209 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 09:10:09
お爺ちゃんがヌレイエフ
自称楠木正成の末裔サン達は、皆家紋が菊水だと誇ってますw
でも菊水紋は、正成自身「これは俺が後醍醐天皇から賜った特別な紋だから、
俺一代限りの物だぞ。オメーラ勝手につかうなよ。」と言ってるんだが。
本当の裔なら使ってねえって。
175,189だけど、うちは菊水じゃないや。そういう理由だったんだ。>一代限り
実際どうだったかは知らないし、楠木家じたい室町時代からこっち、ぱっとしないというか
グレーゾーンが多いでしょ。没落していた所を秀吉の右筆か何かに採用された、って話は聞くけど。
うちの爺さん(楠木家の末裔らしい)は、500年続いたお寺に養子に来てるけど、この寺の血筋は貴族出だからね。
こっちの家紋なんだろうな。
しかしほんと・・・くだんない話だよね。
212 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 00:03:27
>>207は別人?
同一ならネタッぽww
もし本当ならスマン。
213 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 00:26:00
>>191 そういう「男系」に拘るってのは
現代人から見ると男女差別っぽくって、
あんまり好かれる考えじゃないぞ。
なんせ女性天皇が論議される昨今だし。
214 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 00:52:09
いや「男系」とかは必ずしも関係ない。
男系が大きな意味を持つのは天皇家とかだけだ。
家の繋がりなんてのは系譜の繋がりであって、血の繋がりは必ずしも大切ではないからな。
女系存続というか養子存続はどこの大名でも当たり前に行われてた。
江戸時代の商人の間では例え男の実子が居ても養子存続が当たり前だった。
それは「例え実子でも家を傾かせる人間に家を継がせる事はできない」という事からくる考え方だ。
つまり、まずは優秀とされる若者を娘の婿にさせて家を継がせる。
それで、もしその婿に才覚が無かった場合は娘と離縁させて追い出すというシステムたな。
ついでに言うと場合によっては男系どころか女系すらどうでも良い存続もある。
上杉憲政と長尾景虎の存続を見ればわかるだろう。
長尾景虎が上杉憲政の形式的な養子になり上杉家と関東管領を継いだわけだからね。
215 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 00:53:01
代々の言い伝えで、黒田如水のエピソードと同じものを持つ先祖が居る。
(脚が悪くて殿様の前でも脚を崩して座る事を許されていた、なエピソード)
ずっと福岡居住の一族ではあるものの、家紋も名字も違うので、
多分どこかの代の先祖がネタ的に面白がってそういう言い伝えを残したの
だろうと考えていたんだけど、、、
十数年前に寺の移転で墓移動に伴い納骨室開けてみたところ、骨壺と
共に甲冑やら兜やら幟やら槍やら刀やらの結構派手目な戦グッズがごっそり
出て来ちゃったんですよ。
・・・これって信じていいんですかね?
216 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 01:00:58
どっきり。
217 :
215:2005/03/28(月) 01:03:57
・・・兜はヘルメットで、幟はどっきりプラカードでしたかorz
>>215 マジレスすると
もっと詳しく調べてないとなんとも言えない。
祖父母や親族の長老とかに聞いてみるとか
戸籍謄本・除籍謄本・過去帳・郷土誌で調べてみおう。
>>215 こういう場合、税金とか資産の管理どうすんだろ。
うちの家系はなんなんだろう・・・
平家の落ち武者から百姓で寺にいきゃ家系図やらなんやらで私で53代目だとか・・・
嘘くせえ
221 :
215:2005/03/28(月) 01:20:15
>>218 やはりそうなりますか、、、。
本家の主が歴史とかそういうのまるっきり関心ないみたいで調べようという
気がないみたいなんですよね。
自分は福岡まで飛行機で行かなきゃってとこに住んでるし。orz
>>219 正直さっぱりワカランです。
全部本家任せなので、出てきた遺品の保管場所すら知らんのです。orz
222 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 01:44:38
>>128 卍は氣の流れを表すんだそうだ
氣が外から入りやすく、出ていきやすい
ナチスは逆で、中の物が出ていかないが
外からは入って来ない
政策じゃね
223 :
191:2005/03/28(月) 01:48:59
>>213 こだわりすぎてるのか
でも男子がいる場合ならその系統でいくのが普通なのでは?
