1 :
無名武将@お腹せっぷく:
史実では策略につぐ策略であっけなく半日で終わってしまった天下分け目の合戦。
もし史実ほど家康の策略が成功せずに関ヶ原の合戦が消耗戦になり完全決着が
着かなかったらその後どのように戦国時代が続くか?
妄想乙
今までに何度これと同じ内容のスレが立ったと思っていやがるんだ
どーなんすかね
5 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/10 19:46:25
まぁよくありそうな話題か。
小早川が裏切らなかったら結構いい戦いするんじゃない?
>>1 まず状況設定をしてください
丸投げでは妄想のしようもない
状況設定
関ヶ原決戦まではほぼ史実どおり。
決戦は午前は西軍優勢。
小早川は傍観。後、東軍から威嚇を受けるも東軍へ突入。(まぁ裏切らなかったわけ)
福島隊は壊滅。(正則が討ち死にかは任せます)
宇喜田隊は大谷隊と連携し東軍中央部分を攻撃。
西軍本陣は黒田・細川隊と互角。ただし黒田隊は小早川隊の攻略が失敗したのを恐れて逃亡の恐れあり。
東軍旗本軍は小早川軍を食い止めるため本多軍と共に左翼へ。
毛利・吉川・長曽我部は動かず池田・浅野・山内も傍観。
両軍互角の戦いの後負傷者続出のため一時退避。よって島津軍の特攻は行われず。
そして日没のためとりあえず終戦。
東軍は策略の失敗・秀忠隊の遅れのため体制の立て直し。
西軍は毛利・吉川軍の傍観の対処のため後退。
こんなとこですか?
戦後
黒田長政は家康の叱責を逃れるため九州へ。その父、如水は清正と共に北九州に版図を広げ島津と衝突。
東北勢の伊達・上杉は両者牽制のため思うように動けないが上杉は関東の隙を窺いつつある。
よって
東北 :伊達
上越・北陸:上杉
関東・東海:徳川
関西 :豊臣(石田・宇喜田)
中国 :毛利
四国 :長曽我部
九州(北) :黒田
九州(南) :島津
てな感じに予想
お疲れさまです。コーエー風に考えてみます
まず九州中国から
黒田加藤島津小西ともに現場で消耗しすぎており、本国に戻ってもすぐには動けません
西軍に寝返らなかった小早川と吉川がいるため、毛利家は豊臣氏の下で執政として西に睨みを利かせます
しかし四国には毛利といずれ袂をわかつ長宗我部がいますから東には手が回りません
転じて東軍〜
松平忠吉・井伊直政クラスが討ち取られない以上、徳川の撤退は考えにくい
よって両者にはここで眠ってもらいましょう
浅野・前田・福島は本国に近く、撤退後は美濃の織田秀信と結び徳川とは距離を置きます
丹後の細川も巻き込み、宇喜多秀家を通じて大坂帰参を果たすかどうか
駿三遠は豊臣恩顧がいますが、もともと家康の本領。地縁からの影響で徳川配下に転じます
関東仮説〜
徳川家康の関八州は豊臣政権下からの独立を宣言します
幕府を立てるのは無理でも北からの侵攻がないので、もともとの徳川家に旧領を復活した
最有力者であることに変わりはありません
ただし佐竹・太田原一門(旧那須・宇都宮)らの北関東勢が不穏分子として残りますし
豊臣恩顧を抱える点も含めて地盤はやや脆弱になります
東北妄想〜
パワーバランスからいって最上家が滅び、上杉伊達の睨みあいが膠着
和賀一揆が拡大し、南部氏は津軽氏に圧迫されはじめます
主要の顔ぶれは変わりませんが、九州と同じく動けば叩かれますから
安東以下の旧小大名の動向が導火線になります
中央権威をどう消化するのかによって動向が左右されやすい特徴があります
以上、駄文失礼いたしました
いきなり私見を展開しすぎ
それじゃみんな引くよ
14 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/10 22:53:21
状況設定
関ヶ原決戦まではほぼ史実どおり。
決戦は午前は西軍優勢。
小早川は傍観。正午ごろ、東軍から威嚇を受け史実どおり西軍へ突入。(ここも史実どおり)
形勢が逆転して東軍優勢。
宇喜多隊と大谷隊は壊滅。(吉継が討ち死にかは任せます)
西軍本陣には東軍の主力が殺到。
東軍旗本軍は西軍本陣攻略ため右翼へ加担。
西軍本陣の石田隊は虫の息。(ここまでが史実どおり)
しかし、ここから起死回生の出来事が始まる。
毛利・吉川・長曽我部が東軍へ突入。(ここからが史実と違う展開)
背後を奇襲された東軍本陣は動揺。
そこへ、なんと池田・浅野・山内も東軍へ突入。(まぁ西軍に寝返ったわけ)
さらに、島津軍が東軍本陣に特攻。(しかも大成功!)
これで敗北寸前だった西軍が巻き返す。
両軍互角の戦いで、負傷者続出で戦況が泥沼化。(これ以後の展開は任せます)
こんなのも、ありですか?
15 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/10 22:57:13
>>14 小早川が裏切った時点で、西軍の負け決定だろうが・・・!?
>>14 それはほぼありえないが面白いかもしれない。まぁ浅野と山内は裏切らないと思うが。
その場合、石田光成・島左近両名は討ち死。西軍、本陣をやられるも大攻勢になり島津の特攻が井伊・松平を討ち取る。(大坂夏の真田みたい)
東軍本陣は光成討ち取るの報を聞くが先鋒の壊滅により本田隊を先頭に松尾山東より赤坂へ撤退。
討ち死
東軍:井伊直政・松平忠吉・福島正則
西軍:石田光成・島左近・大谷刑部
ってとこ?
その後は豊臣が誰を中心にまとまるかわからないがその後の展開としてはこれは面白くなりそう。
ま た 関 ケ 原 I F ネ タ ス レ か!!!
続き
赤坂に籠もった家康は秀忠の軍とともに関東に帰還。ただし忠吉は討ち死、秀忠は遅参により後継者は秀康に。
一方、豊臣は五奉行筆頭を失うも毛利・宇喜田をバックに秀頼をまつる。
ここで問題があるのが前田。越前藩主の大谷が死んで位置的にどちらでもないので前田の領地は広がるのは必須。まぁまた傍観だろうが。
池田・長宗我部の裏切り・毛利秀元の参戦により大坂より西は完全に豊臣の味方に。
だが徳川は北関東には反徳川の小豪族がちらほらとし、真田も警戒せねばならない。やはり不利か?
>>17 というよりスレタイ通り関ヶ原のその後を書きたいんですよ。
ただそうするには引き分けと言ってもどんな戦いになったか表さなきゃならんし。
良いパターンができたらそれでその後をしばらく検証してみましょう。
20 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 00:54:09
>>18 >池田・長宗我部の裏切り・毛利秀元の参戦
「池田・長宗我部の裏切り・毛利秀元の参戦」ではなくて、
「池田の裏切り・長宗我部・毛利秀元の参戦」ですよ。
長宗我部は、もともと西軍だったのだからね。
ちなみに、西軍も小早川に裏切られているから
一概に有利とも言えないのでは?
>>9-12 詳しくありがとうございます。
九州は西軍が勝つと(負けないと)如水が豊臣に降るかが鍵ですね。
中国はいいが長宗我部は安泰。だが参戦しなかった前田は徳川に着くかもしれません。
関東甲信越は真田は上杉には着かないだろうから維持。もしくは拡大。いがいと信州で一大勢力になりそう。景勝は宿敵武田の末裔とみてそちらと戦うんじゃないか?
大穴は伊達、イスパニアの援助が効けば東北制圧は確実。すると最上はともかく上杉は南下するから次の戦いはやはり信州かな?
米軍の偉い軍人が関が原開戦前の陣取り図見て西側勝利と断言したらしいが
23 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 01:22:50
米軍じゃねえよ
>>20 確かにそうです。
でも長宗我部は東軍に寝返りの密書が届かなかったからなし崩し的に西軍に着いたから微妙。
それなのに大坂夏では豊臣側なんだから忠義なのかわかりません…。
25 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 02:09:45
>>24 ところで、この仮想展開だと東軍と西軍の
どちらが有利であろうか?
もうちょっとありえそうな状況設定にして欲しいよ。
いくらなんでも小早川が突っ込んだら西軍が勝てるわけないだろ。
>>25 家康が関東まで帰り着いたなら東軍がまだ有利と私はみる。
朝敵となるのが痛いが。おそらく島津はともかく黒田は小西の領地を分捕り独立を計るだろうから領地的には大差なしとなる。
そして豊臣は反逆と家康に抗議するがあまり効果は無いでしょう。
秀頼を擁立するかはともかく家康主導はあまり変わりません。光成さえ討ち取ればの話ですが。
28 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 02:27:09
結局小早川が動かないまま三成の本陣が支えきれなくなって退却、
しかしどうにか崩壊せずに佐和山まで撤退に成功、持久戦となる。
一方、上杉勢は頓挫した攻勢を立て直し、地力の差に物を言わせて最上を降す。
そこで和睦を成立させ、上杉・伊達・最上の連合軍で関東に討ち入る。
日和見を決め込んでた前田もそれを見て家康に敵対。
また、大坂への三成の政治工作もようやく功を奏して秀頼を担ぐことに成功し、
一気にバランスが均衡する。
という展開ではどう?
29 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 03:29:48
>>27 三成も史実通りに退却していれば、まだ形勢は互角ですか?
>>29 光成が退却して大坂に帰ると次は絶対に秀頼の関白就任に向かうと思われる。
そして自分は補佐としての官式も貰うからすると家康は朝敵になってしまうからなぁ…。おそらく家康が内府だから右大臣か左大臣に。
それで諸将がどうなびくか…。まぁやはり討ち漏らしたら一時的にしろ互角になりますかな?
31 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 05:22:36
>>30 西軍は、小早川の裏切りが痛手にならないの?
>>31 それは合戦内でのことですか?合戦以降のことですか?
合戦内ならば当然かなりの痛手です。ただし西軍は一概にその軍の数=その軍の強さとは
言えません。事実小早川は裏切り後大谷軍に退けられてますし(大谷軍の壊滅の原因は大谷配下の裏切り)
その数500対15000。また福島正則と宇喜田秀家は15000対6000で互角の働きをしてます。
戦後は
>>14の設定で行けば小早川の裏切りより浅野・池田・山内の裏切りの方が利が大きい。
33 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 18:21:44
>>32 なぜ、戦後は小早川の裏切りより浅野・池田・山内の裏切りの方が利が大きい?
>>33 家康の味方となった主な陣営は豊臣内の武断派と呼ばれる人たち。
そのうちの福島正則や黒田長政の中心となる武将は武断派七将と呼ばれ
その中に浅野と池田は含まれるのでこれが裏切るとなると武断派の統制を家康は取りきれなくなる
恐れがでてきます。
小早川は亡き太閤の甥として勢力はあるものの自分ではあまり動かない(動けない)ので
直接に豊臣の政治にかかわってくる武断派等の裏切りの方が東軍陣営にとっては痛いと観ます。
35 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 21:59:17
>>34 合戦の結末は、石田三成と徳川家康が両方とも敗走することになるのかな?
