1 :
無名武将@お腹せっぷく:
2
3 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/06 21:02
3
4 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/06 21:09
4
5 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/06 21:10
5
不毛に続くスレ
そのうち話題も何も無くなって落ちるから
それまでのんびり語っていればいい
8 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/06 21:36
破三国志の漫画が出てたけど、あれ面白い?
糜芳とか士仁について語るスレ
三戦板でもっとも熱く、もっとも不毛なスレ
11 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/06 21:45
荊州仕置
12 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/06 22:54
不毛とはいえ熱い議論が交わされることもあるが
一人でも池沼が混じるとたちまち駄スレに成り下がるスレage
糜芳について
こいつは徐州時代に彭城相を蹴ってまで劉備についてったやつ。
糜三兄弟(竺、芳、妹)で金の世話から下半身の世話までしたようだ。
糜芳は荊州争奪の時には南郡太守だった。
これは最重要拠点とも言える江陵とほぼイコールであり、劉備の信頼のほどがうかがえる。
関羽はさすがに別格かもしれんが、糜芳もまた荊州を守る上で重大な責任と期待を背負っていたと言えるだろう。
>>12 あなたみたいなタイプの人が荒らしを呼ぶんだろうね
関羽厨之主張
1:関羽は英雄。議論の余地のない名将である。
戦績?性格?そんな物は史家の主観。程cや陳寿に高く評価されてる。疑う奴は皆アンチ。
2:呉は同盟無視の裏切り者。
反乱の煽動も兵糧の強奪も皆、呉側のでっち上げ。孫権を侮辱?侮辱くらいで根に持つなんて小人物。
3:魯粛は蜀の味方。魯粛がいたら関羽は死ななかったし魏も打倒できてた。
魯粛の思想?天下二分?そんな物は史家のでっち上げ。魯粛は親劉備、親漢朝。
4:だから呂蒙は無思慮な強硬派で戦略音痴。魯粛の協調策を台無しにした愚か者。
魯粛も荊州を攻めた事がある?魯粛も呂蒙も周瑜も天下二分論者?これも史家のでっち上げ。
5:関羽の北伐は、呉が協力的だったら魏は滅んでいた。
樊も襄も落ちてない?落とさなかっただけ。徐晃に敗れた?曹操の本隊以外は眼中になかったんだよ。
6:だから呉は蜀に協力して合肥や徐州方面のみを攻めるべきだった。
合肥が堅固?徐州は防衛に不向き?みんな呂蒙のでっち上げ。呉の実力が足りないからだよ。
7:関羽を殺した孫権は、先の見えない阿呆。夷陵での蜀の大敗は孫権の無思慮の所為。
関羽を殺さなければ劉備が呉を攻めなかった。もしくは夷陵で陸遜は手心を加えるべきだった。
8:少なくとも張飛より関羽の方が政治に優れる。張飛が関羽より上なんてあり得ない。
張飛が司隷校尉?巴西太守?そんな物は名誉職。張飛は飲んべえの猪武者。
9:諸葛亮やホウ統が荊州にいたら問題なかったよ。
潘濬?潘濬は無能で不義理。仲違いも潘濬が悪い。諸葛亮やホウ統なら上手くやるに決まってる。
上記主張の8以外は、前スレなどの過去レスでも見られる
関羽厨の特徴として他力本願となすり付けの論法がある
用法としては以下のような物がある
「関羽は、呉に攻められないよう警戒を怠るべきではなかった」→「呉は荊州を攻めるべきではなかった」
「関羽は呉と協同できるよう努力すべきであった」→「呂蒙は魏を攻めるべきであった」
以上のように、関羽厨の主張は
当然として関羽がすべき努力を呉になすり付ける他力本願な主張へと脳内で変換されるのである
この長文はだれに宛てたものなの?
完全にもしもの話だが
関羽の北上が
もう少し後だったら
とか云ってみる。
曹操が死んだ時とかさ。それだったら呂蒙も
いないし。
>>20 司令官が他の者(例えば陸遜)に代わって荊州を攻めるだけのことのような気がする。
荊州の軍を北上させると呉が攻めて来る
このジレンマをどうするかだ
益州本体が長安以西を取れればなぁ・・・
>>19 徐盛が子・徐楷に宛てた手紙(民明書房より)
>>20 一番いいのは劉備が死んで諸葛亮が外交の実権を握ることだよ
諸葛亮は魯粛と考えが近いし、荊州に諸葛亮がいれば
呉と紛争が起こるたびに魯粛と同じように平和的解決に奔走するだろうから
>>20 朱然が代わりに攻めるだろう。
陸遜はほぼ史実どおりに動きそう。
同期だけにかえって連携が強化されたり・・・
>>24 関羽が諸葛亮に外交を委任するとは思えない。
翌年だと呂蒙・孫皎・蒋欽が死亡しているうえ、荊州では疫病も発生してるはずだがそれでも
カンヌ討伐を強行するかな?
27 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 13:54
関羽の立場などどうでもよい。
呉にとって吉か凶かが問題だ
28 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 14:22
てか、このテーマも議論は出尽くしたしさ、そろそろ新テーマでスレ立てないか?
またループしたってしょうがない。
29 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 14:31
これだけ議論しても結論は出ない。それだけ荊州問題は難解なんだ
30 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 14:34
議論の余地はもうないだろ。出尽くしたし。そもそも結論とは?
31 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 14:49
出てないだろw
32 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 15:01
結論は出てるよ。結論が出ない、それが結論だ。
何の話
34 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 15:18
関羽討伐の功罪
35 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 15:23
夷陵での大勝込みで、結果的には成功ってことだろ。
36 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 15:26
それは「功」の部分でしょ。
37 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 15:34
罪の部分って・・・
あるか?
>>37 蜀の力が大きく減退したおかげで魏の軍事的圧力が全部呉に向かってきた
39 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 15:38
蜀の戦略構想から荊州は欠かせない以上、交渉での返還に応じてくるとは考えられない。
となると蜀と軍事衝突するか、諦めるしかなくなる。
夷陵で勝ち、魏の侵攻も防いだんだから、呉にとっての罪の部分はほとんどないだろ。
既出だろうけど。
40 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 15:40
ところが蜀と対立し、結果的に蜀を弱体化させる流れを作ってしまったことで、
魏の優位を完全なものにしてしまった。
これでは蜀呉が共同しても、魏に対抗することはできず、両国の滅亡を早めてしまった。
これが罪の部分だ。
41 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 15:42
呉は蜀滅亡のときの鐘会の反乱とかのドサクサに紛れ蜀を取るべきだったな。
43 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 15:45
まあそうだけどさ
44 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 15:48
>>40 しかしそこまでかんがえてしまうと、常に呉は蜀に合わせて行動をとらなきゃならなくなる。
>>44 しょうがないだろ。二人で力を合わせてようやく半人前の実力しかないんだから
46 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 15:53
>>45 悲しいことだが、これがいかんともしがたい現実だった
>>40 それは呉の罪ではなく蜀の罪
そもそも両国の滅亡を早めたと言うが、蜀の滅亡でさえ40年も先
その間に、蜀では姜維の北伐による疲弊や
呉では、呂壱や二宮の変、二孫の専横、孫晧の暴虐など多く失政がある
むしろ呉が魏の度重なる猛攻に耐えてこれたのは荊州を確保したからと考えるべき
48 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 16:01
>>47 つまり蜀は穏便に荊州を呉に返すべきだったと?
49 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 16:03
これだから呉ヲタは・・・・・・
51 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 16:12
譲歩するラインが難しい。
52 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 16:12
あなたはこのスレに書き込んで何か人生が変わりましたか?
あなたはただ無駄に時間を浪費しているだけなのです。
このスレに書き込んだ時間・・・
それは壁に向かって独り言を言っている狂人と同じ時間を
費やしているのと同じなのです。
53 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 16:17
小賢しい壁だけどな
>>48 いや、そうではない。
荊州の問題は、いつかは解決しなければならない問題だが
蜀としては、その荊州問題の決着時期を先延ばしにすればするほど
荊州での地盤が固まり、荊州を保持する利益を得られる
一方、呉としては荊州を確保しないと揚州一州のみで魏に対抗しなければならず
時間の経過と共に魏だけでなく蜀との国力の差も開いてゆく
つまり呉としては早い目に荊州を奪取し
蜀からすれば、厳しい外交の綱渡りによって荊州を維持し続けることがベターと言える
>>49 わけわからん
適度な譲歩など、荊州の地勢からしてあり得ない
呉にとっては死活の地。いわば蜀においての漢中に相当する
蜀のとるべき道は、決着を先延ばしにして荊州を保持し続け
呉より国力を蓄えた上で、実力で領有を認めさせる
まあ…実力で勝ち取れと言うことですよ
55 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 16:21
しかし、実際問題、先制攻撃をかけたのは呉ですが。
それがけしからんとはいわないが、辛抱が足りないな
チャットスレかよ、ココは
57 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 16:28
呂蒙の余命も残り少ないし焦ってたんでしょうね。
59 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 16:47
三国志を勉強しなさい
三国志を理解しなさい
61 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 17:26
では北上している間、いかなる手段を用いれば呉が攻めてこなかったと思いますか?
関羽と孫権が姻戚関係を結ぶ
子供を人質に取られてるようなものだぞ。
弱みを自ら作り出すようなものだ。
65 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 18:07
66 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 18:08
呉の内部に斥候代わりに娘を送り込むってのもいいけど、
関羽の政治力じゃ相手に利用されるだけだろう。
断った方が無難だと思う。
>>64 当時の価値観なら人質の意味を成さない。
67 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 18:14
68 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 18:17
>当時の価値観なら人質の意味を成さない
人質でしょ。だから呉も以前、孫夫人を取り戻してるし。
69 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 18:17
背後に不安があるなら、北上するべきではなかったのでは?
70 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 18:21
>>68 人質の命を盾にとられたくらいで国策を変えないと言う意味。
まあ、やり損と言えばそうだろうけど。
71 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 18:23
仮に素直に荊州を呉に返還してたら蜀漢は長安に向けて全力でいけたんだよね?
72 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 18:23
なぜ北上したのか?
陸遜ごとき新米が攻めてくるはずないと思い込んだのと
糜芳と士仁らが裏切ると思ってないのと劉備から何らかの指令があった
('A`)
75 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 18:42
('A`)
>>68 漢晋春秋の呉が孫夫人を取りも出しにきたのは創作性が非常に強いようだ
呉に帰ったのは諸葛亮の進言あたりから体よく離縁させられたんだろう
78 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 19:29
漢晋春秋は眉唾ものの話が多いからなぁ。
演義のストーリー作りに活用されている。
80 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 19:31
関羽は、魏に捕まったほうが良かったのでは?
>>80 なんで?
呉が関羽を殺したから劉備が呉を攻めた(魏が殺せば劉備は魏を攻める)と思っているのなら違うと思うぞ。
劉備の荊州攻めは、関羽の処遇に関係なく起きた可能性が高いと思う。
何故なら、諸葛亮の計画自体が荊州領有を前提にしていたから、
荊州を奪わないとこれ以上の勢力拡大がおぼつかなかったし、劉備政権には荊州系の人間も多かった。
彼らにとっては自分の土地や家族が奪われたようなもんだ。
彼らは当然荊州を奪い返そうとするだろう。
夷陵戦後に荊州を取り返す動きが無くなるのは、荊州に地盤がある者が大方やられて蜀地元出身者が主流派になったからだろう。
82 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 19:47
魏が関羽を処刑しても、呉が荊州を占領すれば
やはり、劉備は荊州を攻めるだろう
もちろん、荊州を占領したのが魏でも呉でも関係無い
83 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 19:49
>>81 いや、そうじゃなくて・・・
魏なら、関羽を処刑しなかっただろう
ということではないのか?
>>77 だいたい孫夫人自体、劉備や周りから警戒されてたのに
自分の子供でもない太子劉禅を連れまわすなんてどうやってするんだ
集解あたりじゃあ別居までしてるのに
>荊州に地盤がある者が大方やられて蜀地元出身者が主流派になったからだろう。
南陽:李厳・王連・宗預
義陽:魏延・ケ芝
襄陽:楊儀・向朗・馬稷
南郡:董允
零陵:蒋エン
江夏:費イ
関羽が殺されなかったら劉備が荊州派を抑えて
再び呉と同盟を結べたかもしれない・・・のか?
前年の三郡割譲みたいな形で呉と荊州を二分するっていうのはできなかったのかな
>>81 夷陵の後、呉と蜀が和睦するのは
戦争の継続が無理となったから、
それと荊州奪取と夷陵で呉蜀の優劣が明らかになったためでしょう
>>86 それは難しい…というか無理
結局の所、長沙などの南部四郡はおまけで重要なのは南郡なんですよ
で、その南郡を二つに割るにしても江陵だけは双方ともに必要なので結局利害が一致しない
88 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 20:44
呂蒙は荊州奪取後の蜀の反撃を予測していたのだろうか?
結果として、夷陵でほぼ無傷で勝てたからよかったものの、双方に多大な犠牲が出てもおかしくない戦いだった。
89 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 20:47
>>83 徐州攻めで曹操が関羽を処刑しなかったのとは訳が違うと思われ。
あの頃の劉備陣営は張繍などのようにどう転ぶか分らない小勢力だった。
しかし劉備が蜀の王となった以上、降らぬ敵将を生かしておいても仕方ない。
90 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 21:29
>>89 しかし、セオリー通りにならないのが人間の感情だよ
曹操なら、関羽を処刑しなかったと思うよ
蒙古軍も文天祥を殺さなかったしな。
別に降伏せんでも抑留して飼い殺しておけばいい。
92 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 21:37
結局、結論が出ない。ループの連続。
「いつまでたっても永遠に結論の出ないスレ」?
93 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 21:38
自分の中に結論が出たら終了。
そして残った人たちに引き継がれていく。
94 :
関羽討伐について一考のスレ立者:04/05/07 21:44
ここまで熱くなるとは思わなかった。
>>92 過去ログにもあるように「結論は出ない」という結論が出てる。
ふぅ〜。やっと落ちつきますた
97 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 23:19
よし、じゃあそろそろ最終章に入るか。
荊州を呉に返せ、という話も随分と無茶な話だよな。
荊州南四郡は劉備が自力でとったものだし、
その他の地域でも劉備は影響力を行使して
呉が領有していたのは南郡の一部と江夏郡のみ。
しかしその南郡を貸し与えることで、さも荊州全土を貸し与えたかのように
話を進めた魯粛の外交力といったら脱帽である。
その精神は、南○大虐殺で何十万人も虐殺されたなどと話を誇張し
謝罪と賠償を請求する某国にきっちり引き継がれているようだ。
>南郡を貸し与えることで、さも荊州全土を貸し与えたかのように
>話を進めた魯粛の外交力といったら脱帽である。
孫ぽ○がそんなことを言ってたな
100 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 23:46
100
101 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 23:47
100
南郡が重要じゃん。
呉が「南郡だけ返してよ」と言っても、劉備や諸葛亮はウンとは言わないって。
あと劉備が独力で四郡を取ったんじゃなく、周瑜と劉備が南郡と四郡を取ったんだよ。
どっちも荊州取りには関与しているから、領有権みたいな問題が出るんじゃん。
ところで関羽が強奪したという湘関の米なんだけど
湘関の場所って湘水の近くで合ってる?
だとすると、江陵よりもずっと南方にある湘関に
わざわざ兵を派遣したとは思えんのだけど。
蜀と呉の境界付近にある呉の兵糧庫としか情報がないから・・・
105 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 10:28
呂蒙と姜維では呂蒙のほうが優秀だろう。姜維は姜維で充分優秀だがな。
結局、両者は基本的には同類だ。
他にどんな人物がいるかといえば、関羽、韓信、源義経あたりかな。
もっと広義で分類すればケ艾、上杉謙信とかも含まれる。
>>103 どうも湘水沿岸で正解みたいだね。
しかし、そうなると距離がありすぎて不自然。
そうなると、于禁降伏後が妥当と思っていた史料の記述に作為的な
ものを感じる。
もしかしたら、もっと早い段階で関羽は呉の邸閣を襲っていたかも、
って可能性もでてくる。
『呉書』のベースが呉人のものであることから考えて、もしかしたら………
107 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 10:54
>>105 戦場での駆け引き、軍の指揮、個人的武勇などに通じている戦上手ではあるが、
反面、政治や外交がヘタクソだということか
108 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 10:58
魏と呉が手を組んだ事も踏まえれば、関羽が呉を攻撃しても可笑しくないよ。
>>106 どうだろう
樊からは距離が離れているけど、江陵からは離れていない
伝令を使って居残りの連中に奪取させれば無理なこともない
孫権は兵糧を奪取されると即座に行動を起こしている
これは道義的な理由は建前で、関羽が兵糧に困窮していると判断できたためとも考えられる
また陳寿の著述姿勢からして怪しい記述は省かれているだろうから
兵糧の奪取が無かったと言い切れないと思う
>>109 勘違いさせたならごめん。
「無い」って考えてはないす。
>>110 そうでしたか
いやはや、先走ってしまいました
兵糧の奪取の事実が無かったというよりも
呉のしかけた罠にはまったんじゃないか、と思っている。
守備兵を割いているんだから、兵は少ないはず。
なのに兵糧を奪取できたということは
呉はわざと兵糧庫の守りを薄くしていたか、あるいは
「典略」の「呉は関羽に援助を申し出たが、使者の到着が遅いので
関羽が激怒した」という表記と何かつながりがあるかもしれん。
>>112 いや、なんていうか「邸閣を襲ったのは事実」で、「距離と時期の問題」
について話してるんだと思う。
114 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 15:51
呉が先に攻撃を仕掛けて、関羽に逆襲されて兵糧庫を奪われた
という説もあるよ
どっちが先制をかけたのかは微妙だけど、
呉は明らかに計画的だったな
虎視眈々と狙っていたわけだ
関羽が呉の兵糧庫を襲ったというのは呂蒙伝の他に記述ってあったっけ?
