第 1集 20世紀の幕開け:カメラは歴史の断片をとらえ始めた
第 2集 大量殺戮の完成:塹壕の兵士たちは凄まじい兵器の出現を見た
第 3集 それはマンハッタンから始まった:噴き出した大衆社会の欲望が時代を動かした
第 4集 ヒトラーの野望:人々は民族の復興を掲げたナチス・ドイツに未来を託した
第 5集 世界は地獄を見た:無差別爆撃、ホロコースト、そして原爆
第 6集 独立の旗の下に:祖国統一に向けて,アジアは苦難の道を歩んだ
第 7集 勝者の世界分割:東西の冷戦はヤルタ会談から始まった
第 8集 恐怖の中の平和:東西の首脳は最終兵器・核を背負って対峙した
第 9集 ベトナムの衝撃:アメリカ社会が揺らぎ始めた
第10集 民族の悲劇果てしなく:絶え間ない戦火、さまよう民の慟哭があった
第11集 JAPAN:世界が見た明治・大正・昭和
毎日芸術賞受賞(1995年度)
放送文化基金個人グループ部門賞受賞(1995年度)
三国志武将が2ちゃんねらーだったら… 第5幕
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1081355389/796 796 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2004/09/01(水) 18:09
NHK放送80周年記念番組 NHK・中国CCTV国際共同取材
NHKスペシャル「英雄の世紀」
第 1集 動乱の幕開け:歴史書は伝説の断片をとらえ始めた
第 2集 黄巾の乱の勃発:後漢の廷臣たちは凄まじい民衆の蜂起を見た
第 3集 それは洛陽から始まった:噴き出した董卓仲穎の欲望が時代を動かした
第 4集 劉備玄徳の野望:漢たちは漢朝の復興を掲げた劉備玄徳に未来を託した
第 5集 世界は曹操を見た:権謀術数、人材登用、そして果断
第 6集 独立の旗の下に:東呉統一に向けて,孫一族は苦難の道を歩んだ
第 7集 英雄の大陸分割:三国の鼎立は赤壁の戦いから始まった
第 8集 戦乱の中の平和:三国の名将はそれぞれの義を背負って対峙した
第 9集 司馬一族の衝撃:三国鼎立が揺らぎ始めた
第10集 人民の悲劇果てしなく:絶え間ない戦火、さまよう民の慟哭があった
第11集 SANGOKUSHI:日本が見た劉備・曹操・孫権
赤壁or本能寺は燃えているか
ス
ト
ラ
ビ
ン
ス
キ
ー
秀吉は今、日本有数の強国であり、
その軍事力は我が国よりもはるかに勝っている。
しかし、北条家にあって秀吉にはないものがある。
長期戦に備えられるだけの広大な平野と地の利、
そして難攻不落の小田原城である。
したがってこの戦争は三つの段階をたどる。
第一段階
秀吉は小田原まで攻め入ってくるが、軍事的に行き詰るだろう。
第二段階
三成が水攻めの真似事をしたりして対抗するが、
我が方の篭城戦によって消耗するであろう。
そして第三段階
十分な力を蓄えた我が方は、秀吉を追い出し、
戦争は終わるであろう。
――篭城戦論より 北条氏政
評定、評定、評定・・・・・・
僕は毎日、評定の泥沼の中に居ます。
評定は、思っていたのとはまったく違う所です。
最悪の敵は、堂堂巡りです。何日も何週間も、結論の出ない原則論で言い争い、
敵の包囲の中で暮らすのは、どんなものか想像もつかないでしょう。
厚い鎧をまとっていますが、はてしない議論で、体は泥の塊のようです。
何人かの居城は落ちてしまいました。
――北条家家臣の手紙より
三戦板なら映像の世紀合いそうだな。いつも戦の話ししてるし。
私が洛陽に来たのは、この都では董卓が帝を傀儡にして政を欲しいままにしていると聞いたからでした。
しかしここに着いて三つのことを知りました。
まず第一に、
都には董卓などはいないということ、
次に、
そもそも都はまったくの廃墟になってしまっていること、
そして最後に気付いたのは、
この都で玉璽を掠め取る役目は私に課せられているのだということでした。
――反董卓連合に参加したある群雄の手記より
万歳!
とうとう来月、下旬、上洛のために出陣すると言う上奏を受け取りました。
今か今かと待っていたところです。
今朝、近習の若い侍に会いました。
征夷大将軍じゃないのを見られるのが恥ずかしいぐらいでした。
僕はもう、物騒な時代の公方ではありません。
こう言うときに、自分の器量や幕府の現実のことを考えると、小さく、弱くなります。
血筋や威光のことを考えると、強くなれるのです。
――足利義昭の手紙より
掟、掟、掟・・・・・・
僕は毎日、殿中の掟の中に居ます。
将軍職は、思っていたのとはまったく違う職業です。
最悪の敵は、京都所司代です。何日も何週間も、薄暗い御所の中にうずくまり、
敵の監視の中で暮らすのは、どんなものか想像もつかないでしょう。
信長追討の密書を書いていますが、諸大名は冷たい返事で、足は鉛のように重いです。
何人かの家臣は信長の下に走りました。
――足利義昭の手紙より
豊臣家がいささかでも領土を渇望しているとか、東国の他の国々に対して
何らかの計画を抱いているというのは事実ではない。
しかし、帝の上洛命令を無視するような逆賊国家は、北条家であれ他のいずこであれ、
最終的にはどこかの勤皇国による干渉を受けざるを得ないだろう。
勤皇主義を信奉する豊臣家としては、そのような不忠な国家に対しては
ためらいつつではあるが、国際警察力の行使を余儀なくされるだろう。
――豊臣秀吉「勤皇主義について」より
17 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/17 01:58:58
万歳!
