ふむ、昼はデジカルビ重を食べた。
ちょっと辛かったな。
腹ごなしにドラクエ3の勇者一人旅を進めた。
今日は何をしようか。
ついに横山光輝の三国志を読破した!
こんなに嬉しいことはない。今夜は祝杯をあげよう。
年に一度だけ嬉しい日に空けようとおもっていた
ドンペリで、だ。
まあ、一人ぼっちの祝杯だけど。
昨日は思わず祝杯だと書いてしまったが、まだ三国志を全部理解したワケじゃないんだよな。
ってことでドンペリは蒼天航路を読破するまでお預けだ。
ってことで普通にマックに行ってビデオ見た。
今日はちょっと遅く目が覚めたぜ。
相変わらずココには誰も来ない。
一人でこんなレスしてるなんてオナニー以外の何者でもないな。
俺キモッ
ところであるある探検隊ってなんだろーと思って
ググってみたらお笑いの人だった。
今度テレビで見てみよう。
ところで、ドラクエ3の勇者一人旅でバラモス倒した。
王様からバスタードソード貰った。
なんか嬉しい。
レミラーマなしだからメダル探しがやっかいだね。
オナニースレだから自分の半生でも書いてみるか。
1970年代後半、九州のとある県で生まれる。
両親ともに優しくて、一人っ子だったこともあったからか、
非常に愛されて育った記憶があった。
小学生の頃から学校の成績は常にトップだった。
中学生の頃になると、無理して親が進学塾に通わせてくれたお陰で
成績はグングン伸び、九州ではラ・サール以外だったらどこでも
まず大丈夫だろうと太鼓判を押される。
両親は私立の進学校に行ってもいいんだよ、と言ってくれたが
そこまで裕福な家庭でもなかったので(というより貧乏な方だった)、
俺は地元の公立高校へ進学することにした。
私立の特待生を狙うという手もあったが、受験料だって馬鹿にならないし、
そこまでして名門校へ行こうという気にもならなかった。
高校生活は順調に進んでいた。
中学生の頃から好きでやってた陸上も楽しかったし、
人並みに恋愛して、失恋して、勉強した。
相変わらず成績の方は学年でもほぼトップだった。
先生達は東大、京大、医学部などを熱心に勧めてきた。
もちろん俺も大学へ進学して、なるべく裕福になって、
これまで貧しいながらも一生懸命俺を育ててくれた両親に
恩返しするつもりでいた。
自分の家庭が貧しいことに卑屈になっていたわけじゃなかったけど、
やっぱり裕福なことは貧乏よりは良いことだと思っていたから。
奨学金が受けられれば自分も大学へ行けるんだ、って思っていた。
そんなとき、両親が死んだ。
自爆の交通事故だった。
俺が高校3年に上がったばっかりのときだった。
葬式の記憶は途切れ途切れにしか残ってない。
担任の先生が葬式を取り仕切ってくれたのは覚えている。
ウチには親戚が一人もいなかったし、高校生の俺には大変だと思って
色々手伝ってくれた。本当に優しい先生だったな。
先生のお陰で葬式や納骨もひとまず終え、俺一人の生活が始まった。
それまで家族3人で暮らしていた2DKのアパートが、
あんなに狭く感じていた2DKのアパートがガランと広く感じた。
あんなにやかましかった2DKのアパートが静まり返った。
俺はそれから1,2ヶ月くらいは何も手につかなかった。
大好きだった陸上も最後の大会には出られなかった。
トップだった成績はたった1,2ヶ月でガタ落ちした。
貧しいながらも両親は少しだけ蓄えを残してくれていた。
俺がなんとかバイトをすれば高校を卒業するまでのお金はありそうだった。
バイトをしながらの生活は大変だった。
勉強もしないといけないな、と思っていたが何もかもが嫌になっていた。
そんな俺を見て、先生が自宅に一度食事に誘ってくれた。
自暴自棄になってた俺は自分のことが恥ずかしかったし、
先生に説教されるんだろうなと思っていた。
しかし先生は
「絶対進学を諦めるな、お前だったら奨学金を受けられる。
お前みたいに一生懸命生きている奴がうまくいかない世の中なんておかしい」
と涙目になって俺を励ましてくれた。
俺は泣いた。先生と先生の奥さんの前で泣きじゃくった。
こんなに親身になってくれる人が親以外にもいるということが嬉しかった。
