2
3
とりあえず、曹操と孫権が臣下だったら統一できたと思うよ
6 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/23 13:07:02
前スレの話題でスマンが983の問題は曹真を誉め過ぎ&誉めるところがダメという点だとおもう
983扱いした粘着乙
粘着はお前だろ。それとも俺は本当は983だて自己主張したいのか?そうじゃないなら黙ってろよ
しょうもない詭弁ですね
しょうもない煽りだな
しょうもない粘着ですな
しょうもない返しだな
しょうもない流れだな
とりあえず前スレ諸葛亮が無能だとかのたまってるやつは恥ずかしいな
ああ、同意
諸葛亮は無能どころか軍師としても丞相としてもクソ
諸葛亮を無能としとけば正史読んだことになる便利なスレはここですか?
しかし陳寿も無能相手に何文字書いてるんだよ、暇人か?
職場にもいるじゃん。人当たりのよさだけで出世するやつ。
でも、さすがに最高権力与えるのはやりすぎの見本だね。
そういう人は得てして、自分に従順な人間を才能に関係なく重用するから人材の悪循環が起きる。
釣り師がウヨウヨ泳いでる釣り堀ですね
ま、諸葛亮は人当たりのよさで劉備に取り入った感は確かにあるな
人材を見る目も馬食の件があるから
>>17は案外当たってるかもな
ま、本人は有能だけど、人(特に自分より劣る人材)をうまく使うのが下手とか
そういう人は珍しくないしね。
22 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/23 21:12:23
孔明が無能だと晋王朝の偉大な祖である仲達を称えられなくなる。
で、おまえら
もし孔明が曹操に仕えてたとして、どこまで出世出来たと思う?
>>23 徐庶を見ろ。せいぜい御史中丞(だっけ?)が関の山
25 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/23 21:22:44
三国〜晋代で問題だったのは孔明の実像が無能か有能かではなく、「孔明の侵略」という魏にとっての国家未曾有の危機に仲達という「救国の英雄」が現れて魏を救ったこと。
そして、それ以後無能な魏の皇帝に代わり魏の危機を次々と救った司馬氏の晋こそが中国の正統王朝であり魏晋革命が正しかった事を臣民に知らしめる事が大切。
こうした晋王朝の歴史政策の元で書かれた陳寿らの書いた当時の歴史書では孔明が神の如く有能で、武帝・仲達が出馬しなければ撃退出来なかったという「建国神話」のシナリオに則って書かれていた。
28 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/23 22:05:12
陳寿は蜀漢王朝の代表者たる諸葛亮の功績を盛んに顕彰することで蜀漢王朝出身者の
晋王朝における地位の向上を図ろうとしたとも言われる。
三国志って陳寿の死後見つかったんじゃなかったっけ
>>25 つまり、諸葛亮はおろか司馬懿も無能だと?
所詮はオバさん連中の井戸端会議
週刊誌の下らない芸能人のスキャンダルと同レベルの話
本当にそんな風に曲筆があったのなら
後世のマトモな史家から酷評されて然るべきだろうが
>>30-31 25は極端な言い方をしているだろうが、全くそういう要素がないともいえないと思うな。
勿論、許される幅の右端から左端の間で、右よりな解釈を採用するとかそういうレベルの
曲げたとはいえないまでも全体としては偏重しているという事は往々にしてある事だし。
33 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/24 02:16:06
陳寿の親父が馬ショク事件に巻き込まれて殺されてるから正史の諸葛亮伝は冷めた始点から書かれているよ。
どこをどうみたらそう見えるのか小一時間問いつめたい
孔明の評価に少しでも疑問を持つと噛み付いてくる孔明厨はイタいな
>>36 そうだな、諸葛亮を貶したら正史読んだことになる奴と同じくらいは居るな。
諸葛亮をメチャクチャ貶める奴と無意味に誉める奴は正史を読まずに
三戦で得た知識だけで語ることが多い
おれの諸葛亮の評価は上の下ぐらいかな
一般の評価が高すぎる気はするが、無能なわけではない
それでも楽毅、管仲の如き才能なんてのは完全否定したい
楽毅のように外交で強国に立ち向かおうとしたのは認めるが力不足
管仲のように内政に力を入れたものの攻め急ぎすぎで結局ダメ+人を見る目の無さ
君主の意に沿ったと言えば、そうかもしれないが、
実利を説いて諌めきれなかったのは大きなマイナス
俺が550人いたら孔明なんて余裕で倒せるしな
>>40 550人も居たら幼児でも孔明一人倒せるぞ!
お前は幼児以下か?
幼児じゃ無理だろ流石に
2mの大男だぞ?
毅って追い払われたりとわりと散々な気がするのだが
>>36 別に疑問を持つのは構わないよ
しかしそれは記録とその行間(春秋の筆法的な)から読み取れる範囲である必要があるだろう。
確たる根拠もなく記録そのものを疑うのは感心しない。
記録を疑うのであればそれ相応の覚悟が必要だ。
>>35のような反応はおかしいけどな
つーか、書いた人間の感情や人間関係を配慮に入れるなといってる
>>44もおかしいな
ていうか陳寿が生まれたのは孔明の死後なのに、33みたいな
話をしんじてるやつまだいるのか?
筑摩にそんな感じの解説があるからじゃね?
なに言ってんだか┐(´ー`)┌
>>33の言うとおり、親父を殺した相手なのにいい方向に脚色する訳無い
むしろ悪く脚色されてアレだけの記述、それだけ孔明が神ってことを象徴してるとは思わないのかね
>>45 >書いた人間の感情や人間関係を配慮に入れるな
とは言ってないよ。確かにそういうのは必要だろうさ。
ただ、例えば
>>25だとか
>>28だと言うのなら
ちゃんとした根拠が必要だろ。
三国志の記述と他の野史の記録の差だとかそういうのから推測できるだけの根拠。
そういうのがないならただの憶測でしかない。
まあ俺は
>>25とか
>>28にちゃんと根拠があるのかどうかは知らないけど。
>>49 そういう考え方もできるってことだろ
なんでも根拠、)根拠って正史に書いてあることはまじっけなしの真実だと言いたいのかと小一時間
で、感情をこめて書いたり書かなかったりすれば蜀は勝てたのかね
うむ、それはだね‥うむ‥
普通に三国志を読めば、諸葛亮の評価は
行政に関しては希代の相、政治は準一流、軍事はやや良
くらいに落ち着くと思うが。
>>53 あの流浪の劉備が曲がりなりにも皇帝になった手腕は
充分に一流の政治技術だと思うがなぁ
これの足がかり呉との同盟を為せるってのは通常の能力じゃない。
逆に行政能力はどうだろう?
他人に任せられるシステムが出来ていない個人的力量で賄ってる点と
下敷きにした行政制度があるって事を鑑みれば、準一流な気がする
蜀の兵制は誰が率いてもそれなりに戦える軍を作れたように思うけど
>>51 「そういう考えもできる〜」レベルの話に反論しただけで
「これだから孔明厨は」みたいに言われたらやってられんだろ
>>56 妄想だの、根拠だせだの騒ぐから「これだから孔明厨は」と言われることに気づきなさい
「そういう考えもできる〜」レベルで孔明の評価が落ちる説には妄想だの根拠出せだの騒いで
「そういう考えもできる〜」レベルで孔明の評価があがる説は必死で正しいと騒ぐ
このスレのどこにそんな輩が居りますか?
お前等は敏感肌か!
いずれにせよ諸葛亮の軍事手腕はそこそこって所だな
結局慎重に過ぎるってことなのかね
というかむしろ、軍事にはどこか感覚的・奇跡的なものが必要なのかもしれないと思ったり
勝手な主観だけど、諸葛亮っていつもどこか理詰めな印象を受けるんだよね
奇跡(大博打)は劉備が担当、それを理詰めにディスプレイするのが諸葛亮。
しかしながら呉と同盟が成ったのは結構奇跡的な手腕だと思うぞ。
というか、劉備死後は理詰めで慎重じゃなきゃ生きていけないと思うな
特に魏の方針が慎重だから、博打が打ちづらい
魏の方が東晋時代の肥水の戦いみたいな乾坤一滴の勝負に
出でくれれば、一度の戦いで再起不能にすることもできるんだけど・・・
はっきり言って、魏の上層部は蜀のことをほとんど相手にしてない。
ほっといたら自滅するものと思ってた感じ
呉との同盟に諸葛瑾の口利きや魯粛の橋渡しの効果はどれほどだったのだろうか
また、北に魏が控える状態に於いて劉備陣営と同盟を組まずに
戦を始めた場合の天下取りの算段を呉はつけられたのであろうか?
呉との同盟を奇跡的、奇跡的というが、果たして奇跡と言うほどのものではないようにも思える
四郡接取こそが劉備陣営の逆転への妙手であるが、
これは大きく義に欠けた計略ではあるものの
あの状況を見るにそこに考えが至るのは至極当然に思える。
問題はそれを行うか否かであり、そこに諸葛亮の存在がどれほど絡んでいたか?
諸葛亮を異様に褒める人はわざと目をつぶってる部分が多いと思える
別にそこを褒めてる人ばかりでもないだろ
益州制覇以前の諸葛亮の功績は
呉と同盟するさいの使者になったことと
劉備陣営と士人に繋がりを作ったことじゃないだろうか
>呉と同盟するさいの使者になったことと
>劉備陣営と士人に繋がりを作ったことじゃないだろうか
二つとも諸葛亮の才覚を直接示すことではないな
後付の必然性を言い始めると、
他の参謀諸子もまた、大したこと無い事になってしまう。
(例えばジュンイクの献帝擁立案等)
ここは素直に見事な手腕とするべきではないか?
んでだ、諸葛亮の役職を見れば
劉備の政策秘書の位置づけであるのは間違いなく
諸葛亮を得てから、劉備軍が有機的に動き出したのを見れば
十分な影響力はあったように思う。
>>68 それは外交舐めすぎ。
パイプを作るのが如何に困難かもう少し考慮すべき。
華やかな弁舌ばかりが外交ではないぞ。
下積みがあっての外交成功だ。
諸葛亮は行政手腕のほうが褒められてるんだから
流浪時代の功績はたいしたことないと思うぞ。
>>70 諸葛亮の才覚のみを同盟成立の要素にするから文句言ってるんだよ
>>71 漏れは流浪時代が一番諸葛亮がイキイキしていると思う
行政手腕を認められて劉備に登用されたわけではないしな。
>>72 諸葛亮が同盟の第一功績者であるのは間違い無いわけですが
手腕を誉めてはいかんのか?
なんだかんだ言っても劉備陣営にとって
最重要事項ともいえる呉との同盟の際に
古参のビジクやら孫乾を差し置いて諸葛亮が派遣されたってのは
劉備がその手腕を認めたからではないだろうか
あと荊州の反曹の代表的立場であることも無視されてる
諸葛亮の才能だけで不利な状態から同盟結ぶことが出来たんだよ
それぐらいわからないなんてここは厨房の多いインターネットでつね
>>75-76 その理論で行く、ジュンイクの人材推挙能力は
名門の家の出だからという事になるな。
>>77 同意、諸葛亮は中国史上最高の軍師だからもっと評価されないとおかしいよね
>>78 でた論理の摩り替え
才覚以外にもいろんな要素があるってことを言ってるだけなのに
これだから孔明信者は痛いんだよ
諸葛亮厨房がいうほど同盟しづらい状況でもないし、
使者に選ばれた理由が複合的なものだということを指摘されただけで
必死にそれを否定
>>80 誰も諸葛亮の才覚のみで同盟がなされたとは言っていないが?
要因はいろいろあったとしても同盟させた才覚を賞賛しているだけに思うのだが?
君は外交の才覚無しだとでも言いたいのか?
>>81 ただ不利な状況で同盟させたという事もあるが
対等の同盟を結んだ事が凄いと思うよ。
冷静に見るとほとんどペテンだ。
>>82 呉は蜀と同盟する以外にイイ選択肢無いから‥
諸葛亮の能力は陳寿の言うとおり行政手腕にあるかと
政治に関しても有能だと思うけど人物眼がイマイチだから準一流
>>82 多分呉の主観では対等な同盟のつもりではなかったのだと思う。
そこら辺が後年の、荊州問題とかにつながるのではあるまいか。
あくまで劉備は客将扱い
遊軍の傭兵として雇い入れたようなつもりだったんだろ
その後の四郡接収は想定外かも知れないが、
曹操を無視して兵を動かすわけにはいかないから
我慢したんだろ。孔明の詐術のおかげと言うより情勢が味方したと言える
その情勢を読んで行動したのは認めるが同盟が奇跡とは言いがたい
ここまで来ると主観の問題な気がするが
同盟が奇跡クラスでは無いとして
三国志における奇跡クラスの手腕ってなんだろうか?
>>83 思い付くのと、立案、実行は随分違うものだよ
三分の計しかり
>>84 そう思わせて、同等の権利を着服してるんだから
たいしたもんだと思うけど。
情勢が味方したのは認めるけれど
その後の動きを見れば当初より想定した動きという方が正しい気がする。
>>86 なんかミョーに演義よりの評価をしてるのはわざと?
>>76 当時の諸葛亮は荊州を代表するような人物ではない。
>>82,86
同盟は呉から持ちかけたもので諸葛亮は絡んでいないよ。
彼がやったのは柴桑で孫権を焚きつけたこと。
この話から話術の巧みさは推測出来るけど、諸葛亮の立場を考えると影響力は低いだろう。
>>84の補足だが、同盟は対等ではない(劉備側にとっても)。
でなければ自力でとった荊州南部を返還するなどという話は出てこない。
> そう思わせて、同等の権利を着服してるんだから
それは諸葛亮と関係ないような・・・。
というよりもその先見性の無さ(呉にとっての南郡の重要性を見誤った)は諸葛亮らしくない。
>>87 正史だが、実は演義まともに読んだ事は無い。光輝風味?
というよりも正史のマンセーぶりもなかなかのもんだと思うが
いつも思うのだが、諸葛亮を貶してる文章を見ると
想像力に溢れたものが多い気がする。
正史の文面通り読むとマンセーぎみになると思うのだが。
>>89 陳寿の正史を100%文面通り受け止めるだけなら、議論のしようはない罠
もうお手上げ∩(゚д゚)∩
いや、待て陳寿は実はロボットだったのだよ。
つまり個人的な感情や、思惑はまったく入ってない完全な事実を書いてるだけなのだよ。
だから、100%文面通り受け止めるだけで真実が見えてくるのだよ。
>>88 同盟使者として行ってるんだから
絡んで無いわけが無いと思うが?
それに劉備陣営として呉と同盟するは既成路線だったし
傘下に入るなりはしていないし
小規模ながら勢力と認められ、
勢力同士での同盟だと解釈するが?
93 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/25 23:42:15
魯粛がまず劉備のもとを訪れて自分のところと結ぶよう勧め、魯粛が帰還するのに
ついていって孫権の前で劉備軍の代表として立場を表明したのが諸葛亮。
琅邪の名族出身かつ諸葛瑾の弟ということで交渉役に選ばれたと考えられる。
94 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/25 23:46:28
>>85 「奇跡」を評価するようでは話にならない。
孫子に「敵を知り己を知れば…」とあるように、本物の手腕があれば、
全ての条件を考慮し、あらゆる手を尽くして味方に付けることで
「確実」に任務を果たせるようにするのが常道。
呉には降伏という選択肢もあり、劉備陣営はこの同盟に失敗すると後がなかった。
そのような状況で確実に同盟を結ばせた孔明の手腕は高く評価するべきだろう。
>>92 勢力として認められたのは劉表の正式な跡取りの荊州刺史として劉gを立てるため
劉gの後見人で漢朝においても左将軍という官位についてる人間を無碍に出来るわけないだろ
荊州での反曹勢力確保、戦後の地盤固めのためには劉gを御旗とするのが手っ取り早い
どうしても諸葛亮の手柄にしたがる方が理解できない
>当時の諸葛亮は荊州を代表するような人物ではない
劉備陣営における荊州陣営の第一位じゃないかい?
97 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/25 23:59:11
派手に啖呵切って同盟を結んだ割に劉備がやる気なさそうなのは何故?
>>94 諸葛亮がいなければ呉は降伏していたと考えるのもどうかな
諸葛亮に関係なく呉が抗戦を選んでいれば少しでも味方が増えるのは喜ばしい、むしろカモンな訳だが
何かスレタイと話題がズレてないか?
蜀スレではよくあること
>>92 柴桑では劉備と孫権の同盟についての話は魯粛も諸葛亮もしていない。
もちろん呉との同盟は諸葛亮の戦略どおりだが、諸葛亮がいたから同盟が結ばれたわけではない。
対曹操についても魯粛、諸葛亮の身分を考えると周瑜の影響力とは比べ物にならない
関羽が江陵攻めに参加したり、劉備が落とした筈の南部四郡を含む荊州が孫権の帰属になったり、
傘下に入ったとはいわないが、二つの対等勢力による同盟とは考えにくい。
>>96 劉備陣営における荊州陣営の第一位にどれほどの価値があるのか。
>>100 諸葛亮に足りない部分を補える人材考察は蜀漢による天下統一に役に立つんで無いのか?
孔明信者にとっては神、諸葛亮は万能だから、補う人材は必要ないようだが
諸葛亮の欠点は、人材運営だと思うのだが
人材を見つけられない、人材配置に失敗する
人材に任せられなくて過労死。
軍事、行政共にこの欠点が目立つ。
優秀という自負からなのかとは思うが。
補填するはやはりは劉備だと思う。
>>103 >諸葛亮に足りない部分を補える人材考察は蜀漢による天下統一に役に立つんで無いのか?
それはわかるんだけど、何か話の流れが「諸葛亮は凄い!」「いやそれ程でもない」っていう
方向にいってる気がしたもんで。
ズレてんじゃないかなぁ、と思ったですよ。
実際に諸葛亮は蜀漢に属していて、それでも蜀漢は天下統一が果たせなかった訳だし。
諸葛亮は凄かったんだと主張しても意味が無い気がするんだが・・・
それでも主張するのが信者呼ばわりされる所以なのかな。
>孔明信者にとっては神、諸葛亮は万能だから、補う人材は必要ないようだが
まぁ、一理有ると言うか何というか。
諸葛亮がその手腕を活かせるだろうと期待されていた分野が何かによると思うけどね。
諸葛亮の守備範囲では問題が無く、それ以外の分野で人材が不足していたとすれば
彼を補う人材は不要と言ってもいいんじゃないかなぁ、と。
自分でもかなりの詭弁だなと思いますが(w
おれは諸葛亮よりもホウ統や法正が存命してくれていれば、そっちの方が役に立ったと思うのだが
>>105 劉備は人材の発掘・配置上手いよな。
ところで、関羽の荊州配置はどう思う?
論が分かれそうなところであるが。
109 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/26 00:50:15
人材登用という点に関しては、荊州の優秀な人材が劉備のもとに集まったのは
諸葛亮の功績が大きかったのでは。蜀漢政権の官僚は荊州人士が大部分を占めた
わけだし。
>>108 他に適切なのがいたとは思えない。消去法で選んでも関羽になる。
>>109 その諸葛亮を登用したのが劉備なわけだし。
112 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/26 00:57:17
>>108 確かに荊州獲られちゃったけど、
人材配置だけではさすがに駄目なのでは?
ここは逆に関羽でも守り切れなかった・・・と考えた方が良いのでは。
113 :
94:04/11/26 08:24:24
>>99 >諸葛亮がいなければ呉は降伏していたと考えるのもどうかな
そんなことは言ってないぞ。
同盟工作をしなくても呉が確実に抗戦する、という状況ではなかったと指摘したまで。
もちろん、兄が呉にいたりとか、能力以外で交渉役に孔明が選ばれる理由はあったろう。
つまり、劉備らが、失敗の許されない交渉へ有利な条件と能力を兼ね備えた孔明を
呉に派遣し、孔明はその期待に確実に応えてみせたということだ。
奇跡ではない。だが、奇跡に頼るべき場面ではない。
それを理解し、任務をこなした孔明には、一定レベル以上の評価を与えるべきだろう。
…君らは、すぐに孔明厨などと脊髄反射するようだがw
>>113 同意、孔明の奇跡的な手腕のおかげで同盟がなった。
孫権側には同盟する理由が無かったから、孔明以外の人では同盟不可能だったし、
諸葛瑾が呉の陣営にいなくても使者に選ばれたし、孔明なら同盟できたよね
やっぱ、孔明は三国志唯一の神レベルの才人だね
ageますね
116 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/26 09:24:48
>>113 評価するのがおかしいと言う話でなく、評価しすぎだという話だと思うが
…君らは、すぐにそんなことないと脊髄反射するようだがw
諸葛瑾は諸葛亮とプライベートでは合わなかったし
同盟反対、抗戦反対の立場に居たので
同盟成立に影響があったとは思えないのだが。
118 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/26 09:38:51
>>113 一定以上の評価ではなく神レベルの評価をしないと不当、貶めていると考える人がいるようだが
>>117 誤字だろうけど、合わなかったって表現されると不仲みたいだな。
とりあえず、まったく影響しないってことはないと思うが、門前払いや殺される可能性がグンと減るのは確かだしな。
>>118 それよりも、神レベルとみなす人を釣りたがる太公望が群れをなしているようだw
一定以上の評価の一定が気になるが
充分に優秀な成果だと思うが
ココのスレ的にはどの程度の評価なのだろうか?
