字々々詞体(こうこつもじもじしたい)」の主流で「陳古左氏伝」
>>661においても常用体として用いられている「恍惚簡字体」(こうこつかんじたい)の方に分類されるようだ。内容にしても、
「後威零帝(ご いれてい)」
>>13が退位(たいい)の儀の形になぜかこだわったという有名な説話が記されているだけだった。
691 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/07(金) 14:04:40
司惟(じい)を忘れていませんかな?
>>691 司惟?誰ですかそれは?
(思いつきで名前だけ書くのはマナー違反。スレの流れ読んで、設定も書いてくれ)
693 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/07(金) 15:46:19
>>688、
>>691 途中参加の横陳厨にマジレスしてじっくり調教するのもいいが、そうするならせめてググってあげようや。
精子厨によるものと思われる書き込みの基本は「陳古記」
>>653、
>>670か「裟世湖伝」
>>248あたりのいい加減な情報に拠ってる
に決まってるわけだし。
>>691 またまた「陳古記」に基づくネタか。
もう自慰系の名前は出まくってるから混乱させるな。
とりあえず、綿子教授の著書「童帝期を経て本蛮へ」
>>13、
>>622を読んで用語に慣れなさい
694 :
693:2005/10/07(金) 15:52:45
スマソ、アンカー間違えた。
↑上の方の691は、692でよろしく。
695 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/08(土) 04:11:52
も・お腹いっぱいでつw
【玉京市内で大量の両性具有のミイラ発見・・・沈華社通信】
八日、陳国志を研究している南府京大学文学部史学科の綿子教授のグループは、
玉京市内の廃ビル跡地でおよそニ百体両性具有にミイラ発見を発見した。廃ビルは
元々、陳歩の別荘が建っていたとされている場所に建っており、今回の発掘にあたって
取り壊された。
ミイラ発見以前にも、陳歩が性的奴隷として連れてきた両性具有の子供がいるのではないか、
とする学説が綿子教授によって提唱されていた。その根拠となったのが「陳古記」の一説にある
『歩、双成児を侍らせ是を楽しむ』という記述であった。当初、厨国歴史学会は綿子教授の説に
批判的で、「双生児の誤記ではないか」との見方が大半であった。しかし、今回の発見で綿子教授
の説が一気に有力になることは間違いない。
「『女性のミイラに男性器を縫合しただけじゃないか』という声も聞こえますが、私の見た限りでは
縫合の跡が見られませんでした。今回の発見には自信があります」と綿子教授。今後は、同大学
医学部の月慶教授グループによって、ミイラの染色体調査が行なわれる予定である。
697 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/08(土) 17:36:09
/././,,-,,_
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.ノ .!| | .,- '~~~ _ .| |`./ /ヽ
.! \ .' ,ノ ( .ヽ| V /,,-''~ ̄_)
.>.\) ヽ ` , < ~
,,--┴ ┳.ニ二フハ ヽ _ .` - .、
// y- ,ヽ)).ノ イ .i.>、 ノ .~ ''''''''
/.「 ' --((./.( .i ヽ`-- '\\
/ |\ '~'.、 ハ ! .` --- , _.).)
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./ r'' .! \ ~ ./ ヽ ヽ, _ ノ
././ \ ,, - .ヽ - >~
ノ/ /ノ .ノ ,,--''
( ./ノノ .ノ
.\__ _ ノ .ノノ イヽ
` 7 ヽ // / ノ ノ 人
) >> ./ !
/ \ .i | .ノ i
./ (.( .i
【佐倉広夢】
「うん♪ 邪魔者は退散するのね〜♪」
698 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/08(土) 19:06:12
【佐倉広夢×俺】
「ねぇねぇ、エッチしよ♪」
いつものように広夢が迫ってくる、あ〜これが女だったらなぁ・・・。
「そっそれはさすがに・・・キスするからそれだけは勘弁してくれ〜」
そう言って俺は広夢の唇に口付けをした。
なんか俺、最近は広夢とキスするのに抵抗がなくなってきた、これはまずい
兆候だよな・・・。いくら可愛いからって相手は男子高校生だぞ。
とは思いつつも、俺のアソコはガッチガチになっている。
(広夢〜!可愛すぎるんだよお前は〜!)
最近荒れてるな。sage進行でいこうぜ。
多分「広夢」の先祖は、
婆羅族の反乱分子「夜追族」に端を発するんだろう
外部から進入して、婆羅族王家に取り入ろうとしたものの駆逐され
辺境で暴れた奴らだよ。
>>656 三国時代に活躍した陳羣が、主君である曹丕に「九品官人法」を建議したが、
その名と内容から許昆の「九根官人法」からヒントを得ていることは、
「三国志」ファンの間ではあまりにも有名な話だね。
陳羣は陳歩の子孫だといわれているが、
何代経ても自分の祖先の味方の偉業を大切にしてるとわかると、
一種の感動を覚える。まあ地味っちゃあ地味な事柄だけど。
しかしこのことから、恐らく許昆もまた陳歩と親しい間柄にあったんだろうな。
陳歩は許昆に、しばしば
「俺にお前がいるのは、魚に水があるようなものだ」
と言っていたというしな。
最近は「陳国志体験」が面白いね。
武将カード(陳歩・万黄など)をいじったり、こすって計略を発射したりして戦うんだけど、これがまた良い。
しかしここでも陳や満ばっかり使われてる・・・雲ファンは少ないのだろうか?
「諏夏疾病(すかしっぺい)の計」の諏夏や、「桃小粒」こと項楽(こうらく)など雲の英雄ももっと取り上げてくれよ・・・
陳国志体験、絵師がまたいいよね
岩谷テンホー、ケン月影、ふくしま政美といった
大御所たちが筆をふるっている。
ただなぁ…陳歩の息子キャラたちが
萌え系に描かれているのは不満!
もっとギンギンに描いて欲しかった。
程操(ていそう)
字は不明。班鄭とともに、挙兵以来、万黄の身辺を護衛した豪傑。
陳歩との初対決の時、班鄭が遊軍として展開する、との策を思いついた万黄に、
「班鄭も(護衛に)つけずに陳歩とヤりあうのは無謀でござる。」
と諫言するも聞き入れられなかった。
陳歩が万黄目指して突撃してきた時に、身を挺して万黄を守ろうとするが、あっさり斬られる。
戦いが終わり、負傷して血を流していた万黄は、
「程操を奪われた、あの陳歩に!」
と泣き叫んだといわれる。
横穴光輝陳国志のアニメの主題歌「コキの皮」っていい曲ですね
曹布(そーぷ)
掃除屋。
陳家に仕え、陳家の兵士の具足鎧を洗ったりする仕事についた。
また追加料金を払ったものには、「溜まりし液ださせり」ということをしたという。
これから風呂+風俗の店のことを「ソープランド」といったという。
ふうセンスナッシング
曹布は、洗浄用具を色々発明しているね。
最近出土した凹型の器具「「素家兵椅子」は
具足の下半身部分を隅々まできれいにできるそうだ。
「兵士が家で素に戻るがごとく清浄なるべし」と、陳国志・陳歩伝に付記されている。
甘超(かんちょう)
雲国随一の猛将。
元海賊ということもあり、水上戦を得意とした。特に、敵船の背後にもぐり一突きをくらわせ
沈没させる戦法を得意とした。
当時の雲国民は、甘超の武を称え
「甘超のおかげで(長江の)お通じがイイ!」と言ったとか言わないとか。
痴将 李糞 とともに雲を支えた英雄である。
根同霧城(コンドームジョウ)について、詳しいことがわかりました。
陳歩が鬼董(キトウ)に与えたとされる根同霧城は、巨大な亀の頭の形をした楼閣を、
ドーム状の城壁ですっぽり包んだ難攻不落の城です。
ドームの先端部分には、籠城戦に備えて、雨水を溜めておく、通称「液溜まり」がありました。
この様式は、のちにクンニ派スケベ椅子ラーム帝国を経て、東エローパ帝国に伝播しました。
今日、我々が使う「ドーム」という言葉は、この根同霧城から派生した言葉です。
710 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/12(水) 07:56:53
根同霧城の形に似ているものをドーム状と呼ぶとな
山田君、座布団一枚持ってきて
711 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/12(水) 14:35:43
おまいらええかげんにせーよ、いま
>>318まで纏めたが、名前が出ただけで何をしたのか一切
不明の連中が相当居るぞ。特に陳歩の息子や斉苗の息子とか、美味いポジションの癖に何を
したのか分かって無いとか…もう少し新出の将減らしてくれ、俺が死ぬ。
714 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/13(木) 22:38:04
>>701 アンカー引っ張ってまでググるならもうちっとましなこと買いて
>>713 !!!!!!
まとめネ申
キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!
矛盾しているところもイパーイありますよね・・・
ガンガレ!
>>713 ガンガレ
矛盾点はあなたの判断で適当にさばいてくれてもよいかと思います
後から来て
>>1から読まずに矛盾させる香具師が悪いわけで
司馬ちゃんや陳ちゃんの苦労は如何ほどだったか…へばりかけ。
>>430辺りまでは進んだが、一応言っておくぞ、陳歩は君主じゃなく、陳の国の武将だからな。
なんだか君主と間違っている連中がちらほら…
>>717 もうそんな厨房は無視しちゃってください
あまりに陳歩の設定がコロコロ変わるんで、陳歩だけ先に片付けた。
陳歩(ちんぽorちんぷ) 陳沈の子
金玉帝19年、満性5年に生殖省辺児子県で陳沈の息子として生を受ける(奉桂丹省の出身との説もある)。
幼少の頃から名将道卓に支えられてすくすくと立派な偉丈夫に育った。彼は、幼い頃から支えてくれていた
道卓を 父とも慕っていたという。
雌伏の時は、院歩と仮名を使い、只の道卓の従者して過ごし、その為に満国の諸将から、「道卓の従者は、
天下無双のうつけもの。道卓も趣味が悪いのう。」などと馬鹿にされたりもしたが、陳歩は別段意に介さな
かったと言う。
そうして水面下で力を蓄えていた或る日、陳より、登用の死者がやってくる。一度は断ったものの、使者は
幾度も来て、最後には陳の君主自らが仕官の依頼にやって来る程であった。彼は、その心に感じ入り、
乱世に身を投じる決意を固め、桃尻で陳国の人々と酒を酌み交わす(珍顧の礼、桃尻の宴)。
没記村にて、「今こそ陳歩立つ!」と言って立ち、陳の宿敵、満の軍相手に強気で臨んだ初陣であるが、
敵の計に乗せられ、大敗し。従弟の陳鎮に殿軍を任せて一命を取り止めたものの、名将道卓を失ってしまう。
陳歩は、道卓の死に深く悲しみ、もう二度とこんな愚かしい戦いはしないと決意、泣いて自らの鍛錬に勤め、
その故事は今も「泣いて陳歩の皮を剥く」(成長には痛みが伴うという意)として伝えられている。
その後、陳歩は宮美麗の戦や尿水川の決戦、膣内平定戦等に参戦、特に、尿水川の決戦は陳を併合し
満に対抗せんとする雲の軍勢10万を、陳の主軍が間に合わなかったが為に、陳歩の先鋒隊2万のみで
迎え撃つことを余儀なくされた、陳歩の最初の試練でもあった。敵将は雲の新鋭の良将、良辱であり、序盤は
雲軍が陳軍を押しまくって、ついに山頂まで追い詰められ、水源も断たれてしまった。この時、陳歩は覚悟を
決め、山頂から生きるか死ぬかの逆落としを決行、後の無い陳軍の勢いに良辱軍はズタズタに分断され、
退却を開始する。良辱は、追撃してきた陳歩を渡河の最中に急反転、総攻撃を仕掛けて破らんとしていたが、
陳歩軍のあまりの勢いに渡河中を狙ったにもかかわらず押し負け、全軍総崩れとなった。その時のあまりの
突撃の凄さは亀が甲羅から頭を出すかのごとく「亀頭の勢い」とまで言われた。この戦いの後、陳国は北方
