【暗殺】宇喜多直家について語りませう【乗っ取り】

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1直家の主君
戦国を代表する梟雄、宇喜多直家について語りましょう。
2無名武将@お腹せっぷく:04/06/06 08:08
2げと
3無名武将@お腹せっぷく:04/06/06 08:37
子供時代悲惨な光景みてきたおかげでゆがんだ性格になったんだよな
4無名武将@お腹せっぷく:04/06/07 15:23
>>3
詳細キボンヌ
6直家の主君:04/06/07 15:57
>>5
直家の祖父(能家)が島村盛実に殺された事件だろ。
幼少の直家にとったら衝撃的だっただろうな。
マス夫さん状態の親父を歯がゆく思ってたんだろうな
人間性に問題があったかもしれないけど、個人的には大好きだ
9age:04/06/08 17:43
age
10無名武将@お腹せっぷく:04/06/10 23:39
西の信長っていう立派な異名持ってるのにあんまり有名じゃないな
11無名武将@お腹せっぷく:04/06/10 23:56
信長やるときはいつも宇喜多使っているよ。
蒼天録はその点いいゲームだったな。

まあ美形だったらしいけど。
西の信長のわりには桶も包囲網もないんだけどな
義光、久秀、直家
>>13
戦国三梟雄
最上義光っていわれるほどなんかやったか?
3人にいれるなら斉藤道三とかじゃないか?
道三やら早雲やらが入れ替わりで入る事もあるな
>>14
は、戦国時代前期をあまり知らない奴
直家スレ復活おめでとうございます。
19無名武将@お腹せっぷく:04/06/13 13:48
そういえば梟雄っていう言葉は最近にできたらしいな。
だから戦国時代に梟雄と呼ばれてた椰子はいないんだな。
みんなわかったかな。
20直家の主君:04/06/13 17:58
赤松義村
21直家の主君:04/06/13 18:04
梟雄と言ったら宗景の父、浦上村宗もそうだよ。
赤松←ーーーー浦上←ーーーー宇喜多
  (下剋上)  (下剋上)
父が下剋上して、子が下剋上される…結構凄い事だな
>>21
そういやぁ赤松満祐も足利義教に下剋上してたね。
義村から何代前かは忘れたけど。
宇喜多直家っていう名前がカコイイと思うのは漏れだけ?
親父はこうなのに、倅はなんでああかな
秀吉にとっての教育が成功したから・・・
でも、倅の秀家は、お家はつぶれちゃったけど、今も子孫が残ってるんでしょ?
関が原後遠島に処せられたけど、80才くらいまで生きたのがすごいね
>>11
イケメン直家を楽しむんだったら・・・
やっぱり太閤立志伝4だよな。
早いうちに謀反すれば織田が上洛前で結構有利に進むし・・・。
>>27
直家カードはさくっと手に入るしね。
私も太閤立志伝お勧めです。

>>24
秀家はそんなに暗愚ではないと思うぞ
父親とは路線が違うけど、運が悪かっただけだと思う

もし直家が長生きしてたら、秀吉に警戒されて
左遷されて五大老にはなれないでしょ。


ん?秀家は警戒されないほどだめってことか??
倅のスレを発見したので置いときますね。
ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1068386178/
30無名武将@お腹せっぷく:04/06/16 15:30
age
31無名武将@お腹せっぷく:04/06/16 18:35
>>28
能力よりも人格のことでしょ
宇喜多家の能力としてはこんな感じか

直家>>能家>>>(忠家)>>>>秀家>>>>>>>>>>>興家
>>32
詮家も付け加えてください
希望的には能家の下あたり
34無名武将@お腹せっぷく:04/06/17 02:40
もっと語れ
三村氏からすれば鬼
36無名武将@お腹せっぷく:04/06/17 11:34
PHP文庫であるよ
37無名武将@お腹せっぷく:04/06/17 16:06
知ってるよ
37は博識
>>33
詮家は親父の忠家より下じゃないのかなぁ
秀家よりは上だろうけど。

春家はどうなのかと、詮家と同じあたりかな?
勝手に追加

直家>>能家>>>忠家>>詮家=春家>>秀家>>>>>>>>>>>興家
41無名武将@お腹せっぷく:04/06/18 18:26
なおっこ
何でこんなに直家と秀家は違うのかなぁ・・・
>>39
詮家が秀家に讒言してお家騒動になったんだよね。
讒言すらできなかった親父よりは出来はよいのでは??
後年の逸話はどうかと思うけどね。
>>43
後年の問題って千姫の件か?
あんだけ面子潰されればちょっと仕方ないとも思うんだが。
やりすぎたとは思うが。
>>43
讒言っていうか、前田家から来た中村が長船紀伊とつるんで家中で威勢を振るったのを、
詮家らを中心とした旧臣サイドが追放しろとゴネて秀家と対立したのが原因。
それ以前から突然日蓮宗を棄教しろとか言い出す秀家に不満が溜まってたんだろうけど。
後年の千姫事件といい、結構激情家だったんだろうね。

あと、忠家は家中騒動の頃にはとうに引退してたはず。
逆に言えば、忠家や三家老が居なくなった結果として家中対立が深刻化したんじゃないかと。
なるほど。勉強になったっす。

ところで秀家が家康を目のかたきに
してるのはなんで??
やんごとなき人教えて
柴田勝家って宇喜多家の人間だよね
坂崎直盛のこと?
>>47-48
   _, ,_  
( ゜д゜)
50無名武将@お腹せっぷく:04/06/19 11:13
宇喜多家のいいサイトない?
ちょっとかじってくる
51無名武将@お腹せっぷく:04/06/19 11:54
地元・岡山では人気ないよね

殿様といえば江戸時代の池田家を指しているし
その存在さえ認知されていない
52無名武将@お腹せっぷく:04/06/19 18:18
>>51
人気というか知名度ないな。
烏城も宇喜多ではなく池田になってるし・・・
53無名武将@お腹せっぷく:04/06/19 19:07
秀吉が進出してこなかったら、結局毛利につぶされてたのだろうか
54直家の主君:04/06/19 19:17
てか織田氏に従属するまでは毛利と手を結んでたんだろ。
んで直家が織田方が有利と見て毛利と手を切って織田に従属したんだろ。
だったら秀吉が進出しなかったら、ずっと毛利と手を結んで
たんじゃないの

55無名武将@お腹せっぷく:04/06/19 19:53
手は結んでたとはいえ、気は許していなかったんじゃね?
両川なんか特に宇喜多疑ってたろうしな
毛利は守りの体質だし、各地の勢力を潰すのではなくて取り込んでいった
感じなので、本拠から遠い事もあり服従しているうちはそのままだったでしょう。
織田が来るころは一応まだまだ浦上家の家臣だったわけだし。

