【地味?】王平・馬岱系の武将を語るスレ【忠臣?】

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1 ◆f9MqJhdxlg
漏れが三国志で好きな武将も王平ですw
2無名武将@お腹せっぷく:04/06/24 22:22
無学だけどな。
3公孫3 ◆3GETuIekuQ :04/06/24 22:25
3かしら
4公孫3 ◆3GETuIekuQ :04/06/24 22:27
時に、王平・馬岱「系」の「系」ってなんでしょう?
馬体型。
プッ。KOEI準拠かwwwwwwwwwwww
王平は実は呂布より強いのだ
8無名武将@お腹せっぷく:04/07/13 02:42
張翼、張疑も加えておかんと。
9無名武将@お腹せっぷく:04/07/13 03:01
横柄って裏切ったんじゃなかったか?
忠臣とは、ほど遠いな。
それを言っちゃおしまいよ。
降将でも忠義を尽くした奴は多いぞ。

魏の張僚、張コウ、蜀のキョウイ、黄忠などなど…。
動乱期の投降なんてめずらしくもないよ。

だったら蜀の益州人士も裏切り者ばかりになるし、黄権や馬超、姜維、
ホウ悳や甘寧、潘濬、毋丘倹や諸葛誕や夏侯覇なんかも不忠者ってことになる。
age
13無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 19:06
age
14無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 20:15
活躍期が三国志中期〜末期ってところが目立たない理由なだけで、
実はかなりの名将な王平
王平って野球で例えると
「安定感のある中継ぎ」って感じでいいよな。

先発が炎上した負け試合じゃ
後半の反撃を期待させる程度に試合を作り。
先発が安定してる場合は
後ろにどっしりと備えていてなんか安心。

王平が狼狽してるシーンっほとんどなかったよーな。

王平・馬岱・廖化・張翼・張嶷
蜀漢忠義の士5人衆
>>15
なんで馬岱が入ってるの?
どうみても呉懿かケ芝になると思うぞ。

馬岱は平北将軍・陳倉侯であったこと、235年(だったはず)に魏領に侵攻した
ものの、牛金に撃破されて斬首一千の損害を出したくらいしか事績がないよ。
17無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 20:43
>>16
そもそも「忠義の士」として5人が評されたことは、演義の創作だから。
      _人人人人人人人人人人人人人人_
      >  な、 な ん だ っ て ー !!!   <
        ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
        _,,.-‐-..,,_       _,,..--v--..,_
    /     `''.v'ν Σ´        `、_,.-'""`´""ヽ
    i'   / ̄""''--i 7   | ,.イi,i,i,、 、,、 Σ          ヽ
.     !ヘ /‐- 、u.   |'     |ノ-、 ' ` `,_` | /i'i^iヘ、 ,、、   |
    |'' !゙ i.oニ'ー'〈ュニ!     iiヽ~oj.`'<_o.7 !'.__ ' ' ``_,,....、 .|
.   ,`| u       ..ゝ!     ‖  .j     (} 'o〉 `''o'ヽ |',`i
_,,..-<:::::\   (二> /      !  _`-っ  / |  7   ̄ u |i'/
. |、 \:::::\ '' /        \ '' /〃.ヽ `''⊃  , 'v>、
 !、\  \. , ̄        γ/| ̄ 〃   \二-‐' //`
19無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 20:54
張疑は史実上ではかなりの名将で、
しかも最後の死に方も忠烈だYO!
20無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 21:52
良スレの予感age
>>16
ハァ? 何言ってんの?
南蛮で大活躍しただろうが。
「げぇっ! 馬岱!」なんて言われちゃってるし。
もうちょっと勉強したほうがいいですよ。プゲラ
銭まくど、銭まくど
銭まくさかい風流せい
23無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 22:11
>>21
南蛮遠征は李恢や張疑や馬忠は活躍したが、
馬岱は活躍してないよ・・・。
24無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 22:14
>>23
ボウガチョウ
25無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 22:17
>>24
忙牙長は架空の人物なわけで。
26無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 22:23
馬岱をマンセーする>>21を晒し上げ
スレタイ見れば演義準拠で語るスレだってことすぐに分かりそうなもんなのに。
なんで正史オタってどこにでも首突っ込んでくるんだろうな。
2823:04/07/16 22:28
>>27
ごめんなさい
つうか「演義」の馬岱は地味じゃないし
すぐあやまる23タン… カワイイ!!

つーか正史オタVS演義厨の抗争でもなけりゃ
こんなスレすぐに落ちちゃうんだろうがな。
>>25
正史基準なら南蛮遠征自体が架空
32無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 22:36
反三国志では字を与えられてたな馬岱は。
33無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 22:39
ひとときの栄光age
21あたりがネタで盛り上げようとしたのに何でこうなるんだろうな
盛り上がったじゃん






あの程度のネタにしては
>>16
呉懿は外戚、ケ芝は文官ってイメージが強いからな。
37張嶷マニア:04/07/16 23:26
張嶷は西北のキョウ族及び南方蛮族を征伐しており、
越スイ郡というところは高定の反乱後無法地帯と化し、
誰も行きたがらなくなってたが、彼が赴任しそこの蛮族に心服されてる。
その時逆らった蛮族を討伐してるけど、捕らえた族長を釈放して、その後帰順させてる。

また、費イや諸葛格が非業の死を遂げることを予期し、忠告してる。
また魏の李簡が降伏を願い出てきたとき、みんな疑ったが
彼だけは間違い無いといいそのとおりだった。
そういう先見の明を持ってたことが特記されてる。

最後は持病がひどくなり起き上がるのもやっとだったが、
「このまま恩に報いる事なく病で死ぬのをつねに恐れていました。
今(李簡の寝返りにより)出陣することになりました。
たとえ我が身を殺しても恩に報います」と劉禅に言い出陣、
魏将徐質との戦いで戦死したが、味方の損害の倍以上の損害を与えた。
彼の死を聞いた蛮族達は皆涙し、彼のために廟を立てたという。
(・∀・)カコイイじゃねかYO
39張嶷マニア:04/07/16 23:41
また正史注の益部シ旧伝(陳寿著とされる)では、
 「私は彼の容貌・動作・言葉使いを観察したが、
 これといって人を驚かせるようなものはなかった。
 しかしその策略には充分見るべきものがあり、
 果敢さ壮烈さは威光をうちたてるに足るものがあった。
 臣下としては忠節の節義を有し、異民族には公正率直な風格をもち、
 行動する時は人の模範となるように心がけていたので、後主は彼を尊んだ。
 古の英雄といえども、彼よりはるかに勝っているとはいえまい」
と、絶賛している。

俺は部屋の隅っこで声を大にして言いたい・・・張嶷マンセー・・・
馬岱は西北のキョウ族及び南方蛮族を征伐しており、
越スイ郡というところは忙牙長の反乱後無法地帯と化し、
誰も彼の一騎討ちを受けたがらなくなってたが、彼が赴き孟獲に「げえっ、馬岱!」と心服されてる。
その時逆らった蛮族を討伐してるけど、捕らえた孟獲を釈放して、その後帰順させてる。

また魏延が「俺を殺せるものがあるか!」を願い出てきたとき、みんな恐れたが
彼だけは「ここにいるぞ!」といいそのとおりだった。
そういう先見の明を持ってたことが特記されてる。

最後は持病がひどくなり起き上がるのもやっとだったが、
「このまま恩に報いる事なく病で死ぬのをつねに恐れていました。
今出陣することになりました。
たとえ我が身を殺しても恩に報います」と劉禅に言い出陣、
魏将牛金との戦いで敗北したが、味方の損害の倍以上の損害を与えた。
彼の死を聞いた蛮族達は皆涙し、彼のために廟を立てたという。
しかしまぁなんだ…
この辺の劉備死後、活躍した武将が描かれてる漫画って
横光三国志以外に無いんだよな。

蒼天航路や龍狼伝とかにも登場する事は無いんだろうなぁ。
文句が言える人が羨ましい…。
42無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 02:26
地味でも皆さん頑張ってるのね。
書き込んでる皆さんもある意味お疲れです。

ある意味・・・・・。

>>40
>また魏延が「俺を殺せるものがあるか!」を願い出てきたとき、みんな恐れたが
>彼だけは「ここにいるぞ!」といいそのとおりだった。
>そういう先見の明を持ってたことが特記されてる。

それはハナから孔明の計略だったんだろ?正史じゃそうなのかな・・・。
44無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 09:01
王平と張翼と張疑のなかで誰が一番強いと思う?
>>43
正史じゃたんに馬岱が魏延を斬ったと書かれてあるだけです。
魏延の部下になったとか、孔明の策略ってのは全部演義の創作です。
関索最強説
>>43
あのさ、ここは「演義」みたいだから、まじめにかえしても意味ないと思うよ。
俺なんか、かえってきたのが

>「げぇっ! 馬岱!」

なもんだから………
まあ正史と演義が入り混じるのはこの板じゃいつものこと
耐性を持とうぜ
>>45
レスdクス
勉強にナターヨ
>>49
騙されるな!!!
なぬ
52無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 14:22
王平って討ち死にしたの?
53無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 14:25
>>52
フツーに248年に病死。
子の王訓が跡を継いだとある。
54無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 15:20
張疑が一番。ただ花が無いってだけで演技によって孔明から南蛮平定の功
績を奪われた。なんてこった。王平と張翼も悪くないけど、張疑が一番。
たしかに馬岱は「げぇっ! 馬岱!」だけど。馬超というフェイマスに
ーさんがいたせいもあるかと。猪武者とゆーイメージがあるね従兄と同様に。
そんなことより誰か関策について教えてくれ
花関策伝ではどれくらいつおいの?
何かよくわかりませんがここに張嶷の『嶷』を置いておきますね


  

               嶷
>>55
王志と互角くらい
このスレ、釣られるアフォ多すぎ
王平は街亭も然ることながら
呉懿の死後、漢中太守として約10年間も対魏最前線を守り抜いた、
これはかなり評価してもいいと思う。かなり優秀な前線指揮官。

張嶷は完璧に孔明に功を奪われてしまってるのは可哀想だな。
個人的には15年かけて異民族を平定したり費イの暗殺を懸念したり、
武人というより政治家ってイメージがあるな。

張翼は残念ながらこの2人には劣るっぽい。
なんせ見せ場らしい見せ場が無い!(泣)
姜維と共に頑張ったのは確かだが…。

んなわけで俺的には

王平≧張嶷>>張翼
60無名武将@お腹せっぷく:04/07/18 09:02
やっぱ漏れも王平が(能力的に)良いと思う
みんな地味武将(失礼)に愛をもってていいね
62無名武将@お腹せっぷく:04/07/18 09:35
カクシュンの息子名前なんだっけ?あいつ忠臣としてほめられてるよね?
霍弋
64無名武将@お腹せっぷく:04/07/18 09:48
ども。あいつの能力ってどうなのかね?
>>64
魏に降伏してから交阯、日南、九進の平定が一番の功績
66無名武将@お腹せっぷく:04/07/18 14:55
張翼って張良の子孫?
三国時代の武将でで最も多い姓>張
68無名武将@お腹せっぷく:04/07/18 19:27
>>67
数え切れないほどあるからな
張三李四…中国で大勢いる張氏や李氏の、さらに三男や四男。ありふれていることのたとえ。

だけ書いて終わろうとしてたら……。
ttp://kanso.cside.com/chyouryou-14.htm
o-
張翼株少し上昇
o- ←なぁにコレ?
精子
7371:04/07/19 02:36
>>72
やっぱりそうだったのか。ありがと。

>>73
ホントはなぁに?
まちげえた。

>>75
ホントはなぁに?
張翼の頭と兜飾り説と
張翼の首がとんでる説があります
>>75
わかったよ。
はやらせるよ。
みんな、廖化を忘れていないか?
78無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 17:51
>>77
アッ忘れてたw けどスレタイは基本的に王平・馬岱だから
でも系列は同じだと思うんだけど…




ってか、この系統の定義ってなんなんだ?w
五虎将、姜維、魏延より知名度の劣る武官じゃない?
そもそも王平・馬岱系ってどんな連中のこと?
李厳・廖化・馬忠・張翼・張嶷・呉班・霍シュン・費観あたりかな?
演義準拠だと馬岱が一歩抜きん出てる気がするし、
正史準拠だと張嶷や李厳の株が上がるし…。
>>81
ここは「演義」スレでしょうから、野暮ってものですよ。
孔明の南征・北伐あたりで活躍した武将ってことでいいか?
無論、魏延やら趙雲やらはナシで。
やっぱ蜀限定なのかな?
個人的には魏の郭淮、呉の丁奉、呂布配下の高順。
どれもこれも地味系だとは思うんだが。
85無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 22:14
丁奉ぐらいだったらいいんじゃないの?
86無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 22:37
>>79
つまり武力・知力が30以上85未満ってこったw
って事は高順はダメなのか…。

三国志9

知力68
武力86
政治48
統率89
個人的には、高順はかなり名将。
この系列には入らないかと。
陥陣営か〜
地味で忠臣っていうスレタイの条件は満たしてるけどね
901 ◆f9MqJhdxlg :04/07/21 11:15
地味で忠臣ならOKだと思われ
丁奉は地味でもないだろ
吉川三国志で孔明に
「かくかくしかじかのようにせよ。」
「○○やある。」
とか呼ばれたことがあるやつが基準を満たすはずだ。
姜維、魏延も呼ばれてた気がするけど。
でも高順にしろ王平にしろ張嶷にしろ、
初期の光栄三国志じゃへぼい能力なのに
だんだん高くなっていくのがたまらなく嬉しい。

高順 三国志2(1には登場せず)
知42武51魅60

王平 三国志1
知48武68魅22

両者共に雑魚扱いですな…ひでぇ。
李典、韓当あたりも地味系?
>>94
名将過ぎ
>>93
うわぁ
特に高順はひでぇな
97無名武将@お腹せっぷく:04/07/21 15:21
age
98無名武将@お腹せっぷく:04/07/21 15:52
やはり、吉川三国志などは
孔明の北伐中、いかに蜀軍に良将が少なかったかということを
強調するために、王平や張翼などの武将の活躍を
わざと抑えていたのでしょうか。
だから、みんなが彼らを孔明の操り人形的な印象を
受けていたのかもしれないですね。
99無名武将@お腹せっぷく:04/07/21 16:21
ギャグドラマとしてなら。
100無名武将@お腹せっぷく:04/07/21 17:16
100ゲト
張翼って姜維と一緒に死んだのか。
だとしたらすげー高齢じゃない?70は軽く超えてそう。
スレ的に楽進は微妙だな〜
三国志Tでは凡将だけどシリーズを重ねると強くなる。
正史でも演義でも名将扱いなのにイマイチ目立たない(目立つのは合肥くらい?)。
スーパー戦隊におけるグリーンの様な存在。
>スーパー戦隊におけるグリーンの様な存在。
ワラタ

>>101
うん60歳は越えてたはず。
リョウカも最後のほうは70歳超えてた。
高覧、朱霊、呂虔、張既、カクワイは該当しまつか?
>104
呂虔、張既…名前は知ってるけどどんな活躍したかは知らないなぁ。
106公孫3 ◆3GETuIekuQ :04/07/22 00:36
マイナー武将を語るだけにならず、スレタイにある
「地味」な「忠臣」を重んじればいいんではないでしょうか。

ただ、スレタイにあるのが蜀の人物名だけなので、
>>104さんに紹介していただければ。
1071 ◆f9MqJhdxlg :04/07/22 08:10
地味で忠臣ならOKだと思われ
じゃあ、フトウは?
109無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 19:02
フトウって?
110無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 19:55
大喝して吐血して逝ってしまう意味が分からないやつ。フセンの父ちゃんっぽい。
>110
調べてみた。

