【天才】諸葛亮って【凡才】

このエントリーをはてなブックマークに追加
1芥川ぬるぽ ◆Fk4WJhlxdo
本当に天才?
戦勝ってないけど。
2無名武将@お腹せっぷく:04/06/05 21:43
さあ。。。
3
4殿の初勝利 ◆CfRlunahDA :04/06/05 21:45
4
>1
馬鹿でつか?根無し草だった劉備を蜀漢建国まで誘導したのは
ほぼ孔明のおかげ。蜀建国後も政治面、軍事面両方を総括。
他2国と致命的な差がありながらも、彼が生きてる間は
蜀は安定していた。彼が死ぬや後を継いだ駄目大将軍が
蜀を崩壊に導いた・・・孔明の寿命があと50年あったら歴史は変わってた。
童貞なんでしょ?
ほぼ孔明のおかげ

   ↑ 
 すごいねw
8無名武将@お腹せっぷく:04/06/05 22:33
>根無し草だった劉備を蜀漢建国まで誘導した
具体的には?
>孔明の寿命があと50年あったら歴史は変わってた
どう変るんですか(藁
釣れてますか?
10無名武将@お腹せっぷく:04/06/05 22:35
孔明は「三顧の礼」に感動して蜀に入ったらしいけど
劉備から見れば
いちいちメンドかったろうに・・・・
11無名武将@お腹せっぷく:04/06/05 22:36
孔明厨氏ね
54才に50年足すと104才か・・・・・。

まあそんだけ生きたら歴史が変わった人は多いだろうな・・・・・。
13無名武将@お腹せっぷく:04/06/05 22:38
>>10
実は諸葛亮から会いに行ったとも。
>>5
蔣琬も費禕も董允も無視ですか?
だが政治面では評価できると思うよ。
軍事面でも、それほど無能でなかった。
14無名武将@お腹せっぷく:04/06/05 22:50
赤壁逃亡戦でまんまと逃げ切ったヤシだからね。
>>1
釣れてますか?
諸葛亮の凄さは認めるが、孔明厨は必死な奴大杉。
1716:04/06/05 23:11
ていうか「認める」って何偉そうな言い方してるんだ俺は。
18無名武将@お腹せっぷく:04/06/05 23:22
戦術と政治に外交の達人。
これ以上彼に何を望むんだ?
三国時代が誇る、偉大な人物だと思うよ。
>>18
寿命を望む
20無名武将@お腹せっぷく:04/06/05 23:28
>>18
戦術的自在さと奇略
21無名武将@お腹せっぷく:04/06/05 23:28
むしろ戦略の天才だと思うが。第一次北伐でも、孟達が滅ぼされた後も、出来るだけ
単調にならないように非常に多くの要素を組み合わせているし。もしそのときに関・張
或いは馬超、黄忠の内一人でも生きてたら・・・・・と思う。
あと50年あったら・・・確かに歴史は動いてただろうな。
劉禅の愚行はなかっただろうし、ヒイの失脚もなくキョウイの馬鹿による
北伐もなく・・・蜀が統一してたかも・・・
23無名武将@お腹せっぷく:04/06/05 23:36
>>22
そ れ は な い
24無名武将@お腹せっぷく:04/06/05 23:40
>>16
いや、十分にえらいと思う。
だから、もっと言ってくれたまへ
>>22
蜀の内部崩壊は防げたかもしれないけど、
国力差があり過ぎるから結局はそんなに変わらないかと。
まあ魏の人は諸葛亮が死んで安心した人も結構いるみたいだし、
気が緩まない分 かえって蜀討伐が早まったかもよ。
曹操にあと50年寿命があれば魏が統一してたんじゃないの
ホウ統のような人を見る目・人材育成能力がほすぃ
28無名武将@お腹せっぷく:04/06/06 11:02
今、サンデープロジェクトで石原都知事が
ベトナムはしたたかな国だよぉ
あの諸葛孔明が手をやいた国なんだから。。。と発言したが


ベトナムに行ったっけ???
           
>>28
演義の南征を誤解してるんじゃねえの?
>>22
基本的に蜀の天下統一は無理。
天下三分なんて言ってるが、実際の国力は魏の4分の1ほど、
呉の領土も広いように見えるが、半分以上は蛮族に悩まされ、
呉の領土とは言いがたい領地だった。
それに比べ魏は、総人口、兵力、国力とも呉蜀を合わせても
勝っていた。
31無名武将@お腹せっぷく:04/06/06 11:25
石原都知事ってさぁ
クイズ番組で室町幕府最後の将軍を足利義輝って言ってたしね
>>1
ガッ
国力の差が戦力の差ではないと言うことを教えてやる!
政治家としては◎
戦略家としても◎(戦略は政治の下に属するので。やや強引)
戦術家としても◎(戦術は戦略の下に属するので。かなり強引)
というのは・・・

そもそも、「伏竜か鳳雛を手に入れれば・・・」ではなく
「伏竜と鳳雛を手に入れれば」と好好先生も言っている(正史。正史厨でなくても知ってる事実)

つまり、政治→校名 戦争→放蕩 が理想。
放蕩もその後を次ぐはずの縫製も逝ったから仕方なく戦争屋も兼ねただけ。
にしてはそこそこやっていると思う。客観的に見れば。

校名は竜前の下で、幕府を開いていたと考えると分かりやすいかも。
徐庶は〜?
孔明と法正って相性悪かったのが惜しい・・・。
せめてホウ統でも生きていれば孔明も政治に専念できて過労死しなかったろうに・・・。
徐庶ですか・・・

劉備と仲悪くて・・・。というか、徐庶は劉備が嫌いだったとか(嫌いになった)。
正史厨が良く言う言葉に、「孔明と徐庶は一緒に働いていた時期がある」というものがあります。
本当らしいのですが、去った理由はいろいろあります。
嫌気がさしたというのが主流ですが・・・。

魏で重用されなかったのは、単に能吏としての才幹がなかったため。
しかも清流派でもなく、コネもなく・・・。

軍師としての才能は結局未知数かと。
>>36
嫌気がさしたってのが主流なのか?
徐衆の三国評には、徐庶の母親が捕らえられたから劉備が徐庶を帰らせたとあるが。
それと、蜀将討議スレにもあるが、徐庶も重用はされなかったものの結構出世してる。
能吏としての才能はあったと思うが。
38無名武将@お腹せっぷく:04/06/06 20:14
赤壁謀略戦でギリギリで逃げたっけ?
39無名武将@お腹せっぷく:04/06/06 20:20
>>38

それ演戯の方。
40無名武将@お腹せっぷく:04/06/06 20:22
>>38
たしかそんなステージ無双であったよーな・・・
41無名武将@お腹せっぷく:04/06/06 20:22
>>36
あくまで軍略などでか?彼は結構魏でも出世しているよ
>>41

荊州が曹操になびくと、徐庶は石韜と一緒に北に来た。とも正史に書かれている。
 黄初年間、魏では、徐庶にとっては役不足ともいえる右中郎将(近衛右軍司令)、
御史中丞(検察次官)などを歴任した。『魏略』によれば御史中丞まで昇った。

ttp://www.baobab.or.jp/~matumoto/sangokushi/syoku/jyosyo.html

御史中丞は四品官で千石取り、これを出世と見るかどうかって事だな。
44魏延:04/06/06 21:04
>>43
孔明は「魏には人が多いのだな。香具師がその程度の職位とは」
と嘆いたらしい。
45無名武将@お腹せっぷく:04/06/06 21:16
御史中丞は今の位に直すと官房副長官クラスだそうだ。
そんなに低い地位とは思えんな。
諸葛亮だって魏で蜀のように出世できたとは思えん
ほんとに惜しいことしたよな>ほう統&法正

もし二人とも生きてたら高祖の覇業を再現して、後世こう評されたかもしれない。

劉備=高祖
孔明=簫何
法正=張良
ほう統=韓信

あと、
張飛=樊かい
関羽=膨越

これはきついかw

とにかく民政家、政治家としては孔明は完璧だからな。
48無名武将@お腹せっぷく:04/06/06 23:16
もし科挙をうけたら孔明って科挙に受かるのか?
科挙のトップのやつと孔明どっちが賢いの?
科挙って、試験つーよりほとんどウルトラクイズだからなぁ・・・・↓

ttp://www.actv.ne.jp/~yappi/tanosii-sekaisi/07_china/07-15_kakyo1.html
>>48
三国時代に科挙は無いし、比較とかできるとも思えんのだが。
試験と実戦では違うしね
>>46
それはない
53無名武将@お腹せっぷく:04/06/07 16:35
>>47
劉備=高祖
孔明=簫何
龐統=張良
法正=陳平

>>53
むしろ龐統=韓信
55無名武将@お腹せっぷく:04/06/07 19:59
関羽=韓信っていうのも抵抗あるしな。知名度は匹敵するけど。

韓信みたいな神レベルの戦術家って他にいる?
少数の項羽軍に蹴散らされる韓信の何が神なのか?

諸葛亮は天才。
血縁無し20代の若造が
左将軍の秘書に抜擢されるなんて
常人じゃ不可能。

統治能力のみの人間と思われがちだが
諸葛亮が本格的に統治への権限が移譲されるのは
だいぶん後。

それまでは劉備の政策秘書として官職を得ている。
つまり諸葛亮は参謀達の代表と考え良い。
だから諸葛亮=張良と言って間違いない。
ほう統、法正も参謀の一人に過ぎない。
諸葛亮を貶めるために過大評価しすぎ。
まあなんつうか
都合よく同じような人間がいるもんじゃない
58無名武将@お腹せっぷく:04/06/07 20:30
は?簫何と孔明が同格?
59無名武将@お腹せっぷく:04/06/07 20:44
>>56
張良ほどの軍略があるなら子午谷周りで長安を落とすはず。
諸葛亮は確かに正攻法は上手いが機略が無いから張良とはいえない。
どっちかといえば曹参に似ている。
あれは子午谷から攻めても際どいだろ
>>56

煽りにしてももうちょっと上手にしようなw
まぁ孔明さんがいなきゃ三国鼎立はなかったと思う
あとその前に曹操が荊州に攻め込んだ時に滅びてるだろ
孔明は青年時代、自分を張子房、姜子牙になぞらえたとか。

確かに悲劇のヒーローとしての名前は残したけど、実績としては無理だよな。
>>63
管仲、楽毅じゃなかったっけ。
この四人でみるなら、法家である管仲にいちばん近いかな
>>52
断言する根拠は?
校名は統治家として有能。
災害の被害が蜀にはない(記録官がいなかっただけともとれますが)

戦争に関しては、劉備死後からしか戦績が残っていない。

元々、蜀は偽帝政権。その偽帝に魅力があったので、生前は良かったが
死後は、その蜀のアイデンティティを守るために戦争を行っていた。
対外的にも対内的にも蜀の存在意義を知らしめる必要に駆られていた。
つまり「魏は漢にとって敵!蜀が皇帝を救うぜ!!」と

正統の魏、豪族政権を纏めるために国家が必要であった呉とは色が違う。

そして、劉備の名を後世に貶めないためにも、戦い続ける必要があった。


34と36を書いた者ですが、徐庶の去った理由はいくつかありますが
流氷の土地を奪わなかったことによる仲違い(?)が原因と言われています。
実際にはいくつも説がありますが、徐庶の母が・・・というのは話がうまく出来すぎていて創作でしょう。
事実は小説よりも奇なものですが。
張良が軍事参謀というのはどこから来てるんだろうか?
政治参謀だと思うのだが?
軍事だけで言えば曹参、陳平の方が上だと思うのだが
諸葛亮は正義ではない
孫家は正義であるw
71無名武将@お腹せっぷく:04/07/18 06:48
正義は俺だけが知っている。
72無名武将@お腹せっぷく:04/07/18 07:33
元戎(強いのかな?)はホントに奴の発明なんか?だったら発明家で政治家で戦略家と
称号が3つもできるね。グレイトじゃんか。エジソンは政治家でも戦略家でもなさそう
だが天才。孔明はスーパー天才スリーだ。戦争がうまかったかどうかは知らないけど。
「天才と呼べるのはキミとヨだ!」
>>1
そりゃ、天才だろ。
小泉でもお前より頭イイ。

ましてや歴史に名を残す参謀だから頭いいに決まっている。
凡人な訳は無い。

>>67
>実際にはいくつも説がありますが、徐庶の母が・・・
>というのは話がうまく出来すぎていて創作でしょう
正史にそう書いてあるし、断定も出来ない以上は十分に可能性はある。
正攻法の天才?
諸葛亮は天下の奇才だってお隣の司馬懿さんが言ってましたよ。
>74
俺もそこ突っ込もうと思った。兵法を知り尽くしてるのみならず、
奇策をてらうのが得意だと思ってんだが?
77無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 01:11
軍略家は鳳統 らしい 諸葛亮は政治学がすぐれていたらしい しかし、今をもって天才と言われる理由に・・・ 肉まん発明した実績があるからだ やはり過去も現在未来も食い物に弱いって事
78無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 01:47
天才は少ない兵でも勝機を作ること
火刑、水系が得意な彼はやはり天才。
>>78
陳寿によれば、諸葛亮の政治的才能は管仲・簫何に匹敵するが、
結局統一できなかったのは軍事的才能がなかったからではないか、
ということらしいです。孔明は戦術より戦略じゃないかなぁ。
実際、これと言った戦果はあげてない気がしますし。

やはり、軍事的才能があったのはホウ統・徐庶・法正あたりかと。
80無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 02:08
>>79
ジョショ、法制はわかるけれども、宝刀ってなにをした?
伏兵を見破れずに殺されたということしかぐらい思いつかない。

孔明は確かに、三分の計をもち呉を動かし劉備を救ったので
戦略家には違いない。同様に、南蛮征伐なんかでは
戦術の見せ所というのもあったし、新谷城を焼いて
逃げたのも、立派な戦術だと思う。
>>80
演義なのか正史なのかはっきりしてほしいんだけど・・・
82無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 02:13
>>81
もちろん正史だよ。
>>80が言ってる事は演義だろ
諸葛亮のモデルって劉基だろ。
諸葛亮は自分は作戦立案において劉巴には遠く及ばないと言っているぞ
戦略には自信がなかったんじゃないかねぇ
そして戦術には多少の嗜みがあるとも言っている。
諸葛に戦略がなかったら蜀は取られケイシュウで5年も持たなかったと思う。
三分の計は三国時代の前に韓信の配下のカイ通が献策してた。
なんの新しさもない策。
88無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 02:23
人を持ち上げ、生かすのも戦略である。なにも本心を言うことはないのである。
89無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 02:25
>>87
新しいとか古いとかの問題ではなく
劉備にとっての実用性があり且つ有効的が問われる策だったの・・。
>>88
諸葛亮は好き嫌いが激しすぎたな
91無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 02:27
>>90
それはそうだね。人材配置や起用でもよくそれが現れている。
92無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 03:16
まぁ実際の孔明がどうであれ
これだけ神格化されてるんだから、「アンチ」が存在するもの当たり前か
孔明の一番凄いところは、悟性
>>77
何を言っても実績の無い鳳統は全く評価できません。

>>85
それを聞いたら劉巴ってどんなにすげーんだよ?って思わないか?

従軍した事無いのに。
>79
結局統一できなかったのは・・・
なら聞きたい。誰がやったら裸一貫逃げ回ってた劉備を
国主にまで祭り上げれたのかな?
そもそもあの状態から統一など誰であろうが不可能。
孔明が存命中は蜀は安泰だったことからもいかに天才か
計れるというもの。
悲しいかな、彼を継げるほどの才覚の持ち主が出なかったのが
蜀の不運。
9679:04/07/22 02:08
>>95
まだやってたんですか。
見ての通り、「陳寿によれば」なので私に聞かれても…
まぁ一応私の見解としては、国主に祭り上げたのは孔明の戦術によるところ
ではなくて、戦略によるところだと思うのです。
あくまで、個々の戦に関しては将軍達の功なんじゃないかなってこと。
私は孔明に功がなかったとは言ってませんよ。
それに、勘違いされてそうですが、私は孔明ファンです。
三国志の武将の中で孔明に代わって北伐に成功して
長安落とせそうなのいるかな?
国力差からいって最初からハンデあるし、持久戦を挑まれては
相当厳しいし…。

韓信みたいに、魏の主力を孔明が引き付けている間に
魏延の別働隊が長安を落として魏を壊走されるのが
理想だけど、机上の空論っぽいね。
>>97
長安落としたところで、補給線が細長くなって結局は撤退しただろうな。
徐々に拡大していかねーと。
>>96
ホウ統・徐庶を挙げている時点で初心者丸出し。
100get
101無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 18:37
軍師・智謀ランキング
Aaa:じゅんいく、かくか
Aa:りくそん、しゅうゆ、かく、そうそう
A:じゅんゆう、ほうせい、しょうかい、しばい、ほうとう、「しょかつりょう」

まあ孔明なんてこんなとこだろうよ
102無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 20:00
じゅんいく、かくか何するものぞ!
103無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 22:00
102は所轄公明殿とお見受けしたがアナタ様が魏の順逝く、各課らよりも下ってのは
三国志ファンの間ではもう規定事実になりつつあります。(政治能力の方は別ね)
それどころか法政よりも・・・・アチャチャ
>>103
荀ケの軍事行動は殆ど聞いた事ないけど
郭嘉はその場の進言での事で自ら兵を率いた事がない
法正は確かにわからない
>101
わかったから病院逝ってこいw緑の救急車で逝くんだぞww
106無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 22:30
またsageながら孔明先生光臨か?
107無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 22:34
速攻・・・・仲達には及ぶまい
持久戦・・・仲達には及ぶまい
水軍・・・・シュウユには及ぶまい
内政・・・陳グンには及ぶまい
策謀・・・カクには及ぶまい
108無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 22:37
王佐の才、博学、戦略は最高だが
野戦の実戦の将としては・・・ベストな人物では無いって所かな
109無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 22:40
陳群は劉備配下の時たいして活躍してないから孔明以下。
他は国が違うから比較にならん。
110無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 23:00
あと
戦略・・・ジュンイクには及ぶまい
も追加な
政略とかはどうだろう?
>>108
でもバターな人物ってトコだね、孔明>野戦の実戦の将
蜀将スレの1か2くらいで、奴の能力のすごさは証明されてる
他に三軍を任せられるだけの人材がいないし。
むしろ唯才を扱う人間として天才じゃなかったってだけな感じ
馬謖使うし、李厳、馬忠はほったらかしだし、魏延、楊儀は持て余すしね
守国…陸抗に及ぶまい
登用…荀イクに及ぶまい
人柄…荀イクに及ぶまい。兄貴にも及ぶまい
清廉さでは孔明が一番でしょ?
総合力もなかなかの物になりそうだ
114無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 03:20
孔明が守国で失態したか?ジュンイクに大軍が率いれるか?総合で見れば天才
に違いないだろ?決して凡才ではない。
115無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 03:39
>>112
清き水には・・・・
116無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 03:40
魚が住めない
117無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 04:34
蒼天孔明の花チンポ
孔明が北伐を完遂できなかったのは司馬懿の存在が大きすぎたからだろ?
相手が曹真で打ち止めだったら魏はガタガタになっていた。

あと強いてだめぽな点を上げれば馬しょ(ry
それ以前に桁違いの国力とそれに比例した人材の層の厚さがあるから、
それなりに実力があれば誰が相手でも結果は同じだと思われ。
でもマトモに司馬懿と戦闘した時(第4次)は孔明の圧勝だったんだよなぁ・・・。

結論
司馬懿はヘボイ
>>111
登用って言っても荀イクは名門なだけだけど・・・。

人柄はなぁ・・荀イクはただの儒者だし。
人望がそんなに厚かったか?荀イクは。
最後は惨めだったろ。
蜀軍には常に補給の問題がまとわりついていた。
司馬懿はそれを利用して徹底した持久戦に持ち込む。
諸葛亮は何とか引きずり出そうと策を凝らすも、ほとんど乗ってこなかった。
戦略的には司馬懿の快勝だろうね。
4回目の北伐ではけちょんけちょんのヤられてたところをみると、
戦術的には孔明が上を行っていたのかもしれないけど。
清廉とは言うが、そんな人間が周りの反対を押し切ってまで馬謖を先陣に立てるかね。
死んだ際に余分な財が無かったってのは、他にも例がある話だからなぁ。
諸葛亮の人選を見てると、背後の派閥争いが見えて嫌だ。
125無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 19:27
派閥なんてねーよ
126111:04/07/23 20:11
曹真で打ち止めだったらやばかったって…本気で言ってんか?>>118

>>121
名門って、その人のステータスなんだけど・・・
ぶっちゃけ、荀イクがいたから曹操は覇業を成しえたんだろ?
曹操じゃ、どこまでいっても宦官の孫って影口があったろうし。
孫家だって、周ユっていう名門が協力したから再興出来た様なもん。
そういう意味じゃ、孔明だって、十分名門だし。その証拠に、三国全てに諸葛氏がいる。
孔明は中原の名門で、荊州とも密接な関係にあった。
劉備が腰を低くして孔明を迎えに行ったのは、そうしないと荊州の人材を獲れないから。

話それたけど、荀イクはその名門って立場、清流って立場を生かして(その為の行動、実績、努力があるからこそそれがあるわけだが)
清流っていう中でも(ロクでもない奴が多い中)特に唯才の者のみを曹操に推挙している。
孔明なんかは、一々益州の名士を訪れて説得→登用の流れだし、ここは荀イクに勝ちがあがるだろう
人望に関しては、ファンクラブ出来るくらいあるよw会員ナンバー2は司馬懿だよw

守国に関しては、失敗してない。ただ、一位は陸抗だろ。それに比べると・・・ってだけ。
あいつは孤立無援でただ一人呉を支えた奴だから・・・

まぁ、荀イクは張良の型だし、仲達は韓信の亜流みたいな奴なのに、蕭何の型の孔明と比べてやんなよ

あと、蜀は派閥バリバリですが?
孔明にたとえその気がなくても、政治上、派閥を考えた人選になちゃうと思うが?

俺はそれでも好きだけどね、忠武候は


たしかに荀ケというか荀氏の影響力が曹操の覇業に大きく寄与したのは間違いないね。

>>126のいう人望というのは”荀ケ個人の”という観点だろうけど、潁川の人材が荀氏の
影響で軒並み曹操の陣営に転がったのも、(表面上は)漢を推戴する曹操に、清流派
として大きく名の通った荀ケがついたおかげでもある。
(荀ケ個人の進退に一部の清流派からケチはあったとは思うけど……)

党錮の影響で各地の清流派名士の活動が潜在的なものになったけど、彼らが世に
でるきっかけになったのは曹操の漢推戴であろうことは察せられる。

そういった視点からみないと、いくら曹操が実力で中原を占めたって、多くの清流派に
そっぽをむかれるのはみえすいてる。密集率云々だけのゲームじゃないんだから。
ごめん。
>>126じゃなくて>>121だね。
129無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 21:02
ちょとスレ違いだが
荀ケは郭嘉ら同僚らと比べてもなんつーか格が違うって感じがする。
軍師でも文官でも呼び名はどうでもいいがその存在感やら家柄やらそして才幹ね。
でも曹操とは多分あんまり気は合わなかったんだと思う。
最後は完全に決裂してああなっちゃったし。
その点カク(漢字が出ない)って男は凄い。
全く正反対の生き方ながらこの二人は対照的で実に興味深い。
荀ケが推挙した人材

戯志才・郭嘉・陳羣・杜襲・辛ピ・趙儼・厳象・韋康
杜畿・司馬懿・華キン・チ慮・王朗・仲統長

交友関係にあった人物

鍾ヨウ・孔融・袁微・程c・楊彪・テイ原


鍾ヨウ・華キン・王朗の三大臣は全て荀ケライン。
文帝に後事を任されたのは曹真・陳羣・司馬懿だが、
親族の曹真以外は荀ケの推挙した人間。
人材面だけを取っても、魏の国家形成には荀ケの多大な貢献が窺える。
どうも荀ケオタがいるようだ・・・どこにでもいるね、こういう
普通じゃ見向きもされないの引っ張りだして、いかにも
通って顔したがる香具師ww
どう贔屓目に見たら孔明<荀ケなんてなるんだろう???
別に曹操は奴がいなくても覇を唱えていたよ、間違いなくね。
つーか、会う前にすでに全土を席捲してたし。
逆に孔明と会うまでの劉備は全くの駄目武将だった。
確かに大物視されてたらしいが、領土1つ取れず根無し草状態。
蜀漢建国もその後もほぼ孔明の力によるもの。
実際中国では韓信以上の軍師というのが常識です。
俺は孔明ファンなんだが圧倒的な支持者も圧倒的なアンチと
同じぐらいウザイってことがわかった。
劉備死後の蜀をまとめたのは孔明以外には成しえなかっただろうけど、
それ以前の蜀獲り・漢中争奪戦では孔明ほとんど関係ないだろ。

荀ケは、曹操に人材の多くを推挙しただけでなく、
曹操が遠征に出ている間は本拠地を取り仕切り、
劉邦における簫何のような働きをした名臣。

劉備なくして孔明はあり得ないし、荀ケなくして曹操もあり得ないと思うが。
>>会う前にすでに全土を席捲してたし

>>中国では韓信以上の軍師というのが常識です



・・・この辺はもうネタとしか思えん。釣りじゃないのか?
>125
知らないのか・・・じゃあいいや
荀ケは参謀でもなく軍師でもなく副社長だろ
137無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 22:36
>>131は煽りだろうけど、
>実際中国では韓信以上の軍師というのが常識です。
この一行は悲しいことに事実なんだよな。趙雲や関羽も大人気だし。
こんなスレタイを掲げるスレなんだ、
諸葛亮至上主義者がいても仕方あるまい。
20代からやってた内閣総理大臣が中年過ぎてから
専門外の防衛庁長官を兼任するようなもんだろ、諸葛亮って。
過労死して当然だよ、こりゃ。
魏は広大な国土と人口を持ち、
ジュンイクと曹操という人材発掘の大天才二人を擁していた。
それが後に魏自体に致命傷を与えることにもなったが。
対して蜀は実際に統治が行き届いている領土は版図よりも大分狭く、
荊洲も奪われてしまった。
孔明の人事が悪いという人もいるだろうが、
それでも一応蜀を存続するに足る軍人を見抜いて採用していたことは凄いと思う。
しょうえん・ひいを後釜に据えて30年保たせただけでも上等。
姜維はいいとこ悪いとこあるから微妙だけど。
キョウイは誰かの下で働くかぎりは有益な人材だから、
コウメイがキョウイを抜擢したことが問題なんじゃなくて、
ヒイが自分の後継者を定める前に死んでしまったことが問題なんじゃねえか?
143無名武将@お腹せっぷく:04/07/24 01:41
張松によると、蜀は人材の宝庫じゃなかったっけ?
144無名武将@お腹せっぷく:04/07/24 01:42
配下の将軍としてはベストですな姜維
10人いたら孔明は勝てた?
145無名武将@お腹せっぷく:04/07/24 02:13
誰か劉備が死ぬ前の諸葛亮の功績書いて
>>143
孔明は荊州閥がお好き
>>143
どんなに人材の宝庫だろうが蜀はしょせん1州。
10以上の州を支配している魏とは比較にならない。
>>147
魏の方が凄いのは同意だが
10州対1州と考えるのはあまりにも稚拙では?

