初代 親鸞
二代 如信(親鸞の長子・善鸞の長子)……浄信(如信の子)※大網門跡
三代 覚如(親鸞の末娘・覚信尼の孫)
四代 善如(覚如の次子・従覚の子)
五代 綽如(善如の子)
六代 巧如(綽如の長子)
七代 存如(巧如の長子)
八代 蓮如(存如の長子)
九代 実如(蓮如の五子)
十代 証如(実如の次子・円如の長子)
十一代 顕如(証如の長子)
十二代 教如(顕如の長子)……真宗大谷派/真宗本廟
十二代 准如(顕如の三子)……浄土真宗本願寺派/西本願寺
18 :無名武将@お腹せっぷく :04/03/07 02:48
ズレたら御免。
【宮内卿家】
下間玄英┬ 頼善 ─ 頼慶 ┬ 光頼 ┬ 頼総(丹後)
. ..│ . │ .└ 頼芸
. ..│ . │
. ..│ . ├真頼 ─ 頼龍(按察使)
. ..│ . │
. ..│ . └融慶 ─ 頼資(頼允、上野正秀)
. ..│ 【刑部卿家】
. ..├ 頼永 ─ 頼包 ─ 頼康 ─ 頼廉
. ..│
. ..│ 【少進家】
. ..└ 光宗 ─ 頼清 ─ 述頼 ─ 仲之(仲孝)
以上、KKベストセラーズ発行「織田信長 石山本願寺合戦全史(武田鏡村)」より
ところで、この系図を見ると、頼清と頼次(頼良の父)が兄弟っぽく書かれてるんですけど、
兄弟でいいんでしょうか? 詳しい方がいたらご教示を。
34 :もとぷら ◆KILLpKaaAA :04/03/08 23:00
>>29前述の本から引用すると
仲孝―仲令―仲英=仲旧=仲潔(少進家継承)
仲旧は本願寺法如の四男。仲孝より続く少進法印を継承。
仲潔は九鬼隆郷の三男。法印ではあるが少進を名乗っていない。
仲英―仲矩―仲普=仲之
仲之は朽木道綱の庶子。文政年間に没してるそうな。
※
>>28「現在」が被ってた。失礼。
35 :もとぷら ◆KILLpKaaAA :04/03/08 23:38
>>31のリンクでも分かることだが、一応
>>18&
>>27に挙げられた「玄英」までの系譜。
源頼政―仲綱―宗綱―下間宗仲―宗重―来善―仙芸―長芸―慶乗―慶阿―玄英
80 :無名武将@お腹せっぷく :04/03/17 18:19
顕如に3人の男子がいたことは知ってますよね?
教如、准如の間に・・・
82 :無名武将@お腹せっぷく :04/03/17 19:33
>>80-81 【顕尊】
佐超。永禄7年(1564)〜慶長4年(1599)
真宗興正派本山・興正寺第17世。本願寺第11世顕如の二男。教如の弟で准如の兄。
永禄10年(1567)、興正寺第16世証秀の養嗣子となり、翌年住職となる。
織田信長に石山本願寺が攻撃されたときには父顕如とともに大いに戦った。
天正19年(1591)、興正寺を大坂から京都に移した。
慶長4年(1599)3月3日、36歳で死去した。
121 :無名武将@お腹せっぷく :04/03/21 16:40
下間頼総なんて香具師もいたよね
123 :無名武将@お腹せっぷく :04/03/21 18:42
>>122 頼総は頼慶の孫。
頼総は法名を「証念」といい、しかも官途名は下間家の嫡流の「丹後」であるから、
本願寺内衆の頂点に立つ人物だった。
永禄9年に朝倉義景が加賀に侵攻し、半国を占領すると、顕如は全国に檄文をと
ばして加賀戦線への応援を依頼するが、なかなか戦局は好転せず、膠着状態に
入ってしまった。
そこで顕如は頼総を加賀に下向し、一揆軍の総大将に据えた。これにより戦局が
動き、翌10年一揆軍は戦線を越前国境まで押し返し、さらに越前国境を越えて
逆侵攻する勢いを示した。
結果的に足利義昭の仲介で休戦することになるが、以後、本願寺内衆の加賀下
向が盛んに行われるようになったので、頼総はそれを加速させた人物であるとも
言える。
125 :123 :04/03/21 18:45
頼総は元亀元年の第1次石山合戦でも総大将を務めている。
また、元亀2年8月に信長軍が近江に侵攻すると、信長と本願寺との休戦は崩
れ、顕如・頼総は加賀の一揆軍を近江に出陣させると共に、南近江おける防備
を固めるよう命じている。
しかし、信長軍の包囲により9月には近江の拠点・金ヶ森が陥落してしまう。
そして、この直後に頼総の姿は突如として消える。
元亀2年12月9日、本願寺内での異変を興福寺坊官・一条宴乗はこの模様を
「丹後も寺内ヲいらハれ候よし」
と伝えている。
すなわち頼総が寺内から退去させられたということである。頼総は同年11月
24日付で顕如が朝倉、浅井両氏に宛てた書状に添状を発給していることか
ら、その異変は突然起こったことになる。
原因は不明だが、金ヶ森陥落の責任を負わされたのか、それとも下間庶流に
よるクーデターで追われたのかも知れない。
頼総以後、下間嫡流は遠ざけられ、坊官が門主の法名から一字を拝領するこ
ともなくなった。また、複数坊官による官僚制度に移行していることから、おそ
らくは庶流によるクーデターの可能性が色濃いのではないだろうか。
>転載しておきます
もとぷら ◆KILLpKaaAA乙
10 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/04 14:22:14
東本願寺と大谷派が別のものなのだと今始めて知りました。
▼大韓剣道会HP 「剣道の歴史」
http://members.at.infoseek.co.jp/koreawatcher/docs/d-kumdo1-4.htm 今日の剣道競技の原形は撃剣である。
中国の〈史記〉や〈漢書〉では、撃剣が相手と一対一で競う武術だと説明されている。
我が国でも、君子国の例から見て、早くからこの撃剣が行われていたであろうが、それに関する記録はない。
だが、我々が世界に誇らしく掲げられることが、まさに新羅花郎たちが撃剣を修練していたという事実だ。
〈三国遺事〉の金?信の条に見られる「剣術を錬磨して国仙になった。」という内容から、
撃剣が得意できなければ最高の花郎である「国仙」や「風月主」に上がれなかったことが分かるし、
〈三国史記〉や〈花郎世紀〉では、花郎たちが月庭のような一定の修練場所に集まって体系的に撃剣を修練していただけでなく、
個人的に深い山岳や洞窟に入って克己訓練や心霊訓練まで受けていたことが記録されている。
当時の剣器もやはり、熾烈な戦争をしながら、三国すべてが東洋最高の水準に上っていた。
こうした刀剣の機能と技器が後代に日本に伝わってこんにちの剣道の母胎になったのだが、
これは誰も否認できない歴史的事実だ。
確かに近代の数百年間、我々の物をきちんと守れないまま、武を敬遠して刀剣に関して蔑ろにしながら自愧に陥っていたが、
中国の〈武備志〉に紹介された唯一の剣法である〈朝鮮勢法〉と現存する世界最古の剣法である
〈本国剣法〉は世界剣道史に大きな光になっているのだ。
ある者は剣道が日本の物だと考えて、白眼視したり忌避しようとするが、これは誤った考えだ。
日本が剣道をスポーツとして開発したことは彼らの自慢であり、その根が我が国にあることは我々の誇りである。 (以下略)
今回は 「IKFで日本に次ぐ発言力を持つ団体が公式HPで」 なので洒落にならん。
>>11 ですね。
浅草門跡こそが正しくは「東本願寺」であるわけです。
14 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/05 16:45:28
>1
スレタイに文句を付けるのもなんだが、一向一揆に於いて
「厭離穢土 欣求浄土」という旗を用いた例は管見の限りでは
存在しないのだが。旗は伝来の怪しいモノを含めても
「南無阿弥陀仏(ひらがなで書かれたもの含む)」(絵本信長拾遺記)
「鶴丸の旗」(金沢市専光寺蔵)
「五輪塔に大の字」
「進者往生極楽退者無間地獄(毛利氏黄旗組軍艦旗)」(広島県長善寺蔵)
しかない。
>>15 また、デタラメを流しやがって。お前、どこぞのお寺の糞坊主だろ。
18 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/05 20:57:35
>>16 そうそう、三戦板だもの。雰囲気が伝わればいいんですよ。
19 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/05 22:57:27
>>18 確か大河ドラマ『徳川家康』では、三河の一向一揆軍がムシロに「厭離穢土 欣求浄土」と
墨で書き、旗印のようにしてましたね。
まあ、所詮はドラマの話ですけど。
20 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/05 23:02:50
「厭離穢土 欣求浄土」って旗印にしてたの家康じゃん
浄土宗じゃねえの?
22 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/05 23:14:52
>>21 その言葉自体は浄土宗が起源になっているね。
24 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/05 23:27:38
>>23 桶狭間の戦いの後、岡崎城に入らずに菩提寺で待機していた松平勢を野武士たちが
襲撃した際、山門で防戦にあたった寺僧たちが掲げたのが「厭離穢土 欣求浄土」の
旗だったという説もある。
浄土信仰にあってはありふれた言葉だったんだろう。
おそらく1がそうしたのは文字数的によかったからだけで
26 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/06 01:22:09
>>1 >>1が「南無阿弥陀仏」の旗の下、と言ってりゃ良かったわけだ。
とりあえず、次スレで反映してくれや。
28 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/06 02:59:39
>>24 その後、浄土信仰の連中にメッチャ酷い目に遭わされるわけですが・・・
30 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/06 04:27:17
三河国内の他宗寺院は被害を受けなかったのかな?
31 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/06 09:25:40
>>3 石山合戦末期には、顕如・准如(恭順派)と教如(抗戦派)に分かれたわけだけど、
坊官も下間頼廉・仲孝(恭順派)と下間頼龍(抗戦派)に分かれたんでしょ?
ちなみに頼廉、仲孝の晩年はよく知られているけど、頼龍って晩年はどうなったん
でしょ?
下間氏に強い人いる?
33 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/06 13:06:26
坊官って頭剃ってたの?
34 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/06 13:18:40
頼竜は没年が1580年で講和直後に死んでいるようだが。
35 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/06 15:33:18
36 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/06 15:43:35
1609年に頼竜の息子の頼広が24歳で教如と争って本願寺を出奔した。
っていう話があるから少なくとも1585年くらいまで生きていて教如の近くにいた可能性がある。
>>36 毛利と教如を結んだのが頼龍だった、とどこかの本で読んだことあったな。
抗戦派の頼龍ならばそのくらいのことはしたかもね。
信長と毛利はその時点では交戦中なのだし。
>>36 毛利と教如を結んだのが頼龍だった、とどこかの本で読んだことあったな。
抗戦派の頼龍ならばそのくらいのことはしたかもね。
信長と毛利はその時点では交戦中なのだし。
417 名前:愛蔵版名無しさん 04/10/13 02:29:57 ID:QHaYG+kM
http://www.prati.info/index2.html ここの広報紙『サンガ』に4コママンガ「ハッピーしんちゃん」連載中。
上の方にもあったが、お父様を亡くしたのがきっかけの縁。
この「しんちゃん」は東本願寺の東京支部のマスコットキャラになってる。
41 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/07 18:57:57
>>40 正確に言うと「東本願寺」じゃないんですけどね。
42 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/07 20:06:54
43 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/08 00:30:49
44 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/09 01:31:34
天翔記で出てきた下間頼旦の詳細分かる?
手元にある「下間系図」に載っていないので。
45 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/09 23:38:45
>>44 頼旦って願証寺に籠城して、織田信興や氏家ト全を討ち取った香具師だよね?
その後、どうなったんだろ?
46 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/10 01:05:09
48 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/10 07:14:13
>>45 頼旦自身は指導側の立場だし、手柄を挙げたのは現場の兵卒じゃねの?
その理屈でいくと「法隆寺を建てたのは大工さん」になっちゃうわけだが。
立てたのは大工さんで
立てさせたのは大工の棟梁です。
50 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/10 17:16:38
>>48 頼旦は比較的長期にわたって伊勢に下向していたわけでしょ?
頼旦はどこの下間の血筋に入るの?
頼照、頼竜なんかはちゃんと系図に入っているのだが。
ぷらっとを待つか
うーん、三位なんて位を持つなら本家の頼慶系くらいしか思いつかんね。
そのくせ辺境守備だしなあ。
54 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/11 05:29:18
>>53 「頼旦」以外にも名前があって重複してるとか、そういうことはないのかな?
55 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/11 08:06:54
>>54 その可能性は高いと思われ。
頼照は述頼と書いてあるので。
しかし、頼旦の別名って?
ゴールド頼タン
「頼○」系統の名前って「らい○○」なの?「より○○」なの?
つか出家してんの?
仲之だけ仲間はずれなの?
58 :
奇嬌屋:04/12/12 00:08:03
僧体のイミナだからね。どっちでもいいだろうね。
個人的には訓読みに一票。
俺は筒井なんかも音読みしてるから
音読みしたくなるなあ。
らいたん、らいりゅうあたりは音読みのほうがかっこいいが、
よりかど、よりちかあたりは訓読みのほうがいいな
下間全般で訓読みしてるけど、
頼旦の場合は、どう読んで良いか判らないので「らいたん」と読んでしまう。
62 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/12 23:22:56
下間仲孝なんて「ちゅ〜こ〜」かいな。
家の祖に「頼」は頼光、「仲」は仲綱などがいるから、諱としては訓読みなんだろうね。
ただ普段の名乗りは官名か通称だから、本人たちにはさしてどうでもよかったのかも。
本願寺の正規軍って、どういう構成だったの?
足軽に当たるものが手弁当の信徒兵だったとすれば、練度や装備では諸大名のに大幅に劣る?
少なくとも他寺相手や法華宗相手の時代の争いを読んでも熟練戦闘集団だったという印象は受けない。
一方、坊官の兵法等の知識や傭兵隊の質はそこいらの田舎大名らのよく対抗しうるものでは
無かったようにも思える。
一言で言えば、エリート部隊と一般部隊との差が大きい感じみたいなだったですかね?
正規軍なんてものはなかった
>>63 遠慮して本名を呼ばなかったんだから、どうでも良くはないんじゃないのかな
67 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/16 00:18:52
漣「れん」なら周りに3人いるけどね。
男に「はす」ってのはいきなり成仏してるよなあ。
仮面ライダー龍騎の主人公のライバルが「蓮」だったような。
俺は嫌だな、蓮て名前。
ま、親の自由だけどさ、男子の命名にしちゃあ軽すぎないか?
正直、一文字であることにも抵抗があるよ。
一行目は同意。
二行目は同意できない。
三行目も同意できない。ジャイアンを馬鹿にするな。
とりあえず、名が一文字のヤシは如をつけて役所に名前変更を申請しろ。
徹如、剛如、茂如、博如、渉如、翼如、純如、苺如。
とても素晴らしいじゃないか。
な?悪いことは言わん。変えろ。
如・如・如・如、如如如如如〜〜♪
75 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 13:57:22
76 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 15:45:17
宗教野郎にロクな人間はいない。
これ定説。
しかし信長もよくこんな奴等と戦ったな。創価+オウムみたいな奴等なんだろ?
78 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 16:20:46
実際には本願寺ですら現地の一揆軍を統制しきれないような
状況にあったわけだが。
んだな
証如は門徒にテロやめろって手紙書きまくってるけど虫されてた
80 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 18:25:36
そんなの蓮如の時から抑えきれてないし。
>>80 過激な門徒もいただろうし、ただの便乗勢力もいただろうしね。
一向宗の武力を背景に、大名の支配を免れたい地侍や郷士の連中とかさ。
82 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/20 02:25:15
>>81 「浄土真宗=一向宗」じゃないからな。
そりゃ、本願寺の指揮系統に属さない香具師も多かっただろ。
83 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/20 03:49:57
>>82 それもまた蓮如時代から言われていたことではある。
84 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/20 14:27:57
>>82-83 頼照も内部争いで迎撃態勢を整えられないまま織田軍に討たれたしな。
85 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/20 21:21:02
86 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/20 23:16:26
87 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/21 01:12:33
述頼=頼照なの?
88 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/21 09:07:44
>>83 表向きは下間蓮崇の独断ということになってるけどね。
でも、最晩年に破門を解いたんじゃなかったっけ?
