凡将を名将のように説明するスレ

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384無名武将@お腹せっぷく
孫晧

字は元宗。孫権の孫で孫和の子。呉の最後の皇帝。
当初孫晧は烏程侯に封ぜられていて、帝位は幼少の孫ワンが継ぐはずだった。
しかし多くの人にその才を認められていた孫晧を推す声が強く、
すでに斜陽の色濃い呉の帝位につくことになった。

晋の脅威に晒される国家の危機を打破すべく、
救国の志を同じくする中常侍の岑昏と強力するも、
これを心良く思わない逆臣の濮陽興と張布が二人の邪魔をしたためやむなく処断した。

古い因習に縛られ改革もままならない呉であったので、
年号を改め武昌に遷都するなど改革への手腕を見せた。
晋の呉への侵略の気配をすばやく察すると、
侵略の準備が整う前に逆に攻撃に打って出るなど軍略の面でも高く評価されている。
この際晋の将と通じた陸抗を降格させるなどその智謀も恐るべき物であった。
宴会の最中にも二心を抱く臣下を完全に察知し厳しく処断した。

そうした断固とした態度で国の再建に懸けた孫晧であったが、
すでに荒廃しきった呉では物量を誇る晋の猛攻に耐えかね、
ついに孫晧は自らを縛して降伏した。

無念のうちに敵国、晋に降伏した孫晧であったが、
その人徳は晋でも認められ、帰命侯に封ぜられた。
その後二八三年、洛陽で没し、河南に葬られた。

降将にも関わらず彼の子孫も中郎に封ぜられたことからも
当時から高く評価されていたことが垣間見られる。