真田昌幸・・・この男の智謀はワシをしのぐものがある
昌幸について語ろうか
それでは2、発言するがよい
2
ああ、昌幸の父、幸隆もやり手じゃな・・・
自己レスですまん、それでは3よ、発言せい
3ゲットなんか言ったら金山衆として強制的に働かせてやる
それ以降も同じじゃ
やっぱり2のような香具師がいたか、
曲者じゃ、出合え、出合え!!
如水もそうだが過大評価されすぎ。
俺は二人の息子のほうが名君だと思う
>>1武田信玄が寿命で死亡しました
跡継ぎを決めて下さい
→今川氏真
穴山信君
武田信廉
今川氏真で宜しいですか?<Y/N>
N
8 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/16 02:26
外交は上手かったんじゃないの?
9 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/16 18:01
家康をブルブルさせたんだから、それで十分。
勝頼来たら殺すという手紙を信長にだしたという話カッコイイ
(;^)▽(^)ブルブル?
嫡男 伊豆神信之もカックイー!!
ちなみに時代劇専用チャンネルで真田太平記放送中。
14 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/16 19:37
碁を打ちながら戦闘指揮したり、舞をまったりあっぱれ。
真田一族は結構女好きだよな〜
昌幸はいまさらだけど、信之は70過ぎても盛んだし
幸村は9人の子供が居るし・・・
小松たん
17 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/16 20:38
小松は性悪女!あいつのどこが偉い?どこが気丈か?小松じゃなくても7万石(適当)程度の真田と260万石の家康比べたら、
家康側について城門を閉ざすわい!江戸期の御用学者じゃなかった御用作家が徳川幕府におもねって「気丈な小松」像を作ったに違いない!
ほんとに気丈、さわやかな女性なら無勢の真田昌幸につくわい!
>>17 一体どういう理論だ?出鱈目言いやがって馬鹿が。
19 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/16 21:12
____
/∵∴∵∴\
/∵∴∵∴∵∴\
/∵∴∴,(・)(・)∴|
|∵∵/ ○ \|
|∵ / 三 | 三 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|∵ | __|__ | <何だよ
\| \_/ / \_____
\____/
(・ω・)あっそ
21 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/16 21:13
おまんこスレさらしあげ
22 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/16 21:14
うんこうんこー
気弱小松
小松「7万石で260万石に勝てるはずが無い」
昌幸「最後にひと目合わせてくれ」
小松「危ない危ない、開けたら何されるかわからないガクブル」
真田昌幸に門を開けるほうがはるかに気弱だろう。
25 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/16 22:15
>>18 小松は通常の行動をとったのです。世にいわれる程,褒められた人物じゃあないと言いたかったのれす。
26 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/16 22:22
実録!小松嫁入りの日のスピーチ
小松「苦しゅうない、わらわが本多忠勝の娘にして徳川家康様の養女の小松じゃ。以後よろしく頼むぞ。
わらわに粗相あれば、いつでも父上に申し付ける故、言動には気をつけられますよう・・・。」
頭の悪いアンチ徳川がいるみたいですね。
>>24 ってゆうか、あそこでほいほい門を開けるような軽率な
女だったら真田家の嫁は勤まらんだろう、だから昌幸も賞賛したんでしょ
>>28 俺は賞賛したおぼえはない!
歴史が改ざんされておる!
おれは心の底からあの時、沼田が欲しかった!
そもそも俺の沼田に対する執着は余人にはわからぬ!
よそから来た小娘に沼田城の城門を閉ざされた時は
奴を捕らえて、口に指を突っ込んで引き裂いてやろうかとさえ思ったわ!
>>29 そんなこといっても俺を内府に近づけたのはあんたの二股外交でしょうが!
内府様に楯突くんだったら沼田ごときにこだわらないでくださいよ!
そもそも誰のおかげで助かった思ってんですか!
九度山で源二郎とおとなしくしててください!
>>30 そのことよ・・
おう、信之か・・・
酒が尽きたぞ、またいつものように送ってくれや。
それと銀も足らんぞ、はよ送るように・・・うーん、これはいかぬ・・・目がくらんできた。もう寝るぞな・・。
32 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/16 23:58
どうしても、丹波のてっちゃんの顔が浮かぶ...
そりゃそうよ、私もそれを想定してカキコしたんだもん。いま時代劇チャンネルで真田たいへいきやってるらしいじゃん。うち地上波しかないから見れなくて残念
弟は人気があってうらやましいのお。
くせ者昌幸、重厚な信幸はいいんだが
信繁がかっこよ過ぎだよな。
36 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/17 12:39
丹波の昌幸以外に秀逸な作品
加藤剛と森繁主演の「関が原」 福島正則
松方弘樹主演「真田幸村の謀略」 加藤清正
よろ錦とサニー「柳生一族の陰謀」 お坊さん
37 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/19 07:36
あげると家康ガクブル?
38 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/19 09:15
雪村
ナガシノで死んだ二人を忘れるな
ゲームで政治が高く評価される理由がよくわからない
謀略ならともかく小領主
とびきり領土を広げたわけでもないのに
42 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/19 12:47
やっぱ小ながらも家康を2度手玉にとったしね。
真田紐も考えたし。
43 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/19 14:15
そうだ、額は広げたんだその点を評価汁!
戦国の十勝花子
高い智謀や統率は認める。関ヶ原や織豊期の立ち回りから実績十分。
しかし上田・沼田・松代の税率って昌幸の時代から全国最高だったという
農商工でも真田紐くらいなんだから歴代信ヤボには高評価されすぎだと言いたい
どっちの政治力が優れていると思う?
・低い税率しか課していないのに民衆不満たらたら
・高い税率なのに領民ハッピー
税率が高くても、住民の平均所得が高ければいいじゃん。
ていうか、上田・沼田の実石高は表高の倍ちかくあったらしいから、実質税率は低いよ。
↑反論になってない一例さらしあげ
49 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/20 19:23
>>47 どっちの政治力が優れていると思う?
・低い税率なので領民ハッピー
・高い税率なので民衆不満たらたら
今は真田が観光資源になっている。
領民も当時は大変だったが
子孫はその恩恵を受けているんだ。
良いではないか。
政治力との関係はないな。おいらもインフレだと感じた。
昌幸なら65-75くらいでいいと思うです。
信幸をもっと評価しても良いと思う。
勝ってから兵を進めると言われ
10倍を越える数を揃え北条軍を追い返した
矢沢薩摩の数字が納得できない。
54 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 03:30
鈴木右近の登場がまだなのが不満。
オヤジの主水(重則)は登場しているのに・・・。
税率と、領民の生活安定度は必ずしも一致しないといいたいのですが、通じませんか?
真田領の領民が、他国に比べて貧困にあえいでいたという記録がありますか?
>47とは違うのだが
普通な税率*実高=高い税率*表高
ってわけで、表面上は税率が高かったとかない?
だが・・・それがいい・・
表裏比輿の者なのにやたらアンチ家康な小説多杉
だが・・・それがいい・・
えー
61 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 02:37
>上田・沼田・松代の税率って昌幸の時代から全国最高だったという
これのソースがないのに領民だの子孫だの言ってみてもしょうがないと思うのだが
話は変わるが信之・幸村の弟ってものすごい影の薄さだよな
まだ昌幸の弟の信昌とかは知られてるけど
武田→織田(滝川)→北条→徳川→上杉→豊臣
たしかに5回やってるな。表裏比興
>61
存在すら忘れられているな。
俺は居たのは知っているが
名前も功績も覚えていないや。
>62
そこまでやっても生き残っているのは
有能であったからということだ。
そうだね
生き残るって大変なんだよ
ほんとそう思う
なにをいうか、簡単なことさ。
藻前ら、ここで一席・・・茶会を開こうではないか。
誰か、そこの平蜘蛛で湯を沸かしてくれぬか?
真田まさお
どうも政治力ときいて民政のみと勘違いしている人がいるようですね
外交は政治力なしで行えるものですか?
_,,,,,,,
, - ' ゙ `` ‐ 、_,,,,,
,r' /=ミ
/ 彡ll',''´
. / 彡lll
!-- .、 ,、、、、,,, 彡lノ
l,,,,,__ / ___ 'r''゙ヽ
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゙、''゙ ,,、二''‐ ノ l、
''''''''7'ヽ ''' / /`〉`゙T''''''''''
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| | | l / ./ .| |
. | | | l / / | |
| | | ', / / l .l
信長が
>>69の平蜘蛛を奪いにきたようです。
篭城しますか?<Y・N>
>>71 外交はコーエーゲーの場合、特殊能力や智謀系パラによるじゃん
民政に失点があるなら80台は過大評価と言えるのでは
別に失点らしき話は聞いたことがないが?
自領に大軍を呼び込んで撃退するには
民の支持は必要要素だろう。
税率が高かったってだけの話だろう。
75 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/12 08:14
この前、仕事のついでに名胡桃城跡にいってまいりました(雨の日)。狭い場所でした。てゆーかただの薄暗い雑木林でした。堀らしきものがあり
「ここにたくさんの雑兵が落ちてハリネズミみたいに死んでいったのね・・・」と物思いに耽ってしまいました。
さらにどんどん進むと林に囲まれた、本丸があったであろう台地につきました。
周りにだれもいなかったので、「本丸、一番乗りー!」と叫んで見ました。
すると一迅の風が吹き、雑木林がざわざわと音を立て始めました。
気味が悪くなったので、足早に立ち去りました。
「本丸、一番乗りー!」
「本丸、一番乗りー!」
「本丸、一番乗りー!」
「本丸、一番乗りー!」
「本丸、一番乗りー!」
「本丸、一番乗りー!」
「本丸、一番乗りー!」
「本丸、一番乗りー!」
「本丸、一番乗りー!」
77 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/12 12:30
>>76 絶対そこ突っ込んでくるとおもった・・・。
だってやってみたかったんだもん・・・
( ^〜^)yワリ―か、ォラ
>>76 あんた自分の方がイタイ事に気づいてないのw
「本丸、一番乗りー!」
「本丸、一番乗りー!」
「本丸、一番乗りー!」
「本丸、一番乗りー!」
「本丸、一番乗りー!」
「本丸、一番乗りー!」
「本丸、一番乗りー!」
「本丸、一番乗りー!」
「本丸、一番乗りー!」
をまえら当然真田太平記は読んでるよな?
アレを読めば伊豆守信幸の大ファソになりますよ
>80
いいや、お江だろ。
ニブヤボにも出して欲しいよ。
筆おろしのお江
最近の太閤立志伝は信幸の能力値がかなり高くなってるのでうれしい
天下取りそうな能力な
>>80 読んでないが真田一門では信幸が一番萌える
与助かわいいよ与助
>85
俺は幸隆がいい。
88 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/14 06:55
いや、信幸の関が原の折の、「東軍に着くべき」と主張する冷静な態度、
将として立派だが、現実的で浪漫がない。
悟りきった発言がむかつく。
でも池波小説すき!!ついで「晩年の信之」は好き!!
結局、好きやネン。
長男が真田太平記読んだらもうイチコロだな
俺は長男だが信繁の激しさの方がいいな。
今日、電車の中で真田太平記読んでる親父がいたよ。
何と言っても大阪夏の陣で徳川家康の陣に突撃した幸村がイイ!
それがなければ真田家は今ほど知られることがなかったかも
真田家と本多家の血を受け継いだ息子の能力ってどうだったの?
ユーリカマノフスキー
イワン雷帝の専制下で弾圧され、
シベリア併合によって東方へ移住したロシア貴族の末裔で、
本名はユーリ・カマノ フスキー
こりゃすげぇ・・・
幸隆もイイぞ
>>97 戦わずしてあっさり武田の軍門に下ったじゃん
>98
降ったというよりも
拾われたって感じ。
100
風雲録の昌幸の能力はすごかった
俺が最初にやった信長の野望が風雲録
これがやりたくてスーファミ買ったよ
丹波
哲郎
霊界
渡瀬
まき
∧_∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)/< 先生!
>>109のボケに期待していいですか?
_ / / / \___________
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\
||\ \
||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
.|| ||
上田
110 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/12 18:00
城
みちる
112 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 01:51
また、「丹波」。
りん
114 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 02:53
リン
グにかけろ
116 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 20:11
ろーにんですが、なにか?
>116
お金を融資しましょうか?
金利なんて安いものです。
取り立てもTVでやっているような事はやりませんよ。
とりあえず、30両程お貸ししましょう。
月末に金利をいただきにあがります。
118 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/18 00:50
六文銭
真田が来る(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
>120
いやいや、巨人の真田でした。
っていうかさあ、家康が震えたのって、恐怖じゃなくって怒りからじゃねーの?
いいえ。ウンコを我慢してただけです。
>>122 同意。
家康自身は真田と合戦したこと無いのだから恐怖で震えるなんてありえん。
生かしてやったのにまだ逆らうのかと思ったら怒りがこみ上げてきたのだと思う。
>>124 安房守に大坂城に籠もられたら怖いんじゃない?
>125
安房守の城でも領土でもないし。
信濃と違って縦横無尽に
迎撃はできないだろうし
実質的にはそんなに怖くないと思う。
問題は精神的なものだろう。
127 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/23 22:56
信之、実は幸村も昌幸も凌ぐ凄い能力持ってそう。
熊ある贋は瓜を隠すと言うしね。
128 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/23 22:58
>熊ある贋は瓜を隠すと言うしね。
ガ板にスレ立ててきていい?
マジで!?
器用な間違えだなぁ・・・
132 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/23 23:38
マジレスします。信玄以外、徳川軍に2回勝ったのは、真田家しかいません。
完全な勝利ではないという向きがあるかもしれませんが、1次、2次上田合戦ともに真田勢は2千あまり、
対する徳川は1次が1万で、2次が3万6千ということを考えれば、完全勝利でしょう。
1次が1580年代半ば、2次が1600年の出来事であるならば、1615年頃には「伝説化」しております。
安房の守が大阪城に入城した場合の大坂方の衝撃度は幸村の10倍はあるでしょう。
「ああ、この方が古くは軍神武田信玄に仕え、徳川家を2度も破った伝説の将か・・・」てな感じになって、
大坂方でも破格の扱いをうけるでしょう(幸村でさえ一手の将をまかされた)。大野治長は幸村に対しては「まあ、お待ちあれ、それは危険でござれば・・」と
反論めいたことをいって、軍略の邪魔をしてきたが、昌幸に対して彼が戦のうんぬんを言うことができるだろうか?
たとえ出来たとしても、老獪な昌幸のことだ。「治長殿のいうこと尤も尤も」と受け流し、遂には自分の思い通りにことを運んでしまそうだ。
治長が邪魔と判断したら、消してしまう事だって、彼ならありうる。
マジレスでIFネタか
>132
豊家の名にすがった者どもが
信濃の小大名に仕切らせるかな?
勝つことが目的だったわけでも無さそうだし。
真田太平記では信繁が、
家康の代わりに天下を仕切れる男は
信幸と言っていたよね。
135 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/24 04:35
>>134たしかに昌幸の身代は少ない。信濃の小大名であることもたしか。
しかし、豊臣7将どもが仕切れるとは思えない。ましてや側近の子供ら(渡辺了や大野兄弟、木村)が仕切れるはずもない。
残るは浪人衆、元国持ち大名であったのは長宗我部盛親だが、この人物も象徴にはなりはすれ、仕切れる器ではない。
そう考えて行くと、憎っき徳川家に2度もギャフンと言わせた昌幸が自然と脚光を浴びるはず。浪人衆の誰かが昌幸を押しのけて
自分が総大将になるという奴はいないかと。くどいようであるが大坂入城した時点では無名に近い幸村が3千率いる一手の将に担ぎ上げられたぐらいだ。
昌幸の息子という触れ込みだけでね。たしかに当時昌幸ぐらいの規模の小大名は大坂方にいくらでもいる。しかし当時、昌幸ほど輝かしい戦歴をひっさげた奴は他にはいない。
大坂方はもはや譜代が浪人衆に押され、統制が利かなくなっている状態。昌幸が総大将になってもおかしくはない。もともと大坂方もにっちもさっちも行かなくなって、指揮権を奪われるリスクを踏んで、
浪人衆を募集したのだから、わらをもすがる思いであったことは容易に想像できる。
結論として、信濃の小大名に仕切らせる可能性は十分ある。
136 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/24 05:03
>>134 関が原前夜、家康が太閤の遺訓を破って、各大名と姻戚を結びまくったが、真田家と徳川家の姻戚関係は知っての通り
それよりずいぶん前であり、仲介役は太閤その人。これは太閤死後の乱発婚姻と明らかに性質がことなり、両家は対等であることを
示している。しかも婚姻をむすんだのは第1次上田城合戦(真田の勝利)の後である。次男の幸村も、宇喜多秀家と同じように太閤の小姓を務め、太閤の
余慶をずいぶん受けており、他の小大名とは別格の扱いを受けている。もちろんその後、幸村は太閤の子飼いの大谷刑部の娘を貰っている。
以上の豊臣家との深い縁を考えれば、当然、当時真田家は他の大名からも一目置かれた存在であったはずだ。ただの信濃の小大名と考えるのは、早計であろう。
137 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/24 05:13
>>134 >勝つことが目的だったわけでも無さそうだし。
たしかにここの部分は反論しようがない。みな人生の最後の花道を飾るために
勝敗度外視で臨んでいたろうから、みんな自侭に戦うおそれはある。
あと織田常真、有楽が総大将になる恐れ(ていうか事実なった)もある。
やっぱ歴史どおりの結末が一番美しかったのかな・・・
昌幸なら大坂の情報を集めまくった後
徳川に売り込みに行く気がしなくもない。
天下の城塞が何事も無く没
>>135 なんか誰それが仕切れるはずがないとか決め付けてるようだが、
大坂方って結局誰が仕切ってたんだっけ??
あれあれ?昌幸が生きていてもお鉢は回ってこないような・・・。
徳川家と婚姻を結んだといっても、やってきた嫁は家臣の娘だしねぇ。
大谷吉継は小大名だし。
141 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/24 23:52
仮に誰が大坂方の総大将(名目ではなく実質)になったら、家康は嫌がるかな?
どんなに気位の高い女優でも、丹波哲郎に一喝されれば
ショボーン となる。
>>139 大野兄弟じゃないかと。
幸村って太閤に羽柴姓(豊臣姓だったかもしれん)を一応許されてた筈なのに
軽んじられてるような。
144 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/25 00:24
昌幸「んー?なんじゃー?またワシの噂しとったかー?大坂城にもし入城しとったら?
そのことよ・・・まーあ、みんなで考えててくれやー
うーん、これはいかぬ。また眠くなってしもうたわ。わしはもうねるぞな、んじゃ」
兄貴が徳川方だからなぁ
信頼性に欠ける
表裏批興なら大坂入城なんかせんだろ
147 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/25 00:34
スレが立てれないので徳川家康がいなかったら誰が天下をとってたのかとゆうスレを誰か立ててください(>_<)
ふむ〜〜〜
149 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/25 02:01
>>141 清正は?池波小説好きなせいか、彼がとても偉大な人物に思えてしまう
150 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/25 02:14
真田昌幸って、上杉景勝を裏切った事はあったっけ?
勝つ気がないってのは浪人衆じゃなくて首脳部。
最初はあったかもしれないが
誰も参陣しないのをみて諦めただろう。
浪人衆が諦めたのは、堀を埋められた時じゃないかな?
