1 :
無名武将@お腹せっぷく:
信長の野望シリーズのどの作品でもいいので、リプレイ書きたい人は自由に使ってください。
2ゲット
3
リプレイ書きたい人は
作品名・シナリオ・大名家はっきりね
5 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 18:31
通は森田
6 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 19:51
蒼天録
1560桶狭間合戦
足利義輝
三好の城を二、三個手に入れた後、筒井家を従属させようかと思ったら、自分が従属してしまった。
禿げに『これからはわしのために働くがよい』みたいなこと言われた。『我が幕府も私の代で終わるのか…』とか言って幕府滅亡。
以上
ぬるぽ
PS版将星録with PK 隠しシナリオ「1568年2月 天下布武」 織田家でプレイ
1572年5月、那古屋城、岐阜城、観音寺城(イベントで安土城に)、二条城、大坂城、雑賀城、勝瑞城を支配。
徳川家、武田家、浅井家、赤松家とは同盟中。
家臣が増え、領内の開発もほとんど終了したのでこれからは攻勢に転じようと思う。
四国に進出する少し前に、毛利家が中国地方の覇者となる。
まずは四国統一から始めることにして、その後は家臣団を二つに分けて
それぞれ九州勢と毛利家に当たろうと考える。
てかだいぶ前に始めてたけどその時のことは省略。忘れてるので。
これからいろいろ詳しく書いていこうと思う。
9 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 12:16
PC烈風伝PK
1546南部で守護職全取得プレー開始。
そのために「行方を見守る」→「大名選択」を多用。
将軍家が残ってると地方の半分を制圧しただけで
探題職等に任命される恐れがあるため六角に併合させる。
うっかり地方を統一して
管領や探題職に任命されないように
各地方毎に1家ずつ残す。
安東・相馬と結んでおいて
羽後→村上城→羽前→岩代→三春→陸前→陸中と奥羽を制圧。
その後関東に進出し、下総守護職に任命された後、
扇谷上杉に古河を奪わせ武蔵を攻略し
扇谷上杉を古河に押し込める形で同盟。
あまり城取り過ぎてから山城に進出すると
いきなり征夷大将軍に任命される恐れがあるため
甲信制圧時点で六角を脅迫して配下に。
ついでに大和も取り、山城守護職・蘭麝待ゲット。
その後、六角インチキ脅迫で得た利益消すために
六角旧臣を皆解雇、プレーは現在進行中。
10 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 21:59
天翔記1571年 信長包囲網 浅井長政
まさか信長殿と交えることになろうとは・・・。しかし我が浅井家は義によって
朝倉家に助太刀せねば。爺を朝倉家に遣わせて援軍を要請せねば。
それと同時に我が浅井軍の武装強化も図らねばならぬ。軍資金は・・・十分では
ないな。・・・でるか。
この長政、単身一騎で観音寺城を落としてみせようぞ。
1572年7月
勝瑞城を発し、土佐に織田信長・柴田勝家・河尻秀隆ら総勢2万の軍勢が侵入する。
百地三太夫に長宗我部家の支城安芸城を占拠させる。
赤松家との同盟期間を延長。
長宗我部家から金銭の貢物を受け取る。その後の同盟の要請は拒否。
雑賀城で一向一揆が起こるが間もなく鎮圧。
8月
武田家が北条家の河越城を落とす。
長宗我部家の領内で早刈りを行う。
9月
長宗我部元親と織田信長が交戦。信長軍の圧勝。
岡豊城を信長・柴田勝家・百地三太夫ら1万の軍勢で包囲。
10月
兵糧攻めをせず岡豊城を力攻めすることにする。
城内には多くの籠城兵と長宗我部の家臣が守っていたが、特に苦もなく落城する。長宗我部家滅亡。
当主元親はこの時城内にいなかったため捕らえることができず。
伊予の支城仏殿城と能島城も織田家の支配下となる。
PS版将星録ね。スマソ
11月
岡豊城を発し、毛利家の湯築城を目指す。
瀬戸内海より九鬼嘉隆軍(2000)を進軍させる。
稲葉一徹軍(3000)を一時讃岐の支城天霧城に駐留させる。
12月
伊予に侵入、布陣する。
伊達家が山形城を落とし、最上家滅亡。
清水宗治軍(3000)が柴田勝家軍(3750)を攻撃。柴田軍の勝利。
谷忠澄軍(2000)が柴田軍を攻撃。柴田軍の騎馬隊の突撃により忠澄戦死。
1月
湯築城の包囲に成功。
羽柴秀吉が忍者の修行を終える。
2月
湯築城を攻撃。本丸を守るのは清水宗治。
本丸に到達するも宗治に本丸への放火を拒まれ、通常攻撃で落とすことに。湯築城落城。
清水宗治、一条兼定らを家臣に加える。
四国統一が完了する。
長尾と戦うのめんどかったから
脅迫して1つにまとめた。
近江・伊勢・加賀あたりまで制圧しても未だに
取得守護職は下総・武蔵・遠江・駿河くらい。
本願寺滅ぼした時点で当主晴政には
守護職就任に専念させる。
支城建設後の国では守護職就任イベント起きない仕様らしいから
この4つの国以外では城も造れない。
十和田要塞で武蔵の本城を河越に移動。
大和守護職ゲットの後、若狭武田辺りを大和郡山に押し込めて
管領就任を防ぐ。
若狭武田を大和郡山に押し込めて
これで近畿の仕置完了と思いきや
若狭武田の奴、若狭守護職持ってやがった。
波多野に帰属させて若狭守護職を剥いでやった。
八上城を攻略して大和郡山に追い込んだ後同盟。
大和郡山領内の道造りだけして波多野は委任。
波多野配下が10人くらいいたから
下手に外征などさせないように
後で金・兵糧をゼロにして配下を出奔させてやる。
今回のプレー目的は強敵を倒すことを楽しむのではなく
あくまで守護職全ゲットと開発。
バイパスや半島一周ルートなどを造る。
築城してしまった国では守護職に任命されない仕様らしいから
築城は守護職就任が終わった国で。
最後は探題や管領職の無い四国で1家残して
しばし開発を堪能。
特に探題職就任後の奥羽の開発を。
間違えた・・・。
もはや山形⇔新庄沼田間の街道の2マス右にBP造ったり
関ヶ原既存の街道の他に北・南にBP造ったり
加賀・越前・北近江既存の街道の東に道を造ることによって
かえって景観を損なうようなことになっても何の抵抗も無い。
公共事業マンセー。
近々、南信・美濃の山岳も1列崩して
岩村・飯田・福与辺りの東西BP設置の予定。
18 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/10 21:55:50
期待age
集中力が持続せずプレーが進まない。
畿内の守護職はおおよそゲット。
紀伊西側には紀伊半島一周ルートとは別に沿岸ルートを設置。
高取山⇔雑賀間に川を挟んで2本の道。
地形いじくっていつでも岩村・飯田・福与辺りの東西BP設置可。
武蔵本城→江戸、尾張本城→清洲、飛騨本城→松倉。
姫は3人、いずれも姫武将。
地名から名をつけていずれその名の由来になった国の名族の姓を名乗らせる。
長女龍飛(陸奥津軽)、次女紫波(陸中)、三女千早(和泉or河内or紀伊or大和)
長女=南部一族南姓(しかし嫡子不登場のため長女が南部家相続の可能性あり)
次女=大崎or斯波姓、三女=細川姓
あれ、姓を変えるほうほうなんてあったっけ?
ただPK機能の武将編集で名を変えるだけ。
念のために「将星録」ではなく「烈風伝」ね。
守護職ゲット・開発プレー、
A列車5エターナルへの情熱が再燃したため
斯波氏中断するかも・・・。
23 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/15 03:50:10
だれか将星録のリプレイキボンヌ
25 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 16:58:56
このスレ需要ないですね
26 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 19:06:32
PS版烈風伝
シナリオ5の鍋島家で。破竹の勢いで勢力を伸ばす豊臣家に大友家も早期に降伏。
当家に押し寄せる大軍団に対し、コツコツ買った鉄砲と砲術書三段でギリギリ撃退する当家。
島津も滅ぼされ、当家の支城である平戸城に豊臣家の中軍団が攻撃準備に入ったため、
物資などと共に佐賀城に撤退させる。平戸城落城。その後も佐賀城を攻略せんとする
豊臣家の攻撃部隊や謀略武将に執拗な攻撃を受けるが、戦闘で捕虜となった武将の登用で
20人ほどになる。平戸城を奪還。そして立花山城も攻略に成功する。鍛冶村2有り。
その後、数年かけてさらに武将を増やした後、立花宗茂率いる小軍団で半年の船の移動で
武将のいない内城を攻略。これを足ががりに九州を統一し、1612年の現在は
京都御所ラインまで勢力を増した。他の生き残り大名は上杉家・徳川家・織田家(北条家の家督を信雄が)
>>25 オナニースレだからな。
リプレイを載せる方も、見せ方を考えるべきだろうに。
28 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 19:44:08
物語があればいいのに
29 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 23:02:42
おまいらせっかくのオナーニスレ使わないともったいないよ
まだまだ創生期だから仕方ない。
俺は発展に期待してるぞ。
どうせなら物語調にやってほしい。
事実を淡々と書き連ねられても、つまらない。
もしくはセーブデータを上げて、随時状況を把握できるようにするとか。
他に何か、これぞという意見とか方針とかありますか?
