1 :
無名武将@お腹せっぷく:
162年−219年 河東郡解良に生まれる。
愛称「美髭公」
敬称「関公」
正式名称「三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君」
略称「関聖帝君」「関帝」
生前は主君に仕えて忠、配下に接して仁、と義に篤い男であった。
しかし一方では、乱暴者であり士太夫を見下すといった悪癖を持つとも。
死後、その働きを改めて讃えられ壮穆侯に封じられる。
その後も神格化され仏教、儒教、道教など様々な教え、地方で崇められる。
数千年の時を経て、人々の心になお生き続ける関羽について語ろう。
2 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 17:20:41
2get
>>1 162年に生まれたというのは演義からの推測?
佞言断つべし!
おれは
>>1ではないが
関帝廟のパンフなんかには162年生まれになってるよ
その関帝廟には関平と周蒼も奉ってあるから演義準拠とも言えるが
6 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 16:42:48
(-人-)奉りage
諸葛孔明も神様みたいなもんだし蜀は2柱も神が居たのに滅んだ訳か・・・
ありがたいこったな
意外と人気無いんだね
>>5 横浜中華街の関帝廟?
今年初めて行ったけど、関平と周倉はいなかったような希ガス。
10 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 17:53:50
蜀が滅んだのって関羽のせいだろ?
11 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 18:32:26
荊州をまとめられる最適な人物がいなかったからと思っている
>>9 横浜関帝廟だよ
奉ってあるって言い方は正しくないのかもしれんが
関羽像の左右に、青龍刀を携えた周蒼像と関平像が従えてるかのように立ってたはず
13 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 20:03:36
うむ、行ってみれ
一度は行く価値あるぞ
ちゃんとお線香でお清めして廟内に入ってお参りすることをお勧めする
16 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 21:00:13
関羽像の前で中華とか熱心にお辞儀(?)してて圧倒される。
漏れも500円のお線香かってお祈りしたよ。
17 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 21:17:16
中国では張飛が圧倒的に人気らしいが…
かくいう俺も張飛が一番好きだ…
18 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 21:48:48
張飛と曹操が親戚らしいってのを1年前知った
結局どうだったんだろ
19 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 21:51:50
意外と三国志10のようにバリアフリーだったのかもしれないね
三国時代は
20 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 22:08:47
姓:関
名:羽
字:雲長
生没年(?-219)
出身地:并州河東郡解県
親:
子:関興、関索、 関平、娘(孫権の子との縁談あり)
21 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 22:09:55
元々の字は長生という。故郷から[シ豕]郡に出奔した。
劉備が[シ豕]郡で兵を集めると張飛 と共に
その護衛官となった。劉備は平原国の相となると、
張飛と共に関羽を別部司馬に任じ、それぞれ軍を
率いさせた。劉備は関羽、張飛と同じ寝台に眠り、
兄弟のような恩寵をかけたが、公の場では関羽と張飛は
一日中劉備の側に立って警護し、奔走して苦労をいとわなかった。
22 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 22:11:04
劉備が徐州刺史の車胄 を殺害して徐州を乗っ取ると
関羽に下[丕β]の守りを任せて太守の代行とし、自分は
小沛に駐屯した。曹操の攻撃に遭うと劉備は
袁紹 の元に逃亡し、関羽は捕虜となった。曹操は関羽を
偏将軍に任命して礼遇した袁紹の部下の顔良が
東郡太守の劉延 が守る白馬を包囲すると、張遼と
関羽を先鋒としてこれに当たらせた。関羽は大将の旗と
車蓋を見つけると真っ先に駆けつけて顔良の首級をあげた。
白馬の包囲は解け、曹操は即刻上表して漢寿亭侯に関羽を封じた。
23 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 22:12:20
曹操は関羽の立派な人柄を尊敬していたが、
彼が自分の元に長く留まる意志がないことを察して
張遼に「個人的に彼を訪問して聞いてみてくれ」と言った。
関羽は張遼に「曹公が私を厚遇してくれているのは良く知っています。
しかし私は劉将軍から熱い恩義を受け、共に死のうと誓った中です。
あの方を裏切ることは出来ません。私は絶対に留まりませんが、
必ず手柄ァてて曹公に恩返ししてから去るつもりです。」と語った。
関羽が顔良を討ち取ると曹操は関羽が去ると思って思い恩賞を
関羽に施したが、関羽は贈り物に封印をし、手紙を残して
劉備のいる袁紹の元に向かった。側近の家来が彼を
追跡しようとすると曹操は「彼は彼なりに主君のために
しているのだから」といって追跡させなかった。
24 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 23:18:02
孫権が換羽を殺しましたぴょーん
25 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 23:26:19
26 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 23:31:57
27 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 23:33:30
28 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 23:44:58
>>17 アフォか!!
チャンコロには関帝が断然的人気
>>12 そう言われれば、1/6スケールぐらいの召使みたいなのがいた希ガス。
30 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/08 00:11:32
>>27 養子の記述はないけどかんぺい兄さん出てくるよ
山賊を舎弟にしちゃうんだからもー立派な任侠
32 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/08 00:22:39
ヤクザの神様でもあるからそうかもね
33 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/08 00:38:40
長い髭とか巨躯であったとかそういったところは許せるよ
骨削られながら囲碁やったり成仏できずに色んな人間を呪い殺したってのもまだ分かる
でもよ
いくらなんでも
年がら年中 赤ら顔ってのはねぇだろーよ
それを聞いて子供ながらに(((゜д゜)))ガクブルだったわけよ
酔っ払いじゃあるまいし
飲みすぎて肝臓やられた人がなるって言うあれでつか?
なにはともあれそこだけは納得できないんだよねぇ
34 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/08 00:41:22
関羽は常人の3倍速く動けるわけだが
自分は年がら年中赤ら顔です・・・orz
関羽が赤ら顔なのは
故郷で問題を起こして役人に追われてた道中
変装のつもりで赤くした色がそのまま落ちなくなったからってのは三国故事だっけ
その後意気投合する三兄弟の場面で、肌の色が
「白(劉備)赤(関羽)黒(張飛)そろってこりゃ面白い組み合わせだ」
みたいな台詞があって妙にウケた
この度息子の関平がFF7クラウドみたいな大剣装備で無双で登場しまつ。
唐沢敏明似で凌統並みのなかなかのイケメソキャラなので使ってやってください。
39 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 21:20:06
上洛
41 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 22:21:36
千里行で曹操領内の関所を次々と突破していく時に曹操に対
して恩を仇で返してるのじゃないかと思う
手形が無い人間を通したら罰せられるのは関所の人間
そうなれば必然的に命がけで突破を阻止しようとするはず
それをバッサバッサ切り殺して進むんだから筋が通ってない
中国と日本じゃ価値観が違うから仕方が無いのかも知れないけどね
関羽は実は西欧あたりの血を引くもの
43 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 22:46:07
実際には殺してないんじゃ
顔が赤いというのは義理に厚いという文学表現でもあるよ
白面郎とかは逆に冷酷みたいな意味合いもある
千里行は演義でしょ?
とある文献に基づけば、元の姓名を馮賢、字を寿長、という説もあるわけだけど。
47 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/14 21:39:13
44がいいこと言った
48 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/18 17:13:05
( д) ゚゚
桃園の誓いなどから見て劉備3兄弟は893って話はどっかで聞いた
仮に893的な繋がりであっても、悪いことをしなければ問題ない。
51 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/19 19:50:29
かんう うんちょ〜
54 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/21 00:06:03
>>49 なんで?
桃園の誓いと893と何の関係が???
気の合った者同士が誓いをたてて義兄弟になるってのがいかにも
侠客っぽいってことなんだろう。
893=日本のマル暴ってイメージだと何か違う気がするわな。
>>54 明の頃に今(というより一昔前かな)で言う893の様な人達の間で
桃園の誓いみたいのが流行っていてそれを羅漢中が取り入れたという話は聞いたことがある。
たしか桃園の誓いって実話じゃないんだよね。
劉備のお母さんが貧しい生活を送る中でご馳
走を用意したってくだりにホロリときたんだが。
58 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/21 17:14:25
>>57 正史に記述が無いというだけで、そうとは言い切れない。
かんううんこ
60 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/21 23:25:27
>>60 安心…というか、当時のやくざって今の暴力団とはまた違う気が。
それこそ横光の義勇軍や蒼天の鬼嚢みたいなイメージだと思う。
>>60 もともと劉備は用心棒みたいなこともやってたわけだし、
893っぽい親分肌みたいなところはあったと思うよ
(そうじゃないと張飛・関羽がついてかない)
曹操なんて不良ぶってるけど所詮エリート坊ちゃんなわけで、
個人的武勇は劉備>>>>>曹操だと俺は思う
63 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/21 23:36:05
蒼天は読んでないし横山の義勇軍もイメージに浮かばない・・・
でも悪い人間達じゃないんでしょ?
自分等の都合で人の生き死に勝手に仕切るんだから立派な893でつ
65 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/21 23:39:42
>>62 劉備の魅力ってアウトローっぽいものだったのかなぁ
>>62 劉備は強かったと思うが個人的武勇でも曹操が上だと思うぞ。
中常侍張譲の邸宅に侵入して無傷で脱出した…という逸話がある。
蒼天みたいな神業ではないにせよ、強くないと出来ない事だ。
それにエリートとはいえ宦官の孫、みんなに嫌われる立場にあったはず。
そんな中で疎外されたりせずに人気者でいられたのは文武に明るかったからじゃないか?
立場としては劉備よりも曹操の方が苦しい位置にはいたよな。
>>63 うん、どちらかというと民衆の味方をする任侠集団っていう感じかな。
何回もageんなヴォケが
武勇伝って言えば曹操は親戚に金の無心に行って一家皆殺しにした事もあるしな。
>>66 曹操ってチビで貧相だったんだろ?
強い感じしないな
その張譲の逸話って正史にのってんの?
曹瞞伝とかなら眉唾の希ガス
何か混同してるんじゃないか?
そろそろ雲長の話をしようぜおまいら
>>72 それは2つの説がある。
『魏書』では、呂伯奢の息子が食客と共に曹操を襲って馬や食料を奪おうとしたので斬り捨てた。
お前の言ってるのは『世語』の記述。
どちらが信憑性が高いかは一目瞭然だろ?
>>73 はははこやつめ
正史に記されていない歴史は無いと思い込んでおるわ
わははは滑稽なり
>>76 なるほど、でも魏書って曹操寄りの書物?
正史も陳寿が蜀びいきで偏ってるって聞いた。
ずばり雲長のライバルは誰か!!
>>78 そういうこと言い出すときりがない気が・・・
魏書は、とりあえず曹瞞伝やら世語よりは信憑性が高い
>>78 魏書って正史の事だよ。
陳寿が編纂した『三国志』の中に、『魏書』、『呉書』、『蜀書』があるんだ。
そうだったのか・・・orz
>>78 陳寿は結果的に全部の国を良く書いてるよ。
蜀は自分が元々仕えていた国だから悪く書いていない。
魏は自分が現在仕えている晋に禅譲した国だからやっぱり悪く書いていない。
呉は既に呉で編纂されていた呉書を少し変えただけなんだが、呉で編纂された呉書で
呉が悪く書かれている筈が無い。
歴史書ってそんなもんだろ。
84 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/22 00:08:08
>正史も陳寿が蜀びいきで偏ってるって聞いた。
どこで聞いたんだよw
演義と正史での関羽像の差を真剣に話してみないか
>>81 >>76が言ってるのは魏志の記述じゃなくて、裴松之が注釈に引いてる
『魏書』(王沈撰)の方だと思うんだが…
ここで76登場↓
(´・ω・`)
>>60 遅レスだが後世の893が桃園を真似たのではなくて
演義を創ったときに893の間で流行っていたことを劉備たちにやらせたってこと。
90 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/23 16:45:24
てきしょう りてん うちとったりぃ〜
>>90 ごちそうをよういしました めしあがってください
関羽の比較対照として張遼を挙げるのはどうなの?
93 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/24 17:55:22
交友関係があったってだけだから
なんとも言えん
なら、徐晃
そもそも、当時あのような武器が製作できたのか?
できねーよ
97 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/24 19:57:15
張遼が義理堅いってイメージはどこから来てるんだろうな
合肥で孤軍奮闘したからじゃない?
トウタク→呂布→曹操
公孫3→トウケン→呂布→曹操→炎症→リュウヒョウ→リュウショウ
100 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/24 21:56:30
100を取りたい・・・
良いのかな・・・
・・・・・・・
もう我慢できない!100ゲット!!!
・・・・・はぁはぁ
102 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/24 22:09:08
関羽最大のライバルはホウ徳
夏侯惇じゃないの?
○文武両道
魏→張遼
呉→呂蒙
○義人
魏→ホウ徳
呉→該当者無
○関羽ほどの名将
魏、呉→該当者無
色んな角度から見たらこんな感じかな
○結論
関羽と並び称されるほどの人物は他に居ない。
>>104 演義厨か?
その候補に数え切れないほど入れたい人物がいるんだが。
>>105 関羽のスレで正史の話してもしょうがないだろ
正史系のスレでもないのに演義の話しただけで演義厨って・・・
107 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/25 01:06:21
関羽のライバルって言ったらやっぱり夏侯惇じゃないかな?
ホウ徳はちょっと違うような気がする。
顔良・ホウ徳・于禁・・・
敵の上級武将を3人も自分の指揮下の軍で倒したり捕まえた武将って
三国の中でも関羽だけだと思うけど、なんで正史厨な人は関羽の
実力を認めるのを拒むのだろう?
>>108 勝ち戦が白馬くらいしかないからじゃないかな?
部隊長としての評価は高かったと思う
人気ある人物にはアンチも多いってだけ
于禁戦は大雨のおかげだから関羽の勝ちではないとか言い出すのがアンチだからな。
他の戦は室内で行なわれたとでも思っているんだろう。
>>113 趣旨がわからなかった?
じゃ書きなおすよ。
アンチにとっては于禁を捕えたのは大雨のおかげであり、関羽の功績ではないらしい。
これでOKだね。
赤壁で故意に曹操と張遼を逃してるからなぁ
それも孔明の手の内だとは言うけど・・・
というか勝ち戦だの、負け戦だの言う香具師の意味が分からん。
蜀は多勢に無勢である事が多かったんだから、その辺りを考慮して欲しい。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/25 17:30:51
士太夫って何?
俺は関さん好きだな
120 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/25 19:28:17
蒼天の関羽のハン城攻めがどうなるか楽しみだな
関羽と一騎打ちした武将って誰だっけか
顔良タン
張飛タン
曹操
程普たん
126 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/25 23:46:38
むがー
>>121 顔良、文醜、華雄
この3人を一騎討ちで一撃で屠った
あとは知らん
チャンコロがアソコまで圧倒的に関羽を祭りあげるには、彼らなりの理由があるわけで。
余談だが、かくいうウチの親父も台湾人で、俺が真・三国無双4買って最初に
プレイするキャラに迷ってたら「関羽じゃねぇのか」、と。で、まだレベル低くて
華雄に手こずってたら「ホントは一撃だったんだけどなぁ」とかイチャモンつけてたw
ちなみに親父ぁ演義を正史として語っているが、どうも中華圏の人はそういう
人が圧倒的に多いらしぃ。「なんで関羽が商売の神様か知ってるか?それは
彼が曹操の元から劉備の元へ帰るとき、曹操から貰ったものを綺麗に清算
整理して残していったんだ。ああいう、計算能力が高いところから商売の神様
として見られるようになったんだよ」とか平気で言ってくる。大学の研究室に
置いてある正史の蜀志・関羽伝にゃ清算がうんたらとか全く書いてないんだけど
なぁ。それに、字が長生だったころに商人だった経歴からイメージが結びついた
って説もあるし、色々なんだよって言っても全く取り合わず。
ところで関羽が商売の神として崇められたのって、演義成立の前?後?
おしえて下さい詳しい人。
129 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/26 15:12:30
関羽が神格化されのは羅貫中の三国演義が登場して以降。
自分の首を返せと現世を彷徨っていたところを坊主に諭され成仏。
この話が関羽神格化のルーツ。
商売の神に関しては帝が定めた神位でもないし民衆から興ったもの
だろうから正確な時期は誰にも分からないんジャマイカと。
そういや元か明か忘れたが関羽に物凄い長い官位(だっけ?)追贈してる
王朝あったよな?
と思ったら
>>1に書いてあるな。
これでいいんだっけ?
やたらなげーなw
界名みたいなもんか
>>130 >>1に書かれてる爵位が明
清の時代に送られたのが「忠義神武霊祐仁勇威顕関聖大帝」
関帝廟の関羽像が閻魔大王に見えてコワイヨー
135 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/26 16:50:43
閻王のモチーフは関羽だから当たり前田
136 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/26 17:01:39
当たり前田のクラッカー
確かに赤い顔と長い髭と威圧感と共通項は多いが・・・
んなわけねーだろ
140 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/27 05:57:30
忠臣ニ君に仕えず
>>141 ほぼ同じイメージ(白装束のイケメン武将)の岳飛の方が人気あるみたいだけど。
>>141 中国ではイケメンというより名老将のイメージがなかったっけ?
オールマイティで好感を持てる人格だから人気
144 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/27 13:49:15
【女体化】曹操(女)×関羽【エロカワイイ】
関羽「曹操殿には世話になった。このご恩は一生忘れぬ」
曹操「……そうか。行ってしまうのか」
関羽「主君の居所が解っている以上、ここにいる理由はござらん」
曹操「……」
関羽「では、さらば」
曹操「……関羽……バカ……」
145 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/27 15:25:57
>>141-143 趙雲が美形?
凡愚めが
肉付がいい細目のオッサンだぞ
中華じゃ関羽=諸葛亮>>>>>>>>>>>>>その他
中華人に聞いてみろ
関羽の神格化は演義の前だよ。
華僑が故郷の有名人である関羽をあちこちで祭ったのが始まり。
演義はその信仰を取り入れただけ。
人柄に曹操が惚れたらしいしね
結構できた人だったのかも、一人間としては
難しいね。
英雄になると崇拝されるがそれが神とは言えんかもよ。
マラドーナやバッジョ、イチローや鈴木、馬場や前田、ヨン様やトム。
どれも崇拝されてはいるけど神ではないでしょ。
それこそ諸葛亮や劉備なんかも崇められていたけど神格化には至ってない。
生前の活躍により ウホ!ネ申!! と言われる事は多くても死後まで続く事は稀。
漏れも大して知らんから演技の前だか後だかははっきり分からんがね。
関羽の場合他より多くまつられてたって話ですよ
150 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/27 16:21:02
>主君に仕えて忠、配下に接して仁
(゚∀゚)イイ!!
