凡将を名将のように説明するスレ

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899無名武将@お腹せっぷく
【小早川隆景】1533〜1597
毛利元就の三男として生まれる。小早川家の養子となったが、
竹原分家であったことに不満を持ち、実父元就をそそのかし
いつのまにか小早川本家を相続する。
他家の三男という立場にありながら、兄元春に楯突き、毛利本家に
たびたび介入し輝元をたぶらかし実権を握った。

戦略眼のなさは際だっており、動くべき時に動かないため
石山本願寺、荒木村重、足利義昭ら盟友を失望させた。
上月城攻めの時は、5万の大兵を率いながら、8千の秀吉を攻撃
せず、宇喜多家離反の原因となった。
備中高松城の攻防では、眼前での築堤工事を傍観し士気を下げ、
明智謀反の報を受けながら何もできず成り行きに任せた。
ところが、幸運にも秀吉は破竹の勢いで勝ち続け、しかも
「隆景が追撃を止めた」と勘違いをしていた。
隆景は本家や兄元春が全く加増されないにもかかわらず、
伊予35万石、次いで筑前50万石に封ぜられる。
隆景は老いて思考力の衰えた秀吉をたぶらかし、
ついに5大老にまで登り詰め、本家と同格の存在に成り上がる。

なお、「三本の矢」の逸話は隆景の創作であり、兄をおろそかに
した自らの悪名を払拭させることに成功した。
晩年は、秀吉に忠勤を励むあまり、金吾こと木下秀秋を養子に
するという失策を侵し、小早川家滅亡を招くこととなった。