1 :
無名武将@お腹せっぷく:
2 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 14:46:55
===========終了===========
>>3 そのスレじゃあ、
「ゆっき〜と愉快な仲間たち」に限定されすぎで使いにくいでしょう。
とりあえず私見だが。
関ヶ原の戦いの顛末について、
西軍決起は最初から家康に予想されており、
三成は家康が策にまんまと乗せられただけという見方もあるが、
さすがにそれは家康を高く評価しすぎだと思う。
家康は西軍決起後江戸に一ヶ月近くも滞在し、上方と対上杉の情勢を良く見極めた上で、
岐阜城が落ちたことを確認してからようやく出陣している。
もし、情勢が全く予想通りだったならそれほど時間をかける必要はなかったはずだ。
おそらく、家康は上方で何か変事が起こることは予想していたとしても、
それが2大老3奉行までも参加した大規模な物になるとまでは思っておらず、
その為その対応に時間がかかったしまったのだろう。
その点で三成の西軍糾合の手腕はある意味で家康の予想すら超えるものであったといえると思う。
6 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 16:41:21
というか、関ヶ原は結果的に家康の圧勝になったが、
もし、小早川が裏切らなかったらとか、
秀頼ないし輝元が関ヶ原まで出てきたらとか、
あるいはガラシャが自害せず東軍参加武将の家族が人質に取られていたらとか、
不確定な要件が多く、最初から家康が勝てるとはっきりしていたわけじゃあない。
何事にも慎重な家康が最初から分かっていてそんな賭けに出るはずがない。
つーか、ぶっちゃけ、
そもそも最初から予想どおりなんてことになるはずがないが。
関ヶ原やばい
4
何が使われづらいのかわからない。
「ゆっきー」という言葉を嫌悪する理由は何なのだろうか
器が小さいのか?
5 6
後年の家康が唯一打った大博打なのは確かですよね
10 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 16:49:53
>>8 とりあえず、私は「ゆっき〜と愉快な仲間たち」ではないから、
そっちのスレに書き込んだらスレ違いになってしまうし。
11 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 16:52:25
>>9 当時の情勢なら、別に大博打をうたなくとも、
いずれ家康の天下になったと思うがなあ。
>>11 家康は、豊臣政権の中での執権家康を狙っていたのだと思う。
鎌倉幕府における将軍と北条氏、徳川幕府における大老職というか。
それにたいして当時隠居させられていた三成が反家康の連中を糾合してクーデターを
起したってところでしょう。
ここからは>5 >6 に同意。おそらく家康は、決起するにしても小規模で済むだろうと
考えていたと思う。でなければ自分が追い落とされかねないあんな状況を招く理由がない。
さらに言えば、家康が関が原の前に大名に手紙を何百通とばらまいたというのも、事前
の予測を覆されてしまい、大慌てでやったと見れる(予測していたのならなんでもっと
前に根回ししておかなかったのか)。
11
なんだか随分物事に詳しいようで
関ヶ原時の情勢のどこがどう、安心して野望を剥き出しにできる時期なのかわからないです
家康の根回しは順調に進んでたのは認めますが
講釈をお願いしますm(_ _)m
10
スレ違いになるの?
僕には実際「ゆっきー」という言葉をゆきだるまさんが説明してないから、真実の意味は分からないさ
良くわからないスレタイだけど
少なくともこのスレよりも早く産まれた関ヶ原スレだから
ゆっきーを指示します。
いたずらにスレッド増やしても読む人が混乱するから、今のゆっきーが終わってからPART4でこのスレタイ使うってのは駄目ですか?
14 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 18:23:01
>>13 例えば、三成周辺にがっちり目を光らせて決起できないようにしとけば、
総力を挙げて攻められた上杉は、まあ、順当に考えて負けるし、
そうすれば既に前田は恭順しているから、残る大物は毛利・宇喜多。
そうなれば前田の時みたいに難癖つけて屈服させるのは難しくないと思うが?
他の連中は史実でそうであったように細かく潰していけばいいんじゃない?
確かに関ヶ原は一気にことを成す為には好都合だが、
反面リスクも高いし、あえて打って出た賭けだったとは思わない。
14
確かに大老の領地を徳川陣営に分け与えて勢力を増していけば、家康の優位は高まる。
たぶん、前田・毛利が徳川陣営に抱き込まれ、宇喜多・上杉の所領は馳せ参じた外様に与えて懐柔する。
伊達とあたりが空席の大老の位置に着き、そこへ三成の策動で島津も大老に
そのうち家康が死んで
秀忠と秀頼の対決へ
島津の席に結城秀康が入ったりしたらまた情勢がかわるだろうが
徳川の天下は微妙なんでない?
16 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 19:23:14
せっかく自分以外の大老を潰したのに、
わざわざ他の連中を新たに大老にする必要はないわな。
問題はどのタイミングでどういう名目で征夷大将軍になるか。
確か家康は三成の挙兵は想定済みでも、宇喜多や毛利などの参戦は予想外だったって話があったような
なんでしたっけ?
三成が首謀者、ならたかが失脚した元奉行ごときに、
大老二人を担ぎ出せるとは思わないだろうから、普通そう思うだろう。
まあ、三成というよりも毛利を担ぎ出したのは安国寺恵ケイの働きだろうけど。
家康は前田討伐宣言や会津征伐をブチあげた時、豊臣家が激しく抗議したという話はなぜか聞かない。三成失脚の時も同様、聞かない。
奉行はいいとしても、大老を処分するのに、筆頭と言えど他の大老と協議せず独断で決めて諸侯を動かしている。
また遺命に反する婚姻に対して、怒ってはねつけた大名はいない。
清正らが三成襲撃した際も家康の一喝でびびって断念している。
西の丸に、なかば勝手に占拠し、天守閣を設営しても、豊臣家や大名が声高に抗議したという話は聞かない。
まるで世の人々の行動すべてが家康を有利、有利に導いている。まるで天下を獲ってくれ、といわんばかりに、
そうかんがえると、福島と清正でさえも、うさん臭い連中に見える。
とくに福島。奴は遺命破って、婚姻を結んでいる。
奴のイメージは一見、単細胞だが、遺命は愚直にひたすら守りそうにみえる。
「内府!それは遺命破りでござろう!以後その件は話されますな!」といいそうなもんだ。
ところがどうだろう?奴は屁理屈こねて、ぬけぬけと結んでいるじゃあありませんか。
奴は実は小悪党的計算高さがあると思う。
20 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 22:05:50
何をいまさら。。。。。
21 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 22:09:05
>>19 家康が有利に働いたのは、晩年の秀吉が人望を失ったから。
いや、スレがたったばかりだから基本から入りました。
23 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 22:31:07
>>19 実は家康に抗議したかも知れないよ。
問題は、後に徳川幕府が成立したため、「勝てば官軍」的に
天下が家康のもにになったのを世間が歓迎したように歴史が改竄されている可能性もある。
いや、可能性の問題なんだが。
>>5 結論と理由が乖離しており議論としておかしいが?
>>24 西軍決起の規模は家康の予想以上であったとするなら、
つまり、その決起を計画実現した者の手腕は、
家康の予想以上だったということになるでしょ?
で、西軍決起の首謀者が三成なら、
すなわち三成の手腕が、というか少なくとも関ヶ原の時の実行力は、
家康の予想を超える物だったってこと。
>>23 なるほど、その可能性もありますね。
だから秀頼様→謀反人・秀頼に移行した時期も、いまいち残された資料からはわかりにくい。ここらへんの資料も改竄?
二条城会見といわれてもなあ・・・。
>>26 同じ主旨のつもりだったんだが。
「決起の首謀者が三成なら」って部分を、
そっくり飛ばしてしまったのがまずかったかな。
>>23 それはあり得ることだわな。
以前、西軍が蜂起してから関ヶ原の戦いにいたる間の、
家康が諸将に送った手紙に比べて、三成のそれが極端に少ないことを上げて、
三成の裏工作は家康に比べて周到なものではなかった。
という主旨のことを論じているものを見たことがあるが、
よく考えてみれば、三成からの手紙なんてあったとしてもその後とっておくわけないのだから、
それは参考にはならないよな。
>>19 5大老などといっても輝元・秀家・景勝は所詮二代目に過ぎない。
自力で戦った経験も豊富な景勝はともかくとしても、
叔父におんぶに抱っこの輝元や、
親父の苦労も知らず秀吉の庇護の下で育った秀家などに家康に対抗する度量はない。
つまり、利家が死んだ時点で5大老制などといっても、
実質家康の一極集中体制になってしまっていたのではないかと。
31 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 23:53:15
>>23>>27>>29 その可能性は否定できないよね。
「歴史は勝者によって書かれる」という中国の諺もあるし。
また司馬遼太郎なんて読むと、つくづく思うけど
なぜか物事が家康に有利なようにしか進まず、いつも三成に不利に動くけど
実はもっと家康に不利なことも多かったんだけど、
結果論というか、結局は家康が大勝利してしまったから
家康が全て有利に運び、三成は後手後手になったと印象付けされたのかも知れないし。
>>29 敗北者側の方がどうしても不利な扱いになるのは否めない
しかし史料もないところで、三成有利とするわけにはいかない
もちろん推論は可能だが、現在の史料では三成不利は明らかでは
秀忠遅参なんて不利っていうか、
予想外の事態もいいところだっただろう。
普通、当てにしていた兵3万8千(全兵力の3割以上)が、
土壇場で間に合いませんでしたなんてことになったら、
事前の作戦がほとんどご破算になったも同じだろう。
むしろ、家康よく頑張った、と言ってやりたいくらいだわな。
小説というのは作者が勝手に再構築するもので歴史そのものではない
>>32 いや、さすがに三成不利は明らかだと思うよ。
資料も何も、
三成の石高19万5千石。
家康250万石。この数字を見るだけで十分だ。
立場的にも、現役5大老筆頭兼秀頼の政務代行者対元5奉行現在蟄居中だからね。
本来相手にならないはず。
ところが、そこから関ヶ原の状況、
即ち仮にも天下分け目の戦いとまで言われるとこまで持ち込んだのだから、
三成もたいしたものだったと思うよ。
三成は良く頑張ってかなり差を詰めた、
が、やはり今一歩とどかなかった、って感じかな?と。
まあ、一歩というにはあまりにも絶望的な差があったような気もするが。
>>33 もし関ヶ原で家康が負けていたとしたら
敗戦の原因は、秀忠のせいになる
運が悪かったから負けたということになる
家康は戦略眼がなかったことになる
>西軍決起は最初から家康に予想されており、
予想されていた
というか、決起を煽った
>三成は家康が策にまんまと乗せられただけという見方もあるが、
乗せられただけではないが、家康の思惑通り
ただし予想より人数が多かった
予想より人数が多いのは重大なことだよ。
相手がこちらを誘う為にあえて見せた隙に、
相手の予想を超える攻撃を行い逆に打撃を与える。
兵法としては常道と言えるだろう。
しかし、西軍の立場から言うと、
秀忠遅参という大きな幸運があったのに負けてしまったのは、
不甲斐ないとしか言えんわな。
40 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 00:33:20
秀頼と輝元が、関が原に西軍として布陣していたら
西軍の勝ちだった?
41 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 00:41:16
関が原は最初から最後まで毛利がどうするかにかかっていたと思われる
一族の中ではっきりと西軍加担の戦意があったのが秀康と秀包
微妙ではっきりしなかったのが輝元と秀元
はっきりと東軍加担の戦意があったのが広家
はたして秀元の真意は南宮山に勝手に登ったことが示すように日和見だったのか
それとも関が原の段階では西軍加担の意思があったのか?
秀康と秀包が到着して毛利の旗が立っていたとしても広家は東軍についたのか?
仮に家康の思惑通り、垂井で決戦になっていたら毛利軍はあっさり東軍に寝返ったのか?
その場合、論功行賞はどうなったのか?
44 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 00:49:58
45 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 00:51:31
毛利秀元が吉川広家より前方に布陣していれば、西軍が優勢だったかな?
46 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 00:52:08
>>41 毛利秀元は関ヶ原合戦後、大坂城で輝元に徹底抗戦を訴えているから
西軍加担の意思はあったはずだよ。
そもそも南宮山への布陣は吉川広家の進言だし。
(というか毛利家の軍事権は元来、吉川家が掌握していた)
>>45 >毛利秀元が吉川広家より前方に布陣していれば
それはない
だって毛利衆の先陣だったんですもの〜>広家
>>44 その場合は家康も戦略変えただろう。
まあ、勝率は低くなると思うが。
49 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 00:55:33
>>44 布陣に至る経緯・時期が問題だな
極端な例をあげれば、小早川が寝返ったときに参戦したとしていたら
大敗北に巻き込まれていた
51 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 00:56:31
仮想垂井の戦い。これは三成が予想以上に愚かだった場合
垂井を西軍が通過中、東軍7万の総攻撃を受けると同時に確実に東軍勝利を見た
毛利軍が東軍に寝返り1時間で西軍は壊滅
戦後は毛利の立場が史実よりは良くなる
仮想関が原。立花宗茂、毛利秀康、秀包が決戦に間に合う
西軍が史実以上に優勢になる。秀元は広家軍を蹴散らして家康目指して突入
西軍勝利と見た小早川も加わり西軍の圧勝となる。しかし、家康の首を取らないと
西軍が最終的に勝利を治める可能性は低い
毛利の軍事は4奉行の内の吉川広家、福原広俊が管轄
その2人が徳川派、正確に言えば反三成派
秀元の目付として付けられた3人の内、2人が反対してはね
小早川が寝返ったときにって、松尾山城に入った時には既に裏切ってたんでは?
伊勢出兵拒否して、近江うろちょろしたあげく、勝手に松尾山占拠してるんだから
輝元はともかく秀頼は出て来ないよな。
ていうか淀が出させないというか。
56 :
(^^ゞ:05/01/24 01:03:13
>西軍に秀頼と輝元が到着してれば勝ってたか?
↓
いや、ムリ来れない。
↓
いや、もし来たとしたら。
↓
いや、来れないから関ケ原が主戦場になった。よって来ることはない。
↓
うるせーな!来たらの話だろ!
↓
来ねえもんは来ねえ!やるか?てめえ!あん?
※ということにならないようにしましょう。
いいこと言うね。
三戦板ホントそういうの多いからさぁ。
>>54 まあ軍事的に寝返っていたと言えるだろうな
重大な背信行為だ
その意味からするとそんな簡単に寝返る椰子がいるところに
虎の子の秀頼を出すわけには行かない
59 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 01:05:33
>>52 やはり秀元が動くには秀康らが毛利の旗を立ててくれないと無理か
しかし南宮山に上ったのは広家の進言もあったとはいえ、秀元に日和見の気分が
無かったとは言えんと思われ。その気になれば直属の部隊だけでも大垣城防戦に
勤めることはできたはず。
関が原で家康の位置が狙うには絶好だったことから西軍加担の意思がでてきたんじゃないん?
60 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 01:07:36
>>58 小早川の真意は大垣城決戦と見た日和見だったはず
毛利というか秀元にその気があれば、家康を眼前で通過させんでしょう
逆に言えば、家康は毛利動かないとある程度判断したから、前を通過してああいう布陣に
なったとも言えるけど
まあ、秀頼が直接出てきたら西軍勝ちでいいんじゃないかな。
要するにそれは、幼子の秀頼本人の意思はともかく、
大坂城の実権を西軍が完全に掌握したことを意味するわけで、
そうなれば史実より西軍はまとまっただろうし、
東軍の切り崩しも容易になっただろうから。
かなりの確立で西軍の勝ちでは?
もっとも、実際には来ないだろうがw
>>60 そうであれば、大垣城に行く前に離脱すれば良かったのでは?
>>62 どっちかに加担するのは“豊臣家”としては無理でしょうねぇ
三成も秀頼が出陣すれば勝てるとわかってても、錦の御旗と一緒で
そうそう持ち出せる訳でもないしなぁ
>>61 通過したのは、夜で霧が出ていたときだから
阻止するのは無理かと
>>63 離脱して松尾山に陣取ったつもりが、
合戦の前日にいきなり両軍が移動してきて、
目の前が主戦場になってしまったのですよ。
まあ、もっと遠くに離れていればよかったのかも知れないが、
そうそう都合よくも行かないでしょう。
>>62 西軍勝ちと決まったわけではないが、そこから勝ちに持っていくためには
史実以上の大苦戦は必至
68 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 01:14:27
秀頼が出てこなくても毛利秀康らが間に合うだけで全然違う
秀忠はどう見ても間に合わないし、西軍最強の部隊を投入できていれば
南宮山は間違いなく動いたはず
>>66 どうしても日和見したければ、集まったときに松尾山城から離脱すればいいのでは?
両軍とも「中立軍」を攻撃する余裕はないわけだし
毛利秀康が間に合うっていっても、約半日も経たずに情勢が一変してああいう布陣になった事を考えるとね
つか、秀元が動かないのに、秀康が動けるのかいな?
>>69 それは日和見じゃあなく敵前逃亡だよ、どっち側から見ても。
どっちが勝っても処断される最悪の選択、
まあ、秀秋ならやりかねない気もするがw
72 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 01:18:50
日和見のつもりが欲が出て勝ちそうな方につこうと思っただけですよ
毛利秀康って大津攻めだったけ?
しかし、そう考えると京極の存在は大きかったわな。
だから日和見のつもりじゃなくなったんでは?
それから既に秀秋は敵前逃亡しているのですが?
75 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 01:20:43
>>70 既に大津城を落とした秀康に日和見の選択肢はない
立花らとともに東軍に突っ込むだけ
普通に考えれば秀康は毛利で集まるから、動けないだろうなあ
日和見決め込み松尾山城占拠
↓
のんびりスタンバイ
↓
朝起きたら、あら大変、眼下に両軍殺到
↓
右往左往して黒田の家臣からあれやこれや言われる
↓
サイコロ振って、奇数でたんで東軍加担
↓
俺ってスゴー
このスレの人みんな「毛利秀康」って言ってるが、
「毛利元康」じゃないの?
>>79 敵がいなかったとでも?
周りは平和だったとでも?
西軍の命令で動いたので?
83 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 01:26:29
まあ立花らとともに激戦を戦ってきた秀康、秀包が突然日和見するとは思えんが
位置的にも南宮山よりも関が原正面に到着するはずだし
位置的にはそうだが、乱戦の中参戦するのでなければ
毛利でまとまるのは確実
安国寺と吉川がまとまっているのが笑える
結果論だが安国寺は石田の隣で戦う方が良かったな
>>82 いや冷静になれ、
命令に従わず、友軍を追い出して勝手に陣地を乗っ取るのは、
間違っても逃亡じゃあないぞ。
敵前てのももっと具体的に目の前に敵がいる場合のことだしね。
ああ、元康だったね、スマソ
元康は毛利勢の別働隊に過ぎません
毛利勢の一部を元康にゆだねて、大津へ派遣したんです
88 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 01:31:13
毛利も小早川も前田利家の前例にならって山の上で日和見し戦の大勢が着いたら
勝者に加担するか、戦場を離脱するつもりだったと思われ
>>85 なるほど、そうだな
では反逆でいいか?
あるいは、元に戻ったがいいか?
90 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 01:31:53
秀頼が全部悪い
秀頼が輝元はじめ西軍全員に命令してれば勝ててた
>>84 だって安国寺は独立大名でもなんでもなく、毛利の陪臣ですので
毛利は南宮山の頂上じゃなく麓だしなぁ>陣地
合戦の状況すら見る気なかったんじゃないかと勘ぐってしまうほど、やる気なさげ
>>81 すまん私は良く確かめもせず、コピーして使ってた。
ぐぐった時に2ちゃんのスレしかヒットしなかった段階で、
おかしいと思うべきだった。不覚。
98 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 01:36:30
家康があせってたのは乱戦の中、大津城の援軍が到着し、毛利の旗が関が原に
立つのを何より恐れていたのではないだろうか?
家康直属軍3万といっても実質6千だったとも言われているし
だからいらいらして鉄砲を小早川に撃ちかけるといったかけもやってる
もし裏目に出て小早川が福島に突入したら東軍は包囲され壊滅だな
>>85 守備隊が敵がいなかったんで、他に行きました
でも敵前逃亡ではありませんて、言えるので?
>>89 そんなところですかね。
個人的に秀秋は日和見というよりは、東軍として行動していたように思う。
ただ、積極的に戦闘に参加しようという意思もあまりなかったようには感じるが。
>>96 そういう話をすると直江はということになるので危険でわ?
>>96 安国寺の知行地は毛利から
それとは別に豊臣家の蔵入地の代官をしてる
まぁ毛利と豊臣のパイプ役での役職手当みたいなもの
>>97 元康が合流出来るかは知らんけど、安国寺が三成横に布陣というのはないって事さ
伊藤なんたらって大垣城の主の事?
>>99 秀秋に追い出されたんでは?
>>100 東軍として動きたかったというのはあるかと思う
しかし東軍としては行動していない
元に戻った後の西軍の対応を見てみればわかる
関が原で家康最大の誤算は両川味方に付けたのに西軍の総帥やってる輝元。
確か三成が秀秋の背信が明らかっぽいので自陣に招いて監禁しよーとして
秀秋に断られたってネタがあったが、ネタ元なんだっけ?
>>104 いや仮定の話
例えば伏見守備隊でもいいし、清洲守備隊でもいいし、大垣守備隊でもいいし
>>102 安国寺が三成横に布陣というのはないって事さ
なぜないので?
>>105 元にもどったって何のこと?
秀秋が事実上東軍としての行動とも取れる、
松尾山占拠を行ったのは合戦の前日14日のことですよ。
111 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 01:46:25
所詮、秀秋ちゃんは東軍にも西軍にも取れるような行動をして
どっちが勝っても良いようにしただけじゃないの。
>>109 だからぁ〜、毛利の陪臣として参加してる訳で
安国寺単独での軍勢じゃないのよ
よくある地図とかでは広家とか別みたいに書かれてるけど
あくまで広家も安国寺も毛利の軍勢の一部なのよ
115 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 01:49:57
東軍勝利は、山内一豊のおかげ。
秀吉も頑張ったんだよな。
東海道筋は子飼いの尾張・近江出身の大名を中心に置いて
東海道で消耗させて、岐阜あたりで決戦をするつもり満々
の大名の配置だったのに・・・。
家康も三成も秀吉の考えどおりに動いたんだけどね・・・。
やはり福島と山内が家康に天下を奉じたとしか言い様が無いな。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 01:51:30
小早川からしたら東軍につくつもりが眼下の宇喜田、大谷の西軍優勢を見て
迷ってしまったということだろう
小西しか見えない位置ならさっさと東軍についていただろう
>>116 まさかその子飼の連中に岐阜城を落されるとはね。
>>116 仮に家康が反旗を翻して、関東に封じ込めて、圧殺するつもりだったんだろうな
120 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 01:55:34
岐阜城攻防戦の前に西軍主力が岐阜に到着していたらこれまたどうなったか
>>117 優柔不断だったというのは言えるがもうひとつ考えられるのは
自分は絶対安全な状態でいようとしたということだ
つまり乱戦の中に入っていけばどんな損害を負うか判らない
それを避けようと言う虫のいい考えだ
>>120 大津城攻めの連中が到着する確率が下がり、
秀忠が間に合う可能性が上がる。
会津に上杉、越後に堀、常陸に佐竹と所帯の大きい大名置いて
東海道は誰が裏切ってもいいように、小大名配置
要の尾張清洲は福島で、甲斐には浅野
普通は万全と考えますな
>>110 小早川は西軍の軍事行動に参加していたのは知っているよね?
125 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 02:00:54
東軍勝利は、堀尾忠氏と山内一豊、福島正則のおかげってことでFA?
>>124 元ってのが西軍のことなら、
合戦の前日に東軍としてのものとも思えるような行動をしているから、
元(西軍)に戻ったなんて情勢はなかったんじゃないの?
と思ったんだが。
おーい、秀秋の伊勢出兵拒否はどーなんの?
命令無視してるんだけど
>>126 元は東軍
それが西軍の軍事行動に参加
それから離脱して、西軍の守備隊を追い出して布陣
西軍の前に東軍であったという意味
確か伏見城攻撃の詫び状送ってたんだっけ?>秀秋
133 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 02:12:37
>127
自城を家康に献上する策を、一豊に教えた。
元を東軍としてみるのが妥当かと
家康を関東に移封した跡地の東海に上杉入れときゃ良かったんだよ
そうすりゃ家康は動けなかっただろ
>>133 ああそれね
それって創作じゃないのかなあ
オレの読んだ限りでは史料的裏付けはなかったと思ったが
上杉と徳川が手を組むと・・・さぁ大変
>>135 つか、普通は子飼いの大名を外様より信用するだろ
秀吉の戦略は、西と北から家康を締め上げる完璧なものだったが・・・・
>137
そうなのか・・。
一豊自らが考えたのか。
>>135 真田太平記で昌幸がそんな事言ってたね。
スレ統一できそうで、1さん良かったね
関ヶ原でいっぱい語れるといいねo(^-^)o
>>139 確かに一豊がそんなに頭が良いとも思えないが。
仮説だが、徳川の謀臣の誰か(例:正信)が、誰かにそれを言わせれば
良いと献策。
あまり頭がよくなくて、かといってあまりはかりごとがうまそうでなく
東海道筋の城持ち大名で適当な人物をピックアップした。
143 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 05:49:01
>>129 元は東軍っていつごろ?
確かに西軍の伏見城攻撃の時に東軍に加担しようとしたが
その後は西軍の主力として各地を転戦しているけど。
同じように島津軍も伏見に入城しようとして
徳川守備隊に拒否され、西軍に加担しているけど元東軍とは言わないよね。
>>142 その可能性はあるね。
現に福島正則は献策されたっていう説が有力だし。
徳川
145 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 06:51:58
さっきから糞ゆきだるまの意味不明レスが混じって困る。
糞ゆきだるまのレスかどうかわからんが、とにかく流れん嫁まない一行レスがあるので列挙しときます。
>>90 >>106 >>115 >>125 >>144 証拠はないが、勘がそういっている。
142
奥方様の寝夜言
145
乙ですw
小早川
148 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 08:17:14
>>147秀秋公か。彼がいなかったら家康の勝利は無かったな。
全ての命運は彼にかかっていた。彼の英断によって日本史は
新たな1ページを開いたと言っても過言じゃない。
if
秀秋が毛利本家を継いでいたら、関ヶ原は...
151 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 11:00:06
>>147-149 ひまだなwwwww
荒らしに近い書き込みはやめれ。
自分のスレがあるだろw
そこに書いてろ!迷惑なんだよ!ボケ!
あと、わざと「おいら」と書いて自分の痕跡アピールしてんじゃねーWうぜーんだよ。
152 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 11:03:49
小早川秀秋が寝返る前は、本当に西軍が優勢だったの?
>>151だるま自演乙。
>>あと、わざと「おいら」と書いて自分の痕跡アピールしてんじゃねーWうぜーんだよ。
そこまでしてアピールしたいのか
>>143 伏見城攻撃前でいいんじゃないか
島津も元東軍でいいんじゃないか
なぜ正則が献策?