東京都と九州を比べてもナンセンスなのと同じ。
149無名武将@お腹せっぷく:04/07/24 02:59
後継者に育てるのが馬謖な人ですから・・・・
150無名武将@お腹せっぷく:04/07/24 03:01
でも1州じゃん
蜀は益州、呉は楊州で荊州をめぐり争っていた(交州はまあ呉のもんだけど)
>>148
いや1州が東京で10州が九州ならその突っ込みも生きるが、いかんせん1州が北海道で10州が関東・近畿地方だからな。
魏と蜀の場合。
>>145
・荊州閥への人脈提供
・根拠地とその後のビジョン、それを可能にする呉との同盟関係をもたらした。
・入蜀の基盤となる荊州南部の統治
・入蜀後の蜀の法律・支配体制の整備
・漢中攻略時の動員、兵站準備などの後方支援

内政、外交の実務家としては一流だよ。
153無名武将@お腹せっぷく:04/07/24 06:17
荊州派閥と益州派閥のそれぞれの筆頭はだれ?孔明はどっちなの?
諸葛亮は荊州閥のトップと言っても良いんじゃないかな。
姻戚関係としても諸葛亮は荊州でかなりの影響があったはず。

徐州組やそれ以前の連中と比べればともかく、荊州組の中では
役職的にも良いポジションにいたし。

法正存命中は法正が益州組の中では重きを成していただろうね。
彼の性格からして、派閥を上手く形成していたかどうかは定かではないが。
三国時代のトップアスリート達

張良タイプ 荀ケ 孔明 司馬懿 鐘会 魯粛
(国家規模の戦略を立てられる戦略の天才)

韓信タイプ とうがい ほうとう 周愉 法正  
(戦術的能力も高く、実戦司令官もできる)

項羽タイプ 関羽 馬超 呂布 張遼 張こう  
(猛雄だが、それだけでも一軍を引っ張れる)

劉邦タイプ 劉備 孫権
(人格的魅力だけで国家レベルの組織ができる、将に将たる器)

総合タイプ 曹操
(こいつは例外。李世民、朱元璋、毛沢東クラス) 
>>155
つっこまれたいの?
>>155
どこかに似たようなコピペがあった気がする
だいたい誤字やひらがなが多すぎる
夏ですから
さほど的外れでもないが・・・張良タイプ 荀ケ 孔明 司馬懿 鐘会 魯粛
この辺変・・・
>>160
荀ケ以外前線に出て指揮を執ってるからじゃない?
司馬懿 賈詡 鐘会
は陳平タイプだと思う。
>>161
けど陳宮の反乱の際、反乱者の一人が荀ケを見て、城を陥落できないと判断したから、
このときは軍を指揮してたんじゃないのかな?
>>163
あれは荀ケの功ってより程cの功ってイメージが強いな。
この時に荀ケが軍を指揮していたとしても、それはあくまで緊急時の事であって、
他の四人のように司令官として軍を率いて敵を討伐するような事はしてないでしょ。
住民はたまったもんじゃないだろうな。
戦乱で中華の人口が1/10ぐらいになるわけだ。
>>165
戸籍に乗ってる人口が1/10になったってだけだぞ、あれ。
>>155
簫何タイプがいないのが謎だな。
高祖・劉邦の言で分かるように、人の才ってのは大きく
治略(政治という、基盤を作る。簫何タイプ)
戦略(高所に立ち、文武問わず勢力の方向性を決める。張良タイプ)
武略(版図を広げ、勢力を死守する軍の統括者。韓信タイプ)
の三略
君主の器
そして
無能
の五つだからな
張良タイプは荀ケ 魯粛
だけでいいな。>>155の五人なら。ギリで孔明。
このタイプは、君主との信頼関係も必要だから。
それから毛沢東にそんな器はない。あいつだたのゲリラ屋
李世民もそれほど優れてはいないな。こいつも孔明みたく、実力以上に名声が高いタイプだ。(無論、英雄的人物ではあるが)
168無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 06:26
>>167

簫何タイプなど他にはいない。
つうか、お前の話面白くねえ。
陳平も戦略に入るのかな。
>>155
そう分けると孔明は総合タイプだな。
それから・・鳳統は論外。

孫権も微妙
あと、周ユより陸遜の方が軍事能力は高そうだ。
>>154
法正は元々は益州の人間ではない。
加えてあの性格なので、重きをなしていた訳ではなかろう。

蜀攻略時に許靖の登用を薦めたぐらいか?誰を登用したんだ?
173無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 11:43
周ユより陸遜の方が軍事能力は高そうだってどこをどう見たらそうなるの?
>そう分けると孔明は総合タイプだな。

残念ながら現場指揮官としてはすこし劣る。緻密な作戦も、ちょっとした戦場の機微によって
どっちに転ぶかわからないが、その場合の応変の才については経験不足。折れ的には、孔
明の北伐で、兵糧を軽視したのが評価が下がる理由。
鳳統については自分が死んだら評価が下がるのは仕方がないが、孔明より戦場では柔軟そ
う。

折れとしては、鐘会の評価が高いのがいいな。実戦ではやっぱり落ちるけど、戦略家としては
凄いと思うぞ。

あと、陳平タイプ出してる人いるけど、陳平って特殊じゃね?まあ謀臣、軍師として賈く、郭嘉、
程いくも同タイプ。陸遜は・・・・・よくわからね。
>>174
まあ孔明が現場指揮官としては劣るのは認めるが、
この分類で行けば総合タイプでいいんじゃないか?
>>173
じゃあ逆に聞くけど、どこらへんが周ユの方が陸遜より優れていると思う?
どちらもレベルは高いが。

>>174
あの戦場で兵糧はキツイ。あの曹操でさえ駄目だった。
軽視した訳ではない。
むしろ孔明は兵糧に腐心した筈。
機動力を得るために兵站を捨てたのは姜維だな。
まあ、それに腐心してた孔明でさえ兵站が繋がらない事を嘆いてたんだから、
敢えて捨ててしまおうというのも分からなくはない。
178無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 12:34
>>122
快勝って、あんなん負けるほうがむずいよ。
孔明はパーしかだせなくて、中達はずっとチョキだしてたってだけ。
なんとかグーを出させようとがんばる孔明に鼻くそほじりながらチョキ出し続けてた中達。
まあ名前が一発で出るぶん孔明の勝ちだな。

ただ孔明は所詮凡才。
俺ならコールドスリープでも施して孫権が狂うまで待つけど。
179174:04/07/25 12:39
>>175

>>155の意図はしらんが、他の連中の顔ぶれ見ても中国史上の横綱クラスばっかりあげてるから、
孔明はそれよりは落ちるということじゃねえの?確かにどの連中も孔明以上の致命的敗北や窮地を
脱して帝国を一気に作ってしまった化け物みたいなヤシらだし、それには純軍事的才能も必要。
曹操と対峙しえたのも、孔明+法正+劉備+黄忠+張飛+馬超ということだし。一個の人間力として
そこまでの力があったか、と。

>>176

確かに輸送の難から速攻を仕掛けたが受け止められて兵糧難で撤退では、何をしているかわからな
い。それに蜀軍の性格上もともと恒久陣地を作って決戦するというのが本筋だから、初めから五丈原
方式を採るべきなのに、機動戦を挑んでは撃退されている。この辺りも実戦感覚がそれほどでも無か
った大きな証拠と思う。
>まあ名前が一発で出るぶん孔明の勝ちだな
みんな、こんな事があっていいのか。
蜀は山岳特殊部隊やスパイを大量に養成すればよかったね。
確かに。すでにゲリラ戦術も黄巾の乱で経験済みだったが。
183無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 12:58
じゃあ逆に聞くけど、どこらへんが周ユの方が陸遜より優れていると思う?
じゃなくてさー。陸遜>周喩と言える根拠は何なのと聞いてるの。
184無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 13:04
週湯 陸損

1文字合ってる分陸損の勝ち
>>179
蜀軍が撃退されたのは、第一次北伐だけだ。
あとは兵糧切れの撤退。

>>183
戦った相手かな。
>蜀軍が撃退されたのは、第一次北伐だけだ。

第二次もだ。魏延の策を今更持ち出したのかどうかわからないが、機動戦で速攻を仕掛けて
一気に長安を落とそうとして、陳倉を抜けなかった。この辺り、決定的な情報収集のミスと言え
る。
187無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 13:33
蜀軍が峨眉山で修行すれば最強だったよ
>>186
陳倉の固さを見くびっていたんだろうな。
どれくらい事前の情報収集で城の堅さや敵の戦意、指揮官の能力がわかるものなのかね。
その辺が分からないと、ミスかどうかは判断できないような気がするが。
190無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 17:12
赫昭の千足らずの守備を崩せなかったと言うことは、相当堅固に普請されたと考えられる。
それはとにかく見ればわかる規模の工事ではないだろうか。秘密工事だとしても、戦略の
中核部分だし、優秀な諜報部隊ならわかったはずだが。
>>190
包囲中に防御側が墓まで暴いて補修やら強化やらしていたような。

まあ急襲作戦というのは博打なので、外れることもある程度にしか個人的には思わんが。
192無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 17:50
個人的にはそうかもしれないけど、当時の蜀の兵や民にとってはそれでは
済まなかっただろうな。
193無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 17:59
もし蜀に韓信がいたら、蜀は魏を倒せただろうか?
可能性はあっただろうな。少なくとも蜀の桟道の険阻さは、当時の方が更に酷かっただろうし、
漢軍も溶けてしまいそうな状況から、それも封土といえば漢中のみ。それを半年で立て直して
関中に入り、連戦連勝。まあ反項羽の機運は大きかったとはいえ、現実に章邯らの将軍達は
大軍を擁していたのに。

一方の孔明も、緒戦でろう西緒郡は陥落寸前で、未だ魏の支配に服していたとは言えない状
態だから、どちらが有利とも言えない。むしろ純軍事的には韓信の方が不利かもしれない。

もちろん簫何、張良がいて後顧の憂いがなかった韓信と、それらも全て己一人で差配しなけ
ればならない孔明とでは精神的重圧感は比較にならないかもしれないが、こと軍事面に限っ
ては、韓信ならなんとでもしてしまったとおもわせるものはあるな。曹操や李世民なら怪しい
とは思うが。
>>193
無理だよ。武将の質が違い過ぎる。

それに時勢の流れが魏にあった訳だし。
項羽の作った国とは大違いだぞ。
蜀を勝たせられるだけの将軍……
孟[王共]くらいか?末期症状の南宋を只一人支えた男だし
>>175
孔明は軍の指揮をやってたけど、項羽タイプや劉邦タイプは明らかに当てはまっていないと思う。
軍を指揮したことだって、劉備が死んで将帥タイプがいなくなったから止む無く軍の指揮してだけだろうし…
劉備法正が生きていた頃の孔明が本業に徹している孔明だと思う。
198無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 20:57
天才か凡才かって言ったら、俺のイメージで言うと並じゃない凡才ってとこかな。
天才って何かひらめきや発想が普通じゃない人間のイメージなんだけど、
孔明はそういうタイプじゃないよね。
俺の中では、ぬかりが無く、仕事が速く、くそ真面目な「超しっかり者」ってイメージなんだよな。
天才はむしろ曹操。
>>198
内政に関しても、細かいとこまで行き届いてるように見えるけど、
なるほどそれもしっかり者の秀才だから、といえるな。
>>198
むしろ、孔明はひらめきや発想が普通じゃない人間じゃないか?

逆にそれらに頼り過ぎて経験が少なかった・・・そんな感じ。
201無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 21:07
司馬懿=アカギ
孔明=偽アカギ

戦場に於いての場合ね
リスクが見えすぎて勝負できない
202無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 21:11
孔明は人間じゃないのか・・・・
203無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 21:13
アカギってあの麻雀のアカギですか!
204無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 21:14
しゃくれのアカギ
>>200
けど、これといった閃きも発想も無いよ。
>>205
初心者は帰れ
207無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 21:23
凡才には圧倒的な強さの孔明
だが、天才・秀才にたいしては・・・・
>>207
誰が凡才で、誰が天才・秀才なんだよ。
209無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 21:33
だから、最強軍師軍は魏だろ?
陸抗あたりが天才タイプみたいなこと何かの三国志の本に書いてたな。
その本では陸抗>陸遜だったが。
何でも、戦術展開の仕方が常人の発想を超えてるとか何とかうろ覚え。
211無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 21:37
確かに孔明は優秀な官僚っぽいところを感じてしまうな。

いや、凡人からすれば十分天才の範疇に入るんだろうが、時代の息吹をもっとも
理解していた曹操からすればまだ凡人っぽいw

やはり実戦司令官としての経験不足だろうね。沢山場数踏んでたらそれも変わっ
ていたかもしれないが、司馬懿やケ艾といった突出した軍オタと渡り合えるかと言え
ばかなり苦しい。司馬懿だって魏軍の機動要撃という基本戦術を捨ててまで持久
戦策を採ったのはやはり応変の才だし。

まあ孔明は孔明で、義なき乱世に後の大義名分論にもつながる漢室復興の旗を
あげて出師の表を残した人物だし、時代を代表するインテリなのは間違いないと
思うよ。孔明こそ治世の能臣だね。
>>211
>司馬懿だって魏軍の機動要撃という基本戦術を捨ててまで持久
>戦策を採ったのはやはり応変の才だし。

司馬懿は第4次北伐で孔明にこっぴどくにやられたから戦いをしなくなったに過ぎない。
勝てない戦ならやらなければいい、兵法の初歩だ。
司馬懿は天才タイプとは違うと思う。優秀で、リアリストとして
徹底した分だけ時代の勝利者になった感じだ。

この時代の天才は、月並みな意見だけど曹操だろうな。
しかも多才だし。孔明には詩を嗜むような精神的余裕はなかったし、
人間として生を楽しんだ感じのある曹操はなんか別格だな。

蜀において唯一人生を楽しんだように見える人間は劉禅かな。
陸抗が天才かぁ……
西陵の戦いは確かに神レベルの戦術を展開してるな
あくまでも城に戦線を基本に置いてるんだっけ?基本から発して常識を越えたイメージがするな>陸抗
彼、病弱で、陸遜の息子っていう看板と、瓦解し続ける呉を一人支えたから、天才ってイメージを感じさせるにはピッタシだが
215無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 21:58
まーそうだね。攻める側と守る側の立場の違いもあるかもしれないけど。
でもなんで魏はいつも受けの立場をとってたのかな?さっさと攻めればい
いのに。
216一応九州王朝説:04/07/25 21:59
>>212

そうではない。国是とも言える曹操の熟成した戦術を捨てるためには、将軍達の
強烈な抗議を押さえねばならない、そこまでするぐらいなら、大軍を展開すれば
いい、というイージーな方向に流れなかったのは大変な意志の力である。もともと
軍人ではないし。要するに持久策、待機策は当初からの計画通りだろう。

それに、第4次北伐の時も、それが押さえきれなかったためにある程度わざと負け
たのでは無いかとも言われているな。張コウという曹軍のシンボルまで無理に追撃さ
せて撃たれたり。
仲達ならそれぐらいやりそうな男なのは間違いないと思うが、どうだろうか。
>>212
違うよ。
負ける前から、最初から戦いを回避してたし、
皇帝からも防御に徹するよう命令されてた。
>>206
なんで初心者扱いするんだ?
諸葛亮=凡才ってのは、ある意味諸葛亮を褒めてるんだよな・・・。
220無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 22:08
孟達・街亭・公孫・曹爽
勝負するときは一気にいくよ司馬懿は
孔明にそれできる?
>>216
>第4次北伐の時も、それが押さえきれなかったためにある程度わざと負け
>たのでは無いかとも言われているな。張コウという曹軍のシンボルまで無理に追撃さ
>せて撃たれたり。
>仲達ならそれぐらいやりそうな男なのは間違いないと思うが、どうだろうか。
それは俗説だろ。司馬懿の後半のイメージで語り過ぎだと思う。

>>217
回避してたのに何故あんなに被害が出たのか?
何故防御に徹するんだ?考えてみれば判るだろ?
直接やりあったら司馬懿では勝てないんだよ。

本当に司馬懿が孔明より戦が上手なら蜀軍を破るのは造作もないこと。
戦力が桁違いなんだから。
諸葛亮にサプリメントを差し上げたい
>>220
そりゃ、そんだけの戦力差があればな、失敗も怖くないだろ。

それに街亭は関係ない。
まあ諸葛亮は大博打に打って出るわけには行かない立場にあるしな
>>221
あのさ〜
魏からすれば戦っても一利も無いの。
戦わなければ、どうせ蜀軍は撤退するのは分かってたのだから、
それが一兵も失わずにすむ、最善の勝ち方なの。
戦って勝つことばかりが勝利じゃないの。

あと司馬懿が負けた時、実際に蜀軍で戦ってたのは魏延達。
>>225
>あと司馬懿が負けた時、実際に蜀軍で戦ってたのは魏延達。
諸葛亮の指揮のもと、として良いんじゃないか?
総司令官は諸葛亮なんだから。
少なくとも撤退戦では強いよ、諸葛亮は。
>>226
それだと、第一次北伐は孔明の敗戦でいいだよな?
>>226
そりゃ、追撃してくるのは魏の防衛部隊のさらに一部だけだしね。
>>225
本当に魏から攻めなかったと思ってんならめでたい奴だな。
第3次北伐では端っことはいえ、領土を奪われているんだよ。魏は。
国内の批判からしても報復しようとするのは当たり前。
事実、第3次の直後には魏から攻めようとしたらしい。長雨で流れたらしいが。

勝てる戦なら勝つ方がいい。勝てば蜀にとっては致命的なダメージだぞ。

>>227
誰がみてもそうだろう。自身責任取って降格しているんだし。
>>228
雑魚ばっかりだったな。
>>228
追撃してくるってことは、向こうが勝てると思って来るんだろ?
231無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 22:37
>221
225とかぶるんだけど戦ってる立場が違う
大体司馬ィは何しにあそこに来たのさ?
防げばいいだけあえてリスク犯す必要はないし

仮にあそこで無理矢理戦い挑んでいたら司令官失格
>>231
じゃあ第4次で戦ってしまった司馬懿は司令官失格だな。
233司馬懿:04/07/25 22:43
ムシャクシャして戦(や)った
誰でもよかった、まさか負けるとは思わなかった。
今は反省している、これからは国の為になる事をしたい。
迷惑をかけたけど、これからもよろしく。
さっきから妙な揚げ足取りがいるな
>>229
蜀を攻め滅ぼすために攻勢に出ようとすることと、攻めて来た蜀軍を撃退するための戦術はまったく別物だよ。
>>225で言ってるのは、あくまで防衛のための戦術のことね。
あと、武都・陰平失陥しても、明帝は特に気にしてないのか、司馬懿に防禦して戦わないように命令してます。
>>230
張コウは「包囲した城には逃げ道を作っておき、帰ってゆく敵を追撃してはいけない」といって追撃に反対したけど。
張コウはその人生経験から、逃げる敵は恐ろしい力を発揮することを知ってたんだろうな。
>>232
あれは魏平やカクがうるさかったから。
こんな雑魚が蜀最強軍と戦ってもねえ…
>>236
結局、仲達がゴリ押しして追撃させたんだっけ?
ずっと守ってた司馬懿が、最後に一応は戦ったという
姿勢だけでも見せようとしたんだろうか。
>>237
蜀最強軍・・・?

>>238
第4次だけは普通に戦った筈だが。
>>239
正史には記されてないんじゃなかった?
241無名武将@お腹せっぷく:04/07/26 00:06
退却戦は難しいんじゃなかったっけ?三国志の世界では追撃する側が痛い目
を見るのが当たり前みたいだけど。
>>241
難しいよ。
陣を引き払って、安全な場所まで後退するのを、
敵が臨戦態勢で待ち構えてる中でやらなきゃならないから。
けど236にあるように
むやみに敵を追撃することを兵法では戒めてるようだが。
でも追撃して敵を散々に打ち破った、ていう記述も正史には数多く見える
囲師は周する事なかれ、というのはよく出てくるな。
西洋では「黄金の橋を与えよ」と言うらしいが。

ただ、戦闘の目的は決定的な勝利によって、敵国を戦争継続が不可能な状態にさせる事だから、
追撃によって戦果が拡大できそうな状況ならばした方がいい。
それは当たり前。追撃の成功率0%だったら追撃なんて概念すらないだろ。
要は状況次第。
諸葛亮の撤退は、打ち破られてからの撤退ではないのだから、
比較的楽な撤退だったのだろうな。だから張コウは警戒した。
>>246>>244宛て
>>241
戦術とかを抜きにしても
どうしても逃げる側は士気が下がるし、
追い討ちをかける側は勢いとかがあるからな。
群集心理として追われてるって立場だと
指揮系統も不安定になるし、混乱状態に陥りやすい。
予定調和な退却だったらそうでもないんだろうけど。
>>248
そうとも限らないんじゃないか?
逃げるほうは必死になり、追うほうは勝ち戦だから油断がある。
すくなくとも、追うほうは命がけで戦う気は無くなってるだろう。
250無名武将@お腹せっぷく:04/07/26 00:43
命がけで戦われないように逃げ道を空けるって話だろ?
命がけで戦うんじゃなくて命がけで逃げるように仕向ける。
指揮官の自主的戦闘中止による撤退ではなく、部隊が恐慌状態に陥った末の潰走なら追撃は容易いと思う。

敵に退路を与えておき、恐慌状態に陥った兵がそこに殺到するように仕向ければ、
命がけで戦うとか戦わないとかではなく、敵は逃げるのに必死になる。
そこを追撃すれば容易に敵を撃滅できるんじゃないか?
追撃側、撤退側というスタンスの問題というより、
死兵になれているかどうかの問題では?
張遼が合肥で撤退する呉軍を追撃してボコった例もあるし。
253249:04/07/26 00:54
>>250
いや、だから少なくとも追う方が命がけでは戦わないと言ってるんですぜ。
罠でない限り退却側が不利なのには変わりないって感じだな。
まあ諸葛亮は、その罠を張ってたわけだな。
>>252
あれは敵の虚を突く形になったんじゃないか?
張遼は寡兵、対する孫権は大軍だったわけで、孫権も追撃をかけてくるとは思わず、
あまり備えもしてなかったとか?
態勢の整ってない状態なら、死兵云々の前に戦える状態になってないから、追撃も可能だと思う。
まあ、優れた将ならどんな時でも警戒は怠らないだろうけど。
>>254
だから状況次第だってばさ。
どちらのが有利とは一概に言えないの。
劉備、諸葛亮、姜維と、蜀の歴代前線指揮官は、皆撤退は上手いよな。
劉備と姜維の、勝てないと判断して撤退に移る時の早さはかなりのもんだし、
諸葛亮は撤退自体が敵を招く罠になり得るしな。
蜀のような国にとっては撤退戦が弱いと致命傷なんだよ
負けるのに慣れてるしな。
引き際の見極めで将器が伺いしれますな
まあ勝つに越したこと無いが。
多数の損害を受けながら整然と撤退できる場合もあれば、僅かな損害で軍が崩壊する場合もある。
将の統率力はそんな所でも判断できそうだな。
優勢にあり、勢いに乗ってる部隊を統率するのは、無能じゃなければある程度はできるだろうが、
劣勢に立たされ、崩壊寸前の部隊を押し止めるのは並の統率力じゃできないよな。
まったく、うちの連中は逃げる真似ばかり上手くなって。
>>265
勝てるだけの条件が整わないから…(ノД`)
>>265
確かに、政権を乗っ取れるのに乗っ取らない諸葛亮はヤンのようにも見えるし
戦争したがる姜維はアッテンボローにも見えるな
ここ数レスの孔明マンセーっぷりは気持ち悪いな。
街道をバリケード封鎖するだけの用兵に馬謖を起用すること自体が無意味だったよな。
それこそ王平が適任だったと思うが。それに、すねた魏延にやる気を出させることも出
来た。

やはりこのあたり策士策に溺れる感じで、戦場でのリアリズムが希薄だったんだろうな。
確実性が最も大事なのに。

もしこのときに長安まで進撃して関中まで占領すれば、間違いなく名将No1だったと思
うが。
>>268
孔明をマンセーするのって彼の能力を考えれば別におかしい事じゃないし。

>>269
馬謖を起用した事は完全なミスだな。王平を付けた事は正解だったが。
>>268
妙な揚げ足とりの馬鹿がいるからだよ
>>268
>>270
>>271
自演乙
そうか・・もう夏休みか・・・
人に自演って言う人間は、
普段から自分が自作自演してるからだものな
馬謖に王平を付けたところが面白いな。
諸葛亮もそれなりの配慮はしてたんだけど、
馬謖が想像を絶するバカだったと。
>>192
それが不思議なくらい諸葛亮は民に慕われているんだな。
祠建てて祀りたいと民衆の側から申し出があったりな。
普通法家は嫌われるんだが、民に愛される法家という点で諸葛亮は非凡だな。
>275
なんで周囲の推す魏延や呉懿を使わなかったかが疑問だよなぁ。
配慮は結構見事だったのに。