スレを読む限りは、同盟が成ったのは条性的必然
犬でも呉に行けば同盟は成立するので
諸葛亮は無能って感じがして仕方がないのだが。
>>119 魯粛が連れていってるので
門前払いやヌッコロサレルことはまずあり得ないと思うのだが
>>121 隷属ではない同盟を結ぶというのも成果に追加。
「一定以上」を言い換えるなら、「神」ではないが、決して「無能」ではないということ。
ちょっと待て
演技も正史も事実とは限らんぞ
あ〜あ、また沸いてきたよ
とりあえず、おれがいれば蜀は天下統一できたね
>>121 孫権が抗戦を決断すれば誰がいっても成立する。
何度もいうように同盟を提案したのは呉。
どんなに容易な状況でも使者の役目を成功させた諸葛亮がなぜ無能になるのか?
誰も諸葛亮に落ち度があったなどという話はしていない。
世の中の外交官が泣きそうになりそうなスレですね
>>128 あぁ、孔明のような神以外は外交しても失敗するって話だもんな
>>129 そうですね、対呉の同盟なんか犬でも出来る
なんでわざわざ史書に担当者の名前と詳細が残るかわからない程、
容易なお使い仕事だものな。
ところで、なんで神の如き外交手腕を持つ諸葛亮が、
降伏するはずだった孫呉を抗戦に導き、対等の同盟を結びえた孔明が
荊州の降伏をすんなり許したの?
そっちで外交手腕見せてくれたほうがよっぽどよかった気がするんだが
孫権の参謀でもありませんが?
でも劉備の参謀だよね?
つーか対呉外交に不可欠な人材なら荊州から離れたりしないわけだろ
能力はあるんだろうが、他の能力(行政やら何やら)に比べたら劣るのかもしれんと勝手に妄想
○ホウ統シボンヌ。
○新領土経営に欠かせない存在。
○対呉政策がある程度、軌道に乗ったから。
>>135 外交で陣営内1、行政でも陣営内1だとして
どっちで使うかはその時の事情次第。
外交が劣るから荊州から離れたとはいえない。
新規に組み込んだ人材や勢力を纏めるのにも外交と同じ様な手腕はいるだろうし。
その当時は劉備と孫夫人の婚姻があったりと呉との関係も結構良好だったから
離れる事ができた。
で、諸葛亮が離れたあとで関係が悪化しているから
神業かどうかはともかく、中々優秀な外交官だったんじゃないかな?
諸葛亮が使者でなかった場合、劉備と孫呉の同盟関係は史実よりももっと劉備に
不利だった可能性はあったかも知れない。
春秋戦国や漢楚のころの説客と比べれば、それほど凄い外交成果とも思えないわけだが
なぜ、そこまで外交能力まで図抜けた人間にしたいんだ?
>>138 その論でいけば、なんで三国志には遊説の徒が居ないのかと、なる。
もの凄い時代背景が違うと思うよ
裏切り放題、自分の利のために組む相手を選べる相手を籠絡するのと
曹操と戦うために少しでも味方を増やしたい、有利な状態にしたい相手とじゃ確かに違うな
孔明の外交能力が非凡なのは確かかもしれないが
孫権に最初から抗戦する気がなかったら、同盟は不可能だったろうな。
それに三国志で随一の外交官とも断定できない。
諸葛亮が三国志随一かどうかは別として
充分に一流クラスだとは思う。
というよりも諸葛亮が万能性を発揮したのは
劉備軍の各部署における人材が完全に不足していた事を物語っているだけに思う。
他の一流どころの人材も諸葛亮の立場になればマルチの才能を発揮したものと思われる。
ウゼ━━━━━(ω゚(○=(゚ω゚)=○)ω゚)━━━━━━!!
お前らなんかに諸葛亮の偉大さがわかるか、( ゚д゚)、ペッ
↑こういうのって、信者を装ったアンチなの? それとも釣り?
>>142 確かに曹操陣営にはマルチな才能を持ってそうなのゴロゴロいるな・・・・
やっぱり蜀が統一なんて無r(ry
諸葛亮なんて魏に行けば、20人の文官の一人ってトコだろ
魏はむしろ地方行政官の方が・・・
あー確かに
魏に諸葛亮がいたら「名太守伝」とかに載ってそう
呉とかを度々撃退しそうだよな
張コウばりな大物討ち取っっちゃったりして
むしろ巧みな外交で(ry
真面目に考えれば陳羣のようなポジションになると思う。
郭嘉なら諸葛亮ばりの活躍しても不思議じゃないなあ
153 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/27 12:29:52
諸葛亮は荀ケのポジションでは?
>>25はオーバーだとしても、同じ敵国ながら晋の「建国神話」に関係していない呉では孔明なりに評価されている奴は聞かないもんな。
わかった
お前ら時間移動して孔明と戦え
戦わなければ生き残れない!
155 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/27 12:43:25
孔明ってポンキッキーズでいうガチャピンのポジションだろ。
>>155 中の人がいっぱいいる!?
つまり、何人かの業績をあわせたのが諸葛亮孔明という人物像な訳か
北方三国志なんかを読むと、
さかんにホウ統が生きてれば、ホウ統が生きてれば、って台詞がでてくるけど
(北方三国志では益州に劉備・諸葛亮、荊州に関羽・ホウ統を配置することを想定していた、って設定)
生きていれば統一は無理でも荊州西部を保ったまま、荊州から牽制しつつ、
馬超の影響も生きていた時代だし、長安までは取れた気がする。
というか、諸葛亮の時代で長安とか、かなり無理な気がする。
もうちょっと前の時代(劉備存命時代)で考えたほうがいいんじゃないか。
乙
荊州に流れる前の時代から人材不足やからね
>>157 北方は演義準拠だったっけ?
なんかこの板の正史系のスレとかみてるとホウ統の評価が高すぎると思うんだよね。
正史を読むと期待値は確かに大きいんだけど実績はそれほどでもない。
いくら流れ矢とはいえ入蜀の過程で戦死した人間にどれだけ期待できるのかな?
ついでに正史の流れだと劉備・ホウ統、関羽・諸葛亮だね。
関羽・ホウ統の組み合わせは両者の性格からしてうまくいかなそう。
関羽・諸葛亮だとどうなんだろう。
天下三分を考えた時点で呉から荊州を守り抜く術を構想していたのだろうけど、
関羽北上時に動いた形跡もないし。北上は関羽の独断なのかな?
まあそれでも江陵があんなに簡単に落ちることはあり得ないだろうね。
関羽はけっこう諸葛亮にコントロールされてる。
また、諸葛亮の入蜀はホウ統の戦死関係なしに、はじめから規定路線の可能性強い
>>161 > 関羽はけっこう諸葛亮にコントロールされてる。
荊州からの北上は諸葛亮の構想でもあるでしょ。
その時に、諸葛亮が江陵を呉からどうやって守り抜こうとしてたのかなと?
さらに諸葛亮は軍事行動にあまり口出ししてないようだし。
> また、諸葛亮の入蜀はホウ統の戦死関係なしに、はじめから規定路線の可能性強い
そうなんだけどホウ統が荊州に戻る可能性よりは大きいでしょ?
ホウ統が死ぬ前に
諸葛亮は益州に向かっているところを見ると
規定路線かと。
新しい国を作るのに宰相として諸葛亮は必要だから
本拠地に置いて、ホウ統が荊州へ出向の可能性は低くない。
>>162 益州攻略組からいくらか引き抜いて補強するつもりだったのかね
しかしやっぱり対呉関係が良くないと駄目だしな
関羽はその辺考えてなさげだが
>>163 内政官には誰を置くつもりだったんだろ
>>163 ホウ統が巴蜀の宰相となる可能性は無いのでしょうか?
二人の役職は同じだし、やってることもそんなに変わらないと思うのですが。
>>164 関羽にも問題はあったと思いますが
南郡を占領し続ければ、対呉関係が良くなることは無いような気がします。
166 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/28 01:54:58
>>165 >ホウ統が巴蜀の宰相となる可能性は無いのでしょうか?
孔明のプライドがそれを許すかな?
伏龍は内政、鳳雛は軍事でしょ?
軍事に関しては、ホウ統、ホウ正のホウホウコンビが、もっとも劉備に信頼されていたはずだから。
いったん入蜀戦争がおさまれば、内政を蜀に担当させて、漢中を方正、荊州をホウ統になったんじゃなかろうか。
ホウ統は内政もいけそうだから、荊州は、ホウ統、関羽、馬良のトリオになるんじゃないのかな。
>>168 馬良ですか、なるほど。
諸葛亮とホウ統は能力差はなくても、
劉備の荊州以来の信頼感で宰相は諸葛亮で間違いないかと。
劉璋の猜疑心を減らすために、
そこそこ名前の売れてた諸葛亮、関羽、張飛、趙雲の初期の入蜀はやめて、
ホウ統、黄忠、魏延とかの赤壁以降の人たちで行ったんじゃなかったっけ。
攻撃の意思表示をしてから諸葛亮、張飛、趙雲を援軍として呼んだから、
益州制圧後は
益州:劉備、諸葛亮、法正
荊州:関羽、ホウ統、馬良
とかでもおかしくないね。
というか後世からみたらかなり安定しそうで理想的じゃないかな。
なんとなくこのスレっぽい話になってきたね。
このあたりを肉付けしていけば天下も狙えないかな。
なぜ馬良?
史実で潘濬がいたのに。
ホウ統の実力がどうかは置いといて
関羽の傲慢さにホウ統ブチ切れ、糜芳・潘濬らと共に呉に降伏
何も変わらない
関羽は今の自分が旗揚げ時の官軍と態度が変わらないことに気づけばよかったんだよ
173 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/28 11:47:41
秀吉様が一人加わるだけで余裕で統一できましたね
175 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/28 12:03:27
>>160 龐統に対するバブルな評価は演義以前からのもの
晋の袁宏が「蜀の4名臣」として孔明・蒋琬・黄権・龐統をあげている
陳寿もホウ統、法正を魏の謀臣になぞらえるなど高く評価してるな。
法正はともかくとして、事績からはホウ統が何故そこまで高評価なのかが良く分からないな・・・。
名声が高かったのかね 当時は
>>176 ホウ統自身、荊州の名門出身。
加えて人材鑑定で名声があり、呉の幕下とも広く交友があった。
世に出ることを好まなかった孔明より、名声があったと思われ。
>>175 それは知りませんでした。ありがとうございます。
袁宏って後漢紀の人でしたよね?
なにか選んだ基準みたいなのはわかりますでしょうか?
>>176 そうなんですよね。しかも荀ケ。
個人的には何故、法正と同じ伝なのかという疑問もあります。
蜀書の分け方は他にも疑問点がありますが。
ただ一番の疑問点はこの板で
龐統の軍事の才は諸葛亮より上で法正以上という評価をよく見かけることです。
>>179 やっぱり力見せる前に死んじゃった、ってのと、居たら〜っていう期待値が大きいのかもね
呉とも交流があったのなら、それこそ荊州にいれば呉からの謀略も逆に備えられそう。
蜀の最盛期は漢中取ったところから関さん没時の間、って認識で良いのかな?
命題の
「どの程度の人材がいたら蜀が統一出来たのだろうか」
に対する問題点は関羽前見すぎ、下みなさすぎ、横注意しなさすぎ、ってところ?
荊州のトップは関羽以外には考えられないよね。
それを補佐すべき人材が皆無だったのがいけないと思うんだけど。
・ホウ統存命だとして、関羽と合いそうにない(北伐軍事顧問)
・法正は新参だから関羽認めなさそう(北伐参謀)
・諸葛亮は蜀の内政固めで益州から動けず(宰相)
だとすると、長安までの攻撃の人材はホウ統が一枚加わるだけでも幅が増えそうだよね。
漢中ルートと涼州ルートでそれぞれ軍師を分けられそう。
問題は 「呉からの謀略に対応できそうで、かつ関羽とうまくやっていける人材」 が必要なわけで。
例えば、徐庶なんかがそのまんま劉備軍に在籍していたらどうだろう?
関羽とも合いそうだし、関羽ひとりよりはかなり配慮できそうなんだけど。
あるいは、陳宮が呂布没後、劉備なら仕えてもいい、って状態で、在籍していたら、
荊州の補佐役としての力量はどうだっただろう。
あくまで「IF」だとして考えてみたんだけどどうだろうか?
ろしょく先生が妖術で不老不死になって関羽のおだて役になれば
陳宮なんぞより、田豫をしっかり捕まえなかった劉備のアホ
あのさ、入蜀後も、ずっと関羽が荊州にいるってことは確定なの?
関羽が荊州にいたのは、劉備が蜀を平定するまでの背後の護りだと思ったんだけど。
で、そうだとしたら、蜀建国したあとは、関羽とホウ統を交代させる、という選択肢もあったんじゃないかと。
ホウ統はある意味蜀攻略の指揮官だったから、関羽と同程度の信頼は得ていたと思うんだよね。
しかももともと荊州の出自だから、派閥的にも適任じゃない?
そういう考えはどうでしょうと思うんだけど。いかが?
関羽は問題児だからな……ホウ統に従うかな?
いっそ上庸あたりに置いて、劉備の監視下かつ、荊州にすぐ救援出来る位置におくとか?
185 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/28 19:20:15
>>180 ケイ州は軍師に徐庶、外交と守りにビジクと孫乾がいれば磐石だったと思う
>>183 防御の意味もあるけど
荊州から北上して許昌を突くのも三分の計の計画の一つだから
軍事を任せられる関羽は荊州に要ると思う
187 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/28 20:41:04
ホウ統だって任せられるでしょ、軍事。
入蜀戦争の総指揮官だったし。
総指揮官は劉備自身
189 :
175:04/11/28 20:51:11
>>179 確か、3国において忠功の優れた家臣(文官)を賞賛した文章で、魏だと荀ケなんかがあげられています。
「文選」に載せられているので(私は明治書院版の漢文大系版で見ました)参考にしてください。
やっぱり当時の名声は高かったんだろうな。
事績は少なすぎて未知数だけど。
確実に期待できる人材としては法正のほうが上だろうなぁ。
法正は性格的な関係で宰相に抜てきは難しい存在かと。
そう考えれば方面を任せられるホウ統とは期待のされ方が違うのかも。
そういう意味では法正はカクカと言えるかもしれない。
蜀の天下統一は荊州が落ちて夷陵で敗れた時点で無理ということが決定的になったわけだが、法正が生きていたら、やはりあんなふうにはならなかったのだろうか。
赤壁に郭嘉がいればなんとかなったとかもと同じ程度になんとかなっとかなったかもな
>>192 それは微妙なところだなぁ…
漢中方面で活躍した参謀をどの状況でなんていう名目で赴任させる?
今荊州にいる人材では不足だから法正にいろいろ聞け、と送るのか?
それだったら漢中をよく知ったやつは、
漢中で荊州でいう関羽の役割をして欲しいと思いそうだ
ってゆーと、
>>185 案がいいのかな?
糜芳も、兄ちゃんの抑えがなくなってあんなことしたんだろうし。
馬超にホウ統つけて西から、漢中から主力軍に法正つけて、
荊州は関羽北上に伴い徐庶が穴を埋め、
益州で諸葛亮が内政を充実させる
って感じ・・・?
>>194 >>192がいってるのは夷陵のことじゃない?
荊州失陥時にはまだ生きてるでしょ(元気かどうかは分からんが)。
どっちにしろ荊州失陥を止めないと駄目だろうけど・・・。
>>195 糜芳にはどうしようもないでしょ。
徐庶が代わっても兵がいなければ守りようがない。
守りに兵を割けば襄陽を落とせない。
荊州北上は呉がいるかぎり無理。
魏に荊州を警戒させておいて漢中から攻めるしかないと思うが
漢中の国力回復が先か、法正の寿命が尽きるのが先か。
脳内シュミレーション遊びに必死な人達ですね
198 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/29 11:32:22
>>197 こうやって真・反三國志が出来上がっていくんだよw
IFを話し合う場所で脳内シミュレーション以外に何をしろと?
>>199 脳の外でシミュレーションしろってことじゃないかな?
脳内に脳外の資料をちゃんと入れろってことだな
本しか読んでないと視野が狭くなる
空想で考えすぎると独善的になる
若い関羽もう一人。
203 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/29 19:15:58
>192
ホウ統なら、なんとかなったかもしれない。感情的になった劉備を止めるのは無理としても、せめて荊州を取り返すくらいはできたんじゃないかと。
入蜀も、対呉も、劉備が総指揮官だったわけだけど。
入蜀では幕僚にホウ統がいて、対呉ではいなかった。
そういうことを考えると、やっぱりホウ統って有能だあね。
必要なのは人材ではなく人口だ、というのは当然ガイシュツだろうな。
楽毅と孫武と管仲と韓信と張良が、車に積んで升で量るくらい居れば
まぁ、升で量るぐらいの量だと人一人分にもならんと思うのだがね
>>206 そんなに揃えんでも商鞅ひとりで十分だな。
このスレでもよくでる意見だけど、いち個人の能力に多くを期待し過ぎてる。
>>208 自分のレスに矛盾を感じないのは仕様ですか?
商鞅が秦の領土を増やした時とは状況が違いすぎるわけだが
おいちゃん、関羽、七千人ください
>>211 関羽は集めると共食いするからやめなさい。
集めるなら、喧嘩しない諸葛亮にしておきなさい。
遠征軍の補給担当、司法担当、行政担当と役割分担させると長持ちするよ。
縁日でカラー諸葛亮売ってたけどそれでいいの?
やめときな、大きくなったら手がつけられなくなるよ
>>213 カラー諸葛亮は、次の日まで生きれてば長生きするよ
>>204 遥々海を渡って、人狩りしてきて下さい。
劉備が荊州返すって時に素直に応じていたら
218 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/30 07:33:48
劉gが死んだ後、荊州牧になっているのに?
まあ、孔明批判しているやつは、孔明並に有名になってみろってんだ。
劉備が神だったらあの時代にチェンソーないから勝てるよ
221 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/30 20:50:01
ラーメンマン一人いれば十分だろ
222 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/01 14:57:28
魏呉を二虎共食の計にかける謀略家がいれば統一できた
>>222 そうですね、
まず忠誠度を下げるために埋伏の毒を一杯送らなきゃだめですね
こんな感じでいいですか?
>>222 そうですね、
更に軍師に成功の可否を助言して貰わないとだめですね
こんな感じでいいですか?
>>222 そうですね
知力100で嘘を言わない軍師がいないとだめですね
こんな感じでいいですか?
110なら磐石
いや、その倍はあるだろう
二虎共食というが要は魏呉を相争わせられるだけの
謀略家というか外交官というかそういうのが居れば良かった、と言ってるんだろ?
実現はあまりにも難しいがな。蜀という国の大義名分がそれを難しくしている。
なんにしろ「二虎共食」から忠誠度云々とか言い出した
>>223は屑
二虎共食といっても、二匹の虎にはかなりの体格差が……
二喬共食
235 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/01 20:17:20
ウホッ!!
>>231 > 要は魏呉を相争わせられるだけの
魏呉が相争っていなかったとでも?
呉王に封ぜられるまでは魏の下についた振りはしてたな
前の方には「魏は呉に集中していて蜀はおざなり」と叫んでた奴は居たな
>>236 魏呉以上に蜀が魏に突っかかって行きましたが・・・
結局三つ巴だったわけだが、その状態では二虎共食の計とかあほ過ぎる
自分たちは手を出さずに他の二つが合い争ってる隙に漁夫の利を得るってのが
天下三分の計の理想的な姿ってやつだろ
四郡接収とか入蜀まではうまくいってたが、そこまでだな
あそこまで大きくなった国をノーマークにするなんてぶっちゃけ在り得ない
益州に引きこもってその間に魏と呉がやりあって疲弊してくれれば・・・
って感じかね。二虎共食って。
ノーマークってのは無理だろうが、
少なくとも魏の当面の攻撃対象を呉にできれば良いんでないの?
>>241 それで疲弊した隙に攻めて天下統一って
そんなゲームみたいに引き篭もって計略連発なんてできるわけないんだから
馬鹿馬鹿しい
そこで計略連発ってのは何なんですか?
ゲーム的に考えてるのはあなたのほうじゃないですか?
魏にとって険阻な山道を超えて益州に攻め込むのと
長江の険を超えて江東に攻め込むのであれば、
後者のほうが容易だ、という状況を作ればいいんだろ?
魏にとっては長江上流の益州を抑えるのが常道ではあるが(秦の討蜀論然り
絶対に益州を制圧しなければならないわけでもない。
245 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/01 22:19:25
呉や蜀なんて結局夜盗の親分だから、手打ちして連合なんて結局無理なんだよ。
魏の曹操が本当にそんな極悪非道なら、それと異なる国家論を2国で押し立てればいいわけだが、
そんなもんあるわけないしw
歴史的には曹操が統一すれば良い国になったと思うけど、結局息子は変わらねえからなあ・・・。
司馬氏が横取りというシナリオは変わらなかった希ガス
>>239 >>222からの流れを読んでから書き込もうね
>>240 一応、その後は益州と荊州から魏を攻めるっていう戦略のハズだけど
呉が攻めてくるところまでは想定してなかったのかね?