信繁は無名ではないし、明石、後藤も名は通っている。
盛親も小田原、朝鮮では活躍している。
ただ、信長の姪で秀吉の寵愛を受けた
淀君からすれば皆下賤の者だろね。
152 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/25 08:42
昌幸は博打うち。
関ケ原で東軍についても、自分の身代からいっても、多くの加増は見込めない。家康とはお互い生理的に合わないし。
ならば西軍に汲みし、大手柄(結果的に徳川本隊の足止め)たてて、一国賜った方が得策と考えた。
大坂入城は表裏比興だから無いといいきれない。なにせ過去に沼田城をいわれなく、召し上げようとした家康に対する怨みはそう簡単には忘れられない。
そもそも当時の徳川軍など武田軍制の一亜流に過ぎないと、この元信玄の小姓はたかをくくって小馬鹿にしている。
あと如水ほど純粋潔白ではないが、昌幸も軍略を好む面があると思う。「天下の兵を向こうにまわし、思う存分、己の軍略を使い且つ、知らしめたい」と考えていたに違いない。
家康に十数年も九度山に押しこめられ、怨みは骨髄で、自分もそう長くはないと考えれば、いまいちど、狸をギャフンと言わせるために大坂城入城もあるであろう。
司馬視観のコピペ
154 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/25 11:19
わかりますぅー?(^一^*)
155 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/25 11:35
今、昌幸の小説読んでんだけど、幸隆ってさ。おぶの娘と結婚してんだね。じゃ昌幸は山縣と同様、複雑な立場だったんじゃない?信玄の嫡男自決の時。 真田家はお咎めなかったの?昌幸と勝頼は幼い時から仲良かったらしいから大丈夫だった訳?
うむ
別に祖父じゃないし
158 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/25 12:32
信玄は忍人。
使える奴はころさん。
159 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/25 13:01
>>157 え?おぶって母方の祖父じゃないの?
でも兄二人はその二人の子供って書いてあるよ。腹違い? でも武田好きとしては昌幸が赤備えの縁者とは少し感動! しかも小説には昌幸の幼き頃の師が山本管助になっとるW
160 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/25 23:29
昌幸は猛将・飯富虎昌の孫、四名臣・山県昌景の親族そして智将・真田幸隆の子。信玄に11歳から側近として使え、兄二人設楽ケ原の戦で戦死し真田の家督をつぐまで甲斐の名門、武藤喜兵衛を名乗る。
まさしく名将になるべくして生まれた男ですな
はいはい
そんな血で生まれながら
何故にあんな女好きな殿が・・・
>>160 改めて見るとエリートだよな まさにサラブレッド。
サラブレッドは2代では認められませんが、何か?
(´ι _` )あっそ
>160
それでも結局は信州の山猿で終わってしまった田舎者でせう
真のサラブレッド信之が頑張ったので良し
168 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/26 09:08
甲斐や支那のの土豪風情がサラブレッドとは・・・。
あ、ハルウララもサラブレッドだったっけ。
169 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/26 12:32
土豪だの山猿だのやかます!しょうがないだろ!
昌幸は臣下からスタートなんだから、大名からスタートした家康とは土台違うのは当たり前。
単独大名デビューは1582年で、当時北は上杉、西は北条、南は徳川と版図の広げようがない。むしろよく立ち回って生き残ったなって感じだ。
とここまで書けば「秀吉はどうなんだ?奴は百姓から天下とったぞ」とほざく勘違いのクソバカ助がでてくる可能性があるから一様言及しておきますが、奴はすでに長浜城主で軍団長、すでに・・・ああ、お腹いたい、うんちしてくるから、みんなまってて!
人生の三分の二を他人に使われる人生だった男と比較しても。
「独立勢力の長」となったときが天下盗りのスタートなんだから、
そういう意味では秀吉はスタート時で中国地方を治める大大名だったことになる。
それ以前は信長の庇護下に居たワケだから、この場合の比較対象には不適当…
昌幸が天下取りって…
大名デビューって…
172 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/26 14:21
ふう、ひとごこち着いたわい・・・。
で、何の話しだっけ?
そうそう、猿は主家乗っ取りで勢力膨らんだだけ、鍋島直茂も然り!
昌幸は乗っ取りたくても、肝心な主家が衰退してたからねえ。
前置きはこのぐらいにして本題に入ります。
つまり小身であろうと、戦国時代において中央情勢にこれだけ影響を与えた大名はいない。
1、名胡桃城事件(北条征伐のきっかけを作った城。つまり秀吉の天下統一に意図せず貢献した城)
2、関ケ原の折り、上田城で足止め。
3、夏の陣、真田丸で徳川勢多いに苦しめる。本陣突入。
以上のように地方小大名であるのに、地方の奮闘記よりも中央での実績が多い。
つまり自分の高以上の活躍しているわけだ。
ねむ・・・い。
真田昌幸…って、戦で負けた事はあったのかい?
174 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/26 15:49
>>172 主家を平気で乗っ取るような猿と昌幸を一緒にするなよ。真田家は、仇敵であった若き頃の信玄の才を見抜き人生を託し生涯忠節を誓った幸隆を筆頭に昌幸、幼き信繁は最後で勝頼を救おうとした。
信長もまさか猿に乗っ取られるとは思わなかったろう
何とでも言えるな
結果の出せない武将はさもしい
177 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/26 17:01
真田はカツヨリが天目山で死ぬ前に北条に気脈を通じた文書を送ってるんですが。
しかもその文書、現存してんですが。
もしカツヨリが沼田に行ってたら、岩櫃城の小山田信茂と同じことしたんでないの?
もはや一辺の土地をもたぬカツノリに味方しても、しょうがないからなあ。
たぶん北条氏に身柄を渡して、カツヨリは信虎状態でしょう。
俺は昌幸を信じてるよ
>>174 う〜ん…
実際その気持ちはあったと思うけれど、戦国時代だからね〜
やはり、お家を残す為には武田勝頼は切り捨てなければ…というのが一般論
名胡桃城の城主とは窮地の間柄だったのに…見捨てているしね。
信長の場合は、少しは考えていたんじゃないかな?
確かに跡取りは信忠だけれど、もしかしたら…なんて……
感情論
181 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/26 17:27
>>179 >信長の場合は、少しは考えていたんじゃないかな?
確かに跡取りは信忠だけれど、もしかしたら…なんて……
草野仁「なぜ、そうおもわれますか?てゆーか、意味がわからん。おしえれ。」
文中に「カツノリ」って書いたのに、誰も突っ込んでくれない・・・
<ヽ`∀´>けっ!つまらんニダ
信長は信忠が光秀に勝てるかどうかがポイントだ、と思ってただろうな。
万一信忠も討たれたら信雄や信孝でやっていくのは正直厳しいと思ってたんじゃないか。
184 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/26 18:15
わけわかめ
187 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/26 18:20
>>183 では信長は信忠が死んだら、光秀に相続させるとでも・・・
188 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/26 18:28
はぁ?最後の最後まで勝頼に恩ある上杉に援軍を頼むなど助けようとしてる!!真田の旗は三途の川駄賃の他に主家武田の忠義を忘れぬためと言う意味もあんのしってる? 北条のだって助けるためじゃないの
189 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/26 18:38
>>188 まあ、そうかも知れないが・・・
昌幸が北条に送った手紙はどっちともとれる書き方なんだよね・・
武田の一族、有力将は皆殺しにしたが・・・昌幸なんかは滝川の幕下に編入されたところをみると
信長が「筋の通った奴」と認めたのかもしれないね。
190 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/26 18:57
どの道あの時点で少々真田が味方しようとも
勝頼は助からないよね。
対武田遠征は勝頼死亡が一つの目的だから
実を上げるまでは引き上げないだろうし。
徳川の二の舞になってたろうなw
>>187 アホか。
信忠が討たれたら織田家を相続すんのは信雄に決まってんだろ(普通なら)。
でも畿内を制圧した光秀に勝てるかどうかは怪しいという読みは成り立つ。
信雄タンは既に北畠家を継いでしまっていますね。
武田勝頼は相続の2年前に諏訪から武田に復していたが、
信雄タンは信長が死んだその時まで北畠だったから、
相続は難しいんじゃないでしょうか。
漫画や小説上の真田を追いかけるスレ
196 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/27 01:29
ここで有楽斎ですよ!
織田家ってのも骨肉の争いしてるからな
まとまりがないっちゃあない。
あれよあれよと家臣に掠め取られたと・・・
下克上を自ら演じてくれた織田家ってのは面白いね
198 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/27 01:40
あの・・・真田は・・・
>198
骨肉の争いがなかった・・・
幸隆は義父を討ったな。
>>193 清洲会議のときの当初の家督候補者だったノブカツと信孝は
両方とも養子に出てたわけだが。
(´・ω・`)??
昌幸ってやる事が一貫してないんだよね。
武田→織田(滝川)→北条→徳川→上杉→豊臣って勝ち馬に乗るのが信条なくせに、
関が原では西軍に付くし。
家康嫌いって言われるのに、信之を家康にやるし。
正直、よくわからん人物だよな。
>202
徳川→上杉→豊臣は、勝ち馬に乗ると言うより
沼田を守るための方策だな。
その沼田を守った叔父の矢沢綱頼
この人もかなりの人物みたいですね
何度も北条を撃退してる
>>202 家康嫌いってより、領土保全のために足掻いてただけじゃないの?
>205
第一次上田合戦の裏に隠れているが
それ以上の兵力差を同時期に
押し返しているんだよな。
時専でやってる真田太平記でも矢沢頼綱の死は大きく描かれてたな
208 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/30 17:39
>>202 『〜関が原で勝っていたら・外伝〜』
その壱・「もし真田が会津征伐に従軍していたら・・・」
小山会議にて・・・
家康「知っての通り、佐和山で三成めが挙兵しおった・・明らかな豊臣政権に対する謀反である!各々方、妻子が大坂におられるであろう・・この家康、貴殿らが西に着こうが一切止めだていたさぬ!ご自由になさるがよろしかろう!」
福島「(今だ!!)あいや・・!!」
昌幸「あいや待たれい!!さすがは内府殿!!天下の器量人でござるわ!!なるほど、ではお言葉に甘えてわしらは帰らせて貰いましょうかいのう!!!」
(!!!!!家康をはじめ一同驚愕)
福島「ななな!何を申すか!安房殿!!齢六歳の秀頼君が此度の挙兵を指示できるわけがない!!才槌小僧の企みであることは明白じゃ!!」
昌幸「だからなんじゃと言うのだ?治部が秀頼様を頂いている限り、大義は冶部にあり!「義」は三成にありじゃ!ほっほっほ!!」
長政「ぬかせ!!!きっさま!!うぬの半生で『義』などというものが、今まであった、ためしがあるか!!!」
昌幸「ふふふ、何とでも言われよ!とにかく我らは兵をまとめて帰還いたす!大坂に向われる際は是非、中仙道を通られよ!きっと矢玉、刀槍をもって馳走仕るであろうよ!!ははは!」
仙石「ぬう!!敵となるならば、今討ち取っても同じこと!!死ねい!!!(ザシュッ!!)」
ガキーン!!!
仙石「あ痛ー!!!」
幸村「くくく!!さっそく内府の前で、点を稼ごうとする才覚人め!!せいぜい気張って、狸から数万石でも拝領するが良かろう!!ふはは!!」
昌幸「各々方、忘恩の輩は内府に着くがよろしかろう!!なあに治部が弱かろうと、わ・し・が勝たせてみせようぞ!!幸村!!行くぞ!!さらば太閤の恩を忘れし者ども!!」パッパカ!パッパカ!
(・・・・・一同呆然)
山内「わ、わしも・・・帰らせていただく!!」
堀尾「それがしも!!!!妻子が心配じゃ!!!」
(その後、諸大名の帰国宣言があいつぎ、徳川幕下以外、誰もいなくなった)
正信「・・・う、上様・・誰もいなくなりましたな・・・・・」
家康「わわわ!!!・・・・もう!!ちょっと待ってよ〜!!!ウ゛アアアアアンンン!!(両手の爪を全て噛み破る)」 完
結論:秀頼頂いてるので昌幸は西軍についた?
>>202 そう思うよ。だって徳川に対抗するために信繁(幸村)を上杉家に
人質に出しといて、後になってからこれじゃ徳川にはかなわんということで
景勝を騙すようにして人質をとりかえしてあわてて秀吉に臣従。
すぐれた戦術家ではあっても、すぐれた戦略家とはお世辞にもいえない。
しょせんは狭隘な領地に固執するただのいなかもんだよ。
関が原でも三成や直江から事前に大事を相談された形跡もないしね。
211 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/31 17:13
>>210 あ、あんまりや・・・他スレにあったの貼り付けただけだよ〜!
ヽ(`Д´)ノウワァァァン
スマソ
とりあえず、昌幸は幸村とは呼ばないだろうな。
源二郎ならあり得るのかな?
214 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/31 21:45
サエモンノスケだろ
215 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/01 00:00
僕のおつむで考え付く「サエモン」
1 福島正則
2 真田幸村
3 遊び人の金さん
内股膏薬
っていうか、福島はなぜ左衛門佐ではなく、左衛門尉+五位だったのだろう??
田舎の小大名の次男坊よりも二十万石の清洲城主の方が見劣りがするんだが。
218 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/01 00:21
219 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/01 18:36
サモンと聞いただけで・・・
豊作?
福島正則は改易されて川中島に移ったんだよね。
真田とはお隣さんってこと?
このやろおおおお!!
太閤様は乗っ取ったんぢゃないわい!
信長公の覇業を引き継いだだけぢゃ!
子供がボンクラでは覇業は成しえなかったんぢゃ!
太閤様か家康ぢゃなきゃできなかったんぢゃ!
そこんとこ、よろしく!!
223 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/02 12:36
>>222 結果論かと・・・
別に柴田勝家でも明智光秀でも、毛利家でも覇業は引き継げるさ。
このやろおおおお!!
けど秀吉が簒奪(と言えるかすら謎だが)後も非難の声ってのは
さほど上らなかったんじゃない?
初めは織田信雄も大諸侯として残してあるし。
その点は悪辣な手で豊臣滅ぼした家康とは大違い。
確か、徳川家って秀吉の墓暴いて遺骨掘り出したんだよね?
このYAROOOO!!
それが必要だったからだ、悪意はないし家康の趣味と言うわけでもない。
どこぞの太閤さんのように女子供を串刺しにして喜ぶ趣味はなかんべ。
226 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 02:53
「どこぞの太閤さん」じゃ、匿名チックじゃありません。
それは例えるなら「どこぞの座布団を運ぶ落語家」と表すのと同じくらい特定されちゃってます。(^^ゞ
227 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 02:54
「どこぞの太閤さん」じゃ、匿名チックじゃありません。
それは例えるなら「どこぞの座布団を運ぶ落語家」と表すのと同じくらい特定されちゃってます。(^^ゞ
228 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 02:58
「どこぞの太閤さん」じゃ、匿名チックじゃありません。
それは例えるなら「どこぞの座布団を運ぶ落語家」と表すのと同じくらい特定されちゃってます。(^^ゞ
229 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 03:01
「どこぞの太閤さん」じゃ、匿名チックじゃありません。
それは例えるなら「どこぞの座布団を運ぶ落語家」と表すのと同じくらい特定されちゃってます。(^^ゞ
家臣に城をぐるりと包囲されるような親子が
天下を治めてると言えるのかね・・・・結局浪人以外
みんな豊臣家を見捨てたんだよ、黒田も細川も福島も加藤も蜂須賀も
浅野も佐竹も上杉も前田も池田も豊臣家の滅亡には(消極的にせよ)
合意してたんだよ、滅びるべくして滅んだとしか言いようが無いな。
231 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 03:22
「どこぞの太閤さん」じゃ、匿名チックじゃありません。
それは例えるなら「どこぞの座布団を運ぶ落語家」と表すのと同じくらい特定されちゃってます。(^^ゞ
ここは真田スレ
>>230 なんかそれが儚いよな。
儚き太閤 一代の夢幻や 朝露と落ちけり 春日な夢の夢かな
朝からっぱらから詠んでみたぜ!
この親父のせいで信之は苦労しただろうね。
孝行息子の鑑だね、昌幸もちったぁ忠勝公に感謝しる!
幸村って長渕剛みたいな顔してたんですか?
238 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/10 01:16
ギター持たせてみたいね
長渕に頃されそうだ
ところで、「比興」って卑怯にも通じる所があるの?
あるぽ
第一印象は「昌幸」って名前が妙に現代っぽいと感じたことかな。
244 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 19:19:36
おまーの名は正行かえ?
245 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 23:32:37
真田家を転封できるとしたらどこの国の何城が良いと思う?
246 :
信之:04/09/12 00:09:30
頑張ってるんだからそんな事考えるなよ(´・ω・`)
岐阜城
五稜郭w
将軍家のマゾプレーで大坂城に転封。
熊本城
帰雲城
小田原城
254 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 13:41:29
もうみんな真面目に書いてくれよー!
>>217 幸村の左衛門佐は正式の任官じゃないだろ
正則の左衛門尉は朝廷からの任命だからこちらのが格上
増刊「乱」の戦国武将列伝 第四弾の
山内一豊のところ読んでいたら
>>208 とオーバーラップしてしまった・・
>>255 まじ?幸村公が無位無官の下郎だと強弁しようというのか?
いい度胸だな。
>>255 正式の任官とそうでないのはどう違うのか?
幸村公ワラタ
信繁
信繁公だとどうしても典厩が
どうって、同じの訳はないだろ。257に釣られてんじゃないよ。
↑
意味わかんない。
265 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 08:36:25
このスレにくる奴はたいてい「信繁」だって知っていて、あえて幸村と表記して書いているのでしょう。
だから「信繁だろ?」ってオナニー覚えたてで得意になっている厨房みたいな突っ込みは止めといた方がいいと思います。
だね
267 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 12:55:36
>>255 >幸村の左衛門佐は正式の任官じゃないだろ
正則の左衛門尉は朝廷からの任命だからこちらのが格上
↑
え?まじで!幸村が任官された時期は太閤の小姓を勤めていたときじゃないの?
正一位関白のそばに侍っている者が正式な官位を持っていないというのは解せんのだが・・・
織田信勝といい、俗称が定着しているならそっちでいいと思うけど。
西郷兄弟も間違ったまま訂正しないで通して定着させちゃったし。
んで「幸村」って俗称はどこから生まれた?
270 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/25 13:33:29
>>269 だから前にも教えたでしょうが。何回言えばわかるのか・・・?
兄・真田信幸は戦後名を「信之」と変えた。それは徳川家を何度も痛い目に遭わせた「昌幸」の「幸」を名乗るのを憚ったためだ。
徳川家に仇なす文字はもうひとつある。それは妖刀村正の「村」という文字だ。
つまり徳川家に忌まれている2文字を合体させた存在が「幸村」である。
江戸期の講談家たちが恐れ多くも神君の御本陣に突入した真田信繁にどんなオドロオドロしい名前をつけようかと考案した果てにつけられた名なのである。
271 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/26 01:47:11
>>270 講談師たちがわざわざ別の名前を考案したと?
ソース希望。
>>270 九度山に流された時に法号を名乗ったんじゃないのか?
273 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/26 02:30:32
そういえば、学研かなんかの漫画では幸村さん頭ツルツルだったが
実際はどうだったんだろう?