もし無いのならば、この件は実は呉側も一枚噛んでおり
道義上関羽に一方的に非があるように書いたのではないかと思う。
以下は俺の妄想。
于禁を降し関羽の軍が膨れ上がって兵糧が不足する。
↓
呉が、兵糧を供出しますと関羽に申し出る(関羽を油断させる手)
↓
一方で江陵の糜芳に、呉から兵糧を供出する件関羽と約しましたので
兵糧運搬しなくてもいいですよと告げ、それを信じた糜芳は兵糧の運搬をサボる。
↓
しかし呉は兵糧をなかなか供出せず、糜芳もサボっているので
関羽はぶちきれ、糜芳に
「何サボってんだゴルァ。呉に直接押しかけて
米運んでこい! 約束してあるんだから気にすんな」と命令。
↓
糜芳あわてて呉の兵糧庫から米を運ぶ。
後に、呉はこれを関羽の反逆行為と宣伝する。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 18:09
うむ。勝利者が歴史を改竄する事は人間の歴史の中で幾度となく起こってきた。
死人に口なし、負ければ賊軍というからな。大義名分を得る為に改竄があった可能性は否めない。
勝利者は魏であって呉ではないだろ
自分の国に都合よく書くのは三国共通
>>98 重要なのは「南郡(江陵)」だけ。
で、呉も蜀も江陵が必要だった。
>>118 アフォか?勝利者は晋だろうが。
呉は魏に滅ぼされたとでも思ってんのか?
121 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 19:35
勝利順位は、
1位 晋
2位 呉
3位 魏
4位 蜀
ただし、晋は三国志とは関係無い別格なので
三国志の優勝者は呉である。
魏晋が一位 ただ陳寿がショッカーなので蜀も底上げされてる
ワリを食うのが呉ってことだ 特に孫権への評価は手厳しい
ただ、呉の記事はだいたい「呉書」とかなので、呉の人間の伝記自体は呉寄りかもしれない
124 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 20:11
袁紹の扱いも悪いよ
125 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 21:59
政治的に言えば、最初の自滅は魏だ。以下呉、蜀、最終的には八王の乱で晋だな
126 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 22:10
>>125 ある意味で正解かも・・・
魏=249年
呉=258年
蜀=263年
ですね?
127 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 22:19
そういうこと。ただ、呉は復活してるから、280年ともいえる
128 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 22:36
>>127 復活していても、一度は258年で途切れたことは事実だよ
とはいえ魏はそれで弱くなったわけじゃないからな
そこが結構大きい
結果的に滅亡した順は、魏→呉(?)→蜀→晋で間違いないね
131 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 23:48
254年に曹芳が帝位を禅譲したことで、魏は滅亡したと解釈することもできるよ。
それ以後(254年〜265年)の魏は、別の魏ともいえる。
つまり、魏が滅亡して別の魏に引き継がれたわけだよ。
じゃあ、呉→蜀→魏→晋ってのもアリか
>132
お前馬鹿?
呉が魏に臣従したのは滅亡とは言わないのかな。
言いません。
138 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 00:26
別の蜀もあるぜ!
139 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 00:40
258年に孫亮が廃帝になったことで、呉は滅亡したと解釈することもできるよ。
それ以後(258年〜280年)の呉は、別の呉ともいえる。
つまり、呉が滅亡して別の呉に引き継がれたわけだよ。
魏→呉→蜀→別の魏→別の呉→晋
で、別の魏や呉に引き継がれたら何が変わったの?
変わらなかったんなら分けて考える意味が無いな。
143 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 00:56
魏:196〜254
呉:197〜258
蜀:221〜263
別の魏とか呉とか言ってたら、漢は一体何個の漢に分かれることやら。
なんか意味あるの?これ
魏が一番最初に滅亡とかバカじゃないの?
もし良ければ、滅亡した順が蜀→魏→呉→晋でないことを初心者にも分かるよう教えていただきたい・・・。
>>146 実権が臣下に奪われ、君主が傀儡かした時点、
あるいは臣下によって君主が挿げ替えられるという事態が発生した時点で、
その王朝は事実上滅亡していたという考え方らしい。
まあ、何か意味がある話とはとても思えない、
個人的には
>>144及び
>>145に全面的に同意だ。
>>147 なるほど、聞いてみるものですね。
ありがとうござる。
この理論を正当化したら
劉邦の前漢は二代か三代で滅亡だねw
150 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 16:02
151 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 19:59
>>150 ならば文帝が即位したら王朝は交代したことになるのか?
それは「別の漢」ってことになるんだろう。
多分・・・・
話すことがなくて雑談程度なんだろ。
本気で凄い事語ってる気でいたんだとしたらさすがに痛いが。
張譲らの専横で事実上滅亡
董卓の専横で滅亡
曹操の専横で滅亡
鎌倉幕府なんて三代にして別政権に代わったわけだし
まあ言い出しっぺが政治的に言えばと言っているんだしさ。
でも専横されても、持ち直したりしてれば事実上滅亡とは思えないな。
衰退した(していた)と言うのが適切かと。
157 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/17 19:15
>125は「政治的に」言っているのに「国名」を持ち出すからおかしくなる。
政治的に自滅なら派閥名を出すべきだろ。
158 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/17 19:28
全然まとまってないのに まとめとは・・・
独自の滅亡論唱えてた奴は反論しないのか〜
曖昧すぎて誰の事を指してるか判らぬ
_,,. -‐‐‐‐‐‐‐- 、
lヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
l } | | | | |
l } | | | | |
|ニニ''" ̄ ̄○ ̄ ̄`|
/ //  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
/ // ヽ
l:::::::| |. | 荊州はボクにまかせればよかったのに
|:::::::| |: (●) (●) | ヒゲのおいちゃんのもとでもまれれれば
|:::::::| |::::::: \___/ | 大ハゲしたかもよ!
ヽ::::::| |::::::::::. \/ ノ
>>161 おいおい、つまらねぇネタでスレストするなよ。
よそのサイトの掲示板荒らすなよ
なんで益州・漢中にはたくさん武将がいて
荊州には全然いなかったのかわからん
せめて関羽出陣後1人でいいから
頼りになる武将を江陵に送ればいいのに
糜芳と士仁は劉備が信用できると
思ったから荊州に置いたんだろ
劉備にとって関羽が誤算だったってことだよ。
荊州戦の結果はともかく、糜芳たちが抵抗もなく降伏した最大の要因は関羽だろう。
関羽と荊州の士大夫層を取り持つ人材がいなかったのが一番痛い
諸葛亮あたりに補佐させておけばここまで酷い状況にはならなかったはず
いや、人材はいたが、
関羽使いこなせなかったらしいぞ。
馬良も補佐してたし
潘濬もいたし
前将軍・仮節鉞の関羽に馬良や潘濬に命令する権利はあったのか?
その潘濬自身が関羽と仲悪かったんだからだめじゃん
>>172 命令なんてする必要ないでしょ、
最初から補佐するって話だったはず、
まあ相手が関羽では補佐もままならないという感じだが。
>>173 それを断定できる証拠はないはずだよ。
>>171 劉備政権下での潘濬はたしかにそれなりの官にあるけど、
あまり枢機の中枢に参画できていたとは思えない節がある。
>>175 季漢輔臣賛の陳寿による注記のなかで関羽と不和だったとある。
よって信憑性は本伝と同等と考えたのだが、だめか?
実現可能かどうかはおいといて、適任は諸葛亮しかいないな。
結局ダラダラ入蜀して、ムダにホウ統を戦死させた劉備がいかんのか…
178 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/23 22:21
>>167 麋芳が裏切ったのは、関羽の責任って確定してしまっている事に、
俺は疑問がある。
例えば、若いころから、社長(劉備)と共に大きくした会社で支
店長(関羽)に嫌われているからといって、ライバル会社に自分
ひとりだけじゃなく、荊州支店全部で移って、社長の夢をつぶし
たとしたら、劉備を裏切ったとしか思えないんだが。
まあ責任を負うのはリーダー
で、荊州のリーダーは関羽だった、と
その上のリーダーは劉備なんだが・・・
って言うか樊城から帰還したら処刑するって関羽に言われたら
麋芳らも抵抗もせずに降伏したくもなるだろ
ワンマン社長=劉備
その昔からの部下かつ友人で支社長=関羽
社長の親戚で、支社のNo.2=糜芳
ライバル社=呉
支社長暴走気味に事業展開
支社長、No.2に協力要請するもイイ顔せず
支社長:テメーゆるさねえ。社長に言いつける
支社長の事業うまくいかず、ライバル社にシェア奪われ始める
ライバル社、No.2引き抜き:あなたこのままじゃ今の会社に残っても首ですよ。
No.2引き抜かれる→支社陥落
182 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/23 23:06
>>180 処刑されたくなくて、劉備の夢もつぶしたくなかったら、
1人で、呉に亡命すれば良かったのにと思ったんだけど。
麋芳は遊侠の徒じゃないぞ
なぜ関羽の責任か?
陸遜の手紙に踊らされて、荊州の守兵を
使ってしまって麋芳たちも守れなかった。
援軍のあてもなく呉の軍勢に迫られて、しかも責任者の関羽と
うまくいってなかったらそりゃ降伏するだろ。
なにも自ら離反を呉に持ちかけたわけじゃないのに。
呉が攻めてきても、先に関羽に「お前を潰す」発言されてなければ糜芳らも命を賭けて戦ったと思うよ。
それが役目だし、万一死んでも家族などには手厚くされるだろう。
でも関羽の発言はそんな彼らを不安にさせた。
「命がけで撃退しても関羽に潰されるんじゃないか」と。それじゃさすがに割に合わん。
忠誠以前の問題だよ。
「還當治之」の訳が
「お前を潰す」 ってのはどうだろうか?
>>187 少なくとも、井波の訳に誤解を招く理由があるかもな。
「始末する」とはいっても、麋芳らを「潰す」というわけではなく、
「(関羽にとって)平穏な状態に戻す」といったニュアンスだろうから。
更に考えると、関羽は麋芳をかなり軽視していた、とも採れる書き方なのかも。
関羽って荊州の総督の立場で仮節鉞に就任したんでしょ
麋芳らが潰すという発言に怯えるのも当然だと思うけど
>>189 小さなツッコミだが、節や鉞は与えられるものであって就くものじゃない。
関羽が仮に生き残って逃げ帰り、「糜芳が悪い」なんて言い訳をしても、
上司の関羽が責任をとらされるのは当然のことです。
>>192 井波の訳が「潰す」なんじゃないの?
俺読んだこと無いから知らんけど
井波の訳は「帰還したら、こいつらを始末しなければならない」
195 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/09 04:23
軽視されたから裏切ったのか
裏切ったから軽視されるのか
196 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/09 12:29
あと関羽の立場が劉備と対等の1勢力と見られてた点を考慮すべき
孫権(君主)から直接の縁談から見るに劉備の部下でなく
独立勢力的に見られてた。
たしか魏にもそんな認識あった(ソース忘れた資料今ないw)
まあ蜀のかんしん意識してたのかどうかはわからんが。
>>196 そう(独立勢力と)見たほうが政略上扱いやすくなるからだろう。
日本が中国東北部を満州と呼んで中国と別扱いしたのと同じだ。
200 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/16 20:37
男子たるもの六日レスなくば保守して相対す
何に相対すんだよ
>>201 自分のチンッコに決まってんだろ!
このインポが!
士はスレを知る者の為にレス
というワケで目先の利益に目がくらんだ呉の戦略ミスという結論でFAですな。
燃料投下乙
206 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/30 03:57
燃料燃えてないやんw
ガソリン車にディーゼル注いだ感じだな。
>>207 燃料投下乙
やっぱツッこませくれるか?
どうやってディーゼ(ry
209 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 01:58
おお、208が言うまで気付かなかったよ
210 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 15:17
関羽のアイコラがみたいです
211 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/15 03:35
ぶっちゃけ関羽より于禁の方が名将だよ
>>211 ぶっちゃけなくてもそうだと思うが・・・
214 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/15 13:36
ビホウ、シジンって結構優秀なんだよね
>>212 何かこの板は関羽を過大評価する向きがあるから言ってみた。
216 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/15 14:37
演義とかの影響強いと、蜀の武将はだいたいそうでしょ
>>215
夏になると関羽ネタが盛り上がる
まじで?
219 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/15 15:39
>>218 いや、違うぞ。
正確には「長期休暇」に入ると関羽ネタが盛り上がる、だ。
原因は言わずもがな。
>>218 なるへそ。要領を得ますた
ついでに、かれこれ三ヶ月「休暇」な俺は
どうしたら・・・
荊州での関羽の配下って正史だと誰々なのかな?
演義で馬良・伊籍が参謀としていながらダメだったが、
正史だと著名な部下が少なすぎる。
麋芳・士仁・廖化・関平・潘濬・赤β普くらいしか知らん。
趙累はどうだったのかな。
馬良・楊儀は派遣されたり招聘されたりして途中で蜀に行っちゃって
戻ってこなかったし、廖立は呂蒙に攻められて蜀に逃げちゃった。
王甫は荊州の議曹従事になった記述はあるが、その後劉備の呉征討につ
き従うまでは不明。殷観が別駕従事(州牧の副官)だったから、補佐的
立場になれる地位だが、劉備の入蜀辺りで死んじゃったのかな?
あとはわからない。
劉備はなんだって孔明・張飛・趙雲まで引っ張ってただでさえ手薄な荊州
から、さらに人を引っ張ってったんだよう!
225 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 04:57
>>222 荊州の配置は対魏のみを前提にしてる。
呉への対応を誤りさえしなければ何とかなると踏んでいたんだろうね
226 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 15:17
別駕従事 殷観 都督 趙累
治中従事 潘濬 将軍 士仁
功曹従事 楊儀? 関平
議曹従事 王甫 南郡太守 麋芳
勧学従事 長沙太守 廖立
典学従事 零陵太守 カク普
部郡従事 南郷太守 郭睦
督軍従事 宜都太守 孟達
部将 ケ賢・李輔・郤揖
従事祭酒 宜都太守 樊友
従事 馬良 部将 セン晏・陳鳳
前後左右の4司馬
主簿 廖化
書佐 まとめてみた。
士仁は多分、公安の守備
>>226,ありがd♪
よく調べましたな。
郭睦とか樊友とかセン晏・陳鳳なんて知らなかったな。
ちくまの正史もってるけど、一字一句もらさずなんて
マンドクサくて読みきれてないので。
……配下・与力の人材、やっぱり手薄な印象は否めないよね。
229 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 18:51
そもそも知らない人ばかりで手薄なのかどうかが分からないよ・・・。
記録が残ってないだけで当時としては一戦級の配置だったのかも
>>229,うっ!
そういわれるとそうだよね。無名=無能とはまったく
限らないものね。
231 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 21:01
無名=無能という評価を周囲の人間からはされたかもしれんがな。
無能でも無名でもどちらにせよ関羽はそいつらの進言とか軽んじただろうな。
233 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 18:28
仲が悪かった潘濬。共に妥協しそうもない性格に思えるが、
7年間にわたり共に内政を行っている。処刑するなり、
首にすることもせず、また裏切られる所までいっていない。
費詩の件もあるように相手の意見を聞く耳は持っていたと思う。
>>233 荊州を預かっているからといって生殺与奪の権まであるわけじゃないよ。
後年、関羽は仮節を与えられたが、これは戦時において軍令違反者を
処断する権利に過ぎない。
潘濬が治中従事であることを考慮すると、少なくとも関羽は使持節を有して
いなければならない。
で、なんだって?
236 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 19:34
関羽と麋芳とか潘濬などの関係がよくわからん、関羽様と呼べばいいの?
それとも関羽殿?
関将軍がもっとも妥当だと思うけど
238 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 20:13
どうして龐統氏んだとき、
関羽を蜀へ行かせなかったんだろう?
関羽行かせて孔明残ってりゃ呉もうかつに攻められまい。
関羽のようなイケイケは、劉備と共にいてこそ力を発揮すると思うのだが・・・
そこら辺、孔明の判断ミスのような気もする。
蜀を取った後の劉備の補佐役?法正がいるじゃん。
>>238 またループかよ!