独り占めすればよかったんじゃないか?
>>152 ちょっと優勢であたかもしれない
ただし野球で5回おわって6−7ぐらいの感じか
劣勢側はまだ主力を投入していない
野球で言えば、シダックスと中日が試合して中日が途中で負けているようなものだ
ただしシダックスにはピッチャーが1人しかいず、すでにばてている
中日には先発以上の中継ぎと抑えが複数いる
またシダックスの監督はサッチーw
監督が馬鹿だからと主力の一人はやる気を失っている
シダックスのライトは買収されていて落球することになっているがw
なぜか無難にこなしている
星野監督は(落合でもいいが)、ゴミ箱を蹴り上げて怒っている
ちょこっと話を統一しませんか?
西軍の裏切り者は誰か?
裏切り者はどの時点から行動にでていたか?
とりあえず、小早川・吉川は裏切り者決定♪
毛利は大坂から動かないという形で徳川に協力してた説。
島津はもともと東軍に参加するつもりが、ふじみ城の件で仕方なく西軍に属してた説。
この辺りを議論してみましょo(^-^)o
負けた奴が裏切り者
終了
160 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 15:36:46
小西以外、西軍各隊は皆優勢だったらしい。特に石田三成の働きはすばらしく
3倍の敵に一歩も引かぬ戦いをしていたらしい
159
終了ですか...(´・ω・`)ショボーン
勝った人たちが裏切り者...じゃ駄目ですか?
豊臣子飼いの東軍武将は不忠者かたわけ者
ん?島津の伏見入城拒否は、島津の捏造だよ
あの話は江戸期に幕府に媚売る為の創作
島津は最初から西軍です
秀秋最強伝説
>>163 ありがとうございます
僕もそうは思ってるんですが、取りあえず知ってる説をあげてみました
説の方ももっと話題にあげましょ♪
>>160 石田三成隊が奮戦していたのは確かだけど、
島左近が討ち死したりして、東軍の攻撃に少しずつ押されはじめていた。
なんせ兵力が違うからな。
すばらしい戦いを見せてはいたけど、打ち破られるのは時間の問題だな。
>>143 伏見城を攻める前に、
一緒に籠城するから入れてくれと申し出たことがあるそうだ。
まあ、本当かどうか知らないが。
それから、直接元々は東軍だったとまでは言えないが、
秀秋は家康に恩もあるから、義理の面から言えば東軍につくべき人間だったとは言えると思う。
あと、伏見落城後転戦はしてないよね。
命令無視して近江近辺にたむろし、合戦前日に松尾山を占拠しただけでは?
168 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 21:03:01
石田軍が松尾山に陣取ってたらいいだけの話じゃないか?
わざわざ少数で東軍の主力と戦わなくても。
秀秋が入れてくれるわけないじゃん。
170 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 21:07:16
秀秋の後ろに陣取ればいいじゃん。
秀秋が邪魔で戦えないし。
秀秋が裏切るなんて戦う前はわからない
大谷君とかは勘づくかもだけど、確信はしてないだろ
>>172 いや、かなり露骨に怪しいぞ。
無論確信はなくとも、
少なくとも裏切る可能性を考慮するのは当然ってくらいには。
174 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 21:23:14
秀秋は合戦当日より以前から関ヶ原に野営してた組なの?
>>174 近江の方から移動してきて、
合戦の前日14日に既に松尾山に布陣していた西軍を追い出して、
自分が布陣した。
176 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 21:39:36
小早川秀秋の裏切りが無ければ西軍が勝っていたというのは、私に言わせれば・・・
残念ながら、希望的観測に過ぎないと思う。
島津は元東軍
一応史料があったと思ったが
>>172 わからないけど、異常に怪しい
敵前逃亡&不法占拠だからねえ
179 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 21:50:38
小早川秀秋が裏切らなければ、総合戦力は西軍が優位になる
しかし、三成の部隊は奮戦していたとはいえ力尽きるのは時間の問題・・・
そこに、家康の本隊3万を含む東軍主力が殺到すれば三成の部隊は短時間で壊滅・・・
戦場全体で西軍が優勢でも、総大将が敗走すれば総崩れで負けることになる
かなり苦戦はしただろうが、東軍の勝ちは変わらなかったと思う
180 :
藤巻:05/01/24 21:59:46
秀秋あたりは本当はどうだったのでしょう?平岡頼勝だっけか?実際はあいつの判断で出撃したんじゃないかと疑ってます。
たしか三成の提示条件は領地+関白+稲葉、平岡両名に十万石だったと思います。
徳川の条件よりいいはずです。
でも彼らは徳川を取った。これは素朴に疑問です。
稲葉、平岡両名にしてみれば関白の直臣の栄誉と十万石が個人的に頂戴できるわけで。
「それは西軍が負けると思ったから」は理由になりません。
だって小早川軍が槍の穂先が向いたほうが敗軍になるのですから。
>>179 島左近の戦線離脱は痛いが、まだ拠点を維持していた
3倍以上の東軍主力の攻撃を受けながらも防衛を維持していた
総合力で優位ということで有れば、石田隊次第では西軍優位になったということか?
182 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 22:05:42
>>175 マジか!? 最低な根性のやろうだな秀秋は。
堂々と天満山にでも布陣しやがれっての。
ところで、松尾山を追い出された気の毒な人は誰?
徳川方の佐竹は西軍に寝返る可能性はないの?
小早川の徳川へ突撃でもあればありえないことでも無い気がする
そうすりゃ、勝てない戦でもないんちゃう?
184 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 22:09:52
テンキュウ、話が飛ぶなぁ、おい。
185 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 22:11:40
もしも…(家康が上方に西上後)
・伊達政宗が百万石手形に疑念を感じて、上杉と和睦。
・背後に憂いのない上杉軍は、南下し小山で秀忠軍を撃破そして追撃。
・手薄の江戸城を佐竹義宣が強襲し、占拠。
・江戸に退却してきた秀忠軍を佐竹軍が迎撃、秀忠軍は散り散りバラバラ。
・秀忠軍壊滅を知った真田昌幸は、幸村に半分の兵力を与えて美濃に向かわせる。
・幸村隊は舅・大谷吉継と合流、関ヶ原で共に陣を構える。
・東軍に内応を確約した小早川秀秋だが、松野主馬の忠言により思いとどまる。
・小早川陣において、内通したと視られる平岡・稲葉両家老が謀殺される。
・大津城を攻略した立花宗茂をはじめとする一万の軍勢が関ヶ原に到着。
・墨俣攻防戦で三成が島津勢を賞賛、感じ入った義弘は当初よりヤル気満々。
・増田・前田両奉行が淀殿を説き伏せ、秀頼出馬に成功。
・総大将・毛利輝元が秀頼を伴い関ヶ原に着陣、瓢箪の馬印が立つ。
・輝元着陣により、南宮山の毛利軍先鋒・吉川広家が傍観の姿勢を改める。
・関ヶ原の霧が晴れ、いざ開戦。瓢箪の馬印を見た福島・黒田などは尻込み気味。
・朝鮮の役で活躍した立花・島津が先陣をきり、宇喜多・小早川がこれに続く。
・南宮山の毛利軍が池田・浅野に襲いかかり、桃配山の背後をつく。
・大谷勢と合流した幸村も奮戦、家康本隊に突入の機会を狙う。
西軍の大勝利!
>>180 長期的に見たなら、
西軍が勝って高い地位を得てもその場合時勢が戦国時代に逆戻りで、
せっかく得た高い地位が守れるとは限らない。
そこで得た地位を足掛かりに自分らが政治の中心に立つという大望でもあるならともかく、
そうでないなら危険なだけ。
少し猜疑心をもってみたなら、
恩賞が大きすぎて信用できない。
いくら元養子でも今は毛利家の一族に属する秀秋が関白ってのはありえないほどの出世だし、
西軍総大将輝元がすんなり認めるとも思えない。
さらに、たかが家老に10万石づつなんてのは破格過ぎ、
もっと積極的に西軍として戦った武将は沢山いるのにそんな恩賞を本当に自分たちがもらえるのか。
ぶっちゃけ信用できない。
そして短期的に見たなら、
未だ戦場に未投入の3万の予備戦力をもつ東軍相手に戦いを仕掛けて、
本当に勝てるとは限らない。
後世の目から見ると、
小早川がついた方が勝つのが当たり前に思えるし、
家康の主観を想像してみれば、
小早川に攻められたらやばい、と思っていただろうと想像できるが。
小早川陣営の立場から見たらどうか?
眼前の戦いにおいて、西軍はほぼ全軍が全力で戦っており、
そちらに攻め込めばほぼ確実に横腹を突き優位に立つことが出来る。
対して東軍は未だ戦闘に参加しない家康旗本隊3万が存在する。
東軍を攻めると、下手をすればこいつらと正面から戦うことになる可能性もある。
確実に勝てる方につくにはどちらが有利か、答えは自明のことだろう。
それにしても島津はしょぼいよな
主戦線にいたのに日和見とは…
>>180 まず空手形であるということ
次に西軍についた場合、滅亡するリスクがあること
この2つから、理由は明らか
>>189 島津は、監督がアフォだからできないとつむじを曲げた
しょぼいのではない
それにどうやら戦い巻き込まれていたようだ
小西の敗兵も攻撃されているがw
>>181 小早川が静観し続けた場合を考えても、東軍優勢は変わらないと思う。
そもそも
>>179の「西軍優位」というのは南宮山の毛利勢を加味したものだと思うから。
俺は南宮山方面は、東軍・西軍ともに無視してもいいと思う。
石田隊は3倍の敵にタジタジになりつつあり、
福島正則隊は3倍の宇喜多隊に押されまくっていた。
これはもう、先に崩れた方が負け。
この状況で東軍に3万もの予備兵力があるのは大きすぎる。
193 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 22:59:34
福島隊が宇喜多隊相手に手間取ってたのは効いた事あるけど
押されまくってたってのは聞いたこと無いぞ。
宇喜多隊は大軍だけど指揮命令系統が相当弱体だったらしいし。
>>184 >>183は
>>179へのレスです。勝負は時の運次第、東軍勝利確実を否定したくて(^^ゞ
>>185 東軍不利な情報があれば秀秋が西軍につく可能性がでてきそうなもんですよね。秀忠遅参とあとなにか一押しあればなぁ
>>186 ここは豊臣方の誰か、天下の仕置きをできる人間がいれば大丈夫っすよね。
関ヶ原で家康の首さえとれれば三成が頑張りそう。大野治長には無理かな
金吾が実は凄い奴で、関ヶ原の恩賞を一時辞退。大納言か内大臣あたりに就任して、フジミ城を拝領。
秀頼後見人としてトップに立つことも夢ではないのでは?
親戚だし
空手形はそのまま換金できなくても、換金を自ら退くことで相応の利権を主張できりんじゃないかな
諸将の評価も良くなりそうだし
福島は一進一退
ほんとにやばくなれば増援投入か他戦線から支援
宇喜田は主力が転属していた
196 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 23:14:16
家康の直属部隊が3万といっても実質的には6千の兵力だったからこそ
家康は一気に西軍を攻めきることができなかった
もし、小早川が福島に突入していたら東軍は3方から包囲されることになり
徐々に劣勢になっていったと思われる。その場合、毛利軍が動き東軍は壊滅する
家康の首が取れるかどうかが西軍勝利の鍵になる。
秀秋が東軍を攻撃し始めたとしたら、吉川広家はどうするんだ
>>194 空手形は西軍が勝てば、本手形になる
問題は、勝てるかどうか
失敗した場合は、首が飛ぶ
例えばあんたが賭けで1億あげるけど負けたら死んでねと言われた
よしって賭けるの?
>>196 実質6000というのは一体どういう理由からか
徳川が実質6000なら、小早川は1000ぐらいでは?
201 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 23:20:10
>>197 次々と飛び込んでくる西軍優勢の報に西軍加担を決断する
>>196 何だ?実質的に6千って?
3万は3万だよ。
204 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 23:22:12
>>200 どうも兵力の上でも3万というのは公証に過ぎず実質は非常に少なかったらしい
徳川主力はほとんど秀忠軍だった
>>204 どっから出てきた妄想だい?
そんなことはどこにも述べられてないぞ。
>>204 そうすると秀忠はオヤジの5倍以上の戦力を率いていたのか?
207 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 23:24:53
>>205 まあ情報源は葵徳川3代の関が原前夜のシーンなんだが
>>207 ・・・・・・・
そのシーンは知っている。
いきなり根拠もなく何言いやがる、とびっくりしたものだ。
209 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 23:33:42
まあ、この話の根拠は何故、家康が旗本を投入して一気に石田隊を踏み潰さなかったか
ということにつきると思う。答えはそれができるような戦力ではなかったと
思えばいいだけで
松尾山と南宮山は東軍に向かってくれば包囲殲滅されるのは確定だから
東軍が勝つには史実通り正面突破しかないのだから
>>209 旗本投入して、その後小早川や毛利が攻めてきたらどうするよ。
地形的に三成の陣に対して3万を一気に投入するスペースもないしね。
こういう情勢の時は予備兵力は抑えとして残し、
旗幟を鮮明にしないものに対して恫喝として使った方がよいのだよ。
実際そのとおり成功したしね。
そうすると松尾山と南宮山がなぜ東軍を攻めなかったかといえば
答えはそれができるような戦力ではなかったから・・・・
なぜ毛利本隊や秀頼が出て来れなかったかと言えば答えは・・・・
なぜ佐竹が・・・・
つまり三成はそれができるような戦力ではなかったから負けた
理論はねじ曲がっているが、結論は正しいなw
213 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 23:52:26
東軍は旗本3万が残っているのなら実質的にはかなり優勢だな
というより東軍10万8千、西軍8万2千の総兵力といったほうが実際の兵力に
近いような気がする。それなら東軍は正面突破して勝利するのは当たり前になる
松尾山と南宮山はこれではどうあがいても西軍に味方することはない
214 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 23:56:07
家康本隊の兵力3万が実数で、その3万が全て精鋭だったら
東軍の超主力であり、これで三成を包囲すれば勝てるはず
小早川秀秋の裏切りなど必要無いことになる
ただし、兵力3万が公称に過ぎず実数は少なかったとか、または
3万が実数であっても、雑兵が多く大した戦力で無かったとすれば
当然、話は違ってくる
この場合は、小早川秀秋の寝返りが無ければ西軍が勝っていた可能性が高い
家康がかなり焦っていたことからして、後者であった可能性が高いかもしれない
>>213 実際戦っている兵力は西軍4万対東軍4万ぐらい
ただし家康の本隊は残っている
こういう状況がどれぐらいヤバイかは軍事感覚が有れば容易に想像できる
>>214 精鋭であり、裏切りが必要なかったということは正しい
どうやって包囲するのか?
既に3倍以上で攻めているのだが?
218 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 00:04:52
まあ、3万の兵力が本当なら小西、島津のどちらかを踏み潰して石田隊を包囲
することはできるでしょう
まあ最終的に踏みつぶしたわけだが
島津は潰れなかったな
まあ全滅したが
221 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 00:09:53
まあ、それと小早川が福島に突入した場合、何故東軍が非常にやばいことになるか
というと短期間で福島、藤堂、京極といった南部戦線が完全崩壊してしまうので
家康本隊が宇喜田と小早川ら総勢4万の大軍に包囲される形になるから。
222 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 00:13:11
もう一つ家康が島津の武勇を恐れたということも考えられる。
何せ四川で4万で明軍20万を打ち破っていることから考えても
20倍の兵力でせめても果たして確実に崩せるかどうか
完全崩壊はしないから、包囲はされないし
4万対3万ならまだまだ
島津がどうなったのか知らないのか
いかに島津が強いとは言え、あれだけ兵力差があってはいかんともし難い
225 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 00:18:30
あのタイミングで突入されたら唯でさえ劣勢の南部戦線は完全崩壊すると
考えるほうが自然。
正面の宇喜田と側面の小早川に包囲されて毛利が動かなくても西軍の勝利
予備兵力があるし、特に劣勢と言うこともない
完全崩壊する理由はない
>>225 では聞きたいが、なぜ西軍が勝つのにもかかわらず、小早川は東軍についたのか?
>>228 それじゃあ秀秋だよ
ばくちして死ぬか3億、それでいいじゃないか
>>227 自分が味方する方が勝つ。
秀秋の判断基準が利よりも、恩だったんじゃない?
>>230 ではなぜはじめから東軍につかなかったのか?
>>229 一回の博打で三億なら飛びつくんだけど、そんなのなかなか転がってないからさ
島津厨はいい加減にしてほしい
>>232 競馬で穴を狙って1千万ぐらい賭ければいくのでわ?
235 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 00:36:24
もし小早川が西軍に加担した場合、福島らが壊滅する前に家康が救えるか
どうかにかかってくるが、それでも4万対3万の劣勢の中で違う方向から
本隊が攻められるのは相当の危機になるのは間違いない
237 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 00:39:06
そこで問題になるのが家康の本隊の質になるのだが
もし精鋭ならそもそも裏切りは必要ないことになるし
劣勢になれば逃げ出すような部隊なら3万といっても実質は6千だ
>>230 ・西軍にいれば埋伏の毒になれるから
・東軍に誘われたときには既に西軍の中にいたから
・合戦が始まるまでどちらが勝つか曖昧だから
↑のどれかかな?
合戦中に自分の行動一つで戦局が決定的になった。その瞬間にした判断が 恩 とかで家康に傾いたんじゃないでしょか?
>>237 そもそも必要ないと言うことでもいいんじゃないか
劣勢になっても逃げ出さないというのはなかなかいない
まあ程度問題になってくるな
少なくとも東軍は包囲された形になっても誰も逃げ出さなかったが
240 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 00:43:27
>>235 小早川は元々東軍の意識だったからだよ。さっさと山を降りなかったのは
眼下の宇喜田、大谷が優勢だったから。
まあ、家康の鉄砲が裏目に出て、いまさら東軍に加担しても後で怒りを買うだけ
って小早川が計算すれば西軍に勝機はあったかも
>>234 いいですねo(^-^)o
少しでも勝つ確率をあげるために勉強と工作が必要だな。
でも、自分小学生の頃からインサイダー取引に興味があったんですよ
こっちも捨てがたい(^^ゞ
>>238 恩だけが理由だったと?
自分が鍵だと知った瞬間に恩を基準にした?
243 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 00:47:18
まあ家康の本隊が3万いたとしても徳川主力で無かったことは間違いない
もし小早川が宇喜田、大谷と共に攻めかかれば撤退を強いられる状況くらいには
なっただろう。しかし、その場合でも毛利が動かないと家康の首がとれず
結局第2関が原が起きて東軍の勝利になる
>>241 どんな大穴でも一千万も投入したら大穴じゃなくなると思われ。
どっちでもいいから、ぐずぐず言ってないで実行すべし
246 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 00:52:47
仮に小早川が動かなかったら東軍はその日のうちに西軍を攻めきることはできず
夜になり両軍とも撤退。次の日まで西軍が東軍の攻撃に耐えることができたなら
大津攻めの軍勢が到着し毛利の旗が立って南宮山が動く可能性はある
やはり家康は小早川の裏切りが必要だった
>>242 訂正:恩義→三成嫌い・家康ちょっと頼れるかも
色々考えたけど、やっぱ三成嫌いだから...
〜〜だけで物事を決めることはなくても、決め手の要素にはなるんじゃぁないですか?
>>244 人生そんな甘かないですよね(..;)
>>225 勝てば必ず三億以上稼げるという確信がもてれば行動に移る
>>246 つまり家康はギャンブルするしか方法がなくなったということか?
で、失敗した場合は敗北?
>>247 つまり大した理由はないけど、嫌いだったからということか?w
>>251 超能力鍛えれば勝てるかな?
霊能力は少しあるけどあんま役に立たないんだよね
予知夢で三年後くらいの予知ができても正確な日にちわからないし
ん、DQNって何ですか?
>>252 じゃあなんで決定的と思われる瞬間でも進んで動かなかったのか?
255 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 01:13:13
>>249 ギャンブルじゃなかったら鉄砲を撃ちかけたりせんでしょ
やっぱあれは歴史を変えた寝返りでしょ
仮に長期戦に持ち込めたら大津攻めの軍勢のほうが秀忠軍より早く到着する分
西軍に分がある。さすがに戦いの最中に援軍として駆けつけるなら
立花への義理もあるし毛利軍も日和見しないでしょ。そうなれば南宮山も動かざるを
えなくなるわけで。西軍有利となれば小早川も
256 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 01:17:04
ただその場合でも東軍が死力を尽くして石田隊の攻略に成功すれば
東軍勝利となるのも確か
しかしあの日の三成の奮戦ぶりを見ればあるいは援軍が来るまで持ちこたえたかも
裏切り直前は三成の部隊も黒田らを相当押し返していたらしいし
>>254 なんでかな?
迷ってたとしか言えないです
誰か弁護頼みます
>>255 ギャンブルしか方法がなくなって失敗したら負けたかもしれないということ?
262 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 01:23:36
>>260 客観的に状況を判断すればそうなる。あそこまでそうでなかったら
イライラせんでしょ
>>255 戦いの最中でなければ、毛利は動かないかも知れない
あるいは戦いの最中でも本隊の方へ移動して行くかも知れない
そうなると立花らだけで東軍を切り崩せるかというとわからない
>>262 イライラは関係ないでしょ
そうなるとギャンブルに賭けるしかないほど家康は追い込まれていたと?
でしなくてもいいのについ撃ってしまったと?
265 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 01:27:35
実際西軍の防衛陣地は援軍を待っていた節があるし
小早川さえ日和見を続けてくれれば毛利の旗が関が原主戦場に立っていたのに
西軍が防衛主体であったことは確かだな
267 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 01:29:57
>>263 吉川は大津の軍勢まで日和見させる力はないでしょ。大津を落としたことで
元康らに退路はなかっただろうし。実際大阪城篭城を最も強硬に主張してるし
ギャンブルをしないと勝てないところまで追い込まれていたのは事実でしょ
>>267 吉川に力があったのは事実
大津ぐらいであれば、まだ何とかなった
つまり撃たなくても負けなので最後の賭けに家康はでるしかなかった?
269 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 01:34:14
仮にこの後に及んで元康らが日和見するなら西軍はどうあがいても勝ち目はない
そのうち秀忠軍が到着し東軍有利と見た毛利、小早川が完全に東軍に寝返り
西軍は崩壊する。
>>260 賭にでるほど家康が追い詰められた状況ではあったと思う。
誤算が
・三成勢の動員兵力の多さ
・秀忠の遅参
・突然の戦闘開始
当初の予想よりもだいぶ余裕がない状況だったのは確か
それに早いとこ勝負がつかないと敵の援軍がばんばんくるわけで
長期戦になった場合、敵援軍と秀忠の到着の早さ・陣営維持費の問題
こっちのほうが危険な賭だから
小早川を脅すかたちで賭けにでたんじゃないか?
>>267 では西軍の勝利であったのに、なぜ小早川は西軍を攻めたのか?
272 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 01:37:02
>>268 ただ位置的に吉川の指令が元康らに届いたとしてもそれを聞いたとは
思えんのだが
人間、やっぱ今まで一緒に戦ってきた立花への義理を優先するんじゃないのか?
273 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 01:37:39
家康の3万のうち訓練をうけた戦闘部隊はたったの6千、
あとは飯炊きとか雑用人だよ・・・。
これはなぜか?というと最初から秀忠軍と合流する予定だったから
まあ結果として家康は自分の直属の家来を犠牲にせずに済んだのだ!
(伊井直正を除く)
>>270 兵力の多さは事前にわかっている
遅参は来ないのはわかっている
戦闘を強要したのは家康
維持は西軍も大変だった
米は東軍の方が余裕だった
従って、これらは理由にならない
275 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 01:40:25
>>271 まあ家康の怒りに反発するのではなく怯えてしまったというのが真相だろう
小早川の選択が日本史を変えた
>>272 ただ当時の軍隊は家単位で戦うのが原則
主戦派の安国寺でさえ吉川と肩を並べている
>>275 西軍が勝つのであれば怯える必要はなかったが
>>271 この疑問を解決したいですよね
・東軍不利とみて西軍裏切り
・東軍有利とみて西軍裏切り
この問題と
前者ならば何故東軍に味方するのかって言う問題
振り出しに戻る
>>258
279 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 01:45:40
>>276 毛利の場合は結束力がいまいちで各人がバラバラな対応をしていたらしいからねえ
目の前で戦いが繰り広げられているのに日和見を決め込んでいる南宮山まで
わざわざ行くとは思えんのだが。
それにそもそも毛利軍も大津攻めと伊勢街道と別の進路を取っている
>>275 つまり家康は策も何もなくなってギャンブルするだけの無能さだったが
それ以上に秀秋が無能であったために、助かったというのが真相か?
>>279 各人バラバラなのはそうかもしれないが
なぜ主戦派の安国寺が東軍派(静観派)と同道しているのか
目の前で戦いが繰り広げられていても動かないものもいる
282 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 01:50:31
まあ小早川が援軍を含めどこまで状況を把握しているかにもよるな
単純に目の前の戦闘を見れば西軍優勢、しかし家康直属の部隊は残っている
という状況で迷いに迷った末の結論だっただろう
283 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 01:53:21
>>281 元康と秀包の意思が完全に一致しない限り日和見をしても無意味だよ
一人でも毛利一族が決戦場で西軍に加担してしまえばその意味は極めて大きい
そうなれば秀元も吉川を踏み潰してでも戦場に出ようとするでしょ
>>273 しかも井伊って大半は旧武田家臣団だよね
>>274 予想は関東に下って三成を挑発した時点の予想
岐阜についた頃には秀忠こなくて相当焦ってたんじゃないでしょか
近畿が三成勢に完全制圧されては三成万全の体制で、あっちから攻めてくるかもしれない
秀忠が来る前に攻められては厄介
関ヶ原での決戦は家康の誤算であり五分五分の勝負だったんじゃないかな
西軍の兵糧事情に詳しい方、情報お願いします
285 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 01:56:06
まあ要するに家康としてはやっぱ大津の軍を含め毛利の動向がはっきりしない
というより敵になる可能性が高いと見たから小早川を寝返らせる必要に
迫られたわけでしょ
>>283 その場合でも、家康が他の動きをどう取るかだな
秀元は史実で踏みつぶそうと思えば踏みつぶせたが、現実に味方で
しかも上席を潰すのはそう簡単ではない
吉川の意向がどう通じるかということになる
無視するのかもしれないが
>>285 で、失敗して敗北しても、しょうがないということだったんだろうか?
288 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 01:58:49
>>284 だから家康の本心は垂井での毛利軍の寝返りを見込んだ決戦だったんだってば
関が原に決戦場がなったことで毛利軍は良くて日和見、悪けりゃ攻め込んでくる
>>284 岐阜から決戦前日までは相当事情が違うのだが?