89 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/21 19:07:29
>>88 北陸では本願寺派VS高田派の抗争もあったからね。
そもそもは高田派の勢力圏だったエリアを本願寺派が切り取り、駆逐していったと。
91 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/21 22:06:00
高田派について詳しく
93 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/22 00:53:55
94 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/22 01:24:26
そもそも蓮如は高田門徒を異端扱いしていたわけだが・・・
両陣営が戦端を開く切っ掛けは、応仁・文明の乱において細川勝元が朝倉孝景を東軍に寝返ら
せたこと。
この結果、甲斐常治が加賀に逃亡し、富樫幸千代に助勢を頼んだ。幸千代は西軍に属し、東軍
に属する同族の富樫政親と対立していたので、ここに「富樫幸千代&甲斐常治 VS 富樫政親&
朝倉孝景」という構図が出来上がってくる。
ここで政親&孝景は、吉崎御坊を拠点として勢力を伸ばしていた蓮如に助勢を頼むと、幸千代&
常治は蓮如に異端扱いされていた高田門徒を味方に引き込んだことで、両陣営が戦端を開くこと
になる。
文明6年には幸千代・高田門徒軍と本願寺門徒軍が激突し、一揆軍が一方的な勝利を得る。
これに続き、翌7年には一揆軍は政親とも対立するようになる。この背景には門徒指導する僧侶
たちによる加賀支配権の奪取と、守護への年貢・軍役などを拒否し始めた農民層の利害が一致
したこともある。蓮如は「王法為本」の思想によって一揆軍の沈静化しようと試みたが果たせず、
同年8月に吉崎を退去することになる。
95 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/23 14:58:00
96 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 00:50:08
h**p://www.netwave.or.jp/~shinsyu1/anrakuji/bukken304.html
より引用。
蓮如上人(1415〜1499)と下間蓮崇(?〜1499)
蓮崇は越前国麻生津の人、吉崎時代の上人に親近し、下間蓮崇の名を与えられ、
安芸法眼と称した。文明7年(1475)上人の指令と偽って門徒の一揆を誘導した
ので破門された。その後、細川政元などを介して詫びを入れたが許されなかった。
上人ご往生の五日前、明応8年(1499)3月20日、赦免され、3月28日死去した。
1、蓮崇、上人に御文章の制作をすすめる(『蓮淳記』)
越前の吉崎の御坊にて弥仏法ひろまり申さふらひて、御文をつくられさふらふ事は、
安芸法元申さふらひて御つくりさふらひて、各有難く存さふらふ。かるがると愚癡の
者のはやく心得まひらせさふらふやうに、千の物を百に選び百の物を十に撰ばれ十
のものを一に、早く聞分け申様にと思召され、御文にあそばしあらはされて、凡夫
の速に仏道なる事を仰立てられたる事にてさふらふ。開山聖人の御勘化今一天四
海にひろまり申事は、蓮如上人の御念力によりたる事候也。
97 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 00:50:47
2、蓮崇は最初の「御文章」集録者
文明3年より同5年に至る間の「御文章」18通を集録。
端書云
右斯文どもは、文明第三之比より同き第五之秋の時分まで、天性こゝろにうかむま
ゝに、何の分別もなく連々に筆をそめおきつる文どもなり。さだめて文体のおかしき
こともありぬべし。またことばなんどのつゞかぬこともあるべし。
かたがたしかるべからざるあひだ、その斟酌をなすといへども、すでにこの一帖の
料紙をこしらへて書写せしむるあひだ、ちからなくまづゆるしおくものなり。外見の
儀くれぐれあるべからざる。たゞ自然のとき自要ばかりにこれをそなへらるべきもの
なり。あなかしこあなかしこ。
于時文明第五九月廿三日に藤島郷の内林之郷超勝寺において、この端書 を蓮崇
所望のあひだ、同27日申の剋にいたりて筆をそめおはりぬ。
釈 蓮 如 在御判
98 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 00:51:27
3、蓮崇、権勢を誇る(『蓮如上人塵拾記』)
文明の初めの比、越前国吉崎の御坊建立也。其同国あそう津の村仁に候き。
心さかしき人にて侍し間、安芸州へも往返之事侍しにより、安芸と人云付て侍しか、
吉崎殿へ望申、茶所に侍て物をよみ手習をし、一文字をも不知仁にて侍しか、よる
よる学問を心にかけ手習をして、四十の年より物を書、真物を書習、正教等まて令
書写候て浄土法門心にかけ、才学の身と成りて吉崎殿御内へ望申、奉公を一段
心に入られしまゝ、蓮如上人御意にも叶、丹後玄永はうばへ(朋輩)と成て、安芸
安芸とめされ一段秀でたる事に侍り。法門御意をも得られける程に人々も近付聴
聞し侍り、門徒も出来侍り。
・・・・・然処、安芸法眼いよいよ威勢分限出来、吉崎殿寺内安芸居住の処には土
蔵十三立、一門繁昌の事にて、則越前の朝倉弾正左衛門法名英林と申者聞及、
名字の庶子になし、阿と名乗。令上洛、将軍慈照院殿御被官分に成候て、奉公
は壱分と定られ、数度御内書等被成候。
則法眼とは将軍より被成候。法橋とは於吉崎御成候。ぬり輿の御免も将軍家より
被仰付、従其は鞍覆、唐笠袋まて武家御所より御免候き。左候間、於吉崎威勢か
きりなく、・・・・・
99 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 00:52:13
4、蓮崇、細川政元を仲介に破門の許しを請う(『空善記』)
仰に、加賀のあき(下間安芸法名蓮崇)あやまりをもなをしたるよしを、御門徒して
わび候はゞ、ゆるすこともあるべきに、細川玄蕃頭(政元)へつげて、権家にてわび
候あひだ、ゆるさず、と仰候き。
100 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 00:52:52
5、蓮崇、破門を許される(『実悟旧記』)
安芸蓮崇、国をくつがえし曲事に付て、御門徒をはなされ候。前々住上人御病中に、
御寺内へ参り、御侘言申候へども、とりつぎ候人なく候し。その折節前々住上人ふと
仰られ候、安芸をなをさうと思うふよ、と仰られ候。
御兄弟以下御申しには、一度仏法にあたをなし申候人に候へばいかゞ、と御申候へ
ば、仰られ候、それぞとよ、あさましきことをいふよ。心中だになをらば、何たるものな
りとも、御もらしなきことに候、と仰られて御赦免候き。その時御前へまひり、御目に
かゝられ候とき、感涙畳にうかみ候と云々、而して御中陰の中に蓮崇も寺内にてすぎ
られ候。
>>98 >丹後玄永はうばへ(朋輩)と成て、安芸安芸とめされ一段秀でたる事に侍り。
丹後玄永って玄英のことかな????
102 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 01:10:38
『蓮如 夏の嵐 (上)(下)』(著:岳宏一郎/講談社文庫)なんてけっこう面白かったけどね。
この作品は、蓮如と蓮崇の出会いから始まるんだけど、番頭格の玄英さんがなかなかいい味を
出してます。
ちなみに浪人時代の伊勢新九郎なども絡んでくるなど、物語として読む分には面白い。
103 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 01:16:08
>>101 系図的には
下間仙芸(美濃)―長芸(讃岐)―慶乗(丹後)―慶阿(丹後)―玄英(丹後法橋)
となっているし、丹後を称する人物が同時代に2人存在することは無いから、
玄永=玄英と見て良いのでは?
104 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/25 00:18:11
>>102 読んだよ、それ。
蓮如たちが貧乏してようと、玄英自身は我関せずで小金稼いでたと。
105 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/25 05:13:34
しかし、門徒を率いる立場になったら、そりゃ、野心的にもなってくるわな。
106 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/25 18:06:40
>>104 そうそう。
それと、この作品では蓮如の叔父・如乗が魅力的な人物に描かれてる。
107 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 08:13:23
>>99 赦免を乞うために細川政元が仲介したっていうんだから……蓮崇という人物、なかなかに
高い政治性を帯びた人物だったんだね。
108 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 08:36:06
後継者争いに敗れ出奔した蓮如の弟、応玄はその後、どうしたのかな、
と思ってちょっとぐぐってみたら母親が死んだ後、
蓮如のとこに戻って布教を助けたみたいだね。
本人同士はそんなに仲悪くなかったのかもね。
109 :
名無し募集中。。。:04/12/26 14:27:28
黄巾党の日本Verみたいな奴らですな
>>108 蓮如と応玄はけっこう仲が良かったらしいけど、継母(応玄の母)との関係が最悪だったみたいね。
111 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/27 01:25:58
>>110 応玄母子は家督争いに敗れると宝物類を持って本願寺を離れるんだけど、『蓮如 夏の嵐』
では、如乗がそれをわざと見過ごしてやるんだよね。
朝になって狼狽する蓮如に
「宝物類など欲しけりゃくれてやれ。この本願寺はおまえさえいれば良いのだ」
と告げた後、
「じゃあ、俺は寝るぞ」
と悠然と寝てしまう。そのあたりの如乗の剛毅さがけっこう格好良かったりする。
あくまでこれは劇中の話ではあるけど、実際の家督争いにおいても、如乗のバックアップが
大きかったわけで、案外、そんなやり取りがあったんじゃないかと。
112 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/27 04:46:16
113 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/27 07:03:55
>>112 ど〜考えても、その蓮淳さんしか有り得ませんねぇ。
でも、蓮淳さんって多少問題のある人物だったようですが・・・・
115 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/30 00:06:52
>>111 その頃は人も寄り付かない貧乏寺だったんでしょ?本願寺
116 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/30 04:46:09
>>115 部屋住み時代には、蓮如と嫁と子供たちで1杯の味噌汁を啜ったって話もあるくらいで
まさに赤貧状態だったようだな。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 02:54:52
118 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 04:33:30
>>115 各地の門徒からの浄財で成り立ってたわけだろ?その頃は。
>>119 それは開祖に言うべきセリフ。世襲が認められる宗派に何をおっしゃいますか。
121 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/01 02:15:18
122 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/01 19:17:41
>>121 かなり厭味な表現だよね、それ。
ちなみに法然さんから「セクースしなければ念仏できないなら、セクースしなさい」って
言われたんだっけ?
123 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/02 05:29:35
>>118 今もそうだろ?
門徒からは「浄財」だが、仲介する末寺から見れば「上納金」ということになる。
そんなことは常識。
124 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/02 12:02:12
財務
125 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/02 22:32:07
126 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 04:18:23
>>122 でも、義絶された善鸞は恵信尼の腹じゃないって説あるよな。
127 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 20:55:34
>>126 確かに複数の女性の影があるよね、親鸞には
法然に「結婚しなければ念仏できないというなら、結婚すればよろしい」と
言われた時の女性が善鸞の生母で、恵信尼はその次の女性だったという説ね?
>>126 親鸞直筆の義絶状には恵信尼を善鸞の「ままはは」って表現してあるらしいね。
京都で吉水の法然教団にいたときの妻が善鸞の生母で、
単身で流罪になってもう京都の地は踏めないと覚悟した後に
越後で生活を支えてくれた現地の女性恵信尼と再婚、ということか。
・・・案外、流罪が許されても都へ帰らなかったのは最初の妻に対し
後ろめたい気分も有ったからだったりしてw
ただ「親鸞は吉水へ出入りする以前から恵信尼と面識があった」とする
説もあるんだよなぁ・・・・
129 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/04 01:13:31
>>128 最後に京に入ってからは恵信尼さんとの別居生活でしょ?
娘の覚信尼が面倒見てたわけで。
ズレたらスマソ...
蓮如┬ 順如 (1442〜1483)
. ..│
. ..├ 蓮乗 (1446〜1504)本泉寺如乗後嗣=蓮悟=実悟
. ..│
. ..├ 蓮綱 (1450〜1531)松岡寺後嗣
. ..│
. ..├ 蓮誓 (1455〜1521)光教寺後嗣―顕誓(1499〜1570)…
. ..│
. ..├ 実如 (1458〜1525)本願寺蓮如後嗣―圓如 (1491〜1521)―証如 (1516〜1554)
. ..│
. ..├ 蓮淳 (1464〜1550)願証寺後嗣―実恵―証恵 (1494〜1574)―証意…
. ..│
. ..├ 蓮芸
. ..│
. ..├ 実賢
. ..│
. ..├ 実悟(1492〜1583)本泉寺蓮悟後嗣
. ..│
. ..├ 実順(???? 〜???? )西証寺後嗣―実真…
. ..│
. ..├ 実孝
. ..│
. ..└ 実従
↑補足宜しくお願いします。
光善寺光助
本泉寺蓮鎮
松岡寺兼祐
光教寺康兼
門跡光兼
顕證寺兼誓
本泉寺兼縁
教行寺兼e
慈敬寺兼照
願得寺兼俊
西證寺兼性
本善寺兼継
順興寺兼智
失礼しました。
134 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/04 21:27:44
135 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/04 22:09:38
門主いがいの坊さんも親の名前を一字貰うんだね
136 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/04 23:17:57
137 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/05 04:26:04
>>131 ちょっとだけ補足。
蓮如┬ 順如 (1442〜1483)
. ..├ 如慶尼
. ..├ 蓮乗 (1446〜1504)本泉寺如乗後嗣=蓮悟=実悟
. ..│ ※蓮乗内室は如乗女・如秀尼
. ..├ 見玉尼
. ..├ 蓮綱 (1450〜1531)松岡寺後嗣―蓮慶―実慶…
. ..├ 寿尊尼
. ..├ 蓮誓 (1455〜1521)光教寺後嗣―顕誓(1499〜1570)…
. ..├ 実如 (1458〜1525)本願寺蓮如後嗣―圓如 (1491〜1521)―証如 (1516〜1554)
. ..├ 妙宗尼
. ..├ 女子(夭逝)
. ..├ 妙空尼
. ..├ 女子
. ..├ 蓮淳(1464〜1550)顕証寺/願証寺―実恵―証恵 (1494〜1574)―証意…
. ..├ 女子
. ..├ 了如尼(瑞泉寺蓮欽内室)
. ..├ 蓮能尼(超勝寺蓮超内室)
. ..├ 蓮芸(???? 〜???? )教行寺後嗣
. ..├ 妙祐尼
. ..├ 実賢(???? 〜???? )称徳寺後嗣
. ..├ 実悟(1492〜1583)本泉寺蓮悟後嗣
. ..├ 女子
. ..├ 実順(???? 〜???? )西証寺後嗣―実真…
. ..├ 実孝(???? 〜???? )本善寺後嗣
. ..├ 妙宗尼
. ..└ 実従(???? 〜???? )順興寺後嗣
138 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/05 04:42:18
蓮如室というのは
平下総守貞房女(如了尼)
平下総守貞房女(蓮祐尼)※如了尼の妹
山名氏女
藤原昌家女(宗如尼)
畠山政栄女(蓮能尼)
の5人とされている。
なお、
>>137の「蓮能尼(超勝寺蓮超内室)」は「蓮周尼(超勝寺蓮超内室)」の誤り。
139 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/05 04:45:29
なお、ちょっとだけ補足と訂正。
蓮如┬ 順如 (1442〜1483)
. ..├ 如慶尼
. ..├ 蓮乗 (1446〜1504)本泉寺如乗後嗣=蓮悟=実悟 ※蓮乗内室は如乗女・如秀尼
. ..├ 見玉尼
. ..├ 蓮綱 (1450〜1531)松岡寺後嗣―蓮慶―実慶…
. ..├ 寿尊尼
. ..├ 蓮誓 (1455〜1521)光教寺後嗣―顕誓(1499〜1570)…
. ..├ 実如 (1458〜1525)本願寺蓮如後嗣―圓如 (1491〜1521)―証如 (1516〜1554)
. ..├ 妙宗尼
. ..├ 女子(夭逝)
. ..├ 妙空尼
. ..├ 女子
. ..├ 蓮淳(1464〜1550)顕証寺/願証寺―実恵―証恵 (1494〜1574)―証意…
. ..├ 女子
. ..├ 了如尼(瑞泉寺蓮欽内室)
. ..├ 蓮悟(???? 〜???? )本泉寺蓮乗後嗣
. ..├ 女子
. ..├ 女子
. ..├ 蓮周尼(超勝寺蓮超内室)
. ..├ 蓮芸(???? 〜???? )教行寺後嗣
. ..├ 妙祐尼
. ..├ 実賢(???? 〜???? )称徳寺後嗣
. ..├ 実悟(1492〜1583)本泉寺蓮悟後嗣
. ..├ 実順(???? 〜???? )西証寺後嗣―実真…
. ..├ 実孝(???? 〜???? )本善寺後嗣
. ..├ 妙宗尼
. ..└ 実従(???? 〜???? )順興寺後嗣
>>138 > 平下総守貞房女(如了尼)
> 平下総守貞房女(蓮祐尼)※如了尼の妹
伊勢貞房のことね?
貞房は庶流だったけれども、この縁で蓮如は伊勢氏嫡流とも交流があったとか。
141 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/06 01:46:30
信長の野望に出てくる勝慧も蓮如の女婿じゃなかったか?
143 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/06 04:01:38
錦織寺
>>141 確かその通り。
木辺門徒を連れて蓮如に迎合している。
145 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/06 08:12:43
146 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/06 22:56:01
147 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/07 01:50:52
148 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/07 04:41:42
150 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/07 09:51:12
蓮能が蓮如に嫁いだのは1485〜1486年頃と言われているので、蓮能は当時20〜21歳。
対して、蓮如は1415年生まれなのでこの時、実に71〜72歳!!!!!!
もはや犯罪だよな……(((((((( ;゚Д゚)))))))ガクガクブルブル
151 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/07 19:22:28
>>150 何か「マルサの女2」に似たような設定があったような・・・
>>150 でも現代でも七十すぎてから二十の舞妓さんと密会してた
歌舞伎役者とかもいるしなぁ。
オレはむしろその年齢で五男二女を造れる蓮如上人の絶倫さに
(((((((( ;゚Д゚)))))))ガクガクブルブル
153 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/08 05:36:03
しかし嫁いだ蓮能が20〜21って当時としては晩婚っすよね。
155 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/09 17:16:54
156 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 01:18:18
157 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 01:33:43
>>151 三国連太郎っすか?
確か表向きは宗教家だが、その実は地上げ屋だったような・・・
>>157 しかも、女子高生?孕ませてなかったか?
159 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 06:33:22
160 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 10:50:13
蓮如を登録したら、能力値とか特技ってどんなモンなんだろ?
161 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 17:23:48
162 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/11 01:52:51
>>161 だな。
大谷本願寺、山科本願寺を襲撃されても軽やかに逃亡を決めてくれてたしな。
逃げ足だけは速いのが蓮如。
布教ってことは説得になるのか????
164 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/13 09:38:40
>>163 「説得」ツールは何と言っても『御文』だろう。
165 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/14 09:45:56
>>150 しかも、第二十七子なんて蓮如が死ぬ年に生まれてんだろ?(w
166 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/14 14:01:10
>>165 蓮如の子供達の後半は疑わしいな。普通に考えて不義の子か連れ子だろう。
それか蓮如自身の年齢が20ほどずれてるとか?実際40くらいまで無名だし
途中で変わったりしててもおかしくない。
167 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/15 09:02:40
>>166 それは蓮如若かりし頃からの門徒衆の存在を無視してるだろ。
168 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/15 17:15:39
>>166 関東に下向したりしているし、決して無名というわけではない。
169 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/15 19:57:32
>>168 存如の職務を代行していたからこそ、応玄との家督争いにも勝利できたわけだしな。
本願寺の規模自体が小さかったから無名と言えば無名だったかも知れないが、それなりに
門徒はいたから、途中で変わるってのは無理だな。
170 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/16 07:15:29
>>169 関東に行って金の無心してたってことだなwww
>>169 いやいや、大勢は正妻の子である応玄が有利だったはず。
叔父の如乗が引っ繰り返さなかったらかなり危なかったと思うよ。
172 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/16 07:51:35
>>162 六字名号だけで石山本願寺を築いた錬金術に「商業」を追加しては?
173 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/16 15:47:38
>>172 確かに遠隔操作上手いよな、御文にしても名号にしてもさ。
174 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/17 10:45:58
>>173 最終的には統制取れなくなってたけどね。
徐々にマニアなスレになってるな・・・・坊さんと檀家か?
176 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/17 11:04:01
177 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/17 15:03:05
やっぱり石山本願寺の主には「改修」が必須のような気がします。
178 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/17 15:08:17
>>177 蓮如は「地形・地理を見抜く能力にも長けていた」という声もあるな。
吉崎、石山なんて要害にして交通の要衝でもある。
意見としてとりあえずは納得。
179 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/17 17:08:02
>>160 ということは・・・・
特技は「外交」「改修」「逃亡」で、家宝『六字名号』で「商業」、『御文』で「説得」って
ことでいいですかねぇ?
181 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/18 10:25:10
182 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/18 10:35:15
>>181 蒼天ならPKの追加武将で登場する。
本願寺 蓮如
一向宗 (1410-1494)
本願寺8世法主。おもに近江・北陸で布教活動を展開。そのカリスマ性と、平座で
門徒と接する庶民的な教化により、衰微していた本願寺派の発展に尽力した。
政100 采62 智61
183 :
182:05/01/18 10:36:42
生没年が若干ずれてるな
185 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/18 18:34:54
186 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/18 23:52:50
>>184 蓮如の生没年は応永22年(1415)〜明応8年(1499)なんだけどね。
どういうことだろ?
>>186 しかし、享年85歳って驚異的な数字じゃないのか?当時で言えば。
188 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/20 15:51:41
>>187 長寿にして精力絶倫・・・
それは庶民に信仰されるわけです。
>>188 真宗坊主じゃなかったら神社に祀られたかもな。
御利益は長寿・繁栄・子宝・精力回復あたりw
190 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/20 23:55:41
>>189 真宗は神道とは相容れない間柄だからな。
192 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/21 10:22:24
>>190 正確に言えば国家神道とは今現在、犬猿の間柄だけどね。
神道と国家神道を一緒くたにしている時点で話にならん。
>>190もしかり。
194 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/21 14:07:48
195 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/21 15:30:18
水を差すようで申し訳ないが、いつになったら一向一揆の話になるんだ?
196 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/21 15:35:15
蓮如は戦国の人物だが一揆との関わりは薄いな
三河一向一揆の拠点の1つだった本証寺の前をよく通る。
一向一揆とか全然知らんかった頃は「なんじゃこの寺は?」と思ったよ。
>>198 岡崎よりも南方にある町の民だけど、俺が住んでる辺りは真宗大谷派が多いっぽい。
一色?