>>35 言い方によってはそうですが光成は部隊壊滅に対し家康は旗本に
あまり被害が出てないのが大きい。
37 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 22:24:00
糞ですね
小早川は関ヶ原合戦前から内応してんだから、当日裏切らなかったらなんて仮定がそもそもおかしい。
態度を曖昧にしたあげく、威嚇で寝返ったとされる小早川
仮定に無理はないと思いますが
40 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 22:32:23
うんちですね
41 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 22:37:06
>>36 石田三成と徳川家康が敗走したあとの戦場は、どんな展開になるのだろうか?
42 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 22:38:13
糞スレだなw
43 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 22:44:28
糞みたいな話はやめて、あなたたちは
早く脳の治療を済ませたほうがいいとおもいますよw
石田徳川ともに敗走したら?
家康が撤退に失敗した時点で石田勢如何に関わらず西軍勝利でしょう
伊賀越えの前例もあるし
家康なら東海道の大名が味方についてることもあって
撤退に失敗することはないんじゃあるまいか。
もしくは到着が遅れている秀忠と合流すればよし。
秀忠忘れてました
でも秀忠の位置を考えれば浅野は本領を潰されますから寝返ることはないですよ
前提覆してすみませんが
西軍は宇喜多秀家、小西行長、石田三成が敗走
東軍は徳川家康が敗走
東軍は黒田・細川・小早川などが
西軍は毛利・吉川・長曽我部・池田・浅野・山内・島津などが
戦場に残って、小競り合いを続けている状態なのかな・・・
48 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 23:01:42
おまえらのほざき合いは、厨房のレベルだなw
49 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 23:02:41
小早川が裏切ったのに、それでも西軍に勝ち目があるのか?
島津は突撃したんなら手持ちの兵はほとんど使いきりかな。
佐吉が戦死すると、西軍は誰が仕切るんだろう。大将は輝元?
無理ポ。
対して江戸へ撤退した家康の脅威は
伊達と上杉の電撃和睦&南下の可能性?
関ヶ原引き分けで一気に天下に近づくのは東北勢じゃあるめーか。
もしくは、九州の如水か。
51 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 23:04:49
うんこだね〜
いや、すぐに秀忠に伝わるわけでないんだし家康と共に中山道で帰還しても
攻略する余裕はないはず…。
その点で言えば問題はない。
ただ、毛利秀元が動くなら総大将、毛利輝元も傍観ではいられないはず。
53 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 23:08:58
『はず』が多いね、糞スレにふさわしいw
>>54 この手の考察スレでは西軍に
有利な展開しか考えちゃいけないって
暗黙のルールでもあるのか?
最終的に史実と同じ展開になるってのは我慢ならないのか?
>>50 確かに直接の被害のない東北勢と九州勢は両者痛みわけの場合、得るものが大きい。
東北勢は伊達と上杉で密約が行われ上杉は直江状の恨みを晴らすべく東北への勢力拡大を
諦める代わりに関東への進出を傍観するよう頼み最上には和睦し伊達との連携の解消を図る。
対して九州は関ヶ原で壊滅となった小西勢に如水が止められるわけもなく清正と提携し北九州に
勢力を拡大。小西は生きているなら所領は増えるだろうが九州からは追い出されるでしょう。
>>54 おまいはまずもちつけ
自己レスしてどうする
自爆してしまった・・・
>>54 そんなことはないですが引き分けという定義がある上で
この合戦では家康は勝たないと日本全体を抑えるにはどうも弱いのです。
大名的にはダントツの影響力なのですが東北から九州まで押さえるとなると
少し弱いかと・・。
まぁ家康の余命は史実でもあと16年あるわけなのですし両者痛みわけの引き分けとなっても
まだ十分に全国統一のチャンスはありますがそこまでの過程の予測が難しいです。
どんな展開かありませんかね?
だから現在のところスレタイ通りもう一度、群雄割拠の時代、後戦国時代が始まると踏んでいるわけなのですが。
新たな設定も募集!なにも関ヶ原合戦からでなくてもいいですし。
>>14を超える突飛な展開も期待。
>>55 島津は義弘が関ヶ原で孤立することになって、
薩摩へ帰ろうにも如水が陸&海を封鎖するだろうなぁ。
義久vs如水が九州で勃発か。如水なら一旦島津と和解して中央進出を狙うか?
ただ、家康だって関ヶ原で本隊敗走したというだけで
その勢力が瓦解するわけではないだろうし、上杉の南下を何とか牽制して
西軍豊臣勢との戦いに集中できればまだまだ史実どおりに持っていくチャンスが
いくらでもあるだろうなぁ。
何気に東軍についた九鬼水軍が、関ヶ原が引き分けに終った場合
それ以降の東西合戦にいい働きをするんジャマイカと妄想。
59です
九鬼は西軍ね 間違いますた。
水軍を持たない東軍との戦いで、の意味ですた。
61 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 23:38:57
>>59 >ただ、家康だって関ヶ原で本隊敗走したというだけで
しかし、三成だって関ヶ原で本隊敗走しているよ
>>61 果たして敗走した後の三成に従ってくれる西軍はどれだけいるだろう・・・
ただでさえ島津や毛利を自分の思い通りに動かせないわけだし。
対して家康は譜代の家臣が中心戦力
裏切られた元豊臣勢の戦力減少がかなり痛いけど
北政所を通じてもう一度豊臣に調略をしかけられないかねぇ
63 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 23:46:32
>>62 >裏切られた元豊臣勢の戦力減少がかなり痛いけど
西軍から寝返った小早川らの戦力増加があるから
プラスマイナス0で大して痛くないのでは?
64 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 23:51:54
つまらんうんこスレは削除
>>63 やっぱ関ヶ原ifを考えるにしても
佐吉とタヌキじゃタヌキの方が何枚も上手だし、自前の戦力が違うよなぁ・・・
タヌキはうまいこと如水を煽って毛利の留守を狙わせ
最上を何とか抱き込んで上杉に歯止めをかけたり(こっちは厳しいかも)して
その後体性を立て直せば、家康自身の長生きも手伝って
やっぱり徳川幕府が出てきそうな気がする。
タヌキ強いよ。
66 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 23:55:27
>>62 北の政所に救いを求めるところが池沼の極みw
やっぱりうんこですな。
67 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 00:00:33
>>65 ほんと救いようのない
うんこ的発想だな!
おまえ、脳は大丈夫?w
ありとあらゆる因果を計算した結果が”現実”なんだから
そこんとこよろしこ。
現実からifを楽しむ余裕がなければ、
この板にいる意味の半分を捨てているのと同じですよ。
だから何?としか
>>59 如水は義弘を止められますかね?堺→薩摩でしょ?
瀬戸内を通れば引っかかるかもしれないが室戸岬沖を通れば行けるんじゃないすか?
その海路は当時成立していませんが
74 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 01:48:06
ブラシーは糞スレ好きw
>>73 えっ?マジ?太閤立志伝にダマされた…。コーエーめ…。w
ってことは土佐に水軍は無いわけだ。
家康、三成両方死亡ってパターンは?
77 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 11:54:30
78 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 15:27:14
漫画の「影武者・徳川家康」みたいに家康は刺客にかかって死亡。
合戦中はそれを隠して勝利。光成は処断。
だがそれ以降は漫画と違い世良田次郎三郎は行方不明。忠勝等侍大将は秀忠は遅参を理由に後継者を忠吉を推挙。
これに激怒した秀忠は秀康がいる結城家と組み分裂。
ってのは?
79 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 15:34:50
>>78 >これに激怒した秀忠は秀康がいる結城家と組み分裂。
それで、秀忠と秀康が西軍に鞍替えするというのは面白いかな?
東軍と西軍にそれぞれ亀裂をいれて四つ巴ってのは?
とにかく既存のIFスレや学研の馬仮想とは別の流れを見たいね
>>80 既存の展開を書き込んでくれませんか?
そしたら新しいのも考えやすいので。
82 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 19:51:25
糞スレだな
四巴は理屈でできても現実味に欠けますね
豊臣文治派・豊臣武断派・徳川与党・西軍大名の四派でしょうけど
そうなる場合は関ヶ原が睨み合いだけで全軍撤退した状況にしたほうが良くないですか?
朝廷が停戦に乗り出したか何か、あるいは秀頼急死とかで
84 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 21:26:24
おまえら、ノータリンが糞話している場合か。
はやく、こんな糞スレに書き込んでないで、病院にいきなさい。
信長の野望で能力値に70以上のパラメータを持ってる奴が全員死ぬ関ヶ原
とか面白そう
86 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 21:33:29
>>68 お前のその不用意な一言は高くついたな。
相手に侮辱する行為をすると、どういうことになるか教えてあげますね。
87 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 21:36:21
88 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 21:42:50
糞スレ 糸冬了
短い間でしたがありがとうございました。
>>83 ではこのようには?
小山会議で家康は西進を決めるが清洲城で秀忠の遅れを聞く。ここで家康は秀忠の到着を待つことに。
その間に西軍は大垣城周辺に陣型を固める。
家康は秀忠を待つと大垣を抜け大坂城を目指すが野戦のほうが得意な家康は小競り合いのみで一気に抜けずにいた。
そして持久戦になるかと思われていたとき江戸から急報が入る。
『上杉勢南進』これを聞いた家康はすぐさま西軍に使者を送り毛利が大坂城をでるなら軍勢を率いての大坂行きは無しとすると伝える。
光成は拒否・東進を進めるが毛利は如水が気になるためこれを受け入れ西国に引き上げてゆく。
そして毛利の予想通り九州では黒田如水が加藤・立花等と結び九州で版図を広げつつある。如水は義弘が帰還したころを見て小西の領地攻めを理由に島津と同盟。ここに黒田・島津の九州同盟ができ豊臣(石田)に離反。
南進を開始した景勝は北関東に攻めいるも上野・下野を一時領有するも中山道から急遽引き返した徳川に押し戻される。
景勝は南進群強化のため最上に和睦・伊達に不可侵同盟の使者を送る。よって東北での戦いは無くなり東北勢は南、そして西への進出への足場は整った。
やっと話が先に進むなw
何にしろ、乙!
91 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 23:14:01
うんこ
92 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 23:14:50
うんこ物語はやめにしてもらえませんか?
93 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 23:15:31
うんこオナニー妄想仮説 終了
94 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 23:23:41
95 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/13 00:47:18
>>94 よし、わかった!・・・・って俺の書きこみじゃねえか!
きさまら〜!バカにしやがって!ちくしょう!
