武田信玄はなぜ美濃から攻めなかった

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908無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 23:00:14
>>905
箕輪城?
被害が拡大する前の撤退と負け戦を一緒にするとは素晴らしい!
>>906
意味不明乙w
909無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 23:07:38
(信玄)の生涯戦績 72戦中49勝3敗20分
これってけっこういい加減な勝敗のつけ方だからな
第一次駿河攻めは戦略的には負けであるが各戦闘では勝ったり引き分けたりして、戦術面で戦績を付けてるのに
川中島では第1回第2回第4回みたいに戦術的には負けてるのに結果は現状維持で戦略的には引き分けだからと
引き分けにしていたり
他信玄が率いずに家臣が勝った戦いはカウントして、家臣が攻めたけど負けた戦いはカウントしてなかったりする

また小さい城はカウントしたりカウントしなかったり、史実の怪しい戦いをカウントしたり
910無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 23:09:34
>>905
>箕輪城は?

一般に生涯で72戦と言われる場合、箕輪城を落とした時の戦いしか戦績に加えない
911無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 23:16:03
攻城戦の勝敗のつけ方はかなり恣意的だからなあ。
普通は落せれば勝ち、落せなければ負け(箕輪城は業正の代は負けだよな)でいいと
思うが、例えば高天神のように、見方によって「落す気だったけど出来なかった」と
「最初から落す気はなかった。示威行動だ」とできるからな。
912909:2005/04/08(金) 23:19:28
910の続きで
だから箕輪攻めの失敗は引き分けや負けに入っていない


基本的に城を攻めて落とせなかった場合はすべて引き分けとなっているが、本気で攻めたかどうか怪しい城攻めも
引き分けになっている、例として三増峠前の小田原とか滝山など
913無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 23:20:18
合戦の勝ち負けをつけるのは難しい。
上田原の戦いでさえ、戦場から先に撤退しているのは村上軍だし、そのあと上田原は武田家の勢力下に入っている。
見方によっては勝ちとも言える。
914909:2005/04/08(金) 23:31:36
また3敗の中身だが
上田原は別として
村上相手の砥石城
村上相手の小岩岳城
の二つは城攻めで落とすことができず被害が大きかった撤退時に一部被害を受けた、といった内容で
他の城攻めの失敗と明確な区別がつきにくい(特に後者)
戦略目標の達成不可といった観点から見れば他の城攻めの引き分けと一緒とも言える

あと武田の城が落とされた、後詰が失敗して城が落ちた、
後詰が間に合わなかったなども戦績にカウントされてない。
915無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 23:35:41
>>913
上田原を勢力に入れたのはちょい後だろ、合戦後(両軍が共に兵を退いた後)は佐久にまで攻めこまれてる
916無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 23:37:07
野戦だけを戦術的な観点だけで評価して戦績を付けてみれば
917無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 23:43:38
>>905のワケワカメなレスから奇妙な流れになってるな‥‥
918無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 23:49:59
>>909-914
…そのカウント方式だと、信長の場合は金ヶ崎も戦術的には勝ち戦になるし、74年の
明智城・高天神城の救援失敗もノーカンになるぞ。三方ヶ原や手取川も部下の戦だから
ノーカンなもちろん。
919無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 23:56:35
>金ヶ崎も戦術的には勝ち戦
三方ヶ原??
920909:2005/04/09(土) 00:34:43
>>918
そうだよ、だから武田と織田の戦績の比較は中身が異なるから全然公平じゃないよ
織田には厳しく武田に甘い印象受けるから

基本的にあなたがあげてるのは敗戦にカウントされてるし、更に武田は城が自落や城主逃亡も勝ちに入れてるのに対し
織田は入っていなかったりする
921909:2005/04/09(土) 00:45:25
>更に武田は城が自落や城主逃亡も勝ちに入れてるのに対し
>織田は入っていなかったりする
まあ武田にも入っていなかったりするし織田にも入っているのはあるけど、このことも入れる入れないで基準が
不明瞭だったりする
922無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 00:48:19
>あと武田の城が落とされた、後詰が失敗して城が落ちた、
>後詰が間に合わなかったなども戦績にカウントされてない。
だから負け戦が無い癖に、何度も同じ城を落としたりしてるわけだ
923無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 00:55:24
>>920
たとえば?
924無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 01:11:34
>>923
そりゃ918の内容だろ、織田に厳しく武田に甘いって
925無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 02:02:51
>基本的にあなたがあげてるのは敗戦にカウントされてるし、  

