他のやつと何が違ったのだろう・・。
2。
名前が違った
上洛を思い立った奴が少なかったから。
巛彡彡ミミミミミ彡彡
巛巛巛巛巛巛巛彡彡
r、r.r 、|::::: |
r |_,|_,|_,||:::::: ⌒ ⌒|
|_,|_,|_,|/⌒ -="- (-=" ぁぁそうでっかそうでっか
|_,|_,|_人そ(^i '"" ) ・ ・)""ヽ なるほどね・・・
| ) ヽノ |. ┃`ー-ニ-イ`┃
| `".`´ ノ ┃ ⌒ ┃|
人 入_ノ´ ┃ ┃ノ\
/ \_/\\ ┗━━┛/ \\
/ \ ト ───イ/ ヽヽ
巛彡彡ミミミミミ彡彡
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|_,|_,|_人そ(^i ⌒ ) ・・)'⌒ヽ ・・・で?
| ) ヽノ |. ┏━━━┓|
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人 入_ノ´ ┃ヽニニノ┃ノ\
/ \_/\\ ┗━━┛/|\\
/ \ ト ───イ/ ヽヽ
6 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 20:41:53
名前がよかったね
7 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 20:48:11
7
8 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 20:53:05
やっぱり鉄砲とゴッゴルでしょうね。
これらを上手く使ったから
9 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 21:08:11
全員ドーピングしてたから
10 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 21:08:47
家臣に恵まれていた。
11 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 21:16:27
1>
始めから天下統一目指して行動した。
鉄砲に目をつけたとき、他家に使用させないため貿易で火薬を独占した。
世界を見て、日本の将来を考えていたこと。
戦闘のプロ集団を家臣に取り込んだこと。
鉄砲隊の訓練が出来たのは信長のみだったなど・・・・きりがない。
スケールが違いすぎた。
濃尾平野の収穫量
コー○ーによる(ry
家康がいたから
15 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 21:48:17
位置・地理的条件
濃尾平野
京から遠くも無く近くもない程よい位置。
京の動乱に巻き込まれず
濃尾両国を有すれば
思い立ったら上洛できる位置。
西は木曽・揖斐川の大河に守られ
東と結べば背後に敵無し。
>>1 織田家が凄かったんじゃない。信長が凄かったんだよ
同じ織田家でも、信勝だの信友に京までいけたとは思えない
17 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 00:01:39
おまえらが日々 リストラやら会社の業績やら考えているときに
信長は世界経済の動向を考えてるようなもんだ そういう男なんだよ
糞レスに確定しました
おめでとう御座います
地理的条件と信長のじじいと親父のおかげ
20 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 01:40:01
まむしたんが美濃を譲ってくれたから」
21 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 01:41:50
22 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 02:17:57
23 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 08:02:11
>始めから天下統一目指して行動した。
始めとは何時なんだ?
まず美濃攻略以前にそんなそぶりは全く無いが。
京都を天下と見る向きが当時あり、美濃制圧後に初めて京都の武力制圧に
現実味が出てきたのであり、そして信長は天下布武の旗印を掲げて
京都に軍事侵攻したが、この時点ですら「統一」を目指すそぶりは無い。
「始め」から「統一」を目指した、とは想像の飛躍であろう。
>鉄砲に目をつけたとき、他家に使用させないため貿易で火薬を独占した。
九州から東北まで日本中でバカスカ撃ちまくってたのに?w
>世界を見て、日本の将来を考えていたこと。
妄想。
>戦闘のプロ集団を家臣に取り込んだこと。
妄想。
>鉄砲隊の訓練が出来たのは信長のみだったなど・・・・きりがない。
妄想。
>スケールが違いすぎた。
マンセー馬鹿の妄想のスケールの大きさなら世界一だな。
24 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 08:09:27
だから上洛を思い立った奴が少なかったからだよ。
26 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 09:02:12
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ 三 法 師 \
/ ヽ
l::::::::: |
|:::::::::: (●) (●) | はっきりいって俺は強いぜ
|::::::::::::::::: \___/ |
ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ
木 瓜 \\ /|\ ///
木 瓜 \\ //瓜 ///
瓜 木 瓜 \ //木 ノつ\
瓜 木 瓜 //瓜 / く瓜
28 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 09:57:28
偶然信長が天下を取った
その後に信者によって神話化された
29 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 10:02:30
信長は上杉にも武田にも毛利にも長宗我部にも同盟を持ちかけて
それぞれ成立しているが、長宗我部は信長が三好に乗り換えたから
破綻したけど、それ以外は全部相手から同盟破棄して攻めて来たから
戦う事になったわけで、もし同盟相手が全部家康みたいに同盟
守ったら、天下統一なんて目指しようがなかったんじゃ?
せいぜい、有力大名の連立政権になってしまう。
30 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 10:03:13
鉄砲を上手につかったから
32 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 12:33:05
運もあるな。
桶狭間なんか撃退するだけのつもりが大将討ち取っちゃうし
美濃斎藤はやり手の二代目が死んだら三代目はお馬鹿さんだし
武田がやっと上洛してきたら総大将病死で帰っちゃうし
上杉は雪が溶けたら死んじゃってたし
と、尾張より東はかなりのラッキーだったとおもう。
徳川もね。
33 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 12:40:40
織田信雄、長益など優れた一門衆がいたため強かったのでは?
マジレスすると、林通勝や佐久間信盛が年老いてからもサボらずに身を粉にしてよく働いたからかな?
陸奥の虎と狛が居たからだよ!
>>32同意信玄も謙信も義龍もいいタイミングで死にすぎた
でも龍興は馬鹿というか単に父が急死して若くして家督を継ぐ事になった
からやられただけ
義龍がせめてあと10年生きてたら龍興もいい大将になってたと思う
ほんとのマジレスすれば
毛利新介が信長の「影の軍師」だったから?
41 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 13:52:55
美濃を手に入れたのは大きいな。 商業的、農業的にも大きい。しかも竹中半平衛、美濃三人衆のオマケ付き。いやがおうにも天下平定、上洛の期待は高まる。
飛ぶな蛾の野郎
わかった、マジレスする。
早い話、農業の繁忙期でも出兵できるように兵農分離したから?
信玄や謙信は雪や稲刈りで一年の内、三分の一は動けないので地理的にも信長は有利だったといえましょう。
ありきたりの回答ですか?
45 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 14:05:53
清洲奪取を果たした織田信光が都合よく死んで尾張の盟主にアッサリ
なれたのが最初のラッキーでしょ。
46 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 14:10:50
>>44 ありきたりで、しかも間違った解答ですね。
信長がそのような兵制改革を行った形跡は無く、
また信玄や謙信が一年の3分の1動けなかったという事実も
ありません。
47 :
平成の毒婦:04/10/20 14:11:49
都合よくあっさり?ふふ、おことも人がよい・・・。
48 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 14:15:45
>>46 げっ!そうなの!安っぽい本にだまされた!
ふん、いいんだもん。
49 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 14:46:45
武田との地理(美濃・信濃境)関係
隣国同士ながら山岳地帯のため
接触点は岩村辺りの1点だけ。
両国の境が平野地帯なら侵入口がいくらでもありボロボロ。
また悪路につき、大々的な美濃攻略より
東海進出を武田が選んだため。
三河・遠江の北部、駿河と接触点の多い徳川は散々。
信玄存命中の武田とは三方が原や岩村など
間接的に戦った程度で済んだ。
そういや勝頼の前に手も足も出なかったもんな>家康
>>50 戦う相手が勝頼しか居なかったの間違いだろ
52 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 15:11:38
まとめると
”機会”を見る力だな
秀吉と明智がいたから
54 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 15:19:10
勝因はダンプ松本。
信長が死ぬのを家康が待っていてくれたから
>>1 地理的な条件もそろってたし、運も良かった。
信長自身も、優秀な家臣の使い方がうまく、タイミング良く行動し、その運を活かす才能があった。
勢力をのばすための努力とその方向は適正で、志もあったし野望もあった。
利用できるものと利用できないものよく見極め、危険な対象の存在もよく分かっていた。
つまり、丁度良い場所・時代に、その時代にとって極めて必要であり、かつ優秀な君主・信長がいたから
織田家は強かった。以上
ぶっちゃけ斎藤家遺臣の力が強かった・・・
マムシタンが見込んだ人物ならってことで、そいつらもやる気が出てたろうし
58 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 19:54:33
徹底した能力主義じゃないの?どこの馬とも知れない秀吉を一国一城の主にしちゃったんだから。
59 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 20:51:43
お役所の決まり文句、「前例がないのでこういうのは出来ません。。」な事を信長はしなかった。これが大きな理由デファ?
60 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 21:18:29
能力主義・・・!
ダメサラリーマン萎え・・・
m(__)m
61 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 21:20:27
だれも信長を上司に持ちたいとは思わない罠w
イエズス会が支援してくれたから
魔人だったから
64 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 21:59:08
家臣を物としか見れない暴君ババネロだったから。
65 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 22:04:40
人材発掘のうまさのおかげじゃないかな。
有能な人材が豊富にあるから強かったんじゃない。
滝川一益、羽柴秀吉、丹羽長秀etc
67 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 22:16:20
何いってんだ貴様ら!濃があげマンだったからにきまってんだろうが!
主人公だからに決まってんだろ。
>>58 徹底できるまでは30年かかったぞ。
林を追放したのは謀反から30年後だ・・・・
おかげで家臣の信望もダウンしたがw
佐久間なんかもそこそこ働いてたけど追放だしな。
能力主義が信長政権の寿命を縮めたと言えるだろう。
>>69 佐久間はそれだけの理由じゃないみたいだけどね
佐久間は会社の金使い込んで懲戒免職
73 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/21 02:48:40
バットマンスーツ着たり、剣が青かったり、空中をぐるぐる回ったりしてたから?
75 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/21 02:52:07
>>1 凄まじくかどうかおいといて、強かったとしたら信長的に、常に敵より多くの兵で
あたるようにしたからじゃないの? 懐具合が厳しかった田楽狭間とかは別として。
同数だったら、家康率いる三河兵の方が強いと思ふ。
>>73 おまい、今抜いてたから、そう思ったんだろ?
昨日今日来たばっかでロクに性格もわからん隣国の姫様と、
色香漂う近所の未亡人のどっちで抜いてくるかと問われれば当然後者なわけだが、
前者が流行のツンデレだった場合はその限りにあらず、
とか信長も毎晩考えていたに違いないな
そもそも近所の未亡人というのは武功夜話じゃないか。
俺なら
武田あたりと較べると、当主の独裁権が強かった様に思うけど
詳しい人、そのあたりはどう?
武田に限った事じゃないけど、土着の有力な豪族を麾下に加えてる
家なんかは合議に近い体制でしょ?
なんか織田っていうか、信長の場合、”鶴の一声”って印象が……
やっぱ地理的条件が良いことだと思うなぁ、それがしは。
82 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/21 13:41:59
b
83 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/21 14:51:31
>>80 上杉謙信はまともに軍議もせん男だったと言うが。
つーか信長も国人領主を山ほど家臣にかかえておるよ。
85 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/21 16:55:53
信長は影武者だったでFA
86 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/21 17:15:54
87 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/21 17:22:20
二億の精子が卵子にくっつけるのはわずか一個だけ。
その一個の精子が他の精子より優れていたから卵子にくっつけたのか?
そうではあるまい。
信長はたしかにすぐれている。しかし他国の大名も信長には能力は負けていない。
しかし、「天」は信長に戦国時代の終息を任せた。
つまり信長が凄まじく強いのは「天意」なのである。
ああだったから、とか、こうだったからなどは所詮くだらぬ結果論である。
他の大名も信長並の事業、功績があった。しかし「天」は他の大名にはスポットライトは当てなかった。
飽きたから書くのやめる。
信長は独裁者のように言われるけど、結構家臣に地方軍団を任せたりしているよ。
つまり蒼天航路なんですね
90 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/21 18:39:51
>>87 じゃ オマエはそうやって社会の歯車の1つとして人生を終わらせてればいいさ
91 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/21 19:06:00
>>90 君は早く俺たちの上に立つ人間になってくれ。
92 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/21 19:14:38
>>88 柴田に与えた掟書きでは
「信長に足を向けて寝ない事」
とか言ってるぞ。
てーか、もっとシステム的なとこじゃない? 兵農分離を試みる、とか、流通経済
にも敏感だったし。堺抑えるとかさぁ。もちろん、地理的要因もあるよね。一番
大きいのはやはり信長の才覚って話になっちゃう。個々の兵はそれほど強いとは
思わん。尾張は裕福なとこだし。貧しい農村兵の方が絶対強い。
じじいが港を使った金入ってくるシステム確立したのと
親父が勢力を順調に伸ばしたこと
それと地理と運
あとは本人が変に間違えなければなんとかなる
単純に上洛の野望をもった大名がすくなかったから
どうやて天下とって良いか分らない大名がほとんどだったからだろ。
宣教師のおかげ
もう兵農分離とか言うなよ・・・・
>>95 三好なんかが先例だろうよ。
京都=天下
京都を押さえる=天下人
三好は四国の田舎から堺を拠点に畿内に進出して京都を押さえ
将軍を操ってたわけだから、まあ確かにモデルケースかもな。
三好の場合、堺を押さえる事で四国との連絡を保ちつつ経済基盤も
確保できるという一石二鳥。
いや、四国出身だから港は必ず必要だったんだが。
101 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/25 19:21:26
三好や大内なんかが先例としてあったから
武田や上杉みたいな有力大名は織田の台頭を軽視してたんだろうね。
しかし織田は実のある京都の利用と勢力拡大を始めた、と。
利用できる内は何でも利用するその考え方
晩年には、いらなくなった宣教師なども捨てはじめてるしな
別に軽視はしないだろう。
武田だって北条や上杉がおらんかったら織田領の横っ腹を攻めたかったのでは。
北条にはどーでも良かったかもしれんがw
「織田が台頭した」と言えるのは上洛(1568年)してからじゃないか?
早目に見積もっても美濃主要部制圧(1567年)までは一地方政権に過ぎない。
そして信玄が駿河侵攻したのが1568年のこと。
それ以後は、北条の干渉を抑止するために関東へ出兵したりもしているが、
基本的には西進策を取っている。
信玄は決して中央の情勢を軽視してはいなかったと思う。
軽視はしていなかったけど、最重要ではなかった。
武田は自領の発展を基礎としていて、文化や金は持ってくるものとしていた。
織田は堺を取った。実に単純明快。そういう発想だと思う。天下取りって。
あとそういう発想ができるようにした信秀の教育がよかったんだろう。
信玄だって信濃に境があれば取ったさ。
信長だって畿内に謙信クラスの強力な戦国武将がいたら堺なんて取れない。
結局、一番大きかったのは運の強さなんだな。
「天下人は天が決める」とはよく言ったもんだ。
そうかな
それよりは意思じゃねーか?
京目指す意思
意志だけじゃどうにもなりまへん。超能力者以外は。
実際問題、進出方向として最も有望だったと言うだけだろう。
京を目指すために通常なら耐えられないような犠牲を払ったりしたわけじゃない。
順調に勢力を伸ばしたらそうなったと言うだけだな。
まあ京を取った後、通常なら耐えられないようなしっぺ返しが来て、
そこでそれに耐え切ったのは大したもんだが。
信長包囲網wとやらも、朝倉義景がキーマンのあたりで画餅よの。
キーマンは足利義昭だろう。朝倉義景も重要なポジションではあったが。
京を目指して進んだ戦国大名がほとんど居なかったわけだから京目指す意思ってのはかなり重要な要素だろう。
そりゃあ地政学的に見て京が射程圏内に入ってる大名はほんの一握りだからな。
せいぜい信長は朝倉義景よりは有能だったと言う結論が出るに過ぎない。
>>114 上洛の意志はどの大名にもあった。
地理的、軍事的に信長が一番適当だったと。
そして、上洛して、あっというまに近畿を統一。このスピードが重要だった思われ。
>>115 君がそこまで信長を軽視する理由を知りたいな。彼がいなかったら、天下人としての秀吉、家康は存在しないんだから。
浅井朝倉三好六角武田毛利本願寺足利上杉と、四方八方とに敵を抱えながらも、的確に各地での
戦争を指揮し、最終的に勝利を収めたあの手腕はすごい。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/29 00:55:47
その他の大名に上洛の意思なんかあったのかな。
謙信なんて関東にずっとこだわりつづけてたし
118 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/29 00:57:55
>>115 現実ってのはすごく複雑なもんだよ。
そんな簡単に割り切れないもんだ。
俺別に信長を軽視してないけど…
ただ、上洛したという一点だけを重視するのでは論として薄すぎるだろと思っただけだ。
向上心が強い奴は強くなるんだね
向上心というか、信長の場合「誇大妄想」の気もあると思う。あの時代に「天下布武」
とか考えつくとこが一歩間違えたらヤバイ人だ。それを実現しかけちゃったから、
エライ人になる。
122 :
三好:04/10/29 13:31:09
京を維持できたのがすごい。以上。
123 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/29 15:44:15
>121
信長の誇大妄想っぷりの大半は後付けと予想
性格はエキセントリックだったろうけど、
奇抜な天才じゃなく
あくまで優秀な人ってレベル。
彼がなにより抜けていたのは根気。
うまくいくまで手を変え品を変え、工夫してやりぬく根気と意欲。
126 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/29 17:49:59
なんか視点が漫画チックだな。
天才だろ
市場の掌握なんて一弱小領主の考えることかよ
128 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/29 20:10:58
天の時 地の利 人の和
全て兼ね備えたからね。
人の和は微妙だが
>>125 確かに出て来られると厄介な勢力には、あれだけ根気よく外交努力をし続けるのは称賛にあたるな
130 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/29 20:28:54
とりあえずアレだ
当時の武家の気分をしっかり妄想して考えてみれ
現代の価値観で歴史を語るなかれ
市場の掌握て、信長の発案じゃないよ。
元商人の道三がやってたし、謙信も青そ座や港湾冥加金の
商業大名だろ、金融もやってたらしいし。
信長のエピソード、後世の後付け大杉。延暦寺とか慶林寺焼いたの
凄いと思うか乱暴な害吉と見るかの問題。天下を維持できたとは思えん。
戦争も弱かったしね。
132 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/29 20:51:31
戦争弱かった???
というか戦局が不利になったらすぐに撤退してたんでしょ
いつも数で勝つ信長
135 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/29 21:11:45
小説とかに毒され過ぎてるなぁ。
兵農分離って、要するに傭兵だろ。
本願寺との戦でも傭兵はすぐに逃げてたらしい。
137 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/29 21:31:06
前提としてだが、そもそも信長はまだ天下取ってないじゃん。
天下布武てスローガン出しただけ。平氏だから幕府開けなかったし、
アボーンした時もまだまだ畿内政権。
138 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/29 21:45:45
あれ別に平氏でも開けるんじゃなかったっけか。
源氏でなければ征夷大将軍になれないってのは後付の話だからね。
織田氏は藤原氏の出身じゃなかったけ
官位をもらう時に平氏を名のったみたいだけど。
上洛にこだわるなら、2度もやった上杉謙信って何者だろか?