>275
なんで周囲の推す魏延や呉懿を使わなかったかが疑問だよなぁ。
配慮は結構見事だったのに。
279277:04/07/26 11:12
二重スマソ……。
まあ誰しも失敗はするものだ。
曹操も本拠地を親友や部下に奪われかけてるし、
孫権は司令官人事は見事だが後継者問題で拗れてる。

後継者人事や大きな政略、戦略ミスがなければそう悪くなかろう。
孫権はボケたんだろうな、きっと。
陸遜も浮かばれまい・・・。
>>280
曹操って若い頃結構ぼろくそに負けてるよな。
>>277-278
魏延や呉懿では役不足(本来の意味で)じゃないか?
孔明て北伐が実質的な初陣だっけ?
>>284
地方の征圧とかを除けば、初陣だと思う。
じゃあ、もしかして孔明は自分を基準に馬謖を計っちゃったのかな?
孔明は理屈や理論だけであそこまでやっちゃった人だから、
馬謖を口先だけの男だとは見抜けなかったとか。
経験を積んで強くなるタイプの人間ならば
馬謖みたいなタイプは絶対に重用しないだろうと思…あ、それで
劉備は馬謖を不安視していたのかも。
287無名武将@お腹せっぷく:04/07/26 13:01
王平の身分じゃ軍を任せられんだろ
別に王平にこだわる必要もなし
>>286
あちこちで言われていることだけど馬謖は趙括タイプの人間だし
諸葛亮ほどの博学なら、そのことに気づかないとは思えない。
ましてや劉備の言葉もあったのにね。

・・・といったものの、やっぱり後付で言える立場と違い
当事者になると見えないものがでてくるんだろうか。
命令違反までは予測できんだろう。
きちんと指示を出してそれを守らせることで経験と実績を詰ませる。
副将に叩き上げを付ける。そう間違ったことをやっているとは思えん。

どのみち、長安を陥として維持するのは魏に深刻な内部問題でも起こらない限り無理だろう。
魏すら漢中を保持できなかったんだ。
漢中−長安ラインの維持を自国より強力な国相手に行うなんて不可能。



街亭の敗北より人を見る目があったはずの劉備の夷陵で大敗北の方がよほど蜀に深刻な打撃を与えてる。
>人を見る目があったはずの劉備
人を見る目があったら刑州をああいう形で奪われることはなかったんじゃ…
最善の選択が最良の結果を生むとは限らない
>>291
劉備の人を見る目以上に孫権に人を見る目があったのです。
>>293
合肥を落とせなかったので、曹操の人を見る目>孫権の人を見る目。
漢中を攻略したので、劉備の人を見る目>曹操の人を見る目、と。
>>294
いや、中原から劉備を駆逐したので、
曹操の人を見る目>劉備の人を見る目
ということで。
296無名武将@お腹せっぷく:04/07/26 19:35
最後に笑ったので、
司馬炎の人を見る目>>>他
ってことで
流石にそれは面白くもなんともないなあ…
いい加減気づけよ。
馬謖に勝たせて魏延などのうるさい古参の実戦派以外に子飼いの将軍を作りたかったん
だろうが・・・・・。戦争は生き物であって、そんな簡単にその空気が読めるようになるはずが
ないわけだが、自分自身もうまくいきすぎたので、楽観しすぎたんだろうな。

確かに人事としてはサプライズだが、将軍達の驚きは「そりゃむちゃだろ?」っていう、至極
当然の反応だろうし。どちらかというと堅実で緻密な戦略を立ててきた孔明がなんでそんな
危ない橋を渡ったのか、やっぱりよくわからないな。

もしかして、魏延とかが孔明を亡き者にして、魏に寝返るとかの計画があったのかも・・・。
>>299
>もしかして、魏延とかが孔明を亡き者にして、魏に寝返るとかの計画があったのかも・・・。

そんな計画があったらそれこそ処断するだろうさ。
法家思想で統治してる諸葛亮が反逆に対してまだるこしい策を取るとは到底思えないな。
兵法に通じている曹操もとんでもないヘボして大敗する。
人間だから失敗することもあるだろうさ。
その後の処置とその影響が重要なんだが、故事成語のネタになるほど印象的な対処をして、
威令が衰えないところが甥っ子とは大違いだな。
302無名武将@お腹せっぷく:04/07/26 20:40
姜維という孔明後継者候補が登場
馬謖は追いつめられ焦っていた
フォローナシで人の心がわからない孔明の責任
捕虜になったばかりの、まだ何者でもない姜維に対して焦るわけないだろ。
劉備以外じゃ大粒の武将は揃わなかった(勿論諸葛亮も)
諸葛亮じゃなきゃあと15〜20年は早く滅んだ
という事でこの2人が揃って凄かったでイインジャナイ?
あれだけの国力差であれだけ追い詰めたって事が凄い

と素人目の意見・・・
大体姜維が後継者なわけがない。
やることなすことすべて孔明と正反対。戦術もな。
>>305
姜維が北伐で諸葛亮と同様の手段を用いても結果は大差ないぞ。
むしろ動員兵力で劣る以上、正攻法では魏が大軍を動員した場合に抗しようもない。

だから兵站の維持よりも侵攻速度を優先したという見方もできる。

>戦術もな

が具体的な戦闘を指してるのか、作戦を指してるのかはわからんけど、
後者なら戦術とはいわないと思われ。
いや、俺も正反対だと思う。
孔明の後継者ってのは蜀漢という国のトップに立つ事だ。

姜維はそれが判っていなかった。
308無名武将@お腹せっぷく:04/07/26 21:32
おまえら、馬鹿じゃないの?孔明を知っていて、そんなこと言っているのかよ?プッ

横山光輝の三国志一度読んでみろって。

どれだけ天才だったか分かるからさ。

まあ60巻もあるから、おまえらみたいな馬鹿には読みきれないかもな。

まあ、もぐりの駆け出しは黙っていろ。

↑は無視しる
>>308
まあ釣りだろうけど。

正史も演義もひっくるめて三国志だもんな。
そういった意味では、
1800年ぐらい昔の話が事実かそうでないかなんて凄く小さい事なのかもしれない。
>>310
史料批判とか文献学とかとは縁遠い思想だな。
>>311
310じゃないけどさ
そういうのを突き詰めても結局辿り着くところはスタート地点な気がする
>>312
歴史学の基礎はそれだぞ。
小説書くつもりなら別だが。
さりげなく>>307が核心をついているような気がするな。
ただ、姜維が諸葛亮みたく実質トップに立っても、
清廉な独裁は行えないだろうし、下の反感も凄そう。
基盤・実力共に諸葛亮>姜維が成り立っているな
姜維に諸葛亮と同じことを求めるのは酷だけどな
しかし、だったら姜維はどうすれば良かったんだろうねぇ
姜維は順当人事でバツをくらった感がある。
費イが横死しない場合や、半ば折衷案で遠征に割く軍資を増やすなどできていれば、
間違っても後背地からの支援はアテにできた気がする。
もっと国内での地盤を固めてから行動すべきだったな。
319無名武将@お腹せっぷく:04/07/26 22:55
そうそう。ふつーに我慢すればよかった。とてもじゃないが、魏としても簡単に攻められる
土地ではないから、もっとしっかりと関中奪取までの戦略を丁寧に立てて、じっと出動の
機会を待ち続けるのが漢。
ただ、そうなると何もしていないように見える姜維の立場が弱くなる可能性があるだろうな
>>320
国を破綻させてまでして、戦争で功績をあげないと国内での立場が
弱くなるような状態なら、もう潔く隠居すればよい。
軍を動かして損害を蒙るならそのほうがいいだろ。

「他人を殺すなら自分が死ぬべきだ」と又吉イエスも言ってます。
322中原中也:04/07/26 23:13
愛するものが死んだ時には、. 自殺しなけあなりません。
マジレスすると、孔明が内政従事型だったら、
孔明の死後、蜀は天下統一。
一行目と二行目の因果関係をはっきり書け。
それ以前に劉禅がちゃんとてたらある程度なんとかなった
ちゃんとしてたら

のみす
劉禅はある意味上手くやっていたと思う。
豪族に乗っ取られることなく、豪族を弾圧することなく、
ただ内部の単純な腐敗と、戦争による疲弊で、普通に滅ぶ
なんて、三国時代に普通にできるのは凄いことだよ
良いことも悪いこともしてない
劉禅は良くも悪くも部下に死力を尽くさせる不思議な人徳を持ってると思う。
人徳はないだろう。
孔明は劉備の末裔であれば劉禅じゃなくても尽力を尽くしただろうし、
姜維は個人的な事情から必死だっただけだし。
別に劉禅に忠誠誓ってたのその2人だけじゃないし…
姜維は劉禅を慕ってたかもしれないぞ。
普通、忠誠を誓っていない相手の為に、命を賭してまでクーデターなんて起こすか?
姜維が野心家だったかも知れない。
>>333
クーデター起こすなら劉禅時代の方が遥かに簡単だったと思うなあ。
諸葛亮にも同じ事が言える。でも二人ともしなかった。
劉禅も二人を警戒していたふしがない。>>329が言いたいのもその辺りでは?
単なる野心家だったら鍾会の話に乗るだけでも良いんじゃないか?
それを、鍾会をそそのかし反乱を起こさせ、騒乱状態の中魏の将兵を誅殺し、
その後に鍾会も殺して劉禅を招き蜀を復興するなんて真似はする必要が無いと思うが。
>>355
大義名分がいるからじゃない? 蜀の地を支配するには。
姜維は政治力が不足してたね。
黄皓の方が十枚くらい上手。
>単なる野心家だったら鍾会の話に乗るだけでも良いんじゃないか?
鍾会がそんなに信用できる相手か?
鍾会は長期間協力関係を結べるような相手ではないよ。
劉禅のためじゃなくて蜀の為、劉備の為が9割だと思うけど
姜維は軍人な上によそ者だから野心を持ってもクーデターは起こせないだろ。
だから政略と人脈に明るいパートナーが必要だったんだよ。
>>339
孔明はともかく、孔明以降の人たちと蜀人にはそこまで劉備に義理は無いよ。
むしろ戦乱を持ち込んだ疫病神に近い存在かと。
いつも思うんだけど、
>よそ者だから
ここが疑問。
周囲から猜疑心を持たれていたら、そもそもあんな出世は無理じゃ…。
猜疑心は持たれてないだろうけど、人脈は無いんじゃないかな。<よそ者だから
>>342
裏切るとかの視点じゃなく、蜀の派閥としてみれば少し変わるかも。

益州派と荊州派が中心の蜀だから逆にどちらにも属さない(と思われる)
姜維は逆に人事のバランスとしてありうるんじゃない?
質素な生活で満足していたような人間に、そんなに大きな野心があったのか?
曹操も倹約家で私生活は質素だったらしいが…
>>345-346
後付けの記述かもしれないが、人を引き付ける手段では。
自軍の一兵卒の妻子の顔に至るまで記憶するとか、負傷兵の傷口を吸うといったことに
通じるやり方かも。自分だったらそういう上司には付いていきたいね。
郤正によると、姜維の場合は倹約家というより、単に財貨や豪奢な生活に興味がなっただけらしいが。
贅沢するわけでもなく、倹約するわけでもない。
貰った物は全て使い果たし、蓄えるわけでもなければ多くを求めるわけでもない。

倹約家とは別なものに思える。
>貰った物は全て使い果たし

浪費家ということか。
350無名武将@お腹せっぷく:04/07/27 01:51
そもそも馬謖を何で死刑にしたんだろ。
命令に背いたにしても最前線に出た将が後方と作戦を違えるのは良くあること。
具体的にどのような命令に違反したのかが不明(「山に登る=命令違反」云々は正史になし)。
負け戦で死刑なんていったらきりがないしだし、ましてや相手は張β

スケープゴートにした以外の意味が感じられない。
>>349
浪費家ってより江戸っ子気質みたいな感じっぽい。
宵越しの(ryか?
金銭には無計画なわけですな。
>>348
何に使ったにもよるよな。
恩賞は全て部下に与えたとかだと模範的。
355無名武将@お腹せっぷく:04/07/27 02:25
恩賞もらったことあるの?てゆーか三国時代の家臣は土地が給料?お金が
給料?
>>354
多分、その方向だけど思うけど不思議と記録に残っていないね。
若い頃の董卓ですらもらったものを部下に全部ばら撒きって話があるのに。

案外、孔明の立場からいうと部下絡みの美談が生じないように
気を配っていたしていたのかもしれない。
彼の性格なら臣下として自分のカリスマ性が上がりすぎるのを避けそう。
>>350
諸葛亮傳では確かにこれだけだな。
>謖違亮節度

向朗の所には馬謖が逃亡したのを向朗が黙認したとの記述があるがな。
逃亡したら、そりゃ死罪だろ、と思うんだがね。
劉封を生かしてたらどうなってたかな
それこそ後継争いの火種になっただろう。
劉封が君主になってたら
血の繋がった息子が居るのに、
養子を後継ぎにするってのはアリなのか?
つうかそのためにん難癖つけて殺してしまったとも言われるがな。
あのときは孟達が悪いんであって、劉封はどうしようもなかった罠
劉封自身の能力は割と良かったっぽい
ペルシャの王だな戦争好きで贅沢に興味がない
飢え過ぎ献身は?
衰弱か過労で死ぬな
>>356
それだったら、彼に殉じた配下がいるんじゃないか?
それとも、それだけ気をつかっても配下からたいして慕われないほど人望薄だったか。

ただ、356氏は姜維を美談の主にしようとしすぎてるような気がするなあ…
孔明が蜀を取ればもしかしたら滅びる事はなかったかもしれん。
劉備に劉禅を託された時、孔明が取っても誰も不満はなかっただろう。
それをしなかった事が孔明の甘さであるし、「義の人」と慕われた
人徳でもある。劉備という人は自分の息子より国の事を案ずる
人だから、実は孔明に譲るつもりだったのではないか?
しかし孔明の性格上必ず断るだろうし劉禅を託すのが精一杯だった
と思われる。しかし劉禅は孔明の死後・・・・・・・・・・・・
>孔明が蜀を取れば

諸葛亮が死んだところで終わり。
もしくは、彼が直接指名した後継者が死んだところで後継者争いが勃発して終わり。
>>368
遺勅にある「劉禅に問題あるなら云々」ってのは、諸葛亮を信用したうえで
ありえないと判断し、更に自身の威光も考慮したパフォーマンスみたいなもの。
たしかにそこまで遺言した皇帝はいないし、仮にも口にした劉備は偉大だけど、

>劉備に劉禅を託された時、孔明が取っても誰も不満はなかっただろう

なんてのはとんでもない。
実際に諸葛亮が帝位に即こうものなら不忠者やら簒奪者と指弾されるのがオチ。
古代の中国ってのは言葉うえでえてしてそういったいやらしさがあるもの。

つうか俺、ネタに釣られた?
漢王朝の復興が蜀の大義なんだから、劉禅を廃しちゃったら大義名分がなくなるべ。
蜀を取るって簒奪じゃなくて、政権を取って劉禅を飾り同然にする事じゃないの?
流石に廃帝は無茶っしょ
疑い深い専門家は、実力と基盤を持った諸葛亮を恐れた劉備が、
諸葛亮の純情さを利用して牽制した、なんて考えてるくらいだからね。
とても簒奪後が上手くいくとは思わないが、簒奪することは可能だろう。
>>367
>>356は姜維ではなく孔明の事を言ってるように思えるのは気のせいか?
それと、姜維は秘密裏にクーデターを起こそうとしてたんだから、
人望以前に姜維に殉じるなんて無理じゃないか?
秘密裏のクーデターを共に謀れる仲間or部下すらもてなかったと言う事では?<人望薄
同郷やら同姓やらの繋がりが深い世界で、
共謀できる同士なんてできるかねぇ普通。
張松や法正らが共謀した例はあるけどな。
何が普通で何が普通じゃないかわからんよ。
最初からクーデターを狙ってたわけじゃなく、鍾会の叛意を見抜いてからの事だからなあ。
蜀の人間は結構な人数が洛陽に護送される事になってたんだから、
鍾会に面会した後で他の人物と共謀ってのも難しいんじゃないか?
379356:04/07/27 19:17
>>367
ごめん。>>348の主題の人物を、姜維ではなく孔明と勘違いしてました。
よって>>356の文章は孔明に関してのみの推測です。
>>378
蜀の人は結構残ってたよ。
皇帝ですら残されてるし。
381無名武将@お腹せっぷく:04/07/27 19:45
>>373
同感だ。
恐らく簒奪はできる。
しかも当時の情勢をみれば、たとえ多少反乱が起こっても、
孟穫を平定するように、鎮圧できると思う。

ただ、以降千年ボロクソに言われることも確実。
そして三国演義も出てこない。
382無名武将@お腹せっぷく:04/07/27 19:48
簒奪なんて無理に決まってる。孔明がポリシー放棄した時点で誰もついてこねえよ。

それに、遠征軍や漢中軍なんとかなったって、成都落としていろいろ処刑もして、やっと。

そこまでに誰かに寝首取られて終わりだろw
383無名武将@お腹せっぷく:04/07/27 19:51
無理だからこそ諸葛亮は実行しなかった。
と考えるならばヤツは十分に野心家であった。
>>380
いや、クーデターが露見した時に蜀に残っていた残っていないじゃなくて、
鍾会がどのタイミングでクーデターを起こすか分からないし、
蜀の人間がどのタイミングで護送されるか分からない状況では
共謀は難しいんじゃないかって事。

劉禅が洛陽に行ってからじゃ遅すぎるから、それまでに鍾会をそそのかし、
クーデターを起こさせようとはしてたろうけど。

それにこういう事は、知ってる人間が増えると、事が露見しやすくなるから、
それを危惧していたのかもしれない。
>>383
ageで妄想垂れ流すな。せめてsageろ。
>>384
いや、さすがにその考えは無理あるかと…
姜維に人望あれば、蜀内で孤立してなかったはず。
人望があるほうとはいえない、というレベルでいいかと。
鍾会も自らの独立の為に姜維を取り込み利用しようとしたし、
姜維もそれを逆手にとって蜀復興を果たすために上辺だけ味方なふりをした。

こんな両者とも相手を利用しようとしか考えてない二人の謀が成功なんてするわけ
ないよな。まあ実際は事が始まる前に頓挫しただけなんだが。
蜀がすでにぼろぼろだしなあ。
一旦降伏した後、もう一度戦うことを指示するかと言えばしないような気がする。
歴史の流れ、民意に背いた企てだから失敗するのも当然だな。
論文を発表して姜維の弁護をするぐらいだから、郤正からは尊敬されてたろうし、
来忠や尚充は姜維に心服してたんじゃないの?
ただ中央の人間の多くとは、考え方の違いから軋轢は生じてたろうな。

あと鍾会の態度を見ると、取り込もうとしていたと言うより、
本気で惚れ込んでたように感じるんだが。
>>389
蜀の人が姜維を弁護しなかったら、
弁護できないような奴に大将軍を任せてたお前らは何なの?ということになるよ。
本当に尊敬してたら、蜀滅亡前からリスペクトしてると思う。
>>390
郤正の文章は本当に尊敬したように感じるぞ



まあ本の受け売りだけど、そういう建前的な文章ではないと思う
最近孔明叩きが多いけどさ
なんだかんだですごかったって思うよ
実際孔明が出てきてから劉備軍は飛躍的に領土を増やしたし
天下三分だって劉備に言ったし
どの程度すごかったんだろうね。


1.全人類で比肩するものがいない

2.三国時代で比肩するものがいない

3.当時の傑物、曹操と同じくらい

4.曹操には劣るが、臣下レベルで比肩するものはいない

5.荀ケ・陸遜・司馬懿のような才能ある大臣たちと同じくらい

6.それ以下


演義だと1だけど。
>393
演義だと1正史だと5かな?なにしろ演義だと知らない事は
何1つないからねえ
まあ正史でもべた褒めされてるからなぁ。
魏に居れば魏の大臣なんかと比較にならん、とか書かれてるし(これ注釈だっけ?)
>>395
注釈というか斐松之の意見だな
>>395
まあそれはちょっと言いすぎだろうが・・・。
演義では超能力者だからなw

縮地の法とか初めから使えよとか。
>>393
5に一票

>>395
斐松之曰く

「司馬懿や陳グンが対抗できる相手ではない。ましてや他のものにいたっては問題にならない」

とのこと。
さすがに言いすぎだろうが、何故直接対決のない陳グンの名を出したのだろう?
400無名武将@お腹せっぷく:04/07/27 22:28
>393
俺も5に一票。

>399
大臣としての比較でしょ。
陳グンは魏の首席閣僚だったから。
401無名武将@お腹せっぷく:04/07/27 22:28
まあビームが撃てるのは彼だけですよ
>>399
宰相ってことでじゃないか?
>>393
5に一票。
実際、孔明は戦略・戦術・政治・家柄・人徳・魅力など
何一つとしてライバルを圧倒するものを持っていない。
だが、全てを持ち合わせていたのか、無理に絞り出されたのかして
広範囲な分野で能力を見せつけた。
まさに、偉大なる凡人ではないだろうか?
ただ戦に関しては5でいいけど、政治面に於いては
文句無く1か2でしょ?殆ど1人で内政。外政を仕切って
文字通り蜀を支え続けたんだから。
おそらく世界見渡してもこれだけ全実権を握り全て自分で
完璧にこなした政治家はいない。
>>405
世界狭すぎ
407無名武将@お腹せっぷく:04/07/27 23:50
>>404

おまいの意見も404だw

戦略は大規模かつ緻密、しかも正確。地勢の理解、行軍の諸問題、兵士の志気、後方の安全
など、軍隊の運用は総合的知識・能力がないと無理。
政治でも一流なのは、領民が多くの兵士=肉親を失ったにもかかわらず怨嗟の声を遙かに上
まわる恋慕の気持ちが今に至るまで続いている。
魅力なしにそんなことにはならないだろうし。

家柄は、妻が荊州の名家。自身も諸葛という名族の末であり、問題ない。まあ、1万戸の大人と
かいうわけではないがw

偉大なる凡人というのは吉川英治だっけ?でも、それは違うだろう、明らかに。第一次北伐だけ
見ても、その知性と洞察力、実行力には瞠目すべきものがある。

ただ、軍事面での能力と判断についての経験不足というだけだ。それが決定的だったのだがw
ツッコミ入れたいところがちらちらあるが、
とりあえず、w使うなよ。ウザい。
それはない
もっと中国史だけでも学んでみることだ
この板的には、秘本三国志の作者、陳舜臣の小説十八史略や中国五千年とか、良い本があるから
寛大にすると畏れられ厳しくすると愛された漢だっけ?
>>409>>405にたいしてな
>政治でも一流なのは、領民が多くの兵士=肉親を失ったにもかかわらず怨嗟の声を遙かに上
まわる恋慕の気持ちが今に至るまで続いている。

お前・・・痛々しすぎるぞ
413無名武将@お腹せっぷく:04/07/28 00:00
戦術と実戦指揮は疑問・・・・
家柄は・・・・兄が呉の重臣、いとこも魏の重臣だっけ合格かな
>>405
あの表は政治軍事人間力とかひっくるめた上でどこにランクされるか、という
つもりで作ったんだけど、そうすると3か4ってことか?
俺としてはみんな5を選んでるようなので以外だった。
405はネタだと思うことにしとこう。
まさか本気ではあるまい。
>>412
怨嗟の声が生み出されるレベルの大敗もしてないはずだしな。
袁紹なんて、曹操との戦いで何万(官渡だけで7万以上)もの兵士を死なせたけど、民衆の中には後々まで袁紹の治世を支持する者も多くて反乱が起きてたらしいし。
417無名武将@お腹せっぷく:04/07/28 01:24
てか自国に自国の国力数分の一の国が自軍の数分の一の軍勢で攻め寄せてきた将に
1度も大勝できない時点で魏の首脳が相当無能か孔明がめちゃめちゃ優秀だという証明
本来なら国力的に旧日本軍がアメリカに負けたのと同じくらいの結果が出るのが当然
またこの話か・・・
419無名武将@お腹せっぷく:04/07/28 01:29
大日本帝国とアメリカには公孫淵と魏くらいの開きがあった。蜀とは比較にならん。
実際どれくらい兵力差あったんだろ?
魏は呉や異民族対策にも結構な兵力割かなきゃならないだろうし
公孫淵も油断できない。

>416
そいや蜀滅亡後の姜維の反乱失敗を
蜀の民が遥か後まで残念がってたって話もあったよな。
>>417
魏が総力挙げて蜀漢と戦ったのってないでしょ、諸葛亮が北伐やってる時って?
一方面軍と一国が戦ってんだから大勝ってのもなかなか難しいんじゃないかと。
ただ一方面軍>一国みたいな状況だからめちゃめちゃを除いた優秀くらい。
別に勝たなくても追い払えばそれでいいって思ってたんじゃね?
労力の無駄だし。
異民族戦線と対呉戦線に兵力貼り付けておかなきゃなんないから、魏が総力挙げて、という作戦を行う事自体が無理ぽ。
それにしたってヤバくなれば増援が来るというのはプレッシャーだぞ。
敵には予備兵力がさらに出せて、こちらは無理して出兵してるというのは。
長安でもおとしたら、補給線が短くなった敵の主力と予備兵力が動員されるだろうしな。
>>416
襄陽記曰:亮初亡,所在各求為立廟,朝議以禮秩不聽,百姓遂因時節私祭之於道陌上.