両川に付いては小早川は利用価値ありと見て良好な関係を結ぼうとしていた
吉川は宇喜多の性質を毛嫌いしていたが毛利の盾として不承不承って所だったと思うが
57無名武将@お腹せっぷく:04/06/21 09:35
なおっこ
ちと、違うな
毛利に付いていた三村氏は宇喜多直家が毛利と結ぶと、手を切って滅ぼされたよね
じいさんの能家は、かなりの名将だったんでしょ?
>>60
武闘派の忠臣タイプみたいだね。
http://homepage.mac.com/miyao380/u-yoshiie.html
62無名武将@お腹せっぷく:04/06/23 02:59
もう10年長生きしてたら面白かったのに
筑前に殺されてたかな
自分は、「海将ー若き日の小西行長」(白石一郎著)の
一殺多生を心がけてる直家が好きだなぁ。
一人を殺めて千人の命を救うことが、なぜ悪い。といい、
合戦を嫌い、合戦を避けるために、謀略、敵の大将暗殺をする。
大名になるまで家来を自分ほど死なせなかった者はいないと誇る。
武士の上の上なる仕事は和平の使者といい、家来には好かれる人物だった

やっぱり、このスレでは評価が低いかなぁ。
>>63
謀将ってイメージが定着してるからね、しゃーないわ。
しかも後世の人間は、大名や武将の視点で歴史を見るし。
現在名が残っていない当時の兵卒からすれば、
戦争は少ない方がいいに決まってる。
でも上杉謙信みたいな好戦的な武将の方が、
後世の人間から見て華がある。
>>64
しかし謙信だって好きだからというだけで戦争ばかりしていたのではない。
越後は冬になると全く不毛になるため、飢えた兵卒の需要にこたえるために
豊穣の関東に繰り出す必要があったのだ。

民衆は戦争の被害にあうのは嫌だったが、戦争に勝って他国を荒らしまわるのは大好きだったのだ。
>>65
なるほど。
確かに家族が飢え死するよりは、
赤の他人から略奪する方がマシだわな。
現在の価値観で歴史を見るな、
っていう好例だね。
直家が家督を継いだころはかなり貧しくて、家臣たちと一緒に断食する日を設けていたんでしょ。
たまに、敵の城の田畑を荒らしてそこから兵糧を奪ったりと、苦労が多かったらしいね。
>63
家がコケてるってのもあるだろうな。よく言われない原因として。
毛利も大概な事をしてるが、家が永らえたおかげであまり「死人に口なし」
で叩かれてない。
あと良いヴィジュアル資料を残してないってのもあるんじゃないかと漏れは
疑ってる。再度引き合いに出すが、毛利は一番ヒドイ事してた人物が好々爺
然とした肖像でヴィジュアルイメージが伝えられてるが宇喜多にはそういった
ものが無い。
気にする人は昔の人でもこういう事には気を使ってる。アウグストゥスや板
的人物なら伊達政宗のように。
直家は木像あったけど焼けちまってるからなぁ。岡山城も焼けたし、戦争が恨めしいね。
地元で直家の評価が低いのは、後に入った秀秋や池田家が両方とも宇喜多嫌いだったってのも影響してそう。
7063:04/06/24 01:26
なんか書いてみて、単に「いい奴」に誤解される書き方したかも。
「武士とはもとを正せば斬り取り強盗じゃ。そのことを忘れて
天下などを論じる者たちは、贋物と思うたが良い」 と語ったり、
表と裏の顔を使い分ける。なんというか、ちと義理の低い秀吉というか、
西欧人の割り切りの良さがあるというか、合理主義者というか・・・
神仏を信じぬ典型的戦国武将ともいえるかな。
うーん、自分ではやっぱりうまく書けない。誰か他に読んで感想書いてくれないかな。

>>64
この作者さん、それこそ名が残ってない兵卒から見た武将とかを多く書いてる。
だから売れなかったのかどうか。
関ヶ原後、小笠原流刑までの宇喜多秀家を書いた短編がある。
「鳥もかよわぬ」『孤島物語』光文社 36頁。
興味が出たら読んで下さいな。
後、当時の海賊、海戦に興味があったらこの人の作品が読みやすい。
>直家の弟の忠家でさえ、晩年の述懐に「兄は恐ろしい男だった。腹黒く、なにをたくらんでいるかわからないところがあった。それゆえ兄の前に出るときは、かならず衣服の下に鎖帷子をつけたものだ」といったという。
http://www2.harimaya.com/sengoku/sengokusi/bimu_06.html

でも重臣の弟にここまで言われなきゃならんほどの信用よ
忠家の鎖帷子エピソードは後世の軍記物の話、それも陰徳太平記とか
毛利サイドが主役の本に載ってることだから事実かは眉唾。
まぁ、そんな逸話が作られるほど、敵方から見た直家は冷徹きわまる
大悪党だったんだろう。
でも譜代家臣団は結束してるし、内実はあながち恐怖支配ってわけでも
無かったと思うけどね。
73無名武将@お腹せっぷく:04/06/24 14:18
「ヨ太郎様」こと宇喜多基家が忘れられてるね。直家の後継者
で、秀家の前に家督を継いでいたんでしょ。宇喜多家は直家→
基家→秀家と続くんじゃなかったっけ?
74無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 06:24
75無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 07:56
殉ずる人はいなかった模様
>>75
殉死する家臣がどのくらいいるかなって家臣に聞いたんだよね?
77無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 19:55
こういう発言に人間らしさを感じるなあ
ちょっとした発言でも言う人が違うと途端に恐ろしい響きですね
79無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 21:22
謀略で国を切り取っていったイメージがあるが、戦はうまかったのだろうか
一応三村との明禅寺の戦いが有名だけど
三村2万に対して宇喜多5千で対抗して勝利だっけ?
あのエピソード主義のコーエーが珍しく高い能力値を与えてる人だな
82無名武将@お腹せっぷく:04/06/29 02:03
2人の妻の父を殺し、2人の娘の嫁ぎ先も滅ぼしてる
宇喜多直家 か…
84無名武将@お腹せっぷく:04/06/29 13:54
小学校の低学年の時にマンガ日本の歴史の郷土版みたいなのを図書室で読んでから直家に夢中です。
85無名武将@お腹せっぷく:04/06/29 14:46
宇喜多マニアのどなたか、
直家の生涯(戦歴・面白エピソード等)を
時系列(年表・箇条書き)風に、語ってくれないでしょうか?
参考HPがあったら紹介よろしくです。
>>86
ググればどっさりでてくるよ
88無名武将@お腹せっぷく:04/06/29 23:15
主君の浦上宗景は、決して無能じゃなかっただろうが、相手が直家じゃあな…
89無名武将@お腹せっぷく:04/06/29 23:18
>>81
覇王伝から超一流の武将になったなあ
風雲録じゃ大名だったけど、政治が割かし高かったから、
比較的攻略は楽だった気がする。
織田に寝返る寸前に吉川小早川を酒宴に呼んでるのが笑える
もちろん断られたけど
>>87
どこが一番わかりやすいか教えてください。