当時の諸葛亮にはそこまでの権力はなかったの
んで関羽のNo.2の地位は不動のモノだったの
だから有り得ない考察なんだよそれは
>>234 そうでしたか、それじゃ処刑はできませんね。
それだと節を与えられるまでは、荊州牧劉備の下で
軍事総督・別駕・治中の関係って意外と対等だった
ような気になります。
241 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/28 13:34
>>230 でも、負けたんだから無能と見られることもあるよ。
少なくとも、能力を大いに発揮することはできなかったわけだ
そんな役イヤだな。
関羽を諌める役 馬良
カワイソ・・・
245 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/01 07:44
馬良って途中で逃げたじゃん
それこそ潘濬だったような・・・カンヌ諌め係り
能力以前にまとまりが無いんじゃあね・・・
248 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/05 21:24
>>245 援軍頼みに行って逃げたと言われた日には…。
しかも成都に着いた翌日には関羽処刑なんてねぇ。
廖化が援軍呼びにいったのは演義だっけか
250 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/05 22:13
演技では上庸行って成都へGO
正史では関羽死後に呉に降って自分が死んだと噂を流し、
隠れる。劉備の呉征伐の折、蜀に復帰。
251 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/10 02:56
>>248 いや、仮に馬良が諌め役だとしたらわざわざ自ら援軍頼みに行くのは職務放棄にならないか
そういう重役だからこそわざわざ・・・とも
非戦闘員だから援軍呼びに行かされたとか
254 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/12 21:39
成都まで行くんだったら漢中(魏延)、巴西(張飛)
巴東(劉エン)、巴(輔匡)の方が近いのに。
>>254 勝手に軍を動かせない人間に掛け合ってもしょうがないし。
しかし賢い魏延、義兄弟の張飛辺りなら越権してでも助けに来そうな気はする。
258 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/12 23:40
援軍来てたら呂蒙撃退できたかもね
260 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/13 00:25
撃退は無理だが、関羽が生き延びていた可能性はあった。
261 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/13 01:28
何で兵糧を奪ったくらいで戦争になるのよ
戦争の大儀名文がそれぐらいでいいのか
>>261 攻撃する口実が欲しかっただけなんだから十分だろ?
味方のはずの我が軍の砦を襲って兵糧を奪ったって言えば。
俺は謀略にかける為にわざと呉が奪うように策をめぐらせ
『関羽殿、支援は行いたいが表向き魏に臣従している身なので表立って関羽殿を支援できません。
どこそこにある我が軍の兵糧を譲る手はずをしておきますので、奪ったという形でお納めください』
位のことをいって、形だけの攻撃で借り受けた筈の関羽の背後を突いて留守の荊州を奪った。
ってな筋書きを予想するんだが。
関羽は戦場では強かったんだろうケド、謀略戦とかは苦手で融通の利かない武断派だったからこういう
計略には弱かったんだと思うけど。
汚いなぁ…>呉
別に汚くはないだろ。
糧秣の話ってどこに書いてあるんだっけ?
>>265 関羽が呉の邸閣を襲った件は「呉書」の記述。
呉がそうなるように何らかの工作を行っていたとしても、呉に口実を与えた
関羽の浅はかさは歴然。
267 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/17 21:11
後から呉が勝手に作った話だという可能性もある。
>>266 しかしなぁ。
見ず知らずの他人ならともかく、友人だと思ってる人間があと少しで結果が出そうな事業の
資金繰りが悪くなった時に、分かった結果が出たらその時返してくれればいいからってな風に
いって資金援助申し出てきたなら普通借りるだろ?
呉が強かで上手かったと褒めれても、関羽が悪かったとは思えないんだよなこの一時。
確かに関羽は上手くはなかったろうが、兵力を江陵から抜いたのも呉の支援体制を確信したん
じゃないの?
そういう流れで考えると関羽は敵の裏を見抜ける切れ者ではなかったとはいえても、アホな失敗
をした間抜けではなく。ちょっとお人よしな所がある程度で、普通に戦略眼や戦術能力は持って
いたっていえるんじゃないだろうか?
呉書の記録なんだから、呉の都合の悪い事実はカットしてるだろうから。信じられる筈のない敵を
信じて防備を割いた間抜けに見えるだけで。実際は呉は関羽に支援の確約とかしてたんじゃない?
全ての段落の末尾が疑問符なのは何故なのだろうか。
270 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/19 02:26
・部下との不和
・本国から無支援
・呂蒙と陸遜の存在
・偶然による于禁撃破(それによる油断)
・魏の援軍徐晃
どれか一つ二つなら何とか対処できただろうけど、
ここまで不運が重なるとは予想が付かなかったんだろう。
>>269 憶測で語ってるからだ。
見た訳でもないし、正史の記載を鵜呑みして大丈夫という確信もなく、全否定する確信もない。
>>268 なんかなぁ・・・
関羽を持ち上げるためだけに
「呉の都合の悪い事実はカットしてるだろう」とか、
さしたる明快な理由もないのに言い切っているのが萎える。
史書が正しいとは言わないが、否定するならきちんとした根拠が
欲しいところだ。(時期的に不可能とか、記述が矛盾してるとか、そういうの)
「呉の邸閣を襲った」話が「呉の陰謀」であるという想像を前提に
語っているから、推測に推測を重ねた文章になってるように
感じてしまう。
>>269もそこを含め違和感を感じたのではないかな。
違ってたらすまん。
反応がないということは自覚してるということだと思うぞ
一日やそこら反応ないだけでその判断は早すぎるだろ。
お前みたいに一日中2chに張り付いてるヤシばっかりじゃないんだからさ。
せめて半月くらいは待て。
4日目か
関羽って商売の神様だったの?
現在進行形で神様だ
呂蒙、陸遜ようやった!グッジョブ!
279 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/30 00:16
関羽の死からイリョウの戦いまでどのくらい期間があったのですか?
280 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/30 11:37
曹仁が予想外にハン城で粘ったのも関羽敗北の要因だよ。
281 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/30 11:57
俺、毎年横浜の関帝廟にお参りにいってる。お参りに行くようになって運気が上がった。関羽は神様だよ、マジで。
282 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/30 12:38
>>272 清の歴史学者の趙翼は「劉備が呉から荊州を借りた」という話自体、呉が荊州牧たる劉備(勢力)を追い出したのを正当化するためのでっち上げだと言い切っているな。
(正史では劉gの死後、劉備が荊州人士の推戴という形で荊州牧に立てられて呉も黙認している)
>272
しかし、先主伝に劉備が益州を平定した後、孫権が荊州返還を求めたのに対し「涼州を手に入れたら荊州をお返ししよう」って言ってる。
荊州四郡を平定した際も、関・張は周瑜の指揮下に入れる代わりに、兵力の提供を求めてる様で、劉備が益州入りするまでは完全な独立勢力とは言いがたい。
明確な貸し借りはともかく、劉備が益州を平定するにあたって、荊州の帰属について、呉となんらかの取り決めがあったのは確かじゃないかな。
でなければ、劉備も呉の要求に対して、上記の様な曖昧な返答をすると思えない。
上は>282へです。
間違えました。
俺としては清の趙翼の説というだけで(ry
趙翼ダサ
まあ嫌いじゃないんだけどね、趙翼
張翼好き
290 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 00:12
>>283 劉埼が生きてるからだっけ?
とりあえずなんとしても代替地を手に入れてから荊州返還したかったのは山々だがね。
涼州手に入れれば関羽には…は間違いないと思うがな。涼州、下弁、漢中から長安への蜀軍。
徐州、合肥、荊州からの北上で黄河以南を攻略と考えている呉軍。
結構うまくいきそうだけどな。
蜀が涼州を手にすれば国力差が、単純に言えば3対1となるわけよ(益、荊、涼)対(揚州)
こうなると完全に国力差が逆転し、呉の国力第三位が確定すると言っても良い
そして蜀の方が国力を背景にして、荊州の領有を主張して権力政治を行えるようになる
呉にとっては悪夢の展開となる
つーか、オマエら趙翼の事全然知らないんだろ?
超欲の何がダメなのか具体的に説明してみろアフォ
知ったかすんなってのw
趙翼が良い悪いはともかくとしても、
あっさり
>>282と言い切るのはどうかと思うな。
晋書以降への言ならともかく、
それ以前の史書への言はなぁ・・・。
だがそれがいい
「それ」って何だよ(棒読み)
>290
益州平定後だから、劉埼が死んだ後の話。
劉備側は返すつもりは全然無いんじゃないの?
諸葛亮の構想は荊州確保が大前提な訳だし。
215年に荊州の東半分を呉に分割するくらいが最大の譲歩だね。
呉からすると、荊州全土は渡せない立場だけど。
なんか夷陵の戦いって結局は呉が勝利したわけだが、甘寧は戦死するわ最後の火計までは呉の連戦連敗だし、
いずれにせよ陸遜は劉備に勝って諸葛亮に負けたみたいなもんだしこの戦いは魏を攻めるってことでは両国に
大きなダメージが残った。この戦いさえなければ、蜀か呉が天下を統一してたかもな。
孫権は関羽と荊州を交換しろって蜀に言ってればまだマシだったかも。関羽が傲慢とか
呂蒙が卑怯とかいう以前に孫権が馬鹿だったのであろう。
なんでそこで孫権が馬鹿になるんだ。
呉に攻め込んだ劉備が馬鹿なんだろ。
違うよ。暴走した劉備も、きっかけを作った孫権両方ともアフォだ!
よくよくみると劉備も孫権も曹操も君主として誰が一番かは決めがたいな。
300=呉ヲタ
299=蜀ヲタ
陸遜が諸葛亮に負けた?蜀か呉の天下?
孫権が馬鹿とかねぇだろ
304 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/22 15:30:24
関羽は曹仁の粘りに勝てなかったのが結局響いたな。ハン城がなかなか落ちない上に
、陸遜の策略が重なって、荊州の守備兵ほとんどいなくなったし。
('A`)
307 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/22 21:12:46
>>304 仮に呉が動かなかったらどうだっただろう?
それでもやっぱ除晃に打ち破られるのは変わらないかな?
>>299 甘寧は関羽討伐に出てないからその辺りで死んだんじゃねーの?
戦死じゃねーよ。陸遜と諸葛亮は戦った事ねーだろ
>>307 いくら徐晃の軍が新兵が多かったからといっても
関羽の軍はそれ以上にぼろぼろだった。
310 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/22 21:32:42
確かに徐晃も凄いが三ヶ月も荊州守り抜いた曹仁のほうが功績は大きいだろ。
312 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/22 22:59:04
演義では曹仁が逃げようとして、満寵が諌めたが、正史では配下がにげようとしただけで、
曹仁は逃げるつもりはなかった。満寵も進言はしたが、別に曹仁が退却しようとしたわけで
もないから、言うほど大した働きじゃないと思うよ。
あと徐晃の救援はもちろん特筆に値するが、曹仁も何もしなかったわけじゃなくて、
自分から反撃に出て、関羽の包囲陣を撃破した功もあるしね。
313 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/23 12:08:59
>>310 守り抜いた功績は認めるが、なんで包囲されるはめになったんだ。
それが原因で中原が震動したんだし。曹操が都を移そうと考えたと
いうのは、一瞬曹仁を見捨てたとも思える。
>>313 >包囲されるはめになったんだ
于禁の降兵、呉に対しての守備兵を使ったから。
>中原が震動
于禁が戦わず降伏したから。
>曹操が都を移そうと考えた
董卓の先例がある。
包囲されようがどうなろうが
結局守りきったからいいじゃないか、って考え方もあるけどね。
兵力が多勢なのに籠城する羽目になったなら確かに失態だが、
兵が少なくまた相応の援軍が期待できる状況で籠城するのは極基本的なことだからなあ。
逆に関ヶ原の時の織田みたいに下手に出撃して瞬殺されでもしたらそれこそ深刻な事態になっていただろう。
てか北上したときの関羽の兵力って?16000くらいか・・?
でウキンの兵力吸収でいくらだ・・・わからん!
守備の曹仁は?10000くらい
318 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/23 13:20:10
関羽はハン城を急襲して一気に落とそうとしたらしいが、曹仁はその前にホウ徳に
兵を与えて、関羽を遊撃させて、攻撃を足止めさせてるから、最初から、篭城する
つもりだったと思う。そして援軍が来たら、関羽を挟撃して撃破するつもりだったと
思われる。だが肝心の援軍が全滅してしまい、その構想が台無しになったにも関わらず
必死に城兵を鼓舞して、落城の危機を防いで、徐晃が来たら、自分も反撃して、関羽
撃破に貢献したから、十分な功績だと思うよ。
余談だが、後年曹仁は魏の元勲になったが、これは、それまでの功績もあるだろうが、
俺は関羽撃退の最大の功労者という評価を得たからこそ、元勲になれたと思う。
319 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/23 13:58:58
曹仁は荊北全体から南に目を光らせていたと思うので数万の兵を
指揮下においていないとおかしいと思う。最初から数千の兵しか
いなかったら、房陵・上庸を攻められた時、対処できない状態だ
ったということになる。
それでも樊城に数千しかいなかったということは、于禁が来た時
に指揮権と兵を明渡していたんじゃないだろうか。
320 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/23 15:06:26
数万ぐらいは余裕でいただろうが、曹仁はハン城周辺に砦を多く作ったらしくて、それを
関羽が虱潰しで攻撃したから、それで兵力が分散したからだと思う。しかも数万の大軍で
ハン城に立てこもるのは愚策すぎるし。それにしても曹仁はもちろん武勇もあるだろうが、
これだけ追い詰められてたのに脱走者を全く出さない統率力は恐ろしいね。
>>320 曹仁の本隊が戦に敗れて落城ならまだしも、城外で于禁、ホウ徳が敗れたぐらいで
脱走してたら、いくら脱走しても切りがないぞ。
特に周辺地域は水害、飢饉、暴動と悪条件そろっているから
脱走して故郷に帰るまでの安全が確保されていない。
治安が悪くなると山賊も出没するから脱走して故郷に帰らぬ人になる可能性が高いな。
322 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 14:55:09
なるほど確かにそうだが、あの時はハン城の兵もほとんどの将軍も撤退したかった
らしくて、曹仁に撤退を進言したらしいよ。撤退を考えてなかったのは曹仁と満寵
ぐらいだったんじゃないかな?篭城というのは、兵士の士気というのが最も影響する
戦法だし、ウ禁の援軍が来て助かったと思ったら、全滅しちゃったから、それだけで
兵の士気はがた落ちだよ。それに城内は水があふれていて、食料も底ついてたらしい
し。俺が言いたいのはそんな絶望的な状況を一人の脱走者もなく、切り抜けて、最後には
撃退した統率力と根性は徐晃以上に評価されるべきだということだよ。
兵が脱走するとして向かう方向は、北じゃなくて南だろ。関羽軍に投降するのが最も安全。
なまじ故郷に帰ったら脱走がバレるしな。
>>323 下手に驕っちゃってる関羽軍に降伏すると怖いことになると思うがね。
ハン城争奪戦の真っ最中に城内の兵士が降伏してきたなんてことが
起こったら後方に送られて捕虜扱いは当然。内応や後方混乱させるための間者扱いで監禁。
運悪ければ死罪までありえるな。
325 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 18:04:05
しかし、そう見ると、曹仁、徐晃の華々しい活躍に比べ、ウ禁は、しょうがないかも
しれないが、曹操ら魏の人々を落胆させた罪は大きいよね。ウ禁は俺も間違いなく優秀
だと思うけど、最後が悪すぎた感がある。でひとつ聞きたいが、魏側で荊州戦で、一番
功績があるのは誰だろう?俺はあえてつけるなら曹仁だな。いくら徐晃ががんばっても、
その前に荊州失ってたら、どうしようもないし。
326 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 18:09:00
関羽を食糧不足にさせた于禁
>>325 曹仁には消極的な評価しか与えられんがなあ……
>>324 集団として纏まってない降伏兵をそんなに怖がることがあるかいな。
少々遠くに離れたところに隔離されてそれでお終いだよ。
降伏兵を恫喝して何になる? 攻撃している城兵に覚悟を決めさせるだけでしょうが。
329 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 19:56:02
曹仁は篭城だったから、評価がしにくいのは仕方ないだろうね。でも荊州守り抜いて、
さらに徐晃と共に関羽を撃破したんだから、徐晃に劣るとは思えんな。
直後に荊、豫、益州を統括する位に大出世したのを見ると、この戦いがかなり評価された
のは疑う余地はなさそう。元勲になれたのもこの篭城で魏の危機を防いだからだろうし。
曹仁ね……拠点の防衛や戦闘正面での攻撃力あたりでは魏でも屈指の戦績を
残したけど、流動的な状況下での臨機応変な作戦と用兵、という観点でみると
たいして評価できるようなところはないんだよね。
関羽を撃破した際の徐晃、姜維の北伐を阻止したケ艾、合肥での張遼、
他にも攻守いずれかで秀でた作戦術や用兵を発揮した連中に較べると、
自身に主体性や主導権がある戦いには向かない感じなんだよね。
戦果が齎した政治的な影響や戦略的効果、ってことでみると大きいんだけど、
内実の能力に的を絞ってみていけば疑問符がつくのはたしか。
331 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 22:33:46
魏創業期の呂布戦やエン術、陶権戦の用兵は上記の連中に劣ってないし、官渡戦では
汝南で反乱起こした劉癖と援軍の劉備をあっさり撃破してるからそれほどは劣って
はいないでしょう。
ただ曹仁は牛金救出のような絶倫の武勇も持ち、上下から信頼されるほどの人望が
あるし、逆境には魏随一の強さを持っており、主体性や主導権のある戦い方だって、
確かに徐晃やトウガイに多少劣るのは認めるが、他の魏の優秀武将には決して劣っては
いないはず。曹仁ほど魏でバランスの取れた武将は他には一人もいないと思うよ。
332 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/25 00:14:07
308=無知過ぎ。もうくるな。バーカ。
aho
334 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/25 13:10:01
331の言うとおり曹操、曹ヒに評価されたのも、他の武将と違うバランスの良さ
かもね。蒼天航路の曹仁は統率で戦う武将に描かれてるな。関羽との戦いが
楽しみだ
336 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/25 19:12:53
ハッピー
うれピー
よろピくね
ウンチングスタイルで馬を操った猛将
339 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/26 11:50:39
曹仁はいい武将だね。弟の曹洪も曹操の危機を何回か救ってるし。呉や蜀と
違って皇帝の身内が強いってのはいいね。夏候淵はイマイチだけど・・・。
>>339 夏侯淵のどういった部分をいまいちと感じてるの?