>>288 毛利の裏切りを見込んで って、どのくらい当てにしてたのかな
>>289 どんな事情だったんっすか、イマイチ整理できない
というか寝ます
また明日〜♪
291 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 02:05:50
>>286 毛利輝元の意向なら聞いたかもしれんが同格の吉川くらいなら無視する
可能性の方が高い。毛利秀包なんて独立した大名だし
>>290 まあよく読んで見れ
理解できないかも知れないが
その場合は質問しろ
>>291 さすがに同格と言うことはないだろ
下手すれば輝元より上だ
秀包は、本家とは関係ないんだっけ?
確か三成が増田に宛てた手紙に「近くに田畑があるから、刈り取ってくればいいのに誰も行かないから
佐和山城から兵糧を運んで云々」とかいう愚痴が書いてあったやうな……
まぁ戦争は基本的に博打ですよと
296 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 02:12:11
>>290 吉川とのやりとりで寝返りの約束まで残っているが
戦場が関が原になったことで味方することはできなくなったという記録も
残っている。吉川と福原が東軍に通じているなら毛利軍全体も東軍有利と
見れば寝返ったでしょう
297 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 02:15:57
毛利秀包は立花の横当たりに領地を持つ独立した大名だったよ
最も毛利一族の意識はあっただろうが。戦後は大津攻めの罪を問われて
改易され毛利家本家預かりになっている
298 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 02:36:36
松尾山と南宮山の動きは全く独立していたのだろうか?
輝元に対して臣下の礼とってるから独立とは言えんだろ
300 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 03:15:09
300
301 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 03:24:44
実際6千というのはここで見るソースなんでなんとも言えないが、
家康は前線近くに本陣を動かしているぞ(陣場野)。
それも精々石田の前線1km付近に。
午前10時だから戦もたけなわな頃だ。
3万の大軍持ってる奴が、そんなに近くに本陣張るのか?
って言う疑問はある。
普通は、1万位の兵力投入を先に行うだろう。
家康自身が前線に出て督戦するなんてちょっとおかしい。
ついでに、3万だから毛利は動かなかったっていうけど、
1万の軍勢あっておまけに地理的に上位で相手の後方
遮断できる位置にあれば普通は
動くぜ・・・そもそも狼煙はその合図だろ?
家康も毛利用にいた軍勢を置いたの忘れていないか?
ハナッカラやる気なしなだけだ。
小早川最強伝説
だって普通じゃないし
密約交わしてるし
305 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 09:21:50
これだけ憶測をいろいろ呼ぶのは毛利秀元のやる気があったのか鼻から広家と
同様東軍に通じていたのかが分からないことにある。
輝元の出馬に広家だけでなく秀元も反対だったという説もあるし
306 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 09:38:45
仮に家康に3万精鋭がいたとしてもあの地形では小早川の寝返りがないと
どこかを集中攻略して陣形に穴をあけない限り攻めきるのは難しい。
一番のねらい目は小西でここに予備兵力の全てを投入して敗走に追い込めば
三成を包囲殲滅できる。小早川が動かなければ家康はこれぐらいのことには
気づいただろう
307 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 10:15:14
西軍は大津城を無視してでも、関が原での短期決戦に挑んだほうが良かったのでは?
308 :
藤巻:05/01/25 10:24:33
>>307 結果からみたらそうだけど。
立花らにしてみれば、あと一押しで落ちる城を打ち棄てて、向かうわけにはいくまいよ。
短期決戦で終わるとその時はわからなかったわけだし。
秀忠みたいに、城を結局あきらめて、のこのこ行ってみたら自軍が勝利して手柄まったくなしということにもなりかねない。
実際関ヶ原に行ったことある人 ノシ
あんなところに20万もの軍勢が布陣、展開して実際に激突したなんて・・・っていう
狭さだよ。だから主力の前線でのせめぎ合いがそのまま勝敗に直結する地形。
家康が前に出たのも鉄砲打ちかけたのもどう考えても賭け。百戦錬磨の家康だか
ら勝敗の機微を知り尽くしての賭けだが、やっぱりギャンブルはギャンブル。実際
主力は毛利への備えで動かせないし、秀忠軍はそもそも軍費不足で真田の妨害
がなくてもどうしようもなかったから除外。つまりもともと自前の軍費や補給で戦っ
ていたのではない家康にとっては持久戦はすなわち壊滅を意味する。
だからここで死なずとも敗北は必定、ということが前線近くに出た動機だよ。
310 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 10:43:18
>>308 結果論でいえば、立花らが大津城を素通りして関が原に向かってくれていたら
西軍のほうが優勢に戦えたわけですね?
311 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 10:45:45
家康本隊の兵力3万というのは公称に過ぎず、実数は1万だったという説もあるよ
312 :
藤巻:05/01/25 10:56:12
>>303 >小早川最強伝説
ってまた意味不明な一行レスですね。
まあ、あながち嘘ではないかも。まあ妄想シュミレート↓
史実では小勢の大谷軍に一時押し戻されている弱小ぶりだけど、それは裏切り行為による軍全体の士気低下に起因するものかと。
ようするに小早川軍の「全体」は寸前まで裏切りを知らされてなかった。「えぇ!西軍攻めるの?」てなもんで。
いままでの戦闘モードはリセット、しかも裏切りもんとして、これから戦わなければならない。これで士気があがろうはずもない。
もし西軍として戦っていたら、いままで待機していた分、矢が放たれたように出撃し、士気も百倍、松野主馬を筆頭に多いに奮闘したかも。
福島、藤堂隊の横腹つき潰乱させ、家康三万と対峙。
家康の性格からいって、この三万を出撃させるか?
いやさせない。後詰めがもうないのに、そんな愚は犯さない。防戦するだろう。そして防戦させるにはもうひとつ理由があった。
南宮山である。
すぐに下山できる位置ではないが、両川家の内、小早川がうごいたのだから、吉川(毛利)が動いてもおかしくない。
遅レス
>>163 >>167 島津は伊集院忠棟・忠真(←三成と親交があったとも)討ちの一件で
家康の世話になってるし、当初は東軍じゃないのかな。
>>182 伊藤盛正
314 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 11:36:19
島津は大坂に残っていたからそのまま西軍になったのじゃないのか?
同じように家康についていったらそのまま東軍になってしまったと
いうのもいるだろう。
大半の大名は付和雷同でなったのにすぎず、戦局次第でいつでも
寝返ろうとしていたが1日で決着がついてしまったというのが
真実じゃないだろうか?
小早川最強伝説
316 :
藤巻:05/01/25 12:20:30
>>312の続き
吉川(毛利)も動いてもおかしくない、と家康は考えるはず。ここで小早川にぶつかっていき、毛利に退路を断たれる可能性もある。
しかも虎の子の三万ではなく小身旗本の寄せ集めの三万、小早川とぶつかって勝てるかもしれないが、膠着する恐れもある。
こうなると、一日では終わらなくなり、お互い後詰め待ちになる。
さんざん待ちのスタンスを守ってきたのについ一発の賭けに出てしまったんだから、
家康にしたら焦りまくっただろうね。だから大軍を毛利に貼り付けたのは最後の保険
で、流石に首を取られるのは避けたい家康にとっては絶対に動かせなかった。
ともかくも東海道以東に逃げられれば捲土重来を期すことも出来る。
318 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 13:26:25
西軍が勝つにはどうしてもこの関が原で家康の首を取らなければならない。
そうでなければ複雑な内部抗争にいずれつけこまれる
319 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 13:31:30
>>317 しかし、秀忠の援軍が到着するのを待つ余裕は無かったはず
立花らが先に到着すれば、余計に不利になるからね
320 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 13:34:52
小早川が西軍に着いたら東軍の側面をつく形になり西軍有利は疑いないため
吉川が日和見を続けるのは難しい。こうなると大津の軍勢の到着を待つまでもなく
東軍の壊滅は時間の問題
321 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 13:38:10
元々関が原は三成が日和見の続出している西軍の有機的結合を蘇らせるための
最後の賭けだった。
322 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 13:54:15
立花らが関が原に到着していたら、西軍の勝ちだった
323 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 14:04:41
宗・茂・!、宗・茂・!
325 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 14:08:36
>>322 ただし元康と秀包が日和見しなければという条件がつくが
まあ戦意に燃える軍勢だったらしいし決戦場を前にして突然日和見というのは
考えにくいが。
そうなると秀元は吉川を説得するか蹴散らして家康を攻撃しただろうし
小早川まで西軍につくとなると秀忠が到着するまで防戦できないだろう
326 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 14:12:14
いろんな条件を統合するといかに西軍が有利だったかが浮き彫りになってくる
というよりたらればがあまりにも多すぎて東軍が勝ったのは何かの間違い
じゃないかと思えてくる
327 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 14:15:40
赤座や朽木、脇坂、小川もそんときゃ西軍ですしね。
328 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 14:17:17
そうなりゃ島津もいいかげんに、うごかなあかんし。
>>326 もし西軍勝利だったら
たらればが多すぎてなんで西軍が勝ったかわからない
とか言われてたんだろな
五分五分の勝負が1日で終わったからなんだね
330 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 14:23:24
西軍首脳が小早川に味方にならなくてもいいから敵にならないでくれと懇願していれば
小早川が日和見を続け、東軍攻めきれず、西軍援軍到着。毛利の旗が関が原に立って
東軍への攻勢開始。秀元、吉川を攻撃、長曽可部らとともに山を下る。小早川西軍に加担
家康撤退。これが一番ありそうなシナリオか
331 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 14:30:46
その後家康は三河で防戦。西軍を迎え撃ち、ゲリラ戦で激しく抵抗し撃退に成功。
政治工作で西軍諸大名を切り崩し、第2次関が原で勝利。
うーんやっぱ結論は家康の天下になってしまう。関東に押し込めるならともかく
東海道が家康の勢力下に入る限り関が原で勝っても首を取らない限りその後の
展望が開けない。
332 :
秀元:05/01/25 14:39:11
いやほんと、弁当が美味くてさ。
第二次関ヶ原の前に正宗が動くはず!!
やっぱり福島ら、秀吉の備蓄を東軍につかっちまった馬鹿子飼いどもが
元凶だね。そもそもみんなが日和り出したのも、親衛隊の加藤や福島、
黒田、浅野らが裏切ったからだし。
335 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 16:30:33
秀包と広家は子供時代は秀吉の人質として大坂にいたのに広家の豊臣嫌い
はなぜ?
秀包は大友宗麟の娘を秀吉の養女として婚姻して小早川の養子として独立
した大名の扱いを受けているのに、広家はあくまで毛利の中の一部として
しか認められてないからか、父親の秀吉嫌いが移ったのもあるかもしれないが。
336 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 17:05:29
小早川は軍事の天才だ
西軍・東軍の朝からの戦闘で疲弊したところで。
フレッシュで体力全快で部隊の能力をフルに発揮して
敵の急所を衝いている。
ただ、大名として、政治的にはゼロ点
>>305 秀元は、やる気があっただろう
ただそれこそ身を張って止める上席を文字通り踏みつぶしてまでは
動くことはできなかった
それは根性なしの安国寺の動きを見ても判るように毛利の限界であったのではないか
小早川に石田が鉄砲を撃てば勝っていた!
鉄砲を撃てなかった西軍が負けるのは必定
>>334 やはり三成が元凶
しかし三成以外では関ヶ原は発生しない
家康のシナリオ通りに進んだ
途中で役者が演じないのでゲキが飛んだが
341 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 17:53:19
毛利秀元が吉川広家より麓(前方)に布陣できなかったのが敗因かな
>>341 広家は指導的立場にいた
広家が秀元を上に追い込んだはずだ
>>321 三成も完全なあほではないから、自軍の状態をある程度認識していた
賭けは予想通り失敗した
しかし三成は賭けをしたとは思っておらず、最善手を選択したと思っていたのではないか
家康は保険を何重かかけた上で、「死地」に向かい、「無謀な」賭けをして
鮮やかに勝利した
344 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 18:23:30
伊藤盛正は織田信高、岸田忠氏、豊臣氏旗本とともに石田三成の隣に布陣してるけど戦闘に参加したの?
345 :
藤巻:05/01/25 18:35:54
秀吉の旗本?七手組なら速水以外はクズ。
しかも彼らは日露戦争における近衛兵的存在。容易に戦闘に加わるまいよ。
346 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 18:41:40
小早川秀秋が寝返った直後に、立花らが到着していたら?
>>344 詳細は知らないが、豊臣の一部が参戦したようだ
>>346 小早川+4将をを迎撃できるのであれば、押しとどめれたかも
しかし位置的にいって、崩れた後に参戦する可能性が高い
石田が崩れたら毛利も敗走するだろうから、いくら立花でも多勢に無勢
349 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 19:08:44
小早川秀秋の寝返り直後に、もし・・・
南宮山の東軍が裏切って、毛利秀元らと連携して家康の本隊を後ろから襲えば?
織田信高ってのはほんとに関ヶ原にいたのか?
その後高家になったんだけど。いたとしても実際の戦闘には加わっていないかも。
351 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 21:07:59
南宮山の東軍が寝返るとしたら西軍全ての部隊が出動し、優勢を決定的にしてから
でないと無理。家康の天下が引っくり返るとしたらまさにこの部隊が西軍に着いて
退路を遮断したとき。そうなればさすがに家康の首を取れた可能性が高い
352 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 21:12:28
>>351 立花らが到着していたら、その可能性が高かった?
353 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 21:22:16
立花らが到着していたら西軍勝利は濃厚だが家康の首が取れたかどうかまでは何とも
浅野らが果たして家康に牙を向くのか、単に敗走するだけなのかは何とも?
毛利らが浅野らを攻撃していたらこの可能性は0になってしまうし
南宮山方面の浅野や池田は、他の豊臣恩顧大名に比べて
特に家康寄りな立場な人々だから、家康に牙を向くとは思えないな。
彼らが毛利の攻めをしのいでいるうちに、家康がすたこらさっさと逃げるという
シナリオは大いにありうる。
355 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 22:34:01
浅野家こそ本当の意味での豊臣恩顧だよね。北政所の実家だし
純粋の豊臣恩顧の中で江戸末期まで生き残った唯一の大大名かな
浅野長政は前田利長や大野治長らとともに、家康暗殺を企てるほどの気骨のある人物だ。
残念ながら事は露見し、結果的に前田家は家康に完全に屈服、
家康の優位は決定的なものになってしまった、本当に残念なことだ。
ちなみに、長政はその後なぜか家康に信頼され、浅野家は関ヶ原後大いに加増されたが、
それは何も関係ない、全く別の話だ。
伊達・最上が西軍に付けは秀康軍に割く兵数が多いから変わるはず。
まあやっぱり3万の直属軍がいるというのが大きいので
大敗することはまず考えられない
それに忠勝も直政もいるしな
盤石だ
359 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 23:05:59
伊達、最上が豊臣のために働くとは思えんよ。特に最上は娘を殺された件で恨み
があるし伊達も領土を削減されたいわくがある。勝敗がはっきりしない間は
上杉と抗争を続けるものと思われる。
>>356 >浅野長政は前田利長や大野治長らとともに、家康暗殺を企てるほどの気骨のある人物だ。
>残念ながら事は露見し、結果的に前田家は家康に完全に屈服、
それってただの家康の言いがかりでしょ。本当に浅野長政や前田利長が
家康暗殺を企むはずないじゃん。
>>357 伊達と最上は対上杉戦の状況が余程不利にならない限り、西軍には付かないだろう。
伊達は米沢や会津を回復したいし、最上は庄内を取り返したい。
家康が本当にやばくなるとすれば
関ヶ原の徳川系以外の東軍が全部寝返った場合
しかしこの仮定はちょっと・・・・
それは言いすぎだろ
忠勝は、そこらの大大名以上の指揮能力があるだろう
3万程度でも可能だろう
しかし扱いやすいのは5000くらいか
364 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 23:23:19
まあ、もう一つ可能性があるとすれば毛利輝元に隠された天下人の素質があって
西軍勝利の後の内部抗争を完全に封じ込めることに成功すればあるいは家康と
有利な条件で和睦することができたかもしれません
366 :
藤巻:05/01/26 00:02:18
>>360 その通り、暗殺計画は家康が前田を落としめる&西の丸に居つくための狂言にすぎないでしょう。
しかし、いつもこの件で納得できないことがあります。
結局、証拠はあがらなかったわけですよね?ただ噂、風聞だけで裁くことがよくできたなあと思います。
家康は証拠を提示しないどころか、逆に「謀反をしてない証拠をみせろ!」と恫喝され、芳春院を江戸に人質に出す始末。
家康が憎くたらしい、というよりも利長の腰抜けぶりに腹が立ちます。
これが小大名なら仕方ないと思うが百万石領有し、職位(大老)も同じ、おまえが屈伏したら誰が豊臣家をまもるんだよ!って。
「百万石の前田が屈伏するならおれら小大名も右に倣うべ」と諸大名は思ったはずです。
つまり、芳春院を江戸に送った時点で天下がきまった。前田のお手柄w
つまり「豊臣家から百万石もらった前田家が保身という、ただそれだけの為に豊臣家を滅ぼし、家康に天下を取らしめた」ということでしょうか?
>>366 保身のためということになるだろうな
ただし仮に逆らったとしても、滅亡するか、領地が減る
しかも必殺技の豊臣領地からの恩賞を出せば、
結局親豊臣勢力の減衰は避けられない
368 :
藤巻:05/01/26 00:19:38
>>367 家康に逆らって前田が勝つという可能性も考えてみましょうよ。
実際どこまでやれただろ、利長・・・。
とりあえず、三成と違って福島らとは仲いいし・・・
利家死去直後で、とても利長君では戦えませんですよ
>>363 本多平八郎は、万単位の人数を軍団の最後部で采配するというより、
最前線で数百〜数千人単位の部隊を自由自在に操らせてこその名将という感じがする。
>>368 うーむ
どう考えても苦しいような
福島が応援したかな?
オレの知る限りでは孤立無援だったが
あるとすれば、最後の段階での助命嘆願
>>370 確かに最前線での指揮になるだろうな
しかし彼ぐらいになれば、数万ぐらい最前線から指揮できるような気がする
もちろんたまに後方に下がりつつだが
合戦図テンプレつくってみた。
一応図を見ながら打ったが結構適当なんで改良ヨロ。
あと部下の武将とか兵数とかも頼みマス
▲笹尾山
■石田光成
■島左近 □黒田長政 □山内一豊
■蒲生郷舎 □細川忠興 □織田有楽斎 □有馬則頼 □浅野幸長 □池田輝政
■島津義弘 □加藤嘉明 □古田重勝
■小西行長 □田中吉政 □金森長近
■宇喜田秀家 □松平忠吉 □生駒一正
□井伊直政 □徳川家康
□藤堂高虎 □本田忠勝 ▲桃配山 ■吉川広家
■大谷吉継 □福島正則
■毛利秀元
■赤座直保 □京極高知 ▲南宮山 ■安国寺恵瓊
■小川佑忠
■朽木元綱
■脇坂安冶 ■長束正家
■小早川秀秋 ■長宗我部盛親
▲松尾山
漏れは後で各武将の位置を変えてIFを考えてみる。
例えば小早川が石田の隣だったらとか・・・
IFは考えんでいいよ。
各武将がそれぞれ考えて、こういう配置になったんだから。
まあ三成もそうしたかっただろうけど、最初に松尾山に陣取ってしまったからね>秀秋
それにしても、どう見ても必勝だよな。小早川どころか、吉川がいないだけでも・・・。
>>375 といっても、霧の深夜に移動だから、どこまで整合性があったかというのは・・・。
しかしそれでも一晩でほとんどニアミスもなしにこんな風になるのは、戦国武将達とはいえ
凄いものがあるね。
赤座、小川、朽木、脇坂なんてしっかり大事な位置をキープしてるし。
福島と宇喜多が移動中にニアミスしてなかったか?
378 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/26 01:37:50
>>375 そうだよなぁ、どう見ても東軍を押しつぶせる陣形だし兵数は書かなかったけど総兵数でも西軍の方が多いんだし
確かに陣形だけで見たら西軍の圧勝にしか見えない。
鶴翼の陣に車懸の陣(してないけどできそう)、川中島みたい。
東軍を囲む陣形とは言うものの、各々が夜間に各自の判断で動いた結果で
連動性とか全くないんだよな・・・
南宮山に敵が居て東軍に裏切るもしくは日和る可能性が無ければ
そもそも家康はここまで中に入りこまないと思う。。
そうじゃなければ三方が原と同じようなことしてることになる
>>371 応援は親族関係のつまり細川とかが
早く降伏しろとか言っている。
そもそも、前田征伐に参加しますよといったのりだったし。
前田の肩持つわけじゃないけど、秀吉所領殆ど
与えてないやん。能登は信長に貰ったし、越前は利家が
自分で切りとった領地。
利家はともかく、利長は義理は殆ど無い。
逆に奇貨として家康に擦り寄った態度は戦国武将らしい。
(それを言ったら浅野もそうだが)
福島もやるならここまでやれよという感じだ。
382 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/26 01:54:50
いや、少なくとも大垣城の部隊には東軍包囲の構想はあったみたいだよ
後はてんでバラバラに配置した結果こうなっただけ。
やっぱ南宮山の部隊は吉川だけじゃなくみんな日和見の気配がある
>>380 東軍総崩れの際は島津が使ったように伊勢街道から逃げられないか?
ひとつ疑問なのは岡山(今は勝山)が大垣城より西にあるのに
なんで東軍の本陣になったのか。
杭瀬川の戦いなんて西に「東軍」、東に「西軍」だし。。
包囲構想ってのは大垣城と東上して来る西軍とで包囲するってことかな
385 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/26 02:13:45
>>384 まあそれもあるけどとにもかくにもバラバラの西軍諸隊の有機的結合を
取り戻すために関が原に布陣して東軍に防衛戦を挑もうとしたということ
もちろん結果的に包囲陣形になるであろうことは西軍首脳も承知していただろう
宇喜田・小西隊のもろさは計算外だったのだろうか?
重臣がいなくなって弱体化が激しいのはわかっていただろうに。
17000 V互角S 6000ってよっぽど福島が強かったのか宇喜田がヘタレだったのか。
387 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/26 02:49:04
宇喜田は松平と井伊に攻撃受けてるから実質は1万7千対1万2千でしょ
388 :
ゆきだるま ◆2eAi0OJQSA :05/01/26 02:55:35
保守
389 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/26 02:59:57
三成が見事だったと思うのはこの陣形を形成したことで日和見〜東軍より
の連中だった南宮山の連中を少なくとも西軍よりには持ってきたということ
小早川も東軍よりが日和見にはなったし
>>386 宇喜多も小西も奮闘したと思うんだけど;;
>>390 したかな?午前中はともかくなんで大谷隊が崩れたら一気に敗走しちゃうんだよ…。
ちょっとは30000対500を見習ってほしい…。
392 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/26 05:18:17
>>386 宇喜多軍はかなり奮戦しているよ。
資料によると福島軍を三度にわたって撃退しているし、
仮に加藤軍などの援助がなければ福島隊は壊滅していたという可能性が高い。
393 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/26 05:26:56
ってかどうして宇喜多隊と福島隊が「一進一退」なんていう法螺が信じられてるんだろ?
福島隊は壊滅とはいえないものの、かなり後退しているし、
宇喜多隊が加藤隊などと交戦中に、やっと陣を立て直した過ぎないのだが・・・。
>>384 伊勢街道を北上してくる毛利勢ら4万の側撃と、呼応した大垣城からの出撃
という不利な形勢で決戦を強要されるのを避けるため
大垣城を西に迂回して赤坂付近の岡山に布陣、じゃなかったっけか。
なるほど、宇喜多隊が脆かったっていうのはすいません、撤回します。
でも小西隊はどうですか?宇喜多隊は大谷隊壊滅の後に側面から金吾との連携で破れたのはわかる。
石田隊は黒田の側面攻撃で島負傷などで最後には敗走したのもわかります。
だがなんで小西隊も…。
396 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/26 10:04:52
小西もあんまりやる気がなくて東軍が攻撃をかけてくるから仕方なく戦っていたらしい
397 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/26 10:17:45
清正が関ケ原にいたら小西も奮闘したかも?
398 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/26 11:00:46
>>345 そういえば大坂の陣でも徳川の旗本が一番弱かったな。
399 :
藤巻:05/01/26 12:15:29
>>398 ああ、たしかに弱かったですね。
なにせ徳川の旗本って1584年の小牧長久手以来、戦闘経験がないですからね。
1615というと・・・実に31年間も戦闘してません。
当然、小牧時の兵は引退したか寿命で死んでますから、45歳ぐらいの壮年兵でも
まさに生まれて一回も戦闘してないことになりますね。
まあ他家も似たようなものですが、関が原を参加してますからいくらか、ましでしょう。
>>376 巻き込まれないけど、戦闘に参加できるパジショニングだね
>>395 大谷も宇喜田も崩れたから、その前面の部隊もすべてが襲いかかってきた
支えられるはずがない
404 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/26 14:16:57
武田や上杉が天下をとれるとか言ってる奴はそろそろ気付いてくれ
少しはゲームや小説に踊らされず、史実に基づいた話をしようぜ
405 :
藤巻:05/01/26 14:17:52
ああ、上田城攻囲軍ね、そうだった。すまんです。
関ケ原本陣の旗本も雌雄が決してから島津軍追っ掛けてましたね、(それが戦かどうか別にして)重ねてすまんです。
家康が本陣を前に出しているので、その時に戦った可能性がある
それから小早川に向けて撃っているw
まあ砲兵でも輜重でも一応は実戦参加ではないか
少なくとも戦場で対峙
誤爆申し訳ない
408 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/26 18:41:22
もし宇喜多と小早川が反対だったら・・・?
▲笹尾山
■石田三成
■島左近 □黒田長政 □山内一豊
■蒲生郷舎 □細川忠興 □織田有楽斎 □有馬則頼 □浅野幸長 □池田輝政
■島津義弘 □加藤嘉明 □古田重勝
■小西行長 □田中吉政 □金森長近
■小早川秀秋 □松平忠吉 □生駒一正
□井伊直政 □徳川家康
□藤堂高虎 □本多忠勝 ▲桃配山 ■吉川広家
■大谷吉継 □福島正則
■毛利秀元
■赤座直保 □京極高知 ▲南宮山 ■安国寺恵瓊
■小川佑忠
■朽木元綱
■脇坂安冶 ■長束正家
■宇喜多秀家 ■長宗我部盛親
▲松尾山
これだけでも、かなり西軍が有利だったかもしれない
小早川じゃ速攻福島に潰される
小早川は西軍を追い出して山に屯ったというに…
そんな、西軍でやる気満々なポジションに布陣するわけ(ry
主力の宇喜田が山に登ってしまっては・・・・
412 :
408:05/01/26 22:36:49
>>409-411 小早川が山に陣取ってしまう前に、先に宇喜多の大軍が山に登ってしまえば
いくら小早川でも宇喜多の大軍は追い出せず、仕方なく中央に布陣することになるはず
この布陣で開戦すれば、小早川は序盤から戦闘に巻き込まれて東軍に寝返る機会を失う
小早川の戦力に大きな期待はできないけど、しかし
東軍に寝返る危険が無くなったことで、西軍が有利な状況になる
宇喜多の布陣が悪くなることを差し引いても、このほうが西軍に有利だったかもしれない
413 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/26 22:49:40
>>412 いや、島津みたいに主戦場になるはずのど真ん中で全然動かずに
ひたすら石田隊が攻められまくって終了になるんじゃないか?
