蜀で孔明に次ぐNO.2の参謀は誰か?2

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1無名武将@お腹せっぷく
蜀で孔明に次ぐNO.2の参謀は誰か?
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1076851115/

やっぱりNO2はヒイなんじゃないの?
馬良
3無名武将@お腹せっぷく:04/05/28 19:51
2
4無名武将@お腹せっぷく:04/05/28 19:51
>>1
マジレスすると時期による
ヒィー!!
6無名武将@お腹せっぷく:04/05/28 19:54
白眉
>>5
ワラタ
8無名武将@お腹せっぷく:04/05/28 19:56
>>7
笑えねー
「うひぃぃぃ」
「あ、いや費イがいたんだよ、そこに」
「モー」
爆藁
11無名武将@お腹せっぷく:04/05/29 22:47
>>9
JOJO

孔明は軍師じゃない
12無名武将@お腹せっぷく:04/05/29 22:49
>>1
近藤だよ。
姜維は馬良に比され参軍経由の大将軍なんだから、軍政官タイプだったのだろう。
>>909-915で語られているような諸葛亮に似ているかもしれない。優秀だったのだろうが、
諸葛亮に比べれば小粒だし、なにより優秀さが内治の面にまで及ばなかった。
どちらにしても「帷幕の士」型ではないね。
しまった、ミスった。前スレに書きたかったのだが。
ところで>>1は、演義・小説準拠の諸葛亮を想定してるのだろうな〜
するとNo.2は姜維で問題なしじゃねーかな〜 とは思う。
スレタイに【正史】【演義】【無双】【小説各種】とかいうの欲しいスレって多いな。
(諸葛丞相の後継者決め)
「ヒイヒイ言わせてやるからな!」
「その言い方何かやらし〜」
「ヒイ!」
「ボン(非凡)そうな若者だな」

「ヒイ!」
「ったくりを捕まえた」

「ヒイ!」
「ッタイト人が最初に鉄を使い始めた民族だって知ってるかい?」



元ネタ分かる人いないだろうな・・・
諸葛亮がNO.1参謀なら演義を想定してるってことだろうな
正史で考えるならNO.1探しからせねばならん
18無名武将@お腹せっぷく:04/05/31 10:01
参謀と文官、軍政官の定義がはっきりしないとループ&スパイラル
演義
1.孔明
2.ホウ統
3.徐庶

正史
1.法正
2.ホウ統
3.孔明

以上。反論は認めない。
20無名武将@お腹せっぷく:04/05/31 18:33
>>19
NO.2が?統というのは認めない。
作戦が失敗して自身は戦死してるし。
諸葛亮もどちらかというと内政官か総大将のイメージしかないし・・・。
蜀の参謀は法正以外にはいない。
21無名武将@お腹せっぷく:04/05/31 18:37
リゲン
22無名武将@お腹せっぷく:04/05/31 18:39
張松も仲間に入れてあげましょう。
23無名武将@お腹せっぷく:04/05/31 18:40
>>22
. ,l;L_      .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;iソノ
ヾr''‐ヽ,  ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|
 l rO:、;  ´ ィ○ヽ    'i;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;、l
 | `'''"/   `'''''"´     !;;;;;;;;;;;;;;;/ l |
. ,'  /   、        |;;;;;;;;;;;;;ノヽ'/
. l  ,:'   _ ヽ       .|;;;;;;;//-'ノ
 ', ゞ,' '"'` '"       i;;;;;i, `' /
  ', i、-----.、       `''"i`'''l
.  ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\        ,'  ト、,
   ヽ ヽ〈    i|          Vi゙、
    ゙, ,ヽ===-'゙ ,'     ,   // ヽ
.    ',.' ,  ̄ , '    ノ  /./ 
24年収5000円:04/05/31 18:42
俺も法正以外あり得ないと思う。まともな参謀は彼だけだな。
ホウ統が早死にしなかったらわからんが。
25年収5000円:04/05/31 18:43
・・ていうか法正がナンバー1なんじゃないか?と今思った。
26無名武将@お腹せっぷく:04/05/31 18:48
軍事面なら姜維なんじゃないの
諸葛亮亡き後実際に総指揮を取っているし。
27無名武将@お腹せっぷく:04/05/31 18:53
法正が何をしたのか、それはわかりませんが
みなの総意であるなら私も彼を支持しませう。
ま、「孔明に次ぐ」なら放蕩で良いと思われ

