>>928 蘆名を潰したから後で62万石の大名になれたんじゃないのか?
何を恐れるんだよw
秀吉や家康ならいとも簡単に伊達なんて潰せる
もっと強大な勢力を数々倒してきたんだからな
秀吉が恐れていたのは家康と官兵衛なのは誰でも知ってるだろうが
実際恐れるほどの働きを見せた
家康は死ぬまで西を気に病んでいた
福島、加藤の反乱危惧
そして毛利、島津
実力はあるし徳川に怨みもある
結局そういう結末になった
両政権で政宗は表面上しか警戒されてない
領地は遠国だし
政宗は馬鹿ではないから無茶はしない、ある意味わかりやすい
豊臣政権における家康じゃなくて前田の位置に近い
政宗はえらいんだお
ぎゅーたん作った人なんだお
>>932 >秀吉や家康ならいとも簡単に伊達なんて潰せる
無理無理w 秀吉などは正確には3度抹殺するチャンスが
あったが、結局滅ぼすことができなかっただろ?w 潰そうと思って
も簡単に潰せる相手ではない。真正面から秀吉へ軍事対決を選択してくる
ような単細胞なら、確かに抹殺されていただろうが。
例えば、秀次事件をみても、遠島か死罪の2者択一まで追い込んでおきながら
政宗に恫喝されて、振り上げた拳を振り下ろしている。秀吉は政宗の背後
にいる家康の影にびびってもいたことだろう。
ついでに秀吉は政宗を警戒し、恐れていた上に、教養面において伊達家の
華麗なる文化・教養面に、相当な「コンプレックス」さえ抱いていた
ことも一緒に付け加えておきたい。
>>928 >奥州仕置きの口実を作ったにすぎないからね
北条征伐までして奥州に手をつけないわけないだろう。
秀吉の目的は全国統一なんだから。
伊達が葦名を滅亡させようがさせまいが
北条征伐に不参加なら奥州の領主は改易されるって。
>>932 >領地は遠国だし
お前は九州や中国地方と仙台のどっちが遠いかもわからんのか?
家康が西を恐れていたのは豊臣家や豊臣恩顧の大名が多かったからだろ。
お前ら少しは佐竹も語ってあげてください
938 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/04(日) 19:01:29
楽天の佐竹活躍してるね
格闘家の佐竹は今いずこ?
格ゲーのキャラと雑誌で戦ってたのだけ知ってる。
926の文盲っぷりにハゲワラ
あんまり笑わせんなよw
僻地の田舎大名恐れる天下人なんぞいるわけないだろw
>>942 秀吉の場合、伊達政宗に翻弄されつづけた
ヘタレ天下人だから仕方ないw
プギャーwwwww
教養とか文化とかもうアホかとwww
文化と教養は京・大阪に集まっていたのは言うまでもない
高名な文化人、僧、公家なんかが数多いる
奥州の土臭い文化なんぞ誰が恐れるんだよ
お前どこの田舎者だwww
945 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/05(月) 12:32:23
と、百姓秀吉が顔を真っ赤にしております。
946 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/05(月) 15:39:32
ていうか、反乱起こすかもしれないような奴がいたら普通警戒しないか
そう、警戒はしてたろうね
あくまで警戒の域を出なかったが
潰さないと危険だとまでは家康も秀吉も考えてない
政宗は愚将だと言ってるわけじゃない
三百諸侯の中でも上位の実力を持っていたが
天下を脅かすほどではなかった
それが現実でしょう
確かに、政宗は戦国の逸材といわれ、その
実力と器量を時の天下人に認められていたから、
安易に潰そうなどとは思われなかったのだろうね。
実際にはそんなこともできないし。
自らの打撃も多大なるものを考えれば、秀吉などは
腰がへなへなと引けてしまったのだろう。
そりゃあ、あの手この手でそのたびにおべっか使って、
必死に命乞いに来るの見れば、見世物くらいとして生かしておいてやるか、
という気にはなるかも知れないからね。
いやいや、遊ばれていたのは秀吉だろうねえ。政宗にとっての秀吉
という存在は、所詮教養のない下卑た「猿」でしかない。「天下様」と
煽てて、秀吉を悦ばせる辺りは、さすがに政宗が役者が上手だな。
用意周到な計算と演出が施されており、その大がかりな「猿芝居」で
「猿」が手もなく騙される姿は、こっけいそのもの。片倉景綱らとさぞ
爆笑していたことだろう。片倉曰く、「殿もお人が悪いですなw」
「騙されてやった」んだろ。
>>944 その田舎大名の教養に感心した公卿の何と多いことか。
石高、官位、閲歴や年齢からしたら出席できない歌会に何度政宗が呼ばれたと思う?