世界有数の呆れた戦いになるかもしれんぞ。
414 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/26 22:50:40
>>413 小早川から攻めなくても、福島あたりが攻めてきたら戦闘は避けられないよ
415 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/26 22:53:19
福島も小早川の件は知ってるだろうから攻撃しないだろ。
知らなかったら史実のように宇喜多に全力投球しないだろうし。
>>412 決戦場に各勢が参集するまでの経緯を、もう一度見直してから
発言してちょ
>>412 プラス分は小早川だが、マイナス分は主力の損失
裏切りでは崩れないが、正面から崩れる
それから開戦直後に寝返るかもしれない
ぶとう派がワラワラ寄ってくるのを見て矛先を転換
弱兵の小早川だが、小西なら戦えるはずだ
数も多いしね
え
419 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/27 00:01:18
420 :
藤巻:05/01/27 00:08:45
小早川がその位置に布陣したということは、心中西軍に身を投じたと考えるより他ない。
関白に釣られてね。
よって小早川は真面目に戦う。宇喜多も松尾山から即出撃。
西軍の勝ちだね。
小早川であれば、威嚇射撃ではすまない、実際の突撃にびびって
すぐさま小西に雪崩れ込む
また裏切り4将は後ろから宇喜田に襲いかかって、西軍は早期崩壊
422 :
藤巻:05/01/27 00:22:57
敵(西軍のど真ん中)に小早川が陣取るわけない。
小早川があの位置で寝返れば、たしかに東軍の勝ちは間違いないでしょう。
しかし戦闘終了後、秀秋以下小早川隊もこの世にはいないでしょう。
早期に寝返ったことにより、かえって加増
三成の正面は3倍の敵
小西は小早川
しかも数的優勢によって側面攻撃可能
小西は小早川+他の東軍に攻め立てられ早期崩壊
大谷と宇喜田を、藤堂・京極・4将・福島で抑え込む
宇喜田は山を移動するので展開がし難い
小早川は健在だし、東軍も史実より損害が少なくなるかも
424 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/27 01:01:04
西軍って負けたら集まって再戦する手はずとか考えてなかったの?
つうかもし西軍が勝った場合、家康は江戸に逃げかえられたの?
いやー、流石にその位置にいて裏切るというのは自軍が真っ先に壊滅するわけで、
ありえないでしょう。西軍陣地は段々狭くなる袋の口だから、敵味方のもの凄い圧力
を受けて午前10時くらいには跡形もない希ガス
それに、当然裏切ってもいいように味方を配置するし、実際小早川の裏切りだけでは
勝敗が決しなかったように、実はかなりの弱兵だった可能性もあるので。横腹から突
っ込まれるような精神的ダメージはむしろ少ないと思う。
島津の場合は少数だからこそこそ逃げ出せたわけで。
426 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/27 01:24:13
もし先に宇喜多が山に登っていれば、小早川は宇喜多を追い出せなかったと思う?
427 :
藤巻:05/01/27 01:58:24
それはそうおもいます。
秀家も秀吉の養子、なんといっても動員兵数でも勝っているし。
中央に陣を張るくらいなら、戦場からはずれてでも日和見できる場所を捜すのでは?
429 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/27 03:06:12
仮に小早川が松尾山にいなければ関が原開戦となればこれまた西軍有利になった
可能性が高い。東軍はあの兵力では高台に陣取る西軍を攻めきれまい。
if前提にすりゃ有利に決まってるだろ
431 :
ゆきだるま ◆2eAi0OJQSA :05/01/27 11:45:56
(゚ε゚)キニシナイ!!
高台に主力が登れば、主戦線は薄くなる
早期崩壊に繋がるかも
良くも悪くも、戦術的にはベストの布陣ではないか
433 :
ゆきだるま ◆2eAi0OJQSA :05/01/27 12:27:26
(゚ε゚)キニシナイ!!
434 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/27 13:09:01
ゆきだるまさん、わかったからカキコするなら真面目にね。(^-^)
真面目に話してるんだから、ルールを守ってくれなきゃ・・・(・・;
435 :
ゆきだるま ◆2eAi0OJQSA :05/01/27 14:13:38
(゚ε゚)キニシナイ!!
436 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/27 14:18:19
面白くないからやめれ
キニシナイとか言うなよ
437 :
ゆきだるま ◆2eAi0OJQSA :05/01/27 17:07:44
(゚ε゚)キニシナイ!!
438 :
藤巻:05/01/27 17:11:56
あ〜あ、荒らし始めたよ・・・・
みっともないからやめたほうがいいですよ。
439 :
ゆきだるま ◆2eAi0OJQSA :05/01/27 17:31:03
(゚ε゚)キニシナイ!!
小早川最強伝説
440 :
ゆきだるま ◆2eAi0OJQSA :05/01/27 18:16:39
(´3`)〜♪
441 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/27 18:41:37
毛利輝元が出陣、かつ大津城攻略隊が到着・・・
▲笹尾山
■毛利輝元
■石田三成
■島左近 □黒田長政 □山内一豊
■蒲生郷舎 □細川忠興 □織田有楽斎 □有馬則頼 □浅野幸長 □池田輝政
■島津義弘 □加藤嘉明 □古田重勝
■小西行長 □田中吉政 □金森長近
■宇喜多秀家 □松平忠吉 □生駒一正
□井伊直政 □徳川家康
□藤堂高虎 □本多忠勝 ▲桃配山 ■吉川広家
■大谷吉継 □福島正則
■毛利秀元
■毛利元康 ■毛利秀包
■筑紫広門 ■立花宗茂
■赤座直保 □京極高知 ▲南宮山 ■安国寺恵瓊
■小川佑忠
■朽木元綱
■脇坂安冶 ■長束正家
■小早川秀秋 ■長宗我部盛親
▲松尾山
これで開戦すれば、序盤から西軍が圧倒的優勢かな?
442 :
ゆきだるま ◆2eAi0OJQSA :05/01/27 18:45:05
(´3`)しらな〜い♪
良くお似合いだよ。
444 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/27 19:46:10
惨めな奴が一人
445 :
ゆきだるま ◆2eAi0OJQSA :05/01/27 20:00:09
(゚ε゚)キニシナイ!!
446 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/27 20:07:02
>>441 毛利輝元、毛利元康、毛利秀包、筑紫広門、立花宗茂らが東軍に攻めかかれば
間違いなく西軍が圧勝する・・・
447 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/27 20:28:34
一番のアホは、吉川広家。
東軍が勝ったとき、家康が西軍の大将の毛利の責任を追求しないはずがない。
案の定、毛利は大幅に領土を削られて、中堅の大名に格下げ。
大津組が間に合ったという仮定の上で、
関ヶ原で似たような陣形で戦うことになったなら、
そりゃあ、西軍有利だろう。
449 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/27 20:32:20
もしも吉川広家が東軍に寝返らずに
毛利が戦闘に参加して、東軍が壊滅状態
西軍が圧勝したら、毛利家はどうなっていただろうね?
豊臣政権下で第二の徳川家康みたいな権力をふるっていたのかな?
450 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/27 20:33:52
IF厨は西軍勝利という結論に達したいだけ
ん−、輝元が判断した時期にもよるが合戦だけで考えるなら到着した場合は勝てる可能性は高い、ただ広家が南宮山の諸隊をとどめたなら浅野・山内等の軍勢と旗本を動かして簡単に勝てたとは思えない。
また、時間軸も考えるなら輝元と秀忠の到着はそうズレないはずなので家康が八万対十二万の戦を仕掛けるとは思えない。その場合は大垣、よほど中山道隊が遅いなら岐阜まで下がったでしょう。
ゆえにその戦闘のIFは変要素がありすぎて推測するのは難しいです。
452 :
ゆきだるま ◆2eAi0OJQSA :05/01/27 21:09:46
453 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/27 21:53:26
>>451 家康を油断させて、東軍を関が原に誘い込む方法は無いのか?
454 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/27 22:32:07
455 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/27 22:42:55
456 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/27 22:56:09
ゆきだるまの奴、プライベートでなにかあったなw
(〇^ー)ニヤ
457 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 00:50:14
毛利ですら騙されたのに
淀君は冬の陣で家康信じたのね。。。。
>西軍って負けたら集まって再戦する手はずとか考えてなかったの?
>つうかもし西軍が勝った場合、家康は江戸に逃げかえられたの?
再戦の予定はあったと思うが、大垣の軍勢は僅か一日でアボーン、
以後の主力になる筈の毛利は両川が寝返り済み、
更にこれまで西軍を引っ張って来た石田、大谷、宇喜多あたりが軒並み行方不明か死亡。
これじゃあどうにもならん。
>>453 油断って…、
そもそも東軍の最終目的地は大坂であってそのためには関ヶ原という平野ではなく狭い街道を通らねばならず
西軍はそれを阻止するために大垣城に籠もっていた。西軍は輝元と秀頼の出馬を待っていたんです。
関ヶ原で戦をするなら
関ヶ原・大垣間を前線とした西軍は輝元出馬をきき関ヶ原を合流地として大垣城にしばし籠城の後に西進を計画。
一方、東軍は西軍の輝元合流をおそれて西進の噂と共に小早川・吉川の内通の噂を出す。
これをきいた光成は大垣を捨て、関ヶ原へ布陣。もし噂が本当ならば小早川・吉川により輝元と分断された後に秀忠が到着して逃げ場がなくなるからだ。
東軍は西軍が布陣を終える夜明けと共に西進。家康は輝元の布陣地が光成の後ろ。つまり第二陣にあるのをみて積極的に戦う意志はないと判断。東軍諸隊が布陣する中、旗本衆を桃配山に布陣。
無理があるなぁ…、しかも輝元戦えないし…。
460 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 01:50:49
>>459 輝元が出陣するなら、兵力はどれくらい?
461 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 01:57:04
ななにん
の悪魔超人
遅レスだが、
>373 は、
西軍の陣容が家康のアフォ進撃で真っ二つに分断されているようにしかみえんなぁ…。
包囲陣形なら、長宗我部盛親とかいったいナニやってんだという事に。
本田や徳川の本陣の真南に付かないと意味無い。
光成の本陣が松尾山にあり、笹尾山が左翼、南宮山が右翼で
その間を結ぶ戦線が切れていなければ綺麗な包囲陣だけども。
せっかくの決戦で、戦場の一番端っこに居たら上手く指揮できないでしょー。
>>460 当時のそれぞれの石高から換算するとだいたい100石につき三人の兵士と考えれば毛利輝元は36000人の兵士。
そこから秀元・広家の率いてる18000を引くと18000か。最大でそんなとこ
…引いていいんだよな……。
ちなみに家康は同じ考えをすると75000、さすが五大老筆頭…。
ちなみにこんな感じに、だ
▲笹尾山
■小早川秀秋
■脇坂安冶 □黒田長政 □山内一豊
■朽木元綱 □細川忠興 □織田有楽斎 □有馬則頼 □浅野幸長 □池田輝政
■小川佑忠 □加藤嘉明 □古田重勝
■赤座直保 □田中吉政 □金森長近
■宇喜田秀家 □松平忠吉 □生駒一正
□井伊直政 □徳川家康
□藤堂高虎 □本田忠勝 ▲桃配山 ■吉川広家
■大谷吉継 □福島正則
■毛利秀元
■小西行長 □京極高知 ■安国寺恵瓊▲南宮山
■島津義弘
■蒲生郷舎
■島左近 ■長束正家
■石田光成 ■長宗我部盛親
▲松尾山
コレで秀秋ちゃんが寝返らなければ、どちらかの翼を突破されつつも、
東軍の側面からゴリゴリ行って家康は危険を感じて逃げることになったかもしれない。
しかし秀秋ちゃんを松尾山から笹尾山に移すのは骨だぞ、、、秀元あたりも動かなそうだしね。
465 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 04:19:58
>>463 確かに256万石の徳川家は豊臣家内部でも威容にでかいな。
これが西軍ではなく、東軍に味方する諸将が多い理由でもあるんだけど。
ただ不確定要素としては、
徳川家の場合、北の上杉景勝への睨みの意味で江戸守備隊をおかなくてはならないから
やはり6万程度しか動員はできないね。
(毛利の場合、黒田如水がいるけど、上杉ほどではない)
466 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 07:58:20
家康本隊の3万というのは公称であって、実数は1万だったという説もあるよ
467 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 08:21:46
468 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 08:23:41
469 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 08:27:11
470 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 08:30:07
∧_∧ ∧ ∧ ∧_∧
∩ ・3・)∩∩ ・3・)∩ ∩ ・3・)∩
〉 _ノ ヽ _ノ 〉 _ノ
ノ ノ ノ て ,) ) ノ ノ ノ
し´(_) U´ ヽ⊃ し´(_)
471 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 08:57:30
472 :
藤巻:05/01/28 12:21:25
75000ですか・・・なるほどたしかに圧倒的ですね。
秀吉の死後あからさまに横柄な態度になったのも頷けますね。
あと三成が上方で挙兵したとき、本多正信が「ここは、いったん諸侯を国許に帰して、我々は箱根を固めましょう」
といったのは、言われる程、出鱈目な策でもなかったか。
まあ、やっぱ出鱈目か・・・。そのときは20万ぐらいの西軍があらゆる方向から陸海問わず、江戸を蹂躙するでしょうからね。
473 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 12:37:50
>>472 本多正信って頭が切れる奴だよね。ほんとにそんなこといったの?
石田率いる西軍が、そんなに上手く箱根まで攻め込めるかなぁ…?
それより、西軍の軍勢は一部だけ残して国元へ返して、
上層部だけを大阪城に残して、参勤交代みたいなシステム作れれば
徳川が箱根を固めていても関係なく、日本全体に対する支配権が
固まってい、、
ありえないわ。
>>472 いや結構ありえる策だったかと
まあ結果的には史実ではベストに近い動きになったが
(秀忠の失態は計算外にせよ)
やはり家康恐るべしだし、東軍諸省はやっぱりなと戦後深く思い知ったに違いない
もともと東海道沿いは対家康用の要塞が連綿と連なっていたので、本多の策は当然。
あんなに見事に秀吉の子飼い連中が裏切りきって、それらの物資を使ってくれるとは
流石に想定外で、徳川自身の動かせる現ナマは当時の東国の経済力からして大したこ
とはなかった。それに三成が、毛利を大将に据えてあんな大動員をかけられるとは想定
外で、一方の東軍も実は大義名分のない砂上の楼閣なので、箱根を防衛ラインにする
というのは戦術的にも戦略的にも本筋だと思うよ。
もちろん家康は、長引けば一大老にすぎない立場だし、西軍は本動員をかけて兵力が
倍増するから、北条のように孤軍になってしまうことを良く知っていた。だからせっせと調
略にいそしんだわけだ。
ただし西軍の側にも大義はない
というかむしろ西軍の方にはないと言うべきか
形式上は家康は大老として秀頼の名代として上杉を攻めた
一方三成は謹慎中にも関わらず挙兵した
秀頼が三成を正当と認めれば東軍の大義はなくなるが
そうではないので形式的には東軍が秀頼の軍になる
西軍は反乱軍
豊臣恩顧の武将はそう思ったものもいるだろうし、
家康もそう説明したはずだ
真偽はともかく
474 名前:無名武将@お腹せっぷく :05/01/28 12:49:25
>>472 本多正信って頭が切れる奴だよね。ほんとにそんなこといったの?
バカ発見wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
480 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 15:34:08
>>478 で徳川の賊が将軍になり、秀忠が後継したときには気づいても後の祭りだったってわけだな。
481 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 15:38:32
482 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 15:40:32
483 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 15:41:22
484 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 15:57:34
おやおやバカを指摘されたバカが必死に荒らしてますよ
m9(^д^)プギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
486 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 16:18:41
487 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 16:19:36
488 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 17:42:12
m9(^д^)プギャー
489 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 17:49:00
(^O^)/ぎゃは!まあ、ゆきだるまの出来る抵抗っていったらこのぐらいしかねーもんなw
あのカスのバイブルは原哲夫の「影武者徳川家康」ですw
それ以外、まったく関ケ原を知りませんから!wwwwwwwww
490 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 18:09:24
491 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 18:13:43
人間出来てない奴が一名いますね
ハハハ イキデキネーヨ
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ハライテ- ゲラゲラ
( ´∀`) < わははは ∧_∧ 〃´⌒ヽ モウ カンベン
. ( つ ⊂ ) \_______ (´∀` ,,)、 ( _ ;) シテクダサイ
.) ) ) ○ ∧_∧ ,, へ,, へ⊂), _(∨ ∨ )_ ∧_∧ ○,
(__)_) ⊂ ´⌒つ´∀`)つ (_(__)_丿 し ̄ ̄し ⊂(´∀`⊂ ⌒ヽつ
タッテ ラレネーヨ
ワハハハ ミンナミテクレヨ!!
493 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 18:23:45
見てますがなにか
494 :
ゆきだるま ◆2eAi0OJQSA :05/01/28 18:40:48
誰だ荒らしてんのは。まぁおいらが犯人でいいけどさ。
>>472 幼君秀頼を戴いているという名目がある以上
畿内を放置して自領に籠るというのは、
形勢不利にも見えたりと都合が悪いかと。
>東軍も実は大義名分のない砂上の楼閣
大義名分は東軍も無いけど、家康の権威と実力に縋る連中は多い
太閤薨去〜上杉征伐ぐらいまでの間のいざこざの経緯と登場人物を
見ていたら、それは明々白々かと。
497 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 18:59:11
>>494 おまえ狭いな、器・量・が・!
例え、オマエになりすまし荒らした奴がいたとて、それがなんだというのだ?
それは例えるなら100人のうち97人殺した殺人犯が
「そのうち三人は俺じゃない!だれだ!?三人殺した奴は!!」って悪態ついてるのと変わらんぞ。
てめーを棚にあげて、なにが「まあ俺が犯人でいいけどさ」だ?
あたりまえだ、オマエが全部悪名かぶれよwwwwwwwwww
とにかくそのぐらいの懐の深いところみせろ。
重ねて言う、
狭 い な 、 器 量 が っ w
498 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 19:08:24
ゆきだるま逝けよ
どっちにしろおまいのせいだ
今夜が山田
501 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 21:38:15
やっほ〜! おいらの帰宅だよ!
502 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 21:42:23
503 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 21:43:11
504 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 21:49:15
505 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 21:56:07
(o´3`o)しらな〜い♪
506 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 21:59:15
(゚ε゚)キニシナイ!!
507 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 22:16:06
なんか荒らしが多いな、まぁ話と関係ないからいいけどほどほどに。
>>464 確かに南宮山の南東にいる諸隊が伊勢街道沿いにいればだいぶ西軍有利になると思うが動かないでしょうね。
それと小早川以外に裏切った4将(脇坂・小川等)は大谷の指揮下にあったのでその図の通り間に宇喜田を挟む
という構図はありえませんよ。
だから宇喜田と大谷を入れ替えて仮にそのような陣で構えていたらば東軍はこのように構えると私は予想。
だってこれじゃ浅野・池田隊がなんのためにいるのかわからんしw
▲笹尾山
■小早川秀秋
■脇坂安冶
■朽木元綱 □黒田長政
■小川佑忠 □金森長近 □織田有楽斎
■赤座直保 □田中吉政
■大谷吉継 □松平忠吉 □池田輝政
□井伊直政 □徳川家康
□藤堂高虎 □本田忠勝 ▲桃配山 ■吉川広家
■宇喜田秀家 □福島正則 □古田重勝
□細川忠興 ■毛利秀元
■小西行長 □京極高知 □生駒一正 ■安国寺恵瓊▲南宮山
■島津義弘 □山内一豊 □有馬則頼
■蒲生郷舎 □浅野幸長
■島左近 □加藤嘉明 ■長束正家
■石田光成 ■長宗我部盛親
▲松尾山
あとはやはり裏切り・傍観組の動き次第だなぁ。
508 :
ゆきだるま ◆2eAi0OJQSA :05/01/28 22:45:46
だから小早川を西軍に入れんなや。
509 :
そよかぜ君:05/01/29 00:08:29
510 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 00:24:03
小早川秀秋は、最初から東軍だったという説もあるよ
▲笹尾山
■石田三成
■島左近 □黒田長政 □山内一豊
■蒲生郷舎 □細川忠興 □織田有楽斎 □有馬則頼 □浅野幸長 □池田輝政
■島津義弘 □加藤嘉明 □古田重勝
■小西行長 □田中吉政 □金森長近
■宇喜多秀家 □松平忠吉 □生駒一正
□井伊直政 □徳川家康
□藤堂高虎 □本多忠勝 ▲桃配山 ■吉川広家
■大谷吉継 □福島正則
■毛利秀元
□赤座直保 □京極高知 ▲南宮山 ■安国寺恵瓊
□小川佑忠
□朽木元綱
□脇坂安冶 ■長束正家
□小早川秀秋 ■長宗我部盛親
▲松尾山
実際に小早川秀秋は東軍に寝返ってるから、これが実質の戦力分布を示しているはず
511 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 01:43:13
>>510を見ると西軍壊滅は必定だな。
最大の功労者はねだな。
実質なら動かなかった吉川以下を消さないと。
勝てねぇ……
ねねって東軍よりだっていうけどさ、浅野と小早川一族以外
木下一族って西軍参加なんだよね・・・。おまけに大坂の陣
でも、落城まで付き合ってるのいるし。
ねねの東軍よりの情報って明確な書状であってっけ?
家康の諜報で東軍よりだって誤解されたんじゃねーか?
>>508 なんかおまえって何やらせても中途半端だよな
たいしたこと言えねーし、だからっておもしろいことも言えねーし
実際に周りから空気読めないとか使えないやつって思われてるだろ?
まあプギャーってレスつけるのが精一杯だろ
今までは居ても居なくても同じだと思ってたけど、もはや居ない方がマシだと思う
515 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 02:49:29
>>510 酷いな・・・
まともな戦力って石田家と宇喜多家だけじゃん。
>>462 確か、小早川が松尾山に入ったの見て両軍が関ヶ原に着陣したんだよな。
そこで石田が先に松尾山に入ったりすると、家康悠々と大垣攻め始めそうな気がするんだが。
ねねは実のところは東軍よりと言う証拠は乏しい。というか、はっきりとはない。
むしろ
>>514のいう部分や、三成との関係など、西軍より。
518 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 07:49:34
元々、家康も西上作戦に乗り気でなかったらしい。
小山で福島が暴走して、豊臣系大名を煽ってしまい(人質救出、秀頼
奪還)家康が押さえられる状況ではなくなり、成り行きで上洛作戦に
なってしまった。
九月十四日の作戦会議では池田輝政、井伊直政の大垣城攻略派と
福島正則、本多忠勝の大坂直撃派のまっぷたつに分かれて家康の
裁量で大坂直撃が決まったという。その後、福島正則と京極高知
が家康の元を訪れ、大津救援の狼煙を上げること許可して貰い、
京極高知の家臣が、長浜から狼煙を上げた。(悪天候のため、大津
では確認できなかった)
東軍の西軍を後方に残しての無謀な前進は、落城間近の大津を早く
救援したいとする、福島、京極たちの焦りの現れなのではないか。
521 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 12:34:56
>>520 西軍の主力が無傷なのに大津城救援なんて作戦があるわけないだろ。
大津城を取り巻いてる西軍だって少なくないぞ。
だいたい大坂直撃作戦ってなんなんだ?
難攻不落の大坂城には毛利本体だって居るのに・・・
だいたい豊臣恩顧の大名だらけなのに秀頼の居る城に責めるかっての。
>>521 いや、主力を叩いた上での救援だろう?
実際大津城があと一日持っていれば救援は成功したはずだぞ。
523 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 13:54:24
>>522 大津城に固執したのは、西軍の大きな敗因の一つだと思うけど・・・
>>523 しかし、大津城は大坂―京―東国へと繋がる近江路を扼している。
これを背後においたままの方が危険。
失敗というなら、丹後の細川幽斎を攻撃したのが兵力の無駄だと思う。
525 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 14:40:00
>>524 >丹後の細川幽斎を攻撃したのが兵力の無駄
勝ったけど、もともと攻撃するのが間違いだったということ?
>>524 宮津城を囲ってた西軍は落とさなくても抑えの兵だけ残して
関が原へ向かうべきだった。
>>522 西軍のあれだけの大軍を半日で壊滅できるなんて
戦前に予想できただろうか?
宮津城→×
大津城→○
>>526 予想も何もそのつもりだっただろう。
そうでないなら、わざわざあんな地形のところに布陣するなんてただのアホだぞ。
あの地勢でそのまま持久戦になったらどうするよ。
529 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 15:04:38
まず福島・池田らの暴走部隊が美濃に侵入した時点でそいつらだけを
動員可能な西軍全部でボコボコにしてやれば
各個撃破状態にできたんじゃないか?
それはそうだがその時点では兵力が全然足りない
まあ三成単独でそれをやれていたら緒戦で神になれただろうが
>>529 動員可能な西軍ではそいつらだけすらボコボコには出来ない。
関ヶ原の戦いで西軍が兵力的に優勢になっていたのは(少なくとも当初は)、
小早川や毛利の部隊を西軍に数えるからで、
既に内通していた小早川や同じく内通の吉川に押さえられた毛利が、
わざわざ岐阜城あたりまで兵を出すわけはない。
つまり、西軍が先制攻撃をする為には、そいつらを除いた部隊でやるしかないが、
それでは東軍の先発隊を叩くだけでも十分な兵力ではない。
福島、京極が北国街道の石田を攻撃しに行かず、東山道の宇喜多、大谷
に対して、何度も撃退されながら、執念深く突撃を繰り返したのは、
西軍と戦っていたのではなく、大津落城までの時間と戦っていたの
だろうな。
>>529 三成の夜襲反対は痛すぎるなんてもんじゃないな。
ただ東軍は秀忠の部隊も無傷で残ってるわけだし
関が原決戦で負けたとしてもなんとかなるくらいに感じてたんじゃないかな。
>>528 家康にしてみればどこだろうと西軍を得意の野戦に引っ張り
出したかったんだろう。
もし城攻めなんてことになったら長引いてどうなるかわかったもんじゃないだろ。
上杉や佐竹、伊達だって形勢次第ではどっちに転ぶかわからなかったわけだし。
当時の西軍の情勢ではいったん下がっておかないと、
逆に東軍の先発部隊に潰されかねない。
岐阜城を簡単に落されたのがその例、
いくら秀信が野戦で馬鹿をしたとしても、
それに対して有効な救援すら出来ないのが当時の西軍の実態。
家康からすれば中途半端な対応をした毛利のおかげだな。
>>533 夜襲云々は家康がついてからの話だが。
野戦に引っ張り出したかったのはその通りだろう、
野戦なら普通1日くらいで片がつくからね。
>>536 夜襲云々は家康着陣前ですが。。。
宇喜多秀家が大垣に到着したときの策じゃなかったっけ?