一体の支配権を確立し陳歩は後背位大将軍に任命されるという異例の大出世を遂げることとなる。
こうして、一周りも二周りも成長した陳歩は、後のライバル、初陣に喜び勇んで現れた万黄を突撃で蹴散らし、
敵将程操を切り、万黄にも瀕死の重傷を与えた。戦いが終わり、負傷して血を流していた万黄は、「程操を
奪われた、あの陳歩に!」 と泣き叫んだといわれる。 また、人生最大のライバル斉苗とも巡り合い、幾度かの
激しい戦いの末、結局決着の着かぬまま双方引き上げとなり、お互い相手を強力なライバルとして認識したので
あった。
斉苗との戦いの後、陳にとって眼の上のたんこぶである、満軍の根同霧城を幾度も攻めるが、その度に敗れ、
「素股の計」等にも掛かってしまい、幾多の犠牲を出した。それに苛つき、大兵を起こして揉み潰そうともするが、
従弟の陳鎮に諌められ、陳鎮の提案した策を用いてようやく根同霧城を陥落、さらに、満火素率いる根同霧城
奪還部隊をカントンの地にて殲滅して、膣壁の戦いにおいてあくまでも根同霧城を奪還し、陰歩と満火素の仇を
討たんと大兵を擁して攻め寄せた満軍を雲軍と共に迎撃、諸除易の進言で、満軍をあらかじめ性病持ちの娼婦を
忍び込ませた売春街に誘導し、性病を大発生させて戦う意欲を失わせ、更に雲国の名将美出の策で、味方の将を
宦官として敵の陣に潜入させ(苦肉棒の計)、更に秘密裏に陳軍を満の本陣を取り囲むように配置(輪姦の計)、
そして、激しい嵐のとある晩、この日ばかりは安全日だろうと油断しきった満軍に奇襲を掛けて敗走させたのである。
この戦いは、性病にかかって碌に戦えなかった満軍が、奇襲を受けたと知るや大急ぎで逃げ出したことや、
膣城の守備隊が、守将の欄志の指揮の下、よく耐え、満軍に退却の時間を稼がせた事もあり、あまり被害自体は
大きくならなかったが、兵の悉くを繰り出したのに碌に戦うことも出来なかった満国の威信は地に落ち、以後満の
衰退が始まるのである。
根同霧城を制圧し、満の脅威がすっかり弱まったことで、陳は再び斉との対立を深める。そして、陳歩は再び斉苗と
合間見えることとなるのだが、その戦いは正に一進一退で、陳歩自身も郁々の戦いにおいて斉苗配下の軍師、兪備曼の
「二穴攻めの計」に掛けられ、多くの兵を失い、思わず「我、未だ彼に敵わず。」と長嘆を漏らしたことすらあった(郁々
(イクイク)の嘆)。
ところが、斉苗の一族は戦いのさなか病にかかり、あっけなく死んでしまう。その知らせを聞いた陳歩は、まるで
身内の死の様に嘆き悲しんだと伝えられている。激しい戦いの中で、二人の間にはある種友情のような物が芽生えて
いたのかもしれない。あるいは、大いなる目標を失ったことに対する嘆きか。
しかし、時代の流れは陳歩の悲しみに構ってはくれない。満攻めの戦いで、かつての同僚陰歩と戦い、立つ事も
叶わないままの敗走を幾度も経験し、陰歩の軍師、出伊の寝返りによって敵の弱点を知り、出伊の提案した「倍亜具
等の計」を用い、陰歩を破るが、陰歩の最後の突撃の時の表情が忘れられず、いざという時萎えに苦しむ事になる
(勃たぬ陰歩、勃てる陳歩を萎えさせる)。また、この戦いの後、陰歩の援軍として送られてきた嶺頭軍と羊水川で戦う
が、その際に48手の秘技や夜戦の極意など、多くの武芸、軍略を陳歩に授けた先代よりの忠臣の一人、陳歩の懐刀
とまで呼ばれた背貢須を羊水川で嶺頭に負傷させられてしまい、立てなくなった背貢須は、絶望して自らの命を絶って
しまい、陳歩に深い心の傷を負わせてしまった。
こうした数々の悲劇に見舞われ、酷い萎えに苦しんだ陳歩は、それを友人の宦官許昆に相談したが、蔭で二人の
会話を盗み聞きしていた宦官の李昆にこの際の発言が利用され、後に失脚することとなってしまう。
兎も角も、満国の防衛線の一角、満谷関を落とした陳歩は、満に侵攻する足がかりとして、乙女淫道の土地に足を
踏み入れる。ここを落とされると満が危険に晒されると判断した満は、援軍として万黄率いる満の主軍を派遣、
みこすり半にて対峙した。万黄は、かつては陳歩にあっけなく破れたが、今では幾多の戦いを生き残った歴戦の将と
して、陳歩の前に立ちはだかったのである。
このみこすり半の戦いで、菊門の計により、先鋒の将にして、旗揚げ以来の臣、邦刑を失い、自身も危うく淫水の
魚の餌となりかけたが、中軍の薫仁に助けられ窮地を脱し、瀬宮州(せくす)まで引いて陣容を整え、万黄を迎撃、
万黄の旗本四十八騎の一人、驛卞と壮絶な一騎討ちを行い、薫仁の先制攻撃の機会を作り、驛卞が引いて後は
薫仁との息のあった連携攻撃によって満軍を打ち破った。この戦いで、満はその兵力と領土の半分を失い、陳歩は
その大功を称えられて騎上位大将軍の位を授けられた。瀬宮州の戦いは、陳歩の人生最大の見せ場とも言われ、
特に驛卞との一騎討ちは人気も高く、高校の教科書にも載っているほどである。
瀬宮州を落とされ、主軍を失った満に止めを刺すべく、陳歩は満北部最強の要害、、監禁城に軍を進めた。陳歩
は、満の主力を殲滅して意気盛んな陳軍をもって、一気に攻め落とさんと挑んだが、拉致関、手歩呑関、野呑関などの
要害に阻まれ、守将の金家の采配もあり、13回も敗れて多くの兵を捕虜に取られ、監禁されてしまった。陳歩は
悔やんだがどうにもならず、金玉日(金正日とも)の生きている間は、満北部に手を出すことが出来なかったという。
しかし、やがて金家は跡継ぎ問題で内紛を起こす。それに目をつけた陳歩は、すぐに名将失湖に大軍を与え、
監禁城を急襲させる。お家騒動による混乱と人心掌握のできてない情勢、能力の無い大将、失湖の驚くべき行軍速度と
その配下の精鋭、黄尿隊と赤尿隊、糖尿隊の活躍により、ついに天下の名城と云われ、恐れられた監禁城を攻め
落とした。
監禁城を落とされ、北の大地に足を踏み入れられた満には最早抵抗する力は無く、乞遁の戦い、令布の戦い、啓桔の
戦いと陳歩は尿道炎の策を用いて次々に勝利し、否任、満胡襲、諸除幕を次々に討ち取り、狼佗亜、近衛幕団を殲滅、
豪関を陥落させ満の重要な都市の満光まで迫り、満の惰弱な君主、満益を脅して万黄を切らせることに成功する。これら
一連の戦いは、尿道炎や、諸除易らの策を用いて大した被害を受けずに勝利してきたが、陳歩自身はあまり楽しまず、
暗愚な主君に切られた万黄を哀れみ、丁重に葬って、「出来れば満の諸将とは正々堂々と戦いたかった」と語っている。
結局、満は陳の属国みたいなものとなり、無理難題を押し付けられ、数年後それを断ったところ、陳に攻められ、満光に
立て篭もったものの、あっけなく攻め滅ぼされてしまった。
その後、南蛮夷平定戦では、敵陣をすばやく包囲し消耗させる不江羅血王、伊魔羅血王の『吸引の計』に対抗すべく、
蘇鎮に離反を約させ周囲に伏兵を配し、敵が沙亜と言う場所まで進軍してくると、蘇鎮軍と伏兵に岩を投げさせ(岩射)、
敵を一気に打ち破った。有名な『沙亜面埋伏の計』である。
また、陳歩に共同での大陸制覇を申し込み、断られた途端に大軍を送り込んできた遥か西方の大帝国、エローッパ
帝国の軍勢も通封仕益田の要害にて撃退、敵の将軍も生け捕った。屋追を南征して討ち、満腔鎮も幾多の戦いの
末、倭国の援軍などと共に攻め立て、奥地へと追いやる(後、陳歩の死後獲得した領土は殆ど奪還され、以降6代
およそ100年間陳家を悩ませ続けた。)等、戦う戦悉く勝ち、陳歩の行く所平伏さぬ者無く、その名声は遠く西方の
国々までも轟いていたという。
しかし、やがて異民族の三駆駄利・汗の援助をうけた宦官李昆の讒言により失脚、六十九歳のときには江炉漫画島に
流されてしまう。やがて、彼の失脚を知った雲国や満の残党は、陳を猛攻撃、陳歩の息子陳陳もよく戦うが、部下に足を
とられ続けて結局首都玉京の占領を許してしまい、斉濃に遷都し、立て篭もり、斉濃の密林と摩羅山の要害のお蔭で
辛うじて敵を支えていると言う状況に陥ってしまう。
事此処に至って、陳は陳歩の召還を決意、陳歩は無実の罪によって遠ざけられたとはいえ、陳の危機を見るに堪えず、
崩壊寸前の陳軍を率いて奮戦、敵を国境線まで押し返し、首都玉京も奪還、晴れて陳の重臣として返り咲いた陳歩で
あったが、すぐに李昆の讒言により、再び江炉漫画島流されてしまい、失意のままに死去する。享年七十二歳。
彼は、候内舎生に「坐面知るは苦し」の詩を出したり、禅の教養もあった、また、若くして書画に精通し、鱒の絵を特に
好んで描いていたという。雅号は「極太」。陳歩の鱒画の最古の作としては、陳歩9歳の時のものがある(但し真贋論争
中)。いつも暇さえあれば鱒の絵を描いていたらしく、絵画史では古代写生画の代表的人物であり、かなりの教養人だった
らしい。摩羅山を深く信仰し、高僧だったとも言われる。また、基本的に温厚な、色の浅黒く小柄な人物ではあったが、
戦場ではその気迫により、何倍も大きく見えたと言う。名将として名高く、鬼謀百出の策士尿道炎、水魚の交わりの許昆
に戦史に精通した関巻(節姦とも)、能吏の高願らや、務世、出伊らの賢人、万夫不当の豪傑陳宝、絶倫や知勇兼備の
陳鎮、薫仁、昆童夢、邦刑、馬羅と数多の将を使いこなしたが、正翼という猛将だけは思い通りにならず、「正翼を持て
余す」との言葉を漏らしている。
ファッションについては、姿を隠すために頭まで布を被ってたとか、元まで服を上げ、「一歩先の男」を演出した等の話が
残されている。
戦法は、若き時代は陣の硬さを武器に敵陣にねじ込む「男根の陣」を得意とし、老いて後は南蛮夷平定戦に代表される
技巧的な戦い方を得意とした。いずれにしても、敵の弱点を発見し、何回もそこを攻める事によって敵を葬ったらしい。
さらに、48手の秘技という計略を巧みに使い、その凄まじい戦いぶりに、満の領地だった地域では今でも子供が泣くのを
止めるのに「陳歩が来るよ」(歩来来)と言う。
日本に与えた影響も多く、陳歩自身も倭国(日本、輪国とも)の時の女王・於女子(おめこ、汚弥呼や卑目子とも)と
幾度か使者を遣り取りし、於女子の屋敷の裏の、可愛らしい栗鼠の住む栗の木を話を聞き、一目見たいと自身も多数の
贈り物と共に倭に渡って於女子の屋敷を訪ねたりもしたらしい(倭貢)。また、幾度か倭国から援軍が来たこともあるよう
だ。ちなみに、日本では男性生殖器のことを幼児語でチンポと呼ぶが、これは陳歩将軍が愛用していた媒武(ばいぶ)と
呼ばれる槍に由来する。
また、戦国時代に加賀で起きた淫行一揆では、陳歩が淫乱寺にあって説いた教え、「イケば天国、イケねば地獄」 を一揆軍
が唱え、加賀一国を制したという。戦国の大名達も少なからず影響を受けていたらしい。
なお、泡姫とは不義の中で子まで設けていた。更に、側室を多く持ち、倭人の側室、於義の方に出会って「彼女に出会っ
てから人生が変わった」などとも語っており、また、「陳古記」には両性具有の子を身辺に侍らせていたとの記述があり、
そのミイラらしき物が玉京市内で見つかったりもしており、性に関してはかなり奔放で好色な人物であったようだ。英雄でも、
男の性からは逃れられないようである。
江炉漫画島の陳歩廟は観光地として人気が高く、日本からの旅行客も多い。陳歩直筆の鱒の書画が展示されていたり、
珍味「烏賊草」やその缶詰(青色の缶に入っているので、青缶とも呼ばれる)、鱒の絵葉書など、色々な土産物を売る店も
多い。
淫王朝
↓
祖朕戦争
↓
朕王朝
↓
前魏
↓
雲国 陳国 満国
↓
陳王朝
↓
万湖四国時代
↓
炉国
↓
色国
↓
色国 姦国 後陳
↓
後陳王朝
これ以上陳歩の設定ばかりが増え続けると収拾がつかなくなる恐れあり、自重してくれ。
あとな、すまんが、マジでこれだけは言わせてくれ…
後からの時代や性格の大幅改変は頼むから止めてくれ、収拾がつかん。あと、アンカーレス引
くくらいなら、せめて話に組み込む武将の名前で検索くらいかけてくれ…。
GJ
よくやった。あんた、神だよ。
SUGEEEEEEEEEEE!!
GJ!
すげー!宮城谷昌光に小説化してもらいたい!
にしても陳 満 雲って国名だから、
陳歩たちが王様みたいな勘違いがよく起きるのね
最近じゃあ陳歩ってのが陳の国の有力武将だったからって説もあるくらいだしな
本名は韻慧(インケイ)だっていう学説があるぞ
あくまで学説だし、韻慧は学名だっていう事だけどね
>>733 あんた、言いたい事は分からんでもないがせっかく
>>720 がまとめてくれたのにまだ昨日の今日じゃないか。
自重してやれ。
ネタ投下だったら雲国中心に行ってはいかがかな?