>>134 桶狭間は一度だけで十分だろ。
>>140 信長が平氏を名乗ったのは、政権が源氏平氏と交代で行われるという伝説から。
足利は源氏、そのつぎ平氏ってこった。
大内も上洛してるよね。結局撤兵しているが。
やっぱり京を掌握して、保持し続け易い場所に根拠地があったのは大きいか。
つまり、上洛及び天下への意思と地理的条件が大きいね。
もちろん意思があっても実現が出来なければしょうがないから、
ある程度の実力は不可欠だが。
上洛の時、京都を掌握するだけじゃなくて、近畿にスピーディに侵攻したのが大きいと思う。
京都に居座って、朝廷や将軍を通して政治を動かすなら、三好と何ら変わりはないからな。
光秀がいなかったら確実に天下人だね。織田信長は。
>>130 あんまそこらへん分からんから詳しく教えてクレ
>>131 一戦で勝つより、最終的に完全勝利するほうが大事。
小さな大名で生きてくんならともかく、天下人に向けて進むんなら戦略の力のがはるかに大事だろ。
まあもちろん、桶狭間のような場合は例外だが。
あの時はさすがに、細かい前ふりしまくって、全力で勝ちにいってるしな
>>145 現代の価値観で考える上洛は、あんまし意味ないと思われ。
いかに領土と兵馬を多く獲得するか、むしろ朝廷権力の力を削ぐのが
鎌倉幕府以来のテーマだと、戦国大名たちは考えてた。
上洛は大義名分を獲得するためのものであって、謙信なんかは
関東管領拝命の内示後は京都に興味も見せてない。
北条は守護大名でもないわけで、ひたすら関東の経営に集中していた。
上洛したがったのは公家大名の今川義元と大内義高、織田信長だけ。
信長の場合は謙信と同じく、将軍家の箔を利用しただけ。
>信長が平氏を名乗ったのは、政権が源氏平氏と交代で行われるという伝説から。
という説そのものが伝説。征夷大将軍は源氏姓のみ。鎌倉幕府の将軍は歴代朝廷から
出され、平氏は執権職のみ。
ぶっちゃけ、力さえあれば家康のごとくどうとでもなったろ、将軍なんて
でも副将軍をけり、朝廷の出した官位をしぶしぶ受け取るような信長が、将軍名乗るとは思えないが
>>148 ちょっとワラタ
でも家康は拡大能力遅すぎだからだめ
そして武田にガチでボロ負けしてるし。
タナぼたの要素が大きすぎる・・
151 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/29 23:33:00
織田家は藤原姓、のちに平氏系図でご落胤を僭称。
けっきょく、幕府を作れなかったことが天下びとになれなかったと思われ。
天下びと秀吉が2代でアボーンも同じく幕府作れなかったから。
織田家や豊臣家では、おおやけではないんだな。やっぱ、足利の副将軍を
受けて、天下に号令してたら、「上杉殿も、毛利殿も、御出仕あるべし」
だったんじゃ? そののちに将軍家を簒奪、あるいは平氏らしく執権として実権を握る。
このへんが出来なかったダメ殿。
>>150 突込みどころ満載だな。
棚ぼたで天下とれるわきゃねーだろ。自分からくいついていかなきゃな。
織田氏は先祖代々、平氏を自称しているよ。
信長の先祖に織田信敏という人物がいるが、こいつが
地元の寺に銭を寄進した際に、「平朝臣信敏・・・」と書いて
寄進している
>征夷大将軍は源氏姓のみ。
平姓の信長が将軍職へ推挙使用と動きがあったり
鎌倉幕府には藤原頼経・頼嗣という藤原姓の将軍が存在しているわけだが。
>>152 信長に頼るところや、武田家との正面衝突で惨敗してるところはマイナスだと言っただけで、
もちろん無能とは言ってないよ。優秀だったんだろう
ただ、148のような結論には到底できない
>>151 副将軍なんて名乗ったら、それこそ実権もそこそこになるだけ
>>155 信長も対武田に関して家康頼りだったのはマイナスだがな。
マジレスすると凄まじくキチガイだったから。
>>149 なんでも朝廷側が信長が将軍職へ就任する条件として出したのが関東制圧だったらしい
信長も秀吉もこの条件に合わず将軍職就任を蹴ったという話。
>>157 頼りなのではなく、そもそも家康のところに攻めてきたのだから、家康が相手するのは当たり前
それでも多少の兵はやったりしてるがな
>>157 頼りなのではなく、そもそも家康のところに攻めてきたのだから、家康が相手するのは当たり前
二重レスすまん
>159
なるほど、それで家康は関東経営に必死だったわけか。
だとすると、秀吉アボーンだな。わざわざ豊臣家滅亡の
シナリオを家康に作るように命じたようなもの。
で、できればソースきぼんぬでござりまする。
恐恐謹言 花押@
>>162 もろい防波堤を頼りだというならそれでも良いけど
>>162 そりゃ信長にとっては、西のことあれこれ処理するのが大事だからな
でもあんまり家康がうるさいから、渋々やってたらながしので大勝という感じ
>>166 しぶしぶって・・・
徳川を放置しすぎて万一見殺しにしたら
戦略を一から練り直しになるのは必定。
信長だって抜本的なてこ入れはしたかったはずだよ
でも、そっちに向ける余力がなかったり
出兵のタイミングが合わなかったり(高天神とか)
で、機を得られなかったんでしょ。
信長は朝廷から将軍になってくれって言われたのに断ったんじゃなかったっけか?
例の朝廷の上を目指す政策でしょ
>>168 関白か太政大臣か征夷大将軍どれでも好きなものに任官するから選んでくれって奴ね。
もっとも回答を保留しているうちに本能寺になってしまったという意見も聞いたことがあるが。
信長、朝廷の陰謀でアボーンされたんだろ?
>>171 それは晴豊と村井の間であった話ではあるけど、
実際に信長に伝えられたのは将軍任官でしょ。
>>172 違うと思うよ。信長は勤皇家だったし。皇居修復とか、貴族に知行を上げたりとか。
それに戦国時代、朝廷の権威は将軍と同じで地に落ちてるから、信長を殺すとかできませぬ。
>>174 それで勤皇家と思うのは愚の骨頂だろうな・・・・
それに権威では人は殺せません。地に落ちようがなんだろうが。
逆に策謀ならば一個人でも信長を殺しえます。
所詮一個人のカリスマでは天下に届かなかったということか
信長は天下には届いてたよ
ただ、一人の馬鹿がぶっ壊しただけ
光秀=天海
179 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/30 18:31:33
180はキンカン頭
>>183 戦国だからこそだけどね。
太平の世ならともかくちょっと油断しすぎ。
光秀さえ黙ってりゃあな
あんだけ出世させてもらっといてなんだあれ
実力主義はいいが、新参者でも見込みのある者はいきなり一足飛びに重用し、
逆に使えないと思えば数十年来の家臣も容赦なく切り捨てる。
こういう果断な処理は向上心のあるものには大いにやる気を与えるが、
一歩間違えば家臣は疑心暗鬼に陥り不安を煽ることになる。
特にある程度上り詰めた重臣にとっては不安はひとしおだっただろう。
にもかかわらず信長は有力家臣には数万もの兵権を与えている。
これだけでもかなり不安定なのに、
そういう状況で身辺の警護をおろそかにしてしまうのは無用心にもほどがある。
本能寺はある意味起こるべくして起こったといえると思う。
家臣団をうまく保った信玄や家康に比べたら、政治が下手だったんだよ。
謙信とかも家臣(国人)に謀反されてるけど、
戦争が強かったから謀反は屁でもなかった。
信長は戦争も弱いからなぁ。
いや、信玄とは家臣団の規模も違うし、
信長の失敗を参考に出来た家康とも同列に語るべきではないと思うが。
配下の掌握についてちょっとバランスを欠いていたとは言えるだろう。
飴と鞭が極端すぎたというか。
あと、戦争も弱いってことはないだろうが供回り数十人のみではお話にならなかったわな。
佐久間信盛みたく追放されたら、家臣はやる気なくすだろ、ふつう。
40とか50越えて、人前で折檻されてみろ。
戦争は弱かったよ。本願寺勢に最初はボロ負けだし、柴田が謙信に負けてる。
本能寺でアボーンされるってことは、戦を知らなかったんだよ。
190 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/30 20:57:23
絶対評価で無能だったわけではないと思うんだよね。
ただ、信長の評価した能力以上の地位に上がってしまったのだと思う。
そうかといって降格は難しいので、且つそんなに気に入られた部下でもなかったので、
追放されたんじゃないかと。
>>186 おかしなことを言う
光秀は旧来織田家に使えていたわけではなく、
向上心があり、出世した新参者の代表格だろ
187みたいな無知が蔓延るのが三戦版
信長が弱かったというより、尾張の農兵が弱すぎたというか、
いい暮らししてたんで、激しい戦になると散り散りになってたんだろ?
仕方ないんで、浪人傭兵を雇った。これが常備軍、兵農分離の実態。
>>192 新参者で向上心があり出世したが、そのことで逆におわれる立場になった。
立場が変わってくれば心理も変わる、いつまでも前だけ見て走り続けることは出来ないだろう。
がんがん出世しているうちは良い。
林や佐久間の例を見ても「俺は有能だから大丈夫だ」と思っていられるうちはいいが。
ふと、「本当に俺は大丈夫か?」と思ってしまえば、後は猜疑心の虜。
ちょっとした叱責や急な配置換えなどでも、切り捨てられる予兆か?と勘繰るようになる。
そして向上心が強ければ一度手に入れた地位を失うことへの抵抗も強いだろう。
結果叛意が生じると。
要するに信長の人材活用法は、全力で出世を目指し走り続けているうちは良いが。
ある程度の地位を得て一たび心理的に「守り」の態勢に入ってしまうと、
いつお払い箱にされるかわからないという圧迫感を与えるものな訳だ。
そして、そういうプレッシャーを感じてもおかしくないような、
高い立場の者は信長から極めて大きな兵権を委ねられている。
いずれ切り捨てられて、今の地位を失うならいっその事・・・
と思う者がいてもおかしくはない。
もちろん全員がそうなるとは言わないが、いても決しておかしくはない。
ましてそういう状況で信長の近辺が極めて手薄になるようなことがあれば、
それを期に行動に起こす者がいたとしても自然な成り行きだと思う。
>>194 信長が常備軍を持っていたなんて話どこにもないが?
環境が厳しかった甲斐や越後の農兵は強かったらしいが、
なぜなんだろ?食料不足でガリガリなんでないかい?
食うに困らない統制の取れた軍のほうが強そうに
見えるんだがなぁ。
199 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/30 23:06:30
なんつうか、小説とか鵜呑みにしてるレスが多いなぁ
>>195 光秀に出された命令は、いまだ向上できるようなものだったと思うが
佐久間の場合はちょっと別だしな
>>200 光秀が実際にどう思ったかは本人にしか分からないがね。
202 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/30 23:43:39
>>154 超亀レスで申し訳ないが
征夷大将軍って、源平藤橘じゃなかったっけ?
>>198 モンゴルやゲルマン人みたいな僻地の民がなぜ強かったか、
って問いに似てるな
>>201 そりゃそうだ
でもこのスレで言われてるような、うらみつらみとは思わない
205 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/30 23:55:36
>>203 古ゲルマン人は体躯に優れてて、モンゴル人は軍隊が強かったってイメージだな
みなさん、戦国時代の人々(農兵)や武士(武装農民)が
戦で勇敢に戦うってゲームみたく前提にしてませんか?
できれば戦いたくなかったし、死にたくなかった。
尾張の兵がメチャ弱かったのは、戦なんかしなくても暮らしていけたんじゃ?
甲斐勢や越後勢なんかは貧しくて、端境期に食い詰めるのがイヤで乱捕りやってたわけでしょ。
>>198 明治以降の陸軍でも、東京の兵は弱いとか東北の兵が辛抱強いとか
九州の兵は勇敢で強いが寒さに弱いとか
そういう見方はあったね。本当かどうか知らんけど。
大阪の兵は日本で一番弱いって馬鹿にした歌があったな>明治時代
202
関白は五摂家出身。秀吉は金で買った
まあ力さえあれば官位なんてどうとでもなったってことだな
信長が天下を統一した後の「日本」という統一国家としての事まで考えていたとしたら
そのことまで考えてもない部下は理解できず悩んだだろう。
信長にしては当然の事が部下には当然でないことにもなる
212 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/31 00:33:31
信長はもう天下を取ったようなもんだったろうからそういうことも考えていたんじゃないかな。
それともまだまだ油断はしてなかったのだろうか
信長は既に九州で島津と大友のいざこざに口出したりしてる。
まあそれだけなら足利義輝もやっていたような気もするけど。
誰が敵で誰が味方か見極めたうえで、毛利と長宗我部の次は
九州という腹はあったと考えられる。
214 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/31 00:51:08
信長は実は大内とかみたいなクラスで本当は秀吉が凄かっただけじゃないだろうか・・。
会社の社長の“仕事”のうち、大きなウエイトを占めるのは「人事」だ、
って話を聞いた事がある。これって組織のトップ、と拡大解釈しても
差し支えないと思うんだが、信長はこれがうまかったのかもしれない。
個々の能力は信長より上の人がいたかもしれない。その才能を見抜き、
適材適所に配置するというわけね。優秀な連中が得意な分野で跳び回れるから
結果、織田はスゴくみえるし、実際すごかった。
・・・ただ、人のココロが読めるか?というと、光秀に対する態度も
あることだし、ウ〜ム・・・。
スペイン方陣をパクッたから
すまん。292って、別のスレのだ。
信長は、戦国の君主としては並ぶもの無き、古今無双の天才だった
君主としては、ね
サディストってこと?
信長→地ならし〜土台作り 秀吉→家建てる 家康→リフォームして住む、
みたいなイメージあるんだよねぇ。加えて信長は古い家の解体と廃棄物処理、
っていう仕事もやった。旧権力がつぶれなきゃ新しいのはできなかったわけ
だし。そのかわり、将軍を追い出したとか、価値観をガラっと変えて従わない
者は力で強引にねじ伏せたとか、宗教紛争を押さえ込む代わり大きな犠牲を
払ったとかマイナス面を一人で抱え込んでいるんじゃないのかな。それが
信長の評価を若干下げる原因にもなっているんだが、この男がいなきゃ後の
秀吉→家康とバトンがつながらなかったのは確かだろう。
そんなわけで、信長のすごい所といったら上記の、マイナス面を抱え込んだ
ということかな。
信長も秀吉も幕府作れなかったことがすべて。
戦争なら信玄・謙信・氏康にはかなわん。
(´-`).。oO(
>>222安土桃山って言葉は・・・?
安土桃山ほど時代を表す表現として不適当なものはないよな。
>>222 信長は明らかに幕府否定なんだが・・・すべてってハァ?幕府建てたら統一ってこと?バカ?
戦争も信玄は外交敗北してるし事実武田は滅ぼされた。
もっぺん何が言いたいのか整理して来い
信長は子分に殺されたわけだが
>>227 歴史上、幕府開いて失敗した政権はないが、
将門、清盛、信長、秀吉といずれもシパーイ。
幕府開いて3代で滅びた源氏はどうなんだ?
簡単に政権を簒奪されてしまったぞ。
まぁ、
自分の血統の維持と、強力な体制の維持
これを同時に成し遂げた武家政権は徳川だけとも言えるわけで・・・
頼朝は権力の確立は見事だったけど
血族を粗末にしすぎたね
>>222 信玄は信長に利用され、そのまま死んでいったと考えていいよ。
戦争が強いだけじゃ、天下は取れん。
むしろ戦争はそこそこで、戦略眼があったほうが強い。
信長が信玄を利用していたとは思えん。
まあ徳川が強くなりすぎないよう抑えてくれていたと言う見方もできなくはないが…
どうも、優れていたとかダメだったとか、つまらん見方だと思う。
信長で面白いのは「このキンカン頭、うぬがどれほどの骨を折ったというのじゃ!」
と、光秀を人前で折檻したり、寺を焼き払ったりの「凄ぇ」度。
本願寺勢の女子供も根絶やしにする「害吉」度にあるんであって、
秀吉や家康と比較してもつまらん。そもそも信長に人徳や善政を期待するか?
信長は 今の時代で言うならば、規制緩和、
減税、特殊法人の解体等々行っている。今の政治家でこれが出来る人などいない。分かっていても、美味しい思いをしている輩の強烈な抵抗があるし当時もあったはずだ。信長の政治家としての能力こそ凄まじく 他の大名との違いではないでしょうか
なるほど!俗に言う豪腕ってやつか!
他の大名も結構やっているらしいがね。
240 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/01 00:01:12
信長が優れていたのは発想力じゃないかな。
個人的な能力ではいま言われてるほどすごいとは思えない。
戦なんかは数で押すか、奇策ばかりだし。
241 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/01 01:20:41
信長の身上は速さだと思うよ。即断即決。
物量もさることながら、東へ西へ転戦しながら短期間で兵力の集中をこなしているのがすごい。
古い体制を打破したのも、遅くて非効率的なのが我慢できなかったんじゃないかと。
佐倉広夢きゅんのおちんちん 園田由貴きゅんのおちんちん
泰麒きゅんのおちんちん 綿貫瑠宇きゅんのおちんちん
イカルきゅんのおちんちん 柊真生きゅんのおちんちん
まあそれはそうと・・・・・・チンコとおちんちんは別物
まず少年のパンチュが・・・・いっぱーーーい、いっぱーーーい
ケンチャナヨ、チョパーリ、チャンコロコロコロコローリコローリ
かかかかかかかかか、火病だーー!!!!!!!!!!!!
アメリアのデカ乳 パーラのデカ乳
なんか書くことなくなったからもういいや、もういいや・・・・。
細木数子・・・・・・・・・・・・・・・・。
>>237 一つたりとて座を潰さず上納金で自分の収入を確保し、
安土の城下町だけ楽市にして人を集める信長の
ずるさは流石だな。まさに規制緩和。
244 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/01 06:54:59
あの時代の人々をずるいとか卑怯とか言ってるヤシを見ると
今の日本は平和だなぁと実感するな。
>>237 独裁と民主主義体制を比較にされてもなぁ
信長が戦争弱いとか言ってるのは素人
鉄砲を重く用いた戦略、ってはじめは信じていた。しかし、長篠の合戦などは
むしろ武田のほうがたくさん鉄砲を持っていたらしいね。そうなると、信長の
鉄砲重視は疑わしくなってくる。京や大坂を押さえた事によって経済基盤を
得る事によって自然と鉄砲をたくさん購入する事ができるようになったのであって、
はじめから鉄砲、鉄砲言っていたわけではないのではないか?と考えるのだが。
いかに?
↑あ・・ちと文章見苦しいところが・・すまぬ。
信長が鉄砲を多用しはじめたのは、本願寺
(根来・雑賀衆)にボロ負けしてから。
規制緩和って・・・楽市楽座なんて他の大名が先にやってるじゃん
暗君と謳われる今川氏真とか・・・
他の大名との差異を考えると、寺社勢力への対応が旧来と異なると思うが
一向宗徒みなごろしと延暦寺恵林寺の焼き討ち以外の施策は
ふつうの戦国大名。ビジネス系の作家が何かと粉飾して
読み物を作ってるだけ。保守的とされる上杉謙信でも座の冥加金
津料、越後小判、金貸しまでやってる。
革命児信長は作家の不勉強が作った偶像にすぎん。
253 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/01 15:15:58
まあ小説はロマンを追うものだからね。
不勉強というより
254 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/01 15:22:58
京の権威を利用して領土拡大ってのは新しかったと思うけどな。
大内とか三好みたいに停滞してただけじゃないしね。
252はただの無知だろ
256 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/01 16:34:57
>255
内容のない香具師だな
氏にたくならんか?
>>252 足利義教w
寺を焼くぐらいは結構やってると思うけどなーみんな。
本願寺総本山山科本願寺なんて町衆に焼き討ちされたもんなw
まあ寺同士の方がもっと凄いけど。
園城寺なんて延暦寺に何度焼かれた事か・・・・
逆に園城寺も延暦寺にたびたび攻撃をしてたような。
清盛も南都焼いてるし
鉄砲についていえば君主-寄り親-寄り子の関係を
鉄砲を持つ寄り子だけ引き抜いて君主-寄り子の
部隊を作ることに成功してる。
多くもってればいいって物じゃない、要は使い方。ってことかな。
他は寄り親-寄り子で運用したため○○隊には鉄砲20人、
××隊には5人といった感じで、個別に運用してる。
つまり信長は自分が思ったタイミングで大量に使用できたが、
他の大名は鉄砲の使用は部下の寄り親次第、しかも少量ずつ
わかった
オマエラちょっと待ってろ
今タイムマシンで本人に聞いてくる
>>260 機嫌が悪いときに話しかけると、折檻されまつよ
信長の強さってえと、動員力とかどうなのよ。
アホかと思えるほど多正面作戦やっててしかもどうにかなってる辺り、他の大名とは違うとしか思えん。
久秀の東大寺を忘れるなよ。
ぶっちゃけ、ある程度まで行ったら勝ち抜けなんだよな
でも信長以外誰一人として、そこまでいけなかった
本当に誰もそんな機会なかったかって?いいわけだろ。
身内がたがたの半国大名に、何故みんな遅れを取るんだよ
所詮信長以外、その程度ってっこった
266 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/01 19:59:58
道三死亡
信玄死亡
これが大きいといってみる
憑かれてるとしか考えられん
268 :
無名武将@お腹せっぷく :04/11/01 20:11:38
兵農分離をいち早く進めたからじゃろ・・・
>>266 道三はともかく、信玄は遅すぎる
国の状況で動かせなかったというから、信玄はその程度の男
工エエェェ(´д`)ェェエエ工
271 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/01 20:13:40
道三死亡って大きいか?
