いるのか?
巨人の真田とかほんとなのか?
2 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/15 01:36:36
2
3 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/15 02:03:22
3
4 :
4時4分:05/02/15 04:04:05
4時4分
5 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/15 04:11:00
04秒だったら良かったのにな
6 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/15 21:14:35
真田本家自体が真田氏の子孫じゃないのにな
7 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/15 21:16:14
猪木
8 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/15 21:32:50
赤井直正の子孫=赤井英和
これだけは確定事項。
西成の民が赤鬼の子孫なわけないだろ
10 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/15 22:21:08
メジャーどころじゃ
徳川、伊達、島津は今も大きな家を継続してるな
11 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/15 22:34:41
磯野員昌の子孫は姓もそのままで関西で床屋やってて自宅の屋上に城造ってたなあ
何時だったかテレビでやってたな。
伊達は宮城の方じゃ未だに名士扱いだ
13 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/15 23:21:33
滝川クリステルだけはガチ
>>13 クリステルなんて名字の戦国武将いたっけ?
そういえば、いいともに色々な人が出てたねぇ
足利家の血筋の人が出てたのは覚えてる
喜連川公方の子孫しか認めねえ
18 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/16 13:23:34
皆さんの先祖だって確実に戦国時代を生き抜いたわけで・・
当時なにやってたか知ってる人いる?
漏れの父方は播磨の豪族、赤松氏の家系
20 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/16 14:49:47
>>18 普通の人は、溯れて5代が限界。
折れんちは、普通に百姓してたくせえなあ。
21 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/16 14:55:02
22 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/16 15:02:01
オレの父方の先祖は紀州の堀内家
23 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/16 15:09:11
小学校の頃、首抱えて逃げてる夢見た事有る。後ろで鎌持って追いかけてくる
やつらが居るんだよね。あんまりリアルで良く覚えてるんだけど、あれはきっと
俺のDNAが覚えてて見せた夢だな。やったんだよ俺のご先祖様、人に鎌持って追
いかけられる位だから大将首だねきっと!
素足で脱兎の如く逃げてたもん、俺が生まれてるから生き残ったんだよ間違い無い
24 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/16 15:14:31
いつもこの手のスレ見てて
俺の先祖は代々百姓だ、とか武将の誰それだとか、決め付けたような言い方するのが
不思議でしょうがないんだが
先祖ってのは自分の親のその親の、そのまた親の・・・ ってことだろ?
で、自分の親は2人、自分のじいさんばあさんは4人、自分のひいじいさんひいばあさんは8人いるよな?
つまり1代遡るごとに2の乗数で増えてゆくわけだ
仮に1代25年として、戦国時代の家康が生まれたのがだいたい今から450年くらい前だ
つまりだいたい18代前ってことなるわけだが
これにさっきの計算を当てはめると、2の18乗、つまり262144人も当時生きてた先祖がいるってことになる
自分がDNAを受け継いだ先祖で徳川家康と同じ時代を生きてたのが二十六万ニ千百四十四人くらいもいるんだぜ?
身分の差が違いすぎる同士の結婚がほどんど無いといっても
これだけいりゃその中には武士も百姓もよりどりみどりでいるだろ
一応戦国武将の子孫だが・・・
ゲームにも登場するし(完全猪武者だが)
正直得したことってない・・・
歴史の研究者とか古文書を見る許可もらいにきたりする
後、妙に時代遅れなしきたりとかあったり・・・
ちなみに父親が現当主で俺長男・・・
プレッシャーが・・・
26 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/16 15:21:44
猪武者で登場するってことは福島正則・加藤清正とかそっち系の?
それとも戦前までは華族だった?
>>26 たぶん史料からわかるのは(家の名前が出てくる)
鎌倉以後です・・・地頭としてから
まぁその後は戦国時は特に色々あったのですが、江戸時代には
とある大名の家老や城代という地位に終わったようです
明治とともに家は没落してます・・・かつていた土地と
はるか彼方に住んでますし・・・
28 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/16 15:52:32
武将っていうのは
どのクラスからなの?
何気にスレ違いだったか・・・大名クラスじゃないと駄目か
一応統率に関しては福島正則や加藤清正より高く設定されてることもあるので
(ノブヤボとかゲームでは)含むのかと思ったんだが・・・
あ、ちなみに先祖は国人領主です^^;
姓は全く同じだし名も通字受け継いでるので名前は伏せます
30 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/16 16:42:34
聞いちゃ悪そうだけど気になるね
31 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/16 16:45:30
昔、足利ていう投手いたぞ
立花宗茂、道雪とか?山県とか村上義清とか?
まさか柴田勝家ってことはないよなあ・・
33 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/16 17:22:40
わるいが浅井長政の子孫だ
35 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/16 17:28:12
36 :
はらぺこ魚太郎:05/02/16 17:32:05
>>33
すごいじゃん、浅井家でなくあえて長政ってことは織田の血もはいってるね?
>>30 出自が国人で謀反の経験あり、伊達と戦い陣幕奪ったって逸話もある
ここまで言っちゃうとバレバレか・・・
マイナーな部類だろうからガッカリでしょうが・・・
細川茂樹は歴史好きらしいけど細川氏と関係あるのかな?
細川家はやたら子孫残ってるよな
40 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/16 17:41:40
>>37 割と有名な人じゃん。
ゲームでは政治や智謀が過小評価気味だな。
>>32 立花宗茂・道雪さんの家は柳川で立派に現存しております。
結構な事業家らしく、バリバリバリューでもお殿様の子孫として紹介されてました。
42 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/16 18:11:26
44 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/16 22:58:21
関所みたいなとこの管理してた人はえらいのか?
木戸番っていうのか?
45 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/16 23:12:08
俺んちに家系図あってさ、俺んち九州の某有名武将の末裔だって書かれてたんだよ
でもさ、うちのおじいが死ぬ少し前に、それ自分が勝手に書いたって告白うけた
天正小田原の役で小山秀綱の家臣で落ち延びて没落した。
でも戦国人名辞典には敵方の武将ってことになってる・・・つД`)・゚・。・゚゚・*:.。..。.:*・゚
48 :
無名武将@お腹せっぷく :05/02/16 23:24:20
武蔵がシンエモンさんの子孫とか…
49 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/17 00:35:33
>>45 まじで?うちにもすごい家系図があったんだけどやっぱりひーじーさん
あたりが勝手に書いたものだった・・・そんなのうちだけだと思ってたが・・
50 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/17 01:40:56
うちは代々古くから蕎麦屋だったらしい。
親父は普通の会社員だけど。
なんか自分のルーツってたとえ百姓でも誇れる気になるよね。
俺は蕎麦屋の末裔でうれしいんだ。なぜか。
>>50 見事である。
-----------------俺が感動したから終了で----------------------
52 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/17 02:06:19
>>50 四民平等の平民主権の現代、「先祖も平民。威張ったことがない」というのは
The平民として誇れることではないのかなぁ?ダメ?
