時は天正10(1582)年、わしは秋月種実である。
我が秋月家は隣国の大友宗麟と親父の代から争ってきたが、
宗麟は耳川で島津氏に敗れて以来、権勢を失いつつある。
九州統一、ひいては全国統一を目指してみせようではないか!
〜天正10(1582)年、春〜
宇喜多秀家と織田信長が同盟、伊達輝宗と葛西晴信が同盟。
上杉景勝と武田勝頼が同盟、徳川家康が織田信長との同盟を破棄。
そして我が古処山城にも同盟の使者がやって来た。
龍造寺隆信の配下、部将の鍋島直茂である。
「大友家を滅ぼすのは、権勢の衰えた今をおいてありませぬ。
種実様、我らが龍造寺家と不戦同盟を結びましょうぞ!」
この男――できる。配下に欲しい。が、まだ龍造寺を敵に回したくない。
「了承した。隆信公に伝えておくように!」
「さすがは種実様です、お伺いした甲斐がございました。金9をお納め下され。」
そう言って直茂は深々と頭を下げ、古処山城を後にした。
「お館様、龍造寺は我らを利用するつもりですぞ。」
家臣の筑紫広門はそう言うが、わしは全く聞く耳を持たぬ。
お互いを利用し合うのが戦国の世の習いであるからのう。
「お館様!荒くれ者ぞろいの兵79、かき集めてきましたぜ!」
こちらは我が家臣で1番の武辺者、原田信種。
実戦経験は少ないが、わしはこやつを必ず伸びる逸材だと目をかけている。
城下に集った兵は144で、わしが100率い、信種に30、広門に14配属させた。
「うむ、これだけの兵が揃えば宗麟など恐るるにも足らんわ。
皆の者、岩屋城に出陣じゃ!」
「おおー!」
立花山城にて――
「父上、龍造寺と秋月の動きが不穏でござるぞ。」
初々しい若武者、立花宗茂は義父の道雪に緊急の報を知らせた。
「あやつらめ、何度も降伏しておきながら大友家に弓を引くとは・・・
城井谷城の長房殿にも援軍を要請し、蹴散らしてくれようぞ!」
「ははっ!」
一方、城井谷城では、秋月と大友のどちらにつくかで揉めていた。
「道雪も健気なやつよのう・・・
島津殿があれだけ勢力を増しても、宗麟めを盛り立てるとは。」
「では長房様、秋月に味方するということでよろしいのですな?」
「うむ。種実ごときにゃ何もできん。ここは大友と共倒れして戴こうか。」
龍造寺と島津(城井長房軍団)が味方につき、戦いの火蓋が切って落とされた!
秋月軍は岩屋城に全軍侵入させようとしたが、広門が立花道雪隊の接近に阻まれ、
交戦を避けて古処山城に後退する形となり、種実と信種で岩屋城攻略に取りかかった。
3週間に渡る攻城戦の末、原田信種隊が本丸を占領し、秋月軍が岩屋城を攻略した。
その間、龍造寺軍と大友軍が野戦を繰り広げていた。
立花道雪と宗茂の活躍は凄まじく、龍造寺政家、同家就、成富茂安、円城寺信胤の
4将を破った。そしてその陰には、兵力が尽きるまで戦った高橋紹運の奮闘があった。
龍造寺軍では百武賢兼が奮戦し、対馬からの遠征軍を率いる宗義智を撃破した。
が、龍造寺一門を含めた自軍が賢兼隊を残して全滅してしまったため、
賢兼は自分1人になるまで道雪と戦い、最後には水ヶ江城に落ち延びた。
種実と信種は大友軍との野戦を避け、岩屋城内に籠った。
落ちぶれたとは言え大友軍は未だ精強を誇り、勢福寺城と古処山城を陥落させた。
勢福寺城内に捕らえられていた高橋紹運と宗義知は解放された。
広門は立花宗茂に完膚なきまでに叩きのめされ、命からがら岩屋城へ撤退した。
この合戦で、龍造寺政家と成富茂安と円城寺信胤が大友宗麟の配下になり、
城井長房が火事場泥棒よろしく志賀親守を捕らえて配下にした。
「広門、無事で何よりであったぞ。特に種長を連れての退却、見事であった。」
「ありがたきお言葉。」
種長は今回の戦では活躍しなかったが、わしの嫡男、つまり跡取り息子じゃ。
「父上、わが秋月家は大友軍に蚕食されてしまいましたぞ!
古処山城も失った今、この岩屋城が落ちるのも最早、時間の問題では・・・」
「種長!戦国の世で失うことを恐れていては、何もできぬわ。
我ら今回の戦では大友軍に惨敗したが、その実は龍造寺と大友の痛み分けじゃ。
よいか、我が軍の損害は岩屋攻めと古処山撤退の際の兵9だけなのだぞ。
大友と龍造寺は共に100以上の兵を失っておる。」
「お館様、鉄砲5丁も無傷で残ってますぜ!」
「うむ。信種、目のつけどころが良いぞ。早速、軍備を再編成するとしよう。」
わしが兵100の足軽隊を率い、信種には足軽隊30、種長には鉄砲隊3、
広門には鉄砲隊2を配属させた。
〜天正10(1582)年、夏〜
織田信長と大友宗麟が同盟、伊達輝宗と蘆名盛隆が同盟。
城井長房の拠る島津家の城井谷城を、毛利輝元が攻略。
織田信長が姉小路頼綱と真田昌幸を滅ぼす。
「皆の者、反攻に転じるぞ!目指すは大友軍の拠る勢福寺城じゃ!」
「おおー!」
満身創痍の大友軍が息を吹き返す前に、今こそ叩かねばならぬ。
水ヶ江城に温存されている龍造寺軍と連携すれば、必ず勝てる筈じゃ。
有馬晴信は中立を表明したが、我が方の優勢となれば味方につくであろう。
秋月種実と龍造寺隆信とが自ら軍勢を率いて、大部隊を出撃させた!