>マラドーナやバッジョ、イチローや鈴木、馬場や前田、ヨン様やトム。
↑ものすげー、いっぱい釣り糸垂れ過ぎて、漏れしか釣られなかったってヤシか?
肩の手術しながら焼き肉くってたような人なんだから神だよ
スパッスパッ
関羽「ほら、そっちは焼けてるぞ、関平食え」
ガリッガリ
関平「おえ・・・」
>154
・・・
碁を打っていたモンだとばかり・・・
マジレスカコワルイのか、俺
馬良と碁打ちつつ、酒を呷り肉を喰らう関将軍はヤバいな。
このときの勝敗がどうなったかすげー気になるんだが。
関羽が神になったのは、なんだかんだ言っても、やはり祟りがあったと
思われたのが一番の要因じゃあないんかね。道真公みたいな感じで。
>>156 多分、馬良が精神的ショックを受けて負けでしょ
ところで関羽は分かるが甘寧は何で神になってんの?
158 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/27 17:58:23
何の神よ?
泥棒の神様じゃね(プ
160 :
国仲:05/02/27 18:20:15
こんなときには電話一本
太宰治の小説によると甘寧は水路を守る神らしい
>>159 闇商人の神さまだよ。似たようなもんさ(w
太宰治が三国時代に生まれたらどうなってたんやろ
だざいおさむ
165 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/27 23:26:39
↑
ださいおさむ
167 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/27 23:45:49
↑
ぼんちおさむ
太宰のは創作で本当は漕運と船旅を守る神
関羽が素手で殴り殺した人間の数を推測してみよう
>>170 現地では甘寧が親しまれているなあとは思ったが信仰されてるかは分からん
でも信仰されてたとしてもかなり限定的なものじゃないかな
行ったことは無いが甘寧が関係した寺もあるらしい
張飛を祀った廟もあったな。三峡ダム完成で水の底に沈んだが。
祟りが怖そう。いやむしろ祟って欲し(ry
173 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/28 12:13:26
【女体化】曹操(女)×関羽【エロカワイイ】
関羽「……それがしはなにも手柄をたてておりません。それにも関わらずこのような恩賞は受け取れません」
曹操「そういわないでくれ。奥方殿に差し上げてもかまわぬ」
関羽「しかし、なにか恩返しをしとうございます。このままでは曹操殿に悪い」
曹操「気にしなくてよいっ。余が勝手にしていることだ」
関羽「では、何でもいいから一つ言ってくだされ。この恩は早く返しておきたいのです」
曹操「……なんでも?」
関羽「はっ」
曹操「そ、そ、そうか、なんでもか……あ、あの、そ、その……」
関羽「どうかなされたか? なんでも聞く所存。ただし、あの約束は守ってもらいますぞ」
曹操「……あ……あの、余を……抱いて……くれ……ぬか?」
関羽「!? どういうことです?」
曹操「……余などでは駄目だろうか? そなたの性欲は満たされぬかな?」
関羽「なにを言っておられるのです? 冗談はおやめください。他の部下が聞いていたらどうなされます?」
曹操「……駄目……かな?」
関羽「いや……曹操殿は、十分魅力的な女性だ。抱けるものなら、抱きたい」
曹操「……では、こっちに……。余の寝室だ」
関羽「一つだけ……。それがしはこのように身体が大きい。だからその、小柄な曹操殿では苦しい思いをすることになりまするが……」
曹操「(びくっと身体を震わせる)……そ、その……優しく……な?」
関羽「……はっ」
呂蒙と魯粛の会話の中に学問を好み左伝をほとんど暗誦出来るほどの関羽に相対す
るにはさまざまな策略を立てて対処しなければならない、と言っている。関羽がかなりの
学識の持ち主だった事が伺える。
でも簡単に捕まっちゃったよね
馬謖だって博識だったけど簡単に負けただろ
>>175 汚いやり方だけどね
関さんは純真だからな
178 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/28 17:30:09
>>176 馬謖と関羽の敗因は全く異質でしょ。
馬謖〜功を焦り敗退 孔明に対する反発、自己主張等が原因。
関羽〜城を守る事に固執し敗退 責任感が悪い方に出たのが原因。
戦で負けるのには2タイプあって
・勝てる戦を負け戦にする
・どうにもならない負け戦
馬謖が前者、関羽が後者
馬謖と同じような死に方をしたのがホウ統。
孔明が偉大すぎたってのも問題あったのかもね。
>>178 >関羽〜城を守る事に固執し敗退 責任感が悪い方に出たのが原因。
これは演義の話なのかな?
>>174は正史の話をしているのだと思ったが
確かに関羽の場合は戦を起こした時点でどうにもならない負け戦だね。
戦を起こさなきゃあんな簡単に荊州失うことも無かっただろうに。
___ _
/ ____ヽ /  ̄  ̄ \
| | /, −、, -、l /、 ヽ
| _| -| ・|< || |・ |―-、 |
, ―-、 (6 _ー っ-´、} q -´ 二 ヽ |
| -⊂) \ ヽ_  ̄ ̄ノノ ノ_ ー | |
| ̄ ̄|/ (_ ∧ ̄ / 、 \ \. ̄` | /
ヽ ` ,.|  ̄ | | O===== |
`− ´ | | _| / |
| (t ) / / |
「馬謖くん、君に街亭を任せて大丈夫?」
「僕に任せてよ、丞相!」
>>178 べつにいいじゃん。
馬謖も関さんの大切な仲間だそ。
↓馬謖
⌒ ⌒ ____
( ) ゝ/ __ヽ
| | | / | h
, ── 、 __ i |-||
/ ヽ / ヽ (|| | /^ヽ
/ /)ノ)ノ // \∧/ ノ /ヽノ
| ///⌒ヽ / , ─/ ̄ ̄`─ ´ / ______/
ヽ /)─| ミ| / / ,-─ ′ ─────/
∠ (| |. ヽ__ノ> ( ̄ノ/ / −、 /
∠_ / ` /^\__ >  ̄ |─── |─┬┘ |───/
ノ (__ ヽ___ノ─┴ 、__ノ ̄ ̄/
/ ̄ ̄\┌─ ′ /^−、 -、_/ /_____ /
/ ̄ ̄ ̄⌒ヽ ( 丿 / | /─────/
\ / ̄/ (__ノ ̄ ̄ // /
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↑王平
,-――-、 ___
{ , -_−_− / _ _ ヽ
.(6( /),(ヽ| / ,-(〃)bヾ)、l
/人 ー- ソヽ _ | /三 U |~ 三|_
/ / |  ̄_∧/ ヽ |(__.)―-、_|_つ_)
| | \/_/-、 / / /`ー--―-´ /
|-\ _|_ )_| / | // ̄( t ) ̄/
ヽ-| ̄| |_|_ / ,− | | ヽ二二/⌒l
/ l―┴、|__) | (__> -―(_ノ
/ `-―┘ / `- ´
/
「負けちゃったよ…」
「死刑!」
AAワロタw
また釣り糸が・・・
188 :
178:05/02/28 18:05:04
>>179 呂蒙にしてやられたのは裏で陸遜が糸を引いたっていうのもあるけどね。
つーか孫権をわざと怒らせたのアホ杉でしょ
自業自得
そんな関さんがすきだ
ここにレスしてるやつって、む○ん訳の改竄関羽を元ネタにしてるのか?
どうも知識が偏ってるような。
蜀滅亡のきっかけが関羽にあるような気がしてきた・・・
193 :
黄祖:05/02/28 18:29:55
そんなことより配当金を遣しなさい!! ↓堀江
⌒ ⌒ ____
( ) ゝ/ __ヽ
| | | / | h 皆、僕で儲けてよね。
, ── 、 __ i |-||
/ ヽ / ヽ (|| | /^ヽ
/ /)ノ)ノ // \∧/ ノ /ヽノ ─¬
| ///⌒ヽ / , ─/ ̄ ̄`─ ´ / ______/ │
ヽ /)─| ミ| / / ,-─ ′ ─────/
∠ (| |. ヽ__ノ> ( ̄ノ/ / −、 / 出
∠_ / ` /^\__ >  ̄ |─── |─┬┘ |───/ 来
ノ (__ ヽ___ノ─┴ 、__ノ ̄ ̄/ 高
/ ̄ ̄\┌─ ′ /^−、 -、_/ /_____ /
/ ̄ ̄ ̄⌒ヽ ( 丿 / | /─────/
\ / ̄/ (__ノ ̄ ̄ // /
\/ / // /
↑一般株主
ホウ統生きてて関羽と荊州が無事なら最強なのにな。
ついでに徐庶が罠手紙を見破れば司馬懿爆殺間違い無しだったのに。
すまない。
レスをする場所を誤爆してしまったよ。
歴史にタラレバはないぞ
関羽が生きてれば天下は蜀の物だったはずorz
そんなこと言い始めたらカクカが居れば赤壁で曹操が天下統一してたよ。
魏オタはあっちいけ
ここは関羽のファンスレだ。
空気を読めない議論厨は出ていってくれ。
200 :
関羽:05/02/28 18:46:35
200取ったりぃ!
呂布の愛馬が関羽の下に行くのがいいよな
しかも呂布が死んでも元気だったのが関羽が死ぬと追い腹切るしイカス
赤兎馬の事?
赤兎なら呂布以外のせてないけど・・・
演義準拠なのかな。
もちつけ
ぺったんぺったん
もちつけ
208 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/28 19:14:30
┏┳┳┓ ハイ. ┏┳┳┓
┏┫┃┃┃ 雑談は ┃┃┃┣┓
┃┃┃┃┣┓ ここまで ┏┫┃┃┃┃
┃ ┃┃┏━━━┓┃┃ ┃
┃ 関羽敗戦 ┣┫ . ・∀・ ┣┨ の話 ┃
┗━━━━┛┗┳━┳┛┗━━━━┛
┏┻┓┃
┏━┛し.┣┻┓
┗━━━┫ろ┗━┓
. ┗━━━┛
関羽は
赤ら顔
うんちょ
関羽を語る上で欠かす事の出来ぬキーワードを三つだけ挙げよ
兄者
兄者
大好き!
・心
・義
・体
曹操
劉備
孫権
魏
呉
蜀
ひげ
なんかで馬は移動用で馬に乗りながら戦う事はないって聞いた希ガス
馬上槍はバランスが取り辛いうえに標的にされ易いからまずやらないとな
あと馬は大変な臆病者だそうで
これ聞いてからなんかイメージ壊れた
だからこそ趙雲の単騎駆けが光る
222 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/01 02:13:57
ポニーだしな
223 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/01 04:06:08
>>201 それ、ン年前、中国の大学入試の試験(センター試験相当)で、
『信義』というテーマの作文試験に、ある学生が『赤兎の死』という題目で
取り上げた。その作文は漢文で書かれたもので、満点作文(凄く珍しい)になった。
アンチの人たちに散々突っ込まれた。信義があったら呂布と共に死ぬべきだって。
224 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/01 04:39:57
中国でも赤兎は人気なのかぁ
主人が死んだからって、気を病んで死ぬ動物が居るわけ無いでしょうが。
演技はこういう有り得ないエピソードを散りばめてるからマジでちんこしょぼん。
ロマンなさすぎ
気を病み逝きましたが何か?
229 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/01 07:59:51
>>226 馬は賢い動物なんだぞ
サラブレッドになるがシンザンという名馬は
非常に気位の高い馬で飼い葉がきちんと並べ
られていないといくら腹が減っていても食べ
なかったそうだ
最初は生意気だと怒った厩務員も数日飼い葉
に手をつけない様子を見て結局体調を壊され
たら敵わないと厩務員が折れた
このエピソードは競馬ファンには有名
230 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/01 08:18:34
>>228 あんたは駅前の人たちがくれるエサ目当てに、
家からみて主人の職場とは逆方向にある渋谷駅に行ってたんでしょーがw
むちゃくちゃロマンなさすぎ
脳に欠陥があって決まった配置じゃないと食べ物だと認識できなかっただけだったりw
所詮「馬鹿」な生き物さ
235 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/01 15:53:39
関羽(゜∀゜)モエッ!!
強い奴と戦って一度も勝ったこと無いのに過大評価されすぎじゃね?
そんなあなたに演義をおすすめ
于禁舐めすぎ
星彩舐めすぎ
241 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/02 17:53:14
(´д`*)ハァハァ
武力99はどうかと思う
98でいいよ
1対1なら許チョや典イの方が明らかに強い気がするんだが
>>244 なんでだ?
たぶん、曹操よりも劉備のほうがたくさん危ない目に遭ってると思うぞ。
それを無事に守り続けたんだから、
関羽張飛≧キョチョ典イ
じゃないか?
>>245 んー劉備の危機を救ったっていってもべったり張り付いて警護した訳じゃないし
どうも強い=膂力ってイメージがあるけど関張は用兵が上手かったんだと思うよ
どっちの言い分も直接強弱には結びつかないだろ。
じゃあさ劉禅と呂布どっちが強いって聞かれたらどう答える?
さあどう答える
。・゚・(ノ∀`)・゚・。イナクナッチャッタ
251 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/03 06:12:12
>>245 命の危険ははるかに曹操の方が多かったが
宛城等の戦い振りを見て、典韋が関羽に後れを取るとは思えない。
現代の人間に例えるなら、ミルコとヒョードルのようにやってみなければ分からない。
といった感じになるのではなかろうか。
今はミルコ圧勝だろ。やるまでもない。
やってみなきゃ分かんないって言ってんだろ!
もちつけ
>典韋が関羽に後れを取るとは思えない。
やるまでもなく関羽の圧勝
肥の三国志8みたいに武芸大会とか開かなかったのかね
そういうのがあれば比較できるんだけどな
259 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/03 21:31:42
ぬるぽ
260 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/03 22:11:37
張飛>関羽なのは事実
正史なら関羽>張飛だけどな
関羽は江南四郡攻略のときに大いに戦功をたてた
これが記述における、(軍を率いて、運とか関係無しの)唯一の勝ち戦かねぇ
横槍でスマンが、多分262は腕力の話をしてるんだと思うよ。
ハン城は水攻めで勝ったんだよね?
その後荊州取られて援軍も来ず孤立無援で負けたんだよね?
計略によるものでもなく、ただ洪水で半壊した相手を攻撃したのを水攻めというならそうだろうな
てか264は明らかにアンチ関羽
>>261 しかしながら、それ以前から関羽・張飛の名は知れ渡っている。
遠方にいた周瑜が知っているくらいだ。
以前から相応の戦功を挙げていたのだろう。
どうも関羽好きの人間は、好意的・御都合的解釈で通したがる傾向に
あるんだろうね。
>>128の父なんかはその典型的というか限度を越えてる感じだけど、
現存されている史料から客観的に考察できないで、抽象的な印象や
感情論で片付ける人が多い。
理論的な反論もなかなかしないで、相手への罵詈や荒らし扱いも少なく
ない気がするんだけど、そのあたりは、このスレの住民的にはどうなの?
>>268 >>267は別に無理のない意見だと思うよ。
何もしないで名が知られるようになるわけがないし。
>>268 まともに議論できる人ばかりなら、そうはならないと思うんだが、
あなたも知っての通り、この板には残念なことにアンチと呼ばれる人がいて、
普通に議論していても突然現われて、必要以上に罵詈雑言を並べたてたりする。
そうなると反対に必要以上に賛美して反撃をせざるをえなくなる。
そんな感じではないだろうか。
まあ、この板に限った問題ではないけれど。
>>266のような見方をすれば、赤壁や桶狭間なんかも自然の産物って事になるんだな。
272 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/05 18:07:44
アンチが居るのは一種のバロメーター
>>272 同意。アンチがたくさんいる孔明や関羽は人気があるし
>>271 赤壁の風で多くの兵が吹き飛ばされたとか
桶狭間の雨で多くの兵が水没したとかだったら間違いなく自然の産物って言われてただろうね
関羽の軽率な行動により荊州を失ったのは揺るがぬ現実
結果夷陵での戦いを誘発し更に蜀を疲弊させた
俺個人としては関羽があそこで動かなければ蜀の天下もあったと見ている
以上のような理由で関羽を好きにはなれない
安易に否定意見をアンチという言葉で片付ける擁護派の方が無理がある
>>275 つまりお前はアンチってことだな。
わかりやすい。
>>275 それは結果論であって、たとえ討って出なかった
にせよ荊州を守りきる力は無かったぞ。
荊州にまともな参謀もいなかった品
そもそも関羽が権謀術数に長けているという認識が納得いかんよ
>>277 それは何を根拠にしてるの?
呉が動いたのは関羽が北上したからだよ
それでも呂蒙は守備兵が多い為に計略を使っている
所詮商売の神様であって軍神じゃないからな
>>281 荊州陥落までの一連の流れを見れば
そんな事は分かると思うが・・・
284 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/05 19:32:42
将軍としてはまぁ有能だったろうが、
一人で荊州を治める力量も器も無かった
呉と個人的に親交のある人間が多かった龐統が支えていれば、少しはマシになったのかもな
劉備に夏候惇のような人物が居ればなぁ…ちったぁ上手く行ったのかもしれんが。
もともと荊州は諸葛亮・張飛・趙雲など主力が皆で残って守るはずだった。
つまりそれほど守るのが難しい土地。
関羽のなかでは常に、魏が本気で南下をすればひとたまりもないという思いがあったろう。
そのために中原に扇動の種を撒き、魏の脅威を遠ざけるために樊城を攻めた。
攻めるタイミングとしては、中原が揺れているあの時しかない。
とても俺には北上が軽率とも安易とも思えない。
結果として荊州を失ったのは事実だが、
あの時動かなければというのは、結果を知っている後世の人間だから言えることだと思う。
>>271 赤壁は疫病で勝敗が決したと思うのですが
それはホウ統が連環の計で病原菌を撒き散らしたから
つまらん
>>287 諸葛亮・張飛・趙雲が残ってたのはそこしか居る場所がなかったからだろ
呉がその後滅亡まで守りきったのに守るのが難しい土地?
まあ関羽の実力じゃそう思ってもしょうがないか
>>291 ↑
こういうレスが帰ってくるから議論したくないんだよなぁ・・・。
なぜ関羽ファンが議論を避けようとするのかという質問がたまにあるが、こういうことだよ。
>>292 >まあ関羽の実力じゃそう思ってもしょうがないか
ここが気に障ったのか?