>>89の展開で続きを書く。
東北
上杉の驚異がなくなった正宗は北進、南部家を攻めにかかる。南部家は必死の抵抗をみせあっさりとは引かないが徐々に北に追いやられつつある。
一方、南進の動きを見せた景勝は佐竹家を動かし秀康を牽制しつつ下野まで迫っていた。
北陸
前田の新当主、利長は徳川に謀反の嫌疑をかけられたときに人質を提出したため迂闊に動けずにいた。それを監視する丹羽家も傍観。動いたのは武田の忘れ形見の上だの真田。そして病魔に体を支配されつつある越前の大谷だった。
西日本はまた次回に…。
三成・家康が動かせなかった佐竹家を景勝が動かせるとは思えん
と言ってみる。
>>97 自家の得にならなかったからね。この場合は南進が成功したら結城の旧領は安堵するとでも言えば。北の伊達も絶対に攻めてはこない状況だし。
99 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/13 16:03:10
糞スレだな、っていうのも飽きた。
次回から何食わぬ顔でスレに参加します。よろしく。
糞スレだな
101 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/13 23:58:15
糞スレだな。
102 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 00:31:57
103 :
102:04/09/14 00:33:10
関ヶ原決戦まではほぼ史実どおり。
決戦は午前は西軍優勢。
小早川は傍観。正午ごろ、東軍から威嚇を受け史実どおり西軍へ突入。
形勢が逆転して東軍優勢。
宇喜多隊と小西隊と大谷隊は壊滅。(吉継は壮絶な戦死を遂げる)
史実どおり秀家と行長は敗走。
西軍本陣には東軍の主力が殺到。
東軍旗本軍は西軍本陣攻略ため右翼へ加担。
石田隊は壊滅。(西軍本陣は東軍に制圧される)
史実どおり三成は敗走。
東軍による残党狩りが始まる。(ここまでが史実どおり)
しかし、ここから起死回生の出来事が始まる。
孤立した島津軍が東軍本陣に特攻。(これが史実を超える大成功!)
さらに、毛利・吉川・長曽我部が東軍へ突入。(ここからが史実と違う展開)
背後を奇襲された東軍本陣は動揺。
そこへ、なんと池田・浅野・山内も東軍へ突入。(まぁ西軍に寝返ったわけ)
これで敗北寸前だった西軍が巻き返す。
西軍が東軍本陣を包囲。
徳川隊は壊滅。(東軍本陣は西軍に制圧される)
家康は敗走。
西軍による残党狩りが始まる。
両軍とも総大将が敗走したことで、戦況が泥沼化。
両軍とも疲労が極限に到達。
小早川の敗走を機会に、両軍とも撤退。
最後まで傍観していた安国寺が、最後に戦場から撤退して停戦。
(最後まで傍観していたのは、両軍を通じて安国寺のみ。)
104 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 00:34:31
浅野なんて、筋金入りの反三成じゃん。ありえねーって。
それに、事前に約定もなしに寝返るなんてことは不可能だし、
寝返る計画があったなら小早川が動く前、多分合戦開始直後に
池田・浅野・山内・毛利・吉川・長宗我部・安国寺・長束ら、総計4万の軍勢が
徳川の背後をついてあっさり東軍は壊滅する。待つ必要なし。
続き・九州の動乱
中津に隠遁していた黒田如水は中央に兵が集まりつつあるのを見て自家は長政を送り込み自分は加藤清正と組み九州制圧にかかる。
如水・清正は北九州を制圧しようとまずは筑後の鍋島・毛利(秀包)を攻撃にかかるがその後ろの肥前に控えるは「東の本田忠勝・西の立花宗茂」と呼ばれる猛将・立花宗茂だった。
立花が参戦すると不利、もしくは長期戦になるとみた如水は矛先を変えるべく秀秋は秀頼を差し置き自分が関白になろうとしていると謀反の嫌疑をかける。
これを聞いた宗茂は念のため筑前の国境に軍を敷き自身は上洛の準備をする。これに驚いたのは大群を率いて上洛していた秀秋。
すぐさま引き返そうとするが中央の事態は一触即発のため光成等は必死で止める。結局、秀頼からの使者ともしもの時のために輝元に本国から出陣の用意を頼むことで留まる。
そしてその隙をついた如水は筑後を制圧。黒田家は九州三ヶ国の覇者となっていた。
同じ頃、立花宗茂が大坂に着き光成等と共に出陣してしまった秀秋について輝元に詰問を繰り返していた頃「上杉南進」の知らせを聞く。
ここで東軍から毛利が大坂を離れるなら軍勢は引き返すとの使者が来る。宗茂は反対するが輝元は了承。本国へ引き返してゆく。
107 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 01:30:35
小早川と毛利がそろって動かなかったことにしよう。
両軍とも攻め手を欠いて引き分け。
夜半、徳川は計略の失敗を悟って、死地である関ヶ原盆地からの後退を決意。
西軍も疲れ果てて追撃する余力なし。
三日後に立花・毛利軍到着。
東軍は秀忠との合流を図るべく、さらに兵を引いて大垣に。
石田は矢継ぎ早に松尾山の小早川に詰問の使者を出すも小早川応じず。
毛利は理由をつけて大坂へ帰還。小早川もこれに同調。石田も兵力差を恐れて泣く泣く大坂撤収。
さすがに大坂城攻めるのは気がひけるとかで東軍の豊臣武断派は帰国。
秀忠到着したけど、大坂攻めるなんて無理すぎ・・・
これでどう?
秀忠到着前に不破関以東から撤収できればまだ目があると思う。
でも小早川は西軍撤退後、そのまま東軍に合流しそうな気がする。
九州の動乱続き
輝元は本国に引き返すと中央動向よりも西国監視を優先。
宗茂は帰還し、兵をまとめて引き上げるも西軍勢に不信感を覚えるようになる。
一方、鍋島等を制圧し三国の覇者となった如水は盟友・清正の版図拡大も狙い九州南進を計画。
だが南に位置するは56万石を誇る島津家。これを相手にするは時期尚早とみた如水は義弘の鹿児島帰還を見計らい手紙を書く。
内容は同盟を結び小西領を手に入れようとのことだった。断るなら自分と清正とで攻めにかかるとも書いた。
これはある種、賭だったが島津はまだ九州制圧を捨て切れてないと考えた如水の策であった。
これを義弘は承諾。小西は奮戦するも南北から攻められては戦線を維持できずに降伏。これにより清正は肥後の2/3を領地として薩摩・大隅・日向・南肥後を島津領と如水も了承した。この時、島津・70万石弱、加藤・35万石、そして黒田は60万石となっていた。
小西による宇土の合戦ののち東軍西進より仲が悪くなっていた小早川と立花だが今の状態でいられるのももはや時間の問題になってきた。それにトドメをさしたのがやはり如水だった。
仲を取り持つよう様子を見せた如水だったが元の原因は謀反の嫌疑がかかった小早川殿にあると立花の肩をもったのだった。
これに激怒した秀秋は立花を討つ覚悟を決意、挙兵して攻めかかる。両軍の戦力差は3:1、猛将立花宗茂も押され始め黒田・加藤に救援を求める。
これにすぐさま応じ三方向から攻めかかり小倉付近まで攻め寄せるも小早川に毛利の救援もありなかなか攻め落とせない。
長期戦を嫌った如水は毛利に和睦を申し入れる。元々、東軍西進の時の義理で援軍を出していた輝元はこれを受諾。五大老の名の元に和睦を命じた。
これにより両者は和睦するもこのとき30万石はあった小早川の領地は1/10近くにまで減っていた。逆に立花は小早川の領地を吸収。25万石にまで増えていた。
これにより黒田・加藤・立花の同盟ができ九州は大大名による統治が行われ中央の動乱を伺い始めるようになった。
こんな感じで…。
西日本っていって九州しか書けてないし…。
>>107 展開としてはいいと思いますが武断派は大坂城攻めではなく光成を蹴落とすために賛同してるのだから
そのまま帰国するのはありえないかと…。
111 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 02:35:31
池沼どものでたらめ糞妄想には、ほんと呆れる。
オナニー妄想物語は自分のHPでやれってんだ。
112 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 03:11:49
自作自演か?
そうでなかったら106・109の人に迷惑だから消えて欲しい。
114 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 08:04:37
>>113 「消えて欲しい」って、よく他人にそんな言い方できますね。
相手がわからないから、そんな強気でいられるんでしょうか?
そういうマナーのない人間にはなりたくないです。
どうやら罰を与えなければなりませんね。
流れとしては二パターンが大きな流れとなってますね。
>>14のパターンと
>>89のパターン。
前者は徳川が他の五大老面々と同程度の勢力に一時ながら落ちるため完全にまだ戦乱は続きそうで書きやすそう。
後者は大大名が支配する展開になりそう。話にするならどうやって均衡を保つ話にするかがミソ。
ただ、各所で書かれてるが小早川・吉川等毛利勢はともかく浅野・池田の豊臣武断派7将は絶対に光成にはつかないと思うね。
そこが無理があるのが残念。
116 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 10:09:04
>>115 池田・浅野・山内が、反三成の方針を変更するしかないわけだね。
安易な寝返り予想は勘弁してほしいな、この手の関ヶ原ifスレって
ちょっと西軍が押しただけで子飼武将が雪崩をうって西軍に付く妄想を
かきたてる西軍厨が多すぎ、一応東軍は数の上では最初から劣勢でもあんだけ
士気あったんだから、
118 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 12:58:32
三成が敗走したあとなら、池田・浅野・山内が西軍に寝返っても良いかな・・・
べつに三成に味方するわけでもないからね。
119 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 13:00:12
小早川の寝返りが無ければ西軍が勝っていたというのは、私に言わせれば妄想に過ぎないと思うのだが・・・
120 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 13:06:26
本気で徳川が戦ったら恐ろしいことになる。
>>119 確かにそうです。小早川が最後傍観していたら東軍は家康本体を使って攻撃して最後は東軍が勝つでしょう。
また、東軍へ突撃してきても史実でも15000の兵がたった500の大谷の軍勢に一度撃退されています。小早川だけでは西軍の勝ちは楽観できません。
>>120 そうですね、実際には関ヶ原では家康の旗本30000は戦闘に参加していないし中山道を進軍中の秀忠軍15000を含む後着の30000を越える軍勢も残っています。
これがすべて集結していたらより一方的な戦いだったでしょう。
>>118 確かに光成の死後or失脚の後なら徳川にたてつく場合は十分に考えられます。
東軍は徳川とその直臣以外は豊臣とではなく光成を倒すための戦なので関ヶ原で武断派の裏切りは考えられません。
浅野・池田の裏切りを考えるなら関ヶ原までの流れ、または違う状況での合戦を考えてくれませんかね?
乱暴だけど、三成・吉継が生きているあいだに浅野池田の寝返りは無理があるね
小競りあいの間に石田壊滅・大谷憤死があって、「君側の奸」を討ち取り
目的を果たした武断派が中立、撤退してそのまま上京、大部隊の衝突が西軍優勢に終わり停戦
ウルトラCとしては佐竹・伊達・上杉の不可侵同盟が成立、江戸留守居の結城秀康をそそのかし
北関東独立、秀忠軍が江戸に撤退すれば浅野は本領を脅かされないので寝返りやすい
各大名とも豊臣配下なので、ここから独立を宣言するかしないかを考えれば
東西軍としての立場がそうとう流動的になるだろうね
124 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 15:47:39
三成の敗走で目的を達したと判断して、今度は家康の躍進を警戒して寝返り・・・
というのでも、やはり無理がありますか?
豊臣家は傍観がデフォなの?
傍観はデフォでしょう
・配下の子飼い主力は関ヶ原で分裂しています
・大坂城に毛利輝元がいることは東軍にとっては「秀頼公を軟禁している」という名文に転訳されます
・三成とその与党を追討が東軍の大義であって、家康はその盟主にすぎません
127 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 18:17:37
おまえらの稚拙な頭脳じゃなに書いても、つまらないし、くだらない。こんな糞スレは終了して欲しいな。
128 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 18:21:05
つまらない文でいいから書いてみなよ。読んでやるから遠慮すんなよ!