春の合戦で兵力を消耗した大友軍は、全て城内に撤退した。
援軍の期待できぬ篭城など、無意味なものじゃがのう。わっはっは!
勢福寺城と古処山城は龍造寺軍に任せ、我が軍は立花山城に総攻撃をかけた。
故郷の古処山城を龍造寺に渡すことになるのは悔しいが、それ以上に国際貿易で栄える
立花山城を得る意味は大きいからじゃ。
立花山城に拠る道雪は強敵じゃが、武将ひとりでは如何ともし難く、種長と広門の
集中砲火を浴びて、道雪は兵をことごとく失い、金石城に落ち延びた。
龍造寺政家と高橋紹運は捕縛できたが、道雪に逃げられたのでは後々厄介じゃ。
「逃がしてなるものか!」
全軍を金石城に投入し、立花道雪、同宗茂、円城寺信胤、宗義智を捕らえた。
龍造寺軍は勢福寺城を奪回、古処山城を占領し、宗像氏貞を配下にした。
隆信公は少数の兵しか率いていなかったが、途中、我が方についた有馬軍と合流し、
兵力で大友軍を圧倒した。特に鍋島直茂と成松信勝の活躍が目覚ましかった。
そして今、大友家の双璧、立花道雪と高橋紹運が捕縛されてわしの前にいる。
「わしの配下にならぬか?厚遇は約束するぞ。」
「何をほざく種実!貴様に仕えるくらいなら、潔く斬られる方を選ぶわ!」
「宗茂!道雪殿とわしの死出の旅、とくと見ておくのだぞ!」
かくなる上は、斬首するほか仕方あるまい。だが武士として天晴れな心意気であった。
――立花家と宗茂の将来は、わしが守ってやらねばな。
義理人情だけこう思うのではなく、秋月家の家臣として見込みのありそうな男じゃからの。
龍造寺政家と宗義智を侍大将として、立花宗茂と円城寺信胤を足軽頭として登用した。
この2ヶ月に渡る合戦で、大友家の第2軍団であった立花道雪軍団は全滅した。
〜天正10(1582)年、秋〜
長宗我部元親が十河存保を滅ぼす。
徳川家康と北条氏政が同盟、宇喜多秀家が織田信長との同盟を破棄。
織田信長が徳川家康と宇喜多秀家を滅ぼす。
「広門、近頃の他国の情勢を見てどう思う?」
「そうですな、やはり織田信長公の権勢が群を抜いておりますな。
宗麟は信長公と同盟を結んでおりますので、厄介なことにございます。」
「中国には毛利、四国には長宗我部がおるではないか。
信長と言えども、そう九州まで簡単には手が出せまい?」
「残念ながらお館様、信長公の軍隊は精強で、配下も逸材揃いでございます。
九州まで介入してくるのも、時間の問題かと・・・」
「ならば、一刻も早く九州を統一せねばな。」
「しかし合戦続きで国力は疲弊しております。金や米も突きかけております。
来春までは軍事行動は難しいことと存じますが。」
「うむ、その通りじゃな。今年は兵力の増強に努めるとしよう。」
円城寺信胤が金石城にて兵37徴兵、信胤に足軽隊30、宗茂に足軽隊7を配属。
宗茂を立花山城に移動させた。
原田信種が侍大将に昇進し、立花山城にて兵18を徴兵、わしの直属に足軽隊90、
信種に足軽隊40、宗茂に足軽隊30、種長、政家、義智に鉄砲隊1ずつ配属させた。
龍造寺政家が商人に米300を売り、金292に換えた。(相場1.3)
立花山城にてわしが自ら米200を施し、民忠が51(+11)になった。
立花宗茂に米200を与え、忠誠度が68になった。
〜天正10(1582)年、冬〜
長宗我部元親が河野通直を滅ぼし、四国を統一。
円城寺信胤が立花宗茂に剣術を講義、宗茂の戦闘が72(+4)になった。
筑紫広門が岩屋城にて金200で商業振興をし、商業38(+22)になった。
立花山城にて秋月種実、同種長、龍造寺政家、原田信種、宗義智が訓練。
〜天正11(1583)年、春〜
越中で地震、織田信長と上杉景勝が被災。
1年目が終わり、現在の状況――
秋月家 本城:立花山城 大名 友好 同盟
大名:秋月種実 龍造寺家 85 ○
所領:3 朝廷:20 島津家 55 ×
軍団:1 商人:21 織田家 40 ×
武将:8 兵士:194 大友家 0 ×
金:2283 米:1023
金収支:2441 米収支:926
騎馬:10 鉄砲:1