〜列伝〜
 カンウの仇討ち軍の第4陣として従った。
 呉将ジュンウタンの夜襲をチョウユウ、シャマカらの働きで敗走させた。しか
し、蜀軍の湿地に7百里に渡る布陣を火攻めされ、チョウホウとともにリュウビ
を守って馬鞍山まで逃れた。
 カンコウがリュウビに白帝城で体勢を立て直す事を進言した。そこでリュウビ
の後詰め申し出た。そして、呉軍に包囲されて呉将テイホウに降伏を勧められた。
「わしは漢の大将。呉の犬めに降るものか。」
と、降伏に応じず100余合するが抜けられず、
「もはやこれまで」
と叫んで血を吐いて死んだ。

忠臣と呼んでもいいと思われ。
>110
フセンも調べてみた。

〜列伝〜
 キョウイのもとにおり、魏討伐の際はリホウ、オウシンを討ち取った。
 再びキョウイが魏討伐に向かった時は、陽平関を守った。魏将ショウカイが大
軍で攻めて来ると、副将ショウジョは、
「ここは陽平関に立て篭もって守備に徹するべきかと存じます。」
と言ったが、
「敵軍は遠征で疲弊しており討って出る機会だ。」
と言ってショウジョの止めるのも聞かずに兵を率いて討って出た。ショウカイは
わざと兵を退き、それにかかって深追いをしてしまい反撃を食らった。そこで兵
を退いて陽平関に戻るが、既にショウジョは魏に降っており陽平関は陥落してい
た。大いに怒って馬を返して魏の軍勢に斬りかかっていった。
「蜀の臣と生まれたからは、死しても蜀の鬼となろう。」
と言って再び斬り込んで行った。そして無数の槍を受け、自ら首を刎ねて死んだ。

親子かどうかの記述はなかったが、
もしそうなら…親子そろって忠臣ですな。
>>112
傅僉(フセン)は傅トウ(フユウの読みもある)の子。
伝こそ立てられてないけど注で出て来る。
ちなみにその列伝はなんかおかしい。
正史の方で引かれた注によると、
傅僉は城を守ること主張したがショウジョは出撃を主張。
互いに思うとおりにすることにするが、出撃したショウジョはそのまま降伏、傅僉は戦死。
といった流れ。
ひょっとしたら演義では112のようになってるのかな?
114無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 03:28
フトウ親子かっこいー!結婚してください!
115無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 08:45
フトウって忠臣なんですね
116無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 09:11
南斗五射精 山のフトウ
親子といったら
霍峻と霍弋や蒋えん親子も好きだな
118無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 14:05
age
程畿も入れてやってくれ
傅トウって突然出てきて突然死ぬからなあ。
それをいったら傳僉だって

傳僉「よぉーし、魏軍が来やがった。やぁーーってやるぜ!」
蒋舒「じゃ、じゃあ僕がまず出撃するね」


――――

傳僉「……帰ってこねえじゃん」
122無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 15:16
このスレも盛り上がってきましたね
>120
初登場ですぐ死亡は悲しいよなぁ。
>>123
後半はともかく、中盤まではいきさつのはっきりした人物が多いから余計悲しい。

子供の頃に吉川三国志で傅トウが死ぬとこ読んで、
「ほんとの歴史ではここで趙雲が死んだんだ、傅トウはそのかわりなんだ」と思い込んでた。
125無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 20:10
126無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 20:41
糜芳とか李豊は?
1271 ◆f9MqJhdxlg :04/07/23 21:25
糜芳とか糜ジクだったらOKでは?
糜芳ってフシジンと一緒に裏切ったんじゃ?
まあ、たしかに投降しているし、裏切りではある……。
それから、傅士仁ではなく士仁が正しいと思うよ。
130無名武将@お腹せっぷく:04/07/24 00:24
凌統はダイジョブかな?
好きなんだよね、親父の悪口に泣きながら我慢するけど
結局殺してしまい、孫権に申し訳がつかないと死を覚悟して賊に突撃する
しかも勝ってしまう
正史では甘寧と仲直りしないがそっちの方がいいな
凌統はなぁ…能力的にも記録的にも申し分ないんだけど、
もうひとつ「重さ」とか「渋さ」が足りないような気がする…。
渋さか…。
凌統はどうにも若武者のイメージが抜けないのがなぁ。
どっちかというと蜀の関興張苞あたりと較べたい感じだ。
>>131
渋さは朱然の受け持ちだから
いやいや、韓当でしょ
周泰じゃない?
いいや 徐盛 できまりさ!
137蜀の牙門将 王平:04/07/24 06:28
どけい邪魔だ
138馬謖:04/07/24 08:53
断る!!!
139無名武将@お腹せっぷく:04/07/24 09:09
a
張悌も忠臣だじょ
周泰、徐盛は名将の域に行っちゃってるからなぁ…。

張悌…すんません、どんな人か俺知りませんわ。
ま、このスレの住民ならそんなとこだ
戦国だとどの辺なの?
144無名武将@お腹せっぷく:04/07/24 11:31
張悌の詳細キボンヌ
145無名武将@お腹せっぷく:04/07/24 11:33
>>144
呉の最後の丞相
最後は晋の軍に突撃して死亡
146無名武将@お腹せっぷく:04/07/24 11:48
張悌今まで知らなかったけど色々なプロフィール知って最高に好きになった!真の漢だ張悌!
呉末期の忠臣って張悌、吾ゲンあたりか

>>133
朱然は渋いっていうか、
人には真似のできない人当たりのよさ持ってる人物だっけか。
背はちっこい(160くらい?)が、愛嬌があり徳のある人物でなかったべか。
張悌の名が出たなら王累を挙げてもいいかな?
張悌>>>>>>>王累
ついに符合厨が来るほどこのスレも活性化してきたか。
よきかなよきかな。
そこで紀霊将軍ですよ。
152無名武将@お腹せっぷく:04/07/24 18:04
>>145
サンクス
李恢なんてどうでしょう?
前にもどっかに書き込んだかもしれないがその略歴。
・劉備が葭萌から引き返して劉璋を攻撃したことを聞いて劉備の勝利を確信し臣従。
・馬超を味方に引き入れる功あり。
・先主死後に起こった高定らの反乱討伐時、2倍以上の軍勢に囲まれるも策略を用いこれを大いに打ち破る。
・再び起こった南蛮の反乱を自ら討伐に赴きこれを平定。
呉質だな。
朱治…若い孫策が国を支えきれなくなった後、エン術の下へ行った孫策に従って離れなかった数少ない武将の一人(離れかった唯一の武将と記す本もあった)
156無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 10:42
孫策に恋していたんじゃないか?
157無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 20:02
 
馬忠って、上司にしたいタイプだよな。
張擬は上司にも恵まれてたとおもう。
>>158
チャーチャチャーラーチャーラー♪上司に恵まれなかったら…

徐晃(楊奉)・侯成(呂布)・陳群(劉備)・陳宮(曹操)・
法正(劉璋)

オージンジ、オージンジ♪(ホッ)
>>159
陳宮は転職先でも痛い目みてます
161無名武将@お腹せっぷく:04/07/26 12:41
派遣じゃもっと酷い上司にめぐり合う可能性のほうが大きいよ
傭兵じゃ所詮信頼されないし
162無名武将@お腹せっぷく:04/07/26 20:49
age
呂範がE。
武官としての活躍は結構凄い。
>163
俺は文官ってイメージしかないんだけど…
具体的な例を挙げてもらえるかな?
165無名武将@お腹せっぷく:04/07/28 15:33
>>163
武官としての詳細キボンヌ
曹性
夏候惇の片目ぶっこ抜き・・・カコイイ  
>166
その後ばっさりやられちゃいますがw
168無名武将@お腹せっぷく:04/07/29 12:22
 
169名無的発言者:04/07/29 12:50
諸葛亮と戦い五丈原で諸葛亮の木人形を見て逃げた司馬懿が今度は
日本を攻撃しようとした!司馬仲達曰く、「倭国を平定するために
先に遼東の公孫淵を討つべき」by魏志倭人伝
 三国志ファンに告げます!中国人はそんなに甘く在りません!
今も昔もどこまでも平和平和といいながら攻めて来る貪欲な民族です!
 関連スレッド:中国掲示板のここへ来てみて!↓
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/china/1091003397/l50

↑歴史的経緯の詳細も書いています!






170無名武将@お腹せっぷく:04/07/29 22:02
>>169
( ´,_ゝ`)プッ このスレとは関係ないよw
俺も張悌が好きだな。
「国が滅びようとしているのに
国難に殉じるものがいないのは悲しいことだ」
見たいな事いってて好きだ。
172無名武将@お腹せっぷく:04/07/30 17:09
age
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/AS IN/B00022GRJE/ga me08d-22
空白を埋められよ
174Produced by Kou Sibasaki:04/07/31 01:36
>>155
黄蓋・程普・韓当は何やってたの?
>>174
ぼ〜っとしてた
176無名武将@お腹せっぷく:04/07/31 21:46
孫策に離れなかったのは呂範と孫河だけだろ
呂範は孫策の流浪してたどり着いた袁術の部下だった。
離れなかったというよりあとでくっついた感じ。
>>177
そうそう。だから、三国志Tでは袁術配下として登場!
知力77くらいだったような……。唯一使えるありがたーい
文官様でしたなw

紀霊、武力57って地味過ぎだろ!(ry
程普だったか黄蓋は異民族平定してたんじゃなかった?
180無名武将@お腹せっぷく:04/08/01 14:54
age
181無名武将@お腹せっぷく:04/08/01 15:29
させるか!
182無名武将@お腹せっぷく:04/08/02 19:40
なんかこのスレって良スレなのかクソスレなのかよくわからない
183無名武将@お腹せっぷく:04/08/02 21:16
陳到さん大好きです。地味地味だけど、縁の下の力持ち!!
184無名武将@お腹せっぷく:04/08/04 23:50
だんだん寂れてきたなage
ネタ煽りで盛り上がった頃が懐かしい。

一瞬だったけど…。
三戦の地味キャラスレなんてみんなこんなもんよ。
思いついたらまた語れ。
187無名武将@お腹せっぷく:04/08/05 18:16
盛り上がりに期待age
三国志5で王平を大将軍にしたのは俺だけか?
呂範はどう考えても武官だけどね。
190無名武将@お腹せっぷく:04/08/07 00:38
>>188
俺にいたってはYで廖化を大将軍にしたから安心しろ
個人的に魏の朱霊が好きなんだが、誰か語ってくれんかね?
>>191
ああ〜、朱霊どんか。あいつとはちぃっとばかし面識があったが、
なかなかおもしゅれいやつだったぜ。
    ・・・・・・

まあ、まじレスは↓以下を参照ってことで勘弁してくんな。m(_ _)m
193無名武将@お腹せっぷく:04/08/08 18:20
age
194朱霊:04/08/08 18:34
「殿ぉ〜 何故それがしをそんなに疎んじるのでしょう」
変なタイミングで配下になるからだよ。
朱霊って、コーエー三國志の後半シナリオで
いつも1人で洛陽の留守番してるイメージが…

スマソ、朱霊については詳しいこと知らないです。
197公孫3 ◆3GETuIekuQ :04/08/09 00:30
朱霊って残酷な性格なんじゃなかったっけ
朱霊は残酷なのか?兵士から人気あったみたいだけど
王平・馬岱・廖化・張翼・張嶷・呉懿・傅僉・傅トウ・張悌・李恢・朱治ぐらいか地味なのは
スレにしては少ないな・・・・・・
朱霊は何で曹操に嫌われてたのかねえ?
曹操に使えることになったエピソードをみても嫌われる要素が見あたらないのに。
200無名武将@お腹せっぷく:04/08/11 17:11
200get&age
<<199
演義ではあるけどねぇ…正史はどこだろね。顔がキモかったとかw
202無名武将@お腹せっぷく:04/08/14 10:40
>>199>>201
俺こないだ姉ちゃんが買っといたアイス知らずに食ったら、あとでメチャメチャ怒られました。
204公孫3 ◆3GETuIekuQ :04/08/16 04:02
で、どうしろと…
漏れは演義しか読んでないけど、陳登が好きだ。
呂布や曹操の間を上手く縫い合わせて劉備を助ける所とか・・・(*´∀`)
あんときの快勝は孔明よりも気持ちよかったなぁ。
陳親子は忠臣という感じはしないなぁ・・・
曹操から劉備についたと思ったら結局曹操に戻ってるし
まぁその土地の有力者なんだからそこから離れたくないってのはわかるけど
ものすごく有能な人という気がするけど、
でもただひたすら徐州を守りたいだけという感じに見える。
208201:04/08/18 01:57
>>203姉ちゃんだけでなくホウ統にも裁いてもらいなさい
209ホウ統:04/08/18 22:16
>>203,>>208
「よいか、その方らはこれこれこのようにして仲直り致せ。」
210208:04/08/19 00:42
>>209なんで俺まで裁かれてんだYO!!
211209:04/08/19 10:23
>>210
いや、>>208へのお返事も兼ねてレスしただけだYO!!
212無名武将@お腹せっぷく:04/08/20 11:26
 
213無名武将@お腹せっぷく:04/08/31 20:53
 あげ
214無名武将@お腹せっぷく:04/08/31 21:01
>>206
同じ陳でも陳羣親子なら…でもここじゃスレ違い?
でも陳羣は蜀的には不忠か?
陳泰だっけな。息子は絶対に忠臣だと思う。
親の方も劉備を離れてるけど忠臣じゃないかな
功績を考えると決して陳羣は地味じゃないな。
まぁ…このスレの定義がはっきりしてないけどさ
郭攸之、高翔、呉班、満寵
満寵は派手じゃないかなぁ…
高翔ってなにしてたっけ?
満寵は魏スレでもかなり高評価だったしな。
名将具合はともかく満寵は充分地味武将の仲間に入るでしょ
スレタイの馬岱・王平あたりと比べても知名度で劣ってると思うし
高翔は馬謖がやらかした時、魏延と一緒に後始末をした・・んだっけ?
演義や吉川系の小説しか知らないなら、地味で認知度も低いだろうけど、
ゲームでも使い勝手いいから、ゲームやってれば印象も違うだろうし、
正史読んでれば有能ぶりが分るし、そこまで地味とは思えないけどな。
それでも演義補正や蜀補正の付いた馬岱や王平と同等ぐらいなのかな。
少なくとも派手じゃァないな
223無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 01:28
>>219
演義では見せ場が無いが、史実では何度も孫権の親征軍を撃破している。
官位も太尉まで昇って位人臣を極めた。
ポスト曹操世代の魏のトップ武将と言ってよい。
>>223
演義でも曹仁の輔佐の時は結構見せ場では?
>>217
高翔は魏延らと司馬懿と戦って鎧兜をいくつか持って帰ってきたはず
たしか左将軍まで逝った
徐盛とか好きだなあ
満寵すごいな…地味で忠臣、活躍アリとこのスレにもってこいだ。
徐盛は忠臣だけど地味ではないでしょ。まぁ派手は孫詔にとられけどね
227無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 02:48
満寵OKなら朱然も。
実際の呂蒙の後継でありながら、そんなに突出してない。
しかし、活躍には目を見張る。
性格も気さくであった。

つーか、呉はこういう硬派と、
甘寧、朱桓、一部の孫一族みたな電波な武将が色濃く差に現れてるな。
誰だ満寵が地味なんていう奴は・・ え、このスレの地味ってどういう定義なんかな
229無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 06:25
呂範と賀斉のゴジャースコンビもなかなか
上の方で楽進・高順・李厳あたりも地味武将として上げられてたからなぁ・・・

史実で活躍してても三国志マニア意外名前を聞いても
名前しか知らんとか即座にどんな奴かわからなきゃ該当でいいんじゃね
身近な三国志知ってる奴に「〜って武将知ってる?」と聞いてみよう
231無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 10:54
>>183
陳到は俺も魏延・黄忠と同格扱いです。
でも、俺は簡雍を丞相にしてしまう人なので…。
>>228
地味なのと功績があるのは別とかってなってそうだな
233無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 20:07
コーエー三国志で田豫が劉備に仕えていると相性値が一緒だからお得な気分だな。
234無名武将@お腹せっぷく:04/09/06 23:56
謝雄・襲起とかどうだ。マイナーすぎるぞ。初めて出てきたからどんな将なんだ?と思ってたら!









