磯野藻屑源素太皆を語ろう

このエントリーをはてなブックマークに追加
1無名武将@お腹せっぷく
主君の前でおはぎを38個食べて、歴史に名を刻んだ武士
磯野藻屑源素太皆について語りましょう!
2無名武将@お腹せっぷく:04/12/16 08:17:34
磯野藻屑源素太皆は幕末だろ 日本史板行けや
3無名武将@お腹せっぷく:04/12/16 08:29:26
磯野員昌との関わりは?
4無名武将@お腹せっぷく:04/12/16 08:35:02
磯野藻屑源素太皆は豊後の人で、大友家臣戸次鑑連の籠持ちで、
若い頃から主君とともに九州北部を転戦。
鑑連が立花氏を継いだ後は、30石に加増され筑前に移り住んだそうでつ。
5無名武将@お腹せっぷく:04/12/16 08:41:01
ダカラ幕末ダッテ・・・
6無名武将@お腹せっぷく:04/12/16 17:41:18
つーか漫画だろ?
7無名武将@お腹せっぷく:04/12/16 18:32:58
素太皆も激動の時代を生きていたんだな。
そう思うと感慨深いものがある。
8無名武将@お腹せっぷく
>>3
磯野家は元々は関東の源氏の出。
鎌倉幕府が地方へ守護や地頭を派遣したとき、その付き人として地方へ進出。
近江に住み着いた琵琶湖磯野が本流で、九州へ赴いた者は防人磯野を名乗り分派したらしい。
他にも山陽磯野や秋田波野などの分家が存在する。
ちなみに琵琶湖磯野は戦国時代に現れた丹波守員昌が最盛期で、
浅井氏と抗争を繰り広げた後恭順、
近江国湖北四家の一と呼ばれるまでに成長するが浅井氏滅亡後は衰退し滅亡。
一方、防人磯野は大友氏改易後、佐賀鍋島氏に従え現代まで家系を保っている。