>>242 少なくとも魏の当面の攻撃対象は呉でしたよ
>>245 赤壁前に孫権が降伏してれば司馬懿があそこまで権力を持つことはないような希ガス
>>245 司馬氏台頭の理由を曹丕一人に押しつけるなよ……
曹丕時代は司馬一族との関係は上手くいってるのだけど
問題は寿命が短かったくらいなもので
249 :
245:04/12/02 01:01:14
いや、曹丕というより曹操の後継政策というか。ちゃんと曹氏勢力が残るようにしなかったのは
何でだろう・・・。
曹丕が後10年長生きしたら
後継政策は上手く回ったと思うがな
つか統一してたかも知れんな>曹丕が後10年長生きしたら
>>249 曹丕があんな早く死ぬとは思わなかったんじゃない?
既に乱世は終息に向かってたわけだし、曹操のようにあちこち戦争して
歩かなくてもいいわけだから危険も少ないし
曹昂が死ななければな・・・。
254 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/02 08:15:01
一緒だろう。あの体質では。
やっぱり兄弟で殺し合って一族が弱体化する。曹操もそれは予測できたろうに、止められなかったのか。
毛利元就みたいな説教とか。
まあ派閥に分かれた股肱も所詮英雄曹操一代限りと思っていたのかもしれないね。
民衆500万人
>>254 他の時代と比べても身内の仲の良さは普通。
致命的なのは曹丕はまだしも曹叡も短命であったこと
国が固まって無い状態で二代続けて短命なら
そりゃ乗っ取られても仕方が無い程、致命的な罠。
だいたい司馬イって曹丕に忠誠持ってたっぽいし、
曹操も死後の事をあれこれやっておかなかったのは、単純にする必要が無かったからだろ。
中国にありがちな宦官はきっちり遠ざけてるし、七品官の制を施行したりして、きっちり国づくりしてる
曹魏の滅亡の原因は
>>256のいう通り、皇帝として及第点以上の曹丕・曹叡二代の短命に起因するとみて間違いない
だいたい、兄弟、血族で殺し合ったのは晋じゃねーか
魏は夏侯氏や曹操以外の曹氏などの準皇族を充分優遇してる
258 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/02 14:32:59
どの程度の人材か・・・・
人材を下から吸い上げる力が孔明になかっただけかもしれんな。人材の
有能さを見分ける力っていうのは誰しもそなわっているわけではないからな。
まず、蜀は皇族の層が薄すぎるなあ。
261 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/02 15:15:04
>蜀は皇族の層が薄すぎるなあ。
だいたい、蜀と言うよりか劉備には優れた女官がいないがためか?
卞氏や甄氏が劉備の側室であれば奥向きが強化されること間違いなし。
皇族の層が薄すぎるって言っても入蜀のころには劉備はもう壮年期なわけで
といっても曹操だって魏公になったのも壮年期だし。
>>263 劉備の流浪の旅とは比べるまでもないがな
関羽が守り通した劉備の妻子なんかどうなったのかもわからんもんな。
あの子は少なくとも劉禅ではない。
>>265 予州から荊州の逃避行で死んだか、
それとも長坂・・・女児って事もあるかな
>>266 蒼天なんかだと、あの時の子供は息子で、
長坂の戦いの中で死んだように書いてたね。
そういや劉封は演技オンリーキャラ?
まあそれはいいとして、
関羽北上時、孟達が援軍だしてればなんとかなったのかな?
いや、それだけじゃ統一とかありえんか・・・
孔明の時代だと、あの手この手を使って長安まで取れたとしても、
どう頑張っても統一は出来そうにないと思っちゃうんだが…
>>264 覇業の偉大さは
曹操>>>>>>劉備
このようになりまつね
269 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/03 14:17:22
劉備だって劉封入れれば息子は4人いたし、劉禅の息子も孫権と同じ7人いたのにな…。
四人しかいないじゃん…
親族もいないし…
271 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/03 17:44:29
やっぱ友達は100人ぐらいいた方が良いよな 口笛吹いて魏と戦える
272 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/03 19:28:48
そういう友達と言うか仲間を犠牲にしながら劉備は生き残ったわけで
274 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/03 21:49:54
ヘ:::::::::;;: -‐''''""( )1
゙、::::::::-‐''""" ̄"'i
:V;;||:::: '~ニ=ッ, r='|
i!f !::::: ゙、i
i!ゝ!:::: ‐/リ
i::/:、 :::、 /''ii'V
 ̄ハ:::::\ "''il|バ''
ショカツリョウ
諸葛亮 曰く
「この孔明が魏でかたっぱしから駆虎呑狼の計をけしかければいずれ内から崩壊するでしょう」
>関羽北上時、孟達が援軍だしてればなんとかなったのかな?
いや、それだけじゃ統一とかありえんか・・・
なっただろう。台地から徐晃を見下ろして牽制するだけでも関羽をあたら野垂れ死にさせることは
なかったはず。もし孟達が虚名じゃなくて実際に優秀な武将なら、いきなり徐晃の背後を急襲する
とかいくらでも手はあったはず。
どうも孟達が実際にどれだけの能力があったのかがよくわからん。
しかしそのような局地戦で膠着するところまではできても、そこからいきなり統一なんて無理だろう。
それは別の話。
>>276 建安二十四年(二一九)、劉備は孟達に命じて房陵郡を攻略させた。
孟達はさらに上庸を攻撃しようとしたが、劉封は援軍として漢中を発して上庸に進軍した。
上庸太守申耽は一族妻子を人質として降伏した。
劉備は申耽の上庸太守留任を許し、その弟申儀を西城太守とした。
劉封は副軍将軍に昇任して、孟達の軍勢を統率した。
しばらくして関羽が曹操・孫権の挟み撃ちを受けて孤立したとき、
劉封・孟達は援軍出動を求められたが、
まだ房陵・上庸を占領したばかりのことで離れられないと言って拒否した。
やがて関羽は戦死し、劉備は二人が援軍を出さなかったことを恨んだ。
劉封と孟達は仲が悪く、あるとき劉封が孟達の軍楽隊を没収したとき、
先の関羽のこともあって身の危険を感じた孟達は魏に亡命する。
この時に援軍出したらって話だろ。
>>277 そこまで分かってて、なんで援軍出してたらなんてIFを思いつくの?
申耽、申儀のその後の行動を考えよう
蜀の武将がウホッな関係なくらい仲が良かったら統一できる
申耽、申儀が蜀に深い忠誠を誓うつもりで、自分たちが援軍になるので
後は任すといったなら、兵力の半分くらい送る事ができた可能性はありそうだが
それが信じられるかどうかは別物として。
>>277 なるほどー。そう聞くと無理かな、と凡人としては思っちゃうな。
劉封だって関羽が死ぬってわかっていれば、いかなきゃまずい、くらいはわかりそうだけど、
「こっちも手一杯やねん」って普通は思うかも。
上庸というか、宜都郡に置くのは流れから孟達で仕方ないよね?
最初に劉備側についた蜀将は張松・法正・孟達の3人で、
張松は死んじゃったし、法正は漢中戦の軍師として必要だし、
益州と荊州を結ぶ要所を任せられる蜀将っていったら、孟達だよね・・・
あ、張松が生きてたら任せられないかな?
283 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/04 11:06:36
取ったばっかりで動けなかったということか。
まあ難しいだろうな。まだ治まってもないのに。
ということは、やはり関羽の勇み足で戦略ミス。というと劉備自身のミスでもあるが。
関羽の攻めは折りしもの長雨と洪水があったから派手に見えるけど、それが無かったら
どれだけいけたかは未知数。
やはりもう少し、せめてあと1年でも待って本格的に上庸と南郡からの挟撃策を計画すべ
きだったな。まあ急がないと逆に魏と呉に挟み撃ちにあったかもしれんが。
呉の総大将が劉禅だったら
>>284 タイミングとしてはどう考えても性急すぎるけど、
性急すぎるからこそ、魏も対応が後手になってあそこまでいけたわけで…
時の勢いもついていたし、上庸の援軍がなくても呉が攻めてこなければ行けたのでは。
ただ難しいところだけど、確かに漢中取ってから一旦一息ついても良い…ってのは結果論か。
いや、結果論で考えても良いスレか。
>>281 張松って光栄ゲーのせいで軍師ってイメージがあるけど、
代わりに張松が太守だったらってこと?
それだったら厳顔でも黄権でも候補がいそうだけど。
要は
>>271の状況で上庸、房陵を抑えつつ、
関羽に援軍を出せる器量を持った人物って誰か、ということかな。
官制に無知な人間の意見は読んでいて恥ずかしいな
能力値でものを考える人は
知力が高いからなんでも大丈夫と考えるらしい
経験や適材適所というのはあまり考えないようだ
あの時期の蜀の話で、官制に無知な〜とか言ってる奴も恥ずかしいな
経験や適材適所を理解できない奴とイイ勝負。
つまり、現代に例えると、
九州支部で開発部の課長さんがすごく能力高くて、
東北支部の営業がやばいから、そこの営業部の部長にあてがえば良い、
ってできるかボケ! …というようなこと?
でもあの時代の蜀ってなんかごった返していて、
管制がどうのとかいってる場合じゃないような…
291 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/04 23:36:23
漏れのおすすめは李厳でつ。
やっぱ李厳は前線で防衛・太守が向いてると思う。
すくなくとも裏方(兵糧工面)は向いてないわな。
結局知将不足
もちろん、兵糧工面だって大事な役割だというのはわかってる。
漢のショウカだってそれで評価されてるわけで。
でもやっぱり適材適所でしょ。
カクシュン・トウシ辺りならきっちりこなせたと思うよ。
294 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/04 23:59:41
特別な人材の問題ではなくて一般兵士の数とそれを食わせる兵糧さえ足りてりゃいけるだろ。
諸葛亮の三分計は人工的にも呉を信頼せざるを得ない状況で作り出された策だから
そこら辺からすでに無理があったかも。益州、荊州合同侵攻は作戦としては優れていますが
後方が磐石という前提があって始めて成り立つ代物。そういう意味では関羽は
虎の子と犬の子の結婚を受けるべきだったかもしれませんね。
>>297 それは言えてますねwそういうしたたかさで孫権は半世紀以上保てたわけですし。
やはり後方を固める優れた軍師がいればよかったかと。けど関羽は文官を極端に嫌い、認めたのは諸葛亮ぐらいですからやはり鳳統の死が惜しいですね。
>>296 二分の計は成立しないから、どのみちそれしか無いけどね。
りょもうが居なかったら
301 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/05 01:46:21
関羽の失策による荊州損失は確かに大きいが、
その後の夷陵の損失がなければ、統一とはいかなくても、
涼州獲得ぐらいはできたと思う。
北伐時に、有能な人材が多く残っているわけだから。
それくらい、夷陵の損失が蜀にとっては痛すぎる。
荊州が呉にとられたとしても、夷陵がなければ、
その後呉との関係を修復できていたわけで、
漢中から蜀、荊州から呉による、魏への二面攻撃も
可能だったと思う。
>>301 孫権が約束中途半端にして兵を小出しにする悪寒
303 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/05 02:18:05
ステルス5機とパイロットがいれば十分
304 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/05 02:25:22
りょふがショクの味方になってたらたぶん勝てた
>>304 219年当時にはもう死んでることだろう
306 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/05 02:41:54
最初から劉禅に全権持たせてれば楽勝だったろうに。
無能な孔明が権力持った時点で蜀の未来はなかった。
307 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/05 02:50:00
リョフが兵士として一万人いれば大丈夫
>>301 関羽が死んだ時点で劉備・張飛が呉に向いちゃうのはもう仕方ないかと…
関羽が逃げ延びてれば話は別かもしれないけど。
その後劉備が死んだから呉と修復できたわけだし…
それに
>>302が言ってるように、
合肥にちょっかいかけるくらいで、その後の歴史からも
孫権は荊州から北へは出さなさそう。
シュウユがいればやりそうだけど、逆に生きてたら益州自体、呉が取ってたろうしなあ…
やっぱり関羽の死を防ぐことを考えないと駄目なんじゃないか?
310 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/05 09:15:20
>>308 夷陵の損失がなく、北伐時に豊富な人材が残っていれば、
街亭で馬ショクを抜擢するようなこともなかったと思うわけです。
黄権(or馮習)あたりが無難に街亭を守りきっていたと。
そしたら、呉の協力がなくても、涼州獲得は可能だったわけで、
仮に、呉が蜀に進出してきたとしても、羅憲の時のように、
防衛側は少数でも事足りると思われ、逆に呉は多数の兵が必要になる。
呉が蜀に進出すれば、魏がそれを見過ごすわけがないし、
逆に呉は荊州を魏に取られる恐れがある。
となると、呉はやはり蜀との関係を友好に保ち、魏の進出を防ぐことを
第一に考える方向に進んでいたのではないだろうか?・・・と妄想...。
街亭の時には魏延・呉壱もいたから
ただ単に諸葛亮がお気に入りを使いたかっただけ
南郡を攻められる前に呉を牽制できるだけの優秀な外交官と
劉備にもっと呉を警戒するよう忠告できる側近。
なんつーか劉備は孫権をなめすぎてた感じがするよ。
>>312 劉備だけじゃなく孔明・関羽もね。
ちょっと驚くほど無防備だよね。
魯粛がいれば逆に合肥に攻めるよう進言してくれたかな。
呉もあの時点で全軍で攻めれば、魏は長安・宛城・合肥と三戦線持つことになって
徐州あたりまで取れそうなんだよね。
でもその裏を突いて荊州を取っちゃう孫権のえげつなさ、したたかさはやっぱり凄いと思うわけで。
>>292が一行で纏めてるように、蜀は武官で優秀な人物は多いけど、
知将が圧倒的に少ないんだよね。
現時点でこのスレで出てきた、いたらよかった人材で知将を纏めると、
・田豫を配下にしたままならば
・陳宮を配下に説得できれば
・徐庶を配下にしたままならば
・ホウ統が生き延びていたならば
・張松が生き延びていたならば
・法正の寿命が長ければ
劉備の漢中王即位時にこれだけ人材がいれば、
>南郡を攻められる前に呉を牽制できるだけの優秀な外交官と
>劉備にもっと呉を警戒するよう忠告できる側近。
これを満たせそう。
孔明一人だと、どうがんばっても一人の人間だけだと確実に見えない部分って出てくると思うし。
魏なんかは荀イク・荀攸・程イク・郭嘉・カク・司馬懿とかゴロゴロいるものね。
314 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/05 13:00:11
優秀な人物はいたんだろうが、それを適材適所できる人間がいなかったんだろうね
>>311 若手の育成もあったかもよ。
「俺の言うとおりにしてりゃ、勝てるだろ」ってつもりで送り出したけど、
小利口なお馬鹿さんが勝手に策に溺れてあの様です。
アリエナイ
俺の言うとおりって、何か指示を出していたとでも?
>>315 馬ショクって、当時すでに数えで38か39の中年じゃなかったか?
さすがに若手とは言えない。
むしろ、その歳まで一度も兵を率いたことのない奴をなんだって重要拠点の防衛司令官
に抜擢するかなあ。それまで通り参謀役じゃダメだったんかい。
319 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/05 13:40:22
戦争ってのは人材もその一つだけど、結局は総合力だからね。
いくら法正や関羽が生きてたって統一はまず無理だっただろう。
人口だけでも魏は蜀の10倍はあったんだから…。
320 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/05 13:43:39
蜀に魏の10倍の人口と10倍の生産量があれば勝てたんだよ。
人なんていらね。
アホだ
魏の10倍って、当時の世界人口の3割はいるんじゃねえか?もっといるか?
そんなことになったら議論なんて無駄だっちゅうのw
魏の十倍といえば三千〜四千万?
それだけの肥沃な発展した場所があれば、そこが「中原」と呼ばれてるだろうな。
魏と呉は辺境国家扱い。
ソースが上げられないのだけれど、蜀って実は豊かどころか貧しい地域って聞いたことがある。
「蜀犬日に吠ゆ」といわれるほど霧が多い=日照量が少ない=農作物が育たない
ある程度の人口を支えることは出来るけど、劉備のように他所から軍つれて入ってきたらたちまち
窮乏すると(兵だけでなく家族もいるわけだし)。
むしろ、呉としては荊州を完全に近い形で得るまで納得しない(と思われる)のだから、
南方の一部でも残して、あとはくれてやれば
でも荊州出身の人士が納得しないよなぁ
荊州失陥時に関羽以下人材が生き残る→夷陵で緒戦大勝後、即外交→呉も蜀も不満は残るが一応納得
という方向でいけばどうなるだろうか
>>324 治水技術が発達しだした三国志のころは豊かな土地と言えば豊か、ただ土地面積が狭いだけ
>>325 +関羽反省して人当たりが良くなる+劉備呉を認める
が入ると可能性が広がりそうだ
>>326 四川は、農業生産力は今でも中国で最低ランクだそうだが。
>>325 関羽以下人材っていうほど蜀に残ってほしい人材は多くないような。
潘濬は痛かったけど、あとは微妙なところで関羽と糜芳?
不満を残せばまた対立の火種となるから駄目っぽい。
やっぱり荊州失陥を止めないと。
戦乱から遠ざかってから相対的に豊かに見えただけとか>蜀の地
とりあえず後漢末で700万人住んでる州だ
生産力の質はともかく物量はある
戦乱と戸籍の崩壊で、当時相対的には蜀+荊州で呉と対等、更に魏に接近していたはず。
蜀も独自の産業と豊かな自然と文物、更に流入民と、決して貧しくはなかった。勿論荊州は最大の人
口と文化、産業の中心地。
それだけの国力があってみれば、漢中を取れたのも偶然ではない。
だから、荊州は三国いずれにとっても最大のキーポイントであり、呉と蜀の手打ちも難しかっただろう。
そもそも漢中を取りに行く戦略が正しかったのか、まあ張コウの侵入もあったし必要だったんだろうが、
肝心の荊州防衛について、関羽の力の評価を誤ったとしか思えない。荊州を取られた時点で三国鼎立
も蜀による統一も画餅に帰した。
>>331 700万って、益州の?
それが蜀降伏時には90万。
中原のように戦乱に見舞われたわけではないのに…劉備たち蜀政権は疫病神だな。
「戦乱から民を守る」ために劉備を入れたはずなのに、まったく逆効果だ。
>>328 今でも、じゃなく今では、ね。
それは後漢以降の関中、唐代以後の華北にも言えること。
335 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/05 17:06:51
まあ、唐後半以後の江蘇一帯の農業生産の上昇が異常だったわけだが。
三国志\でやたら老人が「江南の開発」を勧めてくるが、中国史を知っていれば三国時代にそんな発想はない。
(まあ、三国時代の呉に宋代並みの生産力があったら呉にも統一の目があったのだろうが)
今日は自治の日ですよ
みんな自治スレッドに集合!!
益州は、後方基地にするなら役立つが(秦、劉邦)、本拠にするとダメ(蜀漢、成、
五大の前後蜀)。
>>333 後漢期の戸籍調査だよ。
荊州・益州とも概数で700万人前後。
両州あわせれば1350万だったかな?
これは総人口4700万の三分の一弱〜四分の一強。
700万が90万まで落ち込んだわけか。何やったんだろうね蜀の政権は。
340 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/05 18:14:55
↑戦争
後漢末から三国志の時代にかけて中国の人口は全体的に激減した
戦争で政治統率力が減って
都市の周りの人口しか把握できない為。
別に戦争でヌッコロシ過ぎたわけでは無い。
いや両方、流賊発生⇒荒らし⇒流賊発生⇒荒らし⇒‥‥‥もある。
いくら支配力が弱いといっても、統一王朝晋の戸籍ならそこそこ信用できるから
1/3程度には減ってるかと。
ヒトラーなみのカリスマを持った奴が居たら
つーか避難民なんだから蜀の政治が悪くなったらすぐに華北とかに戻るだろ
346 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/05 19:14:56
まあ、中国史上どんなに強力な統一王朝の全盛期でも人口把握率はせいぜい5〜6割だといわれているからな。
現代ですら人口把握しきれてない国だからな
後漢崩壊の背景に地球規模の寒冷化があった、
とする本を読んだことがある。
長江が凍ったとかなんとか。
それが本当だとすると、農業生産力の低下→
食い詰め農民の流民化→逃亡民の野盗化→
匪賊による二次的な農業の打撃→また流民化
というスパイラルがあったと想像できる。
黄河はともかく長江が凍ったってそこまで大打撃なのか?
>>349 「普段凍らない長江まで凍るほどの」寒冷化って意味じゃない?
諸葛亮が荊州で戸籍調査やって動員力を増やしてたし
後漢末の調査時点よりも遥かに調査力事態も下がってたんだろう。
蜀建国当初は益州だけで実数でも500万とかいてそのかなり多くの割合を
掌握していたんじゃないかな?
が諸葛亮の死後どんどん掌握している率も下がっていったし、度重なる戦乱から
逃げるのも増えただろうから。記録上で90万、実数でも300万とか400万くらいまで
減ってたんじゃないの?
政権基盤がしっかりしているところほど実数と把握している戸籍の差が小さいはずだから
益州の実人口は記録上のそれよりは魏に近いはず。
結構重要なのは目立った二世武将がいないって事じゃないかな?
別の言い方をすると人材の発掘がイマイチってとこ?