東軍の大義は家康の大老としての地位だろうけど、家康以外の毛利、上杉、宇喜多が連名で敵対した以上、反乱軍は東軍になるんではないか?
家康としては野戦に持ち込んで早期に決着をつけたかったのは明らかだろう。
だったら、大津城救援を目標にするのは当然だ、建前的にも実質的にも。
建前上は東軍のために孤軍奮戦する京極を見殺しには出来ないってことになるし、
実際問題としても大津城が落ちて、それを攻めていた部隊がこちらに回ってきたなら不利になるから、
大津城が落ちる前に勝負を決める=結果的に大津城を助けたことになる。
ということを意図していたのはまず間違いない。
結果的には関ヶ原の戦い当日に落城するということになったので、
戦には勝ったが救援は出来なかった、ということになってしまったが。
>>537 ん?
家康が着陣しとときの島津の策のことではないの?
どうしても淀と側近のアフォさ加減が浮き彫りになってしまうな。
はっきりと西軍について旗を揚げ、京都ぐらいでもいいから秀頼に出陣させていれば。
実際戦場にいれば、福島の馬鹿が言うように君側の奸を除くなんてきれい事言ってられない。
実際に敵陣に刃を向けることに成らざるを得ないから、連中のいいわけも崩壊する。
543 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 15:35:57
大津城もなにも目の前の西軍さえ叩きのめせば
大津城を攻撃してる西軍だって兵を引くだろ・・・。
大津城を救援するなんてのはまず三成を叩きのめしてからの話。
544 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 15:40:34
>>542 秀吉が死んでからの家康の振る舞いを見れば東軍に勝たれたら
どういうことになるか淀や側近だってどうなるかわかりそうなものなのにネ。
叩きのめしてからの話ではなく、
三成らを叩きのめす=大津城を救ったことになるのだよ。
おっしゃるとおり、西軍主力が敗れれば大津城攻撃組みも兵を引かざるを得ないからね。
だったら、敵中で奮戦し自陣営にも親しかった者や肉親がいる、
京極の救援を目指すということにするのは当然だ。
その方が士気も高まるだろうし。
>>544 今の我々ほど簡単にわかる物ではないでしょう。
もしそうなら、加藤や福島は東軍につくまい。
547 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 15:46:04
>>546 いーやわかる。
すべての誓詞を反故にし、前田に難癖付けて屈服させ
次に豊臣に対する謀反を理由に上杉を討伐するときた。
福島や加藤にしてもそれくらいはわかるだろ。
三成憎しで大局を見誤っただけ。
549 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 17:18:13
加藤、福島は実は確信犯に近い所がある。理由は家康Vs利家の合戦になりそうな
時に明らかに家康党として行動したこと。福島なぞは秀吉の死後、すぐに家康との
縁組をまとめたりしていることからも実はずっと家康党だったという見方もできる
三成憎しだけでなく彼らにも彼らなりの計算があっただろう。
しかし、問題は関が原後も豊臣家への温情を捨てきれなかったことにある
浅野が生き残ってるんだからはっきりした家康党として行動し続ければ江戸末期まで生き残ることは可能だった
550 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 17:29:49
せめて小早川が日和見を続けてくれればどーにか東軍主力の攻撃は2倍程度だから
高台に陣取った三成らだけであと3日くらいは持ちこたえただろうに
小早川に日和見工作を徹底すべきだったな
>>547 俺は545ではなく532だが、滋賀県民だ。
なんでも中途半端が宜しくないわけだな。
>>542の主張にしろ、
>>549のにしろ、「日和って言い訳」が通じる時代ではなかったというわけだ。
そこを見切ってた点でもやっぱ家康は凄いと思うよ。
まあ、結果としては主家簒奪の上、元主君を攻め殺した悪人になったわけだが。
553 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 19:07:13
家康が勝ったのは福島のおかげだよ。
>>552 悪人になったとか誰が決めてんだ?
豊臣が徳川の主家だなんて名目だけのものだろ
天下は持ち回り、世襲させたきゃ制度をしっかり固めてりゃよかったんだよ
その努力もせずに自分達の天下が続くとか思ってたなら滅亡は必然。
555 :
ゆきだるま ◆2eAi0OJQSA :05/01/29 19:17:49
555
>なんでも中途半端が宜しくないわけだな
全くその通りw
>主家簒奪の上、元主君を攻め殺した悪人になったわけだが
すなわちこの部分で、秀吉の統治モデルが五大老という不安定要因を最上部に
残さざるを得なかった過渡性が、死後の混乱を必然とした。その最大の攪乱因子
が家康だったというだけで。信長時代からの盟友で、秀吉と引き分けた戦国の生
き残りの大物と言えば、家康しかいない。即ち「家来」となりきっていなかった罠w
時代は世界史的には産業革命前夜、生産力と技術力で世界最高峰、商業も急速
に進んだ国としては、秀吉の提示したモデルはフレキシビリティー、重商主義という
点で悪くはなかったのだが、一方で同時に最強の戦闘能力で各地にはびこる武士
を押さえるにはゆるすぎたのも事実。それが五奉行という官僚機構を前に出せなか
った理由。
>>554 簡単に言うが、ではどのようなシステムがお好みか?
天皇制の廃棄は信長が失敗したし、右大臣ではダメと言うことで強力な「太閤」という
地位の元に官僚機構を整備しようとしたわけだが。中国でいう丞相職なわけだが、如
何せんそんな文官統治の伝統は奈良時代の20年ぐらいしかなかったわけでw
おそらく唐入りも、結局脳なしの武断派に海外の領土を与えて、同時に奉行達に手柄
を立てさせ、シビリアンコントロールのシステムも同時に確立するという計画だったんだ
ろう。
ただ、自分から関白や利休を斬ってしまったり朝鮮出兵で当然だがぎくしゃくさせたり、
歯車が上手く回らなかった。領土としては朝鮮半国でも十分だろうし、第二次出兵の
意味は流石によくわからん・・・。
やっぱり力のない三成に頼っているようじゃだめだったってことだね。如水なんかセンス
あったと思うけど、遠ざけちゃったし。
徳川が豊臣の家来だなんて言ったって、
そもそも家臣になったいきさつが豊臣恩顧の武将とは全く違うからな。
力で屈服させられて仕方なく臣従した相手に対して、
なんで心から忠誠を誓わにゃならんのだ。
そもそも下克上の世である以上、主家簒奪は当然のこと。
560 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 22:14:11
ただ、後世に悪名を残したのは豊臣家を完全に滅亡させたことだろう
織田家のように残すのが日本的なやり方ではないだろうか?
夏の陣の皆殺しといい、不必要な虐殺をやってる。晩節を汚したといっていい。
浪人どもの就職先が無いなら、海外追放すればいいのだ。
561 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 22:16:02
最後のセリフきちー・・・(・・;)
562 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 22:20:01
>>561 おいおい・・・山田長政の例があるだろが
きちというお前の方が無知なだけ
563 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 22:24:44
ここで一回ビシっと日本を締め上げとかないといかんと思ったんだろうな。
特に家康は保守的、土着的性格がつよそうだから。
564 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 22:27:20
失業者には幕府がお触れをだせばいい。
「緊急募集!朝鮮征伐の決定!年令不問、容姿不問、異国で一旗あげたい人、領土は切り取り自由!」
十万はあつまるだろ。
勝てば、日本領土拡大。
負けたら、浪人を一掃できるだろw
565 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 22:27:22
>>560 >夏の陣の皆殺しといい、不必要な虐殺をやってる。晩節を汚したといっていい。
残虐なのは、信長だって同じだろ?
566 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 22:29:21
後世に悪名そんな残ってないと思うけどね。
小説とか鵜呑みにしちゃ駄目ぽ。
567 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 22:35:04
そうそう司馬の影響うけすぎ。
という私も司馬の影響受けて関ケ原が好きになったけどなw
568 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 22:36:42
悪名が残っているかどうかってどう判断するんだ?
小説に悪く書かれるということは悪名が残っているとも考えられるだろ?
悪名などという捉えどころの無いモノを小説ソースだからと駄目だししても
無意味だと思うけどねえ・・・
569 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 23:07:43
>>562 >山田長政の例があるだろ
ってそんな極論言ってんじゃねーカスwwwwww
570 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 23:13:04
>>569 極論じゃねーよ、タコ
山田長政は
シャムに移住していた日本人武士団の一人に過ぎないぞ
多くの日本人が海外に出てるんだよ、無知がw
どうでもいいことで喧嘩してんじゃねーよ
572 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 23:28:38
>>571 これが喧嘩に見えるお前が足りないだけw
皆殺しはしていないんじゃないか
豊臣系は殺したが
ところで三成の息子はなんで殺さなかったのかね
>>574 無害だからじゃね?
三成の息子を担いでなんかしようと思っても
たいした勢力にならないだろ。
西軍も大津城をほっぽらかしとけば、いやせめて一日早く終わらしテれば
長男は坊主にされたからね。でも次男や娘も生き延びたから、やはり家康が敵ながら
認めたというのは本当かも。
でも、地元の一族は彦根藩だから厳しかったようで、今は石田姓もないらしいね。
以前藁っていいともで三成の子孫が出てた
それは誰のお友達で?
わしのでわ?
581 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/30 01:24:07
>>578 ご先祖様は偉い人
それが坊主にされた長男「重家」の子孫。
582 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/30 01:47:28
京極高次ハゲワラ。
あと一日wwwwwww
ふーん。出家したのに子供作ったのか・・・。
>>569 西欧諸国の傭兵として東南アジアに結構出てったみたいよん
テルシオを組んだ日本人傭兵集団の絵図を見たことがある
>>584 それにしたって浪人10万人の国外追放は無茶やがな。
というかそれ以前に
>>560が勘違いしていると思うのだが、
別に大坂の陣は浪人を全滅させる為にやったわけじゃあない。
あくまで豊臣家を滅ぼすためのもの、
当然浪人の皆殺しなんてやってないし、虐殺というほどの物ではない。
586 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/30 11:10:19
>>585 追放というか移民政策でいいんじゃない
国内で食っていけなくなった武士たちに海外で一旗上げるという夢を持たせる
>>586 その程度ならやってるでしょ。
まあ、政策というより自主的に出て行ったわけが。
だから日本人町なんてものが出来た。
しかし、根本的に大坂の陣の目的は豊臣家の始末をつけることであって、
浪人問題は別の話だからこの際関係ない。
588 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/30 11:25:53
>>587 無知だね
当初は自由に海外に出していたのだけど
山田長政が幕府に対してシャム王の代理として署名した
親書を送ってから鎖国政策に入って浪人が海外に出るのを禁止したんだよ
海外遠征はあった。マニラに行きたかった
幕府も応援してくれた
でも、お風呂に入ってたら..
そんな重政の声が聴こえる
590 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/30 11:37:36
徳川幕府ってやたら臆病だからな
反幕思想の強い浪人たちが海外で勢力を持つのを恐れたのだろう
592 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/30 12:40:08
浪人皆殺しは実際に行われたらしい。大阪方に組した人間は末端に至るまで
徹底的に斬首されてる
元ネタは?
牢人対策は家光の時代に対処している。だがそのことは板違いなんでここで詳しくはなすことはない。
嘘ばっかついてんじゃねーよ
知ったかちゃんが謳歌するスレ
597 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/31 15:17:23
関ケ原スレなのに山田長政とかやめろよ、
そんなに知識ひけらかしたいのかよw
特に
>>570は知ったか野郎wwwクソワロス
僕に釣りはまだ早いようだ 蟄居しよ
599 :
ゆきだるま ◆2eAi0OJQSA :05/02/01 20:21:23
つまんねースレ
600 :
ゆきだるま ◆2eAi0OJQSA :05/02/01 20:22:03
ろっぴゃく!!
601 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/01 21:59:36
毛利輝元が出陣、かつ大津城攻略隊が到着・・・
▲笹尾山
■島津義弘 ■毛利輝元
■島左近 □黒田長政 □山内一豊
■蒲生郷舎 □細川忠興 □織田有楽斎 □有馬則頼 □浅野幸長 □池田輝政
■石田三成 □加藤嘉明 □古田重勝
■小西行長 □田中吉政 □金森長近
■宇喜多秀家 □松平忠吉 □生駒一正
□井伊直政 □徳川家康
□藤堂高虎 □本多忠勝 ▲桃配山 ■吉川広家
■大谷吉継 □福島正則
■毛利秀元
■毛利元康 ■毛利秀包
■筑紫広門 ■立花宗茂
■赤座直保 □京極高知 ▲南宮山 ■安国寺恵瓊
■小川佑忠
■朽木元綱
■脇坂安冶 ■長束正家
■小早川秀秋 ■長宗我部盛親
▲松尾山
これで開戦すれば、序盤から西軍が圧倒的優勢かな?
そうゆう展開なら「関が原」の戦い自体おきたかどうか疑問
603 :
ゆきだるま ◆2eAi0OJQSA :05/02/01 22:49:45
いや、毛利が出りゃ当然、三成は仕掛けるだろ。
いや、まだまだカードが余っているだろう家康は
決戦回避したのでは、ということでしょう。
>>601 というか、そんな左端の突出した位置に総大将が布陣するのか??
すみません。出先でケータイなので布陣がわかりません。
史実の変更点だけ教えてくれればわかりますので、簡単に教えてください。
>>601 この布陣なら西軍が圧倒的に有利だろうけど
輝元が出張ってきてたら家康ものこのこ西上してないだろ。
状況は不利だろうけど政治的な解決を目指すんじゃないかな。
IF厨の妄想は西軍勝たせたいの一念ですからw
609 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/02 01:26:08
まぁ史実の布陣に輝元、大津組その他加わって東軍は
布陣そのままってのは、どう考えてもありえねぇよなw
610 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/02 01:40:05
なるほどそういう布陣でしたか。
では東軍に秀忠隊が到着して欲しいですね。(真田昌幸隊が東軍として含み)
>>609 布陣も何も相手の状況が分からん状態で開戦したんじゃなかったっけ?
612 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/02 01:46:05
そう、福島隊と宇喜多隊の荷駄部隊が遭遇したぐらいですからね。
>>611 大坂にいるか、戦場に来てるかぐらい解るだろ。
しかし関ヶ原より西には簡単に行けないので、決戦場としてはやはり関ヶ原になりそう。
また西に行けばもろ挟撃されるし。
対陣して互いに援軍を待つんじゃないかな。あるいは、そもそも大垣城に籠もったまま
かも。
615 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/02 13:53:12
東軍は関が原で、西軍は大垣で、それぞれ援軍を待ち
毛利輝元が出陣、かつ大津城攻略隊が到着・・・
▲笹尾山
□徳川家康 □本多忠勝 ■石田三成
□織田有楽斎 ■島左近 ■安国寺恵瓊
□古田重勝 ■蒲生郷舎 ■赤座直保 ■毛利秀元 ■長束正家 ■長宗我部盛親
□金森長近 ■小西行長 ■小川佑忠
□生駒一正 ■宇喜多秀家 ■朽木元綱
□松平忠吉 ■毛利秀包 ■脇坂安冶
□井伊直政 ■毛利元康 ■小早川秀秋 ■毛利輝元
■筑紫広門 ■島津義弘 ▲桃配山 ■吉川広家
□京極高知 ■立花宗茂
□有馬則頼
□黒田長政 ■大谷吉継 ▲南宮山 □山内一豊
□細川忠興
□加藤嘉明
□田中吉政 □浅野幸長
□藤堂高虎
□福島正則 □池田輝政
▲松尾山
東軍が先に布陣したため、配置が史実と反対、これだと西軍有利か?
本来鶴翼の陣では大将は真中に位置するってことを考慮しろよ・・・
>本来鶴翼の陣では大将は真中に位置するってことを考慮しろよ・・・
誰に聞いたんだい?
大体この配置は、東軍が大坂方面へ移動するのを阻止する為に
街道封鎖の形をとった結果なのにな
やたらバカ配置を晒してる厨には理解出来てないようだ
しかし関ヶ原に大軍が布陣すれば大体こうなるだろ、どっちがどうでも。地形知ってる?
仮に
>>615のような布陣だったら京極あたりの位置に家康、忠勝が入るんでないの?
>>619 どーやったら、615のようになるんだ!!!!
622 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/02 18:52:58
関が原の地形だと、先に布陣したほうは山を利用した鶴翼の陣になるはず
後から布陣するほうは、先の尖った平野なので魚鱗の陣しかない
>>622 先に布陣したほうはって東軍が関ヶ原でわざわざ援軍を待つ理由ってなんだ?
しかも「鶴翼の陣になるはず」?????
何?絶対に決戦にでもしたいのか?
625 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/02 18:57:39
>>623 史実では、西軍が鶴翼の陣で東軍が魚鱗の陣だったはずだが・・・
何が正論なのか理解出来んが
輝元はどこからやって来るのか、大津からどこを通って関ヶ原にくるのか
相変わらずバカすぎて話にならん
鶴翼に見えるだけで、意識して鶴翼の陣になったわけじゃねーじゃん
>>625
>>626 鶴翼の陣では大将が中央に位置するわけで、家康の位置が間違っている
という意味では、たしかに
>>615はバカすぎるなあ
まあ、それは同意するけど・・・
629 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/02 19:09:23
南宮山勢が動いていれば、家康は退路を塞がれていたわけだな
西軍のは「鶴翼の陣」でも何でもねーし
東軍がわざわざ関ヶ原で西軍を迎え撃つ為に布陣する理由もない
輝元が来て、大津が落とされ大津方面の諸将が来れば尚更
空気嫁
IF厨が勝手に空気嫁とか言うな
タラレバ語りたけりゃ無理がない設定にしろ
634 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/02 19:37:45
もし吉川広家と毛利秀元が動いていたら・・・?
▲笹尾山
■石田三成
■島左近 □黒田長政 □山内一豊
■蒲生郷舎 □細川忠興 □織田有楽斎 □有馬則頼 □浅野幸長 □池田輝政
■島津義弘 □加藤嘉明 □古田重勝
■小西行長 □田中吉政 □金森長近
■宇喜多秀家 □松平忠吉 □生駒一正 ■吉川広家
□井伊直政 □徳川家康 ■毛利秀元
□藤堂高虎 □本多忠勝 ▲桃配山
■大谷吉継 □福島正則
■赤座直保 □京極高知 ▲南宮山 ■安国寺恵瓊
■小川佑忠
■朽木元綱
■脇坂安冶 ■長束正家
■小早川秀秋 ■長宗我部盛親
▲松尾山
こんな展開になれば、小早川秀秋の裏切りを防げて西軍が優勢だったかもしれない
既にスレッドレイパーw
荒らしだな
637 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/02 21:51:16
島津の敵中突破は、もう少し早ければ・・・
大谷吉継鶴翼半月の陣っていうのは史実だっけ?
641 :
ゆきだるま ◆2eAi0OJQSA :05/02/07 06:33:04
あららららら、閑古鳥が鳴いてますねぇ。保守してあげます。
だるま氏ね!
643 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 13:42:53
644 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/08 12:31:35
岐阜県にある百年公園と言う所に、関が原の戦いの全貌が解説付きでみれる
ばかでかいボードがある。
一度機会があったら寄って下さい。
東海北陸自動車道関ICで降りればあります。高山やスキー場など行くついでに寄ってちょーだい。
645 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/08 16:04:58
脇坂、赤座あたりが日和見じゃなく、しょっぱなから黒田隊あたりに総攻撃掛けてりゃ
小早川も裏切らなかったかもな。
×黒田隊
○京極隊
647 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/08 17:02:27
小早川が東軍に攻撃してきた場合、それでも吉川は不戦を貫いただろうか?
>>646 たしかに緒戦の勢いをさらに激化させれば日和見連中もあっさり西軍に加担してただろうと思われ。
実質島左近隊、宇喜田秀家隊、大谷刑部隊、小西行長隊だけで押してたわけだし。
>>647 毛利的には、例え家康の首級を挙げようが挙げまいが、西軍総大将として布陣してた。
って名目だけで十分だったから、確実に西軍が勝てるタイミングでなければ攻勢には出なかったんじゃないかな?
南宮山の長宗我部にしてみたら活躍する場を取り上げられる形になるからたまったもんじゃないけど。
>>645 朽木は京極に攻撃できないだろうし、脇坂は藤堂に通じているし、
絶望的だな。
>>648 >実質島左近隊、宇喜田秀家隊、大谷刑部隊、小西行長隊だけで押してたわけだし
押してた?どこが?
東軍が攻勢をかけて、西軍は攻勢を凌いでただけでは?
宇喜多勢が、一時期福島勢を押し返し、敗走寸前まで云々はあるが、それも
横槍にあってる
つか、島左近隊ってどーいうこっちゃ?
関ヶ原に関して言えば、蒲生郷舎の方が奮闘してるだろうに
戦闘そのものは西軍有利に推移していたとは言われるが、
それは西軍の陣地に東軍が押し寄せた上でのことで、
西軍が「押していた」とは言えまい。
確かに宇喜多隊あたりは実際に押していたと言えるかも知れないが、
それ以外は総じて守勢にたっていたから、
兵力のわりに健闘していたとか、よく守っていたとかいうレベル。
特に石田隊の情勢はかなり悪かった。
>>647 東軍が敗れて家康が退却する時は、位置的にいって、
ほぼ確実に吉川隊の眼前を通って退却することになる。
その時に攻撃を仕掛ければ、一応戦闘に参加した名目は立つし、
上手くすれば家康の首をあげる事すら可能性はある。
つまり、吉川としては小早川が動いた段階で連動して動く必要なない、
その結果東軍敗北が決定的になり敗走するなら、その最中に襲えばいい、
それがノーリスクハイリターンの最良の選択といえる。
よって、小早川が東軍を攻撃しても、吉川は直ぐには動かないと思われる。
653 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/08 21:13:38
>>648 >南宮山の長宗我部にしてみたら活躍する場を取り上げられる形になるからたまったもんじゃないけど。
吉川広家と毛利秀元だけ攻勢に出て、安国寺恵瓊が不戦を貫くという選択もあったかもしれない・・・
こうすれば、毛利だけ手柄を取れて長宗我部には手柄を取られる心配が無いという利点があるかな?
>>651 >それ以外は総じて守勢にたっていたから、
>兵力のわりに健闘していたとか、よく守っていたとかいうレベル。
西軍をそう表現するなら、東軍は“無様”の一言で表現できるな。
>>654 君が西軍大好きなのはわかるけどさ、別に
>>651はただ事実を客観的に述べただけでしょ
しかも別に西軍をこき下ろしてる表現でもないし
君みたいに過度に思い入れが過ぎてすぐに感情的になる者がいるせいでまともな話が出来なくなって
無意味な煽り合いになってスレがつまんなくなるんだよ・・・
656 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/08 22:22:36
>>651 まず大谷吉継は守勢から攻勢に出て藤堂高虎軍を後退させているし、
宇喜多秀家にいたっては福島正則軍を壊滅寸前まで追いやった。(横槍が入るが)
あと島左近の動きだけど、
何度にも渡って突撃をし、細川忠興軍を突き破り織田有楽斎軍まで突撃し
そこで狙撃された事からも、必ずしも守勢だったとは言えないでしょう。
あと、そもそも論だけど、3倍以上の敵が攻勢をしかける中、
石田軍が崩れなかっただけでも評価に値するだけでなく、
先鋒の島左近など一部の隊が突撃しただけでも
>>651氏のように
情勢が悪いなんて結果論にすぎないのでは?
657 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/08 22:34:03
>>656 大谷勢は藤堂勢を押し返しただけで、攻勢に出たというのは何に書いてあるんだろうか?
>福島正則軍を壊滅寸前
敗走寸前の間違いだろ、壊滅寸前まで追い詰めてたら(ry
>何度にも渡って突撃をし、細川忠興軍を突き破り織田有楽斎軍まで
>突撃しそこで狙撃された
ネタ元希望、細川勢が石田勢に突き破られたなんて初耳
>>657 >ネタ元希望、細川勢が石田勢に突き破られたなんて初耳
「関ヶ原軍記大全」に記されていると記憶してます。
659 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 00:13:49
総括すると、
石田三成…西軍で唯一先に攻撃をしかけた。また3倍の敵兵を前に奮戦。
宇喜多秀家…福島正則を敗走させる。しかしながら加藤嘉明などの救援で壊滅させられず。
大谷吉継…藤堂高虎を後退させる。後に小早川裏切り後は3度にわたり後退させる。
小西行長…一進一退を繰り返す。(やや苦戦気味だった)小早川裏切り後は真っ先に敗走。
島津義弘…静観。ただ何度か徳川勢と接触した際にこれを押し返す。徳川勢も積極攻勢に出ず。
>>654 何が無様なので?
押し寄せて、なかなか突破できなかっただけでわ?
>>659 敗走と言っても一時後退だよ
確かに敗北に近いけど結局持ち場を離れずに最後まで戦っているから大局には影響ない
島の部隊だって、何度か退却ぐらいしているはず
加藤嘉明が宇喜田と戦ったの?
島津は、敗走した小西隊も撃退している
663 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 02:15:53
>>662 貴方の言葉には御幣があるのでは?
まず福島正則は宇喜多隊の再三の猛攻に耐え切れず、
戦線を離脱し、その後は戦闘に参加していないので、一時後退ではない。
また約6000人の部隊であった福島隊の負傷者が約3600人にも及んでいることからも
限りなく敗走に近い形になっている。
ちなみに福島隊が崩れた時に加藤嘉明隊などが救援に向かって、福島隊の決定的壊滅を阻止している。
あと島津は確かに敗走する小西隊に対して銃撃しているけど、
それは小西隊が島津陣営に雪崩れ込んでしまったためで、一度銃撃したので
小西隊は島津隊を避けるように敗走した。だから「撃退」ではない。
>>663 あなたの言葉には語弊があるのでわ?
まず福島関連だがソースは?
特に戦線を離脱したという記述は見たことがない
しかも福島を撃破した後に、なぜ加藤に止められたのか?
加藤の方が断然弱いはずだが?
小西隊を銃撃して撃退したのが事実であって、それを否定するのはおかしいのでわ?
福島勢も大名本人が超やる気だったし
せっせと笹の葉口に入れてた人もいたって言うし
兵力差の割にはよくやってたんじゃないの?
666 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 08:03:27
>>664 ソースって「関ヶ原軍記大全」から新井白石の著作物にも出てくるんですが・・・。
そもそも、部隊に弱い強いは何をもって判断してるんだ?