32 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 13:07:41
物語調を望むと文章力が必要になってくるから
あんまし高望みはしないほうがいいと思う。
セーブデータのウプは賛成。
33 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 04:48:38
age
34 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 11:24:25
_、_
( ,_ノ` )y━・~~~
36 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/22 00:26:08
37 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/23 17:46:55
将星録
1551年の毛利家で開始。
まずお約束、百地、有馬、松浦、畠山を取り込む。
福光城→福山城→月山冨田城→山口城→岡山城→津山城→
鳥取城→天霧城まで攻略。
大内は九州に追いやったがたまにちょっかい出してくる。
赤松も官兵衛が元服したとたんに攻勢に転じ始めてマンドクサ
長宗我部が天霧城、勝瑞城を落とし勢いに乗ってるので
長宗我部攻めに方針変更。元親が大名になる前に滅亡させたい。
現在1560年の10月。
既に
>>31が言ってるけどさ、事実を羅列されても、それで? としか感じないよ。
どこまでも正確な時代考証なんてもとめないから、もう少し読み手をくすぐる
感じで書いてもらいたいな。
だったらてめえで書け馬鹿
もしくはこのスレ見るなタコ
自己満足なら、HP立ててそこでやれば?
折角2chでこういうスレが立ったんだし、自己満足だけってのはつまらないよ。
書き方を工夫するとか、セーブデータを上げるとか、
いっそ一年区切りで交換日記プレーをするとか・・・
41 :
長宗我部:04/09/28 01:19:45
42 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/28 22:25:52
だめだなこのスレ
43 :
坂東武者:04/09/28 23:19:41
蒼天録
1535年忍城主成田長泰
1536年上杉氏から北条氏へ鞍替え
北条軍の先鋒として関東一円に進撃
1540年北条は何を思ったか関東全域の軍団長に任命してくれる
1541年関東全域の人材物資を忍岩槻川越などに集結させ、その城とともに独立、すぐさま弱体かした関東諸城を制圧
1545年江戸小田原陥落、北条滅亡
44 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 03:58:54
じゃあさ、50レスごとに作品と大名代えて
みんなで1レスずつ物語調のリプレイ書いていこうよ。
もうわけわからん
>>43も学習能力なさそうだし……
>>22までの烈風伝、守護職全ゲット・開発プレーは放置中。
天翔記スレに書き込んでて懐かしくなって
原点にかえって1534織田でプレー。
ただし、烈風伝プレー中断の要因になった
A列車で行こう5エターナルにもはまってるため合間にプレー。
内政は基本的に商業・民忠をMAX近くに上げるだけ。
農業・城防御度は余裕のある時に。
1534春、那古野に山口教継も呼び寄せて商業・民忠上げる。
冬、鳴海城に移動して1535年夏までに商業・民忠上げ終了。
その間、柴田勝家加わる。
その後、那古野に戻るも兵相場が下がらず2季開墾を行う。
その間、今川と松平の争いがあるも放置、岡崎城には清康・広忠のみが残る。
しばし今川の防波堤になってもらう。
徴兵・訓練を行い、1537夏、その年加わった佐久間信盛も率いて
2度の焼き討ちで防御度落とした長島願証寺に出陣!
47 :
46続き:04/09/29 12:35:38
長島願証寺攻めの味方は浅井・北畠・斯波の3家
背後から信秀の檄を受けた勝家が城壁を登って次々に門を開けて
あっという間に下間頼照の守る本丸に到達。
織田3部隊と斯波義統の隊による猛攻!
最後は佐久間信盛が下間頼照を殲滅!
しかし行動ミスにより長島願証寺は斯波家のものに。
「許すまじ!」ここに再征を決意し、再編制してそのターンのうちに攻め込む。
今度は六角も参戦。あっという間に本丸まで到達。
今度は斯波方3隊が陣取っており、その中に入れば集中攻撃受けるは必定。
しかし、斯波方からの突出を待とうとすると本丸近くにまで来ている
六角定頼に手柄を奪われるは必定。
多少の集中攻撃など気にせず信秀が本丸に入っていき2部隊を蹴散らし、
ついで本丸の斯波義統の部隊も殲滅して占領!
その頃、尾張北の無人の犬山・清洲は浅井によって攻め立てられるが無視。
「そんなことより我ら織田のものは長島西北の平地に集結せよ!
時間の許す限り世界に1つしかない花を咲かせるのじゃ!」
信秀の一喝で5部隊が飛び散ってつぼみを開花。・・・が花びらが1つ足りない。
結局、斯波の家臣は織田家、斯波旧領は浅井がゲット。
「しかし、これだけの武将数で浅井家は領地を保てまい、
身の丈に合った戦略をとるものぞ」と密かにつぶやく信秀だった。
48 :
47続き:04/09/29 18:47:52
長島攻略直後の1537年秋、今川によって隣国松平家が滅ぼされる。
しかし、今川方への損害も大きく三河・遠江の今川勢は1万5千ほど。
長島戦後のこっち(織田方)のこっちの訓練も
8,90台とまだ終わってなかったものの
このチャンスを逃すまいと全軍鳴海に移動させて三河に攻め込む。
この合戦で三河3城を奪い、飯尾・安倍・伊丹らを降す。
49 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 19:03:30
それなりにヒマつぶしにはなるね。
50 :
48続き:04/09/29 21:01:53
書き込み後半が抜けてた。
今川方には未だ氏輝・義元兄弟、太原雪斎、鵜殿、朝比奈、葛山らの
重臣が健在ながら織田:今川の戦力差は7:3。
岡崎で浪人中の松平親子を加えて陣容強化。
特に清康戦闘130は、ずば抜けた数値。
兵数編制し、現有兵力を戦才低い武将に与え、
三河に駐屯させながら内政をやらせ、
戦才高い連中は尾張の南2城で再軍備。
次に狙うは尾張北部か伊勢。
土岐をけしかけて尾張北部の浅井を攻撃させてもおもしろい。
51 :
50続き:04/09/29 23:44:42
1540冬、柴田に「合戦誘発」させ土岐に尾張の浅井領侵攻を煽る。
しかし、土岐の兵力は142(百)、ダメだこりゃ・・・
ゲームスタート時と変わってなさそうな予感。
1541春、川尻秀隆登場。
三河攻略後の徴兵・訓練が終わり那古野・長島に兵を集めて
伊勢・北畠領に侵攻!たちまち志摩へ追い払い
立て続けに志摩にも侵攻して北畠を降す。
52 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/30 14:41:03
清康ってなんでそんなに戦闘高いの?
53 :
51続き:04/09/30 15:33:13
数度の今川勢の攻撃を撃退してるうちに高くなったみたい。
信秀や勝家でもまだ戦闘100。
1542年春、細川が六角の水口を落とし、さらに上野にも進出。
細川の勢力拡大に脅威を感じ、筒井一門や家臣を保護し、
その年の夏、長島・亀山・安濃津より細川領へ侵攻。
細川方の守備は水口に松永久秀、上野に百地三太夫、
槇島に三好政康ら合わせて1万4千ほど、それに対し織田は10万近い大軍。
知将2人が守る東の2城でてこずるも攻略。
その際、松永久秀が茶器とともに爆死、あっけなく歴史の舞台から消え去った。
その後、筒井旧領の大和2城も回復。唯一捕縛の百地も逃し細川に人的被害は無し。
多聞山城大広間にて、
信秀「順興殿、あとはお主や弟信光に大和の守備を任せて、わしは東に戻る。
六角とも結んだし十分守りきれるであろう。」
順興「何故でござりまする?」
信秀「未だに尾張より浅井を駆逐しておらぬし、今川めが息を吹き返して
5万の大軍をかかえておる。細川との決戦は東を片付けてからじゃ。」
54 :
53続き:04/10/01 20:55:18
信光を軍団長にし、大和2城・水口・上野・伊勢3城・志摩を与える。
6万5千の兵を多聞山に残す。
ほどなくして筒井順興死亡。
次の季節、細川に攻められ信光軍団壊滅的被害。
兵力分散させてたみたい。ゴルァ!