いや、雲は地味に満より武将数多いのよ(早死に文官群とか)。
むしろ
陳虎(ちんこ) 陳歩の子、経歴不詳。
陳矛(ちんぼう) 陳歩の子、経歴不詳。
陳夏諏(ちんかしゅ) 陳歩と泡姫との隠し子、経歴不詳。
陳子(ちんこ) 陳歩の一人娘、経歴不詳。
蓬轡(審貰)(ほうけい しんせい) 邦刑の子、 経歴不詳。
関遁(蓬瓊)(かんとん ほうけい) 邦刑夏成の親戚、陳国の名将、経歴不詳。
斉奕 斉苗の子。斉苗に劣らぬ名将であるが、性病で死ぬ。
斉昂 斉苗の子。斉苗に劣らぬ名将であるが、性病で死ぬ。
胤金 刺客、国籍不明。勇将陳宝を暗殺する。
梅旋 金で女を買っていたらしい。国籍経歴不明。
顔謝 将軍、国籍経歴不明。
謝盛 将軍、国籍経歴不明。
陳毛 国籍経歴不明。
朕猛
朕毛の弟で、軍規を乱して処刑された。その際に生まれた名言、「泣いて朕猛の毛を巻き込む」
あまり知られていない。泣いて陳歩の皮を剥くの方が有名だからであろうか。
絶麟(ぜつりん)
陳歩軍随一の猛将。最初に戦場に突っ込んでいき、戦いが終わるまで戦場で戦う精力の持ち主。
馬羅(馬並)(まら うまなみ) 陳歩の親族か配下らしく、名将にして名相だったらしい。でも経歴不詳。
この連中を語ってくれ。でもなるべくなら今まで出てる戦いの中で絡めて、新しい戦いを出さないでな。
>>735 確かに、そいつら出ただけでなんもやってないもんな。
個人的には設定が好きな王南三兄弟とか斉苗の描写なんかと絡めて欲しい
>>734 そういう意味で言ったんじゃなかったんだが、言いたい事伝わらなかったようでスマン
「陳国の君主と勘違いしている奴が多い」って事でああいう事を言っただけだ
だから「学説だし」ってのを強調して繰り返したんだが
斉苗
陳歩生涯の宿敵。野心高き男で、若くして大兵を擁し、武勇に優れ、前魏を実質的に崩壊させた
男である。
やがて、天下統一を目指して動き出した斉苗、向かう所敵無しであり、大陸の覇者となる日も
近いと噂されていたが、陳を攻めた時に、生涯の宿敵陳歩と出会う事になった。その当時の陳歩
は、初陣で道卓を失ってから一度も負けたことが無く、脂の乗り切っていた時期である陳歩との初戦
で、斉軍の中を無人の野を征くが如く縦横無尽に暴れまわる陳歩を見た斉苗は、おもわず側近の于甫に
「于甫、いい漢だなぁ」と漏らし、戦時中にも関わらず陳歩の陣に名産の耶羅那烏賊を送らせたという。
それを受け取った陳歩もまた、斉苗の度量の大きさを感じ、お互いを認め合う中となる。この戦いは、
お互い兵站の問題や、満の圧力によって戦いを続けられなくなり、引き分けに終った。
陳と一時停戦した斉苗は、他の土地に勢力を伸ばそうとし、王南三兄弟等の豪傑と戦い、その力を
更に伸ばしていく。やがて、満は陳歩の前に大敗を喫し、満の圧力は弱まった。
しかし、斉にとっては、今や満よりも満を大敗させ、一躍勢力を拡大した陳の方が脅威となり始めて
いたのである。斉苗は、陳へ兵を派し、再び陳歩と合間見えることとなった。
陳と斉の総力がぶつかり合った戦いは、勝ったり負けたりの一進一退で、策を用いて陳歩を討ち死に
寸前まで追い詰めた事もあり、大いに嘆かせた事もある。(郁々 (イクイク)の嘆)。
しかし、斉苗は天命に恵まれなかった。やがて、陣中にて性病にかかり、若くしてその命を落とす。陳歩
はその死を聞いた時、、身内の 死の様に嘆き悲しんだと言われている。
しかし、袁如と影で手を結んでたという黒い噂もある。当時、袁如の国で流行ってた性病に斉苗はかかって
おり、その性病は斉苗の国では流行ってなかったらしい。また、これは斉苗の武勇を恐れた袁如の策では
無かったのかという説もある。何にしろ、袁如と関わってしまったことが彼の死を早めたと言うことだけは、
疑いようの無い事実であろう。
その武勇は凄まじい物があったらしく、脂の乗り切った陳歩と互角以上に打ち合い、王南三兄弟との戦い
でも、名のある豪傑三人を相手に回して、数十合渡り合った。愛馬の名は「赤痢馬(せきりば)」。その死因は
赤痢である。
王南一味
王南 慰射
日本名は男何(おなに)。麻須太、慈伊らと「桃尻の誓い」で「我等おかずは違えどもイク時は同じ日、
同じ時を願わん!」と誓いを立て、義兄弟になり、盗賊団を結成して後は雲、陳、満三国を酷く困ら
せた。また、任侠である彼らは個人的武勇も高く、各国の食客として歴史の表舞台にも度々登場した
が、結局最後まで自分の国を持つ事は叶わなかった。 日本人に人気が高いが、精子厨には嫌われ
ている。王南三兄弟そろって赤痢馬に乗った斉苗を追い返して、天下に名を轟かせた。なお、彼らを
食客に抱えた諸侯は皆裏切られている。下通鑑に多数の記述あり。
麻須太 勉諸
日本名は桝多 勉諸(ますた べんしょ)。王南の義兄弟。武勇に優れた豪傑。
慈伊 朱允
日本名は治居(じい)。王南の義兄弟。力自慢の猛者。
741 :
547:2005/10/15(土) 22:59:59
顔謝(がんしゃ)
陳国末期の名将にして執政官。陳国正上尉の謝盛(しゃせい)の配下。艶義ではよく副官のような立場で登場する。
瀬宮州以後に参陣。主にしんがりをよく任され、監禁城以後の主要な戦いの戦後処理を任される。
もっとも、ほぼ空白地となった地域にダメ押しのように政役(せいえき)を顔役に押し付けただけ、という見方も出来る。
彼の行為は陳国末期のおごりとも思えるが、やはり陳国としては顔謝のような役目を持った人物が必要だったのだろう。
後陳王朝に上演された歴史劇、『英武威(えいぶい)』(舞台監督:我奈利)のラストは、
元満国の地域に彼が来、おごり高ぶった態度で村の顔役に政役を押し付けるシーンで終わり、その後の陳国滅亡をぼんやりと暗示する。
曰く、
『本蛮、顔射によりて終わり、後に残るは余韻と後悔とあたり一面の白バラのみ』。
>>720さん
お疲れ様です。720さんがやらなかったら僕がやろうと思ってた所でした。
是非、これからも支援させていただきます。
742 :
547:2005/10/15(土) 23:55:08
胤金(いんきん)と斉司(せいし)の暗殺挿話
胤金は孤高の暗殺者。精子ではただ名のみが残されるが、艶義では斉苗一族の生き残り斉司(
>>104)に雇われた陳歩暗殺の刺客。
斉司は斉苗亡き後の斉奕・斉昂の連合体を纏め上げ、彼らの早世後は流浪の軍となりやむなく陳歩に参陣していた。
陳歩は斉苗に親近感を覚えていたのでこれを喜んでいたが、斉司は彼の軍に下ることが屈辱でならなかった。
得意の人海戦術も、彼に下ってからは発揮できず、一族の特有の病気の足音も刻々と近づいていた。
そんな中、満国の満夏(まんげ・詳細不詳)を仲立ちに、胤金を紹介される。というより、厄介払いのようだった。
なんでも「一度(首を)掻いたら、止められぬ」程の変質的な殺人者であり、また近くにいる人の人間関係を徹底的に破壊するという人物だったらしく、満夏もさんざんな目にあっていたらしい。
その胤金を見込み、斉司は彼に「陳歩暗殺」を依頼する。
時は、陳歩の驛卞との一騎討ちの直後である。
743 :
547:2005/10/15(土) 23:55:50
↑続き。
胤金はまず陳歩配下の殷蒙(いんもう・詳細不明)に取り入った。
殷蒙は陳国首都・玉京にて膣金吾(警備隊長)の官職を得ていたが、
かねてより「お前のようなちぢれた奴に陳歩の守りが勤まるか」などと揶揄されていた。
そこを上手く付き、胤金は「水虫(すいちゅう)」と名を偽り従者に成りすまし、もはや胤金は完全に殷蒙の中に住み着いた。
胤金があまりに殷蒙に近づき、彼の秘密も知ってしまったため、殷蒙は胤金、腫れ物でも触るような立場で接するようになってしまったのである。
そしてついに作戦は遂行された。
殷蒙を半ば脅すようにして、陳歩の寝所の警備を得たのである。
「他無死」という毒を塗った匕首を持って陳歩の寝所に忍び寄る胤金。
しかし体を良く見るとそれは陳歩とは似ても似つかぬ巨漢。驚く胤金。
なんと殷蒙は陳宝と陳歩の屋敷を間違えていたのだった。胤金はその場で陳宝に首を刎ねられたが、短小な胤金を見て油断した陳宝はもみ合ったさい傷つけられ、「他無死」の毒でまもなく死去した。
しかし、彼の起こした暗殺事件はそれで解決ではなかった。腐敗しかけていた陳国のスキをついた事件だったために、この事件の周辺は徹底的に洗われ、彼の残した人間不信の腐敗の病根は後々まで完治することがなかった。
斉司はその事件の関係を疑われながら病死。また殷蒙も「廃班置漢(
>>657)」の折に、領土を全て剥奪され、没落した。
それにしてもあの勇将陳宝が一刺客に殺されるのは、やや寂しい気がするが、「病根放置すれば必ず発祥する」ということか。
744 :
547:2005/10/16(日) 00:13:23
殷蒙(いんもう)=陳毛(ちんげ)
殷蒙は陳歩の養子である陳毛(
>>310)の事。
殷蒙とは、養子に入る前の名。
陳歩は宮美麗の戦い後、「殷家」に立ち寄った陳歩が一目見て気に入り養子にした。
その後は「陳毛」に名を改めさせ自分の身辺警護などをやらせたが、いかんせん地味であり、
そのちぢれた性格は腐敗のニオイの元とも言われた。
「満攻めの戦い」において、背貢須を失ったとき、背貢須に援軍を出さず傍観していたことを咎められ、
陳毛は親子の縁を切られ殷蒙にまた戻った。
そして胤金暗殺事件を期に没落。廃班置漢に際に領地を全て没収された。
しかし陳歩は彼を最後まで殺さなかった。おそらく陳歩は殷蒙をそれくらい好感を持っていたのだろう。
ただ、殷蒙には将たる資質がなかっただけなのかもしれない。
>>547 GJ!!
廃班置漢はおれが考えたんだよ。文章中にいれてくれて、
ありがd。
>>720 これ陳歩をマララー主人公でAA長編見たい。。
747 :
547:2005/10/16(日) 12:59:46
陳夏諏(ちんかしゅ)=知晃(ちこう)
陳歩と泡姫との隠し子。陳歩五〇にしての子である。
悪名高い泡姫だが、陳夏諏のあまりのひ弱さ、そして政治的悪臭の温床になると考え、
陳歩と協議した結果「知晃(ちこう)」と名を変えさせ、当時の大学者であった巴解(
>>281・読みがわかりません)に託した。
学者であり詩人でもあった巴解の影響を受け、世俗を離れ詩歌、そして親譲りの絵画といった文化面で活躍。
後に巴解と供に「竹眉の七賢」(
>>281)の一人に数えられる。
代表作があの『万功乙杯』(まんこうおつぱい)。
万功を得て旧都に帰するも寂寥
乙なる杯を傾け月に魅るも荒廃
万功も乙杯も 供に寂しからず
いずくんぞ甲(功)乙つけられんや
意
万の功を得て凱旋するのも寂寥を感じるし、いい酒を傾けて月を見るのも荒廃した体たらくだ。
しかし万功も乙杯も、そのものは寂しいものではない。どちらか選べと言われても甲乙つけがたい。
この詩詠んだとき、おそらく陳夏諏は自分の出生の秘密を知っていたのではないだろうか。
名将の子として生まれ、もしかしたら万功を立てる名将であったかもしれない自分と、
今風流に生きる自分の対比が、どうしても結びつかない。そんなもどかしい気持ちがこの詩に現れている。
彼はその後、田代による乙女淫道に触れたことをきっかけに士武堅(
>>489)らのおこした文化運動「白ノ白ノ白・沈恥炉倫(パイノパイノパイ・チンチロリン)運動」(
>>504)に傾倒、
士武堅らの意志をつぐ形で詩論「阿淫(アイーン)」を表した。主に音韻の配列等を考察した詩論で、現在もその文学価値は高い。
彼は陳国崩壊と同じ年に性病にかかり死亡。若死にだったという。
ちなみに、江炉漫画島の陳歩廟の鱒の絵の贋作の一つに、この陳夏諏が描いたとされる鱒がある。
父の絵に比べて弱弱しさがあるものの、偉大な父に少しでもへばり付こうとし川の中に入り込んでなかなか出てこない謙虚な鱒の絵が、繊細なタッチで描かれている。
とりあえず
関係がわかるように地図をつくらないとな
で、舞台は中国でええの?
流罪の地としてエロマンガ島
>>747 「乙女淫道」と「陳歩廟の鱒の絵」は俺のネタ。
547神に採用されて嬉しいw
ウザいレスすまんsage
750 :
23:2005/10/16(日) 16:55:48
甘慈蛇を書いた俺が来ましたよ
久しくこのスレ見てなかったんだが、
神々が降臨していたんだなw
感動した
752 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/17(月) 21:11:22
>>547 「巴解」は「はげ」と読むんぢゃないか?
もしそうだとしたら、ちょっといただけないねw
753 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/17(月) 21:14:20
>>752 あげるな。おまいがいただけん
sage
754 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/18(火) 01:55:02
「破瓜の勢い」の故事も凄いよな
ところでさ
鱒の絵を書いたって記述があるが
当時鱒にはどういう意味の隠語があったんだ?
教えてエロい人
信長の野望風俗伝に書物キター
精子(知力10、性器10うp)の書物
清水エロ兵衛から3000で買えたぞ!!
おまいらもプレイ汁
757 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/18(火) 19:22:31
炉利漫画島の万黄廊から『炉利満万全書』なる書物がみつかったよ。
その中の兵法の巻では股間に矢筒を挟み素早く矢を連射する『万黄射法』
治政の巻では都市発展には人口増加が鍵であるとして夫婦の夜の営みを推進するために一夫婦につき四人の子供を産みしものには報償を与える特例措置をだしたりなどしたと書かれている
曹賈が御羽射党の乱の折に唱えた「総廃冠座貴(そうはいかんざき)」について
759 :
547:2005/10/19(水) 13:49:17
曹賈の乱と「総廃冠座貴(そうはいかんざき)」
年代が早すぎ、やや板違いの話題かもしれませんが……。
前魏末期、一介の学徒であった曹賈(字・学会)が、池の中の田から現れたという謎の仙人・大作(だいさく・この伝説から池田大作:ちでんだいさくとも呼ばれる)より神託を受け、
自らを朕公将軍、弟曹乳(
>>177)を恥公将軍と名乗り、前魏の袁如公才(
>>31)とその「買官(かいかん)制度」(
>>621)に対して反乱を起こした。
その時のスローガンが総廃冠座貴(そうはいかんざき)である。
これは、官位を金で買うことから
「王冠将冠いずくんぞ貴あらんや(金で買われた王様や将軍のどこが貴さがあるんだ)」という
民衆の心情を、曹賈が「そうはいかないぞ」という気持ちの込めて袁如や三徐寺(
>>621・
>>207)弾劾した。
曹買はなかなかの戦上手で、特に前魏の正上位大将軍鍾 秀玄 (
>>175)を苦しめた羅武甫(らぶほ)の戦い(
>>261)では寡兵ながら奮戦し前魏軍に大打撃を与えるなど活躍した。
後に曹買の反乱軍は黄色い頭巾を付けていることから「黄明党」と名づけられるが、
次第に賊徒と区別が付かなくなり、夜盗(よとう)と野盗(やとう)の間を行ったりきたりしながら、
最終的には前魏によって鎮圧される。なおこの戦いには陳歩の父陳沈や道貞らも参加している。
彼らの主張は決して間違いではなかったが、友人を無理に党員に勧誘しようとしたり、
教祖大作の胡散臭さ(そもそも池の中の田とは何だ)やどっちつかずの政治主張などによって
民衆から次第に見放されてしまった。
しかし、この乱と、その残党の御羽射党の乱以後、前魏のシステムが崩壊し、
幾戦もの群雄らが駆け抜ける陳国時代の幕開けとなったのだった。
うーむ、やや板違いですね。
760 :
547:2005/10/19(水) 13:51:56
球中歩中 倶為一体
球中と歩中は倶に一体たり(きゅうちゅうとふちゅうはともにいったいたり)
陳歩が、能吏・高願(
>>380)を評していった言葉。
球(高願の愛称。両頬が丸いコブのようであったことから「球球(タマタマ)」と呼ばれていた)と
歩(陳歩)の関係は、共に一体であるくらい重要な関係であると、陳歩の遺書集『出汁(すいしる)の表』に書き、
息子らに補給の重要性を説いた。
もっとも『出汁の表』自体は、後世の戯作である可能性が高いと、『下通鑑』の裴松弁(
>>538)は指摘している。
ここだと「陳歩」の読みは「ちんふ」になっている事にも注目したい。
761 :
547:2005/10/19(水) 13:55:23
陳歩の主君は?