そりゃ福島隊が敗走し、それを宇喜多隊が追撃しようとした時に
宇喜多隊の側面を加藤嘉明隊が突けば嫌でも追撃ができなくなる罠。
(ちなみに資料によって京極隊の救援で助かったというのもある)
667 :
666:05/02/09 08:17:20
スマソ、今、資料を見ていたら
ある資料には「福島隊は後退し、敗色が濃厚になった所、加藤隊の救援で立ち直った」
というのもあって、その後、島津追撃戦で武功をあげた。
という旨の記述のある資料があった。(まぁ東軍側なんだけど)
ここは学説の対立がある所かもな。
島隊が黒田隊を押して織田有楽斎隊まで迫ったってのも関ヶ原軍記大全だっけ?
脳内資料がごちゃまぜになってるorz
脳内資料→脳内で資料
>>651 >特に石田隊の情勢はかなり悪かった。
その辺の資料みても島、蒲生隊がかなり攻勢だったってわかるような事を
なんで石田隊の情勢はかなり悪かったとか言っちゃえるんだろう?
ひょっとして島、蒲生の手勢を除いた石田本体隊の事?
>>662 >敗走と言っても一時後退だよ
>確かに敗北に近いけど結局持ち場を離れずに最後まで戦っているから大局には影響ない
>島の部隊だって、何度か退却ぐらいしているはず
島 の 部 隊 だ っ て 、 何 度 か 退 却 ぐ ら い し て い る は ず
脳内でモノ語るのはやめてください。
部隊壊滅で撤退するのと、部隊を再攻撃するのに一時引かせるのとでは
大違いです。
672 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 13:31:08
信長の野望の武将数値からすると、石田三成は弱いと思う。
家康が強い。
福島勢で苦戦していたのは福島正之の前衛だけで、正則の本隊が
戦線に参加してからは、宇喜多勢を南天満山まで押し返したのだぞ。
前衛に所属していて奮戦し、血糊ですべって槍を落としていた笹の
才蔵も、新しい槍を手にして戦線に復帰したし。
674 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 18:16:31
福島勢は、兵力3倍の宇喜多勢と戦ってるのだから苦戦するのは当たり前!
675 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 19:10:55
本当に、前半は西軍が優勢だったのだろうか?
>>663 福島隊6000人のうち、負傷者3600人というのは異常な数字だな。
>また約6000人の部隊であった福島隊の負傷者が約3600人にも及んでいることからも
>限りなく敗走に近い形になっている。
死傷者数が部隊の一割を超えると敗走を始めるのが普通。
六割も負傷者が出ただなんて、「限りなく敗走に近い形」なんていうレベルを超えてる。
近代戦でもないし、兵力差が10倍とか、そういうわけでもない。
そんな状況で六割の負傷者だなんてあり得ん。
ソースを疑うべきだろう。
677 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 19:53:22
>>676 >死傷者数が部隊の一割を超えると敗走を始めるのが普通。
両軍とも死傷者数が部隊の一割を超えた場合は、どうなるの?
>>676 負傷者6割は割りとある。(てかもちろん激戦だが)
あの川中島の死傷者率は井上一次「大日本戦史」によると7割。
まぁ霧がもたらした白兵戦なわけだけど。
戦死者6割ならとんでもないがな。
長島や伊賀くらいしかないんじゃないか?戦死者6割超え。
>>666 部隊の強い、弱いも判断できないので?
ところで加藤は、宇喜田に突っ込むまでは何をしていたんだ?
傍観していたのか?
>>671 部隊壊滅?
誰の部隊が壊滅したのか?
史料は?
>>678 6割は、まずない
東軍は、ほぼ無傷に近かったんじゃないか
まあ死者0ってことはないが
>>651 優勢なら、何も本人が隣の陣まで援軍頼みに馬を飛ばしたりしないだろ。
>>680 誰も壊滅したなんていってないんじゃないのか?
もれには撤退と一時撤退の区別を言ってるだけだと思われ。
>>682 優勢だからこそ、一気に勝利するために、島津他各部隊に総攻撃する狼煙上げたり
説得しにいったんじゃないか?
不利になるまで部隊を動かさないなんて指揮するべき人間じゃないな。
>>683 671を良く読め
壊滅と書いてあるぞ?
ちなみに東軍で撤退した部隊があるのか?
福島が撤退したとしたら、どこまで下がったのか?
2度と参戦しなかったのか?
>>683 狼煙を上げるのはわかるが、なぜ総大将が説得しに行くのか?
それからそうすべきだと言うのなら何故最初からそうしなかったのか?
>>683 本来の作戦では各部隊が自分の目前の敵と戦うという手筈だったのに、
島津隊に救援を求めたんだろう。
そして、島津隊はその要請を最初の手筈と違うからという理由で断っている。
もし、優勢で余裕があるなら、予定通りに進めていけば良かったのではないかい?
687 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 21:42:03
戦死者は両軍でたったの3千3百
お笑い
>>655 をいをい、651はある意味客観的には述べていないぜ。
西軍は典型的なハンマー役を南宮山・松尾山の軍勢に金床は
三成〜大谷ラインを敷いた戦いをした。
ぶっちゃけ、実際戦った西軍は戦術的には文句は無い。
漏れの評価は“よく守った”ではなく”戦術目的は達成した”という評価。
東軍は西軍のハンマー役が動き出す段階でどれか一つの陣を
破って置かないといけないのに、狼煙上がった段階で責めあぐねているという状況。
そもそも、東軍の配置って後の視点なら兎も角、戦前ではどーみても死地だぜ?
漏れの評価は“東軍が攻め立てた“ではなく“戦術目的は不完全な達成(実質失敗)”
東軍不味くねえか?
>>688 東軍の戦略は当初から小早川を東軍とみなした包囲攻勢ですが?
故に東軍も盛んに小早川を動かそうとした。
だからこそ、小早川がいつまでも動かないので家康もずいぶん気をもんだわけだが。
>>683 一時撤退すらしていないだろ。
福島の本陣は全く後には下がらず、逆に前に突っ込んだ。
攻勢に出ていた前線が押し戻されるのと、部隊が撤退するのは別。
691 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 22:42:28
実は関ヶ原は西軍の勝利
692 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 23:31:57
戦場全体では、東軍が8万9千で西軍が8万4千だが
東軍のうち、南宮山方面の1万4千は動いていない
あと、厳密に言うと家康本隊の3万も動いていない
西軍のうち、南宮山勢の2万8千は動いていない
松尾山勢の1万9千が裏切っている、島津軍の2千は動いていない
前半は、主戦場で戦っていたのは東軍が4万5千で西軍が3万5千である
この状況で西軍が東軍を押していたのだから、西軍主力部隊は大健闘していたことになる
だから、家康が焦ったのも当然だろう・・・
>>692 だから、押してはいないだろう、
宇喜多隊はともかく、
総じて守る西軍に対して東軍が攻め寄せていたのであるから。
>>693 小早川が裏切らなければ、東軍も攻め手が無かったのでは?
>>694 本隊3万を忘れるなって。
ただこいつを直接動かして西軍を攻めるのは、
動かした後で、万が一小早川に西軍につかれると、
本隊が横撃されかねないのであまりいい手ではない。
上策と言えるのは、本隊3万で恫喝することによって、
小早川を動かし勝負を決めること。そして実際それを実現した。
しかし、どうしても小早川が動かなければ本隊を直接投入しただろう。
そうなれば西軍は兵力的に抗すべくもない、
前述の通りそのタイミングで小早川が家康を攻めれば、
或いは何とかなったかもしれないが・・・。
>>690 正則って第二陣だったと思うけど、
福島隊って第二陣が本隊だっけ?
ついでに、先鋒は良い感じに追い散らされた
と方々にかかれているけど。
つまるところ、先鋒は負けたけど、第二陣に
収容して改めて責めかかったと言う訳?
>>693 その割にはいい感じに撃退されているがな
>>694 絶対的な兵力差があるからな。
普通に押しつぶしに成功するだろうな。
最も小早川が裏切らない限り。
逃げ切れる可能性が高くなるし、
東軍も追撃戦する余力はないだろうな。
もうひともめあると思う。
小早川が家康本隊攻めるには、松尾山城を下り、前面の脇坂などを蹴散らし
藤堂などを突破しなければなりません
698 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 00:08:15
小早川が裏切らなければ西軍が勝っていたというのは、残念ながら妄想に過ぎないだろう・・・
私は、小早川の裏切りが無くても東軍の勝ちは変わらなかったと思う
ただ、かなり苦戦にはなったはず
>>696 撃退はないだろうよ。
ほとんどの部分で攻め続けているわけだから。
撃退と押し返すの使い方っつーか解釈が、人それぞれになってるような気がするのは漏れだけか?
三成は良くやったなどとよく言えるな、関ヶ原で直接戦った相手は誰だ?
黒田だの福島だの加藤嘉明だのが相手で家康本隊は無傷(退却時の島津除く)なんだぞ?
家康は見事な演出で秀吉がつくった大名たち同士の争いを演出して、天下を豊臣から奪ったわけだ
どこからどうみて豆を煮るのに豆がらを使った家康の完全勝利じゃん
いくら現場で三成隊や大谷隊がそこそこ頑張ってもマイナスを0にしようとする虚しい努力にすぎない
唯一良くやったといえるのは島津のみ、真田は秀忠の別働隊温存のためのダシに使われただけだしね
家康にけしかけられた福島達が悪いのではない、全て三成のせいなのだ
>>701 そのわりには家康さんは爪を噛んだり、
使い番を切りつけたり、落ち着きがないようですが。
福島隊が仮に壊滅したところで家康は痛くも痒くもないだろ
むしろある意味邪魔者が一人消えるだけだ、
関ヶ原は布陣だけなら西軍が勝ってたというが、家康にとっては邪魔者同士を互いに戦わせる見事な布陣じゃないか
笑いが止まらんだろう
石田隊、宇喜多隊、大谷隊らの奮闘は三成がつくったマイナスを幾分減らしただけ
-100を-90くらいにする効果は確かにあっただろうな
これが西軍厨にとっての救いになっているわけだが
しかしその後の小早川の東軍参戦で一気に-250くらいまで引き戻されたということだ
>>702 そりゃ、これほどの大事を前にして落ち着きがないのは誰でも当たり前、待ちに待った天下取りのための戦なんだからな
いくら上手くいってようが冷静で居られるはずが無い
>>700 好き勝手に使っているからな。
戦術的後退なのかそれとも単なる後退なのか、
戦術的後退も仕切りなおしなのか追撃の打ち切り
なのかもあるしな。
後退を仕切りなおしにランクアップしたり。
追撃の打ち切りを後退にランクダウンしたりしてるからな。
自分の好みで判断しているヤシが多いな。
>>703 確か、石田軍との前線付近に家康は督戦しにいってるのは
何でかなぁ?何でかなぁ?
3万の大軍はどこにいったのかなぁ?どこにいったのかなぁ?
>>705 自分の3万の軍こそ家康にとって大事だったろうな、だからなるべく消耗せずに戦えればベストなわけだが
見事にそれをやってのけたわけだ
前線に配置した部隊は元秀吉の子飼いばっかりだからいくら消耗しようが構わないし、むしろどんどん潰しあってくれたほうが好都合だろうな
そうなるように督戦しにいったということだ、まあ猟犬をけしかけにいったようなものだろう
実際戦場にいたかのように話す人の多いこと
712 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 01:52:31
>>711 おまえがいつもやってんだろ?
「人の話に横槍を入れる」
713 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 01:54:57
クソワロスw
>>709 俺は別に島津厨ではないが・・・
東軍、というより徳川家の完全勝利のように見える関ヶ原だが
家康の神謀をもってしても唯一の誤算といえるのが直政と忠吉の負傷だ
島津義弘は積極的に参戦しなかったが、これは互いの持ち場で戦うという当初の取り決めがあったからではない
彼は豊臣恩顧の大名同士で争う愚を当事者達よりも理解し、石田・大谷・宇喜多・小西らの無益極まる愚かな戦いを醒めた目でみていたのだ
そして自らは小勢ながらもせめて家康に一矢報いようと、その機会を伺っていたのだ
その狙いどうり最後に徳川家に痛撃を与え、家臣達の命を捨てた奮闘により見事に薩摩への帰還を果たした
西軍では異例の本領安堵となったのも、これ以上薩摩を敵にまわすと徳川家の天下を揺るがせかねないという
ことを家康が悟ったからだろう
その後島津が徳川幕府を倒す原動力として活躍(長州は付録のようなもの)するのはご存知の通り
家康の完全勝利に唯一ミソをつけた島津、西軍の中にあって唯一敗者ではなかった島津、最終的に徳川家に勝利した島津
その島津の夜襲の献策を退けたのが三成
これで解っただろう、以降このスレ、いや三戦板で三成が良くやったなどどいう愚にもつかない書き込みは禁止な
この板の三成贔屓は本当に目に余る
妙な西軍贔屓の感情を排して、冷静に関ヶ原の戦いがどういった性格のものだったかをみれば、どれだけ三成が愚かだったかがわかるだろう
三成は自分で蒔いた種を刈り取るのに汲々として一人相撲をとっていたようなもの
それを利用した家康に労せずして天下を取らせてしまった
716 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 02:44:38
>>715 島津なんて逃げただけだろ?w
しかもなんで小勢だったか説明出来るのか?w
それなら石田や宇喜多の方がマシだと思うが?
717 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 03:15:06
1500人しか連れてない時点で戦力外。
兵糧がもったいないから帰ってくれない?って感じ。
>>688 戦前から、死地でないとわかったから攻めたんだろ
それとも、家康をはじめ東軍諸将は死地に突っ込む愚か者だったという説なのか?
「家康の神謀」
なんて信じてるのがアホ
>>702 楽勝だったのが苦戦したからでわ?
例えば、大金持ちが1億*しか*儲からなかった
口惜しいというようなもの
>>715 部隊を壊滅させられて敗者でないとは言えないが?
三成が良くやったというのは、石田軍の戦術的奮闘だが、それについてはどうか?
>>717 兵糧分以上に働いただろう
島津には、その気は無かったが戦線の一翼を担ったことは事実
結果全滅しているしな
>>718 戦場見れば死地だろ?
メッケル少佐の言を待たずとも戦場だけ見れば
西軍の勝ちに掛けるだろう。
だが事実は、東軍が勝った。
小早川の裏切りでね。
つまり調略が勝負を分けたと言える。
それで、戦場で調略に命を掛ける馬鹿はいない。
東軍って小早川以下的2/3がが裏切るという前提で関ヶ原
に戦ったと言うのか?
当然独力で戦おうとして結局西軍を独力では破れなかった
としか思えないのだが。
>>715 関ヶ原前に、島隊にぞんざいに扱われた恨みで動かなかっただけだろが。
725 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 09:49:42
>>722 いや、逃げただけだろ?
しかも戦ったんじゃなくて、退却したんだろw
その前に立ちふさがる東軍と戦ったんじゃなくて、そいつらに鉄砲射って走ってったんだろ?
逃げただけでいいなら、みんな逃げるんじゃねーのか?島津みたいにw
726 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 09:56:27
>>723 それもあると思うけど、その前に石田君の西軍にはお金がありません。
食料・弾薬等は特例を除き、持参ですが、全くといっていい程「弾薬」がありませんでした。
西軍鉄砲隊が全て鉄砲を使うことが出来ませんでした。
裏切りなんてされたらあぼーんですね。
727 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 10:01:25
>>715 神謀?はぁ?…おまいは創価学会幹部ですか?
洗脳され過ぎw
神謀なんて持つ人間なんていないし、これからも現われないってw
728 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 10:10:00
>>722 敵の前走ったら殺されるだろ?全滅して当たり前なんじゃないの?w
逃げただけで兵糧分の働きしたのか?おいおいw
島津厨かおまいは?w
>>684 誰も関ヶ原で東軍の部隊が壊滅したなんていってませんよ。
>>662が「撤退」の言葉を「部隊壊滅の為撤退」、「部隊再編の為の一時撤退」
あたりと混同して使ってるから、例として出しただけ。
>>685 西軍総大将毛利輝元は大阪城にいますが?
三成はあくまでも関ヶ原合戦の総責任者って扱いくらいかと。
ってかそれすらを認めてる香具師も少ないから、19万5千石の中大名が
島津56万石に「お願い」に直接赴くのは統制の取れてない西軍からしたら当然かと。
730 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 11:46:45
>>729 『島津家文書』によれば、公義により、兵糧・弾薬の保障はされていたことがわかるが、「庄内の乱」でぼろぼろ状態の島津家を引き入れたのは正解か?
何もしないで逃げたバカに兵糧・弾薬やったのは正解か?
島津が「逃げた」のは事実な訳なんだが?
島津隊
@戦始まる
→微笑ましく見守る。
A西軍不利になる
→一同苦笑い
Bもっと不利になる
→兵のトイレに行く回数が増える
C…絶望的になった
→各自、具足を捨て柔軟運動を始める
D待ちに待った退却
→給水ポイントまでダッシュ
E給水ポイントに福島 正則が立ちはだかった
→見逃してくれて一同笑みをこぼす
Fなんか知らんけど家康本陣があった
→スネーク並に回避
G家康が2chを終えた頃に配下からその事を聞く
→家康がキターと叫び、井伊・本多・松平にメール送信
H島津のおっちゃん達がランナーズハイに達した頃に、井伊・本多・松平がニヤニヤしながらやって来た!?
→取り敢えず逃げる
Iなんか「死ね!」って言いながら攻撃して来た
→島津のおっちゃん達「オマエモナー」で反撃
734 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 12:03:29
戦経験がほとんどない石田
戦経験豊富な徳川
石田方
宇喜多→戦経験あまりない島津→やる気ない
小早川→裏切りんぐ
小西→たかが商人
徳川方
井伊→四天王
本多忠勝→四天王
福島→七本槍
加藤嘉→七本槍
J仲間や武将が倒れていく中「田代砲」発射!
→本多の愛馬あぼーん
K豊久・盛淳あぼーん
→島津のおっちゃん達がジャクソン二等兵(プライベートライアンより)並の狙撃で直政を打ち「神に感謝」
Lそのとき家康屁をこく
→島津のおっちゃん達、無事脱出!
終わり
736 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 12:19:27
>>734 徳川は大敗した経験があるからな〜、確かに経験は石田なんて比べれることなんか出来ないだろうな〜
・島津はうんこだし
・小早川は夢ないし
・石田は口臭いし
・宇喜多はうんこしてもお しり拭かないし
・毛利は引き籠もりだし
西軍は負けて当たり前かw
家康=うんこたれ
>>723 よくわからないが
それとも、家康をはじめ東軍諸将は死地に突っ込む愚か者だったという説なのか?
家康は、南宮山不戦、松尾山友軍という前提で戦った
もちろん、それが成立しないときの手立ても考えていた
予想外だったのは西軍が簡単には崩れなかったことだ
739 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 13:07:39
>>737 うんこは島津が既に使用しているから不可。
家康の方が先にうんこ漏らしてる。
>>725 戦場で戦線を担っていたのだが?
前に逃げた奴はいないが?
敗北時に逃げたのは確か
>>728 戦線を担ったのは働いていないのか?
じゃあ西軍はみんな働いてないじゃん
西軍はみんな逃げたよw
馬鹿か、おまえ(w
>>729 部隊壊滅と書いて有るじゃないか
よくよめや
>>736 家康は桶狭間の頃から戦っていますが?
当時から戦ってきた椰子はほとんどいませんが?
壊滅ってのは「例」であげただけだヴォケ
喪前こそ
>>662と
>>729を良く嫁や。
ヴァカにも分かるように説明してやるよ。
>>662の言い分
福島隊は敗北に近い一時撤退をした。ただ最後まで戦線に残ってた。
島隊だって退却くらいしてるだろ。
漏れの言い分
島隊が黒田隊を押してたタイミングで、仮に退却があったとしてもそれは部隊再編の為の撤退。
序盤押されまくったため撤退した福島隊の退却とは別もの。
って言いたいんだよ。喪前
>>662だろ?
>>745 よくわからないが、黒田と福島の退却は別だと言いたいのか?
福島は、敗北はしていないということなのか?
>>746 ちゃうちゃう
>>662で福島、島が撤退してる。どっちもどっち。
って言ってるのに反論したのよ。
>>747 福島、黒田の撤退は、同種だが
島は別と言うことか?
島の部隊も、百姓の徴兵が主体だから、戦場で絶対に逃げないということは
ありえない
川中島で、甲越両軍の部隊がは敗走しているが、それは彼らが特に臆病だったり弱兵だったり士気が低かったり
指揮官が無能であったと言うことではない
敗走した部隊がそのままいなくなったり、使い物にならなくなったりすれば、それは別の問題だが
島隊は終始黒田隊を押していた。島隊が仮に退却する事があったとしても、部隊再編の為の一時撤退。
福島は、宇喜多隊に敗走に追い込まれ撤退したが、追撃してきた宇喜多隊の横腹を加藤隊、京極隊が突き、
難を逃れ、部隊再編の後戦線復帰。
島隊は小早川隊、脇坂他三将の裏切りにより、全軍混乱の中撤退叶わず壊滅。
だから福島vs宇喜多なんて、家康の目からみれば所詮豊臣シンパ同士の潰し合いにすぎないんだって
まったくの徒労、壮絶なる無駄、利敵行為、単なる自爆
徳川家の軍勢を消耗させなきゃ全く意味無いじゃないの
三成の大義名分は秀頼の敵を倒すことにあるのに、福島って秀頼の敵? 違うでしょ、単に"三成の"敵じゃん
これじゃ完全に私戦だよねぇ
で、西軍の諸隊は徳川家の軍勢にどれだけ被害を与えたのかな、討ち取った徳川家の武将には誰がいるの?
あるいは武将でなくても雑兵は何人倒したの?
島津隊は逃げたというけど、そのときに井伊直政に死の原因となる鉄砲傷を負わせよね
他の西軍の頑張ったいわれる人たちが徳川家の軍勢にどれだけ損害を与えたか教えてよ
良くやったというからにはまさかまさか0じゃないよね?
>>750 加藤は、それまで何をしていたのか?
また福島より、加藤の方が強いのか?
>>750 京極隊は、正面の大谷を無視して、側面攻撃するほど余裕があったのか?
また福島を敗走させるほど強い宇喜田は、京極に対しては歯が立たなかったのか?
>>750 関ヶ原で一番多く首をとったとされるのは誰か?
またその所属大名はどこか?
>>752-753 えとね、今出先で資料がなくて、詳細には言えないのが申し訳ないんだが。
京極は手を出したって資料があったが、別資料には無かったりしててちょいあやふや。
>加藤は、それまで何をしていたのか?
小西隊と交戦してました。
>また福島より、加藤の方が強いのか?
横っ腹を突かれたら兵の強弱なんて意味ないでしょ。
>京極隊は、正面の大谷を無視して、側面攻撃するほど余裕があったのか?
大谷隊1500 京極隊3000 大谷隊与力の脇坂他三将は動いてないから、
兵数が倍する京極隊に別働隊ってかまだ投入してない戦力くらい出せる余裕はあるでしょ。
大谷隊1500のうち400の鉄砲隊は小早川隊警戒に向けられてたし。
>また福島を敗走させるほど強い宇喜田は、京極に対しては歯が立たなかったのか?
横っ腹を突かれたら兵の強弱なんて意味ないでしょ。
3万近くの兵をつれた海道一の弓取りの今川隊が、何故弱兵の織田2000人に敗れたのでしょうか?
って聞いてるのと同じだよ。
ってか資料読んで聞いてるんだよね?
まぁ手元に資料が無い漏れが言うことじゃないが。
>>754 >関ヶ原で一番多く首をとったとされるのは誰か?
笹の葉っぱ大将
>またその所属大名はどこか?
福島正則
てかさー
首級の数を言っても意味ないわけ。
西軍壊滅の追撃線で取ってるわけだから、勝った陣営が首級を多くあげるのは当たり前。
それも最前線の部隊なんだから。
>>752、753、754
知能の低さを露呈してんな。
厨はカエレ
>>449 > もしも吉川広家が東軍に寝返らずに
それは人間関係上ありえないだろ。それにあれは寝返ったのではなく内通の結果傍観して
いただけでしょ。
> 毛利が戦闘に参加して、東軍が壊滅状態
> 西軍が圧勝したら、毛利家はどうなっていただろうね?
家康・直政・長政を尋問したところ、広家が内通していた証拠が続々出てきたために責任を
取らされて防長二カ国に減封。(w
>>758 ま普通に考えれば吉川家出雲富田14万石ボシュートの上蟄居。下手したら(安国寺次第で)斬首。
かな。
んで小早川は関白の約束を反故にされると。w
760 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 18:24:45
立花ら大津城攻略隊の1万6千が到着していれば、さすがに西軍の勝ちだったはずだが・・・
タラレバを駆使したところでどうみても西軍の負けは動かないよ
死んだ子の歳を数えるような真似はやめようぜ
潔く西軍の「完敗」だったってことを認めようぜ
ぃやだょーーーーだwww
禿藁。スレ終わらしたいだけなのがミエミエだなw
>>756 なぜ福島の部隊なのか?
京極でもいいのでわ?
>>755 加藤だが、小西をほって置いて宇喜田に突っかかったのか?
つまりそれだけ余裕があったと?
東軍は、少なくとも加藤と京極は余裕があったのか?
あるいは、東軍は全般的に余裕を持っていたのか?
横を付かれたらそれでもうお終いなのか?攻勢力を失うのか?
京極はそれだけ余裕があったのか?
宇喜田は愚かにも京極を拘束せずに突進し横を付かれて、以後攻勢を取れなくなるほど
無力化されたのか?
今川は3万人説なのか?
横を殴られるのと、奇襲で本陣を蹂躙されるのが全く同一視できると考えているのか?
資料をもとに返答してみてくれ
>>765 とりあえず、黒田隊の先鋒として石田隊の陣に突っ込んでくれ。
お前も同じ位うざい。
768 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 00:27:04
>>744 だから何?そんなの誰でも知ってんじゃねーの?w
勝ってばかりではなく、武田に大敗したこともあるから戦の経験は石田より断然上だから、石田なんて比べるに値しないと言う意味なんだが?
ちゃんとレス見てから書き込め!わけわかんねーからw
769 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 00:29:37
西軍の主力は、本当に健闘していたのか?
770 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 00:30:42
>>749 えっ!?百姓主体なのか?何の史書に書かれていたか教えて下さい。
>>768 というか、大敗した体験がそんなに誇らしいことなのか?w
だったら石田も、城攻めに大失敗したとか、事前の謀略戦で大敗してるとか
誇ることが一杯あるのでわ?w
自分の文章をよく考え直したらどうか?
毛利輝元が出陣していても、西軍が勝つという保障は無かったな
773 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 00:33:23
もし秀頼か淀殿が出陣していたら?