274 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/26 02:33:45
>>270 これどっかのサイトとかでも書いてる人いたけどね。
271同様、はげしく出典キボンヌ
>270
初めてみたよ
276 :
270:04/09/26 18:04:53
みなさんすみません。
幸村の名の由来は私が長年温めていた妄想でした。
ご迷惑をおかけしました。ペコリ
278 :
270:04/09/26 18:32:11
>>276 そうか、合体がまずかったか・・・
でもなぜ「幸村」なのかは永遠じゃわい。名に「村」がつくのは他に荒木村重ぐらい?
てゆーか最後の文字が「村」でおわるのは信繁以外いるの?
俺、俺
最近のコーエーとか必要以上に美形にしてるから違和感がある
>>278 いっぱいいんじゃね?
古くは大伴金村、
鎌倉の三浦一族、
室町の赤松一族、
江戸の伊達一族・・・
ってか、「村」の字ってそんな特殊な字じゃ無いだろ。
282 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/26 23:47:16
なんだよ妄想だったのかよ。
妄想を居丈高に語る
>>270・・・
釣られたからって蒸し返すなよ
284 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/27 01:02:35
幸村の本名の「信繁」って武田信繁から名前貰ったんだろ。
285 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/27 01:28:48
主筋の人から勝手に貰えるものなのか?
それもソースキボンヌ
主家筋の名前は戦功として貰う場合と、憧憬でつける場合とあるんじゃなかったけ?
前者では榊原康政か。で、信繁は後者だったと思うんだが…
いくつか平行して乱読した本に書いてあった気がする、典拠までは覚えてないが。
287 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/27 03:20:42
>憧憬でつける場合
初耳ですな。例えば誰でしょう?
>>267 小姓ごときが諸太夫(従五位下以上)に任官されるわけがない
伊達政宗とか、先祖の名前を丸々パクる例はあるが、
主筋の名前を丸々パクるというのはちょっと、ね。
しかも次男坊にだし。
290 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/27 17:36:15
>>288 いいや、当時の秀吉の褒美のあげかたって青天井でしょ?
一族郎党というものがいない秀吉にとって、将来豊臣家の重臣になってもらうため
とかく他家の御曹司によく目をかけてやったと思うが・・・当時の秀吉の権勢だったら
従五位下以上の官位を与えることは造作もないことであるとおもうが、いかが?
そうした秀吉の篭絡術あったから、本来全くの他人であった秀家にしても、幸村にしても
あそこまで戦ったということもできるんじゃない?
位階までそう簡単に与えられるかね
292 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/28 01:17:06
>>291 しつこいね、あんたも。
秀吉ちゅー男は「関白」の位に就きたいがため源平籐橘の他にいきなり「豊臣」なんて全く新しい名字を作らしたんだぜ。
自分の女房は従一位だっけ?当時の彼が位階を操作することはたやすいだろ。
293 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/28 02:50:41
>>292 じゃあソース出してくれよ。
幸村が何年何月何日にどういう官位に叙任されたのかの。
294 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/28 03:45:07
何月何日・・・。即答できかねるが、大谷刑部の娘との婚礼の際、引き出物として
従五位左衛門佐に任じられたと記憶してますが・・・。出典は後日。
啓蒙思想
捕手
299 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/05 12:31:59
遅くなりました!
文禄3年 (1594) 幸村28歳
11月
信幸が伊豆守、幸村が左衛門佐に任ぜられる。
出典:上田市立博物館、年表より
300 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/05 17:18:11
三戦にもこんな誠実な住民がいるとは。
感動した!
>>299 横槍すまんが、それの出典は何なんだろう。
博物館や県史の類は必ず出典があるはずだけど。
>>299 同時に任命された?
それちょっと信用できないよ。
伊豆守は従六位下相当で左衛門佐は従五位上相当。
ただの次男坊が家督の兄より高い官位もらったことになる。
官が伊豆の神だったからといって、位が六位だったとは限るまい。
福島左衛門大夫やら知恵伊豆の例もあるわけだし。
尤も
>>299が正しいのかどうかは知らんが。
正直言って、博物館ってだけじゃ分からんよな
>>305 朝廷から宣下を受けた正式な任官と
上級武士が勝手に名乗っていた名乗り
あるいは代々家で名乗っていた官職(酒井左衛門尉、織田弾正忠)
との区別は難しいからね。
もちろんこの場合、信幸は伊豆守でも位は従五位下をもらったはず。
しかし、親父の昌幸が安房守を名乗っていたということも考えあわせると
どちらも下国の守で、小大名の官位としてはちゃんとつりあいは取れてる。
正五位下 少弼(石田三成、浅野長政)
従五位上 佐(真田信繁)
従五位上 少輔、頭(大谷吉継、加藤清正)
従六位下 尉、下国守(真田信幸、福島正則)
こうやって並べてみると
兄や義父よりも高い官職を授かったことになるみたいだな。
309 :
訂正:04/10/12 22:09:58
正五位下 少弼 (浅野長政)
従五位上 佐(真田信繁)
従五位上 少輔、頭(石田三成、大谷吉継、加藤清正)
従六位下 尉、下国守(真田信幸、福島正則)
>>302 織田中央政権が確立し始めてからは、官位や役職を勝手に僭称することはなかったのでは?
もうドサクサにまぎれて僭称する時代でなくなってきたのでは・・・。
ましてや幸村は完全に天下統一した豊臣政権の時代に生きた人でしょ?
青森の大名から九州の大名まで、千畳敷の大広間で一同に顔を合わす情報化時代。
幸村の官位は僭称ならすぐバレるし、大名の僭称は秀吉が許さないのは当然。
よって吟味するまでもなく、幸村は正式な「左衛門佐」に任ぜられたのだちょ♪
大坂城方の重要人物の一人、大野治長でさえ
従五位下の修理亮という官にとどまっている。
真田信繁のような、どこの馬の骨とも知れぬ
ような若衆が、太閤に近侍したというだけで
そのような高い官位を授かるものなのであろうか。
>>310 もっと厳格な官位・官職統制やってた江戸時代になっても、
大身の旗本、陪臣が自分で官職名を名乗るのは許されてたみたいだよ。
たとえば陸奥守は伊達家、薩摩守は島津家に遠慮して名乗るものが少なかったので
別に遠慮する必要はないという幕府の命令が出てるぐらいだ。
age
314 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 18:13:49
真田氏は滋野氏の流れを汲むれっきとした清和源氏。
少なくとも織田旧臣達より良い家柄なんだけどな。
太閤の近侍として共に殿上にあがる必要があるからこその従五位上ではないかと予想する。
315 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 18:43:58
>>314 信濃国海野氏(滋野氏)の一族だったな
でも清和天皇には貞保親王(滋野氏の祖とされる)
という皇子はいないし、多分海野氏はむしろ諏訪氏
と血縁関係にあるのでは、少なくとも清和天皇の後裔
ということはあり得ない
316 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/17 00:57:07
当時の上級武士の風俗と、父兄その他重臣を押し退けてる現実を見れば
自明の理、議論するまでもない
寝たんだよ秀吉と、しかも人質であるのにこんな優遇されたのは
旧来の敵であった上杉家でも同じだった
幸村は並はずれた床上手とみるが自然
317 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/17 01:08:43
もしかして本家を真田信繁
沼田だけを真田信幸
に継がす気だったんじゃないの昌幸
最上の例もあるし。
豊臣家の覚えめでたいほうを継がすのは当然のことじゃない。
>>316 秀吉にその気が無いのは有名な事実ですYO
319 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/17 01:24:21
昌幸の打算だけじゃないの
時代劇チャンネルの真田太平記、
毎週楽しみに視ている。
いよいよ佳境に入ってきたね。
321 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/17 10:15:19
真田家で一番人気あるのはもしかして信之かもな。
そういう漏れも信之好きだし。
322 :
峰不二子:04/10/17 16:27:27
信幸はなんか醒めていて、熱いものを感じないわ。
秀吉:秀長=幸村:信之 くらいの比率だろうな>人気
>>311 大野治長なんて小物じゃん
65万石の大名の家宰でしょ。それも結果的になっただけ
325 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/18 15:38:13
>>324 治長は関ケ原前に家康暗殺計画を立て、失敗している。育ちのわりには物騒な、いや気骨のある奴ではあるな・・・。
まあ淀の乳母・大蔵卿局の子なら、そんぐらいの官位もらっても自然だな。
で、なんの話だっけ?
俗な大坂の陣の小説読んで治長を小物呼ばわりしたかっただけ
信州は上田の小名、真田安房守(自称)昌幸の二男坊、
冷や飯食いの真田信繁が、従五位左衛門佐なる高位に
昇れるものなのでしょうか。
だから(略
>>325 それって家康が前田家にいちゃもんつけるためにでっち上げた、
捏造事件じゃあなかったか?
家康ってたしか欣求穢土厭離浄土のスローガンで勝ってきたんだよな。
藁w
誤字w
ノ
, ,,;)
〜♪ ノ
,.._,/ /〉i^丶 ___/";;___
./// //-| '゙''"'''゙ '' i--ァ /|
/// //~~'ミ ,,,・ ⊥ ・,,, 彡/ / .|
.///_// ` ~~~"' ~~ ~´/ / |
//_《_》′────, ,─‐ ' ./ ./
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄レ' ノr' ̄ ̄ ̄ | /
| ) し | ./
|_______U_____|/
汚名挽回みたいでワロタ
あと30分で真田太平記かな。
これと大リーグのためにケーブルに
加入してるようなもんだ。
●●●
●●●
>>330 確かに晩年はそんな感じだよな。欣求浄土する為に欣求穢土したと無理に贔屓目
に言ってみるテストw 本来は三河の一向一揆を鎮める為に旗印にしたんだっけ?
欣求浄土厭離穢土と比べたら六文銭のほうがさっぱりしてて潔いな。
他所様の旗を貶すのは潔いものではないがな
家康オタは潔いな。
でもね その潔さが鼻につくんだよぉぉぉ〜
┏━━┓
┃掠疾┃
┃如如┃
┃火風┃
┃不徐┃
┃動如┃
┃如林┃
┃山侵┃
┣━━┛
┃
┃
┃
┃
┏━┓
┃毘┃
┣━┛
┃
おまえなにか勘違いしてるだろ?
いつでも死ぬって覚悟の旗って意味で 徳川と真田を比べてんだよ
あんま大差無い
ageてみる
昌幸は小田原攻めの時、秀吉の陣内に家康とともに戦術、戦略を練っていた。
三遠駿の太守と信州の3万石大名が対等に議論していたのだ。
これをみても昌幸のすごさがわかるだろ?おい。
地元だから普通に参加するんじゃね?
信玄の片目だからな。目玉の親父みたいなポジションだなw
>>346 小田原攻めは北条が真田の名胡桃城を奪ったことがきっかけでしょ?
当事者なんだから当たり前じゃないの?
>>346 >昌幸は小田原攻めの時、秀吉の陣内に家康とともに戦術、戦略を練っていた。
もっと詳しく。
名胡桃城を襲わせた真田の昌幸の謀略に対して、表立って褒美を上げる訳に
いかないので、御前で大大名と共に軍議に参加する栄誉をもって代わりとした。
・・・ってのは真田太平記の設定だっけ?
×真田の昌幸の
○昌幸の
布陣図を家康と一緒に見せたんだそうな。
所領をどれほど貰うよりうれしいとか何とか言ったとか、どっかで読んだ。
昌幸と秀吉は馬があったみたいで、よく碁なんか打ったみたい。
どうも昌幸の方が強かったらしく「おまいの碁は負けないようにばかり打ってる、信玄坊主の戦みたいだ」
とか言われたらしい。
>>351 そうねえ・・・沼田を北条に、でも名胡桃城以西の上野は真田に、という裁定は秀吉自身が下したのだから、
それを破るように調略したなら真田だって気に入らない奴ということになる。
家康あたりに言えば、いつでも捻りつぶしてくれるのにしなかったわけだからねえ・・・。
355 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/10 23:30:01
草刈正夫はカツラだって!それもかなり精巧らしい。
これ本当!
原因----NHK真田太平記の幸村役による
356 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/10 23:35:16
なにをいまさら
357 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/17 20:36:32
前から気になってるだけど
真田太平記っ現実と仮想何対何くらいでまざってんの
鈴木右近とかって本当にいたの?
>357
鈴木右近は実在
佐平次、佐助は架空の人物
お江は・・・
幸村の少年の日の・・心の中にいた青春の幻影・・・
・・・そして少年は大人になる
age
てない
捕手
幸村って、信濃屋ってゆう商人になったらしい。
364 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/06 00:36:44
真田家を語る最右翼スレなのに全然書き込みがない。
おかしい真田ファンは多いはずなのに?
真田を語るとすぐ厨あつかいされ叩かれるから、なりをひそめているのかな?
まさに言論弾圧です!
真田家ほど戦国期を彩った家は稀であるのに。
みんな!少年の心に戻って真田を語ろうよ!
右翼は嫌い。
かといって左翼もろくなモンじゃないがな
まあ、板違い
367 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/06 17:27:59
真田家を語るメジャーなスレなのに全然書き込みがない。
おかしい真田ファンは多いはずなのに?
真田を語るとすぐ厨あつかいされ叩かれるから、なりをひそめているのかな?
まさに言論弾圧です!
真田家ほど戦国期を彩った家は稀であるのに。
みんな!少年の心に戻って真田を語ろうよ!
368 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/06 17:33:24
真田ムシ
369 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/06 17:40:05
370 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/06 21:03:52
「生得危険な姦人」と評された真田昌幸。上杉景勝も(わずか1年で)
簡単に裏切られている。実の息子の信之に対しても、
「きたなく命を長らえて、家が滅びないようにしよう、などとはのうw」
と毒づき、信之を逆ギレさせてもいる。実に愉快な人物だ。
371 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/06 21:04:09
「生得危険な姦人」と評された真田昌幸。上杉景勝も(わずか1年で)
簡単に裏切られている。実の息子の信之に対しても、
「きたなく命を長らえて、家が滅びないようにしよう、などとはのうw」
と毒づき、信之を逆ギレさせてもいる。実に愉快な人物だ。
なんで二回言うねん
373 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/07 01:01:35
死ぬまで戦国期の小大名の生きざま通した人物だと思う
時代劇専門チャンネルで真田太平記を見ているが、
思慮深い男として描かれている幸村が、「髀肉の嘆」で
だんだんと大阪城でひと暴れしたがっていくのには無理を感じた。
まあ先週は昌幸の遺命という設定も追加されたけど。跳喪舞
ろくもんくん
ねこ
377 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/07 17:38:41
真田太平記は昌幸丹波の演技を楽しむために観るんだよ。
不思議なものよのう
お江タンに萌え、まいた。。。それが全てでござる!
左衛門佐ェェェェェェェェェェェェェェェェェェェ!
age
hosyu
384 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/27 23:40:56
なにが保守だ!糞コテは氏ね!
386 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 00:34:44
まさゆきはつえー。
大坂の陣で存命&采配任せていたら、勝ってた。
英傑が三代続けて出たのに(兄弟達も結構優秀で、兄弟喧嘩も無し)、大大名に成れなかったのはなんでだろうか
黒田家や藤堂高虎なんかはそれなりの石高なのに
仙石秀久なんかあれだけバカをやらかしたのに、鈴踊りで五万石だし
さて馬鹿が光臨しましたよ
389 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 11:22:57
390 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 14:36:33
なにがきもいんだ。
ただしいだろーが。
まさゆきつえー
まさゆきつえー
391 :
あぼーん:05/01/05 20:19:00
あぼーん
392 :
TOMMY:05/01/06 23:22:32
真田の怖さは獣道まで知り尽くしたラッパの地の利を生かしたゲリラ戦術なので
いくら大阪城がでかくても限界はあるんじゃねえの
393 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/07 01:15:48
>>387
世渡りが下手だったから。
>>393 世渡りはうまかったが、所詮は田舎の小名に過ぎなかった。
395 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/07 02:03:33
>>394
と言うよりは万が一、仮想戦記なんかでよくあるように徳川打倒となった後は全ての公職から離れて田舎で楽隠居、となりそうだぞ。
とくに昌幸は。
>>395 だれがそんな酷い仕打ちをするんだ。
そりゃあ昌幸は信用できなかっただろうが、だからといってよっぽどの理由でもなければ、
そんな無茶苦茶な待遇は出来ないぞ。
信玄が天下取れなかったのと似た感じ。
居た場所が悪すぎたんだろ結局。
398 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/08 21:32:17
島津や伊達のようになれば良かったな〜
399 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/09 00:14:40
>>397 信玄は別にそんなに場所悪くないぞ、あれだけ伸ばせたんだし
上杉や北条との戦いの決着がつかなかったのは、結局そこまでの力量がなかったに過ぎない
>399
ゲーム画面では広く見えるかも知れんが、甲信は殆どが山林で気候も冷涼
作物の育ちは悪いし交易が盛んというわけでもない。
金が取れるのが唯一の救いか。
401 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 19:48:14
突然だけど「表裏比興」ってなんて読むの?
ひょうりひきょう?
402 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 21:00:12
ひょうりひきょう
403 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/11 00:52:27
ありがとう
>>400 平野部と山岳部って、石高だけでもかなり違うらしいね。
もてる兵数だけでかなり差が出るんじゃないかな?
しかし、この人の肖像画ってまるで妖怪だよな
真田太平記16巻まで読んだ、17と18巻があるんだけど
これって内容一緒なのかな。ただの新装版?
>404
そう、しかも面積だけは広いから兵力が分散される。
移動するにも険しい峠が多いし。
っつっても甲斐の石高は20万石超だし、信濃も4〜50万石あるし。
そんなにしょぼい国ではない。
面積からみると大分割合低いよ。
尾張は一国で57万石あるが、面積的には信濃よりも遥かに小さくて効率がいい。
410 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/13 22:39:11
面積っていっても人里はなれた山ん中に守備兵置くわけでもなし。
動員から移動からとにかく効率悪いぞ。
例えば尾張なら清洲から三河国境でも美濃国境でも1〜2日で移動できるだろ?
甲斐ならともかく信濃ではそうはいかない。
だからこそ武田も真田も諜報活動を重視したのだろう。
信濃抜けるのにそんなに日数かかったのか?
まあ詳しい日数なんて知らないが、
山がちな地形で石高の割りに面積は広い信濃では、
普通に考えて平地でさほど広くない尾張とは大違いだったのは間違いなかろうよ。
415 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/15 14:13:06
ってか、尾張に比べりゃ条件が劣ってんにきまってんじゃん。
じゃあ駿河、相模、武蔵、上野、越後・・・
周辺諸国で甲信より明らかに条件が悪いのって飛騨ぐらいじゃん。
>>415-416 おつむが単純すぎ。
平野部は有力大名が支配すれば有利だが、
守りづらい。
山間部は兵力が少数でも守りやすい。
>417
確かに進入経路が限られる為に守り易いとは思うが
逆に言えば外に出にくいという事でもある。
去年の終わりにお墓参り行ってきました。(九度山)
信玄ってかなり成功したんでは・・・
>>422 この話は濃尾平野つまり信長と比べての話だから。
甲信地域みたいに面積の割りに石高が低い地域は、
その逆の尾張に比べて効率が悪いってこと。
つまり、信長の拡大に比べて、信玄のそれがかなり劣るのは、
無論、両者の性格や支配体制そして能力の違いがによるとしても、
加えて地政学的な影響もあったということ。
濃尾と比べて、じゃなくって、単に甲信がそんなにしょぼい国だったかどうかってことなのだが。
425 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/16 05:54:25
>>350 有名な話だね
これが昌幸のハートをがっちりつかんだらしく昌幸は秀吉に忠誠を誓うようになったと
ちなみに昌幸は九度山に配流されてもなお秀吉の銅像を拝んでいたという逸話があるくらいだら
死ぬまで秀吉に感謝していたのではないだろうか。
426 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/16 06:43:30
>>425 銅像じゃなくて画じゃなかったっけ?