ググっていっぱい出てくるのも、ある意味困りものです。
ネットの使い方も知らない馬鹿
そんなの自分で取捨選択しろ
>>90
最初は足利義昭に通じて毛利と関係をもち、織田が攻めて来ると織田に寝返った
その変わり身の早さに仰天
94無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 00:21
秀吉が信長に叱られたのって、勝手に備前を安堵しちゃったからだたけ
>>94 そのとおり、信長は備前を諸将に褒美として与えるつもりでいたため、
秀吉の専断に怒ったとありました。

96無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 20:55
信長は宇喜多もつぶすつもりだたわけ?
好きじゃなかったみたいだから潰すか減封したかったんじゃないか
でもその頃って、摂津の荒木とか丹波の波多野、丹後の一色、
播磨の別所とかを攻めてる時期でしょ?
備前はちと遠い気がするけど…
99無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 10:50
八浜合戦で宇喜多基家が犠牲的な戦死を遂げたことで、
信長は宇喜多家の誠意を認めたということ。
100無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 11:06
>>80
それ前から思ってたんだけど当時の三村氏が2万の大軍
動員するほどの力あったのかね?
それとも宇喜多憎しで近隣の豪族達が大終結したとか?
どい〜つも〜〜♪
 こい〜つも〜〜♯

バカァァ〜ばぁ〜かり〜〜〜♭
大内義興は九州、四国、中国の兵あわせて15万を率いて上洛したというが三村でそこまでいくか?
103無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 14:20
おいみんな!
物知り>>101大先生がお越しくださったぞ
集まれ〜
>>100
数字そのままは大げさだろうけど、当時の三村には毛利の後ろ楯があったわけで。
三村・庄・石川の兵力に毛利の後詰もあれば宇喜多を圧倒するくらいの兵は集まるかと。
数字はまぁ、多分適当w
それに備前豪族も三村に付いていて道案内してたんだろう
逆に宇喜多は主君の浦上に疎まれてて孤立無援
106直家の主君:04/07/03 12:50
資料によると浦上宗景が毛利に対して三村への援軍を求めたらしい。
これ本当なんだろうか…w

107無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 23:30
仮に本当だとして誰が援軍の将になったのだろうか
108無名武将@お腹せっぷく:04/07/04 13:34
大竹
>>108
おまえかよっ
110無名武将@お腹せっぷく:04/07/04 23:40
信長の野望シリーズの、浦上宗景の顔グラフィックって、
宇喜多のプレッシャーに常時悩まされていたせいか、悲哀に満ちた表情しているな。

西の信長の異名を持つ武将だが、なぜ信長といわれたのだろう?
信長と関係殆ど無いじゃない。
112無名武将@お腹せっぷく:04/07/07 17:10
残忍なところとかそんなもんでしょどうせ
小覇王みたいな意味じゃないの
つまり信長のに似ている小型が西におるでという意味
>>111
西の信長って言われると、
大友宗麟ってイメージがある。
宇喜多直家は西の久秀って感じ。
>>114
大友宗麟
実際は放蕩三昧で、結局秀吉に泣きついてるぞ
どちらかといえば
東の今川氏真 西の大友宗麟って感じですな

大友宗麟はそこまで凡愚ではないと思う。
たしかに人間的にはアレなところもあるが、それはキリスト教に傾倒してからだし、
この人はかなり謀略に長けていたと評されているぞ。外交戦術にも長けてたとか。
117無名武将@お腹せっぷく:04/07/08 21:58
>>111
残忍なところもそうだし、人材起用がうまかったりとかそういうのも加味されてんじゃない
>>116
大友宗麟は家臣が一族の戸次鑑連になついているのを
ねたんで立花家に養子に出した(一族からほうりだした)

それでも忠誠を失わない立花鑑連の讒言を
聞かずに、日夜宴会をしていた

島津の謀略にはまりまくっていた。

どこが西の信長かと、凡庸ではないかと小一時間・・・・

真田信繁よりはましだと思うけど・・・
後世の作り話し、評論に踊らされるなっ
立花の養子の件はそんな理由だっけ?
>>119
そういう説もある
相次ぐ一族の離反で多くて有力者を粛清していた
前後に戸次鑑連が加判衆から地方に左遷されている
ということから
>>118
お前さんの信じてる話の方が後世の作り話っぽく見えるんだが。

東の斉藤道三

畿内の松永久秀

西の宇喜多直家


って感じがします。
一番残忍なのは直家ですが。
なんせ、実の弟すら兄・直家を信用してなかったとか(噂)
まさに戦国大名ですな。並の忠臣よりカッコイイ
>>118
戸次から西大友だと、俺には出世に見えるんだが
>>121
ノブヤボ厨ハッケーン
>124
おまいさんは本社の本部長から地方の支店長
への辞令が出世と見るのか・・・

それよりも、直家の祖先が児島高徳だっていう説があるけど
ほんまに?
>>126
本社にいれば社長にのぼりつめるチャンスがあるけど、
戦国時代では後継者として血縁関係が最優先される。
宗麟からしてみれば、道雪は煙ったいけど、
忠誠心や直臣への統率力に信頼を置いていた。
当時の時代背景を考えると、いいポジションだったと思う。
>>118
何でそこで無関係の信繁が出て来るんだよ。
お前の書き方じゃ信繁を貶めたいだけにしか見えんぞ。
なんというか大友宗麟スレになりつつあるなぁ


>>122
直家は残忍じゃないと思う、ただ勢力拡大の方法が合戦でなく
ほとんどが謀略だったから、合戦を華として良しと見ている
多くの方々からの印象が悪いだけで。
あまり合戦をしないから足軽などの実際の死人は少ないのでは?

弟(忠家)が兄を信用していなかったというのも
文献自体が敵対していた毛利によるものだから正確ではないのでは
と言うのがスレの前の方出ているし。
>>127
戸次のほうがだんぜん上ですよ
大友一門衆だしね
立花氏は大友に背いた経歴がある家だからね

>>129
すまんなー
>>129 直家の弟の忠家や春家は母親がちがうんですよね?
直家は幼くして母親と離れ離れになったのに、弟二人は、家族水入らずで幼少を過ごしていたので、
直家は妬ましかったのでは?直家のほうが弟たちに屈折した思いを抱いてそうな気がする。
132無名武将@お腹せっぷく:04/07/09 21:41
http://coimbra.on.arena.ne.jp/cgi-bin/bbs/entrance/img/1089149010.jpg
http://coimbra.on.arena.ne.jp/cgi-bin/bbs/entrance/img/1089149057.jpg

宇喜多直家も大絶賛!秀家も応援する
「ベリーズ工房」ファーストアルバム
133無名武将@お腹せっぷく:04/07/09 22:10
>>132
UZEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE








買ったけど
134無名武将@お腹せっぷく:04/07/09 22:19
偉いぞ
>>130
戸次=ただの一同紋衆。
立花=西大友とよばれた庶家中最高の家。おまけに立花山城主。
    
>>135
立花が名家と呼ばれるのは柳川に移ってから
それ以前は蒲池氏

おまえ何も知らんな・・・・
137無名武将@お腹せっぷく:04/07/10 00:40
デムパあげ


「西洋かぶれ(輸入品大好き!)」

という一点で言えば、「東の信長・西の宗麟」でいいかもね。




さぁ宇喜多スレ再始動ですよ。
基家って?
最高の家age
ww
>>138=137
>>136
ここに行け
【切支丹】大友宗麟【坊主頭】
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1070562873/
基家は直家の養子で

宇喜多春家(直家異母弟)の子供とか
河本光利(妻は直家の妹)の子供とか言われている
八浜合戦(vs毛利)で戦死だっけ?