でも把握してる戸籍数から国力は測るもんだろ。
実人口がいくらいようがそのままじゃ国力にはならん。下手すりゃ害になる。
354 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/05 22:15:54
>>352 関羽・張飛の息子たちも早死にしたし、
蜀は運に見放されてる。
関興・張包あたりは、長生きしてれば魏延の次くらいの
武勇を備えて、活躍できたはず・・・
あと、放浪人生がほとんどのせいで、劉備自身の子供が
少ないことが魏・呉との大きな違いだと思う。
>>354 そりゃ、演義。
張飛の息子で長生きした張紹などはいたが、軍事とは無縁の生涯だった。
蜀降伏時に関羽の子孫が皆殺しにあったというから、息子も孫もいたのだろうが、
結局武将にはなっていないようだしな。
356 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/05 22:42:05
あんな関張や呂布の類はそうそう遺伝もしねーんだよ。特異体質みたいなもん。
それに戦場での空気をすってあんな風に育つのも更に難しいだろうね。
まして功なり名遂げた後ひ弱な深窓の美姫を得ても、その子が壮健になる確率も下がるし。
というか蜀に二世だとかが少ないって言うのは、
本当に少なかったのもあるかもしれないが
記録されていないってのが大きいんだぞ。
正式な史官が置かれてないってのもあるし、
弱小国であり敗戦国である以上名を挙げた人間の絶対数が少ないってのもある。
しかし、2世に頼るというのは逆に言うと、新しい人材の当用が出来ないという事でないか?
外からやって来て、親の七光りだけで食ってるんだから、その分働けということじゃない
>>358 武官はともかく、文官で在野から登用した人材が多すぎるのも問題。
二世は生まれた環境から教育を受ける機会に恵まれているので、
この時代ならある程度登用されて当然。
在野登用の人材の数が多ければ多いほど、二世の生育環境が
不安定=国が不安定、ということになる。
361 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/05 22:59:52
削除です
362 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/06 00:41:11
>>在野登用の人材の数が多ければ多いほど、二世の生育環境が
>>不安定=国が不安定、ということになる。
・・・(;´Д`)
このスレの連中が参謀になってたら出来たんじゃねぇの?
戦う相手が魏じゃそら活躍できんわな。
俺が知ってる二世武将なんてカク峻と博トウの息子ぐらいだよ。
そもそも人材供給源が益州一州の時点で将来性なんてみえてるって。
中原の荒廃で江南に流れた士人層の多くは揚・荊州に流れたわけだし、
党錮の禁で逼塞を余儀なくされていた中原や河北の名士層は芋蔓式で
あらかた曹操陣営に流れたんだから。
益州に流入した人間が皆無とはいかないにしろ、人材を輩出する上での
潜在的な土壌が弱い以上、益州のみの蜀で人材の育成が云々なんて
言っても、詮無いように思えるんだけどな。
もちろん、諸葛亮ら官僚によって国家機構は整備され、官吏レベルの
人材供給に関しては充足していた事は、滅亡時の四万という数字からも
うかがえるけど。
>>362 数→比率、に訂正しておくけど、具体的に反論してみな。
2世以外の人材の数は人口に比例すると考えていいだろ?
(人が多ければそれだけ下っ端役人や地方豪族の数も増えるしな)
そうなると、2世を効率よく育てる体制を作り上げないと、
人口の少ない(さらに都からも遠い)蜀は絶対的に不利。
並の素質を確実に並の人材に育て上げる、そうすれば人材の層が厚くなる。
>>364 俺もそうだけど、みんな結果論しか語ってないからね。
>>364 結果を知っていてこの程度の事しか語っていない我々に何を
370 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/06 02:40:37
>>367 そもそも2世3世を重用して成功した国ってあったっけ?
汚職やらなんやらで弱体した国はたくさんあるけど。
そもそも人材の育成なんてもんは現代の企業でも頭を抱えるほどの難問で、
育成すれば簡単に人材の層が厚くなるなんてもんじゃないと思うが。。。
戦乱や政治の混乱の中で揉まれていくうちに優秀な人物が出てくる訳で、
平和な時代では認めて貰うチャンスもないし、能力を発揮できる機会もそうそうないだろう。
だから、事務てきな仕事が得意なやつばかりで、組織だけが肥大化していく。
今も昔も一緒ってことじゃない?
いっそ、南蛮化してりゃ平和だったんだよ
そして2.5国鼎立へ
>>371 南蛮化って言うのは南進政策のこと?
確かに荊州の西側と益州を固めて、南部平定をやっていたら、
史実のその後に比べて荊州の確保+夷陵の損失がなくなることで、
かなり国力は上がりそう。
漢中は取ったから益州自体の守りは堅そうだし、荊州にも馬良とか行かせて内政固められそう。
そもそも関羽の北上はあの時点で絶対だったの?
確かに漢中取って時代の流れは蜀に向いていたとは思うんだけど。
当時の蜀に、南進に力をかける余裕なんてないよ。蛮族の反乱を食い止めるので精一杯。
第一、蜀の目標は漢帝国の復興だから、洛陽・長安は目指しても南には目を向けないのでは。
ノストラダムスがいれば勝てた
>>372 プノンペンまで取れってか?
さすがに統治できんだろ
支配して維持するために結局軍隊駐留が必要だから、どこまでプラスに出来るか。
諸葛亮が現地の豪族たちに自治させて間接統治にしたことは彼の政治力の証明とよく
例に出されるけど、実際には233年には反乱が起こり、都督となった馬忠は政庁を奥地
へと進めて軍を駐留させている。
つまり、諸葛亮の生きているうちに、この政索は破綻しているのだ。
破綻というよりも蜀の力では間接統治以外出来ない罠
んで、その間接統治にも失敗(反乱)している、と。
そんな程度で破綻なら魏も呉も崩壊しているな
>>311 確かに現実は、諸葛亮がお気に入りを使い、
そして失敗・・・となったわけですが、
夷陵の損失(劉備の死)がなければ、
劉備は馬ショクのことを認めてなかったわけだし、
街亭での馬ショクの抜擢もないと思うわけです。
となると、魏延・呉壱等の一流どころか、
または抜擢するにしても、劉備にも認められるような
中堅どころを採用することになっていたと考えられる。
劉備が死ぬまで諸葛亮にそこまでの権限はなかったわけだし・・・
また、馬良も生きているわけだから、
内政を馬良にまかせることも可能になるし・・・
諸葛亮も北伐(街亭後の涼州統治も)に専念することもできるわけで。
諸葛亮に北伐任せちゃいかんと思うが‥
>>380 劉備が生きていれば街亭の戦いがないだろ。
孔明の戦略をそのまま使うとは思えん。
>>381 馬良にそこまで期待できる理由は?
北伐における諸葛亮の戦略は、少なくなった戦力で大国の魏に挑戦するもので
夷陵の損失が無ければおのずと違う戦略になったと思うよ
相手が大国だろうが何だろうが、益州方面から作戦を進めるには、隴西方面に進出するってのは基本だろうな。
特に、兵站を重視(当たり前だが)する用兵なら。
>>383 > 馬良にそこまで期待できる理由は?
四郡平定の献策および、荊州での関羽の補佐より、
先見の明と、内務の素質が見られると判断していますが、
いかがでしょう?
また、関羽の暴走や、劉備の暴走を止められなかったことから、
軍務よりも、内務のほうが適正があると思います。
>>384 少なくなったありますが、夷稜の損失がなかたっとしても、
荊州失陥の時点で、魏の国力には到底立ち向かえないと思います。
となると、やはり同じような戦略しかとらざるおえなかったと考えられます。
>>386 素質は見られるかもしれない。
でも実績は異民族の帰順だけ。
董和など他の人材と比べて替えがきかない人物とは思えない。
それと馬良はむしろ劉備と一緒になって暴走した方だと思うぞ。
>386
馬良は後に侍中にはなっているけど、どこまで行っても諸葛亮の補佐官か諸葛亮の代理人的な立場であって、一国の政治を見るポジションにいないね。
益州の方に平定直後には向かってるようだから、荊州で関羽の補佐役ってのもあり得ない。
もし、夷陵で戦死してなかったとしたら、諸葛亮の北伐の留守番だろな。
第一次北伐に際して、丞相府の留府長史(成都の留守番役)を誰にするかで少し揉めたけど、馬良ならあっさりだったろうな。
そもそも天下三分が失敗。
それは無い、統一は不可能、二分なら速攻で負ける
>>390 その考えはおかしい。
三分では足りず、四分五分いや16分くらい必要という説かもしれないだろ。
どうやって魏を切りくずかは問題だが。
タイミングよくやれば、漢朝と魏国を割る事はできたかもしれない。
その上で公孫淵だっけ?入れると5国、関羽が荊州で独立勢力になれば6国だ。
他には可能性ないかな?
確かに春秋戦国時代みたいに分かれてれば蜀の国力でも統一できる可能性は高かっただろうな
相手も低い国力で戦いやすい上に外交の腕次第でどうにでもなる
ただ、そういう状況の戦乱の初期、群雄割拠の時代をすでに通り過ぎて魏が国としてすでにまとまってたからな
劉備勢力が蜀に拠点を置いた時点ではもう挽回不可能
統一を目標に掲げていたとしても
魏が中原を制覇した状態からスタートして、天下三分
最終的には魏系統の晋が統一、これを失敗とは言えないと思うけど。
>>394 きっとエンディングロールが流れていないから
失敗なんですよ。
>>394 いや、諸葛亮が出仕したときに提案した戦略は失敗でしょ?
正確には天下三分すらできていないし。
諸葛亮は十分よくやったと思うけど。
>>395 >>389の言いたい事としては、案外正解かも?
>>396 正確にはどうなるんだw
蜀史は興味無いから読んで無いけど、出仕したときに提案した戦略てどんなの?
398 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/07 23:20:53
天下三分が失敗ならどうすればいいわけ?
二分なら魏対呉、でもこれはいずれ漢中から蜀を魏に落とされて、呉も滅びるだろ?
荊州自体中心部は魏に取られたし、そこに積極的に参入すると言っても既に魏には孔明クラスの
連中はわんさかいたし、劉備は呉に寄宿しても曹操から引き渡すように言われてアボン
孔明がもっと早く生まれたとしても駑馬の劉表はどうにもならんかっただろうし、曹操を倒せるほど
の群雄も袁昭以外いなかったし。もちろん袁昭と組んで曹操の背後を急襲すればどうにでもなった
んだが、他にそんなチャンスもなし、やはり赤壁後の間隙を縫って南郡〜蜀占領は悪い策ではない。
>>398 悪い策とはいってないだろ。
事実として失敗したといってるだけ。
孔明の予想を上回って曹操と孫権が優秀だったって事。
400 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/07 23:40:26
曹操の勢力に寄生して簒奪とか
401 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/08 00:07:16
やっぱり司馬に負ける希ガス
このスレは正史ベースだよね?
>四郡平定の献策および、荊州での関羽の補佐より、
こういう演義ベースの話が出てくるのは何故?
とりあえず
田豫 陳群 が残り
馬超 法正 ホウ統が長生きし、荊州キープ出来てれば(夷陵の戦いも起きないしハンシュンも残留)大分違ったろうな。
あと馬良、徐庶あたりがいたら、諸葛亮の負担もかなり減ったろうね。
>>402 それ、俺も感じてたけど、誰もつっこまないもんな……なんなんだろうな
諸葛亮の天下三分策って、曹操が南下してくる前に荊州をとる。つまり、劉表から
どうにかして国を奪うことが前提だったんじゃないかな(実力ででも、劉キの後見
人として実質支配でも)。
これなら孫権とも負い目なく対等に同盟が組める。外交で曹操を牽制(孫権や馬超)
できれば、その隙に益州を抑えることも可能になる。
そうかもしれないけど
基本は劉表シボンヌのどさくさに紛れて
だろうね
>>406 でも、それやっちゃうと多分、劉備生き残れなかっただろうね。
軍勢を纏める暇が無い→混乱したまま曹操南下でアボーン。
赤壁前の曹操と孫氏って一応友好関係にあったから、両者による挟み撃ちもありそう。
諸葛亮が劉備に仕えたのって207年だったか?いったいどういう計算たてて「荊・益を
とる」なんて言ったんだろうね。
確かに劉表から直接国を取っても、曹操の大軍の直撃を食らうし虎視眈々の呉も
手を組む可能性が極めて高いから、よほどの軍事的成功がない限り難しい。
まして兵も平和慣れした奴馬だろうからな。
劉備一党が上に君臨しても、土地豪族たちは従わなかっただろうな。
演義だと、諸葛亮が劉表の死に乗じて乗っ取れとけしかけているけど、史実だろ
どうだったんだ?
嫁の筋でまとめ切れたかどうかだな。よくわからんが。
あそこで劉表一族が曹操の矢面に立ったからこそ何とか逃げられたわけで。
すると、やはり結論としては劉備が漢中王となった時点で、関羽を巧みに制御できる
人物(呉との関係を壊さず、配下の荊州人士との仲を取り持てる)がいて、かつ関羽
単独による北伐なんて起さなければ天下統一の目はあった、ということかな。
天下三分って、立案した時点で勢力拡大できるほぼ最高の位置
って感じだけど、三分した後はあんまり良い見込みたたないと思う。
諸葛亮はカイ通の真似しただけですから残念
カイ通とは場所も状況もまるで違うんですが
それを理解せず天下三分を形だけ真似たから失敗したわけだな
は?
というか、諸葛亮の逸話って正史に載ってるのも含めて、過去の偉人の業績からパクッてるところ多くない?
諸葛亮の政策自体、曹操の真似だが
電波ゆんゆんだな
諸葛亮=電波ゆんゆん、ということか。
黄権たんが魏に逃亡したのが痛い。
諸葛亮には創造性をあまり感じない
むしろ奇跡的にスケールの大きい事務っぽさを感じる
425 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/10 17:13:17
まあ古今東西ジャンルを問わず、当たり前の事をきちんとできる人間が成功するからねぇ
孫権が荊州に興味が無かったら
赤壁の戦いがなくなりますよ
曹操が天下統一して終わるな
429 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/10 23:34:36
荊州損失以降、蜀にこれといって飛びぬけた
人材(武官)が育たなかったのは、諸葛亮が軍政の統一を
徹底したからだと思う。
そのおかげで、少ない兵力でも魏に立ち向かえる、能力の高い兵が
出来上がったが、その反面、マニュアルどおりの標準的な武官しか
育たなかった、というのは考えられないか?
ある意味、ある程度の修羅場をくぐってくるからこそ、
有能な人材が育つのだと考えるのだが・・・
兵が強いから修羅場が少なくて将が育たなかったってこと?
> 少ない兵力でも魏に立ち向かえる、能力の高い兵が出来上がった
諸葛亮って寡兵で強かったっけ?
考えられる要因としては諸葛亮が一人で何でもやりすぎたことかな。
まあ戦場で後進を育てる余裕が蜀にあったか疑問だし、
馬謖で懲りたのかもしれない。
>>430 寡兵で強いかどうかより、寡兵でしか立ち向かえなかった。
曹操、というか魏に対して物量で上回ったこともないし。
そもそも、なんだって諸葛亮が軍も率いなければならなかったんだ?趙雲はまだ生きていたし、
魏延、呉壱、李厳などだっていた。劉備時代のように後方担当に徹していればよかったのに。
(それで天下がとれたかどうかはともかく)
>>431 曹真、司馬懿を相手にしてる時はそうだろうけど
陳倉、武都・陰平の時は兵力では勝っていたのでは?
寡兵で大敗しないというのは凄いことだが・・・・・。
>>429 錐は袋の中から突き抜けるモンだ
稀に入りきらないのもあるらしいがw
>>432 趙雲って……
じゃあ、お前、孔明の立場なってみろよ
魏延、呉壱、李厳に北伐任せられますか?
何はともあれ最高権力者が出向くしかない立場だしな、蜀は
437 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/11 04:34:34
横山三国志しか読んでないので大きな事は言えんが、蜀建国当時中国には最高の人材がいた筈だ
それは献帝。
知っての通り漢王朝最後の皇帝で、魏王曹ヒに国を奪われ田舎落ちしている。
だいたい劉備も漢王朝最高だの蜀漢など名乗るんなら献帝を迎え入れ、皇帝にすえるべきだ。
そうすれば、まがりなりにも400年続いた漢帝国、残った忠臣も蜀に来るだろうし、北伐するにも大儀が立つ。
まあ、それでも魏を相手にするのは苦しいだろうけどね・・・
って、思ったんだけど見当違いな事言ってる? 田舎落ちした後すぐ暗殺されたとか・・
もしくは既出だったとか。。
まあ所詮、漫画しか読めんヤツの戯言なんで聞き流しといいてね
詰まらん釣りですね
つか優秀な劉禅に全権まかせりゃ良かったんだよ。
無能な諸葛亮にまかせるから北伐も失敗すんだよ。
440 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/11 10:40:35
>>432 魏延、呉壱、李厳等は、一軍の将には良いかもしれないが、
その軍の参謀役となる人材が不足していたから、
結局諸葛亮が出向くことになっていたのではないか?
やはり、諸葛亮に内務のみをさせておくには、
ホウ統・法正あたりがいれば良かったということ。
441 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/11 10:41:19
>>437 暗殺はされてないけど、退位後はすっかり魏に飼いならされてしまいましたから…。
>>437 献帝にまだ利用価値があったとして、
山陽から魏にばれずに(元)献帝を蜀まで
つれてくること自体が可能だろうか?
露見したら、呉だって黙ってないと思うが・・・
>>437 そりゃ誘拐だ。
ちゅか人材がたくさん来たとしよう、うんそうしよう。
ほんじゃお前アレか、1万率いてる曹操の兵に10万率いて負けると思うか?
結局戦なんてのは数なんだよ。
444 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/11 12:13:01
>>410 同意、ただし正史同様、今更魏に下っても下っ端で呉は荊州と宿敵なので劉備に従った人材も多かったと思うよ。
>>444 劉備に従った荊州人士って、劉表政権では反主流だった連中が多くないか?
446 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/11 12:57:44
>>442 献帝禅譲の話を「帝位簒奪後、暗殺された」として
劉備即位の正当化に使ったのは他ならぬ蜀だよ。
山陽に誰かを繰り出せるなら、魏の仕業に見せかけて
暗殺するかもw
ここはよい釣り堀ですね
孔明は事実上の蜀漢建国の功労者だから、自分が行かないと北伐自体成立しなかっただろ。
負ければ国が滅ぶような無理矢理の大動員の司令官が李厳や魏延ってだれが納得できるか
という話。だから武将ではないのに自分が行かざるを得なかった。軍師と言うからにはやむを
得ないが、軍事司令官としては相当無理をしたんだろうね。
おぉ‥文章が、蹴散らされた黄巾賊の様だ‥
452 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/12 10:21:14
>>449 蜀漢建国の功労者だからどうこう・・・ていうのは、はっきりいって関係ないな。
蜀の念願は、魏の征伐・漢王朝の復興だから、北伐がなければ、
蜀自体が成り立たないということ。(特に益州士人以外は納得がいかない)
だから、その軍をだれが率いるかというのは関係ないと思います。
結局のところ
>>440にあるように、信頼できる参謀役がいないから
諸葛亮が率いざるえなかったのだと思います。
結局、戦いは数だよ兄貴!でFA
だからさ、どうして劉備の生前は軍を率いることもなく、軍務にもたいして関わった
わけではない諸葛亮(漢中戦だって作戦指導は法正。諸葛亮は瀟何役)が、参謀役で
はなく将にならなくてはならなかったんだ?
失敗例を挙げるなら、相談役がいきなり将になった馬稷と同じ。
武田信玄さえいればな
劉備が過度に孔明に期待して自分の死後の事を託したもんだから
責任感じて俺が俺がって追い詰められてたとか。
劉備の死ぬ直前って色々あって相当参ってたはずじゃん。
だから孔明にそれこそ呪いめいた事でも言ったんじゃないかな?
>>454 諸葛亮は大局からの戦略を知っている
蜀漢のNo.2だからというものもあります。
No.1が出征し、No.2が国を守るというのはどこの国もやっております。
例えば曹操が攻め、荀イクが守る。孫策が攻め、周ユが守る。
そしてNo.1が死ねばNo.2が出征するのは当然かと。
守るのは攻める事並みに需要な事なのです。
>>457 諸葛亮の次(No.3)ってだれになるのかなぁ?
やはり、ヒイ・蒋エン・キョウイあたりかな?
ヒイ・蒋エン・キョウイは有能ではあるが、
その後を考えていくと、魏・呉と比べると層が薄いよな・・・
>>457 周瑜はNo.2かなあ?
> そしてNo.1が死ねばNo.2が出征するのは当然かと。
周瑜生前に孫権も出征しているけど
もうチョット実例を挙げてもらえるかな?
>>458 劉備死後なら李厳でしょ。
>>457 やっぱり異様なことだと思うがなあ。漢の三傑で例えるなら、瀟何が突然に韓信に
なったようなもの(張良ですらなく)。
>>456 不確かな記憶で申し訳ないが、劉備は死に臨んで、諸葛亮だけでなく李厳と共に後事
を託したという話を聞いたことがある。
李厳は「智謀は陸遜に匹敵する」と評されたほどだから、これが事実なら、劉備は
諸葛亮=瀟何・張良 李厳=韓信
という体制を狙ったのではなかろうか。
しかし、北伐は何故か 諸葛亮=韓信 で 李厳=瀟何 なんだよな。
>>459 確かに李厳がいましたね。
でも、留守番役(兵糧確保)に失敗したから、
やはりNo.3にするは役者不足かな?