配流先で朝夕拝んでたってやつだな。
>424
甲信がしょぼいと言うよりは周りの国々が良すぎ。
429 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/16 10:08:40
>>425 >死ぬまで秀吉に感謝していたのではないだろうか。
少しは信之に感謝しろと
432 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/16 13:09:01
>>427 その話を聞くと意外と昌幸って義理堅い人間なのかもね
>>432 利でつきあおうとする人間とは利でつきあい
義でつきあおうとする人間とは義でつきあう
で、結局ソースは無いわけね。
さすが真田厨。
435 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/26 21:59:49
ソース?
そんなにソースが好きなのか?
俺は、醤油の方があっさりしてて好きだな(・ω・)ノ
あいたたた・・・
ヾ(-д-;)ぉぃぉぃ
(/o\)<元の話題に戻そうよ
話し飛ぶけど長篠で死んだ兄貴の信綱と昌輝はどんな評価されてるの?
肥のゲームだと2流武将扱いに見えるんだけど…
440 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/30 14:30:49
大したことはなさそう
実績か伝説でもない限りは高い評価は得られないわな。
>>439 信綱は武田24将の一人
昌輝はどうだったかな・・・
声でも充分一線級だと思うよ
他の武田家臣や真田家の能力値が非常識すぎるだけで
443 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/30 15:11:04
コーエーで一線級ってのは二つ以上90を超えて無いとw
∧_∧
/ \ .________
/ / \ \ /
| (・) (・) | < C C C
| )●( | \________
\ ▽ ノ
\ ∪ /
;i'':::::::::::::::::i
/ ::::::: ヽ、
. i i、
i. ヽ、
!. i、
ヽ ヽ、
i:ヽ \
l:::\l ,/'゙゙゙'''-..、 i、
i::::::l / ヽ、
/.l:::::l l i、
i l:::l ヽ ヽ__,,,
i l:::l ト 、_ ;;:::;,,,_~~""''-、
ノ::ノ / /~~~"''-、 ,,./ ~~"''i ~i
(_(__/ノ_/,,,,,,.....-'' ̄ i ,;' ,,;i'
(;;,,,,,,,,,,,;....-''''''''''''''゙` _, ' /゙
(__,,/ _,,,,;,;;:::ー''''',,,,,;r:'''゙
;;''"" ,,-''''゙'゙゙
'"""~~
ところでさ、
表裏比興ってどういう意味?
446 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/01 20:22:04
表裏がわからない・・・腹がよめない奴ってことでしょ?
448 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 14:59:24
>>445 昌幸は、武田、北条、徳川、豊臣と従属する相手を、己の状況により
変えている。小大名の生き残り策としては当然とも言えるが、秀吉は
それを「表裏(裏切り癖)があり、油断も信用もならない」と評した
らしい。
>>448 そこに秀吉の
「喜兵衛よいうより鉄兵衛」や「真田のヘボ碁」という逸話を付与しないと、
昌幸は単なる軽薄野郎になってしまう。
450 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 23:28:08
確か司馬遼太郎の「関ヶ原」に、昌幸は当時「日の本三兵法」と評された
戦術家の一人だったと、書かれていたような記憶がある。
残り二人は、直江兼続と島左近。
三人とも西軍で負けたほうだけど、昌幸と左近は名に恥じない活躍したね。
451 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/08 21:40:29
うん!
オイラのご先祖様をもっと褒めてくれ〜〜〜
「日の本三兵法」みんな西軍なんだな。
ご先祖さんは誰なんだよ。
>日の本三兵法
関ヶ原以前で島と直江にどんな軍功があったの?
454 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 22:21:29
関が原で九度山に行っても野心を持つのはいいけど、信幸のことも考えてやれや。
でも従弟をはじめ主だった家臣はほとんど信之んとこに付けてるよな
456 :
450:05/02/09 23:51:21
>>453 軍功か...島左近は、石田三成がまだ大名になりたての時、石高の半分を
割いて招請して、秀吉が「あの戦上手の左近を」と驚いたとかの逸話は
知ってるけど、具体的に他にどのような活躍をしたのかは知りません。
直江は、上杉家の後継者争いの「御館の乱」で勝利し、景勝を当主に推し
あげたことかな。「わら人形」作戦とか、やったらしい。
まあ、二人とも別スレがあると思うので、詳しくはそちらで。
スレは無いと思うよ。というか2人どっちにせよ単体でスレ立てしたらまず厨スレ化するだろうな・・・・
まぁ、名前が一人歩きしてる連中だからな
>>459 チュウチュウうるせー!
ママのおっぱいでも吸ってろw
461 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/26 15:38:11
ピカ厨
462 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/27 00:41:34
463 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/27 03:05:10
真剣に童貞について考えてみた。
464 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/27 20:41:01
真剣にオナニーについて考えてみた
465 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/28 01:35:11
糞スレ化させてんじゃねえ!真面目に真田のスゴさを語れ、カスが!
466 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/28 12:09:44
じゃあマジメに誉めよう。
真田は3代共領土の野心は持たなかったから、戦略的に優れていたかどうかは知らないが、
局地戦においては戦国一だな。
あんなのが部下に欲しいな〜
「なんとかしてくれよ!」
「ハイ、私メにお任せを」
昌幸なんて寸土を得る為にきゅうきゅうとしていたが。
幸隆も旧領回復のために武田についたのだし。
468 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/28 21:04:24
真面目にいじめについて考えてみた
469 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/28 23:37:35
真面目に喫煙者について考えてみた
旧領回復のために信玄の配下になった幸綱だが、
才覚を発揮して砥石城を落としてこれを預けられたし
旧領も回復させたし
小県郡の諸豪族を寝返らせて与力としたし
上州吾妻郡も任せられた。
優秀な武将である事は間違いあるまい。
そしてそれを引き継いだのが昌幸なわけだが、
いくら一武将としては大身であっても
そのまま戦国大名になってしまうと弱小に逆戻りだからな。
上杉や徳川や北条の間でそれなりに土地を維持した事は
やはり昌幸も立派じゃないかな。
471 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/01 06:46:15
真面目にビックリマンシールより中に入ってるチョコの方が好きなことについて考えてみた
472 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/01 22:06:25
真面目に友達について考えてみた
473 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/02 04:42:24
真面目にカタストロフィーについて考えてみた
474 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/03 21:25:14
>>470 禿げしく同意!
あの時代を生き残る事は容易じゃないよな
475 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/03 21:27:29
476 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/04 06:32:13
477 :
sage:05/03/04 14:49:00
騎馬民族末裔説。
478 :
〜HN募集中〜:05/03/04 17:41:48
初めまして、昌幸スレあったんですね^^;
ところで、「昌幸について意外と義理がたかった」みたいなレス発見しましたが、
実際昌幸が主家を裏切ったのは一度も無いような気がします。
最初の織田家による武田攻略の際、穴山等の武田家重臣が寝返る中、昌幸は最後まで主家に使え、武田家が負けた際にも備え上杉、北条に勝頼庇護の書状を送っています。(ソースは探せばあると・・
織田家へ寝返った小山田が信忠から(信長とも)裏切り者として切られたものの、真田家には滝川一益(?)が降伏の使者が送られています。
その後本能寺の変があり、徳川と北条に板ばさみ状態になり、徳川へ降伏?した訳ですが、その矢先徳川は北条と和睦、家康はその際、和睦の印?ということで昌幸に沼田(?)を北条へ引き渡せと命じますが、
主家の命なので従うというのが普通なのですが、沼田は徳川から頂いたものではなく、自分で手に入れたものだ、という事で拒否、その時徳川と敵対していた豊臣政権下の上杉へ付くことになったのですが、これは徳川を裏切ったとはいえないような気がします。
因みに上杉については、御館の乱以降仲がよく、その親交の席で、直江山城と上杉景勝と馬が合ったらしいので、之については根拠が無いのですが^^;
その後豊臣に形式的には下りますが、「豊臣政権に従います」という誓いをした様なもので、上杉を裏切ったわけではないと、実際その後も上杉とは友好関係が保たれていますし。
結局表裏者と言うのは、第一次上田合戦に敗れた家康が秀吉の下に入って負け惜しみに昌幸の出鱈目を並べ、秀吉がそれを受けていったことなのではないかなぁと思います。経歴だけを見せられれば確かに鞍替えの連続なので。
実際には義に厚い偉人だったのではないかと思う厨某ですw
↑につきましては、薄れた記憶により書いてありますので、反論があればいって下さい。∴ソース見つけるのに時間がかかるかも(無い)かも知れませんが、参考程度に^^;
(自分、昌幸過大評価しすぎだなとつくづく思う ボソ
巨大AA貼るの禁止
480 :
可児:05/03/04 22:39:17
482 :
475:05/03/06 16:36:10
昌幸、内政面では平凡だったろうけど、外交手腕は優れてたでしょ。
それを政治で一括りにするからおかしくなる。
484 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/06 21:08:04
でも外交手腕を発揮した件が浮かびませんが?
昌幸がいつ、卓越した外交術を見せたんですか?
>>484 弱小勢力が大大名に囲まれた中にぽつんと放置されて
生き残るのに必要なのはどんな能力なのかな?
武田家では「境目」の武将は他国に音信を通ずる事が
許可されている。
真田幸綱は上杉謙信が上洛して帰って来たときに
太刀を送っている。
しかし幸綱が裏切る恐れがあるというわけじゃない。
真田昌幸が北条家に連絡を取っていたというが
それも同じ。
487 :
可児:05/03/06 23:36:39
488 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/07 00:34:18
ウロウロ
/⌒ヽ
/´_ゝ`)
| /
| /| /
// ||
`U U
ウロウロ
489 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/07 15:47:36
490 :
可児:05/03/07 22:46:52
491 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/08 07:53:57
>>485 でも、大大名に囲まれた小勢力って別に真田家だけではないと思うが?
その中で真田の知名度が頭一つ抜け出ているのは、
外交能力と言うよりも、単純に戦術的な巧みさからでしょう。
具体的に言えば徳川軍の大軍を撃退したこと、
外交が巧みというなら、そもそもそういう状況にならないように手を打ったと思うがどうか?
>>491 真田の場合、主家がポカやってなし崩し的にそういう状況になった。
戦国といっても大勢が決まりつつある中、突然迷子の子猫ちゃんがほっぽり出されて
残った強豪、織田、上杉、徳川、北条に囲まれたの。
その強豪に次から次へと擦り寄って、何とか生き残ったんだよ、真田家は。
493 :
可児:05/03/08 11:18:49
>>492 知ったか振るなよなWWWWWWWWWWWWWWWW
オマエモナー
>>492 いや、「そういう状況」ってのは、
徳川に大軍で攻められるという状況のこと。
外交的手腕でそういう戦略的に不利な状況にならないようにした、
つまり、徳川に攻められないようにしたというなら、
なるほど、外交の巧みさで世を渡ったといえる。
しかし、実際はそういう状況になってしまい、
それを戦術レベルの勝利で凌いだというのが現実。
もちろん、これも途方もなく凄いことだが、
その快挙は外交力ではなく、軍事的能力によるものだ。
要するに真田家は外交が特に巧みだったというよりは、
むしろ、戦が上手かったという点で評価すべき。
無論、諸々の状況でそうなったのだろうから、外交が特に下手だったは言わないがね。
ん?外交って一人歩きするものではあるまい。
本人の目的
名をとるか実をとるか、もしくはどちらに重きを置くか
自分と相手の実力・能力の比較
周りの状況
ハイリスク・ハイリターンかローリスク・ローリターンか
それらを総合的に考えてた結果、徳川に大軍で攻められても
どうにかできるという自信があったので手を切ったのだろう。
だから、「単純に戦術的な巧みさから知名度が頭一つ抜け出た」
「しかし、実際はそういう状況になってしまい、
それを戦術レベルの勝利で凌いだ」
というわけではない。これによって得た名声で実際まわりから
軽々しく扱われなくなっただろ。世論って野心家には結構大事なんだよ。
>>495 つうか、徳川の言う事を素直に聞いて、沼田を北条にやれば、事なきを得られたんじゃない?
でも徳川に貰ったわけじゃなく、沼田は元々真田がとったもんだからやだ、って言ったあたりも
人気ある理由の一つなんじゃん? 徳川に攻められても沼田は渡せない的確信犯でそ。
沼田を保持し、かつ徳川にも攻めさせない外交手腕を持て、って難しい事言ってるなら一応理屈は通るけどな。
のちに秀吉が言うと、ちゃんと渡しちゃう辺りが昌幸の曲者なとこ。冷静に見てると思う。相手の実力を。
戦争は外交の延長。
本当に外交がヘタだったら・・・・
徳川・上杉・北条の連合軍が攻めて来てあっという間に滅亡。
領地は三家で山分け。
誰も外交が下手なんていっていないでしょ。
しかし、卓越した外交手腕を見せた例はない。
少なくともその戦術的手腕に比すほどのものはね。
>>497みたいな事を外交的に成し遂げたなら、
凄まじい外交能力ってことになるが。
>>500 もういいよ、議論に負けたくないだけの反論にしか見えないよ。かっこ悪いよ
502 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/09 14:04:17
503 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/09 15:47:20
昌幸=外交ってイメージの厨って多いんだよな…orz
昌幸=軍師ってイメージの厨の方が圧倒的に多いだろ
>>502 ただ、あの時代は最低でも、内政良くしないとやってられんよな、特に小大名は。
勝頼の例みりゃわかる。領民に早く別の軍隊侵入してくんねぇかな、なんて思われてたらアウトw。
506 :
可児@交州文学従事 ◆aSDVKRrj9Y :05/03/09 17:55:03
外交力ってさ、その人物の社交的な性格という側面もたぶんに影響してるんでない。
まあ社交的な人は一般的に明るくて愛嬌があるよな。
昌幸という人物に愛嬌があるならおそらく外交力あるな。
外交力=社交的=愛嬌=昌幸
こんな感じでいい?
この推論でいいだろ?
なあ?
善いかって聞いてんだ!!答えろ!!!カスども!!
昌幸に外交力がないと言っている糞厨房はもれなく逝ってよし!!
507 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/09 18:45:26
>>504 軍師!?三戦にそう思ってる椰子はいるの?
>>505 はい?小大名だったら内政手腕はいいのか?違うだろ?しかも勝頼と比べる意味がわからない
内政に優れていたと言っているんだが?勝頼が内政が一番優れていたと思ってないだろ?
俺は昌幸は内政が一番優れていたと言っているんだが?外政も優れていたかもしれないがな
>>501 議論に負けたくないも何も、
>>495の段階で「外交が下手だったとは言わないが」とちゃんと書いているので、
同じ事を繰り返し述べたに過ぎませんよ。
で、まとめると、真田家が突出した戦術的手腕を示した例はあるが、
外交で突出するほどの偉業を成した例はない。
確かに小勢力が生き残る為には、それなり以上の外交能力が必要だったとは推測されるが、
それは真田家以外の小勢力にも同様にあてはまる事である。ということ。
だから、真田家が他の小勢力と同じ程度には外交能力に優れていただろう、
というなら、確かにそれはその通りでしょう。
実際、
>>484の真田家が卓越した外交術を見せた例があるのか?
という問いに対しても、
>>485が小勢力全般に対して当てはまる事柄を述べただけで、
特出するような例はないしね。
509 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/09 19:50:46
良くわかんないけど、
人質をうまく使って上杉を後詰に引っ張り出したからこそ、
第1次上田合戦の勝利があると思うのだが。
武田滅亡時にうまく織田に渡りを付けて、首を刎ねられずに生き残り、
滝川一益に「喜兵衛というより鉄兵衛」と言わしめたあたりは見事ではないのか。
武田領の辺境で、戸石城や岩櫃城のような堅城を押さえていたので、
織田にとっては抱き込んだ方が得という事情は確かにあるのだろうが、
小山田のような目に合わず切り抜けたのは、目端の利く両睨み外交の成果。
(小山田だって、立ち回り如何では生き残れないこともなかったと思うのだが、
そこは昌幸を賞賛すべきだろう)
>>510 信濃の豪族では首切られたものの方が少なくないかい?
512 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/09 20:03:26
>>510 おまいが昌幸を勉強しているなら、外交を出さないだろw
領民をどれだけ大事にしていたかわかるか?
,-、 ,.-、
./:::::\ /::::::ヽ
/::::::::::::;ゝ--──-- 、._/::::::::::::::|
/,.-‐''"´ \:::::::::::|
/ ぁゎゎ ヽ、::::|
/ / ┌──┐ \ ヽ| お前さん達、煽り合いは良くないぞ
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.| . └──┘ |
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` 、... ├────┤ /
`ー 、__ └────┘ /
/`'''ー‐‐──‐‐‐┬'''""´
./ ___ l
l ./ / |/ |
`ー-< / ./ ./
`ー‐--{___/ゝ、,ノ
514 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/09 20:08:11
515 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/09 20:13:42
昌幸外交・軍師厨は戦国無双とトンデモ本にやられたなw
>>512 信長に馬贈ったりする傍ら、鉢形城の北条某に2回書状を送ったりするのが外交ではなく内政だというなら、
もう何もいうべきことはない。
では戦国大名における外交とは何だ?と思うが。
「領民を大事にすること」が外交と何の関係があるかも、俺には見当もつかない。
(つーか、真田の税は重かった、というのはどこかで読んだ気がするが、信之の代だったか?)
>>516 誰も外交をしていないなんて言っていないと思うがどうよ。
突出した目が覚めるようなものはないのでは?
って話。
少なくとも馬を送ったとか、書状を送ったってのは、
そういう例にはならないでしょ?
>>508 昌幸の外交が小領主として凡庸なレベル、というのは少しいい過ぎではないのか。
凡庸なレベルの小領主は、自立できないし、しようと考えない。
周辺のどこかに服属を申し入れて、家臣になるんじゃないか?
実際そう考えるのが自然だし、北条からは、
「俺たちへの服属は(武田滅亡の)この機会を逃すな」と半分脅迫されてたと思った。
それでも自立を目指そうとして実現したあたりが、他より優れていると言えると思うが。
それはやはり、外交に類する能力だと思う。
519 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/09 20:39:37
>>516 だから何なの?それしか知らないの?それが外交が良いに繋がるの?
しかも、「税がきつかったかも」と根拠がわからないことまで書き込む必要あるの?
外交しか目がいってないんじゃないの?なんでそこまで外交にこだわるの?
>>517 「昌幸を知っている者は外交を語らない」とまで宣言して置きながら、
「いや外交をやってないとは言いませんよ?」というのはどんなもんだろ。
二股外交は相手の出方を読んでないと出来ない、相当の手腕を要求されることだと
個人的には思うのだが。何しろ相手はあの信長だし。
別に昌幸が外交下手でも俺の人生に何の関係もないので、頑張る気にならないが。
521 :
512:05/03/09 20:56:06
>>520 >>517と一緒にしないでくれませんか?それに、あなたの言う外交手腕は素晴らしいのかもしれないが
内政ではどういうことをやったか知ってますか?もし知ってて言うんであれば、勉強し直したら?
