そういう事例は、軍記物などの創作物には見られるが
実際はどうだろう?敗軍の姫を凌辱したなんて、あまり自慢できることじゃないだろうし
それに姫の実家の権力もあるし、丁寧に扱われた線は十分ある
301 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 17:45:00
戦国時代ではないが、日本軍は戦争で他国では強姦などをする輩ばかりなのに、日本軍はそんな事はなかったらしい。
自分の国に都合悪いことは隠すに言わないだろ
拉致問題とかね
かといって南京の人口増やしたり、ニダニダ言う国を全面的に信じることもできんが
303 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:45:18
捕虜と交換とかは?
304 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/14(水) 00:41:57
>>250 将来適当な婿を見つける事を条件に一時的に家督を継いで(幼君のケースと同様に)一族がこれを補佐する事は結構あった。
305 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 16:11:07
つーか、なんで、家康って信康を殺したんだ?
もし殺してなかったらもっと天下とるの早かったんでは?
307 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/27(火) 23:58:26
>>306 あの状況で織田家に逆ったら天下とる以前に潰されたんじゃない?
そもそも信長は本来無関係で家康と信康の争いだったという説もあるし。
つーか、その説の方がかなり信憑性ある。
信忠は普通に優秀な部類に入る方だし、そもそもあまり信長は
息子らに対してあまり執着する方じゃない、(テキトーにつけた名前の件は有名)
自らの覇業に全精力を注いでいて、自分が死んだ後の織田家を気にしてる様子がない。
そんな信長が盟友徳川の息子の事などいきなり気にし始めるだろうか?
しかも自分の娘を嫁にやっていると言うのに。優秀なら余計喜ぶだけだと思う。
そして信康と言う人物を客観的に見た場合に、かなり暴君だったと言う説も聞く。
実際、家康の血を引く息子らは忠輝と言い秀康と言い割と荒くれ者が目立つ。
秀忠のようなおとなしく親の言う事を聞くタイプの方こそ珍しかった。
また母築山は今川以来の嫁であって、この時点では要するに利用価値は消えていた。
結局、信長の娘の五徳からの訴えにより、信康は自刃する事になったのは事実だが、
暴君ゆえに困らされた五徳が父に泣きついたのと、領民や配下の訴えから、
家康自ら処断したと言うのが自然な流れに思える。
同じく武田家でも嫡男、義信が今川に内通疑惑が出た似た事例があった。
これは、義信側にも充分に理があるし、結局処断でも自害でもなく病死だったわけだが、
それでも、重臣を失う&その後の勝頼と古参重臣との不仲など、結局家を揺るがす大事件だった。
でもその後の徳川家は何事もなかったかのように嫡子を定め、特に問題は起こってない。
東照大権現様を子殺しの悪人にしてはいけないという事からなんだろう。
織田家を気にしてる様子がない?
しっかり次男三男を織田家から廃してます
311 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 01:28:03
ki
313 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 16:07:20
>>309 あと、信康が家康を追放する事を企んだ説とかあるよ
314 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 16:44:59
八王で信頼できるのは誰だ
八王って司馬氏の?
そりゃ司馬亮。人畜無害
同母弟の司馬伷は?
(東晋の祖)
318 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/30(日) 04:15:28
age
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320 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/06(日) 12:33:21
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||| 源六・・・ (\_/) / || | | || ||||' ",:;
| || 今 ゆくぞ・・・ ( ;=ж=) | | | | | | |||||||
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λ \ \_|ろ===E|_/ |_|_|__|_||∧|_|_||_|||
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保
322 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/21(月) 18:34:48
劉禅は毛沢東だかに国民は劉禅になってはいかんとボロクソに言われた男だぜ
中国では劉禅は無能だと思われてる、劉禅を評価してるのは機知害蜀ヲタだけw
あーきみきみ、毛沢東は大の三国志『演戯』のファンなんだがね。
最近は大分軟化したがちょっと前までは
偉大なる毛主席の仰ることは歴史的事実より正しいと言うのがあの国。
毛さんは学がないから
っていうか、アイツの中国の歴代皇帝を評した詩は何度読んでも腹が立つ
「惜しいかな始皇帝・漢武帝は詩文を解せず
唐太祖・宋太祖も風雅に劣る
ジンギスカンにいたっては弓を射る事しか知らない
しかし皆過去の人物だ
文雅を解する人はやはり今日を看よ」
って奴だね。
しかし魏武又は魏文帝には触れていないところが
ミソというかほほえましい。
魏武は統一王朝の皇帝じゃないからだろ
むしろ、名文家であり、弓を射ることに長じ、風雅であった光武帝を入れてないあたりが……
統一王朝の皇帝って事になるとジンギスカンも違うのだが。
ま、何にせよ自分に都合の良い事はどんどん受け入れ
不都合なことは無視するか無かったことにするのがあの人のやり口だからね。
そういえば大の三国志好きの癖に水滸伝には大変批判的でだったそうだ。
普通に考えれば農民革命戦争を鼓舞する名著と褒めてもよさそうなものだが。
上の詩の中に劉邦や朱元璋も入ってないし
彼等も又そうであったように
農民から出ても、最終的には農民から搾取する士大夫層の人間になってしまうのがあの国の伝統なんだな
それからもう一回、農民至上主義に戻った朱元璋は異端だが
329 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/03(土) 03:56:52
age
330 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/03(土) 04:38:35
中国の歴史的にはあれだけ専制統治だったのを覆した孫文は凄いと思う
北洋軍閥やら共産党やら日本やらイギリスやら周り敵だらけでよくやったよ
中国には謝罪しなくていいけど孫文には謝罪すべきかもな
331 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/03(土) 04:52:51
取りあえず息子を殺す父親は神どころか糞だね
いくら儒教国家でもね
孟達が裏切らないと殺されると言ったに関わらず成都に戻った劉封を
孔明の進言で処刑だよ
養子だったら余計大切に育てるのが人間ってもんだよ
聖人君子気取りなだけ
後継問題なんて親が決めなくとも結局一番なりたい奴が残るもんだよ
曹否みたいに
儒教国家だからでしょ
親は子を生めるが、子は親を生めないもん
333 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/03(土) 15:04:13
そりゃ全然別の話だろ
作為的に殺してるのに
>>331 そこで曹丕を出すのは例として不適。
永楽帝とか出したほうが。
それに劉封はたとえ殺されなかったとしても立場は微妙。
劉備の跡は継げんしね。
結果的に永楽帝で良かったと思うけどな
宦官跋扈以外の点においては
336 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/04(日) 13:30:11
袁紹の末裔=袁世凱
孫堅の末裔=孫文
毛カイの末裔=毛沢東
蒋エンの末裔=蒋介石
張魯の末裔=張作霖、学良
↑
マジかいな?