そして自らも細川に降りやがった。
・・・終了。
55 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/04 00:13:50
56 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/07 20:15:57
58 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/15 12:46:38
廃れたスレでこっそり書く
信長の野望専用だが太閤立志伝Xのリプレイを
人物は前田利家。テーマは忠義!ではなく謀反
年代は1554年、桶狭間の6年前でありまだ木下兄弟は配下にいない。
しまったageちゃったorz
どうやら殿は弟信勝と不仲のようである。
これが悪い方に転ばなければ良いのだが・・・
家に帰るとまつがいた。お帰りなさいと言われたが
拙者は祝言を上げたか記憶が定かではない・・・?
とりあえず明日は評定なので早めに床につこうとしたが
「お前さま、これ以上元気になって何をなそろうと・・・(ぽっ)」
と妄想を爆発させて眠らせてくれない。仕様が無いので城下で野宿をした。
翌日登城し始めての評定に出席した。
殿も大方針が天下統一とは大きく出たものだ。
そのくせ戦略が領土守備とは何となく情けない気もする。
一つ、申し上げよう
「大殿、僭越では御座いますが。拙者に意見がございます。」
「ほう、なんだ?申してみよ。」
「拙者が考えますに今月は岡崎城に合戦をしかけるのがよろしいかと存知ます」
「利家!大殿のお考えを何と心得るか!身の程をわきまえよ!」
脇から成政が怒声を浴びせる。それを意に介さず殿は拙者の意見を吟味している。
「今川家を攻める名分が無い。今は攻める時ではないだろう」
「左様でございますか・・・では、名分が在るのなら今川を攻めると?」
「いや、信勝の事もある。足元を固めてから考えよう。」
「大殿、それが最善でございます。利家、出すぎた事をいう出ない!」
まるで己が言ったかの様に成政は怒鳴りつける。だからお主は嫌いなのだ。
今回は内政に決まり私も与えられた仕事をする事になった。
合戦はもう少し先のようである
拙者は軍資金調達の命を成政と共に与えられた。
競争心を巧みに煽る魂胆なのだろう。
京の茜と堺の硫黄を交易すれば何とかなる筈だ。
途中行商人から珍しい茶器を買ってしまったが物を見る目がないので
なんとも言えない。後で堺の宋易殿に見て貰おう
座に入り親父に値引きを頼んだらスロットを持ってきた
親父もつくづく博打好きだな。ここで槍修行で培った反射神経が役にたった。
堺に行き宋易殿にさっき買った茶器をみてもらう
「・・・これは丹波茶壷でございますね・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
武士にもぼったくりを行う行商人はなかなか根性の座った男である。
堺京の交易だけでは使命を達成出来ないようなので
雑賀に行く、その途中山賊に出会った。
仮にも槍名人と呼ばれる拙者に挑むとはいい度胸だな。
4人に囲まれはしたが自慢の槍で次々に突き刺していき難無く勝つ
「ひいいいいっ。強すぎる!助けてくれぇぇぇぇ〜」
と、9貫を置いて逃げていった。これだはどちらが追剥かわからない。
何とか7500貫集め殿に収める
「うむ、ご苦労であった」
「ははー」
その労いの言葉とともに勲功が40上がった。
おお、そういえば木下はどうしてるだろうか。
浪人なら拙者の家来として召抱えよう、あの様な有能な人物を他にやるのは惜しい
「木下殿、木下殿。」
「ほう、前田殿では御座いませぬか。どういったご用件でございますか?」
「いや、仕官の事だが・・・・・・」
「おおっ、木下、ここにおったか。」
「これは惣十郎様。どのようなご用件でございますか?」
「今川殿の借金を取り立てて貰おうと思ってな・・・」
「承知いたしました。一月で駿河守様から貸した金、全て取り立てて見せましょう」
「うむ、では任せたぞ」
そう言って清洲の商人、伊藤惣十郎は帰っていった。
「木下殿・・・今のは・・・」
「私の主人にございます」
予想通りの答え。すでに木下は商人なのか。
「それでは前田殿、弟の仕官の件。宜しくお願いします。」
「えっ!おい!」
何故か弟を私に託し猿面の若者は去っていった
木下に弟を託されたが
「武士になる気はありません。」
きっぱり言われてしまった。しかし彼もかなり優秀な内政官の素質を持っている
長期の茶会洗脳作戦で武士好きにしてしまおう。
今回は訓練を任された。模擬戦ではあるが実戦と殆ど変わりは無い。
鶴翼の陣を布き敵備大将を囲み総攻撃を仕掛ける
戦は敵の総大将を潰せばそれで終わる。他の部隊は無視してもよい
「良し!敵は混乱しているぞ。一気に畳み掛けろ!」
「おおー!」
包囲された敵大将は混乱を起こし瞬く間に壊滅した。
「わしの備が壊滅・・・、そちらの勝利のようでございますな。」
「利家、主命は果たしたか?」
「はっ訓練度を14上げてまいりました」
「おおっ、素晴らしい出来ではないか。利家、よくやってくれた。」
お褒めの言葉をいただき勲功も80上がった。
しかし、実戦はいつになるのやら
65 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 06:28:23
2と4したことあるけどおもしろかったなー太閤立志伝。
4はクソはまった。
殿への報告も終り久しぶりに家に帰る
まつがいつものように挨拶をしてくれるが彼女の歳はいくつだろう?
確か私より一回り程下・・・ これ以上の詮索は
幼女好きの烙印を押されかねないので止めておこう
そんな思案をしているとまつが池田が来ているのを教えてくれた
「池田殿ではござらぬか。何の用でございますか?」
「おう、おぬしに茶を振舞おうと思うてな。どうじゃ?」
快諾し茶室へ案内する。といっても囲炉裏なのだが。
「ではわしは行商人から買ったこの茶壷を・・・」
「少し待たれよ、拙者がその茶壷見て御覧に入れよう」
「出来るのか?」
「多少は」
行商人ときいて直感が働いたからだ。
「・・・これは丹波茶壷でございますね・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・帰る」
「道中お気を付けて」
やはりあのおやじは只者ではない。
家でくつろいでいると忍が玄関から飛び込んできた。
「前田様!大変でございます!斎藤道三殿が息子義龍の謀反にあいました!」
「なんじゃと!直ぐに行く!」
「皆も聞いておろうが、我が舅斎藤道三が義龍に攻められておる。
これを見過ごすことは出来ぬ。稲葉山城に出兵し義龍を討つ!」
そう号令を下し殿は稲葉山城に向かわれた・・・
しかし間に合わなかった。先の忍が殿の陣中に飛びこんで
「申し上げます!斎藤道三様、討ち死になされました!」
「何じゃと!義龍はどうした!」
「はっ、既に陣を解いております。おそらくは目的を達成したためではないかと・・・」
「そうか・・・苦労であった、下がって良いぞ。」
そう言い忍を下がらせる。そして煙立つ稲葉山の方角を見ながら
「すまぬ・・・!舅殿! すまぬ・・・帰蝶。」
背を向けているのでわからないが、殿は泣いているのかもしれない。
しかし振り返った時にはいつもの気丈な殿だった
「・・・このまま斎藤義龍をせめますか?」
「いや、義父殿が討たれたのならもはや手遅れじゃ・・・・ 引き返すぞ!」
「ははっ!」
帰還してしばらく立つと怒気を発する殿を恐れながら門番が近づいてきた
「・・・・・・・・・くそっ!」
「殿!斎藤道三殿の家臣と申す者がお目通りを願い出ておりますが。」
「許す!通せ!」
「ひっ!」
奇妙な返答をし、門番は件の家臣を呼びに行った。
「斎藤道三が家臣・猪子兵介。我が主より織田殿への届け物を届けにまいった」
「兵介か。それは何じゃ?」
「我が殿の遺言状にございます!」
「では、舅どのはやはり・・・」
「お亡くなりになられました。」
「して、その遺言の中身は?」
すでに殿は平静を取り戻している。
「織田殿に、美濃を譲ると。」
「何!それはまことか!」
「はっ、介錯をした某が言うのですから間違い御座いませぬ!