>>519 だからなんだ、もないだろ。
領主の最大の目的は所領と家名を守ることで、それに失敗した小領主は無数にある。
織田や武田に併呑され滅びた小領主がたくさんいたから、織田や武田のような大領主が出現したのだ。
大勢力の狭間にあることは、一般的に困難な状況である。
これを与えられて、生き残りを実現したことは、優れていると言える。
もういいから、人に聞く前に、自分の考え書きな。
昌幸の武田家滅亡時に実施した外交は、他の小領主の同様の事例に対して
特に優れているとは言えない根拠を示しなさい。
昌幸の内政手腕が優れていると書いているが、では何処が優れているか書きなさい。
どうもあなたがそんなことを主張しているように読めるが、
そんなこと誰も言ってないというなら、自分の文章を良く読み返しなさい。
523 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/09 21:10:49
論戦テクニックだけで他人に食ってかかるのはやめなさい。
自分の考えの根拠を示せないのに、ただ相手を罵っても
誰の同意も得られない。
結局
>>508は外交手腕も優れていたと認めてるわけで。
ただ何を勘違いしてるのか、
「軍略なんかたいしたことなくて、外交能力が神だった」
とみんなが言ってると勝手に思っちゃってるみたい。
>>507はイタいな。何でそんなキレてるのか? 日本語も理解してないw。
528 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/10 04:23:15
なんで可児は名無しでレスしてるんだろ?
529 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/10 06:58:59
>>527 「日本語を理解していない」は相応しくないがなw
>>526 確かに理解の齟齬はあったかもしれない。
>>483とかの「外交手腕が優れていた」というのが、
他の生き残った小勢力と同じ程度に優れていたという意味なら、
特にそのことについて異論を言うつもりはないからね。
何で信長の野望は真田家と武田家の相性が最悪なの?
特別、対立したわけでもないし、昌幸は信玄から気に入られてたはずだが、。
>>531 ・真田幸村は豊臣秀頼と相性がいい
・真田昌幸は豊臣秀吉と相性がいい
=真田家は豊臣家と相性がいい
=豊臣家と織田家は相性がいい
=織田家と武田家は相性が悪い
=真田家と武田家は相性が悪い
=織田家と徳川家は相性がいい
=織田家と豊臣家は相性がいい
=真田家と徳川家は相性がいい
侫臣を可愛がり、忠臣を退ける糞スレはここですか?
可児( ゚∀゚)つ〃∩キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!
537 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/11 17:13:37
>>536 おそらく、信長の野望での相性関係だろうと、、
それでも徳川との相性は普通でいいとは言えない気がしますが、
538 :
可児 ◆aSDVKRrj9Y :05/03/11 17:24:16
てかゲームの話をこのスレで語るなボケ。
ここは丹波哲郎がいかにハマり役かを語るスレだ。
・・・間抜けか?きさまら。
539 :
正義人:05/03/11 18:00:16
昌幸は戦術だけでなく、かなり頭のきれる人ですな。
というのも真田家は関ヶ原合戦前に2つに分けられてるんですね。
具体的にいうと真田昌幸(西軍側)真田信幸(東軍側)っていうように
なってます。敵味方に分かれたんですね。これは関ヶ原での勝敗がどっちにころんでも
家が残るようにっていう事ですな(−_−)ノ
くま?
541 :
可児 ◆aSDVKRrj9Y :05/03/11 18:20:56
>>539 どこの家でもそうだっちゅーのっ! WWW
ああ、わりい新人さん?これからも沢山学んでねwwww
542 :
可児の子 ◆GmMlVxYofo :05/03/11 18:29:49
パパは頭がいいね!びっくりだよ!なんで三原の太刀は偽物っていう説があるか教えてよ!
真田に詳しいパパならわかるよね!教えてよ!
543 :
可児 ◆aSDVKRrj9Y :05/03/11 18:34:56
シラネーヨW
おまえ、歴史オタク?(プゲラ
孫正義はおでこだけでなく、かなり頭髪の抜けてる人ですな。
というのも頭の毛は8:2に分けられてるんですね。
具体的にいうと向って8(左側):2(右側)っていうように
なってます。不自然に分かれたんですね。これは風向きがどっちにころんでも
頭に毛が残るようにっていう事ですな(−_−)ノ
545 :
正義人:05/03/11 23:39:58
>>541 いや真田親子の別れた土地地元だからちょっとレスしてみたw
>>544 荒らしとは惨めなものですなw
>>545 蟹は無視。
あちこちのスレに現れてはマヌケな発言を繰り返し、
荒らしまくってるキモオタ。2ch以外、誰も相手にしてもらえない
ゴミはスルーで。
548 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 08:38:08
>>546 確かに、昌幸スレに来てるくせに三原の太刀すらわからないなんて「荒らし」に来てるとしか思えない。
上に出ている真田の重税説は、天正年間の検地帳が10年前くらいに見つかって、
それが根拠のようだ。
550 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 10:07:49
>>549 それはどこにいったら見れるかだな、話はそれからだ
>>550 真田町史編纂時に古文書調査があって、その際に発見されている。
歴史シリーズ「真田幸村」の、真田氏統治における貫高制の意義の記事の中で
このあたりの話が載っている。確か、一部の抜粋もあったはず。
経緯から見て、真田町史にも一部載っているかも知れない。
自分で調べようとしないというのは、どうかと思うなあ。
すぐバレるような嘘が書かれるはずもないのに、
「どこにいったら見れるか話はそれからだ」とか、なんでそんなにキレてるのかな?
言葉も少し選んだらいいと思うなあ。
ちなみに、その本には天正4年頃の検地が貫高で行われれているという記事はあるが、
当時の課税基準で重かったかどうかの、直接的な記述はない。
後世の松平氏の石高制の課税より重かったらしい記述はあるが、重税というほどだっかかは分からない。
554 :
可児:05/03/12 11:51:26
555 :
正義人:05/03/12 13:11:45
>>546 ういうい、分かってはいますが、自分のレス荒らされるのウザいw
昌幸って主家滅亡以来、ほとんど活躍してないのが現状っすね・・。
まぁ上田城での活躍で秀忠の関ヶ原での遅参は有名だけどw
556 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 13:14:21
可児の荒らしも有名だな
557 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 14:38:05
所で上戸彩主演の映画「あずみ」で、真田昌幸があずみの抹殺の標的とされていて
あずみが必死に探しているようだが、関ヶ原の戦いの後の昌幸って死ぬまで
九度山ってとこに流されてたんだよね?あずみは徳川に命じられて
徳川に歯向かう諸大名を抹殺せよとの命を受けてる設定なんだが、
流人に対してそんな命を下す必要はないかと思うんだが…
ましてや一度命を助けているのに…
ま、漫画だからいいんだけど。
558 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 16:41:09
>>553 そりゃ平和な時に比べりゃ軍事費の支出分だけ重税じゃないかな。
559 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 18:09:22
560 :
557:05/03/12 18:29:20
561 :
可児:05/03/12 20:02:19
562 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 20:47:52
上田で秀忠を引き止めた事だが
関ヶ原の合戦は、一日で決着がつくというのが、当時のおおかたの予想だったのだろうか?
西軍側は二重の陣地を構築しある程度の持久戦に備えていたと言う話もあるが
564 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 21:37:51
565 :
正義人:05/03/12 21:53:01
>>562 予想っていうのは国によって違うね。
西軍側と東軍側では180度違うからね(−_−;)
566 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 21:53:42
伊達政宗がマザコンを卒業するスレ
祭り開催中
567 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 22:01:40
568 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 23:14:53
>>565 西軍側の予想は長期戦?
その場合だと、数日引き止めただけの真田は恐らく無念の想いで秀忠軍を見送ったのでは?
569 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 23:26:06
秀忠軍は小諸で軍資金の枯渇(沿道の住民に輸送を手伝わせたりするための)で
4日も足止めくってるんだよね。
真田が何もしなくても関ヶ原に多分間に合わない。
真田が2日でも足止めすればさらに絶対間に合わない。
570 :
可児 ◆aSDVKRrj9Y :05/03/12 23:35:06
>>569は氏ね。
俺が言いたいのはなんで関ケ原が一日で終わると昌幸はわかったんだ?
長期化するなら、あんな三万六千の軍勢をいつまでも相手しているのは自殺行為だろ?
でも昌幸は引き止めた。
引き止める理由はただひとつ。
この合戦は『短期でおわる』と確信していたからだ。おまえの理論はあとづけ。結果論からものを言うな、バカモノめWWW
571 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 23:35:36
>>569 それは今現在の我々が、関ヶ原の合戦が一日で決した事実を知ってるからこそ言える事ではないの?
黒田如水なんかは長期戦になると予想して活動してたでしょ
572 :
可児 ◆aSDVKRrj9Y :05/03/12 23:49:28
やべ!アイドルが一般人と同じ突っ込みしちゃった!
でもこの偶然、ちょっと感動!
自演乙
574 :
可児 ◆aSDVKRrj9Y :05/03/13 00:11:15
575 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 00:27:17
無知ですまんが野戦で長期戦になった例ってある?
>>571 逆だな。
兵力で勝っている方が勝利の確率が高いのは常識。
ましてや、西軍の布陣は完璧。
つまり、ほんの数日でも秀忠を遅らせる事が出来れば
その間は西軍が有利であって、西軍から仕掛けて
勝負を決めてしまうのに丁度良いのだよ。
有利なうちに短期決戦で決めるためにこそ昌幸が活きる。
まさか味方の半分以上が参戦しないとは思わなかっただろうがw
577 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 00:47:22
短期決戦が当時の大方の(少なくとも西軍側の)予想だったならば、何も疑問はない
578 :
可児 ◆aSDVKRrj9Y :05/03/13 00:51:34
おまえら、スレ違いWWWWWWWWWWW
関ケ原スレで語れやWWW
んもう!ここは大霊界スレだじょーwwwwwwwwww
579 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 07:34:11
>>570 三原の太刀すらわからないくせに、昌幸スレで何したいの?w
580 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 07:35:09
581 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 07:35:49
582 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 07:36:28
>>576 > 兵力で勝っている方が勝利の確率が高いのは常識。
東軍にとって見れば、兵力に劣っているのだから大垣城の手前で停止し、
揖斐川を渡らずに陣地を築き、いずれ到着する秀忠の軍勢を待つのが良策だったはず。
東軍がこのような動きをした場合、双方手詰まりで長期化は必須だっただろう。
昌幸がこういうケースに対して、どういう手を用意してかは興味深い。
東軍の軍資金がそれに耐えられるほど潤沢でなかった、と見ていたのだろうか。
東軍武将の性格から見て、不利を承知で決戦に傾くと見ていたのだろうか。
それとも東軍の武将たちへの調略を当てにしていたのか。
信玄から己の両目のような者と評された昌幸だから、何か成算があったのだと思うが、さて。
陣地造営中に襲われないの?
素朴な疑問なんだけどさ。
587 :
正義人:05/03/13 20:01:59
ていうか、
1 秀忠は兵の数にたよりすぎ、昌幸の知略をなめていた。
2 秀忠は知略が低い、用兵がへた。
この2つで十分、上田城の一件はかたづくw
588 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 20:59:19
俺も真田が好きなので、こういう事を言うのは心苦しいのだが
昌幸の大手柄みたいに伝えられてる話しが、脚色を加えられた話しである可能性があるんじゃないかと言いたかったんだが
589 :
可児 ◆aSDVKRrj9Y :05/03/13 22:01:41
脚色でいいんだよ。
結果としてその脚色のおかげで大坂方もその功を信じ、一手の大将に抜擢されたんだから。
590 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 22:57:34
591 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 23:14:36
>>590 僕はこのスレの住人ですが、あなた!
叩きついでに真田ネタ語りなさい!ただの叩きは死んでおKよ!
全メーカー車おKよ。
592 :
可児:05/03/14 10:50:28
>>591 擁護してくれたのか!?ここのスレはみんな俺のこと好きなんだな
594 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 12:12:56
<<592
死ね、ばいばい
595 :
可児:05/03/14 12:15:00
いじめ、バイバイ
大霊界だけワロタ
599 :
可児:05/03/14 16:08:12
仲良くしようよ!粘着も今までのことは許すから!みんなで仲良くしよっ☆
600 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 17:09:28
>>599 即、死ねよWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
俺すごいことに気づいた。みんな、
>>600を見てくれ。
パソコンでWを続けて書くと
602 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 21:45:44
603 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/17 18:51:13
>>602 /\___/\
/ ⌒ ⌒ ::: \
| (●), 、(●)、 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, | < おねがい♪
| ト‐=‐ァ' .::::| \_____
\ `ニニ´ .:::/
/`ー‐--‐‐―´´\
っていえば教えてやる
604 :
可児:05/03/17 19:36:57
いじめ、かっこ悪い
605 :
可児 ◆aSDVKRrj9Y :05/03/17 21:05:54
みなさん、おねがいですからスレタイに沿ってかたり愛隊・・・
期待蟹揚げ。
期待☆蟹揚げ
608 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/21(月) 17:34:07
gooで俺の勝ち
tvsの「関が原」では、
福島正則役は、丹波哲郎なんだな。
真田親子役は、知らん人。
黒田長政、くそうざい。
このスレを荒らしている奴は 後藤基次ヲタだよな(笑)
如水がせがれに「その時お前の片腕は何をしていた?」とか聞いてるから
そんな予想はしていなかったんじゃないか?
大津や伊勢路の西軍も大垣に向かっていたのだし。
614 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/29(火) 00:35:25
如水殿の件だが
短期決戦を予想していたのなら、わざわざ遠い九州でハンズを広げるような真似はしない。
秀吉の軍師であった如水ならなおさら。西軍が一日で負けた後、如水の態度が一転してい
るところが裏づけしてある。
長期決戦を予定してあるからこそ、九州を併呑した後、機内へと向かう道を考えたのだろう。
直江兼続(話に関係は無いが
彼をはじめとする。上杉勢は、120万石の太守でありながら関ヶ原へ向かわなかったのは、紛れも無く
長期戦予想なのだろう。伊達や最上がけん制していたということもあるだろうが。
そして真田
彼も長期戦を予想していたのではないか。彼の場合も、秀忠の膝元には本田正信ら、有能な部下がいるため
いつまでも、大軍を引き受けられないのは分かっていたはずだ。
だが、将軍が途中で関ヶ原へ向かった後も、上田の押さえをおかなければならないことを考えると
真田勢2000強に対し、徳川もそれ以上の押さえを置かなくてはならない。
戦場において、関ヶ原のような十万近くの戦いでも、それだけの軍勢があるのとないのでは
また、違ってくる。
さらに、上田で敗戦といえばそうなるような結果を残した秀忠軍は当然、「焦る」
上田での一戦で士気が下がっている徳川軍に、関ヶ原への急行という、身体的疲労も重なる。
3万の軍勢が、心身ともに弱っている。戦は数よりも勢いである。このような軍が布陣して、
混乱し壊滅でもしたら、他の部隊にまで影響が出る。
それだけの効果を見越した上での篭城ではないだろうか。
∴自分は上の軍師たち全員長期戦予想をしていたのではないかと思う。
10万対10万のような戦が短期、少なくとも一日で終わるなどという予想
など、たつものだろうか。
トリップがばれたので変更します。
可児◆aSDVKrj9Yから上記になりました。
今後ともよろしくネ(^O^)/
東急ハンズを拡げたのは如水
620 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 00:42:21
>>619 恐らくネタなので、真面目に答えなくてもいい。スルーでもいいのでは?
昌幸板になんら関係も無いし。
どうせ本気レスするなら、「としょかん」とでも言っておくと、あとでいじられるぞw
糞スレあげんな!ヴォケ!
そもそも僕の官位を剥奪したスレだからな!
忠臣を退け、侫臣をはびこらせる糞スレは落城しておKよ。
622 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 02:21:56
>>588 ・・そうかもしれん。
自分は(昌幸の手柄?か家臣の手柄?か知らないが)、信繁の手柄にしちゃう幸村マンセーなのも不満です。
623 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 06:37:28
多分、ループたが関ヶ原の秀忠遅参の件は
悪天候と使者の遅れが原因としては大きいのだが。
624 :
はっとり:2005/03/31(木) 07:57:51
べいべー
625 :
無名武将@お腹せっぷく:黄帝生年紀年4716/04/01(金) 02:40:39
期待☆蟹揚げ
626 :
613:黄帝生年紀年4716/04/01(金) 13:08:09
>>617 司馬の関ヶ原かな?戦功を挙げたせがれが家康に褒められたことを
オヤジに報告していわれたんだとさ。
お前が刺してりゃ天下はよぅ、っつー流れだったかと。
なんだ、小説か。
孝高を信用していれば秀吉もかわっていただろうにな。。。。
>>627 孝高があからさまに信用できない野郎だったから、
秀吉は大封を与えたなかったんだろ?
いち早く秀吉に降ったり、関が原での電撃的な火事場泥棒ぶりから見ても、
機を見るに敏なのは分かるが、油断ならない奴であることも同時に分かる。
才能があって、油断ならない奴を重用すると、
家を乗っ取られかねんからな。
まあ、秀吉の天下も「律義者」の名高い家康に乗っ取られたわけだが。
629 :
無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184/04/01(金) 23:30:45
>>孝高があからさまに信用できない野郎だったから
確かにその点については一理ある。
が、竹中半兵衛のような忠臣にも。
(まぁ、当時は信長臣下だったこともあるが)
秀吉が「半兵衛に5万石も与えたら天下をとってしまう」と言ったとも聞くし。
秀吉は、野心があろうと無かろうと、誠実にしようがしまいが、
才能のある部下に大封を与えなかった、と見るべきではないのか?
秀吉を支え続けた蜂須賀や丹羽の例もあるし。。。
大封を持っていたのは、徳川、前田、上杉、島津、毛利etc
当然のことながら。家康は、秀吉の家臣ではない。
前田は別として、
毛利・島津・上杉も旧大勢力の生き残りなので、豊臣七将や三成のような
者と同じ扱いをされるのはおかしい。
孝高の話題か。
秀吉が孝高に「お前は兄弟だ」みたいな手紙を書いていて
孝高はその手紙を油紙につつんで宝物にしていたら重治が
「殿と貴方は主君と臣下で兄弟ではない。秀吉は貴方を危険視している、気をつけれ」
と言いその手紙を破り捨てたそうだ。
後は秀吉は孝高の知略を恐れていたが、誠実に働く孝高を余計に恐れたとか。
秀吉が天下を取るのは誰だ?と孝高に聞くと孝高は毛利と答えたが
秀吉はお前だと言ったそうだしな。
>>630 へー。三国志の「君と余だ」のところみたい。
うんうん!
で雷が落ちて孝高が机の下に隠れると
>>629 家康の場合、大封を与えたといっても、
北条氏が五代にわたって支配した地であるし、
北条氏滅亡後もその慰霊祭りが領内で行われることもあるように、北条びいきが強い土地。
その家臣は前田家に仕えているので、けっこう危ない土地ですよ。
635 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 22:54:33
真田昌幸の唯一の欠点:極度のヒキコモリであること
勝頼が真田を頼ってればヒキコモリにならずに、本能寺のドサクサに
まぎれて信濃〜甲斐奪還とか、信濃から美濃に侵入とかあったと思う。
636 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 22:57:29
>>635 真田を頼れば信長が勝頼を見逃してくれるとでも?
撃退もありうるし、外交で小細工してたかもしれない。
少なくとも普通に戦って死亡って結末はないだろ。
>>637 一体何を根拠に?