先生の真剣な眼差しが暖かかった。
俺は大学受験を改めて目標にして頑張ることにした。
このときは確か夏休みも終わって、秋くらいになってたと思う。
この頃には以前は70以上あった偏差値は60前後くらいになっていた。
普通の駅弁大学しか受からないくらいの成績だった。
2次試験の難易度が高い東大などの旧帝は無理だと諦めた。
私立にしようかとも考えたが、東京以外の私立大は考えられなかったし、
そこまでして東京の私立大学に行くよりも地方の国立医学部に行くことに決めた。
医学部はセンター重視だったので、受験までの数ヶ月をセンター対策のみにすれば
十分勝算はあった。
ちょっと休憩タイム。風呂に入ってくる。
医学部なら地元の大学へ進学すれば引越しもしないですむし、
他の学部に比べて家庭教師のバイト代も割高らしい。
6年間行かねばならないことは大きなデメリットだが、
奨学金を貰えればなんとかなるだろうと思った。
とにかく現役で受からねばならない。
蓄えはほぼ受験までの分しか残っていなかった。
浪人は絶対にできない。落ちたら働くしかない。
失敗が許されない、高卒か医者かという大きな人生の分かれ目だった。
それからの4ヶ月は地獄だった。
果たして医学部に受かることができるのだろうか?
俺みたいな生活のため、自分のために医者になるという奴が
許されるのだろうか?
そういう自問自答を繰り返しながら勉強に明け暮れる。
一日3〜4時間くらいしか寝なかった。
たまに挫けそうになったが、そういうときは
先生が食事に呼んでくれて、また新たな気持ちで頑張ることができた。
元々成績も良かったせいか、12月が終わる頃にはなんとか成績が上昇してきた。
勉強を再開したときは600/800点を切るくらいだったマーク模試も
なんとか660〜70点くらいまではとれるようになっていた。
ただ、第一志望の大学はセンターのボーダーは700/800だった。
余裕を持って2次試験を受けられるようにするためには
710点ほどは本番でとらなければ厳しい。
自分の弱点は分かっている。社会だ。
他の科目では9割を切ることは殆どなかったが、日本史だけは
7割を超えることすらなかった。
俺はセンターまでの2,3週間のほとんどを日本史に費やすことに決めた。
大きな賭けだった。
寝てもさめても日本史の知識を頭に叩き込んだ。
暗記科目だけは要領よくやることは出来ない、ひたすら繰り返し覚える。
先輩から貰った一問一答や参考書の内容をひたすら覚えた。
そしてついにセンター試験の日がやってきた。
前日は殆ど眠れなかった。
無理もない、自分の人生の大部分がこれからの2日間で
決まるといっても過言ではないのだ。
寝不足と極度の緊張で俺は朝からガチガチだった。
いくら深呼吸しても落ち着かなかった。
いきなり数学でつまづいたが、そのミスは国語でカバーできた。
英語もまずまずだったはずだ。
しかし、日本史はあれだけ追い込みをやったにも関わらず手ごたえはゼロだった。
そして、物理で失敗し、化学で大失敗した。
結局俺のセンター試験は敗北で幕を閉じた。
英語 185点
数学 185点
国語 170点
物理 88点
化学 74点
日本史 66点
計 694/800(768/900)
俺は情けなかった。あれだけ頑張って自信もあったのに、
結局はプレッシャーに負けた。
試験中は頭が真っ白だった。
繰り返し覚えた化学式や公式がなかなか出てこなかった。
とは言え、まだ2次試験での挽回も可能性がないわけではなかった。
しかし2次試験で30点くらいの挽回をしなければ厳しかった。
医学部受験の猛者を相手に30点挽回するのは並大抵のことではないが、
もう俺にはやるしかなかった。
センターが終わってからい1ヶ月半、力不足だった数学の克服と、
得意科目な方だった英語の力を伸ばすことに集中した。
先生から赤本を特別に借してもらい、ひたすら解いた。
解いて解いて解きまくった。
気付けば2次試験は目の前まで来ていた。
もう疲れたので寝ることにする。
がんばれ。
私は応援してるよ。
俺もずっと見てるよ!がんばれ。 ノシ
ありがとうございます!