法正に次ぐならもうちょっと探すが
29無名武将@お腹せっぷく:04/05/31 19:32
>>27
蜀の漢中奪取に大きく貢献している。
詳しいことは正史を読め
諸葛亮って戦はあまり上手くないんじゃなかったか
>>30
んなことはない。
北伐において結果を残せなかったので評価を下げられるのは止むを得ないけどな。
32無名武将@お腹せっぷく:04/05/31 19:51
>>30
そうでもない。
正史では機動力の魏にたいして攻城兵器・連弩だの木牛などを発明して(改良したのもある)
対抗しているし、木門道で張郃を討ち取った手並みを見てもそんな戦下手とは思えない。
(ただ、司馬懿が張郃を消そうとしたという説もあるが)
ただ彼は補給を軽視していたことと、(陳倉で20日間しか食糧を持っていかなかったのはその表れ)
戦略的自在さに欠けた(つまり彼は正攻法ばかりを使い、奇策に出ようとしなかった)
のが問題だった。
参謀って実戦司令官も含めるの?
正攻法、野戦に於いては一級だったと思われる。
司令官に必要なのは、補給の確保、統制の取れた行軍、宿営などの計画立案、陣立て、全体を見ての采配、
などの能力だから。その点において司馬懿にも恐れられた。
左将軍府の内角官房長的な地位から、主君不在時の後方司令、全権委任宰相という職を任せられた。
軍事参謀ではないのだね。政治外交的参謀、つまり劉備の「王佐」というわけだ。
つまり、諸葛亮は荀ケタイプであって、荀攸ではない。
ついでだが、司馬懿は軍事司令官と参謀の両方が出来るバケモノだよな。戦略レベルで分進合撃なんて
素でやるなよボケ、って。
>>34
分進合撃って、公孫淵討伐の時?
>>34の諸葛亮・司馬懿評は読んでて小気味いいな。
実に分かりやすく、それでいて評価を過大にも過少にもしていない。
はっきりいって、自分も言いたかった事をよりうまくまとめてくれてる感じ。
37無名武将@お腹せっぷく:04/05/31 22:59
黄権も劉璋に対して「劉備を蜀に入れるな」
夷陵では劉備に対して「水軍は下るのは容易だが引くのが難しいので退路を確保するように」と適切な助言をしている。
惜しいのは彼らが黄権の進言を入れなかったこと。
孔明が奇策に用いなかったのは
用いることができなかったからだろ。
あの国力では負けない可能性の高い作戦を採り
小さく勝事を目指すのが精一杯。
孔明の北伐は小国を運営しながらの外征だからな。
慎重でなければならないのは当然だな。
40無名武将@お腹せっぷく:04/06/01 01:46
正史の注のどっかに「孔明がもし魏に仕えていたら仲達より云々・・・」って文章があったような。
蜀の中で比べるのはともかく、魏や呉の人間と比較するのはそもそも国力が違うんだからおかしい。
曹操だろうが司馬懿だろうが蜀の国力で魏に勝つのはしょせん無理だと思うし。
>>40
それは確か、何処かからの引用ではなく、裴松之の意見だな。
「魏に仕えてその能力を発揮したならば、司馬仲達や陳長文でも対抗できる相手ではない」
っての。
まあ、これは過大評価だと思う。
ところでさ、魏から蜀に逃げ込んだのって覇以外にいる?
手を組んだのも孟達くらいだし・・・
呉はそんな例が多い気がする。
やっぱり、呉>蜀なんだなぁ。
単純に、逃げやすいかどうかだろ?
江南の川と、蜀の山険、どっちが移動しづらいか考えてみ?
また、魏と呉と蜀の国境線とかな
>>43
覇も遭難しかけたくらいだしね
地形的なものもあるだろうが、蜀にとって魏は不倶戴天の敵なんだし、
蜀は呉のように魏に臣従した事も無い。
呉の方が、逃げ込んだ場合の自分の扱いが良いとも思ってたんじゃないか?
魏に臣従したことのある呉にいって、自分の首を差し出されたら?
それに覇は復讐する気満々だったでしょ?
蜀の方がいいじゃん
逆に負けて亡命するなら蜀はちょっとな……って感じ?
覇が蜀に亡命したのは個人的な必然だが、一般的には中央から逃亡するには
呉越(楚も)が適していたということだろう。亡命政府のメッカだし。
>>47
あいつは蜀の皇族だし、復讐に燃えてたもんな。
大した事は出来なかったみたいだが
黄権も劉璋に対して「劉備を蜀に入れるな」
夷陵では劉備に対して「水軍は下るのは容易だが引くのが難しいので退路を確保するように」と適切な助言をしている。
惜しいのは彼らが黄権の進言を入れなかったこと。
うむ!
51無名武将@お腹せっぷく:04/06/05 09:16
漢中を取れという進言はその通りになったわけだが。
これだけでも名将の資格十分だよな。
漢中攻防戦は両軍の動きが大きくて面白いやね
かつてはボロボロにされてたのにな。劉備にとってこのときが得意絶頂だっただろうな。
>>42
劉備以下に華北出身者が多いってのと
漢を名乗ってたのが大きい。
大義名分&同族的安心感から蜀有利。
魏延だろ。
魏延の言葉を入れれば、とっくに長安どころか洛陽までも取れてたはずだ。

