裴松之は『魏略』を引いて、
劉備が樊城に駐屯しているところへ、諸葛亮がやってきた。劉備は見知らぬ若造が来たので
書生あしらいをし、髦牛の尾をひねりながら話を聞いた。
諸葛亮は巧妙に劉備を会話に引き込み、無戸籍者を戸籍に編入して軍勢を増やす策を献じ、
その策を実行したところうまくいったので上客の礼で諸葛亮を遇した。
という説を紹介し、『九州春秋』もまた同様である、といっている。これはつまり「三顧の礼」は
なかったとする説ですな。
しかし、その後で、「臣松之おもえらく」としてコメントをつけ、「出師の表」に劉備が三回訪問した
とあるのだから、諸葛亮が劉備を訪問したのでないことは明らか、と言っています。
よって、
・劉備は諸葛亮を三回訪問した、ということは正史に記述がある
・演義はそこを膨らませて「三顧の礼」エピソードにしたてあげた。