(
>>457の理論に従えばの話だが・・・)
>>460のいうように、李厳に北伐を任せておくほうが内務は安心ですね。
でもそれで魏に立ち向かえたか(涼州奪取くらい)どうかは
わかりませんが・・・
>>460 > 李厳は「智謀は陸遜に匹敵する」と評されたほどだから
これは演義かな?
永安宮で李厳は孔明と共に後事を託されているけど
そこで任じられた役職は尚書令だから
> 諸葛亮=瀟何・張良 李厳=韓信
これはないと思われ。
お飾りでもいいんだから、劉禅が兵を率いるという形をとるのが普通じゃないか?
李厳は荊州、益州の両方に人脈があったから、派閥の潤滑油として重要だっただけじゃない?
劉備って、大体誉めてのばすタイプだし
李厳って荊州出身だろ?益州人士とどう繋がりがあったんだ?
まあ劉備入蜀のときには益州政権の一員として派遣されているから派閥としては
益州よりなのかもしれないが。
劉備の死後に荊州閥で政権を固めた諸葛亮から干されるのも無理ないか。
スマソ。確認してみたら中都護になって内外の軍事を統括してるのね。
> 諸葛亮=瀟何・張良 李厳=韓信
この通りかも・・・・
>>465 すると、ますます諸葛亮が軍事に出張ってくる理由がわからん。
>464 のように、諸葛亮が己の権力を固める際に排除されたか?それで、自分自身で
軍部を支配し、宮廷は腹心の費イ・蒋宛に抑えさせた。つまり外征-曹操、後方-荀ケ
と同じ……おお、すんなりおさまった。
李厳が韓信であれば劉備の漢中侵攻に指揮を取っていると思われるが
諸葛亮の亜とぐらいに思われていたんじゃないかな。
諸葛亮も信頼できる能力を保つ数少ない人材と思って
一番重要な場所を委かしたものと思われる。
劉備の漢中戦時と死亡後では、李厳の立場も変わってくると思うよ。
なにより、主だった将領がのきなみ死亡しているのだから。
だから自分が今まで担っていた
重要な役割の兵站を李厳に委かしたわけだが
李厳が中都護に任命されたのは223年。
李厳=韓信と書くと誤解を受けそうなので
諸葛亮=張昭、李厳=周瑜のほうがしっくりくると思う。
諸葛亮が丞相で李厳が中都護。
行政と軍事が明確に切り離されていたわけではないけど
劉備としては軍事は李厳に任そうとしていたのではないだろうか?
諸葛亮戦争は上手くないけど好きだったんだよ。
中都護で、歴戦の諸将を率いるには貫禄不足だと思うがいかがか?
>>472 劉備が漢中王になった時の主な序列では関羽、張飛、黄忠に次ぐ。
その3人はすでにいないし、軍事に関していえば当時の諸葛亮と比
べても遜色はないと思う。
474 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/12 18:03:43
諸葛亮って益州攻略のときに趙雲や張飛とともに軍を率いたと正史にも書いてるはずなのに忘れている人多いな
>>474 だから遜色ないと書いたのだけど。
李厳の方は反乱討伐、蛮族討伐で活躍してます。
>>475 「長江を遡り、手分けして郡県を平定しながら成都で合流した」とあったはず。
諸葛亮だけどっちかにくっ付いて行ったって事も無いだろう。
北伐では司令官にはなれなかったものの
重要度ではひけをとらない部署に任じられているので
左遷とかでは無いと思うが
479 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/12 18:48:43
>>464 李厳は費氏(劉障なんかと婚姻関係にある蜀の豪族)の一族の
女性と結婚してたらしい。だから出身の荊州だけじゃなく益州派閥にも
非常に影響力をもってたとのこと。
480 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/12 19:05:43
そもそもこれといった活躍もない李厳にここまで期待かける
蜀贔屓のみなさんもちょっと悲しいね。
>>480 5000で数万を破るのは結構な活躍だと思うが。
そもそも李厳に期待しているわけではなく、
何で諸葛亮が軍を率いなければならなかったのか?
という疑問を考えてるだけ。
やっぱり普通に権力争いじゃないのか
483 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/12 19:23:59
>>481 判りきってることだろ。
他に任せられる人物がいなかっただけ。
仮に人材がいたって国力差がありすぎる。
>>482 権力争いの相手を兵站輸送を任せるかな。
>>483 劉備の臨終の際に軍事を任されたのは李厳だよ?
>>484 失敗したらそれを名目に北伐失敗の責任とらせられるし
案外、李厳の失敗はそうだったのかもと妄想
486 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/12 19:40:56
李厳は兵糧輸送の失敗で失脚したわけではない
しかし、なんらかの手段で李厳を落さないと、諸葛亮が軍権を握るのは不可能でしょう
劉備の遺言からすれば。実際、軍には諸葛亮ではなく劉備に引き立てられた連中がまだ
残っているのだし。
いや……なんか方向がずれていってるような気がするけど
(なんで孔明が話しの主軸になると毎回ずれていってしまうのか)
李厳を総大将、孔明を益州で内政・補給専任にしたところで、
正直天下を狙えるとは到底思えないのですが…
やはり関羽存命時(というか荊州保有時)を考えた方が近そうですが、まあそれは置いておいて。
せっかく流れが李厳に向いているので、劉備死後の場合の仮定で、
上記のように分けたとして、どういう編成で北伐に望めばよいでしょう?
李厳って官僚系じゃん
ってか、漢三傑に例えるのウザ
田中くんに笑われるぜw
490 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/13 11:24:04
> 李厳を総大将、孔明を益州で内政・補給専任にしたところで、
> 正直天下を狙えるとは到底思えないのですが…
はっきりいうと、魏になんらかの不備(内乱等)がないと、
蜀が天下をとることは不可能。
それくらい国力に差がありすぎる。
関羽存命時は、魏はひとつにまとまっているので、ますます無理。
それよりは、北伐〜魏末期のごたごた時に漁夫の利を得る
ことのほうが、可能性が高いと考えられるから、現在の流れに
なってきているんじゃないか?
>>488の求めるスレタイの回答をするなら、人材というよりも
やはり人口(国力)が魏の倍あれば蜀が統一できたんじゃない?
有能な人材がたくさんいても、国力に差があれば統一は無理。
攻める(蜀)よりも守る(魏)ほうが少ない兵力で可能だし。
リュウビが右大臣のまま曹操陣営に居座っていればよかったんだよ。
左将軍だって
私怨云々は置くにして、劉備の呉遠征を孔明が全面支援して
鉄壁の魏-蜀国境を防衛ラインに、攻撃は荊州方面で戦線を展開したほうがやりやすかったのでは。
意味がわからん。平野部まで出られないからあんな無惨な敗北喫したわけだが。
李厳は孔明に失脚させられた。間違いない
あげ
>>496 軍需増産の実績が上がらないのを責任転嫁したからやん。
例の部下の兵糧輸送怠慢事件から見限ってたとかなら別かもしれんが。
>>498 李厳は幕府を開く権利があったにも関わらず、それを認められなかった。
孔明に事実上冷や飯食わされてた。
その意趣返しとも言えるかも。
>>498 >部下の兵糧輸送怠慢事件
これは演義ではなかったか?それとも正史でもあったん?
>>499 国をかけた戦より、個人の意趣返しを優先させる程度の男ってことか
しかも劉備はその程度の男に死後の軍事を任せ、孔明はそんな男に兵站任せてる
もう全員総とっかえしたほうがイクネ?
俺がばしょくを粛清してやる!
504 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 01:32:44
そういう男にしかまかせれないほど人材がないんだよ
軍事侵攻のみに拘っていたから、そっち方面の人材不足が
必要以上に大きな影響を及ぼしたって事なのかなぁ。
司馬懿を一時的に排斥した様な内部工作をメインにして、魏
の内部から時間をかけて分裂させる様な方向で攻めていったら
また歴史は多少変わったかもしれないとか思うんだが。
謀略系が得意な人材が居なかったから、軍事に拘らないとダメ
だったのかな?
人心掌握がなっていなかったのでは。
蜀漢は結局は亡命政権で、支配階級はケイ州人、その下で働くのが益州人。
益州人にとって北伐など、無駄な行為でしかないし。
謀略系とはまたコーエーな
508 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 05:48:11
>>504 結果論でいけば、諸葛亮の抜擢が失敗だと言わざる得ない。
慎重派の諸葛亮なんだから、魏延等実績のある人を
使うべきだと思う。
もちろん、馬謖が街亭防衛に成功するのが、人材難の蜀としては
ベストだと思うが、それでもいつか大ポカをやらかしそう・・・
劉備はそのへん見抜いてた感じだし。
一瞬、劉備が諸葛亮を抜擢したのが失敗かと思った
諸葛亮が馬謖を抜擢したのが失敗って意味だね
510 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 08:44:43
ほう徳が病気にならないで馬超と一緒に蜀に降ってたら?
蜀に武将がひとり増えるだけ
大勢は変わらない
孫権が劉備の義兄弟だったら
>>505 >>510 これは演義だろ。
とくにホウ徳は、正史では自分の意志で馬超から離れているし。
どんどん反三国志になって行ってる気がする
515 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 11:04:28
このスレは演義派の集いですか(プゲラ
516 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 11:37:14
っていうかそれくらいの前提がないと蜀による統一は難しいということだ。
正史も演義もにたようなもんじゃない
>>513 >ホウ徳は、正史では自分の意志で馬超から離れている
そうなのか!?
俺正史は魏をちょこっとしか読んでなくてサパーリなんだ
そこんそこ詳しく説明してもらえると嬉しいんたが
馬超って正史だと全然イメージ変わってくるよな…orz
519 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 12:11:06
演義派で正義の蜀が人材が居れば勝てるかもしれないと思ってる
このスレのアホな住人の皆様に一言言いましょうか?
蜀の国力では呉の国力と合わしたところで絶対に魏には勝てません。
人材なんて関係無いんだよ。
520 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 12:13:47
521 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 12:24:35
糞スレ終了。
>>520 関羽存命時の魏は内乱の嵐ですが・・・
国力差で今更結論付けられても
523 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 12:36:34
蜀が95%勝利する案が出ない限りこのスレは終わらない
そんな案はない。
>>522 内乱といっても、ほとんど末端の暴動。そのほとんどが大きくなる前に鎮圧されている。
危険だったのは中央を大きく巻き込んだ魏諷の乱だが、これも発動前に抑えられている。
逆に言えば、そうやって火種を抱え込みながらも対呉に張遼、夏侯惇を、対関羽に迂禁、
徐晃を派遣したことに魏の中枢の強固さがわかる。
527 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 13:06:51
>>526 三国志初心者ですね。言わなくても分かりますよ。
後漢が滅びなかったら
于吉、左慈など仙人系ネットワークを積極的に用いて、
妖術幻術で内部から混乱を誘発して弱体化させるしかなかった。
あとは五斗米道を政治の中枢部にまで浸透させて宗教的な
クーデターを起こして内部から崩壊させるとかかな。
>>526 つまり、呉が合肥で張遼を切って寿春まで占拠し揚州を完全平定し徐州へ進め
関羽が呉の支援も受けて于禁と一緒に曹仁も破り、徐晃にも勝っていれば
魏は崩壊していたという事でいいのかね?
>>530 526ではないが・・・
「関羽が呉の支援を受けて・・・」仮にそこまでいったところで、
魏の国力がある程度(黄河以北くらい)小さく時点で、
次に蜀と呉の中原争いになると思われる。
(呉が統一に積極的ならの話だが。)
また、蜀の国力が魏・呉を上回ると、魏・呉が共同で
蜀対策を練ることになると思う。
そうなると、人材面で不安のある蜀では、
広大な土地を保持することすら不可能だと思われる。
(占領先での有能士人の登用があれば話は別だが・・・)
つまり、呉の力に頼らなければならない時点で、
蜀の統一は難しいんじゃないかということ。
ていうか曹氏の血が途切れれば魏は崩壊して漢が復活すれば。
533 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 19:52:05
ホウトウが戦死してなかったら孔明にとって北伐の状況は全然違ったと思うんだが。
それだけで歴史が変わったとまでは思わないけどさ。
>>533 漢中か荊州で流れ矢に当たって死ぬから違わない
>>531 荊州を確保したまま涼州を抑え、長安を落とせれば何とか。
ここまで来たら別に荊州は呉に返しても。いや人心を顧みなければだけど。
蜀は秦の例にならって、涼・雍の2州からの統一を考えれば上手く行ったかも。
しかし、漢中戦でも漢中の民は手に入れられなかったので北伐の早期開始は難しかった。
いずれにせよ、関羽が襄陽攻めを単独で始めた瞬間に何もかもご破算。
>>520 自作自演の、結論は**ということで厨Uzee!
537 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 22:19:02
>>535 漢人以外の民族が多数住居する涼州を押さえたところで維持するのに余分な
軍事力を要するだけであって、統治は難しいと思われる。長安を押さえたと
してもさらにトウ関を押さえておかないと長安の維持は難しい。トウ関を押さえる
にしてもさらに余分な兵力が必要。蜀の国力ではまず無理。秦に倣ってというが
戦国時代は大小様々な国が乱立していた時代。三国時代の魏は戦国時代の韓、魏、
趙、燕、斉が合体したような大国。同次元で語れるものでは無い。
538 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 22:28:54
>>537 中国歴代国家の最大の敵は常に東夷・西戎・南蛮・北狄の異民族だからねえ。
そういう意味で、荊州から敵の中心地・許都を突く関羽の作戦は正しい
539 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 22:42:36
何度も言うようだが関羽の北上が成功して曹操が都をギョウ都に変えて
孫権が合肥の張遼を破って徐州一帯を制圧した所でも魏には到底
及ばない。分かりました?
そこで東北の公孫氏と、北方の夷テキですよ
大きくて強い国は包囲して袋叩きにしないとダメ
フランス革命時の「対仏大同盟」や第2次大戦(ドイツ)の例に倣うべし
>>537 異民族が統治できない程、政治技術は低くないから
魏が抵抗しなければすんなり支配できる、そんな事はありえないけど‥
以下は同意。
もっと早くチンギスハンが生まれていたら
543 :
無名武将@お腹せっぷく :04/12/19 00:31:34
どんなに人材がいても蜀の国力では
無理だったのでは?
国力馬鹿うざい
544 名前: 無名武将@お腹せっぷく [sage] 投稿日: 04/12/19 00:35:44
国力馬鹿うざい
547 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/19 00:58:30
そもそもそんな人材がいたら三国鼎立って状態にならなかったかもね
戦いは数だよ、兄者!
549 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/19 01:04:34
>>541 正史・演義の世界がすべてだと思っている香具師には、政治技術があれば
「すんなり支配できる」なんてバカなこと思っているんだろうな。
中国史をちょっと勉強すれば、その歴史の大半が異民族との戦いだとわかるだろうに。
あの当時でも中央の戦局で関係ないところで、異民族との激戦は続いていたし、
ほとんどの中原の帝国の崩壊の原因に、必ず異民族による侵攻による軍事・経済の
疲弊が含まれている。
司馬氏の晋も、三国統一からほんの二、三十年後には、八王の乱の混乱を突いた
胡(異民族)のせいで崩壊し、五胡十六国の時代になったというのも
>>541は知らないのだろうな。
三国志\をプレイした事のある奴なら異民族の恐怖は身にしみて知っているかとw
551 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/19 01:20:50
>>550 だけど滅ぼすとたくさん兵力増えるだろ。
何で異民族が兵として使えるのかは分からんが。
>>549 戦国七雄の領域はかなりの部分、異民族を同化して編入したのを知らない
無知な輩は「異民族は全て敵だ皆殺しにしろ」とか
気違いじみた発言をするのだろうな。
塞外民族を引き入れて兵士として使い始めたのは、曹操が最初だけどな。
中国戦国時代は異民族という概念が違う。
中原以外の地域で興った国は異民族って認識。
だから巴蜀から漢中、長安まで治めた秦も異民族、益・荊・揚を治めた楚も異民族、もちろん揚州の呉、越も異民族扱い。
中原でも、趙北部の代や中山あたりも異民族の土地だね。
でも、秦の統一以前について漢族に統合された民族は基本的には異民族とは言わないんだよね。
始皇帝に統一された土地が中国。長城が整備されて初めてその区分ができたってこと。
つまり、ここで文化的な統一が図られていて、諸子百家を祖とする文化の元に運営される土地と民族が確定されたわけ。
つまり、ここで初めて「漢民族」とそれ以外って枠ができるわけ。
それまでは、諸侯の治める土地とそれ以外って区分だったから文化的にも地域性で異なるし、秦や楚という国にを認めつつも文化的統一は図られなかったわけで。
三国志で用いられる「異民族」はもちろん「漢化されていない民族」って意味だから
>>552みたいな「戦国時代は〜」って話は全く関係ないんだね。
( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
スレとあんまり関係無いけど
こういう歴史のパラダイムの変化って面白いな。
>>553 >三国志で用いられる「異民族」はもちろん「漢化されていない民族」って意味だから
結局同じ事だと言ってる様に聞こえるが‥
北方の完全な騎馬民族を除けば、中華が相対的に強かったかどうかの差だけかと
隋、唐代には涼州辺りは完全な中国だしね。
>でも、秦の統一以前について漢族に統合された民族は基本的には異民族とは言わないんだよね。
今の話を持ち出しても仕様がないんだよね、当時異民族と認識していたのは事実だから。
全どの中原の帝国の崩壊に異民族の侵攻がというのも謎な発言
そもそも、晋が斜陽の時期(歴代でも最弱の統一王朝)だから侵攻を招いたのであって
普通、崩壊の原因は農民の蜂起、異民族の侵攻で崩壊したのは
力の弱かった一部王朝。
ロシア人が南下してきて魏を滅ぼしちゃったら
557 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/19 10:06:05
↑
当時はロシア人が中国に影響及ぼすようなところまでは
進出してきてないだろ。
558 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/19 10:08:00
関羽が名将として、宛を落とし南陽郡を手にいれたあと、曹操が動く前に
すぐさま許へ侵攻。前もって話をつけていた漢臣たちと許を制圧。
(陳群・楊彪・華欽・荀悦ら)
帝の名で曹操の任命を取り消し。全国の将軍・太守に漢へ忠誠を誓うよう
伝達。孫権には上洛を促し首都防衛を強化する。
魏軍を一掃したあと実力者たちを倒し蜀による統一。
>>558 >孫権には上洛を促し首都防衛を強化する。
> 魏軍を一掃したあと実力者たちを倒し蜀による統一。
途中までの考察はよいが、ここで一気に蜀に形勢を傾けすぎ。
孫権が上洛した時点で、孫権が曹操に成り代わって最大勢力になる。
となると、魏を滅ぼせても呉を滅ぼすことは不可能。
魏を滅ぼしにいく素振りをみせたら、呉に留守を突かれるから。
560 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/19 10:17:01
大分スレッドの趣旨と食い違ってきたような。
純粋に人材だけを取り上げれば、やっぱりジュンイクぐらいの
戦略眼をもつ人材が少なくても1,2人。それと張遼クラスの武官が
1,2人欲しいな。できれば劉備の一族で有能なのが数人欲しいところ
だけど、出自が出自だけにこれは難しいか…。
>>560 それだけの人材がいても、統一は無理だってことは
わかってるんでしょ?
魏にはそれ以上に豊富な人材がいるわけだし。
数人有能な人材が増えたところで、圧倒的な国力差は埋まらない。
562 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/19 10:23:26
>>561 まあそれは十分わかってるんだけど。でも国力を言ってしまうと
このスレの意義が…。
本音を言えばミサイルぐらい持ってないと統一は無理だな…。
『三国自衛隊』みたいな。
国力差が圧倒的だから、蜀の最盛期(漢中奪取・荊州損失前)にさかのぼって、
そこから魏征討の可能性を考察する流れになってるんだと思う。
>>558 一行目で既に破綻しているような・・・
孫権が上洛って・・・
565 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/19 10:41:30
>>560 劉備の場合、場所が場所だけにいないんだと思う。
出身地幽州だったらわんさか一族が集まったと思う。
566 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/19 11:11:49
一族っても百姓ばっかりだし意味無いと思われ
旗揚げの時には従兄弟や親類ぐらいいそうなもんだが、全く名前が出てこないな。死に絶えたのかも。
これだけ一族の名前が出てこないヤシも珍しいといやー珍しい。
567 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/19 11:21:27
>>564 >一行目で既に破綻しているような・・・
関羽が名将ってとこかな?
>孫権が上洛って・・・
孫権がそのままだと留守を突かれるから。
また、天下への野心があれば上洛するかも。
崩壊したかもしれない夏侯惇軍を吸収出きる可能性も有るし。
568 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/19 11:29:53
蜀と魏の人材総入れ替え!