>>更に武田は城が自落や城主逃亡も勝ちに入れてるのに対し、織田は入っていなかったりする
  ↑これのことじゃないの?
926無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 02:10:34
>>925
おおそっちのことか、それは921で逆の場合もあると言ってるから違うと思ったよ
まあ本人じゃなきゃ分からないだろうな、もう寝てるかもしれないが
927無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 11:01:29
>>902
旧来の神に自らをなぞらえるのは、
古くから存在する宗教的価値観に依存して自身を権威づけるもので、
ある意味保守的な方法である。
自分自身が生きたまま神になろうとするのはそれとは全く異なる。
928無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 11:50:29
たしかに信玄たちのやったことと信長のやったことは違うな。
しかし、当時の人間は信長の行為をまったく批判も否定もしていない。むしろ
そのまま受け入れている。つまり、当時に価値観からすれば異常なことではない
ということだ。
信長は、当時の価値観の範囲内で新たなことを行った。

それを現代人の価値観で「異常だ、基地外だ」なんて言うことになんの意味がある?
「現代の価値観でいえば、宮本武蔵は殺人狂の基地外」といっているようなものだ。

「心理学は医学ではなく文学」
現代の価値観から生まれた心理学、精神医学は現代人にしか適用できない。
現代の心理学で歴史上の人物をはかるなんてアホウもいいとこ。
929無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 13:23:54
>>928
というか、信長が自分を神となろうとしたという事自体
事実かどうかはっきりしないことだからな。

死後にそうなるならともかく、生前から実際にそんな事をしたとすれば、
先例のないことだし当然反発を食らっただろうが。
930無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 13:25:22
>928
価値観の違いについての意見だが、同感。
だが>当時の人間は信長の行為をまったく批判も否定もしていない
はどうかと思う。
確かに文献では批判などされてないのもあるだろうが、できなかったということも考えれはないだろうか。
批判するかしないかより、当時の人(現代のおれらもそうだが)信長を理解できなかったこともあると思う。
話はずれるかもしれんがそれが理解できた、すなわち信長に一番近かった男が光秀だと思う。
板違いスマソ
931無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 14:19:35
現代的価値観から考えれば、権力者が神を自称して自分を敬うように言ったところでだから何?
としか思えないんだが…俺の価値観がずれているのか?
932無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 01:24:30
中国の皇帝だって「天子」を称したしなあ。
権力の源泉として神などを持ち出すのはポピュラーではある。
933無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 01:45:40
信玄アンアン〜 ヘイアンアン〜
大きなお口で ヘイアンアン〜
934無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 16:15:16
>>931
ずれているというよりは、想像力に欠けているだけかと
普通は、ポカーン‥ とか、この人大丈夫か?
と、思うんじゃないかな。
935遠山:2005/04/10(日) 23:17:31
死ね
936無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 02:21:16
美濃輪が怖かったんだろきっと
リアルプロレスラーだし
937無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 11:41:19
信玄香りクンクン〜♪ 
938無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 14:06:34
王権神授説とか神をバックに自分の権力の正当性を
唱える例はそれこそ古代エジプトのファラオから天皇から
枚挙に暇が無いし、
日本では死んだ後で神様として祀られる人は多いけど
それは肉体から離れた「魂」に神性を見出しているわけで
生きているうち「オレが神様である!」では怪しさ爆発だな・・・・
939無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 14:18:15
ファラオが生前から神と同一視されていたと言う説は結構有力だったと思うんだが。
あと、王権神授説時代の欧州では、
「(神の代行者である)国王に触れるとハンセン氏病などの病気が治る」という俗説を信じて、
国王に手をかざしてもらいに来る民衆が後を絶たなかった、という史料はわりと有名。

っていうかそもそも、
信長が、「自分が御神体だ」みたいなことを言った真意は闇の中で、
本当に自分=神だったのか、
政治的に自身を神格化しようとしたのか、
それまでの寺社勢力を否定するための方便だったのか、
朝廷の神性をも否定する方便だったのか、
その真意は、明らかではない。

予断だが、フランス革命直後の動乱期、宗教の否定の動きが一部フランス知識人の中にあったと言う。
信長が、あらゆる宗教勢力と対立しようとしていたのはあきらかだから、俺は「方便説」を支持する。
940無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 15:47:36
なるほど、信長は神の国から日本国に攻め込んだと。
そうおっしゃるのですな?
941無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 21:26:08
フロイト自身は石の御神体は実見してないそうだね。
確か、その頃は長崎辺りを訪問していたとか。
晩年の信長に対して批判的だったフロイトのでっち上げ説もあるそうだけど。

もし事実としたら、「石だって、権力者の俺が言えば神になるんだぞ」って言う皮肉でないかね。権力誇示って事でなく。
宗教に対する信長流の。
942無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 21:27:56
信玄は今川を滅ぼす時に遠江も領有できなかったの??
943無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 21:58:02
944無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 23:26:47
>>939
>信長が、あらゆる宗教勢力と対立しようとしていたのはあきらかだから