129 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 18:22:25
史実でそもそも敵だった豊臣子飼武将をあそこまで手なづけて
結局、最後まで自分に牙を剥かせなかった家康の実績を考えると
浅野・池田・黒田・細川・加藤あたりの裏切りは考えにくいなぁ
唯一、考えなしの福島だけは行動に移りそうな気もするが
あいつも史実では秀頼見殺しにしたしなぁ・・・・
130 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 18:41:49
だから状況設定をいじるくらいしかできないよな。
変化は少なく。効果は大きく。
では小早川隆景・前田利家が1600年時点で生きてるって設定は?
武断派・文治派調整役の中立兼秀頼お目付役の利家。
毛利本家を十分に引っ張れる力を持ち輝元の代わりに西軍総大将にもなれそうな毛利三本の矢の一人・五大老の小早川隆景。
この二人がいればだいぶ歴史は変わるはず。
132 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 19:20:41
>>131 ほんとあんたの脳みそは糞ですか?
隆景が存命なら上杉景勝は大老職じゃないわけで。
そもそも会津征伐がなくなり、関ケ原もねーだろ?
ちがうか?この糞スレ張りつきやろう!
変化は小さく、効果は大きくって、俺がいったばっかだろ!この痰かすが!
糞スレ終了。
前田小早川健在だと群雄割拠にならないと思う
前田利家が生きていると武断派七将の抑えがかかっており、
秀頼の傅役が健在にも関わらず、一介の奉行三成を襲う必要もないだろうし
隆景健在だと慎重になりすぎて毛利の動きが一層鈍そうだしな
>>133 禿同だなぁ、家康もその二人相手だと動かないだろうし
二人も家康相手に事を構えるようなことはないだろうし・・・
鼬や如水を起点に話を転がすのも、やっぱ強引かなぁ・・・
136 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 19:48:16
わかりました。すんません。もう荒らし行為はしません。ペコリ
わたしも本意ではなかったのです。
ただこのスレにいる、ある人物に対してのあてつけだったのです。
わたしが「糞スレだな」と書き込むのを皆、苦々しくおもっているでしょうが、
別の意味で苦々しく思っている奴がこのスレにひとりだけいるのです。
わたしは言わば、そいつに向かって「糞スレだな」と叫んでいるわけです。
なんでそいつがこのスレにいるかって?それはそいつが一番よくわかってます。
ともあれ、そいつの為に他の方に迷惑かけるのは、本意ではないんでもう荒らしは止めです。すんませんでした。このスレは健全なスレになることでしょう。
この書き込み以降「糞スレだな」、「うんちですね」等の書き込みがあったとしても、それは私ではありません。あしからず。
137 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 19:53:47
あのう・・・
いつになったらスレタイ通りに動きはじめるのでしょうか?
別にみんな講和して国元からスタートすればいいじゃんよ
あ、そうか。小早川の代わりは宇喜多だと思っていた…。無理ですね…スマソ…。
前田も生きていたらと考えてみましたがただ関ヶ原の時期が遅くなるだけですね…、いい案が考えつきません。
確かにそろそろ関ヶ原が終わった後の戦国時代を考えたいのだがスレタイに関ヶ原で引き分けって書いたのがいけなかったかなぁ…。
あ、ちなみに
>>1です。別に関ヶ原は引き分けではなくてもいいし起きなくてもいいのですが
関ヶ原直前の状態から戦国時代を続けさせるにはそれがいいかと思ったのですが。
とにかく秀吉死後のIF戦国の仮想を希望したスレなんです。希望はスレタイ通りですがそちらを優先することを希望。
139 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 20:50:21
では過去レスを参考に一番荒れている南東北と北関東の情勢でも。
結城秀康は影響力がやや縮小した父親を後目に旧那須一党を配下に編成していく。
また養父晴朝と義兄弟朝勝を懐柔。宇都宮氏を編入、独自の大名家として大坂と誼を通じる。
上杉家宰・直江兼継は四面楚歌を打破すべく結城氏に和議を申し入れる。地盤固めに忙しい秀康は快諾。
また旧領越後の復帰を画策し、本庄氏と連携。
最上氏は伊達氏からの救援が得られなくなり開城、義光は上京して伏見で御伽衆に。義康・家親は江戸で旗本に転身。
伊達氏は佐竹・上杉と休戦協定を結び和賀一揆を支援しつつ傍観。葛西大崎を一門に取り込み陸奥を窺う。
佐竹氏はあくまで中立。家中がまとまらず動けないこともあるが、まず常陸一国維持を狙う地盤固め。
>>139 秀康君は史実でも冷遇されてもおとなしく飼い殺されてた
父親思いの子です、大坂に通じることはないでしょう
我は太閣の子、捨(秀頼)は弟、大坂に急ありせば真先に駆け付け此を護持して一戦云々
こんなセリフを何かの資料で見たから、私の中では秀康は部下次第だという印象なのだ。
小心で親をおそれる子供は恐いよ。昔も今も。
142 :
89とか106とか…:04/09/15 22:24:42
続き書くべきかなぁ…、てか書いてもいいかなぁ?
みんなあまり89の展開で書いてくれんから続きが一人歩きみたいになっちゃったんで疑問…。
自分のページにでも改変して乗っけるのがベターかな…。
143 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/15 22:26:21
ageたくらいなら書け
家康が流れ弾に当たって死ぬのが一番効果が大きそうだ。
小早川が突っ込んでくれば、なんとか押し戻したとしても本陣までかなり脅かされるはずだし。
145 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/15 23:50:48
吉川隊と毛利隊が反対だったら、毛利隊が東軍本陣に突入できたのに・・・
146 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 03:43:36
てゆーか、土佐の歴戦の猛者どもが土佐駒またいで桃配山に突入すれば東軍は総崩れ間違いなシ!
広家とて傍観できず、家康を救おうと下山。
それが前線諸将には、家康本陣への攻撃にみえるはず。ねみん
148 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 10:37:59
>>144 そんな乱暴な言い方はいけませんよ。
せっかく荒らしがいなくなったんだからマターリいきましょうね。
149 :
148:04/09/16 12:17:15
150 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 14:05:58
桃配山から下山した家康は隊を前進させて
敵方前線の鉄砲の射程内ぐらいにまで入るようなとこに陣を構えたんじゃなかった?
151 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 14:09:15
家康が下山したあと、毛利隊が桃配山を占拠したら
東軍は動揺したであろうな・・・
152 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 14:53:50
広家って東軍勝利の宴席はいなかったよね。
いたとしても東軍諸将にどんな顔していいかわかんないだろうし。
毛利の動き如何で、勝利が決まるなら、やっぱ西軍につくべきだろ?
なんせ輝元が西軍の総大将だもん。本領安堵は普通に考えてないだろ。
たとえ、家康が許したとしても東軍諸将がだまっちゃいないだろうし・・・
これは結果論じゃない。
毛利はなるべくして、失敗したということだ。
広家がうかつ杉。
広家の身分理解してるか?
154 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 15:16:25
南宮山の軍勢3万が家康本隊に突入していれば、小早川秀秋が傍観していても西軍が圧勝したはず・・・
155 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 15:27:42
>>153 え?吉川侍従の身分、毛利家内の上下関係?
それとも豊臣政権内の地位のことか?
理解してるつもりだが・・・
なんか矛盾したこと言ったか?
>>154 秀元ではなく親父の穂井田元清が生きていて指揮を取っていれば
広家ごときが邪魔立てする事はできなかった
ればたら大杉
激しくループして先に進まんから俺いったん降りるわ
158 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 17:27:01
毛利秀元と吉川広家の配置が反対だったら、かなり展開が違ってきたかもね?
159 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 17:36:38
秀元と広家の配置が反対だったら、秀元の15000が東軍本陣に突入(広家に邪魔されないから可能)
さらに、秀秋の15000も東軍に突入していれば西軍の勝利は決定的だった。
合計3万の軍勢に突入されたら、東軍に勝ち目は無いね!
160 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 17:45:27
いや、広家が秀元に『下山するなら、わしを斬ってから下山なされ!』と恫喝して、結局不戦。
親戚のおっちゃんコワイ。
161 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 17:49:09
>>160 しかし、秀元が広家より前方に布陣していれば
進路を妨害されないから、参戦は可能だろう?
162 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 18:44:27
だからそこは王累方式で木から逆さ吊りで恫喝ですよ。
163 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 18:45:58
オモンナイ
164 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 18:46:30
>>162 そんなもの無視して下山すればいいだろうが?
165 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 18:55:11
惜しいかな、毛利家。
ドシャ
もう関ヶ原ifはいいですかね?
もともと関ヶ原引き分け設定はついででその後の戦国IFがスレタイの意味ですから
この辺で関ヶ原戦までの共通設定作るか。
ifの上にifを重ねるようなスレは土台無理がある。
168 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 22:17:57
その後?
ズバリ、ウキタ幕府ですね。
ミツナリはどうせ、あの性格ですから刺客にあってあぼーん。
如水も息子が東軍だったから発言力50%OFF
毛利がやっかいだが輝元のボンクラさに乾杯!
小早川秀秋の裏切りで豊臣家の親族の結束のなさ露呈。
そんなところで秀吉のかわいい養子の秀家登場。
あっ、でも家中もまとめらんないボンクラか・・・
じゃあ上杉幕府ですね。
何でいきなり幕府になるかなぁ‥‥
勢力分布と衝突ポイントから設定しないと先に進まないよ。
170 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 22:41:43
勢力分布?
ちょっと時間かかるな・・・また明日。
171 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/17 12:37:47
キボンヌ
172 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/17 13:38:37
関が原で引き分けとなれば、毛利を総大将とした徳川攻めに転じ、
豊臣がそれなりの規模で存続している状態での毛利の天下になるの
では?
