郭嘉 郭嘉って言うけど

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183無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 12:47:03
>>180
裴松之が正しいかどうかは別として、裴松之の中では論が通っているよ。魏を持ち上げた陳寿の
三国志観に毒された裴松之にとって「そのときはそうするしかなかった」というのは、曹操のみ
に仕えることであって、その他はボンクラ君主扱い。李、郭は悪逆非道な君主扱い。
曹操の地盤が生まれて間もない時期に袁紹を去って、曹操の創業を支えた荀ケだからこそ
青雲の士として張良に比されている。
賈詡の場合は、初期の曹操に使えてないだけでなく、人を見る目を持ちながら、裴松之に
とっては悪逆非道な李、郭に対して有益な進言をしたということで賈詡の株が下がる。
逆に董卓暗殺計画に加わっていた荀攸の株は上がる。

そんでもって陳寿による郭嘉の扱いに裴松之が納得してるのは、不品行だったからだろうなorz
184無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 13:15:25
誰に対しても、良い策を授けるというのが賈クの良いところなんだがなあ。
185無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 13:38:41
荀ケ、荀攸、賈詡の三人のなかでは賈詡がいちばん理解し易い。
荀攸はかなり謎の人だ。董卓暗殺計画って善行のように思われがちだけど、
出奔しないで暗殺を目論むというのは言い換えれば権力を掌握したいってことでもある。
186無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 13:59:26
董卓暗殺計画の中心人物って何顆かな?彼は、袁紹とのつながりで暗殺考えてたんだろうか?
あいつは外から、俺は内から董卓を倒すぜ、みたいな感じで。
187無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 14:22:40
荀攸を取り立てたのは何進。宦官との対立の中で、智謀の士として何顆を北軍中候に
荀攸を黄門侍郎に、鄭泰を尚書に任じて招いた。この3人がそのまま、董卓暗殺計画の
中心人物になってることからすると、この3人は宦官誅殺計画時の雰囲気をそのまま董卓に
向けたというようなことじゃないかな。
188無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 02:03:16
なにげにカッコイイぜ荀攸・・
189無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 03:10:23
荀家は、清流派の家として、朝廷とはかくあるべきという理想が強かったんだろう。
党錮の禁を経験してきた中央政界の中にいて、朝臣意識も高そうだし。

西方出身の賈クはそうした流れとは距離をおける考えの持ち主だったんだろうな。
晩年に、私的な交流を慎んだというのも、清流派家の間の交流と深く関る必要がそれほど
なかったからかもね。
190無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 03:25:57
>荀攸と鍾ヨウが朱建平に人相を見てもらった。
>朱建平は、「荀さまは年がお若いが、きっと後事を鍾さまに見ておもらいになることになりましょう。」と言った。
>鍾ヨウは、『そうなったら、あんたの阿鶩(鶩ちゃん。荀攸の妾)を嫁にやろう。』とからかった。
>実際、荀攸は幼い子供を残して先に死んだ。鍾ヨウは、荀攸の家族の面倒を見、その妾の嫁ぎ先を探した。
>(魏書 朱建平伝)

この話なんかみると、荀攸は思いきり私的交流に励んでいたようでカクと対称的な人物だけれども
背景に清流派家間のつながりがあったからこその交流とも言える。
191無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 00:40:57
カクカ〜 カクカ〜 カクノンカ〜
192無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 13:59:22
ところで前はなんとも思わなかったが、よく考えてみれば、
郭嘉ってなんであの時期に思いっきり「孫策なんぞ必ず暗殺されるから心配要らない」
って言ったのかな。並べた理由から、「その時期」に「絶対」暗殺されるという結論に
結び付けないと思う。唯一考えられるのは、彼が暗殺を画策していて、実行しているしかない。