とうとう今日、大野治房から大坂に入城せよとの密書を受け取りました。
今か今かと待っていたところです。
朝、近所の村人に出会いました。鎧兜姿でないのが恥ずかしいくらいでした。
僕はもう流人なんかではありません。
こう言う時、信州の大名である兄の事を思うと、弱く小さくなります。
天下を相手に大戦する事を考えると、強くなれるのです。
――真田佐衛門左幸村の手記より。
「織田の軍勢がいつ攻撃してくるのか、とても心配でした。
だから、自分たちの役割は法統のための救済者だと確信していました。
堀の向うから酷い言葉で罵る織田勢の足軽を見ると、それは正に
『仏法の敵』
という言葉がぴったりでした。
彼らが汚い手足で、我々の清潔な街に来ることは、
何としてでも阻止せねばなりませんでした。」
――石山篭城の門徒の回想より
大掃除をするにはもう少しの時間がかかるが、今川はもはや負けだ。
これからの問題は武田だ。
口を酸っぱくして説明をしても、信長にはこのことが分かってもらえないのだ。
−−掛川落城前 家康の発言
私は信玄と上手く歩調を合わせてやっていけると信じている。
私は理想主義者の謙信とよりも、私同様に現実主義者の信玄との方が
馬が合うので、我々の間で現実主義的な基盤の上で合意が成立することについては、
まず問題がないと思う。
――掛川落城前 信長の発言
徳川の同盟国となったからといって、三河人の本質や家康がどんな奴かを忘れてしまってはならない。
家康というのは目を離したが最後、駿河から一町でも盗み取る男だ。
では、信長はどうか。信長はそんな男ではない。
――掛川落城前 信玄の発言
三河から5千人近くの若者が国境を超え、姉川へと連れて行かれた。
織田信長はこれを優雅にも「兄弟の貢献」と呼ぶ。
しかし、徳川家にとって、それは血と汗を流しながら、
寄生虫を太らせているようなものだ。
織田の分国支配によって潤うのは、
嘘吐き藤吉郎や狡賢い明智十兵衛だけである。
21 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/17 14:46:08
石川数正「様々な調査を見れば、私はこう結論づけるしかないだろうと思っています。
三河が、十年前二十年前のような明るい未来を持った活力に満ちた国であるとは、もはや誰も思っていません。
その理由は、羽柴筑前が天下統一に向けてリードしたため、日本中の人々が、天下取りの分野で我が殿が第一位かどうか、疑うようになったと言う事です。
我々は個人個人の武士の精強さと言う面では勝っているかも知れません。しかし、天下取りと言う時局を見る点では遅れを取ったのです。」
井伊直政「さて、例えばここに石川殿のような人物がいて、何度も何度も三河が天下取りで遅れていると言います。
しかし、我々が小牧・長久手で筑前の軍勢を打ち破ったのに対し、筑前はまだ我々に勝利した事がないのです。」
22 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/17 15:26:40
井伊直政「彼がこのような事を言う時、我が三河の威信はどうなるでしょうか?当然、地に落ちるでしょう。」
石川数正「私はやはり、筑前が天下取りに1番近い場所にいると思います。
あなただって負けを認めたではありませんか。小牧・長久手では我々の勝ちだが、大名の動員力では筑前の勝ちだと。
私は局地戦の勝利よりも、総力戦の勝敗の方がずっと重要だと思いますが。」
井伊直政「・・・・・。」
天正12年、小牧・長久手戦直後の浜松城公開討論会より。
『あぁ、我々はなんて奴にすがってしまったんだろうか・・・』
帝都洛陽炎上−ある廷臣の言葉
『私は決断せねばならない。
私は決断せねばならない。
伝統を滅ぼし革新と言う名において全てを滅却するあの独裁者を
義も情も無く己の野望がために全てを消し去るあの独裁者を
私は滅ぼさねばならない
私は滅ぼさねばならない
平氏の血を宿しながら天下統一の野望に長けるあの獣を
主人を追放し皇室までも狙うあの獣を
これは聖戦なのだ
これは聖戦なのだ
神が私に使わせた役目なのだ
人民が私に託した役目なのだ
今こそ決断せねばならない
敵は織田信長
本能寺にあり 』
明智光秀−前夜−
25 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/17 22:14:56
『我が野望は日本国王にあらず』
太閤記
それは、ひどく不気味な光景だった。
信長という男は、三河の泥沼を這いずり回って暮らす数十万の我々全員よりも、京にいるたった一人の男のことのほうをずっと心配していたのだ。
得体の知れない感情がこみ上げてきた。
――三河前線の徳川軍兵の手記
>>23が秀逸だよな
たった一文でどういう時のことを言ってるかわかるよ
北条氏邦「秀吉の遠征軍を撃退するために