しかし、猪苗代、朝倉、本庄、あとどこだっけ?
この板にも結構いるもんだねぇ。
53 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/18 01:16:14
ウチは越後にある主家の同国内分領地で一万石の藩の家老、元は平家の落武者らしいが、
上級武士の出という事で戦時は優遇されて爺さんは近衛兵で召集された
ちなみにこないだ地震でヒビはいった土蔵こわしたら刀剣が12本でてきてビックリした!
54 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/18 05:55:40
大河がらみで、うちの先祖は義経の郎従だった片岡八郎です。
現在は姓は変わっていますが今でも地元ではわりと名家で国会議員とか輩出
しています。
55 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/18 06:05:35
知り合いに嵯峨天皇の末裔と称するヤツがいますが
ちなみに名字が渡辺だから信憑性あるかも?
56 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/18 06:20:35
あの方達以外で天皇の末裔を名乗ってはいけませんよw。
血をひいていることは十分ありえるけどね。
昔テレビで明智光秀の子孫とか言う奴が出てたけど
そいつの学校でのあだ名は「裏切り者」
58 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/18 07:34:37
昔、京都で
『長曾我部ダンス教室』のポスター見たが…
子孫の人なんだろうなぁ
誰の系統の子孫なんだろう?
詳しい人いる?
明治以降に旧領主の苗字を名乗った人も結構多いらしい。
60 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/18 09:54:35
在日が通名で「滅びた名族」を騙るのはよくある話。
>>55 >>54 俺→両親2人→その上が4人・・・
と倍倍しながら、そのぐらいの世代まで遡ってみて下さい。
当時の日本の人口の半分ぐらいになります。
九州の平氏の落人部落出身者
祖父の時代に祠にあった巻物が燃えて
元の名前は知らん・・・。
>>58 誰の系統かは知らないんですけど
その人はガチ子孫ですよ
信長-信雄-信良-信昌-信久-信就-信富-信邦-信浮-信美-信學-信敏
あー間違えた 失礼
すれ違いならスマソ
現在の織田って苗字の人はみんな織田信長と関係あるの?
明治時代だったかな、みんな苗字持てるようになった時に
名家の名前はダメだったとか、そんな規制はなかったのかな?
そんな規制は聞いたことないな・・・って自信もないけど
ってか別に織田って名前でも信長と全く関係ない奴多いし
それにむしろこぞって名家の苗字つけた気がする
俺んちは系図や古文書から証明されてるらしいが(織田じゃないけど^^;)
まぁ末裔なんて現代じゃあんま意味ないのよね
見ようによっては大量殺人者の子孫とも取れるし
俺の場合はたまに歴史に詳しい人に聞かれるぐらいで
大抵の人は気付きもしないしw
>>66 ありがd
じゃあ苗字って自由につけれたから
加藤とかでも加藤清正の子孫とか、そーいう事じゃないわけね。
藤(ふじ)で思い出したけど、藤原とか、藤井とか加藤とか
藤のついてる名前は当時は人気があったそうだね。
本当に武将とかの子孫ならある程度は、
家紋とかでなんとなくは判別出来そうな気がするな
>>65 厳密に言うと、総ての「織田」姓が信長と関係は有るとは言えない。
著名なのは、信雄の子孫(山形など)、有楽斎の子孫(奈良など)、信包の子孫。
織田氏は室町前期に越前発祥とされ、斯波氏に従って尾張に移住。
この後織田氏は分裂して、信長は分家の分家という位置取りだった。
明治新姓については詳しく無いが、特に規制は無かったと思う。
ただし江戸時代、農民でも隠し苗字というのが伝わっている家もあって、
明治になってそれを公表したという所も少なくない。
無論、偽系図・偽家紋を作って装った苗字も少なくないと思われる。
よって、総ての「織田」姓が信長と関係は有るとは言えない。
70 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/15 02:00:48
65
規制はなかったかもしれんが徳川や松平(まつだいら)にしようとした人が役所の人に変えるように怒られて諦めた話しはある。かわりに松平(まつひら)にした。明治になったつうても役人の多くはまだ封建的思想がのこった人や士族あがりでまだ徳川家に遠慮がちだったぽい。
そういや豊臣も聞かないな、規制か?
71 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/15 02:02:05
早稲田の平山郁夫氏は柴田勝家の子孫らしい。
ソースは失念。
72 :
ホリエモン:05/03/15 02:19:57
源しずかは源氏か!?
武将にするなら
野比 のび太
戦闘1政治0知謀25外交49
の雑魚の星ちなみに
剛田たけし
戦闘91政治10知謀28外交33
骨川 スネ夫
戦闘43政治51知謀80外交47
出来杉… 名わすれた
戦闘85政治100知謀91外交99
源しずか
戦闘4政治92知謀15外交77
ぎゃく玉の輿
73 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/15 02:23:37
柴田勝家の子孫は福井に在住のハズ、系図がみつかり鑑定した結果判明したって結構まえテレビでやってたじゃん
74 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/15 08:22:08
能登の畠山の家臣だったらしい。
あやしいけどね。信長の野望にも出てこなかったし(天翔記と将星録しかやってないけど)
>農民でも隠し苗字というのが伝わっている家もあって、
>明治になってそれを公表したという所も少なくない。
これ、逆の場合もあるよ。明治政府が何かたくらんでいるんじゃないかと思って
隠したままにした家も多いって
2003年に武田の末裔と織田の末裔が長篠の戦430周年記念として輪武田神社で和解したそうだ。
430周年ってこりゃまた随分と微妙な数字だなw
鹿之介の子孫は鴻池グループだっけ
79 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/16 01:47:16
>>39 元首相の細川もりひろは、細川の本家末裔。熊本じゃ「細川のお殿様」って言われてるらしい。
末裔かまではしらないがその名も土岐医院wってのが地元にある
81 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/16 01:56:52
>>80 土岐か。もし関係あるなら、兄側か弟側か知りたいもんだ。
土岐を名乗る医者・・・・・・・・・・・・・・なんかコワイ
83 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/16 05:00:33
2004年の本能寺dayには明智と織田の末裔が本能寺で和解みたいなことしてたなW
報ステでやってた
84 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/16 07:57:33
おれの先祖がノブヤボに登場してた。嬉しかった
でも能力低かった
俺の先祖は、大坂夏の陣に参加して敗北。
その後、青森の恐ろしく辺鄙な村の庄屋に納まったらしい。
86 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/16 08:42:49
将軍コーヒーやってる店のオーナーが慶喜の子孫ってほんと?
