第二回全板人気トナメ選対スレ その八

このエントリーをはてなブックマークに追加
935無名武将@お腹せっぷく
本多平八郎忠勝 永禄三年(1560)

家康の近侍として常に傍に控える。初陣は、大高城攻めだが、特に目立った戦功はない。
長沢の戦いの鳥屋根城攻めの際、忠勝に手柄を立てさせようとした叔父が自分がしとめた
首を忠勝に譲ろうとした際に「なんぞ人の力を借りて、もって武功をたてんや」と言い放
ち、単身、別の敵の首級を見事上げた。忠勝は、軽い鎧を着用して負傷が少ない事を
「十三才の初陣より、大小合戦に出陣したること、五十七回、しかも一度も敗れたる
ことなく、また、身に寸創をも受けたることなく」と語った。

「神君仰せに甲冑は丈夫をよしとはすれど餘り重きは宜しからず井伊直政は
大力にて重き甲冑を着て重しとせざれど戦場にて度々疵を受たり本多忠勝は
直政ほど力もなく甲冑も軽きを用ひたれど戦場にて疵を受し事一度もなしされば
甲冑は着る者の働き安からんこそよけれ又下部には鉄の薄き笠を着せるがよし
其時によりては飯をも焚かるべしと仰せられ給ふ」