そりゃあ私だって真田びいきだ、撃退や外交的な工作の可能性もあったとは思う。
しかし、一番普通で可能性が高いのは戦って死亡だろう。
当時の織田家の戦力を甘く見すぎでは?一次上田城の戦いの徳川軍はもとより、
二次のときのそれとでも比べようがない。
場合によっては真田が小山田と同じことをする可能性だってありえないわけじゃあないと思うぞ。
沼田があればあとはどうでもいいやのヒッキー昌幸
3万撃退したなら5万もあり得る
つか大軍前に何の策も無しに死亡って昌幸なら一番普通じゃないだろ
>>641 3万って二次上田城の戦いの時のこと?
撃退って言ってもあの時徳川軍は先を急いでいたので、
実際に戦ったのは二日間だけだよ。じっくり腰を入れて攻められたらどうなったことか。
ていうか、3万から5万ってえらい違いだし。
当時の織田の国力を考えれば5万で済むとも限らないぞ?
なるべくのらりくらり戦わないでひきこもり→仕方なく戦う時は死に物狂い だからなあ。
まずまともに戦うかどうかが分からないし、篭城は実績あるし。
悪いが関ヶ原へ向かう途中の秀忠軍と、
勝頼の首級を挙げる為にまっすぐに迫ってくる織田軍とでは、
比べるのも馬鹿馬鹿しいくらい相手が全く違うと思うよ。
645 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 05:18:42
その通り、関ヶ原時は長期戦になったとしても西軍が徳川倒せば助かるわけだし望みは十分、
しかし普通に渇頼かくまえば滅ぶまで城を攻めるは間違いない、それにたよれる援軍もないのに勝機ある?
渇頼と信長が史実よかほんの少し長生きするだけだよ
そして真田昌幸は自害!真田の勇名はこれ以降なくなると
昌幸が勝頼を岩櫃城に迎えようとしたのは、同盟国である越後上杉氏や海津城の高坂弾正
からの援軍が期待できるからだろう。
時間が稼げれば外交交渉で和睦するなり、上杉や北条の元に落ち延びさせて匿って貰うなり
選択肢が増える訳だからな。
647 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 12:33:41
>>635 > 勝頼が真田を頼ってれば
その話は信憑性があるのかな?江戸時代の創作だという説を聞いたことがあるのだが。
そもそもその時期は上田城がないし、
戸石城は設計思想が古いし、1日で落城した高遠城より堅固とは思えない。
とすれば、岩櫃城しかないが、岩櫃城は典型的な後堅固なので、寡兵でも守れるし、
その割には縄張りが異常に広いので、大軍を迎え撃つのに適している。
場所も山間で大軍を動かしずらいので、戦線が膠着すれば、
織田も少数の守備隊を残して、一旦兵を引く可能性もある。
案外行けるかも知れないが、問題はここに防衛線を敷くと真田郷を放棄することになる。
真田郷を放棄してまで、武田を助ける必要があるか?
いくら昌幸が信玄を尊敬していたと言っても、そこまではやらないと思うが。
>635
そもそも勝頼があの時点で死んでなかったら、本能寺の変も起きるかどうか判らんのだが。
>>648 まあね、真田もろとも勝頼を滅ぼしたならともかく、
彼らが何らかの離れ業でも使ってうまいこと生き残れたなら、
その後の織田軍の行動も大分違ってくるのは間違いないから、
少なくとも史実同様な形で本能寺の変が起こることはまあありえないね。
北条(織田方)内通疑惑はどうなった
機関銃があれば、昌幸も勝頼を守って籠れた。
守ってその後、どうするんだよ。
領土も何もない大名だぞ?
足利義昭と同じ道か?
>>650 境目の領主は日頃から外部と連絡を取る事を許可されている。
それが情報収集にもなるし外交ルートにもなる。
上洛して帰って来た上杉謙信に真田幸綱が太刀を送っているが
忠誠が疑われるというわけじゃないわけで。
武田滅亡後の日付の手紙が残っているぐらいじゃねえ・・・・
もちろん、そんなん関係無く真田が裏切る可能性は十二分にあるが。
>>650 内通なんてしてませんが。
堂々と、お互い好を通じてるんだけど北条氏邦とは。
そしてそれ武田家公認なんですけど。
>>646 無粋なのを承知で突っ込んでいいか?
高 坂 弾 正 も う 生 き て な い ぞ
信玄の心の中では永遠不滅。
春日虎綱さんは、高坂(香坂)昌信と名乗った事
一度もないんだけどな。
秀秋様が15000の兵をつれて
援軍に来る
氏真様が蹴鞠を持って駆けつけて来て
蹴鞠と和歌を披露して鼓舞してくれます。
>655
調べたら確かに武田滅亡前に病死してるね。
上杉に降りた後謀殺されたという話をどこかで見た気がしたんで、勝頼より後に死んだと
思い込んでたよ。
>>661 ああその話知ってるな。
確か何かの小説だってかね。
663 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 00:50:55
>>661 上杉に降った後で殺されたのは高坂信達という人物だ。
春日虎綱の息子の一人だな。
つか、春日虎綱が高坂姓を名乗った事が無かったら
高坂昌澄とか信達の立場が無いような・・・・
一旦は名乗ったが自分だけ旧姓に戻ったんじゃなかったっけ?
岩櫃城を織田軍に囲まれる状況じゃ海津はとうに落ちてるよな・・・・
箕輪城の内藤昌月や国峰城の小幡信貞もどれだけ頑張れるかは
未知数だが。
本能寺は武田関係なく起こる可能性は大いにある
光秀の不満はたまってるわけだし中央手薄になればいつでも逝くと思われ
その中央が手薄になるって状況がそれほど頻繁ではないでしょう。
また仮に頻繁にあったとしても、それが史実と同じタイミングで起きる可能性は少ない。
というか、武田攻め継続中って状況じゃあ起こりようもないわな。
勝頼がどこかの堅城にこもってそれを囲むという状況になったら?
それでも占領地の統治はすぐに始まるし
また城を囲む兵も残すだろうから
もし信長が先に帰る事があれば
やっぱり危ないかも。
あるいは、時期がずれるだけでやっぱり起こる。
勝頼があれから先生き残っても
大きく日本史が変わること無いと思うんだが。
信長が死んでも信忠が生き残れば織田家の天下は続くだろ。
その後三法師の代あたりで潰えるかもしれんが。
光秀の不満ねえ。怨恨説とかは疑わしいし、たまたま京都の信長の手薄なので突発的に起こしたみたいだが。
多分、武田攻めが継続してれば本能寺は起こらなかったと思う。
信長も武田を放置したままふらふらしないと思うし。
672 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/25(月) 17:31:27
武田信玄に二度も勝った村上義清とか、信玄を子供扱いにした名将長野業正なんて戦国オタか研究者しか知らんぞ。
双葉山は59連勝したが、その双葉山に土をつけた力士などほとんどの人は知らんし。
貴乃花の最後の一番の力士など忘れた。
金星なんてのは対戦相手が偉いのであって、
金星を取った人間など当時としては話題性はあってもすぐに忘れてしまう程度の人物にすぎん。
横綱に金星とった人間など、ただの一発屋。過大評価すべきではない。
なんか真田も金星二つ(一次二次上田城の戦い)と善戦一つ(大阪の陣)くらいで
過大評価されすぎ。
真田オタにとっては真田なら何でもできると思ってるらしい。
673 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/25(月) 17:57:36
>>670 秀信が無能だというのも言いすぎかも
彼は育成に問題があった。
多分、秀頼、秀次、秀秋、宇喜多秀家と
関わってきた子供をことごとく駄目にしてしまう。
秀吉の干渉があったからかもしれない。
信忠なら案外きびしく育ててくれるかも。
>>673 そういえば同じ三代目の徳川家光も有名ではあるが浪費癖と遊興癖が凄くて有名ではあるが優秀な人物ではなかったらしいね。
秀信も織田政権が固まっていればそれなりにやれたのではないか。
675 :
ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/04/25(月) 18:08:57
そうそう、今頃ミハエルに勝ったからって騒ぐなっちゅーの!
全盛期のミハエルだったら、あんな奴、敵じゃねーんだよ!!
>>674 あいつはやることはやってたが
人間的に破綻してたな
秀吉の墓暴いたのも、豊国廟をぶっ壊したのも家光
678 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 19:13:22
眞田を頼った勝頼を織田に売るという選択肢があったようにしか思えない。
なんでここの人達は眞田を忠君聖人みたいに感じて疑わないのだろうか。
それが不思議だ。
眞田は外交と謀略で主家の海野家を凌駕し、列強に囲まれてるのに戦国を生き残って独立を果たした(江戸の石高で言えば凄い勝ち組)大名なんですよ。
海野を凌駕するも何も、武田信虎と村上義清に真田郷を追われて
流浪し、やっとこさ信玄に召抱えられて旧領を回復したわけで。
信玄に仕えてなかったら上州で誰かの客将のまま江戸時代になったかも。
海野衆は、信玄の配下になっている。
幸隆の兄、綱吉の名もある。
幸隆の働き=海野衆の働き。。
>>681 お前の家には、ソースもないのか・・・
ソースがほしかったら店に買いにいけや。
ソースは?
ナドト書いただけで知りたい情報が簡単に手に入ると思うな!
自分で努力して調べろや!!
分かったかね♪厨房君
>>678 > 眞田を頼った勝頼を織田に売るという選択肢があったようにしか思えない。
小山田がそれをやって首チョンパされたわけで。
> なんでここの人達は眞田を忠君聖人みたいに感じて疑わないのだろうか。
昌幸は小山田信茂ほどバカではないと思ってる人が多いからではないの?
つーか、真田厨は反骨判官びいきな人が多いから、
織田を山峡に誘い込んで翻弄する真田の図を妄想する人が多いのだろう。
小山田信茂だって本人は勝頼を迎え入れて助ける気まんまんだったかもしれない。
でもいくら領主でも部下や領民が本気で嫌がったら無理。
特に籠城なんてのは領主と部下と領民が一枚岩でなきゃ成り立たないんだからね。
真田昌幸が勝頼迎え入れる気まんまんでもやっぱりどうにもならない
可能性の方が高いんだろうな。やっぱり。
685 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/04(水) 12:16:59
勝頼は信玄以上の名将だったが、いかんせん相手が大天才織田信長だったのが運が悪かった。
昌幸さんは、あの時点ではもう裏切らないだろう。
て言うか裏切れない。別に彼が忠臣と言う訳でなくね。
信玄の下、真田復姓後、調略を勉強し実行してきた訳ですから、
裏切りの“タイミング”が以下に大事か熟知していたはず。
このタイミングを誤ると、価値のない寝返りになるし印象も
悪くなる事ぐらい当然承知していたでしょう。
主家滅亡1秒前では、悲しいかな裏切れない。
で、実際裏切った小山田越前さんは斬首。
木曽のタイミングだと良かったんじゃないのかな。
穴山のタイミングでも正直微妙。信長は罰したかったが
取り成した家康の顔を立てて無罪放免。
甲斐では武田の武将に対する残党狩りまでやった。
もはや裏切った裏切ってないの問題じゃないのは明白。
穴山梅雪は駿河にいなかったら間違いなく危なかった。
688 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 04:21:34
>>646 黒王号に跨った拳王様が、
拳王軍団を連れて援軍に来る!
689 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 04:48:56
>>682 ソースがないからって言い訳でつか?www調べてから発言しましょうねwww
690 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 16:32:16
多分だけどその時歴史は動いた
692 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 19:22:26
>>691 自分で調べた訳ではなく、史書や史料を見た訳でもなく、テレビが根拠ですか…凄いですね。
693 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 00:47:59
>>682・・・でつか?
気もい奴・・・
改行も出来んのか?
694 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 00:54:47
>>693
でつか?などと知能が低いことを書いているゴミは
>>689だぞ!!
ソースを調べる気にもならんがちょっと気になった。
海野棟綱の子に綱吉。しかも幸隆の兄。
幸義の立場さえ決まりかねてる状態で「綱吉」ってのはいかにも庶流だよ。
696 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 01:07:01
幸隆(幸綱)の父は、真田頼昌だ。
母方の祖父だという説もある。
>>384 ゼクシィを参考にすると良いかも知れませんよ♪。
大遠投乙。
>>698
どこの誤爆だ?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
矢沢(幸隆の弟)が頼昌の三男
という事が書いてあるのを見たことがあるな。
701 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 01:46:39
普通に、真田綱吉でけんさくせえよ!!
おおちゃ公文が多いな!!!!
702 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 01:53:43
ちょっといいですか?
信長の野望、烈風伝の話なんですが
信昌を登録すると昌幸が誕生しないのですが
どうしたらよろしいですか?
昌幸が誕生しないと、子も誕生しない事になりますよね?
>>702 スレ違い
hp://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1113057986/
704 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 09:31:42
小山田って
江戸時代は真田家臣になってるんですよね
それ信茂と別の小山田氏じゃなかった?
小山田 茂誠(重誠)
仮名六左衛門、受領名壱岐守。
昌幸の長女で村松様と呼ばれる宝寿院は、甲斐の豪族小山田氏に嫁いでいる。
相手は小山田備中守昌辰の息子茂誠である。
昌辰は武田氏崩壊時に高遠城で討死しているが、
茂誠は生き残り昌幸を頼って信濃へ向かい、真田氏の家臣となった。
郡内の小山田とは別の小山田ですね。
708 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 04:41:45
>>694 >>689が「でつか?」という言葉を使った確証はあるんですか?根拠がないのにな、根拠がないのに勝手に決め付けるようなやつが三戦板にはいるんだな
根拠がないって・・・・・
もろに使っているじゃないか。
何を言っているんだ?
>>686 勝手な妄想書くな。
昌幸が裏切るも裏切らないも
すでにあいまいな形ながら裏切ってたようだが。
北条や織田と連絡取り合ってたしる
勝頼もそんな真田を見て頼るべきではないなと判断したんだろ。
ついでに言うと勝頼は小山田信茂も頼っていない。
彼は天目山へ向かおうとしたが小山田を頼ろうとはしていない。
真田と小山田の両方から我が城にくるよう誘いがあっという話しは講談。
>>710 煽りでも何でもなく、では勝頼はどこへ向かっていたのだ…
方角的には郡内に向かっていたように取れるが?
>>710 真田が北条や織田と通じてたのは当たり前の常識。
例え敵対している相手でも、外交チャンネルぐらい持ってるはな普通。
真田は武田家西上野面司令官として、当然通じてるんだよ敵とは。
そしてこれ、武田家公認ね。武田に限らず他家もそうしてる。
713 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 20:11:43
>>710 お前は金がある内に貯金しないで後で困りそうなタイプにケテー
当時武田は完全に力を失ってて逆転など不可能な状況
その状況で再就職先を探すくらいの事は誰だってやる
昌幸ほどの人間なら織田に頭下げてりゃ信忠配下とかで生き残る可能性は大
まあ信長の事だから上杉の壁くらいが関の山だろうが
715 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 22:55:53
横レススマソ、あまりに殺伐としてますね。
>>710が集中放火浴びてますが、たぶん
>>711-715は一人の自演でしょうねWWWWWWWWW
そんな戯言ほざきたいならID制導入させてからにしろ自演君wwwww
呼んだ?
甲州法度でも「境目の武将」は外部と連絡を取る事が許されている。
上杉謙信が上洛から帰って来た時、真田幸綱は太刀を送っているが
別に咎められていないし幸綱が裏切り者というわけでもない。
真田昌幸が北条と連絡を取ったからどうという問題ではない。
しかしまあ、そんな「境目の武将」が最後の最後の土壇場で
信頼できるはずもないのもまた当たり前の事。
>>711 ・天目山で死ぬつもり
・大菩薩峠
・石丸峠
・柳沢峠方面(郡内にも武蔵にも信濃にも向かえる)
勝沼を経由して田野方面というだけなら山中の古道をいろいろ
調べると結構どこにでも行けるんだな。これが。
720 :
711:2005/05/13(金) 00:55:49
>>719 えーっと、天目山で死ぬくらいなら新府を枕にすればいいのにと思うのだが、何故?
やはり、身内の小山田か八王子を頼ろうとしていたのか?
>>716=710か? 自演乙
何らかの目算のもと、再起を図ろうとしてたのは事実だろうね。
モンゴルに渡って、ジンギスカンIIになるつもりだった。
>>712 敵対している相手でも通じてるのは確かだけど
北関東方面の担当してた真田が織田と通じてるのは
あからさまにおかしいぞ
上杉や北条ならそういえるが
つか武田家公認って初耳、ソースなによ?
イミワカンネ
わかんないなら、だまっとけ
727 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 01:40:09
答えられないなら、だまっとけ
盛り上がって参りましたw
そして沈黙・・・
>>720 天目山は武田家にとってゲンがいい。それぐらい調べろよ。
731 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 03:51:38
そして勝頼スレへと議論は移動するべきなんだな
732 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 04:57:04
733 :
ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/13(金) 07:32:42
朝起きてびっくり。
私が
>>710だと?
WWWWWWWWWWスレ住人の間抜けさ、ここに極まれりWWWWWWWWWWWWWWWW
>>733 学校か会社逝けよ糞ニートが
あ、生ゴミ漁りの間違いだったごめんな
735 :
ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/13(金) 17:43:23
>>734 くだらねーレスつける暇あったら、昌幸について語れや、カスWWWWWWWWWWWWW昌幸のことをなにも知らない無知くんWWWWWWWWWWWW
てか、ド低能?
736 :
893:2005/05/13(金) 17:46:52
>>735 どうでもいいレスでいちいちくだらないスレ上げてるお前はどうなんだ??
737 :
734:2005/05/13(金) 17:54:26
>>735 そうやってどうでもいい事引っ張り出して人を叩く真似は見苦しいよ
>>734のレスから自分が昌幸に無知で、ド低脳な上にカスだと理解できるんだい?
ちみこそ真田昌幸の知識について大いにひけらかしてくれよwww
738 :
ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/13(金) 18:03:35
>>736 おまえは馬鹿だ。
つまりおまえは何か?「可児が他スレでくだらないレスをあげてるから、自分も昌幸スレではくだらないレスしかあげないのだ」と主張してるに他ならないぞ。
いや、否定しようが、そういう意味ダ。
わたしのことはどうでもいい。
とにかくおまえは、糞にもならない挙げ足とりなどしないで、スレタイに沿ってせっせと語ってればいいんですよWWWWW
おわかりかな?ド低能くんWWWWWWWWWW
739 :
893:2005/05/13(金) 18:12:39
>>738 >「可児が他スレでくだらないレスをあげてるから、自分も昌幸スレではくだらないレスしかあげないのだ」と主張してるに他ならないぞ
と、言われましても。
昌幸スレとか知らないし。このスレでは
>>736が最初の投稿なんだが・・・。
揚げ足云々以前の問題であって、くだらないレスでスレを上げると他人の迷惑になるといいたい。
また上げてるしな。
そして「WWWWWW」しか煽り技法を持たない君に合掌だ。
740 :
ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/13(金) 18:15:41
いやぁそれほどでもぉ
(*^_^)/ナニモ、デナイヨ
741 :
893:2005/05/13(金) 18:18:07
手がつけられんな
742 :
董ちゃん:2005/05/13(金) 18:18:12
関ヶ原の戦いでの昌幸の戦略はやはり間違っていたのだと思う。
第一に加藤清正が三成の意見と対立したことだけで、寵愛された
秀吉の本家を担ぐ西軍を離れるかどうかということを念頭におき、
豊臣家の養子から追放された秀秋の寝返りを予測し、東軍につく
べきだったと思う。西軍への布石は幸村一人で十分。
>>742 オヤジの名前だから信濃一国の知行宛いされたんだろ。
結果論で物言うな。
それと、もう少し日本語を勉強しろ。
744 :
董ちゃん:2005/05/13(金) 19:13:29
大阪の陣で家康が幸村に信濃一国で寝返るように勧告した件ですか?