是非とも無き道三殿の意志を継いで美濃を治めてくだされ!」
「うむ!承知した!」
「では、拙者はこれで・・・・・・」
「まて!兵介!お主舅殿の後を追って腹を切るつもりではあるまいな?」
しばしの沈黙、兵介はそのつもりだったのだろう
「それは許さぬ!お主はここに残りわしが舅殿の遺言を果たすのを見届けよ!」
「信長様・・・ 今日から殿と呼ばせていただきます!」
これで美濃を攻める名分が立った。今日からまた一段と忙しくなるな。
69 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 15:48:51
コーエー板万歳
70 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 18:02:55
守護ショック全ゲットプレー再開。
当主南部晴政には守護職ゲットのために
それぞれの国の本城めぐりをさせてる。
側近として山名豊国をつけて。
太閤立志伝のリプレイはダメかい?
しまった!!!
東国の守護職全てゲットしたから次は西と思い
深く考えずに南部晴政を高嶺城に移動。
その状態でセーブ。
すると西国探題に任命された。
何回リセットしても任命されてしまう。
今までの苦労が水の泡になってしまうのか・・・。
そん時、隠居コマンド思いつき
門司にいる長女南龍飛<25>(竜飛岬より由来)に家督を譲る。
寿命1582頃の晴政が20年も早い1560頃の強制隠居orz
中国に大内保有の守護職が残ってるから
龍造寺操作して本城1つ取らせとかないと。
時は天正10(1582)年、わしは秋月種実である。
我が秋月家は隣国の大友宗麟と親父の代から争ってきたが、
宗麟は耳川で島津氏に敗れて以来、権勢を失いつつある。
九州統一、ひいては全国統一を目指してみせようではないか!
〜天正10(1582)年、春〜
宇喜多秀家と織田信長が同盟、伊達輝宗と葛西晴信が同盟。
上杉景勝と武田勝頼が同盟、徳川家康が織田信長との同盟を破棄。
そして我が古処山城にも同盟の使者がやって来た。
龍造寺隆信の配下、部将の鍋島直茂である。
「大友家を滅ぼすのは、権勢の衰えた今をおいてありませぬ。
種実様、我らが龍造寺家と不戦同盟を結びましょうぞ!」
この男――できる。配下に欲しい。が、まだ龍造寺を敵に回したくない。
「了承した。隆信公に伝えておくように!」
「さすがは種実様です、お伺いした甲斐がございました。金9をお納め下され。」
そう言って直茂は深々と頭を下げ、古処山城を後にした。
「お館様、龍造寺は我らを利用するつもりですぞ。」
家臣の筑紫広門はそう言うが、わしは全く聞く耳を持たぬ。
お互いを利用し合うのが戦国の世の習いであるからのう。
「お館様!荒くれ者ぞろいの兵79、かき集めてきましたぜ!」
こちらは我が家臣で1番の武辺者、原田信種。
実戦経験は少ないが、わしはこやつを必ず伸びる逸材だと目をかけている。
城下に集った兵は144で、わしが100率い、信種に30、広門に14配属させた。
「うむ、これだけの兵が揃えば宗麟など恐るるにも足らんわ。
皆の者、岩屋城に出陣じゃ!」
「おおー!」
立花山城にて――
「父上、龍造寺と秋月の動きが不穏でござるぞ。」
初々しい若武者、立花宗茂は義父の道雪に緊急の報を知らせた。
「あやつらめ、何度も降伏しておきながら大友家に弓を引くとは・・・
城井谷城の長房殿にも援軍を要請し、蹴散らしてくれようぞ!」
「ははっ!」
一方、城井谷城では、秋月と大友のどちらにつくかで揉めていた。
「道雪も健気なやつよのう・・・
島津殿があれだけ勢力を増しても、宗麟めを盛り立てるとは。」
「では長房様、秋月に味方するということでよろしいのですな?」
「うむ。種実ごときにゃ何もできん。ここは大友と共倒れして戴こうか。」
龍造寺と島津(城井長房軍団)が味方につき、戦いの火蓋が切って落とされた!
秋月軍は岩屋城に全軍侵入させようとしたが、広門が立花道雪隊の接近に阻まれ、
交戦を避けて古処山城に後退する形となり、種実と信種で岩屋城攻略に取りかかった。
3週間に渡る攻城戦の末、原田信種隊が本丸を占領し、秋月軍が岩屋城を攻略した。
その間、龍造寺軍と大友軍が野戦を繰り広げていた。
立花道雪と宗茂の活躍は凄まじく、龍造寺政家、同家就、成富茂安、円城寺信胤の
4将を破った。そしてその陰には、兵力が尽きるまで戦った高橋紹運の奮闘があった。
龍造寺軍では百武賢兼が奮戦し、対馬からの遠征軍を率いる宗義智を撃破した。
が、龍造寺一門を含めた自軍が賢兼隊を残して全滅してしまったため、
賢兼は自分1人になるまで道雪と戦い、最後には水ヶ江城に落ち延びた。
種実と信種は大友軍との野戦を避け、岩屋城内に籠った。
落ちぶれたとは言え大友軍は未だ精強を誇り、勢福寺城と古処山城を陥落させた。
勢福寺城内に捕らえられていた高橋紹運と宗義知は解放された。
広門は立花宗茂に完膚なきまでに叩きのめされ、命からがら岩屋城へ撤退した。
この合戦で、龍造寺政家と成富茂安と円城寺信胤が大友宗麟の配下になり、
城井長房が火事場泥棒よろしく志賀親守を捕らえて配下にした。
「広門、無事で何よりであったぞ。特に種長を連れての退却、見事であった。」
「ありがたきお言葉。」
種長は今回の戦では活躍しなかったが、わしの嫡男、つまり跡取り息子じゃ。
「父上、わが秋月家は大友軍に蚕食されてしまいましたぞ!
古処山城も失った今、この岩屋城が落ちるのも最早、時間の問題では・・・」
「種長!戦国の世で失うことを恐れていては、何もできぬわ。
我ら今回の戦では大友軍に惨敗したが、その実は龍造寺と大友の痛み分けじゃ。
よいか、我が軍の損害は岩屋攻めと古処山撤退の際の兵9だけなのだぞ。
大友と龍造寺は共に100以上の兵を失っておる。」
「お館様、鉄砲5丁も無傷で残ってますぜ!」
「うむ。信種、目のつけどころが良いぞ。早速、軍備を再編成するとしよう。」
わしが兵100の足軽隊を率い、信種には足軽隊30、種長には鉄砲隊3、
広門には鉄砲隊2を配属させた。
〜天正10(1582)年、夏〜
織田信長と大友宗麟が同盟、伊達輝宗と蘆名盛隆が同盟。
城井長房の拠る島津家の城井谷城を、毛利輝元が攻略。
織田信長が姉小路頼綱と真田昌幸を滅ぼす。
「皆の者、反攻に転じるぞ!目指すは大友軍の拠る勢福寺城じゃ!」
「おおー!」
満身創痍の大友軍が息を吹き返す前に、今こそ叩かねばならぬ。
水ヶ江城に温存されている龍造寺軍と連携すれば、必ず勝てる筈じゃ。
有馬晴信は中立を表明したが、我が方の優勢となれば味方につくであろう。
秋月種実と龍造寺隆信とが自ら軍勢を率いて、大部隊を出撃させた!
春の合戦で兵力を消耗した大友軍は、全て城内に撤退した。
援軍の期待できぬ篭城など、無意味なものじゃがのう。わっはっは!
