革新では宗茂、紹運、親次は結構強くなってるね。統幸も少しは
使えるようにはなったが、あとは臼杵統景、佐伯惟定、田北統員
あたりを出してくれたらなあ
268 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/17(日) 08:46:14
佐伯家って大友の家臣の中でもかなり特殊ぽいね
大友家の家臣はほとんど大友家の血族で構成されてるんだけど
佐伯氏の祖は源平の頃に豊後を拠点に活躍した緒方三郎惟栄で
この人は平家でありながら源氏側につき九州から平家勢力を排除する
などの活躍した人なんだけど源義経を助けたために失墜し結局佐伯
荘園のみを領して大友家に臣従することになったんだそうだ。
だからかなにかにつけて謀反の疑いをかけられる等、力をつけないように
大友家から睨まれてたみたいね。
ゆえに佐伯家は名に緒方氏からの惟の一字をつけ杏葉ではなく三つ鱗紋
を掲げており、大友家に絶対的な忠誠をもってる家ではないように思える。
ちなみに緒方三郎は「おそろしき者の末裔」と呼ばれていて、
『平家物語』 第八巻 「緒環(おだまき)に蛇神の子孫として紹介されてる。
古代氏族の佐伯氏とは関係あるのかな?
ちなみに『日本書紀』『続日本紀』に出てくる佐伯氏は
大伴氏(偶然だが読みは同じ「おおとも」だ)の分家で
奈良時代末期〜平安初期の政治家・佐伯今毛人(さえきのいまえみし)や空海を輩出した家系。
広島県の佐伯郡はゆかりの地らしいが・・・。
272 :
ヒロシ:2005/07/29(金) 00:47:00
>>237 大友関係に詳しい人が多くてうれしいな。
私は遠藤周作の「王の挽歌」を読んで宗麟ファンになりました!
大友…って言うよりは高橋&立花関連の書籍
ttp://ww2.tiki.ne.jp/~shirabe01/sankou/sankou001.htm 大友宗隣関係でのおすすめは 新人物往来社 御手洗先生のずばり「大友宗隣」
極力逸話関連を省いた形で小説化しているところが好印象。
小原氏を盟主とした外様の反乱とそれに絡んだ佐伯氏の伊予脱出や
対毛利戦で佐伯水軍の協力を取り付ける宗隣とか
経済に明るい臼杵を博多に主張させたり、権力押さえのため大内軍に派遣された田原
の話とか加判衆取り決めの話とかとか みどころ(読みどころ)満載??
問題はたんたんと史実を追っているため小説としては面白味に欠ける所と
家臣を官位や字で呼ぶので誰が誰のことか解りづらいとこ。
ちゃんと官位が変わればそれに合わせて呼び名も変わるのです。
逆にマニアな方や人名辞典片手に読み進めるとおもしろさ倍増。
age
275 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/06(土) 17:53:24
戸次鑑連
276 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/10(水) 21:51:14
緒方を含む大神一族はまだ源平争乱期に宇佐神宮を焼き討ちして上州沼田に流されているからな
豊後に返るには大友能直に従わざるを得なかったわけで。
朽網や戸次も大神の分家なわけだが何か関係があるんだろうか。
そういえば関係ないが、大神の末裔が坂ノ市に住んでるらしい。
戸次の出自は大友分家じゃないの?
278 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/10(水) 22:31:58
ハゲ
>>277 大友が 大神氏を取り込む&分裂させるため 動いた結果なのです。
田原氏相手に宗隣も同じ事してるしね。
そういえば臼杵も大神だったな、確か。
>>270 そういえば 藤原純友の乱でも佐伯是基が水軍率いてましたね。
太宰府襲った武将のなかにもいたような…
加判衆の中でおおとも一族じゃない、在地(豊後)の豪族上がりってあるんですかね?
本来は半分が一族衆で半分が外様衆で構成されるはず。>
惟住系とか惟任系とかってどこの末流?
285 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/24(水) 06:16:41
戸次鑑連=立花道雪
286 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/30(火) 01:10:12
age
ここのスレの住人は大分人オンリー?
288 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/02(金) 00:07:53
高知県民ですが、何か?
名古屋から書いちゃいかんことはないだろ。
いやいや。大友とかマイナーな大名でしょ?だから大分人オンリーなのかと思ったのよ。身内ひいきみたいなね。大分人以外にも知ってる人がいてうれしいぜ。
てか、出身が大分とかオチはないよな?