毛利幕府になるかどうかは疑問だが。
国持確定勢力
常陸 佐竹義宣
安房 里見義頼
武蔵・相模・伊豆 徳川家康
薩摩・大隅 島津忠恒
周防・長門・出雲・石見・安芸 毛利輝元
土佐 長宗我部盛親
加賀・能登・越中 前田利長
備前・備中 宇喜多秀家
陸前 伊達政宗
岩代 上杉景勝
過去レスの状況を踏まえてまとめてみました
補足など含めよければ使ってください
age
175 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/23 10:19:16
動きがないので妄想を綴ってみます
十月まで
睨みあいで終わってしまった関ヶ原
多少のこぜりあいをしつつも各大名のほとんどは帰国の途につきます
大坂に毛利輝元・宇喜多秀家・石田三成・大谷吉継・京極高次らが入城。
伏見に島津惟新。これは家中の騒動があり帰れないという意味もあります
北信真田昌幸、秀忠勢を駆逐したものの信之勢を迎え入れ、越後堀氏、南信浅野氏と和議。
浅野長政は福島正則・織田秀信・堀秀政と連携。豊臣譜代として君側の奸・石田三成排斥を唱えつつ
豊臣臣下としての立場を崩さないまま丹波細川・加賀前田も含め大坂入城をねらいます
関東に徳川配下が帰国
佐竹義重と伊達政宗の間で和議が成立
伊達政宗は最上への助勢を引き揚げ和賀一揆を支援、津軽氏に北陸奥を確約し南部氏を牽制
上杉景勝、最上氏を降伏させ北越本庄氏を再臣従させる
この動きに警戒した結城秀康が家康帰国前に北上、宇都宮に駐屯し佐竹上杉の抑えを担います
九州〜
島津龍伯は伊集院騒動を収めたのち、薩摩大隅南日向を固め小西行長と連携します
小早川秀包が毛利名代として豊前から筑前に進出、黒田如水を牽制します
黒田長政、加藤清正と結び豊臣恩顧を表明、豊臣文治派との対決を宣言
その裏で柳川の立花統虎を一本釣りする狙いから、黒田如水が大友義統を担いで福原長堯を駆逐
龍造寺・鍋島氏は守勢を固めて諫早に籠り、有馬・大村・五島らを配下に従えるべく外交攻勢
黒田氏と結びながらも態度ははっきりさせません
相良・阿蘇・伊東・秋月・高橋・筑紫など小大名らが息を潜めながら情勢を伺っています
海路から加藤清正・小西行長が帰還、阿蘇旧領をめぐり睨み合います
ここが九州の火薬庫になります
中国・四国〜
長宗我部盛親が帰国し伊予を窺うべく西園寺旧臣を西土佐に集結するもお家騒動の影響が残り
吉良・比志島・香川・津野らの残党が阿波国境で独立の様相、動けません
但馬に山名豊国が復帰しますが、宇喜多毛利に挟まれており対立もなく影響なし
毛利家は秀元を中心に穂井田・吉川・出羽・安国寺・福原・桂・志道・宍戸らの合議制ですが
このうち吉川広家は防府にあって自主謹慎、安国寺恵瓊は伏見にあって合議に参加していません
宇喜多秀家は国に戻らないため、家中は明石・長船の両執政体制ですが花房・岡氏の影響が強く備中は支配下から外れます
花房正成は四面楚歌を避けるべく瀬戸内の久留島通康や河野氏の旧臣を口説きこれと結びます
安定しているはずの地域ながら毛利家に意外な穴があります
近畿〜
小大名が乱立しており、大きな動きはありません
大坂城を中心に豊臣子飼いが多く、ほとんどか大坂直参の身分です
北近江を抑える石田家は島左近を長浜に、蒲生郷舎を佐和山に置き越前の丹羽長重に備えます
南近江朽木元綱も江西と伊賀を睨み、京洛への街道を押さえます
さらに二条城に島津惟新が駐屯
丹波の細川氏は謹慎を宣言して出仕を断る裏で大和筒井氏と連携、また北陸諸大名を語らい保険とします
ただし大坂城内は既に毛利派と子飼い派との実権争いの予兆が見られ、宇喜多は傍観
三派の取り込み合戦が始まっています
〜十一月末[取り込み合い]
四国〜
阿波蜂須賀至鎮が大坂より召喚されますが疾病を理由に断り、石田派に逆賊扱いの挑発
徳川との婚姻解消と東土佐の鎮撫を条件に長宗我部盛親に和議を取り持ってもらい、大坂に登城します
長宗我部盛親は伊達秀宗の仮領宇和島を占領し、久留島一党と対峙
山陽〜
花房正成は四面楚歌を打破するために毛利本家の切り崩しを模索、吉川広家や益田元祥らに書状を
発するものの返信もない有様、風前の灯のまま模索を続けます
毛利家は家中が割れており、当主不在でもあるため動きません
宇喜多家中も当主不在、宗教対立の内紛を抱えており秀家の帰還待ちです
大坂〜
裏でくすぶる三派の対立はまだ発火点まで達してはいません
秀頼名義で徳川家康・前田利長・浅野長政らの解任や京極高次の新任などを発表しますが
実効はポーズ止まりです
大名としては筒井定次や近江諸将が石田派に恭順、実際に大坂城本丸に秀頼を擁しており発言力が上がってきます
北政所系木下一族は小早川秀秋や毛利秀元の繋がりから毛利派に取り込まれ、毛利豊臣同族化が進みます
宇喜多秀家の発言力低下が顕著になりつつあり、連携する有力者を模索中
折よく丹波細川父子は前田氏との連携を活かし、宇喜多剥がしの楔を狙って暗躍を始めます
183 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/27 12:19:25
浅野長政にそこまで統率力と行動力があるでしょうか?
また織田秀信がその一派に属するのでしょうか?
>>183 ご意見ありがとうございます
浅野長政については関が原時点では家督を長子幸長に譲ってはいますが、
豊臣氏の血縁の中では一番の大身でもあり求心力が高いと考えての枢軸です
反石田で親豊臣という共通した立場が結束を図る場合を想定しています
また歴史的敗者の織田秀信は優柔不断に想定してみました
個人の妄想だけで進行していくのも辛いので、何かありましたらご意見ください
物語風のスレッドは他にありますので、個人の能力うんぬんはそちらにお任せして
淡々とパワーゲームを展開するとどうなるか、無機質に進めてみたいものです
関東〜
佐竹氏は上杉氏と結んではいますが、家中が著しく荒れています
分家騒動に岩城芦名の吸収も絡み、当主義宣に対して隠居の義重は東軍寄りの態度を示しています
常陸の内紛が発火寸前であれば、関東の主・徳川家康としては後方の憂いを断つべく揺さぶりをかけます
徳川与党で縁戚、常陸に絡む要人…太田康資・江戸重通を担ぎ宇都宮に進軍、常陸国内からの自壊を待ちます
また里見氏・正木氏らは他の援護もなく関係も良好なので徳川氏に恭順し吸収されます
小笠原氏と同格の譜代親藩扱いでしょうか
東北〜
山形城最上氏、孤立のため上杉方・水原親憲に抗しきれず開城、徳川氏の元へ亡命よろしく落ちていきます
羽後安東氏、立場は曖昧なまま最上氏の重石が取れた庄内を横目に大宝寺旧領を侵略
秋田氏に改姓と同時に羽後を統一します
和賀一揆に押し込まれ津軽からの牽制もあり南部信直は三戸から南の領土と陸中の拠点を失います
和賀一揆の背後には言わずと知れた伊達政宗がいますが、一揆の首魁和賀忠親を消すだけで
陸前〜陸中の大半を手に入れられます
ただ中央の事態がどう変化するか判らないこともあり、さらに大きい漁夫の利を狙う意味もあって
伊達一党はもう少し静観を続けます
(悪戯好きは吉か凶か)
>>185 太田康資・江戸重通はすでに死んでますよ。
後、佐竹と徳川も関係が良好ですよ。
おまけに佐竹は戦国前期に100年に及ぶ一族の内乱をやっと収め
その後起きた10年に及ぶ兄弟による家督争いを経験し
それらを反面教師にして一族を纏め上げたんだから
どこの大名よりも一族の対立には敏感で内紛になるまで対立するなんて考えられんよ。
史料もないまま書いてますので、その子孫という補完をして下さい
なお
>>176も浅野長政→幸長に変換していただければ幸いです
>>187 佐竹義宣は石田三成の盟友、という設定がないと関東に動乱が起こせないのです
グダグダだし。
190 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 11:39:27
景勝・兼続には是非とも越後を奪還して欲しい・・・
>191
どうぞどうぞ。
でも最上領に加えて越後も獲って、佐竹と手を組んでるとなると・・・強すぎ?
>>192 レスありがとうございます
上杉氏は確かに強いのですが、外敵も強豪ばかりになっていくので問題ないかと思います
伏線というか、上杉氏には本庄氏という微妙な存在の領主がつかず離れずの距離にいますし
小大名の意地として夜叉九郎あたりがまだ登場していませんので、どう絡めると自然か妄想を働かせてみます
九州〜
島津龍伯・忠恒が西軍支持を表明し小西行長と連携、相良長毎を先鋒に押し出し熊本・加藤清正と対決姿勢
惟新が西軍に属して京を守護しているため、これに歩調を合わせた格好です
黒田如水は誘致した大友義統を盾に柳川の立花統虎と不戦の約定を交します
態度がはっきりしない佐嘉城・鍋島直茂への抑えにするためです
しかし地の利もあって鍋島側も同じように立花氏と結ぶ動きを一足早くから進めていました
この動きにかつて反大友であった高橋・筑紫・秋月氏らは鍋島氏に誼を通じて連合
また有馬・大村・五島氏ら反龍造寺は黒田氏に後ろ盾を求め島津氏との関係に一旦の打ち切りを表明します
伊東氏もこれに同調、悲願であった主不在の佐土原と日向の奪還のため、縁戚大友支持から黒田氏と結びます
195 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 22:07:41
このスレを題材にしてFLASH作りたいんだが関ヶ原とかの地形図ってないかな?
一応言っとくと、佐土原は以久系や北郷系が守ってるけどね。
主が不在と言うことで許すべし。だな。
陣型図ってより地形図が欲しいんだよなぁ…。
北陸・甲信越〜
大勢は東軍所属であり大きな対立はありません
前田利長は徳川へ実母を人質に入れているため翻意こそ見せませんが、次第に徳川氏と距離をおくようになります
越後の堀秀治は南信森氏、甲斐浅野氏と連携こそしていますが大領の哀しさで動けません
上田城真田昌幸、沼田城真田信之ともに本領に逼塞しており動向が明らかになっていないこともあり
また飛騨金森可重と微妙な緊張がある神保氏への同調の必要と義務的援護もあって自領に援護が得られません
南信と分断された南越後は孤立しているといえます
>>200それって手に入ります?
ただ、今の関ヶ原の地図だとだいたいが市街地になっちゃってるからなぁ…。
徳川の動きが少なくないか。上の設定から話進めてるなら相当の
余力残して関東に戻ってると思うんだが
>>202 徳川家は単体で大軍を動かした時点で秀頼を擁する大坂から謀反の烙印を捺されます
その後東海東山の浅野・堀尾・中村といった豊臣恩顧の大名たちは石田派と対立こそしても
豊臣政権の中枢である立場や大義を捨ててまで主家の鞍替えは考えにくいので、徳川と手切れをします
徳川は謀略的な動きはしますが、北関東に睨みを利かせる以上の軍事行動をしないのは
家康自身が大老としての大義を失う恐ろしさを自覚しており、四面楚歌を避けるためです
‥‥といいながら徳川氏の行動には悩んでいるのが現実で‥‥
本多正信だったらこういう場合、どう献策するでしょうか‥‥
>>203 そうそうに五大老筆頭を蹴落とすことはできないはず。
光成とてすでに五奉行でないのだから。
前田は関ヶ原の前に徳川に人質を送ってるのだから徳川に直接は牙をむかないでしょう。
東は徳川・伊達・前田がゆるやかな同盟をくみつつ中央をうかがうんではない?