一時、秀家は秀吉の養子となり
基家が宇喜多を継げば良いと言われていたらしいが…
浮田とも書くらしいですがどういうのにそう書いてあるんですか?
宇喜多が本家で浮田は分家・拝領だったと
本家は3字宇喜多。分家は2字浮田
なるほどサンクスです。てっきり当て字かなんかと思ってました。
146無名武将@お腹せっぷく:04/07/10 23:09
暗殺役の遠藤なんたらが浮田性を拝領されたな
浮田河内守だったかな
秀家も浮田って名乗ってたような・・・
148無名武将@お腹せっぷく:04/07/10 23:15
信長存命中に秀吉にとりいった大名ってあんまいなくね?
まして息子のこと頼んでるし、後のこと考えると、直家の先見力は
かなりのもんだったんじゃないかな
それは秀吉が中国方面の責任者だったからだろ。
信長に近づくには秀吉に取り入るしかないし。
秀吉時代の三成と思えば
>>148
南条とか、亀井とか黒田とか

ってか、ほんとは宇喜多は取り潰しのはずだったそうで(↑)
上にも書いたけどその「取り潰し」ってのがよくわからない。
直家が織田方についたときはまだ織田の勢力圏はずっと手前の方にとどまっていて、
まだまだ宇喜多に手出しできるような状態じゃなかったと思うんだけど。
皮算用が過ぎなくない?
信長にとっては、どこでもまずは「取り潰し」対象だろ
本能寺の変一年前に死んでるよね。もし、死んでなければ
また、独立したのかな?
155無名武将@お腹せっぷく:04/07/12 07:12
宇喜多秀家は元の名は「家氏」。つまり直家は実子が生まれても
それには傍系の名前をつけ、実子でない基家の後継者の地位を絶
対に動かさなかった。このあたりが直家のすごいところである。
宇喜多って優秀な部下が多いね
157無名武将@お腹せっぷく:04/07/12 23:59
秀家の子は秀隆で、その子は秀継だっけか?
秀家の子以降、家のへんきは使われてないね
そのあとも〜家って人はいないんかな?
158無名武将@お腹せっぷく:04/07/13 00:09
宇喜多の部下だと、遠藤喜三郎、又次郎兄弟
この二人はノブヤボに出てもおかしくない気はするが…
又次郎は三村暗殺した本人だしな
>>158
私はEDITで宇喜多春家・基家、遠藤兄弟、角南兄弟、河本光利、馬場職家
あたりを追加してます。

まあ基家はシナリオの時代設定上、出現機会が少ないですが
(本能寺前年に死んでる若武者だったので…)
160無名武将@お腹せっぷく:04/07/14 07:10
斬ってゲームじゃ馬場とか遠藤、角南は登場してたなー
>>155
秀吉は見習うべきだったな。
162無名武将@お腹せっぷく:04/07/15 00:17
てことは、基家死ななかったら秀家は後を継げなかったってことか?
>>162

基家・・・養子(一族。甥(だっけ?))
秀家・・・嫡子

もしも基家が生きていたとしたら・・・
宇喜多家は
・「そこそこの大名」程度の、宇喜多(浮田)基家
     ・・・分家。旧来の家臣が多い、実質本家
・「秀吉お気に入りの」大大名、羽柴(宇喜多)秀家
     ・・・本家。実質分家(寄り合い所帯。小早川秀秋のように)
・有力家臣、秀吉直属の小大名
     ・・・長束正家や山口宗弘のように
って形に分割となったのではないでしょうか?
164無名武将@お腹せっぷく:04/07/15 07:14
基家はもともと「元家」で、毛利輝元からへんきをもらっていたことは
あきらか。のちに毛利家と断交したので漢字だけ「基」に変えたのだろうね。
いずれにせよ、宇喜多家の後継者として早くから期待されていたのはまちがいない。
165無名武将@お腹せっぷく:04/07/15 14:03
>163
基家が家督を継いだまま1600年頃を迎えた場合、本家vs分家もしくは両家が
西か東に就くと考えられますが、展開としてはどのようになってたでしょうか。

個人的には宇喜多家・浮田家共に、やはり領地没収になると思われます。
>>165
豊臣に恩義がある秀家はまず西軍につくとして、本家に関しては
基家個人の人格や秀家との関係によるとしか言いようがないなぁ。
詮家みたいに秀家とそりが合わなかったりすれば東軍につくかも。
その場合の宇喜多本家は特に豊臣縁故というわけでもないので、
大名として存続するのでは。(その後の改易とかの可能性は別にして)
家康は家康で、本家と分家に確執があったとしたら、
それを煽って基家の方を東軍に誘い込む工作くらいはするでしょうね
秀吉は唐を征服したら秀家をに高麗の統治を任せるつもりだったらしいね。
もし成功していたら、チョンどもも今よりましな国民になっていたでしょうか?
いえ、ひでいへの子孫がチョソ化して日帝に謝罪と賠償を求めます。
何人もチョソからは逃れられませぬ。
170無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 04:11
数年前、秀家の子孫の秀臣さんが韓国に招待され、
文禄慶長戦の慰霊式典に参加している。
この話を聞いた時、韓国人との友好関係は可能だと確信した。
そして冬のソナタブーム
あの人は、どこにでも出てくる人。
岡利勝、戸川秀安、長船貞親の三人が好きだなぁ
当人たちの関係も良好だったようで、息子の代でアレになってるが。
その三人はなかなか優秀なのにコーエーでは評価が低い・・・・・
だから、PKのエディタでいつも強くしてるよ・・・・
>>172
烈風伝では結構強いと思うが
あのゲームは能力70代武将の数が鍵だな。おかげで宇喜多は結構長持ちする
宇喜多三老の一人、長船貞親は妹婿の石原慎太郎に殺害されている。
俺太閤4の列伝見たとかてっきり都知事がやったんかとおもたよ
178無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 22:08
なおっこ
179無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 00:46
宇喜多秀家って、関が原で負けたから評価低いが、
そこそこの名将だったのでは?
180無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 01:47
なんでそう思うの?
名将