>>1さん
勝手に俺のオナニースレにしてしまってすいません!
二次試験の試験科目は英・数・理(物理)の3教科だ。
英語は8割以上はとる自信はあった。
数学・物理は得意科目とは言えないので、この2教科の出来が
合否を決めるといっても過言ではないだろう。
赤本を見る限りでは、
医学部の試験は各科目の半分ほどは比較的簡単な試験だったが
後半の問題は受験者の差をつけるための難しい問題が多かった。
誰でも解ける問題は絶対に間違えてはいけない。
そして難しい問題は他の人より多く得点する必要があった。
そして、試験の前日。
俺は両親の眠るお寺に墓参りに行ってきた。
これまで自分なりに頑張ったこと、
これからも精一杯生きていくことを両親に誓った。
墓参りして気分が落ち着いたお陰か、
その日は早めに床に就き、グッスリと寝ることが出来た。
試験当日早朝、俺は目を覚ました。
試験は一日中行われるため、昼飯の握り飯を握った。
そうしていると戦いに行くような気がして気分が高揚した。
試験はあっという間に終わった気がする。
頭はこれまで経験にないくらい冴え渡っていた。
得点すべき問題は完答できた。
難問に対してはできるだけの事はやった。
「人事を尽くして天命を待つ」
昔の人は良く言ったもんだ。
この言葉ほどこのときの俺をうまく言い表す言葉はないだろう。
試験が終わった後は、前期試験に不合格だった場合に受験する
後期試験について考えていた。
普通は後期試験はランクを落とすか、他学部受験をするらしい。
医学部の後期試験はそれほど難関だということだ。
俺も地元大学の工学部に出願しようか迷ったが、
結局前期と同じく医学部に出願した。
先生からは「それはあまりにも無茶だ」と反対されたが、
受験直前の頃の俺は「とにかく大学に行きたい」ではなく、
「医学部に行きたい」という気持ちになっていた。
なにより医学部以外の学部を受験して合格したところで
人生に悔いが残ってしまいそうで嫌だった。
後期試験の試験科目は「小論文」のみだった。
つまり、一般常識や表現力、考察力などの
総合的な力を試す試験だ。
俺は「知恵蔵」や「現代用語の基礎知識」などを
図書館で読み漁った。
その当時はインターネットなど普及していなかったので、
幅広い知識を手早くみに付けるには図書館に頼るしかなかった。
小論文のテクニックに関する本だけは本屋で購入して暇さえあれば
自分で小論文を書いて先生に添削してもらった。
そしてついに前期試験の合格発表の日がやってきた。
おおお!いよいよだね。
その日のことはよく覚えている。
朝から快晴で、春の兆しを感じさせる気持ちいい日だった。
俺は大学へ合格発表を見に行こうか、自宅に届く合否結果を待つか、
どうしようか迷った。
普通なら大学へ直接見に行くのだろうが、俺は結果を一番に知らせるのは
両親だという気持ちがあったので、
自宅の仏壇の前で郵便屋さんを待つことにした。
午前中には届くという話だったが、なかなか玄関のベルは鳴らなかった。
俺はじりじりと待つことしか出来ない、
大学へ出掛けようかと何度思っただろう、
しかし、仏壇の前を離れることは出来なかった。
そして昼過ぎ頃、ようやく合否結果を携えた郵便屋さんがやってきた。
俺は封筒を受け取ると、静かに仏壇の前に正座し、
ハサミで綺麗に口をあけ、中の紙切れを取り出した。
合格者の受験番号が並んでいた。
俺は緊張で倒れそうになりながら、自分の受験番号を探した。
俺の受験番号はどこにもなかった。
え〜っ、そんなあ。
体中の力が抜けていくのが分かった。
「不合格」という文字が頭の中をグルグル回った。
絶望のどん底に叩きおろされたような気分とは裏腹に、
外は相変わらず明るい日差しが輝いていた。
何故だか分からないが俺は散歩したくなった。
家にいると気分がおかしくなりそうだった。
俺はコートを着て外へ出掛けた。
どれくらい歩いただろう。
小さい頃よく遊んだ公園や、通っていた小学校、
いろんな所を歩き回った。
ふと、タバコが吸いたくなり、自動販売機でタバコを買い、
公園のベンチで火をつけた。
いろんなことを考えた気がする。
そのうち気分が落ち着いてきた。
そして大きく深呼吸をして、心の中で叫んだ。
「後期試験だ!」
はは、読んでくれてありがとうっす!