774 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 00:37:07
>>771 凄いとかじゃなくて、勝ちも負けも経験していて、勝ちの経験や負けの経験がほとんどの椰子よりは、経験豊富でいんじゃねーの?ってだけのこと
大敗がいいんじゃなくて、大敗も経験してるということ
775 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 00:39:24
西軍の総大将は、本来は石田三成ではなく毛利輝元だよ
しかし、実際は毛利輝元が出陣していない
戦場の総大将は誰かということになるが・・・
石田三成が総大将だったわけでもないだろう
しかし、他の誰かが総大将だったわけでもない
つまり、西軍は総大将がいなかったということになるのでは?
776 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 00:40:59
>>771 文章否定?は?だから何?おまいに何言われようがそんなの知らねーよw
勝手に喚いてろ「文章!文章!」ってw
フロイス厨と何も変わらないなw
誤字・脱字・文章の構成…そのうち人格否定も始まるのかな?w
前に関が原関連のスレで、当日の総指揮官は宇喜多だと読んだ記憶が……
違ってたらスマソ。
>>775 東軍に置ける家康のような存在はいないな
だいたい20万石しかないし、謹慎中だし、戦闘経験はあまりないし、野戦指揮能力はないし
これでかてという方が無理かと
780 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 00:49:52
>>771 どーでもいいけどさ、だから何なの?
お前も関ケ原について何か語れば?相手のあげ足取る程暇なの?
781 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 00:50:57
>>779 西軍全体を指揮する総大将はいなかったわけだね?
782 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 00:51:36
>>778 もしかして、何に書かれていたか知らないのに、百姓だと思い込んでたの!?
>>781 一応輝元がそれに当たるんだろうが、既に家中は調略済み。
切ねぇ……
784 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 00:58:16
>>778 何の史書に書かれていたかわからないで、知ったか振ってんの?w
「がーん」ってw
こっちが「がーん」だよw偉そうなこと言う割には何もわからないんだなw
説明出来ないんなら、言わなきゃいいのにw
>>780 大敗を誇るのかということ
おまえも関ヶ原を語ったらどうか?
うんこの話だけじゃなく
786 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 00:59:19
>>783 つまり、西軍は戦場の総大将がいなかったということ?
>>782 百姓じゃないと思っているの?
何かにそう書かれていたの?
790 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 01:08:03
特に三成が大将だったとは思われんなあ・・・
>>784 つか、マジでそんなことも知らないの?w
軍人だけで戦っていたの?w
>>790 そう?
一応狼煙上げたり、作戦決めたりしてる
島津や小早川に使者送ってるのも三成だし
名目上は宇喜田が総大将
793 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 01:20:38
794 :
780:05/02/11 01:32:09
>>785 ふざけて書いたことにも気付かないのか!?
うんこはネタ以外のなにものでもないだろw
795 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 01:34:50
>>787 いや、関ケ原のときの島津隊はどんな人間が使われたかの史書がわからないから、断言するのは?と思い質問したんだが、お前もわからないなら断言するなよw
796 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 01:38:24
>>791 一般ではとかではなく、関ケ原のときの島津隊の構成がわからなかったから、聞いただけ。
関ケ原のときの島津隊が百姓が主体の部隊だったと書かれている史書がわからないから聞いたんだが?
何を見れば関ケ原のときの島津隊の部隊は百姓が主とわかるんでしょうか?
百姓ってかさ
薩摩の兵士は普段は農業営んでるが、実際にはちゃんと武士の身分がある。
ってかその辺の百姓連れてきて座禅陣なんか出来るかよw
798 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 01:43:06
>>791 何に書かれているんでしょうか?関ケ原のときの島津隊は百姓が主だと。
私は否定ではなく、断言出来るなら何を根拠に言ってるのかを聞いただけでなんですか?
軍人のみとは一言も言ってないしw
反論ではなく疑問です。
799 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 01:47:10
>>797 そのソースは?
それに、関ケ原のときの島津隊の構成について書かれている史書が根拠ならわかるけど、百姓が当たり前だからと言う方は何も根拠がない上でレスしだしたから疑問に思っただけです。
根拠なしで話作ってるんなら最低だな…
言っとくけど漏れはさっきから荒らしてる香具師じゃないからな。
防衛のため藩士を郷村に定住させ、普段は農業に従事させながら武道を訓練させておいて、
戦時になれば兵士として働させる郷士制度があった。
「麓集落」は特に有名。
「郷士制度」「麓集落」あたりでググレ
あと郷士制度は土佐のとは違うからね。
>>798 島津の部隊が主に百姓だとどこに書いてあるのか?
一般の話だろ
あと薩摩は、士分の者が全人口の4分の1を占めるというかなり特殊な環境。
薩摩隼人、鬼石漫子という薩摩強しってのはこういった環境から。
普段農業してるのなら、広義の百姓だろ
そういう制度だったんだろ
土佐のと薩摩のとどう違うんだ?
教えてくれくれ
805 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 01:58:31
>>802 だから何?関ケ原でもそうだったかわかる史書はないの?ってことを言ってるんだが?
一般論は何の根拠にもならない訳だがw
というか、何の根拠もないのかと思っていたら、おまいの根拠は一般論だったのかw
>>803 人口の半分は女だ
ということは男の半分が侍?
>>805 まあ、具体的にはないんじゃないか
おまえの知りたいのは史書があるかどうかということで、事実関係ではないの?
>>804 クレクレうぜーー
ちょっと調べればわかるじゃねーか。
土佐の郷士制度ってのはさ、元々、土着の長宗我部党が、山内家に反抗的だったから
作った制度。
山内の連れてきた連中より下位とされて
山内家来衆=上士
長宗我部衆=郷士(下士とも言われる)
郷士は上士に切り捨てられても文句言えない等差別化されたの。
薩摩のは
>>801で述べたとおり。
809 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 02:03:07
関ケ原では百姓が主だった根拠は一般論か…
なんだそれ?島津では百姓が主だったからなんなんだ?関ケ原でも同じだったと言う史書を提示出来ないなら断言するなよ!
それに、反論じゃなくて疑問なのに俺に回答求めるなよw
>>808 なるほど
違う制度なのに同じ名称なんだな
811 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 02:06:00
>>807 だから、俺は反論してないって!関ケ原でも百姓が主だったのかが知りたいだけであって、そのときの部隊構成について書かれたものがあるんですか?と聞いただけだし
>>810 蛇足だが
上士と郷士の間に白札っていうちょうど中間の身分が土佐にはあって、
登城が許されている郷士って感じかな。
武市半平太がその身分。
>>809 というかそれぐらいは断言できるだろ
じゃあおまえ関ヶ原が何かということを述べた史書は具体的に提示してミロよ
わかったわかった。
結論:島津兵は素人ではありませんでした。
でいいじゃん。もう。
815 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 02:07:58
>>806 は?バカじゃないの?
関ケ原のときの島津隊の構成について聞いてるだけなんだが?極論過ぎだからw
>>811 具体的にはすぐにはない
調べればいくつかはあるんじゃないか
どっかの台帳にでも
包括的に述べたものがあるかどうかはしらん
817 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 02:10:48
>>813 だから、反論じゃなくて「疑問」なの。
史書がないならないで話は終わるんだよ、わかる?俺は違うとは一言も言っていない。
一般では百姓だとかはどうでもいい、ただ史書があるかないかが知りたいだけだから
>>815 そういう構成だと主張している椰子がいるのだが?w
何が極論だかw
亀レスです
>>806 そういう計算になる。
ほとんどの男子が兵役を経験し、有事の際は戦力として抽出されてるから。
821 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 02:13:43
>>816 では、専門的に取り扱っている大学や資料館等にはあるかもしれないと言うことで、ここで百姓と断言した方はわからなかった。
ということでいいんですね?
>>819 とんでもない国だなw
国民皆兵に近い
よくそんな体制が維持できたものだ
>>821 具体的に史料名が示されない限り、それでいいんじゃない
>>822 現代国家でもそういう国あるじゃん。
北○鮮とか。
子供の頃から行軍訓練とかしてるんだよ。
825 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 02:16:48
>>818 俺が求めたのは史書の有無(構成について)だが?
それ以外は何も聞いていないわけだが?
>>824 帝国日本とかかw
しかし戦国時代に他にそういう国はなかったから驚異的だろ
他の国も戦時体制だったんだから
薩摩のその辺の制度とか調べると結構面白い。
オススメ。
新撰組局長近藤勇も恐れた薩摩示現流が流行った理由とか、
250年も対徳川戦想定して訓練してたりとか。
>>825 おまえの話じゃなくて、他の椰子へのレスだが?
全部おまえの質問への回答というわけではないが?
829 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 02:19:43
>>818 そういう構成だと主張しているのは誰ですか?
関ケ原のときの島津隊の部隊構成について書かれている史書を提示しましたか?してないですよね?
こちらは疑問であって反論ではなく、史書の名を出せないならそれでいいんですが?
>>825 えーとね
史書ってかさ、普通にその辺の歴史書見れば薩摩の郷士制度位乗ってるんだが。
織田信長の専業兵士制度についての専門史書なんてあるか?
普通に歴史の授業に出るくらいのレベルのお話なんで、ご自身で調べてくださいね。
>>829 そういう構成だって主張してるのは俺。
てかコテハンじゃないと分からんな。IDでないし。
あれだろな?
そこまでソース求めるって事は、漏れが言った「郷士制度」「麓集落」でググって
出てこないから聞いてるんだよな?
こっちはソースってか根拠提示してるんだけど。
833 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 02:24:28
>>823 やはり、そうでしたか…
百姓だと断言する方に聞いても返答は一言も返ってこなくて、おかしいと思ってましたが、その方は結局史書は知らなかったということなんですね。
レスありがとうございました。
>>829 オレはそういう話をしている椰子がいると言っているだけだが?
史書名の提示はないんじゃないか
オレは椰子の話が充分妥当性があると考えるので別に史料はいらない
おまえが提示を求めていようがいまいが別にそれは気にしない
せっかく椰子がぐぐればと言っているんでぐぐってみたらどうか?
>>833 返答は返ってきたんじゃないか?
で、おまえは包括的に述べた史料があると思っているのか?
>>833 あふぉかあああああ
郷士制度扱ってる歴史書なんて山ほどあるっちゅーとるんじゃボケ!
ググレば分かるような事になんで星の数ほどある歴史書を提示せにゃならんのだ?
じゃあ仮に喪前が織田信長の兵制度について述べてる史書ってのをあげてみろよ。
837 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 02:30:42
>>834 関ケ原のときの部隊構成についての史書がないことがわかったので、俺は疑問に思う部分がなくなったので、ググる必要はないです
>>835 あるかもしれないとは思いました。
838 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 02:34:02
>>828 失礼しました。
>>831 部隊構成が百姓ではないとは言ってません。
関ケ原のときの島津隊の部隊構成に関する史書はありますか?と聞いただけで、どうやらないみたいなので、疑問はなくなりました。
郷士制度
上から郷士年寄(?=口偏に愛=『あつかい』と読む)、組頭、横目の3役がおり、
これが今で言う集落程度の広さのエリア毎に地方行政の実務を担当した。
郷士年寄は数名で政策全般を取り仕切った。
組頭は数組の郷士の頭で、顔役とも呼ばれ、手下の郷士取締りに当たった。
横目は庶務の取次ぎから、警邏、裁きの全般を担当した。
3役の下に書役、郡見廻、普請見廻、山見廻、枦楮(なぜこうぞ)見廻、溝見廻、野町別当、
大工主取、木挽主取、石切主取、庄屋などの役目を置いた。
この仕組みから、島津の政策がいかに巧妙であったかが読み取れる。
即ち、他藩でならば士農工商の別では工の階層に任せる工業までを
郷士に独占させたのであった。
これは国家挙げての殖産興業でもあるが、郷士階級以外に富裕層を生まないための配慮でもある。
それゆえ島津家中では農民一揆は殆ど抑えられたのである。
つまり薩摩では商人以外は戦力として抽出できましたとさ。
-完-
841 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 02:37:40
>>836 関ケ原のときの島津隊の部隊構成について書かれている史書について聞いただけです。
制度だろうがなんだろうが、一切聞いていません。
関ケ原のときの島津隊の部隊構成について書かれた史書があるのかを聞いているだけなので
それに反論じゃなくて疑問なんですが?
>>837 包括的に書いた史料というのは、かなり難しいような気が
あるとすれば、誰かが割合としては百姓が多いと言っているようなものか
島津の兵力は郷士制度によって特殊な環境となっています。
その為、特に関ヶ原合戦においてのみ特筆した資料が存在しない以上、
薩摩通常戦力=郷士制度によって抽出された戦力と考えて問題はありません。
>>841 よくわからないのだが、島津に関してのみ知りたいと言うことなのか?
一般論として、どうだったかということではなく?
845 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 02:42:15
関ケ原のときの島津隊の部隊構成について書かれている史書はないが、兵士制度から推測することは出来るということですね?
俺は、関ケ原のときの島津隊の部隊構成について書かれている史書があるか?ないか?を聞いてるだけなんですが…
ある・ないだけでよかったんですが…
>>845 そう。
例えば、
「関ヶ原合戦において、島津は自国の兵力減少を抑えるため、近江で徴兵を行い、これをもって布陣した。」
といった記述をした資料も無く、そういった事実も無いことから、兵士制度からそのまま想定して問題ないわけ。
847 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 02:46:21
>>843 そうなんですか、丁寧に説明して頂きありがとうございました。
>>844 俺が知りたかったのは、
「関ケ原合戦」のときの「島津隊」の「部隊構成」について書かれた「史書」はあるのか?と言うことだけで、一般論は求めている回答ではありませんでした。
>>846 ちょっと聞きたいのだが
郷士制であれば、徴兵限度は他国とは違ったものになるはずだ
しかし一般的には薩摩も他国も同様の基準で算定されている
これは何故か?
何を算出してるって?
石高と抽出戦力の計算式って事?
850 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 02:49:44
>>846 大変参考になりました。
推測でしか語れないのではなく、推測でも十分な根拠になるということですよね?
もう疑問は解消出来ました。皆さんありがとうございました。
>>849 そうそう
石高をベースにして、動員兵力を算出するのが通常の方法でしょ?
で薩摩も他の国も同じ計算式なんだが
>>850 そういうこと。
関ヶ原での島津部隊構成について、傭兵を用いたって証拠でも見つからない限り、、
学会でもそれが通説となるわけよ。
>>851 たぶんこんがらがってるだけだと思うが、
結局石高から算出するって事は、兵士の給料、有事の際の物資(食事、武器等)等が含まれてるわけ。
んで、あちこち遠征に行く場合の動員数ってのは他国と変わらないだろうけど、給料、糧食なんて関係ない
本土決戦時には薩摩人口1/4が兵士として「戦える」ってだけです。
>>847 島津隊は当初は伏見城守備の為の精々数百程度で
西軍が旗揚げした後に本国が増援しないので、
それを無視した連中がほそぼそ上方に来て関ヶ原時点で
1000程度の数になったと記憶しているけど。
で、関ヶ原で大損害を蒙った。
どうがんばっても部隊構成が書かれた史書はねえと思う。
史書どころか、当時の人間も部隊構成はわからなかった
んじゃねーか?
ちなみに、畑仕事ほうって上方に上ったという話はあるらしい
けどね。
追記
薩摩は対徳川戦を、薩摩国内における本土決戦と想定しています。
証拠としては、関ヶ原後の鶴丸城築城、国境警備施設等。
薩摩飛脚といった言葉が生まれるほど、薩摩は要塞化されていきます。
>>854 なるほど、侵攻軍としては他と同様と言うことか
>>854 兵士が多いということ、あるいは常に兵としての訓練が必要だということを考えると
その分他国よりも人口あたりの経済力は弱いと考えられるな
>>858 まさしくその通りで、宝暦の治水工事なんかさせられた時は、薩摩藩が潰れるほど
金を吐き出したわけだが、郷士自体も貧乏で、尾張までの道中米の弁当代わりに
芋持ってったのが「芋侍」の語源にもなったって話がある位貧乏だった。
860 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 05:29:12
>>859 だから「さつまいも」って言うんでしょうか?
無知ですいません。
関ヶ原当時に日本にサツマイモはないはず
だから当時持ってきて食べてた芋は全く別種の芋だろう
で、江戸時代に甘藷という芋が琉球から薩摩に伝わってきてその後日本全国に広まっていくことになる
その普及のきっかけとなったのが薩摩なので甘藷→サツマイモと呼ばれるようになった
確かこういうことだったはず
ほうれき 【宝暦】
年号(1751.10.27-1764.6.2)
863 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 07:51:36
>>861 なるほど、レスありがとうございました。
なんかスレが元気と思えば・・・・・w
まあ島津の尚武はいってみれば強力なウイルスみたいなもんだよ。もちろん支配階級が
百姓を奴隷的に使役した結果だけど。それで明治以後も軍や警察に大量に薩摩武士が
流入してあげく国が滅亡。
もともと古代から特権的存在だったのもあるが、さっさと潰しておけば・・・。
薩摩ネタで盛り上がっておりますw
これが島廚ウィルスか!
ま、それはともかくさ、東軍・西軍双方の戦略目的と戦術目的
書いてそれに沿って議論したほうが良くネエか?
話見ると、直接ブツカッタ同士どっちが強いか?という議論
ばっかだからな。
それどころか、もっと性質が悪いのが事象を自分の価値観のみ
で語るのを議論だと思ってるっつー連中だな。
いや一番タチが悪いのは、この板に蔓延する異常なまでの西軍(三成)贔屓の感情でしょう
関ヶ原関係のスレが立つと、とにかく自動的に「三成は本当に良くやった」「三成は優秀だった」という
石田三成の優秀さを偲ぶスレと化します
そしていつのまにか「紙一重の差で東軍が勝った」、「どちらに転んでもおかしくなかった」という
大前提が出来上がり、そこで、三成の策は良かったが思いどうりに動いてくれないやつが悪いということになり
小早川や吉川あたりの悪口が書かれ
さらには上杉が江戸に攻めていたら、秀頼が出陣していたら等、西軍を勝たせるためのありとあらゆるIFが語られることになります
この決まりきったパターン化から脱却するために
まずは、関ヶ原の戦いは1日でケリがついた東軍の圧勝であったという史実をしっかりと受け止めることが必要であると思われます
>>866氏は
>事象を自分の価値観のみで語るのを議論だと思ってる
と書かれましたが、実際は
自分の願望(西軍に勝って欲しかった)に理由付けをするのが議論であると思う人が多すぎるのではないでしょうか?
私自身豊臣贔屓なので心情的には西軍の方が好きですが、
単なる好き嫌いの感情で余りに偏りすぎてはスレがつまらなくなるだけのような気がします
>>867 >まずは、関ヶ原の戦いは1日でケリがついた東軍の圧勝であったという史実をしっかりと
>受け止めることが必要であると思われます
漏れの見るところ、そうなるに至った東軍の勝利のプロセスに至る認識が無視されている気がする(東軍派も西軍派も)。
例えば、小早川と毛利寝返りという事実だけを書いてそれに至る手順・動機があんま書かれていない気がする
(無視して都合の良い事言っている西軍廚もあれだが)。
家康が腐心しtらであろう豊家武将に対する煽りやら西軍を関ヶ原で迎撃せざるを得ない状態にしたことやら・・・。
それって戦以前のことだが重要じゃねーか?
まあ、ガイシュツすぎて書いていないかもしれんが、西軍強化案に関して批判する前にこうなったから東軍が勝ったんだ
と言わねえと議論になんねえじゃねーか?
>自分の願望(西軍に勝って欲しかった)に理由付けをするのが議論であると思う人が多すぎるのではないでしょうか?
価値観によって事実を歪めるのが西軍廚だとしたら、
事実によって自らの価値観による議論が出来ないのは東軍廚だな。
一日で決した東軍の圧勝というプロセスに関しては兵力によるものとか、裏切りによるものとか事実のみ
言ってそれに至った状態を述べもしない。で、西軍の火葬戦記のコキ下ろしに専念している。
あまりに基礎的な事だから東軍派は言いたくないかもしれんが、現状は会話のデッドボール状態だと思うぞ?
なんで家康は三成の構想を上回る事ができたのかっていうプロセスに対する相互認識が
西軍派も東軍派双方ともに抜けている様に思えるのは漏れの気のせいか?
869 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 20:09:59
>>868 家康が三成の構想を上回れた要因ですか?
簡単でしょう。
まず@大義名分
一見西軍の方が正当に見えるが、それは結果を見ているからいえること
当時としては東軍の方に正当性があったと見るべきでしょう。
徳川家康は秀吉に豊臣政権の差配を任されており、上杉征伐にも
秀頼の許可を取って豊臣家として号令できる立場にあった。
西軍の構成メンバーには誰一人、家康以上に豊臣家の名代といえる人物が
実はいなかった。
いってみれば総理大臣の外遊中に他の内閣閣僚が独断で
国会解散を主張したようなもの。当然総理の認めていない国会解散に
どれほどの正当性があるというのか?
それといっしょ。
秀吉とかは家康という実力者を野放しにするより政権の中に取り込んで
動きを抑えようとしたのだろうけど、逆に乗っ取られる結果になった。
870 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 20:17:45
んでAトップのカリスマ
当時、戦国生き残りとして武田信玄や織田信長と同時代を、同じ
国主の立場で生き抜いた人物といえば数少なく、
現役として政権トップになったといえるのは家康以外いまい。
豊臣家の長秀吉ですら家康に遠慮し(経過が実際はどうあれ)
実母を人質に出して、本人が頭を下げて従って貰ったという
ネームバリューは大、その人物が全権を握って自在に差配する
軍勢の方が、なんのかんのいって統率力があって当然。
西軍に比べ裏切りを誘う要素が少ない。
でB実力
関東250万石は豊臣家よりも上だよ。まして徳川家の結束と強兵は
天下に名高い。
そして家康を支持する東国諸侯は豊臣家よりも徳川家を最初から
選択してる香具師も多く、これを合わせると分裂している豊臣恩顧
や寄り合いの3大老が敵になっても容易に倒せない。
871 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 20:24:28
そしてC豊臣家の一員としての立場
お忘れでしょうが、家康は暦とした豊臣家の家族です。
徳川家康は豊臣秀吉と兄弟であるという事実
徳川のあとを継ぐ秀忠も秀吉の甥という立場の上に
秀頼生母の妹婿になってる。
北政所の家族でも浅野とか身内同然の前田が家康になびいてしまっている。
小早川秀秋もなんやかんやいってそう。
他の西軍に属した大老や奉行で豊臣家の一員と主張できたのは
宇喜多秀家のみでしょうが。
西軍は三成との個人的なつながりで参加した武将ばかり。
実は人望あった三成。
873 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 20:34:23
信玄との戦いで敗れた家康は、信玄から本物の戦いを学んだ。
874 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 20:36:10
まあ他にもあるが、最も重要なことが見落とされてるよ。
D西軍の準備不足
西軍決起を煽った上杉征伐ですが
家康が上杉征伐を強行しようとした理由を推理すれば
西軍が決起を焦った訳も見えてくると思うのです。
武家の棟梁は東国の夷を平らげることを本旨とする役職ですが
上杉という東国の夷を平らげれば体裁的には家康は
征夷大将軍に必要な東国平定という実績を朝廷に示すことが出来るわけで
(ちなみに秀吉は家康に敗れてしまっているから)
関が原が無くとも上杉が潰れれば家中も纏めきれぬ毛利、宇喜多を残すのみとなれば
家康が征夷大将軍になってしまう可能性は否定できんでしょ。
E対外国および世論
朝鮮出兵の失敗は豊臣家の威信を地に落としており諸外国を敵としていた
訳で豊臣家のままで外国との関係回復は困難と見てしかるべき
世論も豊臣政権末期に嫌気がさしていただろう事は想像に難くない。
で豊臣家はどっちみち幕を下ろさないと世論や外国が納得しがたい
であろう。
875 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 20:46:41
でF豊臣家の自己否定
豊臣家は武家関白という立場で政権を担っていたが
2代目関白秀次を秀吉は処刑しています。
その後、豊臣家は関白ですらなく太閤秀吉の残光だけ
で成立しており、法制的に豊臣家の政権世襲を
行うシステムが存在していなかった。
家康は豊臣家の雇われ家老みたいなもので秀頼の天下人たるを
保障する法制も官職もまだ無い以上どうしようもなかった。
関が原で勝った段階で家康が朝廷に働きかけるだけで
豊臣家そのものを処罰することすら不可能とはいえなかったように思う。
876 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 20:52:24
どうでもいいけどよ、関ケ原で括ったら混乱しないか?
関ケ原合戦〜東軍〜
関ケ原合戦〜西軍〜
こういう風にスレ分けた方がいくないか?もちろん関ケ原総合スレは残す形で
ただでさえ、板違いの無双スレがあるんだから3つ立てても趣旨を説明すれば削除されないだろうし
>>876 そのスレ分けにどういう意味があるの?
東軍スレでは東軍に都合のいい議論をし、
西軍スレでは西軍贔屓の議論をするの?
そんなの、ただの妄想スレッドに過ぎないのではないですか?
878 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 21:30:04
東軍派もいるけど西軍派もいるから、お互い様ではないのか?
879 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 21:32:04
西軍はかっこいいよな
義理と人情
男のあるべき姿はここにあり
相変わらず事実の羅列をいってるだけなのは気のせいでしょうか?
@大義名分
批判されながら東征を行ったわけですが、
三中老と三奉行も東征反対の建白書だしているし。
朝廷も綸旨だすの渋っている。
むしろ、中央官庁とか議会無視して宣戦布告を
行った内閣総理大臣といってもおかしく無いでしょう。
まあ、出た以上正当な大義名分ですが。
そもそも、東征の大義名分と西上の大義名分をごっちゃ
にするのもおかしいでしょう。
大命下り目の前にいる反乱軍を無視して西上を優先する
のは大義名分自体を踏みにじる行動です。
愚かであっても上杉軍を倒してから西上しないと大義名分
は成り立ちません。
大坂を発った時点でまず東征の軍なわけで、それ以外の
行動は政権の軍を私軍として扱うわけですから。
それにあなたの言葉を借りれば三成達も秀頼の名分を借りた
訳ですから、秀頼が豊臣政権の正当性を保持している
以上その絶対性からして家康も三成も同じ立場です。
玉抱えている三成の方が上だとも解釈できます。
まあ、所詮は三成と家康の私戦だということです。
個人的にはあまり重要視すべきではない要素だと思います。
重要であるのは小山会議位でしょう。
これもどっちかって言うと、家康のカリスマ性に依存すると
思いますがいかがでしょうか?
881 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 22:03:45
>>877 西軍側・東軍側で質問や意見をまとめて、総合スレで討論すればいいんじゃないか?国会の質疑応答みたいに、時間を決めて話が途中で終わったら、西・東でまとめて次の日にまた討論みたいな形で
882 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 22:11:25
>>880 >玉抱えている三成の方が上だとも解釈できます。
それはどうかな? 淀殿は家康と内通してたっぽいし。
淀と三成との間には殆ど連携がとられてないし。
>まあ、所詮は三成と家康の私戦だということです。
それについては概ね同意
>>867 私は三成は優秀だったと思うし、西軍は良くやったと思うよ。
しかし、石高・名声その他ひっくるめた総合力で家康の方が上だったから、
東軍が勝ったってことではないかい?