ってなんだよ・・・

勇将とか猛将とか、もうねry
>>176
「しん」の字が違うべ
>>182 わざと慎の字にしたんだよw
・・・夏だな
秀家はそう大した武将では無いが明石全登の存在が秀家の評価を上げていると思う
宇喜多なOh Yeah!
明石全登ってどんな武功があるんだろう????
188無名武将@お腹せっぷく:04/07/29 09:17
age
>>187
加賀系家臣と地元家臣が対立して混乱し、
家康が暗躍して地元系が皆いなくなったあとで
短期間に家中建て直し。
190無名武将@お腹せっぷく:04/07/30 00:03
>>189
武功じゃないジャン
実際のところ、武功と言える話は関ヶ原と大阪の陣だけじゃないか?
重臣の地位も彼自身の戦功で得たというより、親父から引き継いだ面が大きいし。
逆を言えばそれだけ数少ない戦での活躍が凄かったと言えるのかもしれんが。
192武衛山:04/07/30 02:25
武功がなくても

「あの人が軍勢率いれば、凄いんだろうな」

と思わせるほどの立派な人だったんじゃない?
実際、関が原では1万6千の半分、8000を指揮していた
と言われてますよね。

先頭に立って「おりゃー!」ではなく(大将としてそれはどうかと・・・)、
8000人が彼に整然と従う、
混沌の戦場で8000人をちゃんと指揮できる大人物。
193無名武将@お腹せっぷく:04/07/30 08:31
ガチの戦にハッタリは通用せんよ
194無名武将@お腹せっぷく:04/07/30 10:36
明石一族って何気にたくさんいるみたいだけど有名なのは全登と親父の景親だけ
景親・景季・全登・宣行・祐行、天下統一1だとこれだけ出てくるけど上記以外はさっぱり判らん
信ヤボだと全登しかでてこないけどあとの人たちは何やってたんだろう、たこ焼きでも売ってたのか?
>>186
なんかワラタw
>>193
だからこそ、実務的な全登
>>192
大谷吉継もそんな感じだったね。
実戦経験は乏しかったが、秀吉に
「百万の兵を率いて戦わせたい」
と言わしめて、関ヶ原で奮戦した。
>>192
>実際、関が原では1万6千の半分、8000を指揮していた
>と言われてますよね。
もしあればソースきぼん
関ヶ原各部隊の指揮系統ってよくわかってないんだよね
5、6年前に南宮山側の陣跡とか発掘されてるし・・・
>>194
景親→別名:行雄。全登の父。浦上宗景重臣六人の一人で、宇喜多との戦いで宇喜多につく。
    浦上氏敗北の転機となり、その功により宇喜多氏下でも家老格に。
景季→景親の弟。兄と同じく浦上氏に仕え、ともに宇喜多方へ。後、上月城包囲に派遣される。
景行→全登の次男で景季の養子となる。知行ニ千石。関ヶ原後、備前に潜伏。
宣行→景行の長男。知行四千五百石。関ヶ原後は備前に潜伏し、大阪の陣に全登とともに参加、討死。

知ってる限りでこんな感じ。祐行は知らんなあ。
200無名武将@お腹せっぷく:04/07/30 23:39
>194
やばいわ・景行の間違いかも・・戦国にタイムスリップして聞いてきますわ。
たこ焼きもって詫び入れとかんとえらい事になるわ!
>>197
大谷吉継って関が原ん時ほとんど座ってるだけだったと聞いたような記憶が・・・
>>201
病状が進んで体動かず、目は見えず
側近の湯浅五助に聞いた戦況より
指示していたという話しもある。
あとは前線に嫡男が居た
確か脇坂、朽木、小川、赤座が裏切ったときに戦死したはず

与力の平塚隊、戸田隊にまで指示してたかどうかはわからんが、
御輿で「しねやー ゴラー」って叫んで前線突撃してた話しは
後世の作り話しだと思う。

資料があまり無いためよくわからんのが事実です。
個人的にはすごいと思うけどね。

>>200
報告よろ
203武衛山:04/07/31 05:18
>>198
正規のソースはわかりませんが、俗にそう言われてます<8000
宇喜多隊の指揮は主に、明石と”渡り重臣(笑)”本多政重とで
やってたらしいです。
ちなみに本多政重は戦後、
隠遁→福島正則家中→(縁があるので)加賀藩→秀家捕縛で暇乞い
 →秀家死罪免れる→いまさら前田も・・・→上杉家→直江の養子
 →暇乞い→やっぱり再度加賀藩、です。

ただし、直江兼続の養子になった段階で25歳らしいので、
それ以前の年齢で「宇喜多軍を明石と半々」とは考え難いかも。


石田隊を攻めてた諸部隊の中で、島左近隊と(回り込んできた)明石隊に
挟まれてやばかった!という部隊があるそうですので、その辺がらみの
戦記ではないでしょうか?<史料

それと、関が原前哨戦(杭瀬川)で明石隊は(宇喜多軍として)ちょっと活動
していたと記憶しています。


当時の宇喜多家臣中では筆頭に近いので、
前衛として半分を任されることもまぁあるかも・・・ではないでしょうか?


しかし、そこまで活躍していたなら朝鮮戦でもなにかしらやってると思うん
ですが。
あの頃はまだ、花房とかいたから目立たないのでしょうか。


まじめなソース無しですいません。
204武衛山:04/07/31 05:18
ところで、こんなもの見つけました。
視点変えればいろいろ・・・ですね。

http://blog.goo.ne.jp/o_sole_mio00/e/a3aed422262bd359c3bc6aa73337fb57


しかし「満喫」していたなら、福島の船に手は振らないかと。
205武衛山:04/07/31 05:27
>>202
指揮は主に平塚や戸田、木下らがとっていた。
と聞いたこともあります。

大谷嫡男については、以前別スレでも話題になってましたが・・・
http://tikugo.cool.ne.jp/osaka/busho/toyotomi/b-otani.html
http://leidenschaft.ld.infoseek.co.jp/ootani.html#おおたによしつぐ
http://leidenschaft.ld.infoseek.co.jp/kinoshita.html
http://www.ne.jp/asahi/gm-hp/asuka/tatari/1himitu.htm
詳しい家族関係が不明なのです。滅びた家はこんなんばかし。



まっとうじゃない刑部
http://www.ne.jp/asahi/gm-hp/asuka/tatari/love.htm
【五奉行】 豊臣政権閣僚スレッド 【三中老】
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1090889117/
206198,202:04/08/02 01:10
>>203,205
レスさんくす。とても勉強になった。

>>203
>石田隊を攻めてた諸部隊の中で、島左近隊と(回り込んできた)明石隊に
>挟まれてやばかった!という部隊があるそうですので、その辺がらみの
>戦記ではないでしょうか?
本当だとすれば、混戦の中で約1km近く回り込んだ形になると思う。
相当機動力ないときつそう...
混戦の中で突っ立ってた島津もry

>>205
平塚、戸田、木下は1500程の別隊で動いてたと思う。
大谷の嫡男については確かにソースが怪しいね。
俺が読んだのは義勝っていう息子が関ヶ原で死んだっていう話し、
後で調べたけど、どこにも載ってないんだな。
あやすぃー
207無名武将@お腹せっぷく:04/08/08 14:27
age
208武衛山:04/08/08 15:25
>>206
混戦っては言うけど、実際現地は狭いけど、
くんずほぐれつの大乱闘!という感じにはなってないのでは
ないでしょうか?