と彼が言っとりました。
法正で決定
だーかーらー法正はNo.1だちゅーの。
入蜀前は龐統。
入蜀後は法正。
法正没(220年)後はだれかな?
馬良、黄権あたりか?その後はよく判らない。
馬良って外交官か政治家じゃないの?
白眉さん、討ち死にしたのは演義だっけか?
いや、正史の方
武陵の異民族を煽りにいってる間に劉備がやられて、あぼーん
夷陵に参軍したあたり、ただの外交官・政治家とは思えないんだよな。
詳しくは知らないからなんとも言えないけども。
>>62
軍需物資の管理役人という可能性はあるだろうし
皇帝陛下の御親征ともなれば、不可欠な政務を補佐する補佐官も必要だったろうし。
文官が随行しても変じゃないとおもう。
呉側と最終的な落しどころを交渉する必要もあったはずだしね。
>>62
弟の馬稷も何かと武将的役割を果たしてるからね…。
名士的な部分(白眉に残る名声)と荊州豪族出ってのが、
馬良の実体で有るならば部隊長的な役割も、
当然果たしていたとは思われますが、如何か?
>>62
弟の馬稷も何かと武将的役割を果たしてるからね…。
名士的な部分(白眉に残る名声)と荊州豪族出ってのが、
馬良の実体で有るならば部隊長的な役割も、
当然果たしていたとは思われますが、如何か?
でも殿様は初戦終わってからの和解案とか蹴ってたよね。
最初は押してたし、仇や裏切り者も始末したのに。
>>66
その辺りは演義の話