>関羽のなかでは常に、魏が本気で南下をすればひとたまりもないという思いがあったろう。
と書いたのは
>>287(=
>>292?)だぞ
その後の荊州を守る将が、
というか自信過剰な関羽がこんな思いを本当に抱いていたとでも思ってるのか?
>>295 関羽が守っていた当時の荊州は、魏と呉に挟まれた係争地帯であり、蜀本国からは遠かった。
逆に、呉は荊州を得たことによって長江沿いに国境が整備され守りやすくなった。また、蜀が攻めてくる危険性は無いに等しかった。
全然状況が違う。
劉備が益州入りに新参者ばかりを連れていって、主力を残したのは、
それだけ荊州が危険だからだというのは言うまでもないと思うが、
何か他に理由でもあるか?
>>296 川を下れば益州からでも遠くはない
呂蒙が三郡を攻め取った時に劉備は郝普が降伏する前に公安まで急行しているだろ
本拠地は荊州だったのだから別に不思議なことではない
また劉璋に警戒されないためとも考えられる
荊州がそこまで危険なら何故主力を戻さなかったの?
というか関羽がそんな不安な感情持ってたとしたら孫権にあんな態度とるかな?
>>297 ホウ統の死という不測の事態があり、
蜀入り後も、漢中争奪戦や国固めに人材を割かねばならず、
荊州に主力を戻す余裕は無かった。
>>298 発端は呉が先に三郡を攻めたことにある。
信用して仲良くしろというほうが無理がある。
>>299 荊州を失っても漢中を奪らなきゃいけないと劉備や諸葛亮が考えていたって事か・・・
>>301 極論すぎ。
主力を散らばして何とか全体を保とうということだろう。
>>297 ついでにもう一つ。
三郡争奪戦のときに劉備が急行できたのは、漢中に張魯という緩衝地帯となる勢力がいたため。
魏と国境を接したらそうはいかない。
304 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/06 00:10:04
>>298 関羽が孫権に娘をやれないという話で「虎の子を犬の息子にはやれない」
と言ったのが不味かったよな
それが呉を動かした原因の一つだと思う
>>304 それって三郡攻められた後じゃなかったか?
それじゃあ無理もないことだと思う。
>>303 それじゃなんで夷陵の戦がおこせたの?
別に漢中を空にするわけではない
そもそも関羽が北上したときは劉備が漢中を奪り
劉封・孟達が上庸を奪った直後でまわりとの連携が期待できない時期
さらに呉への警戒も薄いと計画性が感じられない
あと勝手に兵糧持ってっちゃったのもなぁ
まぁ関羽からしたら、
傲慢で好き勝手やった女が、ほれ込んでる主君の妻ってのが我慢ならなかったのかも
結局勝手に帰っちまって主君の面目は丸つぶれ
おまけに三郡奪われたという怨みがあるし
だからといって国交を破綻させたのは良くないが
>>306 計画性はあるよ。
中原の扇動工作がうまくいって、攻めるなら今しかないって思ったんだろう。
扇動なんて何回もうまくいくものじゃないし、鎮圧されたらおしまい。
>>304 それは大した問題ではないと思う。
どのみち呉は南郡を攻めてたんじゃないかな?
ただ関羽が動かなければ少なくともあんな簡単に奪われることはなかったでしょ。
それに魏を脅威に感じていたならそんな強気に出れたとも思えないけど。
不安な心境の裏返しで強がってたのかな?
なんかカワイイな関羽(;´Д`)
>>307 国交は三郡攻めの時点で事実上破綻している。
どっちも信用なんてしていないだろう。
不安だから下手に出るなど愚の骨頂。
それで助けてもらえるほど乱世は甘くない。
付け込まれるだけ。
>>307 それもそうか
>>308 侯音とか魏諷とか、あとは各地の有力な山賊共か
呉領内でも動きがあったらしいな
関羽が内に目を向けてもうちょっと守りを固めておけば、
こんなにあっけなくやられなかったろうに
>>312 侯音、魏諷は関羽との関係は分からないでしょ。
どこかに記述あったっけ?
>>316 関羽との関係はわからないが、
その乱れに付け込んだのは間違いない。
魏呉の思惑通りにはめられたわけなんだがな
>>318 魏の思惑にハメられた?
魏はただ被害を出しただけなんだが・・・。
目の上のたんこぶの関羽が消えたでしょ
差し引きして考えれば得の方が多い
>>317 侯音は既に鎮圧され魏諷も決起前に捕まってる。
乱れに付け込むわりにはタイミング悪いな。
>>320 七軍も消えて于禁も捕虜にされて・・・
思惑通りにはめたってのは無理があるぞ。
単に攻められて守り切っただけの話。
亀レスだが277に同意。
先を見た場合タイミング云々より他に選択肢が無かったんだと思う。
>>321 各地で関羽の印綬を受けたものが蜂起して中原は震動した。
タイミングは悪くない。
つーか、その時しかない。
>>325 蜂起した香具師が特に他の伝で触れられてないからなあ。
漢中や上庸が安定すれば色々なオプションが考えられるのに
何でこの時期を推すのかがさっぱり分からない。
327 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/06 01:23:20
勝てば官軍負ければ賊軍
>>326 侯音・魏フウの乱の直後たからこそ、扇動もあそこまでうまくいった。
魏が安定したら手遅れ。
外に目を向け始める。
そのために関羽は次から次へと手を打ったのだろう。
何にせよあのヒゲは社会人としての常識から大きく逸脱しているな
>>329 ↑
ほら、必ずこういうのが出てくる。
だから関羽ファンは議論を避けたがるんだよ。
それをわかってもらえただけでも収穫と言えるかな。
次の討論会は2週間後だな
おやすみ
・・・とりあえず、今、論点はどこなの?
329も330も釣りってことでスルー推奨、と。
烏騅と赤兎馬どっちが速いかじゃなかったっけ?
335 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/06 05:07:03
大敗したのは晩年だし若い頃はすごかったって事で
__∧_∧_
|( `' )| <誰か添い寝しろ(`')
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 董卓
孔明・関羽・張飛のトロイカ体制で守ればよかったんだよ。
なんか演義主体と正史主体の話が混じってる感じだね。それはそれとして、
魏諷や侯音の叛乱に関羽が関与・影響した形跡はないのに、これを
結び付けようとする人がいるけど、これはどうかと思うんだけど……。
それに荊州北部で発生した魏の叛乱勢力も、関羽が曹仁を追い詰めて
後に印綬を発行していったもので、これも関羽が事前に準備をしていた
とまで推測するのは都合がよすぎるんじゃない?
>>338 侯音・魏フウの乱の魏の乱れに付け込んで攻めたんだろ。
印綬を与えていたのは事前工作だったと見るのがが正しいと思うが。
できれば昨日の晩に出てきてほしかったな。
これから外出だから、続きは2週間後にしよう。
340 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/06 16:14:32
孔明〜饅頭を作った
馬謖〜「泣いて馬謖を斬る」
馬良〜白眉の元となった
黄忠〜「老いてますます盛ん」
こんな感じで現代に残ってるの他にある?
341 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/06 17:38:07
白波賊〜白波
三顧〜劉備
水魚の交わり〜劉備
諸葛菜〜諸葛亮
危急存亡の秋〜出師
341あとは任せた
342 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/06 19:19:07
五丈原
死せる孔明、生ける仲達を走らす
↓342任せた
「泣く子も黙る」ってのは張遼から?
それともそれ以前にそういう表現があったの?
諸葛菜や饅頭がありなら、大刀を関刀と呼ぶとかってのもあっていいかね。
現代日本でも普通に使ってそうなのつったら、
劉備の髀肉之嘆とか、呂蒙の「士別れて(略)刮目すべし」とか
2週間後だと忘れてるかもしれんので漏れも1つ
初めの方で関羽は曹操の南下を惧れていたという話をしてる人がいるけど
あの状況では呉と蜀が協力しちゃうから曹操は江陵を攻めれないんだよね
実際江陵を攻める素振りも見せていないし
徐晃が関羽を破った後の処置からもそのことが伺える
まあ関羽がどう思ってたのかは分からないけどさ
>>344 >劉備の髀肉之嘆とか、呂蒙の「士別れて(略)刮目すべし」とか
解説お願いします
>>345 なんで2週間後なの?
347 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/06 22:25:40
>>345 呉と蜀の関係が険悪になってたし、魏が動く事は考えられたと思う。
要はあの時のパワーバランスがポイントだと思うよ。
天下三分の計も三国の力が拮抗してる状態であってこそのものだった。
そのバランスが崩れ始めてきて、蜀が最初に動いたと見る。
>>346 >>339 >>347 呉蜀の関係が悪化したからといって動けるというものではないでしょ
呉蜀にとって魏に江陵を奪られるということは最悪の事態
魏にとって藪蛇になる可能性がある
だからこそ魏は濡須を攻めたんだろうし、関羽を追撃しなかった
バランスというか国境が定まったのは荊州陥落後ではないかな
パワーバランスという意味では魏の圧倒的優位は変わらなかったわけだし
>>328 >侯音・魏フウの乱の直後たからこそ、扇動もあそこまでうまくいった。
関羽の扇動を評価し過ぎ。
魏書に記されない程度の蜂起でそれほどの事でもないだろ。
魏書は基本的に魏に偏った文献であると言っておく。
>>350 侯音、魏諷、吉本といった主だった反乱でなくても魏書にはこういった記述がいくらでもある。
魏書に限ったことでもないがな。
話についていけないから「関羽 雲長」でググったんだけど・・・
。・゚・(ノД`)・゚・。ゴメンヨウンチョー
>>353 感謝です
まともなのがほとんど引っかからなくて悲しくなった
吉本なんて武将が居たとは
>>355 武将じゃなくて医者だけどね
演義でも結構大きく扱われてたと思う
関羽についてだが攻めるなら侯音の乱が鎮圧される前に攻めて欲しかった
あと註だが曹瞞伝に関羽と侯音の協力関係を伺わせる記述はあるよ
357 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/07 06:01:12
>>320 関羽を討ち取った阿蒙、首を受け取った孟徳。
両者ともに病没したわけだが。
>>349 名のある人物の反乱じゃなかったから魏書には記されてはいないが、
各地で蜂起して中原は震動したってくらいだから、扇動としての効果は充分。
魏の国内で次々とそういうことが起こるということが重要。
359 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/07 06:35:22
それを関羽の手柄と考えるのは如何なものかというのが論点
ageちまったスマン
■次回討論会は3月19日21時からを予定しております■
それまで暖めておくか
>>361 敵国の反乱勢力に印綬を渡すなんて普通にあること。
そいつらが、反乱を起す前から関羽が印綬を渡しているのなら「関羽が煽動した」
と言えるが、反乱を起した後に渡しても「関羽が」とは断定できない。
蜂起する前にわざわざ目立つようなことする訳ないじゃん
『関羽から印綬を受けて私党として蜂起』と関羽伝にある
この男は張飛と同じ乱暴者のやくざだったようだ。
368 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/07 11:17:20
そう考えると、曹仁ってよく頑張ったよな。侯音の反乱を鎮圧し、関羽をハン城に
釘付けにして、ウ禁が負けて城が水没寸前にも関わらず、持ちこたえ、徐晃の援軍が
来たら、自分も出撃して、関羽撃破して、荊州の魏領を維持してるし。
>>358 関羽伝は基本的に関羽に偏った文献であると言っておく。
>>368 手駒の数が違うだろ
そういう意味でも関羽は不運であった
ただ否定したいだけの人は構わなくていいよ。
洪水で壊滅した干禁を捕らえたのを誇らしげに語るファンもどうかとは思うが
374 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/07 16:55:46
↑偶然だと思ってる香具師発見
375 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/07 16:57:10
手駒が違う条件はあるが、それを考えても、曹仁の篭城は評価できるだろ。
最初に来た援軍が壊滅、さらに城内水びだしで、食糧も底をつき配下の士気は激減、
普通なら、ここで落城するはずだが、徐晃来るまで、関羽軍を寄せ付けなかったのは
特筆に値するだろう。しかも、徐晃と共に挟撃して、ついには関羽を敗走させたわけ
だし。
うんちょ
>>376 今まさにそれをカキコしようと思った・・・。
同じ時間に同じことを考えてたやつがいたとは。w
>>375 城は守るに易く攻めるに難いもの
魏陣営の迅速な対応で矢継ぎ早に援軍が来たんだし
3ヶ月間篭城するなんて簡単でしょ
相手が関羽だったってところが評価点
関さんは神これが世界の定説です。
余談だが天帝を守護しているとされる大将軍が関羽との説もある。
関羽とまともに戦って勝てるわけないしな。
仁は賢いよ。
新野での戦を見る限り曹仁が賢いとはとても思えんな
383 :
結論:05/03/07 18:13:17
曹仁=アフォ>>>>>関羽=もっとアフォ
384 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/07 18:19:15
>>382 あれは孔明が役者として遥かに上手だったから。
大軍を率いて無名の士に大敗したので激怒した曹
操が処刑しようとしたが孔明の器を知り、致し方
が無かったのだと思い留めた位だし。
おまいら演義の正史の区分けをはっきりしる
確かにこのままだとやりづらいな
誰か関羽の戦歴を演義・正史に分けてまとめれ暮
正史より、関羽が参加していたことが明確に書かれているものを列記。
○対車冑
○対呂布
●対曹操
○対顔良
○江南平定戦
△対楽進
△対魯粛・甘寧
○対于禁
●対曹仁・徐晃
●対朱然・潘璋
389 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/07 20:11:40
378は篭城を誤解してるな。ありえないが曹仁一人で城を守るなら、簡単だ。
だが当時数千の部下がハン城にいた。しかも関羽の猛攻と食糧不足で落城寸前までいってた。
徐晃の援軍もなかなかやってこない状況で一人の脱走者もなく、ハン城を
守り抜いたのは、凄いことだよ。まして、兵卒なんて、状況次第で、弱気になったり、
すぐに脱走するものだ。そんな城兵を数千人も抱えて、数ヶ月も拠点を守ることが、
簡単の一言で言えるほど、篭城は甘くない。
日時:19日(土)21時
お題:
参加者は賛成派、反対派と明記する事
募集
田原総一郎のような進行役
391 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/07 21:25:41
そういや徐晃って猛達に殺されたんだよな?
なんかダサいなw
>>389 脱走兵が出なかったのは包囲されてただけ
窮鼠猫を噛むって言うし退路は残すのが上策なんだけど
どうも関羽は力攻めで落とせると思ってたみたいね
時間が無いってのを知ってたからこそなんだろうけど
あと篭城は一番簡単な戦だぞ
合肥で見せた張遼のような働きが一級品
393 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/07 21:50:18
演義でな
史実では病死
>>389 兵卒を馬鹿にスンナ
劉備、張飛、関羽も兵卒だったんだから
395 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/07 22:36:14
弱気になった兵をうまくまとめられるか?攻めを防ぐのは、野戦よりは楽だが、味方
の士気や情勢を冷静に把握し、しかも脱走が包囲されてたことでできなかった
可能性は捨てきれないが、実は投降者も出ていない。篭城が楽だから、曹仁が
関羽に勝てたと簡単には言えないよ。しかも篭城して、結局守備側から崩れて、
城が落ちた例は腐るほどあるしな。張遼だって、あそこは、孫権に痛撃を与える
ために、城から出て、結果的に、孫権を追い詰めることができたが、あの戦いも
篭城される前に出撃して、敵の出鼻をくじくという篭城側なら、当然取る戦術だから、
戦略としては、それほど優れてるわけじゃないだろう。
>>395 篭城の優位性を認めつつ反論されるなら返す言葉が無い
合肥の張遼も「ただ迎撃してみただけ」と捉えるならお手上げ
ところでハン城はどれほどの堅牢なんだ?
397が千人集まって城を破壊するのにかかる年数が5年ぐらい
樊城防衛に満寵がいたのが大きかった。曹仁が撤退を決意した時も断固反対している
やっぱ魏は人材の層の厚さが違うな
正史の冊数だけでも蜀の四倍だもんな
関羽からしたら、樊城を落とすついでに曹仁にとどめを刺したいってのがあったんだろう
後の脅威を取り除けるってのがあるが、
何より老人と侮っていた黄忠が夏侯淵を討ち取ったもんだから、
「俺にだってできるわい」っていう気持ちがあったんだと思う
402 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/08 11:02:02
曹仁がハン城撤退を考えたのは、一応演義だけだから、断定はできないな。ただ、
部下が大勢撤退を主張してたそうだから、総大将として悩みはしたと思う。後、
上に曹仁が関羽に勝ったわけじゃないという人がいたが、一応は関羽を破ってるよ。
もちろん関羽撃破は徐晃がいなければできなかったが、曹仁も徐晃が来ると、ハン城
から反撃して、包囲陣を壊滅させてるし。
>>397 関羽包囲時の漢水の氾濫で城のほとんどが水没
水から上の城壁は2〜3m程しかなかったらしいから・・・
>>401 曹仁個人をどうしたかったかは分からんが
黄忠と同等ってのが北上の要因になった可能性はあのタイミングからして大きいと思う
北上したのは魏の内乱に乗じて樊城が取れそうだったからだろ。
黄忠がどうとか、アンチってのは本当に困った人たちだな。
405 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/08 16:51:20
ピーッ!そこ!焚き付け禁止!!
うんちょ
408 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/09 04:20:56
あげとこかな
409 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/09 05:39:51
馬良が武陵蛮懐柔して後顧の憂いが呉一国に絞られ
呂蒙が病臥の報を信じたら
北伐のまたとないチャンスではあるな
侯音の乱に乗じるには遅すぎる
軍備に時間が掛かったのだとしても兵糧が少なすぎる
漢中、上庸と連携するには早すぎる
漢中を落とした意気高揚してる間に攻めたかったんだと思われ
呉のチンピラどもがおとなしく蜀に帰順してれば魏と互角以上に戦えたのにな。
全く愚かなやつらだ。
劉備 893
孫堅 水賊
曹操 お坊
賊が893の世界に入る可能性は薄い
漢の高祖劉邦だって893だが
曹操って関羽に対して畏怖に似た感情を持っていたのかなと思う
愛に似た感情なら持っていたな
417 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/11 00:03:37
関羽が軍神と呼ばれ始めたのはいつ頃?
418 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/11 00:12:25
>>415 完璧にビビってたよ
荊州が許昌から近いっていうんで遷都しようとしたぐらいだし
曹操に限ったことじゃないけどね
正史の方あまり詳しくないんだが、関羽って実の所将軍としてどうだったの?