87 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/16 09:06:53
スネ夫の中の人(肝付氏)は先祖が島津家?の家老だったらしいね。
実は骨川家も戦国時代に戦功(のび太の手柄横取りだけど)で家老になってる。
野比家先祖はさえない狩人
剛田家先祖は勇んで出陣したけどのび太にビー玉で買収され全裸で里に帰った
88 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/16 10:09:57
プロレスラーの柴田勝頼
うちの両親はそれぞれ武田家臣と織田家臣の末裔で、仲人は美濃某氏の末裔
冗談のようなマジ話
92 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/16 19:22:09
93 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/16 20:04:44
>>89 ドラえもんは漫画でありアニメでもあるわけだが?
津軽家の子孫らしいが直系って訳じゃないし、だからどうしたって程度だ。
96 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/17 20:30:13
97 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/17 20:44:53
肝付兼続の直系の子孫だそうな
99 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/17 20:50:56
武将じゃないけど
現ホンダゴルフの社長は、
当時日本一の大地主だった本田家の子孫
ってのは有名な話だな。
まぁ分家らしいけど。
とりあえず分家ってどういうのだ?
そっちの方の知識全くなない。
本家の本田家も今どうなってるか知りたい
教えて、エロイ人。
100 :
25:05/03/17 20:59:04
このスレそのまま落ちるのかと思いきや・・・残ってたのか
あまり参考になるかどうかわかりませんが
長男系の家系は宗家あるいは本家となります
私はそういう系統です
分家というのはどの年代かはそれぞれ違うと思うのですが
次男あるいは三男などから分かれた別家ということではないでしょうか(姓はそのまま)
我が家はいまだに古いしきたりが残ってて
先祖の祭礼を毎年行っているのですが(死後に氏神として祭ることを主君にいわれたらしい)
そういった場合の席次などにちと影響してます
基本的に最前列は私を含め本家の人間(ただし男子)
その後に分家筋となります
一族会などの発言権などにもちと影響するかもしれません
>>100 そうかなぁ〜?
分家筋でも偉そうな人間は偉そうですよ?
外戚のくせにでしゃばりなのも一杯いません?
ウチは本家筋よりも
分家筋のほうにより格上の家系との
血縁関係を持っている人間などがいるので
そういうところで秩序が乱れてるのかもしれませんが。
ちなみにウチの場合、親の代までは
血筋による政略結婚的なものが普通にありました。
ですので、分家筋とかも含めてですが
細かく辿ると、結構色んな家系が混じっています。
知り合いが観たらバレてしまうので
あまり具体的な名前はあげれませんが。
ウチの祖母は西国大名系の分家筋から嫁いできたそうです。
今でも実家は大きなお屋敷だそうで。
ウチの祖父は某西国武将系(といってもマイナー)の本家筋ですが
面白いのは、この祖父の家系と祖母の家系は
戦国時代には協力関係にあったということで。
その後、別々の道筋を辿ったにも関わらず
400年の時を経て、姻戚関係を持つのも不思議な縁だなぁと思ったり。
103 :
25:05/03/17 21:59:14
なるほど
そういえば我が家も明治ぐらいにはまだ婚姻とかそういうのにもこだわり
あったようで
本家と分家でとある結構有名な武士の子孫の姉妹をそれぞれ嫁にもらったりしてたようです
って別に大名とかそんな身分ではないんですが^^;
やっぱ昔はかなり家柄とかこだわりあったようですね・・・
今はまるでありませんがw
大名云々といっても宗家じゃありませんから。
祖父の場合は、こういっては何ですが
「金で格上の家系を買った」みたいな部分が多分にあったようです。
一応祖父も某家の血筋とは言え祖母から言えば明らかに格下でしたから。
本来ならウチに降嫁するような人では無かったそうです。
あと父の時代、つまり戦後になっても
血筋による政略結婚的な事が続いていたのは
外戚の有力者である叔父が、仕事上で
血筋による人脈のメリットに目をつけたからだそうです。
あ、でも誤解の無いように言っときますが、ウチは別に金持ちとかじゃないですからw
祖父の代、親の代の蔵は今は昔の物語です。
自分の代にはすっかり落ちぶれて貧民生活ですよ・・・・。
これ以上書くと「ここはチラシの裏じゃ・・(AA略」と言われそうなので
この辺にしておきますね。
最後にひとつだけ。
>>25さんの家は本家がしっかりしていらっしゃるので違うかもしれませんが
何か有るたびに親族会議に発展するのが辛いです・・・。
自分の家のことは自分で好きなようにしたいんだけどなー
と思う現代人の自分です。
105 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 01:01:38
>>99 「本間ゴルフ」じゃないのか?
「本間様にはおよびもないが、せめてなりたや殿様に」の本間でしょ?
106 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 01:17:26
>>105 ミスった。ホンダじゃ無く本間だ。
そう。その本間
107 :
65:05/03/18 01:32:03
108 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 01:45:56
うちの家は宇喜多秀家公の末孫です。
名字は宇喜多直家公ご先祖だと言われている方と同じです。
岡山?に直家公の子息が居られますが、一応血が繋がっているそうで
家計図が伝わっています。
と言ってもうちは分家で本家から3代前に別れたらしいな。
その本家も今は中年放蕩息子が嫁が貰えない為にその母方の親族に家督を
譲ろうかと思案するほど廃れたもんで……おもしろい。
109 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 01:47:30
本家から…ではなく、自分から3代目…でした。
110 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 01:49:16
行が傾いて見える人は電波。真っ直ぐに見える人は真人間。
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112 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 01:52:16
113 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 01:54:30
チョウソカベって人が友達にいるけどガチ?