箱根、韮山まで出撃すべきです。
我が手勢は、箕輪・鉢形で北国勢および信濃勢の80パーセントを足止めします。
いずれにせよ先制攻撃を加え、寄り合い所帯の秀吉軍の士気を削いでしまわなくてはならない。
松田憲秀「重臣達の大半は出撃という考え方には反対です。
上杉謙信・武田信玄の攻撃でも籠城した結果、見事に撃退したことを
忘れてはいないからです。
北条氏邦「なるほど上杉・武田の攻撃は失敗した。
しかしあれは、上杉・武田が所詮は地方大名に過ぎないからだ。
秀吉は徳川家康や前田利家といった大大名を動員しているのだ。
松田憲秀「そうかもしれん。が、しかし20万という大軍に
抵抗しようと思ったら、各城に戦力分散させて兵站線を寸断してやらなくっちゃあ。
空きっ腹じゃあ兵は動きませんぞ。
北条氏邦「いや、我々としちゃあ、その城主達が大軍に恐れをなして
秀吉軍に寝返ったりしないように監視してなくちゃならないんでね。
29 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/21 12:17:48
何か光り輝く異様な馬印が関東を席巻した。
他の織田家中とは何の共通点も持たないかに見えた、一人の百姓出身の天下人が難攻不落を歌われた小田原を包囲していた。
しばらくの間、私や小十郎や成実は杯を下に置き、最良の夢に思いを馳せた。
「そうか。後20年早く生まれていれば、猿と渡り合う事が出来たのか―――。」
私の定まる所を知らない天下取りの野望は、私の父の時代に生まれていれば果たせていたかもしれないのだ。
しかし、二百余十万石とは言え秀吉に対抗するにはまだまだ勢力が小さかった。戦国・エイジは続いていた。
我々はまた杯を上げるのだった。
―――伊達政宗
―――戦国・エイジのこだまより。
30 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/21 12:21:58
李氏朝鮮は、明の勢力拡大を自分達の力で阻止できません。
我々日の本の力こそ頼りなのです。
もし我々が朝鮮を見捨てるならば、南蛮や紅毛も我々を信用しなくなるでしょう。
親愛なる諸大名の皆さん、だから我々は朝鮮に出兵するのです。
―――豊臣秀吉の声明。
名護屋城にて。
31 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/24 01:22:17
何か光り輝く異様な赤備えが本陣に殺到した。
一人の信州出身の中年が手勢数十騎で、東軍の本陣に到達し大御所様の首を狙うと言う英雄的行為を成し遂げた。
我々は馬上や本陣で恐怖におののきつつも、この英雄的な一団に感嘆の声をあげた。
「そうか。これが佐衛門佐の強さか・・・。」
果てしなく続くと思われた戦乱の世の中であれば、彼は二国三国を手中にする大大名たり得たかもしれなかったのだ。
だが、戦国の世は終わりを告げ、彼も我々も引き返せなかった。
我々はまた「ここは我らが命に代えても、大御所様をお守り申す」と、槍を取り上げるのだった。
大坂夏の陣に従軍したある旗本。
―――戦国エイジ・最後のこだまより。
32 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/24 09:01:40
( _,, -''" ', __.__ ____
ハ ( l ',____,、 (:::} l l l ,} / \
ハ ( .', ト───‐' l::l ̄ ̄l l │
ハ ( .', | l::|二二l | ハ こ .|
( /ィ h , '´ ̄ ̄ ̄`ヽ | ハ や │
⌒⌒⌒ヽ(⌒ヽ/ ', l.l ,' r──―‐tl. | ハ つ │
 ̄ ', fllJ. { r' ー-、ノ ,r‐l | ! め │
ヾ ル'ノ |ll ,-l l ´~~ ‐ l~`ト,. l |
〉vw'レハノ l.lll ヽl l ', ,_ ! ,'ノ ヽ ____/
l_,,, =====、_ !'lll .ハ. l r'"__゙,,`l| )ノ
_,,ノ※※※※※`ー,,, / lヽノ ´'ー'´ハ
-‐'"´ ヽ※※※※※_,, -''"`''ー-、 _,へ,_', ヽ,,二,,/ .l
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ `''ー-、 l ト、へ
これはAAは曹操とカクを写したAAです。手前が軍師のカクです。
後ろにいるのが乱世の奸雄といわれた曹操です。
この時にカクは曹操にそのまま昇天なさらぬように様にと言ったと伝えられています。
提供 園田三国志
33 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/31 03:06:39
定期アゲ
犬と一緒に長江に飛び込め!