むしろ信長にとってはリスクでしょ。
義龍だな
勢力と勢力とのパワーバランス計るのは、確かにひとつの能力
まあ信玄の場合、謙信に勝ちきれなかったのが痛い
勝ちきれないにしても、うまく避けれなかったのも痛い
義龍も、病で長くないの分かってるなら、
タツオキのためにもう少しまともに戦える体制をのこしゃ良いものを
まあ有利不利言い出したら勝った者が運に恵まれてるのは当然の話だからな。
信長の場合最後の最後で不運がきちゃったけど。
信長の戦いで、本当に天下分け目の戦いと言えるのは桶狭間だけ
後の戦いはただの削りあい。消耗戦で勝てるのなら、それが正しいんだろうしな
>>276 勝つのに運は必要でもその後の処理は実力だよな
伸びてもその倍叩かれてたら仕方ないからな
俺が思うに、加納随天のおかげだと思いまつ
美 し き 流 れ ってやつ?
伸びていける「機」が舞い降りてくるのは、
その「機」にうまく乗っていける人間のところだけです。
とか言ってみる
信玄は最初から甲斐一国持っていたが、家臣の力が強く最初は自由に動けなかった。
まあ信玄自身の若さもあって、信濃攻略(特に初期)には試行錯誤的要素がある。
信長は最初尾張一国すら持ってなかったが、求心力の強い家臣団を持ち、自由は利いた。
義元を破った分だけ、信長の方が良くやったとは思う。
確かにあの状況から義元破るってのはな。
世界中、古今東西、どんな奴でもあの状況、あの兵力差で勝つのは苦しい
それも撃退じゃなくて完全勝利だからな・・。
考えてみれば、義元との戦いだって、厳密に言えば一戦じゃなく何度も小さく小さく戦ってるんだよな
あまりに挑戦してくるから、義元が軍全体を動かしたわけだし
信長も義元を自分からおびき出したようなものなんだよな
桶狭間で運良く義元を討ち取れたのが何より大きい
討ち取れなきゃ、いずれジリ貧で終わってたろう
勝算はあったとは思うが、一戦ですべてが終わるとは考えてなかったろう
多分しばらくは、今川家との戦いが続くと考えていたはずだ
いま戻った
正直全然会えなかった、てゆーか織田軍がどこにいるのかも分からなかった。
なんか山道をひたすら歩いただけだった。超失敗した。
適当に飛びすぎた。明日はもっとうまくやりたい。
できればいつのどこにいけばいいか教えてくれ
悔しいがちょっと笑った
町に出ろよ
信長は勝ってたが別に強くも何ともなかった
兵力分散してるし、やはり相当なアフォ
俺292の未来見てきたけどお前も相当アフォだったぞ
>>290(260)
またガンガって逝って来てね。
マシーンをセッティングするのは永禄3年(1560)5月19日、
午後1時頃の桶狭間(愛知県豊明市)だ。雷雨かもしれんから、
カッパ持って行けよ。朝からの合戦が見たければ、松平元康の
大高城か丸根城砦だ。戦闘に巻き込まれるなよ。
>>259 信長が運用したのは自分自身と直接被官関係にある旗本鉄砲などで、
寄親から引き抜いたわけではない。
292がアホなのは間違いなさそうだな
297 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/01 23:23:36
ま、260のタイムトラベル報告アップで、
このスレも盛り上がるな
まあ勝っていたのに強くないというのはオカシイが、
手元に光秀しか残さなかったせいで殺されたのはショボイかもな。
信長の漫画じゃないが、信長が一番信用していたのは光秀だったのかもね・・
ブルータス、藻前もか
301 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/01 23:36:36
信長が率いるための兵士は京に向かってたんだけどね。
んで、その兵士を率いる将校は親衛隊として信長に近侍してた。
その間隙を光秀に突かれた。
302 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/02 00:40:21
>294
今川義元公本陣は豊明市ではなく名古屋市緑区が有力です。
緑区桶狭間公園が義元公落命の場所と推定されます。桶狭間山は公園東方の丘陵地帯の最高地です。
当時は”桶狭間のやま”といわれたらしく特定の山ではありません。丘陵一帯の広い範囲をさしていたそうです。
ちなみに「田楽狭間」と言われる地名はありません。正しくは”田楽坪”、現在は”広坪”と言われています。この地は昭和六十年代まで泥田地でした。
そう、信長公記に記述のある場所です。
ここまで読んで思ったこと、
ここに書いてある条件が当てはまる大名って織田家だけじゃない気がする。
けど、織田家が強かったのは史実だし。
上手く言えないが、織田家にしかなかったもの、それが何か分からない。
そこのとこ説明してくれるエロイ人降臨キボンヌ
つまりですね。
強い者が勝つんじゃない。勝った者が強いんだ。ということでつ。
織田家にしかなかったもの、か。「信長という男」、じゃダメ?
織田家以外の大名で農繁期以外も全力で戦えたところはあるの?
農繁期以外→農繁期でも
>>306 農繁期とかは特に関係ない。
どの大名も平気で戦っている。
ふおおおおお!よってたかってバカにしおって、もまえらみんなぬっころす
織田家が「強い」かどうかといえば、答えはNOにきまっとる
「勝つ」ための戦略戦法手段を選んでたから「勝った」だけの話だろがヴぉけが
非常識奇襲暗殺政略結婚だまし討ち皆殺し
悪魔の教科書に書いてあること平気でばんばん実行し徹底的にやる
これこそ織田信長が勝つ秘訣で、他の大名がまねできず敵わないところだろうが
大名家が勝つのは強いからじゃない、勝とうとするから勝つんだよ!
どうだ目からうろこが落ちたろう
おしえてもらってしあわせものだなもまえら、まあ礼はいらんわ
良い子の諸君のために一応つけ加えておくと
上にあげた条件だけでは一時の勝ちにしか繋がらないからな、まねするなよ
信長が勝ち続けられたのは、人の心を縛り従える才能も持っていたからだ
人の心を縛り従える⇔つごうの悪い者は手段を選ばず倒す
これが織田家の成長、覇道へのループだ
まさに悪魔の申し子、邪道の鏡だな!
信長が上手かったのは相手を戦場に引き摺り込んで決戦に持ち込むことだ。
他大名はコレが出来ずに志半ばで皆死んだ。
上杉謙信は引きずり出す戦略を全くといっていいほど使わずに70戦のうち
負けらしい負けはなかったっけ。ほとんどが城攻めで、野戦が数えるくらい
しかないんだよな、この人は。みんな怖れて真正面に立とうとしなかったらしい。
唯一やったのが武田信玄だが、結果はというと第四次川中島の合戦みたいに
激戦になっちゃうし。
しかし、引きずり出すはわかるんだが、決戦に持ち込むってこちらが圧倒的に
不利な場合だよね?信長って、そんな危険な賭けみたいなことしょっちゅう
やってたの?オレ、桶狭間しか思い浮かばないんだけど・・・。
>>312 最初は劣勢で攻め込み敵を挑発する
挑発された敵が戦場へでてきて隣接する城を攻めると、主力を投入して後詰め決戦をに持ち込むのが信長の常套手段だった。
たとえば森可成が劣勢承知でせめこんで浅井朝倉が宇佐山城を攻撃すると信長は大阪の主力を呼び寄せるといった段取りだ。
>>313 今までのレスをみると、信長は戦ではたいした事ないとか、弱いとかいう
意見が結構多かったんだけど、ちゃんと戦術を駆使してるのね。立派に
用兵家でもあったわけだ。
信長が戦に弱いとかいう人がいるのは
小説なんかで合戦では謙信信玄に劣るみたいな描写されることが多いから
その影響だろうね。
小説的にはそういう演出の方が盛りあがるんだろうけど実際はどうかってのは別。
みなさん292がせっかく騒いでるので話に乗ってやったらいかがですか?
オレは遠慮しときますが。うつりそうだし・・・
強いってのと勝つってのは違うよね
例えば川中島の四回目も戦死者の数とかで言えば謙信の勝ちなのかもしれないけど 後の状況みれば信玄の勝ちだよね。強いだけなら信玄に負けなかった長野業政だっている。切りがない。
>>314 強さというのを戦術面に限定して考えるからだと思うけどね。
>>313みたいなのは戦略というべきものだから。
もちろん、戦術面も決して「弱い」とまで言うほどのものではないと思うが。
ただ強いってのは武将としての強さ
勝てるかどうか、もっと言うとどっちが得をしたかってのは、一勢力の長としての、戦略の上手さ
信長が謙信を恐れてたのは確からしい。
プレゼント攻めで歓心を買おうとしてるし。
謙信に挑戦状を送りつけられて、勘弁してよ上洛のおりには案内役をします
美濃尾張2国だけはお助け(「北越軍談」「春日山日記」)ってのは
作り話らしいが。
言われたとおり桶狭間(あたり)に逝ってきた。すげえ疲れた。
正直この時期の信長に織田家の強さを聞いても意味ないと思ったが、
せっかくのリクエストだしオレ自身も興味あったので逝ってみた。
だが日時が正確でなかったのか(マシンのミスか記録か、あるいは両方)
晴れたのんびりした川辺に着いた。
土地の者の言うことは聞き取りにくかったが「田楽」と言ってた気がする。
あと「佐久間様は鬼の如し」(多分大学盛重のこと?)「たわけサンは男前」と言ってた。
戦場は見れなかったけど以外に信長人気があったことが判った。また逝ってみたい。
>>320 その程度信玄にだってやってるし、
当面敵に回したくない相手に物を贈って歓心を買うくらい普通にすることでしょう。
>>320 有名な洛内洛外図屏風ね。あと甲冑とか虎の頭、マントとかも贈ってる。
謙信からは珍しい鷹?
>>320 謙信みたいなのは、信長も扱いやすかっかもな。
散々持ち上げといて、家臣達には「あの馬鹿は」呼ばわり・・
>>320 江戸時代になってからのこととはいえ、信長てのは
ボロカスに書かれてるなぁ。信長と秀吉の人気がでたの
戦後になってからなんだと。
家康は信玄を尊敬していたみたいだし、秀吉は敵だから 江戸時代は悪役扱いでしょう。
それにしても260は
>>316とか自演までして構って欲しいんだろうか
いや。
316はどう見てもフェイク
260いい香具師そうだらか、苛めるなよ。
で、260よ。明日は休みだろ? ここ逝って来い。
場所「愛知県南設楽郡鳳来町長篠」
日時「天正3年5月21日」
前の日が雨で、ぬかるんでるから、長靴を忘れるなよ。
長篠の合戦か。両軍の真ん中へ出ちゃったら鉄砲で蜂の巣だぞ?
って、信長の三段撃ちってなかったと言われてるね。武田は
犠牲者多すぎるな。適当なところで退けばよかったのに。勝頼は
引き際を知らなかったのだろか。
333 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/03 00:03:36
退路抑えられてなかったっけ?
長篠は。
長篠を語ると長くなるが、武田勢は、退却するには退路が細すぎた、ってのは言って良いと思う。
>>332 引くとしよう。どこから引く?
1)後ろから 2)前から
1 真っ先に勝頼本陣が戦場を離脱を始め、またそれを見た
長篠城包囲していた部隊も、囲みを解き撤退を開始する。
長篠から信濃へは街道がひとつだけ。本隊と包囲軍が
道へ殺到したためたちまち渋滞が始まる。城からも撤退
を知り追撃部隊も出て混乱に拍車がかかる。前線部隊は
後方で起こるこの喚声に士気もあがらずに逃げ腰になり
ついには綻びが出始め、取り残された部隊は各個に撃破
され、後備部隊は追撃により夥しい損害を出した。
2 前線から徐々に兵を引いたために攻撃に対する圧力が
残置部隊を襲い、勢い抵抗も弱くなる、これを見て取った
信長はすかさず全面的に攻勢でるよう全部隊に下知を下すと
弱り始めた前線は抗し切れずに崩れ、倒れた武田の兵を
織田徳川の兵が続々と通り越していく、武田本陣でもこの
様はっきり見え、勝頼は一路信濃へ馬を走らせる。しかし
置いて行かれた将兵は怒涛のような織田徳川の波に飲み
込まれ、戦場には 武田の兵が幾重にも折り重なるように
倒れていた。
いったん接近した軍が無傷で離れることは難しいと思われる。
酒井忠次が武田軍の背後にある砦かなんか急襲して落としてなかったっけか。
>336
それに備えるために部隊を動かしたら
前線からは本陣の撤退じゃないかと疑心
が沸いていわゆる裏崩れが起こったと
されてますね。
>>311 そんな事ないだろう?
意味ある野戦は信長も少ないよ。
信長はこれでもかとばかり大軍をぶつけるので、
相手が引きこもってしまって野戦にならないケースが割と多い。
信長の軍事作戦では、敵防御拠点(城)への強襲が結構多いと思う。
持久戦の時は家臣または息子に任せて自分は余所の指揮に行く。
姉川は例外的ケース。
信長公記によると、山上から見ていた浅井朝倉軍が消えたので
帰ったものだと信長は思っていた。
そしたら翌朝、目の前にいたw
もし勝頼が内藤や山県らの旧来からの重臣の
意見をよく聞くようなやつだったら
長篠はどうなってたんだろ
それでも鉄砲隊には勝てなかったかな
むしろ外交で生き残りをはかったのでは?
武田家臣団の優秀さからみると、徳川くらいは潰してたかもね。
実際徳川家臣が優秀でつぶれたのは武田だけどな。
>>341 自論に都合の悪いケースを例外扱いすんなよ。
黒沢映画の『影武者』で四天王がそれぞれ風林火山の旗差物してるのにはワラタ スレ違いスマソ
>>343 勝頼が独断で押し切った戦だった→勝頼の権力の強さを表す
勝頼は重臣たちの賛同の下開始した戦だった→老臣どもすでに老害
勝った負けたで強弱判断するなら、長篠の合戦時の武田家は「弱い」んだろう?
すると金が崎の織田家も弱かったのだな。
強い弱いって言葉がすでに抽象的だな
野戦の能力、個々の武将や家臣の力量以外にも
水軍力や忍群力、家臣団の結束力や城の堅さまでも「強い」と評するに値するわけだが
信長支配下の織田家については「強い」=「勢力を拡大する総合パワー」しか思いつかん
その面では確かに成果を上げ続けてたからな
そのパワーにしても「運の強さ」の含有率は相当高いと思うわけだが
強い=勢いじやないかなあ
長篠合戦と思われるものを観てきた。
やばかった。死を覚悟する、とまでいかないが危機感というかとにかく体が震えた。
農民が一塊になって観戦してたのでそこにまぎれた。
もっと映画とかで観る俯瞰視点を想像してたけど実際は林の中からちっちゃい布陣を見守るだけでした。
旗が立ってなかったので断定できないが防御側っぽいほうが武田だと思う。
そこに黄色いホロをしょった騎馬が来てわあわあなんかいっていったん帰ってった。
で、しばらくしたらわああああってすげえ量の歩兵が走ってきた。
弓とかガンガンくらってるのに走るのやめねえし。
あっという間に策壊して、撤退したんだと思う防御側追っかけてった。
頭が真っ白になった。そしたら今度はいっしょにいた農民たちがサッと出てって刀集め始めた。
もうゲンナリして逃げ帰った。戦争はもういい。でも信長を一目見たかった。
生還乙
次はいよいよ本能寺か?
>>354(260)
大変だったようですね、お疲れ様。
週末はまた出かけるんでしょ?
金曜日あたりに姉川合戦の史料アップするんで、
またレポート希望!
つうかよお・・・260さんのスレがあっていいような気がしてきたのは俺だけか?
できれば戦国だけじゃなくて赤壁とか街亭も見てきて欲しかったりしてな
では、260さんを毎週どっかに行かせるということで
石山本願寺に立てこもって雑賀孫一に独占インタビューでも。
マジな話
現代の最先端の軍事理論を習得した人間が戦国時代に
タイムトリップしたら、天下を取れるだろうか?
人間としての実力次第でしょ。
なんだかんだいって家柄とか重要だし。
人を上手く動かせるかどうかとかのが重要だし。
個人の力で戦いを引っくり返すなら、科学技術を持ち込むほうがずっと効くと思うぞ。
その上で暗殺を回避しないとならんな。
いずれにしても人を動かす力が第一なのかな。
では現代の上司にしたい人No.1がタイムトリップした方が
天下を取れる可能性が高いというとこかな。星野元監督とか。
とは限らないだろう。
恐怖で人を押さえつける面を持つヤツも出世する
いや、そんなヤツのほうが向いているかも知れない
現代の軍事理論より、戦史とか武器の歴史を学んだやつの方がいけてるのでは?
信長の常設軍や鉄砲集中運用、鉄甲船くらいのインパクトは期待できそうだ。
あとすぐ効き目ありそうなのは金属精錬や航海術あたりか。
熱気球作れる人がタイムトリップしたらかなり強いと思うぞ。
まあ技術屋がタイムトリップした場合、トップに立つよりも助言者になる方が賢明な気がするが。
電気的技術が相当いけるかと。平賀源内が作っていたみたいな原始的な
発電機で明かりが灯して信長に取り入り、モールス信号でも教えれば
情報戦で最強になるね。
また常設軍なんて言ってるのが居るのかよ・・・・・。
織田に兵農分離がなくて、常設軍もなかったって根拠はなんだったっけ?
確かすんなり納得できるような理由じゃなかった気がする・・・
まあ定説に異論を唱えるってのは面白がられるからしょうがないんだけど
>>371 ぶっちゃけ、何の証拠も無いから。
秀吉が朝鮮に送った軍勢ですら半数は農民で、全国の農地が荒れたと
記録されておる。なんで信長が兵農分離やねん。
>>372 信長の兵農分離はせいぜい小説家の間で定説って程度だな。
あの時代、兵農分離をおこなったていう確かな証拠のある大名って、誰かな?
どっかの説で武田は兵農分離やってた、って話があったんだが、別のところでは
思いっきり兵隊は農民だった、と書いてあった。あれって個人が勝手に主張している
ものだったんかな。
考えてみれば、当時の人口比率の大半を占めるのが農民だから、何万規模の軍勢の
うち多くが農民になるのも当然だよなぁ。んで、尾張は豊かな方でぬるま湯に
使っているから貧困の国(甲斐、越後など)の農民兵より危機感が足らずに
弱かった、なんて話もあったっけ。
兵農分離は専業兵が100%か0%かって問題じゃなくて
割合じゃないの?そりゃ農民兵もかりだす時はかりだすだろうし。
そのへんは日本史板で聞いて来るか
>>375 武田は富裕農民層を御家人衆に指定して年貢ゼロだが常時軍役
やや富裕な層を軍役衆に指定して年貢半分で交替で軍役
一般の農民を惣百姓として農業に専念させた。
いずれも農業で自分の食い扶持を稼がねばならないので
「兵農分離」ではない。江戸時代の郷士とか曹操の兵戸制みたいなもんだ。
>>372 定説も何もなんの根拠もないのに信じてる方がおかしいだろう。
正直今更兵農分離を定説と信じている方がかなりイタイ。
オマエも必死だな
いつ根拠がなくなっていつイタくなったのかは不問なんですね
>>380の言い分がよく分からない
どういうこと?
382 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/05 21:09:30
>>380 最初から証拠などなく、最初から痛かった
これで理解できる?
>正直今更兵農分離を定説と信じている方がかなりイタイ。
いまさら、と言うからには兵農分離がイケてる時代があったんだろ?
