佐竹義重vs伊達政宗 第弐戦

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255無名武将@お腹せっぷく
直江のプラン(あくまで机上)は、「佐竹参加」で計画は練られていた。

 @伊達・最上と和睦(背面の安全確保)
 A白河口で徳川本体と決戦・撃破。
 B逃亡する徳川を背後から佐竹が挟撃。
 C関東討ち入り。

ところが、軍令違反に匹敵する、秋田実季の酒田城攻撃がすべてを
ぶちこわした。これに最上が反応、釣られる形で直江が軍を出した
ため、「山形の一局地戦」に終わってしまった。
戦後、佐竹と領地が入れ替わった秋田実季は、責任をとらされる形で
「20万石から5万石」へ減封された。