皆で石田陣地に殺到はしてますが、
あくまで理路整然と隊列というか配置は守りつつ、という風にだった
のではないでしょうか?
でないと、もう指揮系統とかわけわかんなくなると思います。
「俺の大将どこー?え?引き上げ?攻撃?どっち?え?マジ?」
「いや俺知らんよ。・・・俺ウラクんちだし」
って。

で、そういう時に例えば自分の真横を敵の別隊が通り過ぎても、
自隊の指揮官が「横!横殴れ!」と言わない限りは放置。
そうでないと全体が瓦解してしまうと思うんです。

だから通り抜ける余裕はあったかと思います。
兵「あー、横を駆け抜けてくのは・・・宇喜多の明石かぁ。
  ってことは・・・あー、前の部隊挟み撃ちにする気なのね。
  うちの大将、どうする気だろ?」
大将「・・・ううむ・・・でもこれはチャーンス。
    あいつらが通り過ぎたあとが空くから、を石田陣へ突撃だ!
    だからはよ通れや。消耗したくないし。」
こんな感じ?と勝手に妄想。

1kmとは言いますが、もし家康本陣を攻撃する気なら、
もっと長距離移動するはずですしね。距離はあんま関係ないかと。

いかがでしょ?
209206:04/08/09 10:04
>>208
おもしろい見解だけど、
当時の戦闘は
(1)前線同士が弓矢、鉄砲を撃ちまくる
(2)徐々にお互い近づく
(3)負傷者のとどめをさす(助ける)
(4)お互い離れるか、押されているほうが引く
(5)(1)に戻る。
  逃げた場合は隊列崩して必死で追っかける(逃げる)

というような感じだったので、
隊列を崩さないというのは正解
ただ、前線で小西−藤堂・田中隊が鉄砲を撃ちまくってる中で
敵隊の横を通り抜けるというのは自殺行為
しかも相手が福島正則じゃあねー
210無名武将@お腹せっぷく:04/08/10 00:00
>>209
>(1)前線同士が弓矢、鉄砲を撃ちまくる
>(2)徐々にお互い近づく
>(3)負傷者のとどめをさす(助ける)
>(4)お互い離れるか、押されているほうが引く
>(5)(1)に戻る。

ソース希望。
211209:04/08/10 09:45
>>210
実家にある史学の本で
確か、大和田なんとかって横国の史学研究の教授が書いたやつ
あいまいでスマソ

戦死者の死因とかもまとめてて。
半数以上が弓矢、鉄砲だったのを覚えてる
212無名武将@お腹せっぷく:04/08/10 18:51
それって野戦に限った話じゃないのか
読めば解る事をry
>>212
関ヶ原合戦を野戦でないと思うとは・・・
>>211
それって鈴木某と同じく軍忠状をかき集めて統計とって導き出されたって説じゃないのか?
軍忠状っていっても野戦、攻城戦、小競り合いなどいろいろあってその辺のとこ考慮せにゃならんわけだが。
ってか、当時の合戦がほんとにそんなんだったら、上士から足軽までみな飛び道具装備した方が有利だと思うんだが。
>>215
鈴木眞哉氏の資料でもミサイルウエポンでの死者が
70%だったと思うが、(野戦、攻城戦はごっちゃだったと思う)
>215は合戦を
お互い槍、刀持って衝突っていうのをイメージしてるのか?
そんなのはゲームやドラマの中だけ
>>215
死者じゃなくって負傷者だったような
野戦と攻城戦じゃ全然違うんだから一緒にして統計とったところで
合戦の実態はわからんだろう。
>>217
鈴木の新書斜め読みしただけだが、
矢疵だの鑓疵だのの分類はあったが、死因も乗ってたのかは記憶にないな。
ところで、鈴木先生は首取られた場合の死因はどのように分類してるんだろう??
>>209
ってことは、桶狭間のときも今川は寡兵の織田の弓鉄砲に圧倒されたというわけかな?
川中島のときは突如霧の中から武田の陣へものすごい勢いで矢が降り注ぎ、
姉川のときも一時は寡兵の浅井が織田の陣へものすごい勢いで矢を浴びせて備えを破りまくり・・・
ほかの合戦も想像してみるとなかなか面白い。


いや、全部の武器が飛び道具だったって言ってるわけじゃないんだから…
ふつう、
(1)前線同士が弓矢、鉄砲を撃ちまくる
(2)徐々にお互い近づく
(3)槍で突付き合い

でしょ。

>>219
「ものすごい勢い」ワロタ
大坂夏の陣の時の真田も、ものすごい勢いで徳川方に鉄砲を浴びせ掛けて
地道に家康本陣に接近したんだろうか。
とりあえず、>>219は「話題の新書」を立ち読みでもしてくれば?
なにそれ?
話題の「新書」

の方が分かりやすいか?

鈴木信者?
浮田が謀略ばかりやってたのは、
合戦のときにものすごい勢いで
敵に矢玉を進呈する自信がなかったからということでFA?
いや、賢かったから。
>>225
どう読んだらそう読み取れたのか、小一時間問(ry
229無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 16:09
戦闘法についての話はどうせ結論出ないからやめとけ
宇喜多の話しれ
敵方に内通の疑いの舅・中山備中を、酒宴で油断させておいて自ら斬殺。
ついでに祖父の仇・島村観阿弥を誘い出して、これまたバッサリ。
衆道趣味の敵城主・税所元常に、美少年の刺客を潜り込ませて抹殺。
美作に侵攻してきた三村家親を、刺客を雇って鉄砲でズドン。
一旦は娘婿とした松田氏を、その重臣を暗殺したり寝返らせたりした挙句に滅ぼす。
麾下に入った岡山城主・金光宗高を居城に呼びつけ、難癖つけて切腹させる。
その際、うまいこと遺書を書かせて岡山城をただ貰い。
娘婿の伊賀久隆に内通の疑いありと見るや毒殺。(未遂)

「謀略」と一口に言ってもこうして逐一見てみると圧巻だな。
直家すげぇ。絶対大河にはなりそうにないけど。
凄いテロリストなのねん。
今生きてたらどんなことするんだろうね。
例えるなら



いね−YO!!
>>232
貴様は民族の太陽でおられる偉大なる将軍様を忘れたのか!?
将軍様は親の七光りじゃねえか

直家は祖父を襲撃され没落、馬鹿父と
流浪生活を送った末に0からスタートだったし
直家はこういう陰険な手を使いながらかつ合戦も強かったらしく、
家臣団の結束も強かった(晩年はそうでもなかったけど)のだが、
領民とか雑兵としてはどう思ってたのかねぇ。

「うちの大将は戦が上手いんだからあんな姑息な手使わなくても」
「うちの大将は戦が上手い上に頭も切れてスゲぇお人だ」

時代的に後者な気がするけど、その割りには領民から嫌われてたって話が多いよな…
…いや、やっぱどこでどう使われるかわからないってのはコワイか。
嫌いというより恐ろしかったんだろな。