陳歩は、前から記されているとおり君主ではない。
では、陳歩は誰に仕えていたのだろうか。
実は精子にも艶義にも、陳歩の主君の記述が極めて少ないのだ。
艶義では第一回の『桃尻に宴して人々に請われ、陳歩ついに大地に勃つ』、
第49回の『李昆讒言し陳歩失意の江炉漫画島』、
第52回『摩羅山振動し陳歩再び世に憚る』
にしか登場しない。精子に至っては僅か数行の簡素な記述。
「三度陳歩は招聘され、その御主の姿に感激する陳歩、桃尻の中、思わず立つ。」
「御主、陳歩の活躍を絶賛し、『わが息子よ』と言って喜びを隠さなかった」
の、二行にしかない。しかもその記述は単に「御主」となっている。これは、名前ではない。どういうことか。
陳国の場合、君主は名前を呼ばれず、ただ「御主(オス・われらのリーダーの意)」と呼ばれていた。
したがって現在までもその名は伝わっていない。陳歩らの、時に君主の越権行為ともとれる行動の数々を見ると、
御主(オス)は、陳歩をコントロールできず、陳歩の欲望の赴くままに振り回されていたのかもしれない。
結果的に見ると、御主(オス)のこの陳歩に対する絶対的信頼は、よい波乱の人生をもたらしたといえよう。
陳歩が立っていた時、御主は栄え、陳歩がいう事をきかなくなった時、御主はも目に見えて老いたという。
762 :
547:2005/10/19(水) 14:10:29
破瓜の勢い
万黄初陣戦において、陳歩軍の凄まじい勢いを評した言葉。
万黄配下程操(
>>704)は彼の防衛のため、
満国で一度も破られたことのない防衛陣形「刃陣(ばーじん)」を敷き、鉄壁の守りを固めていた。
しかし、そこを果敢にも攻めてきた陳歩。刃陣の地の利を生かした落石攻撃も、陳歩軍の気炎の前に
まるで瓜のように次々と岩石が砕かれていき、絶対防御の陣形を一気に突き抜けられたという。
決して煽りではないさ、ネタも投下できない漏れが言える立場ではないがエロ兵衛みたいな短絡的なのは避けた方が良いのでは?
江ロ太郎兵衛から3000で買えたぞ!!
修正っと
547ネ申が誰にも届かない高みへと・・・
連投でこのクォリティは凄すぎ
ってかリアルでどんな人なんだろうw
>>766 多分、日本の陳国志研究の権威、法経首塾大学(ほうけいしゅじゅくと読むのだが、
学生はほうけいしゅじゅつだいがくと読んでいる)の、陸奥利助兵衛(むつり・すけべえ)
教授ではないか、と囁かれている
>>762 巷説によれば、その戦の後、高須(あざなは栗肉-くりにく-)名乗る医者が現れて
「諸徐幕最盛の秘術を行いましょうか」と万黄に申し出た。
万黄は激怒して
「姑息な術で、失われた程操が戻るものか」と高須を切り捨てたそうだね。
>>767 前の書き込みでは卒論を間近に控えた学生だと聞いたが…
そうそう、最近江炉漫画島の陳歩廟のそばに陳歩を讒言で退けた李昆の石像ができる。
この石像は裸で正座させられてる姿で、通行人は金を払って石像を鞭打つことができるらしい。
>>769 じゃあ、多分、陸奥利教授の愛弟子だな
547ネ申の卒論読みたい!きっとここにはあげられない様な、
ディープな陳国志研究文なんだろうな・・・
771 :
758:2005/10/20(木) 02:11:36
>>547氏
思いつきで放ったネタをそこまで昇華してくれるとは!
感謝感激です。
おいおまいら
TBSで
横陳放送決定だそうですよ
ただしセリフなどにはピーがやたら多くて、一部顔がモザイクがかってるシーンもあるらしい
>>773 ソース?
自分の胸に手を当ててゆっくり瞑想してみるんだ・・・
見えてこないか?
ならもうこのスレに来るなw
>>733 けさの朝立新聞だよ。エンタメ面に載ってる。
776 :
775:2005/10/21(金) 00:21:41
間違えた
>>773 それにしても、アニメ化で腐女子が流入しないといいなぁ。
陳国無双なんて出たら俺は死んでやる
女性向けの三国無双に対し、男性向けの陳国無双を出す企画があったという噂があるぜ
諸々の理由から頓挫したようだが
547は俺と同じ陳歩学生かな?
風呂に入る間も惜しんで、陳国志(というか陳歩)の研究に没頭することから
最近は陳歩学生って呼ばれるよ。
陳歩学生だけにゼミでしごかれてたりして
えっと毎週金曜夜20時からだそうだ
すげえアニメなのにゴールデンwww
レイザーラモンがこのアニメで声優に挑戦するとの情報アリ
>>781 役柄は、陳歩を追い回す旅ゲイ人の波奴藝かな?
「自ら勃つ者は、これ出自を問わず採用する」と言った陳歩だが
さしもの陳歩も波奴藝の怪しさには登用をためらったとか。
めげずに陳歩軍に仕官を願い続け、ついに末席に名を連ねたが
満黄軍に対してほとんど力を発揮できず、軍を去ったという。
去り際に、陳歩に「あなたと二人きりで我が剣を交えてみたかった」と言っていたことから
他国の刺客だったのではないかという説もあるね。
783 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/22(土) 13:03:16
なんて堅そうなスレなんだ!
どう見てもビンビンです。どうもありがとうございました。
横貫尾何(よこぬきおなに)の陳国史だっけ
略して横陳
蒼天行為は、絵もうまいしカッコイイんだけど
ちょっと満黄が完璧すぎて萎える時があるな。
しかし、若い頃満黄のエピソードで、
悪宦官の陳皮(陳歩とは血縁ナシ)と対決する場面はよかった。
陳皮の注意を引き、自分のほうにむけさせるエピソードね。
「陳皮、むけました!」
「ならばよし!」
陳国志のことをもっと知りたい高校生諸君、これらの大学に行けばもっと陳国志を勉強できるぞ。
法経首塾大学文学部東洋史科
日本の陳国志研究の権威、陸奥利助兵衛教授のゼミに入ればみっちりと研究できる。
一般講義でも、二年次の「東洋史概説B」を取れば陳国志の基本的なことが学べる。
禁忌大学文芸学部史学科東洋史専攻
関西ならここがお薦め。阿部高和助教授による、陳国志当時の異民族研究チームがある。
最近は婆羅族、南蛮研究を行なっている。
南府京大学文学部史学科(厨国)
陳国志研究のパイオニア、綿子教授は言うまでもなく有名。陳国志だけで五つの講義がある。
敢えてゼミに定員を設けていないため、「多い時でも安心」。
醍員清(だいいんしん)大学教養学部国学科(厨国)
綿子教授の親友にしてライバル、月慶(げっけい)教授による満国研究が有名。また、「陳古記は古記すぎて
イキ過ぎた記述がある」としていくつかの陳古記の虚飾を最初に発見したのもこの人。
バターケン大学文学部史学科東洋学コース(アメリカ)
恐らく、日本と厨国以外で唯一陳国志を講義しているところ。フランク・マンコヴィッチ教授は陳国志の網羅的研究と
英訳をライフワークとしている。
なお、腿腕(たいわん)では政府が陳国志の存在を認めていないため、研究が禁止されている。
呂后(結婚直後)
,.‐´ \
/ ,l \ ヽ
/ l|, 、 、 |iヽ, ヽ \. ヽ
/ l i ! | i | |l'、ト ヽ iヽ ヽ ',
! | / | |. i |.|| i.|ヽ |、 | ', i i
! ! / |,ャ、メ |i ト十i‐トi、! l .i| i
! i ,.|!,.+‐'"| | | |i} ' ュノェ|i,`i l.| i
l i l l |/;:=ニ|i l | /rj:ヽ\ i l i l
| | | ノ '/ iニ)ヽ,ヽ |!. ' {::::::;、! 〉iー | | | あなた・・・・・どうか無事で居てください
| |i. | !; 〈 !:::::::c! 'ー''(つ }i | i.| | 沛県でお父様の面倒を見ています
| ! | | ;: (つ`''" 、 //// /;:i | | !. |
| i, i. 、//// ' /,ノi, i. |
! .| | i 、,ゝ、 、─, / i | |. i
.! | i |. | lヽ、  ̄ / l | i | !
! | i |i |l l| |`''‐ 、 , イ |i | |i | i |. !
| | i |i |i .| ノ ` ''" ヽ/l| l__,.、-|l l ! i、
791 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 22:59:22
呂后(現在)
ヽ;;;;;;ヽ |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;| /;;;;;;;/
ヽ;;;;;;;;ヽ |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;| /;;;;;;;/
ヽ;;;;;;;;;ヽ |;;;;;;;;;;;;;;;;;| /;;;;;/
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/;;;;;;;;;;;;;;○;;;;;;;;;;;;;○;;;;;;;;;;;;;○;;;;;;;;;;;;'i
(;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;:;;;;;;;;;;;;;;;;;;)
◇◇―|;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ―◇◇
┃┃ /;;;;;;;;;;;;;;;;;/ ヽ;;;;;;;;| ┃┃
┃┃ |:;;;;;;;;;;;;;;;/ ヽ;;/ ┃┃
┃┃ l:::::::| |‖ | ┃┃
┃┃ |/ ̄\ -=・=-′ ヽ-=・=- | ┃┃
┃┃r┤ ト:: \___/ |◇ ┃┃
/ \_/ ヽ::. \/ /◇ <ちょっと このキチガイを粛清しなさい
| _( ̄ |"__ _ _/ ◇ あ〜肉の塩漬けが食べたいわ〜
| _)_ノ \/ / \
/ / \
陳歩は武士道侍
僧兵だろ
修験じゃね?ww
無職の若者だろ
以上、信民の仕業でした!
マジスンマセン
腿腕の工作員が妨害していたようだな…
一気にスレが死んでしまった・・・
いや、まだだ、まだ終わらんよ。
しばらくsageとけ。
んじゃ陳国史時代の脇役
田代(でんだい)でも語るか
2ちゃんねらーは田代の生き様を好んでいるんだけど
一般人は、、、
ん、乙女淫道の田代のことなら
>>485あたりで既に語られているが。
補足してもらえるならぜひ頼む!
現代にまで伝わる銘器があるそうなのですが、それは何というのでしょうか?
「東洋のニケ」と言われる、「片翼の田代」?
なんかどこかを弄ると音が出るというカラクリがあるらしいんだけど
「タシロ♪」なんて音だというし、どうも後代に作られたものという説が有力。
806 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/03(木) 12:36:10
俺のちんぽが
陳の名称
陰金(インキン)のタタリで侵されて非常にかゆいwww
なんか倭からの使者に「肥後ずいき」なる者がいたらしいけど詳細教えてください
僕も少し調べたところ彼の献上した品がかなり喜ばれたと書いてありました
808 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/09(水) 15:24:54
>>807 ググれ(自分でネタ作れ)よ馬鹿者。
教えてクンが出てくるとスレが止まるから止めてくれ。
809 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/10(木) 14:49:35
呂后(現在)
ヽ;;;;;;ヽ |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;| /;;;;;;;/
ヽ;;;;;;;;ヽ |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;| /;;;;;;;/
ヽ;;;;;;;;;ヽ |;;;;;;;;;;;;;;;;;| /;;;;;/
/;;;;;;;;;;;;;;;::::::○つ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\
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(;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;:;;;;;;;;;;;;;;;;;;)
◇◇―|;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ―◇◇
┃┃ /;;;;;;;;;;;;;;;;;/ ヽ;;;;;;;;| ┃┃
┃┃ |:;;;;;;;;;;;;;;;/ ヽ;;/ ┃┃
┃┃ l:::::::| |‖ | ┃┃
┃┃ |/ ̄\ -=・=-′ ヽ-=・=- | ┃┃
┃┃r┤ ト:: \___/ |◇ ┃┃
/ \_/ ヽ::. \/ /◇ <ちょっと このキチガイを粛清しなさい
| _( ̄ |"__ _ _/ ◇ あ〜肉の塩漬けが食べたいわ〜
| _)_ノ \/ / \
/ / \
810 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/14(月) 19:13:36
保守
スレタイだけで判断してるアホだな。
今までの荒らしの仕業だろ>削除依頼
815 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/22(火) 23:34:33
なんじゃこりゃ
816 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/23(水) 13:31:41
クソスレ立てんなゴルァ
817 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/24(木) 21:32:50
田代(でん-だい)(生没年不詳)
字は政。謝寧流州の豪族集団「羅津庵 怒須太」の出身。元来「羅津庵-」は
宮中の祭祀や神事にその面を炭で染め、「蘭内栄」「闘内頭」などの楽曲を
奉納する芸能集団であり、ごく卑しい身分であった。田代は「羅津庵-」の
同志駆和漫(くわまん)とともに、宮中の芸能を仕切る実力者士武堅(しむけん)
に認められ頭角をあらわす。巧みな話術と、宮中の宴の際には必ず場を盛り上げる
ための小道具を欠かさない用意周到ぶりが評判となり、ついには国を代表する
天下無双の戦士を定める大武闘会「恵腕」(けいわん)の案内役という栄誉を
美貌の女将軍紀香(きこう)とともに務めるまでに登りつめた。
ここまでが世界史板で知られる田代の経歴。これから先は精子に記述もなく
伝承創作入り混じって定かではない。
ただ、なんらかの事件があって、田代が宮中から追放され、放浪の末
「乙女淫道」の創始者となったのは事実のようだ。
田代に関する故事成語も追放〜放浪期のエピソードを元にしているらしい。
お、久々にまともな資料が出てきましたね。乙です。
820 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/27(日) 14:46:18
つーかなんなんだよ、アイツは・・オタクだろ? ぜってーww
まあ、聞いてくれよ。 パソコンをさあーオヤジが仕事を家内でも
するためノートパソコンを買ったんだよね、俺には兄がいてさ、ついで
というわけでインターネットができるように許可してもらったんだw
最初のころは2ちゃんとかそういう話し合いができる存在を知らず
ただ漫然と俺も兄もネットやってたんだよな・・・・・でもさ何ヶ月か
立てば書き込みなんて誰でもするようになるし気付くようになるじゃん?