信長は織田剣神社に寄進したりしてるし
禅宗には相当に理解もあったりするのだが。

>>941
そりゃフロイトは見てないだろうなあ・・・・
つか、石を御神体にしてる神社もたくさんあるし・・・・
945無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 20:20:36
>>941
そりゃフロイトは見てないだろうなあ・・・・
^^^^^^^^^
潜在意識の研究を始めるのは、ずうっと後のことだし(w
嗚呼、ジグムント
946無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 20:33:55
>信長が、あらゆる宗教勢力と対立しようとしていたのはあきらかだから
信長ってあらゆる宗教勢力と対立した?
詳細よろ
947無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 22:08:39
信玄が3万5千の軍勢で美濃から岐阜城に向けて進軍中!!
948無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 22:36:45
宗教勢力が自分以上の権威を持ったり、 自分にとっては不都合な何かしらの権益を持ったりしたと感じたら
容赦なくつぶしていたようだよ。

ただし、弾圧と言うのは大げさだし、すべてと言い切るのも勇み足。
いずれにせよ、いわゆる宗教そのものへの弾圧じゃなくて、
己の施策の障害となるものは、相手が宗教勢力であろうと、容赦無かったと言うことだろう。
当時の宗教を上げて、信長の対処を検討してみると・・・

次へ
949無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 22:38:12
1:対一向宗、旧仏教
いわずもがな。なお、比叡山弾圧の陰に隠れて、結構忘れられがちなのが 、槇尾寺と高野山弾圧。

2:法華宗
フロイスは当初、信長が法華よりと思ったらしい。
調停と信長のパイプ役だった法華僧、朝山日乗がしきりに宣教師追放を訴えたにもかかわらず、
信長はこれを処断できなかった(調停の使者を当時の信長に斬れないのは当然なんだが)からだろう。
だが、天正七年の安土宗論は、信長の息のかかった因果居士が審判となり、法華側の敗北に終わる。
そののち、安土宗論に法華側で参加した代表はみな処断されている。

3:禅宗
信長が弾圧したような事実を著した史料は目にしたことが無い。
比較的多くの武家の保護を受けることはあっても、
禅宗僧の多くは自らが政治や経済に積極的に干渉しなかったがゆえに、
禅宗は信長の恨みを買いにくかったのだろう。

4:キリスト教
荒木村重の謀反の際、高槻城主のキリシタン大名高山右近も最初はこれに従ったが、後に信長に降伏して許された、というのは結構知られている。
その際の信長の降伏勧告は、「高山右近が降伏しない場合、宣教師とキリシタンを磔刑に処す」 、というものだった。
信長は南蛮贔屓で、仏教と比較するとキリスト教に好意的であった、と言う説もあるが、
もし、キリスト教が不利益になると感じたら、何をするかわからなかった、と言うことを示すエピソードを紹介。

そして、信長の時代、多くの宗教が、単に宗教界にとどまらず、
政治や経済にも影響力を持っていることのほうが多かった。
だから、「宗教と対立した」と言うとおかしいが、 「宗教の持つ既得権と対立した」とはいえる。
950無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 23:14:32
何らかの形で同様に「宗教の持つ既得権と対立した」戦国大名は結構いるしね。
951無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 23:17:19
>>949
正確には「宗教団体が持つ既得権と」だな。
それからいくつか。
1・本願寺と一向一揆は別物。それに全ての真宗派と敵対したわけではない。
比叡山については領地問題と朝倉浅井についたという政治的な対立。高野山は信長に
敵対して逃亡したものを匿い、その引渡しを拒みかつ信長の使者を殺したことに対する
報復。どちらにしても政治上の理由だね。
2・法華宗に対する裁判には否定論もあり。それはともかく、信長はこの宗論の後で
教団存続と引き換えに「強引な説法、勧誘はしない」という誓約をとりつけており、
これもやはり宗教自体の否定ではなく宗教団体のありように対する懲罰の意味合い
が強い。
3・いちおう挙げておくと、この時代の禅宗寺院はとても巨大で社会に対して様々な
利権を持っていた(その点を攻撃したのが一休)。武士からの尊崇を集め、武士の子弟
の教育や出家先にもなり、雪斎のように個人的な立場だが顧問役として幕府や大名の政治に
大きく関わる例は室町戦国に多く見られる。
952無名武将@お腹せっぷく:2005/04/13(水) 02:14:07
つかさ。
興福寺僧兵隊長を兼ねる筒井順慶を武将として使ったし
根来寺に至ってはw
953無名武将@お腹せっぷく:2005/04/13(水) 18:21:18
今夜のその時まであと3時間切ったよ!
絶対見ろよ!
954無名武将@お腹せっぷく:2005/04/13(水) 21:58:02
さてと・・・
終わったわけだが・・・
955無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 00:58:50
>>925
木曽福島、林城、葛尾城
真田が落とした砥石城も勝ち戦に入ってるはず
956無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:04:32
織田は一連の遠征で複数の城落としても複数回戦闘があっても一つとカウントしたりすることが多い

武田は飛騨攻めや越中攻めがカウントされていない
957無名武将@お腹せっぷく
でもとっくに戦績の話しは終わっていたみたいだね