とはいえ、諸葛亮がこんな記述があるくらい民に慕われていたのは確かだろう。
廟を建てるのがゆるされなかったので、季節の祭にかこつけて私的に祭ったなんて記述は他にないぞ。
>>420>>421
『三国志』と『晋書』両方の記述から察すると、諸葛亮の北伐では、蜀軍の兵力は
数万から十万程度。
ただ、魏の朝廷でも、都度に応じて張コウや秦朗に数万の中央軍を与えて増援として
派遣したりもしているし、完全に雍・涼二州の軍事力で対応できていたと言い切る
ことは無理。

総力を挙げての全面対決なんてのはないけど、それなりに危機意識を持ってるし、
持久策が国の方針として定着していたようだから>>422の言う事も一理ある。
427sage:04/07/28 07:29
>426
当事の魏中枢の総意は、中原を保持できれば、辺境の小国なんぞ無理して相手する必要はない」って感じだったようだ。
明帝は積極的だったみたいだけどね。
>>420
俺が昔読んだ資料では
総国力 魏7に対して蜀1
429428:04/07/28 07:50
追記すると
魏 十二州 人口四四二万 兵力六十万以上
呉  四州 人口二三〇万 兵力二三万
蜀  一州  人口九四万 兵力一〇万四〇〇〇

(南征終了直後)
まあ兵力は戦争する時は臨時徴兵でもするから当てにならんかも
数倍の戦力差でずっと戦ってて圧倒的な勝率って凄いな
>>429
蜀は北伐時にはほぼ総力を傾注している時期もあるけど、魏や呉なんかは
あくまでも机上の数に過ぎないよ。

60万なんて兵力はあくまでも根こそぎの動員で達する可能性のある数だろうし、
そもそも比率のうえで無理がある。
呉の23万という数字もそうで、辺境の叛乱や異民族の討伐、東西に長大な国境を
維持する事を鑑みても、単なる数字の上での兵力に近い。
諸葛恪の例をみてもあきらか。
なにより兵站の問題もあるし。
そんな中では蜀の兵数はやはり突出してるな>人口比

こんな大軍維持してるから姜維も動かしてみたくなるw
こんなんで怨嗟の声も出なかったって言うのは信じがたい。
まあ、無いわけはないんで、それが孔明の政治基盤を揺るがすほどではなかったという
事だろう。
>>430
そりゃ、総兵力が実際に戦ってる兵力じゃないからね。
周囲を敵に囲まれてる魏が対蜀方面に割ける兵数は一部だけであり、蜀は天険の地にあり敵が魏くらいなのでほとんどの兵力を対魏に投入可能だからな。
そもそも局地戦ならともかく、北伐自体は全敗だし。

魏の場合、北方の騎馬部族を部族ごと騎兵軍団として雇っていた。
このため、魏の騎兵戦力は質量共に他国を圧倒。

これは呉・蜀に対して強烈な軍事的アドバンテージだったと思うが。



山奥や水戦ではろくに役立たずなので、そうでもない。
中原での戦いに用いるならともかく。
魏が烏桓・鮮卑・羌・匈奴から騎兵戦力を編成したように、蜀は南中、呉は山越から
それぞれ戦力の増強・部隊の新設を行ってる。

魏の騎兵戦力は三国の中でもとりわけ強力だったろうけれど、この時代の騎兵は
突貫力よりもむしろ機動力での優位性が大きい。
ところが呉を伐つには多くが長江を越える事を強いられるし、蜀への侵攻にいたっては
無用に近い。
三国時代では、攻勢よりも守勢時に有効だったかも。
まんじゅうと槍を作ったのは凄いな。
算盤は関羽だっけか。
おいおい槍を作ったって…
槍なんて普通にある武器だろ。

あと、饅頭作ったのってどれくらい凄い?
サンドウィッチ伯爵と同じくらいか?

>>437-438
三国時代に槍は存在しない
厳密に言えば、長柄としての用途ではないよ


………諸葛亮は饅頭なんて創ったのか?
>>439
そういう民間伝承があるらしい。
うろ覚えでは、南征の時に、人柱の風習を改めるために人間の代わりに饅頭創って捧げたとか。
その時点で眉唾物の話ではあるが、うろ覚えなのでちゃんとしたソースのある話かも知れない。
亮性長於巧思,損益連弩,木牛流馬,皆出其意;推演兵法,作八陳圖,咸得其要云.

魏氏春秋曰:亮作八務?七戒?六恐?五懼,皆有條章,以訓諮b子.
又損益連弩,謂之元戎,以鐵為矢,矢長八寸,一弩十矢?發. 
亮集載作木牛流馬法曰

連弩(元戎)と木牛流馬だねえ。後者の構造は寸法が書かれていても今ひとつピンと来ないが。
442無名武将@お腹せっぷく:04/07/28 16:08
非常に厨のような質問ですが槍と戟の違いってなんですか?
個人的には棒の槍は先に尖った刃物がついてる物で
戟は刀のような反った刃物がついてるものってイメージがあるのですがどうなんでしょうか?
むしろ矛がそれなんでしょうか??なら戟は一体どんなの???
>>442
自分でググりもせずに人に聞くばかりだと教えて君と呼ばれるぞ。
発達の歴史などを知りたければ、世界史板の武器スレや武道板の方が詳しいだろう。

ttp://www.gaopu.com/kisokiso5.0.html
ttp://www.gaopu.com/2222.html
もう一つ貼っておくか。何かの参考にもなるだろう。

ttp://kodaman-empire.kir.jp/san/sweapon.html
口は厳しいながらもやってることは優しい>>443
446442:04/07/28 18:06
>>443-444
ありがとね
一応調べてはみたんだけど要領を得ないのでいまいち分からなかったんだ
リンクしてもらったサイトを参考にしてみますわ
447無名武将@お腹せっぷく:04/07/28 19:40
>>429
その数字はどこから来たのか分からないが、
一応つけとくが、その人口統計は不完全だ。
屯田制のもとで、屯田人口は登録されない。
食い物と言ったら諸葛菜(蕪)を忘れてもらっちゃ困る。

ま、陣中にその手の野菜や豆を植えるのは諸葛亮の専売特許では無いと
言われればそれまでだが。
諸葛先生派は料理の達人。
従って厨房の神。
450無名武将@お腹せっぷく:04/07/29 00:27
北方謙三の小説ってどうなの?おれ読んだけど横山ほど
神格じゃなかったよ。当たり前か、小説だから。けど曹操
からも司馬ゐからも何するかわからんていう逸脱感(?)
みたいなのもたれてたみたいだからやっぱすげーんじゃ
ねーの。と短絡にも程がある発想
司馬ゐさんが諸葛亮の脅威の前にションベン漏らしたり、
演義でも劉備軍相手に負け知らずの楽進さんが諸葛亮の知略に大敗してしまう、
dでも三国志のことですか。
452417:04/07/29 00:51
正直アメリカと日本というのは言い過ぎましたが
国力数分の一の国と自国領内で相手と同じか若しくはそれ以上の兵力があり将の能力が同じ
つまり孔明=司馬ゐなら当然魏の圧勝のはずだが
ショクが大敗北を喫していないところを見ると戦術家としては孔明>司馬ゐだと思う
ただ圧倒的不利な状況のなか戦闘で負けなかった一方
戦争を手段として統一という目的を果たせなかった点で戦略家として格が落ちると思う
小説を根拠にすげーんじゃねーの。って言われてもなぁ。
名士に媚びを売り弱者を虐待する張飛、塩を密売する女好きの関羽が書かれないように、
イメージを崩さないように孔明だって書かれてるんでしょ。
>>452
兵力が少ないのに大敗しなかったからという理由で孔明>司馬ゐなら、
同じ理屈でカク昭>孔明ということですか。
455無名武将@お腹せっぷく:04/07/29 01:01
仲達の方が年上だったんんだね
456無名武将@お腹せっぷく:04/07/29 01:07
>>454
篭城して専守防衛でしかも自国領内で戦う嚇昭と敵国領内で野戦の孔明では事情が違い過ぎる
まあ釣りなんだろうけど
>>456
事情云々いいだしたら、周囲が敵に囲まれてる魏国ではさほど対蜀に大量に兵力を集中できず、また持久戦に持ち込んで敗走させるのが最良の手段であった司馬イにもまた、彼なりの事情がある。
そういう司馬イの事情を考慮せずに孔明の「兵力が少ないのに大敗してない」という部分だけを持ち出して孔明のが優れてるなどと言い出した>>452のが問題ある。
まあ釣りなんだろうけど

ってよく見るけど、敗北宣言に等しいと思う。
釣りと思うならスルーしたらいいのに。
>>456
452の言ってることが454で書いたことに程度の理屈だと言いたいだけだが。
まあ、それが釣りと言われたら、そうなのかもしれないが。
460459:04/07/29 01:23
>>459
文章が変だった・・・

×書いたことに程度の理屈
○書いたこと程度の内容
天才だが盆栽好き。
諸葛亮が困難な撤退戦を大きな犠牲無く完遂できたのは統率に優れているからだろう。
空城の計とか、並みの香具師には到底真似できん芸当だな。
撤退戦は劉備軍のお家芸だから。

劉備も撤退に関しては超一流。あんな戦績で生き残れたのは、これはもう神レベル。
>>463
ありゃお話だし・・・
魏の文ペーも同じことやってるしな。
趙雲別伝の趙雲も。

意外とメジャーな作戦の一つだったりして >空城の計
陽動作戦の変法みたいだよな。
野球で言えばストレートを続けた後のチェンジアップみたいな。
孔明や文平のは兵士がいないから伏兵があるように見せかけてるけど、趙雲は実際に伏兵を配置してたんだから、ちと違くないか。
>>467
家康もやってたよね、ウンコ漏らしたあと浜松城で。
471無名武将@お腹せっぷく:04/07/29 22:47
空城の計というのは、本来は敵を油断させて城の中に呼び寄せそれを伏兵でたたく計(示弱の計の一種?)の事だと聞いたことがあるんです。
でも孔明のは、(相手側も兵法に通じている場合で)兵士がいないのに伏兵があるように見せかけて疑心暗鬼を起こさせる計(示強の計の一種?)とすることができるんだと思います。
趙雲がやったのが本来の空城の計で、孔明がやったのはアレンジ版となると思います。
本来、空城の計は示弱の計であったと思われますが、それを孔明が示強の計としても使えるようにしたんだと思います。
だからお話だと・・・・。
頼むから孔明の空城の計は嘘すぎるので除外してくれ。
というか、あれを肯定するのは不可能ではないかと。
陽平で司馬懿とぶつかったなんて信憑性云々以前の問題。
まあこの板にはアンチが基本的に多いし、そんな馬鹿には
何言っても「馬の耳に念仏」だろうな。
無能な奴が群雄割拠の時代に「伏竜」なんて呼ばれるわけもあるまいに。
現実問題として彼が生きているうちは魏も呉も一歩も蜀の地を
踏めなかった。事実はこれだけ。後はおまいらが胡散臭い本で
得た知識とググッて調べた知識からの妄想。
405は決して大袈裟でもないな。世界でもここまでやった例は殆どない。
406よ、そういうならおまいが思う孔明より上な香具師と理由を挙げてみろ。
>474
そのままそっくりその言葉を返すぞ。
自分の贔屓の軍師以外を認めないのは誰もがだろう。

そして、諸葛亮を貶める者にも司馬懿を貶める者にも言いたい。
どうして、誰かと比べなければ讃えることができないんだ?
どうして、誰かを貶めることでしか有能性を語れないんだ?
彼らは、絵空事の人間じゃない、実在した人物だ。
このスレに書き込む人がそれぞれ異なる性質を持つように、
彼らもまた異なる性質を持つ軍師だろう。
それを強引に一括りにして、優劣をつけようなどと・・・
しかも、その根底には好悪の情によるものしかないではないか。

荒らしに煽りに叩きは2chの華かも知れんが、
そろそろ皆刀を鞘に納めないか?
ていうか空城の計なんぞどうでもいい。

>>1-475
信憑性がそれほど高くない資料を基にして、後世のお前らがどうこう騒ぐよりも、
その当時生きていた司馬イが"天下の奇才"って言ったんだから、
素晴らしい才能があったんだろう。陳寿は何故司馬イがそう言ったのかは
触れていない。陣形を見るだけで言えるような評価ではないだろうし。

多分資料がみつからなかったんだろうな。蜀は特に資料が少ない。

それに1800年も昔のこと、見つかったにしてもそれが正しいのかどうかねぇ・・。
同じ時代の日本では邪馬台国ってどこにあったの?と言っているレベルだぞ。
>>476
まぁそうだな
そんな事言うとこのスレは成り立たない訳で
君はどうしてそんな事をわざわざ言いに来たの?って話にもなるよw

司馬懿が天下の奇才っていつ言ったの?
それだってもし司馬懿がそう言ってたからって孔明を本当に評価してたっていうより
自分が苦戦したから相手を持ち上げただけかも知れないじゃん
っていうかそう考えるのが打倒だよな
>>477
>そんな事言うとこのスレは成り立たない訳で
>君はどうしてそんな事をわざわざ言いに来たの?って話にもなるよw
 俺が言っているのはそう言う事だよ。
俺に言わせればこんなスレは何の価値も無い。

>司馬懿が天下の奇才っていつ言ったの?
 よく諸葛亮スレにいるもんだ。

>それだってもし司馬懿がそう言ってたからって孔明を本当に評価してたっていうより
>自分が苦戦したから相手を持ち上げただけかも知れないじゃん
>っていうかそう考えるのが打倒だよな
 「妥当」だろ。
それに・・・どんな形であれ、それは評価に違いない。
苦戦するから相手を買うんだろ?楽勝の相手をあいつは凄い、なんて
自分の功を自慢する以外では言わないだろうし、誰も信じない。
ただ、正史が事実とは限らない。
だから司馬イが「天下奇才也」と言ったのも事実ではないかもしれんな。

ただ、俺らには正史(その他の数少ない資料)を信じる事しか出来ない。
その当時、生きていた奴らとは違ってね。
>>479
なんっていうかさ
「本は嘘をつかない」って言葉があるけど
確かに本自体は嘘ついたりしないけど
本書くヤツは嘘つくんだよな
あくまで参考資料だよ
別に「信じる事しかできない」とかそういうんじゃないと思うよ
まあファンタジーの一要素 かな。
歴史ってそんなモンだろうと思う
>>480
ファンタジーか、良い事言うね。
古い歴史ほどその要素は強くなるな。

近代の歴史が古い歴史に比べて血生臭い感じがするのもそれかもね。
>>476
>ていうか空城の計なんぞどうでもいい。
なんで「どうでもいい」?
特定人物のスレで、その人物にまつわる話題が出てきて、
その事実関係に関して議論されるのは自然なことだと思うけど。
まあ考古学のインチキさも以前どっかの教授が遺跡物捏造事件で
立証されたし、「ファンタジー」だと思うしかない。
ハッキリいって日本人の「三国志」好きは世界一だよ。
もう「異常」といえる。本家の中国にいくつも廟はあるが、
訪れるのは日本人が1番多いそうだ。当然これほど議論が
盛り上がるのも日本ならでは。恐らくは「真実」だろう、と言えるのは、
蜀という国を竜備という人が創って孔明という右腕がいた、
これくらいじゃないかな?
他の人物像とかは創作もかなり含まれているだろう。
現代と違って連絡手段さえ早馬で走って何日なんて時代に
正確に戦争の様子が伝わったと考える方が無理がある。
1人の著者が蜀と呉の会話の資料を集める事ができたと考える
方がおかしいと思うのだが?ただ政界編成とかは資料として
残しておくものだから多分事実なんだろう。
そう考えれば孔明が実質全権力を掌握し、その手腕で蜀を支えていた
であろう事は推察できる。政権も軍権も兼ね備えて尚且つ弱小国を
大国からの脅威から維持し続けた、これだけでも「超」が付く天才
だったのは容易に想像が付く。

ただ「推察」はこの辺まででこれ以上となると「妄想」の域に入ってしまう。
それは空城の計なんて孔明には関係ないからどうでもいいって事では?
そんなの孔明を語る上ではファンタジーを超えてるしな
孔明を語る上で天才だなんて言ってしまうのは妄想でしかない
純粋な器量持ちの苦労人ってのがいいところ
彼は頭も切れるし必要に迫られた(自分がそう解釈したなら)
公私無く尽力を注げる人物だって考えるね
諸葛亮は過去に存在した中で最も清廉な独裁者

ってことで、いいんじゃない?
>>478 
>>477は、君が「仲達が孔明を天下の奇才と評価した」ことだけは絶対的な事実のように語ってることを揶揄してるだけだと思うぞ。
488482:04/07/30 12:53
>>484
確かに。流石にあのエピソードはでっち上げすぎて語る意義がないか。
まあ正史に載ってるだけで事実かどうかはわからないし、
今となっては調べようが無いな・・。
調べようが無い以上、そこに触れる意味も無い訳か・・。
タイムマシンでもあれば別なんだがな。
空想上の話だろうが俺は三国志について考える事で人生の楽しみが増えてるからいいよ
>438
>おいおい槍を作ったって…
> 槍なんて普通にある武器だろ。
遅レスですまないが、煽り方が無性にムカついたので。
槍は諸葛亮の発明。それくらい知っとけ。
「最も」とかって付けるから田中某ごときに「日本人って三国志しか読まないんだよね。プッ」って言われるんだよ
諸葛亮は優秀
それでいいだろ
>>491 
ツッコミと煽りは別物だと思うぞ…  
で、槍は孔明の発明なの?ソースは何よ。
槍って先史時代黒曜石とかでから作られてるものだと思ったけどな。青銅製の槍なら秦代の兵馬傭にも入ってなかったような。
複数の槍を同時に飛ばす奴は開発したみたいだけど槍自体は相当古いんじゃないか?
>>493
古代から使われてる「棒の先に金属ついてるやつ」は全部槍だ、っていう先入観を捨ててくれるとありがたい。

ソースね
>本来の槍とは蜀の諸葛亮孔明が開発したものであることは事実で、彼はたくさんの槍を作り、軍団に装備させました
『武器事典』(市川定春著/新紀元社)
>494
あらら、ソース探してる間にレスが。

>長柄の装着部分を莖(中子)を埋め込む形状のものを槍、その部分が中空になって柄にかぶさるものを矛と呼んで区別する。
『戦略 戦術 兵器事典 中国編』(学研)

昔からあった、と言ってるのは矛だね。
竹槍は諸葛亮の発明。

陣地構築の際に障害物として多用された。

甲冑の発達により従来兵器である矛が威力不足となったため
貫通力の向上に特化することになり、
ポールウェポンとしての槍の登場となった。
>>498
で、その発展形が戟なんだな。
でも、方天戟は戟との発展形ではないんだな。
>>499
>>498の言うように、一般に認知されている槍の運用方が普及したのは、戈や戟・矛
よりも後。
それ以前は、わかりやすくいえば逆茂木のような運用が主流だったよ。

後漢末から三国時代では、最も普及していた長柄の兵器としては戟と矛であって、
槍の発展系が戟にはならないと思われ。
三国時代ってすっごい勢いで
製鉄技術が発展したんだろ
鉄製武器をつくる為に。
技術が発展するっていいことなんだろうけど、
何かちょっと考えるちゃうよな・・・
何を今さら。技術が急激に進歩するのなんて
だいたいが戦争や軍のためじゃないか。

ネットの構築も(ry
技術革新の最も有効な媒体は戦争だもんね
いや、今日「わだ○みの歌」見て
ちとブルーになっちゃってさ。

軍師にしろ、武将にしろ、大勢の人間の命を背負っていくわけっしょ?
どんな気分だったのかな〜とね。
ま、いちいち気にしてられないんだろうけど。
俺は一般庶民で良かったなと思ったりしたわけよ。
>>504
出師の表嫁
>>505
幾ら俺でも読んだことあるけどな。
つか話違うでしょ。
そーゆーことじゃなくて、もっと生々しい人間の感情をね。

良い兵士はたくさんいるが、良い上官は滅多にいない、これ如何に。
良い上官とは、如何なる時も、兵士を笑顔で死地に向かわせねばならないからだ。
これ聞いた時、俺は胸が痛かったよ。
司馬イが言ったのは、敵を持ち上げることでそっちに目を向けさせ、自分のミスもそれで
帳消しにすることと、そいつを倒したおれが最強!っていうアナウンス効果だろ。
よくあるよ、そんなの。

それにしても、よくわからないとか歯がゆいとか記録が少ないから思ってしまうけど、日本
のこと考えたら凄いことだよな、2000年近く前の事でもこんな議論が出来るんだから。
ただひとつ確実に言えることは孔明は文才もある
>>495
要は饅頭と同レベルだな。
>>495
「武器辞典」なんて現代人が書いた本なのに、どの資料を元にしたのかの
説明がないんじゃ著者の脳内妄想と一緒。
著者の妄想だとしても、俺らがここでうだってるよりかは増しかと思われ。
ここでは一応、資料を元に議論してるんだから、脳内妄想と一緒にされてもなあ…
「武器辞典」はともかくとして、
諸葛亮がたくさんの槍を作ったという記述が正史はおろか
他の史料にも見当たらないし、演義でも記憶がない。

>>開発したものであることは事実で、

著者はすごい自信満々だけど。


んで、ぐぐってみると2,3個このことに言及してるサイトを発見したけど、
どこも例によって出典不明。一体元ネタは何なんだー?
514無名武将@お腹せっぷく:04/07/31 23:15
拒馬柵と槍がごちゃなんじゃないのか?
剣のリーチを伸ばすのに戟ができて、それを貫通力重視にしたのが槍
諸葛亮は竹を尖らせて大量に地面に刺したと思われる。それを竹槍と呼ぶのでは?
515499:04/07/31 23:41
>500
遅レスすまん
「その発展形」と言ったのは「槍の発展」のことではなく、ポールウェポン開発の過程で、っていう意味だったんだ。
言葉足らずですまん。
何か勉強になるスレだw。トリビアに出してみたら?
>>516
諸葛孔明を出演者がどれだけわかるか、一番左の人以外で。
タモさんは間違いないとして、大木も漫画とかで読んでそうだが。
それ以前に諸葛亮の認知度低い(?)から無理だろ
でも正直に言って、あの番組の歴史に関するトリビアって
一般人にとってのトリビアに過ぎないから、俺は観てても
興醒めしてしまう。

兜の前立てに「愛」を用いたって程度でトリビアだもの。
>>520
>>兜の前立てに「愛」を用いたって程度でトリビアだもの。
それってどういう話?
>>521
聞きかじりですまないんだけど、上杉家の家老の直江兼続の兜が
そうだったじゃない?
それがトリビアだってんで、しかも愛の意味を現代の感性で解釈
されてたって話。
あの番組もネタ切れなんだから厳しく言っちゃあいけないよ。
知ってる人は知ってるネタより

本当にくだらないけどあんま知ってる人居ない
っていうネタにしてほしいな
前回は結構面白かった
>>474
金日成。彼が生きている間は人口10数倍のアメリカから
北朝鮮を見事に守りきった。

いわゆる「独裁者」と呼ばれて天寿をまっとうしたやつらは
たくさんいるぞ。
>>525
その代償に平時ですら自国民を餓死と酷刑で殺しまくったけどな
474の反論としては適役だけど、諸葛亮とは比べるまでも無いよな。


もしかしたら、当時の蜀の民の中には金に対するのと同様の感情を持ってる奴もいたかも知れんが・・・。
諸葛亮の場合は南征で得た麻薬を国民にばらまきますから大丈夫です
>526
金日成時代の食料事情は飢餓レベルに程遠いのだが。
>>525
面白い視点だな。
かの国の国是は南北統一なのに、勝ち目がないから五十年近く大規模な軍事行動をしていない。
名より実を取ったわけだ。ある意味、孔明はロマンチスト、かの国の将軍はリアリストと言えるかもしれない。
かの国は農地改革に失敗して自給自足すら出来なくなってしまい自滅したが、
引きこもり作戦そのものは小国が大国に勝つための方針としてはあながち間違いではないのでは?
まともに戦って勝つよりも、相手の自滅を待つまで粘ったほうが成功率高いし、
北での膨張を一時諦めても、まだ蜀には南で勢力を拡大するという選択肢もあるのだし。
俺のイメージでは蜀漢=台湾、
孔明=李登輝
532無名武将@お腹せっぷく:04/08/02 21:28
かといって北朝鮮が周辺国を制覇する可能性も今やゼロ以下なわけだがw

孔明もこれを予測してたんだろうね。
引き篭もって魏のミスを待つってのは
戦略としてはありなんだろうけど、
だからといって北伐を間違いというのは違うだろう。
少なくとも諸葛亮の北伐に関しては。
俺も間違いだとは思わないけど、
正解か?と聞かれたら、それも悩むなあ…
>>532
あの国があそこまで追い込まれたのは内政の失敗と国際的な孤立によるものだから、
蜀と同じ扱いはできないよ。少なくとも蜀の政治システムは安定しているし、国際的に
孤立しているわけでもない。
そこそこベターな政策かな、蜀の存続を考えれば。
大義名分通り漢の正当を自任するのならほぼベストな政策じゃないだろうか。
>>535
いや、それ言ったら北の国にも協力してる国はあるわけで完全な孤立ではないし…
さらにいうと、この国は既に蜀よりも長く命脈を保ってるぞ。
ついでにいうと、蜀の政治システムって安定してたの?
時代も違いすぎるし
国も違うし
文化(思想)も全く違うのに
現代の〜〜で比べるのは無理だろ
そこを敢えて比べて議論してるんじゃん。
>537
北の国の話はともかく、蜀漢は他の2国より国内政治的には安定はしてた感じだ。
諸葛亮時代は彼の専制状態だとしても、献帝の時の曹操や、明帝死去後の魏、孫権死後の一族の専横のような状況ではない。
諸葛亮の死後も諸葛亮が指名した人物が首班となる体制で20年は安定してた。
良く言えば、後主は政府首班を信任し、政府は堅実に政治を行ったと言える。
悪く言えば、後主は政治を丸投げし、丸投げされた人物に簒奪する意思も能力も無かった、って感じかな。
>>540
つーか、時代を越えて不安定時の魏呉と比べれば、安定してるだろ。
とゆうか魏も呉も皇帝近辺でゴタゴタあっただけで政治そのものは安定してたべ。
蜀も劉禅が早死にしてたら混乱していた可能性もある。
若くして死ななかっただけでも劉禅は国に多大な貢献をしている。
>541
一行目と2行目の整合性が無いんだけど・・・。

魏と呉は地方の有力な司令官級の人物の叛乱が結構あるでしょ?概ね、皇位に関する政治的な理由からなのは>>540と同様。
蜀は支配地内あるいは近辺の異民族の叛乱は頻発してるけど、大規模な叛乱ってのはない。
強いて上げるなら、劉備危篤時に黄元がヤケクソ気味に叛乱起こしてる程度。
君主権を脅かすような状況には全くならなかった、って点で魏や呉とは異色。
あ、間違った、同様なのは>>541です。
>>543
元々国が小さいんだから、大規模な反乱なんて起こるわけ無いよ。
>地方の有力な司令官級の人物
↑こんな人は最初からいないんだから。
>545
ま、小国だからってのはもっともだが、それでも督漢中の人物等が叛乱起こせば国の存立が危ういと思うが。
>>546
魏延のことかー
>547
いや、魏延に限らず、歴代の督漢中とか、永安都督とか。
魏延反乱起こした(ことになってる)じゃん、ということ。
なんか、話が噛み合ってないのか?
>549
諸葛亮死去直後の魏延の行動は別として、魏延も含めて、歴代の督漢中や、永安都督とかが叛乱起こして、魏や呉と連携したら蜀にとっては大事じゃないか、って話。
>>550
やっぱり話が噛み合ってないような気がする…
なんで魏や呉と連携云々まで話飛んだの?
単に、地方の有力な司令官が反乱起こしたかどうかの話だと思ったんだけど。
まあ、地方の有力な司令官がいたかどうかは置いといて。
そもそも、司令官の反乱と政治システムの安定さに関連性を求めること自体が無理っぽい。
魏将らが反乱を起こしたのは、たいてい司馬一族との反目か曹魏への忠誠であって政治への不満では無いし。
呉は詳しくないからよく知らないが、呉の中央政権の存続を脅かす程のものってあったのか…?
>>552
呉のごたごたは大抵孫一族の専横が原因だからなあ。
たまに諸葛格みたいなのもあったけど。
山越については悩みの種ではあったけど、致命的な国難に発展したという話は聞かないな。
上庸太守の申耽が魏側に寝返ってるな。
405とか474みたいに孔明が人類最高みたいに高く評価している人達って

マケドニアのアレキサンドロス
ローマのカエサル
モンゴルのチンギス・ハーン

勝利者になれなかった名将では
フランスのナポレオン
カルタゴのハンニバル

とかより孔明が上だと本気で思ってんの?
蜀漢みたいな人口100万クラスの国をつくった人なんて
歴史上何百人もいるぞ。
なんで孔明が飛びぬけて天才だったなんていえるんだ?
歴史上で何百人しかなしえなかった事をしたって

     飛びぬけて凄い(天才)って言えませんか?