王双に斬られた、王双に斬られた う〜ん
>>234
地味と名のない雑魚は違う
236無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 20:29:34
関羽はそれから2ヶ月後に死んだ。
あの事件から2年たった今じゃ思い出す回数もずいぶんと減った。
蜀のみんなとは裏切ったのでなかなか会えていない。
最後に会ったのはもう1年も前の戦場かな。
王甫のおやっさんは忠義を貫き通して関羽に殉じた。なんとも天晴れだ。
早くも忘れられてを誰も覚えていないらしい。
廖化は蜀に戻って悔しがっている。劉封を腰抜けと言っているそうだ。
麋竺は関羽の死後オレのせいでキチガイになっちまってオメデトウというか なんというか‥‥死んだのか。
劉備ちゃんは成都で皇帝さまだ。 今でも孫権と絶不調文通中、遠距離密談というやつだ。
五通に一通はオレの首を要求するカワイイ悪魔だ。
関興は父の後を継いだらしい。
呂蒙は死んじまって呉の都督がまた変わるらしい。たぶんオレだ。
趙雲は成都で劉備を諌めている。 チョンのくせに生意気だから戦場の中で矢にでも当たって死んでほしい。
(傅)士人は刑務所ん中だ。まあ虞翻が讒言して追い落としたらしいんだが。
孔明は国の地盤固めで忙しいらしい。
虞翻は偉くなって時々オレの悪口を言ってくる非常にムカツク嫌みな野郎だ。
それともう一人牛金‥‥‥は知らん。

そしてオレは今‥‥
いろいろあって山賊を討伐している。
これからも国こそ違うが武将として働きつづけることができることになった。
賀斉がオレにあこがれるのはわかるがちょっとうっとおしい。
オレはあれから裏切りはやっていない。
‥‥でもよ、士人。オレは最近思うんだ‥‥
また 蜀に戻りてーってー‥




オレは誰でしょう?

237無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 21:09:50
>>236
馬鹿
238無名武将@お腹せっぷく:04/09/13 12:39:47
>>236
ビホウ
239無名武将@お腹せっぷく:04/09/13 22:15:31
>>236
耶律大石
240無名武将@お腹せっぷく:04/09/15 02:41:33
>>236
ユッキーか、、、
分かる人どれくらいいるんやろか。
241無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 20:32:04
題名が「地味な忠臣を語るスレ」だったらもっとこのスレ盛り上がってたかもね。
馬岱・王平って微妙すぎたかな
242無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 21:35:10
でも馬岱・王平って基準が無かったら
「こいつのどこが地味なんだ?」とか「こいつを知らないほうが潜り」
みたいな厨房の不毛なレスが延々と続くスレになってたんじゃない?
事実このスレもそうなってた時期あったし
243無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 22:42:20
その辺は>>1に書くべきであって、
テンプレから王平とか書かれててもね…
244無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 10:11:27
んじゃ、スレを立て直す?
245無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 13:35:46
いいんだよ、その微妙さ加減が
246無名武将@お腹せっぷく:04/10/01 08:38:30
そうだそうだ!!
247無名武将@お腹せっぷく:04/10/13 12:08:09
テイホーテイホーテイホーテイホーテイホーテイホーテイホーテイホーテイホーテイホーテイホーテイホーテイホーテイホーテイホーテイホーテイホー
248無名武将@お腹せっぷく:04/10/13 21:50:19
俺、凌統好きだな。
249無名武将@お腹せっぷく:04/10/14 19:07:43
250無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 15:53:13
初でやんす
劉辟なんか如何でしょう?
柴錬三国志の件は本気泣けます
251無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 22:26:44
劉辟ってあんまぱっと来ないね。
審配とかどうかな。忠臣であることは確か。
策は失敗してるけどね

>>249戦国がほとんどで三国は話せない雰囲気な罠
252無名武将@お腹せっぷく:04/10/29 00:57:32
ゾウハ
253無名武将@お腹せっぷく:04/10/29 00:58:13
この辺で孫礼とか言ってみる。
254無名武将@お腹せっぷく:04/10/29 01:11:34
 
255無名武将@お腹せっぷく:04/10/29 17:32:20
王基とかは?
256無名武将@お腹せっぷく:04/10/29 20:37:37
もうなんなんだか……
257無名武将@お腹せっぷく:04/10/30 03:48:05
俺も王基とか孫礼の詳しい事績知りたい。
教えてください、エロイ人
258無名武将@お腹せっぷく:04/10/30 10:55:00
事績もなにも、ここってどう見ても「演義」スレじゃん
259無名武将@お腹せっぷく:04/10/30 22:02:12
一応補足(演技ベース)

王基 司馬師・昭兄弟からの信頼が特に篤く、母丘倹・文欽の反乱では、的確な献策で
    乱を鎮定した。また諸葛誕の乱では、自ら寿春城に突入し、勝利を引き寄せた。
260無名武将@お腹せっぷく:04/11/12 20:54:19
つかなんだかんだ言って
王平が一番の出世頭だな
出生のそう身分高くないし
261無名武将@お腹せっぷく:04/11/23 22:27:49
王平が出世できたのは、元魏将だから
魏の地理に他の蜀将と比べて詳しかったから、
北伐時に重用された・・・と妄想してみる
262無名武将@お腹せっぷく:04/11/23 23:19:21
守勢ならその当時最強クラスの武将だからな>王平
263無名武将@お腹せっぷく:04/11/24 00:14:18
まあ、王平は字はほとんど書けなかったみたいだけどね。
264無名武将@お腹せっぷく:04/11/25 23:52:53
歩しつ だっけ、あいつ地味じゃない?
265無名武将@お腹せっぷく:04/11/26 13:53:18
孔明に打ち負かされたことくらいしか覚えてないや
266無名武将@お腹せっぷく:04/11/26 14:46:08
小説での登場は他にあるのか? 歩隲イイ!!のにな。
267無名武将@お腹せっぷく:04/11/29 18:40:21
馬忠、張翼、張嶷辺りなんて五虎なんぞよりもっと人気出ていいだろうにな
まったく演義厨は見る目がない
268無名武将@お腹せっぷく:04/12/06 01:34:39
ぐほん
269無名武将@お腹せっぷく:04/12/06 01:39:44
雲雀逃がした奴?
270無名武将@お腹せっぷく:04/12/06 01:58:18
チョウナン、フウシュウ、フトウの夷稜戦死トリオ
271無名武将@お腹せっぷく:04/12/06 17:29:06
>>270
程畿も何卒入れてやってくれ
272無名武将@お腹せっぷく:04/12/06 22:38:14
そうそう、馬氏の五常って、馬良・馬ショク以外の3人について
知ってる人いませんか?

白眉(馬良)が最も良かったとして、他の3人も馬ショク並の
知恵者だったと思われるわけだが。

馬ショクの評価は票が分かれるところだが、
他の3人が馬ショクレベルだったとすれば、
内務担当としては十分やっていけると思われるのだが・・・
273無名武将@お腹せっぷく:04/12/06 22:44:41
>>264
歩シツは驃騎将軍までいったんじゃなかったっけ?
274無名武将@お腹せっぷく:04/12/06 23:23:51
>>272

馬順
 字は伯常。
 特に際立った事跡は伝わっていないが、蜀に仕え馬良をよく補佐して過ちがなかった
 という。
 武陵郡五渓の異民族と連絡を取り、これを常々蜀に味方するように慰撫してきたのは
 本来は馬順の功績であったが、劉備の呉への復讐戦を前に死亡したため、馬良に
 引き継がれた。 

馬統
 字は仲常。
 狩猟や楽曲を好み学問を嫌ったため、才子の多い馬氏の中では評価は高くなかったが、
 軍務を司っては剛毅にして果断。
 魏に仕えて江夏太守となり、呉への侵攻の機会を常に狙い、また魏領へ侵入してきた
 甘寧や徐盛などの軍を追い返して武功を挙げた。
 曹仁の家人が略奪を働いたためこれを厳しく罰したが、その結果、曹仁との中が
 険悪になったため、軍務を離れて若くして農耕と詩作の隠遁生活に入り余生を送った。 

馬安仁
 字は叔常。
 陽気で開放的な性格で、周囲の人々に愛された。
 詩や議論、剣術を好み、荊州の文化人の間でも馬良に次いで盛名が高かった。
 仕官を望まず曹操や劉備の召し出しを断っていたが、馬順を失った馬良の頼みで
 その補佐官の地位につき、馬良が倒れたのちもその亡骸の傍らに立って、呉の兵を
 斬りまくったのち、自らの首を切って自決した。
275無名武将@お腹せっぷく:04/12/06 23:32:28
>>273
最後は陸遜の後をついで丞相にまでなってる。
276無名武将@お腹せっぷく:04/12/07 01:07:07
>>274
馬氏のうち三人は夷陵前後で死亡したのか。。。
277無名武将@お腹せっぷく:04/12/07 03:08:53
>>274
何これ? 初めて見たわ。何のネタ?
278無名武将@お腹せっぷく:04/12/07 07:08:18
>>277
荊南諸雄記の馬良たちの兄弟についての記述でしょ
279無名武将@お腹せっぷく:04/12/07 08:04:29
「荊南諸雄記」は、隋の時代に書かれた楚や荊の地方出身の殷〜隋の人物伝。
私家本であり、地方ナショナリズムで地元びいきの記述を多いため、全部を
鵜呑みにすることはできないが、馬氏の五常が全員出ている貴重な史料。
280無名武将@お腹せっぷく:04/12/08 20:20:53
へぇ〜
281無名武将@お腹せっぷく:04/12/08 23:11:49
妙に詳しい記述だな。原文読みたい。探してみようかな。
282無名武将@お腹せっぷく:04/12/09 19:48:32
楊秋は魏の衛将軍まで昇進したらしい
283無名武将@お腹せっぷく:04/12/10 02:21:49
>>282
嘘こくな。楊秋の最終官位は討寇将軍だ。
284無名武将@お腹せっぷく:04/12/10 17:32:47
285無名武将@お腹せっぷく:04/12/10 18:03:24
>>284
ツマランカッタ
286無名武将@お腹せっぷく:04/12/10 21:43:27
同上
287無名武将@お腹せっぷく:04/12/11 03:40:54
馬安仁カコイイ
288無名武将@お腹せっぷく:04/12/11 14:57:48
魏続だろ、やっぱ
289無名武将@お腹せっぷく:04/12/12 23:48:16
>>274
勉強になりました。
やっぱ5人も兄弟がいると全部が全部、劉備に仕えるって
わけではないんですね。

「荊南諸雄記」の内容を鵜呑みにすれば、
馬順・馬安仁は馬良の補佐でなく、普通に蜀に仕えていれば、
後々活躍できたかもしれんのに・・・
馬ショクに活躍(知名度向上)の場を与えてしまったんですね。



290無名武将@お腹せっぷく:04/12/13 01:31:51
>>169
ばーか。それは司馬が魏朝の兵権を掌握するために、東方に大国がある、
油断はならないと、朝廷に宣伝しただけ。
たとえて言うなら、冷戦時代にペンタゴンがソ連の脅威を過大に米議会に報告して
大きな予算を獲得してたようなものだな。
実際、司馬が倭国を大国だと宣伝したおかげで卑弥呼は親魏倭王という、
近隣では群を抜く高い地位を与えられたわけだし。
291無名武将@お腹せっぷく:04/12/14 00:28:45
司馬イと卑弥呼の出来レースです
292無名武将@お腹せっぷく:04/12/14 08:08:31
馬良が生きていれば、その後の蜀はどうなっただろうか?
293無名武将@お腹せっぷく:04/12/14 19:21:31
あまりかわらんとおもう
地味だけどこいつが生きていればと思わせるのは誰だろう?
294無名武将@お腹せっぷく:04/12/14 19:24:35
>>292
次のうちのどれかだと思う。
@諸葛亮の相談役が馬ショクではなく、馬良になり、
  街亭での馬ショクの抜擢がなかった。
A演義のように、諸葛亮の南蛮遠征中に馬良が死に、
  その後は史実の同様・・・
B馬良が長生きだった場合、諸葛亮北伐中の内務は
  ヒイ・ショウエンではなく、馬良が担うことになっていた。
 
少なくとも、馬良は軍務よりは内務・外交に才能が
あると考えられるため、それなりの重役を担うことになったはず。
295無名武将@お腹せっぷく:04/12/14 22:14:17
>>293
地味かどうかはわからんが・・・
劉備配下でなくてもよいなら、個人的には
武官なら張任、文官なら張松に期待したい。

劉備に仕えていたとしても、諸葛亮は荊州士人を優遇する傾向にあるから、
どこまで優遇されたかはわからん。

ホウ統・法正あたりはあきらかにメジャーだからなあ・・・
あとは、上のほうに出てきた馬氏の五常の残りの人。
296公孫3 ◆3GETuIekuQ :04/12/14 23:56:41
ホウ統が死なないと法正の出番はなかったんじゃなかろうか
297無名武将@お腹せっぷく:04/12/15 03:07:27
>>296
そんなことはない。

前漢創世期の蕭何・張良・韓信と同じで、肩書き・官位、威勢・名声や主君への影響力、実権の
順位はつけにくいけど、韓信・蕭何の預けられた実権は軍師の張良を凌いでいたように、
蜀漢においても、実務面・肩書き上では法正が表に出て、孔明は劉備の傍らで実権のない
「軍師将軍」として戦略立案の立場にあった。
漢中奪取前後の法正の威勢は、孔明のそれと比べても勝るとも劣らぬものがあり、ホウ統が
生きていたとしても、法正の下風に立つことになっただろう。

演義が孔明をスーパーヒーローと描いた結果、その臥龍・孔明と並び称された鳳雛・ホウ統の
存在も実像以上に大きくなっただけ。
298無名武将@お腹せっぷく:04/12/15 21:51:54
>>297
劉備が未来を覗けるとでも?
龐統は益州攻略の時、漢中戦の法正と同じ役割をしていたのだから
死ななければ益州攻略という功績のある龐統を外してほとんど実績のない法正を起用するとは思えん。
龐統が漢中戦を勝ち抜けたかどうかとは別問題。
それから諸葛亮や龐統の評価は演義以前から高いよ(漏れは過大評価だと思うが)。
299無名武将@お腹せっぷく:04/12/17 02:12:38
>>298
だからその考え方が演義厨。
演義厨が龐統の果たした役割を大きく見すぎており、「軍師としての能力は孔明・龐統がトップ」という見方に
凝り固まっているという点では、光栄パラメータ厨と言ってよいのかもw 
その論法でいけば龐統が生きていようがいまいが、法正は「実績がない」のだから、孔明を差し置いて
起用されないということになる。
実際には、劉備の益州入りに大いに貢献したからこそ法正は高く評価され、漢中奪取においても
その提言が真っ先に採用され、漢中争奪においても孔明を差し置いて軍師を務めた。

>>297が言っているのは、「諸葛亮や龐統の評価が低かった」ということではなく、
「法正は、劉備の評価において諸葛亮や龐統と同等レベルにあった」ということでしょ。


そもそも、劉備が常に諸葛亮や龐統しか起用せず、どんなに優れた才能を持ち
300299:04/12/17 02:27:43
書きかけで切れてしまった。

そもそも、劉備が常に諸葛亮や龐統しか起用せず、どんなに優れた才能を持ち素晴らしい提言をする人物がいても
その二人しか出番を与えないような人物なら、三国の一角を占めるような英雄にはなれなかっただろう。
ましてや、法正が孔明・龐統より一段下の存在ではなかったのは事実が示すとおりだし、益州奪取そのものにも
法正は貢献している。
益州侵攻時の劉備軍の参謀としての地位が、龐統>法正というイメージは>>297が指摘するとおり、
演義が作ったものでしかない。
むしろ「益州を知っている」ということで、龐統=<法正だった可能性が高い。
301無名武将@お腹せっぷく:04/12/17 21:51:12
龐統と龐徳、どっちが強いの?
    ∧_∧
   ( ´∀` )
    (     つ
    | | |
    (__)_)
302298:04/12/17 22:15:20
>>299=300
第一に諸葛亮に参謀としての実績はありません。正史をよく読みましょう。
第二に法正に実績がないというのは軍を動かすことについてです。
第三に龐統と法正が同評価なら何故、龐統を外す必要があるのでしょうか?
第四に>>300の前半は誰に対してのレスなのでしょうか?
後半への解答は2行目です。益州攻略での法正の功績は否定していません。
303無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 05:20:26
正直なところ、諸葛亮・ホウ統・法正の3人が健在なら、
そのうち一人は荊州にまわされてたと思うよ。
たとえば、荊州:ホウ統、益州内務:諸葛亮、益州軍事:法正 みたいに。