しかし、曹操が知らないうちに、曹操に報告もせずにこんな一国の運命を左右する
行動をとるなんてやはりちょっと無理かな。なかなか不思議。
193無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 14:28:32
孫策を暗殺したのは許貢の食客だっけか
郭嘉は若い頃「英俊の士たちと交際を結」んでたが
食客になるようなのってつまりは英俊の士だよな
案外顔見知りで暗殺の機会狙ってるとか手紙くれてたりしてな
194無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 15:14:16
豪族の集団で成っている呉にあって
名声のある有力者達を次々と殺していった孫策、恨みを買わないはずがない
実際、孫権の時代になって周瑜と魯粛が孫策の時に買った恨みを解く為に奔走してる

郭嘉は孫策が名声のある人物を殺しすぎる事で
恨みを買ってることを根拠に挙げてたと思う
195無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 23:26:23
実は孫策殺したのは郭嘉
196無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 23:34:43
食客達に策と武器と資金と情報を与えたのは郭嘉
197無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 07:59:21
>>192
その時代に情報収集と分析が上手いやつだったら
行き着いた結論かと>孫策近々暗殺される

はたから見れば、いつ暗殺されても仕方ないと思える位、短期間でムリヤリな事をしてたわけだし>孫策
198無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 08:17:04
孫策は近いうち暗殺されるだろう・・・智者
孫策は近いうち暗殺されるから許都襲撃はないだろう・・・神

郭嘉は後者なので物議を醸すのです

許貢は曹操と連絡を取っていて、その食客が孫策を殺したというのはなかなかアヤシイよね
199無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 08:24:04
正史でもそうだっけ?>暗殺されるから許都襲撃はない
だとしたら、暗殺計画が漏れてたとしか思えんなぁ
200無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 08:54:31
やっぱ、許貢に援助してたんじゃない?
大っぴらに暗殺というのもなんだから、郭嘉の独断とか・・・それはないか
201無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 09:43:10
郭嘉が諜報部隊を派遣してて
暗殺計画の情報を仕入れていても不思議じゃ無さそうだ、いや所詮憶測だけど。
予言じゃあるまいし大の大人が根拠も無いのに言えないよな..>許都襲撃無い
202無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 16:47:47
>>194はスルーかよ、郭嘉がその件で凄いと言えるのは
予測が当たった事よりも(予測自体はそんなに難しくないだろう)
その予測が確実だという自信だろう
献策してそれが外れた場合の責任を考えれば
普通は滅多な事は口に出せないだろうからな、特に外れたら目も当てられない状況だしな
203無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 17:59:38
>>194をスルーしたのでなくて、

だからそれが確実だと言える自信は
どこから来ているのかが謎だって事。
204無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 18:21:41
郭嘉は献策したわけじゃない。
襲撃の情報に怯える都の人々に「アイツ死ぬから平気よ」とのたまっただけ。

で、この記述って三つの点で重要だと思うんだよな。
一つは、許都襲撃という計画が本当に存在していたと魏の資料でも書かれていること。
二つは、その襲撃計画が魏側にバレバレなこと。
三つは、襲撃計画を知りながら対応策を打たなかったらしいということ。
205無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 20:08:24
郭嘉が特別というわけじゃなく、
他のトップ周辺の人間達は同じ事を考えてかもねえ
206無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 20:17:00
立場的には荀ケが担当する事案だよな<暗殺
許都において荀ケ中心に練られた孫策暗殺計画を、
そのまま荀ケの功績に帰すると名声に傷がつくから、
その計画を漏らした郭嘉の智謀ということにした、とか。
妄想だが。
207無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 08:57:00
その荀ケも袁紹の件であいつ遅いから大丈夫って言い切ったし。
それも絶対間諜を出してたと思う。
208無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 13:19:04
郭嘉よりカクの方が好きだなあ
209無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 14:58:50
>>8 >>22
激烈バカ!! 懐かしいよね。
210無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 15:05:18
徐庶(単福)が出てきたときに、荀ケ(荀ユウだっけ?)が
「(その才は)私の数倍はある」ってほめてたけど(これはちょっと有能な
相手をたたえる意味もあったと思うが)、
単純に徐庶>荀ケといえるのだろうか?(軍師としてね)
211無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 15:15:49
>>210
それ多分程イクだと思う。
212無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 15:23:49
>>211
ごめん、うろおぼえで
213無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 15:30:22
諸葛亮もそんなこと言ってたような希ガス。
批判を受け入れる徐庶の態度を、10分の1でも見習うことができれば自分も間違いを減らせるのに
と言ってたと思う。 
214無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 21:24:30
>>210は演義(かつ程昱)で>>213は正史だろー
215無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 22:03:06
もし荀ケによって「単福は私の10倍の才を持っております」と曹操に紹介されたら、さぞかし出世したこと
だろう。御史中丞でも凄いと思うけど。