劉備はどの辺りを落としどころに考えてたんだろうなあ
さしあたっては南郡を取り返すのが目標だろうけど
>>67
そうか、ごっちゃになってたようだな…。
それにしても劉備は最後の最後になんであんなヘマやらかしたんだろ。
>>68
成功しても失敗しても結局孔明の統治は楽になる形だったみたいだけどね。
荊州閥の連中を軒並み連れてってるから。
荊州を取り戻せばよし、ダメで皆壊滅しても失った土地が基盤の連中だしと
孔明自身も荊州閥なのになぁ
>>70
劉備の呉遠征に関しては、諸葛亮の事績は史料にほとんどないよね。
諌止したわけでもないし、かといって漢中戦のように軍政官として後方で
支援をおこなった形跡もない。
敗戦後に「法孝直が存命なら云々…」くらいしかなかった気がする。
自身は賛否両方の苦衷にあったというあたりなのかな。
やっぱ演義みたく漢中やら上傭あたりで魏に備えてたのかね。
あーでも劉備存命中って孔明は軍を任されたことはないんだっけか。
そもそも劉備存命中はずっと親征だろ
法正だって、ただの参謀だし
>>73
厳密には皇帝になって初親征で大敗したって事になるはずだが
入蜀、漢中だって、劉備が総司令官じゃん
>>75
>>74>>73の「親征」って語につっこんだだけでは?
三戦は、重箱の隅を突つくのが好きな奴多いよな
意味が通じてるならいいと思うんだが
78無名武将@お腹せっぷく:04/06/14 23:31
自称なら廖立(w
自分で、自分の才能は孔明に次ぐって……
No.1 法正
No.2 孔明

は不動だろ。
No.3以降を語ろうぜ。
劉巴じゃねえの?
劉巴か、黄権。
82無名武将@お腹せっぷく:04/06/15 22:16
劉ともえかあ・・・。
劉巴ってそんなに凄いか?
>>83
「軍隊の指揮には自信はあるが、帷幕で策を巡らすという点では(劉巴に)遠く及ばない」
という趣旨の諸葛亮の評もあるし、法正の後をついで尚書令となったりしてることを考えると蜀陣営における評価はかなり高かったようです。
でもさ、蜀って特に荊州人士に多い気がするけど、理論倒れというか
悪く言えば口先だけ、ってのがいる。
馬謖とか廖立とか劉巴とか……
>>84
サンクス
全体的に蜀将は記述が少ないから
どうしても演義のイメージが先行してしまう
劉巴は当時の大陸クラスの著名人。
陳羣がわざわざ諸葛亮に手紙を書いて、安否を気にしてるほど
それをいったら許靖も
>>85
策を立案するだけならいいんじゃない?
実際に兵の指揮をしなければ、上手くやってくれそうだ
>>85
確かに現場知らずの頭でっかちって印象なやつが多いな…
蜀制圧後の経済政策とか、内政に功があった人物だね
法正は早死したからなぁ。

漢中は確かに良かったけど、
あれだけ優秀な武将が揃っていれば・・・という感じもする。

劉備に蜀を取らせた後の事はあまり考えていなかったっぽいし、参謀ってのも微妙。
・・・それに人間が小さいのもね。個人的にはコイツをNo1にしたくない。
人間の大きさで決めるのなら
兀突骨がNo.1。
94無名武将@お腹せっぷく:04/07/07 16:28
ナニの大きさで決めるなら
諸葛亮>>>関羽>劉備>>>>>>張飛
>>85
そういうのを「虚名」と呼ぶ
演義か正史か忘れたが、劉備が許靖を役に立たんと評した時に
諸葛孔明が「でも彼には虚名があります」と言って擁護した。
9695:04/07/07 16:45
演義も正史も最後に読んだのは5〜6年前なので細かい間違いとか
は気づいた香具師が訂正してくれ
黄権!!
>>95
確か法正が言った。正史だったと思う。
策士と言えば陳寿を忘れてはならない。
彼が蜀に対しての記述に手心を加えたおかげで
蜀は後の時代になってこれだけの人気があるのだ。
まさしく1000年の計である。
>>99
陳寿は親父が孔明に丸坊主にされり諸葛遷に疎んじられたのを恨んで諸葛亮伝は
手心を加えなかったともいわれてるが・・・・?
それにこの人物書きっぽいのだがはて?
>>100
手心を加えずにあれだけマンセーできるとは大したものだ。
>100
何故に「蜀に対して」で
孔明だけで反論するのか?