誰か一人が荊州にいたところで、関羽の暴走を止めることは
できなかっただろうが、暴走中の荊州防衛はできたかもしれん。
そう考えると、ホウ統・法正二人の早死には悔やまれるところ。

参謀に適した人材のトップ二人だからね。
夷陵での馬良等は明らかに参謀役の不足からきてると思われる。
304299:04/12/18 09:30:49
>>298=>>302

> 第一に諸葛亮に参謀としての実績はありません。正史をよく読みましょう。
  「参謀」の定義とは?
  戦場にあって戦術レベルの助言をするのも参謀だが、本国の統合参謀本部にあって
  戦略立案、兵站、外交を行うのも、現代の軍事制度においても「参謀」。
  だとしたら諸葛孔明も参謀ですよ(まあ本筋の争点に関係ないのでどうでもいいが)。

> 第二に法正に実績がないというのは軍を動かすことについてです。
  劉備軍が益州入りした際に、これに参謀として同行していたのだから十分「軍を動かした」実績があると言える。
  直接軍勢の指揮をしないと実績があると言えないというのであれば、龐統だって実際に軍勢を指揮していた可能性は低く、
  流れ矢で戦死したのだって単なる視察や督戦のため前線に出て行った結果と言える(流れ矢に関して言えば、
  正史に出ている漢中での法正の矢のエピソードは、法正が前線慣れしていることを示している)。
  また正史にあるとおり、益州平定後に揚武将軍となり作戦立案を任されたのも、法正が軍事にも優れており、
  それを劉備が認めた結果と推測できる。
  「龐統が軍事に実績がある」というのは演義の中の話だけで、正史は何も示していません。
  
305299:04/12/18 09:56:57
> 第三に龐統と法正が同評価なら何故、龐統を外す必要があるのでしょうか?
  あなたの「龐統を外してほとんど実績のない法正を起用するとは思えん」に対して反論しているだけ。
  あなたの主張の「龐統が実績がある」というのは演義の中の話だし、「法正に実績がない」というのは、正史には益州入りに
  際して法正が何をしていたのか詳しい記述がないだけのこと。
  お互い推測をベースに話しているわけだが、正史において法正が益州平定後に論功賞として揚武将軍となり、作戦立案を
  任されたことから、益州奪取において(特に軍事面)法正が「実績がない」というのは明確に否定できる。
  その後の漢中占領の提言と作戦立案を法正が行っていることからも、諸葛亮が内政外交面での第一人者であったように、
  法正が軍事面における第一人者であったことは明らか。
  ちなみに「龐統を外す」なんて、どこかに書いてますか?

>第四に>>300の前半は誰に対してのレスなのでしょうか? 後半への解答は2行目です。益州攻略での法正の功績は否定していません。
  >>298の2〜3行目への回答。
  益州攻略において法正の「実績」は上に書いたとおり。 そしてその後の漢中戦においても、法正の能力は明らか。
  また、諸葛亮ですら、法正の実力・実績をはばかっていたことや、劉備の荊州再侵攻失敗の際の「法正がいたら・・」
  (「龐統がいたら・・」ではないところもポイント)といった言葉からも、法正の軍事能力は証明されている。
  そして龐統の能力・実績を示すものは、正史にはほとんどなく演義にある。
  その法正を「実績がない」といって、特に証明されていない「実績」を根拠に「龐統が上だ」と主張している
  >>298の2〜3行目は明らかにおかしい。
  だから、劉備がわざわざその法正をおさえて、常に龐統を起用することなどありえないと>>300で書いたまでのこと。
  諸葛亮・龐統が常にトップであり続けるのは、演義と光栄のパラメータの中だけでのこと。

「正史をよく読みましょう」とか言っているわりには、演義の孔明に合わせて龐統の人物像を大きくした過大評価の
イメージに引きずられすぎだよ。
306無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 10:35:26
入蜀の時って法正はいつから劉備の傍にいたの?
307無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 10:51:01
>>306
曹操の漢中進軍時に劉備に撃退させるために、
法正を使者として劉備に遣わされた。

そのときに益州奪取を進言し、葭萌関攻略〜益州奪取までの間、
劉備の参謀(道案内)役をしていたと思う。
308無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 18:21:08
>>296-307

スレタイ見ろや!
ここは?統とか法正とか語る場所じゃねえ!
蜀志でいけば、
 × 蜀志巻一(劉焉・劉璋)
 × 蜀志巻六(関羽・張飛・馬超・黄忠・趙雲)
 × 蜀志巻七(?統・法正)
 △ 蜀志巻八(許靖・麋竺・孫乾・簡雍・伊籍・秦?)
 △ 蜀志巻九(董和・劉巴・馬良・陳震・董允・呂乂)
 ○ 蜀志巻十(劉封・彭?・廖立・李厳・劉?・魏延・楊儀)
 ○ 蜀志巻十一(霍峻・王連・向朗・張裔・楊洪・費詩)
 ○ 蜀志巻十二(杜微・周羣・杜瓊・許慈・孟光・来敏・李?・?周・郤正)
 △ 蜀志巻十三(黄権・李恢・呂凱・馬忠・王平・張嶷)
 × 蜀志巻十四(??・費?・姜維)
 △ 蜀志巻十五(ケ芝・張翼・宗預・楊戯)
とか、あるいは伝を立てて貰えなかった呉懿・呉班・呉蘭・雷銅のような
奴を書くところだろ!
309無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 18:30:41
>>308
仕切るのはいいが、お前がまずネタ出し程度でいいから
それらの人物について語れ。

今の流れに文句をいうなら、まずお前が実践してからだ。
310無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 18:41:57
>>306,>>307
法正の軍事面における能力からみて、劉備の入蜀における功績は、たとえホウ統が生きていたとしても
勝ることはあっても劣ることはないだろうね。
ホウ統自身は正史にのこる事跡からみても、孔明と同じで大きな戦略方針を立てることはできても、
実際の軍事の指揮はムリっぽいし、軍事的な才能が法正が同等にあったとしても、地理的な条件や
劉璋軍の武将をよく知る法正のほうが有利。
流れ矢ごときで死亡したちょっとお間抜けなホウ統よりは、雨のように降ってくる矢の中でも
平然としている法正のほうがかっこいい。

ちなみに、法正は粘着質なちょっと暗めの性格からもオタクっぽい。
内政・外交・軍事に万能で有能なオタクだ。
311無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 18:44:21
オタクで引きこもりで友達居ないのは孔明。
ホウ統は荊州の名士で親交も広く、友達も沢山居た。
憶測で物を言うのはよせ。というと同時に、板違いだ貴様らー>306.307.310
312無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 18:45:23
>309
わざわざ目次持ってきてるんだ、十分だと思うが。
メジャーな人物を比較するという愚行に汚染されて苦々しく思っていたとこだし。


演義厨とか言いたいだけだろうし。
313無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 18:47:08
漢中攻略のように、その後の益州方面からの北上は
おそらく法正が担当することになっただろう。
同様にホウ統は、荊州方面からの北上を担当することに
なったと思われる。
ちなみに諸葛亮は内務を担当。

3人いるなら、こんな感じじゃないかなあ。
314無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 18:47:40
>>311
じゃあ、蜀の隠れた名将楊懐・高沛を語ってくれ
315無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 18:49:35
>>312
目次を出したら、語ったことになるって
面白い人ですね。
316無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 18:52:37
>>311
でも法正は性格悪いよね。
諸葛亮も好き嫌いは激しいが、嫌いなやつを
殺すとこまではいってない。
317無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 18:55:10
>>311
ホウ統がオタなどとは、誰も言ってないが?
318無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 18:56:10
>>311
孔明が付き合う相手を一流の人物に厳選していたのに対して、
龐統の友人は陸勣・顧劭・全jといった、このスレにふさわしい
レベルの相手ばっかりw
319無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 18:59:51
楊懐:劉ショウに劉備の危険性を散々説くが聞き入れられず。
劉備の叛乱が露見した際、殺そうと企み、折を見て劉備愛用のドスを見せてもらおうとする。
しかし、それがよりによって三兄弟の義兄弟の証だったため、
「お前如きが私と兄弟の間を引き裂こうとするか」と罵倒された上斬り殺された。

高沛:上に同じ。

劉ショウから命があったにも関わらず、兵を引き連れる事も無く、
自分3人達だけで劉備を殺す事に拘った。
これは、手柄を立てようと先走った行動と考えられる。
なので、俺敵にはこの2人と劉偉の三人は匹夫の勇に認定。
320無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 19:03:29
法正vs龐統論争は、法正がやや優勢ってことでオシマイ!

そろそろ、スレタイにふさわしい人物に話を戻そう。
ビジネスのみの兄貴と違って、ビジネスに内政、外交、軍事と万能選手の麋芳が
俺は好きだなあ。
裏切らずに蜀に残っていれば、その功績からも車騎将軍ぐらいにはなれたと思うんだが?

>>319
劉偉って誰よ?
劉偉強(アンドリュー・ラウ)のこと?
321319:04/12/18 19:06:37
示韋 だな。
322無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 19:07:56
>>318
> 孔明が付き合う相手を一流の人物に厳選していたのに
チョット待て。徐庶は演義を含めればいいが崔州平、石韜、孟建が
陸勣・顧劭・全jよりも上だというのか?
323無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 19:13:27
>>320
関羽という上司との関係と、麋芳自身の気位の高さ。
この2つのうちどちらかが何とかならん限りあの結末は避けられんかと。
上司が気に入らないからって職務怠慢はちょっとねぇ。
能力があっただけに惜しい。
324無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 19:20:36
>>322
孟建・崔州平・石韜は、どっちかといえばいわゆる清流の流れを汲む人たちで、
勉学に勤めそれを世の中の役に立てよう、それがかなわぬなら身を隠し晴耕雨読の
日々を送ろうって感じかな。
ちなみに孟建はその優れた善政ぶりが魏国内でもなり響き、後に征東将軍にまで
登っている。
陸勣・顧劭・全jは、陸氏・顧氏・全氏という呉の有力豪族のボンボン。
孔明ならバカにして付き合わないタイプだろうね。
325無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 19:25:40
>>324
龐統が付き合う相手、褒める相手を選ばなかったのは、
「こんなクソッタレな世の中だから、どんな人間にだってやる気を出してもらわないと」
という理由から、と書かれてるはず。あと、板違い。カエレw
326無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 19:31:15
>>323
でも、その責任の一端は関羽の傲慢ぶりにある。
徐州を呂布から奪回後に、曹操から彭城という戦略的重要拠点の相(太守)に任じられているし、
劉備からも南郡という重要拠点を任された。
ほんと惜しいよなあ・・・
327無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 19:32:05
>>323
そういえば正史読んでて気になったんだけど、
麋芳に軍資の供給以外に何を期待してたんだ?
328無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 19:38:28
>>326
どうかなぁ。
確かに関羽は傲慢だった。だが、正史やらの記述によると、
麋芳との関係については、関羽が麋芳に対して士大夫扱いしなかった為。
いや、他にも色々やったけどな。手柄を取り上げたりとか。
しかし、上司の関羽が部下の麋芳に対して謙ると、上下関係がおかしくなるのも事実。
あそこは、
関羽は現実を見て麋芳を立ててやり、
麋芳は慎んで関羽に臣下の礼を受けるべき所じゃなかったのかなぁ。
・・・やはり関羽が先にモーションかけないとダメかorz
329無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 19:38:54
>>322
崔州平って「銅臭がする」いわれた崔烈の子だったよーな…
330無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 19:45:06
>>327
「軍需物資を供給する『だけ』で全力支援はしなかった」ってことを
指しているのかい?
関羽は呉を軽く見ていたので、呉に備えて荊州の重要拠点南郡を守っている
守備軍を削減し、「さっさと俺の北進軍に投入しやがれ」と考えていたんだろうね。

そういう関羽の状況判断の甘さが敗北と死を招いた。
呉を警戒して兵を送らなかった麋芳の判断は正しい。
それを個人的な恨みとかにかこつけて正史や演義に書かれてしまったのは、
やはり呉に降伏してしまったことで関羽軍の生き残りに悪く言われてしまったのが、
歴史に残ってしまったのだろう。
(゜дÅ)麋芳かわいそう・・・
331無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 19:45:20
>>326でも書かれているように、拠点防衛統治能力に麋芳は長けていたのよ。
留守居役として適任なのは、曹操、劉備、そして、
あれだけいがみ合ってた関羽が留守居を任せたので明白な訳で。
まぁ、劉備も関羽に荊州の守りを期待してたんだから、
みだりに打って出ようとする関羽を麋芳が止めるのは当然だよね。
関羽自身、襄陽攻めの時、「ああ、ワシは耄碌した。生きて帰れないだろう」
と言ってるくらいだし。
332無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 19:51:46
>>328
上下関係は違うんじゃないか?
官位は関羽が若干上だが、ああいう場合は上官・部下というのとは違うでしょ。
地方方面軍の最高指揮官だが、麋芳は現地の重要拠点の太守。
たとえば、征x軍が組織され中央からその軍が派遣されてきたときに、
その地方の太守たちが兵站や補給の任務を与えられるのと同じ。
だからこそ、関羽があたかも上官のように振舞うことに不快感を感じたのだろう。
333無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 20:00:02
(゚∀゚)麋芳の株上昇中!だね

そういえば、「電車男」などより優れた三戦板が生んだ隠れた名作「趙範 兄嫁日記」でも地味系の男たちが渋く描かれていたが、麋芳も

> その弟・糜芳は、兄を助けて糜一族の商売を取り仕切る家宰であり大番頭ともいうべき立場にあったが、まだ無名に近い
> 劉備にいち早く目をつけ、劉備に投資するように兄に進言した。
> 放浪する身になっても、各国の豪族や有力者、武侠たちとの間に商売で築き上げた人脈を駆使して、行く先々で劉備が
> 困窮することがないように手配し、常に劉備の動向が天下に鳴り響くように策をめぐらした。
> 糜芳のあの周旋の才がなければ、劉備は野垂れ死にするか盗賊に身を落とすか、どこかの大勢力に吸収されていただろう。