額田町・幸田町・幡豆町・吉良町・一色町
松平と吉良の本拠そのものだね。
203 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/22 12:40:25
>>196 越前の戦線は蓮崇の独断ってことになってるけど・・・
204 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 10:53:09
>>197 3ヶ寺と言われるのは上宮寺と勝曼寺だっけ?
205 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 14:33:38
結局、蓮如とはいえ武装勢力を統率できたわけじゃないんだよね。
むしろ本意かどうかは別にして、基本的には常にその外側に身を置いて(置かされて)
いたと。
通信手段もないあの時代に、そこまで統率するのは無理だろ。
208 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 21:45:09
209 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/27 21:32:52
一揆軍の構成が構成だからな・・・・
う〜ん…
211 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 20:58:59
>>209 軍事的に言えば土豪・地侍が主。
それぞれの勢力図もあるし、信仰で一本化しても100%まとまり切れるものではない。
212 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 00:35:30
>>211 三河の一向一揆じゃないけど、家臣団から離反者が出たケースって
他にあるのかな?
213 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/30 12:38:46
朝倉景健などは?
>>212 離反者が出ているだけなら幾らもあるはずだが。
>212
信長に謀叛した荒木村重とか有名でしょうか。
もっともこの場合、村重自身の能動的な行動というより、彼の(熱心な門徒の)配下が勝手に本願寺側に糧秣提供等の背信行為をしたのが発端らしいですが。
216 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/31 00:16:47
そうだよ。
せめてもと秀吉が名づけ直したのが「道薫」。
「糞」が「薫る」という、却って皮肉な改名をさせたと。
秀吉は漢字に弱かったらしいけど、意識的なら見事な諧謔だよね。
218 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/01 02:29:07
杉浦法橋(玄任)と下間頼旦って同一人物ときいたんだけど本当?
俺二人とも新規武将でつくってるから、はっきりさせたいのよ!詳しい人教えて。
220 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/02 14:00:47
しらね
げt
223 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/03 14:05:43
( ⌒ ⌒ )
( )
(、 , ,)
|| |‘
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
l ∨∨∨∨∨ l
| \()/ |
(| ((・) (<) |) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ⊂⊃ | / しらね、だと〜!!!!
| .| ⌒ \.l/ ⌒ | | <
/ |. l + + + + ノ |\ \
>>221、決闘を申し込むぞ!!!!
/ \_____/ \ \___________
/ _ \
// ̄ ̄(_) |
|ししl_l ( | |
|(_⊂、__) | |
\____/ | |
>>219 >二人とも新規武将でつくってる
おぉ、同志よ。
225 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/04 18:34:09
頼旦って伊勢方面で活躍した香具師でしょ?
226 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/05 01:50:11
>>225 45 :無名武将@お腹せっぷく :04/12/09 23:38:45
>>44 頼旦って願証寺に籠城して、織田信興や氏家ト全を討ち取った香具師だよね?
その後、どうなったんだろ?
50 :無名武将@お腹せっぷく :04/12/10 17:16:38
>>48 頼旦は比較的長期にわたって伊勢に下向していたわけでしょ?
227 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 01:29:12
情報少ないねぇ・・・頼旦
228 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 18:57:54
本願寺顕如好きです。
230 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 04:31:06
最近の作品に准如が登場しないのは・・・意図的?
231 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 06:33:40
准如が出てる作品があるのね
まあ准如は目立たないから出なくてもしょうがないかも。
新武将作成できる奴では作ってる。
232 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 22:20:26
>>229 教如の方が野心的な気がするのは俺だけ?
教如には十分野心的だし好戦的なイメージあるなあ。
家康という勝ち馬に乗る機知もあるし、器量は顕如より上かも。
234 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 00:58:45
>>233 関ヶ原の合戦に際して、家康の許に陣中見舞いに行ってしまうような御仁だからね。
家康に謁見するにあたっては下間頼廉が動いてたようだけど。
235 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 02:18:54
236 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/18 14:21:15
>>235 本多サドは東西分裂の段階での首謀者でしょ?
237 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/19 00:31:33
>>233 顕如さんよりも「精力家」だったようだしw
238 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/19 13:28:04
>>237 確かに妻妾が複数いるしな。まあ、蓮如には負けるだろうが。
239 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/19 18:49:49
中枢近くで堀跡、約半世紀にわたり造り替え
山科本願寺発掘調査
本願寺中興の祖、蓮如が室町時代後期に築いた山科本願寺(京都市山科区西野)の遺構を発掘調査していた市埋蔵文化財研究所は18日、「御本寺(ごほんじ)」と呼ばれる同本願寺中枢近くで、約50年にわたって度々造り替えられたとみられる堀跡を確認したと発表した。
本願寺周囲の堀跡は見つかっているが、御本寺内部では初めてといい、同研究所は「寺の防御的な性格がさらに強まった」と注目している。
1月下旬から約200平方メートルを調査した。
堀跡は、まず東西方向に幅3メートル、深さ0・7メートルで掘られる(I期)。
続いて東南と南北の二方向により深い堀(深さ1・9−2・1メートル)が掘られ、東西の堀は東半分が埋められる(II期)。さらに、東西の堀すべてが埋められ、南北と東南の堀が北へ伸びるとともに橋が架けられる(III期)。
最後には、堀がすべて埋められ、柱間3メートルの柵が造られた(IV期)と推定されるという。
同本願寺は戦乱に備えた城塞都市として知られる。
御影堂などがある「御本寺」の周囲に寺内町が広がっていたことが、古い絵図などから分かっている。
都市周囲の土塁や堀の一部が残っているほか、過去の発掘では幅10メートル以上の堀も見つかっている。
同研究所は「今回の堀跡の発見で、比較的平穏な時代から緊張が強まり、陥落するまでの対外関係の変遷を裏付けられた」と話している。
現地説明会は20日午前11時から。
問い合わせは現場事務所Tel:075(501)3276へ。
山科本願寺
応仁の乱直後の1478(文明10)年、蓮如によって造営された。
南北1キロ、東西0・8キロの広さで、最盛期には「寺中広大無辺、荘厳ただ仏国の如し」と評されたが、1532(天文元)年、法華宗徒らに襲撃され炎上した。
本願寺はその後石山(大阪市)に移った。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2005021800225&genre=M2&area=K1J
240 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/19 22:03:57
七里頼周って門徒たちから嫌われていたんですよね
一体なぜですか??
241 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/19 22:42:28
支配しようとしたから。一揆衆と本願寺ではもともとは理念が違う。
一揆衆 上からの支配を受けたくない
本願寺 王法為本
本来は本願寺は各地の一揆衆を押さえつける立場だったが、顕如が信長と戦うに
あたって、戦力欲しさに解き放った。
243 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/20 00:28:39
>>242 本願寺から共に(間接的に)統制を受けているはずの拠点寺院同士が対立するケースもあったし、
中央から来て門徒をアゴで使おうとする坊官への門徒の反発もあった。
越前が陥落した時など、統制の取れない状態を織田軍に突かれたわけでしょ。
>>242 王法為本の使い方、ちょっと違ってません?
>>245 「世俗権力の言うことにきちんと従え」って意味だろうからそれでいいのでは?
247 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/21 01:47:15
>>246 蓮如が「王法為本」を唱えたのは組織的な戦闘力を持ち始めた門徒衆を牽制するため。
社会的な規範の中で信仰が保証されている状態にあればそれで良い、ということ。
意味合いは若干違うと思うね。
248 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/21 03:30:43
>>247 「念仏為本」と言ってるのに、武力闘争で自分たちが「王法」にとって変わったら意味ないしね。
249 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/21 15:20:21
250 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/21 15:47:14
信長は本願寺にヒモになって無理難題を押し付け続けた。
それまで本願寺は一揆を静める努力してる。
信長は金を掠め取るだけの仏敵
>>250 仏敵の前にあなた日本語おかしいあるよ。
一向一揆の「厭離穢土 欣求浄土」は、そのまま家康の旗印でもある。
253 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/21 16:07:04
>>252 直訳すると「俺たちラリってますよ」って感じ?
255 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/21 16:42:13
───── =≡∧_∧ = デナオシテコイ!! ゴルァ!!
───── =≡( ・∀・) ≡ ガッ . ∧_∧
──── =≡○_ ⊂)_=_ \ 从/-=≡ r( )
───── =≡ > __ ノ ))< > -= 〉 つ
──── =≡ ( / ≡ /VV\-=≡⊂ 、 / ←
>>254 ───── .=≡( ノ =≡ -= し'
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄」
―――――――――――――‐┬┘
|
____.____ |
| | | |
| | | |
256 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/22 00:11:32
>>253 確か…門徒衆に襲われた家康一行が菩提寺(浄土宗)に逃げ込んだ際、菩提寺の僧侶たちが
掲げたのが「厭離穢土 欣求浄土」の旗だったらしい。
258 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/23 00:47:56
259 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/23 19:32:27
.__
|厭|
|離|
|穢|
|土|
|欣|
|求|
|浄|
|土|
(oノヘ| ̄ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/(´Д`,,)|\ < 進めば極楽浄土じゃ!!!!
mMm Ю ⊂) \_______
/・ ・`ミ三|\
(。。ノ しヽ
/ヽ / ノ
( へ /|.|
ヽヽ| |U
| |
U
260 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/23 22:07:56
無 ::::::::::::::
念 :::::::: [|] ___
・ ::::::: , -―-、| Mニニニヨ>,―――>
・ :::::::: ,ィ\.メ ヘ| |  ̄ ̄ ̄
::.. ・,/\::: ,/;;;;;;/lll \,, ノ〉 | / /7
_::... // \/;;;;;;;;;l ` ̄ _|゙〉| |/ /"
〉→――/ニ三7;;;ノヘx ,=‐,/ _| | ̄|/
 ̄ /ニ三=/ \ `ー-" /へ 〉ヽ、
/ニ三= / 丿 ヽ|ニ_ /: ミi \
261 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/24 08:19:29
262 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/25 04:10:41
>>261 蓮如が禁書にして本願寺の蔵に封印していたという話もあるからね。
まあ、お宝と言えばお宝ではあるな。
263 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/25 16:47:55
>>262 誤って解釈されると混乱を招くというのが巷間伝えられてる理由だが・・・
264 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/25 17:54:57
>>262 > 蓮如が禁書にして本願寺の蔵に封印していたという話もあるからね。
その説はけっこうよく聞くがガセです。
確かに歎異抄には「仏法に縁のない人には容易に見せないように」との蓮如の奥書は
あるが、本文の最後にも「外見あるべからず」と、念仏者以外には見せないようにと、
唯円自身が書いている。
実は真宗聖教には他にもこの種の文言を付したものはあり歎異抄だけ特別ではない。
実際に、歎異抄の室町時代の写本が15冊、江戸時代の写本も同じくらい存在するので、
本願寺の蔵のなかに禁書として封じ込められていたという事実もない。
265 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/25 18:24:20
殺された氏家さんに南無
266 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/25 19:50:22
267 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/25 23:59:26
>>265 ト全を討ち取った時の指揮官が頼タンでしょ???
269 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/26 23:51:01
頼タン・・・(;´Д`)ハァハァ
270 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/27 00:51:24
坊主の采配の前に討ち取られる武将ってどういうことよ?
本願寺の坊官と武将との間にそんなに差はないだろ。
まあ坊官も信徒も戦闘の素人ってわけじゃないしな。
でも上手い素人にまけちゃったプロって感じは否めないな。
まあ武士も本業は農地経営だからな。
戦争のプロというわけじゃなくて、
農地経営者の中で比較的上手い奴が
出世できるだけでしょ。
275 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/27 15:58:23
>>271 しかし、実際は後方で指揮していただけだろうが、僧侶が戦闘指揮官としての技量なんて
どこで養うんだ?
そもそも本願寺は信長なんぞと敵対する
ずっと以前から組織的な戦闘を畿内各地で
行っていたのだから何の不思議も無い。
277 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/27 17:08:20
>>276 組織的な戦闘?
ホントに組織的だったんか?動員までは組織立てして行ってるようだが。
278 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/27 17:15:12
>>276 だから・・・坊官の実戦経験と采配能力だっての。
279 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/27 17:22:11
>>278 彼らが陣頭指揮を執っていたというのは考えにくいね。
所詮、坊官って中央から派遣された行政官だし。
中央との連絡調整や作戦立案、現地での督戦といった程度なんじゃないの?
>>279 当然、現地の一揆軍と意見が食い違ったりすることも起こり得るな。
>>277 何を以って組織的と呼ぶか、だな。
ぶっちゃけ隊列が組めて前進後退が仕込めりゃ
当時のレベルなら戦いにはなるやろ。
282 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/28 01:32:32
朝鮮出兵の時には「槍はいらないから鉄砲送れ」みたいな話になったが
逆説的に言えばそれ以前の日本では隊列組んで長柄の叩き合い
みたいな予定調和の戦闘方式が通用したって話でもある。
それに兵科も何も無い混成小隊の寄せ集めが大名の軍勢でもデフォだから。
講による指揮系統の確率と効率的動員が可能だった本願寺、
しかも農民層は武士からの軍役訓練も受けてるし名主層・地侍層で本願寺に
ついた者も多いとすりゃ、普通に戦闘可能だったと言えると思うが。
284 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/28 02:33:22
>>283 「講」は軍事的な指揮系統になり得たのかねぇ?
確かに徴兵するには適した組織構造だとは思うが。
285 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/28 02:51:53
>>240 七里頼近って確か、
彼の乗った駕篭の前を門徒が通りかかった時に
「たかが百姓が俺の前を通るとは」と激怒して
叩き斬らせたという話しが残ってる。
そうとう嫌な奴だったんだろうね。
286 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/28 02:58:18
太原雪斎も宮部継潤も僧侶だが名将だぞ。
つーか上杉謙信にしてから幼少の頃から寺に預けられてた僧侶なんだが。
287 :
286:05/02/28 03:06:22
>>286は
>>275に対するレスだ。
これだけではなんなので追加だが。
上杉謙信は別に還俗して大名になったわけではなく、僧侶のまま大名になった。
証拠に大名になっても妻帯せず女色すら絶っている。
>>270は「坊主の采配に負けた武将って」とか言ってるが、
そんな事言ってたら上杉謙信に負けた武将はみんなそうだな。
島津ですら僧侶の宮部継潤に負けてるし、
太原雪斎に負けた織田信秀なんてどうなんだ?
ついでに言うと武田信玄も晩年は入道して僧侶になってるな。
>>284 戦国期の軍隊は混成小隊の寄せ集め。
講は小隊編成にそのままつながりそうだが。
289 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/28 03:21:52
>>288 住民組織だからね、講は。老人や女、子供もごった煮状態。
まあ、そこから戦力になりそうな香具師だけ動員したとすれば、
>>288の意見も納得。
290 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/28 03:24:30
>>285 本願寺の青侍出身だから血の気が多い。
しかも、信仰の中心である本願寺から遣わされた人だから、当然、プライドも高いでしょ。
>>287 虎千代少年が寺院でどういう生活を送っていたかを考えれば、
僧堂坊主とはちょっと毛色が違うよね。
それと宮部継潤にしても延暦寺を下り、自分の草庵(居館)を
砦にしちゃったというから、やはりそういう素養と研究をしてい
たんじゃないの?僧兵のメッカだし。
292 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/28 03:30:04
>>286 寺に預けられるのと、僧侶として出家得度するのはちょっと違うんですけどね。
謙信の場合は出家前の準備段階、勉強段階でしょう。
しかも、兵学ばかり勉強していたとも聞きますしね。言ってみれば、軍事ヲタみたいなところが
あったわけでしょう。
293 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/28 03:52:06
ちょっと話は変わりますけど、時宗の僧侶は遊行の習慣から陣僧(従軍僧)になる者が多かったとか。
陣僧は使僧となったり、戦死者に十念を授けるなどしていたそうです。
戦国期、下野の足利学校では儒学、漢学、易学、国学、経済学、天文学、医学、兵学など幅広く
学問を学ぶことができたそうです。随風(後の天海僧正)などは足利学校に学んでいますね。
大原崇孚は建仁寺で18年間を過ごしたわけで当然、漢書に触れる機会が多かったでしょう。
とすれば、「孫子」「呉子」などの兵法書に触れることもできたでしょう。
それだけの知識、学識があれば大名から軍事、軍略の相談を受けることも多かったはずです。
294 :
293:05/02/28 03:54:51
二行目と三行目の間は改行した方が良かったですね。
295 :
293:05/02/28 03:56:37
軍師として僧侶が果たした役割としては、
1.占星術や方位学、天候予測により吉凶を占う。
2.三献の儀など戦勝祈願の儀式執行。
3.首実検と首実検後の供養等に関する作法。
4.森羅万象を木・火・土・金・水の5つの要素で考える五行思想により吉凶を占う。
などがあったわけですが、教義・教学的に専修念仏を基本とする一向宗の僧侶にそのような素養・
学識があったとは考えにくいんですよね。
まあ、主観的なのかも知れませんが。
>>295 確かに一向宗って体育会系のノリだもんな(w
297 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/28 08:07:44
>>291 >>292 どうかねえ。
そういう景虎(謙信)が寺に入って兵法の勉強ばかりしてたなんて話しは講談とか小説の類の話しで、
実際は長尾晴景が長尾家を継ぐ予定で、景虎は単に普通に仏門に入れられただけというのが真相だろう。
そういうのが当時の武家としてはありがちな慣習だった。
斎藤道三が「子供一人が仏門に入れば一族全員極楽に行く」という考え方から五男と六男を仏門に入れてるし、
今川義元や彼と家督争いした兄も仏門に入ってたし、
ほかにも子供を仏門に入れたり、跡継ぎが無くなったら還俗させるなんて事はよくあった事。
武家の間では多くの人を死なせる良心の呵責からそうやって子供の何人かを仏門に入れてたんだろう。
ただ謙信の場合、異色なのは還俗せずに生涯、妻帯しなかった事だが。
298 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/28 14:04:07
>>297 妻帯はしていないが、それに近い関係にあった女性がいたという説もあるようだが。
>>296 確かに専修念仏なので、軍師として活躍した僧侶より学識という点はやや見劣りしそうだ。
301 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/01 02:32:35
>>300 まあ、青侍が北陸方面のドンになっちゃうわけだし。。。
302 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/01 04:17:57
ところで、おまえらはどうせ本願寺を戦国ネタ中心からしか見てないんだろ?
教団史や教学から見直したらもっと広がりを持って見えるぞ。(俺は大学で専攻しているんで藁)
ていうかおまいらは、真宗が好戦的な武装集団という偏見持ちすぎ(汗
>>302 宗教板あたりで持論を語るように。
教団史や教学はアンタらプロ?にお任せするわ。
304 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/01 05:00:28
>>302 真宗も何も、農民の多数が徴兵されれば即、戦闘員に早変わりするような
時代背景だったわけだが?