と読んでて思った・・・。
蜀漢並みに人口100万、命数50年の国を
創った人なんて中国だけで50人を超えるぞ。

いくらなんでも孔明が
始皇帝
劉邦
劉秀
チンギス・ハン
朱元璋

とかより上なんてことはないんじゃないか?
>551
「単に」地方の司令官が叛乱すること、ってありえないでしょ。
何かしらの理由があるハズ。その具体的な理由はともかくとして、全般的には「政治的」なものだろう。
で、蜀の地方司令官が叛くとすれば魏や呉と連携を求めるのは普通にありえる。
ついでに言うと督漢中とか、永安都督等は職責上、充分有力者となりえます。

>552
司馬一族が専権を振るう政治体制に対する叛乱であるのだから充分政治的でしょう。
魏や呉は常に君主権が脅かされやすい政治体制だったと言うこと。
何者かが、専権を振るう→地方の誰かが叛乱。それが頻繁なのは安定した政治体制とは言えない。
お前ら蜀が安定していた理由は
劉禅の中庸的な政策によるものですよ
>>558
督漢中の魏延が叛乱してるっす。
あと劉備死後に南方で叛乱があったはず。ヨウガイだったか?
561無名武将@お腹せっぷく:04/08/03 12:35
>560 魏延が死んだときは督漢中じゃないよ。って言うか、諸葛亮の北伐中は廃止されてる。 南中の反乱は異民族の反乱だからねぇ。
>557
国を作ったっていっても別に劉邦が、と言うより周りが作ってあげた、
って感じなんだが?どう考えてもそこに名が挙がってる人より
孔明の能力が下だとは思えないが?
上だとはもっと思えない。
始皇帝
劉邦
劉秀
チンギス・ハン
朱元璋


なんで、その働きのほとんどが守成の諸葛亮と創業の人間を比べるのかがわからんな。
>>564
このスレをよく読んでみろ。
5に始まって諸葛亮は建国の功臣と
とらえて評価してる奴が多いからだよ。
始皇帝の功績は、商オウの変法に基づく百年の富国強兵政策の恩恵が多。
極めて有能な皇帝ではあるが、スタート条件が非常に有利だった事も無視できない。

>>562
お前、三国志しか読んでないんじゃないか?
チンギス・ハンや朱元章を少しでも調べてみれば
孔明なんぞ箸にも棒にもかからんとんでもないやつらだとわかるぞ。
人間てきには問題もあるが。
568564:04/08/03 14:37
>>565
なるほどな劉備に基盤を与えたことで、創業の人間と思っているのか。
ただ、建国の功臣と考えるにしても始皇帝、劉邦、劉秀、チンギス・ハン、朱元璋と比べるのは
おかしいな。彼らは功臣ではない。そいつらと比較すべきは劉備だろ。
朱元章は勢力基盤に紅巾勢力があったじゃん。
帝位に就いてからは流石に儒教に鞍替えしたけど。
つーかまあ彼の場合はガキの頃に食えなくなって仏教に入ったって話もあるけどな。
根無し草の劉備に仕えて国を興したのとは出発点が違う。
>>568
確かにそうだけど、ここは孔明が天才か凡才かを議論
するスレだろ。なら中国史上の英才と比べるのも悪くないだろ。
司馬仲達も事実上は晋の初代皇帝だろ。
孔明ファンにも405とか474みたいに孔明が1人で何でもできた
万能の天才みたいに評価してる人がいるみたいだし。

>>569
明の太祖はその紅巾勢力のトップに立つまでにも苦労してるだろ。
紅巾の乱の首謀者が最初から彼だったわけでないぞ。
まさしく管仲あたりと比べるべきだろうな、諸葛亮は
>>572
本人も管仲のようになりたかったみたいだね。
しかし、孔明には劉備を覇者に押し上げることは
できなかった。それが、現実。
>>569
劉備には、それまでに得た名声と肩書きと軍勢、さらに劉姓という武器や劉キという後援者を持っていたわけだが。
というか天下統一をした者と地方の小国の建国に関わった者を比べても…
>>573
春秋の覇者はあまっちょろい存在だからなあ。
三国時代とそのまま比較はできないだろう。
管仲が死んだ後、あっという間に没落したしな
>>576 
まあ、どんな時代とも情勢が異なるのだから比較そのものが無意味ということだな。つまり、諸葛亮が中国史上有能な宰相であったかどうかなんて、何も言えないと言う事だな。

さらに突き詰めれば、蜀も魏も呉も情勢がまったく異なるので、同時代といえど、他国とも比べることは出来ない。
つまり、諸葛亮は当時の蜀漢王朝で有能な宰相であった、それ以上でもそれ以下でもない、としか言えない。
>>578

×中国史上有能な宰相であったかどうかなんて、何も言えない

○中国史上、どれほど有能な宰相であったかは分からない
>>578
一般化ということを知らないのか?
歴史学は一般化できる要素とできない要素を区別して前者を検討するものだぞ。
ポエニ戦争だろうが第二次世界大戦だろうが、同じ戦争という言葉を使う以上、
戦争についての知見として一般化できる要素は存在する。

だから「そのまま」比較はできないだろうと書いたんだが。

思想という点から諸葛亮を鑑みれば、彼は法家・韓非子の後継者だろう。

法至上主義という点からみれば曹操よりも法家度が高く、
伝を読んだ時は韓非子の生まれ変わりかと思った。

韓非は管仲・商オウ・申不害等から法家思想大系を構築し、
諸葛亮はその恩恵を受けているわけで、はたして韓非の思想大系を
越えることができたかという問題になるわけだが・・・
どこかの腐れ儒者は諸葛亮の戦略を非難してたな。
法家の癖に大義を用いようとするなら失敗するのはあたりまえ、みたいな。
>>581
思想家としてはともかく、実践者としては師を超えたかも知れないぞ。

民に愛されて君主との信頼関係を失わず、終わりを全うする法家というのは珍しい。

もっとも、それは彼の資質や人格によるものが大きいので、
思想として一般化されなかったようだが。
>>580  
理屈はわかったから、じゃあ一般化して諸葛亮を評価してくれ。
とゆうか578の理屈は正しいと思うがな。
>>584
思想家としては>>583で既に評価してるぞ。
あとはどの視点で評価して欲しいんだ?
戦術家か? 戦略家か? 内政官か?
>>584
>>578の理屈は確かに正しいよ。
だけどそこで思考停止しちゃったら歴史を語る面白みってのがなくなるだろ?
人治主義、徳治主義を伝統とする文化においては、
独裁権を行使した臣下の法家はろくな死に方を遂げないことが多い。
君主の代替わりによって族滅された商鞅、李斯が良い例だ。
商鞅の場合は、族滅されても政策は継続したからまだいいが、
改革者、あるいは政策立案者が死んだ場合、政策路線が変更される場合が多い。
良い例が呉起だ。
また、独裁権をふるった当人が死んだ場合は、反動で族滅されることも多い。
良い例が霍光だな。

諸葛亮は法家思想を蜀に持ち込むことによって外来政権である蜀を安定させ、
代替わりに際しても信頼を失わず、自らの死後も後継者にきちんと政権を委譲し、
終わりを全うして家を保った。
さらに、正史にある通り民にも愛されてる。
行政能力も、短期間での荊州南部の統治体制の確立(及び蜀攻略の根拠地化)、
短期間での蜀の統治体制の確立(漢中攻略の根拠地化)で実績を上げている。

法家の実践者としては間違いなく非凡だな。
諸葛亮が蜀の重臣じゃなく、まったくの第三者であったら当時の蜀にどんな献策をしたのか気になる。
なんつーか、歴史にも一般化しやすい要素としにくい要素があるわけさ
覇者っていったら春秋の概念で、時代を超えて一般化しにくいわな
それに対して、後継者問題と言えば時代を超えて一般化しやすいわけさ
死後の政策の継続とか後継者とかさ
これで比較すれば、孔明>管仲かな
まあ見方は色々ってことだ
>>589
>死後の政策の継続とか後継者とかさ
>これで比較すれば、孔明>管仲かな

それは劉禅の資質を抜きには語れないと思うが。
>>590
そこで君主の個人的資質という個別要素を重視するか
それとも生前の統治体制の整備や人材推挙を重視するかでまた見方はかわるよねー
なるべく一般的な要素を取り上げるのが歴史学だってE.H.カー先生が「歴史とは何か」の中で語ってるよー
儒家が掲げるこの”人治主義”、”徳治主義”ってヤツが曲者だ。
言葉の上っ面に騙されやすいが、実際は縁故主義で重職を独占し
既成利権の保護に力を注ぎ社会改革を阻害することだ。

人権という概念が無く民草は家畜同然とされていた時代で、
韓非子の唱える法の支配−功有れば乞食でも必ず賞し罪あれば王族でも必ず罰す−
は実に画期的な思想である。

法家の実践者が常に迫害されるのは既成利権集団の敵になるからであり、
後世の史家に非難されるのは史家は既成利権集団をパトロンとする儒家であるからだ。

ところで諸葛亮は厳罰であったが子孫に累を及ぼす事が少ないように思う。
李厳のケースでは爵位を剥奪されたのは李厳のみで息子はそのままの地位だった。

儒家的価値観だと血筋を絶やすことが最悪であるため、
諸葛亮のように罪は当人のみに限定することは極めて寛大な「有徳」であるとされる。
この点に法家なのにも関わらず諸葛亮が絶賛される理由があるのではないか?
>>592
おお、確かに鋭いかも。
温情に裏打ちされた厳しさ、かな。
いずれにせよ、秦の恐怖政治とは大違いだね。
>592
明確な意見だ。確かにこの時代「罪あらば一族まで」というのが
日常で、孔明みたいな個人限定というのは殆ど類がない。
>>592
なんか納得できるな。
劉備からして、そんな感じだったから、諸葛亮は彼を見習ったのかも。
(註には、真偽はともかく常房の子供を処刑したとあるが)

あと、蜀には一族皆殺しにされるほどの罪を犯した者が少ない、という気もするけど…
いるとしたら朱褒や雍闓か。彼らの一族がどうなったか気になるところ。
話題とずれるが、ケガイ一族の末路なんて泣ける。

>>561
劉備の死後、益州郡の有力者である雍闓、牂牁郡太守の朱褒が反乱してるよ。
この時期に反乱を起こした異民族は高定。
>魏延が死んだときは督漢中じゃないよ
魏延が督漢中の任を解かれたということ?
将軍位はコロコロ変ってたけど、魏延はずっと督漢中だと思ってた。
>595
雍闓が中心人物だったな。彼の場合、地元の有力者なんで、異民族と同一みたいなもんじゃないかな。
そもそも、南征は「南夷」の制圧が目的なんだし。

督漢中の職務は時の最高指導者が北伐ないし、戦争準備で漢中に出征した時はいずれも廃止されてるようだ。
魏延も第一次北伐前年の227年に北伐人事として、督漢中・漢中太守から督前部・丞相司馬に移ってる。鎮北将軍はそのまま。
ショウエンの漢中出征の時の督漢中は呉懿の死去直後ってのもあり、空位。
ショウエンがフに帰還後に王平が督漢中になってる。
>彼の場合、地元の有力者なんで、異民族と同一みたいなもんじゃないかな

この理屈は無茶かと…
どっちでもいいけど。

>そもそも、南征は「南夷」の制圧が目的なんだし。

反乱者平定と異民族侵略の2つが目的かと。
無理にひとつに纏めなくても。
>>597
無茶じゃないと思うよ。雍闓の場合、漢族か少数民族か不明だが、土地の有力者ってのは土着化してるので、少数民族と共同体を成していたと思われる。

>反乱者平定と異民族侵略の2つが目的かと。
無理にひとつに纏めなくても

逆に無理に2つに分ける必要もないと思うがw

ま、どうでも良いのだが。
>>598
>雍闓の場合、漢族か少数民族か不明だが、土地の有力者ってのは土着化してるので、少数民族と共同体を成していたと思われる。

異民族が反乱した場合、例えば高定なんかはきちんと異民族と記してあるよ。

>逆に無理に2つに分ける必要もないと思うがw

実際に反乱を起こした連中がいたわけだし。
600599:04/08/03 23:03
どうでもいいとか書いておきながら、拘ってたな。
スマソ。
601599:04/08/03 23:04
599の書き込みは無かったということで…
3連書き込みスマソ。
>599
魏延がずっと督漢中だったと思ってた人と議論しても仕方ないんだが・・w

雍闓の場合、元々漢族だったようなんだが(この辺もハッキリしない)、土着化が著しく、少数民族の風俗にも熟知してたんで、ほぼ少数民族と同化してたと見ても差しさわりが無いだろって事。
で、漢族系の豪族で叛乱を起こした連中も、少数民族と同化してたから漢族(蜀漢政府)の統治に対して反感を持ち、叛乱したのだから、無理に分ける必要は無い、って事。
>魏延がずっと督漢中だったと思ってた人と議論しても仕方ないんだが・・w
え? 同じ人物なの?
コウメイは劉備、劉禅あってのコウメイだな
あそこまで信頼されてなきゃ、活躍できなかった

で、地方政権で、宰相クラスの大物で、君主の信頼厚い人物といえば
王猛(前秦)
王導(東晋)
射安(東晋)
劉穆之(劉宋)
任城王(北魏)
鄭回(南詔国)
張承業(後唐)
耶律隆運(遼)
宗幹(金)
秦カイ(南宋)
カ似道(南宋)
文天祥(南宋)
陸秀夫(南宋)
などをはじめ、たくさんいるけどね
ついでに、魏武と諸葛武侯をあわせた才と呼ばれた陶侃はこのスレ的にドーヨ
>>602
どうでも良いといいながら、反論されたのは悔しいと…


雍闓のことはなんとも言えないけど、
太守である朱褒の起こした乱の制圧も目的の一つではあったな。
>>604
君主の信頼厚いっていっても賈似道を挙げるのはどうやろか?
カジドーは比較的優秀だと思うけどな
似たような感じの楊国忠とはえらい違い
腐り切った南宋のなかじゃ、出来る奴だろう
文天祥なんかは少しアホっぽいし
地方政権でなら王猛、王導はすばらしい手腕の持ち主だと思う
特に王猛は出自は悪いのに、主君を選んでみせたり、みんなから好かれてるし、彼が健在のうちは前秦は無敵だった
忘れちゃいけない
五朝八姓に仕え、六帝の宰相となった馮道
それにしても、史書の中に「劉備が諸葛孔明とあったようだ」って表現多いよな
王猛もそうだし、耶律楚材とか、たくさん。
林則除なんかは「諸葛孔明たらん」って公言してるし
演義の孔明の元になった劉基は張良に比されてるけどなー
>605
ほんとに付け焼刃な人だねぇ。
>602で書いたけど、朱褒にしたって、

>>漢族系の豪族で叛乱を起こした連中も、少数民族と同化してたから漢族(蜀漢政府)の統治に対して反感を持ち、叛乱したのだから、無理に分ける必要は無い・・。

って事。雍闓の叛乱に便乗した叛乱だろ。ついでに言うと朱褒は太守だったか郡丞だったかはっきりせんよ。後主伝:太守 馬忠伝:郡丞

もうちょっと文章を読めるようになってくれ。



諸葛亮が後世で評価された要因の一つは
その忠義ぶりからだろう?そこらへんも差し引いておかないとな。
特に時代が下れば下るほど。
>>609
本当に悔しかったのだな。
まあ自説を大切にするのは良いことだな。
612499:04/08/04 10:02
詰まらん揚げ足の取り合いはそろそろやめないか?

要するに、異民族とひとくくりにしちゃだめか、してもいいか、が主題じゃなくて、
「管轄外が暴動を起こした」と解釈するか、「管轄内の部分もあった」と解釈するか、ってことだろ?
613612:04/08/04 10:02
名前欄に茎が残ってた・・・
>611
おいおい、なんで悔しがんなきゃなんねぇのw
そっちが悔しいんだろ。
こっちが一つ一つ反論してんのに、それに対して答えられないのはそっちじゃん。
夏厨はこれだから・・・・。
>612=613
>>「管轄外が暴動を起こした」と解釈するか、「管轄内の部分もあった」と解釈するか、ってことだろ?
ちょっと違う。
俺が言いたいのは、南中の反乱を>>61は南夷と雍闓らを分けてるようなんだが、
俺は、雍闓らは南夷との深い繋がりから反乱を起こしたのであって、分けられるものでは無いと言いたいんだよね。
他の人の迷惑になってるようだから、この件はやめますね。
616612:04/08/04 10:44
>>615
ん。
んじゃ、元々の話題からはそれてるのか。

魏呉は国内で反乱があった
 ↓
いや、蜀にもあった
 ↓
あれは異民族だろ
 ↓
別のもいただろ

だから別とするかどうかの話になったと思ってたんだが。
蜀の場合は反乱起こしそうな連中を孔明らが
事前に摘み取ってたという気もするな。
>>617
ループしてるぞ。

孔明のお陰で内乱はなかった。魏呉にはあったのに
 ↓
いや、蜀にm(ry
そこで立ち尽くす
まあ、内乱だけをチョイスして比べてもな。
風土とか政策の方向性(何を重視してるか)とかもあるだろうしな。
>>614
だってどうでもいいからさ。
そちらもどっちでもいいと言いながら反論するのは、悔しいからかと思ってさ。
まあ違うんだったら、すまんね。
国内で反乱があったのは魏ぐらいじゃないの?
呉や蜀はもともと反復常ならぬ夷蛮以外で反乱を起こした例ってあった?
>>620
内乱を起こしそうな人物、またはそれを行えるだけの実力者の数そのものが国によって違うしな。
>>623
蜀は小さいんだから、魏ではどうってことないプチ反乱が大きな痛手になるぞ。
そういうことまで考慮すると、結局どの国も大差ない気がするんだが。
魏延の変なんかがそれだな。
あれは魏延を自滅に近いかたちで追いやったからな・・・。
あの時魏延が外と結んだりしてたら蜀は終わりだったろう。
だからプチ反乱。
他国と結んで反乱を起こしたのはヨウガイか。
>>624
だからそれを題材にして有能さをアピールすることはあまり意味ない、って言ってるんだが。
蜀だって劉禅が早く死んでたらどうなってたか分からんしな。
そもそも、この議論のきっかけは北の国と比べて蜀の政治システムは安定しているので、
守勢に全力を注いでいても、かの国のように内部崩壊を起こすような危険性はないという
話だったはず(>>525以降参照)。
かの国が内部崩壊しかかっている要因は内乱ではないのだから、内乱云々は最初から
見当違いの議論なのでは?
>>630
俺は、発端が>>543だと思ってたから、
魏呉と蜀を比べてるものだと思ってたんだが。
発端はどうあれ、比べても意味は無いな。
ところで、だ。諸葛亮の八陣の図の実態は何なんだろう?

8種類のフォーメィションらしいというのは聞いた事があるんだが・・・
陣形については春秋戦国の時にほぼ確立されているわけで、
どの辺に諸葛亮の独創性が見られるというのだろうか?
>八陣図
「闘将!!ラーメンマン」や「孔雀王」にも出てきたような覚えがあるんだよな…
演義と同じで怪しげな迷路だったけど。
陣形の組み合わせが独創的、とかいうオチじゃないだろうか。
天覆陣とか地載陣とかご大層な名前がついているが、
凡愚な俺としては方陣とか円陣とかもう少し解りやすい陣名を、と思った。
諸葛亮って人は理数系も得意だったようだけど、独創的に物事を産み出すようなタイプでもなさそうなので、古来からの陣形に改良を加えた程度では?
宮川尚志氏によれば、後漢の将軍連中が対匈奴と戦うにあたって用いた平地防御用の陣形と連弩などの改良武器を用い、総合戦力としたものではないか・・、
との事。
簡単に言うと、どっちから攻撃されても対処できるようにした平地防御用の方陣だろう、と。
どうやら、荊州で呉に備える為に考えたらしい。
まあ並以上の武将なら兵法書通りに陣形なんて作らず、状況に併せていくらでも改良するような気がする。
それをわざわざ記録に残すのはごく一部だけだろうけど。
孔明の場合、他のもろもろの事跡(飛び道具中心の戦いかた等)を総合すると、
将才に乏しい人材でもそこそこ勝てるような戦いかたを構築することに腐心していたような
気がする。陣形の開発も、その一環のような印象。
640無名武将@お腹せっぷく:04/08/10 02:20
陣形のテーマパークだろ。
8階建て
>639
蜀の場合どこと戦っても数の上で
>>蜀となるので、必然的にそういう戦術になるかと。
>>641
しかしながら、兵力が劣勢ならば、火力の向上よりも機動力の向上の方が有効じゃないか?
広く戦略展開して敵を分散させた後に、高い機動力で集中して相対的な戦力差を埋めた方が良いと思う。

思うに、兵力の多寡よりも地形が問題だったんじゃ。
漢中から雍州へ侵攻するにはルートが限られてるし、雍・涼州自体が山がちな地形、
更に侵攻ルートの半数以上は桟道を通らねばならない。
そんな戦場では広く迅速に戦力を展開させる事なんてできないだろう。

人材の乏しさと戦場が、孔明にあの戦闘ドクトリンを選ばせたんだと思う。
ショクで機動力と言えば姜維だが、兵站がな…
兵站を捨ててまで機動力をとった姜維と
兵站を重視するがゆえに火力?にたよらざるおえなかったコーメー
二人のスタンスの違いは、性格もあるだろうが、立場の違いだな
どのみち悩みの種はショクの山険か…
>642
いや、数で劣るなら人間鍛えてもさほど意味はない。
どんなに機動力があろうが1人で10人は勝てん。
当時の兵力差10万VS70万とすれば機動力など
一時しのぎになかならない。
そうなると圧倒的な火器で差をつけようという考えは
最善だと思う。更に言えば狭道が多いのだから、
強力な火器があれば待ち伏せが非常に有効になる。
>>644
実際に魏の対蜀戦線に70万も投入されたか?
敵を分散させつつ自分を集中できれば、相対的な兵力差が1対10になるなんて事はないだろ。

それに、機動力は最も重要な要素だと思うぞ。
古今東西の名将たちも、優れた機動が勝利を導くと語ってるしな。

漢中からの侵攻のように、地形的に機動できる余地が少ない場合は有効とは言えないが。
機動力と兵站のジレンマというのは古今東西の名将が抱えた問題だものね。

諸葛亮は兵站を軽視せず正攻法でいったため、魏軍の対応を早期に許していた
という感がある。
そのために祁山や上ケイ、はたまた五丈原での対陣の様に、魏軍に要地を扼されて
しまい、主導権を失い、侵攻速度が嫌でも落ちる結果になってる。

諸葛亮の作戦をみてると、第一次で敗北で懲りたのか、それ以降は大きく戦力を
分けての二正面作戦をほとんど行っていない。
陽動や挑発は五丈原でも行っているけど、あくまで小規模にとどまってしまってる。

機動力をもたない軍事行動でありながら、どうにも作戦術の面で柔軟な発想がない。
囮・陽動といった事で敵戦力の分断→各個撃破、の戦法は戦力で劣勢下にある
状況で多くの名将がおこなってきた事なんだけど、諸葛亮は馬謖の一件で懲りて
しまったのかね……。
>兵站を軽視せず

そのわりには…
ただでさえ兵站の維持が困難な場所だしな。
兵站軽視で機動力重視なのが姜維だったが。
しかしながら姜維も、高い機動力を持ちながら、広く展開して敵を分散するという事ができてない。
これは、姜維の作戦立案能力が足りてないのはもちろんだが、兵を分散させても合流しにくい地形であるという問題と、
蜀征討戦から分かるが、廖化や張翼などは作戦行動が鈍重であるという問題が重なっての事だろう。
彼らの動きが鈍重なのは、諸葛亮時代の戦闘教義にどっぷり浸かってたのが理由だろうけど。

分散した後に集中できなければ、単に各個撃破されるのを待ってるだけだもんな。

かと言って諸葛亮の方法も結局成功してない。
やはり魏に大規模な内乱とかが起こらないと、どんな方法でも成功は無理か。
しかし、合流し難い地形だからこそ、そこそこ戦えたとも。
魏だって大軍を持ちこむことが難しいわけだし。
蔣琬の企図していた漢水下りの成功率はどうだったんだろうな。
あれを、諸葛亮の存命中に諸葛亮が指揮して行ってもやはり駄目なんだろうか?

