教えてほしぃと思う人が謙虚さを忘れずに教えをこい
語りたいと思う人が気前良く答えを教えようという趣旨のスレです。
正史の記述やより高度な研究成果について、知りたい人が謙虚に質問し
気前のいい正史読者が、質問者を馬鹿にすることなく教える
知りたい欲求と語りたい欲求を互いに満たしあう相互扶助精神に則ったスレ
を目指していきます。
馬鹿にされずに正史について知りたい人は謙虚に書き込んでください。
正史を読んでない人を馬鹿にする大人気ない方は、正史読者でもお断りします。
2 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 20:00:23
2
> 教えてほしぃと思う人が
ほしぃですか
ということで、早速質問をさせていただきます。
正史、といっても『三国志』じゃなくて、後漢書のことなんですが
後漢書って、後漢最後の皇帝劉協(献帝)の代まで書かれてるんでしょうか?
そうだとすると、三国志と括られる時代の半分位は後漢書の記述があるって事
なんでしょうか?
そのあたり、詳しい方お教え願います。
>>3 ほしぃです。欲しいよりももっと欲求が強いのです。
おいちょっと待て。前スレでも思ったんだが、逆に言えばここじゃなきゃ
馬鹿にされず正史質問できないってことか?だとしたら悲しい現状だな。
>4
帝紀は献帝のところまで書かれています。
三国志の有名どころでは
董卓・袁紹・袁術・劉表・何進・荀ケ・孔融などの伝が後漢書にはありますよ。
また、一世代前の党錮の禁に関連する人物はほとんど後漢書の方に伝があります。
しかし三国の主たちの伝は当然無いわけだし、正史『後漢書』は『三国志』より成立年代が
遅いので、両方に伝が立てられている人物の記述に関しては『三国志』のほうがより原史料に
近いということになる。
結局後漢末については『三国志』を見たほうが良い、ってことですな。
>8
そうですね。
上に上げたような人物の伝なら『三国志』の方が資料性は高いかもしれません。
『後漢書』はどちらかといえば、
陳寿が『後漢書』の範疇に入るとして『三国志』に伝を立てなかった人物たちの動きを知るために
利用した方がいいのかもしれませんね。
陳登について伺いたい。
孫策を2度も大敗させたってのはマジなお話ですか?
>>8>>9 古い方の史料が無条件で価値があるって…
まさかとは思うが、ネタってことでいいんだよな?
では元史は元滅亡直後に書かれたのに、数百年後の新元史よりはるかに信用が薄いのはなぜだ?
古い書物は、裏を返せば十分に関係史料を比較検証してない書物ということ。
例えば現代のある事故のことを知ろうとした時に、
事故直後の目撃談より、数週間後に作られた検察調書の方が
客観的事実を正しく伝えてる場合だってあるだろ?
考えなしな意見でしたね。すいませんでした。
とりあえず三国志にない伝は…
孝靈帝紀 孝獻帝紀
靈思何皇后紀(皇后紀) 獻帝伏皇后紀( 〃 )
鄭玄伝 楊彪・楊脩伝(附楊震伝)
蔡ヨウ伝 盧植伝
王允伝 許劭伝
孔融伝 皇甫嵩伝
朱シュン伝 劉虞伝
禰衡伝(文苑伝) 左慈伝(方術伝)
董祀妻伝(列女伝)
主要なところでこんなとこ?
ざっと見て拾っただけなので、漏れてるのもあると思うけど
>では元史は元滅亡直後に書かれたのに、数百年後の新元史よりはるかに信用が薄いのはなぜだ?
わずか半年という短期間ででっち上げられたから。
>事故直後の目撃談より、数週間後に作られた検察調書の方が
>客観的事実を正しく伝えてる場合だってあるだろ?
その伝でいうなら、事故の数年後、目撃者の記憶も薄れたころになって、前の調書も参照して
作られた調書は、前の調書より価値はあるとは思えないけど。
>>14 やっぱ反論来たかい。言葉足らずだったからね
>前の調書も参照して作られた調書は、前の調書より価値はあるとは思えないけど。
後漢書が「二次史料」だってやたらこだわるねえ
確かに三国関連の記述は、三国志の文章をそのまま襲ってる部分が多い
ただ、後漢書で増補修正されてる箇所は無価値なん?