北征するのが曹真と仲達で守備が孔明。
やっぱ無理か
569 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/19 11:35:05
>>561 国力厨うるさいなあ
国力が全てを決定するなら、いまの中国の歴史はおかしいだろ
小が大を滅ぼした例などいくらでもあるのだから
570 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/19 11:38:11
>>568 街亭の戦いで馬謖と張コウの立場が逆だったら勝っていた。
>>567 孫呉は豪族連合政権だから、その範囲外への野心はそれほどないと思われ。
公瑾あたりが存命か諸葛元遜あたりの時代ならあったかも知れないけど、孫仲謀の時代では難しいと思われ。
呉は長い間国力ばかり気にしてたから戦闘力が(ry
573 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/19 16:22:36
>>569 滅ぼされた大の方が内部ガタガタの例ばっかりだろう。
>>573 内部ガタガタでなくても
小勢力の統治者の方が相対的に優秀な事例はいくつかあるだろう
三晋、漢、曹操とか。
575 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/19 16:34:56
>>569 国力どうこう言われたくないのなら、それを踏まえた結論をだしてやろう。
<結論>
魏・呉内部をガタガタにできる人材が、魏・呉内にいれば、
ガタガタにならない蜀が統一することができる。
これで満足?
国力をガタガタにする方法を教えてもらいたいものですな
偽書でも出すんですかね?
577 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/19 17:16:06
このスレは三国志初心者しか居なくて困った物だ。
お前らどうせ横山光輝三国志読んだだけでぬか喜びしてる連中だろww
厨房板にでも逝っとけ。
>>575 目が節穴だな‥
金、宋の方が国力は圧倒的に上だけどあっさり滅びただろ?
ちょっと詭弁臭いが。
579 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/19 17:33:56
>>576 それこそ都市の太守が、ある日を境に突然独立するとか。
それくらい魏の国力はバラバラになると思いますが?
それがどんな人かって、具体例を挙げるのは難しいが、
それだけの条件がそろえば、蜀が統一することも可能だということ。
方法とかどうとか言っているが、方法なんてなくてもいい。
そういう人がいればいいだけだから。
アレクサンダー大王、アッティラ、チンギスハーン、ナポレオン、ドイツ機甲軍のような、
軍事的・戦術的大革命をやってのける人物がいれば、国力がなくてもあるいは…
アレクサンダー大王、アッティラ、チンギスハーン、ナポレオン、ドイツ機甲軍のような、
軍事的・戦術的大革命をやってのける人物がいれば、国力がなくてもあるいは…
>>578 金の末期は女真族の漢化でたががゆるんでガタガタだった。
燕付近の契丹族の叛乱もあったし、7代皇帝はクーデターで斬り殺されている。
「国力」と言う意味では、中央アジアまでその頃版図に治めていたモンゴルの方が上だった。
宋に関しては、平和を金で買うのが国是だったから、武官の権力をそぎ落とした結果戦争に弱くなったという事情があるから
一概には言えないけども、徽宗のときに皇帝の「芸術」のために巨費を散じて民衆に労役を課していた。
その結果治安が悪くなって、水滸伝の舞台になるぐらいに世が乱れてる。
方臘の乱(治めたのは抗金の名将の韓世忠)のような大規模な叛乱が起こっているし。
ただ、六朝を通して発展した江南が支えたから王朝としての命脈は保ったけどね。
内憂につけ込む形で攻め込むというのは、戦略としては正しい。
魏にも、呉にも後継者を巡る争いがあったわけだし。
>>578 金の末期は女真族の漢化でたががゆるんでガタガタだった。
燕付近の契丹族の叛乱もあったし、7代皇帝はクーデターで斬り殺されている。
「国力」と言う意味では、中央アジアまでその頃版図に治めていたモンゴルの方が上だった。
宋に関しては、平和を金で買うのが国是だったから、武官の権力をそぎ落とした結果戦争に弱くなったという事情があるから
一概には言えないけども、徽宗のときに皇帝の「芸術」のために巨費を散じて民衆に労役を課していた。
その結果治安が悪くなって、水滸伝の舞台になるぐらいに世が乱れてる。
方臘の乱(治めたのは抗金の名将の韓世忠)のような大規模な叛乱が起こっているし。
ただ、六朝を通して発展した江南が支えたから王朝としての命脈は保ったけどね。
内憂につけ込む形で攻め込むというのは、戦略としては正しい。
魏にも、呉にも後継者を巡る争いがあったわけだし。
>>578 金の末期は女真族の漢化でたががゆるんでガタガタだった。
燕付近の契丹族の叛乱もあったし、7代皇帝はクーデターで斬り殺されている。
「国力」と言う意味では、中央アジアまでその頃版図に治めていたモンゴルの方が上だった。
宋に関しては、平和を金で買うのが国是だったから、武官の権力をそぎ落とした結果戦争に弱くなったという事情があるから
一概には言えないけども、徽宗のときに皇帝の「芸術」のために巨費を散じて民衆に労役を課していた。
その結果治安が悪くなって、水滸伝の舞台になるぐらいに世が乱れてる。
方臘の乱(治めたのは抗金の名将の韓世忠)のような大規模な叛乱が起こっているし。
ただ、六朝を通して発展した江南が支えたから王朝としての命脈は保ったけどね。
内憂につけ込む形で攻め込むというのは、戦略としては正しい。
魏にも、呉にも後継者を巡る争いがあったわけだし。
>>579 そういうことしようとした奴はいっぱいいただろうね。
ことごとく失敗して歴史に名前が出なかっただけで。
王凌
諸葛誕
司馬一族が簒奪できたのも
曹家が二代続けて若死だったからなのだが
579的にはどう考えているんだろうか?
589 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/20 03:11:22
とりあえず国力云々はスレ違いだろ、どの程度の「人材」がいたら・・・ってスレなわけで。
重要な要素だろうけどここで語ると趣旨に外れるから各自で自重しようや。
国力を充実させる事のできる人材がいれば良かったって事だな。
従軍慰安婦と強制連行はあった
>>573 それはそうだが、世の中内部に問題を抱えている国のほうが圧倒的に多いぞ。
魏だって曹操存命の頃から小規模な反乱は結構起こっていたし、
司馬氏の勢力拡大にともなう政変もあった。
そういう隙に付け込んで魏を滅ぼす者が蜀にでれば、
その人物は中国史上屈指の大人物、世界史上でもかなりの有名人になるとともに、
結果的に魏は内部がぼろぼろだったので滅びたとも言われるだろう。
なるほど、難しいことではあろうが不可能ではない。
実際世界史上、特に軍事面で最高クラスの評価を得る人物は、
似たようなことをやらかしているからこそそのような評価を得ているわけで。
全く問題のない国家はない。
逆に言えば、曹氏政権(魏)は司馬氏の台頭以外の問題は全て(適切に、かとりあえず
かはともかく)対処したからこそ、外部勢力に滅ぼされることなく続いたわけで。
たしかに曹操晩年に時期には問題(地方の反乱その他)があった。しかしそれでも滅び
なかったのは敵に乗じさせる隙を与えなかったか、それとも呉蜀が隙に乗じることも出
来なかったヘタレなのか。
どちらかを問われれば、前者だと思う。
厨くさい意見かもしれんがやっぱり戦争の天才かな。
諸葛亮の下、挙国一致体制がある程度出来上がってたので土台はそれなり。
しかし国力の差は圧倒的。これを覆すには戦争で戦って勝つ。これ以外になさそう。
諸葛亮自身も指揮官としても司令官としても非常に優秀。
ただ基本的に正攻法でまず大敗しない事が優先されてた。
それは仕方のないことなのかも知れないが、それではやはり圧倒的な国力差を覆すのは難しい。
奇襲に近かった第一次北伐が失敗に終わったのは痛かったね。
機を見るに敏、乾坤一擲の大勝負に出れるような才能・器を持った将軍がいれば可能性くらいはあったと思う。
595 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/20 12:41:17
>>594 国家や自分、その他大勢のの命運をかけて博打なんかできるかよ
だから出来る人間がいたらよかった
>>595 逆説的だがそれぐらい不可能に近かったってこと。
諸葛亮ではなくナポレオンなら勝てたかも
んなこたーない
孔明の策が100%成功したら勝てたよ
蜀漢のような弱小国が魏のような大国に打ち勝つには、
スレタイのように人材を集めるだけではまだ不足で、
外交によって包囲するか、軍事的天才の出現に頼るしかない。
602 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/20 17:07:36
そこで劉禅登場と
韓信や楽毅みたいなのが出ないと蜀は勝てんのか
>>601 受け売り丸出しだなw
包囲するつっても呉と蜀しか無いから有り得んし、軍事的天才は人材。
>>604 匈奴はダメだし羌はあてにならんし
まさか北の公孫一族は利用できないしなあ・・・。
外交で包囲するのは不可能だな
蜀は必死になって包囲されないように努力するのが精一杯。
どうやったら包囲できるのかと、小一時間(‥
608 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/20 17:48:50
結論
蜀は人材居ない国力足りない兵も足りない
蜀は滅びる運命であった
609 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/20 17:52:38
ほっとけば勝手に魏は内乱で崩れるのでは。
それまでの国防が大事。
結論が出ている事例なのに
堂々と、結論〜であった とか書けるのは凄いなw
>>607 呉にそっぽ向かれる→南蛮も本格的に反旗を翻す
↓
魏も南下に積極策を採る
↓
羌も美味しいとこ取りの為に積極的協力
包囲完成
612 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/20 18:00:14
は?
>>612 呉が奇跡的に魏と対蜀の盟約を結び、羌族がワープしてくるんだよ。
魏が南下策に積極的になれば羌族も魏に協力するだろうと思うのだが
何かオカシイか?
615 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/20 18:20:05
結論、蜀が天下を取れるかも知れないとか痛い妄想してるお前らは
三国志初心者。この板に居るわずかな三国志上級者に迷惑だから
どっか逝った方がいいぞ。
>>615 ○大量の初心者が新板作成移住
○三戦板に残った少数の自称上級者が残るものの閑古鳥
○少数のクセして内部で主導権争い「お前は厨だから新板に逝け」等
○嫌気が差した何割かが「新板に煽りに逝ってくる」と逝ったまま戻らない。
○さらに過疎化が進む。
○旧板の存在意義が問われ、新板に合併。
蜀漢は中華統一するには成立が遅すぎたな。
勢力圏を確保した時点で、乱麻の如き戦乱の時代は既に終わり、
残った巨大勢力同士によって膠着状態が現出していた。
戦国時代で言う島津氏、伊達氏みたいなもんだ。
>>615 同じ三国志ファンとは思いたくない発言だな
620 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/20 19:27:28
日本史板、世界史板にも弾かれて
三戦板にすら居場所がない
自称上級者は明日はどう生きるんだろう
結果論を振りかざして、勝利宣言したつもりが
駄文すぎて真意を伝えられなかっただけかと。
623 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/20 23:05:34
>>615は2ch初心者でこの三戦板ができた理由を知らないんだよ
だれか世界史板の場所を教えてやってくれ
625 :
579:04/12/21 00:34:26
亀レスですが・・・
(もういまのスレの流れじゃないから、聞き流してくれても良いけど)
>>586 そういう人はたくさんいただろうけど、結局鎮圧されてる。
つまり時勢を得てないから、失敗に終わってる。
>>588のいうとおり、時勢を得た司馬一族は簒奪に成功した良い事例。
ただ、一勢力が簒奪に成功した場合、それが晋のように魏に
とってかわるだけなら、やはり蜀の統一の可能性はないと思う。
つまり、複数の勢力が魏・呉の各地方で独立する人が同時期にいて、
蜀が最大勢力にならない限り、統一は無理だといってるわけ。
結局蜀は質も量も足りないからなぁ
魏の分裂と言うと曹操死亡直後に大きなチャンスがあったわけだが。
何で蜀はそこに漬け込むような事が出来なかったの?
>>619=
>>620=
>>623=
>>624=自称上級者のジサクジエ〜ン
そもそも蜀IFスレなんだから、このスレの内容が無意味だと思うなら
ほかのスレか板に行けばよい。
粘着し続けているところが、いかにも頭悪すぎw
>>627 曹操は袁紹や劉表とちがって、自分の後継者をしっかり育て、アピールしていた。
明確に操ひを後継者に指名し、彼を211年に副丞相に任命。
曹操に何十人子供がいたのかは知らんけど、三国・戦国時代にありがちなお家騒動や家臣団の分裂はほとんどなかった。
630 :
無名武将@お腹せっぷく :04/12/21 08:28:20
どの程度の人材が居たら蜀が統一できたのだろうか?
―という問いに対して思うにはずばり韓信しかいない。
孔明、実は天下三分の計までしかコンセプトを持ちえていない。
証拠、そこから先の彼は戦場に行ったりして、得意の弁舌やらも冴えない。
相手の動揺を誘ったり、流言飛語も用いず大国と戦争ばかり。
ゲームの三国志でもそうだが、ぐうのねもでない大国を崩すには
結局、内部の派閥争いを助長させるしかない。
徐庶などは旧友なのだから内応も出来たはず。
あるいはシバイの野心を見抜いて内乱を早める事も出来たはず。
その点で実は孔明のでしゃばりすぎもあると言える。
軍事やら何やらと他人になかなか任せない。
それでいて他人の失敗は厳しく責める。
これでは項羽の下にいるのと同じ。
劉邦よろしく劉備の幕僚が従わないのは目に見えている。
劉備のために命を惜しまない人材は沢山居たに違いない。
ひょっとすれば人材が居なかったのではなく
命を賭して戦える君主劉備の死こそが蜀の終わりを告げていたのだと思う。
支離滅裂なレスだが釣り乙と言ってみる。
>>630は初心者
韓信とか言ってんの
もう見てらんない
通なら郭侃
これだね
郭子儀の子孫とか言っちゃって最強のモンゴル騎馬隊を率いて向かうところ敵無し
中国みたいなせせまこいところで天下三分とか言ってる奴らなをか目じゃないね
寡兵で大群を相手に戦うことに長けた武将といえば、やっぱカエサルだな。
彼と、大秦国の重装歩兵が10個軍団(64000人)ほどいれば魏軍も何とかなる。間違いない。
正直三国志の時代においてすら、カエサルは伝が経つかどうかギリギリの人物。
だいたい重装歩兵が10個軍団(64000人)て頭悪すぎ。
三国志の時代の人物だけ異様に突出して考える人間はどうにかならんかね
三国志より漢楚最強厨のほうが手に負えないくらい盲目的
そういう事じゃなくて、カエサルが三国時代に生まれてれば
英雄?になった可能性は高いと思うけど
ローマのカエサルを連れてきても、ローマは中国に比べると
政治的に大分見劣りするから、いまいち役に立たないと思っただけ。
>>635-636 三戦板とはいえ、たしかにな。
韓信が無敗だったとか信じてる人間もいるし……
つーかそもそも誇張こそ中国文化の真髄
これまた紋切り型な発言を‥
日本人の方が強い
>64000人も居たら蜀全軍より多いっての
・・・・・・。
蜀滅亡時、戸籍によると将兵十万二千だったらしいから一応は蜀全軍の方が多い。
まああくまで戸籍上の話だけどね。
いけね‥52000じゃなくて十万二千だったっけ‥
そうだ、蜀の人が神様だったら!
ウクレレを弾く
>>637 政治的に見劣り?
どこが劣っているかためしに言ってみな。
三国の国力差ってどれくらい?
魏:呉:蜀=10:3:1くらい?
>>650 何もかも格が違いすぎて話しにならないかと‥
ローマの全軍でも、戦国の六国と比べてさえ見劣る
人民の生産性も段違い。
スレ違いだからこれ以上は辞めた方がいいと思うが、一言。
政治的成熟度なら中国より圧倒的にローマ(ヨーロッパではない)
法律の成立と施行をみればそれがわかる。
よく、「秦こそ世界最初の帝国」とか言う人もいるけど、なんだってなんでもかんでも
中国こそ一番としなければならないのだろう。
652はおそらく史実でも関羽は青龍偃月刀を使い、
兵卒ですら精錬された剣や戟を持ってると思ってるんです
許してあげてください
>>655 官僚機構は中華も負けては無いと思うぞ
汚職の仕方とか。
で、国力差はどれくらいなんですか?
中国の最大の弱点は、話にもならないぐらい弱い兵卒。
対外戦争負けっぱなしが現実・・・ローマとなんて戦いにもならない。
>>659 ローマ軍は少数精鋭。徹底した訓練、堅固な陣地構築、充実した補給で勝ってたようだ。
長大な国境線を守備するのに効率的な戦略。
>>660 唐代の連弩兵は強かったらしいね
1分間で15発撃てたとか。
で、蜀は…
>>661 「ローマ軍は兵站で勝つ」とまで言われた組織的に優れた軍隊ですからね。
官軍の兵ですら略奪に奔る中国とはえらい違い。
>>659 「良い鉄は釘にせず。良い人は兵にせず」でしたか。
しかしヨーロッパがなんと言おうと、世界の中心は中国
産業革命まではな
世界の中心なんてなかったし
>>663 は?産業革命以前の通信・移動・流通に恐ろしく時間がかかる時代には、
世界を一体の物として把握できないので「世界の中心」なんて概念じたい存在しませんよ?
そう主張するものがいても、例えば中華諸王朝もローマ帝国もイスラム諸国も、
実態はそれぞれの地域の中心というだけのことで、世界の中心とは言いがたいし、
優劣なんてつけられない。
あえて言うなら、それらの地域全てを侵略しその一部を占領し甚大な影響を与えた、
モンゴル帝国だけは世界の中心と言えたかも知れませんがね。
>>663 イスラムじゃねえか?
西にヨーロッパ、東にアジア、南にアフリカと地理上でもある意味世界の中心だったし。
>>666 確かに考えようによっては、イスラム諸国全体を考えれば、
ヨーロッパの一部を侵し、中国(唐)と渡り合い、
インド・アフリカにも進出したイスラムこそ、
世界の中心という概念に近いとはいえると思います。
最も近かったのは前述の通りモンゴル帝国(分裂後はモンゴル諸国)だと思いますが。
こちらはその期間が短いからなあ。
668 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/22 05:39:20
政治の中心はなくても経済・物流の中心はありそうだな
ペルシャ辺りかな?
文化、科学の中心は中国のような気がする
理由?
紙。
科学、学問だったらギリシャ、ペルシャ、イスラムだろう。
紙がもっとも優れた記録媒体だというのは事実でありその点を中国が誇るのは正しい
が、だからといってそれで他の面でもすべて優越するとは言えないだろ。
少なくとも古代に於いては、世界の流通の
中心は西アジアだと言える。まず、青銅器
時代の開始が西アジアで前36世紀頃。中国
では前16世紀頃。鉄器時代の開始が西ア
ジアでは前14世紀。中国では前7世紀。
ちなみに青銅器時代の開始は西アジアに
エジプト、ギリシア等が次ぎ、西アジアに
近い所から文化が漸進的に伝播していった事
がわかる(西アジアに中国より近い北アジア
や南ロシアは青銅器時代の開始が前二千年紀
で中国よりかなり早い)これは世界地図を
俯瞰すれば容易に理解出来るが西アジアは東西交易路の交差点に位置する
672 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/22 07:34:22
曹操個人に限って言えば戦術的才能は相当のものだし、機動戦が身上だから、
鈍重な重装歩兵は鼻面引き回されて余裕で負けるだろうな。
政治的成熟度は比較にならないけど。
三国時代にイスラムは無い
>>670 >紙がもっとも優れた記録媒体
だからこそ中国が最も優れてるとも言えるな
過去のことなんて記録からはかるしかないのだから
歴史を研究するなら羊皮紙でも何の問題もないぞ。
民主主義に近い方が政治成熟度が高いと考えるのはいかがなものか
それにしてもずっと中国マンセーしてるのは釣りか?リアルチャイナか?
おい!邪馬台国が最強だろうが!
カエサルのガリアと中国では戦場の形態が違う。
様々な地形に対応できた曹操と、土地勘が一様なカエサル。
戦場への対応力と戦場選びでは曹操が上だろう。
だが、一度戦場で合間見えたなら…
カエサルの展開能力ととめどない補給能力の前に…とは思う。
よし、そこで屯田兵だ
365じゃねぇっす。HNは誤爆。
三戦板に居るくせに、中国政治の歩みを何も分かっていない
ローマ厨が居るね。
カエサルが蜀に来ても
中国語がしゃべれないので役に立たない
それが、結論だな
では、そもそもこのスレの存在意義がなくなりますな。
言語問題でいったら、同じ中国ですら時代によって変化しているのだから
(地域方言にいたってはどれほどか)
この流れでマジレスするのもなんだが
方言などと外国語を同列に並べてしゃべれないと考えるのはやめたほうがいいぞ
中国語は方言って言うか、河北と江南では話が全く通じないからな。
結局、北京官話なんて作ったわけで。
さらに、少数民族が独自に言葉持ってたりするから、ちゃんと調べたらインド(公用語21語)よりひどいと思われ。
っていうか、話を中華に戻せ。
つまるところ、どうすれば魏を倒せるの?
そしてそれは蜀漢に可能なの?
