>>875 魏晋バカ貴族列伝って感じで好き。
世説新語だと曹丕のイメージはかなり悪いね。
この時代にはもう既にこういうイメージになってたんだね。
そりゃ正史三国志でも偏狭って評価されてるしな
でも王粲死んだ時にロバの鳴き真似するエピソードは
ちょっと電波入ったイイ奴っぽくて好きだぞ
部下の馬に髑髏結び付けて遊んだりな
>>273には悪いが可愛い
むしろ萌えキャラですよ
世説新語で曹丕に関係する話って、
七歩の詩と
甄氏攫った話と
棗の話と
おはじきと
臨終際に母ちゃんにクソミソに言われた話 で全部?
最後のやつとか逆に曹丕に同情してしまったんだが…
鹿と魏太子の話で曹叡の優しさに涙するところなんて同じ人とは思えんな
それとも「こんな子で乱世を乗り切れるだろうか?」と思ったのかな
>>883 曹丕にしたって儒教的倫理観が尊ばれた時代の人間。
>>883 毒舌魔王でも
自分の子はかわいい物さ。
閑話。
ロバの鳴き声聞いた事ある人いる?
自分は聞いた事無いんだが、どうも馬とは似ても似つかない
ものすごい声らしいのだが。本当?
雷波流してるトコでロシナンテ
拾ってくりゃいいんじゃね?
浮上!
七歩の詩が偽作だとすると鹿の話も信用できないのか
890 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/28(月) 00:17:39
>>886 ジャイアンがひくバイオリンの様な泣き声
>>890 バイオリン弾くのが下手くそなのはしずかちゃんでは?
名スレ保守
893 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/13(火) 19:06:25
あげ
>>883 曹丕は「自分は曹操に愛されていない」と思い込んでいた。
それに反面して曹叡を可愛がってきたつもりだったんだが、
母親である甄后を殺された曹叡は「次は自分が殺される」と考えていた。
鹿狩りの日、曹叡に小鹿を殺しと言った曹丕は愕然とした。
「自分は父(曹操)から愛されていないと思っていたが、それは間違いであったのではないか?」
「父にしてみれば自分は頼もしい子供であったのではないか?」
「頼りにされていたからこそ、自分は曹操からアレコレかまってもらえなかったのではないか?」
「父の愛情とは表現しにくく、わかり難いものだ・・・」
逃げて行く小鹿を見つめながら複雑な表情をした曹丕がいた。
っていう感じの小説を読んだことがある。「曹操と曹丕」だったかな?
実際は自分の子供かどうか疑ってたとは思うが
曹叡が疎まれた理由の一つに立太子が遅かったからって言う人がいるけど曹丕死んだ時って40歳だろ?
脂の乗り切っている時期なんだから後継とか考えないよね、普通は
しかも親父が66歳まで生きてるしな
65歳です
なんで曹丕=リアリスト 曹植=ロマンチストなんて言われるんだろうな
曹植って疫病が流行った時に民が魔除けにお札張ったりするのを
「ただの気候の乱れにすぎず、鬼神の仕業なんかじゃないのに
愚民どものすることはおかしなものだ」
って言ってるような人物なのに。
曹植はエゴイストって感じ
曹丕もエゴイスト
ただ、曹植の場合「自分がよければそれでいい」で意識が内に向かってるのに対し
曹丕の場合は「自分がよいことを周りは認めろ!」で思いっきり外に向いてる
>>899 詩の方向性の事だろ
それから曹丕は徹底的にまで政治を冷徹にこなし自身の情をぶった切ってる
そして薄葬の令を出したりといらんものはいらんと言い切る
確かに曹丕がリアリストってのは否定できない事実でしょ
そういう点はふたりとも曹操にそっくりだな
曹丕スレみつけたから頭から読んでみたけど内容が濃くてびっくりだ
三戦板とは思えないほどの良スレだよな。
これだからやめられん
905 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 16:06:32
age
せっかくの良スレなのに過疎ってるね。勿体無い。
誰かネタない?
漫漫秋夜長
烈烈北風涼
展轉不能寐
披衣起彷徨
彷徨忽已久
白露沾我裳
俯視清水波
仰看明月光
天漢廻西流
三五正縱
草蟲鳴何悲
孤鴈獨南翔
鬱鬱多悲思
緜緜思故郷
願飛安得翼
欲濟河無梁
向風長歎息
斷絶我中腸
ビデオに撮ればいいではないか…
曹丕テラモコス
911 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 17:28:34
漢詩紀行見れなかった(´・ω・`)
再放送とかやってないのかな…
楽しみにしてたのに見逃した
見たひといる?