382は矛盾してませんか?してないんだろうな。お前の脳内では。
ああ、揚げ足取りってつまんねえな、思ったより。
385 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/05 21:38:30
というか兵農分離>兵農未分離というわけではない。
傭兵なんて自分の命が惜しいからすぐに逃げ出す。
しかし土着の農民兵はそう簡単に逃げ出すわけにはいかない。
逃げ出したら自分たちの土地をとられ。
あとで皆と気まずい雰囲気になったり、逃さらに最悪、逃亡を主君に罰せられるわけで、
土着している農民兵の方がよっぽど強いんだが。
あと武田家とか見ればわかるとおり、
武士は普段は農村にいて農業をするのが当時は普通。
ほとんど重臣くらいでないと農作業をいっさいしない武士の方が珍しい。
「利家とまつ」で粗末ながらも城を持っていた前田利家の父親が農作業をしてた描写はウソではない。
少し前のログも読まずに沸いてくる
>>383みたいなのがウザイよな
ていうか三戦板でまだこんなアホがいるとは・・・
いちいちそんなこと言う喪前も結構な厨房ですよ
>>387 お前、必死杉www
厨房はさっさと寝ろwwwwww
>>388 うはwwwwwwおkwwwwww
喪前もさっさと寝ろwwwwww
いやまて、いきなり信長じゃあ260さんが危ないだろ・・・
斬り殺されないまでも、折檻には遭う。
機嫌をみてから話しかけるか、稚児か美女を装い
油断させるのもあり。いずれにしても
>>260さんの覚悟次第だ。
根性の見せ所。
えー正直信長が兵農分離できてなかったなんて知らんかってん
そこまで学問系の人が集まってるとは思わんかった
みんな一次資料はどの辺りを使てるん?
長宗我部は兵農分離を行っていたていうことを司馬遼太郎は小説で書いてたけど、
これは確証があるのかな?
小説ソースに歴史語るのだけはやめとけ。
とくに司馬遼なんてまるで見てきたかのように歴史解説するが
奴の小説は後世の創作や脳内ソースで書いてるのが殆どだ。
せっかく直ったのにまたイタイ流れになってきたな・・・
>>396 そんならおまえも一つ、戦国期にトリップしてこいや
信長を虐めればいくらでも領地がもらえるから織田家臣はやる気になる
そういいながらその他の書き込みについてもソースらしきものは出てないわけだが。
三戦板とは単なる恥知らずの溜まり場なわけか。
260にそろそろ登場願いたい
常備軍なんていってる人はゲームのしすぎでつね。あったとすれば馬廻りの存在がそれにあたるかと。
前田利家とか佐々成政など、土豪の子息で武辺者かつ率いる郎党が多数、こんなやつらが城下に居住してたと考えれば五百騎くらいは直ちに動かせる。
まっ傭兵なんて合戦前に募集すればいいのさ。給金が多かったり金払いが良ければ直ぐ集まるって。志で飯は食えんよ。
402 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/06 02:10:34
チートしてた
常備軍とか言ってる奴の常備軍て
金で雇ってる浮浪者やらヤクザ連中の事か?
>>394 一領具足はむしろ兵農分離してない代表例っしょ。
実際信長の馬廻りは軍勢の核として非常に強力に働いたらしい。
数そのものは多くはないが。
>>382 そういうことだね。
つまり、
>>379で「今更」と言ったのが間違いだったわけだ。
理解できたか?
>>380しかしこんなことでまで揚げ足を取らないと反論一つ出来ないとは、
哀れとしか言いようがないな。
>>401 城下に居住してたけど、本業は別にあったんだけどね。
単身赴任で大変だよw
つーか馬廻程度ならどこの大名も普通に同じように抱えてるけど・・・
まあ、個人に対して過去ログ読んどけという意味で言ったなら、
「今更」でも間違いではない。
そういえば信長には軍使的な存在がいないような。
蜂須賀小六や竹中半兵衛は直接の部下じゃないみたいだし。
直接の配下も勝家や利家など勇猛さがウリの武将ばかりだよな。
軍使→軍師 スマソン
軍師が必要だと思ってるイタイやつがまだいたんだな
戦国時代に軍師はいない。
馬廻は普通だけど信長の馬廻は良く発達してる方だと思う。
馬廻の強さってなんだ。
数なのか仕組みなのか、人選なのか。
数と錬度かな。
というか、機動力を要求されるような局面でしばしば単独で作戦できるような力を持っているので、
そこから逆算して馬廻が強かったということなんじゃないかと思ったわけだが。
ふぁ?
>というか、機動力を要求されるような局面でしばしば単独で作戦できるような力を持っているので、
具体的に例をあげてくれ。
「作戦」と言うと最後まで戦ったみたいか。
そうじゃなくて、たとえば朝倉追撃の時とか、家臣がもたもたしている間に
信長が馬廻りのみ率いて追撃開始した、みたいな話。
それだけだと一場面のレベルを超えていないように思えるが。。
戦況に重大な影響を与えるようなものはないのか?
423 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/06 17:38:59
知恵ではないだろうか?
兵士自体はさほど強くないと思われるが・・・三河兵の方がよっぽど強いかと?
あとは宗教、人心を支配目的でのみ考慮したからでしょう。
本能寺の変が起こる前など、当時の人から見れば心などない化け物の
ように見え恐れられ、家臣の間にもとまどいが生じたのでは?
信長一家に入れば待遇も他の大名家より良かったと思われる、特に女w
>>412 軍師ってか、信長に対し意見をよく言ってくれる奴って意味?
なら確かに信長にはいない・・ってか信長がそれを嫌がったからね
軍師ね〜
今川家の雪斎なんかはそういえるのでは?
それいがいではっきり軍師と呼んでもいい
活躍をした武将は、知らないな。
日本の場合 軍師というより黒幕と言った方がしっくりくるのでは
野中や金丸みたいなかんじの
天海とか崇伝とかを政権内の立場としてみたなら軍師としかいいようがないとは思う。
天海とか崇伝とかを見てもとても軍師とはいいようがないだろ。
中国でも軍師って言われるポストはなかったんじゃ?
諸葛亮だって劉備の参謀格として活躍した事例は、
じつはほとんどないし。
軍師って言うかブレーンだね
軍師って言うだけでなんだかオカルトめいて見えてしまう
角隈石宗@大友家は?
戦国末期になると筆頭家老が実質取り仕切る例ってのは多くなるよね
鍋島とか
両川とか
・・・秀吉とかな(苦笑
どういう意味で軍師って言葉をつかってるんだ?参謀って意味か?
小説・講談的意味だろう>軍師
>>435 おそらくこのスレの住人なら
ほどんどが了承しているだろう<架空の存在
>天海とか崇伝とかを政権内の立場としてみたなら軍師としかいいようがないとは思う。
現にこんな不思議な意見があるわけだが。
だから「ほとんど」なわけで。
すまん。軍師の意味を全く理解できていなかった。
戦に関する知識を人よりもたくさん持っていて、大将のそばにいて
アドバイスしてくれる人かと。
って、周りの側近と同じヤン。
>>439 そういうヤツは実際にいた。
ただ、物語みたいに神がかってない。
ちわ。長篠の一件からちょっと考えを改めた。
最初は信長に突撃取材だ、くらいに考えてたけど戦国の気風(ヤバさ)は想像以上だった。
とてもじゃないが戦場では信長に会うどころか遠くから見ることすら不可能に思えた。
なので何日か考えまくったあげく、文化人として接近できないかと思い今日京に潜入してきた。
すげえ面白かった。現代と全然違う。活気がすげえ。いろんなモノがあった。
やっぱ殺伐とした時代な分、楽しむときは心から取り組んでるんだろう。
木彫りの鬼のフィギュアと飯茶碗買っちった。明日また行きたい。
やばいやばい、260さんがまごころの堺商人に!
>>412(260)
関白近衛前久に会ってきてほしい。
どんな香具師か、京童衆の評判だけでも。
それと、叡山の様子も。
>>415 お抱えの占い師とかの事でしょ?
「今日はあちらの方向には動かない方が良いですぞ」みたいなの。
それならどこの家にもいたんじゃない?
加納瑞天だな!
あれはフィクションだけど、あーゆーのはいただろうね。
謙信なんか好きそうだ。
260が完全にミッションを忘れタ━━━ヽ(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)人(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)ノ━━━!!
無能のチンカスが一生懸命天才のやったこと理解しようとしてもわかりっこないでしょ(´,_ゝ`)プッ
いや、とりあえず発言と状況をメモっておいてくれれば
天才である我輩が、解釈して差し上げるぞ。
260氏には亜空間にも旅して欲しいものだ。
例えば何かの手違いで信長が薩摩に生まれている世界、とか
むしろ平蜘蛛爆弾ごと、松永久秀をいいくるめて連れて来るとか。
もういろんな意味でアレ。
というか、無線を何個か持っていけば
速攻で拝謁できると思うワケだがw
電池が切れるとかんしゃく起こされそうで恐いなり
意味不明に技術を伝授させられて、戦国版を量産されたりしてな。
3000個の無線を揃えて夜襲とか、ワケワカラン
火器はかさばるから、もって行くなら化学兵器だな
管理が難しいな
ふつうに合金技術と石炭を掘り出す採掘技術、それに銃の構造の知識さえあれば
もっと戦国時代とは断絶してる様なモノの方がイイべさ
缶詰、カップメン‥は、駄目だな日本狭いし‥
日光充電式の腕時計と計算機でも持ってくか。
>>456 旋盤も無いのでは高性能な銃なんてとてもとても・・・
いっちょ核(ry
よりシステマチックな参謀に憧れる年頃なんでしょ
で、軍師?pu~ とか言っちゃう。
>>458 言えるかも知れないが、
それ以前に存在が(ry
あ、「山本菅助」は実在したらしいけどな
名前の当て字なんてよくあるから意味の無い言葉遊びだね。
重要なことは資料に確認される
武田の侍大将「山本菅助」が信玄(晴信)の参謀格として活躍し
啄木鳥戦法を川中島で進言するような地位にあったかどうかだ
「天才軍師勘助」の像を実在の侍大将に仮託したのであろう、
と俺の読んだ本にはあった。
つまり、菅助は実在し、勘助は架空の存在だった。
表記の問題ではなく、内実の問題だな
確かに地位は微妙だけど、兵学そのものは、どっかの寺で習ってた様な。
「山本カンスケ、は実在です。
甲陽軍鑑以外に活躍の様子がみえないので
永く実在を疑われていました。
ところが
信濃出身で北海道に移住した市川家のいわゆる『市河文書』の
なかから、武田信玄が書いた
「(状況はこうこうで安心してもらいたいが、あとは)‥山本菅助口上候‥‥」
なる書状が発見されました。
当時の習慣では菅助と勘介はイコールと考えてよいでしょう。
書状によれば山本菅助はおそらく「使番」です。
使番とは、バイク便のお兄さんなんかではなく、
武将の職掌です。のちの江戸幕府では1000石クラスの
旗本が務めました。
補強史料としては
「甲斐国誌」に山本勘介の屋敷の記述、「甲州善光寺記」に勘介が
普請奉行をした記事、仁科盛信で有名な高遠城の勘介曲輪などなど 」
http://history.ten.thebbs.jp/1079788717/0-99 はたして「軍師」か?
そもそも軍師なんて職務は無いだろ。
信玄が合議を好むなら、せいぜいその席上GJな意見を言う奴ぐらいだ。
わざわざ軍師なんて呼ぶってことは?
家中の地位が他に何もないんじゃね?
とか思っちゃうぜ
思うだけ
ところで「軍師」という言葉が一般に膾炙しはじめたのはいつだ?
江戸の講談では「今楠」「今孔明」なんて売り文句とともに
天才的知謀を持つ軍師が活躍するわけだが
そういう概念は室町末期にすでに存在していたのか?
「名将名君には軍師が必要」これ
江戸時代の軍学師が食っていくために考えた概念
ちなみに軍記物も彼らの机上の理論、江戸時代に発達した
槍術・剣術をもとにしてるから嘘ばっかしと思われ
参謀の様な役割の武将が、君主より大分年長だと軍師になる、とか言ってみる
つーか、スレ違いじゃないのか?
上杉景勝@直江兼続
伊達政宗@片倉景綱
徳川家康@本多正信
なんかは違うの?三国志なんかと違って戦国は当主が優秀な人が多いよね
>>468 つーか江戸時代の人間は読み物が大好きだから。
あくまでも江戸時代の考えだろう。
なんにしても織田家とはあまり関係なさげだな
参謀ってのは命令を伝達して実行させたり事務管理をしたり
ときには目上の階級のものを指導する役目の連中だろ。
そんな役目をした武将など戦国期には一人も存在しない。
どうして厨房ってこう断定が好きなんだろうか
勝手に定義を断定して勝手に存在を否定して・・・
オマエの言い分だと朝鮮役の石田三成が当てはまるんだがどうせ
「いや全然違う」って言って新脳内設定提示だろ?もう付き合って欄内
>参謀ってのは命令を伝達して実行させたり事務管理をしたり
>ときには目上の階級のものを指導する役目の連中だろ。
信長の場合、馬廻がピッタリこれじゃないか?
信玄なら足軽大将にやらせてた仕事だな。
>>477 三成のどこが参謀の役割したことがあんだ?厨房はおまえだろ。
>>478 参謀ではなく参謀の役割の極一部をになった下級将校って感じだな。参謀では決して無い。
>>477 勝手な定義ではなく事実参謀とはそういうものだろ。
無知おまえが勝手な参謀の定義をしているにすぎない。
戦国時代に参謀と呼べるような役割をした武将など一人も存在しない。
参謀といってもずばり「参謀」と言う肩書きがある場合でも、
軍隊によって役割が違ったりするはずだが。
同じ参謀でもやることが違ったりね。
状況を具体的に説明せずいきなり断言する方がおかしいとは思うが。
>>479 朝鮮の役の時三成は秀吉の命を受け渡海し、
いろいろ指図したということは良く聞くが。
指揮官の意思を前線へ伝達することと指揮官の意思決定を補佐するために情報収集と分析を行う専門職を参謀と呼ぶ。
>>482 参謀の役割の一旦を受け持っていた以上の存在ではないな。
さんぼう 0 【参謀】
(1)高級指揮官の幕僚として、軍の作戦・用兵などの一切を計画して指揮官を補佐する将校。
(2)表立った指導者・指揮者の下にいて補佐し、意志決定に際して進言・献策など重要な役割を果たす人。
「選挙の―」
>>484 随分適当な定義だな。あたらずともとおからず。だな。
486 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 18:17:32
適当な定義も何も辞書のコピペだけどね
参謀が本来もとめられた役割ってのは作戦立案などではなく管理業務の補佐にあり
現代でも指揮権すらなく(指揮官が戦死しても参謀が代わりに指揮を取ることは無い)指揮官の補佐に徹する役職
戦国時代の武将にはありえない役職だよ。
>>483 「事務管理」が「指揮官の意思決定を補佐するために情報収集と分析」に変わって、
「ときには目上の階級のものを指導」が抜けているね。
どうやら、
>>477の
>新脳内設定提示だろ?
という予言があたったようですね。
>>488 もっと勉強しなよ。脳内新設定じゃないっつーの。
辞書片手に参謀語る厨房にマジレスもなんだがなー。
490 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 18:33:06
言葉の意味って定義次第で全然変わってくるからね。
勝手に意味を狭めてそれで無いって断定すりゃそりゃないんだろうけど。
広義か狭義か。あるいは自分流の定義か。
>>490 言葉の意味ではなく参謀の役割の意味だろ。おまえのは無知から来る脳内参謀定義なわけだがな。
492 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 18:35:38
参謀の役割の意味を話しているのに国語辞典で言葉の意味を引く馬鹿は死んだほうがいいだろ。
何を必死になっているのか知らないが、
とりあえずあなたの参謀の定義の根拠はなんなんだ?
それを上げてくれないと辞書より劣るぞ。
どうもまともに話ができる人じゃないみたいだけど。
>>493 様々な書籍から。あげたらきりないのでとりあえず「ドイツ参謀本部」から嫁。
そして己の無知さと傲慢さを恥じ入るがいい。
>>494 己の無知さと勉強不足を受け入れられず人格攻撃する厨房ばかりだからね。
プロイセンが確立した参謀部の役割は、
>>483で合ってる。
専門職というところがポイント。
戦国大名くらいだと、規模的には古参や土地鑑に優れた武将でその役割を担える。
専任化する必然性がちょっと見当たらないと思うし、専任化してる大名の話も聞いたことない。
で、軍師も参謀も織田家とあんまり関係なさそうなんだけど。
>>495 せっかくだから具体的な記述を抜き出して書いてみてくれ。
>>499 お前が読んで昇華した物を書けよ。あ、ゴメン。読んでないのに言っちゃったか
最初からプロイセンが定義した参謀本部とは、
と言っておけば荒れなかっただろうに。
504 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 18:53:34
>>495 あなたの定義する「参謀」が「ドイツ参謀本部」を根拠とするものなら
「ドイツ参謀本部」の定義するところの「参謀」はこれこれこういう意味でそういう「参謀」は戦国時代に一人も存在しない。
って言えば済むんでしょ。
言葉の意味なんて使う人によって違ってくるんだからさ。
狭いグループの中での議論ならともかく色んな人がいる場所では考えないと。
>>502 逆切れか?わらっちゃったよ。戦国時代の参謀はみちゅなりーーてか( ´,_ゝ`)
>>504 ならおまえの言う参謀ってなんだ?
参謀なんて専門職が戦国時代にあるはずもないわけだがwww
ぶっちゃけもうどうでもいいからどっか他所でやれ
どうもこの彼は大モルトケが創始した参謀本部システム、
それに基づく参謀だけを対象にして語っているようだ。
そりゃあ、そういうものは戦国時代にはいない、
なにしろモルトケが創始したのだからそれ以前には存在しないのは当然だわな。
問題はほかのものはもっと広い意味で参謀という言葉を使っていたということ。
いっちゃあなんだが
>>484の参謀でも戦国時代に該当する役目の武将はいないぞ。
戦国時代に参謀はいなくて、参謀の役割をそれぞれの武将がちょっとづつ担っていただけだろ。
三成一人をとって参謀だってのは嘘っぱちだわな。
三成を参謀とするなら清正も正則も嘉昭もみな参謀だわな。
参謀は織田家が凄まじく強かった理由に深く関係あんのかよ
どうでもいい言葉遊びはよそでやれや
512 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 19:07:27
>>512 で、おまえはどういう意味で参謀をつかってたんだ?
参謀の話もいいけど、
織田家が凄まじく強かったのは何故なんだろう・・。
515 :
512:04/11/07 19:12:21
本当は何も知らないんだけどしった風な口を利きたかっただけだい。
>>513 512ではないが、
軍において司令官の身近にあって作戦の立案や献策を行う者。くらいだな。
517 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 19:26:00
>514
凄まじく強くなかったでFA
しかたないだろ。
大モルトケ以降現代まで、参謀といったら
>>508前段のやつになっちまうんだから。
辞書引いたのだってそれを想定して書かれてるっぽいし。
定義ごっこなんかつまんないから、会話になるようにしようぜ。
戦国日本は一部異様に進歩してるところもあったから、
実は専任参謀がいましたみたいな歴史資料があるんなら面白いけどな。
城や領地まで武将が個別に持ってる封建国家じゃ、意味ないだろ。
521 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 19:37:05
うわぁ気持ち悪い流れ。彼はすごい人だな。
論破されると悔しさから気持ち悪いかよ。
おまえの方はるかにキモイわ。
ひつこく参謀議論で粘着してるヤツは全員キモチワルイ
524 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 20:32:24
内海康満の仙骨療法がお名前拝借して、家臣団を作ったけどよわっかったなぁ。狐と洗脳じゃあ無理かもね。
とりあえず信長に参謀と呼べる男はいなかった。
戦略・作戦立案は信長自身が行っていたからだ。
戦場にいない場合の戦術指揮はともかく。
それでも柴田なんぞいろいろ口だされてるしな
526 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 20:47:42
機動武闘伝Gオダグン
どうでもいいしそんなもんだろ。
あとは参謀バカがごめんちゃいとカミングアウトしてくれれば丸く収まりそうだけど
しなさそうだなあ・・・
>>522 「彼」が誰のことを言っているのか分からないのに噛み付くな。
そういうのを釣られたというんだぞ。それとも自演?
>>526 おかしいのに気が付くまで7分くらいかかった
>>519 どうでもいいがドイツ参謀本部の創始者はシャルンホルストだろ。
慌てて勉強しなおして出直してきたのかな?
もう止めとけ。とりあえず。
そもそも信長はアフォだし。
534 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/08 00:54:48
秀吉やら明智を重用できるのが強みだな。
既得権益の薄い家臣の方が使いやすいからな。
忠誠心もうすいけどな。
喧嘩に乗り遅れた‥
武将、大名の傍で、情報を共有して判断に参画する役割は
なんて呼ぶんだ? とか言ってみる。
武将でいいんじゃないか?