それは普通の領民であろうが衆徒(←こいつらも一応、領民に含まれるが)
であろうが関係のないこと。
305 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/01 07:53:42
>>303-304 アンタら釣られすぎwww
>>302は京都にある偏差値の低い宗門大学の学生だろ?www
「真宗」という言い回しをするということは東の方か。
おお○に大なら学生のときよくサークル棟に遊びに行ってたけどな
307 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/01 16:18:16
>>305 いずれにしても立場上、片手落ちになるんだろうな。
308 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/01 18:08:43
>>302 で、どう考えても親鸞の教義と相容れない状況になっていた戦国期の宗門や門徒衆を
どう説明するんだ?大谷大学の学士さんは。
釣られた魚たちが釣り主を袋叩きとは。
310 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/01 18:20:32
312 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/01 20:09:37
>>311 蓮崇(安芸法眼)―頼重(豊前)―舎人
と続いたわけか。
>>308 弁護するつもりはないが、「宗教とはそういうもの」とするしかないんじゃね。
発展するためには始祖の教えを変質させるというか歪曲するというか捏造でもして
世に受け入れられやすいようにしないと。
極端な話、イエスの説いた教えと中世ローマンカトリックの姿はまったく別物だし。
314 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/02 00:06:59
>>313 だから・・・それを教団史としてどう総括するのかってことじゃないの?
そのあたりを
>>302はちゃんと語れないとダメ。
一揆を蜂起させて権力者に取り入っていたのだからなあ・・・・
316 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/02 17:18:03
>>313 そうかもね。
蓮如というのはまさにそういう存在。
今の東本願寺は清沢満之一辺倒で、蓮如の存在は捨て置かれているけど。
そもそも仏教自体が、仏陀の教えとはかけ離れているじゃないか。
318 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/03 00:21:26
浄土三部経だって仏陀の教えじゃないか
319 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/03 00:22:32
>>318 俺はこう聞いてるんだけどね、という滑り出しですけどね。
320 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/03 00:26:39
ここで宗教論争が始まるんか?
321 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/03 02:29:32
謙信は幼少の時に出家はしてない筈。
もし兄がちゃんとした男で長尾家を無事に継いだら
そのまま寺に残って僧侶になったという事は予想できるがな。
もっとも確かに長尾家を継いだあとも仏教に
大きく傾倒してたのは事実だが。
一度は家臣が言う事聞かないので本気で
高野山に登って出家しようとする騒ぎを起こしたりした。
322 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/03 07:46:36
>>321 出家してたら出家したで僧侶としての名前が残ってるはず。
それが見当たらないんだよね。
323 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/04 06:37:34
>>320 宗教勢力の闘争もあったからね、あの時代。
>>321 高野山に登ろうとしたのは
「家臣をまとめるための策略」という意見があるが、
実際は本気で出家しようとしたらしいね。
当時の謙信はそんな小細工のできる男ではなかった。
325 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/05 02:53:31
326 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/05 07:01:10
>>325 同じ仏教でも謙信は密教系。一向宗はつまり浄土真宗だから相入れなかったと考えるのは早計。
信長も往来言われているような無神論者ではなく、神道や禅宗に帰依してたし、
家康に至っては浄土宗だからね。家康は「南無阿弥陀物」を一日に百回、写経したそうで、その紙も残ってる。
対立しつつも信仰する宗教は教義的には非常に近いんだな。
つまり浄土真宗と教義的に相入れなかったのではなく、
あくまで一向一揆という政治的、武闘的な集団とは相入れなかっただけ。
秀吉も家康もそして信長ですら浄土真宗自体を別に完全に滅ぼそうとかはしなかった。
ただ政治力、武力を持たない単なる宗教団体にしようとしただけ。
そのために本願寺が東西に分裂するのを歓迎したり、檀家制度を作って無害な宗教団体化を進めた。
あと蛇足だが生まれた時から自動的にどこかの寺の信徒になる「檀家制度」が
日本人から宗教心や宗教的情熱を奪い、こんにちの無宗教国家日本になるきっかけとなった。
井沢元彦の受け売り乙。
328 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/05 07:16:44
>>326 嘘こけ。
今は池田大作教が天下取ろうとしてるじゃねえかよ。
>>326 >家康に至っては浄土宗だからね。家康は「南無阿弥陀物」を一日に百回、写経したそうで
浄土宗も「南無阿弥陀仏」なんだけどね。
330 :
326:05/03/05 08:22:09
>>329 そんな事は知ってるよ。
浄土宗の信徒として南無阿弥陀物の写経をしたんだよ。
>>328 現代の日本では新興宗教系の方に熱心な信者が多いんだよね。
あっ「南無阿弥陀物」は単なる変換ミスだ。
簡易ネット機器で書いてるので、
「なむあみだぶつ」と打つと「名無阿弥陀物」と変換されてしまう。
「名」は直したけど「物」は直し忘れた。
332 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/05 11:09:36
キリスト教が徹底した弾圧を受けたのに対して、仏教がそれほどまでの弾圧を受けなかったのは
何故か?ということを考えるべき。
謙信のじいちゃんが一向宗に殺られてるからなあ
334 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/05 13:27:14
ガキの自分に洗礼受けさせられて強制的にカトリック信者に
させられていたような中世ヨーロッパで信仰の情熱は
無くなっていたかね?
檀家制度に持ってくのは無理があるだろ。
むしろ神仏習合において仏が神の上位概念に位置していたのが
明治時代に権力の前にアッサリ否定されたような事が
問題じゃねーかね。
336 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/05 15:27:12
信長が本宮ひろしのまんがに出てくるような仏教を全く否定するような人物だったというのはウソ。
彼はあくまで腐敗した仏教界や僧侶を否定しバカにしてたのであり、
仏教自体は正しい教えと思ってたというか、
所詮は彼も当時の人間だっただけに「仏教が間違った教え」なんて概念はなかった。
とりあえず腐敗してたことにしてみたい人
338 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/05 17:38:17
340 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/06 02:00:46
>>334 そ、社会秩序の中で飼いならすことが可能だったのが日本の仏教。
341 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/07 02:19:00
>>340 彼らには日本そのものを乗っ取るほどの野心は無かったからね。
加賀一国は支配したものの、在地勢力以上の存在にはなり得なかった。
342 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/07 18:26:33
>>341 既得権益さえ認められれば・・・ね。
家康などは関東入りする時に土着勢力に発給書を出して、彼らの権益を保証したのでそれほど大きな
混乱も来たさなかったと言われている。
>>341 秩序そのものを引っ繰り返そうという輩が当時の日本にどれだけいたことか。
344 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/08 05:13:09
>>343 仇敵・信長だってどこまで……
と言ってみる。
345 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/08 08:16:34
可児が関ヶ原で大量の首を取ったというのは
一人ではなくあくまで弟子たちを引き連れての功績。
可児のエピソードに
とある豪傑との決闘のさいに4、5人の弟子を引き連れて
「我が槍は戦場で戦うための槍ぞ」と叫んで弟子たちと一斉に豪傑に飛びかかったので、
豪傑は驚いて逃げ出したという話しあり。
案外、姑息な男だとしか思えない。
346 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/08 08:18:18
誤爆失礼。
347 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/08 12:38:33
>>345 姑息でも勝者によって歴史は作られますから。
>>336 詐欺師滞在させてた寺の住職に
何故滞在させてた?→寺の修繕費が無かったからです→信長が寺の修繕費を援助だったっけ?
>>345,347
そもそも姑息などではない。
戦場で軍功を上げて有名になったせいで、
武芸に秀でているという噂が広まってしまっただけ。迷惑税。
家人・郎党を使って挑戦者を脅して無益な殺生を避けたのだから、
評価されてしかるべきだろう。
迷惑税じゃなくて有名税だった。orz
351 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/11 01:48:50
>>349 本人を置き去りして後世で人間像を作り出してるわけだからな。
実戦経験者ならではの戦争観・人命観があるだろう。
ただの売名のために命を天秤にかける愚行を避けただけ。
彼らの活躍の場とアイデンティティはあくまで戦場にある。
353 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/11 23:42:07
つーか本願寺はどうなったんだ?本願寺は。
如。
356 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 09:35:03
本願寺には現在、
西本願寺(京都堀川)
東本願寺(東京浅草)
北本願寺(北海道小樽)
の三種類あるらしい(京都烏丸のは正式名称が「真宗本廟」なので除外)。
だれか沖縄あたりに南本願寺つくってクレ。
東は築地じゃねーの?
359 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 00:02:07
>>358 それは本願寺派(西本願寺/京都堀川)の東京支店のようなもの。
浅草の東本願寺(旧・真宗大谷派東京別院/通称・東京本願寺)は、京都烏丸の東本願寺
(現・真宗本廟)が共産主義的思想を持つ宗政家たちによって解散されられた際、宗教法人
として独立したもの。近年、東本願寺の名称を名乗ることが法的に「是」とされた。
361 :
正義人:05/03/14 00:35:05
本願寺がなければ信長は天下とれたかも・・(ぼそ
363 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 02:26:33
本願寺がなかったら朝倉はもっと早くに巨大化してたろうし
上杉もはるかに早い時期に北陸を制覇しにかかったろうし
それ以前に中央で細川だ畠山だの政権争いに一向一揆が
からまなかったら歴史が全然違ってたはずで
信長の登場まで行き着けないかもしれない。
長慶が若死して三好残党が将軍をあぼーんしなかったら、
信長が上洛するきっかけも違ったものになってる。
いや、それ以前に三好の台頭じたいが(ry
作家Iの言葉を借りるなら
「歴史のIFは決して踏み入れてはならない」
絶妙なタイミングとバランスのもとに歴史があるわけで
何がなかったらどうだと簡単に言える次元じゃない。
>>361は視野が狭すぎ。
>>364の様にもっと相対的に物を見れなきゃ。
結局答えは出ないわけだからな。ifはムダだろう。
>>366 いや、ミクロな局面の判断においては
「こうしたら良かったのに」から「何でこうしなかったんだろう?」
と展開していく事で逆説的に事実に近づける場合もあるよ。
>>367 戦争史学等ではそんな考証もあったけど、
単純に日本史を学ぶ上で裏づけ無しの憶測の発表は
普通に叩かれるので・・・
某大学で『「もしもあのときこうだったら」をまとめよ』
みたいなレポートがあった訳だが、
「何故そういう結論に?」を証明できずに
単位落としたのがいっぱいいた・・・
>>361に聞こう。
何故そういう結論に至った?
個人の判断のifならまあ考察の価値もあると思うが(あのとき彼が裏切らなかったら、
とか、あの時彼が参謀の意見を容れていたら、とか)、状況に対してifを持ち込んだり
したらどうにもならい。
370 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/15 00:49:49
>>369 話の原点が「本願寺がなければ」で始まってるからね。
本願寺の有無はミクロな局面どころじゃないからなw
372 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/15 08:47:36
>>357 > だれか沖縄あたりに南本願寺つくってクレ。
それは無理だろう。
だって、阿弥陀仏は南にはいないんだから。
373 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/15 09:35:10
374 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/15 12:30:01
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 危うく見過ごしそうな小ネタだな
.∧_∧ .<_______________
( ´∀`/ ̄ ̄ ̄ ̄/
____(つ ./ FMV /___
/ \ \/____/ .\
.<\※ \____________\
ヽ\ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ヽ
\`ー──-─────────ヽ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
376 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/16 03:30:38
>>370 未だに京都に東西本願寺があると思ってる香具師は多いな。
ハワイにもあるのだから沖縄にだってあるさ。
もし本願寺がなかったら・・・・
そっくりそのまま高田派に置き換わっていた。
379 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/16 09:59:45
>>377 > ハワイにもあるのだから沖縄にだってあるさ。
まだ、小ネタがわかってない?
阿弥陀仏は南にはいない、南無阿弥陀仏。
380 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/16 22:16:50
>>378 高田派にあそこまでのネットワーク構築が可能だったかね?
少なくとも蓮如の強靭な生殖能力に勝る宗教家はおらんと思う。
382 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 11:16:40
>>380 多分、タマタマから先に生まれてきたんでしょうね、蓮如さん。
383 :
蓮如:05/03/18 12:22:09
「ならお主は口からかいのぉ(`○´)/プンスカ」
などと怒っております。
384 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 12:27:12
>>383 起こるなよ、蓮如さん。
ちなみに「王法為本」の真意ってどこにあったの?
385 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/19 02:22:40
>>326 信りんは法華、織田家も代々法華(本国寺派と身延派の争いはあったが)、美濃斎藤も法華
>>335 現在の無宗教な日本を檀家制度に帰結させるなら
江戸時代の日本も無宗教じゃなきゃおかしいわな、実際にはんなこたなかったが
387 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/20 02:22:06
>>385 蓮如さんの特技は「逃亡」なので、軽やかに敵の包囲から脱出します。
何度も敵対勢力の襲撃から間一髪のところで逃れていますしね。
何で日本は無宗教なんて幻想が蔓延してるんだ?
仏教全体の代表でもない単なる1宗派の1団体が政権に参加してブイブイ
言わせてる国だぞ??
ハッキリ言ってイスラム原理主義国家でもそんなの聞いたこと無い。
389 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/20 13:08:07
>>388 それを「おかしい」と思わない香具師が大勢いるわけだろ。それだけのこと。
390 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/21 03:01:21
>>389 マイレージが貯まると教団内で出世できるからみんな必死なんでしょう。
行きつけの店の店長や店員たちが「日頃のご愛顧にお応えして」票を入れたりする
こともあるそうな。
投票日に迎えに来て、投票所まで連行するらしいし。
391 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/22(火) 06:26:46
392 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/22(火) 11:20:13
>>391 > 公選法違反ちゃうの???
それをにぎりつぶすために要所に会員を潜入させている
394 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 00:08:54
>>393 むしろこのスレが何でもありになってる。
396 :
加藤清正:2005/03/24(木) 02:45:42
>>259改変
.__
|南|
|無|
|妙|
|法|
|蓮|
|華|
|経|
(oノヘ| ̄ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/(´Д`,,)|\ < チョ×コロ皆殺しっ!!!!
mMm Ю ⊂) \_______
/・ ・`ミ三|\
(。。ノ しヽ
/ヽ / ノ
( へ /|.|
ヽヽ| |U
| |
U
397 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 05:57:37
生きていけねーだよっ!!
一揆じゃ!!一揆じゃ!!
おぼーさまぁ!!御旗貸してくんろぉ〜♪
>>397 あー、違いますよ、それ。
一向一揆の連中は江戸時代のような「重税に喘いで悲壮感漂う貧民」などではありません。
支配力のない領主相手に、
「お前、ぴょんぴょん跳ねてみろよ。」と集団で取り囲むような存在です。
これに対する警察行動が、長尾氏・朝倉氏の一揆「征伐」なんです。
399 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 14:16:30
>>398 そうね。
一向一揆というのは、江戸期の農民一揆とはやや性質が異なっている点は注意しておかない
といけない。
一揆と聞くと、常に「権力との抗争」のような先入観を持つ人が多いけど、一向一揆の場合には
彼ら自身が支配者の性質を帯びていたからね。
400 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 14:20:11
一応、制度上は守護というものが存在してけれども、支配権を行使できたかと言えば、限りなく
「NO」に近い。
むしろ「お互いに共存共栄、仲良くしましょうや」という恫喝紛いの空気の中で、利害の不一致が
起これば容赦なく武装蜂起していたわけで。
402 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/25(金) 07:24:10
403 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 10:53:54
>>403 例えとしてはその通りなんだが、あの時代に武装化していないのは京の朝廷くらいしかいない。
405 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 22:36:06
>>404 でなけりゃ、サッサと侵略されて食い荒らされるだけだしな。
406 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 23:43:08
夜盗に傭兵がうようよしてるのに
武装しない村なんて・・・
無いな。
丸腰の現代人から見れば武装集団。
しかし、当時の社会秩序で言えば丸腰の方が奇特。
408 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 17:01:10
でも、宗教勢力だけに内ゲバも多かったみたいね。
最後は内紛やっているところに織田北陸軍がなだれ込んできちゃったわけでしょ。
409 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 18:42:53
>>408 一向宗寺院同士の抗争もあったようだしな。
内ゲバ・・・左翼かいなw
412 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/29(火) 10:15:42
413 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 01:08:48
>>411-412 まあ、そのおかげで本願寺は解散させられ、今は真宗本廟って名称になってるしな。
確か浅草の東本願寺はその時に独立したんだっけ?
415 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 10:15:29
416 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 21:49:08
417 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 09:15:08
>>417 確か本願寺のサイトってあったよね。そこで辻説法してるよ。
最近更新されているかどうかは知らないけど。
419 :
無名武将@お腹せっぷく:黄帝生年紀年4716/04/01(金) 13:31:15
>>419 思い切って信長の野望の一向宗属性武将の解説サイトを
開設するくらいの気概が欲しいよな。ま、冗談だけどさ。
421 :
無名武将@お腹せっぷく:黄帝生年紀年4716/04/01(金) 15:34:56
422 :
無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/03(日) 10:19:05
>>419 親父さんの財団設立の大義名分(寄付行為)のために設けられた仮御所のようなもの。
勘弁してやれや。
424 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 14:02:25
>>423 東山浄苑だろ?
その昔、ウチの親戚があそこに納骨して、住職さんから大目玉食ったらしい。
ったく紛らわしいんだよ。
425 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 15:14:03
>>411 共産党系の政治団体のひとつと見ていいですかね?本願寺は。
檀家連中を騙しきれてないような感じが捨て切れんのよね。
とくに今の東はね。
427 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 16:17:55
>>426 むしろ浅草の本願寺の方がお寺らしいかも。
三戦板にしては珍しい、為になるスレだな
坊主がんばれ。
429 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 13:48:34
430 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 18:28:54
>>426 橋下弁護士に「京都のクサレ宗教家」呼ばわりされてもな〜んにも反撃しなかったわけでしょ?
公共の電波(といっても番組自体は関西ローカルだったが)でそれだけ侮辱されても、な〜んにも
できなければ、「図星だったのね・・・」と思われても仕方ないよね。
431 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 01:44:31
432 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 16:09:18
433 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 16:02:52
434 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 23:59:37
共産党の外郭団体みたいなものだしな。
435 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/13(水) 00:13:14
436 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 22:23:57
西には今度ダライラマが来るらしいね。
437 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:33:38
438 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 15:11:46
こういうスレなのだが・・・
1 :無名武将@お腹せっぷく :04/12/04 07:37:44
「厭離穢土 欣求浄土」の旗の下、長享2年(1488)に富樫氏を打倒して加賀国に
真宗王国を樹立し、さらに元亀〜天正年間には織田信長と激しい抗争を繰り広げ
るなど、100年余りにわたって戦国動乱の主役であり続けた本願寺と一向一揆を
語るスレの第2弾です。
なお、時代対象は浄土真宗中興の祖・蓮如から、東西本願寺分裂に至った教如・
准如までにしたいと思います。
●過去スレ●
【戦国】 本願寺家 【一向宗】
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1078566176/
439 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 18:17:55
富樫氏の家督争いに一向宗が味方しただけじゃなかったっけ?
その後も富樫氏が領主として君臨してるし・・・
440 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 03:54:06
>>439 高田派との抗争も背景にありますから。。。
441 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 18:08:15
たしか本願寺の対立と富樫氏の家督争いでそれぞれ利権のあるほうについてた気が。
442 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 03:22:52
94 :無名武将@お腹せっぷく :04/12/22 01:24:26
そもそも蓮如は高田門徒を異端扱いしていたわけだが・・・
両陣営が戦端を開く切っ掛けは、応仁・文明の乱において細川勝元が朝倉孝景を東軍に寝返ら
せたこと。
この結果、甲斐常治が加賀に逃亡し、富樫幸千代に助勢を頼んだ。幸千代は西軍に属し、東軍
に属する同族の富樫政親と対立していたので、ここに「富樫幸千代&甲斐常治 VS 富樫政親&
朝倉孝景」という構図が出来上がってくる。
ここで政親&孝景は、吉崎御坊を拠点として勢力を伸ばしていた蓮如に助勢を頼むと、幸千代&
常治は蓮如に異端扱いされていた高田門徒を味方に引き込んだことで、両陣営が戦端を開くこと
になる。
文明6年には幸千代・高田門徒軍と本願寺門徒軍が激突し、一揆軍が一方的な勝利を得る。
これに続き、翌7年には一揆軍は政親とも対立するようになる。この背景には門徒指導する僧侶
たちによる加賀支配権の奪取と、守護への年貢・軍役などを拒否し始めた農民層の利害が一致
したこともある。蓮如は「王法為本」の思想によって一揆軍の沈静化しようと試みたが果たせず、
同年8月に吉崎を退去することになる。
443 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 14:14:12
444 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 02:58:00
>>442 蓮如をしても抑え切れなくなってたわけね。
446 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 06:24:34
なんかもともと守れりゃ良い程度の考えだったんでね?