それから、どうでもいいけど夏候じゃなくて夏侯な
なんか晩年の評価だけで人物の総合評価するバカが多いね。
342 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/26 14:16:12
淵は一級の名将だとは思うけど、曹仁には劣ると思われる。馬超戦などの征西は、大きい
手柄だが、相手自体は大した相手じゃなかったし。肝心の漢中では、結局敗死して、
漢中も取られたから、追い詰められても、荊州を守り抜いた曹仁には司令官としては
大きく劣ると思うな。ちなみに曹洪は一武将としてはそれなりにいい武将だが、所詮
中規模程度の軍しか率いることはできなさそう。司令官を任されたことも一度もないし。
>>342 涼・雍州は僻遠である事もてつだって叛乱が絶えない地だよ。
曹操が中原を制する遥か以前から、漢は統制に苦慮してきてる。
渭水の戦いに際して関西の軍閥が結集した事を、曹操は僻地へ兵をすすめる
懸念が解消されたといって喜んだ。
渭水での戦いで大勢は決したといっても、依然として反抗勢力は各地に点在して
抵抗を続けたし、曹操が兵を退く時にも、周囲からは中途半端な状態で撤収する
事の危険性を説く言があがってる。
つまりそれだけ関西は一朝一夕に制しえる地ではなかったという事で、相手の
質を云々いうような瑣末な事は問題じゃないと思うな。
漢中に関しては、ツッコミ所が多くてパス……
漢中失陥を全て夏侯淵に押し付けるのはよくない。
第一、西方の手柄は淵だけではないぞ。(張既を忘れるな)
漢中と荊州では状況が違うよ。
曹丕に金を貸してくれと頼まれて断ったヤシって曹洪だったっけ?
346 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/26 14:59:03
キラ星のごとくせめて参りますぞ!
あ
>339
呉を燭といっしょにするな。
348 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/26 16:44:07
司令官で見ればどうみても曹仁のほうが上でしょう。
征西が張既や張コウの働きも大きいとしたら淵の手柄はより減ってしまうしね。
漢中失陥は淵に全て責任を負わすのは確かに酷だけど、漢中で劉備軍と途中までいい
勝負してたのは張コウと徐晃だし。淵はほとんど何も出来ないままやられた感じがある
から、大敵と戦うには少々力不足だったのではないだろうか?
樊城の件で曹仁に司令官としての功績はあるのか?
城は守りきったけど要はなすすべもなく樊城に閉じ込められてしまっただけではないのか?
350 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/26 22:13:12
司令官という位置にいるからこそ、曹仁が拠点を守ったのは大きいと俺は思うよ。
前にも書いたが、関羽がハン城を急襲、曹仁は篭城をすぐ決意したらしく、ホウ徳に
兵を与えて、関羽を遊撃させて、3ヶ月ぐらい持ちこたえると、ウ禁が援軍で来たから、
それで関羽を挟撃するつもりだったようだが、長雨を利用した関羽が援軍を破り、ウ禁
は降伏、共に戦っていたホウ徳も戦死した。
でハン城は完全包囲され、城内は水びだし、食料も底をついて、援軍も壊滅したから
城兵だけでなく将軍たちも撤退を希望してたのを曹仁は、大いに励まして、士気を
回復させて、徐晃の援軍が来るまで耐え抜き、さらに徐晃が関羽を攻めると、曹仁も
全軍を率いて反撃に転じ、包囲陣を撃破した。しかもこの時曹操も関羽を恐れて、
遷都しようとしてたほどの危機だったから、その危機を援軍が来るまで、耐え抜き、
逆に関羽を撃退した功績は計り知れないと思うね。
351 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/26 22:32:44
曹仁が樊城1つを守るのが役目だったら功績かもしれないが、
彼は荊北を守る役割があったはず。房陵・上庸は取られ、南郷
・新野は降参し、襄陽は囲まれてと役割を果たしていない。
352 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/26 22:43:59
いや荊北は守り抜いたよ。当時の荊州の魏の拠点は襄陽とハン城だから、まずここ
を守り抜くのが基本でしょう。上庸とかは支城みたいなもんだし。しかも、漢中の
敗戦のおかげで魏に背いた太守がほとんどだよ。また曹仁が司令官になったのは、
関羽侵攻の直前で、あまり大局的戦略を立てる前に関羽が攻めてきたというのが
実情だと思う。
しかし、そういう状況を考えるほど、
漢中攻略の余波は大きいものだったんだなぁ
この勢いをうまく繋ぐことが出来ていれば
三国志がどうなっていたかって思うね
逆に演技は漢中の影響を描き切れていないような
354 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/27 00:54:23
曹仁が樊城に駐屯していたのは、宛を攻める218年10月より前からで、
対関羽を征討するための行動をしていたはず。
一方の関羽・孟達が攻勢に出たのは、曹操が引き上げた219年5月以降
だと思うので、支城とはいえ取られた責任があるんじゃないかと。
南郷などが背いたというのは、于禁が降参した8月以前より以降の方
が自然かなと思います。
襄陽を守ったのは呂常、取り返したのが徐晃の功績じゃないかな。
支城を取られたと言えども、それらは結局関羽を撃退することで
回復できるものだし、実際にもそうなってる。
別に責任というほどの非があるわけじゃないと思うぞ。
この場合は樊城で関羽の北上を防ぐことが戦略上一番重要なことで、
そしてそれに成功した、というだけ。(もちろん曹仁一人の功績ではないが)
>>353 でも蜀は人材的にいっぱいいっぱいだろ。
漢中、益州で主力使い果たしているのに、荊州守備部隊で
荊北侵攻は無理があるよ。
>>356 兵数的には一杯一杯だったかもしれんが人材的に一杯一杯だったというのは結果論臭いな。
358 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/27 19:20:46
上庸など支城を奪回したのは曹仁と徐晃が合流してからだよ。しかも元々親劉備派が
多い荊州だから、多少の支城の喪失はしょうがないと思う。さらに言えば、218年の
時点では呉と濡須で戦った後夏侯惇と共に守っていた合肥から、移動してきたばかり
で荊州に来てまもなくの状況だよ。到着直後宛城で関羽に呼応して反乱した侯音を討伐
して、わずか数ヶ月で関羽が攻めてきた。その程度の期間で荊州で基盤を固めるのは不可
能だよ。
359 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/28 00:02:38
不可能だと、そうでないだろうの違いだと思います。
荊北は10年近く魏のものであって、突然来たからといって
元々関羽対策がなされていなかったとは思えません。
私は半年から1年の間駐屯していながら関羽の攻勢に対する
対処の仕方が支城を見捨てて重要拠点を守るだったのが?です。
360 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/28 00:25:34
曹仁の防御にも多少の過失があるとは思うよ。だけどあなたの意見も一理あるが、
あまりに関羽をバカにしてないか?そりゃあ外交とかのミスは関羽もひどいが、当時
最も恐れられていた男だし、戦自体は相当強い武将であることは明らかだ。
それだけの男が荊州のほぼ全軍を率いて攻めてきたんだから、支城を落とされるのは
、ある程度はしょうがないだろ。関羽はウ禁も破ってるわけだし。いくら統率力のある徐晃
とかだって全ての支城を守りきって、関羽を撃退するのは無理だと思うな。
見捨てて問題のない支城なら別にいいじゃん。
そのまま蜀に組み込まれたわけじゃなく、
実際関羽撃退後に取り返すことができたんだろ?
関羽>>支城なんだから、とりあえず目前に全力で当たるべきだ。
それとも文句の付けようのない完璧な勝利を望んでいるのか?
それならば流石に曹仁では荷が重いぞ。
司馬懿・陸遜レベルの防衛司令官を置かなければ。
362 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/28 00:47:28
軍事的才能なら、司馬懿や陸遜のほうが孔明より上手だろ?
>>359 荊州に関してはそれ以前から楽進や文聘といった連中が関羽とやりあってるしね。
対関羽の備えがなかったというのは道理に合わない。
>>362 そんなに単純でないよ。
>>362 司馬懿、陸遜は姓名で書くのに何で諸葛亮だけ「孔明」と呼ぶ?
こういう輩は漫画やゲームしか知らない厨に多いねw
365 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/28 11:45:25
age
それも私だ
369 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/28 12:38:08
上げてるやつが一匹いる時点で、何をやってもバレバレの感じがする
拠点である襄陽と樊城ですら
曹丕があまりにも被害が甚大で後にこの2城を
破却して一時的に撤退したのに、大戦時の支城放棄の
責任などたかが知れてる
372 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/28 19:23:05
まあ結果論だが、曹仁は支城まで落とされても、荊州における魏の本城は守ったから、
よくやったよ。それを批判したら、張遼の合肥戦だって、最初は呉に落とされた城
もあったわけだし。官渡戦だって一時的に曹操が絶望的な状況に陥ったこともあっ
たしね。
おまえら曹仁の立場になってみやがれってんだぃ
そゆこった。
城は何のためにあるのか考えなきゃ。
城ごとに役割分担だってあるだろ
375 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/28 20:18:30
上の意見に同感。篭城は戦争の中でも最も難しい部類に入ると思うし。司令官になり
、魏にとっては絶対失ってはいけない荊州を守り、おまけに関羽という稀代の猛将が攻め
てきて、頼みの援軍は全滅、城兵の精神力は崩壊寸前で食料不足で水びだしにもあった。
ものすごい重圧だと思うぜ。普通なら逃亡か降伏してもおかしくない。本当に曹仁が凄いのは、
そんな重圧をはねのけて、勝利に結びつけたことだな。俺もそんな曹仁の精神力を見習い
ものだな。
376 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/28 21:40:14
呉が動かなくても、魏は勝てたのか?
勝った可能性は高い
でも、絶対じゃない
その場合三国志の山は赤壁でも五丈原でもなかったろうね
時期から言っても両雄のラストバトルだし
>>362 遅レスだけど、軍事的才能じゃなくて「防衛」という面で
先に司馬懿・陸遜が浮かんだわけで、別に諸葛亮が劣ってる
から上げてないというわけではではないのだが・・・
しかしこれ以上はスレ違いなのでこの話題は終了した方がよさそうだ。
荊州に趙雲あたり派遣できなかったかな?
380 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 00:58:37
>>339 そうだそうだ!呉みたいなくだらない国を蜀と一緒にするのは失礼極まりない。
>>379 趙雲派遣しても荊州のことは関羽が決めるみたいな事になってるから下手に荊州に
留守居させられるよりも帰還させられてしてしまう可能性大。関羽は荊州では半独立
状態だったから劉備の命でも趙雲の留守居は断っただろうし、陸口が呂蒙→陸遜に
変わって荊州に害圧なしと判断して兵をハン城に集結させたので、仮に留守居させて
もらえても、兵力的には乏しいままの守備を強制させられることになる。
その結果、糜芳、士仁が史実通りに寝返って趙雲が捕らえられ荊州は呉のものに。
宿将の部類に入る趙雲を殺さず対蜀交渉カード化かな。それとも捕まる前に自害か。
どっちにしても関羽が生きのこる可能性が増えるから夷陵の戦いは回避できる公算が出てくる。
劉備生存時は趙雲はそんなたいした扱いじゃないだろ・・・。
383 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 15:18:33
でもな〜呉の孫権ってなんか勘違いしてるよな。荊州は蜀が取ったから蜀のもの。
制圧できなかったのが悪い。孫権の首はさっさとはねなさい。
384 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 15:33:50
荊州は建前は呉のもんだが、先に実質的支配したもんが勝ちだからな・・・。
>>383 その伝でいけば荊州を死守できなかった蜀が悪いとも言える。
>>383 じゃ、江陵をさっさと返すべきじゃなかったんかね?
とすると、
江陵できなかったのが悪い。劉備・関羽の首はさっさとはねなさい。
江陵できなかった
389 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 16:09:06
江陵の小覇王
勘違いしてるも何も魏と直面している状態で、戦争することなく領土増やしたいだけだからな。
自分たちの正当性を外交カードとしてきっていくのは当然だろう。
391 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 19:10:39
関羽は自業自得といえばそれまでだが、戦った相手が凄い面子だよなあ。
魏は曹仁と徐晃、呉は呂蒙、陸遜と、各陣営の屈指の名将ばかりだし。
>>391 ま、外交で負けてたのはあるとしても
魏の四天王+五将軍×2+ホウ徳、呉の陸遜に呂蒙とそうそうたる面子が相手じゃ
誰が指揮官でも勝てなくて当然の状態だったんでないかい?
逆にここまで凄い面子を繰り出させた関羽の当時の評価は相当に凄かったとみて
いいんでないだろうか?
良く演義は贔屓すぎで関羽は全然駄目という奴がいるが、誰を当てはめてもこの
状況じゃ勝てなくて当然じゃないかな?
この状況ってのは、周囲の敵は同じ、自分の寿命は後10年は持たないかも、後継は安泰ではない
魏を討たずに死ぬわけにはいかないってことでね。
呉との交渉を上手くやって共同で魏を討つ流れに持っていける外交上手は居るかもしれないが
そこに失敗したら誰がやっても負けるんじゃない?
荊州争奪戦主役周倉をまったく放置で語ってるおまえらはおれのケツの穴を見ながら飯を喰うべきだな
>>392 残念ながら天下に関わる最前線の地である以上、立ち向かう相手もそれなりのものになるのは当然
魏も攻められても確実に守れるよう備えるし、
呉にとっても絶対に必要な要所なのだから機が来れば攻めるよう備える。
確かにあの状況で攻めて勝てる人物なんて思いつかないし関羽が無能とも思えないが、
容易に攻め落とせないこと、隙あらば攻められる危険性という
当然分かっていたであろう状況に対する備えが甘かった以上
最前線の州を任せるに足人物でないのは明らか
395 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 20:15:15
でもそう見ると、唯一負けたウ禁がよりへたれに見えるのは仕方ないな。すこし
気の毒だが
いや、一つ一つの戦で関羽が弱かったかは分からないぞ。
だから別にウ禁がヘタレとは言い切れない。
>>395 ホウ徳も負けてるし、戦場での合戦だけの強さはかなり高いんじゃないの?
大局が見えてないのは、関羽がついていた劉備が放浪し続けることしかできなかったことから
劉備も関羽も張飛も簡擁もみな戦略眼に欠けていたのは確実じゃないかな。
まあ掛け値無しの猛将ではあったんだろうな。
いってみりゃ戦場が職場の職業軍人である関羽に
荊州の全権、外交まで任せるのは?だよな。
何で誰もその点について劉備に諫言しなかったんだろ?
内政には潘濬がいるし、外交って言っても婚姻を断ったぐらいだろ。
呉が一方的に接触を図ってきたという可能性もあるし、任せていたと断言するのは言い過ぎではないかな?
関羽自身はどう思ってたんだろうか。
・自分に全て任された→だからお前らは口出しするな
・自分は軍事だけ任された→外交はお前らの仕事だから勝手にやってろ
どっちだったんだろうか
402 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 22:38:41
荊州を統括するようになってから、関羽は気負ってたのかも。
劉備は漢中で曹操に勝ち、張飛や趙雲なんかもいろいろ活躍してたのに、自分はしばらく
活躍する機会に恵まれなかった。
だから、ハン城攻めは、荊州の魏領を支配下に置くだけじゃなくて、一気に
許昌も落とすつもりだったんじゃないかな?だけどその気負いが、呉への対処を誤らせ、
さらに短期間で落とせると想定していたハン城も曹仁の驚異的な粘り強さで、長期戦に
なった焦りが、荊州の守兵のほとんどを対曹仁戦に使わせてしまい、その隙を呂蒙に見事に
衝かれてしまったと思う。
>>402 そんな感情で動く馬鹿がいるかよ!!