それは無いな
どっちかっていうと明智などの知識人だろ、相談役みたいなもんじゃないのか。
ある道に精通している奴に意見を求めたり、進言されるってもんだと思う。
黒幕
542 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/08 16:28:52
大工のおかげ
はっきり言って俺のおかげだと思う
おまえせっぷくだ
545 :
辞世の句:04/11/08 20:22:26
ささいなる
遊びの果てが
腹切りよ
546 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/08 23:09:57
今イラク、ファルージャで行われている10000対10000の肉弾戦は、
戦国時代でいうと、姉川の合戦に相当するのでしょうか?
石山本願寺攻略に該当するのでしょうか?
長嶋本願寺攻囲戦じゃないか
さっさとテロリストを皆殺しにすりゃ、戦争は終わり、イラクに平和がおとずれ、アメリカ軍は変えれると思うんだがなぁ。
ってのは信長的発想か。
アメリカ軍が空爆だの誤射だのしながら居座り続ける限り
怒りと悲しみでテロルに走る人は増える一方だと思うが。
信長の本願寺攻めは敵本拠地のすりつぶしが主で、成果を得たら講和などをする等
きちんとした戦略があった。
とてもあの鼻の穴のでかいあほな大統領とは比べちゃいかんとおもう。
信長オタキモイ
>>548 そもそもテロの本質が分かってないな
三戦らしい厨房ぶり
>>549 >>548は脳が腐ってるとして
たかが一宗教の本願寺とイラク全土全国民じゃ、話が違うでしょ。
本願寺→既得権益にしがみつく上層部と煽動された宗徒
イラク →国家の尊厳を真面目に考えてる人々+宗教の名の元に権勢を広げようとしてる人+戦争の混乱に乗じた不届きな賊徒
>>553 それ+、戦国時代の本願寺を支援する農民は一定の地域にしか居なかった
イラクはアメリカが嫌われ過ぎて、抵抗勢力は支援受け放題、イスラム過激派はどうか知らんが。
今イラクにいるテロリストは、もはや外国産の機会便乗主義者が主だと思うが。
まあ、ここでは織田家の話をしようや
俺もそう思うけどな
みんな貧困が悪いんです
まあ、ここでは織田家の話をしようや
イラクは金持ちだけどな
おとな
>>559 謀将に禄を与えず、とも言うしどうだろ‥
軍師でいいんじゃないの?それとも側近かな?
別に参謀でいいと思うんだが、
異様にその定義にこだわるものが居るからね。
まあ、無難に参謀的役割を持った家臣としておけばどうだろう。
よし 話題を変えよう! 信長が桶狭間で勝利した後 東、西には目もくれず、美濃攻略を始めた事についてどう思う?
斉藤家と既に交戦状態だったのだから当たり前。
もっともその当たり前のことが誰にでも出来るわけではないんだけど。
それじゃあ、
「後世において参謀と呼ばれるものが行う役割の内その一部を、
当時、戦国武将の傍らで主に行っていた家臣。」
これでよろしいでしょうか?
俺は565じゃないけど、当時その役割に名前があったかどうか興味がある罠。
俺は軍師でいいと思うんだけど、軍師人気無いからなぁ‥
そりゃ軍奉行とか総奉行のことか?
まぁ、参謀そのものはいなくてもその役割を分担したのは各種の奉行だろうね。
総奉行といえば、石田三成が朝鮮の役の時そうだったような。
>>563 美濃攻略の前に、北伊勢あたりに勢力を拡大したんじゃなかったっけ。
>>552 なんで脳が腐ってんだ?
お前は「アメリカが悪い。アメリカが終われば世界は平和になるんだ。」みたいに思ってはいまいな?
今、アメリカが帰ったら、イラクは動乱状態になる。イラク人もアメリカ軍の暫くの駐留を望んでいるんだよ。
テロリストなんて無差別に人を殺しまくるだけの、糞どもでしかない。
>>563 京へ進出するのには美濃を手中にするのが一番の近道だったからじゃないか?
>>572 えーと・・・
な
お
今
テロ
かな?
>>571 稲葉山を落とした前の月に小手調べ程度の出兵をしてる模様。
美濃攻略もほぼ終結に近付いたので次の戦略目標を考え始めた、ってあたりでは?
ここにもかえるのあしあとが
577 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/21 19:00:45
全ては秀吉様のおかげです。
秀吉様がいなかったら織田家なんて朝倉浅井あたりを倒すこともできませんでした。
秀吉を産んだ母が(ry
579 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/22 23:16:01
>>577 なんで朝倉攻めに秀吉が・・なんだよ。
浅井にはどういうわけか先頭立って必死に戦ったけどさ(市が目当て?)
朝倉攻めには出兵すらしてないぞ。
580 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/22 23:18:14
581 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/23 00:18:02
>>575 小手調べか?大規模な美濃攻めを斎藤に気付かれないよう、まず伊勢を攻めたのだと思うのだが。
まさか伊勢にいるはずの織田軍が美濃の国境を侵犯するとは夢にも思うまい。
>夢にも思うまい。
プ オマエは子供向け偉人伝でも読んでろw
つーか既に完全な敵対関係にある国に、そんな手が通用するかよw
いきなり釣れたか
これだから初心者は困る
国境を侵すかとかそういうレベルじゃなくて、
七年越しの美濃攻略戦の結果、もはや詰めの段階なんですが。
>>584 必死だな (´,_ゝ`)プッ
厨の特徴
・叩かれてから、「釣りだった」と誤魔化す
まあ、どっちもどっちだ
仲良くやれ
ほんと こいつらガキだな
このスレタイじゃしょうもない
590 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/23 13:05:23
やはり秀吉様のおかげですね
591 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/23 13:27:32
これだから初心者は困る
これだから初心者は困る
これだから初心者は困る
あなたわらえますね^^;^^;^^;^^;^^;^^;^^;^^;^^;
ageるなよ
これだから初心者は・・・
>>592 でたsage強制厨
これだから初心者は・・・
俺以外必死でござるな
>>593 ウザすぎ
ほんとこういう馬鹿がいると場が荒れるんだよな
氏ねこのカス
おまえもな
599 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/24 20:01:29
結局秀吉様のおかげですね
>>598 黙ってニヤニヤしてればいいのに‥初心者ですなぁ
なんてなw
朝から晩まで張り付いているニートが二名いますね
603 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/26 18:56:10
という事は、俺は違うな。よかっかよかった
織田家がというか、信長は・・だな
その息子たちはあれだったし。父親はまあなかなか強かったけど、すさまじく強かったわけではないし
606 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/27 12:36:17
要するにすべては秀吉様のおかげということか
太閤マンセー
>>605 語弊がありそうなので訂正しとくと、父親ってのは信秀(まあなかなか強かった人)な。
息子たちってのは信孝や信勝な。
織田家が強かったのは信長のおかげ。
>>606 秀吉こそ誇張ばかりの男だろ。あいつがいなくても正直体勢に影響は無い。
本能事後ぐらいだな。
浅井裏切りだってあいつひとりだけで殿軍勤めたわけではないし。
一夜城はそもそもなく、ただの砦改修を「織田家」がやったのであって、秀吉の功績ではないし。
なあ、どこで秀吉が織田家にとってそこまで重要だと言えるよ?
もちろん、一家臣としては、勝家と同じように地方方面軍にまで出世して、そこで働いたよ?
しかしあれだって秀吉じゃなきゃ出来ないと言い切れるか?
まあ秀吉が無能とはもちろん言わないし、一武将として有能であったのは確かだ。
が、織田家が「すさまじく強かった」理由の、そこまで大きいパーセンテージをとることは出来ない
馬鹿は死ね、つまんねー釣りは不愉快だ。
秀吉=仮にも一時は天下を取った。
610 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/28 15:42:58
信長の死後すさまじく強かったのは他の誰でもなく秀吉様でした。
そして信長より簡単に天下をとりました。
織田家がすさまじく強かったのは全て秀吉様のおかげといううことですね。
612 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/29 00:54:50
金ヶ崎後、近江では最前線に立って良く守っていた。
集団防衛体制の一員と言う位置付けではあるけれど秀吉のポジションはその中でも重要な位置だろう。
中国戦線でも、真面目に良く働いてると思う。
信長の家臣の中でも一線級の有能な武将と見て良い。
ただ織田信長の強さの主たる理由としては、ちょっとな。
あのポジションに一線級の有能な武将を置けば、それほど酷く違う形にもならんような希ガス。
重要な能臣であったことは間違いないだろうが、他家にも人材がいなかったわけではないし。
信長が強かった理由…性格の悪さから来る嫌がらせの天才だったから…じゃねぇのか?
>>610 >信長の死後すさまじく強かったのは他の誰でもなく秀吉様でした。
すさまじくはない。ギリギリだ。家康も落としきれてない始末
>そして信長より簡単に天下をとりました。
簡単にも糞も、信長の地盤掠め取っただけだろ。
すでに天下秒読みの地盤だぞ、これで天下取れなきゃ大馬鹿だ。
>織田家がすさまじく強かったのは全て秀吉様のおかげといううことですね。
上に書いたように、その結論のための論拠はことごとく否定できるので、その結論はでない
>>615 自分で「ギリギリ」と言っておきながら「掠め取っただけ」とはどういう事ですか?
>>609 お前が馬鹿だ。天下とった後のことではなく、織田家中においての働きを話してんだぞ今は。
それに無能とは言ってないし、むしろ有能だったと言ってるのに。
ただ、パーセンテージで言えばそこまでいかない、と言ってるだけだ。
それとも・・まさか秀吉部隊だけで殿勤めたとか、一夜城の話を信じちゃったりしてるのか?
>>616 マジで言ってる?とりあえず落ち着いて読め
>>616 信長死後→家督相続→実質的に織田勢力の後釜に
ギリギリって↑主にこれのこと。織田家中での戦いなどのこと。
>信長の死後すさまじく強かったのは他の誰でもなく秀吉様でした。
という文に答えているんだから、当然信長死後の家督相続の争いも含むし、最初はそれが来る。
掠め取っただけ、とは、「それしかしてない」ではなく「天下取りを一気に進められた理由」として挙げてるんだよ。
そして「本来秀吉は継承すべきではないのに」という両方の意味で使用してる
いつの間に文章力のなさと読解力のなさを競い合うスレになったんですか?
616の読解力がないだけだろ
>>617 随分勝手読みする奴だな‥
信長こそ誇張ばかりの男だろ。あいつがいなくても正直体勢に影響は無い。
そんな馬鹿なw
>>622 何言ってんだ?
本能寺後からは影響あるって書いてあるだろ?そらそうだろ、天下取ったんだから。
影響ないってのは、家臣時代の話だと馬鹿でもわかるだろ。わざわざ本能寺後、とか分けてるんだから。
信長と秀吉じゃ、本能寺以前はそりゃ天下に与える影響は違うに決まってる。大名と足軽〜家臣なんだから。
そもそもこのスレは、「織田家がすさまじく〜」というタイトルなんだから、わざわざ「本能寺以前」と一言つけんでも、
本能寺以前だとわかりそうなもんだが、622みたいなのでてきそうだから一応つけたのに。
それでもまだ勘違いしてるとはどういうことよ
>>623 そう言われりゃそうだな、織田家は織田家か
625 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/30 20:48:41
そう言われりゃそうだな、織田家は秀吉様のおかげで強かったんだな
もう625みたいな電波を相手にするのはやめようよ
織田家が強かったのは、凄まじく運が良かったから。
義龍が50まで存命→家康あぼ〜ん→ただの大名
氏康早死に→信玄早めに上洛→あぼ〜ん
義賢討死せず→三好強盛→上洛不可→ただの大大名
松永他所へ仕官→義輝、長慶存命→同上
>義龍が50まで存命→家康あぼ〜ん
馬鹿?
>氏康早死に→信玄早めに上洛→あぼ〜ん
信玄上洛できると思ってんのか・・武田厨なの?
>義賢討死せず→三好強盛→上洛不可→ただの大大名
これはさすがに冗談で言ってるんだよな?
>松永他所へ仕官→義輝、長慶存命→同上
・・・くそつまんないネタをよくも4行も書けるな
629 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/01 20:10:25
秀吉様の運が良かったからですね
ここは電波な人がたくさん現れるスレですね
>>628 >馬鹿?武田厨なの?冗談で言ってるんだよな?くそつまんないネタを
そう言わずに反論してみて下さいよ。(・∀・)ニヤニヤ
>>631 お前から電波なこと言い出したんだから、お前が細かい経緯説明しろよ
>義龍が50まで存命→家康あぼ〜ん→ただの大名
な ん だ こ れ
電波を解読できないでいるのに反論を要求されるスレはここですか?
>>628は日本語が不自由なようなので俺が説明してやる。
>義龍が50まで存命→家康あぼ〜ん→ただの大名
義龍が50まで、つまり1577年まで生きていた場合、美濃進出を諦めざるを得ず、
家康との同盟を破棄して東進を開始することになる。
この場合、家康を滅ぼすことはできても一地方大名に終わる可能性が高い。
アホか。
ごめん、
>>627は日本語が不自由なようなので、だ。
628スマン。
>義龍が50まで存命→家康あぼ〜ん→ただの大名
義龍が50まで、つまり1577年まで生きていた場合、美濃進出を諦めざるを得ず
その場合、信長、家康との友好を締結する意味の無い武田が、徳川の攻略を開始することになる。
この場合、かろうじて伊勢を滅ぼすことができても
一地方大名に終わる可能性が高い。だろ?
風が吹けば桶屋が儲かるってやつだな。
ちょっと、あんまりだ。
639 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/05 00:05:10
たられば厨
織田の常識、世間の非常識
>>627禿ワロタ
この調子で面白い事言ってくれよ
(・∀・)ニヤニヤとか無駄な顔文字つけていいからよw
織田信秀が外出し→信長生まれない→ただの精子
644 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/05 18:52:39
ようするに秀吉のおかげってことだ
部将に対する中央集権・恐怖政治がよかったんだろうな。
他の国は、基本的に大名は国人衆の代表者。
他の国では、部将はあまり利が少ない戦場では手を抜くし、現状維持に満足している者は
主君の対外遠征方針に反対を唱えることも多々ある。
武田・北条・上杉・今川・毛利・大友・島津・長宗我部・三好・・・みんな国人政治に
苦労してきた。
信長はそのしがらみを斬ることに成功した有能な君主ってことだろう。
>>628 信長が斉藤家に時間をかけたのは、たくさん理由があるとされているが。
義龍の病死を知っていたからとかな。
それにそもそも義龍は病だったゆえに慌てて謀反した、とかな。
まあ例えそれが無くても、普通に斉藤攻略にちょっとした時間差が生まれるだけじゃないか。
646は無能
そもそも桶狭間とか信玄ぽっくりなんて運の良さ以外の何者でもないのでわ
なんか長篠とか都合よく雨降るし
信玄が馬鹿だからな
謙信ぽっくりもあるしな
三好一族の自壊で上洛できたのも運。
運だけじゃないさ。
>>651 そりゃそうなんだが
織田信長は凄まじく「運が」強かった
これはダメか?
忍者の仕業ってのは??
風太郎史観になるけど。
信玄、謙信、義龍に関しては無いな、三好一族に関しても無関係。
能力
信長>秀吉>>>>>>>>越えられない壁>>>>>>>>家康
信長は殺されてるから‥
能力
家康>信長≒秀吉
>>648 信玄はぽっくりじゃねーだろ
病気の信玄が先長くないと分かってて慌てて出てきて、死んだだけ
>>648 桶狭間は深いよ。
あの時から既に、信長は戦をひとつの戦いで決めるのでなく、
小競り合いから決着までを「ひとつの戦」として考えていたことが分かる。
けどあんな勝ち方のせいで、信長に対する見方は捻じ曲がった過小評価になってる。
うみゅん
でも別に信長の技で死んだわけではないよね?>信玄
>>656-657 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
_____
/ ̄ ̄ ̄ ̄\,, /−、 −、 \
/_____ ヽ / | ・|・ | 、 \
| ─ 、 ─ 、 ヽ | | / / `-●−′ \ ヽ
| ・|・ |─ |___/ |/ ── | ── ヽ |
|` - c`─ ′ 6 l |. ── | ── | |
. ヽ (____ ,-′ | ── | ── | l
ヽ ___ /ヽ ヽ (__|____ / /
/ |/\/ l ^ヽ \ / /
| | | | l━━(t)━━━━┥
>>660 656 :無名武将@お腹せっぷく :04/12/07 22:38:37
信長は殺されてるから‥
能力
家康>信長≒秀吉
657 :無名武将@お腹せっぷく :04/12/08 00:00:58
>>648 信玄はぽっくりじゃねーだろ
病気の信玄が先長くないと分かってて慌てて出てきて、死んだだけ
>>659 信長の技と言うより、普通に信玄が動くの遅すぎただけ
>654
しかしタイミング良いよな
でも考えてみりゃ、義龍も信玄ももともと病気持ちだし、普通に死ぬタイミング計られてただけか
謙信の死は、上の2人よりは奇妙な感じがするが
>>657 それをぽっくり・・・・っつっても別に良いのでは・・・・・・・
>>656 長生きは確かに才能のひとつかもしれんがそれでもそれほど大した才能じゃないと思う
>648
信玄には、健康という才能が無かったんだから仕方ない
>>667 信長や諸大名的にはぽっくりだろ
信長が『玄さんやばいよ!やばいよ!』という情報を掴んでれば違うが
>>669 確かにそれほど分かってなかったろうが、
あせって出てきたことぐらいは分かってたろう。妙に小勢送ったりしてるしな
>>648 桶狭間はそうとう下準備があったぞ
ただの運などと抜かすのは素人
>>670 小勢しか送らなかったのは別の計算があったんだよ
だから家康にも相手にせず絶対城から出るなと言いつけた
あんな歳になるまで動けなかった馬鹿な信玄が勝手に死んだだけ
>>671 桶狭間は運だけとは思わない
でも運はとてつもなく大きくあったと思う
例えば、信長が才覚あるならあるほど、逆にまだ信長が名を上げて
なかった内に今川が来たことは、天気その他より、
俺個人は実は一番の幸運中の幸運だったと思う
>>675 >今川が来た
まあ義元は自分の意思で軍を出したというより、
挑発されて出てきたとも言えるんだけどね
>>678 挑発されて出てきたとしても信長が切れ者と知ってたら
織田は今川に勝てただろうか?
あと今川は西上目指したのか織田を潰しに行ったのか?
教えてエロい人
>>680 補足:信長の評価が信秀くらいあったとしたら
信長は変わり者だとは思われていただろうが
無能者扱いではなかっただろ。
尾張統一戦でさんざん色々やってる。
あーもう、桶狭間はいいよ。
運もあるだろうけど、信長だったから勝てた側面も大ということで。
あの場面で勝てる武将がそれほど多くいたとは思えん。
でも他家の大名が死ぬのは、死ぬが分かってて待つ作戦だったとしても
卓越した力量なんていえないだろ。
そのくらいならどこでもやってる。
死ぬ直前まで上洛することもできない能力の低さが問題だな。
あう、、それが織田家の凄まじく強かった理由、、、?
日本語読解力の低下、、、
誤爆でしょ。。。もしくは基地外か‥
>>683 卓越した力量なんて誰も言ってないだろ
それこそ、どこでもやってるんだから運と言うのは苦しい、と言ってるだけ
あぁ・・・嘆かわしや・・・
684は誰のことを言ってるんだろう・・
信玄?謙信?
>>683 つーか、あの場面で勝てるやつ他に思いつかんな
>>691 俺は690だが、689は683に書いたのでは?
ちなみにあの場面て、義元戦全般な。ああいう前置き・挑発戦をその4人が細かく仕掛けるとも思えんし、
肝心の戦の際にもああいう戦い方するとも思えんが。
元就・・・降伏の偽使者を出しつつ後背の城を詭計にて落とす。撹乱された義元軍は出直しとなり時を失す。
信玄・・・斉藤家他周辺勢力と通じ、今川勢を一旦通過させてから一斉蜂起し退路を遮断。義元勢は壊滅し、立ち直れず終る。
氏康・・・尾張に義元を引き込み内線作戦で損耗を強いる。戦いは泥沼化し、武田家の仲介で和議に。
謙信・・・三河勢と合流し機先を取り激烈な攻勢に出る。多勢が災いし体勢を崩され、義元軍敗走。
秀吉・・・柵や筏、運河や堰などを用い、徹底した渡河妨害作戦に出る。並行した厭戦工作もあり、譲歩するも和議に成功する。
以上、すべて妄想のみで構成。
ぽかーん
というか、桶狭間の時の織田の戦力って、
尾張の石高や信長の領地からみても少なすぎるんだよね?