文才あるよ。自然に読み進めます。がんばれー!
家に帰った後のことはよく覚えていない。
夜、先生から電話があったことだけは覚えている。
後期試験に向けての勉強はあまり身が入らなかった。
小論文だったため、あまりやることも無かったし、
何よりも受かる可能性が殆ど無いというのがその理由だった。
後期試験は前期試験よりもセンター試験の配分が高く、
小論文での逆転の可能性は殆ど不可能だった。
合格のボーダーも大きく下回っていた。
あまり気分が乗らないまま後期試験の日がやってきて、
そしてそのまま後期試験は終わった。
どういう問題かはもう忘れたが、手応えは無かった。
そして、当然のように不合格だった。
>>43のやる気も、前期試験不合格で萎えてしまったんだね。
こうして俺の受験は終わった。
諦めきれなかった、でも諦めなければならなかった。
何度死のうかと思ったか分からない。
でもその度に両親に誓ったことを思い出して踏みとどまった。
そして俺は高卒の無職になった。
高校で就職活動もしなかったので、当然だ。
とりあえずは高校のときやっていたバイト先(コンビニ)に頼んで、
バイト生活が始まった。
確か時給は700円くらいだったと思う。
賞味期限切れの弁当がもらえたので結構助かった。
一日9時間ほど働いて、一ヶ月で大体15万円だ。
15万あればなんとか生活はできた。
正式な就職先は休みの日に探した。
しかし高卒で途中採用なんて虫の良すぎる話はどこにも無かった。
そんな風にして、俺の10代最後の年は過ぎて行った。
彼女や洒落た服や娯楽とは無縁の生活だった。
俺は怖かった。
自分がこのまま無職で人生を終えてしまうのも怖かったし、
このまま夢も希望もない生活に慣れてしまうのも怖かった。
そんな時、俺の人生を変える出来事が起こった。
月に一度買っていたナンバースのストレートが当たったのだ。
当選金額は百万円とちょっとだった。
神様は俺のことを見捨てなかったのだ。
「もう一度お前にチャンスをあげよう」
そういう声が聞こえた気がした。
俺はもう一度だけ受験にチャレンジすることにした。
また今度書きます。
ありがとうございました!
こちらこそ、しみじみと拝見させてもらったよ。応援してます。ノシ
57 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/02 12:49:31
オナニー日記で自演する♪
ハイ!ハイ!ハイハイハイ!!
あるある探検隊!!あるある探検隊!!
なんだよw
途中で終わんなよw
フィクションだろうけど面白いのにw
ハイ! ハイ! ハイ
(. `Д)_(Д´ )
ノ ノヽ | |>
ノ > < ヽ
ハイ!
(. )_(`Д´)ノ
ノ ノヽ |ヘ |
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ハイ!
(`Д´)_(`Д´)ノ
ノ ノヽ |ヘ |
ノノ <
あるある探検隊!
ヽ(`Д´) ヽ(`Д´)
| ヘ|ヽ | ヘ|ヽ
| ̄ | ̄
あるある探検隊!
(`Д´)ノ (`Д´)ノ
ノ|∧ | ノ|∧ |
 ̄|  ̄|
民忠あげたらすぐ台風 ハイ!
(( (`Д´) (`Д´)
(/ /) (/ /) ))
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あるある探検隊!