もしいなくて婿養子という手段でも血は流れてるわけだし
その次の代で男子がうまれればそのまま嫡流といってもいいと思う
完全な養子でも嫡流として扱ってるなら(本家の養子)問題ないと思う
ただね・・・このスレみてると母方だとか祖母方だとかってのが良く出てるでしょ?
そういう場合って大抵嫡流は他にいるんじゃないの?
と言いたかったのです・・・もちろん必ずとは言いませんが
嫡流であるならば苗字は受け継ぐのではないでしょうか
その家を継いで行く義務が課せられますので
例えば自分の場合先祖は同じ苗字だし名前も嫡流だからすごく似せて作られてる
ただね婚姻による嫁として入ってきた血縁まで入れると自分が先祖だと思ってる人間より
はるかに格上の人物と関係ある血が入ってきます
(主筋の血縁者がはるか昔何度も婚姻で入ってるから)
でも自分はあくまで同じ苗字である先祖の子孫としか考えません
婚姻で入った血の子孫の嫡流は他にいるから・・・
やっぱ考えが間違ってるのでしょうか?
>>191 やっぱりそういう家柄なりの職業的な縛りとか、あるわけ?
単純な話だと、学歴だとか、医者の子は医者、みたいな。
遺産や一族を継ぐ本人は、どういったものが要求されるの?
225 :
191:2005/03/28(月) 02:04:51
私の家の場合は前述してるのですが
毎年一回先祖の祭礼を執り行います
死後に神として祭るようにと主君から言われたので
それを未だに続けています
そのほかにはかつての領地のイベント?
居城の築城何百年祭ですとか、菩提寺の建立何百年祭ですとか
そういったものに招待されます・・・
かつての領地にいくと新聞社とかに取材されたり結構大変です
またかつての家臣だった方々との親睦会などもあります
父が現当主で私は長男ですのでいずれそれを継ぐことになります
>>223 間違ってはいないけど、人が勝手に先祖に思いを馳せる分にはほっといてもいいのでは?
華族や士族の時代でもないし
特に現代は母親が一人娘で家が絶える場合なんていくらでもあるんで
227 :
191:2005/03/28(月) 02:23:40
>>226 ですね・・・古臭くてごめんなさい^^;
>>224 >>191とは別人だけれど、学歴的なものはあったなぁ〜
俺が中学生んとき、出来の悪さに
親族会議が開かれた。
で、話し合いの結果、俺を親戚の家に預けて教育し直すって結論が出た。
某KOだとか青いとこの大学だとかの教授陣を家庭教師につけてでも
鍛え直すとかいう話で・・・。
ウチの親父殿はその結果を受け入れたみたいだけれど
母親が最後まで納得せず、結局その話はギリギリの段階で破談に。
俺は無事親元に残り地元の駄目駄目高校へ進学。
そして時は流れ、今。
母親は「あんとき親戚に預けとけば良かった、私は判断を間違えた」
と毎日のように嘆かれてる始末です・・・・。
家柄が良いというだけでは食っていけないと思うのだが、
歴史関連のイベントこなすだけじゃなく、若いうちは会社勤めしたりするの?
それともそのイベント自体が家業なの?