ゲームの話になるけど、
信ヤボの場合は母国の歴史としてあるから納得できるけど、
三国志は演義とごっちゃになってよくわからないんだ。
なんでもかんでも数値化するのは房臭いけど、実際に房なのでこれが一番分かりやすいので・・・
知力76武力 97魅力 93政治 64統率 96 (三国志]にて)
だったけど実際(比較的評価の偏っていない正史で)はどうだったの?
age
知力 5武力 9魅力 8政治 3統率 7
423 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 04:58:07
>>420 知力85 武力97 魅力95 政治75 統率96
こんぐらいはあったんじゃねーかな
後漢に比肩する将が居ないって書かれてるぐらいだし
長い中国の歴史の中で一番評価が高いのは関羽だったはず
荊州での失態を考慮したら知力・政治高すぎ
425 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 05:17:56
いやいやいや。
評価が高い=正史から推測できる能力、ではないでしょ
それを踏まえて関羽は有能だったと思うけどね。
関羽が来たぜ もう大丈夫!
一騎当千五虎大将軍
韻踏むな
428 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 05:50:38
>>424 上手の手から何とやら
そもそもんなこと言ったら孔明の評価高すぎるし
相対的なものの見方をすれば彼に並ぶ者は居ない
張遼の方がよほど実績があると思うんだが・・・
負ける度に主を変える屁タレですが何か?
張遼の功績はどこまでも部将としての物なんだよな・・・合肥防衛の総大将は夏侯惇だし。
張遼が一回でも総大将として戦ってたら…エピソードも猛将としての物が多いし。
正史の記述だと徐晃のほうが名称っぽいぜ…。
>>420 あまり人物の能力を数値化するのって好きじゃないけど、
あくまでも正史に拠った場合、
知力75 (『春秋左氏伝』を暗誦すれども、己の出処進退には活かせず)
武力98 (顔良退治の一事が一躍勇名をあげ、曹操の遷都一考に影響も)
統率85 (襄・樊での戦果は多大。局地戦では大方が黒星。徐晃には翻弄される)
魅力90 (特定者との交誼や畏怖・兵卒からの人望は高いが、士大夫には不人気)
政治60 (行政面での具体的事績は皆無。荊州督としての重任は考慮の余地有)
少々は贔屓目にみてもこれくらいじゃないかな。
関羽を貶すわけじゃないけど、関羽を高く評価しすぎる人は演義の印象や
後世の人気や評価による影響がどこかしらにある場合が多い。
冷静に史料を咀嚼していけば、威名はあっても実績・能力がやや不足の、
たとえると器は立派でも中身はいささかお粗末な部分があるとでもいうか、
名実が相半ばする、とでもいうか。
士大夫って何?
435 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 08:54:49
>>433 数値化についてだけど武人に行政能力を求めるのはナンセンスじゃないかな。
知力というのが弁舌、軍略どちらの能力を指すのか分からないけど、軍略家としては
十二分に名を馳せていた。
残りの項目、武力、統率、魅力と武人関羽としてかなりの高評価だと思う。
ただ、三国時代の他の武将に統率100に当る者がいるとすれば85では物足りないかも。
関羽が来たという報に味方は意気揚々とし、敵は恐れ戦いたんだしね。
436 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 08:56:24
関羽が来たぜ もう大丈夫!
一騎当千五虎大将軍
>>434>>436 士大夫ってのは要は支配階級にあるもの
中国は古くから封建制度が根付いていて人々には階級が存在した
日本で言えば士農工商
卿、士、大夫って階級があったと思う。そこから士大夫がきてるかと
士大夫を侮蔑するところからも強気を挫き弱きを助ける関羽の精神が見れる
そんな関羽にほれる
>>435 関羽を持ち上げる人ってどうも抽象的な印象論に終始しすぎてて、
具体的・論理的に意見を吐けない人が多い気がしてならないよ。
別に不当に低くしたわけでもないのに、85で物足りないなんて言われたら
鼎立から統一にいたるまでの魏の五将や他の名将の能力がインフレを
起こしてしまうよ。
440 :
435:05/03/12 09:47:41
欲を言っただけなんだけど……スマンかった(´・ω・`)
441 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 10:03:34
おい。お前ら。関羽を神格化しすぎ。よく考えても見ろ。
こいつが戦で勝ったことなんか滅多にないぞ。
というかこいつが戦に出陣することがそもそも少なかった。
しかも曹操を逃がしたりと言う失態を演じるなど武士として恥ずべきだと思う。
曹操を逃がしていなければ劉備が天下を獲れる確率も高まったわけだし
情に流されて判断を誤るのは馬鹿。
確かに力は強かっただろうから一騎打ちなら勝てるだろうに、戦略と言う面では
むしろ晩年の張飛より下。
しかも敵を軽んじるその姿勢。荊州を守るに値しない器量。
どれを獲っても「軍神」ではないと思う。
荊州敗退は総じて関羽の怠慢。荊州の守備は黄忠あたりが最適。
442 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 10:10:27
俺も戦略では、劉備三兄弟で、一番下だと思う。人格者とも言われてるが、演義を
見ても、とても人格者には思えないな。しかも最近じゃセールスポイントの武力も、
疑問視されてるし。
>曹操を逃がしていなければ劉備が天下を獲れる確率も高まったわけだし
>情に流されて判断を誤るのは馬鹿。
まず馬鹿って発言を取り消さんか!
天下のために手段を選ばないような男なら神格化されない
例え兄に背くことになろうとも恩義を忘れず信義を貫くのがいいんじゃないか
後の部分は他の人に任せた
444 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 10:17:27
>>442 曹操が関羽に惚れたのは人格者だから、らしかったんだけど嘘?
荊州を失ったのは関羽の失態ってのは同意ですけどね
445 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 10:23:10
断定はできないけど、人格者が諸葛キンや孫権にあんな暴言言うのかな?
荊州という蜀にとって最重要拠点を治める立場の者が、仮にも外交の場で
しかも領土問題で相手の正式な使者を罵倒するのは、バカを通して、呆れる
行為だと思うが。
>>439 数値化という表現方法自体が非常に抽象的だと思うんだが。
447 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 10:30:01
何を以って人格者とするかで意見が割れそうだな
俺の見解は敬意を払うに値する者へは礼を尽くす
当時はこれを以って人格者としていたんだと思う
448 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 10:35:32
俺も基本的には同意見だな。関羽は任侠的要素が強そうだから、侠の連中からは、
人望があったかもね。ただ、そう考えると、関羽に荊州は不向きだったとしか、
思えないな。荊州は、三国が直接関わる場所だから、それこそ徳と才を併せもった
奴が治めるべき所だと思うよ。そういえば蒼天今週ハン城攻防戦だったな。関羽も
曹仁も好きだから、楽しみだ。
>>445 横山三国志読み返したんだが、そのあたりは完全に関羽が増長して自滅してて良い感情わかなかった
なんていうか、もっとかきようは無かったのかと……
450 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 10:44:58
一国の主に敬意を払えないで太守なんて勤まるわけねーだろ
結論、色々正確に問題はあったけど将としてはA級ってことでOKなの?
古代から当時の中国で、支配階級にある人間に人格者としてもとめられる
要素は徳と礼だよ。
士大夫・知識人階級にとって必須である四書や五経がどういったものであるかを
考えれば明白。
関羽だって五経のひとつである『春秋左氏伝』をほぼ暗誦できたというくらい
だから、そのあたりの弁えはあったのかもしれないけど、自分の人生においては
それが命取りになるほどまったく活かせていない。
任侠的な面も時や場合によっては必要かもしれないけど、むしろ反体制的な
人間が有するのが普通。
仮にも一州を預かる人間が礼徳をおろそかにしてたんじゃ、古代なら因果応報・
自業自得の一言でバッサリきられてると思うよ。
乱世は反体制が主流の世界
建前はどうあれね
455 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 11:01:38
>>453 アホか関羽が孫権を罵ったとき呉とは同盟関係だぞ
457 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 11:08:07
>>441 たしかに自国の要所をあんな年老いたインコに任すなんて蜀ダメポ
458 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 11:21:33
>>448 向き不向きどころの話じゃない。
彼しかいない。
嘗て魏の劉曄は「蜀は小国で、名将は関羽一人しかいない」って語ったように、
他に任せる人はいなかった。
459 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 11:36:29
448だが、それは俺も思うよ。でもそうなるとこの議論が恐ろしくつまらなくなるよ。
460 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 11:38:29
曹操に捕えられてる時は、曹操が惚れる人格者で死ぬまぎは、ガンコ爺でよい?
461 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 11:38:51
遷都云々に関しては酒の席でのジョークが誤植されただけだろ?
バカじゃね?
462 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 11:41:06
マジレスなら、それは絶対ないと思う。あえて釣られて、これが事実なら、ギャグだよな。
463 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 11:45:52
>>452 常人なら不敬とされるところを美徳に変えるのがこの人の魔力
アンチ大杉
466 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 11:58:50
否定意見を自演で片付けるファン
曹操に惚れられたんだからやっぱ人格者だったと思うけどね
関羽を否定すると、曹操の人を見る目も否定することになるよ
468 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 12:17:17
人格者っていうと語弊があるが義人なら問題なかろう
469 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 12:21:09
関羽は、部下や兵士には寛大で、上司や同僚には厳しかったって話だな
張飛はその逆らしかったが
でも、下にやさしく上に厳しいなら別にそんな悪くもないような。
兵としても自分の将軍が関羽だったらいい感じだよな。
471 :
441:05/03/12 13:21:49
441だがやはり関羽の孫権への罵倒に疑問がある人も多いようだな。
てか呉って国は蜀にとってなくてはならない国。もし魏側に行かれたら
蜀は滅びると言うに、それを読まず呉を罵倒するとは将としてあり得ない行為だろ。
せめて成都に使者を出していかがすべきか問うべきだったと思う。
それすら出来ない武将が果たして「武将」か?国の方向を一人で決めてしまう
武将が果たして軍神なのだろうか?
しかも最期、進退窮まった時に呉に援軍を求める始末。こんな奴が蜀の第一の将
というだけで片腹痛いわ。
完全に結果論で見てるこっちが痛々しい気持ちになるw
ここらで姜維とでも比べてみようかね ニヤニヤ
474 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 13:43:55
>>470 そんなにわるくないのだけど
ないがしろした結果裏切られた訳ですよ
同僚にも仲良くしないと
呉とは荊州を争って戦った事もあり、まだ呉は荊州を狙っている険悪な関係。
そして関羽の娘への結婚話は明らかに離間策。
関羽が孫権を罵倒しようとしまいと、呉が荊州を狙うのは変わらんと思う
>>475 まあ相手を怒らせない(攻める口実を与えない)断り方をする
バランス感覚も必要だろう、
そういうのには欠けてたと思われ。
荊州は力関係が凝縮してるので難しいとは思うけどね。
477 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 14:30:13
だからそういうことは孔明に問うべきだろ。いつから関羽は一国の大事を
決められるほど偉くなったんだ?孔明を荊州に送るべきだった。
大体婚姻だって人質にしてしまえば問題ないだろ。関羽は間違っても
裏切るような人物ではないから疑いの目はないだろうし。
>>477 一国の大事を決めるほど偉かったんだと思った
劉備にとって、まず裏切らないであろう人材が関羽だけだった。
だから荊州を任せただけって気がしてきた。
増殖したヒゲジラミの駆除に気をとられていて荊州が落とされてしまったのは有名な話。
>>476 攻める口実、なんて別に無くてもさして問題ない。
劉備が蜀を攻めた事や、孫策が楊州を取った時とかを考えれば。
それにそもそも荊州の領有権は呉にあり、劉備には貸してるだけ、
と主張してる呉にとっては口実としては十分かつ、
のらりくらりと要求をかわしてる蜀に対し既に怒り心頭だろう。
>>477 関羽の娘が、孫権の息子に嫁ぐんだから、人質にされるのは関羽の娘。
孔明はまだそこまで偉くは無いし、本来は孫権が劉備に対して打診する話、
確かに軽率な面はあったが、呉との外交関係を左右する程の話ではない。
482 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 16:07:08
孫権を煽ったから荊州を取られたとか、危ない発言だったとか言ってるな。
関羽はバカじゃないんだぞ。
セーフティーな発言と分かっててやっている。
荊州を攻められた一番の要因は魯粛の死去。
ここいらに気が付かないようじゃオマいらダメダメだ。
論点
・荊州を治めるものとして適任か。
・北上したのち荊州を取られ処刑される。北上の是非を問う。
・外交の場で相手を軽んじる発言をする。果たして人格者か。
・戦を振り返り、他武将と比較し将器を計る。
・「虎の子を犬の子にはやれん」発言問題。
もっと分かりやすくまとめられる人いたら手伝ってくれろ。
・劉備なんぞについていってしまい、せっかくの曹操に仕えるチャンスも蹴ってしまった人の見る目のなさ。
485 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 16:18:49
>>467 曹操はただ才のみを求めると公言してるので、問題なし。
>>481 >孔明はまだそこまで偉くは無いし、本来は孫権が劉備に対して打診する話、
孔明はその時すでに左将軍でしたよ
年老いたインコ呼ばわりしたやつ怒らないから出て来い
どんなインコだよw
>>487 >増殖したヒゲジラミの駆除に気をとられていて荊州が落とされてしまったのは有名な話
むしろこっちに反応しようよ
分かったから荒らすな
>>486 それを言うなら関羽は前将軍で、劉備より専行権を与えられてる。
まあ要するに諸葛亮は内政に従事していて、
軍事・外交でああしろ、こうしろと命令できる程は偉くない、という事。
492 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 16:57:16
非難の声が多いので言いづらいんだがなんていうか
あーゆー緊迫した土地を守りながら怖じもせず大胆発言が出来る
ここら辺がその他大勢とは違うと思うわけよ
もし関羽が周りに丁重な対応ばかり取っていたらナメられてたと思うしね
時は乱世だし睨みきかせる位じゃなきゃ荊州を任せられないと思うんだが
そこんとこどうよ
結果が全て
494 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 17:04:10
>>492 上手く誉めたつもりだろうが、それでは董卓以下だ・・。
495 :
492:05/03/12 17:12:04
orz・・・援軍は来ないのか・・・
蜀随一の将軍であるのは間違いないんだけどね。
そこから脱皮して例えば、韓信みたく味方を最終的な勝利に導ける英雄までは及ばないというか。
ただの将軍として見れば文句のない存在でも、一国を預かる指揮官としては軍事の才だけではいけないわけで。
まぁ、他の国にもそういう存在がいたわけじゃないけどさ。夏侯淵だって豪胆さゆえに討ち死にしたわけだし。
張遼らと並ぶ、当代を代表する名将軍てのが正しい評価かなって個人的に思うわけだけど。
長文スマソ。
498 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 18:06:06
せめて軍師を付けるべきだったんじゃないか?関羽だけではやはり不安だよ。
恐らく鳳統が生きていたならば孔明が荊州の守備をしていただろう。
まあそれはどうでもいい訳だが・・・
あの時代はまだ孔明<法正な感じもするから孔明を荊州に送ればよかった。
499 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 18:40:26
思えば、当時関羽の地位は結構高かったんだろうな。
漢から直々将軍の職位、侯の爵位を授けてもらったな。
もう諸侯格と言っても過言ではないかも。
500 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 18:44:30
ソウソウ軍は咎人がデフォです。
dニーやジョショ
>>452 当時の人間(陳寿)に「(関羽・張飛の)死は自業自得」って言い切られているよ。
それと、曹操が惚れた関羽の人格面は、徳性ではなくそれこそ任侠的な忠誠のありよう
じゃないかね?曹操と彼に仕えた武将の関係をみるとそう思う。
503 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 00:26:09
無双ネタで申し訳ないが関羽死すの報を受けた劉備のムービーで胸が詰まった
504 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 01:03:28
格好イイじゃないか
506 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 15:33:32
とても人間には見えんぞ
507 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 16:13:39
「魏の謀臣程cたちはみな関羽と張飛には一万人を相手にする力があると賞賛していた」
ハン城には数千人しかおらず、城壁も1丈ほどであったのに落とせなかった関羽。
509 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 16:32:38
水没したのを関羽軍の有利と見ているようだけど
実際は攻め辛くなったんだよ
攻城戦で船使ってたぐらいだしね
510 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 16:33:14
関羽も、60近いんだから早期退職すればよかったんだよ。
>>511 城壁が1丈にも満たない城を攻めるのがどう困難なのかお聞きしたい。
>>513 城とは外敵の侵入を阻むものでありそれは城壁、城門によって為される。
攻め手はそこを狙い守り手はそれを死守する。
しかしながらハン城戦ではご存知の通り城としての効果はほぼ機能していなかった。
例えるなら野戦で陣営の周りに馬防柵を設けただけのようなもの。
つまりこれは攻城戦と呼べる代物にはあらず野戦と変わらない。
このような状況下にあったハン城を攻める事を攻城と言えるものかお聞きしたい。
516 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 16:58:52
だが、水浸しなら近付くのは船でしかない
船で近付くには余りにも機動力が遅いから兵がかなり失うのを恐れた関羽は
攻めるのを躊躇したんじゃないだろうか?
荊州の守備隊まで、回してきたのだから
>>509さん
>>516さんの意見は尤もだと思います。
関羽が水上戦に長けていれば難なく落とせたはず。
ただの荒らし
船 壁
水水水壁 城
地地地地地地地
こんな感じだったのか。しかし呉軍といえどもこんな攻城戦を体験した人間なんていないんじゃないか。
520 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 17:35:00
てかオモいら浅知恵杉
>>517 陸から聳え立つ4mの壁と
水から聳え立つ2mの壁を思い浮かべてみろ
陸地なら梯子をかけることも出来るけど水ならそうはいかないだろ
まさに水上の要塞
簡単に落とせるわけが無いだろ
あの伸び放題のヒゲじゃ退職以前に就職できねーだろ
俺ならこうするね
λ ワー
船λ ワー
土水水壁λワー
塁水水壁λ城
地地地地地地地
水没した城は包囲して降伏を誘うのが定石なのは、知伯による趙氏の
晋陽攻めを顧みても明らか。
いかに舟を揃えて攻城戦に及ぼうと、舟上で機動性に不安がある以上は
城兵が城壁で投射兵器を用いれば陥落させるのは困難。
関羽としても呉が動いた情報を魏から流されながら包囲を継続して動けな
かったのも、陥落の時期を計りかねてたからと想像するに難くない。
情報が錯綜して決断がつかずに動くに動けなかった、とするなら、関羽は
戦機を逃してしまったという事で、将としては凡器という事になる。
なにせ関羽の戦果を振り返ると、樊城攻撃に限らず、関羽自身の才幹や
用兵に拠る部分がほとんどない。
樊城一帯での戦争に限れば、状況が関羽に圧倒的な利益を齎した、という
のが実情であって全てを関羽の能力によるものだと考えるのは乱暴。
このスレでの関羽派(という言い方は良くないかもしれないけど)の意見は
どれも曖昧であったり演義の事象を史実と捉えてたりと、妄信や勘違いが
多いです。
まあ土塁を城の周りに築いてそこに水がたまるようにして水没させたのかもね墨家的に
526 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 18:29:40
>>524 水没した城を攻めるのが難しいとしつつ、城を落とせ
なかった非を指摘してるところに矛盾を感じるのだが。
それとも降伏する前に魏の援軍が現れ、呉に荊州を取
られる危険性を察知し、迅速に包囲を解除し荊州へ戻
らなかったという点を非難してるのか?