と描かれていた。
>>1に代わってオシオキよ」さん、兄嫁日記を復活させてくれないかなあ・・・
334無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 20:10:26
>>333
「趙範 兄嫁日記」って、あのエロシーン満載のやつ?
あのフランス書院ばりのエロシーンと裏腹に、三国志の登場人物たちがメチャ渋く
書き込まれていてよかったよなあ。
なんてったって主人公が鮑隆・陳応、準主役が趙範・趙雲だもんなあ。
劉備軍の面々も、ひとりひとり人物が細かく書き込まれていて感動ものでした。
俺も復活を願う一人。
別の三国系サイトの掲示板で見たが、確か著者は大阪でシステムエンジニア
やっている人だとか。
335無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 20:11:15
>>332
ああ、そういう考え方も有るか。
総司令官は関羽だが、任地の責任者に協力を仰ぐため全力を注がなくてどうする。
確かにそうだなぁ。
麋芳の件に関しては関羽の方に非が有るか。
士大夫とか生まれに拘っていたのはむしろ関羽なのかもなぁ。
336無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 20:14:43
>>334
主人公が鮑隆・陳応って、どんな小説だよ....
それこそ、地味系どころかお笑い系じゃん
337333:04/12/18 20:28:12
こういう小説↓ まじめなところ
> 「それに続く者はだれかな。おまえはどう思う?」龐統が孔明を試すように問うた。
> 「文では向朗、陳震、馬謖。武では黄忠、霍峻、ケ方、輔匡というところだな」
> 「ふうむ?馬謖はどうだろう。俺は好かんな。その他は俺も異存はないが、俺なら文では廖立、武では魏延を加えたい」
> 龐統は足を机の上に上げ、いよいよだらしがない。その態度も清潔好きで礼儀にうるさい孔明を不愉快にさせる。
> 「好き嫌いではない。才能を評価しているのだぞ」孔明はイライラして、少し声を荒げた。
> 「そうかなあ。おまえの評価こそ、好き嫌いが入っているように思えるよ」
> この龐統の言葉に孔明が反論しようとしたが、龐統がニヤッと笑って見せたのでムキになるのも馬鹿らしくなって口をつぐんだ。
> 「しかしまあ、これだけ人が集まったのはめでたいことだ。なにせ殿は曹操に追われて敗走しただけで、実際に曹操軍と
> 戦ったのは周瑜なのだからなあ」
> 「しかし、周瑜が南郡太守として江陵に留まっているのは、我々にとって脅威だ。荊州の中心は襄陽と江陵だ。その襄陽
> には曹操軍、江陵には孫権軍がいては、我々の影が薄くなってしまう」
> 「それは考え様だな。俺はむしろ我々にとって良かったと思っている。赤壁では敗れたとはいえ、それは荊州を占領して
> 手に入れた水軍だけで、曹操軍そのものに痛撃を与えたとはいえない。我が軍を叩き潰そうと思えば、いくらでも可能
> だったはずだ。それができなかったのは、周瑜が我が軍と曹操軍の間に入り込んでいるせいだ。周瑜が曹操軍の重圧を
> 一手に引き受けてくれたおかげで、のんびり四郡を占領することもできたのだからな」
> 「うむ、それは確かだ。だが、今となっては目障りだ。今なら我が軍だけでも曹操の荊州方面軍と戦える。正式な荊州牧は
> 劉g殿なのだから江陵だけでも取り戻したい。周瑜はこのまま川を遡って蜀に入り、曹操と天下を二分して争うつもりだ。
> そうなっては我々は出番のないまま、この荊州の片隅で朽ち果てねばならぬ」
338333:04/12/18 20:31:31
そして、ふまじめなところw
> 「ああ、お止めになって・・・お止めになってくださいまし」行為には淡白だった前夫と、その逆に粗暴で女を喜ばせることも知らない
> 陳応からは感じたこともない快感が身体の芯からわきあがってくるのを、東蘭は朦朧とした意識の中で感じた。
> 鮑隆は東蘭の着物を腰まで捲り上げると、そのそそり立った肉棒を東蘭の中に押し込んだ。深く浅く突き込む鮑隆の技に東蘭は悲鳴とも
> 悦びの声ともつかない叫びをあげた。東蘭の意思に反して足は開き、その太ももには汁がしたたっていく。
> 「ほ、鮑さん・・・。お願いだから・・・お願いだから・・・や、やめ・・」
> 「姐さん、あなたの中は温かい。いや熱いぐらいだ。ぎゅっと締め付けてくる。まるで悦んでいるようですよ」
> 「そ、そんな・・違・・・・、ああっ!」
> 鮑隆の指が東蘭の最も敏感な部分を摘み上げると、たまらず東蘭は声をあげた。
> 「ほらほら、そんな声を出すとお義母上が目を覚ましますよ。これを噛みなさい」鮑隆は腰帯を東蘭の口に押し込んだ。東蘭は普段の
> 貞淑な様子が嘘であるかのように、よだれを流しながら腰帯を食いしばる。
> 東蘭の姿勢はだんだん低くなっていき、腰を鮑隆に向けて押し出すように構えた。もはや東蘭の身体は雌犬のように男を迎え入れる体勢になっている。
> 「う、う・・・」鮑隆が突き入れるのにあわせて、東蘭はうめき声を挙げ、東蘭も次第にそれに合わせるかのように動き始めた。腰が
> 鮑隆のそれを迎え入れるかのように突き上げるて来るのだ。
> 「姐さん、これで私は本当の意味で陳応の兄貴と兄弟になれますよ」鮑隆は東蘭の耳にささやきかけると、女の顔を振り向かせ、腰帯を
> 引き抜いてその唇を吸い、舌を絡ませた。東蘭も夢中で吸い付いてくる。
> 鮑隆は頂点が近づいてくるのを感じた。
> 「行くぞ」うめくようにそう言うと、鮑隆は熱いものを東蘭の中に放った。ゆっくり引き抜くと女は床に崩れ落ちた。それを見下ろしながら
> 鮑隆は濡れたものを東蘭の前に突き出し、頭を掴んで近づけた。
339無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 20:36:22
うひゃー( ̄▽ ̄*;)

>>335
張飛は士大夫にペコペコしたし、関羽は逆にそういう人を辱めた
どっちも現れ方が違うだけで、コンプレックスがあったのは間違いない
340無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 22:19:49
18禁?
その小説のこと、もっと教えて〜
341無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 22:31:04
にくちゃんねるで趙範or兄嫁で探してみやがれ
342無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 22:42:55
2002年10月に「趙範」というコテハンの>>1が「趙雲と兄嫁 by 趙範妄想日記」という
スレを立て、そのままクソスレとして消えるかと思われたところ、「>>1に代わってオシオキよ」
というコテハンの人物が現れ、「連載」し始めたのがこの小説。
熱い人間ドラマと濃厚なエロシーンに熱烈なファンがつき、荒らされないようにsage進行で
ひそやかに続けられた。
荊州四郡を占領直後の劉備軍を舞台に、野心まんまんの陳応と鮑隆、兄嫁への想いに苦しむ
趙範、その兄嫁に想いをよせる趙雲、そしてそれを盛り上げる渋いマイナーな地味キャラや、
一味違うメジャーキャラたちを交えた18禁人間ドラマが描かれた。
龐統の操る刺客として武侠の范彊、趙範軍の兵士として張達が登場し、呉の介入で
荊州四郡の雲行きが怪しくなってきたところで、作者の仕事が忙しくなり断筆になった名作。
343無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 22:50:57
>>342
別の掲示板で、たしかどこか別の場所でひっそり続きが書かれているという話を
聞いたなー
344無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 22:59:03
韓玄と趙範と金旋と劉度、だれが一番強いの?

    ∧_∧
   ( ´∀` )
    (     つ
    | | |
    (__)_)

345無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 23:00:26
韓玄。黄忠・魏延を従えてるから。
346無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 23:00:27
>>344
その4人の中で劉備にその後も仕えたのは、劉度だっけ?
347無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 23:59:04
>>344
個人的な武勇なら金旋
あの漢の忠臣金禕も彼の武勇を引き継いだに違いない!
348無名武将@お腹せっぷく:04/12/19 09:48:55
>>347
正史のうえで明確で殺されているのは金旋だけだよねえ。
なぜだろう?
349無名武将@お腹せっぷく:04/12/19 10:02:51
魏で地味だけど堅実な中堅といえば、李通・臧霸・文聘・呂虔・王忠・牛金・朱霊・
孫観・史渙・張繡・楊秋かな。
牛金なんて、そのダサい名前の割には司馬懿に「司馬氏を滅ぼすのは牛氏である」と
恐れられて毒殺されたって説がのこっているぐらい派手なエピソード(晋書元帝紀)が
残っているぐらいだもんなあ。
ほかの人も正史には載っていない、すごいエピソードがあるんだろうね。
350無名武将@お腹せっぷく:04/12/19 10:20:32
臧霸は高位に昇ってるし、青州兵まかされて指揮してたくらいだから中堅クラス
じゃ無くてもっと上のクラスじゃないかな?
351無名武将@お腹せっぷく:04/12/19 11:37:26
>>350
>>349の例にあがっているメンバーで高位に上ったものはいくらでもいるが、
演義や小説、ゲームなどのせいで地味に目立たない、という位置づけなんでしょう
352無名武将@お腹せっぷく:04/12/20 01:23:14
>>349
へー、正式な史書のうえでは牛金って司馬チューに殺されたことになっているのか
353無名武将@お腹せっぷく:04/12/20 01:33:49
李通って正史だとすごいんだよね?

    ∧_∧
   ( ´∀` )
    (     つ
    | | |
    (__)_)

354無名武将@お腹せっぷく:04/12/20 02:32:25
>>353
他の武将のように曹操子飼いまたは、漢やほかの武将の部下から転身ではなく、
武侠・任侠あがりでもともと自立した存在だったからね。
武侠だからこそ、一度決めた君主は絶対裏切らない硬い忠誠心があり、当時
曹操より優勢だった袁紹から何度も誘いがあっても断った。
その性格は同じ武侠あがり許褚とも似ているけど、一軍を率いて常に最前線の
指揮官であったことからも、武将としての能力は武芸・腕力といった
個人的な戦闘力を除けば、許褚よりは上といってもいい。
355無名武将@お腹せっぷく:04/12/20 14:07:36
>>354
李通は江陵救援戦で、馬を下りて自ら柵をぶっこ抜いて敵陣に切り込み、「勇冠諸将」と評された男。
個人的な戦闘力も許チョには劣らんかもしれんと宣伝しとく。
356無名武将@お腹せっぷく:04/12/20 16:42:39
曹純は虎豹騎の大将っつうけど、兄貴と比べるとマイナーだよな。早死にしてるし。
357無名武将@お腹せっぷく:04/12/20 18:29:09
>>355
その時、李通が破ったのは別働隊を率いていた関羽かな?
358無名武将@お腹せっぷく:04/12/20 19:13:58
>>354-357からわかる李通の能力値

統 93
武 90
知 72
政 68
魅 78
359無名武将@お腹せっぷく:04/12/20 19:19:38
73/90/52/64って所だろ。
統率力に関する記述は無いし、特に智謀があったわけでもない。
才というよりは忠。名将というよりは猛将。
360無名武将@お腹せっぷく:04/12/20 19:22:53
どうせちんぽとまんこだし
361無名武将@お腹せっぷく:04/12/20 19:35:00
曹丕なら分かるが、曹操に妙に毛嫌いされてる朱霊
その割に出世してるし、良くわからん奴だ
362無名武将@お腹せっぷく:04/12/20 20:00:04
>>361
そのくせ太祖廟には合祀されてるんだよな。
363無名武将@お腹せっぷく:04/12/21 01:21:57
>>359
正史嫁!
李通は>>353が書いている通り、ほかの勢力の家臣から転身した人物ではなく、自立した勢力を
率いており、正史版ゲームがあれば小君主として登場しても問題ない存在。
独立勢力を維持するだけの政治力があり、また武将としては決断力や敵を欺く策略も備えていた。
また、ひとたび曹操に臣従するや、法を遵守し、揺るがぬ忠誠心を示した。
年齢が若いため、功績の割には官位・階級はそんなには進まず、これから国家の元勲として
躍進しようという壮年期に四十二歳の若さで亡くなったが、生きていればその功績からも
能力からも、かなりの高位に上っただろうと推測されている。

>>361,>>362
イヤだけど認めざるを得ないぐらいに実力があったんだろうね。
太祖廟に合祀された人物の中で唯一正史に伝が立てられていないことや、理由は不明だが
曹操に憎まれつつも、立身出世していったことといい、謎の多い人物だよなあ・・・
364無名武将@お腹せっぷく:04/12/21 01:32:09
>>363
張遼・楽進・于禁・張郃・徐晃の5人のうち、曹操の生前に前・後・左・右の
将軍位までのぼったのは、子飼いの楽進と盟友鮑信の部下だった于禁だけです。
残りの3人がそこまでは昇進したのは曹丕の時代。
やはり、最初から味方だった楽進・于禁ともともとは敵の部将だった張遼・張郃・
徐晃では扱いに差があるのでしょうね。
そして、朱霊もまた袁紹の旧臣。
そのあたりに、曹操に憎まれた遠因があるのでは...
365359:04/12/21 01:44:55
>>363
 正史読んだって。
ただ正史の記述からは土着の豪族や侠の親分以上の評価を見出すのは難しい。
豪傑だが。
あえて人物を比較するなら、張燕や張繍等と同じ類だろう。
忠義だが。
袁家の影響力の大きい汝南を曹操の下で治めた事は大したものだ。
李通が天下分け目の大戦での功績どころか大功を挙げた事など無い。
場を与えられなかったから、というならそんな人物は腐るほどいる。
統率93というのは魏の5将やら主だった名将より上だ。彼らと功績を比べてどうか。
 策略にしても、欺いた相手は小人物ばかり。他の知者と比べるのはどうか。
知力72って魏延とか夏候兄弟より上で、張郃や徐晃並み。
総じて358は過大評価。359の数値が低いというなら修正してくれい。
366359:04/12/21 02:39:01
ちなみに73は張ギョク、賀斉よりは下と言う意味合いであって数値的な意味は無い。
上の二人の能力が光栄じゃ低いからなぁ。
367無名武将@お腹せっぷく:04/12/21 02:51:26
>>364
朱霊は降将じゃない。
袁紹から陶謙攻めの援軍に派遣されて、
「こんな人に仕えたい」と言って、そのまま曹操のもとに居付いちゃった男。
仕官経緯と仕官時期から言えば、曹操子飼いと言っても良いぐらいの古株。
368無名武将@お腹せっぷく:04/12/21 07:47:30

  王忠  >>>>>> 朱霊
369無名武将@お腹せっぷく:04/12/21 21:06:30
徐州時代の劉備にやられてるようでは3流だろ
370無名武将@お腹せっぷく:04/12/21 22:36:34
>>365
>袁家の影響力の大きい汝南を曹操の下で治めた事は大したものだ。
にしては、政治低すぎない?
地方豪族の懐柔とか、かなり難しい仕事だよ。
371365:04/12/21 22:44:21
>>370
確かに叛乱者を懐柔しているのは凄いんだけど。
結局叛乱の勃発は続いてるんだよね。そこらで減点しました。
張ギョクとかは生きている間は叛乱起きなかったしね。
372無名武将@お腹せっぷく:04/12/22 02:04:34
>>371
>張ギョクとかは生きている間は叛乱起きなかったしね。

おいおい、バカげたこと言うなよ・・・
汝南のような中原に近い開けた土地の凶悪な賊徒と、一度手なずければ(その人に対しては)
柔順な異民族とを同一に扱ってどうするんだ。
373無名武将@お腹せっぷく:04/12/22 02:56:22
> 一度手なずければ(その人に対しては)柔順な異民族とを同一に扱ってどうするんだ。
そんなことはない

そもそも二人の比較に無理を感じるが異民族の懐柔の方が難しいと考えるのが普通だろ
374無名武将@お腹せっぷく:04/12/22 06:38:31
>>373
どっちも別の種類の能力が必要だって

比べる性質の物じゃない。
中原はコネやツテを使った押さえ込みが有効だし
異民族に関しては、その習慣風俗に沿った対応が必要だし。

間違いないのは、どちらも細やかな気遣いができないと成功しないって事。
375365:04/12/22 16:26:12
ですな。
政治とは気遣いと首切りだとわしは思っております。
376無名武将@お腹せっぷく:04/12/23 10:23:23
名門 袁家で地味と言えば、袁紹次男の袁煕と袁術の甥の袁胤かな?
377無名武将@お腹せっぷく:04/12/23 11:04:32
袁隗とか
378無名武将@お腹せっぷく:04/12/23 11:37:29
袁紹の一族で部将の袁朗とか袁桓とか袁蒙とか袁嵩とか袁程も地味だな
379無名武将@お腹せっぷく:04/12/23 16:42:25
袁紹の子どもたちで一番強かったのは誰かな?