191ですがもちろん生活自体は別です
それに一般家庭です、特別裕福だとかということはありません
仕事の合間をぬって行事などは参加してるということになるので
都合がつかずお断りすることもあったはずです
遺産や後継の資格と呼べるのは
我が家の場合あくまで長男であることとなってます
産まれた時点で長男には名前を受け継ぐようにされてますので
その点でも他の兄弟と扱いが違い
長男が早世した場合などはその次の男子が後を継いでます
また幼いころから出自であるとかおおまかな歴史は教えられました
これも兄弟では長男の私だけだし・・・父もそうだったそうです
正直重荷に感ずることもあるのですが
父であるとか祖父であるとかそれ以前の長男達も皆同じ立場を生きてきた
と考えることでそれほど負担には感じていません(まだ後継いでないしね)
先祖の祭礼なども一族でそろそろやめてはどうかと言う人も
実はいました・・・でも父はやめないと決め、説得しました
私もこれは受け継ぐべきだと思ってます
長年続けてきたことをやめるのはかなりの覚悟が必要だからです
やめてしまった時点で後でいくらもう一度やろうとしても
一度やめてしまったという事実は決して消えないことになるから・・・
231 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 15:01:54
ねぇ、『堂之上』って名字はどんな意味だか知ってる人いる?
自称祖父さんが楠木正成の末裔の
>>175ですが・・・なるほど
何か根本的に背負っているものが違いますね。
うちの祖父さんは他家の寺を継ぐために養子になったんだが、
この寺自体文化財だし、所在地の市町村から管理を託されているものもある。
そういうものを背負うのは大変だろうなと・・・
で、その祖父は戦前、二十代そこそこで5ヶ国語以上扱えた人で、
日記なんかもロシア語でつけていたりした人なのよ。
趣味は日本画。しかも結構上手い。
先代が引退するまでは一流企業に勤めていたんだけど、早世した。
191さんの文を読んでいても思ったんだけど、ある程度の由緒のある人は
教養の基盤のようなものがあらかじめ出来ている人々なのかもなあと。
もちろん、それまで蓄積されたものを如何に大事にしてきたか、って事なんだろうけどね。
しかし、特に受け継ぐものの無かったうちの親なんかは
上昇志向はあるけど、それだけっつーか。
俺は国立大は出ましたが年収300万の半ニートですが何か?みたいな。
ちょっと親等が離れると、このざまですよ
他の兄弟はみんな出来が良かったのが救いか?
233 :
191:2005/03/29(火) 02:09:58
>>232 全然そんな偉そうなものではないです^^;
それにどうもすみませんでした
なんか難癖つけてるともとれるような発言してしまって・・・
あくまで私の個人的な末裔の解釈なのに
それを他の方々に押し付けるかのようで
立場をかえれば余計なお世話・・・とても反省してます
大事なのはそれぞれみなさんの後世の人々に伝えていくことなのだと思います
きっとそれを誇りにしてくれると思いますし
重荷よりもプラスに作用することのほうが多いと信じています
きっとそのほうが先祖も喜んでくれるでしょうし
以後名無しに戻ります
どうもご迷惑おかけしました<皆様
いろいろ大変そうではあるけれど、名家の生まれはやっぱり羨ましいなぁ
こないだ引っ越しをしたのだが、物置きには
五月人形と野球道具と釣り竿と小学校のころの日記くらいしかなくて
一生懸命片付けたのに!とマジ切れした
せめて刀の一振りくらい隠しておいてほしかったよorz
235 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/29(火) 21:46:00
高校時代の同級生に、先祖が伊達家の家臣だった奴がいた。
元々二階堂家の家臣で、伊達に滅ぼされた時に仕え始めたらしい。
仲路さとるの「異戦国史」にも数行ほど載ってた、とか自慢してて
「俺の先祖を知らないなんて、戦国マニアとしてはまだまだだなw」と言われた。
俺は「信長の野望に名前載ってから威張れバカヤロウ!」と悔しかった。
236 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/29(火) 22:01:39
1
巨人の真田が真田氏の子孫というのは本当
ちなみに漏れ真田のシャツ持っているよ
237 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/29(火) 22:08:56