〜十二月
徳川家康は浅野長政を通じて、大坂城に挑発とも恭順ともつかない年賀の挨拶を申し入れます
毛利と石田は当然はねつけますが、宇喜多秀家は妥協案として二条城での謁見を提示します
もとより少数派となっている宇喜多の意が通るはずもなく、一蹴され怒った秀家は帰国してしまいます
これには裏があります
支持基盤が弱く両備も不穏、周囲がほとんど毛利旗下の宇喜多氏は毛利に併呑される恐れが強く、
また秀家帰国で花房正成を旗下に戻し基盤再建の可能性を模索するためでもあります
揉め事でもない限り秀家は立場上大坂を離れられず、苦し紛れのポーズを示して石田派と袂を別ちます
南九州〜
中央の鈍重な政治戦を後目に発火寸前です
肥後では阿蘇氏の旧領をめぐって加藤・小西の対立がますます深まっています
鍋島氏の動向が掴めない加藤清正は近隣に頼れる大大名がおらず孤立しているため軍事でなく
調略を駆使する必要がありました
まず犬童頼兄と誼を通じて相良長毎を島津氏から引き抜き独立させます
島原半島には鍋島氏を無視して檄文を飛ばし、従属ではない同盟協力を申し入れます
島津氏は相良独立に当然怒り、川上樺山などの老中に北上の準備を命じますが
日向には援軍を送れないため、佐土原を狙う伊東祐兵にあたる余力がなくなります
小西行長は相良独立で劣勢に立たされますが筑後の上蒲池氏を配下に収め、黒田勢の脅威からは緩衝があります
島津氏との連携で加藤清正に先に攻めさせるよう挑発を始めます
では九州は加藤対小西の戦ですな。
後見人は黒田と島津で。応仁の乱みたい。w ただ、東西軍じゃなく北軍と南軍になるかな。
東北の上杉は最上を滅ぼした次はどう動かすんだ。個人的には
越後の旧領復活よりも向背があきらかでない伊達との対決を希望。
北九州〜
黒田如水は大友義統を臼杵丹生島に復帰させ、傀儡ながらも豊後守護として豊前の小早川秀包に当たらせます
大友旧臣・一族が糾合すれば、九州毛利勢力と拮抗する勢力として小倉門司を挟撃する威嚇になり
黒田氏の主敵の矛先をそらすには充分でしょう
鍋島直茂は旗色を決めかねており、自身は黒田長政に誼を通じ筑後の鎮撫を申し入れるかたわら
一方では龍造寺高房を主家として担ぎ、密かに小早川秀包とも繋がりを模索するという二重外交を展開します
しかし島原諸将が叛服常ないため佐嘉と諫早から動けず、肥後の情勢を傍観したうえで
漁夫の利を狙います
>>207-208 九州と東北は当然ながら中央の意向が影響しにくいだろう、と考えエゴイズム強めに想定しています
ただ全員が豊臣公儀の家臣でもあるため、戦国時代と違い行動が窮屈で面白くないかも知れません
東北については今から激しく妄想をしますので、もう少し時間をください
東北・伊達氏詳細〜
冬で雪深くなり、和賀一揆も息が続かなくなってきたため、伊達政宗は
それまで支援していた和賀忠親を切り捨て背後から一揆を鎮圧、盛岡以南を制圧します
上杉領と領土は長く隣接していますが、雪解けまではお互いに地盤固めため仕掛けません
和賀一揆から早々に離脱していた大崎・葛西旧臣をお家再興の名目で配下に組み込み、
これに客分にしている相馬氏・石川氏、有力家臣数家と合わせて要所に配置し
「一門制」を施行します(これは伊達稙宗が悲願とした伊達一門構想を踏襲したものです)
上杉氏動向〜
会津から羽前のほとんどを支配下に収めた上杉家中の悲願は旧領越後への復帰です
伊達氏が北上している間、両者は無言の不戦協力をしているようなものでした
本庄・山浦らを再び取り込み新発田を、天童に大宝寺を入れて戸沢氏の抑えとし、
山形に水原らを残し、景勝・直江ら主力は会津から周囲を睨みます
佐竹氏との同盟を活かして結城秀康を抑え、雪解けに合わせて北越へなだれ込むためです
同時に旧領への親交を活かして誘降調略を進め、長岡・堀直奇の孤立化を謀ります
南部氏の落陽〜
三戸から久慈に本拠を移し、北に追い込まれた南部信直
伊達氏に抗議を申し入れますが聞き入れられるはずもありません
当面の敵は津軽為信だけなのですが、消耗も多大で亡命政権よろしく逼塞せざるを得ません
北信愛を八戸に、石谷を二戸の守備にまわし、津軽氏の南進を防ぎながら
徳川氏に改めて恭順し、伊達の横暴を訴えるのが精一杯の状況です
そろそろ大大名間の争いが本格的に生じてもいいんじゃない。上杉伊達、上杉徳川、毛利黒田、島津黒田とかさ
3ヶ月で全面戦争をおっ始めるような自滅的大名って誰かいるの?
それより内府の豊臣政権と朝廷への政略を考えたい。
徳川は佐竹制圧のため軍を動かす。佐竹は上杉に助力を求め、上杉はこれに応じ
軍を南下させる。徳川上杉の本格的衝突せまる、とかいうパターンもあるんじゃない。
この流れだと上杉討伐には早いよ。
もう少し大きくなってからのが面白くなるだろうしな。
上杉以外に西軍大大名作らないと東軍が圧倒的になりすぎて面白くないし。
陸奥と羽後〜
伊達氏と結んで津軽を切り取った津軽信枚と北羽後をひたすら固める秋田実季
二人には[最後まで賭けない][土着で本領第一]共通条件があります
中央のどちらにも誼を通じ旗色を明らかにしませんが、南部氏の窮状を受けて
上杉・伊達という大大名の影響が近づいてきた頃合いに、函館の蠣崎氏から調停案、
つまり秋田津軽の連合案がもたらされ、両者の快諾を得ます
家格から秋田六分・津軽四分で兄弟同盟を結び、蠣崎は両家の家宰となり婚姻を重ねます
旗色を灰色に決めた東北第三の勢力として、寝技師と梟雄の子が強固に手を結びます
前田は西軍にころばせるのもありのような。利政をからませて。
参考にさせてもらいます
加賀・丹後〜
関ヶ原ののち、丹後細川氏と連携しながらも前田利長は逼塞を保ち軍事的な動きは見せません
しかし外交は活発です
西軍の越前丹羽長重を自派に取り込み連携、舎弟利政も能登で謹慎の沙汰を出して放置
家宰奥村家福に浅野長政を通じて家康に交渉させ、人質の返還を申し入れ、
大義もなく盟主の座を一度逃している徳川は渋りながらも返還せざるを得ません
細川忠興と石田三成を不倶載天の仇同士ですが、この風評を逆手に取り、
宇喜多氏と毛利氏、石田派の分断を謀ります
いわく、石田こそが君側の奸であり毛利家に敵対する理由はない、といった要旨です
毛利輝元も当然容易に乗りはしないのですが、石田派には衝撃が大きく警戒が強まります
これで大坂城内の緊張は一気に高まり、吏僚と二の丸の主導権争いが周知になっていきます
光成はなんの職に付くかなぁ…?
大谷は亡くなるでしょ。
朝廷はどう使うか?この時点で武士の最高は内大臣の家康でしょ?右大臣にでものぼるか?
戦国に戻るなら官位など意味ないと思われ。
書き手の人って少し前に違うコテ使ってた?
>>223 すっげー馬鹿発見
どうりで小説のレベルが低いわけだ
>>224どうでもいいことですが、以前に少しだけブラシーと名乗ってました
>>223>>225小説じゃなく妄想ですから‥‥
キャラクター性を排除して、パワーゲームだけで進めた一例ですね
官位については呼称程度にしか考えていませんでしたが、
秀頼や西軍諸将の叙任は翌年に組み込みたいですので、有難くいただきます
>>226 面倒かもしれんが現時点での有力大名の勢力なんかをまとめてくれるとありがたいんだが
徳川は最近の難敵である上杉の越後浸透をこのままみすごせるものかな、と思う。
美濃の織田秀信は周囲の状況から、西軍所属でありながら東軍諸将に連携を求められる
奇妙な立場にありました
家格も高く、石田三成にも親しいため東軍の豊臣子飼いに担がれ、大坂への取次をしています
大和に居辛くなっていた織田信雄は滝川一族を、伊勢長野の老犬斎は分部氏を従えて
この拙い若当主を輔弼するために合流、織田氏の復権を目指します
現在も西軍・石田派に親しい状態です
>>227 確かに上杉が越後まで取っちゃうと
上杉と佐竹だけで徳川と同等の勢力になっちゃうしね。
四国〜
長宗我部盛親の北上が始まります
宇和島の藤堂高虎は救援なく西園寺旧臣を残し尾張・福島正則の下に逐電しており
すぐに降伏、松山の加藤嘉明と対峙するため進軍します
しかし主不在の土居を通過する際に、長宗我部恩顧の土居旧臣が蜂起し
(土居は安国寺恵瓊領)この勢力に糾合されてしまいます
桜井の小川祐忠は加藤嘉明に従い、四国は長宗我部以外すべて東軍勢力ですが
毛利家と村上氏を挑発する結果となり瀬戸内に複雑な緊張が走ります
北関東・甲信越〜
越後堀秀治は自領のただならぬうごめきに危険を感じ徳川氏に恭順し援護の約定を得ます
小山に結城秀康が駐留していますが、これは佐竹への牽制でもあるため
家康自ら二万の大軍を興し北上、日光に入ります
最上氏を駆逐した奸賊上杉を討つ、という名分を大坂はじめ周囲の大名に宣言を伝え、
これに山内一豊・田中吉政・浅野幸長などが呼応し従軍、那須を挟んで
上杉と睨みあいを始めます
沼田の真田信之も従軍しようとしますが、父昌幸が上田にあって直江と連携し始めたため
これに備えるため出陣できません
京・伏見〜
二条城の島津惟新は帰国の要望を大坂に伝えていました
伊集院忠実との和解・従属が成ったため、挙国体制で北上を望む龍伯からの指示によります
しかし石田三成が拒否し続けたため、十二月に強行退去を実行、伊賀山中を抜け
伊勢志摩から九鬼嘉隆の肝煎りで海路から帰国してしまいます
抑えきれなかった安国寺恵瓊への吏僚派からの叱責として大谷吉継が遣わされますが
途中伏見を過ぎたところで持病が発症、世を去ります
畏れた恵瓊は毛利輝元を通じて免罪を嘆願するとともに、木下家定を通じ高台院に接近します
二条城には増田長盛と石田重家が入り、北陸からの守護を担います
東海〜
清洲の福島正則・三河吉田の池田輝政は家康支持を最初に表明した立場を曖昧にするべく
自領を固め、上杉討伐には従軍していません
ここまでを地図にしてみよう。
どっかにのぶやぼみたいな日本地図のアスキーアートがなかったっけ?