父親の会社の同僚に本位田又八の子孫がいるそうです。姓は違うけど。
うちの母方は、天草四郎討伐の副将の傍系の傍系だったと聞いた。
戦国時代は誰だったのだろう。
116 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 08:18:32
昭和新姓については
薩摩のとある村で創氏改名のさいにある村が全員「島津」の姓を名乗ったという話しがあるそうで、
ぜんぜん規制はないみたい。
それと、家系図に関しては
江戸時代中期くらいから日本では偽家系図が大流行したわけで、家系図はあんまりあてにはならない。
町の教養ある先生にちょっと金を払えば、ちょいちょいと作ってくれるそうで、
彼らの資金源にもなってたらしい。
ちなみに家系図を作るさい「OO家の何代前の先祖のOOは桶狭間の合戦に参加して首を二つ取った」
なんてもっともらしい話しも創作してくれるらしい。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 10:07:37
後藤又兵衛の親類だけど、宇喜多家とも親類
118 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 10:20:47
関ヶ原で西を裏切った大名の足軽の子孫です
ごめんね、西軍のみなさんごめんね
119 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 14:03:34
>>118 漏れのご先祖と藻前さんのご先祖、どこかですれ違ってるかもな
うちはその大名の先代が養子に入る前に反対して抹殺された家老の家来の末裔だ
足軽ではないが、士分最下層の台所奉行だった
大昔、俺達の先祖同士が死闘を繰り広げていたのかもね
そう考えるとロマンを感じるな
友達に「俺は北条早雲の子孫だから上流階級なんだ」とか
いってくるやつがいる。正直とてもウザ−なのだが
マジで上流階級の人とかはそういうこと言わない。
何故なら彼らにとってそれは当たり前のことで
自慢の対象じゃないから。
124 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 19:45:34
漏れのじいさんは甲州の出で家紋が丸に二引き。
でも先祖はただの百姓だったみたい。
125 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 19:47:21
家紋も系図も金で買えたからな。
徴兵令のために日本全国大混乱だな。
うちの家系の家紋は代々卍だから、坊さん関係か
127 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 20:01:27
128 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 20:04:06
鉤十字だっけか…
あれの由来なんだっけ
うちは◯に十ですが薩摩の島津とは特に関係無いみたいです。
ちなみに上州の出身です。
俺の友達には、乃美宗勝の子孫あり。
>>113 長宗我部姓はほとんどが明治になってから庶民が苗字をつける際に
昔のお殿様の名前をつけようってことでつけたらしいので関係ない
と思われ。
よっぽど嫌われていたんだな山内w
格闘家の高阪剛は、あの高阪昌信の子孫だって聞いたんだけどマジかな?
134 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/19 09:37:37
清春は森可成の流れをだろうな
名字が森だし出身が岐阜だし
>>134 確かにナヨナヨしてるとこが乱丸を彷彿させなくもないが、たまたま岐阜出身で名字が同じだからって子孫だとはかぎらんぞ
>>128 ハーケンクロイツはルーン文字を意匠化したもんだと聞いたがどうなんだろうな
137 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/20 20:35:54
>>116 確か昔の学者・先生=史学者だった筈。
それ程、当時は史学というのは身入りの良い儲かる学問だったんだよね。
現在ではほとんど身が立たない学問なのとは正反対。
138 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/20 23:50:43
山本勘助の子孫です
139 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/21 02:30:41
ここに子孫って出てくる人って、代々伝わる家宝とか持ってんだよね?
それに有名先祖が書いた書状なり絵なり。
それって、博物館とかに貸し出したりしないの?
お宝が残ってないと、にわかに信じがたいし。下世話な話だが。
秀吉や家康からの書状なども残ってます・・・合計500ちょっとだったと思う
それ以前のものだと落城の憂き目にもあったことあるので紛失しとるOTL
文書館に寄託してますうちの場合
何年か置きにそのまま保管お願いするか、自宅に戻すか選択権あるはず
結構預けるときは一族会でもめた・・・
141 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/21 02:52:17
寄託は聞いたことあるな。寄託した後の選択権は知らんかった。
そら一族揉めるだろうな。
お宝鑑定してるテレビがあるが、子孫といわれる人達が出ないのが不思議だった。
でも子孫は額知らなくても価値わかってるし、売る時も親族会議になりそうで大変だな。
売るなんてとんでもない・・・
自分のルーツの証明を売り渡すなどと
金にいくら困ってもそれだけはやらずに明治以後の苦しい時期をすごして
きたようですので・・・ただし刀はかなり売ってしまったらすぃ^^;
あと系図だけは自宅で保管してます・・・父が絶対にこれだけは
手元に置いておきたいと主張した
143 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/21 03:05:17
そうか。刀は届けや管理も大変だしW
漏れの叔母は九州の某お武家子孫に嫁いだが、その家は宝売ってたぞ。
スゲー豪邸建ててたが。
あんなの見ると悲しいというか、せつないというか、複雑な心境だった。
これはあくまで個人的な意見なのでそれが正しいかどうかは個人で違うのですが
なぜ今まで先祖が代々残してきたのかと考えてみなければなりません
必要だと思うから、子孫に残してあげたいと思ったから・・・
そう考えると個人の欲望でどうこうできる代物ではありません
長い間世代を超えて保管してきた全ての人々の思いがあります
私はいずれ後をつぐことになるのですが・・・個人的意見で変えるつもりもありません
あまりに大きい責任が伴いますから
145 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/21 03:34:28
子孫はそうあって欲しいもんだ。
普通の人より家に縛られることもあるだろうが、その分、家に対する誇りも人一倍だろう。
そんな昔まで遡って先祖を知ることができるなんて、幸せだな。うちはどこまでホントなんだかW
うちは父方の婆ちゃんの祖先が皇族のどうので、母方の婆ちゃんの家には鎧とかあったらしい。どこまでホントなんだか。
147 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/21(月) 10:12:54
いいなぁ武士の家系。なんかあこがれるよ。
うちは商人の家系だからな。何故か家系図も残っているw
先祖の話なんて幽霊関係しかない・・・
うち多分農民なのに、家紋がある・・・。
これは普通なのかな?
149 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/21(月) 11:17:25
きょうび家紋のない家なんて聞いたことがないな
明治になってからみんなつけたんじゃないかな
ただ一部は元武士で、没落したあと帰農したって場合もあるから、
そういう場合は苗字や家紋が(表向き名乗れるかどうかは別として)もともとあったりする。
151 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/21(月) 18:41:29
>>147 皿を割ってた四ツ谷怪談?関係あったりして…
152 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/22(火) 14:55:51
>>150 >>151 時は元録。陸中でのお話。
材木問屋の番頭だった正次郎は三度の飯より囲碁が好きだった。
ある日寺に碁をうちに行く途中、碁板に向かって腕を組み、なにやら考えている老人を見掛けた。
正次郎が声をかけると一局打たんかと誘われ、早速勝負を始めた。
最初は一局のつもりが、結局一晩中打ち続けた。
夜が明けるころ、そろそろ帰るかと言って老人はスーッと消えてしまった。
次の日その話を寺の和尚にすると、 和尚からそこの御隠居が先日なくなった事を聞かされた。
駄文すまん。
こんな感じ。典型的な幽霊話っす。
改めて書いて見るとヒネリもなにもないな。やはりうちの家系はセンスと言うものが無いらしいw
153 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/22(火) 19:03:24
うちの先祖は黒田藩の上士だが、家系図のみしかつたわってない。姓は「吉柳」
戦国時代は京兆細川家に仕えていた様子。
うちは深谷上杉氏の家臣だったらしい。
先祖代々そのあたりに住んでるから信頼できるかも
うちは小早川家(小早川隆景で多少は有名か?)の家老に仕えてたらしいな
落城した城址のすぐ傍に代々住んでるからたぶん正しいと思われる
名字はレアだが家紋はありきたり
俺の祖先絶対中国のほうの人だよ…
「関」一文字はないでしょ。関はorz
157 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/22(火) 20:35:14
あるよ!