勢福寺城と古処山城は龍造寺軍に任せ、我が軍は立花山城に総攻撃をかけた。
故郷の古処山城を龍造寺に渡すことになるのは悔しいが、それ以上に国際貿易で栄える
立花山城を得る意味は大きいからじゃ。
立花山城に拠る道雪は強敵じゃが、武将ひとりでは如何ともし難く、種長と広門の
集中砲火を浴びて、道雪は兵をことごとく失い、金石城に落ち延びた。
龍造寺政家と高橋紹運は捕縛できたが、道雪に逃げられたのでは後々厄介じゃ。
「逃がしてなるものか!」
全軍を金石城に投入し、立花道雪、同宗茂、円城寺信胤、宗義智を捕らえた。
龍造寺軍は勢福寺城を奪回、古処山城を占領し、宗像氏貞を配下にした。
隆信公は少数の兵しか率いていなかったが、途中、我が方についた有馬軍と合流し、
兵力で大友軍を圧倒した。特に鍋島直茂と成松信勝の活躍が目覚ましかった。
そして今、大友家の双璧、立花道雪と高橋紹運が捕縛されてわしの前にいる。
「わしの配下にならぬか?厚遇は約束するぞ。」
「何をほざく種実!貴様に仕えるくらいなら、潔く斬られる方を選ぶわ!」
「宗茂!道雪殿とわしの死出の旅、とくと見ておくのだぞ!」
かくなる上は、斬首するほか仕方あるまい。だが武士として天晴れな心意気であった。
――立花家と宗茂の将来は、わしが守ってやらねばな。
義理人情だけこう思うのではなく、秋月家の家臣として見込みのありそうな男じゃからの。
龍造寺政家と宗義智を侍大将として、立花宗茂と円城寺信胤を足軽頭として登用した。
この2ヶ月に渡る合戦で、大友家の第2軍団であった立花道雪軍団は全滅した。
〜天正10(1582)年、秋〜
長宗我部元親が十河存保を滅ぼす。
徳川家康と北条氏政が同盟、宇喜多秀家が織田信長との同盟を破棄。
織田信長が徳川家康と宇喜多秀家を滅ぼす。
「広門、近頃の他国の情勢を見てどう思う?」
「そうですな、やはり織田信長公の権勢が群を抜いておりますな。
宗麟は信長公と同盟を結んでおりますので、厄介なことにございます。」
「中国には毛利、四国には長宗我部がおるではないか。
信長と言えども、そう九州まで簡単には手が出せまい?」
「残念ながらお館様、信長公の軍隊は精強で、配下も逸材揃いでございます。
九州まで介入してくるのも、時間の問題かと・・・」
「ならば、一刻も早く九州を統一せねばな。」
「しかし合戦続きで国力は疲弊しております。金や米も突きかけております。
来春までは軍事行動は難しいことと存じますが。」
「うむ、その通りじゃな。今年は兵力の増強に努めるとしよう。」
円城寺信胤が金石城にて兵37徴兵、信胤に足軽隊30、宗茂に足軽隊7を配属。
宗茂を立花山城に移動させた。
原田信種が侍大将に昇進し、立花山城にて兵18を徴兵、わしの直属に足軽隊90、
信種に足軽隊40、宗茂に足軽隊30、種長、政家、義智に鉄砲隊1ずつ配属させた。
龍造寺政家が商人に米300を売り、金292に換えた。(相場1.3)
立花山城にてわしが自ら米200を施し、民忠が51(+11)になった。
立花宗茂に米200を与え、忠誠度が68になった。
〜天正10(1582)年、冬〜
長宗我部元親が河野通直を滅ぼし、四国を統一。
円城寺信胤が立花宗茂に剣術を講義、宗茂の戦闘が72(+4)になった。
筑紫広門が岩屋城にて金200で商業振興をし、商業38(+22)になった。
立花山城にて秋月種実、同種長、龍造寺政家、原田信種、宗義智が訓練。
〜天正11(1583)年、春〜
越中で地震、織田信長と上杉景勝が被災。
1年目が終わり、現在の状況――
秋月家 本城:立花山城 大名 友好 同盟
大名:秋月種実 龍造寺家 85 ○
所領:3 朝廷:20 島津家 55 ×
軍団:1 商人:21 織田家 40 ×
武将:8 兵士:194 大友家 0 ×
金:2283 米:1023
金収支:2441 米収支:926
騎馬:10 鉄砲:1
82 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/21 16:51:15
乙、結構読みごたえがあったよ。
一つ聞きたいんですけど、太閤立志伝のリプレイはだめですか?
同じ戦国系統ですし。
>>82 どもども!
太閤立志伝のリプレイもいいんじゃないかな?
だいぶ過疎化してるから、別にスレ立てた方が迷惑っぽいし。
おおっ、ありがとうございます。
じゃあ、続きを書きましょうかね・・・
正直ギャラリーがいなくてさびしかったのよorz
小一郎登用
木下の弟に断られて以来毎月小一郎の家に行くこと8ヶ月。
殿から頂いた佐渡金などの宝物をやり、茶を振る舞い宋易殿直伝の徳の心を使い登用を試みる。
・・・徳の心といいつつ実際は下心なのだが。
「時に小一郎殿、おぬし何処かに仕官はしないのか?いつまでも浪人と言う訳にはいくまい。」
「はぁ、それもそうなのですが迷っているのです。」
「ほう?兄譲りの才を持っていて何を迷っているのだ。商人としても武士としても成功はできように。」
「それなのです、迷いは。兄のように商人を志すか、兄の夢のように武士になり立身を志すか・・・」
「迷うことは無いぞ!小一郎!」
何処から会話を聞いていたのであろう?いきなり戸を開け兄、藤吉郎が乱入してきた。
「わしは商人になり天下の利を掴む。おまえは武士になり天下の権を掴め!」
「あ、兄上・・・」
「と、言ってもお主にそれほどの器量はあるまい。そこで前田殿に仕えてはどうであろう?
前田殿であれば必ずや覇権を握れるとわしは睨んでおる。」
そこまで啖呵を切りこちらに合図を送る。
・・・しかし藤吉郎の洞察眼は凄まじい。腹の裏まで読まれてしまった。
「左様、お主がおれば正に百人力じゃ。・・・拙者の力になってはくれぬか?」
「・・・・・・・」
「どうだ?」
「・・・すみませぬ。やはりまだ思う所がありますので、その件はまたの機会に」
「そうか・・・」
二人揃って肩を落として家路についた。
斎藤道三の死以来織田家の方針は領地守備から勢力攻略に変更された。
殿は義龍を討つと思っていたが先に今川家を侵略するようであるが侵略されるのはこちらではないのかと一抹の不安が脳裏をよぎる。
「・・・故に今月は軍備を行おうと思う、意見はあるか?」
全員異論は無い。
「ならば仕事を決めよう。利家!」
「はっ!」
「おぬしは小牧山に行き兵を鍛えよ。」
「承知しました。」
小牧山は斎藤家との境界にある城だ。背後の危険を無くすという戦略なのだろう。
小牧山城には城主がいない。足軽だけで治めている殿の直轄地だ。
「これは前田殿、早速訓練をはじめましょうか?」
「うむ、直ぐに方をつけてやろう。」
訓練は5日で終了した。私の兵の動かし方も上達しているようだ。
「殿、小牧山の訓練度を14上げて参りました。」
「おおっ、良くやってくれた歳家。褒美にこれをやろう。」
といい賞状を貰った。
「殿・・・これは?」
「能吏認定証だ。お主は当家において優秀な・・・・・・」
決まり文句をいい改めて授与される
「よってこれを授与する、尚、その認定証を持っていると政治能力が+3される」
「なんと!そのような効果もあるのですか。」
「うむ、それとお主を侍大将に昇格させよう。戦も近いからな。」
「なんと!成政を差し置いて拙者だけ昇格ですか。」
「・・・うむ、それだけお主に期待していると言うことだ。」
そういって殿は下がってしまわれた。
>ならば仕事を決めよう。利家!
何か変なの。
もちっと文章の書き方とか歴史に造詣が深くなってから
書き込もうな。
>ならば仕事を決めよう。利家!
じゃなくて
「では主命を言い渡そう。利家!」
ってゲーム通りの台詞にしたらどうか?(たしかこんな感じ)
守護職全ゲットプレー。
残るは肥前だけなのに何故か就任できない。
探題職とか就いてないし守護職空席なのに・・・。
肥前で築城されたような形跡も無い。
(築城された国=就任できない仕様らしい)
天翔記スレからみにきました 種実の野望〜天翔記おもしろかったよ。
続ききたいしてます
殿への報告も済ませ、自宅に唯一の家臣、奥村永福を招いていた。
「なぁ、永福。我が殿と弟、信勝殿は不仲であると噂されるが実際はどうなのだろう?」
「それは殿、火の無い所に煙は立たぬと申しますし、おそらく半分は真実でしょう。
残りの半分は他家の間者の仕業と思われます。」
的を射た答えに私は満足し、一つ頷き茶を振舞った。
「・・・結構なお手前で。」
形式通りの返礼をし、永福は茶を啜る。茶室には静寂が流れる。
「前田様!信勝殿が謀反!至急登城せよとの下知にございます!」
それを破ったのは忍の信じられない報告であった。
「信勝が謀反!?永福、参るぞ!」
「はっ!」
急ぎ本丸へ向かう。殿の予想した戦は、私の想定した戦よりもはるかに早かった。
「皆集まったか!信勝の馬鹿めが兵を挙げよった!ただちにこれを討伐する!」
「しかし殿、弟君でございますぞ・・・」
私よりも三つ上の家老、丹羽長秀が殿を諌める。
「弟であろうと子であろうと謀反人は断じて許さぬ!出陣じゃ!」
「利家!お主の待っていた戦じゃ!存分に腕を振るえ!」
「はっ!信勝の首を挙げて御覧に入れましょうぞ!」
評定はこれで解散、私はすぐに軍備を急いだ。
「信勝め・・・ あくまでわしに逆らうきか。」
「全軍進め!信勝の群を粉砕するぞ!」
「おおっ―――!」
合戦が始まった。信勝の兵は合計8千、こちらの兵は6千、私はその内の千を与えられている。
殿は鉄砲1500を率い弓の届かぬ距離から狙撃を続けている。佐々、丹羽は柴田率いる2千と戦い苦戦している様だ。
私はその隙に渡河を済ませ敵に切り込もう。
「川を渡り終えたぞ!それ、敵備大将を壊滅させろ!」
敵は数こそ多いが訓練もろくに施されていない烏合の衆。白兵戦ではこちらの方が勝る。」
「くっ、我が備は壊滅か・・・」
一日足らずで敵を壊滅させる。その衝撃は双方の軍に伝播された。
「者ども、気を落とすでない!兵の数ではこちらが上だ!」
「よし!敵は烏合の衆じゃ!一気に攻めるぞ!」
これで勢いづいたのか佐々、丹羽勢も渡河を完了し、柴田を圧倒している。
こちらは怖気づいたもう一つの敵備を壊滅させる。
「備を壊滅させたぞ!残るは三つだ!」
これでこちらは五部隊、敵は三部隊兵力も互角になった。
「利家!あまり調子に乗るな!」
柴田の備がこちらに突撃してきた。これで兵は300が戦死、のこり400足らずになってしまった。
「利家!あまり調子に乗るな!」
同じ台詞を成政が吐いて柴田勢に突進していく。
「前田殿!連携して林勢を攻撃してくだされ!」
「おおっ、承知した!」
丹羽と協力して林勢を攻撃する、さらに態勢のくずれた備に私が追い討ちをかけて壊滅させる。
「逃げ出すとは情けない!者ども、勝ち鬨をあげよ!」
「おお―――!!」
そしていままで力を温存していた殿が信勝に留めを撃つ。
「三段撃ちの構えをとれ!信勝勢を壊滅させるぞ!」
1500の兵が五百ずつ間髪入れずに弾を撃っていく。400まで減った信勝勢はこれで壊滅した。
「敵大将を倒したぞ。皆の者、よくやってくれた。」
信勝と殿の合戦はこれで終わった
「さて、信勝の処分はどうしてくれようかのう!」
「なんと申しましても大殿の弟君、何卒寛大な処置を・・・」
丹羽殿はここでも信勝を庇う、彼は彼なりの考えがあるのだろう。
「馬鹿を申せ!謀反人だぞ。極刑が妥当であろうが。」
「申し上げます!ご舎弟様からの使者がまいられました。」
「よし、通せ。」
この期に及んでなんであろう?暫くすると秀貞と勝家がやってきた。
「大殿・・・、秀貞でございます。」
「勝家でござる。大殿、こたびの事はことごとく我等の責任。信勝様に非はございません・・・・・」
「我等の落ち度は我等の責任。信勝様には何卒寛大なご処分を・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
瞬時に了承できることではない。しばし考えていると柴田が懐から書状を取り出した。
「ここに土田御前の書状がございます。」
「なに?母上からの書状・・・?」
内容は信勝の助命嘆願であった
「・・・・・・・・・・・・・」
「大殿、今後このような事が二度と起きぬように我等が信勝さまをしっかりと監督いたします。」
「我等は甘んじて処分を受けまする。が、信勝様だけは何卒お許しを・・・」
「・・・よかろう、格別の慈悲を持って信勝を許す。」
「おおっ!」
「ありがたき幸せ!」
「ただし二度はないぞ。次に謀反を起こしたら容赦なく斬り捨てる。」
こうして信勝の謀反は一端幕を閉じたのである。
(
>>74-81の続き)
「お館様、兵どもの士気も武具の調子も充分ですぜ!」
ふふ、信種め、合戦をしたくてうずうずしておるわい。頼もしい限りじゃ。
「安心せい。門司城を攻める手筈を既に調えておるわ。」
「父上!近ごろ宗麟は府内城を大改築し、大砲と鉄砲で軍備を万全に固めております。
府内には嫡男の義統や志賀親次、佐伯惟定らが拠り、いつ援軍を送ってくるか・・・」
「お前もまだまだじゃな。島津に圧迫された宗麟が府内を拠点にしているとあれば、
守りに入ったのであろ。信長と通じ、所領を安堵してもらう腹に違いあるまい。」
しかも途中の城井谷城には毛利の旗が翻っていて、援軍を派遣することなど不可能。
そのころ城井谷城では、城主の穂井田元清が譜代の天野隆重や降将の城井長房らと、
軍議を開いていた。秋月軍が門司城へ侵攻するとの情報を掴んでいたのである。
「最近、とみに秋月の軍事行動が活発らしいが、お主らはどう読む?」
この元清の問いに最も的確に答えられるのは、父祖より北九州に拠る長房であった。
「殿。秋月種実は大友、龍造寺らの大勢力に挟まれ、一度は城と共に父と兄をも失い
滅ぼされながら、我が毛利家の支援を受け筑前を回復したやり手でございます。」
「うむ。」
「この度は秋月と共に宗麟という虎を攻めるが上策ですが、くれぐれも種実という狼に
噛まれぬよう、ご注意下され。」
種実が狼なら、お前はさしずめ狐だろうよ――
元清は内心そう苦笑し、主力は城井谷城に残すことに決めた。
「では門司城には、隆重!お主が足軽40を率いて行くということでよいな?」
「ははっ!」
秋月軍は主力を揃え門司城へ侵攻を始めた。毛利も味方につき、門司城は孤城となった。
「ここは籠城するが上策だな。父上に伝令は送ってある。」
門司城に拠る大友親家は、僅かな手勢をもって籠城を決めこんだ。
だが秋月種実は歴戦の勇将と兵卒を率い、容赦ない攻撃を繰り返した。
そこに天野隆重隊もなだれこむ。
「遅い――援軍はまだかっ!?」
合戦も20日を過ぎた頃、大友軍は主力の吉弘統幸を秋月軍に捕らえられた。
まさに風前の灯火である。援軍どころか、伝令ひとつ帰って来なかった。
本丸に立花宗茂隊が迫る!
「新顔なんかに負けられないぜ!かかれっ!」
原田信種隊も追いつき、総攻撃をかけ、門司城は落城した。
「宗茂、お主の槍働き見事であった!」
この合戦で早くも宗茂は活躍を見せおった。城主の大友親家をはじめ、成富茂安、
吉弘統幸の3将を捕縛したのだからな。今後が楽しみだわい。
早速わしは捕虜たちを引見することにした。
「援軍もよこさぬ薄情な宗麟などより、わしに仕えたらどうだ?」
茂安と統幸は我が秋月家の配下となったが、親家はそれを拒んだ。
「それがしも見くびられたものだな・・・種実!早う斬らんか。」
生意気な小僧じゃ。だが、こやつも見所があるな。殺すには惜しい。
馬を一頭都合して、解放してやった。
こうして合戦は終わり、門司城では荒武者どもで溢れかえった。
円城寺信胤が立花宗茂に剣術を講義、宗茂の戦闘が80(+4)になった。
吉弘統幸と成富茂安を門司城へ呼び寄せ、原田信種が兵37徴兵した。
わしは足軽隊6のみを率いて、残りの兵は配下に充てることにした。
信胤に40、信胤、宗茂、茂安、統幸に30ずつ、足軽隊を配属させた。
わしは岩屋城に戻り、広門に兵94徴兵させた。無論、わしの部隊に組み込む。
宗義智が米相場の安いのを利用し、金280で米500を購入した。(相場0.8)
吉弘統幸に米200を与え、忠誠度が67になった。
〜天正11(1583)年、夏〜
津軽為信が蠣崎季広を滅ぼす。南部晴政が津軽為信を滅ぼす。
織田信長が紀伊で鈴木佐大夫に破れ、斬首される。織田信忠が後継。
織田信忠が武田勝頼を滅ぼす。島津義久が阿蘇惟将を滅ぼす。
秋月種実が門司城に移動。同種長が岩屋城へ移動。
門司城にて原田信種、円城寺信胤、立花宗茂、成富茂安、吉弘統幸が訓練。
筑紫広門が金200で佐伯惟定に内応の約束を取りつける。
宗義智が騎馬10を金106で売却。(相場16)
100 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/01 14:50:27
「前田様!大変でございます!」
「何があった!?」
織田信勝が殿に謀反をおこしてから4ヶ月が経った。
その間両者共に合戦の傷を癒し美濃を征服せんと軍備に励んでいる。
信勝は謀反支度の可能性も否めないが。
「大殿によって討たれたとの事!」
「なんだと!どういうことだ!」
「信勝様が再び謀反を企てになったのです。それを知った大殿は烈火の如くお怒りになり。
病を得て信勝信勝さまに家督をお譲りになると称して。当城におびき寄せ、お討ちになったとの事です。」
「そうか、結局ご兄弟の不和は修復できなかったか・・・」
「報告は以上でございます。」
「うむ、下がってよいぞ」
後日、信勝の城は直轄地になり。柴田、林は殿の家臣となった。
「・・・うん?」
「どうしました。お前さま?」
「笄が見当たらんのじゃ。」
「笄・・・と、いいますと髪のなでつけるときに使うものですね。
普通、刀のつばにさしておくものでは?」
「うむ、それが見つからぬのじゃ。あの笄は気に入っておったのだが・・・」
「さあ、私は存じませんが。」
どこかでおとしたのだろうか?しかし、確かに・・・
「前田様!大殿がお呼びにございます!」
馴染の忍が使いにくる。声の調子から緊急の用では無いことがわかる。
「大殿が・・・?はて、なんであろう?」
「おお、きたか利家。」
「殿、なにか御用でございますか?」
「わしではない。この十阿弥がお前に用があるそうじゃ。」
「十・・・阿弥?」
と、いうとあの十阿弥であろうか?
「前田様、この笄に見覚えはございませんか?」
「それは!わしの笄じゃ。貴殿が拾ってくれたのか?」
「いえいえ、盗んだのでございますよ。前田さま。」
「なに!」
「前田様といえば槍の名人。また剣の腕も達者だとか。自慢の笄の噂も聞いておりました。
そこで前田さまを試そうと思い後から忍び寄り・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「すると前田さまは私にまったく気づいてないご様子でしたので、つい出来心で・・・」
「貴様!」
「まあまあ利家、小姓のした事じゃ。大目に見てやってくれ。
しかし十阿弥。利家の笄を盗みおるとは・・・こやつめハハハ」
「笑い事ではありませぬ!貴様・・・殿の面前で拙者を愚弄するにも程がある!そこになおれ!
成敗してくれる!」
「ひっ・・・」
「や、やめぬか。利家!」
「やめませぬ。このままでは前田利家の武士の面目が立ちゆきませぬ!」
「ひぃぃ、殿、お助けを!」
「五月蝿い!この期に及んで殿に助けを求めるなら始めから拙者を愚弄するな!覚悟いたせ!」
一足で十阿弥に一太刀浴びせる。それで無礼者は絶命した。
「思い知ったか!無礼者め!」
「この馬鹿者がぁっ!」
「とっ、との。」
「主の面前で小姓を切り捨てるとは良い度胸じゃ!・・・お主は今日限りで勘当じゃ!
「か、勘当?」
「もう顔もみたくないわ!さっさと去れ。」
「わしとした事が・・・迂闊であった。殿から勘当され、これからどうしたらよいのだ・・・・」
「お前さま・・・」
「しばし、修行の旅に出る・・・すまぬ、まつ。苦労をかけるな」
「いいえ。どこまでもついて参りますよ。」
わしは織田家を勘当された。この機会に全国を回ろう。
そして、再び殿に・・・
1582 夏
初めにすべきことはやはり真田家との同盟だろう。
ということで前田慶次郎を派遣、しかし
昌幸「貴様らとの同盟などありえぬ!」
と、金の受け渡しすら拒否される。
一益「ここは、上杉か北条と組むべきだろうか、、
いや、あえてそれは辞めておこう、、」
雄利「と、申しますと?」
一益「それをしたら楽すぎるであろう?
ただでさえ秋月らに比べれば人材が揃っておる
だからあえて苦難の道をゆくのよ」
雄利「なるほど、、」
一益「北条、上杉とは決して和睦は結ばない事、これは絶対よ」
慶次郎「殿、商人が来たので鉄砲200馬300仰せの通り買って置きました」
一益「御苦労、しかし是非とも真田の協力は得たい所、、うむ やるか」
1582 秋
真田領に攻め込んだ。落とせればそれで良し、落とせなくても略奪できれば良し
野戦
一益2000槍 vs昌幸1400
雄利400槍
雄利「昌幸めは某にお任せあれ!」
一益「任せた、なんとか足止めしてくれ、本陣を突く」
昌幸「雄利如き相手ではないわ!」
雄利部隊壊滅!
一益「でかした、あとは任せよ」
敵本陣陥落!
篭城戦
一益2000vs昌幸1400
一益「一度では落とせん、、略奪に徹しついでに門も破壊せよ」
1582 冬
再び攻め込む、出来る限り一門には偉くなって欲しいのだ
慶次郎1200 馬 昌幸1400 槍
雄利600 槍 vs
やはり目的は略奪である
1582 春も夏も略奪を続けた
conのインチキはいつ見ても非常に腹ただしい
1583 夏
北条軍襲来
野戦に討って出る
一益(88)1200 鉄 氏規1200 弓
山上(85)600 槍 vs 大導寺1000 馬
氏邦 600 馬
御宿 600 槍
原 400 馬
氏規「先陣は兄上、原殿にお任せいたす 大導寺殿と御宿も後で追いつかせる
のでなんとか堪えてくれ」
氏邦と原が本陣へ襲撃、しかし山上の一番やりと一益の鉄砲で御宿らがくる前に
壊滅、遅れてきた大導寺らもあっという間に崩壊
御宿、原を捕縛し原は解放、御宿は登用した
この月真田と上杉が共闘を結び以降真田領へ手が出せなくなる
ごめん やっぱ無理やわ
やめ('A`)
がんがれよ
密かに応援してるぞ。
「さて・・・威勢良く啖呵を切ったがどうしたものかのう・・・」
手元には3800貫がある。これだけあれば当分暮らしに困ることは無いだろう。とりあえず甲賀に向おう。そこを手始めに全国の忍の術を会得してやる。
道中、何の問題も無く甲賀の里に着いた。
「待て!お主、ここに何のようだ。」
「前田利家と申す。我が力、甲賀衆のために役立てたいのだが・・・」
「ううむ、わしの一存では決められぬ。」
「どうした?騒がしいぞ?」
頭領と思わしき男が気づくと下忍の近くに立っていた。
「はっ!?多羅尾様!この者が我が衆に加わりたいと申しておるのですが・・・」
「なに!しかし、むぅ・・・」
しばし私の体を凝視する。念入りに何かを見ているようだ。
「・・・そうか。なら宜しく頼むぞ。これからは甲賀衆に尽くしてくれ。」
「はっ!」
そうして頭領は音も無く帰って行った。
「さてと、そろそろ頃合かのう。」
甲賀衆に入り8ヶ月、ここで会得できる全ての忍びの術を覚え秘術、おぼろ影の術まで伝授された私は頭領の元へ向った。
「利家!何をやっておる!期限はとうに過ぎておるぞ!」
「・・・・・・・・・・・・・」
「何とかいったらどうだ!」
「今日は、別れを言いに参りました。」
「何だと?」
「思う所ありましてこの里をぬけたいと存じます。」
「ほう、覚悟は出来ておるのか?」
「出来ておらねばこのような事は言いません。」
「もう一度問う。考えを改める気は無いのだな。」
「はい。」
「・・・愚かな、わしを倒したとて安楽に暮らせると思うな!」
それを合図に忍が三人天井から降ってくる
しかしそれが接近するよりも早く頭領を一刀に切り伏せる。
「ふ、すべてがお主の思い通りになると思うな・・・」
「長居は無用。御免!」
次はどの忍の里に行こう?全国の忍を敵に回しても私は忍術を極める
何かに憑かれた様に私は次の里を目指して歩いていく
1584夏
真田領消滅
織田家と真田への共闘を結ぶ
上田城は散々の略奪の前に丸裸、上杉の援軍が来るも
砦を落としあえなく落城
一益(89)1600槍 昌幸(91)600槍
山上(85)1000槍vs 援軍小島(107?)1200槍
雄利(55)1200槍 安田(65?)1000馬
援軍 水原(66?)600鉄
山村(??)600?鉄
津川(??)800?槍
真田滅亡後登用に応じたのは小幡のみ
しかし浪人で幸村、矢沢親子を登用
特に矢沢父の政治70はダントツNO,1(ちなみに二番手は大田原の51)
幸村のお陰で戦闘は随分楽になったといえよう
1585春
上杉襲来兵力は10000以上
一益「ここは思案のしどころよ、、こちらの兵力は5000が限界下手に兵を
出せば砦を落とされ突撃であぼーんか、、2部隊で本陣に篭るのがよさそうだ」
一益「誰が適任かな?」
そのときある若者が声をあげる
幸村「ならば!私にお任せ願いたい!」
一益「ほう、では決まりだ、幸村の槍隊800に慶次郎の鉄砲1200をつける
存分に暴れよ」
うまくいくものだ
軍神効果の賜物か上杉軍がへたれなのかは知らないが
足並みが取れていないので各個撃破、並びに壊走した部隊に慶次郎の神速撃ち
で次々と壊滅していった。
上杉との抗争はしばらく続いたが二度幸村は捕縛されたが解放された。
1585年 梅雨
大きな出来事が起きる
徳川が織田との同盟を破棄し甲斐、信濃へ攻め込んできた
援軍を送ったが篭城側は城主信雄筆頭に毛利(斯波)、山村、津川その他もろもろ
統率が50を超えるものはなく全て雨鉄砲装備、
負けかと思いきや何故か敵も板倉、正信、正澄、平岩と文官揃い
信雄2000雨 家康2000良馬
山村600 正信1000槍
毛利600 vs 平岩1200鉄
津川800 正澄600 鉄
その他3000ほど その他4000ほど
援軍
慶次郎1200馬
幸村1000馬
山上1200長槍
御宿800長槍
信雄は本願寺が破壊されているとなんとあろうことか鉄砲で救援に向かわしたのだ
山上(こやつ、、阿呆か、、)
城外に出た鉄砲隊はは次々と家康の良馬に潰されていく
しぶしぶ突撃と槍衾をかけて撃退する
本多捕縛、板倉捕縛、平岩自刃
謝礼金を5000ほど頂いた
1585 秋
木曽福島が徳川家に落とされる。
こちらの援軍がなければ深志城、ツジガ崎館も奪われていただろうに
益重「納得がいかん!我らが援軍を送っているのに何故に
こちらが北条、上杉から攻められているときは見てみぬふりをする」
益重は60歳を迎えていた。いつお迎えがきてもおかしくない歳だ。
一益「まあ、聞け 良い話がある。そろそろ織田家との同盟の期限も切れよう
そのときこちらから攻めてやる。それまで徳川に盗られるわけにはいかんのよ」
益重は手をポンと叩き
益重「おお、それは名案じゃ、ならば死守しよう。我らの為に」
1585晩秋
期限が切れたと同時に徳川家と同盟を結び深志城、ツジガ崎館を奪った。
信雄「おのれ!左近将監!謀りおったな!」
一益「なんとでも言うがよろしい、しかし一つだけ言っておこう今の私は因幡守」
1585晩秋
もう一つ出来事があった
当家により滅ぼされた真田家の元当主を登用したのである。
政治力の低い当家には是非とも欲しい所
全てのコマンドを登用に使用することでなんとか成功したのである。
これで一段落ついたので周囲の大名についても少し触れようと思う。
東北、初めこそ南部が強かったのだが九戸の乱が原因で弱体化、津軽につけ込まれ
共に滅びている。また津軽は蛎崎も滅ぼし四城
この津軽に張り合っているのが葛西で大崎、最上、戸沢、斯波を滅ぼし五城
伊達は二城だが葛西と六城の佐竹と婚姻を結んでいるため安泰
その佐竹と共闘を組んでるのが宇都宮、芦名を滅ぼし四城、
北条は六城、木佐倉こそ宇都宮に奪われたものの上杉から沼田を奪っている。
(続)
117 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/08 00:45:31
おもしろい、がんがれ
躑躅ヶ崎館→つつじがさきやかた
だ。
面白いので指摘。
甲信越
我らが滝川家は箕輪城を拠点に躑躅ヶ崎、上田、深志と4城
上杉は初期のまま6城
徳川は織田から木曽福島を奪い5城
柴田は羽柴から長浜、明智から宮津と二条を奪い、姉小路も滅ぼし8城
東海
織田信雄は滝川、徳川連合に破れ甲斐、信濃を失ったものの柴田との婚姻
が効きさらに家宝を家臣にばら撒き強化、明智最後の拠点八上を落とし
さらに信孝と鈴木一族も滅ぼしている。計12城
ちなみに信孝と光秀は後に柴田に従えるのだが・・・
四国
長宗我部がやはり強い、鈴木、明智と結び信孝の高槻を落とし念願の畿内進出した。
しかし明智、鈴木が相次いで滅んだため一気に弱体化にする。
一時は四国を制圧したものの宇喜多、毛利、竜造寺の食い物にされて
一月で滅んだ。
中国
宇喜多が一番強かった。初期に加え十河、勝瑞、湯築、岡豊を加え八城
羽柴に対し独立して泥沼化している。
九州
大友があっさり滅ぶ。竜造寺が旧大友領の全てに中村御所を加え
計11城
120 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/23 20:59:45
121 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/30 00:38:18
落ちるな
ほぜんののたん
123 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/13 21:15:45
良スレなんで誰か書いてください
志木沢郁の「立花宗茂」のァ千代に萌えて
天下創世・関ヶ原合戦・超級の立花宗茂で
リプレイ原稿を起こしてみたのですが、
ァ千代が志木沢郁の描写そのまんまに
なっていきそうで悩んでおります。
さてどうしたものか…。
書きたいけど、事実をつらつら書いていくんじゃなくて
何かしら物語性がないと嫌がられるからなぁ
1586夏
東北
津軽と葛西の争いには津軽が勝った
本拠地の寺池と戸沢領を失い旧最上領と旧大崎の2城
伊達(2城)との婚姻のおかげでなんとか生き残っている
関東
佐竹、宇都宮同盟は崩壊した
宇都宮は二本松と烏山が奪われるが北条から沼田を奪い4城
佐竹は7城
北条は5城
甲信越
一益「関東から多くの浪人が流れてきてるとか」
益重「はっ、名のあるものでは里見家と結城家の当主が流れてきていまする」
一益「うむ、聞いた、して応じそうか」
が、益重の表情から読み取れた。
一益「そちでは無理だわな、気に病むな」
結局信孝家臣だった池田親子により上の二名は登用に応じた
この中老結城や家老里見に多くの兵を預け飯山城と春日山を落とした。
ちなみに矢沢父は織田信雄家臣真田信幸の
大田原は佐竹家臣大関の内応をしくじり斬首された。
(信幸はこのあと昌幸に内応させて成功)
九州中国四国
羽柴、宇喜多が争っているうちに毛利が出てきた
宇喜多領は毛利に羽柴領は柴田に奪われる
毛利は中村を除く全ての四国と宇喜多領で
12城
竜造寺が中国へ進出する。これにより中国に竜造寺領ができた
竜造寺12城
東海北陸機内
北陸を初め13城になった柴田勝家だがこの時すでに亡くなぜか家督は信雄に
滅ぼされた信孝に譲られている(宿老で一門がいないからか)
また計15城の信雄であるが四国の毛利攻めの際捕らえられて斬首
有楽斎が当主になっている
129 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/05 16:15:58
再開age
130 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/12 15:00:43
期待上げ
PS版将星録合戦禁止プレイを考えています。シナリオ1で大名は六角家を使用。
暗殺と脅迫で国土を広げていく予定。基本的に軍勢ユニットの使用は不可。取り
込みでできてしまった軍勢ユニットはしょうがないので委任して城まで移動。
できそうだったら再upします。
時間は少し遡る。宇喜多が羽柴に反乱を起こしたときだ
1584冬 吉田郡山城にて
怒声が聞こえる
元春「だから言ったではないか!隆景、主は筑前守を買いかぶりすぎてたのだ!」
これには隆景も俯くしかなかった。
自分が期待していた羽柴秀吉は宇喜多の反乱によって弱体化し信孝有楽連合軍
に潰されようとしている。
隆景「申し訳ない。全て私の読みが甘かったせいだ」
隆景は素直に謝った兄は言い逃れや言い訳が嫌いな事を知ってるからである。
元春もこれ以上弟を責めても無駄なことを知っている。
元春「ま、しかたあるまい過ぎたことだ。大事なことはこれからのことであろう。」
結局、話し合いの結果、羽柴、宇喜多を攻めて領土を拡大
上洛しようということになったのだ。
1585夏
このときすでに毛利は四国、中国をほぼ制圧していた。
毛利の巨大化に危惧を感じたのが当時織田の当主だった信雄である。
婚姻同盟を結んでいる柴田勝家と共に勝瑞へ攻め込むこととなる。
しかし合戦の結果は無残なものであった。当主信雄捕縛→斬首
というのは前書いたとおりである。
元春「いいぞ、これなら京への道のりも遠くはない」
現に毛利は四国以外でも柴田織田軍と戦っているが味方がないにもかかわらず
兵力で勝る連合軍に常勝していた。
最前線姫路城京まであと4城である
だがッしかし!
>>132訂正
×信孝有楽連合軍
○信雄勝家連合軍
135 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 16:00:30
まんこあげ