陳寿が知らなかった別の一次史料を基に修正した可能性だってあるわけだが
三国志が「一次史料」で後漢書が「二次史料」だから、問答無用で三国志が正しいの?
てか、別に後漢書マンセーとか思ってない。そこまで擁護するほどの書物でもない
三国志が信用ならんとか言ってるわけじゃなく
それぞれの文献の性質を踏まえて
分析的に読んでいくのがいいんじゃないの?って話
頭ごなしに一次史料の三国志だけを信用すればいいってのはちょっと暴論じゃないかい?って話
>>15 つまり、漢から魏への禅譲までは後漢書にも載っているけれど
三国時代(曹操や劉備らの台頭後)の理解的には、三国志をベースに後漢書は
補完資料として考えるのが良いと言う話ですね。
ありがとうございます。
紀伝体ってのが調べてみても、
よくわからんのですが。
19 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/06 00:54:45
『後漢書』に陳寔伝ってありますか?
三国志ファンにはこの人よりも孫の陳羣の方が有名だけど、
一応この人は『広辞苑』にも載ってるぐらい凄い人らしいので。
後漢書ってのは、後漢について書かれたものではなくて、
漢書を補完するためにつくられたものらしいですよ。
つまり、後漢・書ではなくて、後・漢書が正しいみたい。
>19
あるよ。後漢書卷六十二荀韓鍾陳列傳というのがあり、
陳寔伝はその巻に含まれている。
故事成語「梁上の君子」の登場人物の一人だから、広辞苑には
出てくると思う。
>11
新元史はさほど現在の学会では評価されていません。
正史二十五史に列せられたこともあるが、今では二十五史から外すことも
あるし、論文作成時の史料としては使われていない。
理由は成立が余りにも遅すぎる(清朝末の成立)為。
寧ろ元史が見直され、原史料に近いという点で評価されている。
>17
紀伝体とはその名の通り帝紀を中心とした記述形式のことです。
皇帝自身の記録とその治世下で起きた事件や気象現象などを書いている「本紀」の部分と
皇帝以外の重要人物の事跡が書かれた「列伝」部分に分かれています。
この他「表」(地理・経済・制度などをまとめた書)のあるものもありますが、
とりあえず「本紀」と「列伝」があれば紀伝体になります。
なので、大まかな事件は本紀を見ればわかりますが、細かい物事の流れはその事件に深く関わった
人物の「列伝」の方に詳しく書かれている事が多いです。
また、この紀伝体の記述方式を取っているものだけが「正史」と呼ばれるようです。
(なので「三国志」でいうと、「本紀」は魏書にのみあり、蜀書と呉書にはないので
魏書のみを「正史」に分類し、蜀書と呉書は「野史」に分類している書籍もあります)
訂正
>この他「表」(地理・経済・制度などをまとめた書)のあるものもありますが
「表」ではなく「志」でした・・・・ごめんなさい。
「表」は年表でした。ホント、ごめんなさい。
25 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/09 03:14:05
張角、張宝、張梁などの黄巾賊関係の人物の伝って『後漢書』にありますか?
>>11 先に
>>21にも言われたが「後から出てきたものは比較史料があって良い」という論法は
この業界じゃあまり通用しない事が多い。
何故かと言えば、当時流布しなかったような説が数百年後に突如見出されても、
原史料と較べれば信憑性が薄いとみなされる事が多いからだ。
ちなみに単に「正史」といった場合は、通常二十四史を指しており「新元史」は含まれないぞ。
>>26 まだやんの?俺もう飽きたんだけど、その話
何度でも繰り返すけど
別に後にできた史料が価値があるなんて決め付けてないからね
原史料に近い三国志「だけ」読んでりゃいい、って考えに釘刺しただけだからね
原子と新原子の話は何気なく出したんで
間違いなら間違いで勝手に訂正しといて下さい
それをいうなら
>>8では
>原史料に近い三国志「だけ」読んでりゃいい
とは一言も言ってないけどな。
30 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/11 14:43:28
『後漢書』っていつ頃、誰が編纂したのですか?
また『後漢書』の評価は二十四史の中でどのぐらいの高さですか?