>>156 関 盛信という人物が日本の戦国時代に居たようです。ノブヤボでも登場してますよ。
159 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/22(火) 21:46:32
おいおい「関(せき)」なんて
ありふれた名前じゃん。
一文字名字では「南」や「東」と並んで最もありがちな名字だ。
160 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/22(火) 21:50:59
>>156 「関」と書いて「せき」ではなく「かん」とでも読むのなら、
かなり珍しいかもしれんが・・・
そうなのか?あんま「せき」って聞いたことなかったから…
>>158 ググってみたら結構あった。
d
>>160 それじゃ中国人じゃねえかorz
162 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/23(水) 00:36:25
苗字検索のサイトで出自がわかるぞ!
もっとも、明治より前に苗字があればだがな。
163 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/23(水) 01:17:05
164 :
163:2005/03/23(水) 01:19:19
165 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/23(水) 01:21:47
何故飛べない。
重いのかな?
166 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/23(水) 01:32:07
関なんて平家の名門じゃん
俺の名字がないよ・・・何故
168 :
162:2005/03/23(水) 12:55:08
俺は確か六百・・・何十何番かだったな。
169 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/23(水) 12:57:12
楠正成の末裔だけど
170 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/23(水) 13:33:21
うちの母親が中国から韓国→日本へとに移り住んできた一族で
名字が 劉 なんだけどももしや俺って劉備の末裔か?
むしろ劉璋だろw
あああ・・・よく考えたら劉備の末裔って劉禅の末裔でもある訳やね^^;
横山三国志の最後見て泣けたの思い出したよ;;
よってこの話題は忘れてくださいな^^;
末裔っていってもなぁ・・・父方の出来れば長男が代々継いでる家がある場合
それが末裔でそ?その系統が途絶えてるならわかるが
それ以外も含んでしまうと・・・誰もがいろんな人物の末裔
ってことになってしまうのではないだろうか・・・
>>172 安心汁。劉禅系は八王の乱の時に絶滅しとるから。
劉永系が益州に逃げたらしいがな
>>169 あれ?俺がいる・・・
俺の方は祖父の代までで、しかも里子に出されたので直系からは外れてる。
里子に出された先は寺。一応文化財らしい。
他にも色んな家の血が混ざってるらしいが、面倒なので割愛。
なんか先祖に申し訳ない・・・
何か選挙の時にも立候補者から
「同じ楠木の血を引いているので投票して下さい」という手紙が来たんだよな。
やっぱり調べると判るのかね?
176 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 04:25:18
初めて投稿しますが越後の斎藤氏て有名ですか?うちは戦国期その家臣で川中島合戦5戦目で大手柄たてたました。名字は変わったらしいくて戦国期の姓がわかりません。
越後の斎藤氏の居城の麓の寺に当時の家宝やらをほとんど寄贈して…
親も詳しくしらないで、ウチには江戸期からの系図しかありませんし読めないし、
いまは東京だしなかなか調べられません
だれか小さくてもいんで情報をお願いします
177 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 08:47:58
178 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 09:43:02
単純に羨ましいよ。
漏れなんて母方が田舎の庄屋で、父方は先祖何やってたか聞いたことないし。
みんなやっぱ末裔でも、優秀なDNA入りだしな。
俺は父方が筋金入りの農民で、母方が出羽の山奥で平家の落ち武者から帰農した豪らしいが
近くに義経の家臣だった鈴木家があるんだが
平家が東北に落ち延びることってありえるんだろうか?
>>176 越後の斎藤氏って斎藤朝信の?
だとしたらかなり有名な部類なんだが・・・。
上杉家(謙信・景勝)の重臣として活躍した武将です。
別に上杉マニアじゃなくても普通に戦国好きな人間ならば
大抵は知ってる人です。
181 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 14:34:00
俺の先祖がアダム&イブってのは正解?
いえ、原人です。
>>179 DNAなんてもので優秀になれるなら
俺の人生もうちょっとマシになってるはずなんですが・・・。
>>179 平家の名門と言われた名字がついてる俺が喧嘩弱かったのは何故なんだよヽ(`Д´)ノ
やべ、俺もミスった
墓参りしてくる
186 :
183:2005/03/24(木) 15:27:27
友達に楠正成の子孫の人がいたなぁ。
ちゃんと家紋も菊水だった。
>>169とかと親戚かもね。
で、うちは新田義貞の子孫らしいが…ほんとかよ。
父方の祖母の家は広島では名の知れた名家らしい。
世が世ならリアルでお姫さまだったそうな。平家筋だが。
でも全然よく分からん。
随分といるんだな・・・楠木正成の子孫
このスレだけでも3人はそれらしき人がいるってこと?