ところが年がたってくるうちに砦みたいな寺つくったり武装したヤシが増えてきたり・・・
447 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/25(月) 01:37:56
448 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 22:23:02
>>446 吉崎だって現地に行ってみるとまさに城砦みたいな趣きだもの。
山科本願寺からして発掘の結果は堀と土塁で固めた巨大要塞都市だからなー
450 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 10:05:07
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2002_02.html その時歴史が動いた 2002年2月27日(水)第87回
信長 執念の天下統一 〜大坂本願寺との十年戦争〜
> Q.「大坂本願寺」は「石山本願寺」のまちがいではないか?
> A.これまで、一向宗の本山を指す言葉としては「石山本願寺」がよく使われてきました。
> しかし、最近の研究では、「石山」という地名は当時使われておらず、
> 歴史学者の間でも「大坂本願寺」の呼称が 一般的になってきました。
> 今回ご出演されている脇田氏が館長を務める大阪歴史博物館の展示でも、
> 「大坂本願寺」で統一されています。そこで番組でも「大坂本願寺」の呼称を用いました。
451 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 10:31:19
>>450 そんなら安土桃山時代とかはいいのかな。
伏見城がつぶれた後に桃の木を植えて、いつのまにか桃が多くなり、
けっこう後にそのあたりを桃山と言うようになったんでしょ。
歴史は素人だからわからんけど、時代ならいいのかな。
452 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 16:28:46
石山御坊よさようなら・・・
鷺森御坊よこんにちわ・・・
ググヌースレになってきたなw
ヒント:政親
456 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 03:59:52
ワカンネ。。。
457 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/30(土) 12:43:23
富樫なら少し前に出てるな。
459 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 11:08:22
>>448 階段登ろうと思ったら犬の糞があって臭かった思い出がある。
460 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 20:33:04
>>459 確か御坊跡に登っていく階段の脇に犬小屋あったなwww
信長は伊勢長島や加賀などでは何度も撃退されながらも徹底的に殲滅
しましたよね。
でも雑賀攻めではわずか数日で形ばかりの降伏を受け入れて撤退した
のは何故なんでしょう?
小雑賀川の渡し場は一月かかっても突破できないし
鈴木孫一の居城(現在見るとただの館だ)すら半月以上かかって落とせない。
埒が明かないから一旦休戦でしょ。
フロイスによればその翌年も佐久間信盛以下7万の兵で雑賀を攻めているよ。
やっぱり失敗したけどね。
463 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 15:53:40
>>461 攻撃時の友軍(織田方)の損害というのはどの程度?
77年第一次雑賀攻め(兵力10万とも)
78年第二次雑賀攻め(兵力7万byフロイス)
たぶんこの後も雑賀を攻める気はあったんだろうけど、
78〜80年が本願寺攻めの締めの時期だから
とりあえず本願寺を先にしたんでしょう。
つか、根来寺のみならず雑賀五荘郷のうち三つまでも
信長に味方して雑賀の雑賀荘と十ヶ郷が落とせないんだから
長島以上の強敵だな・・・・
465 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/04(水) 02:27:27
466 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 00:27:04
>>465 大軍を動員してるわりには効率悪いなぁ・・・・何で?
467 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 00:40:15
大軍であればあるほど動かしにくい。
まして無線機も無い時代だぞ?
長島は大軍の投入でカタ付けたのになあ・・・・
第一次の雑賀攻めでは中野城が陥落すると即座に雑賀衆は降伏してる。
小雑賀川の戦闘はせいぜい数日じゃなかったかな?
居城では全然戦闘は無かったよ。
あのままなら余裕で攻め滅ぼせてたろうし、毛利軍の東進が原因で撤退
でしょう。
第2次雑賀攻めでの織田優勢の中で短期間で撤退したのは謎とされているね。
上杉の動きを気にしたという説もあるけど真偽不明。
信長死後は雑賀孫一は秀吉側について、根来・大田衆は敵対という逆の構図
で雑賀・根来・大田は滅んだのは何というか・・・
何にせよ雑賀の優位は毛利水軍が紀州の背後の瀬戸内海の制海権を掌握して
いることにあったから、毛利の敗北後はどうしようもなかったね。
470 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 16:48:26
>>469 信長公記とも違う展開だね。それは。
何の史料?
脳内妄想かコーエー史料と予想。
>紀州の背後の瀬戸内海w
>>469 ~~~~~~~~~
結局、織田は制海権を掌握しないと不利と言いたいのかな?
雑賀の話は終了な。
そういうのは別のスレでやってくれ。
>>472 まあ本願寺が頑張れた一番の要因みたいなもんだから
そう邪険にしないでくれや。
雑賀は独自の水軍を持って自分で制海権を確保していたんだよ。
>>469 雑賀衆は本願寺が包囲されていても自由に出入りしている。
474 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 18:54:15
475 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 15:53:38
>>473 雑賀衆がいなかったら本願寺厳しかったんじゃね?
476 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 18:58:24
>>475 でも、雑賀の鉄砲隊3000ってのは眉唾でしょ?
>>476 本願寺は雑賀衆に対して500とか1000の単位で
度々鉄砲と射手を要求してる。
実際問題として3000ぐらい持ってなきゃ話になんないんじゃね?
佐武伊賀働書では信長が野田福島を3000の鉄砲(紀州の連中が持ってきた)
で攻め立てた時、雑賀の雑賀荘・十ヶ郷の連中は敵に匹敵する
鉄砲を持って城に籠り撃ち合ったんだとさ。
478 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 04:26:43
あぁ女神様でケイイチが住んでる寺が他力本願寺ですが
何か関係あるんでせうか?
>>478 雑賀も根来も火縄銃の産地にして鉄砲集団で名を馳せたし
高野山も火縄銃作ってたりするし。
多分すごい数が紀州には存在した・・・・
482 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 14:10:51
mot
483 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/16(月) 07:27:48
484 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 23:36:57
>>477 長篠の三千挺と眉唾度はどっちが高いんだ?
>>484 本願寺が度々500とか1000とかの単位で鉄砲と射手を要求してたのは
実際に残っている文書類に書かれている事なのでほぼ事実。
野田福島に紀州の軍勢が3000挺の鉄砲携えてやって来たのは
信長公記に書いてあるのでそれなりに信憑性がある。
野田福島に雑賀荘・十ヶ郷の連中が鉄砲持って籠った話は
佐武伊賀働書に書いてあるのでほぼ事実。
長篠で鉄砲三千なんてのは完全な眉唾。
486 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 00:15:15
>>485 火薬の質、量って全国均一じゃないだろ?
何のためのネタフリかが分からない
488 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 17:21:47
489 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/23(月) 15:56:22
490 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/24(火) 12:17:54
492 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/25(水) 17:59:43
493 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/27(金) 12:02:36
>>488 無駄にカネをドブに捨てるような事業・・・
そんなことやってる場合なのか?本願寺は?
494 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/29(日) 01:39:47
495 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/29(日) 20:52:29
今の門首が死んだら、遠縁門首が登場しそうな悪寒・・・
無理矢理に兄弟喧嘩が終わった形になって養子縁組乱発するだけでないかね。
>>496 んで「そんな縁組は認められない!」でひと悶着、ふた悶着。
498 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/31(火) 01:33:16
また御家騒動かいな・・・
499 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/31(火) 23:32:49
>>498 どの道、赤いオーラが漂うような結論なんだろうな。
それが左翼教団の宿命。
500 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/02(木) 23:38:46
>>495 出自は一向宗で、能力値と特技は無茶苦茶・・・
501 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 03:34:59
うんうん…
502 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 12:04:34
503 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 12:42:30
>>502 教如が出奔し、顕如に姫武将がいなければそういうことになるわな。
ちなみに俺はその教如を手厚く保護するが。
504 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 00:40:56
>>503 軍団長の座を解任すると出奔するね。
けっこう気難しいタイプなのかな。
下間頼廉が活躍する小説ってありますか
506 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/11(土) 01:11:56
>>504 置手紙を残して出奔するな。
だが、数ヵ月後、登用奉行の網に掛かる教如・・・
507 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 17:31:45
wwww
なんか、面白いスレだな
508 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 18:38:26
>>503 教如が当主になると家紋が「卍」に代わるよね。
あの瞬間がけっこう好き。
509 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 15:45:17
∧_∧
(;´Д`) 法主さまの残り湯(゚Д゚)ウマー
( つ旦O
と_)_)
本願寺ハァハァ門徒
510 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 02:50:55
511 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 23:41:23
「退けば無間地獄」ってもろカルトの手法っすね。
神田千里氏の研究だったか、意外にも教義で門徒を縛って動員という事は
ほとんど無かったとかなんとか。
513 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 01:47:25
514 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 05:15:48
んだ
515 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 02:27:45
>>512 むしろ極めて統制しにくい部隊だったというのが実情では?
ところであまり宗教は詳しくないのだが
浄土真宗大谷派と言われるのと普通の浄土真宗は違うのかい?
518 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 13:00:07
>>516 決定的に違うとすれば、むしろ
大谷派+本願寺派 VS 高田派+諸派
という構造だと思うのだが。
519 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 17:13:28
520 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 01:57:39
>>519 ある意味、覚如教団の拡大型が蓮如教団だしな。
>>518 なんかどこかで大谷派は部落との関わりがあるみたいなレスを見たんだ。
522 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 16:16:37
>>521 (; ̄□ ̄)!!! あわわ・・・・俺は逃げるぞ・・・
>>522 すまん。芸能板で伸介絡みの情報として出てただけなんだ。
まあ、話半分だと思って聞いていたが。
朝倉氏滅亡後の越前での一向一揆による朝倉の遺臣狩りも凄まじかったな。
まあ、朝倉の旧臣同士で反目しあい、それを一揆勢力に利用されてしまった
というのもあるが。
でも、そのあと越前に侵攻してきた織田軍によって徹底的に潰されたが。
>>527 正しくは織田軍+真宗高田派によって、だな。
529 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/30(木) 03:40:02
>>528 本来、ご本家は高田派なんだけど、完全に本願寺の後塵を拝する状態だったからね。
そりゃ、対抗できれば織田と手を結ぶだろう。
>>529 で、平定後は高田派or三門徒派への改宗政策。
本願寺派も残ってはいるが。
531 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/01(金) 23:05:48
そりゃまあ東西揃って伯爵に叙せられてるわけで。
皇室の姻戚にあたる門主は明治〜戦前に門徒を急増させている。
533 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/05(火) 22:35:01
535 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/08(金) 03:07:26
宗教テロ・・・
勝った者が正しい。いつの時代も一緒。
別に信仰心というものをまやかしとして否定するのも仕方ない時代だがな。
ただニートに関しては、宗教の歴史的価値と存在の意義を認める事が出来れば、ニートから脱する事が出来ると断言する。別に必ずしも何かを信仰しろと言っているわけではないがな。
話がちんぷんかんぷんに聞こえるヤツもいるだろうが、言っている意味がわからないなら知識と教養を高めればおのずとわかる。
537 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/11(月) 19:43:13
538 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/13(水) 21:30:15
>>521-
>>523 というより、親鸞の布教対象がそもそも被差別民衆であり、全国の未解放部落にある
寺院の9割は浄土真宗寺院なんだけどね。一時真宗寺院をエタ寺と呼んでいた
こともあったと五木寛之氏は述べている。
エタ寺の桜まにまに咲きにけり 一茶
539 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/13(水) 22:00:11
来週の「その時・・・」は信長の鋼鉄軍艦が
宗教テロの協力者を沈める話だぞ。
540 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/13(水) 23:46:08
>>539 いいねえ、ガンガン撃破してもらいたいもの。
鋼鉄軍艦w
いい加減やめねえもんかねえ・・・・
542 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/14(木) 18:42:06
543 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/14(木) 18:44:29
そこに愛はあるのか?
いや大丈夫ですよ
題名は
信長の巨大鉄船、戦国の海を制す
〜織田水軍vs村上水軍、決戦大坂湾〜
ですよ
鉄船_| ̄|○
以前のNHK堂々日本史で「鉄甲船はただの水城」でFA出てたじゃん。
堂々日本史なんざ、とてもまともなもんじゃないがな
堂々日本史は前提が装甲船だからそういう事になってしまう。
逆だよ逆。
549 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/17(日) 03:53:01
アーマー付き木船
550 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/17(日) 03:58:10
尼付き温泉
551 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/17(日) 08:38:48
といって別に本願寺直属の水軍ってわけじゃないからね。
支援勢力の水軍VS織田方の水軍でしょ?
552 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/17(日) 17:35:25
支援勢力というか、第二次木津川沖は村上水軍と九鬼水軍の
戦いだからなあ・・・・
しかも別に村上水軍が壊滅的被害を受けたというわけでもなく、
信長はその後も村上水軍をいかに政治的に弱体化させるかに
四苦八苦。
553 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/18(月) 17:35:20
>>552 水軍の船の寿命ってどんなものなのかね?
>>553 戦国時代の船の寿命は知らない。
江戸時代、商船(船体を塗装しない白船)の寿命が20年。
軍船は漆などで塗装するからもうちょっともったと思うが、
江戸時代には軍船はほとんど使われずに浜に引き上げてあるような
状態だったので、100年200年もった船がたくさんあったw
555 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/18(月) 22:56:13
>>554 きちんと手入れしないと虫に食われるんですよね、木造船って。
556 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/20(水) 04:00:44
557 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/21(木) 03:27:55
558 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/21(木) 03:35:06
ほう・・
一都市一本願寺
560 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/22(金) 01:14:22
561 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/22(金) 13:15:09
>>557 確か高田派の系列だったように思います。
ということはこのスレ的には敵役ということでしょうか。
562 :
可児 ◆Lv999/0DtY :2005/07/22(金) 13:31:04
俺に勝てる奴はいるか?
俺に勝てる奴はいるか?
俺に勝てる奴はいるか?
563 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/22(金) 22:32:51
>>561 高田派系統なのに北専修寺ではなく北本願寺・・・・
564 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/23(土) 04:12:51
名号で石山本願寺建てちゃったからな
戦争に負けなければ今頃パレンバン本願寺とかラバウル本願寺も
戦前は台湾や朝鮮にも別院があったからな。
樺太はどうか知らない。
京城別院とか釜山別院とか台北別院とか。
568 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/24(日) 20:52:18
>>567 別院は知らんけど、満州まで進出してたしな。
NHKの集金と本願寺は日本人の住んでるところならどこでも進出するな
570 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/25(月) 00:45:38
571 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/26(火) 12:25:32
572 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/26(火) 13:34:50
時代違い
573 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/26(火) 15:34:22
日本の国教を本願寺にしようではありませんか?
575 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/26(火) 19:55:40
>>574 却下。
それを言うなら
「日本の国教を一向宗にしようではありませんか?」
だろうに。
下間一門を日本の枢機卿に。
577 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/26(火) 23:23:38
>>576 下間さんの末裔を名乗る住職さんがいるんですけど、本物かな?
578 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/26(火) 23:35:03
鬱鬱鬱鬱鬱鬱ミ〜
鬱|鬱/≡\|〜 プゥ〜ン
‖鬱‖■■■■|〜
鬱鬱≡≡≡★≡ヽ 〜
鬱鬱≡≡≡)〓(≡)〜 HAAHAA〜
_ 鬱鬱≡≡≡≡≡≡/ 〜〜
□□□鬱鬱‖≡≡≡≡/‖ 〜〜
□□□鬱鬱鬱鬱≡≡≡≡■■■〜
□□□□■■■■■■■■■□□□□
□□□□■■■■■■■■□□□□□
□□□.■■■■■■■■■■□□□□
□□□i■■■■■■■■■■□□□
□□□ ■■■■■■■■■■□□□
□□□■■■■■■■■■■□□
□□□■■■■■■■■□□
□□□■■■■■■■□□□
□□□■■■■■■■□□ .!
□□□■■■■,□□□□■■■
>>575 一向宗=浄土真宗本願寺派ではないけどね。
例えば島津の領地では「一向宗に気をつけろ」とし、その例として
歩き巫女やら修験者やら怪しげなもの全般全部含めているw
580 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/27(水) 00:02:35
浄土真宗複雑杉
>>577 下間一門を名乗るなら、清和源氏本嫡を背負うわけだからね。
その住職さんを問い詰めるオフでも開いてみたいものだね。
583 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/27(水) 23:19:24
584 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/28(木) 17:54:50
>>581 そうかねぇ?
意外と単純なように思うが。
>>582 >下間一門を名乗るなら、清和源氏本嫡を背負うわけだからね。
何をもって本嫡と言ってるの?まさか頼光流だからと言いだすんではあるまいな
587 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/29(金) 00:07:35
____ 、ミ川川川彡
/:::::::::::::::::::::::::""'''-ミ 彡
//, -‐―、:::::::::::::::::::::三 ギ そ 三
___ 巛/ \::::::::::::::::三. ャ れ 三
_-=三三三ミミ、.//! l、:::::::::::::三 グ は 三
==三= ̄ 《|ll|ニヽ l∠三,,`\\::三 で 三
/ |||"''》 ''"└┴‐` `ヽ三 言 ひ 三
! | / 三 っ ょ 三
|‐-、:::、∠三"` | ヽ= U 三. て っ 三
|"''》 ''"└┴` | ゝ―- 三 る と 三
| / ヽ "" ,. 三 の し 三
| ヽ= 、 U lヽ、___,,,...-‐''" 三 か て 三
. | ゝ―-'′ | |::::::::::::_,,,...-‐'"三 !? 三
ヽ "" ,. | | ̄ ̄ ̄ 彡 ミ
ヽ、___,,,...-‐''" ,,..-'''~ 彡川川川ミ
厂| 厂‐'''~ 〇
| ̄\| /
588 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/29(金) 18:57:51
で、鋼鉄軍艦はどうなったんだ?
590 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/01(月) 18:00:05
>>589 確かに枝葉いっぱいあるからねぇ・・・そこで奇矯屋さん、一言!
591 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/02(火) 04:20:31
教如と顕尊って仲悪かったの?
そもそも対立の構造って金or権力?
593 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/02(火) 17:28:32
>>592 顕如と教如って凄い仲が良かったみたいだけどね。
石山退去後もすぐに義絶を解いちゃってるし。
594 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/02(火) 18:58:43
教如の抗戦は最初から承知のことで、義絶も形式上のこと。
各地で交戦中の全て門徒衆が顕如の一存で停戦に応じ、信長の軍門に下るというのは、一揆軍の
構成上考えにくい。
前線に坊官を派遣して停戦を命じるにしても、積年の遺恨や諸事情で抵抗する勢力は出てくる。
といって、彼らを見捨てて父子が退去すれば、教団自体が分裂しかねない。
それこそ信長の思う壺。
となると、顕如が停戦に応じた門徒衆を、教如が停戦に応じない門徒衆を率い、教如の石山退去
というデモンストレーションを以て二段階で戦闘を終結させ、教如の義絶を解くことで、もう一度組織を
まとめ上げようとするのが得策。
595 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/02(火) 22:27:45
>>591 顕尊が養子入りした興正寺って西本願寺の横にある寺でしょ?