当時の上庸周辺の防備の状況ってどうなってたんだろう?
>644
あのね、蜀にしても10万も投入できんでしょうが?
だから兵力の差は埋まらない。ただ蜀の強みは
攻めるに難い要害の地形にある。
孔明ならば守るなら全く問題ないだろうが、後世の事を
思えば火器を充実させるのが最善な事は世界でも歴史が証明している。
>>652
話がずれてるな。
俺は一般論として、兵力差を埋める場合に重要なのは機動力だと言ってるだけであって、
当時の魏蜀の状況に限定すれば機動できる余地が少ない分機動力の向上は効果的ではない
と言ってる。

モンゴル軍がホラズムを攻めたサマルカンドの戦いでは、総兵力20万のモンゴル軍が、
サマルカンドに50万の兵力を集中していたホラズム軍を、
その機動力を活かした大規模な外線作戦で翻弄し見事勝利している。
これを機動力によってではなく、火力の充実によってでは勝利できたとは思えないんだが。

どれだけ火力を充実させても、機動できなければ翻弄されて終わりじゃないか?
>どれだけ火力を充実させても、機動できなければ翻弄されて終わりじゃないか?

機動力vs火力といやあ、日本でもあったな。信長と武田の若様が戦ったやつ。
あれはどうなんだ?
>>654
長篠の戦いの真相を知らんからよく分からんが、講談通りなら機動力の使い方を間違えてる。

機動は、包囲や迂回、退路遮断や奇襲などによって敵の精神的均衡を破壊する為に行ったり、
自軍を分散させて敵の分散を呼び、そこからの高い機動力による迅速な結集によって、
相対的な彼我の戦力差を埋める為に行うもの。

堅固な陣と高火力の部隊を備えてる敵に正面突破する為にあるんじゃない。
「スピードかパワーか」ってのと混同してるんだろうな。
日本でいう機動を実践してるのは、むしろ武田なんかよりは秀吉だね。
賤ヶ岳その典例じゃない?
とりあえず、長篠の戦いは例から外した方が無難。
659無名武将@お腹せっぷく:04/08/13 00:00
中国大返しは神業
>653
蜀を語るのに一般論を語る事になんの意味がある?
要害の地ならばそれを活かす戦をするのが名将だろ?
だだっ広い平地で戦えば数の論理で押されるのは目に見えている。
当然狭路を活かしたりの守備的戦を想定した場合火器は最も効果的。
モンゴルの平地での戦いとは全然別物。
孔明ほどの戦略家が間違ってもそんな博打をやるとは思えない。
>>660
俺は、兵力が劣勢なら火力の向上が有効だって意見に対して、機動力のが有効だって言っただけ。
>>639を見ると、兵力の多寡を問題にして、その対処として火力が有効だって言ってるように思えたんでね。

その後に機動力自体を否定するような意見を言われたから、更にそれにも反論したけど。
それに、蜀では機動力の向上はそれほど有効じゃないとも言ってるだろ。
何も孔明を否定しようとしてるわけじゃないっての。

それと、戦略的に見れば、敵味方ともに広く展開できる戦場の方が、機動できる分だけ
劣勢な方にも勝機が見えてくると思うが。
リデル・ハートも「我の分散、敵の分散、そして我の集中」と言ってるだろ。
守る事を考えりゃ不利だろうがね。
火力って言い回しが、なんかな……

機動力に関しては、姜維はあの山険の地でよくもまぁあれだけ俊敏に軍を動かしたとは思うが
>>661
要するに、

蜀において、兵力が劣勢なら火力の向上が有効 は同意で、
兵力が劣勢なら火力の向上が有効 に反論 ってことだろ?

なんか、そこらへんが入り乱れて交差してる状態で話し合ってるよな。
>>662
火力で良いと思うけど。
一般に軍事力は「情報・警戒力」、「指揮・通信力」、「機動力」、
「火力・衝撃力」、「防護力」、「兵站・人事力」の6つに分けられるから。
連弩や弓なんかは、この中では火力に相当するからね。
>>661
は?
>>639は指揮官の能力を問題にしていて、兵力の多寡にはまったく触れてないぞ。
666661:04/08/13 11:59
>>665
すまん。指摘されて気付いたが、>>639ではなく>>641だった。
>>652
蜀は魏のように列強に囲まれてるわけじゃないから、魏よりはずっと兵力を集中させ易いと思われる。
国力比より大目の動員ができたとしても、兵站の維持が大変だから前線に大兵力は置けないでしょ。
それは魏も同じだが…
軍が大きいほど兵站の維持はより大変なわけだし。
兵站の維持ってイヤっていうほど言われるけどそれほど大変なものなのかねぇ
場所にもよりけりなんでは?
現地調達は難しいとしても、ある程度時間かけられて会議をかさねれば
さほど苦もなく流通できるモンでしょうが
なんやかやと理由つけたがるけど、
実際はそれは多くあるウチの小さな問題のひとつにしか過ぎないように思うけど
>>670
大変よ。
舗装道路や鉄道や飛行機があれば別だけど。
>>671
う〜ん 確かに現代の感覚とは違うだろうけど
そういう事を戦争が起きるまでまったく考慮してないんだろうか?
戦争が起きそうだ それで初めて兵站をどうするか考える って感じだったのかなぁ?
馬鹿としか言いようがないよ
こと、蜀が攻めてきたのは一度や二度ではないはず
防衛戦とか、それに対する備えって思考はなかったんだろうかね
>>672
>こと、蜀が攻めてきたのは一度や二度ではないはず
>防衛戦とか、それに対する備えって思考はなかったんだろうかね

少なくとも、劉備が死んで油断してたため、孔明が攻めてくるまでは備えをしてなかったらしい。

あと、魏は領土が広大なため、地方には堅牢な城に名将率いる少数の軍勢を駐屯させ、敵が攻めてきたら
名将が敵の攻撃に耐えつつ援軍を待って敵を敗走させる、というのが常套手段だった。
674無名武将@お腹せっぷく:04/08/13 19:20
ちょっと質問。白羅家って何?孔明に仕えたというらしいけどこれって実在する
の?たしか料理人だって知り合いがいってたんだけど
各要所に大軍を置くのは経済的にも厳しいものね。
もしも地方の大軍が反乱したら厄介だしね。
>>674
それ確か「中華一番」にでてきた饅頭仙人だろ(ワラ
魏って各要衝に穀物を大量に貯蔵してたらしいから、
蜀や呉ほど兵站の維持は難しくなかったんじゃない?
そもそも何故北伐をしたか?勝てるわけねえだろ。
攻撃は最大の防御みたいな考え方だったよーな
赤壁だってもし負けてたら「圧倒的に劣勢なのが分かっててなんでやったの?」って事になるんだし
後からでは過去の人の行動にはなんとでも言えるよね
出師の表を読むにつけ、勝つつもりっていうより
勝てないかも知れないけど漢王室復旧の為にはやるしかないって感じだと思うけど
最初から勝つつもりがないってのも面白い意見だけど
そんなの孔明しか分からない心もちだし、
それでは部下達を納得させられる訳がないしね
>>672
>>673が言うように、
> 少なくとも、劉備が死んで油断してたため、
が原因みたい。「蜀には劉備しかいない」と考えられていたみたい。

>>680
>攻撃は最大の防御みたいな考え方だったよーな
真偽がやかましい註には諸葛亮が『守り固めとけ、って言ってた王朗は孫策に負けたやん』って言ってた」ってなってるな。

683無名武将@お腹せっぷく:04/08/14 19:00
攻めて出た所で王朗が孫策に勝てるとは思いにくいけどね
684682:04/08/14 19:03
>>683
悪い端折った。
「守っているだけで勝てる」と言う思想を持つ蜀の名士たちに言った、って意味で、
その姿勢は王朗と同じ、という部分が本題。

でもまあ、攻めて出て負けた、ってことは同じか。
蜀の場合は守ってよし の所だからちょっと話が違うかもね
まあ結局落とされた訳だけど
なんか最近あちこちで否定されがちだけど、
やっぱり求心力を高めるためなんじゃない。北伐って。
実際魏が攻めてこなくなると、完全に油断してそれだけで腐敗しそうな国だもんな
いや、あれは明らかに劉備との約束事としてでしょ?
孔明が本当に首都まで攻め込めると考えていたとは思えない。
そんな能天気なのはギOンとキョOイくらいなものでしょう。
孔明は自分の死期も読んでいたと思われる。
だからこそ死後の人事に関しても充分考えられていた。
北伐=魏の併呑、って考え方は飛躍し過ぎかと。
かなり長期的な最終目標としてはあったろうが。
諸葛亮の北伐の場合、ロウ西(あるいは天水郡治を中心としたい渭水上流域)の確保が当面の目標だろう。
で、関中の均衡を崩したら関中確保。制限戦争だろうな。
街亭で勝てれば(あるいは負けなければ)、第一段階終了ってコトで魏がロウ西諸郡を放棄するんじゃないか、っての想定してたんじゃないかな。
しつこく攻めてくれれば、攻守入れ替わりで魏の負担も大きくなり、現状維持で結局放棄するはめになるだろうし。
まぁ、街亭で負けず、その後も現状維持が出来ればの話だが。
後出師之表は黒歴史か?
つか読んでないやつ多くない?
ここ最近見てて思った。
>>689
あれは完全な偽物か、後世の人間の手が加わってるだろ。
そのままでは鵜呑みにできない。

>>686
諸葛亮があれだけの大軍を率いたのは北伐が初めてだ。
成功する保証はない。そればかりか、慣れない軍事行動で
目も当てられない大敗を喫し、かえって求心力を失ってしまう
危険性すらあった。

北伐が求心力を高めるための行動っていう考えは、諸葛亮が
大過なく北伐を続けたことを知っている未来の人間の発想だろう。
>>690
危険性を鑑みるのは分かるが、譲禅をよしとしないことにより正当性を主張した王朝が
何の行動(戦争)も起こさず国力増強にひたすら打ち込むのには無理がある気がする。
しかも中央部はよその州から来た連中。
孔明なりの”勝算”とやらがあった気はするけどな。
>>691
よく読め。「求心力を高めるための北伐」を否定しているだけだ。
それがなんで「何の行動(戦争)も起こさず」なんて話になるんだ。
お前はこの程度の文章しか読めないのか。
693691:04/08/15 18:52
>>692
お言葉ですが、あなたこそもう一度文章を読んでください。
南征ではなく北伐でなければならない理由も書いてありますよ。
>>692
いろいろ言いたい事はありますが、とりあえず
変に感情的になるのはやめましょう。
695690:04/08/15 19:03
>>693
694に窘められたので煽り口調はやめ。
俺には693がよく分からない。なんで南征?
北伐は蜀の大義なんだから、優先順位は「北伐>南征」じゃないの?
なんで北伐の話しているのに南征の話題が出てくるの?
「諸葛亮は求心力維持ではなく大義のために北伐を行った」ということだろう?
失敗の可能性は決して少なくないが、だからといって座して何もしないわけには
いかないっていうのが諸葛亮の考えだったんじゃないのか?
696691:04/08/15 19:05
やっぱり理解できないでしょうからもう一度やさしく言い換えると、
魏の正当性を批判することを自分たちの正当性としている国が、
魏に対して「何の行動(戦争)も起こさず」ですからね。
魏以外では駄目なのではないか?というのがこの意見です。
まさかたったの一文だけ抜き出して文脈を無視し全く戦争をしないなんていう、
馬鹿げた意見として読まれたのではないですよね?
697691:04/08/15 19:11
>>695
自分としては大義とは求心力を高めるための道具として用いたのではないかと思うのですが。
大義を果たすことによって国としての威信が保たれ、
それを実行する者としての求心力が諸葛亮に与えられ国を安定させる。という要素が大きいのではと考えたのです。
それで、何が何でも大義を果たすというよりは国内の安定に利用しようとする考えの割合が大きかったのでは?と思ったのです。
698690:04/08/15 19:12
>>696
わるい、俺がバカだってことでかまわないから、もう少し分かりやすく説明してくれないか?
蜀国内での国力はほぼピークを迎えていた と想像するならば
北伐をする事を考えないのは何の為にここまで富国強兵に努めていたのか
って問われることにもなるかも
そういういろいろな思惑が絡み合って北伐って形になったとオレは思ってる

大義うんぬんって結局は戦争を正当化する為の材料であって
必ずしも誰もが大義の為に戦争する訳ではないし
700690:04/08/15 19:19
>>697
なるほど。少し分かってきた。
もしかして俺と君とでは“大義”とか“求心力”といった言葉の解釈に違いがあるのかもしれない。

俺は北伐っていうのは蜀の存在意義だと孔明は考えていたんじゃないかと考えていたけど、
君は北伐をあくまで国内統治のための道具として考えているってことなのかな?
間違っていたら訂正よろ。

>>699
俺は孔明っていうのはマジで漢朝復興を目指していたんじゃないかって気がするんだよ。
彼は魏に仕えることができたし、あれだけの才能があれば魏でもえらく出世できたろう。
しかし彼はわざわざ当時流浪していた劉備に仕えている。それに彼の事跡を見ていると
己の栄華や権力のために宰相をやっていたわけでもないことは明らかだし。
701691:04/08/15 19:21
>>698は煽りっぽいが・・・・
自分は蜀という国の存在の正当性は魏の簒奪を批判することから来ていると思っています。
そういう形で発足した国ですから、単に戦争をして勝つだけでは
求心力を高めるためには不十分なのではないでしょうか。
ですから南征して勝つと言ったような単純な戦争ではなく蜀が発足した理由となっている
魏への敵対行動がないと駄目なのでは?と言う意味で「南征ではなく北伐」と言ったのです。
702690:04/08/15 19:25
少し訂正。
× 彼は魏に仕えることができた
○ 彼は魏に仕えることに何の障害もなかった

当時はまだ魏じゃなくて漢だけどね。
曹操の傀儡政権としての漢に仕えることを潔しとせず、当時地盤のなかった劉備に仕えたところに、
彼の覚悟や本気度が見え隠れしているような気がする。

>>701
ごめん。696読んだ直後に書いたんで毒がある書きかたになっちゃった。
そちらが煽らないかぎり、こちらももう煽らないことを約束するよ。
703691:04/08/15 19:25
>>700
そうですね。
>>690さんは表現は悪いかもしれませんがロマンティスト孔明を推しておられるようですが、
自分としてはリアリスト孔明の割合がもうちょっと多かったのではないか?と考えている。
その程度の違いだと思います。
704691:04/08/15 19:30
もし違ったらすいませんが、スレタイに合わせるなら
690さんは自分の高い理想を果たす天才孔明なのに対し
自分の意見は国を憂う勤労凡人孔明という考え方なのではないでしょうか?
当時の政治的な背景を探るのは非常に有意義かとも思ったりもするが
妙に勘ぐったりせず出師の表を読むとすべての真実が書かれてるような気もする
706690:04/08/15 19:49
>>703
俺がロマンチスト孔明を押す理由は彼が劉備に仕えるようになった状況なんだよね。
彼は実際の作戦立案や国家運営の段階になると徹底したリアリストになるのに、
劉備に仕える経緯だけがえらくリアリストな行動から外れているように見える。

諸葛亮は、出世した学友のツテで魏に仕えることも、兄のコネを利用した呉に仕えることも
できたのに、敢えて劉備を選んでいる。なんでわざわざ劉備を選んだのか?
己の腕を試したかったのか? …孔明の性格を考えるととてもそうは思えない。
諸葛亮が“本気だった”と考えないと、俺の中では彼が劉備に仕えた理由が説明できないんだ。

>>704
天才じゃなかったと思う。秀才が天才に並ぼうと必死に努力して結局届かなかった人間。
大義をまっとうして歴史に名を残した過去の天才たちに並ぼうとして無理だったのが孔明。
孔明の言動や事跡からは天才の片鱗は伺えない。

>>705
俺はどちらかというと出師の表は本音だった派ということになるのかも。
>>706
孔明は「徐君ほどの者がその程度なのか 魏は人が多いのだな」と言ったことを斜め読みすると
孔明は出世欲などはなかったどころか興味がない上に疎かったんではないかとさえ思える
実際、徐庶は彼の背景からするとかなり出世してるしね
まあ孔明の立場と比べると劣ってるってだけ
孔明はリアリストところか非常に認識が甘い人だったとも思えるが。
甘いながらも自分の欠点を自覚してたいた
優秀だったし、非常に忠誠心溢れるいい人だったと評価はできると思うけど
斜め読みというか曲解じゃないか、それは。
どう解釈すればそうなるんだ。
>707
ふーーん、君は臥竜、伏竜と言う当時の評価も
希代の戦略家と言う評価も全て「勝手な思い込み」と
でも言うのかい?へーー凄いね。
更には建国までの軍師としての働きと蜀漢の政務も
全て「凡才だけど頑張っただけ」というのか?
常識を完全に否定するわけ?君は凄い天才なんだね(プッ
ここって正史基準なんでしょ?
臥竜伏竜ってなに?
しかも>>709からすれば否定的にうつった>>707の意見に対して
君は凄い天才なんだね
って話にならないね 夏厨は
>>709は意味が良く分からないが、
臥竜とか伏竜って言葉は正史にもあったと思うぞ。
>>711出てきたかどうかより(っていうか出てきたか?)
>>709は演義厨臭かったから
演義で孔明、ホウトクをなぞらえて司馬キが称した臥竜伏竜を引き合いに出してる臭かったから
とりあえず正史を読み直せ
お前ら人の書き込みを曲解しすぎですよ。
孔明が臥竜と呼ばれてたってのは注釈の襄陽記にあるし、
正史本文でも徐庶がそう呼んでたと思うが。
さすが夏厨は意思の疎通が困難ですね。
↓で夏厨が暴れます どうぞ
718無名武将@お腹せっぷく:04/08/15 23:20
所轄量公明
諸葛亮を凡人と評すると三国志の殆どの人物が凡人になっちまう。
本分でない戦争でもあれだけの手腕を見せ、政治ではもっと凄い、
努力した凡人とは董允にこそ相応しいと思う。
凡人とは思わないが、日本で言うところの鬼才ではないと思う。
あくまでも秀才。鬼才といえるのはは曹操、鐘会あたりかなあ。

ただし、上手く言えないけど秀才の域とはいえ鐘会よりも上だし
後世に賞賛されても十分な人物な気がする。
>>719
諸葛亮は天才タイプじゃないので『凡人か天才か』の2択だと凡人のカテゴリーに入る。
ある意味、凡人の限界を示したのが諸葛亮といえるのではないかな。
じゃあ

天才型
曹操 曹ヒ  司馬懿 鍾会
孫策 劉備 姜維

凡才型
荀イク トウガイ  司馬昭 曹仁
周ユ  呂蒙 陸遜 陸抗 諸葛亮

みたいな感じに別れんのか?
軍事に関してみれば、戦局を一瞬で見抜く事のできる「戦局眼」の有無が天才と凡才を分けると思う。
秀才か天才で分けたほうが荒れなくて良いと思うのだが・・・

曹操孫策はともかく何故曹ヒ?
これが曹植なら分かるが(別の分野で天才)
>>721
凡人と天才の二択か、それはちょっときついかも、
個人的には政治は天才と軍事は秀才という、天才と秀才の狭間の人なんだけどな。

>>722
劉備・姜維・鍾会・曹ヒは違う気が…、どっちかというと陸遜・陸抗は天才な気がする。

>>724
曹ヒの詩も結構有名だよ、曹植・曹操に負けず劣らず。
とはいえあんまり関係ない話だけど。
諸葛亮は政治も軍事も秀才型じゃないか?
天才じゃないから過労死するぐらい頑張らなければならなかった。
過労死だけで政治まで秀才にしてくれるなよ…
天才というほどでもないとは思うが。
誰か、諸葛亮のやったことで「これは秀才ごときでは無理」という事例を幾つか上げてみて。
上げられた事例を1つずつ検討していけば、彼が天才か秀才か判明するでしょ。
孔明が過労死したのは単に狭量さが露呈したとも言える
蜀は確かに魏と比べると優秀な人は少なかったのかも知れないけど
要点だけ指示しておいてあとは細かい所までは任せられるほど仕事に対しておおらかではなかったと言える
まあ真面目すぎる人に過労死って多いしね
いい人ほど割を食うよな
>>729  
天才ってのは、ある方面での才能を生まれつき持ってる人のことだろ。
歴史書の記述で、そんなことを判定するのは無理かと。
俺のイメージだと
天才っていうのは直感がすぐれてる人
たとえば数学の問題を解くとき、大体の答えを決めて、そっから式を組み立てていく
秀才は、ちゃんと習った方程式を組み合わせて答えに辿り着く感じ
あれだな、“緻密”って言葉が似合うかどうかかも

陸抗は凡才型のメーターが振り切れて天才型に届いてる感じ
曹ヒは凡才に近い天才型かと
曹ヒはばかにならんよ。曹操の生き写し(あるいはそれ以上)ぐらいの能力はある
徹底したリアリストであり、「文は国家の大計」と言った。
惜しむらくは少々の狭量と、寿命の短さだが、息子に補佐するに足りる人材を残している(曹真、休、陳羣、司馬懿)
とくに司馬懿なんかは魏の獅子陣中の虫あつかいたが、曹ヒに対しては忠誠心を持っていたようだし、
詩文も三曹の名にたがわず素晴らしい。魯迅なんかは植よりヒの方がよいと言ってるくらいだ(俺も曹ヒの方が好き)
個人的には唐太宗くらいの人間かと
曹丕は曹操の悪い所ばっかり集めた粗悪な毒々しい輩って感じがするけどな
曹丕は詩より小説の方に長けているんじゃ?

>>726
呉に赴き気盟を結び、イリョウで壊滅的打撃をうけた軍を建て直し、
連年の出兵にも関わらず国力を損なわず、法家でありながら民に愛され他の人物に敬愛された。
やっぱり諸葛亮は政治は天才だと思うよ。
過労死したのは政治と軍務を一身に受けすぎたからでは?多分殆どの人間が過労死する。

>>732
曹ヒの詩才を褒めはしたけど、政治・軍事に置いてそこまで優秀とは思わない。
どうにも一族を牽制するあまり、他に力を持たせ過ぎた印象がある、
自身の残した司馬懿の息子達に簒奪されちゃってるし。
戦争でもそんなに目立った功績は残してないし、曹操以上では無いと思うな。
曹丕は2代目としては申し分ないな。
ただそれ以上の評価は与えられない。
諸葛亮って詩とかはやらなかったのかな。
全然そういう話を聞かないけど。
天才の定義が各々違っているぞ。今のところ出ているのは、
1)生まれつきの才能説(>>731
2)直感に優れている人説(>>732
3)常人より無茶苦茶すごい人説(>>735
1−3のどれがいいか、或いは、別の定義を考えたほうがいいか。
天才→サヴァン
普通人→それ以外
>738その他
天才と呼ばれるのは、1。実績があってそれが常人では不可能な事。
2。実績は残してないが、過程に於いて常人では出来ない事をした人。
3。実績も残し、尚且つ過程も常人には不可能な・・・
4。全てに於いて突出した才覚を持った人。
この全ての総称で使われるのが普通。孔明は3ないし4。
文句なく天才。つーかこの人に比べれば全員雑魚。
曹操 曹ヒ  司馬懿 鍾会
孫策 劉備 姜維

このメンツを天才というなら孔明は不世出の天才。
このメンバーってどれか1つしか出来ないじゃん?曹操 曹ヒ  こいつらの
どこが天才なの??天災てゆーならわかるけど。
戦上手なのは天災とは言わない。
741735:04/08/16 20:36
>>738
俺は1・3で諸葛亮は政治面では天才だと思ってる。
諸葛亮って劉備に仕えるまでは本当に誰にも仕えず、遊学と農耕をしていただけの人で、
特にキャリアを積んでいないのに、劉備に仕えた後は外交・統治・補給といきなり活躍してんだよね、
これは正直凄い事だと思う。
>>735
>呉に赴き気盟を結び、
これは先に魯粛が、敗北し逃げるしかなかった劉備を見出し、盟を結んだおかげだと思うが…

>イリョウで壊滅的打撃をうけた軍を建て直し、
大打撃は受けはしたが、壊滅的打撃というわけじゃなかったんだろう。
官渡で負けた袁紹なんかと違って、敵が攻撃を断念してくれたというのは大きい。