    ∧_∧
   ( ´∀` )
    (     つ
    | | |
    (__)_)
380無名武将@お腹せっぷく:04/12/23 19:04:17
あえて甥の高幹を推してみよう。
381無名武将@お腹せっぷく:04/12/23 21:56:15
同じく高幹を推すかのう。
382無名武将@お腹せっぷく:04/12/23 22:08:08
んじゃ、未開の地まで逃げた袁譚を推そうか
383無名武将@お腹せっぷく:04/12/23 23:22:47
美人の嫁がいた袁煕が、男としてはNo.1
384無名武将@お腹せっぷく:04/12/23 23:41:24
ぐほん
385無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 00:19:48
黄祖も、何度も敗北しつつも長年にわたって江夏を死守してきたその実績を
考えれば、そこそこ評価されていい人物。
386無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 00:35:48
>>385
でいこうや孫堅を殺し、甘寧を部下に持っていた男。
なかなかキャラは立ってるよな。
387無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 00:46:14
アクが強いから評価のし難い人物でも有る…>黄祖
388無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 01:03:59
黄祖、諸葛亮の妻と同族なんじゃないかな
389無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 01:36:46
>>388
黄承彦さんは襄陽の人だから土地が違うかなぁ。演義だと夷陵だけど。
(黄祖は江夏太守なので、江夏の黄姓の血筋の可能性の方が…)
奥さんは正史には出てなかったりする(その注釈に記述が有る)

 同族でいくと、一説では郭嘉・郭図・郭援が頴川の人で同族だという。
これが真実なら官渡は郭一族の壮大な兄弟喧嘩とも…嫌な図だ。
390無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 02:31:14
過去レスに出ていた趙範日記だと、黄忠と黄祖が同族ってことになっているね。

>長沙もあっけなく降った。守将の黄忠が劉備に降る意を示したため、太守の韓玄の意思に関係なく民衆が城門を
>開いてしまったらしい。黄忠は荊州の名将、今はなき黄祖の同族である。黄祖は戦いに不慣れな荊州軍にあって
>呉の孫堅・孫策・孫権の猛攻を一人で凌いできた武将で、彼がいなければ数十年前に荊州は呉のものとなっていた
>だろう。その黄祖とともに長年に渡って呉の侵入を退けてきたのが黄忠と劉表の甥・劉磐の三人である。
>野蛮な侵略者である呉軍を撃破し、時には呉へ攻め込むまでの威勢を示した三人を、荊州南部の住人たちは
>「荊南の三駿」と呼んで絶大な信頼を寄せてきた。
391無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 04:29:44
黄忠についてはハッキリとした出自が分からないから、
ある程度は創作できるよね。まぁ黄祖と同族とした方がしっくり来るかも。
392無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 17:31:52
黄祖って立場的には、外様なんかね
荊州の北の守りについてたチョウシュウや劉備と同じような感じの
393無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 19:24:01
黄祖かっこいい。
394無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 21:30:55
 劉表が荊州入りした時に頼ったのはカイ越・カイ良・蔡瑁の三人らしく、
荊州名士でもない黄祖は、明らかにこれらとは一つ落ちる格だったと思われる。

 ちなみに黄忠も関羽から「老兵」と呼ばれている事から見ても、
(普通は老将。兵は兵卒という意味で蔑称。ちなみに張飛も劉巴から兵と呼ばれている。)
荊州の優秀な軍人達は、関羽や張飛と同じく良い生まれじゃなかったのかもしれない。
>>389に反するけどね。
395394:04/12/24 22:34:48
荊州学の名士…だな、失敬。
396無名武将@お腹せっぷく:04/12/25 00:08:24
>>394
傲慢な関羽が自分を誇るあまり黄忠をバカにしただけで、別に黄忠の素性が
卑しかったわけじゃない。
397永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/12/25 00:44:22
>>385
黄祖は謎の人物ですね。
人口26万の大して大きくない郡一つだけしか領していないのに、
なんであんなに兵力を持ってるんでしょうか?
一人で孫氏の主力軍を引き受けるだけでも凄いのに、予章に攻め込んでもいますね。
劉表は北辺に守備兵を貼り付けないといけないし、盛んに南征を行っていたので、
黄祖に大軍を与える余裕があるとも思えないのですが。

>>388
荊州ならどこの出身でもおかしくないと思うので、襄陽出身もありな気がします。
黄承彦が黄祖ほどの有力者と縁があるなら、誰かが書き残していてもおかしくないと思いますが、
そう書いてないということは、たぶん違うのでしょう。

>>388
郭嘉が袁紹の下を去る際、郭図に袁紹の悪口を言っています。
同族かどうかは不明ですが、何らかの個人的交友はあったと思われます。
郭援は良く分かりません。并州刺史高幹と行動を共にしているので、太原郭氏かも知れません。
鐘ヨウの甥とは言え、当時の名士は郡を越えて婚姻を結んでいることもありますので。
398永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/12/25 01:06:47
>>392
孫堅の王叡殺害が190年。
劉表の荊州刺史就任は王叡殺害後。
孫堅が劉表を荊州に攻めて戦死した時は191年。
この時黄祖は樊城で迎撃しています。

援軍に駆け付けたのではなく、劉表に派遣されたらしいので、
早い時期に帰順した荊州豪族なのではないかと思っていたりしています。
カイ氏や蔡氏が帰順した時期も、黄祖が劉表配下になった時期も、
おそらくは190年から191年の間。
この時期から最後まで劉表に仕えたんなら、立派な譜代でしょう。

負けたら後が無い孫堅迎撃に投入されたり、
息子の黄射が黄祖の元を離れて、別に一郡の太守(南陽郡を分割して作った郡)をしていたり、
劉表家臣団内部における黄祖一族の地位の高さ(信任の厚さ)が伺われます。
399永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/12/25 01:21:47
>>394
蔡瑁は霊帝時代の司空張温の一族。
カイ越は大将軍何進の東曹掾をしていました。
中央にいた頃の劉表は何進の掾をしていた事があります。

荊州に着任した劉表が蔡氏とカイ氏を最初に呼び出したのは、
二人とも中央政界に縁があって、都にいた頃に名前を聞いていたか、
知り合いだったからではないでしょうか?
400無名武将@お腹せっぷく:04/12/25 03:28:36
>蔡瑁は霊帝時代の司空張温の一族。
カイ越は大将軍何進の東曹掾をしていました。



へー、そうだったんだ。すごいな。
劉表陣営を見直す今日この頃。

401394:04/12/25 05:22:37
>>396
黄忠に関しては本当に良く分からない。
出身は南陽で、劉表の従子劉磐とともに長沙を守っていた。
曹操が荊州を治めると裨将軍に仮任官され、劉備が荊州を治めるとそれに従った。
それ以外の事が一切分からない。要は無名の人物だったのだろう。
だから侮られた。と。関羽が傲慢というよりは「無茶な人事」だと。
二階級特進とかそういうレベルではないし。
しかし、魏延と黄忠、荊州以後の人事に関しては「無茶な人事」が多いような。
 まぁ、あくまで可能性の問題であり「かも」とも付けているので。
血族に出自不明の人間を付けるのは、大抜擢というか……狂気の人事よね。

>>399
ちなみに張温は孫堅の涼州赴任時の上司だったはずですね。
しかも、張温は曹操の祖父の曹騰の推挙で官界に躍り出る事になった人物。
蔡瑁が劉ソウに曹操に下れと言い含めたのもこの縁故を頼った。
とは考えられないだろうか。無理かな。
更に、張温は孫堅に「董卓を殺せ」と言われてそれをためらい、
後に董卓が朝廷の実権を握った時、それを恨みに殺されてしまった。と。
こうしてみると、つくづく劉表と孫家の間って業が深いですね。
402無名武将@お腹せっぷく:04/12/25 05:36:37
>>397
孫フン伝の事を指すなら、予章に攻め込んだのは、孫策だったと。
確か、
孫策は、黄祖を破っての帰途で劉ヨウの死を知り、予章に攻め込んだ。
そんな感じで。
403無名武将@お腹せっぷく:04/12/25 08:55:41
>>401
どこが無茶な人事?
魏延と黄忠、どっちもそれだけの実力を示したわけだが。

それに中央政権の曹操から裨将軍に仮任命されたのなら、むしろそれなりに
武功をあげていた人物といえる。
裨将軍・偏将軍は、新しく中央政権に従った武将でこれまでそこそこの武名がある
人物に最初に与えられることが多い官位で、とりあえずそれで様子を見て実力があれば
すぐに上位に引き上げられる。
ましてや、当時の曹操の配下の将軍のほとんどが、雑号将軍か裨将軍・偏将軍、校尉であり、
降伏した敵の君主クラスにせいぜい肩書きだけの四征・四鎮将軍位が与えられていた程度
であることを考えれば、曹操の与えた裨将軍(仮)は全然低くない。
(これ以降の曹操魏王就任後ですら、前後左右クラスの上級将軍位についたのは
楽進・于禁の二人だけで、張遼らがその位に進んだのは曹丕が王位についてから)

「正史の記述の少なさ」=「実績のなさ」とは違う、ということをそろそろ
理解しようね(特に蜀書)
404無名武将@お腹せっぷく:04/12/25 09:12:42
>>403
同感。
黄忠と同じく荊州陥落後に曹操に従った文聘も、偏将軍か裨将軍どちらかの
任官だったので、中央にその武勇が聞こえた文聘とほぼ同評価されていること
からも、黄忠が全く無名で実績のない人物ではないことも明らか。
有名な武将はみんな早くから三品クラスの将軍だったと勘違いしている香具師
多すぎだよね。
405401:04/12/25 09:18:47
一度の大きな武功でのあの昇進が問題だった訳だろう。
実力どおりに昇進するといえば現代感覚で言えばそれはまともだろうが。
あの時代は家名や土地での影響力や名声の方が余程重要だろう。違うかな。
関羽と張飛は違う?そりゃそうだ。義兄弟だからね。

 それに中央〜から以降を書きながら、自分で矛盾を感じなかっただろうか。
曹操は投降した有力者にはかなりの待遇を与えるよう上奏している。
が、黄忠に関しては自分の部下と同等の爵位しか与えていない。

まず自身の意見として、黄忠の「裨将軍」という位は、好意的に見れば、
「有能なので、自分の部下にして、自由に動かせるようにしたい相手」
となり、批判的な見地から見れば、
「降伏した者の中で、それなりの地位を与えて懐柔する必要の無い相手」
という事になる。
 
 また、何故曹操の部下の爵位が低いかといえば、
曹操自身の爵位がその程度の部下を持つ事しか許されてないから。
これを理由にするなら、「裨将軍」という位を曹操の高い評価とみなすのは正しいだろう。
 だが、一方で、
曹操自身の部下と評価を比べて云々というのは、降伏した者の格を考える時には全く的外れだ。
荊州における黄忠の影響力というのが、曹操にとって手駒として召し上げる程度の物でしかなかった。
荊州から切り離しても問題ない人物。と見る事も可能な訳なのだから。

 あくまで、こういった見方も出来る。という愚見に過ぎないが。

とすれば、関羽の「黄忠って誰だよ」的な反応もそれほどおかしい物ではない。
関羽は実際に黄忠に会った事など一度も無いのだから、他人の評価を聞くしかないからである。
406無名武将@お腹せっぷく:04/12/25 19:06:00


///// 〃〃∩  _, ,_
     ⊂⌒( `Д´) < ヤダヤダ!老兵と同列なんてイヤだよ!
       `ヽ_つ ⊂ノ
              ジタバタ
    〃〃∩  _, ,_
     ⊂⌒( `Д´) < 野蛮人の血を引く在漢外国人の馬超と同列なのもヤダヤダ!
       `ヽ_つ__つ
              ジタバタ
      _, ,_
     (`Д´ ∩ < 俺と張飛は特別扱いじゃなきゃヤダヤダ!
     ⊂   (
       ヽ∩ つ  ジタバタ
         〃〃
       ∩     
     ⊂⌒(  _, ,_)    
       `ヽ_つ ⊂ノ < ・・・・・・前将軍に録尚書事と荊州牧と督荊州諸軍事と丞相参軍つけてよ・・・




407無名武将@お腹せっぷく:04/12/25 19:29:44
>>405
俺は>>403>>404のほうが正しいと思うけどなあ?

>それに中央〜から以降を書きながら、自分で矛盾を感じなかっただろうか。
>曹操は投降した有力者にはかなりの待遇を与えるよう上奏している。
 >>403は「降伏した敵の君主クラスにせいぜい肩書きだけの四征・四鎮将軍位が与えられていた」と
 書いているよ。
 あなたは、君主クラスと混同してないか?
 >>404が指摘している文聘や、楊秋ら西涼の武将たちもみんな偏将軍・裨将軍か五品の雑号将軍。
 四品以上が適用された例は帰順・降伏した君主クラスしかない。
 >>403は黄忠に裨将軍(仮)任官が、他と比較しても低くない評価であることを指摘し、黄忠が
 あなたのいう「無名の人」ではないことを証明している。
 矛盾しているのはあなたの意見のように見えるなあ。
 特に>>405後半は支離滅裂で結論に無理やり理由付けしているぞ。
 自論を証明したいなら、曹操が官渡の戦いに勝利して、事実上の漢の支配者になってから
 魏王就任までの間に、占領下においた地域の君主級でない部将レベルの人物に高位を与えた例を
 示したら?

>関羽は実際に黄忠に会った事など一度も無いのだから、他人の評価を聞くしかないからである。
 おいおい、関羽があったことがないのは馬超。
 関羽が馬超にライバル心を燃やした話と明らかに混同しているぞ。
408永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/12/25 23:08:05
>>401
>黄忠無名説
州牧の下で中郎将をしていた黄忠が、
曹操から裨将軍を与えられたのは、順当な昇進だと思いますが。
不用な人物と思われたら、別の人物に任を奪われたか、
官職据え置きのままだったでしょう。

黄忠が長沙に張っている勢力が侮りがたかったか、
それなりの人物とみなされていたかのどちらかでしょう。
どちらにせよ、荊州ローカルではそれなりに高い評価を受けていたと思います。

それでも、全国レベルの大物である関羽は、
荊州レベルの知名度しかない黄忠に対して格上意識を持ってて、
老兵発言が出たのではないでしょうか。
409永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/12/25 23:18:53
>>401
>無茶な人事
裨将軍黄忠は、州牧レベルの劉備勢力ではかなり高位の武官です。
それが益州攻略戦、漢中攻防戦で大功を重ね続けたら、
血族将軍や名士将軍の少ない劉備陣営では、
後将軍まで至ってもおかしくはないでしょう。
「高級幹部が功績を重ねて最高幹部に至った」と言うだけに過ぎません。
ごく順当な人事だと思います。

牙門将軍でしかない魏延を、格上の雑号将軍達を差し置いて、
督漢中・鎮遠将軍としたのは、人事序列を無視した明らかな抜擢人事ですが、
破綻をきたしていない事を見ると、無茶と言うよりは
劉備人事の大金星だと思います。
410永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/12/25 23:31:14
>>402
徐盛伝を参照してください。
息子の黄射と将軍ケ龍に命じて、予章郡内の柴桑に侵攻させています。

>>404
降伏して即雑号将軍貰えるのは、群雄クラスの大軍閥だけですね。
中軍閥や群雄配下の有力武将なら、だいたいは偏将軍・裨将軍か郡太守・国相。
小勢力や有力じゃない武将なら、中郎将や校尉か県令・県長が関の山です。

>>405
>曹操は投降した有力者にはかなりの待遇を与えるよう上奏している。
>が、黄忠に関しては自分の部下と同等の爵位しか与えていない。
曹操配下の裨将軍は、歴戦してその地位を獲得したわけですから、
降伏しただけで、それと同等の官位を得たならかなりの待遇でしょう。
411無名武将@お腹せっぷく:04/12/25 23:35:11
空気を読まずにレス

>>406
劉備の漢中王時代に丞相はいなかったような。
あと、王の家臣で録尚書事って有り得ない希ガス。
412405:04/12/26 00:04:54
>>407>>408
>おいおい、関羽があったことがないのは馬超。
 しまった。読み直したらそうだった!