>>689 限りなく反則に近い形で反三国志がやってるから、無理ではないと思われ。
っていうか、反三国志でいいじゃん
反三国志というと、
関羽や張飛と、おまえら生まれたのは諸葛亮死後じゃなかったか?という将たちが
一緒になって戦うお話ですか。
しかも、司馬懿は地雷で爆死だ
諸葛亮をコントロールする立場の人間が居れば余裕で統一可能。
>>668 成文法も官僚機構も中国が最初だけどな。
>>662 三戦板の住人とは思えん低レベルな思い込み乙
ローマ軍じゃ韓、燕といい勝負だね
兵力、武装、軍隊組織、ローマは勝るところが無い。
>>694 わるいことは言わないから、中国以外にも目をむけてみろ。
きっと知識と認識が拡がって、中国史がさらに面白くなるから。な?
「中国より他が優れていた」と言っている人たちは、別に中国は低レベルなんて
言ってないのに、なんだって、この人たちは「中国以外は低レベル」と主張する
んでしょうね。
なぁ、蜀漢の話してるのに何で中国以外に目を向けなきゃいけないんだ?
スレ違いはちょっとわきまえて廃棄スレ使って続きやってろよ。
第12回中原方面でなく、西や南に版図を広げることは可能だったのか会議
いや、それでも大秦行く前にいろいろあるだろ。
699 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/23 08:26:52
玉門関から出ていく兵力などない
仮に西や南に版図を広げることができたとしても、
そこを円滑に統治できる人材が蜀にはいない。
南蛮でもあれだけ苦労してるわけだし。
702 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/23 08:41:49
法正と、あの南蛮の頭脳、にこちゃん大王が存命なら勝てた。
>>701 つっこむなら、漏れじゃなくて、
>>697だろ?
それに、スレタイの「どの程度の人材がいたら」って、
お前も人材挙げてないじゃん。
人材がいたらスレで人材がいないを結論に持ってくるのは嫌がらせですか?
>第12回中原方面でなく、西や南に版図を広げることは可能だったのか会議
これにくるまでの流れに、人材の有無がからんでるとはおもいませんが?
つまり、これについて議論すること自体がスレ違いだと思っているわけ。
人材の話をするのであれば、異論はないし、
そうなるべきだと思ってる。
>人材がいたらスレで人材がいないを結論に持ってくる
それをされたのがいやなら、「だれそれがいれば可能だ」
みたいな返しをすればいいだけ。
それをしない時点で、お前にもいい人材が浮かんでないわけだし、
それなら、口を突っ込むな。
ま、これ以上いっても、ますますスレ違いになるので
これくらいにしておくが。
考えなしの発言を、屁理屈と強弁で乗り切ろうとする人材はいらないなぁ
ビネガーがいたら
>>703 だから、カエサルクラスの人材がいたら何とか・・・って話になってたでしょ?
そうしたら、中国マンセーな人たちが、
いきなり、中国は最高だから云々と言い出して訳が分からなくなっただけだ。
>>680 カエサルの戦歴をなめ過ぎ、
ガリアの森林地帯で、ブリテン島でイタリア半島でギリシャで中近東でエジプトでチュニジアで
彼は勝利している。土地勘が一様とは片腹痛い。
むしろ、赤壁で風土の違いから手痛い一撃を食らった曹操の方が、その不安は高いのでは?
普通に考えて、カエサルが当時の軍制の中で力を発揮できるとは思えないんだが。
その土地や人や社会に合った戦略戦術が発達するわけで、全く違う環境で成果を上げた人を連れてきても結果はついてこないんじゃない?
応用が利く人材か応用が利かない人材かって話だと思うが
ホントに仕事がえきる人間は畑違いの職場に行ってもそれなりに働ける
っていうか、「赤壁で手痛い一撃」とか言ってる時点で底が見えた感じ
あれは、戦線がのびすぎたから引き上げる契機にしたわけで。
失った艦船も元劉表麾下の物だし。曹操軍団幹部の人的損害は全くなかったし。
荊州のキモである襄陽は押さえてるし。戦略的にも問題はなかった。
しかも、とって返してから[業β]で大規模土木工事を行うぐらいで、政治的にも曹操は全くダメージを受けていない。
その程度の事も知らずになにを得意げに言ってるんだか。
>>711 自分、Windows良く知ってる人をMacの前つれてきて「同じようなモン」とか言ってトラブルシュートさせるタイプだろ?
>>712 しかし、勝てばそのまま統一も出来ただろう?
>>710 だから、カエサルそのものではなくそれ並みの人物ならって話だよ。
>>711 政略や戦略の基本は、相手の心を読む事。
同じ文化圏にあって、地縁や縁故を使った情報+新鮮な情報を持っていて、周辺の人間関係にも明るく、部下の人間関係や地縁なんかにも詳しくなくてはいけない。
ゲームのように何か命令したら素直に従ってくれるわけでもない。
文化圏が違えば、自ずと考え方も変わるわけで相手の行動が読み切れるわけでもない。
日本人が韓国人の行動を予測しても、その斜め上を行くような信じられない行動を取られて驚く事が多々あるじゃないか。
>>713 似てるようで違う話を持ち出す詭弁のタイプ
>>713 状況に対して的確な判断ができる人間と経験による熟練を自分の才能と勘違いする馬鹿の違い
>>714 >しかし、勝てばそのまま統一も出来ただろう?
無理。補給が保たないから。
あの時の曹操軍は劉表没後に下る事になった荊州を支配下に置くための軍で、揚州軍を叩くための軍じゃなかった。
軍の行動期間の予測もその程度だったから、当然兵糧の備蓄や用意もそれほどあるわけじゃない。
今の米軍だって、数千人単位の軍を動かすには3ヶ月から6ヶ月の準備期間は最低限必要なんだぞ。
しかも、行動予測期間を越えての戦闘になったから、前線での物資不足が深刻になった。
簡単に考えすぎだよ。
>>718 それが本当なら、本来の敵ではなかった孫権まで敵としてしまい、
一部戦火を交えたこと事態が曹操の失態だわな。
>>718 というか、赤壁の戦略的意義についてはそれほど意味はないのよ。
カエサルの土地勘が一様だなどというのは、
事実誤認も甚だしいということが言いたいだけで。
>>720 しかし、国力に圧倒的な差があるのは事実だから、
それを覆すには世界史上の超有名人をもってこないとどうにもならないでしょう。
普通に考えれば、他にはアレキサンダーとかチンギス・ハンとかチムールあたりが上がるか?
もちろん、
>>722のは本人ではなくそれに匹敵するほどの人材ってことね。
本人連れてきても言葉が通じないとか言われても困る。
>>719 揚州閥に関しては、影響力の大きかった周瑜が主戦派だったから時間の問題ってだけで、政治的な影響は軽微だったんじゃないかと。
襄陽も手に入ったし、やっかいな荊州豪族の蔡・張の二氏もどさくさに紛れて始末できたし、トータルで見ればプラスだね。
あの時点で、揚州閥と一戦交えたのは曹操閥的にはちょっと誤算ではあっても「失態」と呼べるほど問題になるほどの事じゃなかったんじゃないかと。
実際、問題になってないし。合肥はあったけど、問題なく撃退した上に武の重鎮・太史慈を陣没させてるし。
広陵や江夏のいきさつもあるから、出てくるのは多少予想していたかもね。
そのあとの、劉備閥の伸張とかを考えると「失態」だけど、それは結果論。
>>721 カエサルの評価者が戦略音痴であって、評価ポイントに疑問がある事を証明したいだけだから。
自分から持ち出した赤壁の戦いの戦略的意義が演義の受け売りな時点でかなり、怪しいなぁ、と。
>>725 ああそう、だがね、そんなことを言う前に、
カエサルの戦歴が地中海世界全域に及んでいるという単純な事実を見るだけで、
カエサルが極めて多様な地域に対応できたことは簡単に確認できると思うが。
>>722 中国史だけなら問題なかったのよ
世界史板とかでもしょっちゅう争いになってないか?
>>727 中国史限定の人物のみではちょっときつくないかい?
>>726 オリエントは広いけど交流があってある程度の文化的な共通基盤はあったでしょ。
当時としては全く直接交流の無かった中華帝国まで同列にするのはおかしいよ。
730 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/23 12:18:36
つうか誰をもってきても無理って言う話だろw
内政については相当よくやった孔明だから、あと少数で桟道や隘路を通って関中、さらに中原へと
持久戦指向の魏軍を連戦連勝していけるだけの軍事的天才がいるということで。
別に中国史限定でもいくらでもいるけど、そいつらが束になっても難しかったということでいい?
>>729 いや、もともとこちらが批判したのは、
>>680だから。
別にカエサル本人が中国の気候風土文化にそのまま対応できるとは言っていない。
曹操は多様な地形に対応できるがカエサルは無理、というのは、
その前提からして大間違いだといっているだけ。
>>730 >持久戦指向の魏軍を連戦連勝していけるだけの軍事的天才
こういうのを探そうとすると、
どうしても世界史レベルの超有名人になりやすいって話。
中国限定なら誰がいる?
有名どころだと岳飛とかか?
>>732 前スレより
取りあえず後詰めに孟[王共]、郭子義
都督に左宗トウ、彼の補佐に劉基
先鋒に楽毅、李秀成
ゲリラ戦用に劉永福、文天祥
総大将に蘭陵王(皇族だと仮定して)
本国には
簫何、高ケイ、脱脱
劉禅の教育係に孫武
こんくらいの布陣で安心して望みたい
>>694 成文法も官僚機構もシュメールが最初だぞ・・・
>>731 万能な人間よりも、人使いが上手い人間が天下を取るからね。
曹操やカエサルが多様な地形に対応できても身は一つな分けで、全部が全部対応できる分けじゃない。
ここで論じなきゃ行けないのは、総司令官じゃなくて手足になる人材じゃなかろうか?
>>732 岳飛は政略眼が乏しいから、曹操のような政略に強い人間の下だと力を発揮するだろうね。
韓世忠とかも活躍できそう。宗弼もいいね。
人間関係別とすれば
あとは、唐太祖武帝とか・・・
736 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/23 12:42:54
岳飛は人気だけだから・・・。個人的武勇じゃなくて、あくまで戦術的天才が必要。
唐太祖武帝って誰?
李淵でしょ
太祖なんだから
>>736 宋朝弱兵と言われた兵で宗沢の統御の下、金の勢いを止めて杭州で完顔宗弼をさんざんに打ち破り、
一時は河南の地を和約で取り替えす事ができたほどの武功があるんだが・・・
抗金の名将が束になって突っかかってたのが、完顔宗弼だったという罠。
>>737 初代が高祖、二代目が太祖
>>738 ああ、そうだった。
そうなると李世民か……駄目とは言えないが、一流ではないな。結構負けてるし、なにより高麗も倒せなかったし
自分の言い様に史実を歪曲させる奴は諸葛亮とは合いそうにないしな
>宋朝弱兵と言われた兵で宗沢の統御の下、金の勢いを止めて杭州で完顔宗弼をさんざんに打ち破り、
それは宗沢の功だと思うが
しかし宗弼は名将だな。岳飛と韓世忠と張俊を纏めて相手にしたんだから
>>738 普通2代目は太「宗」だと思ったが違ったかな?
>>739 宗沢は自ら出陣した最後の決戦で陣没してるから。
戦略・政略の人だし、前線指揮は実質岳飛に任されてたからね。
「武」の実績としては、岳飛に譲ると思った。
抗金の名将を見いだした功績は宗沢のもっとも輝かしい物だけど。
もっと彼に思い切りがあれば、河南奪還はなったんじゃないかな。
>>740 そうだったかも、記憶違いなら申し訳ない
じゃあ太祖って誰やねん?
……高祖って劉邦だけじゃなかったか?
太祖 初代
大宗 二代
李世民です・・・
ここまで来て朱元璋さえいれば万事オッケーな気がしてきた
まぁ、返す刀で蜀も滅ぼされるんだろうけど
>>741 >抗金の名将を見いだした功績は宗沢のもっとも輝かしい物だけど
だな。
そして岳飛は孟[王共]を見いだすと
>>743 祖が入ってれば初代で高祖は劉邦だけだと思った。
世祖フビライがいる>祖が入ってる公邸
>しかし宗弼は名将だな。岳飛と韓世忠と張俊を纏めて相手にしたんだから
名将というのは同意だが後半は疑問だ。
あの三者はほとんど共同戦線を張ってない。単独でそれぞれガチンコ勝負してるだけで、
総じて宋軍と人括りにされてるだけだぞ?
纏めて相手ってのは語弊があると思うが。
チャンピオン防衛戦みたいだな>宗弼
挑戦者岳飛・韓世忠・張俊を何度も何度も叩き伏せていく(叩き伏せられたりもするが)
>>733でちょっと違和感感じたのが、元に早々に捕らえられた文天祥が入ってることなんだが。
前スレ知らないんで、いきさつきぼんぬ。
違う国や違う時代の人を持ってきても分からん。
陸遜ぐらいの奴と、張遼ぐらいの奴半ダースと、あと、
>>751 曹操1ダース
まあそれは冗談としても、蜀側で人材集めるより
司馬懿を懐柔して裏切らせるとかのが有効な気がするんですが
>>750 能力の他に忠誠を評価したから
あとしつこいし
>>753 なるほど。
でも、あの人文官だよ。
後方で司令官の秘書やってる方が本人も幸せなんじゃないかな。
いや、文官としての能力はちょっと疑問な人だし
卍もうドイツ機甲軍とか連れて来ちゃえばいいじゃん卍
>>755 ぶっちゃけちゃうと、試験秀才だからねぇ
劣化三成みたいな人>文天祥
自分の理想だけしか見てない感じ
文天祥は張世傑と入れ替えてもいいかもしれないね。
「しつこい」と「忠誠」もなかなかの物だし。
涯山までがんばれたのは彼のおかげでもあるわけで。
しかし海軍司令を蜀の様な地に持ってきて果たして意味があるのか?
高祖李淵、太宗李世民だろw
まあどうでもいいけど。
李世民の場合は、純粋に戦術、用兵の天才というわけではないからなあ。
人使いの天才であって、それなりの人材がいないと苦しい。
まあ李世民が劉備の立場だったらどうなっていたかというのは興味深いが、そもそも追い込まれた末に
蜀建国っていうプロセスにはそもそもなっていなかったんじゃないか。
張世傑は陸軍じゃなかったか?南宋がアホだから水軍の司令をやらせた訳で
>>761 人使いといっても魏徴の例もあるし、李世民はどちらかというと気分屋な面がかいま見えるなぁ……
正直、人使いが上手いのは李淵の方だと思う
>>763 アホというか、江南地域は長江支流の川が多いから船が扱えないと軍の移動すらできないという……
最後は船団を組んで大陸脱出をするわけで。
張世傑が海軍司令なら劉師勇の立場がない
まぁあれだ。総じて、
蜀を勝たすにはかつての阪神を優勝させる位のてこ入れが必要だ。と。
>>766 それじゃリーグ優勝(漢中占領)までしかできないよ
蜀の武将が全員美女だったら
769 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/23 20:09:41
荊州閥で用兵の上手い奴が残ってれば良かったんじゃないかね。
(魏延除く)
あるいは蒋宛があと10年くらい長生きするか。
770 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/23 20:13:16
むしろ周辺国から無理攻めで殺到されて蜀3年でアボーソ
張遼が蜀に居たら大きく歴史が変わってただろうな。
子沢山だったら
劉備→子供360人→孫129600
全将兵より多いなw
蜀、速効魏に降る。
条件として劉家の娘を魏の皇帝の嫁にしろ。
時期皇帝になって実質半分占領
平和的統合と言っても所詮頭下げるわけなんだから……
宋における後唐の李イクみたくなるのがオチ
現在海外で活動している農業支援NGOを1万人単位で送り生産力を激増させる。
紀元200年代の技術と現在の技術を比べれば土地生産性を10倍くらいにできるだろう。
その食料を武器に武装勢力を全部国軍に組入れる。
寒冷地に強い稲を北伐にもっていく事で屯田も成功。
後は、武器加工の技術を教えられる刀匠を100人単位で送れば武装も強化できるだろう。
その位の事をすればきっと天下を取れる。
収穫を10倍にできる新しい農耕技術は、敵側の領主を引き込む餌にもなるしな。
やっぱ、突出した少数より、当時ない技術を持った集団の方がずっと強そうだ。
農業支援はイイ案だけど、金属の加工技術は昔の方が上ですぞ。
蜀がスイカの名産地だったら
>>777 そうかな? 昔っていっても三国時代だと当時の人の知らない技術っていっぱいあるんじゃない?
現代にも伝わる踏鞴製鉄とかの技術でも。
火薬の製法と、大砲の鋳造技術を伝授すればイッパツです
炭素菌でよろ
>>777 三国の頃の製鉄技術や鍛造技術なんて下の下だぞ
どうせ日本刀はよく斬れるのにそれに比べると今の刃物は切れない
昔の技術の方が優れてるんだとか思ってるタイプの馬鹿だろ
じゃあクリスタルソードとかエクスカリバーとかを作れたら!
火薬が使えたら最強だったろうな。
蜀でいえば、三千の名刀をしつらえた蒲元がいるんだけどな
>>786 その時代の名刀というだけで現代、というか後世の技術より優れてる理由にはならんがな
突出した技術・兵器で大陸を席巻した民族なんて一つも無いんだけどな…。
つうかなんで現代の科学力や技術力をもちだす必要があるんだ?
なんか
>>776あたりからおかしな流れになったみたいだけど。
>>788 そりゃ作った本人も使い方が下手糞だったからだと。
大体新技術で作られた兵器をいきなり使いこなせる奴も居ないし。
そうこうしている内に真似られて拮抗すると。
グレイの力を借りたら余裕
回回砲
技術系となると、こーゆー話がある、某サイトより
これは支那にも言えるの。三世紀半ばに三国の魏で野辺送りの集団が襲撃された事件があってね。盗賊団が強奪しようとしていたのが、なんとお棺に打ち付けられた
鉄の釘だったの。後漢後期からの分裂と戦乱による生産の減少、それと反比例する鉄製兵器の需要と濫費の増加、それを補うべき技術改良の立ち遅れ。そんな諸要因
が重なり合って、どうしようもなく鉄が払底していたわ。特に華北(支那の北半分)じゃ禿山ばかりになっててね、北と較べると人口と生産力に差があった南の政権
の呉と蜀が成立できたのもそのおかげ。なにせ犯罪者につける首かせや足かせまで鉄製じゃなくて木製に代わっていたっていうくらいだから徹底したものよ。
「後漢後期から三国時代、ほんのわずかな統一期間の晋をはさんでまた戦乱と分裂の五胡十六国時代から南北朝。都合400年間に渡って支那が統一されなかった
理由の一つは、大量の鉄を保有するだけの強力な政権が存在しなかったからなの」
「ふーん、そんな見方もあるんだ。でも三国志の小説とかじゃぜんぜん触れられていないわよ?」
「歴史学と歴史小説は似て非なるものだもの。『曹操が劉備と孫権に勝ちきることができなかったのは木が足りなかったからですー、てへっ☆』じゃ、よっぽど能力
のある作家じゃない限りただのギャグ小説になっちゃうでしょ」
」
嘘つきだな
中国では三国時代には鉄がすでに普及していたために鉄の保有量は
天下統一のための大きな武器にはならなかっただけの話
たたら製鐵が始まったばかりの日本じゃあるまいし、紀元後の大陸で鉄が国力の決め手ってもう馬鹿かとアホかと
>>788 第2次大戦におけるドイツなどは、わりとそれに近い
人口を変えずに国力格差を埋める方法論は、生産の効率化しかなく
それを画期的に行い5〜10倍の人口差を埋めるとしたら、世紀単位でかけ離れた
技術の導入が必要だろうという事で書いたんだけどね。
そもそも不可能な事を実現させるなら、ありえない想定が必要になるから。
で、海外の農業支援をしている連中だと、相手方の根本的な農業知識が欠けていても
それに優しく教えられるだろうし。言葉の壁を何とか乗り越える方法論も知ってるだ
ろうってんで。
その時代に普及させて根付かせる事も可能な範囲で、現代から持ち込めそうな技術を
持ち込むならこれだろうって事を言っただけ。
これができたならきっと統一できた可能性が高いが、そもそもできないわな。
でどんな天才が1人居ても同様なことはできないだろうし。
>>794 鉄云々ではなく、エネルギーの問題では?
人類が手にしたエネルギー源は石炭以前では木を燃やす以外になく。ローマや漢などの
古代帝国が衰退していった原因の一つとして、巨大になりすぎた国家がエネルギー消費量
を増大させ、それが森林の衰退→エネルギー不足となり社会を支えることができなくなった
とする学説は実際にある。モアイで有名なイースター島の文明が滅んだのも、森林伐採による
エネルギー減少とされる。
実際に中国では、3世紀以降、乾燥化と森林減少が続いて現在にいたっている。
>>797 華北から華南への遷移もそのせいだと言う説もあるしな
関中なんか、漢代の後期には沃土だった土地がしおしおになって
もうダメポになったらしいしな。
中東にもそういう事例はあるな。今のイラン、イラクあたり。
で、何の話してるんだっけ。
農業生産を5倍にして人口を4倍に増やし
兵力40万をもって魏に挑む話?