後漢書は孫権の夫人謝氏の弟の謝承が撰した。
なんつって。
5世紀前半くらいに范曄が書いたのが一般的。
上の謝氏撰とか、「後漢書」「続漢書(司馬彪撰)」とかいうのは
それ以前にも結構あって、それらを范曄がまとめたのです。取捨選択して。
で、唐の初めころの皇族で、章懷太子李賢という人が
これに注釈をつけた。
今出回ってる後漢書にはほとんどこの章懷注がついてる。ハズ。
評価の方は専門家じゃないのでわからんです。
悪くはないと思うんですが。
32 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/11 15:42:18
>>31 ありがとうございます。
でも思ったよりも編纂された年代が離れている割には、
三国志の時代の資料などを厳選して編纂してるという事は
かなり思ったよりも史書としての価値は高そうですね。
33 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/12 18:24:25
>>32 唐代編纂の「晋書」も同じような経緯の歴史書。
だが、以後の正史は次代の王朝が官僚組織の中で作っているので、新王朝マンセー史観で作られていて価値が暴落。
34 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/23 11:52:20
糞スレサルベージうざい
>>28 間違いを指摘されたからって不貞腐れるな ガンガレ
二十四史が定められたのは乾隆帝の時代なんだから「新元史」が含まれないのは評価云々とは関係ないんじゃない?
38 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/23 14:59:59
どこを縦読みするんだ?
どのレスに言ってるんだ?
せいぜい数行のレスばかりだが。
>>39 あたらしい試みで、1から37までを縦読み。
結果は?
その誘導は無理があるだろー
あえて誘導しなくたって、このスレも終わりだろ
一寸気になったので教えてくれる親切な方求みます。
劉備って色んなところを転々として、色んな官職を与えられたり自称してるようですが
具体的にはそれぞれの年代にどんな官職にあったのか、大まかなイベント毎に分かるでしょうか?
できればその当時の曹操や孫家の地位とあわせてお願いしたいです。
黄巾討伐前
黄巾討伐〜反董卓連合
反董卓連合〜徐州入り
徐州時代
曹操貴下時代
袁紹陣営入り〜官渡
新野時代
荊州南部時代
蜀取り
漢中戦
皇帝自称
年代分けこんなものですかね? やりやすく訂正いただいても結構です。
46 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/01 21:39:01
黄巾の乱の頃・・・無官。
黄巾の乱後・・・・安喜県尉
何進〜董卓政権・・・・・下密県丞・高唐県尉(公式?)
董卓政権末期・・・・・・公孫サンの別部司馬(配属先・青州)→平原国相(公孫サン任命)
徐州時代・・・・・・・・予州刺史(陶謙推薦)
曹操時代・・・・・・・・鎮東将軍、予州刺史、宜城亭侯(曹操上表・公式)
曹操時代末期・・・・・・左将軍、予州刺史、宜城亭侯(曹操上表・公式)
荊州南部時代・・・・・・荊州牧追加(自称)
益州平定後・・・・・・・左将軍(公式)、領司隷校尉(劉章推薦)、予(公式)・荊・益(自称)三州牧、宜城亭侯(公式)
漢中平定後・・・・・・・大司馬・漢中王(自称)、荊・益二州牧(自称) 左将軍、宜城亭侯、予州牧は返上
即位後・・・・・・・・・皇帝、荊・益二州牧?
うーん…不正確な部分多いな
誰か改訂頼む
取りあえず豫州牧の(公式)って言い方はおかしい
曹操は自分の支配圏の豫州牧に後任者を任命してるわけだから
勝手に劉備が僭称し続けてるだけだよ
例えば青島幸男が「俺は今でも東京都知事だ!」と言い張ったとしても
それは決して政府に認められた公称ではないよね?