こんな個人の妄想におつきあいいただきありがとうございます
展開は精練しているつもりですが不自然な点や不明瞭な進行があれば
遠慮なく突っ込んでください
年明け・大坂〜
関ヶ原の対陣(こう言い換えられたと仮定)から四ヶ月
大坂城には全国の大名たちから年賀の挨拶が寄せられます
城下で各大名家が小競りあいを起こしたりする一幕が数多く見られ目を取られる中、
福島・池田の使者は敵地にあたるはずの伏見に逗留し、安国寺恵瓊や木下勝俊らに接近します
毛利輝元は吏僚派閥との溝が深まるにつれてその発言力を維持するための与党を模索し
武断派へのパイプを渇望しています
家康が関東に退いた時点での執政後見は毛利であるとの自負もあって
秀頼の正室を毛利家から迎えさせようと画策します
石田らにとっては認めにくい婚姻ですが断る強い理由もありません
「まだ幼い」として引き延ばしするのが精一杯でした
山陽・瀬戸内〜
宇喜多秀家と花房正成の間で和解が結ばれ、宇喜多家中に復帰、長船綱直が失脚逐電
長船一党は親しい毛利家を頼ります
花房と明石の両輪体制ですので、西軍派とはいくらかの距離が発生しますが、
豊臣家中の一勢力として与党を欲しがっていた秀家は、花房の繋がりから
久留島・蜂須賀・加藤嘉明らと俄かに緊密度を深め大坂復帰を狙います
四国の大名たちは、長宗我部盛親が宇和島を陥落させ緊張が高まっているため、
宇喜多と手を結ぶことは大義を得るための手早い手段でもあります
瀬戸内同盟が翌月成立します
1600/12現在 所領一覧
秋田津軽連合 陸奥津軽・羽後湊
南部信直 陸奥三八
伊達政宗 陸前・陸中磐城相馬
戸沢盛安 羽後湯沢・羽前新庄
上杉景勝 羽前山形・米沢・岩代・磐城白河
佐竹義宣 磐城平・常陸
相馬は佐竹じゃないの?
佐竹の与力だし、何より関が原では義宣の方針に従って中立だし。
九州・肥後その一〜
宇土を巡って加藤清正と小西行長が衝突します
先に仕掛けたのは加藤清正、相良長毎を救う名目を周囲に伝え南下を開始します
小西行長は八代の北で会戦をする前に大義を得るべく、やはり書状を周囲と大坂に送ります
曰く、「加藤清正・相良長毎、私欲による謀反」という内容です
加藤は動員力5000、対する小西は半国を相良氏に奪われ3000程度
単純な会戦ならば勇名高い加藤が絶対有利です
九州肥後その二〜
八代会戦では小西が不利なまま三日ほどで押し切られ、籠城する運びとなります
しかし同じころ、出水から樺山・川上、佐土原から島津豊久が小西に呼応して北上、
また島津龍伯も4000の兵をもって天草に渡り宇土をめがけて進軍を開始
樺山・川上勢は人吉の相良氏を籠城させ、加藤への援軍を不可能にしてしまいます
秋月・高橋元種らが阿蘇を越え、熊本を窺うに至って、加藤清正は撤退を余儀なくされます
孤立した相良長毎は開城降伏、鹿児島へ送られ幽閉されます
九州その他〜
大坂から小早川秀包・鍋島直茂に加藤清正追捕命令が下されますが
黒田父子を敵に回したくない鍋島は疾病を理由に出兵を断ります
これを見た有馬晴信・大村純忠は鍋島配下から離脱を宣言、天草に進軍した島津勢に迎合します
小早川秀包は妻の兄である大友義統に筑紫不介入を求め、これを大友は飲んでしまいます
小早川の背後には当然毛利がいるため、黒田如水は加藤清正を見殺しにする形になり
太宰府通過を許可します
続きは翌月度に
四国〜
土佐中村から宇和島を陥落させ、安国寺領を侵した長宗我部盛親は大洲に滞留し
北上を一旦休みます
毛利を敵にまわすリスクはあっても、自身は父元親の旧領を回復しているだけであり、
中央の停滞を逆手に加藤嘉明の追い落としを狙います
阿波の蜂須賀至鎮は讃岐の生駒一正と結び旗色を曖昧にしてまだ動きません
大坂・補任の件〜
異例中の異例ながら、豊臣秀頼に従二位右大臣の補任が下ります
これにあわせて毛利輝元に大納言、安国寺恵瓊に四位法橋が、石田三成に三位参議など、
大坂方の諸将にのきなみ官位昇進があります
とくに石田三成に至っては越前大谷吉継の遺領をあわせ、佐和山から浅井旧領に移封され
40万石の大大名にのしあがります
逆に大和河内の東軍大名を改易・整理し京極高次が二国の大守になり畿内を固めます
なんでみんないなくなっちゃったの?
あまり堅苦しいのはお好きでないんじゃないの?
伊達氏動向〜
伊達政宗は雪解けが遅いのを幸いに一門の再編成を断行します
かつて対立を深めていた一族の地縁を断ち切るための政策です
石川・国分らを留守氏の配下に付け磐城相馬に配置して佐竹氏の備えとする一方で
大崎を大船渡に、盛岡に葛西・白石を、平泉には強族相馬を配置し
奥羽全域を睨む布陣を確立します
中央に対しては徳川寄りの姿勢を取りながら、大坂に茂庭綱元を派遣
南部壊滅の大義を引き出すために毛利輝元に接近します
伊達が徳川寄りなら対上杉になんらかの動きがあるんじゃない。
伊達のスタンスはどうなってるのか。
伊達氏の設定について少し脱線しますね
上杉氏の拠点の米沢はもともと伊達氏の本領でした
秀吉によって移封されてから10年しか経っておらず、富農層に対する伊達氏の地縁血縁、
または影響力はまだ色濃く残っていると考えられます
しかし米沢に強くて拮抗した勢力がいるため、地縁を生かすことは先送りします
上杉氏が西に目を向けており、中央の目が届かないうちに切取り放題、
悪くいえば火事場泥棒よろしく陸奥を侵略し、勢力を伸ばしておきたいだろうと
史実で和賀一揆を南部氏にけしかけたのは紛れもなく伊達氏ですから、
政宗が陸奥制覇をもくろむのは至って自然な流れかと思います
秀頼が右大臣はないよ。まず家康が圧力かけて正三位(大納言)以上はとらせないよ。
それにいくら家老の家康が内府だからって家長だからって八歳で右府は無理でしょう。
>>251 ありがとうございます
秀頼の右大臣には悩みましたがこれは
・畿内・朝廷を豊臣方が押さえていること
・徳川は大老を名目上解任された半咎人であり、一大大名にすぎない
・天下は豊臣公儀体制であり、継承を明らかにするための異例の叙任
以上によります
侍従や参議、中納言などでは前田毛利と肩が並んでしまうので‥‥
面白い展開がありましたら差し替えてください
一人でかなり厳しいので‥‥
>>252 ふむ、でもなら秀頼は大納言でいいんではないですか?
当時の武家の官位は最高が徳川家康の従二位内大臣で次が徳川秀忠の正三位権大納言だから間の大納言がちょうどいいかと。
家康は後見役だけあって秀頼より官位は上。だけど徳川家跡継ぎよりは高いといううまい位置に収まりますから。
>>250 伊達が陸奥制覇を目的に動くというのはわかるんだけど他勢力への立ち位置が
はっきりしてないなあと思う。徳川寄りか中立か西軍に接近か。
それと上杉と徳川の衝突は関が原以降初の大勢力の衝突になるだけに他地域へ
相当の波及があるんじゃないかな。そのへんをかいてほしい。
異例中の異例ながら、豊臣秀頼に従二位大納言の補任が下ります
これにあわせて毛利輝元に権大納言、安国寺恵瓊に四位法橋が、石田三成に三位参議など、
大坂方の諸将にのきなみ官位昇進があります
とくに石田三成に至っては越前大谷吉継の遺領をあわせ、佐和山から浅井旧領に移封され
40万石の大大名にのしあがります
逆に大和河内の東軍大名を改易・整理し京極高次が二国の大守になり畿内を固めます
上杉氏動向〜
西軍派の叙任は上杉氏にも例外なく行われます
直江兼継に上野介を追任し
また新たに水原親憲を出羽守として侍従に任じ、直江に続く陪臣大名が誕生します
(ここで毛利に対抗するための石田派の工作であったと天下に周知されます)
月終りに直江兼継が新発田を、山浦国清が村上をめがけて進軍を開始します
対する越後は堀直奇を守将に迎え討つ姿勢を見せますが、
北信の真田昌幸に備えている主君堀秀治は援護できません
越中・加賀の前田勢は越前敦賀に入った石田氏との緊張で余勢がなく
新庄の戸沢盛安は水原親憲と対峙しており、また病に臥せていて頼れません
堀直奇は援軍を遠く日光の徳川家康に求めざるを得ませんでした
また上杉景勝は徳川北上に備え、那須氏の本領復帰を条件に旧臣を勧誘します
257 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/17 20:55:30
保守
こんなに類似スレが出来るんだから関ケ原すげーな
>>257 三戦スレなんて一月放置しても落ちねーよ
>>見届人さん
ちょっと意見させてもらってよろしいですか?
すごく西軍状況はよくできているのですが私から見るに徳川が静かすぎるに思いますので私なりのifを。
まず大元の関ヶ原の対陣が衝突しないで終わった理由が無いので難しいのですがまぁそこは置いとくとしまして両軍引くとします。
すると西軍とは和議はなったと考えられるので徳川は北進へ転じますがおそらくは上杉は抗戦はしないでしょう。
すると重要なのは秀頼政権下の自分の位置で五大老の再配置が行われるでしょう。
徳川は石田・宇喜田等に逆賊と言われるかもしれませんが筆頭からは外れません。そして次席は毛利が取り次に宇喜多。
前田は四番手で上杉は減俸の代わりに要職をはずされ代わりに伊達ですかね。ただし単独では120万石には対抗しにくい為、徳川と同盟(上杉に攻められたら片方は協力する程度)を緩やかに結びます。
また。三中老は変わらず五奉行は光成は外されたままなもの武断派・文治派は混同しています。
その隙に四国・九州は好き勝手にやってますがこれは>>見届人さんに準じます。
そしてここからがわからないのですが関ヶ原の対陣までしたと言うことは杭瀬川の戦いはともかく二条城の戦い(鳥居元忠が玉砕した戦い)はしたんですよね?