俺も兄もその典型でネットをやり始めてしばらくした後、2ちゃんをちょくちょく
やるようになったんだ・・・・・それが始まりだった・・。
俺の兄は知らないうちに狂人と化していた・・毎日、毎日暇があれば
2ちゃんを何時間で何十時間でもやり続けるようになったw
飯と風呂と寝る時間を除いてはそのプレイ時間は16時間を計測したw
いくらやめろと言っても「これは遊びじゃない!! 仕事なんだ!!」
と虚妄を託けてほざく、そっと奴がしている隙を垣間見れば気色悪い微笑み
をうかべながらカチカチ、カチカチとボタンを叩いている、もはや洗脳されていたように俺は見えた!!
一日の大半を2ちゃんに費やしてるせいか運動不足が一方して体つきは衰弱した老人のように
弱体化し視力も過度のネットのやりすぎでメガネをかけるようになった・・・
いやあーマジでキモかった、蛆虫だね、奴は。
まあ俺もこうして奴同様にひきこもって不在してるわけだかな。
話を戻して俺はいつしか気付くようになったよ・・兄はキモオタなんだと・・
覇道迎
雲国の将。黒皮の装束に身を包み、むくつけき男達の大軍にも臆することなく
宝(ホーウ)と叫びながら嬉々として向かっていったという並び無き勇者。
軍略にも優れており、満国の将、高田配下の上位都尉である淫林を、
彼女が得意とする得無陣開却の計で逆に打ち破っっている。
>>822 初陣とは思えない働きぶりだったよなー。
淫林は負けたせいで戦意喪失したし…恐るべし覇道迎!!
>>822 >宝(ホーウ)と叫びながら嬉々として向かっていった
ヤバイ、ツボに入ったよwww
829 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/05(月) 16:06:25
831 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/05(月) 21:22:59
829ではないが、ほんとに熱かった。
>>547ネ申が降臨してたときは熱すぎ
でも、いま停滞してるから
>>822は良い燃料だったと思うけどな・・・
ちゃんとスレの流れ踏まえてるし。
マターリマターリ
ってか、
ネタ出さない奴がガタガタ言うな。
マターリマターリ
>>834 既に出した。
人に言う前に自分が出せ。横着者。
837 :
547:2005/12/13(火) 11:07:54
大学が文学部の文学言語学科なので(みなさんのご指摘の通り、私は法経首塾大学文学部生です。残念ながら東洋史学科ではないのですが……)
どうも詩論ばかりの話になってしまいますが……。
陳国志で有名な詩と言えば雲の脱襲の『脱襲嘆』(
>>150)等があげられますが、
陳歩一族も詩の才能にあふれ、(陳歩は候内舎生に「坐面知るは苦し」の詩を出した・
>>726)
特に陳歩の息子(隠し子)の陳夏諏(
>>747)は後年に現れる詩人・李箔諾(りはくだく)が出るまで
「聖詩(せいし)」と呼ばれ敬われていました。
ところが、その詩の才能を、陳歩がいたく気に入ったため、陳歩の配流後、ちょっとしたいさかいが起きます。
陳歩の後継者として名乗りを上げた陳歩の従弟の陳鎮(
>>60〜65)は、
若年のころは守勢に強く、策をめぐらせる事巧みで、陳歩にして彼を「我が軍法の師。私は彼の足元にも及ばない」とまで評される人物でありました。
息子の陳宝(
>>78)と供に、「【病陳歩】陳宝、【小陳歩】陳鎮」と言われるくらい、陳歩血縁の中では重要視されていた人物です。
しかし、陳宝が刺客に屠られた後、急速に陳歩の後継者争いに野心を見せ始めます。
陳歩の配流後、陳歩の残った息子(陳虎・陳矛:
>>107)らを激しく弾劾し、
勇猛で知られた陳虎を辺境警備に配流し(後年、失地回復に燃えるエーロッパや屋追、満腔鎮らと孤独な戦いを強いられる)、
もともと身体の弱かった陳矛はその権力争いの混乱の中病死してしまいます。
そして、陳歩の隠し子である陳夏諏にも、権力争いの魔の手が迫るのでありました。
つづく↓
おまいは体じゃなくて頭弱いね
839 :
547:2005/12/13(火) 11:27:40
当時、「竹眉の七賢」として崇められていた知晃(ちこう)こと陳夏諏が陳歩と泡姫の息子であることを突き止めた陳鎮は、
陳夏諏を呼び出し、本当にその詩才があるのかどうかを試すため七歩で詩を作るよう強要しました。
出来なかったら獄に落とすつもりだったのです。しかし、その時歌った歌が「豆剥きの歌」。
豆を剥いて 豆を煮る
もともとこれ同豆(おなまめ)
ただ舐めに舐め 君(くん)煮するも栗と利す
ただ悲しみの潮を吹くのみ
意味:豆を殻を剥いて豆を煮ているが、どれも同じ豆である。
君子が(食べてしまわないように)舐めて味わい、煮返すが、栗の方が美味しいに違いない。
灰汁(潮に見立てている)が悲しみをいっそう際立たせる。
詩は、人の心をうつ。陳鎮も思わず胸をつまらせた。結局陳鎮は彼を許し、官位を与えて田舎へ配流したのです。
彼の歌は彼を救ったのでした。
840 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/13(火) 12:06:04
陳珍
統率:54
武力:42
知力:61
政治:68
魅力:53
VIPでやれ
宋の趙匡胤が子孫を自称したという趙匡司。
艶義設定では菊門と阿奈留の軍学の師で、みこすり半の戦いに赴く満の軍師菊門に策を授け、
阿奈留軍には邦刑対策に特別な訓練を行うように指示していたという。
阿奈留軍の訓練は対陣中に陳軍から見える位置で行われ、邦刑には挑発となりその他の武将には士気を萎えさせ、
邦刑が突出する原因となったが、なぜ邦刑のみが興奮して先陣をあせったかは諸説あるという。
☆秘本☆では簾家灯篭というという灯篭が関係していることになっていたが。
中国4000年の歴史を知ってる俺からすると、いつの時代の話なのかに興味があるのだが
とりあえずVIPPERは巣に帰れ
844 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 02:42:38
>>836 おまえのくだらんネタなんかスレ汚しになるだけ
547ネ申の文章見て、恥じろ
ちんこカイカイ之介スレは消されたのに
ここは残ってるんだな
846 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 10:35:46
847 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/23(金) 20:36:33
鸞環 闕蔡と敗布 勝統のことが出てないのはどうゆうわけ?
おまいら
>>547がネ申だなんだ言ってるからどんなもんか読んだら
マジでネ申だった
スレ汚し覚悟で以下の事について教えて下さい。
庶徐・道卓・斉奕・万拡・李昆・泡姫・貞(国) の読み仮名。
>>504「白ノ白ノ白・沈恥炉倫運動」
>>3「御羽射党の乱」
>>587にある”道貞”イコール”道卓”?
名前や地名の読み方は結構迷います。
陳帝国の首都は玉京と書いて「たまきん」でいいのでしょうか?
昔チンギス4で陳歩、陳虎(陳朝ヴェトナム)という名前の子供を作ったorz
このスレもう終ったのか。
神に見捨てられたって感じだな。さよなら陳歩。
854 :
547:2006/01/05(木) 16:51:13
今、陳歩フラッシュを作ってます。今しばらくお待ち下さい。
そろそろまとめサイト作ろうかしら
856 :
吉川英恥・陳国志・万黄初陣・1:2006/01/05(木) 22:11:04
風が、西から東へと変わりつつある。
戦況が、明らかに変わった。遊んでいた手を組み返す。
違う、違うのだ――戦のヤリ方から全て――。
「また、一人で手遊びですかな。万黄殿」
背後から小柄な老将が声を掛ける。
「程操――」
「また護衛も付けず、このような所へ。もはや殿刃は一介の将にあらず。御丹安公(おにゃんこう)あるまじき軽率さですぞ。昔、淫の厨王は……」
「もうよい」
万黄は立ち上がる。違う、違う、まるで違う――。万黄は御丹安公(おにゃんこう)の官位など、どうでもよかった。このような官位など、ただの時代のあだ花だ。
ただ、友より先に――あらゆる理や智を超えた戦い――「越智(えっち)」がしてみたい――。ただこれだけが、今の万黄の望みだった。
それまでは、御丹安公の証である「姓羅服(せいら服)」を脱ぐまい。万黄の決意は固かった。
857 :
吉川英恥・陳国志・万黄初陣・2:2006/01/05(木) 22:38:03
その夜の軍議は、波乱があった。
万黄が、護衛の班鄭(ぱんてぃ)を遊軍として展開する策を披露したためだ。
「彼らは遠征軍。功に飢えている。ただの護衛である班鄭をチラりと見せてやるだけで、かの軍をひきつける事が出来るであろう」
万黄の策は、それまでの官軍としての厳粛な雰囲気の前では、とても破廉恥な行為に見えた。がぜん程操は反対する。しかし万黄は聞き入れるはずもなかった。
口うるさく専守防衛を説く程操に、万黄は思わず「お前も程壮泰のようになりたいか」と一喝した。
場は、シンと静まり返った。
程壮泰はかつて万黄にあまりにも諫言し、身動き出来ないほどきつく縛ったために、万黄に「空の鍵穴」を送られて謀殺
されてしまったのだ。さすがの程操も口をつぐむしかなかった。
その夜、義民兵の長である王南が万黄の下を尋ねてきた。王南は、行軍中猛る万黄に「清水の湧く泉に身を当てる」方法によって、たぎる血を抑えるやり方を教えた人物である。
かつて田舎でムシロを売っていたというこの男は、万黄に対しても横柄な口を利いた。
万黄はしかし、まるで出自の異なるこの男に、一目置いていたのだ。
「万黄どん。あんたはキレイな目をしてるね。パックリと目が割れてる、いいワレメちゃんだ。だがアンタ、ちょっとまだ堅いんじゃないかい?」
「堅い、とは?」
「ムケてないって事さ。あんたの割れ目はキレイすぎる。締め付けが強すぎるんだ。たしかに、ベロベロにだらしない奴はダメさ。しかし、アンタのその頑なさは、危ない気がするんだがね」
「ふむ……それでは、真の英雄とは、どういう人間なのであろうな……」
二人は、夜も更けるまで、語り合った。
858 :
吉川英恥・陳国志・万黄初陣・3:2006/01/05(木) 22:53:19
風が、またしても変わった。
「満見見珍勃勃(まんまんみてちんちんおっき!)」
の掛け声が、うっすらと聞こえてくる。陳軍の斥候兵が、満軍を挑発し鼓舞する声だ。
「班鄭も(護衛に)つけずに陳歩とヤりあうのは無謀でござる。」
程操の強い語気に、思わず強攻策を貫いてしまったが、果たしてそれは正しかったのか。
万黄にも、不安がないわけではなかった。しかし、初めての戦いは、もっとも好みの陣形で捧げたい。我ながら女々しい考えかもしれないな、と万黄は一人、笑う。
その時だった。
一隊の小勢が、こちらに向かってくる。先陣の程操はすぐさま警鐘を鳴らし、遊軍と分割したため兵の少なくなっている万黄を守る陣形「刃陣(バージン)」をひく。
しかしその小勢は、見る見る大きくなり、いつの間にかそれは元の数とは比べ物にならないほど、巨大な兵団になっていた。
「あ、あれは……」
「殿、陳歩です!」
「そんなはずはない! あんなに、小勢であっただろうが!」
「あれが……生の、陳歩なのです」
伝聞では伝え聞いていた。しかし、直で見るのは、初めてだった。万黄は思わず顔を背ける。全身から、凄まじい汗が噴出す。
「びしょ濡れだぞ。どうしたんだい万黄どん。まさか、陳歩を見るのは、始めてだったとか言うんじゃないだろうな」
「だまれ王南!」
「上の口(上官としての口)は達者だねえ」
「全軍、密集陣形! これより敵軍、陳歩を討つ!」
万黄の声は、やや上ずり、我慢していても、思わずあえいだ声が漏れてしまっていた。
859 :
吉川英恥・陳国志・万黄初陣・4:2006/01/05(木) 22:54:13
先陣の程操
860 :
吉川英恥・陳国志・万黄初陣・4:2006/01/05(木) 23:19:25
先陣の程操は、刃陣をひくと、すぐさま部下に命じた。
「敵が陣まで十歩の距離になったら我に伝えよ。落石をお見舞いするのだ」
地の利は、程操にあった。しかし敵は、凄まじい勢いで程操の陣を急襲する。
「10歩です!」
ヒュッ!