京都行った時に立ち寄ったけど、どこからが本願寺で、どこからが興正寺なのか
よく分からんかった。
>>594 本願寺のために戦っていた門徒ばかりじゃないからな。
597 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 04:05:24
>>596 戦ってたのは門徒ばかりじゃないからな。
598 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 18:33:13
戦ってたのは坊主ばかりじゃないからな。
じゃあ、誰だ?
600 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 23:12:03
601 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/04(木) 03:23:51
>>594 本願寺が坊官を派遣してりゃ統制できるってほど、一向一揆軍で単純な
構造じゃなかったからな。
必死で説得してようやく・・・って感じだったでしょ、末期は。
602 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/04(木) 19:03:46
>>601 むしろ統制できなくなってたでしょ、現場レベルでは。
603 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/04(木) 20:52:22
教如には東西分裂の意思はなかったと聞くが本当か?
604 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/05(金) 05:06:30
>>603 本人にその気がないにしても、教如の裏書を欲しがる門徒は多かったというし、
それなりに信望のある人物だったことは確か。
実際、半数近くの寺院・道場は教如に従っているわけだし。
>>604 御裏方として門徒に敬われることで教如自身は満足していたとも言う。
しかし、彼をそのままにしておけない人々が教団内にもいたのでは?
606 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/05(金) 19:58:36
607 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/05(金) 23:42:59
>>605 関が原の前後で陣中見舞いと、勝利の御祝いに二度も出向いてしまうアクティブな教如様。
誰かが入れ知恵したのかな?
608 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/06(土) 03:35:42
>>607 准如なんか戦勝祝いに行ったらお土産踏み潰され、追い返されたらしいな。
ここ、日本史板でも十分通用するレベルだね。
感心すますた。
同意〜
タイトル見たときは禿げ共乙!と思ったけど
見てみたらラベルが高くて驚いた。
611 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/07(日) 02:44:25
612 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/07(日) 03:32:44
>>607 家康と引き合わせたのは頼廉さん。
じゃあ、頼廉さんから先は・・・本多サド繋がりか?
613 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/07(日) 09:42:34
>>612 本多正信が帰参した時期ってのは複数説があるよね?確か。
614 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/07(日) 19:42:20
姉川の合戦の際に帰参したのではなかったかな?
張り切りすぎて敵中に深入りし、味方に助け出されたという話もあるらしい。
なお、三河を出奔した正信は、大坂ではなく主に加賀戦線で軍師として活動していたらしいな。
それ以前には松永久秀に仕えていた時代もあったようだが。
梟雄と謀将の組み合わせはなかなかに興味深い。
615 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/07(日) 22:10:33
>>614 >松永久秀に仕えていた時代もあったようだが。
どの程度信憑性があるのかな?
617 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/09(火) 21:46:31
618 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/10(水) 13:05:44
>>617 信仰そのものは最後まで捨てなかったんだぁ・・
三河の一向一揆に参加した家臣の多くが浄土宗や真宗高田派に改宗したのにね。
619 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/11(木) 14:39:34
>>618 三河に高田派の勢力がどの程度存在したのだか・・・
620 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/13(土) 08:03:14
>>619 加賀の一向一揆なんて本願寺VS専修寺の代理戦争みたいなものでしょ?
621 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/17(水) 08:59:24
>>620 そこに富樫氏の家督争いが絡んで暴発。。。
622 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/18(木) 09:15:58
>>621 そもそもは国人層を中心とした専制領主に対する反抗。
それが阿弥陀如来信仰という格好の隠れ蓑をまとって襲い掛かってきたと。
戦力の中核は、何度も言われていることだが、純粋な門徒たちではなかった。
624 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/19(金) 06:54:37
625 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/19(金) 07:00:50
そうかそうか
今も昔も武闘派なんですね
627 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/19(金) 12:25:47
>>626 政治活動がしたくてしょうがないみたいですよ。
そのうち武装し始めるんじゃないですか?w
628 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/20(土) 10:33:29
>>627 極左勢力だけにこれからは一揆より爆弾テロだろ?
629 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/21(日) 04:35:32
>>619 詳しいことは知らないけど、その時代には専修寺は今の場所に移転してるはずだから
三河近辺でも影響力はそれなりにありそうなもんだが。
631 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/21(日) 17:09:40
632 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/22(月) 06:16:07
彼我の差は蓮如と真慧の「生産力」の差では?
633 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/22(月) 14:26:58
634 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/22(月) 19:53:32
...........................,..:--――‐--.、_
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:::::::::゙:. ヽ‐" ト、ノ i l! | 圧倒的じゃないか、我が種は。
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635 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/23(火) 07:32:11
>>630 三河周辺というのはそもそも高田派の勢力圏だったようだけどね。
それだけに本願寺派から高田派への転派も可能だった。
「天文日記」「顕如上人文案」読了
637 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/23(火) 11:47:09
しかし、今の真宗教団はあまり実如〜教如時代のことを伝えようとしないね。
反戦活動家が多い身内に遠慮してるのかな?
見方を変えれば、教団そのものが現代ある形に変貌していく過渡期なのに。
638 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/23(火) 14:25:42
>>637 「一向一揆=武力闘争=悪」という呪縛なんでしょうな。
非暴力運動でもやってりゃ良かったのか?それじゃあ、撫で斬りにされて終わり。
639 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/23(火) 17:41:58
島原の乱はセーフなのか?
弾圧を受けてやむなく挙兵・・・一向宗にもそれに似た状況はあったんじゃね?
専制君主からすれば危険な教義だしな。
当時、浄土真宗は弾圧されてない。
権益拡大に味をしめた門徒が一線を越えてしまっただけ。
信長vs一向一揆は、先制攻撃を仕掛けたのは一向一揆側。
断じて悲劇のヒロインなどではない。
641 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/24(水) 02:00:20
もともと本願寺を保護していたのは三好側なんだから
その三好を追い詰めた信長に噛み付くのは当然と言えば当然。
>>640 門徒っていうより一部の僧侶が利権を求めて先導した感じだと思う
まあ、加賀の方はそれで自滅してたけど
小領だと門徒衆が多くなりすぎて大名と立場逆転してたらしいな
643 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/24(水) 08:31:08
>>640 はあ?禁教令出されていた地域もあるのだが?
644 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/24(水) 08:34:07
>>642 感じで語られちゃ困るんだが。
何でも上にいる香具師が「先導」する立場か?
確かに本願寺側も坊官を派遣して統制に努めたが、むしろ中下層の門徒や門徒と結びついた
土豪連中の方が現地では力を持っていたのだが。
それが分裂の切っ掛けになっている。
>>643 信長領・家康領では、軍事衝突以前には禁教されていない。
>>641 というより、畿内に本拠地をおく寺院としては畿内の実質的な支配者の保護を求めるのは当然。
長慶の死後三好の分裂によって本願寺(を含む寺社・公卿)は新たな保護者(畿内の覇者)を
必要とした。
そこに出てきたのが義昭を奉じた信長。顕如は信長が上洛する前から使者を派遣して誼を通じている。
つまり、この時点で顕如は信長が新たな支配者になるとみて先鞭をつけたわけだ。
648 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/25(木) 00:18:55
信長は大して保護もしないくせに矢銭だけ取るからうざかったとか。
649 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/25(木) 13:24:57
>>646 別に信長領、家康領に限定してはいないが?
>>647 どころがどっこい、軍資金を出せ!ゴルァ! じゃねえ・・・
651 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/25(木) 15:33:38
>>640 また論破された某宗派の私怨レスか!
だってナムアミダがでちゃう真宗だもの
なんだ?ウチゲバか?
653 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/26(金) 10:13:03
>>640 門徒、門徒というが、それらには祈祷師や神官も紛れ込み、さらには利害の一致する土豪が
加わり、念仏信仰を大義名分として利用していたところがある。
それを「門徒」と位置づけるならば、かなりいい加減な連帯の集団と言えなくもない。
組織はでかいし全国に散らばってるし
各地でずいぶん状況違うよね
「こうだ」って決めるのは難しいかも
一向宗=(本願寺派)浄土真宗だった訳ではないしね。
地域の有力者が混ざり合って出来た混沌集団。
地元の有力寺院や本願寺直属の坊官の言うことを無条件に受け入れる
集団では元々なかった訳だ。
信長との抗争にしても各地の一向一揆集団がバラバラに暴発して
信長側に寺社勢力討伐の大義名分を与えてしまったのでやむなく
本山自ら立った、というのが正確な所でしょ。
本願寺からすれば教戦の維持拡大の方が本来の目的なんだから
必ずしも領国の自治にこだわる必要はなかった。だがそれだと都合の
悪い勢力が一向宗内には存在し、それを押さえきれなかったってことだね。
656 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/28(日) 14:42:29
657 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/28(日) 23:33:11
>>655 門徒を含む在地勢力と民の利害の一致ということがなければ、あそこまで戦線が拡大するってことは
なかったでしょう。
それが故に地域地域で対応にばらつきが出てくる。
658 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/29(月) 09:39:29
>>657 わざわざ顕如や坊官が説得に出向いてようやく矛を収めたような
ところもある。
本願寺どころか現地ですら完全掌握できていたわけではない。
659 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/29(月) 18:52:51
対立した双方の名前とその年代もちゃんと書くべきでないか?
石山合戦中の内部対立は戦時下の集団によくある話。
戦争遂行するためには迅速な命令組織が必要。
織田政権には血の粛清を辞さない独裁体制が存在し、
一向宗にはそれがなかったというだけのことだろう。
661 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/29(月) 23:42:03
>>660 一向宗という存在自体をきちんと定義してからやったら?
662 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/30(火) 12:09:59
>>661 蓮如がそのあたりは明確に区分けしてるわな。
後付ではなく当時の上人がそう言ってるんだから多少説得力はあると思うが。
663 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/31(水) 12:00:52
>>661 南無阿弥陀仏と唱えたら一向宗、と言ってみる
665 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/31(水) 22:49:33
一向宗というものは山伏や歩き巫女などを使う。気をつけろ。by島津
666 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/01(木) 01:46:16
蓮如時代から統制取れてないよね
667 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/01(木) 12:19:11
>>666 地域差があるからねぇ。
いろんなところの門徒衆を吸収しながら拡大したのが蓮如教団。
668 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/01(木) 16:08:31
>>666 それを言うなら親鸞の時代からだろ。
親鸞が関東を離れた途端、関東各地の門徒たちは独自の動きをし始めている。
669 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/02(金) 11:38:46
>>668 親鸞の子・善鸞が親子の縁を切られたのも、関東各地の高弟たちとの諍いが原因だろ?
本とか読むと「俺は父親から極意を教わった」と関東の門弟たちを扇動しようとする(教団化しようとする)
善鸞が、高弟たちに訴えられたというのが顛末のようだが・・・
親鸞の薫陶を受けた善鸞がそんなことするのかねぇ?と。
むしろ土着信仰だの善光寺信仰だの、いろんなものが混じった信仰の形になっていたのは関東の門弟
たちの方なんじゃねえの?とか思えてくる。
戦国期の一向宗の雑多な入り混じり具合や混乱を見るとそんな感じがするのだが。
>>669 善鸞はずっと親鸞の元にいたわけではなく、叔父のつてで
比叡山で修行してた時期があるからね。
密教なんかの祈祷修法に触れていた事は間違いない。
本願寺三世覚如によれば巫覡集団を組織し陰陽道系祈祷祭祀を
行っていたとある。覚如は善鸞の子如信から教えを受けてるし、その父親
(覚如から見ても大伯父)のことをわざと悪く書くだろうか?
>>669 教線が違うんじゃないか?
東日本で行われた布教は親鸞と門弟らによるものだが、
西日本で行われた布教は蓮如によって行われた全く別のもの。
672 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/02(金) 20:54:48
>>670 善鸞も覚如同様、関東門弟を教団化しようという動きがあったらしい。
前者は挫折し、後者は条件付の限定的な権限ながら教団化に一応のところ成功している。
すなわち前者との違いを明確にしておくことが、自身の正当性の強調に役立つという見方も
できるのでは?これは憶測ですけどね。
覚如の一方的な主張を信用するというのもちょっと問題があるのでは?
覚如が形式上、如信を本願寺二代と位置づけ、やたらに立てているところがあるのも作為的
と言えば作為的なところがある。
673 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/02(金) 21:06:54
>>671 教線?そりゃ違いますよ。時代もまるで違うのだし。
それに親鸞時代の関東門弟というのはせいぜい数百の規模だとも言われている。
>>669で指摘しているのは、教義・教説が地域的、地理的影響によって本筋を違えていく状態は
親鸞時代も蓮如時代も変わらないのでは?ということでしょ。
関東の門弟が正統で、善鸞を異端とする見方が一般的なのだけど、彼らが親鸞の教えを1から
10までパーフェクトに捉えていたかというと疑問が残るんだよね。
パーフェクトなら唯円が『歎異抄』を書き記す背景も存在しないことになる。
親鸞の没後、親鸞の教説が誤った方向に流れていることへの危機感が、唯円をして『歎異抄』に
向かわせているわけだから。やっぱり混乱状態というのはあったはず。
674 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/02(金) 22:37:33
>>670 しかし、それならば何故、善鸞のような人物を高弟の多い関東に送り込んだのか・・・。
こいつは怪しいかもなぁ、という人物を送り込んだとすれば、それは送り込んだ親鸞の側にも
非がありますわな。
まあ、全幅の信頼を置いていたら、尚更、親鸞自身の目は狂いっ放しだったw
義絶というのはある意味、自己肯定でもあるのでちょっと違うんじゃないかと。
675 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/03(土) 22:11:14
>>674 ・・・・だよねぇ。
責任者出て来い!状態だよねぇwww
676 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/04(日) 15:43:24
>>675 本願寺さんも教祖は否定できないだろ。。。
677 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/04(日) 21:49:26
>>676 蓮如の存在を無理やり消し去ろうとする傾向を感じるんですが。
678 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/05(月) 00:00:41
>>672 関東の門弟たちから評判が悪かったのは覚如も同じ。
その矛先を逸らすために如信を持ち上げたという見方もあるくらいで、
親鸞廟の留守職の座もかなりの制約を課されていたのだとか。
人物的には息子の存覚の方が評判が良かったくらい。
679 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/05(月) 16:27:08
>>678 その頃までは弟子たちも割合まともだったんだな。
680 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/05(月) 19:13:57
>>678 覚如は異父弟とも廟堂の敷地の所有権を巡って争っている。
681 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/06(火) 12:50:31
>>680 もともと覚信尼の再婚した夫の土地じゃねえかよww
682 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/07(水) 15:57:19
覚信尼は初め同族の日野広綱と結婚したが死別。
後に小野宮禅念と再婚しているな。
親鸞の廟堂はこの小野宮禅念の所有地(150坪ほど)のところに建てられ、同地は表向き
禅念から覚信尼に譲られたことになっている。
684 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/08(木) 03:23:18
異父弟?
異父兄弟ではあるけれど、異母兄弟でもある。
何せ禅念の子・唯善も、覚如も連れ子同士で血の繋がりはないもの。
685 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/08(木) 08:47:01
今も昔も変わらんな・・・揉め事には事欠かない(w
いつの時代も一向宗徒は血気盛んですねw
687 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/08(木) 22:32:52
>>686 というより地位と財産に汚いというか・・・
688 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/09(金) 15:01:23
>>687 それは門徒よりも親鸞の末裔と連枝たちだろうに。
689 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/10(土) 15:25:21
東京本願寺
>パーフェクトなら唯円が『歎異抄』を書き記す背景も存在しないことになる。
親鸞の没後、親鸞の教説が誤った方向に流れていることへの危機感が、唯円をして『歎異抄』に
向かわせているわけだから。やっぱり混乱状態というのはあったはず。
禿道。一説には万を越え、佐竹・宇都宮・鎌倉北条などの有力な武家を含む信徒を親鸞は
既に統制できなくなっていたんじゃないのかね。
ちなみに「鴻才弁舌」と讃えられた唯円大徳も親鸞の教えを誤解していたのではないか?
という解釈も学界では根強いね。
691 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 20:46:21
>>690 >一説には万を越え、佐竹・宇都宮・鎌倉北条などの有力な武家を含む信徒を親鸞は
>既に統制できなくなっていたんじゃないのかね。
万を越えていたというのは初耳。
それならば、鎌倉の様子を伝える当時の様々な記録の中に「親鸞」の名が記載されても
良いはずなのだが、日蓮は登場しても親鸞はまるで登場してこない。
692 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 00:30:06
>>691 親鸞は存在しなかった説まであったもんな。
693 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:56:35
>>692 おいおい、ならば恵信尼は何者?覚信尼は何者?覚如は何者?
694 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/13(火) 15:45:51
>>693 とりあえず、御消息(門弟への手紙)があるんだし、実在はしただろ。
世に出ていないだけのことで。
695 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/15(木) 02:32:29
>>694 本人も別に世に出るつもりはなかったと思うけどね。
>>693 明治〜大正期に学会で大真面目に唱えてた学者がいたんですよ。>親鸞非実在説
御消息の実物も残ってないし、確実な歴史的記録も無いことを根拠にね。
その後西本願寺で恵信尼消息など実在の証拠が見つかり完全に否定されたが。
697 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/15(木) 13:57:43
>>696 さすがに焼けないといろんなものが残るんですね。
>>690 惣別、惡魔之証明とぞ云ひけるものなる哉、
699 :
698:2005/09/15(木) 16:22:43
700 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/15(木) 16:32:00
あ、あの〜、スレタイ無視ですか?
流れスレタイに沿うの由、些も胡乱なく候、
703 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/17(土) 03:04:13
>>697 教如の末裔の本願寺はけっこう戦災とか失火で焼けてるらしいね。
704 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/18(日) 17:37:28
705 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/20(火) 14:33:06
顕如光佐とか教如光寿とかあるけど
信長の野望みたく、ぶつ切りにして名乗ることってあったの?
707 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/21(水) 04:17:18
本願寺光佐とか本願寺顕如とか、そういう‥
709 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/21(水) 20:03:21
>>708 そういう呼び方はしてないでしょう。
大谷姓だって後年のもの。
そもそも僧侶が俗世の「姓」を名乗る必要性がなかったわけで。
本願寺←寺院名 顕如←法名 光佐←諱(実名)
公式では諱(いみな)で呼ばれることは無いと言っていい。
寺院名を姓のようにして使うこともない。
よって僧侶としての名前は顕如、教如だけで、本来この二字だけ呼ぶのが正しいが、
それじゃ本願寺法主家の者だとわかりにくいからゲーム上便宜的に寺院名を頭に
つけているのだろう。
ちなみに禅僧だと四文字の名前が多い。有名な一休宗純だと
一休←道号 宗純←戒名
で二つ合わせて正式な僧侶の名前とする。顕如光佐とか教如光寿という呼び方は
おそらくこれと混同して用いられたのではないかと思われる。
無理に姓を名乗らせるなら「日野」でいいのだろうか。
それとも「大谷」なのか。
無理に名乗る必要というか根拠がないのだが
つ藤井善信
714 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/22(木) 17:12:40
>>713 それは越後に配流になった時の便宜上の名前でしょ。
715 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/22(木) 22:47:05
>>740 『戦国自衛隊』では「光佐」表記でしたね。
故・成田三樹夫が凄まじくハマッていた記憶があります。
716 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/23(金) 20:55:50
>>715 上人像と見比べてもけっこう似てるんだよね。
惜しい人を亡くしました。。。
717 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/24(土) 15:57:52
親鸞の父親・日野有範も中の下程度の没落貴族でしょ?