実際、元五奉行とはいえ蟄居中の身であれだけの勢力を集めただけでも大した物だし。
小早川の裏切りも、私は必然的な結果だったと思うが、
東軍から寝返りを促す狼煙が上がっても直ぐには寝返らず、
家康を慌てさせたという事実を忘れてはならない。
実際の戦闘も優勢だったとは思わないが、
何倍もの敵を相手に良くやったというべきだろう。
>>867 西軍ファンで、三成に勝ち目がないと言ってる椰子初めて見たよ
>>883 同感
家康の専横を苦々しく思っている人間は多数いたが
現実に行動に移し、対抗勢力をまとめあげて、少なくとも「決戦」に
もっていけたのは、三成以外にいなかった
ただ、それもある程度は家康のシナリオ通りでは合ったが
>>882 淀殿が家康と内通?それはありえんだろ。それともなにかソースがあるのかな。
通じていたならなんで豊臣家は関ヶ原以後65万石にまで石高減らされてるのよ。
秀頼・淀殿含めた豊臣首脳陣は表向きは中立、実際は西軍寄りの立場でしょ。
西軍が大坂城に入っている以上首脳陣が東軍寄りであることは考えられないと思うのだけど。
西軍と豊臣家首脳陣の連携が取れていないのは、西軍敗戦のあとの秀頼への火の粉がかかるのを恐れたからだろうし。
889 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 23:01:07
東軍が反乱軍で西軍が正規軍だったとは一概には言えないよ
>>888 オレも石高が減るのは疑問なのだが
何でも「恩賞」を出すために、豊臣の領地を削ったそうだw
あれだけ没収しておいて、本家の領土は減らす必要はないと思うのだが
それが通ってしまうと言うことはとんでもない状況だな
891 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 23:04:01
>>885 おいおい、普段どんなスレ覗いてんだよw
>>889 正規軍反乱軍とかじゃなくてさ、どちらも秀頼の御為という大義名分をもちあげた「豊臣家家臣同士」の抗争なのですよ。
だから秀頼(淀)は日和見であるのさ。
でも、西軍は大坂城に入っているし、領土も削られている。どうかんがえても東軍寄りではない。
西軍敗戦後に、敗走してきた西軍を大坂城に入れないようにしているが、これは秀頼が同じ西軍の武将として罪に問われるのを避けたのだと思う。
>>888 片桐且元が東軍側の態度を取ったし、
増田長盛が家康に西軍の情報送ったりしている。
以上のように最大の実力者であった家康は、
その影響力でかなりのシンパを大坂城内に作っていたと思われる。
よって、西軍が大坂城に入っているのでおおっぴらに東軍よりには行動できないが、
心中は東軍って者は結構いたはずで、その結果表向きは中立って立場になったとみるべきでしょう。
さすがに淀殿当人が通じていたとは思わないが。
4行目
どう考えても東軍寄りではない。
→どう考えても秀頼と淀は東軍寄りではない。むしろ西軍支持。
秀頼周辺の側近らは片桐にしろ増田にしろ、長束にしろ、東軍西軍どっち着かずの微妙な態度を取っているように思われる。
やはり戦の決着がついた後の処分を考えるとはっきりとした態度は示せなかったと思う。
でないと、豊臣家本体が壊滅するよ。
>>893 豊臣家の領土は没収されるとうかたちで減らされたのではなく、
豊臣家の逆臣を討った者たちへの恩賞として渡すという名目で、
削られたそうだ。
ちなみに、片桐且元は加増されている。
増田は追放されてしまったが・・・・
>>897 なぜ豊臣家本領土をけずるんだ・・・。しかも家康が。
>>896 増田はそれで失敗したね。
表向きは正面きって家康糾弾の文書に署名していながら、
裏では情報を流していた。
結局、表の方の行動を責められて追放、
家康としてもどちらにつくか分からない者を飼っておくつもりはなかったのだろう。
そこへ行くと、家康に人質までだした片桐は明白に徳川方についたことが、
身を助けたと言える。
>>898 家康は豊臣家の政務代行者ですから、
恩賞を誰にどうやって出すのかも当然代行します。
>>894 淀殿当人は西軍よりのようです。
妹の嫁いだ京極高次が関ヶ原前に東軍に寝返ったときに、淀の乳母を高次説得のための使者に出してます。
>>901 それってどっち寄りというよりも、
妹の身をあんじただけじゃない?
大事な大野治長も東軍と行動をともにしているし、
西軍よりには動けなかったと思う。心情はともかくとしても。
>>902 妹の身を案じただけなら形成有利な東軍の味方をした京極家を説得する必要は内容におもうのだけど。
大野は東軍に囚われの身だから東軍として参戦せざるを得ない状況だったので気が気ではなかったとは思えるが。
>>903 全体としては東軍優勢でも、
大津城は西軍の中で孤立していたからね。
実際城攻めになって身の危険に晒されていたのだから、
単純に心配だったのだと思うよ。
秀頼を守ることが最優先だろうから個人的にどちらかに肩入れはしてなさそう。<淀
とばっちりがくるからね。
906 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 23:53:43
大津城攻略は西軍の勝利に結びつかなかったが・・・?
>>893 つか、大阪城としては、最初から最後まで、中立ということを主張したかったんだろ
>>900 その権限は家康にありません。
あるのは成人した後の秀頼です。
その間まで加増は禁止されています。
・・・最も関ヶ原前も豊臣家の領地削って
加増しているけど。
>>902 実は北政所は西軍よりだって言ってみるテスト。
浅野や小早川は兎も角、他の身内は西軍についたし。
>>906 西軍の大津攻略に時間がかかりすぎたから勝利に結びつかなかった
>>909 権限があろうとなかろうと、家康はそれをやってのけたし、
豊家首脳も諸大名もそれを認めた。それだけで十分。
それに論功行賞は、秀頼の名で行われているからね。
書状に記載されているのは家康のサインではなく、秀頼のサイン。
>>909 確かに。
領地削除を家康がやるのはおかしいよ。
豊臣家自体に不利なことばかり。
北政所も中立でないの?
よく、淀と北政所の閨房争いとか言うけどそれは後年に面白おかしく脚色されただけだし。
秀頼が関ヶ原以後に北政所の屋敷修理とかしてるくらいだから淀と北政所が仲が悪いということ自体おかしいよ。
それに豊臣家家臣同士の争いのどちらかに秀吉の正妻が肩入れするわけないよ。
したとしたらそこで勝負はつく。
秀頼、淀とおなじく日和見さ。
>>870 Aトップのカリスマ
その割には福島正則に舐められた対応取られているけどね。
三成も嫌われているけど、実は親徳川もそんなに数は多くないわ。
どっちかって言うと、軍を指揮する統帥の要訣を抑えていたという
感じだわな。
豊家武将に対する人扱いみると、人情の機微を何も考えずに
戦略的要求で兵動かしている三成が馬鹿に見えるわ。
所詮は私戦なんだから、油断できない人物には首に鈴つけない
と思うんだがそれが三成は甘かったよな。
最も、関白の位まで用意していた秀秋とか自分で自分の死刑執行した
吉川広家を考えると空しくなるが・・・。
これを、家康のカリスマと考えるべきなのか?それとも悪運
と見るべきなのか?迷うところだな。
>>909 権限あるだろ?
秀頼が幼少である以上、秀吉が定めた補佐役家康がやらなければ、
他にやるものはいない、全ての案件を秀頼成人まで留め置くことは出来ないし。
一応チェック機能もあったのだろうが、
関ヶ原後ではそれも不可能だわな・・・・。
豊臣家の為に戦して豊臣本家の領土を削る。
っておかしくないか?
西軍大名の領土を削るならわかるけどなぜ豊臣家の領土を削る。
家臣同士の争いなのに。
>>913 まあカリスマというか、とりあえず総大将としてみなすという段階には少なくとも達している罠
三成なんかは、実質総指揮者だが、名目上は総大将でもないし、軍勢の数でも、合戦の手腕でも
経験でも、石高でも、他の西軍の奴(宇喜田、毛利等)に劣っている
>>916 豊臣家のために戦ったんだから、豊臣家の財布から褒美が出る。
どこがおかしい?
>>917 島津なんかは、当日率いていた軍勢こそ少ないが、武将としての格は三成の数段上
それを否定されたんで、頭に来て当然
ヒョードルが格闘マニア(実戦、試合経験無し)におまえのパンチはダメだと言われたようなもんだな
>>916 豊臣家のために戦った者に、豊臣家が恩賞を与える。
だから、当たり前のことって論法でしょう。
いや、言うまでもないが家康のごり押しだから完全な整合性なんて求めるな。
それから、東軍勝利が確定した段階で家臣同士の争いってお題目ではなくなっている。
豊臣家のために、「反乱軍、逆賊」を討ったという名目なんだろ
一応そうかもしれないが、そのため主家の領土が減るというのは尋常ではない
>>918 西軍が勝ってたとしても領土は削られたということか?
毛利が豊臣家の領土を削るのか?
ならば豊臣家自体としてはこの戦は大迷惑だな。
>>921-922 いや、将来のことをにらんだ家康の策謀なのは明らかでしょう。
どんな場合でもそうなるというような当然の理ではない。
>>923 家康の横暴だ
しかしそれを止める者がいない
三成が勝っていたら豊臣家領地減などなかったろうに・・・。
たしかに
>>920の
>東軍勝利が確定した段階で家臣同士の争いってお題目ではなくなっている。
っていうのは重要なポイントだな。
東軍が勝った時点で、西軍は賊軍扱いだからな。
「賊軍を破った功労者に、主家から恩賞を与える」というのは、
論理的には全く問題ないが、道義的にはとんでもないことだと思うよ。
俺はそんな悪辣な家康が好きだが。
家臣の功に報いる為に主家が我が身を削るってのは、
普通のことではなくとも、まあ、ありえることだ。
ちょっと例が違うが、
三成が島左近を得るのに自領の半分を与えたとかいうのと似たようなもの。
そもそも、恩賞によって領土が増えた者も、全て豊臣の家臣なんだから、
その建前が本当なら、結局は全部豊臣家のものであって何の問題もない。
問題はその恩賞を与えると決定した者と、
最大の恩賞をもらったものが同一人物で、かつ心の中では、
豊臣家への忠誠心なぞ持っていなかったってこと。
全く致命的な問題だが・・・・
本当に主君がそう思ってやっとことなら美談なんだが・・・・
>家臣の功に報いる為に主家が我が身を削る
>>927 あんまりないんじゃないか
元寇や朝鮮の役では、やる領地がなくて困ったはずだ
島の例はちょっとなあ
だいたいスカウトの時だしな
それにそれ以降昇給していないからお買い得だったかも
だいたい仕官は無理だろうと思われていたしな
>>927 三成は「自分で」左近に領地を与えたのだからそれは別問題
>>931 そう、自分でやったなら問題ない。
ところが、当時の豊臣家では豊臣の意志を決定できる者が、
実は豊臣家の潜在的な最大の敵であったということが問題だったと、
まあ、そういいたいわけですわ。
なんだか豊臣家が可哀想になってきた(涙
というか、秀吉の遺命で加増は秀頼が15歳になるまで禁止・・・。
福島・蜂須賀・伊達との婚姻ばかり目が言ってるがこれも
島津等に行った加増も法規違反・。
家康は、関ヶ原以前から豊臣領削って親徳川派増やしたり
婚姻で結びつき強めていたんだが、明確な法規違反・・・。
加増を行う権限があるって・・・、家康って五大老五奉行で
確認した秀吉の遺命を破っていたんだが、まさか状況が
変わったから加増を行う権限があるとか言いたいのか?
状況変えたのが家康自身なんだけどね。
理非うんぬんはともかく、加増の権限があるというのは間違いだぞ?
>>934 おっと、そんな遺言まであったのか、これは失敬。
そりゃあ明らかに越権行為だわな。
それを止められないようではもうどうしようもないなぁ。
>>934 そらそうだわな。
そうなると関ヶ原前でも逆賊は明らかに徳川だよな。
上杉征伐も豊臣家の為にということで、秀頼から資金をもらって行ったとなっているけど、もらっていったというより勝手にもぎ取って行ったというほうが正しいかも。もぎ取られる際豊臣家は嫌とは言えず…。
937 :
家康:05/02/12 01:00:17
なんの状況だ。
おのれ家康!
何様のつもりか!!
逆賊は逆賊だろう。
内府ちがひの云々が提出されたことで、秀頼は西軍に属することになった
というのは?
>>938 大恩ある五大老の一人上杉が謀反を起こすなぞ、
太閤様も思いもしないこと。
太閤様に後を託されたものとして、
このような非常の時には非常の策を採らねばならないのだ。
ってところが建前だったのでは?
>>941 秀頼側で追認すればね
史実ではとりあえず黙殺でしょ
まあだいぶ例えとして無理があるが
9条で軍隊持てないのに、持っているようなもんだなw
>>942 太閤様の取り決めを破った家康が上杉征伐かあ。むう。
太閤の遺訓を無視したのは、家康だが
驚くべき事に「共犯者」の中に福島も含まれている
本人には色々言い訳があるだろうが、子飼い筆頭の福島が遺訓を破るようでは・・・・
947 :
シン:05/02/12 01:13:20
力こそが正義
いい時代になったものだ
>>945 家康「破ったんじゃあないよ、ちょっと忘れていただけ。今では反省しているって。」
>>948 三成好きではなかったが、こういうレスを読むと三成って漢だな・・・って思ってしまうよ。
>>945 家康「それとも何?どうしても許せないっていうなら相手になるよ?」
>>949 いや、他の四大老に、遺訓を無視を詰問された時、
本当に
>>948>>950みたいな主旨のことをいって乗り切ってしまったそうだぞ。
家康は。
スレたてチャレンジしてみます。
>>951 もうヤクザの開き直りと同じだな
法はない
>>950 いや、自分が取り決めを破ったという事実自体認めさそうだ
1:朝鮮の役で功があったのに全然加増されねえ(七将)
2:三成のせいだ(嘘。秀吉が悪い。つーか領地増えていないし)
3:よし、徳川に味方して三成やっちまおうぜ!
漏れの眼には朝鮮の役で加増が無く。
政権に不満があった子飼い武功派連中が軽挙
盲動してそれに家康が乗ったとしか思えないのだが・・・。
外様は豊臣家にかなわないから不満があっても特に言わな
かったけど、身内の武功派遠慮がなかったんだろうな。
政権ってそういうものじゃないんだが・・・。
本来なら政権に対する不満を秀吉に対する愛とか忠誠から
三成にぶつけている。それを煽り立てて政権を単なる政争
の舞台にしたんだよね。家康は・・・。
関ヶ原後の彼らを見ると天下平定した政権といわれるもの
が実は邪魔だったんじゃねーかって思うよ。
福島正則でさえね。
>>943 >秀頼側で追認すればね
追認したから西軍が大坂城に入城できたのでは?
タイトルは
関ヶ原の戦い総合スレ2
でいいの?
>>956 本当に追認してもらったなら、秀頼の名前で文書出すでしょ?
そうではなかったから、
勝手に大坂城に乗り込んで、秀頼様を操ろうとする逆臣、
って言い方を家康側に許してしまったわけで。
大坂城に乗り込まれた際に首脳陣はどういう態度取ったのだ
なすがまま?
>>947 そもそも「力こそが正義」なのが戦国時代でつよ。
>>963 家臣同士の争いだから、
我々はどちらの味方にも付かない。
西軍敗北の最大の戦犯は立花。
大津のような周囲の土地が城より高地にある、立地条件最悪の小城
ひとつ落とすのに日数かかりすぎ。
なんかにわかに東軍勝利が必然とのたまうのが涌いてるけど・・・。
そんなだったらこんなスレもたたないし。
圧倒的キャリアと領地持ってた割に内情はぐだぐだってのが実際の所だろ。関ヶ原の戦闘部隊も秀吉子飼い同士の激突だし、日本的
風土を決定づけたとさえ言われる空気読んだ武将除けば、純粋に徳川に忠誠を誓った軍団なんてないわけだし。
だから、三成個人の私闘を豊臣家のために成敗するという基本戦略は初期に崩壊し、東軍に匹敵する数を緊急動員にもかかわらず
集めてしまったため、秀吉の直参連中は動揺、あまつさえ秀頼直々の出陣があれば東軍自体が空中分解の危機にあったわけで。
秀吉を覇者にした理由である経済的側面では、秀忠軍は軍資金や物資が不足していたし、駿河・遠々江・三河・尾張・美濃の、家康封
じ込め用の膨大な備えが前提で異常に早い西上が可能だったという、いわば他人のフンドシ。政治謀略上は凄いものがあるが、関ヶ原
にしても秀頼を擁して大義名分を、という福島らのあせりに引きずられる形で関ヶ原の死地に向かう完全包囲布陣を許しているが、これ
も長引けば西軍部隊が更に四方から集まるのに対して、持久戦になれば日和見が増えて東軍の方がじり貧になる現実があるからであ
る。そうなれば秀忠を引き抜いた関東の方もただでは済まなくなり、壊乱の危機に直面することになるからである。
また、腹が決まっていたはずの小早川の動揺も、実際の戦場での優劣が如何に武士にとって分かり易く重要な事実かを示している。
このように、光成がたくさんミスを犯し、家康が極限まで政略を実現したにもかかわらず力が拮抗してしまったのは、明らかに家康が戦
略的に敗北していたという事である。あとづけで北政所がどうのといっても無意味。なんとなればねねは三成とも通じていたわけだし。
次スレが寒いことになってるな
969 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 11:07:46
ゆるしてくれるだろうなんてありえない
毛利あほ
家康が戦略的に敗北していたなどと、よくもまあそんなことが言えたもんだ。
>日本的風土を決定づけたとさえ言われる空気読んだ武将除けば、純粋に徳川に忠誠を誓った軍団なんてないわけだし。
黒田長政、細川忠興、藤堂高虎、池田輝政、浅野幸長などは完全に家康寄りだね。
まあ、寄り合い所帯なのは西軍も同じで、上杉征伐に参加しようと東下する連中を
無理矢理人数に組み込んだのがほとんど。
>秀頼直々の出陣があれば東軍自体が空中分解の危機にあったわけで
そうさせないために、家康は大坂城首脳にしっかりと手を打ってあった。
片桐且元を抱き込んでいたのは非常に大きい。
家康の戦略的勝利の要因のひとつだ。
>駿河・遠々江・三河・尾張・美濃の、家康封じ込め用の膨大な備えが前提で異常に早い
>西上が可能だったという、いわば他人のフンドシ。政治謀略上は凄いものがあるが
君はこれをあたかもラッキーであったかのように言うけど、これは家康が東海道の諸将を
味方につけるためにキチンキチンと手を打った結果だよ。
この策謀の成功によって家康は楽々と西上することができ、
西軍は美濃―尾張のラインで東軍を迎え撃つという当初の戦略が、崩壊することになってしまった。
>関ヶ原にしても福島らのあせりに引きずられる形で関ヶ原の死地に向かう完全包囲布陣を
>許しているが、これも長引けば西軍部隊が更に四方から集まるのに対して、
>持久戦になれば日和見が増えて東軍の方がじり貧になる現実があるからである。
これに対しては一言で反論できる。「家康は戦機を見誤らなかった」と。
小早川の東軍化及び毛利の中立化を成功する見込みが立った家康にとって、
関ヶ原で持久戦をやるメリットなどまるでない。むしろ積極的に短期決戦にうってでたと
言うべきだろうな。
こうして見ると家康は、九月十五日の関ヶ原決戦で勝利するための布石を
ひとつひとつ丁寧に、かつ着々と打っている。
この辺は囲碁と同じ。家康も三成も、相手より優位に立つための布石を打とうとしたんだけど、
このあたりの策謀に関しては、家康の方が断然優れていたのは言うまでもないことだ。
結局また囲碁で例えると、関ヶ原決戦の朝にはすでにほぼ決着がついていて寄せが始まっていた
というところだ。
これを戦略的優位と言わずして何と言うのか。家康の戦略的敗北などと言える神経がわからない。
関ヶ原に布陣してからのことは将棋に例えてみようか。
東軍には駒がそろっているのに対して、西軍には玉(秀頼ないしは毛利輝元)がない。
飛車(南宮山勢)はそっぽ向いてるし、角は(小早川)は味方だと思っていたら敵だった。
それでも、金将(宇喜多)、銀将(石田)、桂馬(大谷)だけで西軍はよく戦った。
これは戦術的に西軍が非常によくやったと言うべき。
しかし、戦略的不利を戦術面で覆すのは並大抵のことではない。
結局飛車は最後まで動かなかったし、味方の角に桂馬を取られ、
あとは態勢を立て直せずに金も銀も取られて終局。
織田信長は桶狭間でそれをやってのけたが、以降は戦略的優位を構築することに腐心した。
それが信長の成功の要因のひとつでもある。
>>967には
>>868以降をもう一度よく読んでほしいな。
>漏れの見るところ、そうなるに至った東軍の勝利のプロセスに至る認識が無視されている気がする(東軍派も西軍派も)。
>例えば、小早川と毛利寝返りという事実だけを書いてそれに至る手順・動機があんま書かれていない気がする
>家康が腐心しtらであろう豊家武将に対する煽りやら西軍を関ヶ原で迎撃せざるを得ない状態にしたことやら・・・。
>それって戦以前のことだが重要じゃねーか?
>なんで家康は三成の構想を上回る事ができたのかっていうプロセスに対する相互認識が
>西軍派も東軍派双方ともに抜けている様に思えるのは漏れの気のせいか?
974 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 12:08:53
西軍も動いていない奴が多かったが、東軍も動いていない奴がいたから同じだよ
>>967 三成が犯したミスって言い方も気になるな。
確かにこうしておけばより有利になった、
これが成功すれば西軍が勝てたかも、というようなことは多いが、
その中にその気になれば実行できたが、あえて実行しなかった、
あるいは全く気がつかなかったというような明白なミスと言えるものがどれほどある?
精々東軍への夜襲の却下くらいでは?それだってやれば必ず成功するって物でもないのだから、
ミスと言い切ることは出来ない。
秀頼或いは輝元の出陣にしろ、
小早川の裏切り回避にしろ、最初から手を打たなかったのならミスだが、
そうではないのだから、ミスではなく実力不足というべきものだ。
977 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 12:15:16
>>977 おいおい、それはまだそれだけ余裕があるってことだぞ、
実際には東軍に内通していたから動かなかった、
西軍の吉川隊とかと違うんだから。
979 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 12:20:43
>>978 では、西軍には勝ち目が無かったということ?
>>979 まあ、ほとんどないでしょう。
無論戦争は終わるまで何があるか分からないから、
始まる前に東軍勝利は確定していた、などとは言えない。
しかし、可能性としては東軍が勝つ可能性のほうが高かったし、
結果順当に東軍が勝ったってだけのこと。
むしろ、この土壇場で或いは西軍の勝ち目もあったのでは?
と思えるところまで巻き返したという面で、西軍の奮闘が目立つって感じ。
スポーツの試合か何かで、
明らかに格上のチームに対して健闘し、予想外と言えるほど頑張ったが、
結局は負けた。
まあ、そんな感じ。
982 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 12:30:56
スレも終わりだけど、頭悪いのが一匹暴れてるねw
まあ勝てば官軍って言葉をおくっとくよ。おまいには。
>関ヶ原で持久戦をやるメリットなどまるでない。
馬鹿じゃねえの?大垣城包囲の事だろ?
>これに対しては一言で反論できる。「家康は戦機を見誤らなかった」と。
( ´,_ゝ`)プッ
反論できなくなって逃亡か、
西軍贔屓な者なら、不利な情勢でも諦めずもう少し頑張ってみろよ。
教科書まとめるアフォのいるスレはここでつか?
986 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 12:42:23
西軍主力は3万4千だけで奮闘していたのか?
987 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 12:52:57
西軍3万4千 東軍10万8千
西軍に勝ち目があるわけないな
石田三成が開戦前の謀略合戦で家康に水をあけられ、
戦略的に不利だったにもかかわらず、
関ヶ原では家康に冷や水を浴びせたっていうのが、
3スレ続くこのスレの共通認識として、ある程度成立してたと思ってたんだが…。
この共通認識をひっくり返そうというんだから、
論者はもっともっとがんばらないといけんよ。
じゃあ仮に南宮山の毛利勢や麓の長宗我部が参戦してたらどうなったのか?
990 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 13:38:04
つーかさ、誰か現代風に例えてくれない?
991 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 13:38:55
>>989 ログを読め。今までさんざん語られてきただろーが。
「〜だったら・〜であれば」を持ち出したら、贔屓する方をいくらでも有利にできる。
東軍だって、「秀忠が予定通り到着していたら圧勝だった」なんてことも言えるんだから。
そういうIFも面白いけど、なぜそうなってしまったのかも考えてみようや。
992 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 14:15:35
関が原の戦いが長引いたら、そのうち秀忠が到着するよ
関ヶ原の戦いが数日長引いたら、大津城攻略部隊が来るよ(何気に西軍最精鋭)
関ヶ原の戦いが二週間長引いたら、大阪城・毛利本隊が来るよ(何気に3万近い)
関ヶ原の戦いが一ヶ月長引いたら、丹後の細川攻略部隊が来るよ(1万5千)
関ヶ原の戦いが二ヶ月長引いたら、上杉の関東乱入もありうるよ(後方策源地全滅)
え、九州地方の黒田とか北陸の前田って信用できるの?
正直、短期決戦選んで博打張った家康は偉大だなあと思うよ。
その博打を打つ舞台を演出して、勝つように事前も勝負中もきっちりやることやったしね。
到着しないよ
995 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 15:10:59
>>993 家康が最も恐れたのは、毛利の本隊が来ること。
そうすれば戦力差もさることながら、吉川ほか諸将との密約が
おじゃんになる。
だから、毛利が来る前になんとしても西軍を叩いておきたかった
のでしょう。
あの慎重派の家康が、秀忠の到着も待たずに先制攻撃を仕掛けたのだから、
相当あせっていたと思われる。
996
997 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 15:29:14
秀忠が到着する前に輝元が到着したら、かなり不利になる・・・
家康が短期決戦を選んだのは、決して慌てていたからではないよ
998
999
1000ゲットォォォォォォ!!!!!!!!!!!
1001 :
1001:
立 新 / ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、 ,r';;r" _ノ と 何
て し L_ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ ,';;/ ) 申 と
ね い //;;/´ `' 、;;;;;;;;,,l;;' /ヽ す 1000
ば ス /.,';/ ヽ;;;;,l;L_ .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i か を
い レ l |;|┌--‐フ ┌----、、 |;ヾr''‐ヽ, ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く !! 超
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ヽヽ | _,ニ ニ,,,,,_ ', ゞ,' '"'` '" i;;;;;i, `' /
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人_,、ノL_,iノ! . ', :i゙''''''''''`l' ` _人__人ノ_ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\ ,' ト、,
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