風を切る凄まじい勢いで、瓜ほどの大きさの岩石を投擲する。
「10歩です!」
その瓜岩石に当たると陳兵は粉々にくだける。
「10歩です!」
しかし、陳歩の軍の勢いは止まらない。瓜ほどの大きさの岩石を、信じられないことに次々と砕いて進む、まさに「破瓜の勢い」である。
「まだか、まだ引かぬかっ」
「……!?」
「伝令兵、どうした?」
「……陳歩です!」
「なっ」
ざっ、という音がしたかと思ったとき、程操の首は胴と首を離れていた。
程操、討たれる。その報は聞くのを待たず直に万黄は目にした。
敗走する兵たち。王南は早々に逃げ支度を始めている。
「そんな……」
万黄の身体は、全身から吹き出る汗でぐしょぐしょにぬれていた。
これが、生と死の交わる瞬間か。
万黄は死を覚悟した。しかし、この胸の痛みの中に、快感をも感じていたのだった。
「我こそは陳歩配下の将、鬼董(キトウ)! 敵将万黄と見た、その首もらった!」
そして次の瞬間、万黄は体の奥まで貫かれてしまった。大量に流れる自らの血に、万黄は驚きを隠せなかった。
燃え盛る自陣。万黄の初陣は、強引に攻め立てる陳歩の軍に、完膚なきまでに陵辱されたのだった。
861 :
吉川英恥・陳国志・万黄初陣・5:2006/01/05(木) 23:19:59
気がつくと万黄は、配下の将・茂模(もも)の背中に揺られていた。
「気がつかれましたか。殿。ご安心下さい。陳歩は偽装したわが軍の『素股の計』によって、うまく誤導させました」
敗れた。大敗だ。
しかし万黄は安堵した。流れ出る血液は、ゆっくりと自らの体温を奪っていく。しかし、この安堵感は、次第に喪失した寂しさに変わっていった。
こんなとき、自らを叱ってくれる者は、もう居ない。
万黄は泣いた。全身で泣いた。陳歩を思い出すと、涙で濡れに濡れた。そして叫んだ。
「程操を奪われた、あの陳歩に!」
夕日は、敗軍の二人の将を、ただ見つめるだけであった。
862 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 23:49:36
ヤバい。神降臨した。
>>854 ちょwwwフラッシュwww
神よ、ワクテカで待ってますwww
吉川陳国志 Sugeeeeeeeeeeee!!!!
長文だからってスルーしてるヤシ、読んどけ。
その価値あるぞ!!
吉川陳国志、中学時代すごく流行ったなー。
授業中も教科書の影で読んでて
ちょうど
>>861のくだりで「ま、まんこーう・・・!」って授業中なのに泣いてしまった。
オレの初めての男泣きだ。
866 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 22:43:02
867 :
吉川英恥・陳国志・耶羅那烏賊・1:2006/01/07(土) 12:55:41
戦場の中にきらめきがあった。
戦場を見下ろす斉苗は、その姿をじっと捉えていた。
斉苗の見つめる先には、陳国の将、陳歩。
ただ、まっすぐに、己が武を貫く。その姿は、堂々足るものであった。
彼の、邪のないない武に、斉苗は嘆息した。
「斉苗様、斉奕様達がお見えになりました」
従者の于甫の声が、斉苗を我に返らせた。
「入れ」
斉苗が答えると、音もなく彼の息子たちが、斉苗を取り囲む。
皆、面構えのいい若者に育っていた。もう一軍を任せてもいい年齢だ。
「軍議の前に、お前たちの意見を聞いておこうと思ってな。この陳歩の軍、新興の軍と聞いていたが、中々に手ごわい。打ち破る策はあるか?」
まず、長男である斉奕は口を開いた。
「敵軍は意気盛ん。今これを破るのは得策ではありません。マグロの如き陣を組み、一切反応せず、少しずつ萎えさせ、奴らの勢いを削ぐことが宜しいかと」
「兄上、持久戦では満軍にスキを与えてしまうではないかっ」
と、口を挟んだのは末子の斉司だ。
「我々の目的はあくまで満。満国に入り、蘭支(らんし・王府があった)に入り覇を唱えること。それこそが我々の目的。陳歩ごときには全兵力を注ぎ、人海戦術でもって圧倒し、大行進がしとうございます!」
「おいおい、お前は攻めることしか考えないのか」
次男の斉昂は苦笑する。
「満を倒すために陳の兵と勢いは使えるのだ。陳など、我々からすれば発射台に過ぎん。むしろ陳を利用し、一気に満に攻め入るのが、上策かと。王者の軍は自分の兵を使わねば使わぬほどよいですからな」
「ふむ」
斉苗は大きく息をついた。
「斉昂は武勇、斉奕智勇、斉司は、いわばもっともっと智勇を、それぞれに加える必要がある」
そして斉苗は剣を抜き、陳歩を指した。
「さあ、天に誓おう。前魏を越える恥世を、この斉苗とともに!」
しかし、斉苗は内心、寂しくも思った。長男は天下に見事な均衡を与えることが出来、次男のあふれんばかりの才気は、次代を牽引するものだ。末子は、どうでもよい。
しかし、王の風格とはそのいずれでもないのだ。。
868 :
吉川英恥・陳国志・耶羅那烏賊・2:2006/01/07(土) 12:57:52
息子たちが去った後、斉苗は従者の于甫と供に、戦場を見つめていた。
戦場の陳歩は、まだ、きらめきと供に戦場を縦横無尽に駆け巡っている。
斉苗は思わず嘆息した。
「于甫……いい漢だなぁ」
于甫は黙っていた。そして長年よりそったこの主人の内情を思っていた。
最強の武を持ちながらも、袁如のような小人と与さなければならなかった男の無念。時代が味方しない、この侘しさ。汚れベトつき、まるでイカのような異臭を放つ武の道……。
「息子にするなら、ああいう男がいいな」
無邪気に笑う斉苗に、于甫は悲しみを外に出さないで居るのが、精一杯であった。
その夜、陳歩の陣に、贈り物が届いた。
耶羅那烏賊。
その真意は、于甫と斉苗以外に、知る物はなかった
感動した!ホント凄いスレになったな・・・
870 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 18:57:41
これ「蒼天航路」の袁家3兄弟じゃないの?
真剣に続きが気になる。すげぇ…
☆ 陳
☆ 陳 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ ___\(\・∀・)< 吉川英恥先生まだー?
\_/⊂ ⊂_)_ \_______
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|
|  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:| :|
| .|/
吉川英恥先生のファンになりました
874 :
855:2006/01/12(木) 13:18:45
>>874 !!!!!!
お気に入りに1000000回
追加した。
876 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 21:48:03
>>874 うおおおおおお!
ありがとう、ありがとう!
感動した!
電車男みたいにドラマ・映画化されるといいな
神が降りた様だ
>>874 感動をどう表していいかわからない。
とりあえず鱒を描いた。
886 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/13(金) 23:50:12
逝観帯(せいかんたい)
厨華大陸南方の地理的な自然現象のひとつである。
特に女岱に多く見られる。
これは地面に刺激を与えると甲高い音があたりに鳴り響くものであり
音は刺激を与えれば与えるほど大きくなる。
音が鳴る原理は刺激を与えられた地面の下にある
特殊な岩盤が音を発生させるものであるが昔の人は女神が住んでいるとして祭っていた。
現在では観光名所ともなっている。
古くはの陳歩将軍が南方征伐のさいに、
この音を使って敵を撹乱し誘き寄せた後に一気に包囲殲滅した。
このため異民族たちは陳歩に心服し、セイカンタイを使うのが上手いと声を上げて賞賛した。
という逸話まで残っているほどである。
これは流石に作られた逸話だろうが逝観帯を制すものが女岱を制すことは間違いが無い。
887 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 18:50:16
超良スレあげ
【明日部巣都(あすべすと)】
前魏の初代皇帝が都と定めた中国西部の大都市であったが、ここが都となって
以来、歴代皇帝が次々と奇病に倒れたため、のろわれた都として放棄された。
帝都だったこの堅牢な城塞が残されているため、その後いくつかの小規模軍閥
の根拠地となった。
【明日部巣都(あすべすと)】
前魏の初代皇帝が都と定めた中国西部の大都市であったが、ここが都となって
以来、歴代皇帝が次々と奇病に倒れたため、呪われた都として放棄された。
帝都だったころの堅牢な城塞が残されているため、その後いくつかの小規模軍閥
の根拠地となった。
泰液(たいえき)
雲国の将軍、のち宰相
雲国の名門出身
弟の泰毛と共に、対満戦で活躍し昇進を重ねた。
また満国の名将万黄とも戦かったが、鉄壁の陣形である「刃陣」を打ち破るこ
とが出来ず大敗し、命からがら陣地へ逃げ帰っている。
弁揮の死後、雲国の宰相となり、陳歩の失脚時には自ら大軍を率いて、陳国へ
攻め込み、玉京を占領した。
これにより彼の名声、権勢は主君劉傑をも上回るほどになる。
復帰した陳歩により連合軍が壊滅すると責任を弁挫に擦り付け、これを
きっかけに泰氏に継ぐ名門、弁一族を抹殺した。
これにより泰氏独裁が始まるかと思われたが、国を憂いた切路、伊保児らにより
弟共々、暗殺された。
891 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 04:30:42
万具炉【マグロ】
万国の将軍。性格は無愛想で無口。
戦術は動かざること山の如しを実践しているような人物であり
各地さまざまな戦場で功を立てた。
万黄と陳歩の会戦では歴戦の将、万具炉に脅威を感じた陳歩が万具炉の陣を邪魔に感じあの手この手で山の絶頂に追いやろうとするが
自陣を死守しついに3日3晩守り通した。一説によると陳歩が必死に2方面から攻めたり陣の穴を突いたりしてきたものの
感じてる様子すら無かったという。
しかし万具炉の奮戦むなしく万黄は大敗を喫し、殿を一気に引き受け戦死した。
陳歩曰く「このわしでも万具炉だけはどうにもならん」
892 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 04:39:13
尿道(にょうどう)
陳国の国境から首都玉金までを繋ぐ街道。
近くに川が流れているのが特徴である。
たまに洪水になったときは大量の水や臭い白い液が尿道を通ることがあり治水工事の
必要性を感じさせるが、これによって敵を撃退したことがなんどもあるのでそれはしないらしい。
陳歩が首都玉金を占領さて復職した時に
敵を撃退できたのもこの洪水で敵の補給部隊が壊滅したためであり、まさに陳国に尿道ありと言ったところだろうか。
893 :
547:2006/01/16(月) 16:00:45
>>890 万黄の「刃陣」に敗れたのは泰液(たいえき)の父、泰周(たいしゅう)の事だと思われます。
泰周は将としては非凡なものでしたが、『脱襲嘆』の脱襲(だっしゅう)らと不和で、お互いの存在を消さんと権力争いに心血を注ぎました。
結果、泰周は罷免されますが、脱襲も職務と権力闘争でやつれ、例の『脱襲嘆』を表すまでにいたったのでしょう。
泰液(たいえき)がその後弁一族と争ったのも、おそらく「地」(
>>584)の問題で、弁氏と脱氏は同じ「地」であったからでしょう。
その問題が表面化したのが、「膣壁の戦い」の前に起きた有名な「都尉令(といれい)の会堂」ですね。
当時、満の圧力を受けていた雲が、陳と結び戦うか降伏するかで揉めた時、都尉令に集まった文武百官による大会議が開かれました。
その時、二大勢力に別れたのが、以下の通り。
雲国三代目君主雲香(うんこう)を中心とする開戦派グループ
【泰周、泰液、放屁(ほうひ
>>120)、雲古舟(うんこしゅう・雲治の従弟)、狗彩(くさい)、丹応(におう)、伊修(いしゅう)、伊保児(いぼじ)その他「異母地」グループ】
雲国太子雲傑(後の劉傑)を中心とする穏健派グループ
【弁揮、億陀袈(おくだけ
>>134)、脱襲、覇武李衆(はぶりーず・異民族)、瀬梵(せぼん・文官。「都尉令(といれい)に瀬梵」で有名。)、董棟(とうとう
>>583)切路(きれじ)ら「吉礼地」グループ】
中道派グループとして、その他の「地」や、官朝制度導入後に士官したグループ
【美出、甘超、発擦、輪式、楊敷、丁毛ら】
彼らが、諸除易(しょじょえき)の巧みな誘導によって内紛している隙に、陳国が根同霧城に進軍してしまったので、
中道派の美出を大将にしてやむなく出陣した、という経緯があります。
結果的に戦いに勝利したため、開戦派は大きな力を持ったそうですが、泰液の躍進もきっと膣壁での出来事が大きく作用していると思います。
>>874 お疲れ様です! グッドジョブ、グッドジョブです!
フラッシュもがんばって作ってますが、いかんせん初心者……。
気長に頑張ります。
894 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 16:06:35
万国の派閥ってのはどうなの・・・
自分で作れですか、ありがとうございます
895 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 16:09:29
異民族同士の争いってどうなの・・・・
自分で作れですかありがとうございます
>>891 「万黄は大敗を喫し、殿を一気に引き受け戦死した。」
万黄は皇帝満益に斬られたんじゃなかったっけ?
それともこの戦(啓桔の戦い?)大敗のあと斬首で=戦死でいいのかな?