北海道生まれ北海道そだち
熊とか鹿は大体友達。
まあご先祖様が熊本あたりのマイナー豪族だからまったく関係ないわけじゃない。
>>290 大友家はキリスト教と関わり深いし家臣も豊富で
ネタ的に充実してるから全国でもそこそこ人気のある
大名家だと思うが
マジか?すげーうれしいぜ!俺は大分人だけどさ、やっぱ信長とかみてーな知名度はないじゃん。そういう全国規模の武将ならともかく大友について語ってくれてうれしいよ。
>>294が適当にご近所の地名を挙げていくと、
聞いたことのある苗字がいろいろ出てきそうだな。
俺がわかってるのは佐伯市だけだな。城跡もあるしな。ちなみに佐伯市は九州最大面積の市。逆に家臣達の名前書いてくれれば反応できるけどな。大友家は太閤立志伝にでてきた佐伯家しか知らん。地元なのにスマソ。
嬉野・吉弘・吉岡・臼杵・一万田・柴田・奈多・津久見・入田・田口
志賀・雄城・小原・若林・浦上・岐部・右田・財津・田北・田原
思いつくまま並べてみた。
府内は地名で残ってるね。あと、大友宗麟の墓行った事あるけど超しょぼいぞ。ちなみに大分にはざびえると言う銘菓がある。以上、ムダ知識でした。
臼杵と津久見は市名として残ってる。特に臼杵は歴史的な町並みがまだ残ってるな。天領日田の次ぐらいかな。津久見はみかんしか知らねーや。他は大分市内の地区名とかだな。
地元でしかわからない雰囲気とかあるからね。
あの戦いでここから誰それが出陣した、とかね。
うーん。俺は歴史は好きだけど大友について知識が皆無に近いからそんなんはよく知らないんだよね。キリシタンぐらいしか知識が無いと思ってもらって結構って感じ。
別に大分県だからって大友フィーバーなんかねーしな。このスレもきっかけはたまたま大友宗麟ってあったから覗いただけだったし。
そんな俺から見る大分県はあんまゆかりの建物とかは残ってないと思う。
墓も普通に高台にある住宅街の中に埋もれてるって感じだしね。でも寺とかじゃねーよ。
さて、ムダ知識。
佐伯市は真珠湾攻撃の出発地点です。
残暑厳しい折に「真珠湾攻撃の出発地点」は重いな・・・
じゃ軽めで超どーでもいい大分のムダ知識を
今年の24時間テレビはテツトモが来ました。ちなみにそれ以前はずっとあさりどだった。
大分にはトモちゃんと言う大分限定の芸能人がフィーバー中。
ワールドカップで有名になった元中津江村の村長は現在大分トリニータの応援会長
あさりど・・・?
元いいとも青年隊でお笑いコンビ。ちなみにFOOD OITAで検索してみ。そういうサイトがあるんだけどそこでトモちゃんが見れるわ。カボスかぶって踊ってる。
うーん、ここと掛け持ちで今2スレで喧嘩してるんで、また明日にでも見てみるよ。
あ、マジで?じゃ、俺もまた大友について何かわかったらカキコするよ。バトルガンバレよ!あんたには大友家がついてる!
308 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/03(土) 13:40:48
ちなみに佐伯市は港が深いから戦艦大和も寄港してます。
佐伯氏の居城は栂牟礼(とがむれ)城
栂牟礼城については佐伯市民もほとんど知らない
佐伯城は毛利高政が築いた城
佐伯城は栂牟礼城とは全然場所が違う
佐伯市民の誰もが知ってる城山=佐伯城
佐伯城は国木田独歩の『春の鳥』の舞台
毛利高政は大坂冬の陣で淀君の部屋の近くに大砲を撃ち込んだ人らしい
↑司馬遼太郎の『城塞』に書いてた
309 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/04(日) 00:56:44
とりあえず雑学を。
海軍大分飛行場から終戦後宇垣纏が最後の特攻に出撃した。真珠湾攻撃隊、2代目343空などは大分や宇佐で訓練した。
坂ノ市に五両神社ってあるんだが、そこは緒方三郎ら5兄弟の霊がまつられてあるんだとさ。ちなみに五両は五靈から転じたらしい。場所は旧臼坂バイパスの平野バス停付近だったと思う。
おいおい、あんたらすげーな。パーフェクトな大分人か大分マニアか?俺は佐伯にある真珠湾攻撃出発地点の記念碑しか見た事ねーよ。
おいおい、台風やべーって!
312 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/09(金) 21:17:43
つい最近、俺の先祖は大友氏の家来だったと聞きました。
鎌倉時代、大友頼泰と一緒に豊後に入国してきたらしい。
名字もほぼ大分にしかない名字で、その人が名乗り始めたらしい。
俺んちは分家だけど、本家は庄屋でした。
313 :
308:2005/09/10(土) 15:39:27
うちの祖先は中津藩の奥平家に仕えていたらしい???
(中津で元武士だったらしいので)
奥平家が武田信玄公から拝領した武田菱の入った真っ赤な陣羽織を
中津城で見た時はすごい感動した。
父方は毛利清末藩藩士で
母方は柳川藩お抱えの薬師だった
縁があるようなないような