ぶっちゃけ、驚くほど少数で勝ったってのが誇張表現で、
実際はもっと拮抗していたって可能性はどうなん?
例えばだ、俗に今川軍25,000に織田軍2,000が奇襲をして勝ったというが、
実際には今川軍は、一方で同時に織田側の砦を攻めている。
当然、その砦を攻めていた軍勢も総勢25,000の中から出しているはず。
対して、織田軍2,000というのは今川の本陣へ奇襲をかけた兵数のことだったはずだよね?
それなら「織田軍の総兵力」というなら、
砦を守っていた兵力も含めて考えなければならないだろう。
そういった観点で実際の総数として見たときにどれほどの兵力差があったのか?
というのは再考の余地があるのではあるまいか。
具体的にいえば、
織田軍の砦にそれなりの兵力がいたなら、
それを落す為に今川もかなりの兵を出しただろうから、その分本陣の守りは薄くなる。
その隙をついて、一気に本陣を襲い勝利をものにしたと言うなら、
これは戦術・戦略を駆使しての勝利で、
「ありえないほどの兵力差を覆した奇跡的勝利」=幸運の産物。ではなく、
「優れた戦略・戦術でそれなりの兵力差を覆した勝利」=戦略家として優れていた。
ということになると思うがどうか?
>>695 いや、その話でいうと、実は今川の兵力の方が過大じゃないかっていう
見かたもある。
後年の検地から逆算したり、支配力の脆弱な地域の動員力を割り引いて
見積もったりすると、二万五千という戦力は無理したうえでの動員なんじゃ
ないかとも。
ちなみに、太閤検地の数字だと、
駿河・遠江・三河の合計約66.5万石
尾張約57.2万石
まあ、当時尾張の一部は既に今川領だったし、
織田は今川だけに兵を向けることは出来なかったという事情を考慮しても、
実際の勢力差は3分の1かせいぜい4分の1くらいではあるまいか。
>>698 信長公記の記述だと、今川軍は4万5千。幾らなんでも無理しすぎ。
ちなみに織田軍は2千で正面から突っ込んで勝ったとのこと。
こりゃあ明らかに誇張表現だろうね。
つまり、なんだ
織田家が凄まじく強かったのは織田家のパガンダだったと
身長後期の流しのの合戦の鉄砲三千町は
鉄砲千兆の「砲」と「千」の間に無理やり小さく「三」が書き加えてあるらしい
>>701 しかし、兵力的に劣勢だったのは間違いないと思うよ。
今川より多かったら歴史がひっくり返るな
そのくらいの戦力比で勝ってる例も少なくない品
だからさ、史書を鵜呑みにして10倍だの20倍だのの相手に勝ったとするなら、
無茶苦茶優秀か、あるいはとてつもなく運が良かっただけ、
という極論にもなるが。
3・4倍の敵に勝ったというなら、
優秀だし、そこそこ運も良かったから勝った。
という常識的な結論になるのではあるまいかと。
今川が各砦を落としてる間死んだ振りして、
安心した敵が兵を分散したところをついて、
一撃離脱する。
ってのが信長の狙い通りだったって事?
なんか格好良すぎて現実味が無いぐらいだなあ
その通りだったら本当に優秀な戦術家だね
>>706 玄関から居間まで辿りつくのに山ひとつくらいは越えた気分なのは俺一人でいい
情報工作して相手を油断させるのはどこでも良くやるけどね。
どこを通過するかはともかく、分散することまで読めるとは思えないね。
まあ一回ぐらいなら奇跡もおこるだろ
>>706 北条とか10倍の敵に勝ったりしてなかったっけ?
>>710 いや、信長が出陣したのは、鷲津砦・丸根砦が実際に囲まれてから、
ちなみにその前日から砦が攻められることは予測がついていたようで、
両砦から危急の知らせが着いている、恐らく何らかの今川軍の動きが見て取れたのだろう。
>>711 別に奇跡じゃないぞ。攻めならともかく、守りだし、あそこは信長がたに大変有利な地元だった。
また、決戦前の挑発的小競り合いなど、下準備はかなりあった。
奇跡があったとすれば、義元の撤退が遅すぎたことぐらいだ。
信長も別に討つつもりではなく、一時的でも撃退できれば良いと思ってたみたいだしな
要するに
撃退できたのは準備の成果、うっかり討ち取っちゃったのは運?
全部運だよ。
信玄を筆頭に糞みたいに頭の悪い敵しかいなかったんだから。
巛彡彡ミミミミミ彡彡
巛巛巛巛巛巛巛彡彡
r、r.r 、|::::: |
r |_,|_,|_,||:::::: ⌒ ⌒|
|_,|_,|_,|/⌒ -="- (-=" ぁぁそうでっかそうでっか
|_,|_,|_人そ(^i '"" ) ・ ・)""ヽ なるほどね・・・
| ) ヽノ |. ┃`ー-ニ-イ`┃
| `".`´ ノ ┃ ⌒ ┃|
人 入_ノ´ ┃ ┃ノ\
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/ \ ト ───イ/ ヽヽ
巛彡彡ミミミミミ彡彡
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>>716 やたらに武田信玄を貶しているが、何か嫌なことでもあったのか?w
スレタイみりゃ信長スキーがワラワラ寄って来るのは当然
その中の信者らがなんとしてもNo.1の地位を守ろうと必死なのだろう
>>718 うっせえハゲ
最近ハゲてきたのは信玄のハゲが移ったからだ
ああもうマジむかつく信玄氏ね史ね市ね
>>720 お前は余りと言えば余りにも歴史を知らなすぎる
俺は信玄の事を調べてみたがなんともう死んでた
えっ、死んじゃったの?!ごめん言いすぎた・・・
なんていうと思ったかこのハゲ!!「
そうかハゲは信玄の呪いかーどうりでしつこいわけだマジうぜえよ
むしろ信長がハゲるべきなんだよ
分かるか?ワカンネエだろバカどもめポォゲラッチョ
なんなんだこのスレは
平日に織田厨が浅はかな書き込みをして、休日前に織田好きに窘められる
そんなスレでした
馬鹿が一匹紛れ込めば糞スレ化なんて簡単だ。
>>715 下準備のある上での成果なんだから、思ったより成果が出たってレベルであり、
それほど運が大きいとは言えない
まるで桶狭間は勝つのが当然みたいな見方だなw
まあ、確かに、総大将を討ち取るとこまでは運の要素が大きいだろう。
>>727 当然とは言わんが、運によって助けられた要素は勝敗ではなく総大将を討ち取ったことだろ、と言いたい
>>729 いや、それもちょっと。
如何に情報を収集し状況を見極め行動したとしても、
寡兵で大軍にいどむ情勢なのは変わらないし、
賭けの要素はあったと思うよ。
吉本はあそこで負けても地力の差があるからいくらでも盛り返せたと思うが、
とにかく当主が死んだんじゃどうしようもない。
なぜ逃げられなかったか、明らかな理由は肥満だろう。今川家滅亡は吉本の運動不足が
大きな直接原因になっていると思う
>>731 いまどき肥満で云々なんぞ言ってる方が希少な気が。
桶狭間合戦で義元が討たれた一因は、義元の近習や馬廻りがある程度
まとまって抵抗してしまい、すみやかに戦場を離脱しなかった事。
戦国時代の合戦で大名自身が戦死する原因には、踏みとどまってしまう
ため、という事が往々にしてある。
義元と氏真では雲泥の差があるしな
のほほんと、美濃攻略するワケにもいかんかと。
親父が肥満で死んだから息子は運動に精を出した
734 名前: 無名武将@お腹せっぷく [sage] 投稿日: 04/12/13 20:11:09
親父が肥満で死んだから息子は運動に精を出した
蹴鞠か、蹴鞠のことなのか。
>>732 それが実態であれば、織田家が凄まじく強かったわけでも運だったというわけでもない、と。
とりあえず秀吉伝説は90%が作り話で可決と
>>737 いや、もちろん運も大きく作用したと思うよ。
信長にとって幸運だったのは、尾張三河の国境から尾張南部に確保していた
水野氏ら織田の勢力圏へ今川軍が支隊を分派していた事と、鷲津や丸根と
いった砦群を攻略するために多くの戦力を割いていた事、それに今川本陣へ
攻撃を敢行する以前から戦力を正攻法で正面から逐次投入した事で、今川軍
の前衛を牽引するかたちになり、本陣との間隙が大きくひらいた事、あたりが
あるんじゃないかな。
それと、一時的な豪雨があったらしいし、これも戦果に大きく寄与したのかも。
信長伝説も70%は作り話でないのかと
>>740 いや、秀吉あたりと比べたら全然作り話の部分少ないよ
>>739 桶狭間の話しだすと、大変なことになるぞ・・
>>739 義元は梅雨時に攻めて行ったんだから、雨が降るのは当然の結果だろ
運でもなんでもない
は?
744は何を疑問に思ってるのだろうか
>741
した事の完全でっち上げはより少ないと思うけど、
その意味づけを後の世のヘタレ小説家どもが雲の上まで高めてしまっているからして、
結果的に四次元存在になってる点では同様かとw
日本初の鉄甲船
日本初の楽市楽座
脅威の鉄砲三千丁
日本初の三段撃ちの嘘
日本初の関所の撤廃
桶狭間の崖下り
比叡山の徹底的全焼
まだ何かあるか?
無神論の近代的合理主義者
兵農分離の徹底
登用における縁故主義排斥
信長の生き方がドラマティックだったので
日本人が持つ理想的な改革者像を託されてしまったな。
で、二次創作物がさらにみんなを引きずる、と
細かい
梅雨時には違いないだろ
>織田家が凄まじく強かったわけでも運だったというわけでもない、と
・・このスレの存在意義の根幹が問われてしまったわけだが・・
そういう結論があるってだけだろ
757 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/22 06:02:00
強いよ。何で?
758 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/22 07:23:14
俺が思う信長の凄いところは、「貨幣の統一」を目指した発想だな
当時の日本は地域によって貨幣に違いがあったから。
あらゆる点から信長は最強の商人だったと思うよ
ただ余りにも先走りしすぎたのが敗因か。
秦の始皇帝の十周遅れの二番煎じしても威張れないと思うが・・
>>759 そんなん言い出しても意味ないだろ。
全てはローマになっちゃうじゃん
>>757 ではちみが凄まじく強かった事例とそのわけを
>>1に説明してあげてくれたまい
>762
主張をサポートする実例を出すのは義務に近いと思うよ
>>763 いきなり出来の悪い1行レスされても、返答はしにくいな
最高ですかぁぁ〜〜〜
〜!?
ゴミだな
全ては秀吉様のおかげです
織田家が強かったのは殆どの場合単に物量差でわなかろうか。
その意味で織田兵や織田将が強かったわけでわない。
5対1で戦ったらよほどの事が無い限り5の方が勝つだろうし、その意味では
5の方が強いわけだが、その議論に意味があるかは疑問だ。
武蔵と吉岡一門は、1人対数十人だったわけだが、仮に吉岡一門が順当に
武蔵を倒したとして、世人は「吉岡一門が凄まじく強かった」と言っただろうか。
770 :
唐突にすいません:04/12/23 11:24:20
織田の戦術で特徴的なものに「付け城」「野戦築城」があります。いずれも
一定の戦力で、自軍の損耗を抑え、相手の行動を制限する戦術です。これら
を有効に活用することで、多正面にわたって攻勢を維持できたのです。
ちなみに織田の戦術の一つ「殲滅戦」。ヨーロッパではナポレオンにより初
めて実行された作戦であります。
「楽市楽座」に関して…信長はむしろ、積極的に管理していた。
「3千丁の鉄砲」に関して…信長公記には、その記述は見られない。明治の
陸軍参謀本部あたりの作り話
771 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/23 11:31:38
付け城や野戦築城を建設中に敵は攻撃を仕掛けようとしなかったのかな?
建設中って攻撃しやすそうだけど
信長公記には鉄砲の記述はどう書いてあるの?
長篠に多くの鉄砲を持ち出してきたのは確かだと思うけど
「付け城」「野戦築城」は毛利元就、武田信玄もやってるから
時間が経つにつれ、ある程度広まっていたんじゃ?
773 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/23 21:19:09
>>772 というか毛利元就や武田信玄がやっているなら
そっちの方が信長よりも先にやっていたんじゃないの?
774 :
唐突にすいません:04/12/23 21:52:35
「付け城」「野戦築城」共に、信長オリジナル…というわけではないんですが、
有効活用した点においては元就、信玄より顕著にみられるのではないでしょう
か?
776 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/23 22:48:00
実際、織田家は鉄砲は何千丁くらい動員できたのかな?
長篠当時の鉄砲保有数は日本一だろうと思うけど
信長が神だから!
csの大河再放送の「信長」で、余は神であると宣言した信長を、林がいさめてた。そして、家老職を解かれてやがんの。(天罰じゃby信長)
要するに信長は他の大名もやっていた施策をやっていただけでオリジナルと喧伝される物は大抵創作
しかし、複合的にそういう政策を組み合わせて他を圧する効果をあげていたってことか?
つうか、信長公記ぐらい読んでからかたれや。
レベル低いな
>>777 修行するぞ!修行するぞ!修行するぞ!修行するぞ!
尾張と美濃という日本有数の豊かな領国、しかも京に割と近い。
また京の周辺は大勢力が居なかった。
美濃を運良く得られた時点で道の半分は定まった感がある。
てことで織田覇業の最大の功労者は斉藤義龍、龍興殿ではなかろうか。
美濃は別に運良くないぞ・・普通に時間かけて落としただけ
>普通に時間かけて
って、時間かかりすぎ。てゅか義龍兄貴が生きてる間は見込み薄だったじゃん。
美濃取得以前と以後の拡張スピードは全然違うし。
784 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 10:18:53
武田の「付け城」は牽制目的。織田の「付け城」は包囲目的(兵糧攻め)。桶狭間の
戦いは、信長の鳴海、大高城の付け城作戦が発端。
785 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 10:24:55
俗に「戦国大名」とはいっても、視点を変えれば地域の小領主(国人)に
かつがれてるとも言えます。龍興の代になって、稲葉・安藤・氏家など
が一斉に斉藤家を見限ったのは、ひとつのポイントであります。
>>784 使う場所が異なるだけで、どちらも同じ意味合いだと思われ‥
あちこちに、わらわら大名が居る情勢だからこそ付け城も有効だったし
使用もされたと思う罠。
>>783 しかたないだろ、桶狭間のダメージからの回復や、小牧山築城、経済力の向上など、
後のための準備期間だったわけだし
その割には、連年侵攻しているが‥
義龍が生存していたら、美濃攻略は長い年月を掛けた大事業になってただろうな。
>>788 連年侵攻してるんなら、普通時間の問題だと考えないか?
その都度撃退されてるのに、何寝言言ってんだ?
なんかまた随分濃ゆいフィルター付が来てるみたいだな・・・・
美濃攻略は西美濃から攻めても攻めあぐねて、仕方なく主攻軸を東美濃に変えたり(このとき居城を清洲から小牧へ移動)、野ぶながも苦戦してたね
ただ、力攻めは駄目でも遠山・高木・市橋・徳山といった豪族への調略は確実に進んでたから。義龍が健在でもいずれは落ちてただろうな。問題はその場合にかかった時間
丁度、武田と上杉が互いに潰しあって結局時流を掴み損ねた事態が信長に起こった可能性大
793 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 16:05:35
>>783 美濃攻略は時間かかり過ぎとかいうが、むしろ早い方だと思うんだが。
国力差が小さい国を2,3年で落とす方が異常。
一度大勢力になってしまえば周辺の勢力が傘下に入ってくれるから
拡張スピードは一気に速くなる。
>>792 だね。武田と同じ様な評価になってたかもしれないね。
そう考えると、家康と元就の長寿は貴重な能力だな。
信長の大チョンボも痛すぎた‥
あまり病気したイメージ無いな
信長ならここで一緒にレスしてるんじゃなくてさ、スレの中身を吟味した上で勝手に「信長はなぜ天下を取ったのか?」みたいに本書いてだしちゃうような感じじゃないの?
>>796 お前が何を言っちゃってるのか分からない
家康は健康マニアで、医者より薬作りが達者だったからねぇ
800 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 19:40:14
>>1 時期じゃろう
桶狭間で勝利し勢いに乗ったのじゃろうな。
そして倒した相手が良かったのかもしれぬ。
破壊と武力に頼った織田家
破竹の勢いで天下を統一したが
たった一人の臣下の裏切りによって夢潰える
801 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 20:11:57
信秀の残した圧倒的な財力
802 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 20:47:19
信長は恐ろしいほど運が良かった
1.桶狭間の奇跡的勝利
2.足利義昭が頼ってきたこと
3.信玄の突然死
他にも幸運はあるだろうが上記の3つは信長の躍進の原因になった
三大幸運だ
4.織田信秀の教育方針と遺産
人材登用の妙
柴田勝家は元は弟側についていた敵(織田家家老だが、実は一代での成り上がり)
明智光秀は他家にいた者
滝川一益もせいぜい他国の土豪出浪人に過ぎない
羽柴秀吉は武士ですらなかった
こういった面々は信長配下以外では芽がでなかった可能性が高い
>>804 それは言える
しかし、自らの破滅の元になったとも言える
>>802 1勝利自体はそれほど奇跡じゃないだろ、義元の首とったのは別だが
2確かに義昭は信長を頼ったが、信長にのみ話をもちかけたわけでもないわけで。
それに後、周りの大名煽ったり、マイナス面もけっこうあるぞ。外交面でも相当信長は気を使ってるしな
3突然じゃねーよ・・病気がちな奴がようやく死んだだけだ
4それは大きいな
義元を討ち取れたのは明らかに幸運のなせるわざだな。
それがなかったら、たとえ1560年の侵攻を切り抜けても長期戦を強いられ、
なかなか伸びることができなかったはず。
808 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 23:24:00
>>776 五千は調達できたらしい
確実なことは三千挺以上鉄砲を所有していたということ。
809 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 23:29:48
織田信秀の影響は大きい。
勝幡城や那古野城の戦略的な事もあるし、加藤氏との連携で財も得ている。
だって京都までの道中にいる大名が時代遅れの馬鹿ばっかりだし信玄とかは近くに謙信がいて動けないし。
>>806 1は奇跡だろ
3は病気がちと言えどまだ50くらいだし
織田家は近畿のすぐ近くに大きな国をつくれたから強かったんだろ
812 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 23:41:25
長篠の合戦は鉄砲だけで勝ったのではないけれど、それにしても、その鉄砲を三千挺
も調達する財政力をどうやってつけたのか。その一つは兵農分離をやったこと。
二番目は楽市楽座、三番目は政教分離。この画期的な政治業績にある。武田にしても
上杉にしても、主力が農民兵なので、稲刈りや田植えには帰らなくてはいけなかった。
ところが、織田軍は専業戦争屋集団だから、12ケ月戦争がやれたわけだ。
武田が大動員して押し寄せてくるときはかなわんけれども、それが稲刈り帰った
あたりを待って一城一国を一つずつ落とす。そして、四六時中戦争できる少数部隊を
分散配置し、それをいざというときには各駐屯地から一斉に全部集めて大兵力にする。
このコンビネーションをみごと駆使できたのは、それが職業軍人兵団であったからだ。
当時の織田軍団は、軍団長組織で、羽柴軍団・明智軍団・柴田軍団・滝川軍団・丹羽軍団
というふうに現在の軍団組織と同じ組織であったことも強さの秘密だ。
これがヨーロッパでできたのは三十年戦争からだから、、約半世紀から一世紀、
ヨーロッパのほうが遅い。これが、四方に敵を持ちながら、同時戦争ができた理由だ。
当時の封建思想からは思いもつかない発想であったことは確かである。
また兵農分離か。
>>812 いまや覆されつつある定説がずらずらと・・・(汗
高校の教科書か、参考書にかかれてたりする可能性高そう 兵農分離
田舎の倉庫にしまって思い出せないが
ええと、まず、信長軍の兵農分離説だが、
豪族の農兵を年中こき使ってたのが真相らしい。
その分を現金で損失補填していた。
長篠の鉄砲は一千丁で、
三千丁の「三」はあとから書き足されたものらしい。
楽市楽座は、六角氏などに先例がある。
信長独自の政策ではない。
10年前の、高校生用の本には書かれていたんじゃない?
