【地侍】伊賀・甲賀衆を語ろう U【郷士】

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941無名武将@お腹せっぷく:2005/11/02(水) 04:50:36

さて、そろそろ終盤なので本題に戻ろうか。
942無名武将@お腹せっぷく:2005/11/03(木) 05:22:36
>>941
本題は次スレに任せましょう。
943無名武将@お腹せっぷく:2005/11/03(木) 16:16:19
>>942
では、あとは勝手な話題で1000到達ですか?
944無名武将@お腹せっぷく:2005/11/04(金) 05:06:07
>>935
宗矩が若山富三郎でしたね。
あとは胤栄と宮本武蔵・・・?
945無名武将@お腹せっぷく:2005/11/04(金) 15:56:44
>>944
違う、宝蔵院胤舜だっての。

ちなみに
天草四郎…………沢田研二
柳生十兵衛………千葉真一
伊賀の霧丸………真田広之
柳生宗矩…………若山富三郎
宮本武蔵…………緒形拳
宝蔵院胤舜………室田日出男
細川ガラシャ……・佳那晃子
小笠原少斉………鈴木瑞穂
酒井雅楽頭………内田朝雄
板倉内膳正………角川春樹
松平伊豆守………成田三樹夫
村正………………丹波哲郎
946奇矯屋onぷらっと ◆QqQquqqauQ :2005/11/04(金) 23:43:39
>板倉内膳正

ヤク中おじさん出てたの知らんかった。
947無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 13:02:40
>>946
角川作品には必ずチョイ役で出演、がデフォです。
948無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 18:32:21
>>947
「犬神家の一族」でも湖から死体引き上げてたしね。
春樹さんは命令出してただけ(刑事役)だったけど。
949無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 23:24:04
>>945
小笠原少斉ってガラシャ斬った香具師だっけ?
950無名武将@お腹せっぷく:2005/11/06(日) 10:04:01
>>980
次スレよろしくね!☆
951無名武将@お腹せっぷく:2005/11/06(日) 16:39:39
>>949
YES
952無名武将@お腹せっぷく:2005/11/06(日) 23:25:39
松平信綱まで殺されちゃってましたね。
953無名武将@お腹せっぷく:2005/11/07(月) 18:12:47
>>952
髪の毛ビヨ〜ン攻撃で首吊り状態。
あれは無いだろ、と(w
954無名武将@お腹せっぷく:2005/11/08(火) 09:44:28
>>953
>髪の毛ビヨ〜ン攻撃

いや、髪の毛ビヨ〜〜〜〜〜〜〜〜ン攻撃って感じだろ、あれは。
955無名武将@お腹せっぷく:2005/11/08(火) 12:15:46
伊賀の霧丸で辛うじて伊賀・甲賀ネタに繋がってるってことか?
956無名武将@お腹せっぷく:2005/11/10(木) 11:48:54
>>955
緩やかに関連。
957無名武将@お腹せっぷく:2005/11/10(木) 17:40:25
ガラシャが妙に色情的だったね(w
958無名武将@お腹せっぷく:2005/11/10(木) 23:10:30
>>957
やはりそれがないとなww
959無名武将@お腹せっぷく:2005/11/11(金) 13:06:47
くのいちモノもそうだが、エロいシーンが適度に挟み込まれていないと・・
960無名武将@お腹せっぷく:2005/11/11(金) 19:39:41

