第二回全板人気トナメ選対スレ その八

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942無名武将@お腹せっぷく
斉藤道三 大永7年(1527)
大永7年(1527)8月、勘九郎名の時に、3千ほどの兵を率いて川手城の土岐
盛頼を不意打ちしたのが初陣と言われる。
斉藤道三は、北面の武士の家筋に属する松波左近将監基宗の子として、生まれ、
11歳の時、京都の妙覚寺に入って法蓮坊とよばれた。のち、寺を飛び出して
松波庄五郎と名乗り、京都西郊西が丘の油搾り商人、奈良屋又兵衛の娘を妻と
して山崎庄五郎と改め、諸国に油を、売り歩いた。情勢が不安定な美濃の国に
流れついた。当時の美濃の家督争い、一向宗門徒の一揆の動乱を利用して、
名家である長井の家名を手に入れ、次に美濃掌握に向かう。濃の国に一介
の油売りとして入って以来、わずか十数年で道三はその国主の地位についた。
他国との初陣は、対、織田信秀との抗戦という説があり、その説によれば、
なんと43才にて初陣を飾った事となる。