と言いたいけど夷陵の劉備とか考えたらあり得なくはないよな。
もし本当にそんな”気持ち”で戦争する集団だと考えるなら
蜀は良い意味にも悪い意味にも凄いところだな。
どちらにせよ関羽が統治者として失格であることは否めないが、
荊州を任せる上で関羽以外に信頼でき(裏切らない)、組織として重席に就けてよい人物もいないだろうから
劉備の諸葛亮(士人達)との繋がりができるのが遅すぎたことが荊州失陥の遠因なんだろうな。
荊州陥落は劉備の責任が半分はあるな
荊州を諸葛亮に任せる度量があれば
少なくとも被害は最小に留める事はできたはず
荊州都督を諸葛亮、漢中太守を関羽
この人選が最適だと思う
だからゲームじゃないんだと何度言えばわかるんだ。
諸葛亮は金魚のうんことまではいかないが、劉備についてなんぼの人なのよ。
そこに義兄弟で、旗揚げから付き従って、劉備に再び仕えるために五関で五将を切ってまで
馳せ参じた武将が一城の太守で、武功も立てず、劉備に取り入っただけの青二才が都督なんだ。
関羽が許しても部下がゆるさんだろ。下手したら内乱だな。
>>400 婚姻を断ったのがいかんのだろ。
演技では「虎の子を犬の子の嫁にはやれぬ」真意はわからんが一国の主に対しては
最大の侮辱。子供を犬扱いされてぶち切れるもの当然。
張飛だったらもう少し簡単に荊州取られたかも知れないが、上の者に媚びへつらうぶん
孫権との仲はこじれなかったとかになりそうかな?
>>406 張飛は徐州失陥の前科持ちだから、任せるわけにはいかんだろ。
しかも年単位にもならない留守番で
張飛こそ手元においてナンボの将
関羽も本質は司令官のしたにいてこそなんだろうけど。
>>405 >>五関で五将を
ゲームは駄目でも小説はいいんですか?
409 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/30 11:57:38
>魏の四天王+五将軍×2+ホウ徳、呉の陸遜に呂蒙とそうそうたる面子が相手じゃ
>誰が指揮官でも勝てなくて当然の状態だったんでないかい?
関羽が気配りの人で、
江南軍に対してビホウが足止めしてくれて、
上党・永安から援軍が来てくれても、やっぱり負け戦?
気配りできる武将ならあの時点で攻めるだろうか?
どちらにせよ、あそこまであっさり呉の計略が決まらないとしても
曹仁がかなり粘って援軍が到着するだろうから中原に進出するのはかなり困難かと思う。
>>409 関羽が守兵を使ってるからビホウの足止めは無理だろう。
>>409 上党は上庸とかん違い?
それはそうとして、魏や呉の陣容を云々言うのもいいけど、当時の情勢を
ほとんど鑑みていない意見が多いね。
上庸一帯は孟達によって抑えられたといっても日が浅くて、房陵や南郷といった
地は、孟達の攻撃や関羽の北上、南郡陥落後の陸遜の攻撃で目まぐるしく
所有国が入れ替わっている事からも察せられるように、ほとんど人心も掌握
しきれてない。
それに、いかに蜀が長江上流にあり、巴東から援軍を送るにしても、南郡はじめ
主要な諸城がその沿岸にある以上、呉が軍船を動員して水路を抑える事くらい
わかりきってる。
南郡陥落後、呉もぬけめなく宜都へ進出しているし、劉備陣営の陥落がどれも
あっけない事からみても、劉備(というよりは関羽)に心服していたともいい難い。
関羽の北上は大局的にみれば時宜に即してはいたかもしれないけど、足元は
まるでみえてなかったとしか思えないよ。
魏の将軍が誰だったから、とか、そんなレベルの問題じゃないと思うんだけど。
>>405 うはwwwwwwwwwwwwwwwwおkwwwwwwwwwwwwwwwwwww
∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵|::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴|::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵|::::::::: :::::::::::::
∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴|::::: ____ :::::::::::::::
∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵| /∵∴∵∴\ :::::::::::::::::
∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴| /∵/∴∵\∵\
∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵|/∵ <O>∴∴.<O>|
∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴||∵∵ / ○\ ∵| 壁の側でtanisigeが
∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵||∵∴/三 | 三|∵|
>>405を冷たい眼で見ている
∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴||∵;;| _|_, |∵|
∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵|\__| === |/
∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴| /\._...▲..../\
∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵|∴ ====( i)== ∴;\
∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴|∴∴ / ヽ∴∴|
>>413 そのための士人・そのための徳の張り合いなのではないだろうか。
戦場での強さという意味だけの陣容ではなく、器がどうであるかの問題である以上
相手方が誰かは結構重要なのでは?
>だからゲームじゃないんだと
と言いつつも
>五関で五将を切ってまで
と演義のエピソードを持ち出すところが笑われてるんだろ。
別に意見自体はとりたてて珍しい意見でもない。
419 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/30 20:14:25
おk
421 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/30 21:37:15
まあ人によって見方は変わるでしょう。歴史もある意味水掛論でしょ?喧嘩両成敗って言葉もあるし、誰が駄目で誰が素晴らしいのかはわからん。
劉禅が駄目なのは明らかだとは思うが、ある意味平和を望んでたということであるとも見れる。それと演義だろうが正史だろうがいいじゃん。
そういう問題じゃない
423 :
421:04/09/30 23:24:32
まあ歴史が好きな人も見方は変わるし、尊敬できる人物がいたりもするし、
こうだったのではって考えるのが面白いんでは。それとも2ちゃんだから
他人の意見を徹底的に潰すのが楽しいのか?何を言っても無駄か。
424 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/30 23:29:49
う〜ん
素人だけどさ
荊州を取られたのって元々兵糧の問題からだよね?
ならさ,もし兵糧が余るほど有ったらどうなってたんだろう?
それでも荊州うばわれてたんだろうか?
素人質問ですみません
>424
散々既出だけど、兵糧云々でなくて、長江下流が本拠地である呉としては、国防上(って言うか国の存立の上)中流域である荊州の確保は必須で、チャンスがあれば、何時でも奪取を目指しただろうね。
じゃ、なんで益州まで狙わないのか、と言うと、益州まで版図が広がると地形的に断絶されて統治が難しいことと、東西に国境が広がりすぎて防衛が困難になる。
また、蜀漢政権(この頃は建国前だけど)は反魏を国是としている以上、呉に対して敵対してくる可能性は薄く、最上流域は友好国に任せておく事で安全保障は保てる。
仮に蜀vs呉と言う場面になっても(実際なったが)、外交的にある柔軟に動ける呉は一時的ながら魏と結ぶと言う選択肢を選べるから、荊州を蜀漢から奪取しても二方面で脅威を受けなくても済む。
関羽が隙を見せた当事の状況は呉にとって絶好のチャンス。
426 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/01 00:05:20
ところで前見て思ったけど、徐晃が関羽を撃破したのは分かったが、演義だと、
徐晃と関羽が戦ってる間に、背後から曹仁も攻撃して関羽敗走したとあったけど、
正史でも曹仁がやはり背後から攻撃したりしたのか?
背後からかどうかは分からないが、攻撃している。
また、同時期かどうか分からないが、襄陽太守の呂常も攻撃している。
428 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/01 02:12:16
>>421=405=417
もう恥の上塗りにしかならないから辞めとけ
429 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/01 03:06:04
魏と蜀は敵同士、柔軟に動けたのは呉だけ
>>421=423は、誰に対するレスなんだ?
>>405にレスしてる香具師らに対してだったら見当違いだし。
>こうだったのではって考えるのが面白いんでは。
禿同。だからこのスレがあるんだろ?
前から思ってたんだけど、関羽が孫家との結婚話蹴った話し。
劉備と孫権の妹の婚姻が破談になったんだから
関羽は立場上、承諾するのは難しいのではないかと。
自分の主君が破談になった相手と婚姻結ぶのは、はばかられるのでは?
で、そんな結婚話ふっかけてくる孫呉もアホかと。
…関羽好きのオレが考えてた、精一杯の言い訳なんだが、やっぱダメ?
前にも出てた気がするが
使者に怒鳴りつけて侮辱を与えるっていう断り方はチョット
>関羽は立場上、承諾するのは難しい
これはその通りだと思う
でも劉備に相談して丁重に断るぐらいのことはして欲しい
アホかどうかはともかくこの件で孫呉が何を狙ったのかが分からない
関羽が承諾した場合は荊州を攻めにくくなるだけじゃない?
現実には関羽が拒否したけど、孫呉は馬鹿にされただけで得るものは無かった
呉主伝にはこの件の記述がなさそうだし、関羽伝以外で記述あるのかな?
誰か孫権の狙いを教えてください
>>432 関羽を劉備から切り離して味方に引き込めないかという考えだったんじゃないかと
関羽が寝返れば、戦わずして荊州得られる訳だし。
演義ほど強いかはともかく、警戒するに足る将ではあったんだろうから、味方になる
ならその方がいいと思うし。
そこまで罵倒されるという事は考えてなかったろうけど、ことわられるのは覚悟の上
だったんじゃないかな? で、浅ましい根性を見透かした結果が犬呼ばわりなら関羽
の気持ちは分からなくもない。勿論、外交的にやったポカはでかいけどな。
>>433 付け加えるなら独立勢力に(見えるように)仕立て上げることによって
攻めやすくしたかったのかもと思ったり。
もしそうだったら、劉備に相談なく断ったのは思うつぼ・・・とそこまでは深読みしすぎか
この手の方策って、何気に戦国時代の香りがするな。
他国の有力者に城を提供したり、自国に招いて高位を与えたり、そういった
ところに通じるものも感じる。
懐柔というよりは、この場合は劉備との分断を企図していた周瑜の延長線に
あるようにも思えるけど。
436 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/01 11:45:05
ところで関羽は前に、文ペイや楽進に負けたらしいが、ホントか?正史でそれらしき
記述はあったが、どうも俺は信憑性が無いように思えるが。
関羽が率いていた軍の全て、ないし一部が負けたってとこだろね。
438 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/01 11:49:54
関羽の支軍が負けただけじゃない?関羽自身を破ったら、もっと曹仁や徐晃みたい
にでかでかと描かれてもおかしくないだろうし
今更こんな質問して申し訳ないが
孫家との結婚問題における関羽の犬コロ発言って正史にもあるのあ?
>>439 ない。
使者に罵詈と恥辱はあたえたようだが。
>>436 >撃関羽・蘇非等、皆走之
だから関羽・蘇非らの合同軍を完全に撤退させてるじゃないの。
>>441 まあ、撤退させたってのは幅があるのは確かだし。
寡兵という情報があったから軽く攻めてみたら思いのほか防備がしっかりしてたので
撤退したとか言うこともありえるだろうし、勝てなかったのは事実としてどの程度の
負けかは分からないんじゃないかな?
同等の軍を率い万全の体勢の関羽を散々に打ち負かし逃げ帰るのがやっとにしてたなら
関羽が攻めてきた時に曹仁が単独で撃破するだろうって安心できたはずだし。
443 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/01 13:01:40
正史だと曹仁はあり得ないくらいに強いよな。呂布戦では、敵将を
生け捕りにし、エン紹戦でも多大な功績を立て、周ユの大軍とも寡兵で
互角以上に戦い、各地の反乱軍をことごとく鎮圧して、馬超戦も先鋒任せられて、
司令官になると関羽も撃破するとは、もちろん運もあったろうが、これだけ戦功のある
奴はなかなかいないよな。最後には大将軍や大司馬なんて王に近い待遇を受けたのも
頷けるよ。
>勝てなかったのは事実としてどの程度の負けかは分からないんじゃないかな?
とすると、大抵の事例が「分からない」になるね。
大勝利の場合、大抵事例では
>太祖進軍討破之,斬辟、邵等,〜
>蜀五屯,皆破之,斬其將
>斬將十數,馘首千計
のように「斬」「破」などの表現や具体的な戦果への言及がある。
>>445 で、それは全体の戦闘の何割で見つけたんだ?
三国志の文中に
破走之=6回
撃走之=2回
斬將=6回
討破之=9回
大破之=73回
皆走之=1回
449 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/01 18:02:11
孫権は虎の子ですが犬です。
450 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/01 18:30:35
ところで呂常って何者?荊州戦じゃ曹仁の配下のようだが。
>>447が正史に目を通してるとしたら、ザル読みもいいところだな。
そんなのは『三国志』に限らんことなんだが。
呉にも蜀にも偏らず冷静に分析できる輩が増えてきたのは良い事だ。
>>448 あのな。
>>441も読んでないのか、おまいは。
中央研究院で探す以前の問題だぞ、それは。
455 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/01 23:23:31
呂常は何者なんだ?
横槍失礼するけど、「皆走之」って何で出てきたの?
「撃…走之」だから「撃走之」に加えるべきでない?
>留屯襄陽,撃關羽、 蘇非等,皆走之
別に記述に関してじゃないよ。
>>448の話。
悪いね。アンカーつけなくて。
>>460 「撃走之」だと何か良いことでもあるのか?
データが変わるってことだけど。
え、
>>445は「斬」や「破」にそんなに重要度があると思ってるの?
そんなこと言ってないよ。
>>445がそう思ってるの?と聞いてるだけだよ。
知らん
盛り上がってるところ悪いんだが、今の話題は文ペイ・楽進といったスレ違い気味の話題なので
あんまり掘り下げない方がいいと思う。
参考程度に退却させられたで十分でしょ
467 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/02 22:38:22
じゃあハン城戦に話を戻すか。
まだ戻すんじゃねーよ
もういいだろ…
470 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/03 00:27:18
このスレも潮時かなあ。もう掘り尽くした感あるし
だいたいの過去スレも似たような流れ
たまに燃料が投下されてそれに方向が流れ
演義の話をもってくる変なのも出てきたりする
「まとめ」の時点で遺物を掘り返したようなものだったからな
孫権は馬鹿。関羽をなにも考えず切ったから。
犬じゃなくてダニだな。
もうそんなネタじゃ燃料にもなりやしねえ
>>473 軍としては勝っても、実は個人の戦力が怖かったんじゃないの?
人質にして交渉する間、拘束する自信もなかったって事だろ。
もうそんな(ry
燃料じゃなくて
本気で今までの議論をまったく理解できてない馬鹿だと思う
関羽「わーん、荊州取られちゃったよ兄者」
劉備「許せん、孫権に謝罪と賠償と荊州を(ry」
張飛「復讐するのか?それなら先鋒は任せろ」
大変です。劉備が国を挙げて復讐に…
>>474の「なりやしねえ」が「なりや死ねえ」だと思って
「なりやって誰?」と五分くらい考え込んだのは秘密だ
巨星墜つ
関羽を斬った孫権ウゼエ。
捕まえた呂蒙ウゼエ。
捕らえる作戦立てた陸遜・・・はいいや。
孫権うざいね。
孫権は目先の利益に走った糞野郎です。
もうそんな(ry
孫権は短小で包茎です。
劉備が益州奪取した時点で荊州南部の一部でも返還してれば
これほど両国の仲が悪化することもなかったのに
目先の利益に走ったせいで大損したな
悪いのは孫権だ。孫権こそ目先の利益にこだわってた。
魏の罠に見事引っかかった孫権さん。
悔しいんだね(`∀´)
なんかあちらこちらに涌いてるな、このアンチ孫権の書き込みしてるゴミ
孫権=関羽を殺した馬鹿
曹操=呂布を殺した馬鹿
無双ヲタの意見です。
借りたものを返さないでいてやられるなんぞ愚の骨頂
まして自分から隙を作るなんてバカかと‥アホかと‥
ここはアンチ関羽ばっかだから意見が結構偏ってるね。冷静に見ればどっちもどっちだろ?
いきなり何なんだ、この釣りは?
孫権は糞という事でFA?
糞って…酷いねぇ
このスレは糞という事でFA?
糞って…酷いねぇ
もうそんな(ry
さあて孫権のフィギュアでも買ってきて
首を切り落とそうかな。
好きだねぇ
というよりも、哀れ本人は面白いと思ってるんだろう
コーエーのゲームや演義での関羽は持ち上げすぎとは思うけど
一部の嫌関厨が言うほど弱い武将じゃないだろ関羽。
特技が攻撃に偏ってたりはするんだろうケド、得意な状況に入られると
侮れない将だとは思うんだがな。
勿論、並を超えるレベルでの知略や政治力はないし、外交はかなり駄目だと思うが
>>506 貴方の言うとおりと思う。
しかし貴方が思っている以上に、関羽を疑う必要もない名将と思っている人間が多い。
正直ウンザリするほどに多い。
このスレが、その手の人間によって何度ループしたことか…
このスレだけじゃないけどね
>>507 それと同じだけ関羽は褒めるところも何もないカス武将と決めつける人間も多いけどな
関羽は戦功があまりにも少なく、かつ最期があれ、しかも高い地位に就いたんで
評価が厳しくなるのは仕方ないと思う。
511 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/09 00:30:16
関羽は相当強いと思うよ。一応ウ禁も破ったわけだし。偶然の水害でウ禁が負けた
という者もいるが、その後ハン城を軍船で包囲したりしてるから、演義みたいな
水攻めを関羽がやった可能性もあると思うな。
張飛=ファーレンハイト
関羽=ビッテンフェルト
>>510 顔良、文醜よりは遥かに上だな
楽進と同じ位の将才はあるだろ。
関羽は戦功があまりにも少ないっつーのはどうかな?