 つまり黄忠は初めから劉表勢力内での有力者で昇進は順当な評価だったと。
ああ、曹操の部下における裨将軍ではなく、
劉表勢力の降伏者達の中での裨将軍という評価。これを見比べるべきだったか。
まぁ、血族に付けてるから劉表の評価はかなりのものだったと見るのが自然か。

 関羽は「劉備陣営に入る前の功績を評価した昇進」が気に食わなかった。
とも読めるか。だとすると関羽って劉備陣営内では常に問題児のような。
そういえば同じようなビホウとかとも喧嘩してるなぁ。
人事に不服なら、抜擢された魏延に文句つけず黄忠を馬鹿にしてるのもおかしい。
関羽のプライドって恐ろしいレベルなんだなぁ。

 >>407>>408両氏は正しい。
俺もまだまだ修行が足りんようで。失礼しました。
413無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 00:09:04
>>412
> 人事に不服なら、抜擢された魏延に文句つけず黄忠を馬鹿にしてるのもおかしい。
> 関羽のプライドって恐ろしいレベルなんだなぁ。

魏延は抜擢されたとはいえ官職的には関羽より下。
官職でも並んだ黄忠とは違うだろ。
格下と見てた相手に並ばれたから不満に思ったのであって、
> 関羽は「劉備陣営に入る前の功績を評価した昇進」が気に食わなかった。
ということではないと思う。
414412:04/12/26 00:15:49
格下と思っていた…ねぇ。
実ばかりでなく名でも格下じゃないといかんのか。
理由がそうだとすると更に恐ろしいプライドだなぁ。
415永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/12/26 00:36:16
>>414
関羽は官渡当時から偏将軍・漢寿亭侯の官爵を持ち、
全国レベルで名を知られた勇将です。
当時の劉備の爵位が宜城亭侯であった事を考えると、
関羽は主君と同等の爵位を有する大物であったことが分かります。
黄忠はこの八年後に中郎将から裨将軍に昇進。爵位は持っていません。
過去の経歴は完全に関羽の方が上回っています。

また、劉備が荊州を領すると、関羽は張飛と同時に
劉備陣営初の雑号将軍になっています。
他の幹部は益州平定後に雑号将軍に取り立てられているので、
関羽と張飛が軍部において飛びぬけた地位にあったことが伺われます。
また、黄忠は後将軍任官後にやっと関内侯に取り立てられているので、
劉備陣営に入ってからの官爵でも、関羽は黄忠より上です。

軍部最高の地位にあったのに、格下の人物にいきなり同等になられてしまっては、
よほど心の広い人物以外は穏やかではいられないと思います。
416414:04/12/26 00:41:50
しかし、孔明が陣営に入った時などは、サラッと流していたりする。
これを読んだ時には「関張の度量ってのはやっぱり英雄的なのだなぁ。」
と思ったものだけど、黄忠に対してはそのような反応。
同じ劉備の人事だというのにこの反応の違い。
軍部という事で、孔明と黄忠への反応が異なるのは仕方が無いのだろうか。
417無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 00:46:37
>>416
諸葛亮の時も不満を漏らしたが劉備に窘められてる。(=「水魚の交わり」)
418416:04/12/26 00:52:15
ふむ。確かに一度はごねてた。孔明と黄忠の時とは同じと見て良いのか。
共通するのは…「劉備が宥めなければ関羽は納得しない」って事かぁ。
419永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/12/26 00:52:19
>>416
諸葛亮は劉備が荊州を領した時は軍師中郎将。
益州を領した時は軍師将軍・署左将軍軍府事。
漢中王になった時も、官位は据え置かれています。
丞相になるのも、武郷侯に封じられるのも関羽の死後。

つまり、関羽生存中の諸葛亮は官爵ともに完全に格下なので、
「諸葛の奴が俺に並ぶとは何事か」と腹の立てる理由が無いのです。
420無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 00:55:26
>>419
それでも不満を漏らすところに関羽の面目躍如w
ってか完全にスレ違いw
421416:04/12/26 00:58:16
陳寿の関羽への言葉の意味がようやっと分かった気がする。
劉表一族について俺の知っている事と知らない事の補完が出来た。
皆さんありがとうございました。

とりあえず、黄祖は謎の地味派手のまま次の人物に以降…なのかな。
422無名武将@お腹せっぷく:04/12/26 11:50:49
雷薄−雷緒―雷銅は同族、という説が中国にあるらしいですな。

423永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/12/26 21:43:59
>>421
雷薄は廬江に駐屯していた袁術の将軍。袁術から離反したのは199年。
雷緒は廬江の土着勢力ですね。200年の揚州刺史殺害以後、
しばしば曹操と戦い、最後は劉備に帰服しています。
雷銅は劉備の将軍ですね。

雷薄も雷緒も廬江土着の軍閥一族で、
夏侯淵に敗れて劉備の下に走った雷緒はしばらくして死亡し、
雷銅がその軍兵を継いで劉備の将軍になったと考えれば、
一族と思えないことも無いですね。
残念ながら、郭嘉・郭図・郭援一族説より資料が少なくて、
完全に憶測するしかないのですが。
424無名武将@お腹せっぷく:04/12/27 04:40:15
正史とかにはどこにもそんな記述はないのに、
KOEIのゲームでは呉蘭と雷銅が劉ショウに仕えているのは、
単なるゲームバランスの問題なのじゃろうか。
425永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/12/27 05:28:49
>>424
劉備軍の将軍としてしか名前の出てこない人を入れるぐらいなら、
劉焉に歯向かった賈龍・任岐とか、
長安政権が任命した益州刺史扈瑁に呼応して反乱した沈弥・婁発とか、
趙イ・ホウ楽・李異ら東州兵と並ぶ主力の趙イ軍団とか、
葭萌関攻略部隊の扶禁・向存とか、
実際に劉焉・劉璋親子の将軍だった人材出せばいいと思うんですけどね。
426無名武将@お腹せっぷく:04/12/27 06:33:36
>>425
光栄開発スタッフに正史嫁!というのはムリでしょう
一応読んでいるようなことは言ってはいたものの、基本は吉川英治ベース。
演義ベースですらないのだから・・・
427無名武将@お腹せっぷく:04/12/27 06:38:22
劉エン→劉ショウの時のお家騒動は結構ドラマティック。
KOEIといえば女性武将も出すが、どうせなら張魯の母を出してくれればいいのに。
鬼道持ちで。
428無名武将@お腹せっぷく:04/12/27 07:02:23
>>427
「秘本三国志」なら大活躍だよね
429無名武将@お腹せっぷく:04/12/27 16:53:24
>>428
うむ。不老だそうなのでKOEIも婆を出さずに済んで大助かりだ。
430永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/12/27 17:23:38
>>427
劉瑁むちゃくちゃ可哀想ですよね。
「あっちの方が操りやすいから」って理由で弟に益州牧取られてますし。
精神を病んで亡くなってますし。

本来なら生き残った劉焉の子の中で最も年長で、
気概が(弟より)ありそうな彼が跡を継ぐのが順当なんですけどね。
趙イや王商はろくなもんじゃないですね。
431無名武将@お腹せっぷく:04/12/27 17:44:28
まぁ、王家が強すぎると八王の乱みたいな事になるし、
かといって部下の有力者が強すぎるとそうなる訳で。
曹操→曹ヒの流れがやっぱり理想なんじゃろうなぁ。
432無名武将@お腹せっぷく:04/12/27 23:33:54
>>430
逆に言えば、趙韙と王商は大したヤツだ、ってことだね
433無名武将@お腹せっぷく:04/12/28 08:11:35
先主劉エンは193年に馬騰の誘いに乗って共同での長安襲撃を企てたが為に、
息子を失い、気落ちして卒去している。
それを思えば、王商が野心のない人間を益州の長に据えるのは当然の事。
王商は蜀郡太守としては善政を行って、その後の益州の繁栄の基礎を作った。
代替わりでは無用な乱混を避けるため、野心家より暗君を立てたに過ぎない。
純粋な能吏であり、主君に真の忠義を立てた人物とも言えるだろう。
一族の王甫も関羽に操を立てた素敵な忠臣だしな。

まぁ、乱世では劉エンの侵略拡大政策こそが国の運命を左右し、
王商の平和的な統治は、激しく お 門 違 い という気はするが。
434無名武将@お腹せっぷく:04/12/28 11:58:14
age
435無名武将@お腹せっぷく:04/12/28 20:49:40
>>433
王商は時代に恵まれなかったって事だね。
平和な時代なら、能吏伝にでも名前が残っただろうに。
436永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/12/28 21:28:37
>>433
王商のような能吏は乱世でも治世でも有用な人物だったと思います。
しかし、平和を願うならば、統率力のある人物を擁立しなければなりません。
操り人形を擁立するなら、王商に統率力が無ければいけません。

しかし、劉璋は統率力がなさ過ぎて益州に混乱を招きました。
王商は劉璋の代わりに州を統率する意思を見せていません。
劉璋の統治時代は内乱が多い時代でした。

平和を望むなら、完全に見込み違いをしたし、
権力を望むなら、中途半端な人物であったと思います。
437433:04/12/28 22:17:18
陸遜と同じか。社稷の臣に近し。と。
その統治下でどれほどの善政を行おうとも、自分の責任下でどれほどの成功を収めようと、
国がその体を成していなければ意味が無い。そう言いたいのかな。
王商が真に益州のことを考えるなら、主君に取って代わり政務を取り仕切らなければならなかった、と。
438永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/12/28 22:36:47
>>437
王商が治中・蜀郡太守として、行政官に徹していたら、
文句無しの名臣と言って良かったと思います。

しかし、実際は益州政権の首脳であり、外交・人事にも口を出し、
劉璋擁立にも関与して、益州全体のことを考えなければならない立場でした。
益州が乱れたのには、彼の責任は小さくなかったと思います。
439無名武将@お腹せっぷく:04/12/28 22:44:00
人は分不相応な地位についてしまうと、かえって名声を損ねるってか。
440無名武将@お腹せっぷく:04/12/28 23:09:26
王商=法正>諸葛亮>龐統
441無名武将@お腹せっぷく:04/12/28 23:12:42
呉班は長生き。
442無名武将@お腹せっぷく:04/12/28 23:16:39
>>438
>王商が治中・蜀郡太守として、行政官に徹していたら、
>文句無しの名臣と言って良かったと思います。
>しかし、実際は益州政権の首脳であり、外交・人事にも口を出し、
>劉璋擁立にも関与して、益州全体のことを考えなければならない立場でした。

意味が分からん。
もともと治中従事として、蜀の独立政権の王佐的立場にあり、蜀郡太守は後から兼務として
ついた役職。
「外交・人事にも口を出し」たとか「劉璋擁立にも関与し」たとかじゃなくで、
むしろそれが王商の本来の職務じゃん。

443無名武将@お腹せっぷく:04/12/28 23:17:21
ご飯は二度炊き。
444無名武将@お腹せっぷく:04/12/28 23:21:24
虞翻は生意気。
445永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/12/28 23:34:25
>>442
>もともと治中従事として、蜀の独立政権の王佐的立場にあり、蜀郡太守は後から兼務として
>ついた役職。
>「外交・人事にも口を出し」たとか「劉璋擁立にも関与し」たとかじゃなくで、
>むしろそれが王商の本来の職務じゃん。
治中従事は本来、文書処理=行政が業務ですね。
漢末になると、別駕とそんなに変わらない上級補佐官的役割になって、
王商のように参謀役を買って出る人も出てきますが。
446無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 02:11:56
要するに、冶中従事=文書を司る=文書処理だけで政策決定には一切関与しない
っていう思い込みがあるんだろうね。>>445は。
そんな庶吏みたいな仕事が秩六百石なはずないってばさ
行政文書の総括ってことは、
その内容についても実務レベルでの最終決定権があるってこと
ま、今となっては詳細な権限は分からないけど
人事辞令や他州との往来文書も司ってたとすれば
外交・人事にもかなりの影響力があったはずだよ
447無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 06:58:04
>>445
>治中従事は本来、文書処理=行政が業務ですね。

おいおい、アンタすごい勘違いしてるよ。
それは平時のときの本来の官職の業務内容でしょ。
当時の州牧・州刺史・郡太守・国相が、それぞれ地方独立政権・軍閥として
乱立している時代においては、官職の意味は全然違う。

実際、劉焉は国境を閉ざし表向きは漢の益州牧という官職で、事実上の
「蜀王」として振舞っており、当然そういう状況下においては
益州の上級スタッフ=蜀国の上級スタッフ。
王商は、その地位と実力から蜀国の丞相といってもおかしくない立場。

状況を考えましょうね。
448無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 08:29:13
王商って、関羽とともに死んだ王甫の従兄弟だっけ。
王累とも関係あるのかな?
449永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/12/29 12:29:22
>>446
治中は州の行政実務の最高統括者であることは先刻承知。
政策決定に関与するにしても、
州牧の擁立までも州の政治と考えて、積極的に動くか、
地位を利用して権力を握ろうとするか、
行政面に関することだけやって、他の事には関心を持たないか、
スタンスはいろいろあるはずです。

王商は州牧の擁立も州の政治と考えて、積極的に動いたけど、
結果がアレだったと。そういうことです。

>>447
>実際、劉焉は国境を閉ざし表向きは漢の益州牧という官職で、事実上の
>「蜀王」として振舞っており、当然そういう状況下においては
>益州の上級スタッフ=蜀国の上級スタッフ。
>王商は、その地位と実力から蜀国の丞相といってもおかしくない立場。
冀州治中従事(後に別駕に転任)の審配は、十万の大軍の食糧補給を担当し、
四州を支配する袁紹の後継者人事にも大きく関与しています。
ですから、漢末の治中が民政以外の業務に従事するのも、おかしいとは思いません。

ただ、王商の場合は
「『治中は民政が本分』と民政に専念して、
 擁立問題には口を出さなければ良かったのにね」と思うのみです。
450446:04/12/29 14:30:10
>>449
いや、残念ながら全く理解していただいてない
「治中は民政が本分」って…
民政って言い方で気づいたけど、青タンはゲーム脳なんじゃないか?
「内政」コマンドで実行できる「開発」とか「商業」とか
冶中従事はそこらへんのコマンド担当みたいなハメコミをしてるんじゃないか?
「外交」や「人事」コマンドに手を出すのはおかしい
そもそも、「政治力」だけの武将に君主の擁立みたいな「知力」が必要とされる行動は向いてない
ってな理解してるんだと思う

「治中が擁立に口を出すのはもんんのすごく本職を外れた行動」と繰り返すけど
州牧が変わったときの上表手続きは治中の分掌だと思うぞ(上表文の作成はしないだろうが)
下手すれば、上表にあたっての朝廷との折衝も全て担当してたかもしらん
州が独立政権になれば、州牧の決定にも十分発言権があると思うが
451無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 22:54:59
龐統の子の龐宏は、姜維以上の有力者である陳祗と仲が悪かったため、出世できずに
涪陵太守で終わったらしいけど、出世できない窓際状態で太守ならスゴイよなあ。
性格は強情だったらしいけど、能力的には親父並みにあったとしたら、蜀にとっては
もったいないことだ

452無名武将@お腹せっぷく:04/12/30 03:08:16
陳嬉はどうよw
453無名武将@お腹せっぷく:04/12/30 14:33:35
その線でいくなら楊平もな
454無名武将@お腹せっぷく:05/01/04 14:30:17
>>451
ホウ統自身が能力を発揮できないまま死んでいますが、

>能力的には親父並みにあったとしたら

って、親父の能力をどれくらい過信しているのですか?
455無名武将@お腹せっぷく:05/01/04 22:12:11
王平は横柄
456無名武将@お腹せっぷく:05/01/05 12:48:21
何平は「なみへい」じゃない
457無名武将@お腹せっぷく:05/01/06 21:12:13
それ以前に陳嬉とか楊平とか名前しかきいたことがねえ・・・・
一体何をした人なんだ?まだまだ
勉強不足だ・・・
458無名武将@お腹せっぷく:05/01/06 23:09:41
>446
青氏が言いたいのは、治中の職務内容云々でなく、王商自信の能力に見合った行動を取れば良かったんじゃないか?ってことでないかな。
州牧の擁立のような政治的な行動でなく、行政官に徹すれば「名臣」と呼ばれてのではないか、と言う事でしょう。
459無名武将@お腹せっぷく:05/01/06 23:34:35
>>457
じゃ、その二人と同類の武将をグループ分けしてみよか