同レベルの石高、年齢で歌会などに呼ばれることがなかった人もいるからな。
教養では比べようがないだろ。
さすがにここまであからさまなネタはつまらん('A`)
天下人の秀吉と比べても差がありすぎて意味ないだろ
その為にわざわざ佐竹を引き合いに出したんだから
佐竹に食いつきなさい
と言ってももうネタがないんだよな…
>>953 誰に言ってんだ?
アンカーぐらいつけろよ。
伊達政宗
身長160cm弱
片目コンプレックスで対人恐怖症
小心者で引き篭もり
女子供を皆殺しにする残虐性
戦利品の馬や牛も皆殺しにする基地外っぷり
何もしていない弟を殺害する器量の小ささ
自分より力の強いものに絶対服従の情けなさ
下の二つなどは、信行を幾度と許し今川との対決に踏み切った信長と比べると政宗の人間の矮小さがにじみ出ています。
おそらくは弟に謀反を起こされた場合、秀吉に対抗した場合、誰も政宗にはついていかなかったのではないか?
政宗がいかに家臣に慕われていなかったが伺えますね。
>>955 北条攻めに遅参した原因だが、
片倉以外の重臣が北条に味方するよう主張していたんだぞ。
弟ヌッ殺した時も弟派の家臣は出奔せず
東の方だけが実家に帰った。
>>953のいうようにホントにネタが尽きた感じ・・・
もう少しなんとかならんのか。
佐竹系のネタがないのが原因か。
東の方が実家に帰ったのは、実はもうしばらく後かららすぃ
>>957 とっくに論破された妄想。おまい
>>512だろ。ほとぼりが冷めたころに冷えたピザ出してきたって通用せんよ。
政宗は時より陰湿な暗いものを感じるんだよね
やはり着飾っても子供の頃の性格は隠せないものだな
>>959 ちょっと日本語おかしくないか?
「政宗には時おり陰湿な・・・・」、って言いたいのか?
政宗、外交は一流なんだが
戦が二流な上、野心が分不相応だから
その優れた能力は全て尻拭いに使われている
…そんな感じ
政宗の危機回避能力は恐れられたかもW
政宗のいくさの能力は摺上原で事実上終わってるだけに
判断のしようがないと言うのが本音だ。
963 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/07(水) 05:31:08
>>961 >戦が二流な上
たとえばどの戦いかなあ(笑)具体的な戦役名を書くと、こっぴどく
叩かれるから、腰がひけて書けないんだろが。
>>950 領地大幅削減の上、
根拠地すら放棄させられて国替えを強要されたりしたのに?
まあ、真面目にレスするようなネタではないと思うが。
戦の能力っていうけど戦略・戦術2つの面があるじゃんか。
個々の状況を戦略・戦術の2面から判断しないと判断できないだろ。
利休に茶の湯の教えを請うて、秀吉を上手く煽て上げてほくそ笑む政宗。
書、漢詩、和歌、能楽などすべてに卓越していた教養人政宗に、秀吉は
相当なコンプレックスを抱いていたのだろうなw
確かに猿に一泡ふかせて揶揄するのは、痛快でもあり、面白かったのだろう。
戦略戦術外交謀略全てに一流とは言い難い
結局は60万石程度で終わったし
政宗のそれは小手先の技だからな
2流のイメージ強い前田利家なんかの方が優れてるだろう
派手な事なんてしなくても100万石以上だからね
石高云々じゃなくても豊臣政権時は利家も人物的にかなり大きくなっていたしな
名族の大崎・葛西領では、やはり木村吉清親子のような
政治的な禁治産者(苦笑)では、治めるのやはり無理と判断。
秀吉もメンツをつぶされた上に大いに反省の上し、政宗に
全権委任を依頼したのだろうな。
>>968 いや、秀吉以上みたいなこと言っているのは問題外としても、
さすがに利家よりは上と評価してもよいのじゃあないかな?