>>524 縻芳・士仁の無抵抗降伏は予想外だったろうね。
あと、このスレの関羽派云々を言うなら、全否定厨にも言及しないとフェアじゃないよ。
君は全否定厨?
>>527 「あの伸び放題のヒゲじゃ退職以前に就職できねーだろ 」
↑
こういう厨だと思われます。
大量の捕虜のせいで食糧不足に陥ったのというのは、
いくら捕虜とはいえ、兵卒に苦しみを与えたくないという関羽の優しさが裏目に出たな。
曹操ならうまいこと理由をつけて捕虜を始末していただろう。
そのあたりが関羽の武将としての甘さであるが、
また、今日に至るまで広く愛されている理由でもあろう。
530 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 18:53:50
関羽は役立たずの屑で蜀史上最大の役立たず。
そうだね。
533 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 19:00:00
>>529 その話はじめて聞いた
やっぱすげーわカンヌ
>>533 カンヌ映画祭はそれにちなんでいるぐらいだからね
>>524 魏の劉曄や程立たちの異常なまでの高評価をどう読み解くんだ?
同時代の人間にここまで評価されてる奴なんてほとんどいないだろ。
そのあたりから、内容の薄い蜀書には書かれていない戦功や、負けても魏を苦しめたことが相当あると思うんだが、
そう言うと、『都合の良い解釈』と言われるんだよな。
536 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 19:48:10
まああれは蜀史に書かれてることだからどうか分からんぞ
俺んちの庭で見つかった李関羽臣賛には関羽は格闘技の祖であることが
記されている。
カンウ→カンフ→カンフー
なかなか興味深いね
>>527さんや
>>531さんだけじゃないけど、否定的な意見やアンチと思しいと
みるなりの一言の煽りレスや厨扱いは不毛だし、建設的な話し合いなんて
できないと思う。
自分は呉の動きを魏から流された時点で荊州に全軍を返しても問題なかった
と思ってる。
なんせそれで関羽の戦歴に傷がつくわけでもないし、荊州の守りは固められる。
呉の敵心はほぼ明確となるわけだし、魏に対して与えた痛手と畏怖は後々まで
活かせる要素ともなる。
>>535さんの指摘に対して言えば、自分は関羽を中原にきこえた武勇・忠義の
数少ない劉備陣営の人としては高く評価するけど、将才は二流とみてるので
あって、
>>527さんの言うように全否定などしない。
>>538 じゃあなぜあんなに評価されているのだろう
>>538 「あの伸び放題のヒゲじゃ退職以前に就職できねーだろ 」
こんなこというアンチが常駐してるわけで。
まあ適度にアンチがいないと面白くないというのはあるかもな
関羽の人気ってやっぱり別格だな。
この板でもそうだし。
オタとアンチの数が多い。
543 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 21:43:23
>>538 あれだけ大掛かりに派兵して戦果も挙げず帰るというのは有り得ない
金・時間をどぶに捨てるようなもの
それと荊州を失うことと天秤にかけたら帰らざるを得ない部分もあるが
タラレバだけどあの雨がなければ万事うまくいったと思われ
関羽=万能
このイメージは関羽贔屓の羅漢中の仕業でして、庶民から崇拝されている関羽を持ち
上げる事で演義の株を上げたわけですな。
そのおかげで未だに関羽の事となれば国や自治体は喜んで大枚を叩きます。
許で曹操の博物館を造ろうとの試みもパトロンが現れず没。
一方、関羽の故郷では立派な廟が立てられ62代目の子孫なる者は村長となっています。
中国では関羽の存在が絶対なのです。
その人気振りゆえに事実が湾曲して伝えられる事もしばしば。
いかに記録好きの中国といえども関羽に関しては正確な事を伝えるのは難しいようです。
>>543 いやさすがにそれはないだろ 雨がなければ于禁がそうたやすくない
ただあの土地柄で水軍の準備が足らない于禁に何が出来るか疑問ではあるが
雨がなきゃ援軍来る前に力攻めで樊城は落城してただろうな。
548 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 21:57:14
>>544 その発想が稚拙
于禁ごときまともに遣り合って軽く捻れる
まさにああ言えばこう言うだなw
>>548 う 于禁なめんなぁーー
早く出てきて蒼天航路于禁w
>>545 関羽=万能なんてイメージはファンの俺にもないよ。
でも、演義成立前から民衆に人気があったってことは、それ相応の実績があったんだろうね。
魏屈指の名将だぞ于禁は
地味だが李典、于禁を侮るなかれ
予想外の大雨で于禁の軍は自壊してくれたけど、結果城攻めも困難になってしまったと。
さらに降服を受け入れたためにやっぱり予想外の降兵への兵糧支給で自軍がピンチに。
なんというか禍しかもたらしていないような、大雨。
アンチとマンセーが両極端なスレはここですか
ここです
557 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 22:08:29
ならば、【孫武】徐晃にかかれば関羽も(ry
しかし于禁つったらあの当時の魏では最上の将だよな。
水に全く対処できないっつーのも不自然。
関羽が人為的に堰を切るとかして于禁を水攻めにした可能性もある。
友達の徐晃が笑顔で近づいてきて世間話。
その間に奇襲されて敗北か。
ちょっとひどいな徐晃。
>>559 いやいやそれはさすがに敵同士だからさw
徐晃の行動は当然です。
なんでマンセーの俺が徐晃の肩を持つハメにw
>>560 まだ、張遼とかならそれで良かったのかも知れないけど、徐晃と呂蒙は融通効かない気がする‥
>>560 いやいや、ちょっと汚いなってさ。
戦うなら世間話しに来んなよと。
>しかし于禁つったらあの当時の魏では最上の将だよな
これに対するレスがなぜないのさ。。。。。。
アンチは正史をよく知らないからな
于禁を雑魚だと思っているんだろう
565 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 22:31:11
>>563 おそらく、誰もそう思ってないwその前に五将軍内でも四か五…
566 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 22:32:32
>>563 よし俺に任せろ
>>558 雨を現代の観点から考えてはダメだぞ
あの当時は治水環境が今とは全く違うんだからそらもうスゴまじい
氾濫、洪水など自然の災害は今以上に恐ろしいものだった
人の手の及ばぬものだから祈祷とかに頼ったんだしな
于禁が手も足も出なくて当たり前田
于禁なめすぎ
>>551 実績の有無が人気の決定的要因ではないことを見せてやる!
もまえら于禁が武力71ぐらいだとはまさか思っておるまいな?
関羽は以外と謀略家。
関羽の進言通りに刈りの時に曹操を暗殺していれば、三国志自体ありえなかったし。
深読みしすぎだろ
ムカつく→ヌッコロす
あいつの思考回路は多分こんなん
>>566 でも関羽はその大災害でも軍を維持してるのを考えると不自然じゃない?
573 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 22:43:34
雨が蜀軍に不利に働いたなんてはじめて聞いたよ。
ファンは何でもありか・・・
574 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 22:44:29
俺は張遼信者だから筆頭確定。次は、韓信と孫武だから‥
俺のなかでは、平均80のイメージ。統率90で知・政が75くらい。
>>573 同じ災害でも有利に働かせた関羽と
不利にした于禁と曹仁。
将才の差だな。
>>574 山田は魏の軍力で勝ってただけでしょ
魏に降る前は負けてばっかりだし
>>574 能力地は合格w君とは仲良くやれそうだw
しかしそれ以前に五将の中で曹操が生きてる間に将軍職を与えられたのは
于禁と楽進だけ。于禁が現役の間は常にトップだったといえる。
でもその後はご存じの通りw
>>571 刈りの時ってのがミソだろ。
しかもちゃんと劉備に進言という形を取っている。
単純な奴なら、考える間もなく自分で飛び掛かっているだろう。
そんなんだったら赤壁で殺せよ
樊城戦のときの両軍の詳細な戦力を知りたいんだが教えてくれ
参謀が居ないとか言われながらも王平がいたような気がしてならない
581 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 23:02:54
>>577 于禁も買ってるけどね。蜀のだと、関羽以外は魏のに比べて格が一枚落ちると思ってるし。ただ、派手な見せ場がある分と・・最後でw
曹丕が悪いんだよw
>>576 確かにね。でも、呂布の部下の時はそういう精鋭を率いるのが呂布自身か高順だったわけで、二人が死んで張遼に回ってきたわけで。
国力を数値化しよう
魏を5として呉が3の蜀が2
2の国力であれだけやりあったのだから(以下略文
>>580 ここは半端もんしかいないのでそんな小難しいことがわかるひとはいません
んだよ使えねーな
トンパチかっつの
うんちょ
>>583 それが分からなきゃ会話に参加できないのに
いくらググっても出てこないしどうしよう
王平は蜀に降ってすぐだから漢中にいたんじゃないの?
よくわからんけど
関羽が顔良倒したのは顔良が劉備たちが自陣営にいることを知らせるために
声をかけようとしたところを一刀両断されたって話を聞いたことがあるんだが・・・(w
589 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 23:42:25
俺もそう思うし、仮にいたとして降伏してきたばかりの一武将の言う事を聞く御方かと・・。
>>582 多分、その賛辞は丞相宛てになりそう。荊州失陥で6・3・1ぐらいになってるだろうから。もっと、厳しいかな?
戦力
曹仁1万
于禁3万
徐晃3万
関羽2万
魏と呉蜀の国力の差はそんなもんじゃないよ
魏9:呉3:蜀1くらいだよ。
592 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 00:09:44
間違いだらけのこのスレ
まず漏れが于禁が捕らえられた状況をまとめてやる
○このスレ住人の見解
大雨で勝手に自滅
○真実
平地に構えていた于禁の陣は水没した
※ココミソ※陣が水没しただけで軍が壊滅した訳ではない
于禁は高地に上り新たに陣を構えようとしたが
適地が見当たらず困り果てていた
そこへ関羽が船を率い急襲し壊滅的な打撃を与えた
たまらず于禁は降伏し捕虜となる
>>592 ここらへん何故か関羽伝では于禁が勝手に自滅、で
于禁伝では高地に非難したところ関羽に船で襲撃をかけられ捕縛される、ってなってるね。
普通逆だろと思うんだが、蜀に史官が居ないから関羽伝は適当になったのかな。
なんか夜襲の警戒を怠った
※ココミソ※警戒を怠っただけで陣が壊滅した訳ではない
みたいな話だな。
ハゲワロスw
>>592 七軍皆水没し高地に登ったが水を回避できるところが無かったんだから
関羽は人命救助をやったんじゃないかな
船が転覆した龐徳も助けてあげたのになんで逆切れされてるんだろうと
関羽は思ったに違いない
598 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 00:36:37
間違いだらけのこのスレ
まず漏れが呉に荊州を攻められたきっかけをまとめてやる
○このスレ住人の見解
孫権怒らせたためにあぼーん
○真実
娘に孫権の子との縁談を持ち掛けられるが一笑に付す
※ココミソ※当時は荊州奪還を試みる呉があの手この手で
蜀を揺さぶっていた この縁談もその流れの中のもの
で関羽はソレを見抜いていた 傲慢な性格に因るもの
ではない
長年蜀との橋渡し役を務めていた魯粛が逝った事によ
り反蜀派を押し留めるものが居なくなった
そこへ司馬懿から荊州を攻めるよう策をもたらされ呉が動く
599 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 00:38:07
600か
さすが関羽スレはすごい伸びだな
関羽って所詮凡将じゃん
目立った活躍は個人の武勇だけだし
関羽ほど人情あふれるエピソードを残した男はいないな
603 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 01:07:39
>>601 負け戦ばかりの小国・蜀で目立った活躍を求めるおまいもどうかと
>>594 紀伝体である以上、当人の伝では不利な記述を曖昧にしたり、やや控えめに
記すのは常套手段。
「関羽伝」では自滅、「于禁伝」では敗れて捕虜に、という記述は自然といえば
自然。
それから、よく蜀に史官は存在しなかった、というけど、完全に存在しなかった
わけじゃない。
それはそうと、このスレのほとんどの関羽ファンは演義と史実を混同し過ぎ。
愛されてるといえばそれまでだけど……
魯粛ってホント、蜀ファンに都合よく利用されてるんだな
呉書を見るに、魯粛こそ呉随一のタカ派なんだが
606 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 11:31:11
魯粛が死ぬまで続いた同盟が死んだ年に破棄されたことをどう見るんだ
>>606 ええ〜!!
魯粛死去が217年
関羽の荊州失陥が219年の12月なのに…
しかも215年に一旦同盟が崩れ、魯粛自ら荊州に進攻しているというのに…
>魯粛が死ぬまで続いた同盟が死んだ年に破棄されたことをどう見るんだ
>魯粛が死ぬまで続いた同盟が死んだ年に破棄されたことをどう見るんだ
>魯粛が死ぬまで続いた同盟が死んだ年に破棄されたことをどう見るんだ
大体、呂蒙だって関羽が隙を見せるまでは蜀と友好外交を行っていたっつーに
608 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 11:39:41
魯粛が死んだ年に同盟が破棄されたって本当ですか?
609 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 11:43:46
知ったかこいたスマン
とりあえず
呂蒙>>>>>>関羽
これは確かだ
関羽雲長って商売の神様だったんすね。
関羽廟・・・
612 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 12:00:22
>>609 偽者乙
>>607 >しかも215年に一旦同盟が崩れ、魯粛自ら荊州に進攻しているというのに…
関羽と対談するためだろ
蜀は会談以降兵を引き境界線を設けた
荊州を与えるように進言したのも魯粛
友好的外交を取り続けたのも魯粛
周瑜が後事を魯粛に任せれば安泰であるといったことからも孫権は全幅の
信頼を置いていた
魯粛が常時穏便に事を済まそうとし度重なる国境地帯での衝突を友好的に
収めてたからこそ全面衝突を避けられていたんだよ
ここで呂蒙の話を出すなんて流れ見えてないだろ
年号だけで歴史を見るんじゃないよ
>>608 出直して来い
香ばしいのが出てきますた(・∀・)
↑これがいちばん香ばしいがね
>>612 都合良い解釈ですな
>関羽と対談するためだろ。蜀は会談以降兵を引き境界線を設けた
魯粛は、呂蒙によって三郡を奪った後に会見を申し込んでいる。
しかも、この会見は劉備が公安に到着した後で、呂蒙が三郡を襲っている間、
ずぅと関羽の軍勢と対峙し、その行動を阻んでいた。
>荊州を与えるように進言したのも魯粛。友好的外交を取り続けたのも魯粛
その一方で、呂蒙の関羽対策を受け入れている。前述の通り、荊州を攻めた事実がある。
単純に友好的だったわけではない。
>魯粛が常時穏便に事を済まそうとし度重なる国境地帯での衝突を友好的に、収めてたからこそ
だが機会と見るや荊州に進攻したのは事実。
先も書いたが呂蒙も友好的外交をとっていたが機会を得て背後を襲った。
機会もないのに全面対決を望むはずもない。
魯粛と呂蒙…何が違うのかね?
さらに魯粛の思想は、根本的に蜀と相容れない。
魯粛は明確なまでに、漢復興は無理で孫権を帝位につけることを目標としている。
また魯粛の目は一貫して長江流域に向けられている。
あと、君の
>>606の書き込み
>魯粛が死ぬまで続いた同盟が死んだ年に破棄されたことをどう見るんだ
これが間違いであることは明白だよね。
呂蒙は関羽が北上するまで同盟を破棄してないわけだし、
>年号だけで歴史を見るんじゃないよ
と仰せですが、せめて年表くらいは理解しておこうねw
616 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 12:29:42
開いた口が塞がらんよ
617 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 12:38:13
魯粛はあくまでも親蜀一色でなくては困るものね
呉の戦略が一貫して天下二分だったなんて認められないよね
呉書読み直して改めて疑問に思ったんだが
赤壁での連環の計は結局孔明・魯粛どっちのものなんだ?
>>617 ちょっと口挟んでいいか?
呉の方針が一貫して天下二分というのは?
うちにある呉書と照らし合わせてみるので、具体的にどこに書いてあるのか教えてくれ。
>>615 つーか魯粛は曹操が健在で国難が去らないうちは蜀との関係を壊すべきではない
と主張してるわけで。
無茶苦茶に曲解しすぎでしょ。
621 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 12:51:22
赤壁では劉備は、待機してただけ
動いてたのは、呉らしいから呉じゃない?
又は魏自ら?
曹操は劉備に敗れたと言ってるよ
\ |
お そ .い ヽ | 赤壁で劉備は
か の や | | 何もしてないから
し り ` ,. -──- 、 | 連環の計は多分
い .く / /⌒ i'⌒iヽ、 | 呉が発案したんだよ
つ / ,.-'ゝ__,.・・_ノ-、ヽ | あ!曹操が自分で
は i ‐'''ナ''ー-- ● =''''''リ _,....:-‐‐‐-.、 | やったのかも
l -‐i''''~ニ-‐,....!....、ー`ナ `r'=、-、、:::::::ヽr_丿 ̄  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄
 ̄ \ヽー' !. t´ r''"´、_,::、::::} ノ` ,.i'・ ,!_`,!::::::::::::ヽ
ヾ、 ゝゝ、,,ニ=====ニ/r'⌒; rー`ー' ,! リ::::::::::::ノ
i`''''y--- (,iテ‐,'i~´,ゝ'´  ̄ ̄ヽ` :::::::::::ノ
.| !、,............, i }'´ _ 、ー_',,...`::::ィ'
●、_!,ヽ-r⌒i-、ノ-''‐、 ゝ`ーt---''ヽ'''''''|`ーt-'つ
( `ーイ ゙i 丿 ;'-,' ,ノー''''{`' !゙ヽノ ,ヽ,
`ー--' --'` ̄ `ー't,´`ヽ;;;、,,,,,,___,) ヽ'-゙'"
(`ー':;;;;;;;;;;;;;;;ノ
``''''''``'''''´
魯粛と呂蒙ってどう考えても方針違うって。
>>620 曲解も何も、荊州に進攻したのは事実ですよ。
また呂蒙の関羽対策を受け入れたのも事実です。
単刀赴会でも、益州を得たのに三郡すら返さないと関羽を非難してます。
魯粛が蜀と強調する気がなかったとは言いません。というか強調する気はありありでしょう。
事実
「惟肅勸權借之 共拒曹公」
と劉備との強調を進めています。
しかし、魯粛にも裏があり、機会があれば、あっさり荊州を攻めたのも事実なのです。
ただ
>>598の書き込みのように、蜀に都合の良い魯粛は間違いだと言いたいのですよ。
荊州に進攻したってのはいつのことをいってんのかな?
>>624 魯粛と呂蒙の共通点
・天下二分を唱えた
・蜀と友好外交を行った
・内心、関羽を恐れていた
・機会があるとすぐ攻めた
>>626 214年〜215年ですよ。
曹操が関中、漢中などで行動していた時期に、
魯粛は益陽で関羽と対峙し、その隙に呂蒙が三郡を切り取るという二面作戦を行いましたよね。
協調を強調に間違えてました。恥ずかしい…
>>628 そら単刀赴会のことか。
結局魯粛は話し合いで3郡を得ることに成功してるよな。
魯粛の基本方針はそこにあるだろう。
つか進行って言ったら語弊があるだろ625よ
進行と進攻を間違えた・・・
619に対する回答がない件について考える。
まあいいんだけどさ。
言わんとしてることはわかる。
魯粛がアホみたいに蜀においしいことばかりしてるわけではなく、
呉の国益を見据えての親蜀路線であって、蜀にとって都合のいいもん
ばかりじゃないぞということだろ。
>>630 214〜215年の荊州攻防のおおまかな流れ
劉備、益州をとる
呉、三郡返せやと詰め寄る
劉備、誤魔化して返さず
孫権ぶちぎれ
魯粛が巴丘に布陣し関羽への抑えとなり呂蒙、三郡に進攻、零陵以外を瞬く間に落とす。
劉備、公安に到着。
魯粛、益陽に布陣する。
呂蒙、零陵を降伏させる
劉備関羽に三郡奪還を命じる。甘寧、関羽の渡河を阻む。
魯粛関羽と会見する。(単刀赴会)
呉蜀の荊州分割が成る。
単刀付会の以前に三郡を呂蒙が奪っており、
劉備の5万が到着して兵力的に不利になってから交渉している。
実際、劉備は交渉によって奪われた零陵を取り戻しており、
魯粛の交渉は自軍の不利を見越した戦略的なものと推測します。
>>633 天下三分と天下二分の違いについて議論し始めるともの凄く長くなるような気がします。
熱い議題ではあるが今日はホワイトデーです。
>>625が
>>598について言及しているが魯粛が蜀を潰さんとの動きを抑えていたのも事実。
それが国益を考えての方針であれ親蜀であった事には変わりは無い。
それを安易に 関羽マンセーは魯粛は蜀の味方だと思ってる というような見解をするのは如何なものか。
639 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 14:17:04
age
640 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 14:31:29
そうてん航路ではそろそろ死にますね。
呉スレに帰れこの呉オタどもめ
藻前等だいたいからして関帝廟いったことあるか?
えどうなんだよ?
643 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 14:42:05
>>638 オイオイ、親蜀=蜀を攻めないとでも思ってんのか
あの絶好の機会を魯粛のような目ざといヤローが見逃すかよ
俺は関羽より劉備の方が好きだが
魯粛がいれば荊州が安泰だなんって甘えたことあり得ないと思うな
>>642 今年お参りして関羽カードもらいましたが何か?
>>643 自分の意見をあたかも人が述べた意見のように語りそれを非難しても無意味ですよ。
我が名は関雲長!我が青龍刀も、貴殿を欲しておるわ!
なんだ関羽カードって・・・・・超欲しい
いい加減、その手のレッテル貼りはやめません。
議論を見てる者からすれば妨げでしかない。
つーか、なんで呉に荊州の領有権があるの?
江陵だけなら話はわかるんだが、南部四郡は完全に蜀に領有権があるよね?
649 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 15:04:56
マジレスすると呉が貸してただけで元から呉の領土
だからなんで、南部四郡を呉が「貸してる」の?
四郡取ったのは劉備だろ?
その土地自体の所有権云々じゃなくて赤壁の戦果としてよこせって話じゃないの
あのね劉備は地盤が無くて困ってたのね
それを見て恩を売っておこうと呉が荊州を貸してあげたの
自分の領地を得られるまでって条件付で
その地盤で益州をえたのだから荊州は返還するのが筋
南部四郡も荊州のものでしょ
別々に切り離して考えちゃ駄目だよ
貸すにはまず所有してないといけないんだけど
呉が荊州を所有していたというのはいつどのタイミングの話?
>>648 正論なんだけど、南部四郡なんて大した価値がないようで、
荊州南部で重要なのは南郡だけだったよう。
んで、なぜ四郡を含む荊州を貸したことになってるか、史書からは詳しくはわかんないです。
(というか、南郡を貸したときの記述がなかったはず)
劉備が京に赴いたとき、荊州の都督にするよう求めたことが魯粛伝に。
周瑜の死後、魯粛が江陵太守となり後に、陸口まで引いたことが魯粛伝に。
その後、劉備が江陵に入ったんじゃないのかな。
ただ先主伝註の献帝春秋で劉備が孫瑜の邪魔をして、
関羽を江陵、張飛をシ帰、諸葛亮を南郡に置いているんだけど、
この頃って多分、周瑜存命時と思われるし、この記述は怪しいかも。
そんで先主伝と呉主伝に
劉備が益州をとった後、孫権が荊州よこせって使者を送るんだけど、
劉備は涼州とったらねって、記述があり、
何故か、呉が南郡だけでなく荊州を貸したことが既定事実となっている。
どういう経緯で、荊州を貸したことになったかは不明だけど、
南郡=荊州って考え方が呉蜀両国にあったんじゃないかな。
劉備からすれば南郡を得るために、荊州を借りたことにするのもやむなしと言ったところでしょうか。
>>653 お前さーバカだろ
何回も教えてやってんだからちょっとは考えろ
四郡は劉備が平定したものの呉から借り受けているって形で両者合意してんだよ
653=656か?
知らないことは別に恥じゃないんだから素直になれ
分かりやすく解説してやる
劉備は曹操に追われて泣きながら孫権にすがった
孫権は一肌脱いでやり劉備絶体絶命の危機を救った
ここに大きな貸し借りがある
そのあと曹仁と周瑜が争っている隙に劉備が四郡平定
それを孫権に荊州の長となる事と四郡借り入れを申し立てたの
これに孫権が合意
この頃は力の差があったからそうでもしないと劉備は
生きていけなかったからね
大きな借りは受けましたけど魏呉が争っている隙に奪った
この土地は俺のもんだぞとはいかないってワケ
ここではっきりと領有権が発生してんのね
おしまい
ただ関羽がアホだったという話で済むじゃないか荊州問題は
これって土地自体の借りっていう関係は成り立ってるわけではないでしょ。
貸しがある。借りがある。の関係と土地の貸し借りとを混同してるんじゃないかね?
要するにだ、
曹操を荊州から追い払ったのは俺たちなんだから、その荊州を領有するのは当然だぜ。
おい、劉備、何勝手に荊州攻めてんだよ。お前等は俺たちに助けてもらった立場だろ?
何?他に領地を得るまで貸してくれ?しゃーねーな。
ってことだ。
>>661 それは孫権の言い分なわけで、呉の伝には貸したというような表現があっても
(それでも厳密に土地の貸与の表現かどうかは疑わしい)
蜀の伝にはそういう表現のされ方はしていない。
領地の帰属についてお互いが正当を主張するのは当然で、呉書のみを見て
判断してないかね?
うん。
あくまで呉側の勝手な言い分。
呉はあくまで防衛戦をやっただけであり、劉備を助けるために戦ったわけではない。
曹操が去ったあとの荊州を誰がどうしようと自由のはず。
664 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 17:32:20
蜀が借りた物を返さなかったんだからそんな不義な記述するわけ無いでしょ
荊州を巡る蜀の対応や前後関係を見て土地の貸し借りがあったことは明白
蜀志に記述が無い(漏れは洗ってないが)からといって呉の言いがかりとするのは短絡じゃないか
蜀が借りたって事実や認識がなければ記載されてないのは不義があるからという
論も成り立たないでしょ。
いやいや呉志にはしっかりと記載されてますから
関羽が魯粛に言い負かされる
借りてもない土地を取られたので奪い返すだけなのに
趙雲が異議を唱える
間接証拠なら関羽の有能さを示す記述と同じほどあるけどね
>>663 そもそも曹操は劉備討伐のために軍を動かしてた。
呉は降伏、応戦の2つの選択肢があったけど、一方の蜀は降伏することが出来ない状況だった。
魏の傘下として生きる道もあった呉には反戦派が大半を占めた。
もちろん呉に降られては生きる道の無い蜀は必死に説得した。
劉備に乞われて反戦派を押し切った孫権。
本音は防衛戦であっても建前として劉備を庇護するという大義は十分あるお。
>>667 そんなこと言ったら全ての書物に同じ様に記載されていない事象は○○の一方的な言い分になっちゃうじゃないか
蜀にそんな事実や認識を残す事が不義な記述になるからと言った方が正しいのかな
そんな馬鹿な
劉備が降し呉が一度も領有もしていない荊州を劉備に貸すっておかしな事態になってるわけで、
これはやはりおかしいでしょ。呉の主張に劉備が応じていた(合意があった)かははなはだ疑問。
>>669 それは意味がわからんぞ。
だが関係ないが呉ヲタ的には武帝記には曹操は(赤壁で)劉備に敗れたとなっているが
これについてはどう思うのかね?
朝まで関羽祭り!〜徹底討論会〜
□日時
3月19日(土)夜スタート
□議題
・関羽は名将?凡将?
・大した戦歴も無いのに何が軍神か!
・関羽のどこが人格者なんだ
・荊州領有権問題
・荊州を治める器があったのか
・「虎の子を犬の子にはやれん」発言
・北上のタイミング
・于禁を撃破出来たのは大雨のおかげ
・樊城は大雨により要塞と化した?
その他募集中
□参加資格
演義、正史と大体区別できてはっきりと意見が言える人
□進行役
募集中
>>657で得意げに書かれてるけどアレ合ってんの?
その辺からスレが変な方向に向いてるんだが・・・
土地の領有権自体は蜀にあるが蜀は呉に借りがある。
呉の主張の根拠はこの貸しに基づいているとみるのがホントの所だろ。
魯粛も劉備が益州をああも見事に奪取できるとは
思ってなかったんじゃないか
>>675 かなり呉贔屓だけど、呉から見ればああいう風に写るんだと思う。
劉備側から言わせれば、絶体絶命は孫権も同じであり、
赤壁も劉備と呉の共同戦線、他所で呉が合肥を攻めようとそれは呉の都合、
南郡争奪戦には劉備陣営も参加しており、
自力で制圧した南部4郡についてとやかく言われる筋合いは無い。
そして荊州の領有権は劉キ、劉備にある。ってところか。
そもそも呉ヲタがこのスレにいること自体あれだよな
>間接証拠なら関羽の有能さを示す記述と同じほどあるけどね
呉好きも見所がある奴いるな。
┏┳┳┓ ハイ. ┏┳┳┓
┏┫┃┃┃ 今日は ┃┃┃┣┓
┃┃┃┃┣┓ ホワイトデー ┏┫┃┃┃┃
┃ ┃┃┏━━━┓┃┃ ┃
┃暇なお前らは ┣┫ . ・∀・ ┣┨ 恥さらし ┃
┗━━━━┛┗┳━┳┛┗━━━━┛
┏┻┓┃
┏━┛ .┣┻┓
┗━━━┫ ┗━┓
. ┗━━━┛
恥さらしスタート
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
>そのあと曹仁と周瑜が争っている隙に劉備が四郡平定
>それを孫権に荊州の長となる事と四郡借り入れを申し立てたの
>これに孫権が合意
ここについてはどうなんだ?
劉備がそんな話を持ちかけたとは思えないんだよな
>>678 余談だけど元々は益州については孫権が取ろう
としてたんだけどそれを劉備が諌めただにょ
それでいて領地を貸してやってる劉備自身が攻
め取ってるんだから孫権も相当ムカついただろうね
>>679 周瑜が劉備の荊州取りを助けたと、ホウ統伝にあるよ。
荊州攻略は、赤壁からの流れを考えても呉蜀の共同と考えた方がいいと思う。
戦力的に立場的に有利な周瑜が、
一番堅固ではあるが一番美味しい南郡を攻めたのでしょう。
荊州領有権ですけど、
結局のところ建前より力関係がものを言ったと思う。
孫権は劉備が切り取った長沙郡を分割して、漢昌郡を作り魯粛を太守にしてますし、
劉備は南部四郡だけでは揚州を持つ孫権に対抗できなかったのでしょう。
しかし蜀に野心を持つ劉備としては南郡は是が非でも確保せねばならず、
荊州を借りるという形で、南郡を借りたと考える次第です。
625は建設的な話し合いをしようという姿勢が見られていいな
荊州についての蜀側の記述だが
先主伝には劉備が益州をとったので孫権が荊州を渡す様に使者を送ったが
劉備は涼州をとったら荊州を渡すと答えたとある。
689 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 20:39:23
まあ〜スレ読んだけど呉の方が有利にあったわけですね。
荊州に関しては、
論拠が呉に偏りすぎだな
だが南郡を手に入れるかわりに益州を手に入れたら武陵 長沙 零陵 桂陽
の4郡もしくはそのうち3郡を呉に渡すという契約はあったかもしれない
だがそれは領有権とは別の問題でいってみれば領土の交換の約束だな
4郡の領有権はあくまで蜀にあり南郡は領有権が曖昧といぅこと
つまり論議の発端と思われる
>>648>>650の疑問は正しい
魯粛がそれほど重要な人物だとは知らんかったよ
蜀と呉の板ばさみでオロオロしてるただの年老いたインコかと思ってた
>>691 呉からみても蜀から見てもそれはありえんな
>>690 領有権は
>>688で決定付けられてるだろ
本当に自分の領地ならなんで他の領地を
手に入れたら渡すなんて約束をするんだよ
どう考えても有り得ませんから残念!
魯粛は演義だとひどい扱い
大望を掲げて一旗挙げたつもりがただの塩泥棒になり果てたか・・・・
>>693 なんだそりゃ
領土の交換の意味がわからないのかよ
涼州とったら荊州渡すなんてていよく孫権のゴネをあしらっただけだな
ここから荊州の領有権を推察する根拠はなにもない
>>673 (・3・)エェー劉備を助けるための戦だったって説明してんのNI
劉備に負けたって言うのは劉備討伐戦で敗れたからだYO
>>696 劉璋【益州】─奪還→劉備【四郡】─譲渡→孫権
はい?これのどこが交換なわけ?
北方領土問題みたいだな
いつまでたっても同道巡り
>>700 つまり呉に領有権がある南郡を劉備がいただくかわりに
劉備が益州を手に入れたら劉備が降して領有権を持つ4郡もしくは3郡を呉に渡すという交換だよ
将来的な交換の約束は流れ的にあり得たということ
単刀会見はほぼこれが実現されたというわけ
それって呉が蜀に提示した四郡の借用条件でしょ
それを飲むって事は蜀が呉の四郡領有権を認めているからこそだと思うんだが
それとも657が言ってるみたいに国力に物を言わせた呉の脅迫に屈したって解釈でいいのか?
>>702 まあその具体的な約束があったかどうかも疑問だけどね。
あり得なくはないけど。
ただ孫権が貸しがあるんだから荊州で払えよっていってるだけな気もするが。
それそれそれ!
>>690 南郡と南部4郡を交換なんて事はありえないと思うが・・・
どこかにそれらしい記述があるのかな
>>703 借用条件ではないでしょ
将来的な交換の約束というだけで
呉はこの4郡を領有したことがないのだから貸すって言う言葉があてはまらない
貸すってのは自分が持ってるものじゃないと貸せないよ
708 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 22:17:48
孫権は赤壁で曹操を破ったのだから、荊州は呉の物になるんだっておもったのでしょう
709 :
関羽:05/03/14 22:18:26
てか返さんよ
てかその前に領有してないものをどうやって貸すんだよと
だーかーらー!!
なんでもともと自分の持ち物なのに益州を手に入れたら孫権に譲るんだよ!!!
孫権が怖かったのか?
益州手に入れたら領土が手持ちぶたさになっちゃうからあげるのか?
日本にイラク乗っ取ったらハワイはあげるねなんて米政府が言うようなものだぞ
有り得ない
>>711 赤壁から荊州南部制圧までの呉蜀の関係を別々に見るからおかしくなる
>>711 おいおい何度も説明してるでしょ
孫権からは南郡をいただくわけだよ
その南郡と交換
まあ熱く語っているようだけど
2千年前に同じ様な事を呉蜀間で言い合っていた訳で
結局話し合いでは解決しなかった訳で
解決させたいなら全員表へ出ろ
と、まあそんなとこですわ
>>713 え?
劉璋【益州】─奪還→劉備【四郡】←交換→孫権【南郡】
これ?
>>713 それはアリエナイ
南郡と4郡じゃ全くつりあわない
19日まであるんだし、なるべくスレ浪費は自重しようぜ。
自ら陥落させたのが劉備=4郡 呉=南郡
だからしかたがない
拠点的には南郡のほうが重要だけどね
720 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 22:35:24
孫権は荊州がめちゃめちゃ欲しかったノで
イチャモンつけたのでしょう
俺のものだってね
三国志の本を片手に半端者たちが争うスレはここですか
723 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 22:47:45
議論してる意味すらわかってない人がいるスレはここですか
>>723 もしも対等なら劉備が荊州都督になる時に孫権にお伺いを立てるか?