で、ここは一体何のスレなんだ?
961無名武将@お腹せっぷく:2005/11/12(土) 17:51:18
>>960
>>1の通りだが?何を今さら。
962無名武将@お腹せっぷく:2005/11/12(土) 22:19:18
>>961
近江の国人衆というのは、前スレでブレイクした朽木ネタを意識してのことか?
963無名武将@お腹せっぷく:2005/11/13(日) 02:40:55
>>962
六角承禎とテロ集団。
964無名武将@お腹せっぷく:2005/11/13(日) 22:45:23
ほんじゃここらで藤林と多羅尾の関係について語りつくそうか
965無名武将@お腹せっぷく:2005/11/14(月) 13:30:15
>>963
善住坊の再登場ですか?
966無名武将@お腹せっぷく:2005/11/15(火) 14:11:26
>>965
拓坊
967無名武将@お腹せっぷく:2005/11/15(火) 15:58:24
967
968無名武将@お腹せっぷく:2005/11/15(火) 19:13:46
>>966
黄金の日日ね・・・既出。
969無名武将@お腹せっぷく:2005/11/16(水) 03:01:40
>>968
あれを見ると染五郎と似てるなぁ・・・と独り言。
970無名武将@お腹せっぷく:2005/11/18(金) 18:11:13
>>962
一時は朽木スレが立ちそうな勢いだったし。
971無名武将@お腹せっぷく:2005/11/19(土) 13:12:33
>>970
鯖街道
972無名武将@お腹せっぷく:2005/11/19(土) 15:13:20
>>971
足利庭園もよろ!☆
973無名武将@お腹せっぷく:2005/11/19(土) 16:01:23
次スレです。

【国人】伊賀・甲賀衆を語ろう V【土豪】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1132381827/
974無名武将@お腹せっぷく:2005/11/19(土) 16:14:24
>>973
乙です。
975無名武将@お腹せっぷく:2005/11/19(土) 16:40:48
>>964
で、どういう関係があるんだ?
976無名武将@お腹せっぷく:2005/11/19(土) 16:59:52
【甲賀五十三家 @】
山中氏……柏木三家
伴  氏……柏木三家
美濃部氏…柏木三家

黒川氏……北山九家
頓宮氏……北山九家
大野氏……北山九家
岩室氏……北山九家
芥川氏……北山九家
隠岐氏……北山九家
佐治氏……北山九家
神保氏……北山九家
大河原氏…北山九家

大原氏……南山六家
和田氏……南山六家
上野氏……南山六家
高峰氏……南山六家
池田氏……南山六家
多喜氏……南山六家
977無名武将@お腹せっぷく:2005/11/19(土) 17:00:42
【甲賀五十三家 A】
鵜飼氏……荘内三家
内貴氏……荘内三家
服部氏……荘内三家

小泉氏 倉治氏 夏見氏 杉谷氏 針氏 小川氏 大久保氏 上田氏 野田氏 
岩根氏 新城氏 青木氏 宮島氏 杉山氏 葛城氏 三雲氏 望月氏 牧村氏 
八田氏 高野氏 上山氏 高山氏 守田氏 嶬峨氏 鳥居氏 平子氏 多羅尾氏
土山氏 山上氏 饗庭氏 長野氏 中山氏
978無名武将@お腹せっぷく:2005/11/19(土) 17:37:13
>>977
多羅尾ってたいしたことないじゃん。
979無名武将@お腹せっぷく:2005/11/20(日) 18:20:28
>>978
豊臣時代(秀次事件前)はけっこうな禄高じゃなかったか?
980無名武将@お腹せっぷく:2005/11/20(日) 18:31:52
>>979
秀吉ってのは甲賀衆に対して冷酷だったしね。
とにかく難癖をつけては潰しに掛かるようなところがあった。
981無名武将@お腹せっぷく:2005/11/20(日) 19:22:29
>>979
天正11年(1583)、秀吉は織田信孝、滝川一益を攻撃を企図し、浅野長政に京から信楽経由で
伊賀に入り、柘植から加太越えに一益の亀山城を攻めるよう命じた。
長政は、多羅尾光俊の四男・光量の和束・別所城を陥して信楽に攻め入ろうとしたが、光量軍の
夜襲に遭い、撃退されてしまう。
長政は、光俊と交戦するよりも和睦した方が得策だとして、自分の娘を光俊の三男・光定に輿入
れさせることを提案し、光俊もこれを了承して和睦が成立。これにより長政は難なく亀山城を攻略
することが可能になった。
光俊もまた、秀吉の重臣である浅野家と縁続きになることで政権への接近を図ることになる。
結果、天正14年頃には多羅尾家は一族で8万石余の所領を有していたとされ、光俊は本拠地・
小川城に、嫡男の光太を多羅尾城、三男・光定を田上の里城、四男・光量を別所城には配して
防備体制を整えた。
982無名武将@お腹せっぷく:2005/11/20(日) 19:23:36
>>979
光俊の嫡男・光太の娘・お万を秀次の側室にしていたことが仇になったと言われている。
秀次は天正15〜17年頃、近江・八幡城を居城にしており、近江国内巡察の折、多羅尾城にて
光俊から手厚い接待を受けた。その際、光俊の孫娘にあたるお万を見初め、側室に迎えること
になったという。
しかしながら、文禄4年7月、秀次が高野山で切腹させられると、翌8月には秀次の5人の子女
と側室34人も処刑され、お万も側室の一人として三条大橋西南の加茂河原において惨殺され
ている。
なお、お万は「いづくとも 知らぬ暗路をまよう身を 導きたまえ 南無阿弥陀仏」という辞世の
歌を残したという。
結果、多羅尾一族は秀次事件に連坐して所領を没収され、伊賀の地に隠遁し、困窮生活を
余儀なくされることになる。
983無名武将@お腹せっぷく:2005/11/20(日) 19:36:33
多羅尾っていや藤林と組んで伊賀の乱のとき信長に与力したらしいね
984無名武将@お腹せっぷく:2005/11/20(日) 20:26:27
>>982