はてなマークばかりでスマン
>>896 殿を引き受けて死んだのは万具炉。
「万具炉が」抜けていた。
898 :
896:2006/01/16(月) 17:48:09
>>897 ありがとう。すっきりした。
つうか俺の読解力の無さときたら・・・。ちょっと逝ってくる
何このネ申スレ・・・・・・・
/ヽ /ヽ
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>>890 >>893 万黄と戦ったのは精子では泰周とされています。
万黄VS泰液は北京大学園田(えんでん)教授の珍説です。
田中芳樹先生の歴史小説【泰液】でこの珍説がまるで史実のように書かれ
たため、今でも勘違いしている人が多いようです。
歴史小説【泰液】田中芳樹(でんちゅうほうじゅ):著
珍軽視を主人公にした某小説とよく似た、泰液マンセー小説。
なぜ泰液ごときを主役としたのか陳国志ファンの間でも謎とされている。
姓名:魔羅(まら) 字:奴那(どな)
「神手(しんしゅ)」と呼ばれた、前魏の忠臣。
空義従(くうきじゅう)とよばれる精鋭騎馬隊を率いて曹賈の乱平定で
活躍した将軍の一人である。その際、鱒古見(ますこみ)という黄明武将
を討ち取っている。
前魏崩壊後、厨国北方の液京(えきけい)を根拠地に軍閥化する。
前魏の皇族を招いて国号「精魏(せいぎ)」とし、自らは精魏相国・大便帥
(だいべんすい)と名乗り、逆臣斉苗討伐の精戦をおこしたが、1年半の
戦いの後、斉苗に根拠地の液京を攻略され滅亡。その後、魔羅は行方不明。
郭子呉(かくしご)という隠し子がいたらしい。
立君(りっくん)
屋追族の崇拝する神の一つ(屋追族は多神教である)
屋追族の経典・蒙昌伝(もうしょうでん)によると、立君は
永遠の17才美少年軍師であるとされている。
藻座衣苦(もざいく)
精子に書かれている謎の現象。
陳国志精子には瀬宮州の戦いで「藻座衣苦が発生し陳歩と万黄の姿を覆い隠した」
とある。
藻座衣苦とは霧である。というのが一般的な解釈だが、激戦による砂埃のことだ
という解釈をする人もいる。
姓名:姉歯異(しばい) 字:厨達(ちゅうたつ)
万国の技術士官。「不経済設計」で数多くの堅牢な城塞を築いた。
彼の建築物は某建築士と異なり耐震性に優れていたという。
姓名:江布(えふ) 字:割賦(かっぷ)
満国の智将。牌釣戦法(ぱいづり)を得意とした。
牌釣戦法とは軍を二つに分け、敵を包み込むように逝かせる戦法であるらしい。
鶴翼の陣形に似ているとも言われる。
陳歩もあと少しで逝くところであったらしい。
満国では「江布は名将ではあるが、万黄ほどの人物ではない」
と評価されていたため、万黄の名声を妬んでいた。
実際に周りの評価を極端に気にする、小人物だったようだ。
なお満益の命令で万黄を直接、斬ったのは江布である。
その後、万黄の首を足で踏みつけるという軽蔑すべき行動をした。
姓名:馬休(ばきゅう) 字:夢華(むか)
満国の武将。東部戦線(対雲国戦)で活躍した。
まるで吸い込むように雲国軍の陣地を陥落させたため、「雲地吸引」と
恐れられたという。
輪式と楊敷のコンビと「水仙の戦い」で激突したが、決着はつかなかった。
殷蘭と殷抗による「馬休の腹には雲国がつまっています。いずれ謀反を
おこすでしょう」という讒言を真に受けた、満益は馬休の処分を万黄と
江布に相談した。
万黄曰く「馬休は忠臣であります、讒言に惑わされてはいけません」
江布曰く「逆臣馬休を見せしめとして即刻処刑すべきです」
満益はあいだを取って(?)馬休を江炉漫画島へ追放とした。
なお、三国志の馬休との関係は不明。
>>907 よく精子を読んだら、「水仙の戦い」はほとんど「輪式と楊敷コンビ」の勝利で
あった。と書いてありました。
老将馬休の「汲取(くみとり)用兵術」はやや古いものであったらしいです。
輪式と楊敷コンビの「水洗用兵術」の素早い動きにはついていけなかったようです。
被害は(満国死傷者:2700人、雲国死傷者:470人)でまさに世代交代を思わせる
戦いだったようです。
>>149 最近では「水洗の陣」は本当にあったという説も有力です。
緒那似(おなに)
訓練が大好きな陳国の将軍
訓練中に万黄の軍勢に強襲される。
「勃て!!勃って万黄に突撃しろ!!」と緒那似は叫んだが、
訓練のやり過ぎで兵士達は勃つことも出来ず。部隊は壊滅。
万黄に降伏した彼は、満国の将軍となる。
満国軍の将として陳歩と対戦したが軽く蹴散らされ、敗戦の責任を問われ
処刑されることを恐れたため、雲国に亡命した。
雲国では庶徐とともにお留守番コンビとなる。
実戦では弱いものの、真面目にこつこつと兵の訓練をするので、意外と
雲国では重宝されたらしい、彼はようやく居場所を見つけたようである。
姓名:江伊(えい) 字:割賦(かっぷ)
悪名高い満国官僚。江布の弟であり殷蘭の養子でもあるという、ある意味凄
い人である。
何故か字は兄と同じである。
光栄新税法(こうえいぜいほう)を制定し非違京税(ぴいけいぜい)、猛尚税
(もうしょうぜい)などの増税で庶民から繰り返し金を搾り取った。
一見、袁如に似ているが、なんと江伊自身は質素な生活を送っていた。
基本的に地味な人物で、まな板のような体つきであったという。
庶民から巻き上げた金は全て義父(殷蘭)と兄(江布)の懐に入っていた。
最終的にその金は満益や殷蘭、殷抗の豪遊に使われたという。
江布は、国内のライバル武将(特に万黄)暗殺の刺客育成に金を使ったらしい。
【万黄死後の江布(江布の最期)】
江布は一流の用兵術と最低の人格の持ち主であった。
万黄を斬った後、万拡と軍権を争った。
殷蘭、殷抗の強力な後押しもありこの争いは江布が有利かと思われたが、
以前から江布を怨んでいた陳巣肛に突然襲われ殺されてしまった。
この事件に殷蘭と殷抗は震え上がり、以後陳国に殺されるまでは、わりと
おとなしくなった。
万拡曰く「これで奸臣は除かれたが、満国の将来はいっそう暗いものに
なったかもしれない、もはや満国に人材はいない」
鎮侯(ちんこう)
前魏の鎮江県の県令。鎮侯とは位の名前であって、本名は不明である。
鎮江県は満と斉の中間にある県であるが、交易が非常に盛んで、住人は
富豪が多かった。前魏崩壊後独立するが、暦や制度は前魏の物をそのま
ま使用し、鎮侯はそのまま前魏国県令を名乗り続けた。
しかし強大化した満、斉両大国から次第に圧力をかけられ、独立の維持は
次第に難しくなっていった。
斉苗から「鎮侯ならないか?」
満益から「鎮江を満に入れたくないか?(満国の軍門に降れという意味)」
悩んだすえ、「前魏最大の逆臣斉苗よりは満益のほうが多少はましだろう」
と考え、鎮侯は満国の軍門に下った。
とたんに斉苗の大軍が攻め寄せてきた。鎮江に駐留していた満国の将、盛漢
の軍は何の役にもたたずあっという間に撃破され盛漢は本国に逃げ帰った。
斉苗に捕らえられた鎮侯は、徹底的に斉苗を罵り、激怒した斉苗にに殺された。
>>912 ×にに殺された
〇に煮殺された
斉苗は大鍋で、鎮侯を煮殺したのです。
〇「やらないか」
×「ならないか」
間違えまくりだ。
>>912【第一次鎮江攻防戦】
第二次鎮江攻防戦(だいにじちんこうこうぼうせん)
斉苗は精魏を討つため北方へと向かった。その隙に満国は陳巣肛を派遣し、
斉の太守劉待(りゅうまち)を捕ら鎮江を占拠した。
なお劉待は満国軍に加わった。
第三次鎮江攻防戦(だいさんじちんこうこうぼうせん)
斉苗は于甫を派遣し、陳巣肛軍を撃退し、劉待を斬った。
満益曰く「鎮江は満に出たり入ったりするのう・・・。」
なお斉、満両国とも兵を小出しにしているのは、それぞれ、対陳戦、対精魏
戦に多くの兵力を割かなければいけなかったからである。
誰か陳国志をゲーム化してくれ
917 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 08:38:25
斉童徳(せいどうとく)
満国の文官。
殷蘭、殷抗と対立していた。
聖順(せいじゅん)
満国の文官。斉童徳の親友
やはり殷蘭、殷抗とは対立していた。
能力値
陳歩
統率:100 武力:87 知力:97 政治:89 魅力:98
万黄
統率:95 武力:83 知力:91 政治:73 魅力:97
尿道炎
統率:52 武力:54 知力:100 政治:76 魅力:38
諸除易
統率:78 武力:64 知力:98 政治:98 魅力:16
許昆
統率:26 武力:23 知力:90 政治:99 魅力:65
正翼
統率:47 武力:99 知力:21 政治:17 魅力:30
良辱
統率:75 武力:65 知力:78 政治:62 魅力:62
美出
統率:93 武力:74 知力:95 政治:73 魅力:80
殷抗
統率:7 武力:3 知力:87 政治:1 魅力:2
斉苗
統率:93 武力:100 知力:57 政治:34 魅力:94
梅武
統率:90 武力:75 知力:88 政治:70 魅力:65
緒藻裸資(おもらし)
満国末期の百姓一揆の指導者
緒藻裸資が「もう我慢できねぇ!」と叫んだのが一揆のきっかけ
寸止(すんどめ)
陳国の有名な軍学者
戦術論戦では陳歩に勝っていたという。
主君はこの寸止を高く評価していたが、務世は「寸止が強いのは机上だけ
でございます、実戦では役に立ちますまい。」と言っていた。
主君の命により、万黄と対戦した。
寸止は「逝きそうで、逝かない」という戦法で万黄を迎え撃ったが、そのような
小細工は万黄に通用せず、万黄の絞まるような攻撃であっけなく逝ってしまった。
寸止は逝く瞬間、恍惚の表情であったといわれる。
斉
厨国北方の国、首都は病巣(びょうす)
国力は満国の三分の一程度であったが、軍事的には強大であった。
満、雲、陳とは異なり、正式な王朝とはみなされない場合がある。
主な都市は「病巣、液京、鎮江
>>912、慰安府
>>146」
923 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 10:20:45
924 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 11:03:25
陳国志辞典の矛盾発見しました。
後威零帝が「前魏の皇帝」か「陳の皇帝」かはっきりしません。
道卓時代の前魏皇帝である居怜帝の跡継ぎとされる後威零帝に陳歩の子、陳邦敬
が後威零帝に仕えるというのは、時期的にも無理があると思われます。
925 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 11:48:06
何このネ申スレ・・・・・・・
/ヽ /ヽ
/ ヽ / ヽ
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926 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 11:59:52
(`ハ´ )【尿道炎(にょうどうえん)】
陳国史を代表する天才軍師、超名門出身
陳国の名将陳歩の参謀
手段を選ばぬマキャべリストであった。
927 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 12:10:11
(丶`∀´)諸除易(しょじょえき)
陳国史を代表する天才策士、尿道炎の部下として活躍
尿道炎以上に非道な策を平気で用いる。
「米が無いなら民を食えばいいじゃない」という台詞が有名。
「生ぬるい!」が口ぐせだった。
ちなみに私は諸除易のファンである。
彼の活躍により救われた非常に陳国兵は多いのである。
陳歩がもっと彼を重く用いていれば、5年早く満国を滅ぼせたと思います。
928 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 12:19:20
(・ω・)【満益(まんえき)】
宦官の言いなりになる、愚帝の見本。
もっとも本人に悪気はなかったらしい。
名君説もあるが、「劉禅名君説」と同じようなものでもの。
殷蘭と殷抗と「いけない遊び」に夢中になる。
929 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 12:50:49
930 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 13:44:06
瀬宮州の戦い直前の満国状態
【第一軍団 本拠:淮府 武将数:18】
主君:満益 軍師:殷蘭 政治顧問:殷抗
金:100億満固 兵力:50000
軍団方針:酒池肉林
【第二軍団 本拠:瀬宮州 武将数:31】
都督:万黄 参謀:菊門 政治顧問:馬魏那
金:50億満固 兵力:200000
軍団方針:陳国軍を迎撃
【第三軍団 本拠:監禁城 武将数:6】
都督:金玉日 参謀:金玉鉄 政治顧問:金玉男
金:30億満固 兵力:35000
軍団方針:首都防衛
【第四軍団 本拠:水仙 武将数:9】
都督:馬休
金:30億満固 兵力:100000
軍団方針:雲国軍を迎撃
931 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 18:44:49
五度牡牝行(ごどおめこう)
満国と陳国の国境地帯に存在した宗教国家。教主絶麟(ぜつりん)の「男たるも
の日に五度はせねばならぬ。」の教えから人口爆発をおこし、一大勢力となり、
満国にたびたび侵入した。しかし陳国成立に伴い、帰順し、兵士の一台供給源と
なった。旧五度牡牝行地域出身の兵士は精衆兵とよばれ、血気盛んなことで有名
である
932 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 18:57:47
本拠地は杜山(もりさん)中の覆城址で、難攻不落で知られた。
秘技を駆使し、五度牡牝行の七本棒とよばれた僧兵武将たちが有名である。
つ カオスレギオン
これやるから次スレ立てないでくれ。
五度牡牝行の七本棒たち。なお「漢」とは、僧兵に与えられたホーリーネーム
である。
倫漢(りんかん)
軍勢を独自の飛び道具である倫漢砲を使う小部隊に分け次々に敵に襲い掛かる
仏掛(ぶっかけ)の陣を得意とした。
阿王漢(おおうかん)
教主絶倫をして、「平野では阿王漢にかなうものなし」と賞賛された野戦の名人。
屍漢(しかん)
猛将ではあるが、残虐な性で、敵の死体を辱めることを好んだ。
快漢(かいかん)
本名は加唐、その迅速な動きは敵をして「鷹」と恐れられた。
性漢(せいかん)
敵陣地の後方からいきなり襲い掛かる、後門攻めを得意とする。
どのような堅い陣でも一瞬で達したという。
敏漢(びんかん)
七本棒の中では一番若く、勇猛だがすぐ果ててしまうので、
「先走り」とあだなされた。
智漢(ちかん)
その名のとおり、計略に長けた知将。鏡や棒、玉などの道具を使わせれば
天下一品である。
阿鼻叫漢(あびきょうかん)
敵を一瞬にして絶頂から苦痛に導き戦闘不能にしてしまう妖術を使う。
彼の戦死が、五度牡牝行が陳国に帰順せざるをえなかった大きな要因となる。
935 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 22:21:06
宝計(ほうけい)。字は皮冠(ひかん)。
若い時から知性に優れた天才軍師。
ムダのない計画を立てる。
難点は子孫がいないこと。
久々にスレ除いてみた。
dat落ちするどころか何かエライことになってしまってるな、いい意味で。
937 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 23:42:44
【後満(こうまん)】
厨国北部の国 首都:病巣
満益の子と称した満満が元斉の地に建国した。(満満は実は万黄の子である
という説もある)
斉苗とその一族が性病で次々に病死した後、斉家臣団の団結も緩み斉は混乱し
ていたが、満国が陳に滅ぼされると、その脅威に対抗するため、斉地の再統一
が急務となっていた。
そこで于甫の子、于甫甫(うほほ)は満国の皇族、満満を新たな主君とするこ
とで、団結をはかるという奇策に出た。
当然反対者が反乱を起こしたが、于甫甫と満満により徹底的に鎮圧された。
後満は雲国とともに陳歩失脚後の大攻勢の主力となった。
938 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 23:47:55
于甫甫(うほほ)
于甫の子、後満の相国
後満の事実上の建国者。主君の満満とは非常に強い絆で結ばれていた。
そのためホモ疑惑まで浮上するほどだったという。
このスレは陳国志の精史と陳国志前戯が入り乱れてややこしいな
いろいろな矛盾点を無くしていくためにこのスレが存在するのだが
父から薦められて横穴陳国志の漫画を読んで以来、陳国志が大好きですw
世界史板探してもスレは無かったようですが、ここでスレを見つけられてうれしいです。
ところで、絶麟の五度牡牝行と、田代の乙女淫道の関連はどう整理すればいいのでしょう?