だいたい戦功の少ない多いで評価を決める様なモンでもないだろ。
蜀書は一番記述や史料が少ないんだから仕方ない所もある。
夏侯惇も戦功の記述が少ない割に大将軍という地位に就いているし。
>>514 >夏侯惇も戦功の記述が少ない割に大将軍という地位に就いているし
おいおい、大将軍を単なる武官職とかん違いしてないか?
関羽、張飛は程イクの「兵一万に匹敵する」みたいな評価もあるんだけどさ・・・。
517 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/09 12:40:03
それ言うなら曹仁はなんで大将軍、大司馬になれたんだ。
大尉 カク
519 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/09 14:25:59
まぁ関羽がもしナチュラルに「病死」だったら神格化されなかったかもね。
殺されたから聖人になったんじゃないかな。レノンやゲバラみたいに。
単純に演義が良かっただけでは
じゃあ何故演義であれだけの扱いを受けたんだ?
小説に何故って言われても、作者次第だからな。
演義は民間伝承みたいなもんだぞ
ある種、事実を基ネタに作った小説だしなぁ‥
>>519 そうだろうね
命を惜しんで降ることもできたのにそれをしなかったから
あそこまで神格化されるようになった
オレ的に三國志の一番のハイライトは
劉備が関羽が為に、戦略外の戦を呉にしかけるところ
ヘボ将関羽が殺されたという設定より、稀代の名将関羽が殺されたって方が
物語的も盛りあがろうに。
お前ら関羽を舐めすぎ
オレは関羽大好きだよ。
へぼ将は釣りだろ、もしくは正史を一度も見たことの無い無双厨。
「物語書くとしたら」ヘボ将に描くより… と言いたかったのだが。
言葉が足りなかったようだ。スマソ。
孫権はtadanobaka
釣りと思われるかもしれんが、ある意味”将”としてはヘボなのでは
ただ部隊長としては兵一万に匹敵するだろうが
>>526 その戦略外の戦を仕掛けず、長安に全兵ぶつけたら
魏もとんでもないことになっていたんだろうな。
まさかまさかの五丈原決戦とかかな?
>>533 釣りでもないだろ。
関羽の場合、個としてみれば人物として強烈な個性はあるけど、
能力で量ればひときわ優れてなんていない。
程cや郭嘉の評価はそういった意味であって、誰も関羽=万人力
なんて本気で思ってないだろうし。
関羽の死がなかったら
三国志はこれほどまでに感動を呼び起こす文学にはならなかっただろう。
そういった意味では
素晴らしい文学ができるきっかけを作った孫権の行為は偉大。
>>535 >程cや郭嘉の評価はそういった意味であって、誰も関羽=万人力
>なんて本気で思ってないだろうし。
何を根拠にここまで言いきれる?
優れた部隊長だったが、優れた総司令官にはなれなかった
でいいんじゃないの?
ただ、呉を押さえ込めなかったのは関羽の罪でもあるが
劉備の罪でもあるかと
もすか?
540 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/09 23:26:01
まあ関羽は司令官として曹仁や呂蒙と戦うには力不足だったかもね。
>>538 いや、そういう意味ではなく
なんで程cや郭嘉がした評価の意味まで
勝手な推測で断言するのか……と。
関羽=万人力なんて、本気で思ってないないのは他ならぬ
>>535であって
まるで程cや郭嘉を代弁するような書き方するなっての。
時代の狭間って気もするよね
腕一本で勝負の荒武者が戦場をリードしていた時代の古強者
でも、だんだん勢力が巨大化して
集団戦や戦略の優劣が物を言うように
>>541 >関羽の場合、個としてみれば人物として強烈な個性はあるけど、
>能力で量ればひときわ優れてなんていない。
>程cや郭嘉の評価はそういった意味であって、
>誰も関羽=万人力なんて本気で思ってないだろうし。
ここで区切って二行目削れば同意できるかな。
最後の部分は言葉遊びみたいなものかな?
うーん、擁護になってないな。
個人的には
>>533に同意。将として”並”、司令官として”ヘボ”かな。
544 :
ボボ:04/10/10 00:40:05
最後は傲慢な性格だったなぁ
>>543 将として並なので、魏の五将軍である于禁を捕らえた。と
意味不明だな、一般的な評をひっくり返して目立ちたいだけとしか思えん‥
司令官としての適性が無いのは同意。
程cや郭嘉の発言の主旨は、劉備の脅威を曹操に分からせる事にあって、
大袈裟に言えば言う程効果があるんでしょ。
>>547 だからといって、いくらなんでも嘘はつかんだろ。
間違った分析を曹操に伝えたら、それこそ首が飛ぶぞ。
例えば、戦をしていて、敵の軍勢が1万なのに、
脅威を分からせる為に大袈裟に、5万です。なんて嘘つかんだろ。
そんなこと言ったら軍師失格だぞ。
だいたいそんな事言い出したら、
史書におけるは敵将の評価は全部、過剰評価ってことになるぞ?
程c・郭嘉の評価だけは特別だなんて言うなよ。
おまえら、いくら関羽を低く評価したいからって、根拠のないことを言うな。
>>547 貴方の言い分は分かった。
しかし、程c郭嘉の評価を重視しすぎと思う。
重要なのは程c郭嘉の評価を裏付ける活躍があるか…どうかだろう。
程cや郭嘉、あと周ユ辺りも褒めてなかったか?
たかだか流浪の軍団の一武将がそれだけ名を知られてるってのは凄いことだと思うんだけどな・・・。
少なくとも夏侯淵と同じ程度には評価しても良いのでは?
>>551 少なくともって…
夏侯淵の評価って…そんなに低いのか?
>>552 そりゃあ最後は負けて死んでしまったんだから、
最上級には評価できないでしょう。
つまり、関羽と同じくらいの評価が適当だと思うよ。
逆に言うと夏侯淵を高く評価すらなら、関羽もそれと同じ程度には評価してよいのでは?
ってこと。
ところで将と司令官の違いって何?
司令官は役割
将は武官全般を指して将と呼んでるんだと思ってたが
>>555 そう答えられると
>>543の「将として”並”、司令官として”ヘボ”かな。」の意味がよくわからん。
武力はあるけど統率力に欠ける…と言いたいのかなぁ。
>>553 その評価は無理。
夏侯淵と関羽が似通った部分を持つことは否定しないし自分もそう思ったが、
両者では挙げた功績が全くかけ離れている。
瞬く間に領土を平定した功労者と、瞬く間に最前線の州を落とされてしまった人物を
同列に並べるのはおかしい。
結局所属国の違いだと言ってしまえばそれまでのように思えるかもしれないが、
魏に所属すれば確実に関羽が夏侯淵と同じ事を成し遂げてたなんて言うことはできない以上
夏侯淵の評価を関羽と同列にするのは贔屓目としか言いようがない。
>>557 州を平定したのはあくまで曹操であって、
夏侯淵はその後の治安維持を担当したに過ぎない。
確かに馬超が性懲りもなく荒らしまわったりしたが所詮一度徹底的に叩かれた残党に過ぎない。
関羽だって曹仁相手にそれなりに追い詰めたわけだから、
総じて同程度の戦功だよ。
守っていた州を瞬時に奪われたのは夏侯淵も同じだしね。
>>558 >守っていた州を瞬時に奪われたのは夏侯淵も同じだしね。
漢中のことか?夏侯淵は漢中にいて、劉備軍の総攻撃を受けて
奪われた。関羽は攻勢に出て留守中に呂蒙の一軍によって
ほぼ無血開城。荊州陥落比べられないだろ。
>>558 曹操は長安から馬超を追い払ったあとは全権を夏侯淵に
委任して帰還してる。その後涼州を平定したのは夏侯淵&張既。
しつこく放棄する韓遂や王を自称する反乱者を潰すだけでなく、
従わない異民族を叩き、曹操が夏侯淵の名前を異民族の脅しに
使うほどになった。
もちろん涼・雍州では軍事、内政ともに張既の果たした役割は
大きいだろうけど、西方の司令官として夏侯淵の仕事は単体でも
非常に優秀。
もちろん関羽だって優秀だし劉備陣営で果たした役割も大きい。
単純に比較できるものではないから「同程度」としてしまうのは
色々と問題があると思うがな。
負け犬2匹
>>559 隙をつかれたのは確かにアレだが、
正面から来た敵に対して時間稼ぎも出来なかったのもアレだと思うぞ。
夏候淵は曹仁に劣るって事だな
呂蒙が関羽に勝てたのは陸遜の功績だぞ。陸遜がいなくて呂蒙が関羽に勝てた可能性って低くないか?
そういった意味では呂蒙は関羽と比較は不可能だ。それに夏侯淵も関羽と比べることできるのか?
>>564 ネタか?
荊州攻略の戦略、作戦から関羽の隙を作った事、陸遜の起用まで全て呂蒙の手腕だろうが、
陸遜は、あくまで駄目押しをしただけ。
お前は、呂蒙伝すら読んでねーんだな。
呂蒙が魯粛の死後、表向き友好外交を進める事によって関羽の警戒を緩めた事が書かれとる。
荊州攻略は呂蒙が主で、陸遜は従だ。
大体、呂蒙は荊州を、ほぼ戦わずして奪っているわけで、
荊州における呂蒙と関羽の優劣は明らかだ。
少なくとも司令官級の仕事っぷりでは
呂蒙>関羽
567 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/10 14:52:25
呂蒙の大金星だな。
しかしだからといって関羽の才がへぼってことじゃあないと思う。
へっぽことは言わないまでも、実はかなり低かったんじゃないかと。
正史だけで考えるとそうならざるを得ない。
我々が描いている関羽像ってのは、演義による虚像がほとんどだし、後に関帝聖君として祭られて神格化された部分も多いはず。
じゃあなんであんなに重用されたのかって考えると。
これは私見ね。
関羽が塩賊だったって説があるけど、それを押したい。当時は州や群ごとに推挙に関わる閥(荊州閥、益州閥とかいったもの)があって、
ぎゃくにいえば、その地位から外へは、閥の影響力がまったくなかったんだと思う。
だけど、塩賊だと、そういった州群県の枠を超えた、人のつながりや組織ってのがあったんだと思う。
劉備があちこち流れてゆきながら、勢力を保持できたのは、関羽を頂点とする全国規模の塩賊組織の後押しのようなものがあったんじゃないかと。
そして、関羽が荊州を任されたのは、寄せ集めの劉備軍にあって、信用が置けて能力もある前線指揮官が、ほかにいなかったんじゃないかと。
関羽以外に、ほとんど独立してひとつの州を任せられるほどの信用を置け、能力があると思われる相手がいなかったんじゃないかと。
ある意味、人間不信、部下を完全に信用できないみたいなところがあって、それを解決するのは、やっぱり時間をかけて法や制度を機能させていくしかないんだよね。
つまり、魏とことを構えるのが早すぎたんじゃないかな。
・・・・・・逝ってきます。
関羽は性格はアレだけど、春秋左氏伝を諳んじることができたあたり、
劉備陣営の中でもある程度の兵法というか、理論を理解していた将で
あったと思う。
関羽に足りなかったのは経験だな。序盤の劉備軍では戦と呼べるほどの
規模でなかったか、もしくは圧倒的不利な状況下での戦いが主だった。
曹操陣営では、戦略的にも卓越した能力を持つ曹操の指揮のもと、
好条件下で戦の経験を積むことができた。
例えるならRPGで、装備を充実させて雑魚敵を倒しながら順々に強敵と
戦っていってレベルを上げることができた徐晃ら魏の将と、
装備が貧弱なまま中ボスクラスの敵と戦い破れ続けるので、あまり経験値が
得られずあまりレベルが上がらなかった関羽といったところか。
特に後期劉備軍の大きな戦いである入蜀戦、漢中戦にも参加できなかったわけで、
他の劉備陣営の主要な将と比べても、場合によっては大戦を経験できなかった
という点でマイナスになっているかもしれない。
>秋左氏伝を諳んじることができたあたり
演義の話でしょ、ソレ。
>>570 今確認したら確かに関羽伝に書いてないな。すまん。
指摘ありがと。
関羽の戦功って、顔良・于禁・ホウ悳だけでしょ?
しかも二人は自爆。どう評価したらいいんだ?
呂蒙伝だったか注で引かれた書物だったかに
呂蒙曰く「関羽は春秋を諳じれる・・・云々」みたいな記述があったと思うが。
あの曹操があれほどまでに厚遇して欲しがったんだぞ。
関羽が優秀な将の証だ。
優秀と評価されるだけのものはあったはず。
仮にも、一度は曹操に属して轡を並べたんだから、
官渡前哨戦でも活躍してるしね
これで無能ってのは無いと思うよ。
ただ、後背を晒して軍事行動した
戦略眼の弱さも指摘されるべきで。
万能の司令官じゃなかったけど、
部隊長としては強かった、でいいと思うけど
時代の一つの美談なんだよ、劉備と関羽は。
通常、理によって動いて当然の戦国時代の中において個人的な感情で動いているのに
コイツら1国1城の主、しかも皇帝にまで上りつめる事が出来たんだゾ
そこが作家として想像を介入したくなる余地があったんだな
コイツらが勝ったら面白いんじゃないか?って奴に肩入れしたいのさ…
関羽の能力からしたら荊州という国の要を守らせることは通常ありえ無いのだろうが
それをやってしまえるのが蜀なんだよ
「そんな事をしたら勝負に勝てませんよ」ってことをしておきながら結構いい所までいっちゃう。
だから物語になる
だから俺は蜀を応援してしまう。
オレはお前らなんかより
曹操の人を見る目を信じる。
別に曹操は司令官としての関羽を期待してたわけじゃないぞ
ちなみに俺は曹操も天下統一できる器ではないと思う。
曹操には能力が高いものにありがちな余計なことをしすぎるという点がある。
普通にゴールにシュートすりゃいいのにオーバーヘッドキックで決めようとする感じ。
美学というものを前面に押しすぎていると思う
もしかすると3人の中では孫権こそが天下統一ができる可能性を持った男だったのではないだろうか?
いちばんそつが無い
しかし同時代的に存在したライバルが余計なことをしすぎて、その煽りを食ってしまった。
その点、漢の高祖である劉邦はうまくやったよな。
これくらい節操なく行動しなきゃ駄目なんだよ
スレ違いスマソ
とりあえず正史読み直せ
孫権にそつが無いとか正気の沙汰とは思えない
荊州奪取から夷陵の戦いぐらいまでの
外交術は三国志最高の手腕を発揮したが
天下統一は無理だと思う
最低でも周瑜が生きていないと
まあ理解してくれないとはおもいますが
俺が言いたいのは孫権が他の戦国時代に同程度の家柄に産まれていれば天下を取ったのでは?ということ。
曹操という規格外の化け物が同時代に存在していたから三国のひとつになってしまったわけで
本来は袁紹がライバルだったろうし…
585 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/10 19:18:37
あの荊州を統べてた関羽、曹仁、呂蒙の三人は多少の優劣はあるんだろうけど、それ
ぞれ各陣営では一番優れていた武将だと思うが。まあ関羽を司令官にするあたり、劉備
陣営の層の薄さをあらわしてるかも。
呂蒙<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<関羽
呂蒙の戦功って関羽倒した他って何があるの?
特になし。
じゃ、呂蒙は漢中で夏侯淵破った黄忠と同じ程度の戦功?
顔良、于禁、ホウ徳破った関羽が戦功少なすぎって?
数で言えば、関羽より呂蒙の方が戦功少ないじゃん。
まずよく考えてくださいよ
まず呂蒙伝読んでくださいよ
>>589 ちくまのね正史三国志ってのがあるの。
それの7巻目の86Pから107Pを15回くらい読んでね
それで戦功少ないって言うなら逝ったほうがいいよ。
593 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/10 19:58:05
age
于禁 勝手に水没→降伏
ホウ悳 勝手に転覆→捕まえたら罵られたから斬っちゃった
戦功?
>>594 随分悪意のある書き込みだな
演技が好きな人間は正史なんぞ読まんほうがいいという事だな
正史三国志において、他人の伝に名前が載っている人物ほど、重要度が高いと言われる。
で、他人の伝に登場する人物ベスト10にの中に関羽が。
他のベスト10の人物はみな群雄で、武将は関羽のみ……とどこかの本で読んだが、
やっぱり関羽が一目置かれる存在だったのは確かではないの?