 ま  た  秀  吉  か  !  !  !

985無名武将@お腹せっぷく:2005/11/20(日) 22:20:03
秀吉没後、家康は多羅尾一族を召し出し、光太にニ百人扶持を与え、直参旗本として取り
立てた。
光太は会津討伐に参戦、関が原本戦においても手柄を上げており、戦後、多羅尾氏累代
の所領であった信楽の地を与えられ、その際、弟の光定、山口藤左衛門(光弘)も直参に
取り立てられている。
慶長8年、正式に徳川政権が開かれると、光太は信楽の多羅尾に知行1,500石が与えら
れ、知行とは別に天領1,500石の支配を任されることになる。また、弟の光定には信楽の
神山・江田に知行1,500石が、山口藤左衛門には柞原・朝宮に知行500石が与えられて
いる。
また改易後、剃髪して「道賀」と名乗り、大光寺に住していた光俊には隠居料として小川
の地に800石が与えられた。光俊は96歳の長寿を全うして慶長14年に没している。

なお、寛永15年、光太の子・光好が代官に任命され、多羅尾の居館に信楽陣屋(一般に
多羅尾代官所と呼ばれている)が置かれることになった。
信楽代官職は特例的に代々世襲され、明治維新まで近江・播磨国内の幕府天領を支配を
担うことになる。
986無名武将@お腹せっぷく:2005/11/20(日) 22:39:24
>>984
ホント、秀吉は嫌われ者。。。
987無名武将@お腹せっぷく:2005/11/20(日) 23:06:20
途中、小堀遠州の子が養子に入ってないか?
988無名武将@お腹せっぷく:2005/11/21(月) 00:10:43
埋め
989無名武将@お腹せっぷく:2005/11/21(月) 00:12:01
次スレです。

【国人】伊賀・甲賀衆を語ろう V【土豪】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1132381827/
990無名武将@お腹せっぷく
多羅尾代官所は江戸にも屋敷を持ち、伊勢・四日市に出張陣屋があったという。
多羅尾氏は歴代、5〜6万石の天領を管理しており、8代目代官である純門の時代には
10万石に拡大しており、全国で40余りを数える代官の中でも最大規模となっていた。
したがって格式も高く、布衣の階位にあった。
これらの待遇については

(1)神君伊賀越えの功績に対する評価
(2)朝廷と関係の深い近衛家の流れを汲む名門
(3)多羅尾地区が近江、山城、伊賀、大和4ヶ国の国境にあり政治・軍事上の要衝であった

ことなどを挙げることができる。