日野は日野でも傍系だし。
718 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/25(日) 00:00:36
>>717 確か承久の乱に加わって没落した(より一層の没落?)と聞いたが?
719 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/26(月) 17:06:38
>>718 ・・・とされているようだね。
それ以前から中級公卿の傍流だからタカが知れてるけど。
720 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 18:42:13
721 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/02(日) 17:29:08
【顕如様を演じた俳優さん】
伊井友三郎……太閤記(1965 NHK)
伊藤孝雄………国盗り物語(1973 NHK)
成田三樹夫……戦国自衛隊(1979 映画)
伊藤富美也……信長 KING OF ZIPANGU(1992 NHK)
722 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/02(日) 23:08:24
我が尻くらえ
723 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/03(月) 13:11:23
【教如様を演じた俳優さん】
原 豊……信長 KING OF ZIPANGU(1992 NHK)
724 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/03(月) 18:58:02
来年も登場しなそうだね。
ナレーションだけの登場かな?顕如父子は。
725 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 15:44:56
お東の門徒なんですけど、最近、蓮如さんを貶める傾向ないですか?
教義を歪めた中興の祖、というような扱い。
726 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 21:03:52
727 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/06(木) 19:06:25
鉄人蓮如
728 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/06(木) 23:49:40
>>727 学研だっけ?歴史群像か何かであったような・・・
729 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/07(金) 02:01:21
「鉄人蓮如」は世界文化社ですね。
730 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/07(金) 17:10:49
>>726 蓮如は親鸞の教えを歪めて布教した、とのたまう方もいます。
今ある宗派は、釈迦の教えを歪めて作った大乗仏教から派生したものだから
曲解や拡大解釈は全く問題ないのです、なんてね
732 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/08(土) 00:51:01
>>731 大乗仏教が生まれた土壌というのは確かに存在するわけでね。
小乗では衆生救済という究極課題は成り立たないし。
733 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/08(土) 19:35:08
>>730 懺悔の部分の扱いでしょうね、決定的な違いは。
蓮如はそのあたりはフリーパスというような気がする。
734 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/09(日) 05:08:18
>>732 そもそも衆生の救済なんて課題にしてないし。小乗仏教は。
735 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/09(日) 19:00:39
声聞界と縁覚界。
大乗サイドの常套句ですわな。
736 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 01:51:45
737 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 17:28:19
超勝寺・・・強そう。
738 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 18:43:35
>>737 超勝寺は蓮如さんの叔父(父・巧如上人の弟)である頓円鸞芸法印が開基。
勧進したのは斯波豊郷。
糞坊主どもの権力欲のせいで、戦国時代の終結は長引いたわけだな。
糞坊主が天下統一すれば、それはそれで面白い
741 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/12(水) 03:57:59
>>739 それで実損は?
おかげで鉄甲船も世に出たのだし。
罪もない門徒が大勢死んだ?彼らが生きてたらおまえ生まれんかったと思うぞ。
確実に。
742 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/12(水) 23:24:50
本願寺は何で親鸞の理念を失ったんだろう…
>>742 質問です。
失ったとされる親鸞の理念とは?
744 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/13(木) 09:56:08
>>743 みな平等。
親鸞といえども凡人、をまいらと同じだよ、ってとこ。
親鸞いわく、自分には弟子なんていない、いっしょにいるのは
ともに修行している仲間たちだよ。
という考えです。
偉大な仏の前には人間なんてちっぽけなもの、というものです。
745 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/13(木) 21:41:15
>>744 阿弥陀如来の本願の下に・・・を付けなきゃ。
平等、平等ってそこら辺の人権屋じゃないんだからさ。
747 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/14(金) 00:12:16
>>746 でも、最近の浄土真宗の坊さんってそっちの方が関心事でしょ?
748 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/14(金) 23:34:24
>>744 「じゃあ、ちっぽけでいいです」と開き直られたら¥になりませんなwwwww
749 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 00:10:33
>>747 僧衣をまとった活動家が多いのが本願寺の特徴。
751 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 00:47:51
>>749は現代のことを言ってるのでは?
俺が知ってるだけで
「憲法9条改正反対」「自衛隊は違憲だ!」「教育基本法改正反対!」
「靖国神社は軍事施設だ!国家教だ!」「アジア諸国に謝罪と賠償を!」
「原発反対!」「尖閣・竹島を返還しろ!」「同和利権を守れ!」「つくる会の教科書は採択するな!」
「北朝鮮への経済制裁反対!」「イラクから撤退せよ!」「死刑を廃止しろ!」
など、様々な活動をやってるしな。
蓮如さんは活動家だから。
753 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 00:52:13
>>752 精力的な布教僧でありオルガナイザー、という印象。
それと女性に優しい。
755 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 00:57:29
756 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 16:15:54
>>751 何なんだ?浄土真宗って。
念仏申さば仏になるって教えじゃなかったのか?
これじゃただの極左じゃねえかよ。
大谷派、東本願寺のことだろ。
西にもそんなのいるけど、主流じゃないみたいだ。
758 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 01:59:38
>>757 それぞれに得手、不得手なネタがあるんだよ。
759 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 16:28:07
>>757 確かに教如系の東本願寺は内部抗争で4つに分裂したしな。
760 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 22:25:58
>>759 東本願寺派(浅草門跡)、維持財団、大谷派、大谷本願寺の4つね。
761 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/17(月) 00:03:07
>>753 都合よく奥さんが死んでいくんだよね。
まあ、怪しい部分はないと思うけど。
762 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/17(月) 02:23:03
蓮如って85歳まで生きたんだろ?
当時としては稀にみる長寿だな。
763 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/17(月) 03:33:53
>>751 で、それのどこに親鸞の教学があるんだ?ただの荒唐無稽な飛躍解釈じゃないのか?
764 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/17(月) 16:08:51
765 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/18(火) 17:52:24
>>757 東本願寺は浅草門跡のこと。
君が思い描いているのは新門を追放し、本願寺を解散した真宗本廟のこと。
766 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/19(水) 01:51:16
767 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/19(水) 08:07:01
面倒だから
信長さんは比叡山とここを焼いてしまっていいと思う
768 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/19(水) 18:07:18
769 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/19(水) 23:30:56
770 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/20(木) 02:27:34
>>769 教如を支持する籠城軍の門徒では?雑賀衆?
771 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/20(木) 08:58:36
宗教って何でもかんでも口を出す傾向があるね。
政治から、生物学の研究から、医学から何から何まで口出ししてるよ。
正直邪魔です。神様なんてな、どこにもいねえんだよ!インチキ!
772 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/20(木) 09:01:12
773 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/20(木) 12:30:16
「だけどナムアミダが出ちゃう・・・浄土真宗だもん」
今はもう一揆起こす人いなくなったのだろうか?今こそ起こすべきだと思うのだが。
ほうほうほう、今の世には珍しい随分と信仰の厚い方が居られますね。
776 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/20(木) 21:25:14
777 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/21(金) 07:24:13
778 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/21(金) 09:27:34
>>775 叛乱を起こすなら便乗しますが・・・という屁垂れ。
779 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/21(金) 11:35:14
>>777 税金が高いからか?
松下こうのすけもそんなこと言ってたよ。
780 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/21(金) 18:55:05
781 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/21(金) 23:26:30
782 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/22(土) 03:40:35
>>769 教如って陸路で紀伊まで逃れたんだっけ?
それとも海路?
783 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/22(土) 21:46:49
>>764 俺んち一応お東です
月忌参りに坊さん来るけど
別にそんなdデモな人間じゃなく一般的な人。
ただ、前に教師やってたことと保護司をしていることは聞いた。
他にも周りに坊主兼教師は多いから、
坊主→教師→人権・平和→謝罪汁賠償汁=アホな活動家
・・・みたいなことになる例もあるんだろうなと推測したけど、
どんなもんでしょうか?
785 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 18:26:49
786 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 22:40:26
>>784 あと部落問題ね。
完全に利権誘導型の擁護団体に成り下がってる。
宗教そのものが無用の長物だと思う。
788 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/24(月) 13:14:32
>>787 99%は科学が解決する。
ところが「解決した」と思い込んでいる自分自身の実存的問題が解決しない
ということがある。
宗教がただの倫理であるならば無用の長物と言っても良いのだが。
>>787 キリストやイスラムが流行ると過激派が出てきてテロられそうだから
仏教や神道は必要だと思うな。
だな。一神教の暴走を抑える為に多神教は必要。
でも日本仏教にも狂気の一神的信仰があるんだよな。
日○宗とその分派とかとかとか。
791 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/24(月) 17:14:27
>>790 多神教であるが故に一神教から攻撃対象にされることもあるのだが。
戦術戦略の話ではなく精神の問題。一神も多神も真なりと考えるゆとりが
他民族と調和していく為に必要な協調性。
793 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/24(月) 18:23:07
>>792 相手が認めるかどうかじゃないの?
協調性なんて一方的な主張に過ぎないし、通用しない場合が多いし。
相手さんが「多神教は認めない」と宣言したとすれば、大義名分を与えるだけのこと。
しかしそうなると、一神教の暴力を肯定してしまう事になる。
逆に多神教が優勢になれば一神教を攻撃するよな
古代ギリシャがそれなわけだ
宗教があり、その元にある法がある限り
いかなる宗教も戦いは避けられないかと
同じ宗教の中でも争う始末
結局は法と法と戦いだから法の数だけ争いがある
796 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/24(月) 20:20:46
主語が解からない。何が?
>>793 >「多神教は認めない」と宣言
戦争を語りたいのかテロを語りたいのか知らないが
そんなものは現代社会じゃ大義名分にならないよ
そんなことをすれば国際的な犯罪者です
宗教思想以前の問題
とりあえずおまえらスレタイを100遍音読してこいや
800 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/24(月) 23:21:39
>>798 内面的に言えば、大義名分になってますけどね。
801 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/24(月) 23:32:34
1 :無名武将@お腹せっぷく :04/12/04 07:37:44
「厭離穢土 欣求浄土」の旗の下、長享2年(1488)に富樫氏を打倒して加賀国に
真宗王国を樹立し、さらに元亀〜天正年間には織田信長と激しい抗争を繰り広げ
るなど、100年余りにわたって戦国動乱の主役であり続けた本願寺と一向一揆を
語るスレの第2弾です。
なお、時代対象は浄土真宗中興の祖・蓮如から、東西本願寺分裂に至った教如・
准如までにしたいと思います。
●過去スレ●
【戦国】 本願寺家 【一向宗】
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1078566176/
802 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/25(火) 05:05:53
>>800 宗教が地理・文化と混然一体になっているケースもあるしね。
803 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/25(火) 09:18:00
>>801 「厭離穢土 欣求浄土」は浄土宗じゃね?
804 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/25(火) 13:25:40
>>791 つーか多神教でも無神論でも一神教でも、
攻撃的な他宗教からすれば敵だろうに・・・
観念的過ぎて結局何の話してるのかわかんね
だから例えば日本がイスラム国家でもキリスト国家でも仏教国家でも
かたや全てを放棄して無神を標榜した国でも
他に宗教国家がある限り仮想敵はできる・・・
805 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/25(火) 13:34:26
それでは争いが絶えないので
民主国家は多くの宗教の存在を認めようという気運が
宗教の自由という建前を作って
>>793の様な状況を防ごうとしているわけだな
アメリカでもイスラム教徒が住めるわけだ
そういうのが無かったのが戦国時代なんじゃね
ただし信長vs本願寺は宗教的対立というより
土地の支配権を巡っての戦いだったんじゃないかね
完全制圧後も彼は宗教そのものは否定しなかったし
信長は信長教というか「俺自身が神!」な考え方だから、
ある意味、宗教上のぶつかり合いじゃないかな。
807 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/25(火) 15:22:49
は?
808 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/25(火) 16:29:19
>>805 土地の支配権ねぇ・・・これ、初歩的な質問なんですが、本願寺の領土というものが
存在するならば、最盛期でどれくらいのものだったんだろうね?
摂津半国、紀伊半国、加賀一国、北伊勢のかなりの部分とか
本気で思っているに、500ナムアミ
810 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/25(火) 16:52:19
>>809 本願寺の支配地というわけじゃないでしょう。
大阪を握る為には三好の次に避けられん敵だな。
>>805>>808 そうじゃないんですよ。本願寺が領土を持っているというより
信長に侵略を受けている土地の武将が、一向勢力を利用して兵力を集めるんです。
で、越前なんかではそのまま独立してしまう。
(ただ、石山本願寺は実際に城塞化しており他の地域とは違うとは言えるかも。)
まあ、結局は領土争いに単を発する話な訳だが。
失礼。誤字です。
×単
>端を発する。
814 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/25(火) 19:09:50
本願寺単体というより
地侍+本願寺勢力
でなりたってると考えてもらえばいいかな。
その力関係はその土地その土地で変わると思いますが。
要するに水虫みたいなもん。
815 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/25(火) 21:21:26
俺も便乗して基本的な質問いい?
親鸞本人の考えが書いてある本て何?
とりあえず読みやすいの紹介キボン
まさか教行信証や歎異抄を知らない?まさかな・・・まさか・・・
もし親鸞のことを紹介した本が読みたいというなら、古田武彦か吉川の歴史文化ライブラリーな
817 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/25(火) 21:50:35
>>816 thx!
このスレ目に止まって開いただけの素人なんでつ(´・ω・`)
818 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/25(火) 23:34:49
>>816 歎異抄は間接的に親鸞のお言葉を集めたもの。
それでも割合は半分以下だけどね。
819 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/25(火) 23:49:29
>>814 でしょうね。
土豪・地侍勢力と寺社・門徒勢力が併存している状態。
したがって、本願寺から派遣された坊官ですら全体を掌握することは出来なかったし、
時に対立関係になったりもしている。
なお、本願寺による支配体制の根本は貨幣経済。
門徒から本願寺への寄進・奉仕もあったが、各地の門徒集団に名号を下賜すること
による礼金が貨幣による収入として入ってきたのが最大の特徴でしょう。
>>819 大寺院が寺領や荘園を横領・収奪されていったのとはまるで逆を行ってるんだよね。
822 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/26(水) 03:05:09
もともと土地がたくさんあった叡山は室町・戦国の間に
あちこちの荘園という荘園を失った(横領された)
もともと土地なんて持ってなかった本願寺には関係なかった!
土地という基盤が薄かったからこそ、商業のほうに進出したともいえるが。
というか、日本の商業活動の発展における鎌倉新仏教の役割は大きいらしい。
例えて言うとヨーロッパにおけるプロテスタント(金儲けも神の御心にそう)の
ように。
824 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/26(水) 04:57:39
>>822 名号下賜でも様々な礼金・冥加金でも「貨幣」をベースにしているので、年貢(農作物)に軸を
置くよりも収入の面では安定していた。
同時に、領主層による搾取も適用されないことが多く、信仰による惣村支配の拡大がそのまま
収入増に直結していた。
ふんむー
宗教というのはいつの世も営利団体ですな
一休は一生貧乏の道を歩いたというが
世の中結局ぎょーさん金稼いで綺麗な服着て
うまいもん食ったもんの勝ちや
826 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/26(水) 14:30:17
株式会社 本願寺 ww
というか古今東西、宗教って広告会社だよな。
より広く広告した方が勝ちな訳だ。だから贅を凝らした建築物をやたら作るわけだねえ。
土木も関連してるかwまぁ橋の話の様に、ある意味で人類の発展に貢献したと言える。
828 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/26(水) 20:59:11
>>828 経済、美術を成長させた側面もあるが、科学の発展を妨げた側面もあるからね。
830 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/26(水) 21:07:56
真言宗、そして浄土真宗はどちら日本で浸透しているのですか?
浄土真宗の元本願寺は東西に分裂され弱体が図られたと聞きました
その後日蓮宗が台頭し日本のインテリは多くが入信したとか
この力関係の推移について詳しく説明していただける方はおられますか?
833 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/26(水) 23:30:40
>>823 叡山は京都や坂本の商人や土倉のバックでござった。
寺が商売に手を出すのは伝統なり。
>>825 お金を集めて贅沢もするが、(一応は)施しなどもしているので
社会的な立場が保たれたとも言える。
室町〜戦国期には飢饉も度々あったが、寺院も頑張った。
834 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/27(木) 05:47:02
>>832 但し、日蓮宗系のように罵倒合戦のようなことはしないねぇ、浄土真宗は。
835 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/27(木) 10:21:42
>>833 その比叡山の麓、堅田の地で布教活動をしてしまう大胆不敵の蓮如さん・・・
日蓮宗の総本山のある山梨県は実は意外と日蓮宗信者は少ない。うちも曹洞宗だし。
837 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 02:07:24
>>835 堅田衆が幕府御用船に狼藉はたらいたのを理由に攻撃受けたんだっけ?
禅宗が一番元の仏教に近い気がする。まああんまり仏教知らないからしったかだけどね。
839 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 19:29:07
>>839 と、言いますと?
俺の知ってる人は冬に座禅組に行くだけで政治活動とかは意識してないようだが。
とりあえず「念仏による他力本願」というのは元来の仏教にはないものだよね?
失礼
>>840はスルーしてくれい。
現実の運営をからめた「実情」は団体団体によってちがうだろうから。
話がとどまりそうにない・・・。まぁあまり挑発せんでくれ。釣られ易いから・・・
要は日本仏教の理念で、どこが上座部に近い方向性なのかな?という疑問ダヨ。
843 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 22:33:33
>>841 そういう解釈をする宗派が存在しなかったというだけのこと。
ん?と一瞬思ったが意味解かった。原典は同じだが解釈が独特という事か・・。
どうやら愚問だったようですな。もう少し勉強してきますわ。
845 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/29(土) 02:28:50
つーかスレタイに忠実に願いますよぉ・・・
846 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/29(土) 07:06:10
847 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/29(土) 14:16:25
>>845 仏教に興味がある人はいても、もう【本願寺】に興味のある人はいないんでしょw
848 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/29(土) 14:58:58
>>841 とりあえず、『歎異抄』の第2章を読んでからモノを言おうね。
850 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/29(土) 17:15:29
>>848 流れを見た感想を言っただけだから
漏れにそんな事言ってもしょうがないぞ?
851 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/30(日) 00:35:46
>>849 釈尊から善導大師、善導大師から法然上人に連なる法統があるのだから、
専修念仏は誤りではない、と断言しちゃってるしね。
>>851 なるほど。
確か仏説無量寿経が根本聖典でしたっけ?浄土系の宗派は。
854 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/31(月) 14:23:51
>>853 プラス仏説観無量寿経と仏説阿弥陀経だったはず。
855 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/01(火) 15:11:06
856 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/02(水) 00:28:11
中世の本願寺ってさ。なんつーか構造が閉鎖的な気がする。
延暦寺や東大寺を始めとする古い大寺院は、「門前」に町が広がって、
その門前まで含めて「境内」(寺院特権の及ぶ範囲)となっていたわけだけど、
本願寺は吉崎にしろ山科本願寺にしろ石山本願寺にしろ、寺内町として寺の堀と土塀の
内側に町を取り込んじゃってる。信長の楽市で有名な岐阜加納の市も
円徳寺の寺内町だったような。
でもって、自分たちだけで小さくまとまろうとするからなのか、
山科の時は京の町衆の反感を買って焼き払われちゃったし、
石山の時は信長にいじめられちゃったつーか。
857 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/02(水) 02:50:24
>>856 逆でしょう。
防御が行き届いた城塞都市だから人が集るんじゃないですか?