嘘に決まってんだろ
339 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/04(日) 22:33:28
猿世凱は猿胤の子孫らしいよな。
340 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/05(月) 16:06:26
成龍←袁術の末裔
341 :
孔明 ◆U5R7o9iu7M :2005/12/05(月) 16:14:59
たしかに跡継ぎって大変ですよね。
私も結局姜維将軍に帝を継がせました。
342 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/05(月) 16:26:00
後継問題で一番酷いのは上杉謙信だろ
いねーんだもん
いや、いたよ>謙信
景勝と景虎
どっちをどう継がせるつもりだったかは今やハッキリせんけどな
結局内乱になったがきっちり後継決めといた家でさえ滅亡してんだから
まぁ一番酷いってこともないだろうよ
景虎が継いだら北条氏との強固な同盟関係になって最終的には取り込まれたりするんかいな?
内心景勝に継がせるつもりで準備してたんじゃないかと思うのだが…
通常、他家でも父親が息子に継がせるように、自分の官位を景勝に譲って
最大級の兵力を与えて関東侵攻を準備していた訳だし
景虎を養子にしたのはその何年も前、北条との同盟が成立した当時の和睦条件だよ
姪と結婚させて初名を与えはしたが、同盟は破れ、
その後、実質的に地位の補強してやったわけでもない
よく御館の乱では一族の有力者のほとんどが景虎に味方したとか言われることが多いが、
謙信が晩年に重用した重臣たち、子飼いの寵臣はむしろ景勝に味方してるのが多い
(もちろん単純に線引きできるわけじゃないし一番の寵臣の河田は中立を守ったが)
景勝の出身である上田長尾とその宿敵だった古志長尾との一族間の抗争
反北条と親北条の家臣団の抗争
謙信の後継者決定にはいろんな問題がぐりぐり絡んで容易に決められない深刻さがあったかと
で、内心どういうつもりでも表にできないまま、おトイレで血管ぶち切れ→アボンヌ
345訂正
官位→官途
>>345 上杉姓を与えたのは景虎の方が先、とか景虎は春日山の二の丸に景勝は三の丸に置いたとか
聞いたことがあるが。
だいたい、もし謙信が景勝を後継者としていたのなら謙信死去時のあのクーデターまがいの
行動は解せなくなる。
348 :
345:2005/12/07(水) 21:55:57
>>347 そう、上杉姓を与えられたのは景虎が先だよ
越相和睦で謙信の養子になった時だから1570年、景勝が上杉姓を与えられたのは1575年
が、もし謙信が景虎を後継者にしようと考えていたならば、
わざわざ新たに景勝に上杉姓を与えて自分の官途を譲るような真似をするだろうか
しかも景勝を「御中城様」と呼ばせ他の一族や養子(上杉政繁)より高い地位につけてる
「御中城様」は謙信が「御実城様」と呼ばれていたのとまるで対みたいな呼び方だし、
実城は春日山の本丸で、中城はそれに次ぐ大きな郭だったという説もあるよ
まぁ実際のところ謙信時代の二の丸や三の丸郭の詳細は明らかになってないらしいが
349 :
345:
(上のつづき)クーデターまがいというのもどうかな
景虎贔屓な人にとってはそう思えるかも知れんが、これも解釈次第じゃないかと
謙信が後継者を明示しないまま意識不明に陥った当時、345でも書いたように、
一族間の宿怨や景虎実家の北条氏に対する利害関係の絡み合いなんかが渦巻いてて、
謙信という求心力がなくなったら、家臣団の分裂がどうにも避けられないことは
上杉家の誰にもわかっていた状況だったと考えられる
(謙信の死の前年に、上杉家の重鎮がバタバタ死んだのも家臣団分裂の想定の一因)
ならば、その死が迫りつつあるあいだに、
巨大な北条氏からの後援を得て必ず相続の敵になるだろう景虎派の追い落としを
景勝派が準備し、謙信死後、機先を制して本丸と金蔵を占拠したことは有効な戦略だし、
実際それは大きくものをいった
そして景虎方がすぐ春日山を追い出されたわけでもなく、約2ヶ月は主に外交交渉の期間
その間、のちに景虎派の中核として働くことになる北条(きたじょう/景虎実家とは別)は
景勝のために関東の情勢を報告してるし、
同じく景虎派になる神余氏も「決して私曲しない」という城主の誓詞を景勝に提出してる
晩年の謙信のそばで働いていた奉行人たちも混乱なく景勝に味方してるし
クーデータとはとても思えない、という見方がじゅうぶん成立するのではと思う
結局、謙信はいろいろ中途にして唐突に死んじゃった…もう少し酒を控えておればな