>連年の出兵にも関わらず国力を損なわず、
少数民族から散々搾取したからな。

>法家でありながら民に愛され他の人物に敬愛された。
北の某国で、
人をガンガン処刑しながらも、将軍様〜などと敬愛されてる人物がいるのを見ると、
さほど珍しいことでもない気がする。
>人をガンガン処刑しながらも、将軍様〜などと敬愛されてる人物がいるのを見ると
馬鹿
別に天才とは言ってない
天才型に分類しただけだ
ただ諸葛亮が曹操や司馬懿より上とは思えない
傾国を支えただけなら、陸抗の方が神がかってるし
三国だけで探そうとするからかな?
文武、人徳に実績を残した(←これをいれると不利にならないか?諸葛亮)なら、三国の次の西晋東晋十六国だけでも
石勒 符堅 王猛 慕蓉庚
祖逖 王導 諸葛導…etc
とあげればきりがない。
比べるは愚かしいが、これらの人物と諸葛亮を比べたとき、これもまた諸葛亮が上とは言い難い
諸葛亮が神がかって見えるのは日本人における三国志の知名度の高さも関係してくると思う
尤も、天才が何人いてもいいし、上記の人物も含めて常人及びがたいものがあるだろうが、
諸葛亮マンセーだけは見てて気持ち悪い
あと、曹ヒに関して言えば、政治の実績に関しては「九品官の制」の採択の他、
魏においては宦官勢力が台頭したかった事、
司馬氏台頭の責任はむしろ明帝以降に問題があるであろう事をいっておく
軍事に関しては、皇帝という立場の彼と、そうでない曹操を比べるのは彼に不利
皇帝の親征の最重要事項は「皇帝の安全」だから
むしろ、勝てないと判断した途端、撤退を支持するあたり有能な証拠だろう
煬帝や李世民は皇帝のプライドが邪魔して出来なかったんだから
>>743
いやいや、言いたいことは分かるよ。
けど、狭い国で独裁してしまえば、ある程度、民意をコントロールできるということさ。
北朝鮮は現在進行形だろ?
自分の死後、および蜀が滅亡後も諸葛亮は名声を失わなかったんだぞ。
>>746
それは諸葛亮の実力もさることながら、時勢の良さもあったのだろう。
呉の陸一族や高句麗の位宮なんかもそうだが、魏晋は敵国の重臣を悪く言わず、
どちらかというと賞賛することを是としてる。
(´-`).。oO(なんかおかしなのが来てるなぁ・・・)
>>742
>これは先に魯粛が、敗北し逃げるしかなかった劉備を見出し、盟を結んだおかげだと思うが…
裴松之も言ってる様に、蜀書では諸葛亮の、呉書では魯粛のおかげと書いている、
どっちが、と言う議論はあまり意味が無いと思うし、諸葛亮が使者として赴いた事実があるから、
外交官として行動したのは確かだろう。

>大打撃は受けはしたが、壊滅的打撃というわけじゃなかったんだろう。
>官渡で負けた袁紹なんかと違って、敵が攻撃を断念してくれたというのは大きい。
将官級がかなり戦死したり魏・呉に投降したりしてる。
かなりの被害だと思うが?それにあくまで政治面の話だから、敵の攻撃云々は別の問題。

>少数民族から散々搾取したからな。
ソース希望、そんなに酷い搾取したというのは聞いたことが無い。

>北の某国で、人をガンガン処刑しながらも、将軍様〜などと敬愛されてる人物がいるのを見ると、
>さほど珍しいことでもない気がする。
あれを本当に敬愛されてると思えるのか?
諸葛亮は死後も人々が霊廟を立てる事を願い出る程、とてもではないが比べ物にならんと思うが。

>>744
誰も諸葛亮のみが天才だと主張してる訳じゃない、曹操・孫策・司馬懿・陸遜・陸抗なんかは天才だろうね、
それにあくまで三国志だけでの話だから、中国史・世界史なんかで比べると、
曹操くらいじゃないかな、三国志で天才と呼ばれるのは。
諸葛亮は独裁体制を敷いたが、民意をコントロールしていたので
人々に自分を敬愛させることができた、と言うのか?
諸葛亮が曹操でなく劉備の配下になったのは、
仁義がどうたらというよりも単に鶏口を選んだだけという気もする。
>>749
>外交官として行動したのは確かだろう。
それは確かだし、功績としても認める。
しかし、これは天才の根拠にならない程度の功績かと。

>かなりの被害だと思うが?
>敵の攻撃云々は別の問題。
かなりの被害だとは思うから「大打撃」といったのさ。これが壊滅的打撃かどうかまでは分からない。
あと、呉がそのまま攻撃を続ければ、立て直す余裕もあったか怪しいのだから別問題ではない。

>そんなに酷い搾取したというのは聞いたことが無い。
まあ、異民族の反乱の多さからの判断だから、明確なソースは無いな。

>あれを本当に敬愛されてると思えるのか?
思ってないよ。
少なくとも農民とかの普通の人は敬愛なんぞしてないだろうな。
平襄とかで優雅に暮らしてる連中はどうだか知らないが。

>諸葛亮は死後も人々が霊廟を立てる事を願い出る程、とてもではないが比べ物にならんと思うが。
だが、霊廟を建立したがるような連中は、当時の裕福層であって、
現在のイメージする一般人と異なり、平襄とかで楽な暮らししてる連中みたいな層だと思うが。
天才ってのは何やらせても超一流って香具師の事を言うんだよ。
諸葛亮みたいに政治手腕は、とかの前提が付く香具師の事は「異能」と言う。
>>749
推測なんで参考になるかどうかは分からないが魯粛の死語、関羽がやられていることを考えると
”外交官として行動した”ことがどうとかの前に魯粛の辣腕ぶりが大きかったのでは?とも思える。
「天才的な」でいいじゃないか。
どうも諸葛亮=天才説の人は、諸葛亮の功績やら賞賛されてる点やらをあげて天才と言ってるようだが、
彼が蜀漢で並び無き功績を誇るというのは理解できるが、それが天才というレベルかというと、また違うような気するんだ。
蜀漢では天才というなら、なんとなく分かるのだけど。
それでいいのかな?
天才の定義自体が人それぞれみたいだから、天才か否かの議論を決着させるのは無理なんじゃない?
>>757
そりゃ、無理だろうねえ…
秀才でまるくおさまるな
天下三分の計を発案したのは普通かもしれないが、それを実現したのは「ただの人」には真似できん芸当である事だけはたしかだ。
秀才という称号だって賞賛だしな。

俺のイメージでは、魏での天才は曹操で、秀才は荀イクなのだが、
軍事面以外の実力は荀イクのが曹操に勝るイメージがある。秀才が天才に劣るわけじゃない。

なんか、荀イクは曹操以外に誰に仕えても功績を残しそうだが、
曹操は荀イク無しだと早々に滅亡しそう。
劉備と孔明も同じようなイメージ。
>>760
やっぱ、それも魯粛が・・・
>>760
実現してないよ。
天下三分の計は天下統一の計略。
まぁ、諸葛亮の実績ったって、一言にすると
中華十三州の内の一州をよく治めた
程度だからな
>>764
その過程である「根なし草の劉備に仕えて、最盛期には益・荊2州に跨る版図を築いた」という点も評価して欲しいなw
まあ、益州攻略にはさほど関与してないけど。
諸葛亮が2州を取ったわけでは…
しかも荊州なんて地味な4郡取っただけだし。
もちろん、諸葛亮は地盤を切り取った後での内政で功績をあげたのだろうけど、
765みたいな言い方だと、まるで諸葛亮のおかげで荊益州を取れたみたいだ。
諸葛亮のお陰で荊益州取れたってのは事実じゃない?
あれがいなきゃ天下三分構想も出て来ないし(劉備軍の中に、ね)
そうすると、諸葛亮最大の功績は劉備勢力を生き残らせたって事になるんだろうか。
諸葛亮を張良って考えずに蕭何だと考えればスッキリする。
>>752
>かなりの被害だとは思うから「大打撃」といったのさ。これが壊滅的打撃かどうかまでは分からない。
>あと、呉がそのまま攻撃を続ければ、立て直す余裕もあったか怪しいのだから別問題ではない。

侵攻して来る敵を追い返すのは軍事の範囲、俺が評価してるのは実際に立て直した政治手腕。
誰も軍事面まで天才とは評価してないし、全く別の話だと思うが?
それに魏との事もあるし呉が侵攻を続けれたとは到底思えないし、
仮定で業績を否定しても意味ないでしょう。

>だが、霊廟を建立したがるような連中は、当時の裕福層であって、
>現在のイメージする一般人と異なり、平襄とかで楽な暮らししてる連中みたいな層だと思うが

「百姓遂因時節私祭之於道陌上」「使百姓巷祭」「戎夷野祀」
といった表現から見るに、あんまり裕福層とは思えないが。
う〜ん
俺はどーも納得出来ないをだよな、赤壁前後の諸葛亮の功績
別に劉備は諸葛亮がいなくても荊州四群と益州を取りにいこうとしたんじゃないか?
赤壁の外交官は諸葛亮でなくても結べたんじゃないか?
まぁ、荊州の士大夫層はゲット出来たんだろうけど、曹操についていかなかったおこぼれだし
やっぱ、一州をよく治めた程度の男かぁ?
しかも益州からみてみれば侵略者だしなぁ…
>>770
>しかも益州からみてみれば侵略者だしなぁ…

おいおい…否定するために支離滅裂なこと言い出すなよ…
〇〇から見れば侵略者だしなぁ…
なんて言ったら三国時代の傑物はみんな侵略者だろうが。
諸葛亮の最大の功績は(少なくとも益州併呑以前まででは)
劉備と荊州人士を結びつけたことじゃないだろうか。
荊州時代はそうだろうな、そしてそれと呉との同盟以外特に功績ないし。
ただその二つも別に彼でなければできなかったという類のものではない、
彼が天才と言えるかもしれないのは行政手腕ぐらいだと思う。
とりあえず軍事は天才ではない、また人事は凡才というか2流?
諸葛亮の人事に関して文句言うのも微妙だ、
あの時代は有能な人間を使えばそれで上手くいくわけではないから。
どうしても士人になってしまうだろ。
そして、荊州の士人と言えば自分の本拠地から逃げてきた人間が少なくないはず・・・
(諸葛亮自体そうだしね)
やっぱジュンイクと比べるとかなり不利な状況だったんじゃなからろうか
>>767
>諸葛亮のお陰で荊益州取れたってのは事実じゃない?

そんな事実あった?
荊州取れたのは劉備の実力だし、益州取れたのは法正ら内通者のおかげだし…
>>769
>侵攻して来る敵を追い返すのは軍事の範囲、
いや、追い返してないよ。呉が魏の侵攻を恐れて追撃を断念しただけ。
どちらにしろ、この時の敗戦のダメージが「天才以外では回復させることは不可能なほどの壊滅的打撃だった」ということの証明がなければ、
天才的政治行動だったという証拠にはならない。
それに、劉備存命時、または劉備最盛期ほどの軍事力に回復したかどうかもわからないし。

>「百姓遂因時節私祭之於道陌上」「使百姓巷祭」「戎夷野祀」
>といった表現から見るに、あんまり裕福層とは思えないが。
漢語での百姓はそもそも有姓階層(士大夫)のことだしね。
少なくとも、現在日本でイメージされてる百姓とは違うかと。
諸葛亮時代は南方で反乱頻発だから
あまり政治の才能は無いような気もする、まあ太守の責任かもしれないが
その太守を任命してるのも諸葛亮だから結局一緒か
高い官位、中央の官位は荊州勢
夷陵だって、「荊州取られたら俺達帰る場所ないよー」っていう荊州勢の声を無視できないから起きた
俺が益州人なら、厄介をひっぱってきた荊州人と、そのドンである諸葛亮なんてでぇきらいだがね
>>778
そういう妄想を聞きたい訳じゃないから。
>>777
つまり反乱が頻発した曹操も孫権も政治の才能は無いと。
曹操はともかく孫権は…。
>>776
>追い返してないよ。呉が魏の侵攻を恐れて追撃を断念しただけ。
いやだから侵攻してこなかった相手に、呉が侵攻してきたら回復できたか分らない、
っていった仮定で業績を否定してもしょうがないし、相手を追い返すことは軍事の範囲じゃないか?
と言ってる訳だが。

>天才的政治行動だったという証拠にはならない。
誰もこの一事で諸葛亮が天才だった、と主張していない。
成都にあっては劉備の軍の食料・軍事力を充足させ、連年の北伐でも国力を損なわず、
法家でありながら民に愛される、そういった他の功績を鑑みて、政治では天才だったと主張している。
もっともそれも三国志限定の話だけど。

>漢語での百姓はそもそも有姓階層(士大夫)のことだしね
ただの民衆の事だと思うが?少なくともここでは路上で祭っていたり、
異民族と同列に書かれてるし、士大夫では無いと思う。
ましてや平襄とかで楽な暮らししてる連中みたいな層には繋がらない。
>>780
諸葛亮の場合、南方で反乱が起きて結果統治が不可能になったからじゃないの
蜀による統治は諸葛亮の死後なんだし
しかも劉備の時代は一応統治していたわけだし(劉章の時代も?)
南蛮の反乱なんて完全に封じるなんて無理だろ。
呉における山越と同じ。
諸葛亮の時代はいくつかの郡を放棄していたからだろ
ところが馬忠が対策をとるようになってからは(ry
>>784
無理を覆した人間が天才なのでは?
無理なものがやっぱり無理だったら、それは天才とは呼ばないでしょ。
臨機応変の戦術が苦手、という記述の所為で、最近戦闘能力を低く見る傾向にあるような気がするな。
その点以外での記述を見る限り、戦は上手かったんじゃないかな。

「経験も少なく、陣中での軍略の構築に長けていた」ように言われることが多いけど、
劉巴について述べた評から考えると現場での方が自信があったみたいだし。
戦はうまい方だろ
ただ、街亭での敗北がその後の軍事行動を大幅に制限したので何ともいえん
その困難な状況で勝利を取れるのが名将という奴なんだろうが
諸葛亮時代といっても223年から234年までのおよそ10年しかないわけで、225年に南征して劉備の死後起こった異民族を中心とした反乱を平定、227年以降は漢中にほぼ駐屯し北伐に従事してる。
で南方は李恢や馬忠、張嶷といった連中に任せたわけで彼らが充分にその任に応えている。
でもってそういった蛮族の反乱がもとで国家の危機にまで及んでるわけではないのでそれで充分なんじゃないの?

李恢や馬忠以外の諸葛亮が任命した太守はみな死んでると思ったが
天才じゃなきゃ凡才だ、なんて夏だよね。
そういや諸葛亮は張翼を任命して反乱を誘発したこともあったな
反乱起こされてるような人事が全て駄目というなら、全員駄目になっちまうぞ
反乱起きるのは異民族相手じゃよくあることだけどいくら何でも数郡失うようでは
まずいだろう、そして取り戻せないというのも
確かに魏や呉なら数郡失ってもたいしたことは無いかもしれんが
蜀じゃかなりの痛手ではないのか
お前等さあ、軍事は並って言うが彼が直接指揮して負けた戦いってあるか?
俺は覚えがないぞ?
どうも正史はこの辺が他の書と食い違う気がする。
最初から撤退戦の指揮を取ったのは負けじゃないしな。
どうも正史は孔明については怪しい記述が多すぎる。そんな大した事ない
人間に全権任せられたり、劉禅託したり、国を獲れ!なんて言う訳ないだろ?
>796
正史だけでも、充分に優秀な指揮官だよ。軍事に関してはもっと優秀な人材が多かったと。
ただ、このスレは天才以外が認めないようなのでね。
直接指揮して勝てた戦も少ないんだけどな。
主な戦績が撤退戦だし。

戦略的なところはともかく、現場指揮に関しては並の将軍だと思う。
ただしここで言う「並」ってのは凡人って意味じゃないぞ。
陳倉
Good! だけどグレイトではないって事ですか?
負けた戦はないが勝った戦たいしてない
命令されて嫌なもの
撤退する孔明の追撃
>>782
上のほうは、その通りだね。

>成都にあっては劉備の軍の食料・軍事力を充足させ、連年の北伐でも国力を損なわず、
>法家でありながら民に愛される、そういった他の功績を鑑みて、政治では天才だったと主張している。
だから、その一つ一つを分析して天才の実績といえるかどうかを検証してるんでしょ。

>ただの民衆の事だと思うが?少なくともここでは路上で祭っていたり、
当時の民衆は政治に携わらない人たちのことをひっくるめて言ってるからね。
そこには当然ながら裕福層も含まれてるでしょ。
そもそも、政府で禁止したことを多くの人の目のつく路上で行っているということは、
政府でも強く口出しできないような実力者連中が行ってるとも判断できるし。
>>778
>俺が益州人なら、厄介をひっぱってきた荊州人と、そのドンである諸葛亮なんてでぇきらいだがね
そう思われても当然だろう。突然意味のない国是押し付けられて
生活苦しめられたんだし。
だが現実には南方で反乱が起きたり、北伐の時に集めた兵が逃げた程度で済んだのだから
それなりの統治能力はあったんじゃないかと思う。
>>804
実際に戦ってたのは荊州人がほとんどだったのかも。
路上で祭ってたりしたのが、裕福層だとすると士大夫・豪族階級な訳で、蜀漢や、諸葛亮の統治体制に対してあるていど内情を知ってた訳で、そういった連中が祭ったとなると、やっぱりかなり支持されてたんじゃないかな。
庶民層の世論は操作出来たろうけど。
裕福者は諸葛亮統治下で損をしなかったから裕福だったわけで、それなら支持するよな。
諸葛亮統治下で民衆が苦しんでいたと?
完全に憶測の域を出ないと思うんだがな。
諸葛亮の時代(223〜234)の10年余のうち、225年、228年〜234年の合計8年が戦争状態。
庶民は苦労したろう。それを政権批判に向けなかったのが諸葛亮の能力だが。
>>それを政権批判に向けなかったのが諸葛亮の能力だが
この諸葛亮の能力ってのはどういうものだと思ってるの?

暮らしが苦しくなっても政府を恨ませないように
巧みに民意を操る煽動政治家的な能力なのか。

あれだけ出兵を繰り返しても、庶民がなんとか我慢できる程度の
消耗に抑える政治家的な能力なのか。
諸葛亮の能力・・・。
見事な統治能力だと思うよ。
戦争に明け暮れつつ、財政・民政を破綻させず、死後は庶民から追悼される。
息子は親父の七光りで期待されてるし。

ショクは国家元勲の子孫優遇策な国だからなー
まあ、どんな国でもそーなんだけど
俺、諸葛亮好きなのに、このスレじゃアンチっぽい意見になっちゃうんだよな
>>805
だったら夷陵のとき、「法正ありせば」って諸葛亮が言わなかったと思う
益州組のトップで、しかも軍部の重鎮である法正だったら止めれたんだから、
夷陵における軍の構成の大半は益州組だったんではないだろうか?(上の連中は荊州組だろうが)
>>813
> だったら夷陵のとき、「法正ありせば」って諸葛亮が言わなかったと思う
法正は「劉備を」止めることが出来た人物、だろ?
>あれだけ出兵を繰り返しても
呉のほうが戦争に関しては激しいが
816無名武将@お腹せっぷく:04/08/18 04:17
>>814
なぜ劉備を止めれえる人物だったか考えてくれ
信頼じゃないぞ?信頼だったら諸葛亮でも止めれたろう(諸葛亮に止める気があったかはわからんが)
曹叡は天才だと思うよ。
この板では人気ないようだけど。
>>804
そもそも厄介を引っ張ってきたのは同じ益州人だろう、
国是を押し付けたのは劉備だし。

なんか劉備が入蜀するまで蜀は平和な土地だったと勘違いしてないか?
>>815
期間を無視して語ってないか?
諸葛亮の北伐のように7年の間に6回も大規模な軍を動かしたことなどなかったと思うが?
>816
> なぜ劉備を止めれえる人物だったか考えてくれ
> 信頼じゃないぞ?信頼だったら諸葛亮でも止めれたろう(諸葛亮に止める気があったかはわからんが)
あなたは何が理由だと思う?
正史には劉備を諌めるためには矢の雨の中に身を投げ出す男だったという記述があるが。
>>818
> そもそも厄介を引っ張ってきたのは同じ益州人だろう
ここが良く分からない。劉備を引っ張って支配を受け入れるなんてのは
益州人多数の考えって訳けじゃないし。
国是云々は劉備存命時から諸葛亮も一緒に唱えていたのだから同じ事。

>なんか劉備が入蜀するまで蜀は平和な土地だったと勘違いしてないか?
平和な国だとは思っていないけど、分をわきまえない
無謀な天下統一ありきの戦闘国家じゃないだろう。
偏って益州の立場に立ってる奴がいるが三国時代に
益州に感情移入する意味がわからん。

だからなんなの?って感じだが。
俺が徐州人なら曹操って大嫌いだがね、とか
言うことに意味あるの?
>>821
厄介を持ち込んだのを憎んでいるなら、まず裏切った同じ益州人を憎むだろう、
国是を押し付けたことを憎んでいるなら、まず劉備をそして皇帝になった劉禅を憎む、
けど益州人はどうした?劉備・諸葛亮にむかって大規模な叛乱でもしたか?してないだろ。

蜀はその終わりが来るまで敵に蜀領内への侵攻を許さなかった、
例え君が言うように、分をわきまえない無謀な天下統一ありきの戦闘国家の方が、
内乱を起してる時代よりよほどマシだろう、少なくとも費イの治世まではね。

何か諸葛亮を否定するために無茶言ってる人がいるな、
俺が益州人なら〜、とか、諸葛亮を慕ってるのは北朝鮮と同じ、とか。
仮定を持ち出すのは確か詭弁のガイドラインにもあったな。
>>822 
言いたいことに理解を示せないわけではないが、複数の州を支配してる魏と益州ひとつを支配してる蜀漢政権を同列にしてはいかんだろ。
>>825
そういう問題じゃないだろ。仮定を持ち出して感情移入をして
特定個人を貶めることは詭弁もいいところ。
とりあえず、益州人だったら、とか不毛で無意味な詭弁をやめえ。
>>825 
益州人云々を言ってるのは俺じゃないし、822の意見を総否定してるわけでもないぞ。
あくまで、822で持ち出された例えが不適切だと言ってるだけだ。
>>816
遅レスになるが
劉備から見れば諸葛亮は内政担当であって
軍事的な部分は一切任せていなかった。
法正は漢中戦などで軍事的な参謀として大活躍した。
つまり軍事に関することならば、諸葛亮よりも法正のほうに信頼を置いていた、ということじゃなかろうか?
俺は正史を読んだことないんで普段はROMなんだけど、質問させてくれ。
蜀には「北伐なんて劉氏のエゴであって俺たちには関係ないね」という考えを
持っていた連中がかなりいて、だからこそ諸葛亮は出師の表で北伐の正当性を
熱く語らねばならなかったという解説をどこかで読んだことがある。出典を忘れて
しまったんで教えてほしいんだけど、これは物語での話?それとも信頼できる史料に
書いてあったこと?
>>829
出師の表、後出師の表が、そういう内容だよ。
日和見を決めててもだめだ、俺だって自分のことは可愛い。でもやらにゃならんのだ、って内容。

あと、
>蜀には「北伐なんて劉氏のエゴであって俺たちには関係ないね」という考えを
ちょっと違う。
「今攻撃しても勝てるわけないし、国政が優先でしょ。それやってるだけでも負けることもないし」というスタンスで、
「エゴであって俺たちには関係ない」というのではない。
ただ、国力差がどんどん広がるから「負けることはないし」ってのは違うぞ、って熱弁したわけ。

出師の表、後出師の表がごっちゃになっててすまん。読み返すのまんどくせ
後出師の表は信憑性に欠けるだろ 連発してるし
>>832
出師の表の方には「日和見だめよ」はなかったっけか。
>>831
これはいい出師ですね。
出師の表は後世の人が読んでも涙しない者はいないだろうって評したのって誰ですか?
んじゃあ、涙しない俺は人でなしだな
>>836
それ、面白いとでもおもったのか?
838829:04/08/18 16:27
>>830、レスしてくれた気持ちはありがたいけど、出師の表にはそんなこと書いてなかったと思われ。
俺の記憶だと吉川栄治が、小説じゃなく解説という形で蜀に厭戦気分が広がっていたことを解説していた
記憶があって、それ以外にも誰かが何かを引用して同様の趣旨の解説をしていた記憶があるんだが。。。
なんだったか思いだせないんで、引き続き誰か>>829知っている人いたら頼む。
直接は書いていないけれども、背景としてそういうのがあった、ということでは?
>>838
> >>830、レスしてくれた気持ちはありがたいけど、出師の表にはそんなこと書いてなかったと思われ。
おいおい。
>俺は正史を読んだことないんで
正史読んでねーのに、「出師の表にはそんなこと書いてなかった」だと?
出師の表ぐらいならネットで検索したらいっぱいでる罠
原文から書き下し 現代口語訳まで
吉川栄治がそう言ってるんならそうなんだろう。
出師の表はどちらかと言うと劉禅に対する諌めというか、
ちゃんと群臣の言う事聞いて、しっかり政治しろよ、って言ってる風に聞こえる。
>>843
この場を借りて言わせてもらうけど
オレの留守中もしっかり留守番しとけよって感じだなw
正気の賦と双璧らしいが、確かにあれ読んで泣けるとはおもえんな
泣ける泣けないはともかくとして、
正気も出師も胸にくるものはあるよ。その背景とかも考えれば。
そりゃ、勝てない戦に出ようとしてるんだから胸にくるものはあるな。
出師の表そのものはともかく。
848無名武将@お腹せっぷく:04/08/18 20:30
>796
俺もそう思う。どうもここの連中は誰でも貶めるのが仕事みたいでw。
あの当時の劉備を皇帝まで押し上げたのはまぎれもなく孔明の
お陰だし、そこまで否定するならソース出してみろ!と言いたい。
初期から負けこそ少ないが自分の道が見えなかった劉備に
あるべき姿を説き、猛将がいても戦略的な用兵ができずにいた
劉備軍を数倍の敵とも戦える強兵に作り変えた。
どう考えても常人じゃ不可能。正史は反孔明的な記述が気になる。
正史が反孔明的と思ってるやつは素人
>>849
だな。正史はどうみても諸葛亮マンセー。
評の中の一文をもって陳寿が諸葛亮を否定的に記述してるなんていうのは無理がありすぎる。
俺は正史読んで孔明が好きになったクチだ。
天才かどうかは置いといて、正史から読み取れる孔明は、ある意味、演義以上の存在だと思った。

とゆうか、晋代に、こんな内容の史書を出した陳寿は偉い。
>>849
>>848みたいなの、って
多分、正史読んだことなくて、「臨機応変の戦術が苦手」という記事をネットで見つけたタイプの子だと思う。
いや、俺は
多分、正史読んだことなくて、「臨機応変の戦術が苦手」という記事をネットで見つけたタイプの女の子だと思う。
いや、俺は
多分、正史読んだことなくて、「臨機応変の戦術が苦手」という記事をネットで見つけたタイプのょぅι゛ょだと思う。
>>847
ひょっとしたら、英雄も多いがそれ以上に盆暗君主が多い中国で、