グループ1:周倉・華雄・貂蝉
グループ2:陳嬉・楊平・夏侯惇(かこうじゅんと読むこと)
グループ3:劉冀・万億・水晶

これでピンと来なかったら、よっぽど鈍いぞ…
460無名武将@お腹せっぷく:05/01/07 01:27:50
OK,多分吉川三国志のオリキャラか
間違ってたらスマン
461無名武将@お腹せっぷく:05/01/07 13:07:46
吉川って夏侯ジュンと夏侯トンが別々にいるの?
462無名武将@お腹せっぷく:05/01/08 02:06:00
いないよ
463無名武将@お腹せっぷく:05/01/08 20:23:55
張コウは何人もいるがな
464無名武将@お腹せっぷく:05/01/17 02:45:17
(゚∀゚)カコージュン
465無名武将@お腹せっぷく:05/01/18 21:11:50
地味で忠臣と言えば、スイ固はどうだろうか。
白兎という字もなかなか良いが、
曹操に通じて主君張楊を殺した楊醜を討って
仇討ちを果たしたというのが格好良い。

その後も袁紹に属して曹操に抵抗。
仲間が降伏する中最後まで戦った。
なかなかの義人じゃないか?
466無名武将@お腹せっぷく:05/01/18 23:58:53
>>465
禿同。
結局、聖衣で覆われてない部分を殴られたら
普通に痛いし、怪我だってするはず。
黄金聖闘士の聖衣は比較的覆われてる部分が
多いからいいとしても、初期の青銅聖衣は部品が
少なすぎて肌の露出部分が多すぎる。
材質以前の問題だと思う。
あと、頭につけるヘルメットはほとんどの聖闘士が
髪型が崩れることを気にして装着していない。
そういうノーヘル聖闘士は法規制で処罰をしないと、
頭部の怪我をする聖闘士が続出してしまうと思う。
467無名武将@お腹せっぷく:05/01/19 00:26:32
>>465
この人、元黒山の将なんだよね。
一度、東郡太守時代の曹操と戦って敗北してる。
その後、張楊の将になって、その仇を討った後、
曹操と再び戦って死んだわけか。
敗残の自分を拾ってくれた張楊への恩義を感じてたんだね。

(曹操に負けた事を根に持ってた可能性は低い。
 曹操に黒山賊を討つように命じたのは袁紹なので、
 過去の敗北を恨みに思ってたら、袁紹に付くことも有り得ない)
468無名武将@お腹せっぷく:05/01/21 19:10:27
良いスレだ
469無名武将@お腹せっぷく:05/01/21 19:33:08
ゲームのスイ固の義理0はあんまりだ・・・
470無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 21:07:31
ゲームのスイ固の顔もあんまりだ…

字が白兎だけに狗とつく地名に着いたときにびびってたとか
ちょっとかわいいw
471無名武将@お腹せっぷく:05/02/17 14:25:55
こんな良いスレを死なせはしない!!
472無名武将@お腹せっぷく:05/02/17 15:45:17
>>459
誰もいない上遅レスだけど、蒼天にでてくる万億っていうのは要は李通のことでしょ?
李通の幼時の字は万億と魏略にあるし、張繍との戦や対呉戦で活躍したのも同じ。
後に魏公就任を求める連名に万億として署名してあるのが謎だが。
473無名武将@お腹せっぷく:05/02/17 15:49:36
よし
じゃぁ今から漏れが武将ファイルを適当に捲って、
其処に書いてある武将について語り明かそうか
いくぞ、よいしょ

孫峻・孫韶・孫静・孫仲・孫糸林・孫登

…この中だと孫静辺りが該当するだろうか
474無名武将@お腹せっぷく:05/02/17 15:58:03
孫静のいいとこ見てみたい〜

・孫堅が頑張ってるとき、後をいっしょうけんめい安定させた
・孫策が王朗に挑戦してなかなか勝てずにいるとき、「瓶に水をためて兵士の病気を減らす」
というニセの命令を出して王朗の軍営を散々に打ち破った
・孫策に昇進の話を受けたが、一族を懐かしがって故郷に留まった
・孫堅が劉表を攻めようとしたのを諫めた(演義)
・孫堅が死んだ時、嘆き悲しむ孫権に代わって葬儀を取り仕切った(演義)


……地味
475無名武将@お腹せっぷく:05/02/18 09:24:55
だがそれがいい
4761 ◆f9MqJhdxlg :05/02/23 19:03:34
まだこのスレあったんだ。。。。
477無名武将@お腹せっぷく:05/02/23 19:32:40
>>476
何やってたんだお前はw
責任取れ
478無名武将@お腹せっぷく:05/02/25 11:50:48
>>476
ワロスw
479無名武将@お腹せっぷく:05/02/25 15:35:28
あの呂布とは別の呂布がいるって聞いた事あるけど本当?
なんか関羽の部下で、樊城の戦いの時に活躍していたらしいんだけど・・・・・・
480無名武将@お腹せっぷく:05/02/25 17:37:08
>>479
微妙としか言いようがない。
「呂布」を含む5文字くらいの箇所は単なる桁字に過ぎないという説が主流……なのかな?
筑摩の訳文ではこの説を採ってる。
4811 ◆f9MqJhdxlg :05/02/25 21:16:14
>>477-478
正直   マンドクサ  ですから


このスレに来てくださった皆さんには感謝感謝
482無名武将@お腹せっぷく:05/03/05 21:31:33
趙雲と同郷だから趙範
483無名武将@お腹せっぷく:05/03/06 21:12:55
趙雲と同郷といえば張燕
484無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 23:06:31
p9お
485無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 10:08:31
>>480
李豊や董承は実際同名異人が何人もいるわけだし、劉岱に至っては…。
486無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 21:46:16
字まで同じだしねえ
487魏延:05/03/20 12:52:13
ぬるぽ
488無名武将@お腹せっぷく:05/03/20 20:34:18
関羽や張飛のような、英雄扱いされるような武将はいなかったかもしれないが
王平・馬忠・張嶷は名将、廖化、張翼もなかなかの武将だったと思う
北伐が失敗したのは、単純に国力に差がありすぎたんだろうし
蜀が滅びたのは姜維がムリな北伐をやりすぎたからだと思う
もったいない
489馬岱:05/03/20 21:55:22
ガッ
490無名武将@お腹せっぷく:05/03/20 22:07:01
王坑がでてない。。。
491無名武将@お腹せっぷく:2005/03/23(水) 11:10:07
延煕十七年(二五四)、魏の狄道県長李簡が密かに降伏を願い出たとき、
人々は彼の本心を疑ったが張嶷は彼を信頼できると主張し、
衛将軍姜維に従って隴西に進軍した。このとき張嶷はひどく重い病気に罹って
いたが、敵地で一命を投げ打ちたいと願って出陣したのである。李簡は住民を率いて迎え入れ、魏の将軍徐質との合戦には大勝利を収めたが、
張嶷はその陣中で亡くなった。越巂郡の蛮民たちは彼の死を知ると涙を流して悲しみ、彼の廟所を建てて四季ごとに祭り、
また洪水・旱魃のあるごとに祭った。

492無名武将@お腹せっぷく:2005/03/23(水) 18:45:36
オッスオラ呉蘭!雷同も部下もしんぢまったけど、なんかすっげぇワクワクしてきたぞ!
493無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/03(日) 19:53:10
廖化は諸葛亮の北伐に名前が無い。それで思うんだけど劉備の
夷陵の時、30代ですでに将軍として蜀軍を背負って立つ存在
だった所、諸葛亮に警戒されて、諸葛亮が死ぬ15年間閑職に
追いやられていた。
494無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/03(日) 20:41:42
>>492
だいじょうぶ、君もすぐにあとをおえるよ・・・
495無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/04(月) 04:17:36
寥化の諸葛亮生存時における功績がどうかは不明。
が、宗預伝でのやりとりを見る限り、諸葛亮が嫌う類の臣だった事は間違い無いな。
むしろ同種の李厳派の人間だったんじゃねぇかと。
496無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/04(月) 07:30:19
>493,495
諸葛亮の在世時、廖化は丞相参軍だったし、五丈原でも別働隊を任されてるから疎んじられてたとは思えないな。
正史から、張翼とセット扱いみたいだから、大体張翼と同格であったと思われる。
諸葛亮死去後の蜀漢の人事方針は諸葛亮の遺命が基本だろうから、最終的に右車騎将軍まで昇ったところを見ると、諸葛亮にもそれなりに信頼されていたかと。
497無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/04(月) 08:38:39
>>496
右車騎将軍ってどの辺りのポジション?
大将クラス?
498無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/04(月) 08:48:19
>>497
単純に将軍位で言ったら上から3番目。
大将軍・驃騎将軍・車騎将軍。
参考までに蜀末期の上級将校。
大将軍姜維、(右大将軍閻宇?)、輔国大将軍董厥、右驃騎将軍胡斉、左車騎将軍張翼、衛将軍諸葛瞻。
499無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/04(月) 08:50:14
将軍職で一番高い位が大将軍、
その次が驃騎将軍、車騎将軍、衛将軍
また驃騎将軍、車騎将軍には右と左がある
これらの将軍職は、兵を預かる大将それぞれに命令を下せるほどの権限を
持ってる
500王平:黄天当立184年,2005/04/04(月) 08:50:49
王平大好き。
「よく聞け魏延の兵士共!・・・」ってとこいいね。
501無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/04(月) 08:51:54
去ね
502無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/04(月) 13:03:52
というか孔明が死んでソーエーが暗君になったときに攻めたら良かったのに。
503無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/04(月) 22:28:26
なにが?
504無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/05(火) 00:16:41
は?
505無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 22:23:22
>>503
>>504
きょーい
506無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 00:00:03
蜀の羅憲なんかはどう?
507無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 20:59:59
正史厨よ、馬岱に事績がないとか言うが、
馬超の涼州の一連の戦いには参加していただろうし、
魏延を斬ったとあることから考えても、北伐にも参加していたことは間違いない。
後方部隊や輸送部隊や本陣の守りなんかを、地味ながら着実にこなしていたのではなかろうか。
地味ながらも自分の役割を黙々とこなすこういう人物が、派手な活躍をする奴らを支えていることを忘れるな。
508無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 21:07:49
>>507
そう言えば、平北将軍まで昇進してるんだよね。爵位は陳倉侯。
魏や呉と違って、蜀は相当な大物でも郷侯や亭侯止まりの場合が多いのに、
馬岱は県侯にまで昇っている。
それなりの功績はあったんだろうな。
509無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 21:27:37
「位打ち」という言葉を知らんのか。
官位と違って爵位は与えるだけならなんぼでも。
510無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 21:31:00
爵位はともかく、平北将軍ってかなり高いぞ。
511無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 21:35:31
>>509
馬岱は実際に諸葛亮の北伐にも参加してるし魏延を斬るという功績もある。
爵位としては高すぎるという見方もあるかもしれないが、単なる飾りでしかないとは言えないと思う。
512無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 21:50:56
馬超の遺表を考えると、馬趙の後継者的な存在であったのは確かなんだろうね。
そんで、大きな戦役(馬超と涼州&北伐)に参加している経歴は蜀漢の中では稀有な存在。
その辺りを考えると、平北将軍・陳倉侯は、ある意味低いともとれる。

逆に馬超の後継者的な存在でありながら、また大きな戦役に参加していながら、大きな事跡を残せなかったと見れば、平北将軍・陳倉侯は大出世とも取れる。

俺個人としては、馬超の後継者的存在、ってのがどれほど影響があったか疑問だし、特筆すべき事跡は敗北後の魏延を斬った程度しかないが、長い戦歴を考えると、
馬岱個人として頑張った事で平北将軍は順当。
建国の功臣(賛否はあるだろうが)である馬超の後継者って部分を加味されたと考え、陳倉侯は厚遇してもらったって感じかな。
513無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 23:55:08
魏延を斬った以外では、牛金に迎撃されて千あまりを失っている、
位しか戦いに関しては記述ないんだっけ。やっぱ馬岱自身の格は中くらいってとこ?
514無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 00:27:10
>513
諸葛亮が死去(234年)した頃の馬岱の年齢は、よっぽど馬超と歳が離れてない限り50歳前後。多分、諸葛亮と同世代だろう。
諸葛亮没後、間もなく、あるいは数年くらいで死去してたとしたら、最終官位が平北将軍・陳倉侯ってのは結構上の方だと思うよ。

諸葛亮没後、さらに10年以上生存してたら、そんなに昇進したとは言えないかも。
馬岱と同世代と思われる、王平の最終官位は鎮北大将軍だし、馬忠も鎮南大将軍。240年代以降まで存命で平北将軍じゃ、馬岱の閲歴からすると低くなる。

多分、前者だと思うよ。小規模の上、牛金に負けたにせよ遠征軍を任されてるし。
ただ、諸葛亮の北伐でも丞相府の幕僚になっていないみたいで、中枢に参与してなかった様だし、牛金の件も蜀漢側の対外姿勢を示す宣伝戦の感が強いから、格は上位の将軍でも実権が伴ってなかったんじゃないかな。

515無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 01:29:17
孫乾
516無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 05:40:05
age
517無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 14:09:12
正史の三国志の本はどこでうってるの
518無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 14:12:09
本屋さん
519無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 14:17:39
219年 関羽のハンジヨウでの行動は自信過剰ぎみだった
    魏軍捕虜3万人の食料不足のため、へりくっだった態度の陸そん
    をなめて、呉軍の食料を略奪した。呉にたいする宣戦布告と同じだ。
520 ◆vNFYAR5c0g :2005/04/24(日) 14:48:09
ま、孔明のいう事ちゃんと聞いただけどもよし!
ただそれだけの存在
521:2005/04/26(火) 13:47:57
牽招が話題に上らないのはなぜでしょう?
満寵・田豫・郭淮と並び称されるほどの
名将だったらしいんですが……。
522無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 20:15:30
>>521
田豫と「働いた場所も働きも同じ」なのであえて別に語るところが無いんだよな
523無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 23:18:26
>>521
ついでに言えばこの人郡太守止まりなんだよね。
曹操時代には中護軍や平虜将軍・都督青徐諸軍事まで昇進してるのに、
曹丕時代に護鮮卑校尉→雁門太守と、左遷街道まっしぐら。
何やらかしたんだろう?
田豫と違って、左遷理由が不明なのが不気味。
524無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 04:01:24
>>523

烏丸戦とかで田豫と一緒に組んでた曹彰の兄貴と何ぞ企んでおったとか…無いかな。
525無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 07:26:44
>>1
とうとう蒼天では王平の出番は無さそうだが、これについてどう思う?
526無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 16:23:07
>>525
いやバショクがあれまで出張ってるんだからあるよ!
527無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 15:30:41
馬良の弟で馬統やら馬安仁ってのがいる
ことが述べられてる資料って何?
528無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 15:34:43
ネタ
529無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 16:37:49
ってか李典の扱いがひどい
530無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 11:05:02
531無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 05:00:29
ほしゅあげ
532 ◆f9MqJhdxlg :2005/05/21(土) 17:44:28
保守
533無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 19:02:15
ドモ〜♪ヽ(^−^。)
534無名武将@お腹せっぷく:2005/05/29(日) 06:04:00
三国志大戦でこのへんの武将で使えるのっている?
535無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 16:36:11
おうへいはかんじがかけません
536無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 20:13:02
はんぐるならかけます
537無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 21:47:54
>>536
これはまた新説だな
538無名武将@お腹せっぷく
かけますよ

イムのかおもミどまで