地理的には同じ位置の勢力のようです。
精子によると、乙女淫道の田代が陳国の侵攻を受けた際には、
駝鳥三兄弟の巧みな外交が功を奏し、
満国が田代に協力する形で陳国を迎撃→みこすり半の戦いが発生していますね。
これに対し、五度牡牝行は陳国成立と共にこれに帰順した・・・ということは、
年代的には五度牡牝行が先ですね。
もしかすると田代は、五度牡牝行の教義をベースに乙女淫道を立ち上げた?
つまり、五度牡牝行→乙女淫道→五斗米道という流れになるのかな・・・
>>939さんの内容については、教主であった絶麟が、陳国に帰順後は武官として活躍した、
ということで説明できますかね?
詳しい方がいらっしゃったら補足していただきたいです。
自分でももっと調べます。クエスチョンばかりですみません。
943 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 18:25:53
「陳に宝計在り」と言わしめた天才軍師、宝計皮冠(ほうけい・ひかん)。
彼の無駄のない計画は陳国を幾度となく危機から救った。
有名な「脇名峡の戦い(わぎなきょうのたたかい)」では数万人の軍隊による
波状攻撃で満国軍を壊滅させた。
今度のエンコーの「陳国志」シリーズには麻原(まげん)が国主の雄武国を始め
いろんなマイナーな国が追加されるらしい。
945 :
腐女子:2006/01/20(金) 23:03:23
陳国無双からファンになりました
万黄さまは美形で声もいいし最高です!!
陳歩もちょっとワイルドな若武者で捨てがたい…(^^;
渋い斉苗×少年時代の陳歩
陳歩×万黄さまの801が好きな人、このスレにはいませんか?
>>945 無双厨腐女子キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!www
ところで、
>>184を書いた者です。
まとめスレに取り上げていただいて、喜んでいます。
しかし、みこすり半の戦いについて、したり顔で補足コメントしていますが、
後で調べたら艶義ベースのエピソードなんですね・・・
みこすり半は結構いろんな作家が描いているんで、
精子を踏まえないで書いてしまったんですが。
みこすり半についての正しい記述は
>>70さんになるかと思います。
そんなわけで、できればまとめ人さんにそこのところを
フォローしていただけると嬉しいです。
>>943 精子厨の俺から言わせれば、陳の軍師といえば尿道炎。
でも艶義では宝計ってカッコいい描かれ方してるんだよね・・・
実態がどれほどかってことには議論があると思うんだけど、
エンコーが無双に登場させちゃったからもっと訳分からん感じになっちゃったw
去年、宝計スレ立ててちゃんと詰めようとしたら、腐女子が張り付いて話にならなかったな。
尿道炎は逆に艶義ではイメージ悪いからね・・・
令布の戦いの満胡襲の特攻エピソードは吉川陳国志が一番泣ける。
蒼天行為でどう描かれるのかすごい楽しみにしてたのに、
ほぼスルーだったのはがっかりしたなぁ・・・
無粗相(無双)はなあ、やっぱ斉苗つええ、強すぎ。
個人的には泰周もいけるんだけど。ていうか、雲で使えるの泰周くらい? クセがありすぎ。
美出のダッシュ攻撃は仕えるけど攻撃力ないし、甘超の乱舞は突進系だからなあ。強いんだけど。
あと無粗相、陳系の武将弱すぎじゃない?
鬼董のヤリも直線的な動き。まあ、馬に乗れば強いんだけど。
まあ腐女子的にはやたら美形化された陳歩とかがあればいいんだろうけど。
本当の陳歩はもっとグロい顔してんだよ、玉のような顔だが、シワシワで浅黒かったって精子に書いてあるし。
初めて陳歩を見た女子は思わず顔を背けたそうだ。まあ戦乱の世の将軍なんだから、その程度でいいんだけど。
まあ、それじゃあゲームは売れないけどね。
岸安事件
親衛隊隊長の斉苗が後威零帝を殺害した事件。前魏崩壊の引き金となった。
朝敵となった斉苗は病巣へと逃亡した。
事件後、諸侯が勝手に皇族を擁立し事実上独立していった。
尚、岸安(ぎしあん)とは前魏の都。正式には岸々安安(ぎしぎしあんあん)
という。
腐美人
斉苗の正室。屋追族の人、厨国三大醜女の一人
たいへん醜い容姿だったが、ブス専であった斉苗に気に入られ正室となった。
虚言癖があり、「後威零帝に犯された」と出鱈目を斉苗に吹き込み岸安事件
を引き起こさせた。
死後、不美人草になったという伝説がある。
狂劇や陳国志艶技では悲劇のヒロインとして美化されている。
951 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 11:12:43
精寛染(せいかんせん)
前魏の病巣太守。
岸安事件の後、軍閥政権を樹立するが、岸安から逃げてきた斉苗に滅ぼされた。
952 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 11:16:19
斉喬郁(せいきょういく)
満国の武将。斉童徳の弟
初陣に敗れた万黄は斉喬郁によって鍛えられたという。
953 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 11:33:02
満豪孟(まんごうもう)
満国の初代皇帝 満益の父
武人の子として生まれ、曹賈の乱鎮圧で活躍した武将の一人であった。
岸安事件のあと、後威零帝の甥、同帝(どうてい)を即位させ自らは満公
(まんこう)と称した。
金之貌、鍾秀玄ら群雄を滅ぼし、勢力を拡大する。
同帝から禅譲され満帝国皇帝となった。
彼の得意とした「剛毛の陣」は「刃陣」の原型となった。
954 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 11:42:06
燭姦(しょくかん)
梅武が興こした国、首都は万年緒城
梅武は満国燭姦王と称していたため、形式上は満国の属国だった。
5年で滅亡。
新設定もいいが、
まとめサイト見て、記述の少ない項目を膨らませる方向も頼むぜ
956 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 13:25:59
陳国志Yの4シナリオを斉苗でプレイしているんだけど、斉の武将
って内政できるやつがいないから、金、米がすぐ不足して結構きついよね。
まずは満国から良い文官を取ってこないとダメだな。
957 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 13:29:35
なんとか殷抗をスカウトできたけど、こいつは政治全然出来ないんだよね。
しかもすぐ裏切るしさ
斉苗で思い出したけど王南ってさ、粗朕戦争期の名将王羅流瀬樟(おうらるせくす、せくすは字)
の子孫と自称してたらしいけどさ、明らかにありえないよなwww
だって王羅流は口内発射以外したこと無いって言う逸話が残ってるから
子供なんているはずが無いwwwwwwwwwww
>>958 王南ってキモ杉
ところで変質社氏がまた「腐美人の太ももにざるそばのせて食べたい」とか
いう糞スレをたてていたぞ。
夢想のイメージで腐美人をロリ娘だと思っているらしいな
>>959 なんでさ?あいつらはあいつらで陳歩とは違った趣の魅力あるじゃん。
斉苗とまともに正面からぶつかって生きてたのこいつらぐらいだし。
にしても王羅流ってつくづく悲劇の名将だよな。喘羽が淫王朝から覇権を奪った時
一番功績があったのは彼なのに、陳平の策であっけなく疎んじられて殺されたもんな。
だから乳邦に負けたんだろうがな。乳邦はどんな時も部下を信頼するもんな。まあそれが元で死に掛けたことも一度や二度じゃないんだけど。
つか腐美人はすっごいブサイクなのにまた萌えようとするバカが出たかwww
喘羽は恐ろしい程のブサイク好きなのを知らないようだな。
961 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 14:25:32
宝斐(ほうひ)字は允慧(いんけい)。
あの天才軍師・宝計の弟。兄ほどの知性はないが、武芸に優れ、
1人で数十人もの大軍を殲滅させた事があるが事実であるかは疑わしい。
962 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 16:16:21
そういえば、陳国無粗相・早漏伝は結構面白いね。
一兵卒となって遊べる「勃起モード」だけで買いだよ。
武将からの引き抜きの手紙が、個性あってまたおもしろい。
于甫なんて「斉苗様のもとで天下取りやらないか?」
承諾した時「うれしいこと言ってくれるじゃないの」って言われて
腐美人は、なんかヘンな伏字や意味不明の専門用語ばっかりで
俺は断ったけどね。
963 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 18:47:46
なにこのスレ?
964 :
960:2006/01/21(土) 18:54:42
>喘羽は恐ろしい程のブサイク好きなのを知らないようだな。
喘羽×
斉苗○
しかしワイセッツ・オットーコほどの男が低評価なんだから不思議だよな。
彼エローッパじゃ「エキベントリック」っていう特殊な戦法を武器にエローッパ帝国最高の将、
と言われる男なのに陳歩のダシにされてるからなー。それだけ陳歩の将器が大きかったってことか。
965 :
960:2006/01/21(土) 18:58:40
しかしワイセッツ・オットーコほどの男が低評価なんだから不思議だよな。
彼エローッパじゃ「エキベントリック」っていう特殊な戦法を武器に数多の国々を滅ぼし、名を聞いただけで逃げ出す兵卒もいるほどで、
賢帝エロス10世をして「奴こそエローッパ帝国最高の将」 と言わしめた男なのに
陳歩のダシにされてるからなー。それだけ陳歩の将器が大きかったってことか。
と言いたかった。
966 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 21:43:57
陳国志大戦の斉苗デッキは強すぎ、絶対能力、修正されるな。
967 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 21:46:27
最近思うんだが、雲国って斉より影が薄いよな。
968 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 22:06:23
雲国は本放送の打ち切り直前に登場したから。新シリーズはファン投票の結果で展開が変わるらしいぞ。
どうがんばっても雲国は影が薄そうだけどなwww
雲国は陳国無粗相の続編で、美形だらけになる予定です。
女性武将もいっぱい出るからお楽しみに。
971 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 22:34:17
おいおい印象操作かよ。雲国が新シリーズでは中心を担うのは間違いないだろが。
三国志と下ネタとスレの流れの三つを同時に踏まえたパロディにするってのが難しいな。そういう意味で547が今んところ一番上手いな。俺も頑張ろう。
まとめサイトが機能してスレが濃くなってきましたね!
まとめ人さんに改めて敬意を表したいです。
>>941あたりの内容に547神の見解が聞きたいですね。
あと、
>>947の令布の戦いの満胡襲の特攻、読みたい。。。
吉川陳国志って絶版はしてませんよね?
どこ探しても無いですね。Marazon.co にも在庫がない。。。
手元にある人うらやましいです。
>>552「粗朕戦争」がよくわからなくて困ってます。
喘羽と項羽、乳邦と劉邦 の表記は原文ママでいいんでしょうか?
975 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 12:29:05
プラモとゲームカードの店「ボッタクリストアー」
陳国志大戦カード販売激安販売!!
【斉苗】スーパーレア 8700円
【陳歩】スーパーレア 7400円
【万黄】スーパーレア 5800円
【諸除易】レア 3200円
976 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 13:33:22
宝計の最期には色々な説がある。
「病死説」「暗殺説」「殺害説(射殺、毒殺、刺殺、斬殺、撲殺)」
この中でも最も有力なのが「病死説」である。
977 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 22:28:33
>>975 今時は陰淋ですら5000円台だってのに、陳歩で7000円はないと思う。
978 :
斉苗:2006/01/23(月) 11:13:49
于甫……いいスレになったなぁ・・・
979 :
吉川英恥・陳国志・激襲満胡襲:2006/01/24(火) 09:57:22
退路は、絶たれた。満胡襲はもはや振り返らなかった。手塩にかけた精鋭兵団「狼佗亜」の名誉ある鎧武者達が、目の前から一人、また一人と消えていく。
「九沙(くさ)……」
満胡襲はただ、妻の名を呼んだ。名門、満家の妻。満九沙(まんくさ)。乱世ゆえ、正式な挙式は済ませていなかった。
「満九沙満九沙満九沙満九沙……」
――辛くなったとき、私の名をどうかおよび下さい――。
「満九沙満九沙満九沙満九沙!」
――九沙は常に、貴方のお傍で見守っています――。
「マンクサ!」
満胡襲が矛を振るうと、数を頼みに殺到する陳の兵は次々と首を刎ねられていく。
妻はもう、居ない。満胡襲は今、ただの一人の、満国の将であった。
980 :
吉川英恥・陳国志・激襲満胡襲2:2006/01/24(火) 10:11:09
令布は、修羅場と化した。夥しい量の血液は踝までたまっている。
退路のない満胡襲と狼佗亜は、出口のない戦場をいつまでも駆け巡っていた。
――見よ、感ぜよ、我こそは満胡襲。陳兵たちよ、満に幻想を抱く全てのものよ。漂う我に、貴様らの幻想に絶望せよ!
強烈に、苛烈に満胡襲は攻める。矢つき、刀折れ、それでもなお、満胡襲は戦場を漂う事をやめない。
これが現実だ、満を打ち破る全てのものに、満に満胡襲あり、と見せ付けるのだ。
激襲(げきしゅう)。まさに激襲。
満胡襲の強力な存在に、陳兵達は思わず顔を背ける。
それでも、いきり立った陳兵達は、満の陣に殺到するのをやめない。
力ずくで、満の全てを奪い去らんと、屠り、攻め、貫き、締める。
「陳歩!」
背中に衝撃が走った。それは次第に感覚を失い、なぜか暖かくも感じた。
「戦のたびに思い出すがいい、そして萎えよ! 満に満胡襲ありと!」
そして、満胡襲の視界から全てがゆっくりと、消えた。
目を閉じる前に、満胡襲は夢を見た。
それは、尿道炎に暗殺されたはずの彼の妻、九沙と、幸せな婚姻の儀式の様子であった。
ふーん
>>981 みんなが楽しみたくて、まとめ人が出てきたりとか、
盛り上げたくて、このスレを。
吉川陳国志の新作が出て、
嬉しくて、嬉しくて、
何か反応しなくちゃ!!
で、リロードしたらお前のこのレス。
確かに馬鹿スレに見えるかも。vipに帰れって言われるような。
でも、ここは違うから。
脊髄反射でお前はそのレスをしたのでしょう?
だったら、他で、鬱憤を晴らして。