まあ、何も基準に評価するかってことにもよるけど。
人生においてそのほとんどを人の下に仕えることで終えた利家と、
十代から当主として曲りなりにも自身の判断で行動し、
一時的にではあっても200万石とも言われる領地まで獲得した政宗とでは、
戦国大名、或いは戦国武将としては明らかに政宗の方が上だと思う。
政宗は、時期天下人は誰かと量りにかけた上、徳川家康と明快に
判断。水争いの時は、前田の陣に銃口を向けるなどして、利家を
悲嘆にくれさせたのは有名な話だ。この辺も「時代の風信器」(蘇峰)
たる政宗の目利き・臭覚の鋭さを示すエピソードではある。
つうか家康が次の天下取る事はほぼ全員予想してただろ…
当時なら子供でも分かるような事だ
否定してた人も(蒲生とか)家康が嫌いだから言ってただけで
>>972 なことはないな。石田らが風を切って歩いていた秀吉極盛期の
名護屋の陣中での話だし。利家も負け惜しみを言っている所を
見ると、相当なショックを受けたのだろう。
でも実際利家は天下を分けるだけの力を持っていた
家康と対峙する事になれば豊臣恩顧の大名はみんな利家についただろう
政宗みたいに小手先で稼いでいたのとは違って
長年の信義での行動で人望を集めていたからね
秀吉から100万石もらったのもそれによるものだ
関ヶ原も利家が旗頭になれば間違いなく西軍が勝っただろう
もっとも家康も利家が生きてるうちは動けなかったから
戦に及ぶ事はなかっただろうが…
そう言う大きい観点からだと利家の方が優れていたよ
政宗は間違ってもそういう立場にはなれない
利家はただの調整役だよ。あちこちの派閥を調整するのが上手な
田舎の村長レベル。毒にも薬にもならない善人だが、そういう意味
でなら「優れている」。ただし家康や政宗のような凄みには欠ける。
ま、自民党でいえば、竹下登や青木あたり「だわね」w
伊達と徳川の婚姻でも抗議するものの、二人とも「あ、忘れてたわw」
などと完全にとぼけて、裏で舌を出して笑っていた。
976 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/07(水) 12:57:42
政宗の凄み?家康や秀吉に比べたら二枚も三枚も劣ると思うので同列に比較できないから
よくわからんな。
事例などいくらでも出てくるよ。まだまだ研究が足りないね。
蒲生氏郷なども、たかだか23歳の若造に鼻づらをひきずり
回されていた被害者だろう。雪の中、会津で伊達の攻撃を
警戒するあまり「後ろ向きに行軍」するなど、政宗を十分た
のしませてくれるに余りある光景ではあったろう。
ま、こんなエピソードなどどうでもいいが、
秀吉は家康と結託された政宗の存在が
不気味すぎるほど不気味だったわけだ。
そりゃ地理的に近いし>家康と政宗
ってか伊達の最高期って輝宗が築いた血縁外交網の頂点に立ってた時期では?
政宗ってかなり恵まれてるところからスタートしてる
学についても、政宗自身の学問文芸が優れていたことは認めるが、
加えて「奥州の田舎大名が、こんなに学もってるよー凄くね?」と思われてた可能性も無きにしもあらず
センスという点なら秀吉は当代一のセンスを持っていたしね
でも、まあ、色々小細工ろうしてみたら、睨まれて、小細工で切り抜ける政宗がオレは好きだが
少数派?
政宗はヘタレだからこそいいんだか
そして次スレどーする?
輝宗が築いた血縁外交網?
岩城も石川も最上も敵方について崩壊してたじゃんw