しかし、このおっさんで戦術能力は高いんだけど、ずっと小領主のまま
なんだよな。よっぽど政略能力がなかったのか、それとも、全然信用
されない性格だったのか。
746 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 19:47:00
747 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 20:15:14
危険人物だったからね…
>>723 というか、織田と通じていたなんては話は聞いたことがないが、
この部分が間違っているのではないかね。
>>744 昌幸が三成から信濃一国という条件をもらった件のことでしょう。
ところで本能寺が無く、真田が織田傘下に入った場合昌幸とかはどうなるんだろうかな
上杉がいる間はいいが、それが滅べばどっかへ飛ばされるかな
752 :
董ちゃん:2005/05/14(土) 00:12:52
上杉が滅びて安定したら、
まず奥州は従順な大名達と連衡して支配しつつ、関東の北条家を政略でどうにか降伏させることが
できないかと画策するでしょうね。信長としても膠着している毛利戦線に一刻もでも早く救援を送
りたいだろうと思うから。真田は直接信長に敵対はしていないのであまり触れられることも無いと
思います。戦功で滝川一益あたりが封ぜられることはあるかもしれません。
これはあくまでも僕の自論なんで、実際どうかわからない。
池波の真田太平記では滝川の幕下につけられてたよね。
754 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 07:12:16
>>752 北条家はすでに織田家と和睦しつつありました。
755 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 08:53:15
>>751 そーいや、常に負け組だな。戦略眼がないのか。
>>755 同意。
西軍ついたのは情実だという考えもできるし。
まあ、一応戦国最後まで生き残ったので最低限の
能力はあったということでしょう。
757 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 09:55:22
>>756 結局のところ戦術屋ってことなんだろうな。
戦術屋は戦うと負けないって自負がありすぎて、それに頼ってしまう。
だが、実際には局地的な戦術能力では、家は大きくできないからな。
>>706 松代の街の中に冠木門がある小山田邸って
小山田備中家の御子孫の方?
>>758 矢沢・白井・小山田・禰津・恩田 は真田の重臣です
>>755 負け組みっていうか、武田が滅びて以来異様に独立心が強くて、
どこかの有力大名の傘下に入ってそこで身を立てようって発想をしないんだよね。
おかげで豊臣政権下でどこかの陪臣ではなく独立した大名となれたんだが。
あと、関ヶ原はオッズのいいほうに多めに賭けていたって感じだろうか?
非常に投機的な生き方をしているように思う。
761 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 10:59:03
>>760 まぁ、何か勘違いしているよな。このおっさん。
多分、「信玄公と同盟関係だったこのわしが、氏康やら家康やらの家風に
立てるか」とでも思っていたんだろうけど。
虎の血を吸っていた蚤が、虎になった気分でいたって感じ。
最終的には、秀吉が上手くあやした感じになったが。それでも自分を高めに
見積もっていたんだろう。徳川を二股かけたのはある意味、相場師の資質が
出たのかもしれん。(まぁ、どっちかっていうと長男の方が時勢が見えたっ
てのが実際だろうけど)
こういうのは、黒田如水にもいえるけど。秀吉を使って政略や謀略を展開す
れば、そりゃ、成功する。それを自分の実力と勘違いしていた感じ。息子の
方が物が見えていたって点でも同じだな。
>>760 そりゃ、徳川傘下になったと思ったらいきなり「沼田を北条にくれてやれ」じゃ、上に人がいるとろくでもないことになる、
って思うわなぁ。
関ヶ原は、徳川方の大儀は「君側の奸を討つ」で対三成だったから上杉征伐に帯同した豊臣恩顧の勢力が荷担したん
であって、もし大垣城あたりに秀頼が出てくるようなことがあったら総崩れの可能性だってあったし。
結果が分かってるから東軍が勝って当然に見えるかも知れないけど、実際のところけっこう微妙なところだったし。
徳川女婿で嫡男の信之を東軍に、豊臣に恩顧があり現当主である自分が西軍で勝った場合跡を継ぐ息子(信繁)も西軍
で筋が通ってる。
これで、昌幸まで東軍に与してしまうと真田一党は東軍と言うことになってしまって信繁は個人的に西軍に付くってことに
なってしまう。そうすると西軍が勝った場合、真田家としては潰れるだろうし、もし仮に信繁が再興したとしても家勢の衰え
は否めないし、豊臣家臣団の中でも外様に置かれてしまう。
どっちに転んでも安全なのは、昌幸が選んだ道だね。結局、真田家は存続したわけだし。
>>761 同盟関係ってことはないと思うが、たぶんに信玄や武田家を意識していたような印象は受けるね。
いや、だたの感想に過ぎないけど。
あえて言葉にすれば自分こそ後継者に相応しいんだ、
みたいな思い込みというか自負というかがあったような気がするというか。
まあ、そこまで言わなくても「独立大名」にこだわったのは事実だと思う。
それを勘違いと見るかある種の意地と見るかは主観によるだろう、
客観的には勘違いと思われるだろうが。
だた、仮にも家臣や一族後率いる者としては問題かも知れないが、
傍から見る分には結構面白い生き様って見方も出来るからね。
そういう意味で私は昌幸の生き様は嫌いではない。
もっとも当の本人が実際にどう考えていたかは分からないが。
764 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 11:14:53
>>762 結局のところは、戦略眼がないんだよ。つうか、政治・政略がわかってない。
家康の西軍切り崩しがどこまで進んでいるか把握する能力がなかったんだろ。
同じような相場氏の鍋島直茂は、最初は悩んだが、すぐに西軍の脆弱性を掴
んで家康についたしな。
結局、丁半どっちをつけるか判断する能力がなくって、二股かけた。それで
生き残ったのは、それなりに見事だが、その功をどっちかっていうと、長男
が上手くやったってのが実際だろう。
765 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 11:17:35
>>763 同盟関係ってのは、実際はそうでないけど、その種の驕りを持っていたん
だろうなってこと。こちらは小なりともいえども、云々ってね。田舎大名
に多いけど。
あとは、まぁ、一騎駆けの武者なら面白いんだけどね。大名としてはね。
俺としては、政略はわからないと言って、軍事技術者に徹した島左近とか
の方が好きだわ。
>>764 僻地の小大名で終わるよりは、一か八かを選んだんじゃないの?
それに長男を徳川家につかせるあたり、どっちが勝ってもお家は続くし。
767 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 11:29:15
>>766 そうかもしれないけど、自分で徳川主力を関が原に参戦させない
でも西軍が負けちゃったからね。つまり、家康の西軍切り崩しの
実態をほとんど掴んでなかったんだろ。博打にしても、下手な
博打だよな。
>>767 う〜ん・・・昌幸らしくないなぁ・・・
僻地故に中央の政界には疎かったのか?
大方負けると思ってたんじゃないかい?
大穴狙いの、駄目もとの博打。
それに家康とは仲悪かったらしいし。
・家康が嫌い。
・勝てば大大名
・負けてもお家は断絶しない。
・しかも信之の助命嘆願も計算に入れていた。
・50を過ぎ、老い先短い。
ココらへんを考慮に入れたら、分の悪い賭けが嫌いじゃないヤシなら十分やりそう。
それに意外と義理堅かったんじゃないか?
武田家にも結構最後の方まで見放さずついていってたし。
田舎の天才か?
豊臣の政を引き受けていたのなら「徳川の切り崩しを把握できていない」って批判は当たるだろうけど、
当時秀吉のお気に入りだったとはいえ小身の大名でしかなかった昌幸にそこまでのことが可能だった
かな? 三成批判ならともかく、昌幸に対しては過大な要求じゃないかなぁ。
結局、与えられた状況、情報、戦力、環境の中で家名を残すべく努力したわけで。
さらに、3000の兵で5万の大軍を引き受けたり、関ヶ原での昌幸は与えられた環境で最大限努力してるし。
真田という名前がそうさせるのか、たかだか十万石の大名に対する要求レベル方かすぎるよ。
まぁ、負け組に属していながら
畳の上で死ぬ粘り強さがあったから
こんなに人気があるんだと思うが。
真田クラスの地方大名で実態が分かるなら内応の情報等がダダ漏れってことだわな。
それは真田の情報収集能力に多くを期待しすぎているのと同時に、
徳川の情報隠匿能力を過小評価しすぎってものだ。
もっとも、関ヶ原直前の状況では小早川は西軍中枢からかなり疑われていた、
というか、ほとんど東軍として行動していた節があるそうだが、
その段階でそうなっても今更先んじて寝返れないしなあ。
それから、鍋島って関ヶ原戦後に手のひらを返したのではなかったかな。
それはそれで、見事な身の処し方だとは思うが。
773 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 18:02:02
俺は昌幸は義理堅かったと思うんで
石田、大谷との縁戚関係によると思う
領地を空にできない以上千程度の兵を参陣させるより
後方を撹乱させる道を選んだんじゃね? 徳川、北条を撃退した男だから
領内でのゲリラ戦にはそれなりの自負もあるだろうし
>>764 をいをい、鍋島直茂はもろに東軍派だぜ?
そもそも、東軍が勝てたのは直茂のおかげだぜ。
家康の戦略眼よか直茂の行動の方がはるかに勝利に
貢献した。
775 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 19:50:40
立花宗茂なんかと勘違いしてるだけかと
>そもそも、東軍が勝てたのは直茂のおかげだぜ。
詳しく
そこまで行くと関ヶ原スレに行けと言いたい
東軍の西上に使った糧食って鍋島が用意したもんだよ。
779 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 22:33:34
>>778 だから、その食料はもともと東西どっちにも提供できるように
用意したもんなの。実際、息子は西軍として行動していて、途中
でやめたし。つまり、最初は直茂も迷ってったってこと。
780 :
ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/14(土) 22:47:23
しかし、普通、息子が伊勢攻めしてしまった時点で「矢は放たれた」と思ってそのまま博打するのが人ってもんだが、彼はあっさりと博打を下りた。
まあそこが直茂らしいといえばそれまでだが。
弱小大名が戦略眼無しにその勢力を維持できるはずがないのだが。
武田家滅亡時に周辺が大勢力で固まってるから領地の広げようが無い。
それだけでしょ。
自分にレスして楽しい?
大極をみる戦略眼には欠けていた。
でいいじゃん。
784 :
ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/15(日) 02:01:07
昌幸が「大局をみる目がない」と一現代人ごときに言われるのが、なんかくやしい。
欠けていたというか、大局を見る必要のある立場になかったって事
必要がないからしなかった。必要がなかったことは歴史が証明してるでしょ。
ちゃんと、真田家は大名家として存続したんだから。
現実として、大局を見る目があったかなかったか、わからないでしょ。
>>785のいうとおり、見る立場になかったから、見たところでどうにもならない。
どんな形であれ、真田家を存続させるってことくらいしか、望める展望がなかったような。
あのスタート地点から天下目指せなんてどだい無理な話。
787 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 07:35:58
安全パイは息子に握らせ、
自身は勝率は低いが当たればでかい方に賭けた。
上昇志向の強いものとしてはある意味当然で、
むしろ順当な手法に過ぎないと思うがどうよ。
789 :
ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/15(日) 08:33:58
>>787 あー、いいからいいから。
とにかく語ってろや、ぼけー。
わたしがおまえらの論を見定めてるんだから。
せいぜい励めよ。
よろしいかな?ふっふふ。
790 :
間本 輔賢 ◆fxiqDwjL4Q :2005/05/15(日) 08:47:10
(・∀・)ニヤニヤ
大局は分かっていたから息子に任せて
自分は一人の人間としてやりたい事やった。
792 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 10:22:09
>>785 小身だからって大局を見る必要がないってことはないさ。
実際、昌幸が大局を見る能力がないために、真田家は何度か
危ない目にあっている。大局を考えずに大勢力に喧嘩売る
からな。
それに、真田家が生き残ったは、息子の功績の方が大きいだ
ろ。普通なら、当主が敵方についたら、ただではすまない。
なのにきちんと真田家が残ったのは、それだけ徳川家に信用
される行動をとったということだからな。
まぁ、中央と関係が薄く、時勢に暗い田舎大名ってんなら、
その通りといやその通りだが。
昌幸が戦略眼がない、という人がいるが、
関が原の合戦で、どっちが勝つか読みきった人なんていないと思う。
どっちか分からないから両天秤にかけたってことだろ。
それもリスクヘッジとかいう奴で、戦略の一つでないか?
それに、当時の真田の潜在的主敵は誰か、といえば、徳川でないの?
決して仲が良くない200万石級の大名が隣にいるんだから、
昌幸が嫌じゃなかったはずがない。
徳川を打倒できれば、関東の自分の領地が大きく広がるし、
徳川なき後に、関東に封じられる隣接大名は、多分徳川ほど手ごわくないだろう。
将来も安泰になる。
それに対して東軍に付いて、その結果加増があったとする。
徳川にとっては、大身の大名と北関東で隣接することになる。
お互い潜在的な敵と見ているなら、いずれ潰されると見るべきじゃないだろうか。
でなければ、伊達みたいに宇和島みたいな僻地を加増されたりするだろう。
そう考えれば、東軍についても幸せだったかどうかは分からない。
小身だからこそ、戦略というか大局眼が必要とされるだろう。つまり、どちらが勝つか、
言い換えれば自分の身をどう処すればいいかってのはそれなしに判断下せないぞ。
それと真田が義理堅いってのは肯けない。だからといって松永ばりに信用できないヤツ
だとも思わない。彼は地方豪族の身に相応しい対処をしていただけだと思う。滅亡直前の
勝頼から離れたのだって、先方衆の真田には武田に殉じるほどの義理はないからだし、
その後の行動も「自分に利益を与えてくれる者に従う」という戦国の理論を思えばいきなり
代替地なしで土地割譲を命じてきた家康から離れるのは当然。
彼は、結局のところ、戦術面一級でも、その思考や価値観は最期まで地方豪族から抜け出せなかった
のだと思う。
地方豪族から抜け出せなかったって言っても現に地方豪族だからなあ。
というか、繰り返すが、
勝率の高い方はしっかり息子に握らせ、
自分が勝った場合の見返りがいい方につくってのは別段おかしなことではないと思うが。
戦略眼がないというよりも性格的な問題だろう。
極めて投機的な性格だというか。
まあ、それについての評価は各人で分かれるところだろうがね。
つまり、真田昌幸ってヤツは、才能的には誰かの下で使われることで発揮するタイプだったが、
当人の性格は独立したがっていたと。
能力と人となりの乖離ってヤツですか?
797 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 18:49:21
>>796 根拠は?どの史書読んだらおまいの言う昌幸のタイプが書いてあるの?
798 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 20:26:06
799 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 20:40:41
>>795 それは違う。今の人間がやる競馬ではないんだから。
本命に薄く、穴に手厚くなんてのが通用する世界ではない。
負けた側の当主がついていれば、家として負け組みになる。
だから、二股をかけるのであれば、本命に当主がつき、いざという
ときのために息子を敵方につかせるのが当たり前の判断だよ。
つまり、昌幸が西軍に勝ち目があると判断したのは間違いない。
>>昌幸が西軍に勝ち目があると判断したのは間違いない。
勝ち目がないのならだれも西軍に加担しないと思うが・・・
少なくとも内情はどうあれ数の上では西軍が勝ってたしなぁ・・・
俺の中で昌幸は「その小身に有り余るほどの大望を抱いた謀将」ってイメージがあるから、
昌幸は勝ち目は薄いと見ながらも、賭けにでたんじゃないのか?、と思う。
・・・というよりそうであって欲しい・・・
801 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 21:34:09
自分だけで断定するとはリア厨かな??さっさとオナーヌして寝ろよwww
史実での真田の行為は非常に賢いし、あの状況下で真田が出来た最善を尽くしている
仮に豊臣が関ヶ原に勝てば、真田も当然領土加増なりで、豊臣の忠臣として認められるだろう
そうなれば、徳川についた息子信之を呼び戻し、彼の復権を図るなど出来、万々歳となる
徳川が勝っても徳川派の嫡男信之が継ぐのだから徳川も文句は無い
仮に徳川に昌幸がついて徳川が勝った場合、幸村は一家から捨てられた男だ。命も助からないし復権もできない
それに昌幸は既に年で信之に家督を継ぐから、昌幸自身にとっては家の存続以外の利は無い
信之、幸村が徳川に付き自身が豊臣に付いた場合、豊臣が勝てば息子を危機に晒し
徳川が勝てば自分の命が無い。どちらにしても家の安泰を図るのは史実以上に難しいだろう
>>どちらにしても家の安泰を図るのは史実以上に難しいだろう
これって昌幸の機転よりも信之の努力の方が大きいんじゃないか?
803 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 21:43:40
>>800 別に勝ち目の薄い方に賭けたんでもいいけど、情勢判断は決定的に
間違っていたといっていいな。徳川主力、38000を関が原に
参加させないでいながら、自陣営は負けてしまっている。
つまり、先の見通しは完全に誤ったわけだ。
で、それを見越して賭けたとはとても思えないけどね。
>>803 そんなこと言ったら、
西軍参加大名のほとんどは見誤っていたことになってしまうではないか。
確かに結果論的にはその通りだが、
それはあくまで結果論に過ぎないよ。
806 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 22:17:57
>>801 図書館でも行って知識付けてこいよ厨房www
>>799 そりゃあそうだろう、
勝ち目が全くないと思っている方に賭ける者はいない。
そして、当時の状況で勝ち目が全くないなどということが分かるわけもないのだが?
つか、昌幸が家康を嫌いだから西軍についたんでしょ。
勝手に自分の土地を北条と分け合うわ
何度も攻めてくるわ。
それでも息子を家康につかせるあたり、大局なんてもちろん
分かってて自分の意志を通してるんだとしか思えんのだけど。
勝ちそうな方に一族みんなでついて卑屈に生き残り続けるのが
大局を見極めるエライ人なのだとしたら、そんな生き方しない方が
カッコイイ事もあるな。
>>808 昌幸はこの手の天才にありがちな、偏屈な意地っ張りって訳か。
それでいて一応一族を絶やさぬよう心配りを怠らず(信之の処世術の上手さに託した?)
あくまで自分は自分の好きなように、か・・・・
>>799 いや、現に家は残っているし、
信幸は既に一城の主でなかば独立した大名だから、
東軍につけば戦場で失態でもしない限り、
親父に連座して信幸の家まで潰されるなんて事はほとんどない、
家康の養女を妻にしているという関係もある。
そのように、お家の存続をある程度の高い確率で確保した上で、
自身が大博打をうっても悪いことはべつだんないと思うが?
>>799 息子を敵方って、
自分は東軍について、本多忠勝の娘婿をわざわざ西軍につけろというのか?
幾らなんでも無茶苦茶すぎだろ。
それとも当時ほとんど無名で城持ち大名でもなかった幸村一人を西軍につけろとでも?