597 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/10 20:52:44
曹仁もかなり載ってるよね
関羽が一目置かれる存在だったのは確か。
間抜けな敗北前の勢いも、呉ほど事情が見えていない魏としては恐るべきものだっただろう。
(あんなに後ろをスカスカにするなんて常人じゃ考えつかないだろう)
ただ、関羽について用兵の巧みなこと、治世を行き渡らせたこと、
などその器を窺い知る様な評価は見たことがない気がする。
このあたりが、「兵一万」という評価の価値を下げているのではないだろうか。
なんせ兵は得やすいが将は得にくいという言葉を考えると「兵一万」というのが
どれほどの意味があるのかは真意がつかみにくいところ。
それは、ともかく劉備と血縁にあったわけではないし、(都合によって)別勢力扱いされていたのが、
実際の所ではないだろうか。
600 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/10 21:12:25
関羽を司令官としてだけで評価するべきでない。彼は奇跡の人な
のだ。
(戦場において)相手の司令官を単騎突き刺して引き上げる行為
など普通ありえない。(彼らの油断だけで説明できる物ではない)
こういう行為をやられると考えたら、敵の司令官はとても戦場で
対峙したいと思わないだろう。
601 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/10 22:22:45
冷静に見て、関羽の司令官としての外交は三流だが、戦うだけでみれば、ほぼ一人
でよくやったと思う。確かにウ禁が自滅したように見えるが、そこにつけこんで、
しっかり撃破したあたりは好評価を与えてもいいだろう。ただやはり外交の才には
乏しく呂蒙にあっさりつけこまれ、魏の軍事のスペシャリストの曹仁と徐晃のコンビ
が来たから、関羽の責任もあるがどんな武将でもあれを切り抜けるのは厳しいと思うなあ。
過大評価は良くないが、
やっぱしひとかどの好漢だよ。
一介の傭兵から一方の軍団長にのし上がった男だし。
魏に残っていたら、張遼と比べてどれだけ活躍できたかな。
603 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/10 23:08:21
張遼も司令官としてはいまいちかもな。曹仁や張コウのほうが司令官としての資質
はありそうだし。淵はもう少し長生きしてたらどうだったかな?
妙才には夏侯家の出という強みがある。司令官なんかに付けられたとき結構効いてくる部分だと思う。
605 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/10 23:21:33
何気に曹操挙兵以来の4人の親族武将で一番官職高いの曹仁なんだよな。大将軍と
大司馬になるってほとんど王同然の待遇だし。やはり関羽を撃破したのがかなり
評価されてるのか?
>>605 曹仁の関羽撃破(つーか撃破してないし・・・防衛かな)は
曹仁の数多くの武勲の内の一つに過ぎない。
豊富な経験と実績、驚異的な粘り強さ、実行力などを考えると
4人の親族武将でトップなのは妥当じゃないかな。
(まあ本当のトップは惇兄なんだが)
そこで「惇兄」はやめとけよ、おい…
608 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/11 03:52:52
609 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/11 09:44:05
一応曹仁は関羽撃破してるぞ。もちろん撃破としての手柄は徐晃のほうが大きいけど。
正史でもハン城の包囲網を撃破して出ることができたとあるから、関羽撃退には、十分
貢献してると思うが。
>>603 そうだとしたら、張遼の加禄ぶりはどう説明するのやら‥
司令官という語句を言葉遊びしてるだけで、意味判って無いね。
>>594 ばっかじゃねええええのか!!!ホウトクは周倉が水中でボコったんだよ!!!あやまれ!!!あやまれえええええええ!!!!
613 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/11 12:50:01
いや加禄で司令官を判断するのは無理だよ。しかも張遼は政治的なことは何一つ
としてないし。司令官レベルなら、単独の統治力も無ければいけないし、ある程度
の人望も無ければ務まらない。張遼は武人としては最高峰の部類だが、人望はあまりない
と言っていいし、司令官の器があるとは思えないな。まあ淵と比べてどれくらいできる
か程度だと思うが。
とりあえず司令官とは何なんだ?
方面軍長官でいいの?
それなら張遼が就任出来た可能性は皆無だから、どうでもいいけど。
「単独の統治力」の意味もよく解らないし、張遼に人望が無いというのも初耳
政治的なことって人事と内政?
とにかく、曖昧すぎて何を言ってるのか不明。
615 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/11 13:47:34
司令官は方面軍長官のこと、当然支配地域が増えれば、ある程度方面に分けて、
優秀な配下からその長官を任命して、現地での統治も行わせる。淵の西域統治や曹仁の
揚州経営がその好例だな。まあ内政や人事のことも含むよ。さらに張遼の人望
の無さは演義でもあるが、楽進や李典とも折り合いが悪く、淵とかとも仲が悪かった
らしい。元々の性格だからしょうがないが、昔は乱暴者だったが、後年尊敬され
るほどの武将に成長した曹仁と比較すると、対人関係では大きく見劣りするね。この
辺りが武人としては魏で1,2を争うが、官職はあまり昇進しなかった理由かも知れない
親族と司馬イ以外の人物が方面軍長官になったこと有ったっけ?
行政は太守だし、人事権を普通の将軍に与えるワケにもいかないから
司令官に就かなかったのは能力の問題じゃないが‥
不適格だった可能性も有るし、適任だった可能性も有る。
同僚と折り合いが悪いのと人望が無いのは、また別物だけど‥
諸軍事は方面軍司令官だろ
いっぱいいるじゃねーか
>>616 満寵・都督揚州諸軍事
臧覇・都督青州諸軍事
牽招・都督青徐諸軍事
郭淮・都督雍涼諸軍事
胡質・都督青徐諸軍事
王昶・都督荊豫諸軍事
王基・都督豫州諸軍事、後、都督揚豫諸軍事
陳泰・都督雍涼諸軍事
王リョウ・都督揚州諸軍事
毋丘倹・都督揚州諸軍事
諸葛誕・都督豫州諸軍事
ケ艾・都督隴右諸軍事
鍾会・都督関中諸軍事
めんどくせーから魏書立伝者の都督諸軍事のみ挙げた
車騎だの四征だの護匈奴だの節だのは自分で調べろ
張遼の死後でしょ、それは。
存命中に方面軍長官の権限を持った都督諸軍事になった人物なんて居たっけ?
臧覇みたいな飾り物じゃ無くて。
制度ができてないもの
制度が出来て無くても、方面軍長官が居ないワケじゃないと思うけど。
話に乗りたくないなら、わざわざ話を逸らさずに
黙っててくれればいい。
625 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/11 15:38:29
親族は、淵と曹仁ぐらいしか、圧倒的強さを持つ武将がいないよ。曹真は良将だが、
インパクトで曹仁とかにはかなり劣るし。曹休なんて、もろに曹ヒと仲良くて、あ
そこまで出世できただけだし。曹操存命中は力関係が拮抗してたが、曹ヒ以降では
圧倒的に外様のほうに優秀なやついるし。逆に親族は惇みたいな圧倒的なまとめ役もいな
かったし、挙兵以来長生きした曹洪なんて曹操死んだら、全く戦場に出てないしね。
>>618 おいおい、それが全部方面軍司令官?
その程度で良いなら張遼も充分方面軍司令官だろうよ。
官職名が違うだけ。
実務的に言うなら、対蜀、対呉、対北方の3つだよな
629 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/11 18:18:34
対蜀が夏侯淵で、対蜀と対呉が曹仁、対呉が張遼ってとこだな。曹操は、曹仁を一番
信頼してたのかなあ?両陣営と向き合う曹仁も胃が痛くなるだろうな。
>>625 一族、親類に圧倒的な強さやまとめ役とかそんな奴前線に出せないよ。
戦功立てればそれなりに地位を与えなくちゃならないし、まとめる能力あれば
前線指揮下の将も兵も丸抱えで一大派閥できあがり。
そんな奴抱え込むなら仲良くて出世頭や、小駒ながらよく揃っている方が
まし。
631 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/11 20:34:31
じゃあ大将軍や大司馬になれた曹仁は例外だな。曹休や曹真以外に曹ヒに優遇され
た親族はほとんどいないし。
そういえば、曹丕は性格かなりあれだけど、それで人事を左右したことある?
634 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/11 21:04:27
人形劇「三国志」での関羽討伐戦の呂蒙って、”悪魔”だな
>>629 合肥の戦いの頃は、張遼、楽進、李典の三人が兵七千で合肥に駐留していたが
特に張遼が司令官だったわけではない
その後、濡須の戦いの後、対呉方面の司令官として夏侯惇が居巣に駐留しとります
張遼は夏侯惇麾下だった模様
>>627 君は方面軍司令官を、単なる戦争屋と勘違いしとらんか?
>>618で挙げられている人物の多くは、統治能力にも長け、
単に戦時のみでなく、平時に置いても各州の諸軍を束ねる事が出来る人材が、
都督諸軍事に採用されていると理解できないの?
そりゃ、亡くなったり、中央に栄転したりして入れ替わるからね
司馬氏に反乱した奴らもいるし
関羽の話題が全然ねぇ
関羽の否定的な意見がでるとムキになる人が多いからね。
どうみても演義や小説、漫画で脳内補正がかかってるとしか思えない人もいるし。
関羽に肯定的な意見が出るとムキになる人が多いからね。
どうみても(ry
とりあえず関羽擁護者のせいみたいに語るな屑
関羽に肯定的な意見って何?
なんか屑とかのたまってる人がいるんですが……
演義しか知らない奴はこのスレに違和感をもつ罠
最初の方から読んでたら演義前提で意見言ってる人が
何人もいるな
演義というより横光漫画
>>643 上を読んでくれれば分かると思うが関羽と比較された人物について
つまり
夏侯淵 : 領土平定は曹操の功績で夏侯淵の功績ではない
曹仁・呂蒙 : 関羽倒したくらいしか功績がない、関羽倒したから評価されている
等
蜀の事しか知らないとしか思えないレスで、関羽を彼らと同列に置こうとしている
それは単に無知なだけでは・・・
ま、最も関羽を推す人間が用いるのは
「曹操が欲しがった」「兵一万」
という評価かな。
この言葉から能力があったという推測をしている。
全て否定しようとは思わないが、なんというかそれに頼るところが大きすぎる。
そりゃあ、後世の人間が史書の文字見ただけで語られるウンチクより
生の関羽を見た人間の評価の方が信憑性あろうに。
それが曹操・郭嘉・程cならなおさら。
このスレでの主流んな意見は、
「関羽は部将としては有用だが司令官としては三流」というものだろ?
つまり「兵一万」とまで言われる関羽の武勇を「曹操が欲しがった」
ということで、先の意見と別に抵触しないと思う。
曹操・郭嘉・程cの評価も別に司令官としての関羽の評価ではないし。
このスレでの「三流」の検索結果
>>601 関羽の司令官としての外交は三流
最近のレス読むと、関羽擁護派も司令官としての関羽は凡という意見が一般的だか。
曹操・程c・郭嘉の評が引き合いに出されるのは
関羽はヘボ将だとか、演義しか読んでないヤツが関羽を擁護するだのと言うヤシが出る時。
そりゃ演技というか横光漫画を読んで関羽のファンになった人がこの板に来たら違和感を感じるだろ。
曹仁の評価についてもびびったはずだ。
俺が思うに三国志板という名前だったら演技が基準の話をすべきじゃないだろうか?
正史基準の話は中国史板とかを新たに作ってそこでやるべきでしょう。
争わなくてもいい不毛な会話が多すぎる。
それだったらこのスレのような状態にはならないし。
おれが最初にここに来た時は演技が基準の板だと思った。
なんせ横光三国志の曹操の絵が最初に目に飛び込んだからな。
>>654 >俺が思うに三国志板という名前だったら演技が基準の話をすべきじゃないだろうか?
これで説得力崩壊
横光三国志は横光三国志だろ。
大雑把に正史と演義(創作)で分ければ、そりゃ演義に分類されるが。
演義でも関羽は傲慢でおだてに弱い人物に描かれ、それが荊州失陥に大きく影響してる訳だから、
正史にしろ演義にしろ、関羽が司令官に向いてなかったってのは否定できないんじゃないかね。
漫画で語ってもなぁ・・・
関羽の負け戦って対高順戦も含まれるかな?
劉備の指揮下だったつーことでカウントされないような
それでもやっぱり責任はでかいような。
流浪時代はほとんどノーカンだと思う 劉備自身も含めて
蜀は諸葛孔明以外に司令官として優秀な人物っていたのか?
呉は逆に武勇に優れた人物って甘寧ぐらいしかいないかな。
魏はそのバランスがよかったと思う。
662 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/12 11:31:16
>>661 >呉は逆に武勇に優れた人物って甘寧ぐらいしかいないかな。
呉は蜀ほどの人材不足には陥ってないよ
まあ呉には頭の切れる人物が多くいたからそれが目立つから武勇の面で少ないって
見えてしまうのかも。魯粛、陸遜、周ユなんかはその代表だな。
いや、ただ単に演義の(後は肥ゲーとか)影響じゃないのかね
>>654 漫画の三国志を語るんなら漫画板でどうぞ、って思うけどね。
漫画や小説だと、「誰それが強い」とか、「誰それがカッコイイ」とか、そういった
範囲の話題が殆どで、語る余地に乏しいと思うんだけどな。
安易に、世界史板でやれ、ってことで片付けるよりは、史料に拠ったスレがあれば
そこで少しずつ(三国志に関連する)世界を広げる土壌だと思えばいいんだし。
関羽が司令官として劣るのではなくて陸遜が関羽を超える知略の持ち主だった。
結局はこいつらみんなスゲーってことでしょ?
>>666 愚論だ
三国志の登場人物は2000人以上いるし、
検討材料は厖大にあるわけ
ソコントコヨロシク
>>666 関羽は外交”で”失敗したとかいう発言が上にあるけど、
士族の心をつかめてない以上、呂蒙の知略が無くても奪えるだろう
これは陳登の身の振り方を見るとわかるはず
だから呉がもたもたしていたら魏が付け入る隙も十分にできただろうと自分は思う
669 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/12 19:12:03
司令官として劣るだの劣らないだの、数百人から数千人の人間を操れる程の
地位を持っていること自体がすごくないか?
関羽って司令官としてボツだよねー、なんていっているけど司令官が実際
どんなことやるものか知らん人間にいわれとうないわ。
思考停止人間って気楽でいいよな
671 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/12 19:27:32
関羽は司令官になったのは、奴以外になれる奴がいなかったんだろうな。関羽の能力
が高いわけじゃなくて、関羽程度しか司令官になれる武将は劉備陣営にはいなかった
ってことだろう。演義じゃ孔明が北伐で人材不足を嘆いているが、五虎将が生きてた
としても魏には到底勝てないと思うよ。
>>669って、擁護にすらなっとらんな
プロスポーツの批評に、偉そーなこと言うならお前がプロになれ、と言うのと同レベル
>>671 だろうな。
結局、戦では質よりも量の多い方が有利。(戦略も重要だが)
蜀は北伐でほぼ全戦力を出し切ったが、
対する魏は全戦力の10分の3程度しか出さなかったらしい。
これはみんな知っているとは思うが、蜀は三国の中で一番
人口が低いからな。
結局は人って事か?
674 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/12 19:50:20
>671
関羽が死んでからガタガタ来たってのが、総てを象徴しているねえ。
魏は、古参の、夏侯淵が死んでも、楽進が死んでも、李典が死んでも、その後継となる将官がいたわけでしょ。
そういうのを用意できるだけの、人事体制が整っていたと思う。
ぶっちゃけ、張遼が早死にしても、彼ほどではないにしろ、対呉にたいして現状維持が可能な将官がいたと思うんだ。
呉でも、周輸、魯粛亡きあとは、呂蒙、陸遜と後継が続いた。
そう考えると、関羽以外に人がいなかった蜀の人材の薄さに涙せざるをえない。ただでさえそうなのに、さらに呉に戦争しかけてコテンパンじゃあなあ・・・・・
なんかこのスレ、この時期になって随分と今更な話題で進んでない?
蜀の人材難とか、関羽の能力の是非とか、前スレとか蜀将スレの初期で
既出の話だよね。
三連休が関係してるの?
人口が低い
>>675 既出も何も話題なんか既に何度もループしてるぞ?
678 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/12 20:04:25
もし魏の荊州の司令官が攻撃的な淵ならハン城は落とせた可能性もあるだろうが、
あいにく曹仁だったのが、悪かったな。ただ関羽が曹仁を侮ってたようにも見えたんだ
が、どうだろうか?
確かに周喩が圧倒的優位にも関わらず曹仁に一年以上も勝てなかったから、
多少は評価してただろうが、ウ禁全滅で、いくら曹仁でも降伏してくるだろうと関羽は予想した
と思うな。だが降伏するどころか、曹仁は逆に城兵の士気を回復させて、徐晃が来るまで
かなり時間があったはずだが、守り抜いてしまった。おまけに関羽はハン城が落ちない
から、荊州の守備兵もあらかたハン城攻めに回して、兵糧が無くなると、呉の食料を強奪させて
怒った呂蒙らにつけ込まれてあっけなく荊州を取られてしまった。ハン城を短期間で落とせなかった
時点で、関羽の敗北は決定してたと思うなあ。
>>675 夏休み中は意外にもレベルはそう落ちはしなかった。
なぜか秋に入ってから軒並み考察スレが過疎&低レベル化
>>678 魏の陣容がどうというよりも、内憂を抱えたまま出征した時点で関羽の
失敗なのは歴然としてるって。
>>680 それ言っちゃうと、敗因は劉備のせいになっちゃうよね。
関羽だって劉備の命を受けて北進したんだろうし。
>>680 学生なり社会人が通常形態に戻って、残ったのが厨房ばかりだから
>>681 劉備の命があったのか?