>>231 テロリストとはちょっと違わないか?
領民にとって戦が無いのは良い事だ。
かなり地域は限定されるが・・
暗殺はテロ。
安重根義兵将VS浮田
>>235
>その割りには領民から嫌われてたって話が多いよな…
池田の影響でないか?
宇喜多は西軍についたから、
池田としては良いイメージを持たせるわけにいかないし
240235:04/08/22 04:28
そか、負ければ賊軍の法則か。 それじゃしょうがないな。

しかし海音寺の悪人列伝ではクソミソだな。
241無名武将@お腹せっぷく:04/08/22 15:37
(^x^)ノ ・・・・・・・・。
>>240 悪人列伝探してるんだがみつからん。どんなことが書いてある?
暗殺に成功すると脱糞して喜ぶ直家。
だっふんだ!
245無名武将@お腹せっぷく:04/08/24 20:23
こんだけ謀略つかってたら警戒するだろ。やられた奴はあぽ
警戒されてても成功するのが凄い所。
警戒しすぎて疑心暗鬼になったら
それが元で離反されたりするしな
248235=240:04/08/25 01:14
自分の部屋で見失った…<悪人列伝

本編は有名なエピソードなぞってるだけって感じ。
後書きで

「悪人と言うより小悪党で、やってることがみみっちくてセコく、見るべきトコロがない」(超意訳)

とか書いてあった気ガス。
そりゃ将軍暗殺したり大仏焼いたり寺山坊主ごと焼いたりするような
インパクト強い奴なんてそうそう居ないよな

それより「見るべきところが無い」と評価する人物をネタとして取り上げる
作者は何を考えてるんだか。
これだけ謀略を尽くして、しかも破綻をきたさずのし上がった人はそこらにゃいないよ。
それを裸一貫から大名まで叩き上げたキレ者とするか、勝つためなら手段を選ばない
冷酷非道の人とするかはともかくとして。それを小悪党とは……。
筆者は大事をやらかした連中に目を奪われすぎて、感覚が麻痺してるんじゃないか?
251無名武将@お腹せっぷく:04/08/26 20:18
>>250
海音寺の感覚が麻痺してるかどうかは、
まず読んでみてから感想なり批判なりしようや。
単に>>248の超意訳が間違ってるだけかもしれないしな。
253248:04/08/27 00:10
うむ、そもそもオレも3年前に買って読んだ時のイメージしかない。
クソミソだったのは覚えているが細かい言い回しは忘れてるので全然違ったらご勘弁。
「運命操るもの」  著・宇喜多直家

〜あらすじ〜
享禄2年、備前砥石城に一人の赤子が産声を上げた、父は宇喜多興家、祖父は名将の誉れ高い宇喜多能家。
その子が誕生する寸前に興家は八つの流れ星を見、生まれた赤子に八郎と名付けた、後の神聖天将軍宇喜多直家である。
八郎幼少のころから魔術の才能に溢れ、5歳になる頃には12本の炎を自由自在に操ることができたという。
しかし・・・そんな八郎に悲劇が訪れる、暗黒魔界将軍であり祖父・能家の因縁のライバル、島村盛実によって、
城を攻められ、能家は自害、一族郎党は散り散りになり、父とともに放浪の旅を余儀なくされる。
不自由な生活、敬愛する祖父との思い出、新しい家族・・・そして父の死、それらが八郎少年を強くたくましい戦士に変えた。
15歳になる頃には備前一国に直家と並ぶ使い手は存在しなくなっていた。
更なる高みを求め、直家は旧主家である浦上宗景に出仕する、その年、初陣にて直家はその絶大な魔力を開放し、抜群の戦功をたてた
その働きを賞賛され、直家は翌年、難所・乙子城の城主に抜擢される。
懐かしい旧臣たちとの再会、地元に巣食う海賊の問題、近隣諸国との小競り合い・・・困難にあたって直家はますます力を増していく・・・
・・・その類まれなる魔術の才能により、天より妬まれた男直家、運命の荒波は彼に一時の安らぎも与えようとはしなかった。
強大な魔族、毛利家に魂を売った宇喜多の一族、浮田国定。
魔に飲み込まれ、理性を失ってしまった、優しき岳父、中山信正・・・
祖父の仇であり全ての元凶、暗黒魔界将軍島村盛実・・・・・!
彼らとの戦いの中で直家は争いのむなしさを知り、変化を遂げるのであった。
255248:04/09/05 21:24
ごめん、やっぱ大分違った。あとがきだけ引用。


 直家は最も陰湿で、最も陰険な悪人である。
 しかし、大悪人とは言えない。小悪人の典型的なるものだ。
 けれども僕には最も不愉快な人物に感ぜられる。
 松永弾正や斎藤道三は徹底した悪人であり、どこ一つとして愛すべきところは持っていないが、
 その性根のすわりには一種痛烈な味があるが、直家にはそれがまるでない。
 両大勢力の間にあって、きょときょととおちつかないところなど、
 小悪党としか評価出来ないのである。
256無名武将@お腹せっぷく:04/09/06 22:02
次は海音寺に・・・
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/ソハ、 、
;;`ヽ、;;/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/ソ川ヽ!',
;;;;;;;;;',;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/ソソ川川リ!
;;;;;;;;;;;;',;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/彡彡ソソリr.ニヽ
;;;;;;;;;;;;;;',;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/  ヾ彡ソ川川 ム ', !    
;;;;;;;;;;;;;;;;',;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;: ‐'´     `ヾ、ソ川リ .ハ ノ     
ヾ、;;;;;;;;;;;;',;;;;;;;;;;:-'"   _,、-;ァ‐   ヾ川′/ /
. ', `'''ー― '´   ,、r彡‐' _.     ヾリ| ` ´!,ヽ‐‐-
 ヽ、.,,,,__、  : -"‐''z'弋フ'´     ヾiト、ノi:| ヽ.:
  ヾ'‐モラ'、 :                |',リ | |:|  |
   ',    | :   ,            ` リ ,.イ |:| │
    '、  │ .:  ..、             !   | |:!  |
.    ヽ  l     ,.. }           / .〃  .|
      ヽヽ 、.ノ'"~ _,,,、...、,,_      / .//  .l
     /:ヽr:ァ__,..、..-‐'`ヾヘ    , ' /./   l
   ,、r:'::::::::l.:.:';l、 、_ ,..,、-'.⌒i `゙  / ./ /   ,'
、r:'::::::::::::::::/.:.:.:ヾヽr'"  ./ ,,;ッiン  / /   /
::::::::::::::::::::/.:.:,、r'´   /从从リ/  / /   /.:
:::::::::::::::::://   ./>-‐――――.、/   /.:.:
:::::::::::::::/   /''´  _,、 --------<   /.:.:.:
畳の上で死ねなかった松永弾正や斎藤道三に比べて、
多分畳の上で死ねた直家氏は偉いかも。
>>257
板の間のむさい布団の上だったと思われ。
宇喜多○家って人がいた、きっと宇喜多直家の子孫に違いない
260無名武将@お腹せっぷく:04/09/10 10:46
宇喜多直家というと・・・命日がバレンタインデーな人ですね?
261無名武将@お腹せっぷく:04/09/10 22:54:06
>>254
面白くもあり、感動的でもあるなw
262無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 04:01:33
きょときょとねえ。