とりあえず、当時の状況と人間関係からしたら、
家を二分して両方につけるなら史実の通りに分けるのが最も順当なところだよ。
812 :
ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/15(日) 23:24:45
>>803 それはおかしい。
昌幸は秀忠を関ケ原に遅参させて、合戦に間に合わさせなかった、ということになっているが、
よく考えてみると関ケ原という場所で九月十五日に大会戦が起こることなんて、上田にいる昌幸がわかるわけない。ましてや短期で合戦が終わることなども予想してないだろうな。
もし両軍が長期戦となると、秀忠を10日やそこら釘づけにすることはあまり意味のないことのように思える。
つまり釘づけにして、「よし、秀忠の行軍を遅らせたぞ。これで西軍は勝った」なんて彼は思わないだろう。
って言うか、家康はそんなに真田が嫌いだったのかな?
関ヶ原前に信幸に手紙だしてるし。
嫌いかどうか知らないが、三方が原以降、徳川軍に土をつけたのは真田ぐらいだし、しかも旧武田の臣はことごとく徳川に属してるのに、元武田家臣の真田氏だけは替え地事件でも強硬な態度でアピールされたし・・・。
普通、替え地がなくとも両家の戦力差を考えたら、恐れて言うとおり従ってしまうだろうに。
事実、「ならば潰してくれる」といつもは慎重な家康が電光石火の如く、上田城に一万の大軍の出兵してる。
軽く落とせる。
とたかをくくっていたのだろう。
なにげに彼の戦歴のなかでも上田合戦は汚点と思っていたんじゃない?
>>812 秀忠が到着すると東軍が数でも勝るから、
西軍に勝機があるとすれば
1.参戦した連中が全員ちゃんと動いて
2.秀忠が来る前に仕掛ける
以外に無いと思うのだな。
2はできたが1でポシャッたので残念!
ま、昌幸の家康嫌いから来る意地でしょ。
だからこそカッコイイと言える。
>>815 なるほど、家康が昌幸を嫌いかどうかはグレーだが、
昌幸が家康嫌いはたしかにガチだね。
本多忠勝の娘をわざわざ家康の養女にして輿入れさせたのも、
「家康よ、お前とはあくまで対等だ」
という意志表示であり、家康にしてみれば憎たらしいことこの上ないだろうな。
あと昌幸が秀吉好きであるならば、それに対照的な家康と肌が合う訳ないしね。
昌幸の家康嫌いって、出所は池波正太郎の真田太平記でしょ?
出所は、と言うが状況証拠的に明らかじゃね?
>>819 状況証拠は2度の上田攻めと忠勝の娘のエピソードだな。
普通の遺恨程度なので東軍についても可笑しくねえと思うんだが。
昌幸の家康に対する態度は、舐められたたらヤラレルという
心持ちが多分にあると思うんだが。
昌幸の家康嫌い
家康が「北条に沼田を譲れ」と命令したから。
それでもちゃっかり家康側にコネを作っておいて、
息子の代で十万石ゲットしたのは立派だ。
そりゃ武田時代に血のにじむ思いで手に入れて来た
信州小県郡、上州吾妻郡、上州利根郡といった領地を
家康と氏政が勝手に分け合うし
何度も攻めて来るし
面白くは思ってないよな。
お前らに重要なことを教えてやる。
昌幸はな、実は丹波哲朗だ。
あの胡散臭さがたまらなくいい。
>>824 激しく同意。あの胡散臭さは丹波以外に匂い立たんw
丹波哲郎を家康に会わせたら、家康はえらく迷惑そうな顔をすることは、ほぼ間違いない。
んで、繰り返すが家康は武田信玄・勝頼という強大な勢力と長年戦って、滅ぼされずに凌いできた。
いうなれば横綱と戦っても善戦してきた。
それを幕下の真田に土をつけられた。しかも一万動員だから牽制ではなく完全に叩きつぶす予定であったろう。
自分が出征しなかったとはいえ、この屈辱感はかなり大きいのでは?
しかも当時の大久保彦右衛門も「みな腰が抜けた」と懐述してるところをみると、噂どおりの大惨敗であったろう。
このことが昌幸の誇りであり、その後の家康に対する態度を確定させた。
家康にとって屈辱かどうかは昌幸にはどうでもいいのでは?
>>826 大久保彦右衛門は明らかに床屋の看板全力だから
あんまり信用しない方が良かれ。
まあ、1万の軍勢つかって目標を達成せず結局数日で引いたんだから、
戦術レベルはともかく戦略レベルでは惨敗だね。
>>827 >家康にとって屈辱かどうかは昌幸にはどうでもいいのでは?
心理戦考えると馬鹿にならねえと思うんだが。
829 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 14:04:57
漏れ個人としては
昌幸と如水(存命なら)と宇喜多直家(存命なら)と松永久秀(存命なら)の四人で力を合わせて秀頼様を盛り立てて欲しかった。
>>829 その四人が力を合わせるタマじゃないW
秀頼の命は三日ももたないWWW
孝高は秀吉に嘘をつかれているし、秀頼を盛り立てそうにないな。
弾正がそんなタマかw
意外と4すくみ状態で上手く生き永らえそうな秀頼。
サル回しをしながら天下をとった黒田如水、室町幕府を滅ぼして天下人になった松永久秀、
知恵の足りない近所の土豪をペテンにかけながらチマチマ中国の覇者になった宇喜多直家が
何で田舎の小名と手を熊にゃならんの?
人には格、というものがあるでしょう?
他にも、前田とか居るしな
島津と伊達と上杉は寝首をかこうとするだろうな。
836 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 13:13:32
昌幸が目指していたのは何だったのだろうか。
ただ家康(徳川)が嫌いだったのか。
武田家復興か。
自身の領土拡大か。
才能を試したかったのか。
4行目。
ちなみに、1行目と2行目は日本語がつながらないよ。
838 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 14:19:10
仮に骨の髄まで家康嫌いなら信之を徳川に捻じ込んだ事の説明がつかない
武田家復興ならば本能寺を待たずして真田が間違いなく滅んでる
昌幸は自己満足の為に危ない橋渡るほど軽率な考えの持ち主ではない
まあ目的としては、信濃一国くらいは欲しかったんじゃないかな
つまり、自領拡大の野心+家康嫌い−家の存続=信之を残して西軍入り
>>837 836ですが読み返すと確かに意味がわからないですね。
言いたかったことは何故西軍についたのか、ということです。
ちなみに自分は4行目だと思います。あと、1・3行目も少々。
840 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 20:03:07
>>838 骨の髄まで家康が嫌いだからこそ信之の嫁は本田家から迎える。
それでこそ表裏比興の者の真骨頂。
>>840 弟が徳川にいたからっつーのは関係あるのかな?
>>839 最後の一文が意味不明。ガンガレ
842 :
ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/20(金) 23:35:47
昌幸は単純に信玄以来の甲斐信濃の2カ国が最終的欲しかったんじゃあない?
いや、むしろ上州の方が欲しかったんじゃないか?
844 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 23:44:16
近辺の領土すこしでも増やしたかっただけじゃない?
幸隆は沼田城主だったよね。ってことは隣接する越後方面、てか越後一国が欲しかったんじゃない?
あれ?
滋野一族か・・・東信濃から上州にかけての地域か・・・・・
沼田城主ってわけじゃあないのか。。。不勉強でしたスマソ。
>>843 幸隆は真田の地を回復したのち上野攻略を担当し、昌幸がそれを引き継いでいる。
そして家康の名胡桃に対する命令をはねつけるほど自力で切り取った上野に執着があったから、北信と上野を望んだのでは、と思う。
保守
それだけではなんなんで…
>>843 上野は北と西限定の話? 南は北条領だしなぁ… 金山から沼田は遠いぜ
851 :
ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/27(金) 17:38:52
沼田インターの次の月夜野インターで下りるとすぐに名胡桃城址があるが、特に難攻不落のように思われなかった。
春日山城址みたときは、
例え城址でも「これは落とすのには・・・てか無理だろ」って思った。
ようは三角帽子みたいな形の高い山にクネクネ道の急な登り坂のオンパレード。
車で登ったのに骨が折れる、しかも途中からは車でいけない難所な道だし・・・だるいから本丸まで登らなかった・・・
852 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/27(金) 23:23:36
age
なにも名無しで書き込めはスレは再び活性化するが、
あえてコテで挑みたいWWW
>>851 仕方がないから反応したる。
城なんて入る人によって堅城にもなるしすぐ落ちたりもする。
それだけのこと。
名胡桃城なんて砦に毛が生えたようなもんじゃん。
そりゃ難攻不落のわけないよ。
>>854 なんか知らんが、城の着ぐるみ被ったオッサンが殴り合いしてる絵が思い浮かんだ。
というか、名胡桃城ってすぐ落ちたよね。
858 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 11:59:39
武田→北条→織田→北条→(裏では上杉に結びつつ)徳川→上杉→豊臣→(秀吉の命で)徳川→(徳川と一度もめてから)また徳川→(関が原で)徳川or西軍側→(戦後)徳川
この圧倒的なかっこいい鞍替えスタイル 全部が昌幸じゃないが
859 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 03:30:03
今、屁をこいたらメチャ臭かった!
ヒイィィィ!!(゚ロ゚ノ)ノ
860 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 03:38:13
・・・
マジで臭い!!
(×_×;)
861 :
ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/06/05(日) 23:04:49
>>857 小田原攻め前夜の折りはたしかに計略にかかってすぐ陥落したね。
しかしそれまでの名胡桃城は小城ながらよく防衛した要衝。だから北条は欲しがった。
862 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 23:24:09
>>861 名胡桃城は上杉、北条どちらから狙われてきたの?
誤爆。
864 :
無名武将@お腹せっぷく :2005/06/12(日) 14:35:44
>>862 小田原征伐の理由になったのだから。もち北条。
865 :
@お切腹:2005/06/12(日) 15:14:01
名胡桃城ちと調べてみた
築城は応永年間(1492〜1501)、築城者は沼田景冬。
昔から(16C半ば)沼田城攻略のための要所(利根川東岸に沼田城)
に位置していることから。
武田、北条、上杉の三氏より争奪が繰り返されたそうで、
1579年、北条氏の奪取していた沼田城を攻略するため、真田昌幸が、
廃墟と化していた(基の作りもそんなによくなかったらしい)、名胡桃城
を改修、翌1580年、沼田城を陥落させた。
→名胡桃城は、そのものが堅城なわけではなく、沼田城との関係により、
その価値が高まっていたものと思われ。
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れ が \_\ヾ、、,_ヽ .\ヾ,,i!、i!i /` ./,ィ
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と 軍 |;| `'/  ̄ ,-'" |::::::.  ̄´
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い 師 {;;;| .! |::::::::.
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た よ / /´,, -'" ` `ー 、`'、
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867 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 17:47:05
だが…それがいい……
>>866 怖えーな・・・
真田太平記(NHKの〇A)だと秀吉は、知っていたみたいの描写がされていた。
草の者が得た情報を知り、昌幸(丹波ちゃん)が非常に悔しそうだった。
やる気満々の矢沢伯父ちゃんに「動かないでくれ」みたいな言を草の者か使者を通じてお願いしていた。
869 :
ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/06/13(月) 08:36:50
>>868 そうだね、秀吉は昌幸に「悪いようにはせんから」と意味深なことを言っていたね。
小田原攻めの口実にしようとしていることを昌幸ならすぐにわかっただろうね。
はぁーあ
871 :
@お切腹:2005/06/17(金) 21:28:35
小田原攻めは、北条家と縁のある。徳川への牽制と見る説も有り。
その説にのっとると、徳川へ北条攻めの先方をきらせて、関東の民の
評価を悪くした後、関東へ大封。
また、徳川が北条へ組するのなら、まとめて討伐みたいな;
とりあえず、真田とは直接関係の無いことですが。
872 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 00:54:52
小山評定直後の帰り道、昌幸、信繁親子が東軍側についた兄信幸の居城
沼田城を奪い取ろうとしたことは事実なのか?
単に立ち寄ろうとしただけって話では?
874 :
872:2005/06/18(土) 01:12:20
池波正太郎著、真田太平記だと信幸の正室が城門を開かなかったとあるが…
昌幸は、さすがは本多忠勝が娘だと言う感じだったっけな。
>>874 真田太平記・・・
面白い小説だったな。
真田太平記のビデオってレンタルとか
やってないの?
>>876 ていうか真田太平記のビデオ、DVDでてんの?
>877
出てない。
総集編でも良いから出して欲しいんだが。
880 :
868:2005/06/19(日) 08:17:26
>>879 父が見るテレビ番組に入っていたので、家族全員
半強制的に見ていたのだが・・・断片的にしか内容を覚えていなかった。
一度全部あらためて見たかったが、ビデオが無い事から「出演者に不幸があったので
お蔵入りになるのか」と思っていたので嬉しい。
教えてくれありがとう
>>880 お江が小説と違ってはかなげで良いよ。
白木蓮のような女だったかな?
その瓜実顔間違いない!見つけたぞ!お、お江!!!覚悟せい。
うわぁDVD-BOX出るんだ・・・
何のために深夜、時代劇専門チャンネルで頑張って録画して来たのか。
>>879 わ!情報ありがとう!
うち時代劇チャンネル入ってないし、なかばあきらめてたんだよね。
早速予約注文しときました。このDVDボックス、第一集23話ってなってるけど、最終回までだと第何集くらいになるんでしょうかね?
885 :
879:2005/06/22(水) 22:21:50
>>884 全45話なので第二集迄だと思われます。
真田太平記をリアルタイムで見ていた漏れは 真田昌幸=丹波哲郎=Gメン75ボス
真田幸村=草刈正雄=復活の日 のカコイイイメージが脳裏に焼いていたが実際両
親子の肖像画を見た時の漏れはorz
887 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 20:33:52
>>886 確かに昌幸ヨボヨボ、幸村小太り真田親子の肖像画はカコワルイナ
光栄のグラは真田太平記を意識していると思う。
>>887 >昌幸のヨボヨボ
あれは、本当は信之。
昌幸が信玄の家臣時代のは、なかなか良いよ。
>>886 幸村は歯が抜けてたらしいね!
身元確認の決め手になったとか
DVD高い・・・・・レンタル化はするのかな。。。。
第二集は、9月22日発売すると新聞に載っていた。
幸村ってチビで禿だったと聞いたが、本当?
894 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/29(水) 05:27:34
↑
物知り可児に聞けよ!
チビで禿げだったかしらんよ
わからんかったら
死んでから、本人に聞けよ
896 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/30(木) 02:52:35
>>882 猫田与助
なかなかいい味を出していた。
オマケにお江に・・・・
最期も「老忍者の最期は、あんな死にかたしたのもいたかも」
というような感じでよかった。
899 :
やぁ、うんちだよ:2005/06/30(木) 03:38:10
やぁ、うんちだよ
うんちを名乗るなんて、うんちに失礼だろ
901
902 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/16(土) 17:46:51
903 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/17(日) 14:11:41
日本は小さくて強いってのはウケるからね
905 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/21(木) 04:28:01
小さい奴が
でかい奴を
豪快に投げ飛ばす
柔道漫画
某店で注文した真田太平記第1集がまだ届かない ...orz
真田太平記が定番になってますが、
「真田幸村―家康が怖れた男の生涯(佐竹 申伍 著)」は
みなさん読まれましたでしょうか?
自分は結構すきです。
ひとそれぞれ
ココの連中は五味の十勇士〜太平記まで読破してるから
あしからず
柴錬さんのが一番燃える
真田三代記は読んでないのね
なんか色々読んだけど
太平記が一番好きだな。
あげ
914 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/06(土) 10:13:02
真田日本一!
915 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/06(土) 10:28:00
なんだ、史実全然知らない講談厨が討論してたんだw
三戦版で史実もなにも・・・
おもしろけりゃいいじゃん。
歴史を研究しているわけじゃないし。
あまりにも酷いのはあれだけどさ。
史実知らないから面白いと感じてるのさw
史実知ってる人間は、バカが何かやってるとしか見えない
だから・・・レスすんなヴォケ
>>915
というかたまたま小説に関連した、
どの作品が面白いと思うか?という感じのレスがついただけなのだが。
史実を知らない云々という話は、
小説の内容を史実だと思って語ったりするものがいたときに指摘すべきことで、
>>915がちょっと酷い勘違いをしているというそれだけのことでしょう。
いや、史実でも真田は面白い存在だよ。
元々討論なんかしてないしな。
みんな雑談を楽しんでる訳で。
昌幸殿は九度山へ行った後も大名時代同然に近い生活をしようとして、
信幸はこれに大層頭を痛めたといわれている・・・
浪費家だったのか、昌幸は・・・
昌幸は高野山だってーの
妻子連れていって高野山拒否られた幸村が九度山
なぬ?親子で別居してたのか?
>>924 麓と山上で2世帯住宅だったのだ。
別居ではない。
高野山と九度山は近いよ。
高野山ケーブルにでも乗ってみ。
スープも冷めないぞ
928 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/24(水) 14:54:22
ええっと・・・山の上から麓までの巨大な敷地を持つ流人屋敷があって、
そんなかで山の上と下に別れて暮らしてたってことかな?
931 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/27(土) 14:32:12
三男四男は影薄いんだけど、
昌幸とのエピソードなんて残ってないんかな?
真田広之って真田の子孫?
真田って名前が付けば何でも良いと思ってるだろ
真田氏の一族(代表的な同族)
滋野氏(海野、望月の祖)
海野氏(真田の祖)
望月氏(真田氏と同族)
矢沢氏(真田幸隆の弟)
まとめて滋野氏族だよ(`・ω・´)
真田アサミも真田家の子孫
936 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/02(金) 20:25:29
三男
真田昌親(一説には四男)
・・・松代2000石を与えられ幕府旗本、一代で断絶:養子が逃げ(違。
この方のエピソードはさして無いようで、関ヶ原の際は信幸に従っていたらしい
四男
真田信勝(一説には三男)
・・・この人ならあります。戸田勝興と喧嘩して切り殺されましたw
age
昌幸の人生を完全にゲーム化したら楽しいだろなぁ。
一つ間違えたら、あっという間に押しつぶされそうで
緊張感がたまらないだろう。
信玄に尻のあn(ry
939 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/03(土) 22:45:05
>>937 所詮ゲーム。ゲームの趣旨は生き残りだろうから(天下は現実的に考えて無理)
そこいらじゅうの大大名に頭下げてりゃ何とかなる。関ヶ原は家康に着け。
ゲームだからやり直しも出来る、攻略法もある。現実では考えられない荒業もあるだろう。
昌幸の凄さはそれを生死がかかっている極限状態で実際にやれたところだと思うのだが。
所詮ゲーム如きに実際の昌幸が背負った重圧感を出せるとは思えないのだが。
>>939 一度ゲームオーバーになると、二度と最初から、セーブした時点からはやり直し出来ない。
定価6800円(税込み)だと、緊張感増すぞ。買わないけどな絶対。
>生死がかかっている
リアルで戦国時代に生きた人全員そうじゃね?
シミゲーの面白い時期って、
まだ脆弱で敵に囲まれている時期に
なんとかやりくりしている頃だとおもうん。
昌幸なら延々とそれだから、
ゲームとして面白いと思うぞ。
943 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/05(月) 15:20:43
小田原平定後9年は安定してるし。
>脆弱で敵に囲まれている時期
が長くて、一番有名なのはやはり信長だったんでは?
勢力が強大になっても手紙マニアに再三包囲網敷かれるし、
やっと失せたと思えば本能寺。
昌幸の野望はきつくね?
なまじ領土が広く勢力の数も考えるとやっぱ信長の方が忙しそうだな