そういえば真田幸村の祖先が以前笑っていいとものコーナーに出演していたね。
そいつぁ〜また随分と長生きでらっしゃるな・・・
239 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 00:25:36
>>234 家の先祖駿府勤めだったんだけど、大火と戦災でみんな燃えちゃったらしい
古墳から出てきたみたいなボロボロの短刀だけあるけど…
今そういうものが残ってる家はやっぱ丈夫な倉とか建ってるような所かな
木っ端侍の家じゃダメだorz
240 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 01:09:43
いやいや。
先祖代々かどうかわからないけど、多分伝えられてきた古いものがあるのはいいなぁ。
ここは、結構名の知れた末裔がいるね。
みんな戦国ヲタだから、有名じゃなくても知ってるもんね。
241 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 16:19:01
俺の先祖有栖川宮
242 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 17:54:55
佐々木道誉ってどんな人ですか?俺の先祖らしいんだが
>>242 室町初期の武将の中でも有名な部類の人。変わり者。
ちょっと長生き。世阿弥と仲良かった。
245 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 19:57:09
246 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 21:46:20
247 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 08:17:26
俺もある戦国大名の末裔だが、めったに名乗ることは許されない。うちの先祖は有名なのに末裔は少ないので語ると身元がバレるため、軽々しく名乗ると一族に責められる。見栄とか気品とか今はどうでもいいのにね。
248 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 13:03:34
>>203 も少し詳しく教えてほしい。
大谷吉継は尊敬する武将の一人だから。
興味本位じゃないから。
話せるとこまででいいし。
250 :
203:横山光輝生誕71/04/01(金) 23:09:36
>248今家計図が家に無いから良くわからないんですが、忌み名?とかが色々書いてあるらしいです。あとうちの伝統で性病にかかった人は何故か御払いしにいかなければならないそうです。あんまり詳しく無いのでわかりません。また祖母にでも聞いておきますね。
ウチのご先祖は新羅三郎って事で、家計図には枝分かれで信玄、勝頼親子が載ってる(w
それはともかく、先祖が開基した氏寺があるんで、そこには戦国時代から現在までの
先祖代々の位牌がある。
ウチの家とは違うけど、祖母の実家は庄屋だった(今は消滅)んで、水戸天狗党の
武田耕雲斎が屋敷に泊まったとか祖母が言ってた。
死んだばっちゃまが言ってたんだけど
ばっちゃま方の祖先は希代の詐欺師、除福だって
ばっちゃまのばっちゃまの旧姓は秦だったと
>>252 ああ、不老不死の妙薬を探して来日した方ですね。
・・・・・って、いつの話だよ・・・・・・
うちの母方は黒田二十四騎のひとり、桐山丹波守。
朝鮮出兵のときに名護屋城でもらった甲冑が残ってて、今は博物館に預けてる。
兜には真ん中に金瓢箪がついてて、両脇に蟹のハサミがある。
箱も残ってるから鑑定団に出したいけど、保存状態が悪いもんなぁ・・・
あ、「母方」→「母方の祖先」ね
かっこいいな先祖が武将って
俺の先祖は百姓しながら炭焼きしていたらしい・・・・orz
母方の先祖は侍でダンジョウ?という仕事をしていたらしいのですがダンジョウ
とはどんな仕事なんでしょうか?教えて頂けないでしょうか。
258 :
256:
>>357 よく解らないのですが今で言う裁判官の様な仕事だったらしいのですが
具体的にどういう仕事なのか、どういう字なのかも解りません。
その先祖は伊東家(伊東マンシュ)が島津に追われている時に家に泊め道案内
などして助けたらしいです。
祖父が幼年の頃には身長より長い刀や甲冑などが沢山あったそうですが火事
で全部燃え今は何も残ってないとの事、その事を当時の県知事が非常に残念
がっていたらしいです。
苗字も有名な人はいないのでそこそこの地侍だったんだと思います。
チラシの裏です、すいません。