孫権に召抱えられていたらなら
なおさら劉備のもんじゃないだろ
飼い主の手を噛むような行為だ
凡夫と呼ばれて当然
>>725 同盟関係なら相手に断り入れるでしょ普通に。
力関係は呉に分があるがあくまで同盟。
召し抱えられたなんて記載どこにもないよ。。
というか荊州全般を監督したいとの劉備の言だから
呉が領有する南郡もそこに含まれる 孫権の了承が必要なのは当然だな
つーか南郡は呉 四郡は蜀
何も議論する所じゃないような気が
731 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 23:19:59
赤壁後の荊州は政治的に空白地帯です。
赤壁の役後、劉備・孫権両者が荊州確保を目指しましたが、荊州中・南部の要衝である南郡(江陵)の攻撃担当は呉になりました。
この段階で劉備は独立した勢力とは言えず、呉の後援がないと動きようが無い状況で、長沙等を攻めるのに、呉の兵力を借りてます。
(その代わり、江陵攻めに関・張を周喩の指揮下に入れて派遣してますが)
結果、江南4郡は劉備に、南郡・宜都郡等長江流域は呉が確保しました。
しかし、飛躍的に基盤を大きくした劉備は江南4郡のみでは新付の士卒を養う事が出来ず、孫権に南郡の借用を申し入れ、併せて荊州都督になりたい、と申し入れました。
(当然、南郡より西の宜都郡も劉備が借用する事になります。)
話がまとまらないから各々の主張をはっきりしてくれ
A劉備と孫権の関係
1客将と城主 2同盟 3配下と君主 4スネオとジャイアン
B領有権
1劉備にある 2孫権にある 3場所による 4よく分からん
折れはA4B4だ!よろしく!
>>731 >赤壁の役後、劉備・孫権両者が荊州確保を目指しましたが
劉備が孫権止めたんじゃなかったか
結論はすでにでてるだろ
736 :
731:05/03/14 23:31:55
つづき。
呉側も議論がありましたが(周喩と魯粛はこの件では正反対)、当事の呉の国力(呉は人的資源が少ないのです)では長江流域に東西に細長く領地(南郡・宜都郡)を維持する事が難しく、
結局、当面は劉備に南郡を貸す事に決定し、併せて、孫権の妹を劉備に嫁がせ、結束を高める方向に決定しました。
この段階での呉の劉備集団に対する姿勢は(あくまでも呉側の考えですが)劉備集団は呉の影響下にあり、荊州統治のための手段に過ぎないと言うものだと思います。
つまり、一方の勢力とは認識していなかったと思います(認識したくなかったとも言えますが)。
731GJ!!
>>736 魯粛の天下三分は劉備を一つの勢力と見なすことが前提としてある。
一方の勢力としてはこの時点では力不足だがやはり同盟としてみるべきだな。
まあその他はぼちぼち同意。
>>736 南郡を貸すことになったのは周瑜死後だから
京での会談とは無関係じゃないか?
ぺらぺらとページをめくる音が736の部屋に木霊するのでした
741 :
731:05/03/14 23:45:03
つづき。
その後、荊北を除く荊州を確保した劉備は自立色を強めて、自身の今後の進路の妨害となる周喩の益州攻めに反対姿勢を示し、
(周喩の益州攻めの成算がどの程度かは不明ですが。周喩晩年の執念のみ、とも言えるキャンペーンですし)つづいて益州を確保するに至り、孫権の怒りを買うわけです。
劉備が益州を平定した段階で、劉備が荊州を呉に返還していれば、呉側も自国中枢(長江下流域)の藩屏である荊州を確保する事になり、梟雄・劉備を巴蜀の山岳地域に押し込める事にもなり、(しかも、友好関係です)外交的には大成功、
と言う所でしたが、劉備側の思惑は当然違い、荊州は返還されず、自国上流域に敵ともなりうる強大な勢力の存在を許す事になり、呉の自立を確保するために、荊州奪還に動くわけです。
742 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 23:46:13
>>ALL
結論がでたら5行に要約して俺に報告するように。
じゃおやすみ。
>>742 荊州は
帝のもので
FAや!
まだ漢だしね
うふっ
そもそもの議論は
>>648の
>つーか、なんで呉に荊州の領有権があるの?
>江陵だけなら話はわかるんだが、南部四郡は完全に蜀に領有権があるよね?
これではじまったと思われるわけで、
南部4郡は劉備に領有権がありますよ
理由 劉備が手に入れたから
呉はここを領有したことがないので貸すということが成り立たない
という至ってシンプルな結論なんだが。
どっかでだれかがなにかごちゃ混ぜにして(おそらく南郡の領有権をごちゃごちゃにして)
意味不明になっただけと推測。
745 :
731:05/03/14 23:58:37
>738
魯粛の基本的な考えは南北二分ではないでしょうか。
その中で劉備にある程度の役割を担わすと。その役割とは呉の荊州確保の尖兵と言った所でしょうか。
劉備を益州に押し込み、荊州を確保出来れば、劉備は呉との連携するしか道が無い(劉備は曹操とは全くとは言いませんが、基本的に結べません。)以上、呉の脅威とはなりません。
逆に、外交的・戦略的選択肢が少ない(呉と結ぶしか無い)同盟国と言うのは使いやすいでしょう。
周喩と魯粛の違いは、呉を誰からも侵されない勢力にするのに、独力か、劉備を利用するか、の差でしかありません。
>>744 確かに南部4郡は劉備に領有権がある
理由もその通り
ただ力関係の差で借用を認めさせられた可能性がある
748 :
731:05/03/15 00:09:30
>739
劉備に対する借用は京口会談ですぐに決定した訳でなく、そういった申し入れと平行して、周喩の益州攻略計画も進めていたと思われます。
劉備無用論の周喩の死去(あるいは病状)が、劉備に南郡借用を許す結論に導いたのかもしれません。
その辺り、話が前後しました。申し訳無いです。
>>745 それを話すと話が長くなるしスレ違いだが、
魯粛の天下三分には呉の維持には最適だが中原進出の具体案は見えてこない。
つまり蜀を劉備にとらせてその後どのようにして中原に進出するのか、これが曖昧。
隙をついて長江を越えて魏に侵攻するにしても長江越えは呉にとっても魏にとっても
極めて難しい。
周喩の天下二分はより攻撃的で、蜀を抑えて(長江上流を抑えて)多方面から中原への侵攻ルート
を確保するものでその点が明らかに違う。現実味があり安全なのは魯粛だがね。
/7 /7/7
_ ⌒ /7 /ニ ニ7  ̄
__/ | ( ) | / /ニ _ ̄//7 / / /7
| 、 )ヽ/ ( \ ☆ || // /_//_/  ̄  ̄  ̄
| | ̄ | |/ / ___ \おまえのものはおれのもの
| ̄ ̄l /⌒)  ̄ -――  ̄  ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ ̄ ヽ、  ̄`、 ̄ ̄ ̄| ̄) / /^ヽ , -―――-、
/_ _ ヽ_|―――┴--´ (ヽ´⊂) ∨∨∨∨| | , - 、
____∠」/ | / ☆ / /| |\ / \ | >_(・) |_ | (⊃ _)
ξ⌒( // ̄ ̄/ `l / ☆ / / | | \ \ | ,`T` _ 6) \ \
 ̄∪  ̄ ̄ l´二,二 | \ 〃 〃 | | \. ( |王王土/ノ――´ ノ
|| >| < |―9) \ ( ) ./ || \ヽ二7| ̄7 /
l 二 二_/~ } \ \ _, | \ | o ̄ ~| ̄
` ―--― ´ \/^ \ ( ) | o |
し、 、_ゝ ゝ ノ | o 孫権
751 :
731:05/03/15 00:15:03
>749
魯粛がどこまで中原進出を考えていたか、でしょうね。
呉の自立を確実にし、状況が許せば中原進出、と言う所でしょうか。
周喩はより積極的で、孫策の方針をそのまま継続させよう、って感じですが。
752 :
731:05/03/15 00:16:39
>751
訂正。
孫策の精神、の方が正しいかな。
しかし呉が天下を取るには蜀が絶対必要なので、周瑜の案=蜀侵攻は避けて通れぬ道なんだよな…
孫策は蜀なんて遠回り考えずに直接中原に殴り込むような奴だからな。
天下二分でも天下三分でもなく天下一分だな。
つーかスレ違いだ
呉ヲタは呉スレへどうぞ
756 :
黄祖:05/03/15 00:23:58
孫策の時代だったら可能だったんだよな。
やっぱり、あの時代にアソコに生まれたから孫策はグレートなんだよな。
孫権の時代に孫権の子供として生まれてたら孫策は間違いなくDQN扱いで処刑されるだろうなぁ。
>>744>>746 都督になるのに聞きに行くって事は孫権の物って事だ
四郡も荊州だからそれも孫権の物
お分かりかな?坊や
都督って動詞なんだよな・・・
都督になるのになにか問題が?
>>757 まだいってんのか。もういいから寝ときなさい。
761 :
731:05/03/15 00:38:38
>757
劉備が呉の援助の上でとは言え、江南4郡を確保したのは事実で、呉も4郡の領有権については、自領だと主張するのは厳しかったでしょう。
劉備が荊州のみを支配するのであれば、借用云々もあまり問題にならなかったと思います。
劉備が益州を得て、なおかつ江南4郡を支配するとなると、当然南郡以西も劉備が支配する事になります(江南4郡と益州の連絡線が一般的でない南方しかなくなりますから統治上、南郡は不可欠)。
そうなると、南郡の借用問題=荊州全体の借用問題と発展する訳です。
>>748=731
京城では周瑜は健在であり、また周瑜は死の直前まで江陵で蜀攻めの準備をしていたとある。
劉備がこの時に南郡の借用を申し入れたなどという話は無いと思う。
また曹操が筆を落としたとのは孫権が劉備に土地を与えたからとある。
ということは京城の時点で貸与があったからということになる。
周瑜の死がこの後に記述されてることからおそらく京城での出来事だろう。
このことから魯粛のいう貸与は南部4郡のことを示しているのではないかと思うのだが。
あと共同での益州攻めに反対したときの呉の大将は孫瑜であって周瑜は既にいないはず
763 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/15 03:09:44
スレ通して関羽オタ=蜀オタが他オタどもに悉く論破されてるのな藁田
764 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/15 05:50:27
おいぽ前らそんなことより週刊ビジュアル三国志見てみろ
張翼とか既に人間じゃねえ((((゜д゜))))
>>762 周瑜は道中である巴丘で死んでいる
南部四郡だけでなく南郡までも劉備が手に入れ
荊州が悉く劉備の所有になったのだから曹操が驚くのも当然
劉備が領有してない南郡とその西をこの会見で手に入れたのだから
もし貸すとすれば南郡しかありえない
もう結論はすでに出ている
767 :
731:05/03/15 07:07:09
>762
京口に劉備が行った際の周喩の上疏には「劉備に土地を貸す云々」とあるので、この会談で劉備が荊州都督になりたい&南郡を借用させてくれ、と申し入れたのでしょう。
この後の流れは、劉備の申し入れの検討と平行して周喩の計画も進んで行ったのではないでしょうか。
。
南4郡に関しては、劉備が実効支配しているので、この段階で借与云々で問題になるのは、呉が支配しているが、維持が困難な南郡だと思います。
劉備自身が呉に行き、直談判しなければならない問題と言うと、南郡をどうするか、でしょうから。
それだけ重要な土地・荊州を任された関羽
という所からいってみょぅ
身分の高い者にへつらわず、
身分の低い者には優しかったというのは、
男気を感じてかっこいいと思うが、
時代には合わなかったかもね。
770 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/15 09:33:58
当時の人は常日頃人の在り方を問い現代の日本より遥かに理想が高かったんだぞ
「仁」「徳」「義」「勇」「忠」人の上に立つ者はこれらを求められ「道」とされた
ただ関羽に関しては769に加え士大夫を軽んずる癖があったので
そこが時代に会わなかったといえる点であるかもしれない
任侠色の強かった髭にとっては己と同格、それ以上の存在を認めなかったんだよ。
完璧なおやびん肌だからね。
あれでしょ 関羽+簡雍がベストだったでしょ。
荊州は軍事的にも政治的にも人事的にも難しすぎる。
簡雍ならば劉備のマブダチで侠っぽいので関羽とも合いそう。
外交もヘラヘラ懐はいるのうまそう。
士太夫もなんかいろいろ諦めそう。
孫権と魯粛と輿に乗って一緒に虎狩りにうつつを抜かしそう・・・orz
ベストならホウ統だな
100日分の仕事を半日でやっちゃうし
算盤発明したの関羽ってほんとか?
本当だ。
算盤で敵をひっぱたいていたらしい。
関羽厨はそんなもんじゃないぞ
ファンのことは大目に見れ
>>777 ・・・・・・・・・・・・
そんなもんですがなにか?
あ777おめでとう!!
あー関帝廟でいとしのあの子とデートしてぇー
780 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/15 19:11:48
単純に戦歴だけ見たら愚弟より用兵が劣ることになるよな
愚弟は手勢一万率いて張コウ撃破したり厳顔捕らえたりしてるし
暇なんだよぉー!
かまってくれよぉー!
783 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/15 20:00:28
ア ン チ 必 死 だ な
785 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/15 20:36:25
うむ
関羽の話は終ってましたので、関平の話を
おねがいします
え!関羽の話で良いじゃん
関平は最後関羽のついでという感じで物悲しかった
カンヌの家族構成教えれ
カンヌは侠人皆家族
・兄弟
劉備・張飛
・子供
関平、関索、関興(架空)
こんな感じ
791 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/15 21:03:07
朝まで関羽祭り!〜徹底討論会〜
□日時
3月19日(土)夜スタート
□議題
・関羽は名将?凡将?
・大した戦歴も無いのに何が軍神か!
・関羽のどこが人格者なんだ
・荊州領有権問題
・荊州を治める器があったのか
・「虎の子を犬の子にはやれん」発言
・北上のタイミング
・于禁を撃破出来たのは大雨のおかげ
・樊城は大雨により要塞と化した?
その他募集中
□参加資格
演義、正史と大体区別できてはっきりと意見が言える人
□進行役
募集中
関羽
| \
関平 関興
| \
関統 関彝
蜀滅亡時に龐会によって皆殺しにあう
正史だとこんな感じ
>>793 一族根絶やしにされたなら現存する子孫は何処の流れなのかと
でも関索、関平の他にもいたかもしれない。
つうか子孫いるの?w
>>796 子孫がいるのは知らんかった
考えられることとしては蜀記の記述が間違ってるか
庶民に落ちた香具師がいて龐会の目を逃れたとか
その子孫が詐称してるとか
妻がいる状態で秦宜禄の先妻を狙ったりしてるし
結構いろいろ種まいてたんじゃないかなあ。
801 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/15 21:52:58
関羽の子供が呉に捕えられたか。
平民に落ちたかのいずれかではないか?
後は皇帝の一族になった子供が居るのかも
正史のいたるところで名前出てくるよね。関羽って。
当時の猛将の代表格だったのは間違いないみたいなんだけど、戦績だけ見ると魏や呉の武将より劣るんだよなぁ。
やっぱし正史に記載されてない部分が多いのかね。
秦宜禄の妻と密会して○×してたとするとその後その女は曹操に貰われたわけだから曹操とは兄弟関係にw
そして曹操の子供とみせかけて関羽と秦宜禄の妻の子供が曹一族にいたりしてw
んなアホな
曹彰とか怪しい・・
>関羽の生まれ故郷(解県)には堂々たる関帝廟が建てられているばかりか、
>なんと関羽の六十二代目の子孫が今も居住し、村長にあたる党書記の位にあるという話。
らしいですよおまいら
>>805 ・・・なんか
>その子孫が詐称してるとか
の可能性が強いような・・・
807 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/15 22:34:57
正史に記述が無いのに居るわけ無いでしょ。
>>807 んなこたーない
でもその子孫については限りなく怪しい
まあ陳寿が正史を書いたのが260年ぐらいだから
50年ぐらい隠れてれば子孫が残ってる可能性はあるけど
まーないな
劉備が劉勝の子孫ってのよりも怪しい
なんかさ中国って
関索とか周倉や大刀・関勝の子孫を名乗ってる人もいそうな気がする
その子孫もやっぱアレなんだろうな
髭とかもっさもさに生やしてるんだろうな
んで赤いペンキぶっかけたロバとかに乗ってればもう完璧
拝みてぇーーーーw
詐称してて村長とかだったら死刑だろ。
中国って何でもかんでもすぐ死刑だから
関羽の子孫なんて騙るのは不可能。
その村いってみたいな
むしろ国ぐるみで詐称してそうなんだけど
諸葛鎮なんて、怪しすぎる。
せいぜい誕系か瑾系と思うんだが
>>816 気にするな!!
深く考えたら負けだ!!
>>817 いなみ・りつこ 国際日本文化研究センター教授
この人物は信用できるのかと
あと無断転載禁止って書いてあるのに
>>805やばくね?
つーか、この人
筑摩版和訳の訳者の一人でしょ
おおおお!マジかよ!
したら信憑性あるじゃんか
やや信憑性強まったなw
ややだけどw
でもこの本買おうかなぁーーーーーーーーーーーーーーー
823 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/15 23:16:27
おまいらに質問だぞ
中国の人で張、李、劉は今もポピュラーな性だけど
関性の人は未だにいるの?
あと日本みたいに徳川、豊臣(苗字じゃないけど)
みたいに使っちゃいけないものってあるの?
よろすく
>>819 この人は関羽の子孫がいるって言う話を紹介しただけで
検証してるわけではないんじゃないか?
しかしその本読んでみたくなってきた
>>823 関について知らんのだが徳川豊臣って苗字じゃないのか?
827 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/15 23:26:21
関羽の子孫って言っても六十二台なら関羽の血はほぼ入ってないだろ
つか唐の宰相関播は関羽の子孫らしいな・・
かの有名な唐辛子の始祖か
水滸伝の関勝も関羽の子孫を名乗ってるなあ
こいつ確か実在
>>829 つか関播、ぐぐったらでてきただけで何も知りません
>>802 『善く戦う者勝つや、智名なく、勇功なし』
>>826 サルは公家になったから豊臣は通り名で苗字は藤原(多分)
関羽が体力測定したらどんなだろな
重い青龍刀振り回すぐらいだからベンチプレスとか世界記録でそう
現代人より肉体が発達してただろう事は予測できる。
関羽の子孫ベッピンさんだったらどうしよう(*´д`)
安心しろ立派な髭を蓄えているさ
839 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/16 02:20:30
>>838 って事は南郡以外は劉備がとったんだな〜
これが結論?
荊州の領有権は元より劉備にあったって事じゃないのかな
乱世は所詮力のある奴が正義だからな。その点では
前半→蜀
後半→呉
に利があると見た。
>>841 まて
ジャイアンみたいな理屈を押し付けるつもりか
>>842 いやそんなものじゃないの
劉備にしろぶんどったものだろ?
