蜀で孔明に次ぐNO.2の参謀は誰か?2

このエントリーをはてなブックマークに追加
三戦は、重箱の隅を突つくのが好きな奴多いよな
意味が通じてるならいいと思うんだが
78無名武将@お腹せっぷく:04/06/14 23:31
自称なら廖立(w
自分で、自分の才能は孔明に次ぐって……
No.1 法正
No.2 孔明

は不動だろ。
No.3以降を語ろうぜ。
劉巴じゃねえの?
劉巴か、黄権。
82無名武将@お腹せっぷく:04/06/15 22:16
劉ともえかあ・・・。
劉巴ってそんなに凄いか?
>>83
「軍隊の指揮には自信はあるが、帷幕で策を巡らすという点では(劉巴に)遠く及ばない」
という趣旨の諸葛亮の評もあるし、法正の後をついで尚書令となったりしてることを考えると蜀陣営における評価はかなり高かったようです。
でもさ、蜀って特に荊州人士に多い気がするけど、理論倒れというか
悪く言えば口先だけ、ってのがいる。
馬謖とか廖立とか劉巴とか……
>>84
サンクス
全体的に蜀将は記述が少ないから
どうしても演義のイメージが先行してしまう
劉巴は当時の大陸クラスの著名人。
陳羣がわざわざ諸葛亮に手紙を書いて、安否を気にしてるほど
それをいったら許靖も
>>85
策を立案するだけならいいんじゃない?
実際に兵の指揮をしなければ、上手くやってくれそうだ
>>85
確かに現場知らずの頭でっかちって印象なやつが多いな…
蜀制圧後の経済政策とか、内政に功があった人物だね
法正は早死したからなぁ。

漢中は確かに良かったけど、
あれだけ優秀な武将が揃っていれば・・・という感じもする。

劉備に蜀を取らせた後の事はあまり考えていなかったっぽいし、参謀ってのも微妙。
・・・それに人間が小さいのもね。個人的にはコイツをNo1にしたくない。
人間の大きさで決めるのなら
兀突骨がNo.1。
94無名武将@お腹せっぷく:04/07/07 16:28
ナニの大きさで決めるなら
諸葛亮>>>関羽>劉備>>>>>>張飛
>>85
そういうのを「虚名」と呼ぶ
演義か正史か忘れたが、劉備が許靖を役に立たんと評した時に
諸葛孔明が「でも彼には虚名があります」と言って擁護した。
9695:04/07/07 16:45
演義も正史も最後に読んだのは5〜6年前なので細かい間違いとか
は気づいた香具師が訂正してくれ
黄権!!
>>95
確か法正が言った。正史だったと思う。
策士と言えば陳寿を忘れてはならない。
彼が蜀に対しての記述に手心を加えたおかげで
蜀は後の時代になってこれだけの人気があるのだ。
まさしく1000年の計である。
>>99
陳寿は親父が孔明に丸坊主にされり諸葛遷に疎んじられたのを恨んで諸葛亮伝は
手心を加えなかったともいわれてるが・・・・?
それにこの人物書きっぽいのだがはて?
>>100
手心を加えずにあれだけマンセーできるとは大したものだ。
>100
何故に「蜀に対して」で
孔明だけで反論するのか?

もしかして蜀=孔明?
キチガイ刑法
陳寿が最もマンセーしているのは曹操。それから司馬一族。
まあ晋に仕えてたから当たり前なんだけど。

>>102
>蜀漢=孔明
まあでも、そんなようなイメージはある。
蜀といえば後は劉備ぐらいか。

でも国作ってすぐに死んだしな。
陳寿が蜀を密かに持ち上げているのは周知の事実
何を今さらって感じのことだね
>>105
というか蜀は資料が少ないんで、陳寿の意見が多分に入っている。
魏は晋のようなものだから・・・。

呉だけは普通に評価できた筈だ。
先主、後主に対して、
呉は孫権と呼び捨てでなかったっけ?
>>108
そう。ゆえに>>105
蜀は国として認めて、劉備・劉禅を国主として認めていたけど、
呉は勝手に割拠してる勢力程度の扱いだもんなあ。
陳寿個人の思惑だけでなく、当時の社会的な認知度とかもあったのかな。
つか孫権ってどういう名分で皇帝を名乗ってたんだっけ。
>>110
厳密に言えば、
"蜀"という時点で国として認めた訳ではないことがわかる。
やつらは"蜀"という国号を使った事が無い。

あくまで漢の後継は魏。魏の後継は晋。
113無名武将@お腹せっぷく:04/08/01 07:41
蜀漢の連中は「漢」を名乗ってたけど、魏は「蜀」と呼んでいたって事だね。
でも、魏に降伏した時、蜀漢の文献は全部「蜀」に改めたのかな・・・
114無名武将@お腹せっぷく:04/08/01 11:03
諸葛亮のどこがNo1なんだ?
楽毅、管仲の如き才とか自負してるけどどこが?って感じ
楽毅と違い、詐謀だけで外交して蜀を貶めるは、無駄に兵を用いるは
管仲と違い、土地の有効利用をしきれず、領地を広げることで国力の増大を図った
蜀取りは孔明がいなくてもできただろうしね
ぶちゃっけ、諸葛亮いらねぇ
115無名武将@お腹せっぷく:04/08/01 12:33
法政
116無名武将@お腹せっぷく:04/08/01 13:27
>>114このスレは演義を基準にしているので仕方がない
>>114-116
夏厨は巣にお帰りください。
そう言われるのが嫌ならせめて現行スレのログくらいはお読みください。
現代で当てはめると、何か会を作ったときの

会長=君主(代表・発起人・象徴)
事務局長=NO.1参謀(実質的な仕切役・責任者)
事務局次長=NO.2参謀(NO.1の補佐役)

といった感じだと個人的には思う。
そうすると、入蜀までは後から仕えて同じ軍師中郎将(演義では副が付くし)
のホウ統でいいとして、蜀建国後は蜀の職制の性格から、

NO.1参謀=丞相
NO.2参謀=尚書令

ではないだろうか。
そうなると、法正→劉巴→李厳という順で尚書令に任じられている。
ホウ統と上記3人が、4人の中での比較はともかく、時期毎のNO.2参謀
ではあると思う。
「軍事」参謀なら法正でいいんだがな。
120無名武将@お腹せっぷく:04/08/13 18:00
実績と名声どっちを重視するかにもよる
>119
軍事参謀なら法正がトップ。
122無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 17:58
法正って実質漢中戦だけやん。
もうちょいいろんな戦を見ないとわかんないだろ。
123無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 18:22
>>1
おれ
124無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 18:31
ショウエンってどう?漢水方面から北伐する計画を立てていたりしたし。
>122
漢中戦だけでも、相当な手腕なんだよ、法正は。
ホウ統死後の益州平定時の軍事戦略も彼だし。
>>114
遅レスだけど、治世に関しては諸葛亮は凄いよ。
アレだけの短期間に5回も北伐の兵を起こしただけでも凄いのに、民は恨まずとある。
死んだ後に廟があちこちに出来たとも言うし、よほど人心掌握や慰撫が上手かったんだろうよ。