俺もこんな事言いてー(劉禅に対しての諌めの言葉)
嗚呼、孔明も俺達と一緒で大変だったんだ…

みたいな感じで涙したのかもしれないw
いや、俺は
多分、正史読んだことなくて、「臨機応変の戦術が苦手」という記事をネットで見つけたタイプの無職だと思う。
>>855
いや、当時の劉禅は暗愚というほどじゃないし。
>>857
当時はそうでも、その後を知ってる人が読んだらの話で、
しかも軽い冗談だから。
859無名武将@お腹せっぷく:04/08/18 23:38
>>848みたいな人は、多分正史は読んだことあるけども、
それ以前に読んだ演戯か小説で植え付けられた孔明の強烈な英雄的なイメージとのギャップの大きさで葛藤してるんだと思う。
孔明の軍事能力も並以上だったんだろうが、曹操と比べるとやっぱり格下。
それに、内容はともあれ魏討伐という目標が達成されなかったのだから、歴史的には評価されないのは当たり前だ。
その分、内政能力や人身掌握力はしっかり評価してある。
曹操と孔明、どっちがどうよ
曹操は若い頃にけっこうボロクソに負けてるからなあ。
あれは天才というより多才であった気がする。
>861
徐栄の事か?
正規軍との戦い、って点では初陣に等しいからな。それに徐栄は歴戦の将軍だし。
やっぱ曹操は天才でしょ。陳寿も「超世の傑、破格の人」って評してるし。
曹操は負けても立ち直ってくるところがすごい。
ハッキリ言って孔明は司馬仲達より劣ると思うが。
晋の事実上の初代皇帝なので正史に本紀は無いし、演義だと
彼の政治、軍事の事績は対蜀の部分しかでてこないけど。
実際は外交、軍事、内政のすべてにおいて完璧といってもいい。
第4次北伐で孔明が戦術的に勝ったから
孔明>仲達なんて評価してる人は
日本史で真田幸村は徳川家康より偉いというのと同じレベルの勘違い
をしてると思う。
仲達の、少なくとも政治面での功績が諸葛亮を上回るとは思わないが。
仲達って農政関係に明るくて、トウガイの運河を活用せよという
レポートを採用したり、今で言う屯田兵を考えたり
純粋な内政面でもいい仕事してるよな。

外交面だと関羽の北伐のとき、遷都を考えた曹操に呉と提携して
背後をつかせる様に進言したのが光る。
これによって天下三分の計は事実上崩壊した。
孔明VS仲達の戦いはこのときもう決着がついていたといってもいい。
>>866
内政面では諸葛亮のように制度整備や法の運用の基本部分に携わったようには見えないが。

>これによって天下三分の計は事実上崩壊した。
>孔明VS仲達の戦いはこのときもう決着がついていたといってもいい。

これに至っては論外。
>>866
屯田は曹操の方針を継続したんじゃないのか?
司馬懿が何か新しく立ち上げたのかね?
曹操の屯田は流浪民に国家が土地や牛、馬、農具などを
与えて、その分高い税を取るというやつ。

司馬イのは兵隊を兵役につかせたまま、農業をやらせると
いう方式だったみたいだ。

晋書にはこれで魏の財政は飛躍的に豊かになったみたいに書いてある。
孔明も五丈原で真似しようとして失敗してるな。
>>861
結果だけみて中身を無視して言ってない?
徐栄にしても、積極策を掲げた曹操の意見が悉く連合諸将に却下されて、やむなしで
単独侵攻して敗れたんだよ?
たとえ指揮官が徐栄にしても、当時の董卓と曹操の軍事力の差をみれば曹操が
不利だったとして当然なんだし、曹操が当初に成皐を狙ったのは妥当だし、敗戦後に
黄河流域の各拠点を占拠すべしという作戦を評価すべきと思うんだけど……。

>>867>>868
>>866は「晋書」も併せて考察していると思われ。
司馬懿に関しては、「三国志」のみでは検証は不十分だとは思う。
>>869
軍屯は既に前漢の頃からあるぞ。

屯田の始まりについては,史書によっては前漢の昭帝のころという説もあるが,
その前代の武帝のときにすでに,異民族に対抗するためのものとして張掖,
敦煌といった国境地帯に置かれたらしく,その後,西域地方が漢の版図に入るに伴って,
そこにも屯田が置かれた。これらは辺境地帯に設置されたものであったが,
その後,前漢末の赤眉の乱を契機として,光武帝によって,内地にも置かれるようになった。

屯田は,献帝を擁立した196年,軍糧確保のために許に設置され,以後各地に設けられた。
魏の屯田には軍屯と民屯とがあり,軍屯は度支尚書または都督の所管で前線基地に置かれ,
軍士が耕作したが,魏の場合注目されるのは内地に置かれた民屯である。
典農中郎将などの典農官が所管し,農民を強制的に屯田民として耕作させ,
その収穫の5,6割を国家の収入とし,国家財政の基盤とした。

ttp://www.tabiken.com/history/doc/N/N186L100.HTM
ついでに言えば、
求賢令によって家柄、評判に囚われずに人材登用を志した曹操に対して、
曹丕は陳群の建議によって九品中正制(九品官人法)を施行、
豪族の子弟の高位登用を既成事実化し、
さらに司馬懿は249年(赤烏12)司馬懿が州大中正を置くと家柄で固定されるようになり、
門閥貴族制の成立を促すことになった。

この辺は賛否が分かれる政策だと思うがね。

>実際は外交、軍事、内政のすべてにおいて完璧といってもいい。
そういえば、正史三国志は屯田についてはあまり重要そうに
は書いてないな。この辺、作者の主観なんだろうな。
魏で軍屯を始めたのが司馬仲達なのかな?
>>873
おいおい、軍屯の方が先行して行われ、
棗祗(そうし)が194年には東阿県令として軍屯をやらせてる。
192年、人口爆発に直面した。元々住んで居た兌州の人口に加えて、
青州からの軍民の食料対策として具体的に展開されたらしい。

司馬懿が仕官する遙か前に夏侯惇も自分でもっこ担いで屯田に参加してるぞ。
軍屯は三国どこでもある程度はやってた。
司馬懿は対呉戦線で大々的にやったらしいがな。

ただ、歴史的に大きな意味を持つのは民屯こと典農部屯田(てんのうぶとんでん)だろう。
州大中正は曹爽を始めとする皇族に対抗するため
名士層を味方につけるための政略だからなあ。
実際、司馬イぐらい功績をあげてしまうとへたすりゃ司馬家が
粛清されかねないからなあ。というか曹爽はそのつもりだったろ。

過労死するぐらい国家に忠誠を貫いた孔明
やられる前にクーデターを起こして死後、皇帝になった仲達
国家の忠誠を尽くしたのに名門であるがゆえに事実上粛清された陸遜

だれを評価するかは人それぞれだろ。
>>872
司馬家が乗っ取ることを前提としているなら間違いなく高評価だな。
>>876
社会階層の固定化を招いたという点では低評価だな。
仲達も150年も存続して一時は全土を統一した王朝の開祖としては
評価されないというか人気がないなあ。

一切、感情にまかせずその時、その相手に対して最善と思われる
策を冷静に貫くことができるんだけど・・・・・
余りにも手堅すぎて人生に面白みが感じられないな。

本当に孔明の木像に驚いて逃げるぐらい愛嬌のある人間だったら面白かったのに。
ある程度、秩序が回復すると仲達のような保守的な人間の方が
必要とされるんだけど。
>>878
まあ、ああいうタイプは大衆受けはしないな。
ただ、詩人肌で感情の起伏が激しい曹操、己を公のためにすり減らした諸葛亮に比べれば、
安心感はあったのかもしれん。

司馬懿の愛嬌と言えば詩か。
あれほどそつなくこなすのに、いやそれ故にか、彼の詩は箸にも棒にもかからん。
骨の髄まで実務者だな。諸葛亮とはまた違った色合いの。
本来、歴史の主役だったはずの仲達が面白みのかけらも無い
人間だったから、本来敗者である孔明がうけたんだろ。

晋書読んでも名門のボンボンが政治でも軍事でも何でも
そつなくこなして、エリート街道まっしぐら。
ピンチらしいピンチもまったく無い。
最後も栄光につつまれたまま死んでる。面白くもなんともないぞ。

この大乱世でそんな人生を送れたのは、彼の才能がけた違いだったからだ
とは思うけど。
>>880
乱世は終わりかけてたし、司馬懿は名士層の利益代弁者として振る舞ってた。
彼自身の才覚も大したものではあるが。

むしろ、儒教道徳や名士層にもろに喧嘩を売りまくって終わりを全うした曹操の方が破格。
魏スレでも
1位 曹操
2位 仲達
という評価だな。

でも、この二人と孔明を比べると・・・・・・
歴史上の人気はともかく孔明が上ということはありえないだろ。 
魏スレは「名将・良将」スレだからな。
孔明は司令官としてはその両者に劣ると思うが、
軍政家としては決して引けを取らない。
(だから「軍事的能力」スレではまた
違った評価がなされるべきだと思っている)
それにこのスレは軍事的能力だけじゃないだろ?
曹操は後漢末の外戚、宦官による政治の壟断、
豪族:大土地所有者による農民の締め付け&流民の発生、
という問題に法家的手法と具体的な政策で一応の答えを出してるからなあ。

司馬懿はそれに対して豪族:名士層の利益代表として政権のあり方に
修正を加えつつ政権を奪取、維持する基盤を整備して政治を継承と。

両者に比べると、諸葛亮のポジションはどうしても中央政権の否定という
地方政権の論理に過ぎないな。
実務面に関しては法家的な思想を背景に見事に地方国家を成立させ、
基盤整備を行ったが、地方国家故に限界があり、中華全土に通用するような
政策や回答を打ち出せなかった。
ただ、その政治姿勢と個人の人格をもって同時代人、後世の人間の尊敬を集める。

こういったところか。
>>884
蜀漢はあくまで漢であり、最終目標は漢王朝の復興。
だから、制度面や政策では漢のそれを完全に踏襲したにすぎない。
というか変えるわけにはいかなかった。
それが限界だな・・・・・
もう、漢の制度では中国全土をまとめることに無理があったんだ。
「新しい国」として蜀をとらえることができていたら、
違うやりかたもあったのかも。
ある程度以上勢力が大きくなるとそれを純粋に軍事的に妥当するのはかなり困難。
だから内ゲバにつけ込むか、悪政で虐げられた民衆のSOSに答えるか、
なにかその勢力に問題がないとダメなんだが、
北伐時の魏には大きな問題が無く、政権の交代は求められていなかった。
少なくとも蜀漢を抗体相手としては。

それでも大した非難も内から出ずに北伐をやれたのは凄いが、
中からの欲求でなかったために、彼の死後は無理が出たと。

入蜀時の蜀にはまともな政権としての劉備勢力への期待があったんだろうがねえ。
割としがらみの少ない蜀の外来で小さな政権だったからこそ
諸葛亮が政治手腕を存分に発揮できたのかも知れない。

魏でも曹操の路線は曹丕の代で既に変更されていた。

呉は豪族の力が強く、荊州の劉表の元では血縁が柵になる。

だから呉や荊州に仕官しなかったというのは穿ちすぎのような気もするが、
蜀だからこそ諸葛亮の持ち味を活かせたというのはあると思う。
新しいことをやるのが、
既存のものを改良するのより優れてる訳じゃないから、
司馬懿も、曹操や諸葛亮並みに政治にも優れてると思う
いや、なんとなく「新しいこと、新秩序」をやったから曹操とかはエライって言われてるように思えたから
>>888
抵抗を押しのけて新しいことをやる方が大変だろう。
前例のないことを思いつくのも才能だしな。
曹操は新しいことを実行し、さらに成果を出してるから評価されてる。

新しいことを思いつく才能と、既存のものを処理する、あるいは改良する才能は別だろうがな。
屯田がちらっとでたけど、
屯田制って別に当時そう珍しいものではなかった、みたいなことをどっかで
聞いたんだけど・・・。詳しい人居る?
>>890
軍屯は前漢の頃からやってる。呉や蜀も。
魏の屯田の特色は民屯こと典農部屯田(てんのうぶとんでん)

ttp://www.tabiken.com/history/doc/N/N186L100.HTM
ttp://www.tabiken.com/history/doc/E/E114C100.HTM
>>878
司馬懿の評価というか人気がイマイチなのは、司馬懿の子孫が作った晋がイマイチだったからでは?
本人のせいじゃないんだけど、異民族の侵入を許して、漢民族は苦渋を味わった訳だから、
後世の人間にとっては面白くなかったかもしれん。
軍屯はもともとは辺境警備の兵士の自給自足のために行われてた。(前漢)

前漢末頃から豪族による大土地所有が始まり、小規模な農民は収奪された。
後漢は豪族の力が強かったため、豪族による収奪には歯止めがかからず、
収奪された農民は小作になるか、流民化する傾向にあった。
これが爆発したのが黄巾の乱の要因の一つ。
乱とそれに続く乱世によって大量の流民が中原に溢れた。

その対策が曹操が行った民屯(典農部屯田)
流民に土地を渡して耕作させる。
この農民は通常の通常の戸籍に登録されず、群県の支配を受けない。
典農中郎将などの典農官が所管する。

収穫物を官民五対五、官牛を借りた場合は六対四で徴収したが、
この政策によって流民は定着し、国庫が潤うことになる。


なるほど。色々参考になりました サンクス
>>892
あ〜でも、名士層の固定化を推し進めた結果、政府が安定化したものの
小規模の反乱などが起きないだけでなく内部の腐敗も進行させてしまった結果の滅び
だったのがいかんのかもしれん。
どこかの誰かが、短命王朝の人は悪く言われやすく、長命王朝の人は良く言われやすいと言ってた気がする。
陳舜臣

晋は東晋を入れればそーとー長い部類にはいるが
>>893
これってさ、後漢から西晋にかけて戸籍上は人口が激減しているように見える一因か?
>>893
そういえば、魏の場合は戸籍に含まれない民屯の民が多いから
兵の動員がかけられる対象の実数は戸籍のものより多いって読んだな。
その人は実数800万人くらいと推定してた気がする。
不覚にもソースは忘れたが。
>>898
魏の場合はおそらくそう。

西晋の場合はちょっとよく分からない。
魏末晋初に民屯は廃止され、郡県に移行し、それに続いて占田・課田制が施行された。
これは占田として戸主対象に土地所有を制限した上で、戸主およびそれ以外の丁男などに
課田として公有地の耕作を課したものだと考えられており、
大土地所有を制限し、一般農民に対する直接的支配を確保する狙いがあったとも考えられている。

ただ、東晋で占田・課田制は施行されず、短期間で消滅したために
どれほどの効果があったかは不明。
どれくらい実際に農民を再編成して管理できていたのかも。

その後、北魏で均田制が始まり、随唐に引き継がれていくと。

農村の荒廃、農民の流民化という農業帝国の重要課題への一つの回答として打ち出された
民屯は画期的な政策だったわけだ。
いずれにしても孔明がそういう革新的な何かを
始めたとかそういう事実は無いわけだ。
そこまで革新的か?
史官を置かないという
革新的なことをやってるじゃないか
なんで史官を置かなかったんだ?
>>902
民屯は革新的で大きな意味のある政策だぞ。
豪族の大土地所有に対して後漢は有効な政策を打ち出せなかったからな。

流民にちゃんと飯を食わせるというのは政権の最重要課題と言っても良い。
また、通常の戸籍に登録されず、群県の支配を受けないことで
直接農民を管理下に置くことができた。

これは革新的な政策と言える。
結局蜀が史官を置いたのはいつのことだろう?
後年にはたしか史官の誰それという記述があったから滅亡するまで置かなかったということはないはず。
>>901
> いずれにしても孔明がそういう革新的な何かを
> 始めたとかそういう事実は無いわけだ。
饅頭をt(ry
>>905
豪族の真似をしただけじゃないの?
>>908
民屯は豪族層の利害と対立する政策だぞ。
豪族層の受け皿である郡県ではなく、典農官が所管するわけだからな。
それに加えてこの政策を実現するためにはある程度の広域権力と治安維持能力を必要とする。
豪族が自分の所有地に対して行うものとは次元が違う。
大体、実施の具体的なノウハウは軍屯の経験が元になっていると考えても良いだろう。
この時点で普通の豪族では真似ができない。

それを、流民対策として打ち出したのが革新的な政策だ。
後漢では大土地所有の弊害に対してはまともな対策を講じられなかったんだからな。。
優れた政策であることは認めるが、
そこまで革新的だとは思わんのだが・・・。
>>911
そりゃあ後世から見たらコロンブスの卵だろうが、当時としては大したもんだ。
それまで誰も手を付けなかった問題を正面から取り上げて解決してるんだからな。
他にこの時代でもっと革新的な政策があるなら挙げてみて欲しいところだ。
>911
こういう痛い香具師が大杉。まず贔屓目無しで物事の真実を見極める事をお薦めする。
914無名武将@お腹せっぷく:04/08/20 22:58
>>904
田中重弘氏に言わせると、諸葛亮が自分の思い通りに国政を運ばせるためだそうな。
天変地異や事件を記録したり予防する立場の人間を排除して、
情報は彼が一手に握れば民心も操作しやすくなる。

といってもソースはないし、信憑性がどれだけあるのか分からん。
偉大な独裁者だったんだな、諸葛亮って
いまさら気付くなよ…
田中重弘なんて痛い名前出すなよ・・・
実際、独裁的な政策で蜀を安定させたという事実はあるな。
独裁者は決して悪い意味でだけで使われるわけではない。
独裁が良い方向に働く場合だってある。
諸葛亮の場合は戦争屋の側面は持っていても国は安定させていた。
それだけでも凄い。
919914:04/08/21 01:24
>>917
いや、切り口やトンデモ的な論理展開は結構面白いと思うぞ。
ただし、その著述が勉強になるかどうかは(ry
本当に優れた独裁者は独裁者と呼ばれない
これ、人の歴史が証明するところ
>>920
つまり「呼ばれてないだけで諸葛亮の行為は独裁者と同じ」という意味かな?
どくさい-しゃ 3【独裁者】

(1)政治権力のすべてを掌握しそれを独断で行使する者。
(2)何事も独断で決めてしまうような人。


(1)は少し当て嵌まる
(2)はまったく当て嵌まらないと思う
>>922
馬謖以外の意見を聞いたエピソードを知らんしな。
演義だと姜維に「陳倉に拘りすぎ」とか言われて退いてたみたいだけど。
924無名武将@お腹せっぷく:04/08/21 21:01
ホウ統さんの方がなんか戦陣にいる軍師ってかんじ
孔明さんは内政官で後ろからのバックアップなどがよかったとおもう
天才は仲達だろ
ずっと文官で優秀
戦場に出て、持久戦よし・決戦よし・電撃戦よし・人材育成よし
基本的に独裁者ってのは、敗者に付けられるレッテルだから
ヒトラーやムッソリーニが独裁者の称号を得ているのに
東条英機が独裁者の称号を得られないのは途中でクビになったせいか?
>>927
東条は独裁者ではないから。
基本的に海軍のことには関与できない。
統帥権は政府から独立していると解釈されていたからな。
それでもまだ海軍大臣は内閣の一員だが、軍令部には命令できない。

実際にはルーズベルトやチャーチルほどの権限もないぞ。
まあ基本的に首相<大統領だからな。首相は国会の最終決定権すらない。
大統領は全権を殆ど握ってるといってもいい。
丞相はほぼ大統領と同じくらいだよね?
これだけ潔癖なトップがいたら住み易い国だろうなぁ。・。。
清廉であることが住みやすいことであるものか
不公平だとは感じにくいかもしれない。
あくまで潔癖な政治が行われていたとするなら、な。
932寛政の江戸の民:04/08/22 14:29
田沼さまの濁りが懐かしいだ恋いしいだ
>>932
俺もその話思い出したw

まあ、民にとって暮らしやすければトップや政治が潔癖かどうかはどうでもいい。
松平定信も諸葛亮も潔癖過ぎることは同じだが、民に与えた印象と言うことで
力量は諸葛亮の方が上だったんだろう。
田沼はそれなりに力量あったしな。
>>933
諸葛亮を潔癖だとしても、松平の潔癖さとは意味が違うであろう。
松平はぶんぶというて夜も眠れず、だから。
>>935
諸葛亮の死因は過労死ですが。
>935
後世の名声が全てを物語っていると思うが?
田沼は剣客商売でめっさ評価されてたなあ。
孔明は人類初の過労死をした人間とされるという説をどっかで読んだことがある
過労死する人の特徴って孔明に重なる所があるよな
才能とか能力はまた置いといてね
>>937、936

935をもう一度読んでくれ。
そういうことを問題にしてるように見えるか?
>>939
>孔明は人類初の過労死をした人間とされるという説
孔明が死ぬまで、人類が生まれて何千年経ってるのかと。
>>935
蚊ほどうるさきものはなしぶんぶというて夜も眠れず
どういう風に取ったか知らんけど神経質って事ね。
潔癖というかどうかは疑問だけれども。

>>941
文献で推測出来る範囲ではないかって事ではないかと。
× >>935
○ >>936
ちょっと質問。孔明が過労死したってのは、ほぼ定説になっているけど
これは真に受けていいんだろうか。
確かに正史には病死したって記述があるし、
魏氏春秋にも刑罰や食事がどうたらって記述はあるけど
当時の医学水準なら他の病気で死んでもおかしくない気がする。
別に煽りじゃなくて疑問ということで。
>>941
いや、文明というモノができて
現代の感覚による「過労死」と判断できうる死に方としては記録が残ってる物として
最古ではなかったんだろうか?って説ですが

>>944
心労、肉体疲労により疾病したって事なら
間接的に過労死でも間違いじゃないんじゃないかな?
人が死ぬって事自体がたとえ老衰であったとしても
医学的には一種の病死って事になるんじゃないの?
946無名武将@お腹せっぷく:04/08/23 03:07
農民による皇帝、つまり漢帝国ができるまでは秦にせよ周にせよ遊牧民の貴族が土民を捕らえて奴隷
にして一生働かせる、奴隷社会だったのだが。
現代人は「過労死がない」なんてユートピア化してるが古代は楽園ではないよ。

秦の工芸品は精密を極めた物で、これは専門の奴隷に生命を脅しながら一生かけて作らせたもの。
使えない奴隷は、死を与えられた。
古代には奴隷を生け贄にする王朝もあったがこれとて使えない奴から殺していくシステム。
>>946
> 使えない奴隷は、死を与えられた。
> 古代には奴隷を生け贄にする王朝もあったがこれとて使えない奴から殺していくシステム。
これは不当な死だけど、過労死じゃないよな。
奴隷は過労死なのか餓死なのか判断に迷うところもありそうだが。
漏れはあんまり詳しくないけどね。
十分な食べ物もらってたなんて聞いたことないし。
だったら袁紹は心労がたたってとか
つーか春秋戦国時代は工芸品はもてはやされていて、
いい作品を造る名人には莫大な報酬が与えられているんだが。
当時の職人はいわゆる奴隷とは意味が違う。

韓非子にも名人に王侯貴族が莫大な金を払って名品をつくらせた話とか
職人達が実用性の無い品を高く売りつけて暴利を貪っているとか記載がある。
951無名武将@お腹せっぷく:04/08/23 17:58
つーか、一口に奴隷といっても、全員が同待遇では無いし
大金持ちに使われる奴隷は豪勢な暮らしができ、貧民に使われる奴隷は動物以下のわけで。

これはローマ時代の解放奴隷をみてもわかるよな?
解放奴隷から出て大金持ちになったり将軍になったり、はては皇帝になった者もいる。
だからとってローマ時代の奴隷になりたい奴はいないだろ。

アメリカ南部の大農場で働く黒人奴隷は「金持ちの旦那に使われてる自分」のほうが
そこらの一般の白人より恵まれてるし生活も上だと蔑んでたのだよ。

そのへんはサラリーマン(使われ者)といっても大企業のエリートや、使い捨ての底辺が
いる現代と同じ
中国の奴隷と欧米の奴隷では微妙に違う気がする。
孟達の親父なんて奴隷に賄賂を送ってたし、董卓は自分の奴隷が罪を犯して殺されたとき「飼い犬でさえ他人に怒られたくないのに、ましてや人間なんだ」と言って奴隷を人間扱いしてたのだから、
古代中国の奴隷は、欧米での奴隷のような「物言う道具」とは違かったと思う。
中国でいう西洋の奴隷っていうのはメイドとかの召使いの事?
西洋の奴隷は家畜と変わらんけど、召使いとか下男ってのは
扱いは違うよな
厳密に言えば奴隷制というのは秦以降ではない、と思った。

血筋としては貴族と民、役職では官>吏>無官の分類。

コネのない一般庶民が立身出世することは不可能ではないが
非常に難しいことも事実。(コネと才能があれば吏は射程内だ)
生計を立てるためにたいていの庶民は農民をやっているが、官吏に勝手に酷税をかけられてピーピーしているのがよくあるパターンだが、
この点は革命前のフランスの農民と一緒。

職人の家に生まれれば土地が無いので農民をするわけにもいかず結局職人に。
だが名工の評判が立てば領主から注文がくるのでいい稼ぎになる。
更に有名になればお抱え職人になって生活に困る事はない。

中華帝国で職人の地位が低いのは事実だが、
それは儒教的価値観からくる社会的地位のことで、
知識人からは卑しいとされながらも金銭的にはそれほど冷遇されていたわけではない。
955無名武将@お腹せっぷく:04/08/29 11:37
囲われた百姓は奴隷みたいなもんだけどな

日本の東北地方が江戸時代まで半奴隷制だって言われるけど
まあそうなんだが。
封建制にせよ中央集権にせよ人権という概念がないからな。
国にある人・物すべてが君主の所有物という本質は変らんわけだし。

(その事実を指摘するとプチウヨが騒ぐんだよなぁ。)
957無名武将@お腹せっぷく:04/08/30 13:39
俺は司馬炎が好きなんだ!!

魏から晋になったとこに興味無い奴なんて人非人だね
>957
売国奴
魏末期はかなり面白い。
色々な人間模様が熱い。
960無名武将@お腹せっぷく
>>935
白河は祖父・吉宗の模倣で
吉宗は曽祖父・家康の模倣
だから、時代の流れに合うわけない。