なんかおかしくないか?w
175だが・・・
楠木正成の子孫って言っても色々だと思う。
正直最初聞いた時は眉唾だったんだが、
祖父が養子になった親戚の寺の情報を調べた限り「本当かもなぁ・・・」と思ったよ。
(この寺の記述はペリーの日誌にも出てくるらしい・・・
歴史的建造物は一部を除いて火災にあって見る影なしだがね)
我々の数世代前までは名家同士の婚姻や養子取り等は
当然のごとく行われていたし、記録も残しているようだ。
ただ、現代の価値観で言うと昔の著名人の末裔とかって概念は邪魔でしかないぞ。
俺より断然恵まれていた別口の親戚の子(こっちは戦国時代の豪族の末裔)は、
引き継ぐべき財産も何もかもあったのに、その重荷に耐えられなくなったのか
ニート君のあげくうつ病にを発症し管理能力がないとされて、その子の代で色々手放してしまった。
俺も色々知らなきゃ良かったと思ってる。
>>188 楠木正成って鎌倉後期から室町前期の人でしょ。
当時が1300年くらいで今2000代。
つまり約700年経って、何世代も経ているからその間に兄弟の分家やらで
沢山の人にその血が含まれていても、なにも不思議なことではないよ。
貴方にも母系の母系をたどったりすれば、楠木正成の血が流れてるかもw
俺の友達に前田利家の末流が母系に入っているっていう人がいるが、羨ましい。
偉いとか上流階級だとかじゃなくてロマンがあるなぁと思う。
うちは地元の農民くさくて、なんも伝承残ってないやw
>>191 いやね・・・このスレでも前述されてるんだけど
子孫や末裔ってのは
父系のさらに男系の嫡流から考えるのが普通なんじゃないの?って意味
婚姻によっての血まで考えると
戦国大名とかなんてそれこそいろんな名族の血が入っちゃって
全ての名族の子孫だって言えるじゃん
武士なんて平氏や源氏なら天皇家にいきつくからそれこそ・・・
将軍家だって皇族との婚姻してるでしょうが
まぁ難しく考えるなっていうならそれまでだけどね
192 :
191:2005/03/24(木) 23:16:57
楠木正成の子孫て日本でも有数の怪しい血筋だしね、俺も自称子孫だわ。
まぁ、こういうのは平家の落人伝説程度に思った方が良いかもね(家系図云々含めて)。
まあ、男系の嫡流に限定すると
万世一系を謳っている天皇家すら、もうすぐ滅んでしまいそうなんだが。
195 :
191:2005/03/24(木) 23:32:48
スレ汚ししちゃったかもなぁ・・・スマン
というかね自分が戦国武将の男系の嫡流なのよ
たまにいるの・・・同じ子孫ですって・・・苗字も違うのに
そして古文書わけてくださいとか・・・宝みせてくださいとか
もちろん直系が絶えてるならそう主張してもかまわないと思うんだけど
直系いるならたぶんあまりいい気分しないと思う
>>195 まぁ確かに確実に血脈を受け継いでる人からすれば、わからないでもないけど。
明らかに人のプライバシー無視した野次馬根性だけな奴とかはどうかと思うしね。
でも逆に言えばそれだけ貴方のご先祖様が、慕われてるってことなんじゃないかな〜
慕っていなければ、同属です とか 宝見せて下さい とか 言ってこないでしょ。
その部分で言えば誇っていいことだと思うよ。
あと厳密に言えば苗字が違うから先祖が違うとは言い切れないよ。
もち男系でもね。
>>195 なんか歴史小説家の対談でも似たような話読んだな。海音寺潮五郎かな?
武田の末裔を自称する人がいて、他所でその人に関する話を聞いたら
その人が凄い信玄オタで、武田の姓が名乗りたいばかりに武田と名の付く家に婿入りしていたという話。
なんにせよ、お疲れ様です。
ちゃんとそれに応対して、家に纏わる一連のものを守ってるあなたは偉いと思うよ。
198 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 18:20:24
家の近くに『菊水運送』てのがあるよ?
楠木家の家紋っぽいヤツがトレードマークの。
多分Bです。放置してください
家紋は当てにならないとして、なんでBなの?
在日の人が秀吉に関連のある姓を付けるという話を聞いた事が有るけど、
それに近いもんかな?
>>200 家紋が当てにならないのじゃない
家紋だけでは当てにならないってこと
202 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 19:49:04
大体198の話は家紋じゃないじゃん
単に創業者が正成ファンなのかもしれんし
203 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 20:46:10
祖母方が大谷吉継の子孫です。あと俺も楠木正成の子孫らしい。祖父方です。家系図も一応あったし寺に奉納されてた。よくわからないが。
204 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 20:53:05
>>203 嘘つけ。吉継の子供は関ヶ原で討ち死だ。吉継を汚してんじゃねぇよ屑。
>>204 いやいや、武将が討ち死にしてもその子供が逃がされてお寺に預けられたって話はよくあるぞ。
婆娑羅絵師の岩佐又兵衛は、荒木村重の子供だか、孫と言われてる。
>204
吉継の子供は越前に逃げてるよ。
207 :
203:2005/03/26(土) 21:09:33
その話ぐらい知ってますよw知らないで言ってる訳ないでしょww嘘かどうかはわからないですが205さんの言う通り寺に預けられたらしいです。
209 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 09:10:09
お爺ちゃんがヌレイエフ
自称楠木正成の末裔サン達は、皆家紋が菊水だと誇ってますw
でも菊水紋は、正成自身「これは俺が後醍醐天皇から賜った特別な紋だから、
俺一代限りの物だぞ。オメーラ勝手につかうなよ。」と言ってるんだが。
本当の裔なら使ってねえって。
175,189だけど、うちは菊水じゃないや。そういう理由だったんだ。>一代限り
実際どうだったかは知らないし、楠木家じたい室町時代からこっち、ぱっとしないというか
グレーゾーンが多いでしょ。没落していた所を秀吉の右筆か何かに採用された、って話は聞くけど。
うちの爺さん(楠木家の末裔らしい)は、500年続いたお寺に養子に来てるけど、この寺の血筋は貴族出だからね。
こっちの家紋なんだろうな。
しかしほんと・・・くだんない話だよね。
212 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 00:03:27
>>207は別人?
同一ならネタッぽww
もし本当ならスマン。
213 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 00:26:00
>>191 そういう「男系」に拘るってのは
現代人から見ると男女差別っぽくって、
あんまり好かれる考えじゃないぞ。
なんせ女性天皇が論議される昨今だし。
214 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 00:52:09
いや「男系」とかは必ずしも関係ない。
男系が大きな意味を持つのは天皇家とかだけだ。
家の繋がりなんてのは系譜の繋がりであって、血の繋がりは必ずしも大切ではないからな。
女系存続というか養子存続はどこの大名でも当たり前に行われてた。
江戸時代の商人の間では例え男の実子が居ても養子存続が当たり前だった。
それは「例え実子でも家を傾かせる人間に家を継がせる事はできない」という事からくる考え方だ。
つまり、まずは優秀とされる若者を娘の婿にさせて家を継がせる。
それで、もしその婿に才覚が無かった場合は娘と離縁させて追い出すというシステムたな。
ついでに言うと場合によっては男系どころか女系すらどうでも良い存続もある。
上杉憲政と長尾景虎の存続を見ればわかるだろう。
長尾景虎が上杉憲政の形式的な養子になり上杉家と関東管領を継いだわけだからね。
215 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 00:53:01
代々の言い伝えで、黒田如水のエピソードと同じものを持つ先祖が居る。
(脚が悪くて殿様の前でも脚を崩して座る事を許されていた、なエピソード)
ずっと福岡居住の一族ではあるものの、家紋も名字も違うので、
多分どこかの代の先祖がネタ的に面白がってそういう言い伝えを残したの
だろうと考えていたんだけど、、、
十数年前に寺の移転で墓移動に伴い納骨室開けてみたところ、骨壺と
共に甲冑やら兜やら幟やら槍やら刀やらの結構派手目な戦グッズがごっそり
出て来ちゃったんですよ。
・・・これって信じていいんですかね?