819 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 23:57:57
方面軍思想がヨーロッパで本当に生まれるのは、ナポレオン戦争以後なんだよ。
これは置いといて、当時の堺ではおそらく一日二十挺くらいの生産数があったと
言われている。一日二十挺というと、自衛隊の鉄砲発注が一年で五千挺ぐらいですから、
一日で割ると一五挺ぐらいだ。これはすごい数なんである。
当時ヨーロッパでどのくらい鉄砲があったかというと、フランス王の軍隊が三千挺だと
いう。だから、まぎれもなく織田軍は世界一の鉄砲を生産していたわけだ。
鉄工業と化学工業がひとそろいできていたわけだよ。
これは信長が畿内を制圧することによってできたのはその通りである。
これは楽市楽座なくしてもありえない。
820 :
812:04/12/25 00:00:50
>>817 長篠はまあおいといて、
当時の戦争は東西両軍あわせて六万挺の鉄砲があったといわれている。
いや、単なるマンパワーを大量に注ぎ込んだ手工業だろ。
>>820 東西両軍て関ヶ原か?
信長の優越性を語る場所だよ、ここは。
1600年当時の鉄砲生産力がいくら高くても
「ふーん日本スゲえ〜」で終わりなんだが。
>>808 織田家の、軍役中における火縄銃の割合はかなり低い方だよ
鉄砲云々の話は捏造の可能性が高い。
織田が強い
↑
信長が強い
A、妖気を塊にして飛び道具にしたり衝撃波で多人数を同時に攻撃したりして、滅法強い
簡単に15連以上連続で攻撃できるから、敵に鉄砲隊がいれば、体力回復も出来て言うこと無し
一人で1000人以上討てたりして、おまけに影武者も同じくらい強い
>>819 当時のヨーロッパは、科学の発展で武装は格段に先進的だけど
政治的には大分しょぼいかと、軍隊も傭兵だから思い切って使えない代物だし。
あと、堺の鉄砲生産量は5丁/日だった気が駿河‥
鉄砲足軽を所属する家に囚われず引き抜いて鉄砲専門部隊を編成したんでしょ>長篠
秀吉とか利家が臨時の鉄砲奉行を勤めていて
仮に千丁鉄砲があっても散発的に運用してたらせいぜい牽制ぐらいにしかならないが
集中運用すれば威力は跳ね上がる
信長の幸運は
1、信定が経済力の地盤を作った
2、信秀が軍事力を蓄え、勢力を伸張させた
3、信光がコロリと逝ってくれた
じゃね
>集中運用すれば威力は跳ね上がる
んなもんより馬防柵
長篠圧勝の秘訣は、鉄砲運用じゃ無い希ガス。
じゃあ雨降ったら負けたのか?って話よ。
約半数の敵に防御陣はって、決戦に追い込んだ事のほうが大事だろう。
長篠圧勝は基本通り、退却中に勝頼の馬鹿が退路で糞詰まりになったからでしょ。
長篠圧勝の勝因、ということなら酒井忠次の鳶巣山奇襲でしょ
挟撃される恐れがあったんで仕方なく陣地と鉄砲で固めていることがわかってる織田徳川軍に決戦を挑まざるを得なかったんだから
で、激闘やってたところで酒井軍が長篠城軍を吸収して襲ってきたんで、裏崩れ(直接戦ってない部隊が士気崩壊で逃走)→全面敗走→追撃で大被害
ようするに鉄砲は決定打じゃないのよ、と。
833 :
812:04/12/25 00:39:36
834 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/25 00:42:10
確か長篠城解囲に向かった別働隊に相当数の鉄砲を持たせていたはず。
勝頼が対応できないうちに長篠解放に成功したのは鉄砲の力だ。
つまり鉄砲が決定打と言っていい。
奇襲した酒井軍は、三河衆の精鋭に加えて信長の馬廻りからも大分鉄砲衆が出てるね
誰が考えたのかな。信長自身の発案か?
一応説としては家康説・信長説・酒井説があるけど
>>833 城の拝観料を取ったって・・・それが信長の財源だとでも言いたいのか?w
単なるパフォーマンスだろ
>>833 よりによってウィキペディアか・・・(呆
838 :
812:04/12/25 01:15:15
>>836 当時からすれば、これは画期的な発想だよ。
何がいいたいかというと、信長は近代経済の思想をもった200年先をみ通していた
天才だったということですよ。他に、信長は本拠を名古屋から清洲、小牧、
岐阜、近江と変えているが、武田は甲府から一歩もでない、上杉も春日山から
一歩も動かない。この土着性を無視した考えも近代のそれに近いよ。
信玄は実際問題として甲斐から根拠地を動かすべきじゃなかったと思うが。
純粋に戦略上の要請だろう。
謙信は一時本気で関東に拠点を移すつもりだったのでは?
現実には越後に撤退せざるを得なかったが、これは北条の頑張りによる部分も大きい。
電波ゆんゆんだな‥
>>840 812の事かい?
まず信長は天才という結論ありきだからな。
あと、後付だろうと説得力十分ならまだ聞けるけど、
そこに至る論理がぐちゃぐちゃだ。
842 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/25 03:07:29
>>812 兵農分離は太田道潅も積極的に導入していた。いわゆる傭兵を徹底的な
訓練で鍛え上げた「足軽戦法」くらいは知っておろう?
>>833 馬揃えを行った有名武将…といえば頼朝でしょう。
>>838 そもそも(永禄〜元亀年間においての)織田と武田、上杉とでは、統治の
形態が違う。武田、上杉は基本的に軍事統帥権のみ支配しているに過ぎない。
もう一つ
>>838 本拠を移す戦略は、信秀の戦略の踏襲である。
P.S. 別に無理して信長を持ち上げなくとも「多正面作戦」と「殲滅戦」を挙
げれば十分であろう。
843 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/25 03:28:14
>>833 「集中運用」が画期的なら5人に率いさせた「1000挺」以外は
画期的では無いな。
844 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/25 03:37:30
>>842 武田や上杉を「軍事統帥権のみ」と言えるセンスは素晴らしい。
信長が何か違ったわけではないのだがね。
>>842 >武田、上杉は基本的に軍事統帥権のみ支配しているに過ぎない。
とりあえず、甲陽軍鑑と信長公記くらいは読もうな、無能。
このスレがある意味戦国時代だな
何かよくわからんが、武田・上杉・北条はお互いが手強いのでお互いに移れなかったのでは
しかも移るに値するほどの場所(敵本拠)は簡単に手に入らんし
847 :
842の続き(補足的):04/12/25 09:21:21
>>844 >>845 基本的な主従関係について、わかっていないのでは?さかのぼって「荘園」あたり
から勉強しなおすがよかろう。
848 :
847の続き:04/12/25 09:50:27
「兵農分離」政策の本義とは、家臣を土地から切り離すことである。
織田と武田、上杉の違いはそこなのだ。
自分にレスしてないか?
甲陽軍鑑なんて読んでも意味ないから
851 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/25 11:59:03
飯富虎昌も山県昌景も馬場信房も内藤昌豊も、甲斐国外の任地(信濃・駿河・上野)
に封じられてるようで、別に土着ってわけじゃないと思うぞ。
>>847 所領安堵と主従関係と軍事統帥権の意味を辞書で調べた方がいいぞ
無理にとは言わんが
なんかようわからんがお前らにひとこと
調べろアフォとか書き逃げせず自分できっちり書け!
軍事統帥権だけって。要するに所領を保証する代わりに軍役を負担させる以外は家臣に強くでられなかった体制だったといいたいのか?
それじゃ分国法は一体なんだんだ
分国法の事を知らなかったと思われ。
856 :
812:04/12/25 16:03:02
>>842 太田道灌の兵農分離ね・・そんなもの出すなよw
そういう規模なら一番古いのは朝倉あたりで、城下町に侍を集めるということをやってるね。
頼朝の馬揃えと信長の馬揃えは意味が違うよぉ・・
1つのイベントとして経済政策的に行った信長の柔軟性をいいたかったのだよ。
馬揃えや楽市楽座・撰銭令・関所撤廃・道路を拡幅し並木を植えるなど(これなど信長が
最初だろう)を経済政策としてセットで考えれば信長の経済人としてのセンスも伺えるよ。
軍事統帥権云々だけど、織田は中央集権で、武田は合衆国制だといいたいん
だろうけど、信長は最初は中央集権だけど後々は合衆国制と考えるべき。
それと、武田は家臣団の力が強かったとはいえ、本拠を移そうと思えば信濃や駿河にうつせたわけで、
そのほうが便利であったわけで、それをしなかった(できなかった)
のを信玄の土着性に関連付け考えても無理はない。信玄には城の概念がないんだがw
毘沙門天謙信様は版図拡大の意図はなかったんじゃないかな。
あと、信秀が本拠をうつしたことありましたっけ。
PS殲滅戦は確かに日本史上の信長の専売特許ですが・・
信玄に城の概念が無い?
「三ヶ国ほどの大将なら、大きな城に兵力を温存するより、国境で勝敗を決するべきで、大将というものは、兵士を敬い、法度、軍法を定め、合戦を朝夕の仕事と心得、城を造るより作戦を考えるのが大切
しかし8〜9日ほどの道のりにある国境の城は堅固な地を見立て、丈夫に普請すれば、敵の包囲にも援軍を出して決戦できる、城が堅固でなくては援軍は出せない。合戦と城取り築城は、車の両輪のようなものだ」
(『名将言行録』)
…知識も無いのに語るなとは言わんが…
858 :
812:04/12/25 16:26:16
躑躅ケ崎館はなぜ「城」ではないのか、それは理解していますでしょうか。
それがわかればよろしいです。
>>858 躑躅ケ崎館のすぐ裏手に要害山城があったことも知らないんだね
ちなみに躑躅ケ崎館を建てたのは信玄じゃなくて信虎
その理屈なら信虎に当てはめるべきじゃん
館は守護としての執政所みたいなもの
860 :
812:04/12/25 16:36:59
信長に備えた城ですね。
君何もわかってねーな・・
>>859 同意
裏手に敵が来た時に逃げ込むための城を作っといてそりゃないでしょw
862 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/25 16:38:55
だめだこりゃw
信長厨の脳内は、妄想と偏見でできています
864 :
812 862:04/12/25 16:40:35
だめだこりゃw
>>860 すごいね、信長が生まれる前に築城された要害山城が対信長用とは
エスパー大名だったと君の脳内ではなってるんだ(ゲラ
866 :
812 862:04/12/25 16:47:51
>>865 信玄が生まれる前からあったのも知ってるが、
信長に備えてより要塞化したことも理解してね。
>>866 >信長に備えてより要塞化したことも理解してね
そんな事実は無い
取り繕うために嘘に嘘を上塗りすると大恥かくだけだぞ(藁
要害山城は勝頼時代にようやく修復修築されかけたが、結局新府城築城が優先されて結局打ち捨てられた
信玄の代に対信長のために要塞化されたことなど無い
ふむ、少々荒れ気味だがとても勉強になる
良いぞ、もっとやってたもれ
だが、俺のような素人から見て
>信玄が生まれる前からあったのも知ってるが、
>信長に備えてより要塞化したことも理解してね。
ってのはもうちょっと具体的に書いてくれんと
理由の無い偏見に見えてしまう
かぶってる!?早っ!
だいたい駿河侵攻・領有時の江尻城・久能山城みたいに、信玄だっていくつも城建ててるじゃん…
872 :
812 :04/12/25 17:05:15
873 :
812:04/12/25 17:06:06
無知を思いっきり晒されまくってもまだ懲りないのか…
875 :
812:04/12/25 17:09:50
おもしろいガキが集まるインターネッツですねここわw
876 :
812:04/12/25 17:13:49
煽りと思われないためコテつけました
>>876出典キボン
>>812 可哀相なキミにエールを送ろう。
夢想厨は他所へ、イ・ケ!
熱くなるのはいいが何にしてもただの悪口レスはイクナイっす
武田勝頼は要害山城の修築修復を命じたが、結局は普請途中の新府城に移っちゃったじゃん
で、時代は下り徳川領になってから加藤遠江守の手でようやく修築された
しかし甲府城が完成したので破却される
882 :
812:04/12/25 17:27:25
織田・徳川連合軍の侵攻に備え要害城も急遽改修の指示が出されたんだよ
くそ坊主どもわかったかっ
>>882 お前さん、段々自分が何を主張してたかわからなくなってるだろ
884 :
812:04/12/25 17:31:05
君でしょ、日本語読解能力を養ったほうがいいよ
ピエロが居るな・・・
年上風ふかしゃどうにかごまかせると思ってる
年食ってもああなりたくないな
>>884 でさ、信玄は要害山城の修築命令をしたのかしなかったのか。
今気づいたけど
>>876を見ても(あったか無かったかは置いといて)結局勝頼の代になるまで
城の改築は無かったって事?
素人の俺からしたら信玄が他の大名より城に対する重要視がほんの少し低くても
やっぱり守備上で城の重要度は十分に認識してたと思うのだけど
とりあえず信玄に関しては対信長で改修してないでFA?
信玄が信長に警戒したという希な事実なので興味あったんだけど・・・・・
だから信玄は城をあちこちに築城してるって…
なんで城を理解してないことになるんだ???
889 :
812:04/12/25 17:35:10
>>886 信玄は信長軍の備えとしてしてはないでだろう。
>>857 >信玄に城の概念が無い?・・・
>>858 での812の反論
躑躅ケ崎館はなぜ「城」ではないのか、それは理解していますでしょうか。
それがわかればよろしいです。
>>859 躑躅ケ崎館のすぐ裏手に要害山城があったことも知らないんだね
ちなみに躑躅ケ崎館を建てたのは信玄じゃなくて信虎
その理屈なら信虎に当てはめるべきじゃん
館は守護としての執政所みたいなもの
>>860 更に812の反論
>信長に備えた城ですね。
>君何もわかってねーな・・
>>882 織田・徳川連合軍の侵攻に備え要害城も急遽改修の指示が出されたんだよ
くそ坊主どもわかったかっ
これが当公判における被告の主張の変遷であります。
891 :
812:04/12/25 17:37:27
あほガキ相手するのはもう辞めっ
>>887 名将言行録の言葉から見ると、「両輪」と言い切っている
あちこちに城を建ててるしね。ただ、甲斐領内で城を信玄時代に新築したことはない。改修も積極的ではなかった
これは
・甲斐本領以外を戦場とするのが戦略方針で、築城のための資材労力はそちらに注いでいた
・甲斐全体が山がちな要害であり、強いて城を拠点とする必要を認めなかった
どちらかじゃないかな?
以上から推察されるに812氏は極度の興奮による錯乱状態にあるかと推察されます
>>888 (横槍スミマソン)俺っすか?もちろん賛成っす。理解してないなんて毛頭も思っとりませんす
ややこすぃ文章でスミマソン・・・・
>あほガキ相手するのはもう辞めっ
これは恐らく自分の矛盾に気づいて恥ずかしくなったテレ隠しと見るがどうか?
>>892 おお??要は甲斐国内には城を作らずにその反面周囲には力入れて作ってたんですね?
ありがとう。とてもわかりやすいっす!
はじめっから(>812)行こう。
鉄砲三千丁の当否はさておき、
1 兵農分離
2 楽市楽座
については先例があり、けして信長の特殊性を示すものではない。
ただ、先例が居たと言うことが、信長の優秀性を貶めるものでもない。
3 政教分離
については、おれも評価しづらい。
平家や松永も平気で南都を灰にしているが、
これを先例として扱えるかどうかはちと不勉強なもので。
ただ、信長にしても本願寺との対決は、いきなり売られた喧嘩、
という経緯がある
(しらずに信長が本願寺の敵意を買っていたとしても、
意図的に仕向けた訳じゃなかったような)
>>894 おいおい、厳しくないか?
懲役5年に甲陽軍鑑の毎日朗読といった宿題くらいでいいんじゃないか?
>>899 おいおい、そりゃ有害図書指定だよw
間違った思想を植え付けられちゃうよ
甲陽軍鑑なんて読んでもますます頭悪くなるだけ
このスレ内ではずば抜けてお馬鹿な俺には
疑問は山ほどあるんだけど、
とりあえずさっきの城問題の発端になった
信長の兵農分離は他の武将の兵農分離と
どの程度違うのかエロい人なにとぞ教えていただけませんか?
本当の意味での兵農分離がなされる基礎は太閤検地・刀狩を経て徳川時代でようやく、というのが近年の定説
信長は他の戦国大名と同様、傘下にはいった領主に動員令を出し(具体的に農民は駄目、とか人数はこれだけ、とかを決めて出していたわけではない)それによって軍団を編制していたことに変わりはない
後世作られたイメージだろうねぇ
>>903 感謝!特別に取り上げるまでの特色はなかったでFA?
しかし、農民から武器を取り上げる検地や刀狩りが真の兵農分離につながるなんて
当たり前のことを今まで自分が考えもしてなかったのが面白かった。
すると思えば現代にも残る人種差別も、兵農分離が発端とも言えるんだすな・・・・
つか、領主が領民を招集して大名の下知に従う、という構図だと兵農分離しちゃったら動員できる兵隊になりうる人間が減るってことになるから
冷静に考えれば戦国時代に完全にできるわけがない
むしろ兵農分離は平時にとるべき政策ですから
自分で調べもせず「馬鹿ですから」「知識がないから」「初心者だから」
という理由でスレの流れを断ち切る教えて君うざすぎ。
初心者だから何やっても許されるのか?馬鹿だから調べなくてもいいのか?
おまいらも優しすぎ。こういうの放っとくから付け上がるしいつまでたっても消えないの。
それから日本の人種差別の根源は兵農分離なんかではない。
古くは部民などと呼ばれる私有民が、主人の没落で流浪化したものが被差別の対象になったこともあり
神人など特定地域あるいは特定職能の存在が、封建形成のなかで固定化したのが要因になった場合もある。
部落の研究書を嫁とはいわんが少なくとも網野くらい嫁。
908 :
812:04/12/25 18:36:33
>>896 少ない知識でみたらそうみえるんだなオモシロw
と、いうか人種差別にはどうやってもならんよ。同じ黄色人種間での身分制なんだから
武士が一番で農民が次ぎ、次が職人(技術者)で一番下が商人。さらにその下に…だから
だよな。中国にせよ挑戦にせよ差別されるのは近代に入ってから。
日本には基本的に人種差別の概念はない
>>907 ここは初心者用の隔離版だと理解してるが・・・違ったか?
君には日本史板が向いてるんじゃないか
「人種」って肌の色のことだろ
ネグロイド・コーカソイド・モンゴロイド。
日本の差別は99%以上モンゴロイド内の身分差別。
>>911 なんというか教えて君がうざかっただけ。調べられることは調べようと。
もうやめるわスマン
>>912 いや、その見方でもやっぱり兵農分離が人種差別の発端とはならんだろ
とりあえず「自分でググれ!」の一言で斬って捨てないあたりいいやつが意外と多いんだな
>>907さん
すまんこってす。みなさんもすまんこってす。
わかっちゃいるけどやっぱり本読むよりダイレクトに聞けるし面白いし
甘えてしまいますた。
でも、正直スグ叩かれて追い出されると自分でも思っていたのに
親切につきあって教えていただいて、本気で感謝しております。
これで消えますので、ご容赦下さい。皆さんありがとう!
おれも悪かった言い方がきつかったな。ただ網野は機会があったら読んでくれ。
年表の暗記みたいな戦国史に飽きたらきっと面白いと思う。
民衆や文化からみた中世史は必ずおまえの知識を広げてくれると思うぞ。
これで消えると言いながらもうひとことだけ・・・
気にしてないよ、本当にありがとう。どっちにしろスレは見てるのでw
921 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/25 22:35:28
身分差別と人種差別の違いも分からない低脳がいるスレですか?