>47
陶謙に推挙された時は自称に近いものがあるが、曹操の下に身を寄せた後は、曹操自身が上表して、豫州牧になってるわけだから、漢王朝から公式に任命されてる、と思うけど。
ただ、曹操から離れた後は実質が伴ってないので自称とも言える。それでも正式な印璽は劉備が所持してたのも確かで微妙なトコだね。
曹操側から言えば、自分に敵対したのだから、罷免は当然だろうが、劉備にしてみれば、唯一の公式官職なので、後々まで保持してたんだろうね。
黄巾の乱の頃・・・・・・無官
黄巾の乱後・・・・・・・・安喜県尉
何進〜董卓政権・・・・・・・下密県丞・高唐県尉→高唐県令
董卓政権末期・・・・・・公孫サンの別部司馬(配属先・青州)→平原県令→同国相
徐州時代・・・・・・・・・・予州刺史(陶謙推薦)→領徐州牧
曹操時代・・・・・・・・・・鎮東将軍、宜城亭侯(曹操上表・公式)、予州刺史→予州牧
曹操時代末期・・・・・・左将軍、宜城亭侯(曹操上表・公式)、予州牧
荊州南部時代・・・・・・荊州牧追加(自称)
益州平定後・・・・・・・・左将軍(公式)、領司隷校尉(劉章推薦)、宜城亭侯(公式)
予(公式)・荊・益(自称)三州牧
漢中平定後・・・・・・・・大司馬、漢中王(追認)、荊・益二州牧(自称)、領司隷校尉
左将軍・宜城亭侯・予州牧は返上
皇帝即位後・・・・・・・・皇帝(謚号は昭烈)
遅レスながら31-32あたりへ。
裴松之も范曄も同じ劉宋文帝期の人で、生年はけっこう被ってたり。
裴注・後漢書とも成立年が正確には不明なものの、30年と離れていないのは確か。
用いた史料の価値等の差異を考慮しても、記述の被る部分の優先順位としては
陳寿三国志本編>裴注≧後漢書
くらいの認識でよいと思われ。
なお当然ながら、後漢そのものを研究する場合は後漢書が筆頭の史料。
Web上で無料公開されている後漢時代の史書には、中央研究院に東観漢記があり、
何故か大東文化大学のミラーサイトに、本家ですら公開していない通称「七家後漢書」、
及び袁宏の後漢紀(周天游校注)があったりするです。
ただしこれら後漢書はほとんど散佚していて、東観漢記、「七家後漢書」は現存する他の史料に
注として引かれている文章を拾い集めて年代順にならべた所謂「輯本」に過ぎず、
現状で完本なのは范曄後漢書と袁宏後漢紀だけ。
後漢紀は、周天游氏の校注を読む限り、范曄後漢書と相違する内容について検討すると
8割がた後漢書が正しい、という代物なので、范曄後漢書が明らかに上。
また范曄の文章は、論賛の一部がかの『文選』に収録されるほどの美文として知られ、
班固漢書の美風を継げるのはこれしかない、と惚れ込んだ梁の劉昭、唐の李賢らによって
志と注が付されており、現在では種々の後漢書中では間違いなく最上位の後漢書と
呼べるものです。三国志と被る部分では三国志を優先、というだけのことで
価値は非常に高いんです、もとより。
この話蒸し返したがる奴が多いな。
話はズレるが、劉昭はマジですごいと思う。
あそこまで人口統計とか丹念に記載した注釈者は同時代にいないだろ。
中国で初めて、歴史が社会科学であることに気付いた人間かもしらん
>>52 さらにズレるが、そりゃたぶん郡国志の話だよな…
ありゃ『帝王世記』から引用しているワケだから、
世記の撰者の皇甫謐が偉いし先なんじゃないのか。
これは個人的な感想だが、劉昭の注って、それはそれで興味深く有用だけど
本編の内容理解には全く役に立たない、無関係な注が多いぞ。
自身も序文で言い訳してるけど、どうもこう、
「正直詳しくないんで、俺にはわかんないけど関係ありそうな史料はとりあえず全部載せといた」
って印象が拭えないんだが。
いや馬鹿にしてるんじゃなくて、その編集方針にむしろ感謝してるんだけど。
本編の内容理解に役立たないという点では、裴松之も似たようなものかもな。
実際そのお陰で史料が残ったんだから感謝なんだけどさ。
こういう話を読む度に、つくづく魏武注を書いた曹操は偉いと思う。
西洋に生まれていたらシーザー並みの扱いを受けていたんじゃないか。
今でも魏武注孫子が主流ってのがすごいよな。
曹操は政治家で軍事家でもあったから兵法書はわかるけど
個人的には詩人としてもあれだけのものを作ってたのがすごい。
酒に対しては当に歌うべし