216 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 01:00:58
どっきり。
217 :
215:2005/03/28(月) 01:03:57
・・・兜はヘルメットで、幟はどっきりプラカードでしたかorz
>>215 マジレスすると
もっと詳しく調べてないとなんとも言えない。
祖父母や親族の長老とかに聞いてみるとか
戸籍謄本・除籍謄本・過去帳・郷土誌で調べてみおう。
>>215 こういう場合、税金とか資産の管理どうすんだろ。
うちの家系はなんなんだろう・・・
平家の落ち武者から百姓で寺にいきゃ家系図やらなんやらで私で53代目だとか・・・
嘘くせえ
221 :
215:2005/03/28(月) 01:20:15
>>218 やはりそうなりますか、、、。
本家の主が歴史とかそういうのまるっきり関心ないみたいで調べようという
気がないみたいなんですよね。
自分は福岡まで飛行機で行かなきゃってとこに住んでるし。orz
>>219 正直さっぱりワカランです。
全部本家任せなので、出てきた遺品の保管場所すら知らんのです。orz
222 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 01:44:38
>>128 卍は氣の流れを表すんだそうだ
氣が外から入りやすく、出ていきやすい
ナチスは逆で、中の物が出ていかないが
外からは入って来ない
政策じゃね
223 :
191:2005/03/28(月) 01:48:59
>>213 こだわりすぎてるのか
でも男子がいる場合ならその系統でいくのが普通なのでは?
もしいなくて婿養子という手段でも血は流れてるわけだし
その次の代で男子がうまれればそのまま嫡流といってもいいと思う
完全な養子でも嫡流として扱ってるなら(本家の養子)問題ないと思う
ただね・・・このスレみてると母方だとか祖母方だとかってのが良く出てるでしょ?
そういう場合って大抵嫡流は他にいるんじゃないの?
と言いたかったのです・・・もちろん必ずとは言いませんが
嫡流であるならば苗字は受け継ぐのではないでしょうか
その家を継いで行く義務が課せられますので
例えば自分の場合先祖は同じ苗字だし名前も嫡流だからすごく似せて作られてる
ただね婚姻による嫁として入ってきた血縁まで入れると自分が先祖だと思ってる人間より
はるかに格上の人物と関係ある血が入ってきます
(主筋の血縁者がはるか昔何度も婚姻で入ってるから)
でも自分はあくまで同じ苗字である先祖の子孫としか考えません
婚姻で入った血の子孫の嫡流は他にいるから・・・
やっぱ考えが間違ってるのでしょうか?
>>191 やっぱりそういう家柄なりの職業的な縛りとか、あるわけ?
単純な話だと、学歴だとか、医者の子は医者、みたいな。
遺産や一族を継ぐ本人は、どういったものが要求されるの?
225 :
191:2005/03/28(月) 02:04:51
私の家の場合は前述してるのですが
毎年一回先祖の祭礼を執り行います
死後に神として祭るようにと主君から言われたので
それを未だに続けています
そのほかにはかつての領地のイベント?
居城の築城何百年祭ですとか、菩提寺の建立何百年祭ですとか
そういったものに招待されます・・・
かつての領地にいくと新聞社とかに取材されたり結構大変です
またかつての家臣だった方々との親睦会などもあります
父が現当主で私は長男ですのでいずれそれを継ぐことになります
>>223 間違ってはいないけど、人が勝手に先祖に思いを馳せる分にはほっといてもいいのでは?
華族や士族の時代でもないし
特に現代は母親が一人娘で家が絶える場合なんていくらでもあるんで
227 :
191:2005/03/28(月) 02:23:40
>>226 ですね・・・古臭くてごめんなさい^^;
>>224 >>191とは別人だけれど、学歴的なものはあったなぁ〜
俺が中学生んとき、出来の悪さに
親族会議が開かれた。
で、話し合いの結果、俺を親戚の家に預けて教育し直すって結論が出た。
某KOだとか青いとこの大学だとかの教授陣を家庭教師につけてでも
鍛え直すとかいう話で・・・。
ウチの親父殿はその結果を受け入れたみたいだけれど
母親が最後まで納得せず、結局その話はギリギリの段階で破談に。
俺は無事親元に残り地元の駄目駄目高校へ進学。
そして時は流れ、今。
母親は「あんとき親戚に預けとけば良かった、私は判断を間違えた」
と毎日のように嘆かれてる始末です・・・・。
家柄が良いというだけでは食っていけないと思うのだが、
歴史関連のイベントこなすだけじゃなく、若いうちは会社勤めしたりするの?
それともそのイベント自体が家業なの?
191ですがもちろん生活自体は別です
それに一般家庭です、特別裕福だとかということはありません
仕事の合間をぬって行事などは参加してるということになるので
都合がつかずお断りすることもあったはずです
遺産や後継の資格と呼べるのは
我が家の場合あくまで長男であることとなってます
産まれた時点で長男には名前を受け継ぐようにされてますので
その点でも他の兄弟と扱いが違い
長男が早世した場合などはその次の男子が後を継いでます
また幼いころから出自であるとかおおまかな歴史は教えられました
これも兄弟では長男の私だけだし・・・父もそうだったそうです
正直重荷に感ずることもあるのですが
父であるとか祖父であるとかそれ以前の長男達も皆同じ立場を生きてきた
と考えることでそれほど負担には感じていません(まだ後継いでないしね)
先祖の祭礼なども一族でそろそろやめてはどうかと言う人も
実はいました・・・でも父はやめないと決め、説得しました
私もこれは受け継ぐべきだと思ってます
長年続けてきたことをやめるのはかなりの覚悟が必要だからです
やめてしまった時点で後でいくらもう一度やろうとしても
一度やめてしまったという事実は決して消えないことになるから・・・
231 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 15:01:54
ねぇ、『堂之上』って名字はどんな意味だか知ってる人いる?