おまえが一番うざい
>>907 もっともだ。
しかし、スレは人がいてなんぼ。
新参者を育てる度量を持とうや。
ありがとう。お気遣いは嬉しいのですが、これ以上は心苦しいので
スルーして下さい。
>>907さんは後から網野(?)と言う本が面白いからと
進めてくれたので探してみようと思ってます。
正直に言えば、もともとこのスレは読んでるだけだったのですが
今日久々にレスが伸びてて面白そうな話なのに、不毛な叩きあいになりそうだったので
むしろよく知らない素人がいる方がいいかもとでしゃばってしまいました。
しかし結果、最後の差別云々は蛇足だったと後悔しています。
歴史はやっぱり実話だから面白い。特にそこから実在の人間像が見えてくるから。
もうレス数少ないので(笑)読み手に徹します。面白いレス期待しています。921
926 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 05:07:24
>>904 それどころか、刀狩をやった秀吉でさえ、朝鮮に送り込んだ軍勢の
半分近くが農民の徴用で全国の田畑が荒れたとされておりますな。
徴用した際にはもともと具足を貸し付けるのであまり関係無いんだね。
刀狩りを行い、武士階級を限定しちゃったら、
たぶん石高どおりの動員は出来ないんじゃない?
内戦(外征も)のある限り、予備役的農民の存在は必要だったはず。
あほか!
元から軍役衆は農民で、侍は侍だったろうが。
929 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 09:21:36
色々皆さん勘違いされてるようで・・・
●当たり前の話ですが、大名それぞれの本拠には安定した(計算できる)収入、兵力があります。
例えば信玄ですが、本拠躑躅ヶ崎館のとなりには北条、今川がいます。いくら同盟を結んでい
るとはいえ、基本的には他家です。本拠を移すには、まずは躑躅ヶ崎の安定が絶対条件です。
結論を言えば、信玄は本拠を移さなかったのではなく、移せなかったということなんです。
(補足)武田家臣の中には「恩賞として」国外の任地をあてがわれている者がいます。当然なが
ら、甲斐国内に元々家臣が保有していた土地はそのまま残されているんです。後に家康が行っ
た「鉢植え政策」などとは根本的に違うのです。
●兵農分離政策の本義は、家臣と土地を切り離すことです。切り離すことにより、土地を直接
掌握し、平時には効率の良い租税をかけられ、軍役のときに効果的に兵力(=農民)を抽出でき
るのです。
信長の時代はいわゆる過渡期でした。敵勢力に属する小領主を「所領安堵」条件で自勢力化した
例は多数あります。「所領安堵」された領域内では基本的に、信長の政治力が及びませんでした。
当然ながら、その領域の収入なども把握しきれていないのです。
その領域に踏み込んだ政策として、秀吉の「検地・刀狩り」はあまりにも有名です。この政策は
戦国乱世の時代が終局に近づいたという、ひとつの証明でもあるのです。
信長の家臣も尾張の本領は維持してたんだな。
新しく家臣に取り立てられた者は別としても。
ただ、もともと保有していた領地は残ったとしても、新任地のほうが重要で
そちらに常駐しているようなら、元の領地とのつながりは徐々に薄れていくような気もする。
931 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 12:34:10
>>930 尾張の本領に関しては、(自己申請方式ではあるが)検地が行われています。これにより兵農分離の趣旨は果たされています。
932 :
931no:04/12/26 12:42:40
対して武田家家臣の所領に関しては、全くの自治が保障されているのです(保障の信頼性こそが統治の基盤となるシステム)
分国法などの法律も、副次的なものにしか過ぎませんでした。
そういう意味・形での検地なら信玄もやってるじゃん
甲州法度は土地所有・年貢税制について・家臣の被官契約についてもつっこんだものなんだが…
兵農分離って要するに軍縮政策だろ?宇垣軍縮みたいな。
家臣を土地を切り離すのはまた別の話だ。
つか、なんで(史実と違う事まで言って)武田に駄目出ししようとするんだろ
そりゃ比較対象として良くあげられるけどさ、織田と武田は
でも講談とか小説ならともかく、実体は別に雲泥の差ってわけじゃないのに
937 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 13:16:06
甲州法度は既得権益の承認の明文化したものです。
織田厨がイタイな
客観的な視点から物事を考える力を身に付けた方がいいぞ
939 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 13:21:21
武田にダメ出し?そんなつもりはないが…。ウソも言ってないし。あくまで統治形態の比較の話です。
>>935 兵農分離抜きに、戦国後期の戦の動員兵力の増大化を語れない。
>>937 縦其の職に任すと雖も、分国諸法度の事は、違犯せしむべからず。
細事たりと雖も、披露致さず恣に執行ふ者は早く彼の職を改易せしむべし。
(甲州法度二十九条)
どこが?
941 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 13:33:52
戦国時代は、農民と武士の境界が曖昧な一面があった
農民も武装していたから。そういった者達は大名にとっては動員兵力になりえたが
同時に一揆の火種
それを抑えるためであり、いわれるような専従軍人による機動兵力増大が目的ではない(到底、領主クラス武士だけでは数の上から軍の編制不能)
兵農分離は動員力増大に繋がったわけではない(兵農分離がそもそもなされたのは徳川時代でようやく)
944 :
またまた補足^^;(さて仕事の時間だ。また夜にでも〜):04/12/26 14:25:14
統治形態の違いというと、大層なものに聞こえるけど、要は近代化が早いか遅いかの問題ですよ。
武田は名門だからこそ、かえってしがらみとかあったりして、近代化の妨げになっていた一面も
あります。(織田なんざ、新興勢力だからね。信秀の時代に津島などのフロンティアを開拓して
大きくなった勢力だから。かえってそれが良かったのだと思います)
945 :
またまた補足^^;(さて仕事の時間だ。また夜にでも〜):04/12/26 14:27:13
結局、エラいのは信秀かもしれませんね^^
(コーエーの設定、特に政治能力にはマジ不満)
946 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 14:35:36
別に武田が遅れてて織田が早かったわけじゃない
似通った政策も多い(交通網整備や、自身を神格化することによる統制強化等)
要するに足場の違いだろ。慶長検地からみると、信玄領国の石高は最盛期ですらだいだい120〜130万石
対して信長は、尾張一国だけで57万石を領している
信長と信玄の対立が本格化した元亀の時点での信長の石高は240万石
地域差による人口経済力を加味すると両者の差はさらに開く
馬が劣っていれば騎手の技量が同等でもかなわない
それがわかってるから信玄は一揆衆や浅井朝倉をせっつき、朝倉が退陣しちゃうと病を悪化させるほど落ち込んだ
948 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 15:09:40
>>944 別にあら捜ししてるわけじゃないけど、
織田家は新興勢力とはいえないよ。斯波家の被官であった織田家の分家だけど、
かなり早くから土着してらしい。
949 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 15:17:42
>>947 信玄は結局地盤固めに一生を費やしている気がする
父親や祖父がそれをしてくれていた信長に比べれば一世代遅かったんじゃないかな
950 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 15:28:28
織田は局地戦は弱いんだよ。調略が上手いだけだよ。
951 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 15:30:06
950←散れ足軽
敵対勢力の差も織田武田の差に響いただろうな
武田氏が主敵とした上杉は元々120万石クラスの領土を持っていた。北条もしかりで、彼らと戦いつつ信濃や関東への勢力伸張には限界があった
対して信長が美濃領有以降敵対した相手は、ことごとく単体では自勢力より小粒で、各個撃破が可能だった(勿論可能性の話だから、それを政戦両面を巧みにつかい実現した信長の手腕は凄まじいことに違いは無いが)
戦に勝って、領地を増やしたから。
運がよかったのも一因かな。
桶狭間然り、義龍の早世然り、信玄の絶妙なタイミングの死や
謙信の上洛前(関東遠征説も有力)の突然死もそうだね。
つまり信長=小泉
>>952 それを言うなら、信長の東にはもともと巨大勢力義元がいたんだがね。美濃だって尾張よりでかい。
いくら義元をやれたのは幸運といっても、義元は雷にやられたわけでも内紛で死んだわけでもない、実際に動いた信長自身が戦の中で討ったんだから。
信玄を引き合いに出すなら、信玄はそういうでかい賭けをしなかったし、そういう賭けをしても勝ちきれなかった
後半の信長のようにでかい勢力でも引きずり出して潰すような事ができれば良かったが、信玄の武田家にはそれほどの時間やら兵力やらの余裕もない
やはり信玄があの状況(もう勢力伸ばせません(伸ばすとしても家康方面ぐらいか))から脱するには、
結局どこかで無理をしないといけなかった。それを信玄はしなかった、出来なかった、
死ぬ間際に無理しようとしたけど遅すぎた
結局織田厨さえもタイトル通りの主張は諦めちゃったのかな・・?
誰か「織田の一騎は武田の十騎に優に敵しえた」とかの
吹っ切れた織田最強論をぶってくれるヤシがいないとツマンネ。
具体的にどんな「でかい賭け」をすると良かったのか想定せずに書かれても抽象的過ぎる。
>>959 そりゃ織田家の軍団戦の強さの秘訣は「一騎打ちじゃ絶対かなわない相手にも、3倍以上の数を用意することで勝つ」だから…
962 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 19:29:20
>>959 おまいは信長の基本的な戦い方をわかっていまてん
信長の戦、それは圧倒的兵力動員戦法なのでつよ
長篠の戦いにしても武田軍の約二倍の兵力を動員したのでつよ
963 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 19:30:20
かぶったw
>>958 だから信玄は、その運を試すことさえしなかったんだって
>>960 それに関しては腐るほどあるだろ、ここで動いたらみたいな場所は。
でも謙信との戦を見てもわかるが、大事なところで勝負強くないよな信玄、大きな負けはしないけど
967 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 20:34:46
言いたかないが信玄厨は、信玄のやった事はすべて必然で正しいやり方だったと思ってるからそんなこと思いもよらない・・
の?
少なくとも信玄には一貫した領土拡張の展望はなかったな。
右も左も強国だったのが不運と言えばそうだが。
しかも毛利家のように、その強国が内紛で自壊する幸運もなかった。
969 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 21:02:36
弱小には勝てても、強豪には勝てないのが信玄
970 :
ただいも^^:04/12/26 21:07:54
>>948 それは岩倉織田家のことでありますな。
新興勢力である信秀は、フロンティア政策により地力をつけ、
その後次第に、岩倉織田家の勢力圏にも影響を及ぼすわけで
す。つまり、この時点で利権の問題が出てくるのです。それ
が表面化したのは信秀没後、すなわち代替わりを契機にして
の内乱であります。(織田信長VS岩倉織田家)
971 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 21:12:12
>>969 信玄というか甲斐人の特徴なのかな?
明らかに優勢の時は勇ましいが
そうじゃないと萎縮してしまいがちなのか
972 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 21:13:35
つまり信玄があれより大きくなれないのは必然だった、と
我々歴史の読者はその結果を知っている。
身辺些事に悩まされつつ分からぬ結果に脅え続けた「歴史に生きた人間」
の苦悩は伝わってこない。
さあ、いまこそ、十河家の苦悩を語ろう
974 :
ただいも^^970の続き:04/12/26 21:23:35
つまり、信長の検地は必然的な流れにより、行われたものと考えています。し
かもこの検地は後に、織田家の内部にも行います。だからこそ、信勝を擁立し
て反乱を目論む家臣が出てくるのです。しかし結局、尾張は信長の勢力として
収まります。
総括すると、信長の行った検地は(当時としては)非常に徹底したものでした。
(武田家が遅れているというのは適切な表現でない。織田家が特異なのである)
しかし、それは歴史の流れがもたらした選択の一つだと、僕は思います。
975 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 21:26:55
時間 十時五十五分
ネタ 好きなものは好きだからしょうがない!!
広夢くんのCG(ただし、こいつは女だ!!という妄想と現実の葛藤の末)
場所 パソコンの前
やっちゃいました(汗)
いや、やっぱり素じゃ無理です
女だっておもわなきゃ無理
しかも時間が普通の3倍はかかった上、精液が出て来ない
・・・・・・これってイったって言うのかな〜
精神的にはイったんだけど・・・・
http://www9.plala.or.jp/ri/kakorogu6-1.html 広夢くんでオナーニした話
976 :
素人です:04/12/26 21:45:46
信玄の家督相続時の状況考えると、検地どころではないと思う。
その後にも一揆の類は見られないし…。信玄は本当に検地をし
たのかな?と思う。
信長も信玄も基本は変わらないぞ。敵より多数の兵を調えるという孫子に忠実だ。
武田は大勢力に囲まれていたという人がいるが、信玄は最初は信濃の群小豪族を
相手にしている。諏訪氏も小笠原氏も村上氏も弱小とは言わないが、武田に比較
すれば小さい。信玄は、そういった勢力を相手に多数の兵を揃えて挑んで併呑して
勢力を拡大したのだ。
そして調略を多用した、というのも信玄も信長も変わらない。というより戦国大名
のスタンダードだ。戦国大名にとって兵とは農業従事者でもあり、財産である。無謀
な攻撃を行って財産を目減りさせるよりも調略その他で「戦わずして勝つ」のならそ
の方がいいに決まっている。
信玄の戦いを詳しくみていくと、兵法の原則に忠実なことがよくわかる。彼の本領は
あくまで政略・戦略であって、戦術面はむしろひときわ優れているというような印象は
受けない。村上義明や謙信のような戦術の名手相手にすると、敵より多数を揃えていて
もやられてしまっている(もちろん、大名としては逆よりいいのだが)。
つか、自分より大きな勢力に勝つのがどれだけ困難かわかってない
信長対義元の場合、実は石高で見ると
義元 駿河15万石・遠江25万石・三河29万石
信長 尾張57万石
で、実際は開きはけっして大きくない。大将首を取れた僥倖はともかく、撃退できたのは決して不思議じゃない
979 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 21:55:41
>>978 まて、尾張南部は今川勢力が浸透しているから
石高比だけで語ることは出来ない
しかも、義龍という明らかな敵性勢力を背後に抱え、
尾張北部制覇も成し遂げたばかりの信長。
三国同盟の信用云々はともかく、
背後の友好関係は万全の義元。
戦場に送り出せるものはまるで違う。
980 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 21:56:04
桶狭間の時は尾張を統一していたっけ?
981 :
ただいも^^:04/12/26 21:56:27
実は有名な「桶狭間」の戦いで、「信長が攻撃方、義元が後詰方」という見方が
あります。この説は現在進行形で研究が進んでいます。
982 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 21:56:29
983 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 21:58:30
強大な敵に打ち勝つという意味ならば
島津家最強だな
985 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 22:03:30
>>980 岩倉織田家は征服済み。
ただし山口親子の離反など南部は今川勢力浸透ちゅう。
まぁ、ソースといっても歴史群像だが。
986 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 22:04:17
時間 十時五十五分
ネタ 好きなものは好きだからしょうがない!!
広夢くんのCG(ただし、こいつは女だ!!という妄想と現実の葛藤の末)
場所 パソコンの前
やっちゃいました(汗)
いや、やっぱり素じゃ無理です
女だっておもわなきゃ無理
しかも時間が普通の3倍はかかった上、精液が出て来ない
・・・・・・これってイったって言うのかな〜
精神的にはイったんだけど・・・・
http://www9.plala.or.jp/ri/kakorogu6-1.html 広夢くんでオナーニした話
987 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 22:04:36
島津家の話は、まるで三国志をそのまま信じるようなもの
988 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 22:07:39
>>987 いや何万対何万の戦いとかそういう意味じゃなくて
同等以上の国力差の勢力に勝っていくという意味
989 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 22:09:39
たしかに大友家が五万とか六万とか動員できるのかって話だ<耳川
990 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 22:18:01
>>988 島津に限らず、大大名ってのはたいてい自分より強大な家を、どこかで相手にしてるもんだぞ
信長だっていくら石高ではどうこう言っても、兵力では遥かに負けてる義元を下したわけだし、
元就だって自分よりでかいとこばかりだった。
・・あれ、でも信玄とか家康とかはそうでもないか。
家康の相手今川は確かに小さかないが、烏合の衆だ・・
991 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 22:20:30
家康は武田に殺されかけたから
それで十分じゃないか?
本能寺後も、甲信巡って北条とやり合い
小牧長久手で秀吉と対峙
兵力では劣るのにどうにかしのぐ人生が大部分だ
992 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 22:25:31
>>991 家康は武田に殺されかけたのであって、徳川家単体で勝ったわけじゃない。
でも確かに秀吉に対してはがんばったな
でもこう言うと、信玄のが自分より大勢力とガチンコで戦ってないことになるな
993 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 22:28:45
<<989
大友はデカイよ
北九州6ヶ国の大大名
豊後・肥後・肥前・豊前・筑前・筑後
石高を計算してみると267万石にもなった
実質肥前はすべて竜造寺が支配していたと仮定して肥前分の石高を差し引いても
208万石の大大名だ
994 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 22:29:40
ん?
おれは「相手にしてる」っつーからvs武田を引き合いに出したんだけど。
勝った話だけをしてるなら例が変わるからそういってくれないと。
995 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 22:31:01
996 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 22:33:20
時間 十時五十五分
ネタ 好きなものは好きだからしょうがない!!
広夢くんのCG(ただし、こいつは女だ!!という妄想と現実の葛藤の末)
場所 パソコンの前
やっちゃいました(汗)
いや、やっぱり素じゃ無理です
女だっておもわなきゃ無理
しかも時間が普通の3倍はかかった上、精液が出て来ない
・・・・・・これってイったって言うのかな〜
精神的にはイったんだけど・・・・
http://www9.plala.or.jp/ri/kakorogu6-1.html 広夢くんでオナーニした話
812 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:04/12/24 23:41:25
長篠の合戦は鉄砲だけで勝ったのではないけれど、それにしても、その鉄砲を三千挺
も調達する財政力をどうやってつけたのか。その一つは兵農分離をやったこと。
二番目は楽市楽座、三番目は政教分離。この画期的な政治業績にある。武田にしても
上杉にしても、主力が農民兵なので、稲刈りや田植えには帰らなくてはいけなかった。
ところが、織田軍は専業戦争屋集団だから、12ケ月戦争がやれたわけだ。
武田が大動員して押し寄せてくるときはかなわんけれども、それが稲刈り帰った
あたりを待って一城一国を一つずつ落とす。そして、四六時中戦争できる少数部隊を
分散配置し、それをいざというときには各駐屯地から一斉に全部集めて大兵力にする。
このコンビネーションをみごと駆使できたのは、それが職業軍人兵団であったからだ。
当時の織田軍団は、軍団長組織で、羽柴軍団・明智軍団・柴田軍団・滝川軍団・丹羽軍団
というふうに現在の軍団組織と同じ組織であったことも強さの秘密だ。
これがヨーロッパでできたのは三十年戦争からだから、、約半世紀から一世紀、
ヨーロッパのほうが遅い。これが、四方に敵を持ちながら、同時戦争ができた理由だ。
当時の封建思想からは思いもつかない発想であったことは確かである。
812 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:04/12/24 23:41:25
長篠の合戦は鉄砲だけで勝ったのではないけれど、それにしても、その鉄砲を三千挺
も調達する財政力をどうやってつけたのか。その一つは兵農分離をやったこと。
二番目は楽市楽座、三番目は政教分離。この画期的な政治業績にある。武田にしても
上杉にしても、主力が農民兵なので、稲刈りや田植えには帰らなくてはいけなかった。
ところが、織田軍は専業戦争屋集団だから、12ケ月戦争がやれたわけだ。
武田が大動員して押し寄せてくるときはかなわんけれども、それが稲刈り帰った
あたりを待って一城一国を一つずつ落とす。そして、四六時中戦争できる少数部隊を
分散配置し、それをいざというときには各駐屯地から一斉に全部集めて大兵力にする。
このコンビネーションをみごと駆使できたのは、それが職業軍人兵団であったからだ。
当時の織田軍団は、軍団長組織で、羽柴軍団・明智軍団・柴田軍団・滝川軍団・丹羽軍団
というふうに現在の軍団組織と同じ組織であったことも強さの秘密だ。
これがヨーロッパでできたのは三十年戦争からだから、、約半世紀から一世紀、
ヨーロッパのほうが遅い。これが、四方に敵を持ちながら、同時戦争ができた理由だ。
当時の封建思想からは思いもつかない発想であったことは確かである。
999 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 22:42:06
最後に馬鹿晒しあげだ
みなさんお疲れ様でした!
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。