あるある探検隊!
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あるある探検隊!
あるある探検隊!
( `Д)_ ( `Д)_
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しばらく空けてすいません!
とりあえずオナニー半生書かせてください。
その頃には高校時代親しかった友達が、親に口を利いてくれて
友達の弟の家庭教師のアルバイトをさせてもらっていたので、
受験知識もそこまで薄れていなかった。
宝くじが当たったのはちょうど19歳の春だった。
現役の頃とは違って一年近く受験勉強の時間が残されていた。
しかし、バイトと勉強を両立させるにはバイトの時間をギリギリまで
減らす必要があった。
受験と入学のための金が60万は必要だったので、かなり厳しかった。
わずかな蓄えと当選金の残りを切り崩しながらの生活になった。
バイトは一日4時間に減らし、そのほかの時間はひたすら勉強した。
店長が気を利かせて夜間にシフトしてくれたお陰で時給も良くなり、
収入はそれほど落ちなかった。
一日勉強して、夜になるとバイトへ出掛け、明け方から寝る。
そして昼前に起きて勉強する。
この繰り返しの毎日だった。
食事などの生活レベルはガタ落ちしたし、
娯楽は一切無し。テレビもほとんど見なかった。
一ヶ月5万円位で生活した。
しかし、以外にも辛いとか惨めだとかそういう気持ちにはならなかった。
何よりももう一度受験にチャレンジできることが嬉しかった。
合格すれば自分の人生に希望がわいてくる。
それが何よりも楽しみだった。
3月頃からそういう生活が始まり、8月頃には成績は現役だった頃に戻った。
思ったよりも勉強が順調に進んでいた。
気力が充実していたのが最大の理由だろう。
経済的にも思ったよりも苦しくはなかったので、新しく参考書もいくつか購入した。
夏場はクーラーの効いた図書館で快適に勉強できた。
秋にさしかかるころにはマーク模試では700/800を軽く越えるようになっていた。
センター試験にある程度自信が出てきたので、
センター対策の勉強と並行して2次試験対策も進めるようにした。
マーク模試でも記述模試でも比較的上位に名前が載るようになった。
俺は現役の頃にはない程の手応えを感じながら勉強に励んだ。
自分の努力の成果が数字に表れていくことの楽しさを知った。
模試の受験料はけっこう痛かったが、結果を励みに頑張れた。
12月のセンター直前の模試では志望大学の志望者中3位までこぎつけた。
もう、落ちるわけがない。
現役の頃は五分五分かそれ以下の可能性だった。
しかし今は全てA判定だ。
試しに出してみた旧帝大の合格判定もAだった。
もうやれることは全てやった。
春からは俺も医学生だ。
そしてやってきたセンター試験。
はっきり言って、楽勝だった。
ちょうど旧カリと新カリの交代世代だったのだが、俺は旧カリで受験した。
結果から見ると、新カリに有利な難易度だったらしい。
しかし、俺のセンター試験の結果はこうだった。
英語 196点
数学 200点
国語 175点
物理 100点
化学 92点
日本史 85点
計 756/800(848/900)
自己採点が終わったとき、俺は一人で部屋でヘラヘラした。
もう受かったも同然だった。
成績から言えば、旧帝大も視野に入っていたが
もうここまできたら冒険は出来なかった。
俺は現役の時と同じく、地元の大学の医学部に前期後期ともに出願した。
微塵も後悔を残さないため、センターが終わった後も
ひたすら2次対策をやった。
たまに自分の合格を想像して部屋でニヤニヤ浮かれていたが
勉強は順調に進んでいった。
そして、運命の前期試験。
俺は自分の力を信じた。
大丈夫だ、模試のつもりでやれば必ず受かる。
程ほどの緊張感に包まれ、試験は始まった。
時々問題につまづいて、頭に血が上るのが分かったが、
ほぼ完答できた。
現役の頃は易しい問題しか解けなかったが、今回は
難易度の高い問題も手応え充分に解けた。
試験が終わった後、俺は帰り際に受験会場を振り返った。
「4月からよろしく」
そう挨拶した。
終わり
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