自称祖父さんが楠木正成の末裔の
>>175ですが・・・なるほど
何か根本的に背負っているものが違いますね。
うちの祖父さんは他家の寺を継ぐために養子になったんだが、
この寺自体文化財だし、所在地の市町村から管理を託されているものもある。
そういうものを背負うのは大変だろうなと・・・
で、その祖父は戦前、二十代そこそこで5ヶ国語以上扱えた人で、
日記なんかもロシア語でつけていたりした人なのよ。
趣味は日本画。しかも結構上手い。
先代が引退するまでは一流企業に勤めていたんだけど、早世した。
191さんの文を読んでいても思ったんだけど、ある程度の由緒のある人は
教養の基盤のようなものがあらかじめ出来ている人々なのかもなあと。
もちろん、それまで蓄積されたものを如何に大事にしてきたか、って事なんだろうけどね。
しかし、特に受け継ぐものの無かったうちの親なんかは
上昇志向はあるけど、それだけっつーか。
俺は国立大は出ましたが年収300万の半ニートですが何か?みたいな。
ちょっと親等が離れると、このざまですよ
他の兄弟はみんな出来が良かったのが救いか?
233 :
191:2005/03/29(火) 02:09:58
>>232 全然そんな偉そうなものではないです^^;
それにどうもすみませんでした
なんか難癖つけてるともとれるような発言してしまって・・・
あくまで私の個人的な末裔の解釈なのに
それを他の方々に押し付けるかのようで
立場をかえれば余計なお世話・・・とても反省してます
大事なのはそれぞれみなさんの後世の人々に伝えていくことなのだと思います
きっとそれを誇りにしてくれると思いますし
重荷よりもプラスに作用することのほうが多いと信じています
きっとそのほうが先祖も喜んでくれるでしょうし
以後名無しに戻ります
どうもご迷惑おかけしました<皆様
いろいろ大変そうではあるけれど、名家の生まれはやっぱり羨ましいなぁ
こないだ引っ越しをしたのだが、物置きには
五月人形と野球道具と釣り竿と小学校のころの日記くらいしかなくて
一生懸命片付けたのに!とマジ切れした
せめて刀の一振りくらい隠しておいてほしかったよorz
235 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/29(火) 21:46:00
高校時代の同級生に、先祖が伊達家の家臣だった奴がいた。
元々二階堂家の家臣で、伊達に滅ぼされた時に仕え始めたらしい。
仲路さとるの「異戦国史」にも数行ほど載ってた、とか自慢してて
「俺の先祖を知らないなんて、戦国マニアとしてはまだまだだなw」と言われた。
俺は「信長の野望に名前載ってから威張れバカヤロウ!」と悔しかった。
236 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/29(火) 22:01:39
1
巨人の真田が真田氏の子孫というのは本当
ちなみに漏れ真田のシャツ持っているよ
237 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/29(火) 22:08:56
そういえば真田幸村の祖先が以前笑っていいとものコーナーに出演していたね。
そいつぁ〜また随分と長生きでらっしゃるな・・・
239 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 00:25:36
>>234 家の先祖駿府勤めだったんだけど、大火と戦災でみんな燃えちゃったらしい
古墳から出てきたみたいなボロボロの短刀だけあるけど…
今そういうものが残ってる家はやっぱ丈夫な倉とか建ってるような所かな
木っ端侍の家じゃダメだorz
240 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 01:09:43
いやいや。
先祖代々かどうかわからないけど、多分伝えられてきた古いものがあるのはいいなぁ。
ここは、結構名の知れた末裔がいるね。
みんな戦国ヲタだから、有名じゃなくても知ってるもんね。
241 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 16:19:01
俺の先祖有栖川宮
242 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 17:54:55
佐々木道誉ってどんな人ですか?俺の先祖らしいんだが
>>242 室町初期の武将の中でも有名な部類の人。変わり者。
ちょっと長生き。世阿弥と仲良かった。
245 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 19:57:09
246 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 21:46:20
247 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 08:17:26
俺もある戦国大名の末裔だが、めったに名乗ることは許されない。うちの先祖は有名なのに末裔は少ないので語ると身元がバレるため、軽々しく名乗ると一族に責められる。見栄とか気品とか今はどうでもいいのにね。
248 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 13:03:34
>>203 も少し詳しく教えてほしい。
大谷吉継は尊敬する武将の一人だから。
興味本位じゃないから。
話せるとこまででいいし。
250 :
203:横山光輝生誕71/04/01(金) 23:09:36
>248今家計図が家に無いから良くわからないんですが、忌み名?とかが色々書いてあるらしいです。あとうちの伝統で性病にかかった人は何故か御払いしにいかなければならないそうです。あんまり詳しく無いのでわかりません。また祖母にでも聞いておきますね。
ウチのご先祖は新羅三郎って事で、家計図には枝分かれで信玄、勝頼親子が載ってる(w
それはともかく、先祖が開基した氏寺があるんで、そこには戦国時代から現在までの
先祖代々の位牌がある。
ウチの家とは違うけど、祖母の実家は庄屋だった(今は消滅)んで、水戸天狗党の
武田耕雲斎が屋敷に泊まったとか祖母が言ってた。
死んだばっちゃまが言ってたんだけど
ばっちゃま方の祖先は希代の詐欺師、除福だって
ばっちゃまのばっちゃまの旧姓は秦だったと
>>252 ああ、不老不死の妙薬を探して来日した方ですね。
・・・・・って、いつの話だよ・・・・・・
うちの母方は黒田二十四騎のひとり、桐山丹波守。
朝鮮出兵のときに名護屋城でもらった甲冑が残ってて、今は博物館に預けてる。
兜には真ん中に金瓢箪がついてて、両脇に蟹のハサミがある。
箱も残ってるから鑑定団に出したいけど、保存状態が悪いもんなぁ・・・
あ、「母方」→「母方の祖先」ね
かっこいいな先祖が武将って
俺の先祖は百姓しながら炭焼きしていたらしい・・・・orz
母方の先祖は侍でダンジョウ?という仕事をしていたらしいのですがダンジョウ
とはどんな仕事なんでしょうか?教えて頂けないでしょうか。
258 :
256:
>>357 よく解らないのですが今で言う裁判官の様な仕事だったらしいのですが
具体的にどういう仕事なのか、どういう字なのかも解りません。
その先祖は伊東家(伊東マンシュ)が島津に追われている時に家に泊め道案内
などして助けたらしいです。
祖父が幼年の頃には身長より長い刀や甲冑などが沢山あったそうですが火事
で全部燃え今は何も残ってないとの事、その事を当時の県知事が非常に残念
がっていたらしいです。
苗字も有名な人はいないのでそこそこの地侍だったんだと思います。
チラシの裏です、すいません。