>>912 みのがしたよ、自分。
刊行開始された『中国古典小説選』明治書院の二巻に列異伝が収録予定。
原文、書き下し、現代語訳付き。
但し刊行日は未定。次回配本は世説新語。
年内に出るかも不明。
自分も見逃した…
ひょっとしてこのスレで見た人間はいないのか
漢詩紀行録画してたのやっと今日見た。
雑詩の二(西北有浮雲〜)と於玄武陂作(兄弟共行遊〜)の2首。
曹丕本人についての説明はさらりとしてた。
本当にここ良スレですね。全部が全部参考になりました。
いま個人的に曹家について調べているんですが、
曹丕の娘、東郷公主についての資料が少なくて難儀しています。
正史の甄皇后伝に
『二十一年(216年)、太祖が東方征伐におもむいた際に、
武宣皇后、文帝および明帝・東郷公主らは皆お供をした』という
記述があるらしいのは見つけたのですが、それ以上は何も分からずじまいで。
若死にした曹沖の冥婚の相手になった、という説があるけれど
『登β哀王沖伝』によると『甄氏の死んだ娘を娶って一緒に葬って』
となっているらしいので、甄氏の娘=甄皇后の娘ではなく
甄一族の誰かの娘という解釈もできるため、
必ずしも東郷公主が曹沖と合葬されたわけではないらしいという
見方もありまして…
曹丕から反れて申し訳ないんですが
どなたか詳しいことご存知の方いらっしゃいませんか?
>>916 これ読んで自分で判断して
建安中,袁紹為中子熙納之.
熙出為幽州,后留養姑.
及冀州平,文帝納后于[業β],有寵,生明帝及東郷公主.(文昭甄皇后伝本文より抜粋)
二十一年,太祖東征,武宣皇后、文帝及明帝、東郷公主皆從,時后以病留[業β].
二十二年九月,大軍還,武宣皇后左右侍御見后顏色豐盈,怪問之曰:「后與二子別久,下流之情,不可為念,而后顏色更盛,何也?」
后笑答之曰:「叡等自隨夫人,我當何憂!」
后之賢明以禮自持如此.(文昭甄皇后伝、註釈の魏書より抜粋)
こっちが
>>916の言う話かな
東郷公主の名前が出る話はこの二つしか発見できなかった
918 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/05(日) 07:00:12
保守。このスレだけは許して・・・
曹丕の短歌行読んでいつも
「なんでこんな唐突に鹿が出てくるのか」
と思ったら曹操の短歌行に同じフレーズが有った事を最近知った
本歌取りみたいなことしてたから同じ題名付けたんだな…
920 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 01:00:10
詩人だよな
921 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 09:33:45
弟の植のほうがうまい。
方向性が違うだけ
三人それぞれ違う良さがあるじゃないか
手紙は曹丕のが味わいがあるような。
以外に?感情がストレートに書かれてると思う。
燃料投下。
しかし曹丕って、誰かをからかったりとか
諌められたってエピソードがなんか多いな。
詩に関してはこんなん見つけた。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/ssj3/sjis/56honbun.html#209 9.舞台の上の曹丕楽府 ってやつ。
宋代で評価されてるあたり、早すぎた才能だったんかなあ。
音楽に拠る部分もあると思うけど。
同時代の公讌詩だと、曹植・王粲・劉驍ノ「公宴詩」とかあたりか。
三曹(曹操・曹丕・曹植)じゃなくて三祖(曹操・曹丕・曹叡)で
まとめてるけど曹叡の作品ってあまり残ってないな。
ちょっと調べてみたけど、「燕歌行」が平調曲
(笙・笛・節鼓・琴・瑟・琵琶・箏で構成)ってのしか探せなかった。
当時実際に歌われていた音韻とか平仄まではこれもさすがに解らない。
広東語が漢代のに近いとか何かで見たことあるような気がしたけど。
>>926 つい忘れがちだけど楽府って基本的には歌うものだからね。
どう表現されたかは気になる。
この発表内容も詳細読みたいな。