まあ最初から「小大名だったから」というフィルターで見てるとそうにしか見えないのか。
俺にはどちらかと言うと、呼吸をするがごとく、極自然に謀略をなしたイメージだが。
263無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 11:35:19
俺は津本ようの備前物語で直家の事を知った。
264無名武将@お腹せっぷく:04/09/15 00:14:47
直家って結構家臣に人望あったのかな?
直家が臨終する間際に家臣達に俺に殉死するものはいるか?
って家臣達に言った時に他の家臣達は皆殉死しますって言ったけど
戸川秀安だけは
私は修羅道に生きる武士です。ですから殉死することは不能です
武士は修羅道に生きるべきです。って言って殉死はしませんと言ったら
直家は、そのとおりだ・・・と思い直して 皆も殉死はするな
って言ったそうな。修羅道に生きた直家らしいと思った。
家臣に謀反されづに死んだ直家は少なくとも家臣に人望あったってことだ
ろうな・・・
265無名武将@お腹せっぷく:04/09/15 19:01:55
>>264
それはそのまま受け取る内容ではない気がする
266無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 00:46:13
黒部亨の直家本、どうよ?
267無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 02:09:45
>>264
殉死者募って、戸川にそなたはどうだ?
ときいたら、得手不得手があります。
どうせなら坊主を連れていかれては?と諭され
殉死の誓書捨てたそうだ。
268無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 02:44:33
直家「殉死者うpキボン」
家臣「我ら修羅道に生きる身、誰も浄土への道を知りませぬ、役には立ちますまい」
家臣「あ、どうせなら坊主を道づれになさったらどうでしょう?」
家臣「僧衣でググってみました」
直家「・・・・・・・・・」
直家「・・・やっぱやめた、ひとりで死ぬ」
269無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 09:37:02
けっこう嫌がる人もいる作家なんだけど、津本陽の『宇喜多秀家』はよかったよ。

直家の祖父・能家が殺されるところから始まって、秀家の八丈島で歿する
までを描いてくれてて、長めだけど一冊だし、直家〜秀家の時代を知るには
良かった。
ここの住民で読んだ人、他にいない?
270248:04/09/16 22:52:57
>>266 >>269

両方面白かったけど、黒部の方は直家をいい人にしすぎ。
津本の方は描写が全場面で等しく詳細な感じで人物一人一人についての印象が薄い感じ?
271無名武将@お腹せっぷく:04/09/17 00:03:54
津本の小説は原文で行数稼いでるせいで読みにくい
ぼかぁ司馬の方が好きだ
272248:04/09/17 00:46:31
ちなみにぼかぁ南條範夫が大好きだ
273無名武将@お腹せっぷく:04/09/17 12:29:24
私の持ってるのは、高山友禅の戦国の宇喜多一族でつ
地方新聞社からの出版だから持ってる香具師居ないだろうな
274無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 18:22:36
岡山人...
もっと宇喜多を賞賛しろよ。
武蔵なんかよりよほど大河ドラマにふさわしい。
275無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 21:57:10
武蔵よりは面白いだろうが、大河は無理だろう
昔日テレでやってた年末時代劇位でお願いします。
276無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 18:55:57
>>255
むしろ民政宜しきを得なかった松永・斎藤より遥かに凄いと思うが
道三なんて領国統治の手腕に欠けてたから義龍を担いだ
家臣団に追い出されたってのが近年の通説らしいし
海音寺説だと、藤堂高虎も小悪人になるな
277無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 19:38:58
>>276
そういう哀れな最後ってのが悪党らしくていいっていってるんだと思うんだけど。
278無名武将@お腹せっぷく:04/09/21 02:29:08
要するに死んだ時に人の下についていた奴は小悪党だと?
なんかしょーもない判断基準だな…
279無名武将@お腹せっぷく:04/09/21 02:56:07
飼いならされた悪党なんて大悪党とはいえないんだからしょうがない。
280無名武将@お腹せっぷく:04/09/21 03:03:46
業績に着目すればそうかもしれないけど、
人物評としては地位よりも振る舞いに着目すべきなのでは。
281無名武将@お腹せっぷく:04/09/21 15:20:43
ここは
大悪党とはいえないから小悪党と呼ばれても仕方ない訳は無い、と返すべきじゃないかね?
282無名武将@お腹せっぷく:04/09/22 11:05:54
大悪党は織田信長がガチ。
殺した人数がハンパじゃない。
283無名武将@お腹せっぷく:04/09/23 01:48:11
なるほど!信長を基準に考えると、麻原尊師は小悪党どころか大善人だね!
284無名武将@お腹せっぷく:04/09/23 09:08:40
>>255
「悪人は意志を貫いて死ななきゃならん!」と言いたげな文章ですね
白石一郎の「海将」読め、と言いたい
285無名武将@お腹せっぷく:04/09/23 14:15:57
ttp://homepage2.nifty.com/OTIBO_PAGE/rekishi/urakami/humei/shimamura0.htm

ちょっと面白いページがあったので貼ってみる。
島村がフィクションの存在であるとしたら、今知られてる直家の若い頃の話はどこから本当なんだろう。
286無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 17:26:52
>>284
昨日か今日無くなった人ですね、村上水軍のやつ読んでみようかと思う
287無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 21:06:36
>>286
なんだと
288無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 21:43:58
>>286
http://www.nikkei.co.jp/news/okuyami/20040924AS1G2400K24092004.html
「海狼伝」などの海洋歴史小説で知られる直木賞作家、白石一郎(しらいし・いちろう)氏が20日午後5時55分、肺炎のため福岡県久留米市の病院で死去した。
72歳だった。自宅は故人の遺志で公表しない。告別式は近親者のみで済ませた。喪主は妻、文子(あやこ)さん。
289無名武将@お腹せっぷく
我々は岡山人が何故このような犯罪を繰り返したのかという
疑問を解決するため、岡山人の故郷である岡山に向かった。
「まだ世界にこんなところがあったのか…」
思わず口に出てしまった言葉を同行した上司に失礼だと咎められた。

小人が住むような小さな家、ツギハギだらけの服を着る農夫たち、
そして彼らは余所者で身なりのいい我々を監視する様に見詰めている。
プロ野球だの、Jリーグだの、球界再編だので浮かれていた
我々は改めて岡山の現状を噛み締めていた。

ボロ屑のような家に居たのは老いた母親一人
我々を見るなり全てを悟ったのか、火病をおこしながら
「賠償しる!謝罪しる!反省しる!」と我々に何度も土下座するように要求した。

我々はこの時初めて岡山人を許すまいと思った。
誰が悪い訳ではない、岡山人の根性の汚さが全て悪かったのだ。
我々は岡山人の母親から無理矢理売りつけられたマスカットきびだんごとママカリを手に、
打ちひしがれながら仙台へと帰路についた。