そう言われてみればそうだな
お前の物は俺の物。か
845 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/16 04:52:26
(-人-)ナモナモ
関さんがしんじゃうよ涙
847 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/16 11:27:18
蒼天航路ハン城だったっけ
関羽の「赤ら顔」ってイメージ湧かないんだけど、
今の有名人で言うと誰みたいな感じなんだろう?
ついでに張飛・孫権・陳武・沙摩柯に似てそうな顔の特徴のある人も
もし「こいつなんか近いんじゃねえの?」って心当たりあったら教えてください
関羽=えびすよしかず
張飛=中央電子台の人
あとは思い浮かばないな
850 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/16 12:30:41
関羽=北大路きんや
関羽=アンパンマン
関羽=ジャダンバ・ナラントンガラグ
853 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/16 12:53:23
張飛=オセロの中島
赤ら顔のイメージとしては、エスキモーやモンゴロイドを思い浮かべれば容易かと。
ただこれは
>>37>>44で語られているような面もあるので、関羽が本当に赤顔であったかは不明。
他の武将の人相については詳しく知らないので他の人にパス。
関羽=ブルーザーブロディー(故)
ブルーザーブロディー
ファンや子分を大切にし実力人気共に絶大であったがプロモーターを軽んじ
ギャラでトラブり、プロモーター子飼いのレスラーやチンピラに刺殺された
陶芸や革細工など器用な面もあり株投資などの蓄財に長けていた
857 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/16 16:34:04
むむむ・・・
一発変換できる武将を挙げてみる
劉備 曹操 孫権 孔明 たったこれだけ
かんう→換羽→カンヌ
(´・ω・`)ウンチョー・・・
うちのは一発で関羽と出るよ
漏れもカンヌになる
ATOKは物覚えがよい
じゃあオレの妄想を書くから聞いてくれ
演義だと劉備・関羽・張飛の3人が義兄弟だが
正史では「親愛は兄弟の如し」とはあるものの義兄弟かどうかは分からない
関羽と張飛は義兄弟だったようだが、劉備と関羽・張飛はやはり君臣の関係だろうと思う
劉備は正史では公孫瓚や呂布と義兄弟になってる
呂布が劉備と紀霊を招いて「劉玄徳はオレの弟だ。(中略)戟に矢が当たったら引き上げろ」
といって仲裁したエピソードは作り話っぽい割にはちゃんと正史にある呂布の名場面だ。
その後呂布と劉備は敵対するが、一時的にせよ良好な関係だったわけだ
張遼はその呂布の配下で後に曹操の配下になるわけだが、
関羽が曹操の下にいた時に曹操と関羽の橋渡しの役割をはたしている。
張遼が関羽から曹操の下を去ろうとしていることを聞き、それを曹操に報告すべきか悩み
「曹公は君であり父であり、関羽は兄弟にすぎぬ」と考え、報告したという話が出てくるが
上であげたように呂布と劉備は義兄弟になってるので、
「関羽は兄弟にすぎぬ」というのはたとえではなくて本当に義兄弟になってたのかもしれない
ということは正史では関羽・張飛・張遼の3人が義兄弟ということになる
さらに樊城で関羽と徐晃が戦になったときに関羽は徐晃を「大兄」と称しているが
これも義兄弟関係にあったからなのだとしたら
関羽・張飛・張遼・徐晃の4人が義兄弟ということになる
これ、なかなかステキな4人兄弟じゃないだろうか
ということで、長文すまぬ
うちのATOK2005だと、
劉備、曹操、曹植、孫権、諸葛亮、関羽、張飛、魏延、法正、黄忠、王平、
が一発変換できたが、
張角、司馬イ、司馬炎、超雲、馬超、孫策、孫堅、呂布、董卓、とかはだめだ。なぜだ。
>>863 功徳が足りんのじゃよ
侠人の功徳を重ねられい!!
>>862 それいったら他にも兄弟いっぱいいそうだぞっ
それなりに記述のある関興に対して、死ぬ場面しか記述がない関平。
やはり、長男・関興、次男・関平、だろうな。
樊城攻めのときも、一軍を率いていたのではなくて、関羽の傍に付き従っていたのだろう。
思うに、関平はあれが初陣で、まだ10代だったのではないだろうか。
867 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/16 20:26:16
>866
どっちが長子か不明だけど、関興は223〜227年年頃に20歳程度だったので、関平が下だとすると、死去した時は15歳は超して無いくらい若いね。
夏侯栄(だっけ?)の例もあるから、関平は少年くらいだったのかもね。
>>862 必ずしも義兄弟の契りが断金の交の様なものであるとは限らないと思うよ。
気軽に兄貴、弟と呼んでいた可能性が非常に高い。
今も残っている風習で言うと、韓国では男女問わず自分より歳が上の男性を
兄と呼ぶし、日本でも任侠界で同じ親を仰げばその子らはみな兄弟になる。
外様に兄弟を持つことも多々見られるので張遼、徐晃と義兄弟であったとし
ても不思議ではない。
予想するに当時の義兄弟とは現在で言う親友に近いものだと思われる。
朋友(゜∀゜)ポンヨウ!
長男は関平だよ
確か初めての子って記述がどこかにあったはず
>>868 >今も残っている風習で言うと、韓国では男女問わず自分より歳が上の男性を
>兄と呼ぶし、日本でも任侠界で同じ親を仰げばその子らはみな兄弟になる。
これは中国と関係ないだろ
寛平は養子とは書かれてないが養子であることを否定する記述もなかったりする
そんな俺は寛平は女だと見ているほぼまちがいないだろう
873 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/16 21:24:46
>869
多分無い。あったら教えてもらいたい。
>>873 記憶の中にあるのでソースはない
思い出したら教えるよ
関帝廟には関羽の傍らに居るんだが
関興が長兄なら差し置くというのは考えにくいんじゃ
演義準拠といわれればそれまでだけどね
>>874 まあ当然俺が長兄だがここで義兄弟の契りを結ぶとすればもう一人欲しいところだ
末弟募集女でも可
877 :
ひげ:05/03/16 22:49:43
関羽は馬超が来降したと聞くと、もともと旧知の仲ではなかったので、関羽は諸葛亮に宛てて手紙を書き、
馬超の人品才覚は誰に比類するかと質問した。諸葛亮は関羽が護前と知っていたので、そこで彼に返答して
言った。「孟起(馬超)は文武を兼ね備え、雄壮激烈たること人一倍であり、一代の英傑、黥(布)・彭
(越)の仲間である。益徳(張飛)と轡を並べて先を争うべきであるが、それでも髯の絶倫傑出ぶりには
及ばないだろう。」関羽は鬚髯が美しく、それゆえ諸葛亮は「髯」と言ったのである。関羽は手紙を見る
と大喜びし、賓客たちに見せびらかした。
かわいいよな関羽
誰も見てねーのかよ
蜀将みんな禿げしく耳毛が爆発してるもんだから
立ち読みしながら爆笑しちまったんだけどな
全くさみしいぜぽ前ら
立ち読みしながら爆笑かよ
俺には出来ないなZE!!
うんちょ
関羽つえーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!
蒼天航路、ハン城と襄陽城以外の城攻略とかも描いてくれないもんかね〜
いくつ城落としたかわからん快進撃の模様を是非!!
また釣りか
>>882 まあその前に蒼天はすでに樊城に到達してるわけで。
886 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/17 14:37:17
でも来週関羽撃退されそうだし。
関羽が赤壁で曹操を斬るマンガってないの?
来週はまだだよ。雨も降ってないし。于禁が出てきてない。
神将于禁が出てこないわけなかですと。
889 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/17 15:43:27
俺が言いたいのは、関羽が敗走するんじゃなくて、一応曹仁がハン城に帰還する
ことを言いたかったわけで。関羽は一度もハン城落としてないし、ウ禁もまだ来てない
から、来週関羽も兵を退却させると思うし。
関羽が毒矢を受けて治療する際のシーンって正史にも描写あるよね
普通に無理だと思うんだけど正史にも創作ってあるのかな
>>889 とりあえず関羽は引いて城を囲うでしょ
我慢比べでさすがの曹仁も泣きが入り始めるが持ちこたえるみたいな展開
先週号では白髪まじってたなー
そういえば関羽も60近い
あーなんか悲しくなってきたw
892 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/17 16:45:13
曹仁が言ってた馬の天意って、この後の展開に大きな伏線になるだろう。
矛盾してる所なら腐るほどある
猪に足踏まれる夢とか出た?
>>894 関平自体が出てきてないからな たしか・・
花関策伝の成立って演義より前ですか後ですか?
たぶん後
899 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/17 22:02:23
好きな武将って何らかの気に入ったエピソードがあるよね?
漏れが気に入ってんのは
関羽〜曹操の厚遇にも心揺れる事なく落とし前を付け劉備の下に帰るとこ
張飛〜何度も念押しされてるのに酒を飲んで下ヒを奪われるとこ
劉備〜貧しい民家に逃げ延びて劉備のために主人が奥さんを料理したのを知って涙したとこ
やっぱいいなー関羽兄弟
900ゲト
庶民くさいところがいいよね
苦労してるし
田舎者の劉備、張飛に比べれば関羽は幾分かましだけど結局は庶民だしな
>>902 いやいや関羽は一番のワルだよ
人殺して指名手配だし
たしかそんな感じだったと思う
まあ劉備だってやくざの親分なわけだし・・・
でも、人に慕われるのもわかる気がするなぁ・・・
>>903 いあ関羽は華北の人間だから他二兄弟に比べ泥臭さは無いって事が言いたかった
あと関羽が故郷を追われた理由として色々な説があるがどれも私利私欲のために人を殺したわけじゃあない
諸説であり正しいとは限らんがな
私利私欲であったかもしれんし
総じていえるのは劉備達は常に弱者だったから弱い人達の気持ちを
いやでも忘れなかったのが後々、強みになったと思うよ
なんつーかねー侠の世界とかだと偽善とかってすぐばれると思うわけさ
劉備は確かに小狡い所あるけど高祖劉邦に例えられるような
庶民にも通じる人徳が備わってたんじゃないかなあ
関羽なんかも弱きを助け強きを挫く典型みたいな性格してるし
張飛は微妙だけどw
最後はそれで自分と国の未来を潰してるけどな
権力を持った以上それまでのやり方を押し通すことはできない
そう考えると苦楽をともにした昔の仲間を粛正した劉邦より
劉備一党は愛すべき存在なのかもしれない
まあ劉邦の場合は奥さんが粛正したとも言えるけど
でも、そこが3人が時代を越えて愛される理由。
ただの庶民にすぎない3人が苦労しながらも最後には国を持ち、しかしそこで役割を終えたかのように次々と死んでいく。
そのあたりが物悲しく、哀愁を誘う。
なんつーか、物語とかでも、放浪時代の楽しげな印象に対して、領土を獲て以降は重苦しいんだよね。
>>910 あんたいいこというねぇ
やべなんか少年時代の純粋な心とか思い出しちったw
>>897 演義よりは前
花関索伝は明の成化年間(1465-1487)に刊行されたものが現存している
「三国志演義」の現存するもっとも古いテキストは嘉靖元年(1522)刊
ついでに「三国志平話」は元の至治年間(1321-1323)刊のものが現存
三国志演義の初版本には関索は出てないとかきいたことある
三国志平話には出てるんだろうか
勘違い甚だしいから言っておくが
劉 備 は 庶 民 じ ゃ な い ぞ
じゃあ何なんだ?
まさか皇族とか言うんじゃないだろうな。
少なくとも資産家ではあったな
劉備の父親とおじいさんが地方役人じゃなかったっけ?
その子供(あるいは孫)だから「庶民」ではないのかな。
程度はともかく、地方有力者の家系と言うべきではないかな
当時の庶民は農民で、学問を習う金を出してくれる縁者がいるなんて有り得ない気がするなぁ・・
つーか劉備って皇族の血縁者だし。
どうやって一庶民が櫨植の下で学ぶ事ができるのか
劉勝の末裔だということを否定できる文献も無いから何とも言えんのが本音。
機織りっつてもそこそこ儲かってたんじゃないの?
でも機織りが家業であれば多少儲かってたとしても庶民とあんまかわらないと思う
多少の金があり母が劉勝の子孫の家系と言い張ってたのが櫨植の下で学べた理由じゃないかと
名乗ったもん勝ち
ここの流れって
1.演義、正史、その他漫画や小説ネタなどごちゃ混ぜの話題で盛り上がる
2.突っ込みはいる
3.何か議論
4.軽く荒れる
5.1に戻る
って感じだねw
>>923 いやファンスレだから
別に演義でもいいし伝承でもいい正史でもいいし
>>925 たしかにw似たようなこと昔話したことあったりするな
つか張飛の家系ってどうなんだろう
平話では金持ちだったような・・・
>>923 お前の「w」は何を意味しているのだ?
嘲笑?歓喜?障害?
何にせよくだらん表現方法だな。
正史に記述されている情報だけを元に見れば大多数の者が穴だらけである。
その穴を演義や小説、はたまた漫画等の人物像で埋めていったとして何の支障があるものか。
それこそが歴史を見るうえでの至上の楽しみであろう。
以上、お分かり頂けたのであれば引き続きROMを楽しまれるがよい。
そろそろ1000取り逝っとくぅ?
>>927 いやそんな遮断しなくても
関羽や劉備達が好きなら問題ないでしょ?
意見的にはとても同意だけどね
930 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 17:38:37
◇ 関羽 雲長 ◇
ここにあり
>>927 あの・・何人かに誤解させる書き方だったのは申し訳ないと思います。
>>925で書いたようにスレの流れがループしちゃってるよってことです。
正史だけが正しいとか、正史について語りたいとかってことではありませんし
色々な関羽を皆で語るのは良いと思います。
ただ一つの話題に対してそのあとの流れがいつも同じだなって思っただけです。
◇ 関羽 雲長 ◇
でも別にループでもいいんじゃね?
ループはいいけど煽り口調が多いのはちょっと嫌かも
つっこみも返答も、もっとやさしくね…って気はする
でもこの厳しさがこのスレの味ですか?
>>936 いや味ではない
ただアンチや正史厨議論厨にはそれなりにね
そうでなければやさしくいきましょうw
討ち取ったり
まあそんな関羽も蒼天航路ではそろそろなわけで。
関羽は最初に伏線張られてるからな。
曹操と関羽の関係が主軸になってるような気がする。
なんかホントに神になりそうだよなあ蒼天関羽。
商売の神以外に何の神になってるの?
>>942 最初はおっかない鬼神だったって話
仏祖統紀では伽藍神だし
関三郎がくるぞ逃げろー的な記述が唐代にあったり(書物の名前は良くわからん)
荊州の玉泉祠という廟は鬼神が作ったとされていてその鬼神の名は関三郎だったり
このへんから関羽と関索の関係も見えてくるかも(三男だけに関三郎)
関索って羅漢中が作り出した人物じゃなくて
民間伝承から来てるものなのか
>>943 関羽の祟りを恐れたのが信仰の始めだって言
われてるからおっかなくて当然っちゃあ当然
>>945 ひょっとしたらだけど実在したのかもよ?
なんてことも期待してるわけで関索
実在したところで歴史に関わってない以上あんま興味沸かんがな
関羽一族が途絶えたと世に思わせておいて隠遁していた
んで世が変わり日の目を浴びる事が出来た関索が現存子孫の祖だと考える
でもこのスレで知ったとんでも話
「関羽の子孫を名乗る人」
ってのもあるし
↑スレ立てヨロ
でいいのかな?
次スレ建てるんなら「関羽のファンスレ」明記希望
このスレ続くのかw
>>953 色んな意見、見方があってこそ面白いと思うんだが。
・・・・この流れならコソーリ1000ゲト出来そうだ
(・∀・)ニヤニヤ
960 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 22:43:29
んじゃ埋めるぞ
関羽
↓
うんちょ
↓
スパイスの効いたレス
この流れで埋めよう
964 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 22:48:38
関羽
カンヌ
ウンチョ
召抱えたり
☆おもひで☆
昔受験の時関帝廟行ったら受かりましたw
kannu
ウンチョー
かんう
うんちょー
ひげおやぢ
関羽
お前らダメダメだな
もっとピリッと効いたヤツかませよ
うっ
げえっ 関羽!
雲長のアイコラじゃー!!
↑なかなかんう
(;´Д`)ハァハァ兄者…カワイイよ兄者
▼
うんちょー
よくとくぅ〜〜
感ウッーーん
ウン 超キモチイイ
どんびきw
かんう
ウンチョ
兄者…ポッ
関さん
雲さん
関雲子
かんう
拙者、長兄のコトが・・・・・・
そして自前の青龍偃月刀を取り出して・・・
腐女子乙WWW
長兄に押しやった
999 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 23:38:49
1000取り合戦支援age
このスレは、後世まで語り継がれ
悠久の時を越えても
強く輝き続けているであろう…。
関羽伝 完
1001 :
1001:
立 新 / ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、 ,r';;r" _ノ と 何
て し L_ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ ,';;/ ) 申 と
ね い //;;/´ `' 、;;;;;;;;,,l;;' /ヽ す 1000
ば ス /.,';/ ヽ;;;;,l;L_ .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i か を
い レ l |;|┌--‐フ ┌----、、 |;ヾr''‐ヽ, ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く !! 超
か ッ i |l ~~__´ 、 ``'__''''┘ |;;;;;l rO:、; ´ ィ○ヽ 'i;;;;;厶, え
ん ド l _|. <,,O,> 〉 <,,O,,> |;;;;;| `'''"/ `'''''"´ !;;;;;;;;ヽ た
の を ._ゝ'|. / 、 |; ,' / 、 |;;;;;;;;;;;;;レ、⌒Y⌒ヽ
う 「 | | ( ) .ソ l ,:' _ ヽ .|;;;;;;;//-'ノ
ヽヽ | _,ニ ニ,,,,,_ ', ゞ,' '"'` '" i;;;;;i, `' /
⌒レ'⌒ヽ厂 ̄ `| ,、ィ-‐''__'''‐-`,、 '' .', i、-----.、 `''"i`'''l
人_,、ノL_,iノ! . ', :i゙''''''''''`l' ` _人__人ノ_ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\ ,' ト、,
/ ヽ L__」 「 で 書 Lヽ ヽ〈 i| Vi゙、
ハ ワ {. ヽ. -、、、、 ' ノ き き 了. ゙, ,ヽ===-'゙ ,' , // ヽ
ハ ハ ヽ. ハ ) ん 込 | ',.' ,  ̄ , ' ノ //三国志・戦国板
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