もしかして蜀=孔明?
キチガイ刑法
陳寿が最もマンセーしているのは曹操。それから司馬一族。
まあ晋に仕えてたから当たり前なんだけど。

>>102
>蜀漢=孔明
まあでも、そんなようなイメージはある。
蜀といえば後は劉備ぐらいか。

でも国作ってすぐに死んだしな。
陳寿が蜀を密かに持ち上げているのは周知の事実
何を今さらって感じのことだね
>>105
というか蜀は資料が少ないんで、陳寿の意見が多分に入っている。
魏は晋のようなものだから・・・。

呉だけは普通に評価できた筈だ。
先主、後主に対して、
呉は孫権と呼び捨てでなかったっけ?
>>108
そう。ゆえに>>105
蜀は国として認めて、劉備・劉禅を国主として認めていたけど、
呉は勝手に割拠してる勢力程度の扱いだもんなあ。
陳寿個人の思惑だけでなく、当時の社会的な認知度とかもあったのかな。
つか孫権ってどういう名分で皇帝を名乗ってたんだっけ。
>>110
厳密に言えば、
"蜀"という時点で国として認めた訳ではないことがわかる。
やつらは"蜀"という国号を使った事が無い。

あくまで漢の後継は魏。魏の後継は晋。
113無名武将@お腹せっぷく:04/08/01 07:41
蜀漢の連中は「漢」を名乗ってたけど、魏は「蜀」と呼んでいたって事だね。
でも、魏に降伏した時、蜀漢の文献は全部「蜀」に改めたのかな・・・
114無名武将@お腹せっぷく:04/08/01 11:03
諸葛亮のどこがNo1なんだ?
楽毅、管仲の如き才とか自負してるけどどこが?って感じ
楽毅と違い、詐謀だけで外交して蜀を貶めるは、無駄に兵を用いるは
管仲と違い、土地の有効利用をしきれず、領地を広げることで国力の増大を図った
蜀取りは孔明がいなくてもできただろうしね
ぶちゃっけ、諸葛亮いらねぇ
115無名武将@お腹せっぷく:04/08/01 12:33
法政
116無名武将@お腹せっぷく:04/08/01 13:27
>>114このスレは演義を基準にしているので仕方がない
>>114-116
夏厨は巣にお帰りください。
そう言われるのが嫌ならせめて現行スレのログくらいはお読みください。
現代で当てはめると、何か会を作ったときの

会長=君主(代表・発起人・象徴)
事務局長=NO.1参謀(実質的な仕切役・責任者)
事務局次長=NO.2参謀(NO.1の補佐役)

といった感じだと個人的には思う。
そうすると、入蜀までは後から仕えて同じ軍師中郎将(演義では副が付くし)
のホウ統でいいとして、蜀建国後は蜀の職制の性格から、

NO.1参謀=丞相
NO.2参謀=尚書令

ではないだろうか。
そうなると、法正→劉巴→李厳という順で尚書令に任じられている。
ホウ統と上記3人が、4人の中での比較はともかく、時期毎のNO.2参謀
ではあると思う。
「軍事」参謀なら法正でいいんだがな。
120無名武将@お腹せっぷく:04/08/13 18:00
実績と名声どっちを重視するかにもよる
>119
軍事参謀なら法正がトップ。
122無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 17:58
法正って実質漢中戦だけやん。
もうちょいいろんな戦を見ないとわかんないだろ。
123無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 18:22
>>1
おれ
124無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 18:31
ショウエンってどう?漢水方面から北伐する計画を立てていたりしたし。
>122
漢中戦だけでも、相当な手腕なんだよ、法正は。
ホウ統死後の益州平定時の軍事戦略も彼だし。
>>114
遅レスだけど、治世に関しては諸葛亮は凄いよ。
アレだけの短期間に5回も北伐の兵を起こしただけでも凄いのに、民は恨まずとある。
死んだ後に廟があちこちに出来たとも言うし、よほど人心掌握や慰撫が上手かったんだろうよ。