それだけ他宗や在地領主からの弾圧が繰り返された証拠ですよ。
山科本願寺は在地領主からもらった土地だけどな。
>>858 結局、放棄せざるを得ない状況になってるけどね。
今現在、本願寺派、大谷派に山科別院があるけど、それも山科本願寺の遺構に辛うじて
引っ掛かるか、引っ掛からないかの位置にある。
同地の蓮如廟は両派の共同管理地になっているけど。
861 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/03(木) 05:21:33
>>859 証如の時じゃないの?完全に放棄したのは。
862 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/03(木) 16:19:45
>>860 数としてはけっこうあるんじゃない?
別院が東西で両隣なんてことも珍しくはないし、教如・准如以前の史跡については
共同管理が多いはず。
山科は在地領主に土地貰って周辺に信者も増やしたけど、
いかんせん下京の町衆との折り合いがなあ・・・・
振興の勢力が自分たちの近くで要塞みたいな町を作って
しかも繁栄されちゃった日にゃ、心中穏やかで無いのは当たり前だが・・・・
下京の町衆は日蓮宗が多いしね。
まあその町衆も、幕府と喧嘩して10年ぐらい堺に逃げてたがw
864 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/04(金) 05:07:53
865 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 13:03:19
866 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 23:25:40
>>865 当時から「地獄に堕ちるぞ!」とか言ってたのかね?
おまえが引導渡すのかよ?と思ってしまうが。
867 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/06(日) 10:02:11
>>866 日蓮系の人はすぐに地獄、地獄と言うからな。
戦国期の過激さに関しちゃ、本願寺の方がはるかに上だけどな・・・・
なにしろ一向一揆で大名を二つ三つ消してるw
>>868 本願寺が坊官を派遣しても統制できないような「百姓の持ちたる国」だったわけだが。
871 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/06(日) 16:43:27
>>867 そうしないと自己の安定が保てないのでしょう。
どこまでも相対価値の中でしか生きられないのは悲惨だなぁ。
>>870 加賀に限らず、畿内でも統制を逸脱して暴れまくり、
山科焼亡の原因となってるな。
身から出た錆とも言うか。
873 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/06(日) 23:23:27
>>872 門徒同士も対立関係が存在したりする複雑怪奇。
まぁお互いが利用しあった結果ですな。
門徒をやたらと組織化したのが勝因であり敗因である
といった所だな。
876 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/07(月) 18:15:24
>>875 どこまでの組織化であったのか・・・とりあえず「講」がベースだったとは思うが。
トップが号令をかけなくても、それぞれの講なり道場なりでまとまりに
なっちゃってるからって事なのかね。畿内での暴走は。
878 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/08(火) 09:47:19
>>877 門徒集団同士の利害関係ってのもあるんでしょ。
一枚岩で既成の権力に立ち向かっていったという像はやや脚色めいたものを
感じずにはいられない。
879 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/08(火) 12:14:47
>>878 当時のお百姓は武装農民だからね。
おまけに戦場での実戦経験がある者も多かった。
それを束ねることができれば、ある程度の軍事力になる。こりゃ、使わな損、損。
880 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/10(木) 11:51:35
>>879 しかし、農繁期は拙いでしょ。
あ、それはどこも一緒か・・・
881 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/10(木) 17:41:34
>>879 それが10万余集ったら負けそうな気がしないんだけどね・・・
882 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/10(木) 23:09:21
883 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/11(金) 13:05:23
>>882 寺々の門徒戸数はある程度把握できていたようだから、軍役を課せば計算上だけは
そういう数字になってくるのかもよ。
884 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/11(金) 19:40:48
>>883 指揮官クラスにどの程度の人間がいたんだか。。。
寺院だから、指揮官に耐えうる教養人は結構いたんじゃない?
>>885 だけど坊さんってのはどの程度場数を踏んでるんだ?
バカだな。
外交が武器を使わない戦争であり、コミュニケーションが己の生存競争と利益獲得の
ための武器であるように、宗教は愚民どもの心をがっちり洗脳して己の奴隷として利益
を産み出させる手段かつ、政治的権力を握る為の手段であり裏付なんだよ。
つまり、愚民の移ろいやすく弱い心をガッチリ掴んで、俺様(たち)大儲けってこと。
「宗教は大衆の阿片である」ってね。
共産主義者みたいなことを書いちまったが、神だの仏だのを信じてるうちは、喪前らシメジ!
ってことには尿意。
人を支配し、利益をガッポリと吸い上げたいなら、「あぁ、この人の力になりたい(この人に
付いて行こう)」と思わせることが肝要で、そのための手段が宗教だと本願寺のエロイ人に
学びますた。
ちうか、どの信長シリーズでやっても、本願寺は強いね。鉄砲隊マンセー!
共産主義者乙
889 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/12(土) 17:50:36
信じるものが無い人生ほどつまらんものはない。
>>887 で、それに気づいている自分だけは愚民でないとw
891 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/12(土) 22:17:19
>>885 参謀格の人物は多少いただろうけど、野戦指揮官となると・・・
雑賀衆がいない時の一揆は人数ほどには強くない
893 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/13(日) 02:40:06
894 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/14(月) 13:30:53
火力支援がないから
896 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/15(火) 14:10:52
897 :
司馬炎:2005/11/15(火) 14:41:29
マジレスすると、戦術指導もふくめて火力運用のプロである
雑賀衆が、防御拠点を保持した状態で念仏宗と共闘したからあの信長ですら
あれだけてこずった。 集団での火縄銃(それも新型の肩撃ち型銃等を)を
使用する傭兵としての雑賀衆は、まさに戦国最強と言っても過言ではない。
仮に武田信玄だろうと上杉謙信だろうと、信長以上に
戦えはしなかっただろう。城攻めの嫌いな家康もまた然り。
念仏衆単体では伊勢長島の例のように、大損害は出るかもしれないが
制圧されるだろうが… まあ、攻めるプロではなく守るプロか。
あ、個人的雑賀衆マンセーなので、否定されるなら否定されるで反論どうぞ
900 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/18(金) 18:12:21
902 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/19(土) 13:13:53
>>897 萬屋錦之助主演作品の雑賀衆はただの鉄砲撃ちだった記憶がある。
903 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/19(土) 16:02:53
>>902 佐大夫さんを志村喬が演じていましたな。
904 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/20(日) 18:23:57
>>903 族長と、一門の一人みたいな関係で、親子ではなかったよね?
>>899 騎馬鉄砲は 大阪冬の陣で伊達配下の片倉影綱(だったけかw)が真田幸村と交戦したと記録に残ってるよ
武田の騎馬隊も殆どの騎馬隊員は戦闘時、徒歩で戦ったと言う説もあるくらいだから真偽は微妙ですけどねん
906 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/21(月) 15:41:35
>>905 数を並べて弾幕を張った方が破壊力あるそうだけどな。
>>905 片倉景綱でなくて息子の重綱(重長)やね。幸村の娘を妻にした人。
景綱は大坂夏の陣の年の冬に死んでるが、息子の戦い振り(自ら斬り合う)聞いて雷落としたそうな。
>>825 亀レスだが一休さんと蓮如さんはめっぽう気が合う大親友だったそうですよ。
片や大寺院を嫌い清貧と酔狂の道を歩んだ禅師、片や布教による教線拡大に奔走した上人。
生き方は正反対でも名僧と言われる者同士、通じ合う何かがあったんでしょうかね?
>>908 どこかで一緒に貧民に施しをしたなんていう伝説があったと思う。
910 :
905:2005/11/22(火) 00:35:34
>>907殿 的確な修正ありがとうござりまする
>>905を自分で読み返し確認してみて・・・明らかな間違いが2つありましたので訂正を
1つは大阪夏の陣、道明寺方面の誉田の戦いでの幸村vs片倉
2つめは 片倉小十郎重長(私が愛読してる、横山みっちゃんの漫画「家康」で片倉小十郎とかいてありましたので勘違い)
で・・・戦国時代 騎馬鉄砲部隊は存在したのだろうかを、また自分なりに調べてみますと・・・
19世紀のフランス アウストルリッツの戦いでナポレオン配下ミュラ元帥の騎馬隊はカービン銃で斉射の後、騎馬突撃したとあります
参考
http://www.k2.dion.ne.jp/~tactic/ 間違いを書いてしまったままで、めっさ気持ちわるかったんで・・・粘着レス!!w
911 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/23(水) 13:47:13
>>908-909 ある商人さん?が馬の絵に一筆添えて欲しいと蓮如さんに頼んだところ、
蓮如さんは「たしかに馬じゃ」と書き、
それを見た一休さんが「こりゃ馬じゃ」と書き添えたという伝説?があるらしい。
>>867 同じ宗教なのになんでこんなに考え方が違うのかね。
まぁ、宗派による攻撃性の違いは仏教に限った事ではないと思うけどさ。
913 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/23(水) 18:53:37
>>911 そういう民話レベルの話ってけっこうあるよね。
或る日、蓮如が説法から帰ってくると、本願寺の堂宇で阿弥陀如来を枕に一休が寝ていた・・・
なんて話もある。
浄土真宗では阿弥陀如来像が「方便法身の尊形」に過ぎないことを見越した一休が、蓮如を
鹹かった格好になるのだが、蓮如も一休の意図を見抜いて、苦笑いしながら「俺の米櫃に何
をする」と阿弥陀如来像を奪い返したのだとか。
おそらく本当の話ではないにせよ、一休は一休らしさを、蓮如は蓮如らしさをそれぞれ発揮し
ていてなかなかに面白い。
面白いな。その手の話題で一冊に纏めてある本とかない?
微妙にスレ違いな話に乗った上に質問で悪いけど。
915 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/23(水) 21:06:18
ある春の一日、一休が蓮如を訪ねると、おり悪く不在だった。一休は勝手に上がり込み、
待っている間、本堂に入って手ごろの仏像を一つ持ちだし、これを枕に昼寝してしまった。
やがて蓮如が帰って来て、「これこれ、わしの商売道具を台なしにしたな」と言い、二人で
腹を抱えて大笑いした。
--- 安藤英男、『一休:逸話でつづる生涯』(すすき出版)、199頁---
916 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/23(水) 22:19:11
暖かそうな黒坊主 こいつの法は 天下一
>>911 オレの持ってる本だと一休が先に賛として「馬じゃげな」と書き、次に蓮如が
「そうじゃげな」と書いたことになってるな。
んで、知り合いになったきっかけが蓮如が親鸞の御遠忌を行ってる最中に
一休がズカズカ入り込んできて「襟巻きの暖かそうな黒坊主こいつが法は天下一なり」
と親鸞への賛辞を歌に詠んだことから始まったという。
918 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/23(水) 22:22:15
>>917 しかし、ズカズカ入り込んでしまうあたりが一休さんっぽい。
玄人は親鸞を高く評価する傾向がある。
何の玄人だか知らんけど・・・w
922 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/24(木) 02:12:10
一休:応永元年(1394)〜文明13年(1481)
蓮如:応永22年(1415)〜明応8年(1499)
年の差は21歳。
どういう間柄だったんだろうね?
若く気鋭の青年僧と飄々としたおっちゃん、って所か。
一休晩年の逸話だったなら、蓮如も当時としては結構な年齢になるけどね。
この頃はほかにも名僧・著名僧が同時期に多数でてるけど、
一休さんが皇家落胤とかも大人になって初めて知ったな
926 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/25(金) 15:31:06
>>917 >「襟巻きの暖かそうな黒坊主こいつが法は天下一なり」
これはけっこう聞く話。
実話かどうかは知らんけど、2人の間に交友関係があったのは事実らしい。
臨済宗と一向宗ってのも妙な繋がりだな。
928 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/26(土) 16:04:56
>>927 ホントに「突き抜けた」人ってのは、あんまり宗派云々言わんものですよ。
929 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/26(土) 17:43:24
俺は
>>928じゃないが、例えば行動力のある人の事じゃないかな。
現代だと佐々井秀嶺さんとかさ。
931 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/27(日) 18:46:58
>>930 違うでしょ。
仏教的真理に一瞬でも触れたことがある人のことじゃないの?
流れ的には。
932 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/27(日) 19:21:00
で、ここは何を語るスレでしたっけ?
もうすぐ終わりだしそんなに杓子定規にせんでも
適当にだべって終わらせましょ
何か出したかった話題でもあるならお邪魔してすみません
どうぞ
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【佐倉広夢】
「僕が1000ゲットしたら、良くんと結婚するの」
935 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/27(日) 22:37:01
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【佐倉広夢】
「僕が1000ゲットしたら、良くんと結婚するの」
936 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/27(日) 23:04:55
とうとう935まで来たか・・・。
よし今こそ最後の突撃を実行するときだ!!!
同志スターリン!!社会主義万歳!!ベルリンに突撃だ〜!!
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【佐倉広夢】
「んもう・・・
>>1さんまた駄スレ?駄スレ控えめにね」
「
>>2さん、2日間だけ僕の恋人になって」
「
>>3さん、デートしよ、ね!いいでしょ。デート、デート♪」
「
>>4さん、あま〜いアイスクリーム食べに行こ♪」
「
>>5さん、やっぱり女の子がいいの?男の子の僕は嫌いなの?」
938 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/28(月) 01:18:16
>>938 まあ、よくあることですよ。
気にしない、気にしない。
おまえら…
大好きだよ。
941 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/28(月) 15:26:07
というわけで蓮如さんと一休さんネタで1000まで走ります。
好き好き好き好き好きッ好き
一休さんが台所を覗いてみると、和尚さんが一人でこっそり何かをなめていました。
一休「和尚さんそれは何ですか?」
和尚「うっ、一休!? こ、これは毒じゃ。子どもがなめると死んでしまう毒なんじゃ」
一休(あれは水飴に違いない。和尚さんは僕たちに内緒で独り占めするつもりだったんだ・・・よーし)
一休さんは一計を案じ、夜中にこっそり水飴をなめてしまいました。
一休「ウゲー! ウガッ!!」
和尚「いっきゅ―――ゥ!! いっきゅ―――ゥ!!」
ある日、一休さんと和尚さんは庄屋さんに呼ばれ、町に出かけました。
すると、橋の前に立て札がありました。
和尚「なになに、『このはし危険。渡るべからず』おお、一休。これはいけない。遠回りしていこう」
一休「ははは。和尚さん。端がだめなら、真ん中を渡ればいいんですよ」
ズボッ グシャァ アァァ―――――
和尚「いっきゅ―――ゥ!! いっきゅ―――ゥ!!」
一休さんと和尚さんは、今度は将軍様に呼ばれました。
何でも、屏風に描かれた虎が夜な夜な屏風から逃げ出し、悪さをするので捕まえて欲しいというのです。
一休「さあ、将軍様。わたしが虎を捕まえてごらんにいれます。早く虎を屏風から出して下さい」
将軍「よし。わかった」
グオー ガァー
ウギャ―――!!
ドボッ メキメキ ギチャッ
和尚「いっきゅ―――ゥ!! いっきゅ―――ゥ!!」
944 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/28(月) 15:47:57
今日は親鸞の命日
ナマンデブ。
947 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/28(月) 18:26:39
>>945 夕刊に坂東曲の記事が載ることでしょう。
が、今や8月のマルコメ君と11月の坂東曲くらいしかポジティブな話題がない。
>>947 浅草や財団、嵯峨野でも坂東曲やってるの?
949 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/28(月) 20:31:57
日曜日の朝6時半、出勤途中に聴くCBCラジオがいまお気に入り。
952 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/29(火) 18:05:46
>>950 奇矯屋って中部方面の方だったのね。。。
そんな知識で威張られてもなあ・・・
ちょっとの事を自慢するのが三戦クオリティでしょが
956 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/29(火) 20:03:40
他の地方でどうなのかは知らないが
「きーみょうむりょうじゅにょーらい、なーむふーかーしーぎーこー」
のコーラスが相当シュールで、眠い頭に心地よかったりするんよね。
前番組のキリスト教の賛美歌とのコントラストもなかなか。一聴をおすすめするよ。
958 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/29(火) 23:15:35
>>957 あの時間は宗教系のラジオ番組多いからね。
959 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/30(水) 01:11:36
暗いと不平を言うよりも、進んで灯りをつけましょう
;:;:;.
;:;:; ,、-ー-、 ど
;:;: ,r'"´ ̄`ヾ、 明 う
;:;:. リ ,,, ニ ,,,_ ヾト、 る だ
:;:;:;. ,ハ ^7 ,^ !.:.\ く
;:;:;: /.:.:.V,r''''''ゞyイ.:.:.:.:..ヽ な
;:;:. ノ.:!:.:.:.:`ゞ-<7.:〉.:.:.:i.:.:} ら つ
从 __ _,,,/.:.:/:.:.:.:.:.:| }-{/i.:/.:.:.:.:|.:/ う た
从从 }と_」.:/!.:.:.:.:.:.:.!  ̄ リ.:.:.:.:.:り
 ̄ ̄  ̄ |.:.:.:.:.:./_ :__ヽ.:.:.:.:\
\/.:.::..:.:.:.:.:.:..:\:.::./
/.:.:.:.:.:.:.「^Y.:.:.:.:.:.:|´
そりは・・・戦争特需で成金に・・・のAAじゃね??w
962 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/30(水) 21:50:16
963 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/01(木) 11:31:54
要るか?次スレ
965 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/01(木) 14:50:51
>>964 やはり「百姓の持ちたるスレ」は必要だろう。
966 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/01(木) 19:18:55
はいはいわろすわろす
そんなのが面白いと思ったのか?
>>966 百姓=百の姓=一般の人々
本来の意味ね。
969 :
964:2005/12/01(木) 23:54:19
970 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/02(金) 14:30:55
971 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/02(金) 18:37:57
次スレのテンプレートは?
972 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/04(日) 19:16:38
974 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/04(日) 22:32:38
975 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/04(日) 23:19:30
傀儡政権とはいえ領主は冨樫のままだよね?つらい立場だな。
976 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/05(月) 01:22:23
政親の死後、一族の泰高(政親の大叔父)が加賀守護(実権は一揆軍が掌握)に。
そして享禄4年の「大小一揆」の際、泰高の養子(孫?)の稙泰は三ヶ寺方についたため、
嫡男の泰俊と共に加賀を追われて越前に逃れ、稙泰の二男・晴貞が守護の座に。
ところが元亀元年、晴貞は織田軍と朝倉・浅井軍の争いに乗じて織田軍に内通、一揆軍
に対して挙兵したが敗れて自刃。
泰俊も天正2年に越前に侵攻した加賀一向一揆軍により殺害されて冨樫氏は滅亡して
しまう。
978 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/05(月) 20:58:44
>>977 厄介な隣人に最後の最期までど突き回された印象。
979 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/05(月) 22:31:13
>>978 でも、高田派なんかを取り込んで宗教勢力を利用しようという思惑もあったわけでね。
ま、利害が一致するものではないし、関係としてはサッサと破綻するわけだけど。
980 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/07(水) 00:30:30
>>979 高田派は教勢を回復できないままですね。
981 :
無名武将@お腹せっぷく: