1 :
gakki ◆HaitfwkMrU :
私はいい人だと思いますね。
蜀にとって悪いことはしていないと思います。
劉禅の代わりに政権を全て取った事がいけないと申される方もいらっしゃるようです
が、
それによって、蜀は悪影響をこうむったと思いません。
また、劉禅が政治を司っていたとしても諸葛亮のときより悪くなる
(少なくても良くなることは無い)と思います。
北伐によって蜀に少なからず影響を与えた事も事実ですが
北伐は私としてはやるべきだったと思います。
2 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/14 21:59
耐えた甲斐があった!ついに二階堂盛義が2ゲット!
,r';;r" |;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;
,';;/ /;;;;;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;
l;;' /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;',;;;;;;;
. ,l;L_ .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;iソノ
ヾr''‐ヽ, ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|
l rO:、; ´ ィ○ヽ 'i;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;、l
| `'''"/ `'''''"´ !;;;;;;;;;;;;;;;/ l |
. ,' / 、 |;;;;;;;;;;;;;ノヽ'/
. l ,:' _ ヽ .|;;;;;;;//-'ノ
', ゞ,' '"'` '" i;;;;;i, `' /
', i、-----.、 `''"i`'''l
. ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\ ,' ト、,
ヽ ヽ〈 i| Vi゙、
゙, ,ヽ===-'゙ ,' , // ヽ
. ',.' ,  ̄ , ' ノ /./ ヽ,
. ヽ.  ̄´ / ,、 ' / / \
ノ:lゝt-,-‐''" / ,.ィ゙ /
,、 - '''´ | ヽヽ /,、ィ /
藤
>>1隆 わしの真似すんな
>>2本松義継 伊達の隠居を人質とったのに自滅かよw
>>3竹義重 結局秋田転封かよw
相馬
>>4し胤 結局政宗に助けられたのかよw
め
>>5姫 ↓こんな奴のために秀吉の人質ごくろーさんw
伊達政
>>6ね 小田原遅参、みっともねーなw
蘆
>>7盛氏 盛隆が蘆名家を継いだからにはお前の家もわしのもんだぜw
最上義
>>8す お前が親に殺されたせいで最上は取り潰されたぞw
宇都宮
>>9に綱 関ヶ原前に改易かよw
上杉政
>>10ら(謙信) 信玄は倒せなかったのな
>>1 どうせ魏に滅ぼされるんなら蜀の民が疲弊する前に降伏したほうが良かったのだよ。
諸葛亮は言われているほど悪人ではないと思う。
最近は魏中心の漫画の影響で、魏贔屓になっている人が多いがあくまで蜀が正統な漢の後継王朝。
また、北伐で多くの人を殺したといわれるが、その時代なら当然のこと。
その時代なら当然というのはわかるけど、
時代を超えた考え方は無く、時代を変える程の力も無かったんだね。
演義上での稀代の天才でも。
ただ悪人かと言われるとそうではないと思います。
諸葛亮悪人説ってそんなに言われてるの?
そのへん知らないんですが
諸葛亮の何を以って悪人といわれているのか?
説明をもとむ
>>1
11 :
gakki ◆HaitfwkMrU :04/07/15 06:42
>>10 あるところで話し合われたことなのですが、諸葛亮は劉禅政権を奪い
政治に全面的に介入したことが悪人だと言う人が多々いらっしゃるようなんですよね。
私は劉禅に政治を行っていけるだけの能力が諸葛亮に勝っていたとも考えられないと思いますし、
諸葛亮が政治を行っていたからこそ蜀はあそこまで保てたと思うんですよ。
そこで皆様の意見をききたく思いまして。
「政治に全面的に介入したこと」というだけではちょっと……
>>11 悪人じゃないだろうということは同意なんですが、
北伐や政治を執ったことは先帝の遺志によることで、
劉禅政権を奪うといっても奪おうと思えば自分で帝位につく事も出来たのにしてませんし、
そもそも何故悪人かという議論が出たのかよく分らないのですが。
諸葛の悪人説は、手足として使えるかどうかだけが基準だった、って部分はよく言われてるけど、
>政治に全面的に介入したことが
政治のために先主が取り込んだんだからありえない
>劉禅に政治を行っていけるだけの能力が諸葛亮に勝っていたとも考えられないと思いますし
劉禅は40年以上蜀を異民族から守ったんだぞ?
演義基準でものを言うのは構わんが、それで劉禅貶されてるとなんかムカつく。
だって劉禅ってただのバカじゃん
普通の人ですよ。
>>15 演義準拠で、なら同意だけど、そんなことわざわざ言うことじゃないしね。
>>16 策みたいに年頃の時に戦場に立ってたわけでもなく、
権、丕みたいに青年期に身近な親類がいたわけではないのに数十年蜀を守り続けた彼を普通の人だと。
>>17
積極的に評価するならそう言えるかもしれないけど、
孔明死後三十年続いたのは孔明の遺した人材制度によるところが大きいと考えられるし、
劉禅が後年「暗愚な君主になった」と評されているところは見逃せない。
しかし終りを重視するなら孫権よりいい君主だったのかも知らん。
19 :
gakki ◆HaitfwkMrU :04/07/15 20:19
>>18 私もそう思います。孫堅の晩年よりは劉禅は数倍いいかもしれません。
少なくとも、劉禅が黄皓を信じ、それに惑わされ、また降伏してから蜀の地を思い出すことがない(裴松之注)と言った発言はアン具と考えても言いと思いますね。陳寿も晩年は良くないと書いてありましたから。諸葛亮に補佐されているときは決して暗愚ではなかったかと思います
20 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/15 20:22
劉禅は白い布のようなものだな。
補佐役によってなんにでも染まる。
21 :
gakki ◆HaitfwkMrU :04/07/15 20:43
>>20 陳寿の評にある言葉ですね。墨子に基づいた話ですね。
>18
> 劉禅が後年「暗愚な君主になった」と評されているところは見逃せない。
それは「漢室復興」を目指したかどうか、という基準でしか蜀の人物が評価されてないからじゃないか?
>19
> また降伏してから蜀の地を思い出すことがない(裴松之注)と言った発言はアン具と考えても言いと思いますね。
二心ありと思わせないため愚者を演ずる、というのは他にも見られる手段だぞ? なんか他人の評価を真に受けすぎな気がするんだが。
23 :
gakki ◆HaitfwkMrU :04/07/15 21:10
>>22 レスありがとうございます。
確かにそういう見解も考えられると思います。
陳寿の評はあながち間違っていないと思うのは私だけでしょうか^^;
やはり、諸葛亮は悪人と言うのは理由付けができないですよね。
劉禅が暗愚だったから補佐したというわけではなく、先主の希望でもあったと言うのがポイントかと思います。
実際、劉禅は諸葛亮在命中に暗愚と思える行為はしていないですしね。
24 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/15 21:56
蜀の国是自体はアホクサいと思うけど、
諸葛亮は主人に忠実だったのだから悪人とは思えない。
蜀を疲弊させたとか言われて叩かれるのは仕方がないけど、
そうするしかなかったんだから少し多めに見てやろう、って感じかな。
俺の脳内では、孔明は徐州侵攻の私怨で北伐を繰り返した事になっている。
軍事的才能は劉備には期待されていなかったし、逆に信任されていた魏延を差し置いている。
それは良いとして、漢再興を大義にする蜀の皇帝が魏に降って天寿をまっとうしたんだから、
劉禅個人の才覚はともかくとして、生きていく為には賢明だけど、蜀皇帝としては暗愚だろう。
史書に書かれるような悪行が無かったってだけで。
そもそも蜀を保ち続けた事で評価されるなら、霊帝や献帝も同様に評価されると思うが。
人殺しに善人はいない
28 :
gakki ◆HaitfwkMrU :04/07/16 21:07
>>27 私も生きていくためには賢明だけれど・・・・・にはうなづけるものがあります。
漢を再興するという目的から考えるとあまりに早い降伏だったと言えるでしょう。
諸葛亮は人殺しはしていない。
「泣いて馬稷を斬る」という言葉に惑わされているかもしれないが、
諸葛亮自身が手を下したのではない。また、馬稷が逃亡したので
斬ったという説もある。最初は殺す気はなかったのかもしれない。
イメージではなく、もっと論理的な書き込みをしよう
>23
gakkiは一次元的なものの考え方しかしてないな。
一次元的って言い方は変だな。それを言うなら一元的とか二次元的じゃない?
>>23 > 実際、劉禅は諸葛亮在命中に暗愚と思える行為はしていないですしね。
お前の言う「暗愚と思える行為」ってなんだ?
34 :
gakki ◆HaitfwkMrU :04/07/17 10:50
>>33 酒色にふけったり、忠臣の進言を聞かなかったり、
また、著しく国を衰退させたりする行為ではないでせうか?
35 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 11:05
献帝と同じ年に生まれ同じ年に死んでいる
36 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 11:18
劉禅は別に人民を虐げるようなことを積極的にはしてないぶんまだマシだと
思う。ようは蜀としては皇帝はただいればいいだけの存在であって国政を担
う存在ではないと思う。だいたい創業者の次はたいしたことないのはよくあ
ることではないのかね?劉禅をバカの代表にしてはいかん。
>>35 諸葛亮のことなら、生まれは1年違いだったような…
劉禅は暗愚だったのではなく、蜀の民や降伏後の部下のことを考えた演技だった
という説を聞いたことがありますが、そう考えると泣ける話ですよね。
>>降伏してから蜀の地を思い出すことがない
なんてなかなか演技でできることではないでしょう。まぁでも、
雷を怖がった演技派の劉備の息子ですからねぇ、劉禅も演技派だったのかも。
38 :
gakki ◆HaitfwkMrU :04/07/17 12:20
ええ。そう言う説があると言うだけで、そう言う証拠があるわけではないのでなんとも言えませんが、
やはり、諸葛亮に従っていて間違えではなかったと思いますね。
少なくとも諸葛亮と共に歩んでいたときは間違った方針をとっていなかったと思いますし。
ローソン村
>>38 諸葛亮マンセーだな。
諸葛亮は「有能な部下」よりも「言いなりになる部下」を欲した所為で自滅した、とも言われているぞ。
>少なくとも諸葛亮と共に歩んでいたときは間違った方針をとっていなかったと思いますし。
なんで諸葛亮のお陰、と言いきるのかがわかんない。根拠なさ杉。
41 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 02:40
>>40 先帝亡き後、諸葛亮に抜擢された人物って、ほとんどが小物だもんなあ・・・
劉禅は配下によって名君か暗君か別れる恐ろしい男。
43 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 04:37
天下三分の計って、そもそも3ヶ国に分けてから天下を統一するという事ではなく、
3カ国のまま終わらせようという考えじゃなかったの?
44 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 05:39
とりあえず他に方法がないってことさ。
孫権に助けてもらって劉氏のよしみですきついてぬッコロスしか生き残れない。
蜀を長持ちさせたのが悪いんじゃないか?
45 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 05:48
孫権助けてくれた?
うん
孔明はいい人だったよ。
この間笑いながら子犬を蹴飛ばしてた
でもボク、ちゃんと注意したよ
>43
演義だったかな。三分されたとき、「これが目的ではない」って言ってたと思う。
三分はあくまで統一の足がかりでしょ。
>>50 演義での話だから大風呂敷だろうけど、本気で統一できると思っていたのかなあ?
>>51 関羽が死んじゃったからそれはわからんな。
53 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 20:50
とりあえず、age
54 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/08 00:06
>>14 >劉禅は40年以上蜀を異民族から守ったんだぞ?
すげー、マジすげー。それって劉禅の采配のお蔭なんだ、へぇ〜
人材がどうとかって訳じゃなくて、劉禅の能力なんだね、すげーや
煽るの遅杉。
57 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/08 00:30
馬鹿の上極悪非道
なぜageる?
低脳シナの象徴は諸葛亮
61 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/09 19:49
>>60 正史のどの部分にどの程度記載されているか説明くらいしろ正史厨
60じゃないけど
>61
とりあえず一読してみなよ
話はそれからだ
評価されること
諸葛亮を信任した
その後も費イ・蒋[王宛]を信任した
李バクを処刑した
評価されない事
宦官を信任した
北伐に走る姜維を抑え切れなかった
ほかにもあったら言って欲しい。
補足
そして蜀という小国で四十一年も皇帝をしていながら内乱
がほとんどなかったのは暗君でない証拠とはいえないだろうか。
66 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/10 02:23
諸葛亮が悪人かどうかについてはなせよ
>66
話すまでもない。つかお前等裏読みしすぎ。孔明は中国では才能とか
より、「忠義の人」としての評価が絶大。
自分を信頼してくれた前君主の為に死後も愚鈍な国主を助け、
元々時代に飲み込まれるしかなかった蜀を作り替え、後世まで
評される地盤を作った。
その気になればいつでも国を奪う事さえできたのに、彼の死後財産と
呼べるものは殆どなかったと言う。
これほどの才能があり、出世もしながら最後まで国を案じた孔明。
希代の軍師であり、政治家であり、学者でありながら1度たりとも
私欲に走る事はなかった人物は歴史上でも何人もいるもではない。
69 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/10 05:02
>元々時代に飲み込まれるしかなかった蜀を作り替え、後世まで
>評される地盤を作った。
ゆえに悪人である。ということだな。
魏サイドから見たらそうなるな
>>1 善悪の基準を決めないと判断できんよ、これは
漢帝国の復興なんてくだらない事の為に戦争に駆り出される民は悲惨
魏がさっさと統一した方が無益な戦争が起こらなくていいのに
魏が統一して内乱が絶えなく起きるなら、それは漢帝国崇拝主義のウンコタレだろ
>72
短絡すぎ。強い所が支配すればいいというのなら現代は
アメリカが日本も選占拠すればいい、って事になる。
思想とか信仰などみんな違うのだからそんあ簡単に割り切れる
わけがない。
>>73 短絡なのはお前、日本がアメリカに攻め込んでるか?
蜀は魏に攻め入ってるから無駄な戦争だと言ってるのに頭悪過ぎ。
75 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/12 21:01
age
>74
攻め込んでるだろうが、第2次世界大戦で。敗戦後アメリカ国になってた方が
よかった、っていうのか?
そんな理屈で言ったらアメリカが世界統一した方がいいって事と一緒。
なんでこれだけの国があるのか、その意味をよく考えるんだな。
77 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/12 22:30
>>76 キモ板住人が偉そうな口利くなよ。
自分の板に引き篭もってなりきりでもやってれば?
78 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/12 22:53
悪いやつほどよく眠る、不眠不休でがんばった孔明は悪い人じゃないよ
79 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/12 22:55
孔明は中国人だから悪人で決まり
バーカ、孔明は中国人じゃねぇんだよプププスレ思い出したw
>>74 日本がアメリカに攻め込んだら、アメリカが日本に攻め込んでくる → 支配される
日本がアメリカに攻め込まない、アメリカも日本に攻め込まない →正解
蜀が魏に攻め込んだら、魏が蜀に攻め込んでくる → 支配される
蜀が魏に攻め込まない、魏が蜀に攻め込んでくる → 支配される
どうせ支配されるから、足掻いたんじゃねえの?
82 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/14 04:54
>>76 兵隊として死ぬんだったらアメリカ人になったほうがましだろ。
83 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/14 04:58
たまにはやってみてもいいんじゃね?
>>77 思いっきり納得してるね、そのレスw
何も言い返せないがとりあえず貶レスしたその姿に涙w
85 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/14 05:47
うほ
>>82 自分の親兄弟、恋人や妻子がアメリカの二等市民として冷遇を受けるくらいなら
戦って死んだ方がマシという考えもあるさ。
生命が大事じゃないとは言わないが、生命さえられば人間としての尊厳を捨てて
もいいとは言えない。
生命は大切なものではあっても、唯一無二絶対の価値を持つものではない。
>84
キモ板ってなんだ?意味わかんね。キティ?
>>88 いいからキャラネタでなりきりでもやってろよ気違い
>89
これだから厨は・・・
55あたりから糞スレになったな
92 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/01 15:44
1流に悪人はいない
しゃっしゃっしゃっほうっ
シャッシャ
結論 悪人とはいえない
うわらば
97 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/03 18:00:34
今だったら内乱罪で死刑
諸葛亮の魏延への評価(扱い?)はどう思う?
/^l
,―-y'"'~"゙´ |
ヽ ・ ⊥ ・ ゙':;
ミ ,,__ミ
/ ̄ ̄ ̄旦 ̄ ,/\
/.________/ \
/ ̄ ヽ /
/ ヽ /
/ \/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
101 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/13 01:12:24
102 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/13 10:54:24
漢民族同士の内乱だってことを忘れてないか?
アメリカ対日本とは全然違う。
諸葛亮「私の指示に従えないなら・・・切る!!」
魏延「へへっ おもしれぇ殺れるもんなら殺ってみろ。」
馬岱「よせ魏延!!(あいつが氏んだらバカボンの面倒は誰が見るんだっ!!)
楊儀(2人とも刺し違えてくれないかなぁ・・・)
>>99 督前部に任じたり、兵を与えて西涼方面に行かせてやったり...
扱いが特別良いと思わないけど、悪いとは思えません
「諸葛亮は魏延の剛勇を頼みにしていた」とも述べられているし
諸葛亮にとって最も頼りになる将であったけど、扱える奴でもなかった>魏延
将の将たる人間じゃないと自分で分かっていたから、官僚しか育てなかった>諸葛亮
その場あたり的な政治を行わざるおえなかった>費イ
自分のアイデンティティを守るには北伐しか出来なかった>姜維
特にこれといった間違いはなく、バランス感覚も問題なかったが、弱小の国の皇帝に生まれてしまった>劉禅
諸葛亮は魏延を更正させてやろうとはしなかったのかなぁ・・・
利用したら利用したでポイ捨てですか?
107 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/15 01:16:40
韓国人だな
>>バランス感覚も問題なかったが
問題なくはなかったと思うが...
自分に媚びへつらう奴らを重用したらしいし、
後宮を増やしたがったり、問題無い訳では無いと思うぞ。
>>73 ぶっちゃけ、戦後の日本って
ヘタしたら中国文化や朝鮮文化の国になってた可能性もあるんだってな。
>自分に媚びへつらう奴らを重用した
>後宮を増やしたがったり
おそらく黄皓の事を言ってるんだろうが、それは奴一人の事
劉禅が宦官を寵愛した記録はコイツしかいないし、
国政には黄皓ですらほぼノータッチといえる。
少なくとも後漢の二の舞だけは踏んでない。
そして黄皓が台頭した理由は、陳祗(費イ亡き後の蜀のトップ)が彼を皇帝とのパイプラインに使ったから
>>112 >違自分に媚びへつらう奴ら
これは陳祗と黄皓。
>後宮を増やしたがったり
これは董允の生前の話。
それに黄皓は蜀末期に権力を握ってる。
蜀末期は蜀内部もガタガタ、劉禅は姜維ら漢中の軍を止められなかったし、
都と漢中の不和も解決出来なかった。
本人に何も問題ない訳ではなく、蜀がただ弱小だったから滅んだ訳でもない。
陳祗についてはまるっきり悪人とも言い難い
黄皓を押さえつつ、宮中とのラインとして使っていたと見た方が無難
>黄皓は蜀末期に権力を握ってる
では実際に奴がしたことって何よ?羅憲を巴にやったこと位だし、それだって必要人事ですよ?
>劉禅は姜維ら漢中の軍を止められなかったし
>都と漢中の不和も解決出来なかった
閻宇が姜維の後任として漢中に向かっていたことはほぼ決定済みでした
大体、費イが死んだとき、最も位の高かった姜維が陳祗をトップにつけて、介添えに諸葛センにつけたんですが
劉禅の立場上、漢中と都のバランスの上に立たなきゃやばいんだし
本人に問題を問うとするなら、生まれた国と時期を間違えたとしか言い様がない
安定期の大国なら、大過なく、良く治めた皇帝であったろうに、
破格の才覚と指導力が必要とされる小国に生まれたのだから
>>114 黄皓でよく言われてるのが巫女の予言を信じて、漢中への援軍を握りつぶそうとした、
で、結果として漢中への援軍は遅れた。あと魏書でも悪し様に書かれてる。
>閻宇が姜維の後任として漢中に向かっていたことはほぼ決定済みでした
決定済みじゃない、失敗したと姜維伝に書かれてる。
それに陳祗は費イの生前から権力街道を歩いてる、
董インの後釜に着いて、呂乂が無くなると尚書令になってる。
そして鎮軍将軍の官位も手に入れた。
当時既に姜維がどうにか出切る立場を超える地位についてる。
恐らく費イもこいつに追い出されたと思われるくらい。
劉禅に関しては、本人の才能が足りないんだから、問題無い訳ないでしょ。
国中から美女を集めて後宮を増やそうとしたりしてるし。
つまり一番偉いのは芝一家と言う事で
劉禅について、なんだが、
実戦経験なし、端から地位が高い、という状態を加味しても暗愚なのかな。
中の上、上の下くらいの采配だとは思うんだけどな。加味した上でだが。
ま、治世の大国なら問題にならなかった程度の並の君主だったんじゃないかな?
問題がない清廉潔白でも、なかったが、悪し様に言うほどの愚帝でもないと思う。
乱世の小国には不足だっただけで。
>>118 戦場に立たせなかった劉備、ってのはどうなんだろう。
まず、老いてからの子、ってので純粋に可愛かったのかもしれないな。
あと、自分がベテランになりすぎたせいで、不安だったのかも。
また、戦国の世の皇帝が子どもをどう扱うか、ってのはわかんなかったかもな。
3人も皇帝がいる、なんて異常だし、1人の時代とは違うだろうしな。
朱に交われば赤くなる、を地でいった君主だから、
配下に諸葛亮みたいな人材が、いつも居ればうまく治めれたんだと思う。
けどそういう人材は平和だとなかなか上に上がってこれないから、
太平の世だったら逆に駄目だったかもしれん。
なぁなぁ、美女集めってさ、確かに空気読めてないけど
他の中国の皇帝がやってきた悪行と比べりゃかわいいもんじゃね?
>>117 暗愚でしょ。
周りにまかせっきりきりかと思えば変な宦官を信任して国内腐らせるし。
>>119 夷陵の時点でまだ劉禅は13〜14歳くらいだよね?
それ以前の幼な子を戦場に連れて行くものなのか乱世と言うものは…
>>122 >周りにまかせっきりきり
そんな……ショウエン亡き後は親政を行ったのに……
諸葛亮の好きな点は身分を問わず、犯罪者にはそれ相応の罰を与えた事
それと、民衆には重税を課していたが、自身もかなり貧相な暮らしをしていた点
善人であろうが悪人であろうが、思わず納得させてしまう人物であることには間違いない
諸葛亮の人気って、「忠義」のただ一点だろ
出師の表、正気の歌が並ばれて愛されてる
その本質が一緒だから(最も美しい士大夫の在り方)
文天祥も能力には疑問符が付くが、間違いなく忠義者
だから、並ばれて愛される諸葛亮も、能力はともかく忠義者だから人気があった
悪人かどうかは置いといてこの手のタイプは上司にしたくない。
128 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/18 11:25:06
129 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/18 15:05:53
何れにせよ馬稷を斬ったり、魏延の言う事も聴かなかったことで既に悪人
化している様な気がする。
130 :
:無名武将@お腹せっぷく:04/11/18 19:52:51
てかあの状態で諸葛亮は馬謖斬る必要あったのか?
何で私が悪者?・・・・
>>1が勝手に言い出しただけ。
しかも自分で「私はいい人だと思いますね」とか言う。
>>131 軍規に照らし合わせた結果が死罪だったって事なんじゃないのかな?
魏延を斬れなかったのは、諸葛亮自身が魏延の代わりを勤める事が
できないと自覚していたから、とか・・・
自分の失態は部下に押しつけるのは基本
というか、諸葛亮を失ったら国が機能しなくなる
→しかし、敗戦の責任は誰かが取らなくてはならない
→実際で前線で負けた奴が最も適任
→しかも、負けた後、「卑怯な行動」があったとのこと
→馬謖斬る
136 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/19 11:33:43
>>131 全く無い。この失敗の教訓を次の戦に繁栄出来れば問題ない。
諸葛亮は明らかに馬稷を辞めさせたかったが為に殺害したかに
思える。
魏延の殺害も失敗で(諸葛亮死後)姜維のように無駄に
北伐をし、蜀の疲弊を繰り返す人物に託すより魏延に託したほ
うがマシだったかも。
別に姜維は諸葛亮のお墨付きや遺言で昇進したわけじゃないぞ?
138 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/19 12:50:25
むしろキョウ維は蒋エンのお墨付きと遺言で出世したんだよね
馬謖の死は故事として有名だけど、いまいちハッキリしてないんだよな。
斬首以外に投獄されて獄死とか逃亡とか
眉毛を白く染めて生き延びた説
負けて、その後に逃亡や隠蔽があったことが馬ショク死罪の原因とも言うしな
結局のところは、やっぱ諸葛亮の身代わりだろうが
死罪までいったのは、馬ショクにも問題があったのだろう
>>134 なぜに魏延?魏延って諸葛亮の存命中は不満を口に出してはいたけど、
軍規違反とか敗戦なんてしてなかったと思うけど。
>>137 いや、元々諸葛亮が劉禅に推薦したり、それなりの役職につけたりしていた。
だから蒋エンとの関係は諸葛亮派閥に入った時からの関係で、
諸葛亮によって昇進した、となってもあながち間違いじゃないと思う。
ただ自分の後継者、というよりは、ポスト魏延を期待しての事じゃないかな。
って言うか、何の後ろ盾もない、降将である男が、腕一本で大将軍までいったんだぞ
お墨付きとかいってやんなよ……
>>145 じゃなくて。
魏延を切る必要性自体がなかったんだから、
斬らなかった理由なんて話が出るのがおかしい、って話だと思うよ。
>>魏延が斬られた理由なんだが
演義だと孔明の策ってことになってたけど
武侠派と知識人派の権力抗争ってのはダメ
劉備政権は旗揚げ以来の侠集団と荊州と巴蜀の知識人集団の寄り合い所帯だったし
孔明が生きてる間はまだ統制がとれてたんだけど
死後に派閥抗争がおきて粛清されてしまったという塩梅
これ以後の蜀将は姜維や夏候覇みたいな魏の降将になってしまうし
スレ違いだったら すまんコスモス
まぁ、それが真相だわな
寄り合い世帯っていっても荊州閥が群を抜いていて、政治の中枢にいる
益州閥は中堅より下か、軍部にいる(豪族の兵=国の兵だから、当然と言えば当然)
姜維は降将で後ろ盾が無く、派閥的には荊州閥に属する。つまり安全で使いやすい駒(さらに有能)
逆に魏延は先帝である劉備の子飼いともいえる将軍で、先帝崩御ともに失脚は有る程度見えていた事
そこに諸葛亮の指示があっても、なくても不思議じゃない
劉備も豪族関係なく、つかえる奴が欲しくて魏延を育ててたし、漢中を任せていたんだろうが
>以後の蜀将は姜維や夏候覇みたいな魏の降将
これはちょっと違うな。蜀将のメインは益州勢。
派閥闘争としてみると、益州勢だけど、士大夫ではなく、扱いやすい王平が漢中の後釜になってて、くさい。
その後は、姜維で、軍権握ってからは涼州の方ばかり責めてる。自分の知ってる土地だからという理由の他に、同郷の閥をせめて軍部に作りたかったのではないかと
中央でも、荊州閥の人口そのものが減って、益州人が台頭してきてて、居心地が悪かったろうし
夏侯覇は特殊。そもそも蜀将ではないわな(何回か姜維と一緒に戦ったが)。(蜀にとっても)皇族で、北伐派だったことは姜維には大きいが
>以後の蜀将は姜維や夏候覇みたいな魏の降将
これはちょっと違うな。蜀将のメインは益州勢
おぉ 確かにそのとうり
ゲームだと 後期の蜀で武力90超えてるのがこの二人ぐらいなので
ついつい柱石あつかいしてしまいました
厨房な見識でもうしわけない
でも 三国志を人間ドラマとしてでなく、政治劇として裏読みしてくとドロドロしてて鬱な感じになってしまうね
チベットで虐殺してる今の中国と重ねてしまう
>>149 ぶちゃっけて言うと、何時でも何処でも乱世なんてそんなもんだと思うけど。
諸葛亮はワガママで優柔不断かもしれない。
ラムズフェルドとどっちが悪人かな?
ラムズフェルドは悪人というより子悪党だべ
利権の事しか考えてないし
諸葛亮 昨日、三國志7で見方の漏れに雷を落として戦力を1/10に落としてくれた。
おかげでとっつまって斬首されたじゃねーか。よって悪人。
劉禅 毎月漏れのところに酒を飲みに来る。気のいいやつ。
そんな漏れは武力102・智力95・政力65・魅力52の趙統。
155 :
まろ:04/12/11 11:45:12
孔明以上の軍師が蜀にいなかったのも事実。
あの羽根のついた団扇が目障りなんだよ!!
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160 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 10:31:37
諸葛亮が死んだ時、彼の遺産は小さな家とわずかな畑しか持っていなかったそうな。
>>160 あれ?陸遜あたりもそんな話じゃなかったか?
北伐はしない訳には行かなかったとも思うけど・・。
それは置いといて
ずっと北伐をしなかったらどうなっていただろう。
蜀は肥えて魏を防ぐ事が出来た?
無理
1 肥えるにも限界がある。山に囲まれた蜀では広がりようもない。
2 蜀が肥える間に魏はもっと肥える。荒廃した中原も回復していくから。
3 天険といっても、蜀に生まれた政権は大抵攻め込まれて滅んでいる。いつかは魏か呉が攻めてきて、守りきれない時が来るだろう。
劉邦の漢は蜀に生まれて天下取った稀な政権だな
>>164 だからこそ諸葛亮も同じような方法をとろうとしたんじゃないか。
人材がいなかったというよりも、田舎だからこれから段々といなくなっていく
と読んであせった?
国政に専念して、魏の疲弊を待つことをしなかったのはそう言うことかな?
南蛮攻略の後、麻薬を栽培して魏の宮廷内に間者を使って「浸透させ」
魏の内部崩壊を画策したって・・・・。これネタですか?