ならば充分に光成の討伐には理由があるのですが。まぁ関ヶ原の戦いで勝ったぐらいの決定的な差は出ませんが充分に光成は潰せます。だがこれだと宇喜多が潰せないんですよ。だから五大老はあんな感じかと…
徳川氏動向〜
日光に里見義康・山内一豊・田中吉政・浅野幸長が終結し、会津の上杉景勝と睨みあいがはじまります
第一次とうってかわり、情勢不安定のため兵を裂けない諸将は申し訳程度の兵力しか送り込めず
徳川直轄二万とあわせても二万五千に満たない討伐軍です
また小山から結城秀康・本多忠勝ら八千が岩代を避けるように上野沼田に進軍し
真田信之の援助を受けながら越後の援軍に向かいます
大坂・近畿〜
秀頼をはさんでの毛利派と吏僚派の睨みあいですが、大勢は毛利に傾きつつありました
木下一門を擁して閨閥にも食い込み、増田ら奉行や京極兄弟を引き込みます
孤立した三成は致仕し、前田利長に備える名目で越前大野に帰ってしまいます
三成は近江長浜に島清興を入れ秀頼認知の陪臣として細川父子を牽制させ、
京洛から重家も退去させ江北を固める姿勢を明確にします
東海・織田氏動向など〜
石田退転と入れ違いで織田老犬斎と有楽斎、息子たちが大坂に入り、秀信名代として
伏見と京の守護を申し入れ、認められます
豊臣親藩としての織田氏復権を狙っての行動です
この裏で織田常真や滝川一党が尾張清洲の福島正則に通じ、与党への引き込みに成功
(これまで福島と歩調を合わせてきた三河吉田の池田輝政は同調せず、態度を留保します)
264 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 15:37:00
三成と前田が手を組むという展開はどうでしょう。
三成とすれば派閥争いを有利に展開させる意味で大老前田家に接近し
前田は家康から離れてつつあり、家中にも利政などの親豊臣派がおり、豊臣に
寝返ることに抵抗はないでしょう。
北陸近江に前田石田ラインが形成されるというのも軍事的にも政治的にもおもしろい
と思うですが。
>>264 確かに前田は豊臣よりですがそれは光成と組むのに対してメリットがあまりありませんように思えます。あとこのスレは流れ的にsage進行がよろしいかと
というよりまずなぜ関ヶ原が引き分けに終わったかも決めません?このスレの前半はどう戦いが引き分けに終わったかが書かれていますが
流れ的に関ヶ原の合戦自体は起こらなかったようなので対陣から引くとこまでもどのような思惑があったのかと。
自分的には家康は秀忠は9/15の夜には来ると見込んでいたため赤坂陣地から出なかったが西軍は島津の夜襲の策を取り切り込む。
東軍は少々傷を負ったぐらいだがそのせいで武断派から西進よりこのまま大垣城を攻めるという意見が強くなり城攻めを慣行。
こっからどうしようかな・・・
スレ頭から100レスぐらい消費してさんざんループしたんだ。また蒸し返すのかよ。
>>266 蒸し返す気はない。だから「関ヶ原の戦い」自体は話題にはしたくない。ループだから。合戦ifは他の関ヶ原スレにまかせる。
したがって「関ヶ原の戦い」は起こらなかった上で
>>176に繋がる展開を考え中。
おまいら、むずかしいんだよ。
北関東・東北について少し質問。
結城秀康は秀吉死後,松平秀康を名乗ったがそれは関ヶ原以前ですかね?それに伴い異封になったと思われるが。
あと徳川と佐竹の関係は良好なの?伊達と佐竹が悪いだけにこじれそうな…
>>269 うろ覚えで申し訳ありませんが‥‥
結城秀康は越前移封後に松平を賜姓されていたと記憶しています
徳川を名乗る一門より一段低い「連枝」(十八松平)の筆頭として
結城氏の当主に松平姓が与えられただけで、秀吉が羽柴姓をばら蒔いたのと同様、
将軍の子、庶兄としての松平という意味ではなかったようです
後にこの家格は忠直の代になって是正され、準一門に格上げされています
佐竹対伊達についてはもう少し待ってください
忘れていた(汗 勢力がありましたので、妄想をまとめて早めに書きます
常陸・佐竹氏動向〜
ようやく東軍寄りの義重派が西軍寄りの義宣派に屈する形で融和が成ります
源平両統の名門意識が強く誇り高い家風が強く、徳川とは距離を置いた立場をとります
伊達上杉らの拡大に倣うように宇都宮・蘆名・大掾旧臣を迎え入れ
また上杉氏との同盟を再締結し、これを援護するため下野への策謀をめぐらします
佐竹氏は日光にいる徳川家康を足許から崩すために国人一揆勢力を煽り支援します
272 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/24 18:53:53
終了だな、ここ
加賀・前田氏動向〜
石田三成失脚の報は前田利長や細川父子にとって大きな事件です
豊臣本宗・毛利執権という合議制には著しくかけ離れた状態となってしまい、
両家は毛利の非を天下にならし宇喜多秀家と連携、毛利氏の追い落としを狙います
前田利長は細川忠興と違い、石田三成と表向きの対立要素がありません
舎弟利政の能登謹慎を解き加賀大聖寺の小大名として復帰させる一方で、
その利政を通じて越前大野・石田との連携を模索します
前田利長にとって、大老復帰と政権の中枢に座ることがこの時点での大目標です
土佐・長宗我部氏動向〜
東軍藤堂、西軍安国寺両家を駆逐し、松山の加藤嘉明との対峙になります
今一度四国の覇権を取り返したい長宗我部氏は、中央が援軍を出せない状態とにらみ
せめて伊予だけでも取り返したい希望がありました
大坂の詰問使を言を左右にして丁重に送り返し、松山へ向かいます
讃岐と阿波は中立、傍観の構えです
九州肥後など〜
小西行長の籠城戦は苛烈なものになりました
当世屈指の築城家である加藤清正の前になすすべなく、籠城十日ほどで宇土城二の丸陥落、
キリシタンの行長は城兵の除名を条件に降伏します
従来険悪であった加藤清正はその日のうちに行長を処断し、翌日には熊本へ戻ります
島原・人吉より迫る島津軍の各個撃破のためですが、島原軍に狙いを定めています
これは日向にあって旧臣を編制していた伊東氏が島津豊久の留守を狙うのを
清正が後押しをしている証唆です
島津本軍は人吉の鎮撫にあてられています
島原軍の島津惟新は単独で加藤清正との会戦を迎える運びになります
小さいことですが、関ヶ原の戦い時点の加藤嘉明の居城は松前(まさき)城です。
やすもり
保守上げ。
見届け人さん、ガンバ!
俺この設定使って小説書いても良い?
いいですよ、というか私は挫折しておりますので...
ぜひよろしくお願いします
281 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/04 23:24:56
>>279さんがんばってください。
あと見届人の人もがんばってください。
保守
違う展開が欲しいよね
たとえばどんなん?
285 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/09 21:53:38
ほしゅ
286 :
思うに、:05/01/09 23:58:08
シミュレーションが発達してるんだから、
関ヶ原現場や全国諸大名など、膨大な与件を徹底的に細かく入力してコンピュータにシミュレーションさせてみたらどうなんだろうと思う。
競馬やプロ野球だって「ブロードキャスター」でよくシミュレーションやってるじゃん。
あれと同じでKOEIあたりがやってくんないかな?
戦術のプログラムが完成の域に達していないから多分無理だと思う。
補給能力の定義でさえ現代でもこれだという定義がないので
判断基準が明確に表せない。
それゆえ補給線の攻撃か拠点攻撃かなどの条件分岐判断が
comにはできない。人間でも判断に苦しむのだから。
>>287 確かに、あとは人間の判断をどう組み込むか。
関ヶ原なんか特に裏切りの応酬だったんだからどうしたら裏切りになるかなんて
わからない。義理・家・領地・その場の状況の優劣。判断要素はいっぱいあるのだから。
お!久々にレス付いてるね。
関ヶ原シミュレーションってなんかある?
肥なら決戦があるわけだが
ダイソーで売ってたよ。105円で。
292 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/18 03:13:03
新しい設定考えた!
関ヶ原を引き分けに終わらせ徳川征夷大将軍の東朝と豊臣関白の西朝の東西朝時代でどうだ?
これならスレタイ通り後戦国時代に入れると思うんだが。
設定の肉付け方によってはおもしろくできそ
293 :
藤巻 ◆1BtTDEeEsU :05/01/18 11:00:18
大坂方使者・片桐且元が江戸城の大広間に通された。顔色はいつもに増して悪い。
「おお、市正殿。息災か」
と家康はいたわりの言葉をかける割りには遠く上座にいる。
「内府殿もお元気のようで・・・」
と、あえて「内府」という官名で読んだ。
たしかにいまも官位は内大臣であったが、今となっては人は彼を「将軍」、「上さま」と呼びこそすれ、「内府」と呼ぶ者はいない。
「ふふふ」
家康はおどけながら、目の前にある菓子を手に取った。
今回且元が江戸に赴いたのは一度や二度ではない。赴いた理由は、毎度のことではあるが、「関ケ原後の諸侯の領地の所有問題」である。
※こんな感じ?つづきお願いします。
294 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/20 04:45:31
誰かこの時代の皇室に詳しい人いませんか?東西分担したいんだが詳しくないもので
295 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/22 03:29:08
>>295 なんで現代なの!
まぁ朝廷なんて大義名分だけだから骨組み組んでから付け足せばいいんだけど。
297 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 10:36:58
っていうかどっかの外国人が
戦場の図面見て「石田方の勝ち」って即答したとか聞いたけど。
小早川め・・・
298 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 12:22:39
俺は佐々成政。
宇都宮を大田原一門の中に入れないでおくれよぅ。
301 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/04 12:48:03
>>271 一応、参考意見ですが常陸でも旧小田領は結城と佐竹に分割されていて土浦あたりは関が原の時は結城領の筈です。
302 :
藤巻:05/02/04 14:21:51
とりあえず現代の北関東金融戦国大名を挙げよう。
水戸信金→土浦信金らを臣従させ意気盛ん。
結城信金→水戸から距離があるため独立勢力を保っている。
小山信金→ついに足利信金の勧告を受け入れ、昨年合併。
佐野信金→小山信金の陥落を見て、ビクついてる毎日。
烏山信金→辺境の地にあるため独立勢力を保っている。
大田原信金→最近、本店を改築して上機嫌。
那須信用組合→黒磯や矢板らの合体大名。近隣の敵は大田原信金か。
宇都宮信金→もう四年以上前に滅亡(破綻)。
いまだに戦国時代している北関東www
303 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/18 17:25:32
>>292 10年前にフジかなんかが正月特番でやった。
オチは戦後に名古屋遷都ででめたしでめたし
ここ、まだあったんですね…
設定の間違いは厳しく突っ込んでいただいた上で
近日再開させていただいてよろしいでしょうか。
305 :
天海僧正:05/02/26 20:57:04
見届人さま
関が原が起きなかった場合
西国大名が不利なのですが・・
なんせ朝鮮出兵の消耗は大きいです。
西国は基本的に厭戦気分が大きいので騒乱になりにくいと思うのですが?
徳川の東軍が後退すれば豊臣政権の下に暫定的な安定になりそうな気もしますが
困ったことに東国は徳川が圧倒的ですから、早晩家康が東を纏めて天下を伺う
ようになるのは大差ない気もします。
まず関が原の頃から後戦国時代に近い状態を齎したければ
朝鮮出兵の成果をどうにか変更した方がいいと思うのですが・・
そうですね
関ヶ原が起こらず諸将の兵力が回復した時期…
前田利家死去をきっかけに、一度大大名たちに本国へ帰還してもらう必要がありますね
五大老決裂から全員帰国、
発火点は肥後・会津・陸奥・常陸
お家騒動は土佐・安芸・備前・江戸
このような基本設定で旧領を絡めて考えてみたいのですが
朝鮮出兵は厭戦に直接つながるかは疑問なのです
戦国の空気残る中、小競り合いが止むとは考えにくいのではないでしょうか
ただ初期ハンデとして泥沼化した朝鮮の戦局に徳川一党も参戦した、ということでどうでしょう
東北戦線は以前と全く違う展開になりますが
308 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/27 23:13:32
俺が東軍側を受け持ってもいい?
駄目
>>308 基本設定に納得いただけるなら、ぜひお願いします
311 :
名無しさん@お腹切腹:
結城秀康はどうなっていますか?
関ヶ原では上杉の押さえに回ってましたが・・
個人的には親豊臣だと思いますが地勢からいって徳川方ですかね
というか秀康が豊臣を継いでいたら豊臣徳川もすんなり一族になれたのに