郭嘉が来る前に、荀ケは自分のかわりになる人物として荀攸と鍾ヨウを挙げていたけど、もしその時郭嘉も
いたら郭嘉を挙げただろうか。それとも、素行が悪かったから天才的策謀の士としての評価に特化して
荀ケのかわりとしてはみられなかっただろうか。
216無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 22:06:01
荀ケは変人が好きだったと史書にも書かれてるくらいだから、挙げてたかもね。
ただ、郭嘉はあくまで相談役であって荀攸や鍾繇とは立場が違うからなぁ。
217無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 22:09:56
確かに郭嘉が郭令君とか呼ばれるのは、いまいち想像し難いね。尚書令には向いてないのか。
218無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 01:16:33
>>137
そんな数値になったら個性も糞もねーな
219無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 03:06:49
徐庶って実際のトコどうなの?
なんか全然功績上げてない様な…。
220無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 04:48:03
魏書の徐庶伝読んでから言え
221無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 04:49:26
無茶いうな
222無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 08:52:40
どこに伝があるの〜?
223無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 09:32:34
魏略じゃなかったか。
どっちにしても読めないしな。
224無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 16:12:14
俺が悪かった
徐庶伝じゃなくて徐福伝だったかも知れん
225無名武将@お腹せっぷく:2005/05/16(月) 22:03:38
魏書に徐庶伝がない。徐氏の伝は三つぐらいあるが…

徐庶もかなり有能だと思う。
曹操の陣営に加入した時、即ちすでに魏の版図がほとんど完成しているときにも
関わらず、今から言えば次官級のクラスになれたことから相当買われていると思う。

226無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 00:11:16
いくら頑張っても正史に残らなきゃウンコ以下
なのかもなあ
227無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 00:43:49
>>226
そりゃ違うぞー
『三国志』は正史として書かれたわけじゃないから遺漏があって当然。
注に引かれる魏略か魏書のどちらかには徐庶伝が立てられてたらしい。

それに陳寿は徐庶を諸葛亮絡みの人物、いわば蜀の人として扱ったんじゃないか?
つまり、事績より逸話を重視して採録されたというだけのことかもしれない。
たとえば『史記』の「管晏列伝」には管仲と晏嬰の政治的功績はほとんど記されず、
管鮑の交わりと晏嬰の人格者ぶりを示すエピソードだけが載せられていて、
それぞれの公的な政治活動については「斉太公世家」に譲られている。
徐庶についても似たようなことが言えるのかもしれない。

まあ、こんな必死に擁護するほど徐庶が好きなわけじゃないんだが。
228無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 00:47:44
立てられたのは徐庶伝じゃなくて徐福伝だぞ
229無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 23:53:46
裴松之は諸葛亮伝に載せたからと言ってどっかの伝ではスルーしてたが、
諸葛亮伝にも詳しい事績載せてねーじゃねーかちくしょう
230無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 01:21:54
誰にだってミスはある
人間だもの
231無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 01:22:53
裴松之曰、面五面五
232無名武将@お腹せっぷく
>>231
ワラタ