40マソいたら進軍路が詰まりそうだなw
大軍を養える国力があったとしても
蜀の隘路はドンナニ頑張ったってその運用が。。。
やっぱり江陵必須じゃぁ
船で下ればいいじゃない
>>802 詰まるし、補給部隊も通れない。
つまり蜀は国力面だけでなく、地理的にも大軍で攻め込むことは不可能なのか。
ここはやはりローマ軍を連れて来て道路建設のノウハウを(ry
ローマ人でも蜀の桟道だけはどうにもならんかも、
と想像してみる
ローマ人は、谷の間に石の橋をかけているぜ。
トライアヌスのガリア遠征には、ドナウ川にやはり石製の橋を
架けている。蜀の桟道をもっと丈夫なものにするくらいは出来たのでは
ローマ厨ウザイってのよく分かるよ
船で下って上陽の襄陽?
帰りはどうするんですか。旦那>804
上庸→襄陽
ばしょくが失敗せずに孔明の計画通りに西安を取れていたらどうなった?
>>809 必死こいて漕ぎまくるのですよ軍曹殿。
>>807ローマ厨うざい
その程度の建造物は、戦国、漢の時期にボコボコ造られてるってのに‥
知識が無いなら世界史板から遠征してくるな、無能。
上官殿。本官の記憶では、
中国の船にはカッターのような「大勢で漕いで河を上る」という機構は無いであります!
また、長江では季節風が吹くと言うので、風が変わるまで変えれないのではないかと思うのでありますが!?
な、なんだってー!!(aa略
蒋エンの奴が、船造って〜〜とか言ってたから
てっきり、水夫が漕げば溯上出来ると思ってたぞ‥
よし。 我軍が負けるワケは無いが、負けたら帰りは歩きだ。
手漕ぎ船はあったと思うが。
三才図絵とかにも載ってるんじゃなかったっけ?
817 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/25 23:12:19
めんどくさいから桟道でた所に城建ててそこに兵を住ましとけばいい
あっという間に張合βとかに攻め落とされそう…
城を建てた後、そこを橋頭堡としてさらなる攻勢に出る作戦計画がなければ意味ないよ。
黄忠が斬ってくれますよ。
呉と結んで長安だろうなー
バショクじゃなくてカンウだったら入京できただろうね。
だけど蜀が長安を取ればまた呉がケイシュウの時みたいに
ほっとかないだろうから誰かがまた犠牲になるだろうね。
やっぱカンウがしんだのがかなり痛かっただろうな。。
関羽がもっと孔明の言うこと聞いていればなあ。
関羽の量産の暁には!
関羽Aが現れた!
関羽Bが現れた!
関羽Cが現れた!
関羽Dが現れた!
関羽Eが現れた!
曹操「げえっ!関羽!!」
魏にも名将と思われていた関羽がせめて一人二人同レベルの将を育ててくれてたらなぁ。
関羽に人を育てるのは無理なんかなぁ。
関興が四つ子くらいで全員有能だったら
826 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 03:57:10
荊州維持も出来なかったカンヌなんて
いないほうがいい。事実上、諸葛亮の
天下三分もこいつのせいで台なしになった
わけだし。むしろカンヌがいなければ天下が
とれた。
張飛:酒飲んでアポーン
趙雲:命令が無いからアポーン
馬超:関羽の二の舞いアポーン
魏延:関羽よりもカリスマ足りず同じ行動でアポーン
黄忠:武威が足りずにアポーン
>>826 あのままの陣容から単純に関羽抜いたら荊州維持を誰がしていたかというもんだが
益州攻めの人員から割いたらそれだけ益州平定が難航するし、漢中攻めにも支障が
でるんじゃないか?
北上が良かったどうかはさておき、名将と名高い曹仁や呂蒙がいた荊州の守りを
果たしていたなら大したものじゃないの。
829 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 04:27:32
趙雲は意外といけたかもな。
830 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 04:51:09
>828
最後まで荊州維持出来たらすげいと思うけど
なんだかんだ言っても荊州失った時点で
劉備の天下統一はほとんど不可能になった
わけだから、カンヌはA級戦犯でしょ
まあ誰なら維持出来るかというと解らないが
何しろ益州獲得前の劉備に信頼出来る武将
自体少ないからなあ
831 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 07:29:33
趙雲は男盛りだし漢中戦後すぐに荊州に駆けつけて関羽の補佐をさせるのは有力だと
思うんだが。ただ、趙雲って正史ではあんまり単独の武勇以外の能力がよくわからんの
がなあ・・・。果たして関羽が言うことを聞くのかどうか、或いは 糜芳、博士仁の裏切りを
防ぐ事が出来るか・・・?
かといって馬超はだめ、あとは張飛か。だがいずれにせよ漢中戦と同レベルの戦略シフト
を引くための軍師の存在が必要だが、法正は死ぬし、蜀人脈はまだ簡単には動かせない
んだろう。孔明には臨機応変の才はなさそうだし。結局軍師がいない以上、関羽の北上戦
自体が困難だったという結論にしかならない。
あとは、責任の所在として関羽の単独計画なのか、劉備や首脳部の計画なのかということ
か。
>>831 趙雲の将帥としての能力は未知数だけど、魏側の評価だと、
「蜀に名将は関羽一人」との事なので威名の効果は望めないだろう。
まず関羽は劉備以外の言う事は聞かないと思われる。
糜芳、博士仁は上司が関羽でさえなければ裏切らない。
関羽の首切り宣言が怖くて裏切ったのだから。
北伐に関しては関羽の独断だと思う。
関羽自身が「この出兵は誤りだった、ワシは今年に耄碌してしまった」
と言っており、さらに、孟達や劉封が関羽を見捨てている。
もしも北伐が上からの指示であるなら、上庸組が関羽を支援しないのはおかしい。
魏と呉が一体となって攻め込んでくるというかつてない非常事態に対して、
カンヌの力を過信してなんら救援策を取らなかった孔明はじめ首脳部の責任じゃないのか。
呉の侵攻が迅速すぎただけでしょう。
まあ、呉のそういう動きを察知出来なかったことについては責任もあると思うが。
糜芳、博士仁の代わりに趙雲を配置する
やっぱり関羽の単独行動か。
あの時、益州側と連動していればあるいは・・・って芽はあった??
もう少し面白くなったんじゃないかって言う気はするけど。
しかし無理もないとは言え
夏候淵や曹仁クラスの将帥がいなかったのが痛い。
そもそも曹操の死か何かで魏が混乱したときに、益州・荊州の二方面作戦を
展開して、ついでに呉にも出兵要請をするのが天下三分の計のはずだが。
正直、荊州を返していたらどうなっていたのだろうか?後年蜀と呉で天下を二分しましょう
という密約を交わしたなんて話を聞いたことがあるが、あれは本当の話かな?
荊州には単純に勇名で選出して、張飛か曹操の嫌いな馬超あたりを置きたいところ。
ただ馬超は西羌の抑えでもあるし、むしろ呉が近すぎるから危ない。
張飛の前科は若い頃の話だから意外と関羽より張飛の方が良かったかもな。
最初から警戒しておけるという意味でもw
関羽の気質を知った上でのあの人事自体がまずい。
とにかく蜀は国力のせいか武威があって信用のおける将や、
軍師が少なすぎるのがな…せめて徐庶を魏にやっておらず
ホウ徳が蜀に降り、法正が長生きしてればちょっとは違ったかも。
このあとものすごい勢いで日没に向かうのが魅力な訳だが。
劉備三兄弟は離れ離れにしたらあかんのだよ。
趙雲の役割は劉備の親衛隊長じゃなかったかな?
荊州の守備は荊州人にやらせるのがベストなのだろうが…
もと劉表陣営の人たちの多くが曹操に降ってしまったからなあ。
彼らが劉備に仕えていたら、荊州の守備は何とかなったかもしれない。
徐盛とかその位の人材が居れば荊州の防衛も容易だったと思うけどな。
いくら関羽の武名が轟いていたとは言えすでに老人だし。姜維クラスでも良かったかも。
どうでもいいけど傅士仁じゃなくて士仁な
冬休みだなって思う
845 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 20:23:13
そもそも関羽は名将じゃない。
そんな人材を荊州に据えなければいけなかった点が失敗の始まり。
846 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 21:13:40
>>842、
>>845 魏を震撼させ許都の遷都を考えるほどだから、野戦においては抜群の人物といえる。
ただ万能の人ではなく、守将や外交交渉、政治に向かず、また守将・守備兵をおけるほど
人材も兵も潤沢ではなかったということだろう。
項羽や呂布、関羽、韓信、白起というような人物について、性格や行状がどうであれ
人に優れた何かをひとつでも持っていれば「英雄」と古代中国の人は称する。
彼らは、「英雄」に「万能」であることを求めなかった。
人間の不完全さや、万能であることが同時に器の小ささにもつながることを
熟知していたから。
後世の(しかもただの童貞キモオタ光栄厨)が、結果論で「すでに老人だし」
「関羽は名将じゃない」というのは簡単だが、そんな奴らに非難される英雄たちは
不愉快だろう。
荊州陥落は、関羽にも責任の一端があるとはいえ、だからといって関羽の英雄としての
資質が下がるわけではない。
英雄としてどうかは人それぞれだろうが、政治というか外交というか、
組織の上に立つ人間としては失格だったことはなによりも関羽自身が
さらけだしてしまっている。
ここでも、関羽を英雄としてどうかなんて重視していない。ただ、軍
司令官として統治者として失敗したと言っているだけ。
どんな英雄だろうが
千年後には酒飲み話の肴でしかないのさ
っつーか当世の宰相でも王侯でもな
849 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 21:49:49
>>848 いいまとめだなw 俺も今一杯やってるよ。
>>846 言いたいことは全く同意だよ。ただここのスレは冷徹に考えないといけないわけで、
当世第一の英雄だろうが後方を部下に裏切られてあえない最後を迎えるのみなら
ず蜀という国の将来まで失わせた事はなにより本人があの世で悔いているだろうよ。
850 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 21:53:36
君主があれじゃいくら人材がいたとこで無理。
日本でいえば後醍醐天皇の時代と一緒だな。
楠木正成、新田義貞、北畠顕家etcといった
忠臣がいたとこで君主がアホなら負ける。
851 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 21:54:44
>845
ま、結局そういう事でしょうな。もともと
名士でもなんでもなく、信頼にたる古参武将
もほとんどいなかった劉備の状況では、
所詮天下統一なんて無理だったと。
>>846 「魏を震撼させ許都の遷都を考える」じゃなくて「曹操が許都の遷都を考える」
遷都に賛成した奴なんていたか?
で樊城攻めと野戦に何の関係が?
野戦において抜群な割には李通に突破され、甘寧に足止めされ、徐晃に破られてるねえ
> 項羽や呂布、関羽、韓信、白起
関羽(呂布も)が彼らに並ぶ英雄と評価しているのはむしろ後世の人間
> 彼らは、「英雄」に「万能」であることを求めなかった。
つーか万能な英雄って誰よ?
>>852 846では無いが
関羽は当時の人物にかなり高評価を与えられているし
たしかに遷都を考える要員の一つに関羽の武威が関わる評価までもある。
というか当時はただの人程度に思われていると強弁するソースはなんだ?
あと万能な英雄って言えば
曹操が一番最初にあげられるね。
854 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/27 01:01:35
どっちにしろ荊州維持は出来なかった
この時点で愚将確定。例えれば
国民人気も米の評価も高い山本五十六が
実は駄目将軍だったって所だな
>>853 曹操は万能であろう、君子であろうと努力している点に高評価だな。
立派ではあっても真実万能でないからこそ人が付くんだろう。
856 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/27 01:19:04
蜀?地球がひっくり返っても出来ませんよ
NEETが1000人くらい居ればなんとか
858 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/27 01:24:39
蜀?
蜀より職探せ馬鹿どもwwwwwwwwwwwwwwwww
>>853 > 当時はただの人程度に思われていると強弁するソースはなんだ?
誰もそんなことは言ってない。貴方の中では韓信達より劣れば只の人なのか?
例えば顔良を斬った事や程c・劉曄らに評価された事
荊州を十年近くにわたって統治した事などは十分に考慮すべきだと思う。
だが
>>846は明らかに過大評価。そもそも勝ち戦が殆ど無い関羽が名将?
確かに曹操は多才ではあるが
徐州の虐殺や崔エンの件では人間の不完全さを垣間見せている。
861 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:04/12/27 02:46:40
おまいらゲームのし過ぎか、
単なるオタか?
>>861 崔エンや毛カイの件は冤罪であっても、
天下の為に必要な処断だと思うけど・・・曹操にとっては危険分子だし。
>>861 万能な香具師なんているわけ無いということを言いたいのなら
確かにその通りなんですが額面どおりに万能という言葉を捉えなくてもいいのではないかと思います
864 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/27 06:59:38
ここは
関羽を含め、とにかくどんな人物にも些細なキズを重箱の隅をつつくように取り上げては
ネガティブな評価しかしない自分の知識が自慢の正史厨
(ただしリアルでは負け組でニートでデブの童貞キモオタ)
と
関羽をそこそこマンセーする演義厨(素人童貞)
と
関羽をマンセーする無双厨
が激しく言い争う場所です
864はどんな評価をしても文句を言うだけなんだろうな
そこまで凄くない、適正な評価をしろってのも一番、上に当てはめるだろうし
それに対する奴は全員下二つのどちらか扱いしかしない
866 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/27 07:38:29
おまいら
>>846に釣られすぎ。
ヤシのロジックは
>>865の言うとおり。
まずはヤシ自身が関羽の当時における客観的評価を書かないといかんな。
伝説の英雄をよいしょするのはたやすいが、それで荊州が維持できれば世話は
ないわけで。
>>866 >まずはヤシ自身が関羽の当時における客観的評価を書かないといかんな。
>>846氏、書いてるでしょ?
「守備や外交は不得意だが野戦では抜群。万能じゃないけど、英雄と呼ぶにふさわしい」って。
だいたい「当時における客観的評価」って何?
それに荊州が維持できるとは全然書いてないと思われ。
>846はなんで英雄と名将を=で考えてるんだろ
両方とも意味を正確に理解していないからかと。
846では無いが
関羽の気の毒なところ
○謀略で荊州を奪われたのに、野戦でも無能扱い
○呂蒙が特別優秀であったとは言われない
○評価では無く、結果論で語られる
○武威によっての抑止力は無視される傾向にある。
けっきょく光栄あたりの過剰評価が反動を呼ぶんだろ
盲目的にヨイショするのは不本意だからな
というか、欠点を必要以上に論って
揚げ足取って喜ぶバカ、が多いだけじゃないか?
しかし劉備も漢中で関羽と同型機の夏候淵を打ち破っておいて、
関羽もまた淵と同じ憂き目に遭うという事は考えんかったのかね。
>>872 ?
「野戦司令官としては有能
州統治には失敗したので、為政者としては疑問」
これって揚げ足取りの論理か?
>>874 ?? まともな意見だけど、それがどうした?
だいたいこのスレはそういう流れだと思うんだが・・・
一部の極論は放置されてるような
黄忠を荊州の守りに…。
いかん、老い先みじかい黄忠が死んだら即座に周囲が曹操に降りそうだ。
879 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/27 09:46:59
黄忠が白いおひげのサンタさんという確たる証拠もないからな。
それに当時の平均寿命が40歳ぐらいという説もあるから、もしかすると関羽より年下かも。
蜀〜漢中の激戦と従軍して消耗したから寿命を縮めた可能性も高い。
生年不明だっけ?
130後半だと思い込んでたんだが。
○謀略で荊州を奪われたのに、野戦でも無能扱い
野戦で無能扱いでなく、州の統治者として為政者としての才への疑問のはず
○呂蒙が特別優秀であったとは言われない
相手が強ければ、負けてもしょうがないとか言う話ではないと思うが
○評価では無く、結果論で語られる
結果から評価が生れるのは当たり前、局地戦では強いが戦略的に弱いのは劉備陣営の戦歴から見れる特徴
○武威によっての抑止力は無視される傾向にある。
関羽の名前で荊州を攻めるのを躊躇させることができることはともかく別の人材や補佐を置かなくていいという話ではない
関羽が荊州失陥したのは確かなんだからスレタイからして
別の人材を置くか補佐を置くのは当然なのに関羽なら平気と主張する方がおかしい
消去法で関羽なんだから
当然というか必然だわな
まぁ、ショクあるところに関羽厨あり
討議スレでも関羽厨ヴザさに三位に隔離だったじゃん
誰も発言してない事に対して反論するのは頂けないな
諸葛亮の薦めどおりに荊州を乗っ取っていればなぁ。
そもそも関羽の役割に「荊州の統治者としては・・・」とか出てくるのが変。
常備軍(州軍)&州行政府の役割と派遣・駐留軍の役割を混同している香具師多すぎ。
近代(現代ではない)の軍事制度でもそうだし、古代中国の漢や魏、呉でもそうだが、
各地に常駐し行政・軍事を行う人間と、中央政府から派遣される将軍は、役割が
半分オーバーラップし、半分は異なる。
劉備軍の場合、「中央政府」のほうが移動してしまったので、関羽の位置づけが
荊州の常備軍と混同されやすいが、関羽は派遣・駐留軍。
荊州の行政と防御、派遣軍に対する兵站・徴兵などの補給任務を請け負うのは、麋芳や
士仁、潘濬ら荊州行政府の役割。
関羽は、基本的には対魏の中原攻略・防御の任をもった派遣・駐留軍の総司令官であり、
「荊州そのものの統治」にはタッチしない。
ただし、「外交」は軍事と不可分であり中央政府の役割であるため、中央政府の出張機関
である関羽の軍司令部(趙累や王甫、廖化、関平など)の役割となる。
よって、呉との外交的なトラブルの責任は主に関羽が背負う。
こういった大規模軍事行動の派遣軍指揮官は、主に三品以上の将軍が任され、一般的には
征x将軍・鎮x将軍といった分かりやすい肩書きがつくことが多く、
規模が大きかったり、長期間の場合には、より前線指揮官の権限を大きくして仕事を
やりやすくするため、督xx諸軍事といったものをつけることがある。
逆にそれがない場合、地元の太守などとどっちが指揮権を握るかで権限争いを起こしやすくなる。
漢末期の中央政府の権限がよわくなったときもそういったトラブルが多発したし、関羽が
起こしたトラブルもまさにこの問題である。
関羽は中央政府の権限を傘に、荊州の人間は自分に協力するのが当然だと思い、兵と物資の
補給をきびしく地元に申しつけ、荊州行政府&常備軍の麋芳らにしてみれば、上官でもないのに
偉そうに命令を言いつける関羽にムカつき、サボタージュしたくなる。
実際、荊州の防御は自分たちの役割なので「『兵を送れ』とか言われても、そうそう協力
できないよね〜」という気持ちもある。
関羽は野戦攻城を得意とする武将であり、その分野においての実力は魏を震撼させたことからも
明らか。
組織は、それぞれの長所を伸ばし短所を補うためにあり、関羽の個人的な欠点を補って余りある
戦闘指揮能力を最大限に発揮できる状況を用意すできである。
よって、荊州陥落は人災であり、原因の大半は関羽の個人的な人格問題よりも、関羽の人柄を
知りながらそれを放置し、地元行政府や呉とうまく中和させるための対処を怠った、劉備と
諸葛亮ら蜀漢中央政府の怠慢に帰する。
つまり「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」です。
現場のヒトに仕事と責任だけ押し付けちゃ、ダメですよ〜 ヽ(´ー`)ノ
結論は概ね同意。
途中の話は、魏ならその通りだろうけど
この時期の蜀が、そこまで明確に役割を割り振ってたとは思わないな。
蜀が曹操で、
魏が劉備だったらいいじゃん?
>>885 魏でいうと、漢中争奪戦当時の夏侯淵・張郃たち(派遣・駐留軍)と郭淮たち
(常備軍&地元行政府)みたいなものか。
そういえば、漢や魏のような中央集権型の国家で中央政府が強いうちは、
そういう軍事制度とってるよね。
大・驃騎・車騎・衛将軍だけが、常備軍でありながら外交なども行える
「幕府」を開く権限があって、四征鎮平安・前後左右将軍は、軍事行動を
王・皇帝によって命じられて鉞を与えられたときに、臨時幕府的な
軍事・外交・司法などの権限をもつことができ、ただしそれにはある程度の
制約がつく上に権限オーバーな行動がないように「軍監」がつくので、
前線において超法規的に振舞うには「諸軍事」とか「録尚書事」とか
「x州牧」のような付随の肩書きがいるんだっけ・・・
>>887 そこが明確じゃないからこそ、関羽vs麋芳対立問題なんかも起きたと
>>885は言ってるんじゃないかな。
@地元がガタガタ言わないように、関羽に荊州牧とか荊州諸軍事とかの全権を明確に与える
A逆に「そんな権限ないから、現地とうまくやってね」という指示を明確にする
B間を取り持つ文官を派遣する
などなどの対処を、劉備たちがちゃんとやっていればもうちょっとうまくいったかも。
カス共よく聞け
陳寿が正史で諸葛亮は政治の本質を捉えた天才でありその才は管仲、簫何に匹敵すると書いとるだろう
作成され方が違う
蜀に曹操が居てもかわらんだろう。
魏は漢を元に設計図から考えての計画的リフォーム
蜀は建て増し住宅で大きくしたので迷路になってる
893 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/27 12:28:56
劉ショウ追い出して、蜀の山奥に引きこもるしか劉備に残された道なんてなかったんだよ。
それを天下統一への半端な未練を残して荊州を維持しようとしたのが間違いだった。
894 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/27 12:31:13
遊びででやってるんじゃないんだよぉぉっ!!!