関羽の裁量で北進しただけじゃないの?
いくらなんでも関羽の裁量だけで北進は出来んだろ
685 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/12 21:42:39
改めて思うが、関羽は一軍を率いての功績はほとんどないな。張飛のほうが、戦争は
上手に見えるなあ。正史が本当だとしたら、関羽は恐ろしく戦下手だな。劉備以下かも
知れないな。
撤退しながらの戦いまで「敗戦」に含まれればそうだろう
一見派手そうに見えても、実は関羽がまともに戦えた機会は
かなり少ない。
688 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/12 21:57:25
関羽の戦功って顔良を討ち、ウ禁を破ったぐらいか。逆に、曹仁と徐晃の挟撃
に敗れ、呂蒙に負け、高順にも負けてた覚えがあるし、あと楽進にも負けてたよね?
楽進&文聘コンビにな
そのまま曹操のとこに残っていたら、戦功はそこそこ挙げてたかもな。
人気と引き換えだが。
ああ、たしかに負けまくってるな
だったら何故にあれだけ他軍から評価が高かったのかね
近鉄の中村や岩隈みたいなもんだろう。
清原とかも近いかな。走れない、守れない、今や打てもしない、さらにすぐ怪我するが、
打席に立ったときの客の騒ぎようは球団随一。稼ぎも随一。
はいはい分かったから野球ヲタは巣に帰れ
つーか清原は若いころは凄かっただろうが
魏>呉>蜀なんだから、関羽が負けてもしょうがないとまでは言えないが、
国によって諸事情や軍備等の背景が違うのだから
曹仁・呂蒙・関羽のどれが上かなんて、わかりっこないし、比べるのがおかしい。
しかしなぜ諸葛亮に次ぐ人気武将なのか。劉備に対する義を貫いたとしても
こんなに評価低くては納得い関羽。大したことないって言ってもそれいったら
他にもそんな武将はいるし、呂蒙とかのが人気あってもおかしくないんじゃ?
中国人は何をもって関羽を立派な武将としたか?
それともただ単にここの人が粗さがししてるだけなのか?
粗をさがせば他の武将もたくさん出てくるしね。
まあここは関羽を語るスレなので
関羽が粗探しの標的になるのは仕方ないよ
でも関羽ほど好き嫌いが分かれる人物って他に諸葛亮くらい?
このスレの人、みんな主観入ってるしさ…
演義のおかげ。演義だともっと活躍する上に正義側の劉備の義兄弟。
人気でるだろ。
オレは演義の関羽も好きだけど
正史の傲慢関羽はもっと好きだよ。
馬超について、諸葛亮から貰った手紙見せびらかしちゃうなんてカワイイ。
>>654だけど俺は演技厨じゃないよ。
文章がわかりにくかったかもしれないけど、『三国志・戦国時代』板となっていたら
演技の話をされてもしょうがないんじゃないか?
三国志というのは羅貫中の小説のタイトルだろう?
俺はこの板のタイトルを『三国時代・戦国時代』にしたほうがいいような気がする。
特に曹仁と関羽なんて演技のフィルターがもっとも掛かる武将だと思うしな。
702 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/12 23:26:04
関羽と曹仁のどこが演義のフィルターかかってるんだ?
さんごくし 【三国志】
中国、二十四史の一。魏・呉・蜀の三国の歴史を記す。西晋の陳寿の撰。六五巻。魏志三〇巻、蜀志一五巻、呉志二〇巻。
さんごくし-えんぎ 【三国志演義】
中国の歴史小説。二四巻。羅貫中著。四大奇書の一。三国時代の史実を「三国志」に基づいて物語風に演義したもの。
劉備・関羽・張飛の義兄弟の契りに始まり、魏の曹操、呉の孫権、劉備の宰相諸葛孔明などの活躍を通俗的に描く。
日本でも江戸期より翻訳がなされ、広く愛読された。三国志通俗演義。
ところで、候音の反乱は法正の差し金だけど、呉の零稜あたりでも反乱の動きあったよね、確か
これは関羽の差し金なんだろか
少しは知恵が回る?
>>705 >>候音の反乱は法正の差し金
蒼天ですかぁ?
708 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/12 23:38:06
あれは関羽の謀略らしいが。まあ侯音も挙兵したはいいが、ようやく
関羽軍がきたと思ったら、討伐に来た曹仁軍のほうが先に着いてあっさり殺された。
正史曹仁が司令官になる恰好の引き立て役で哀れだよなあ。
粗探しって言ってる奴は
ちゃんと反論してほしいんだけど
>>695 オイオイ、関羽が健在の頃は、呉より蜀の方が国力有るだろう
お前は、南郡を含む三郡と、含まない三郡どちらに価値あると思ったんだよ
蜀と呉の優劣が明確になったのは、呂蒙による荊州奪取があったからだよ
いくら何でも、ウソついてまで関羽を擁護するか?
>>709 粗探しと連呼してる奴は
関羽に対する肯定的な意見や擁護に対しての即反論という行為自体を粗探しと
言ってると思うから、そういう奴は相手にする必要はないかと
>>710 間違ってたようならゴメン。
でも俺が言いたいのはその下の部分で、
ブッシュと小泉どちらが有能かなんて比べられないよってこと。
そこを色々考えて比べるのが楽しいんじゃないか
>>712 間違いなく小泉だと思うが‥
関羽は有能だと思うけど、欠陥が大きい分呂蒙に劣る様な気がする。
>>710 オイオイ、国力があるなら何故に関羽は守備兵まで投入したのに
劉備は蜀に留まったままだったんだ?
>>714 年表くらい覚えとけ
関羽北進が219年、劉備の漢中攻略が218年だ
前年に大規模な軍事行動を起こしているんだよ
>>714 オイオイ、何故に劉備が荊州に出征すべきだと考えたんだ?
>>715 ふ〜ん、前年に大規模な軍事行動を起こしているのに
国力があるとは凄いね。
>>717 凄いのは考察できないおまえさんのおつむの方だと思うが?
だいいち、国力とひとくちに言っても、現有する人的・物的資源と、基本的な
生産力はべつもの。
>>715がいいたいのは、総合的にみれば漢中を制圧し荊州の中枢を要している
蜀の総合的な国力(ここでいうなら生産力)は上だが、漢中での戦役を経た以上、
資源の多寡でいえば蜀(特に巴蜀)は消耗してるってこと。おそらく。
その状況下で、荊州で突出した軍事行動を支援できる大きな余力はないだろう?
おまえさんがいう「国力」ってのが現有戦力のみを指してるならかなり問題だよ。
719 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/13 17:06:06
なあ淵が荊州の司令官だったら、やはり同じように関羽負けてたかなあ?
>総合的にみれば漢中を制圧し荊州の中枢を要している
>蜀の生産力は上だが、漢中での戦役を経た以上、
>資源の多寡でいえば蜀の国力は消耗してるってこと。おそらく。
>その状況下で、荊州で突出した軍事行動を支援できる大きな余力はないだろう?
これなら同意なんだけどな〜。
だいいち、国力とひとくちに言っても、現有する人的・物的資源と、基本的な
生産力はべつもの。
おまえさんがいう「国力」ってのが生産力のみを指してるならかなり問題だよ。
>>718 補足ありがと
>>717 さらに言うのなら、国力が蜀>呉であっても、あくまでも蜀呉での比較
魏蜀での国力差は敢えて言うまでもない
前年に大規模な戦争をした益州には、魏とやり合う余力がなかったであろう事は容易に想像がつくだろう
先主伝では、218年に劉備が漢中に進軍し(武帝紀では217年)
夏侯淵を斬ったのが翌年219年の春。
三月に曹操が陽平に到達。
それから夏まで膠着状態で五月に曹操が長安に帰還。
その後、劉備は劉封らに上庸を奪わせている。
秋、劉備が漢中王になり関羽に節鉞を与えていて、七月に于禁が派遣されている事から、
関羽が北進し樊を包囲するのは、七月中であったと思われる
劉備の漢中攻略は、ほぼ一年半の大戦役。関羽の北進は、その戦役終了まもなくに行われた。
漢中を切り取る事によって国力は増したが、兵糧も蓄えなければならないし、兵を休ませる必要もある。
まあ、そんなわけで劉備(益州)はとてもじゃないが軍を動かせなかったわけ
>>720 国力とは、基本的に国家の軍事力や経済力など総合的な能力のことで、
勝ち戦後の一時的な疲弊と、それに伴う行動の制約を指して、
>>717の様な物言いをする方が考え物と思うが…
>>721 話が脱線しすぎ。
軍が動かせない状態なら国力は落ちてる、その状態なら呉>蜀だと思うけどね〜。
>>722 >勝ち戦後の一時的な疲弊と、それに伴う行動の制約を指して
一時的に国力が落ちてるでしょ?
>>723 その理屈なら農繁期は国力が落ちる、なんてのもまかり通るわけだが
現在、アメリカ合衆国が軍事行動を起こす際も、
準備等が必要であり、連続して行動する事は困難であるが、
その軍事行動と軍事行動の空白の時期を指して、君はアメリカの国力が落ちたというのだね
そもそも軍事行動には準備が必要である以上、軍事行動の後に空白の期間が出来るのは必然であり、
それは魏であろうと現在のアメリカでさえも逃れられぬ事。
漢中攻略後の劉備は、単に軍事行動上の避けられない制約によって動けないだけで、
国家そのものが衰えたわけでも何でもない。
国力国力とお前ら言葉遊びをするんじゃねえ
少なくとも前年の大戦で益州が疲弊していたのは事実だ
>>726 …
……
いや、君がそう言うのなら、それで良いよ
それが普通であるならば、私が言う事は何もない
激しい戦争をした後はそれ以前よりも国力が下がっている。
どう考えても普通に使うだろう。
もちろん必ずそうなるとは限らないが。
それを農繁期とか毎年必ず来る季節的な変動と同じもののように語るとは、
その方が明らかにおかしいわい。
729 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/13 19:12:58
で淵が荊州司令官だったら、関羽はハン城取れたのか?
国力が落ちてるんじゃなくて、
軍事に手が回らない、と言い換えましょう
俺も戦争による国力の低下は普通に考えると思う。
「姜維の北伐が国力を低下させた」とかって普通に言ったりするしな。
で具体的に何が衰えたわけ
戦争の結果によって衰えることはあっても、劉備の漢中攻めと姜維の北伐が同等なのか
すると官渡によって曹操は衰え、赤壁で孫権は衰え、入蜀で劉備は衰えたわけだw
>>733 同等とは言ってないよ。
勝利の後でも敗北の後でも、大きな戦争の後は、軍事力や生産力は一時的にせよ低下してる。
それを「一時的な疲弊」と呼んでるのか、一時的にせよ「国力の低下」と呼んでるのか、
それだけの違いじゃないか?
戦争によって国力が増大するなんて歴史上にいくらでも転がってるのですが
三国志にもたくさんありますよ
曹操の青州黄巾賊
孫策の揚州攻略
曹操の華北平定
周瑜と劉備の赤壁
夏侯淵の関中平定
劉備の入蜀
魯粛と呂蒙の荊州攻略
これらも「国力の低下」なのですか
736 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/13 20:26:02
>>735 戦後すぐの状態は国力が低下しているのは当たり前
領土や兵士を獲得すればすぐに国力UPに繋がると考えるのはアフォだけ
>>735 戦争による土地や人の獲得で、潜在的な、ベースとなる国力が増大する。
その後の統治行動で実質の国力も増大していくと考えるが。
戦争による消耗の大きさと、戦果による国力の増大を比較して考えるべきだと思う。
>>731-736 730は無視かよ
「国力」って言葉に語弊があるから揉めんだろ
「隙が出来た」とか「戦後処理中」とか
「(それが済むまで)戦争はまだ終わってない」とか
>>736 残念ながら領土を得て兵力を増やせば国力を増大したといえるんですよ
特に千年以上も前ならばなおのことですよ
>>737 同意
戦争=国力の低下なんて子供の論理
誰もイコールなんて言っていないのに、
妄想が激しいな。
>>735 戦争の規模と抵抗の激しさ、決戦後に獲得した利益の維持から考えて
劉備の入蜀だけは一時的に国力が落ちてると思うがな〜
他は相手が寄せ集めだったり、こちらが圧勝だったりだしね。
それに、領土を獲得したって農作物の収穫は次の秋、他の物資も
制圧した側が生産できる様になるまで統治に力を注がないといけないし
物資そのものは戦闘で大いに減少してる
軍事力に関しては言うまでも無く消耗してるかと。
>>739 戦争が終わるや否や、少し前まで敵対していた国土の領民が
粉骨砕身占領国の為に働き、戸籍の調査もしていないのに兵士が増える
ってのはちょっと在り得ない。
「国力はアップし、軍事力は(一時的に)落ちている」
だからいい加減言葉遊びはやめろ、と
>>739 同意してもらってるとこ悪いが、俺は多分、あなたが批判してた相手だよ。
>>734は自分だから。
つまり、大規模な戦争なら、殆どの場合は消耗が大きく、戦後の統治行動で実質の国力が増大する間に、
戦争前の状態まで回復できてない期間がある事が多いと考える。
その期間を指して、「一時的な国力低下」と自分は言ってる。
まあ、ややこしくなるから、
>>738のようにした方が良いかもね。
745 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/13 20:52:53
『表面的な国力は落ちたが国の基盤は増大した』
要するに、漢中争奪戦直後の蜀に、
少なくとも蜀本国に、続けて大規模な戦争を起こすだけの力はなかった。
或いはその力は衰えていた。
という結論に異論があるものはいないんだろ?
その「力」を「国力」と呼ぶかどうかでもめているだけで。
>>741 貴方の言い分も分かるけど、それは現有の資源に重きを置いているでしょ
俺は領土や人口そのものも国力と考えているから
損得勘定で国力増大もあるといってるんですよ
>>744 いやはや双方、言葉が足らなかったようですね
俺自身は、資源の消耗のみを国力の低下と書いているように捉えてしまいまして
戦争が資源を消耗する事に異論があるわけではないんですよ
>>745 同意します
元の議論は、荊州戦の時点で蜀と呉のどちらが強かったか。
統治領域から予想される総合的な国力は蜀が上だったが、
蜀は漢中を魏と争って奪取した直後で、それなりの戦力ダウンから立ち直っていなかったので、
その時点での限定的な戦力では呉の方が上だった。
総合するとこれでよいだろうか?
>>745 同意。良い表現だと思う。
>>747 そうだね。言葉の違いだけだと思う。
>>748 確かに自分の言葉が足らなかったように思える。
なんにせよ誤解が解けて良かった。
漢中戦の国力低下は相当だろ
何しろ益州全土に総動員令だし
まぁ、2chなんぞ所詮は言葉遊びする場じゃないか。
実りある話なんて期待すんなよw
領土も国力だってことは分かるが、
漢中を得たことによるプラスよりも 大戦での消耗によるマイナスのほうがでかかったと思うがな
少なくとも関羽の北進の時期に限定するなら
益州が戦える状況だったかどうかは別問題 まだ余力が残ってたかどうかは俺は分からん
あったま悪いスレだな〜
一連の荊州の戦いは、漢中の争奪戦の一年度程度の時期の話でしょ?
漢中戦が被害皆無ですんだはずはないし、
大規模な投降兵がいたとも聞かない。(まあ、仮にいてもすぐに戦力にはならないだろうが)
もちろん、漢中の統治にも力を割かねばならないし、
漢中の守りをおろそかにすれば最悪逆襲される可能性も皆無ではない。
一時的に蜀の戦闘能力が、特に遠征を行うような能力が衰えていたのは間違いないわな。
そんな時期になぜ荊州で北伐を行ったのか、
或いはそんな時期だからこそ行う必要があったのかも知れないが、
いずれにしろ、呉が蜀の隙をついたのは間違いない。
もちろん隙を見せる方が悪いわけだけど。
北攻自体は支持する人も結構いるんだよな
何でだと思う?
なぜ関羽が北進したのか
ってのを考えるのが面白そうだな
劉備たち首脳が情勢をどう見ていたのか
関羽に何を期待してたのか
>>755 漢中で宿将を失い、魏王自身も目的果たせず撤兵し、魏は揺らいでいたんだから
呉が割り込まない前提では、魏を攻める好機だったと思う。
これ(魏を攻める好機)は、呉にとっても同じだったはずだ。
だが、呉は魏を攻めて魏対呉蜀の勢力比を自軍有利に動かす事よりも
荊州の関羽を付いて、呉対蜀の勢力比を自軍有利に変える方を選んだ。
感情的な理由か、中期的視野にたってのものかは知らないがな。
長期的な視野に立った場合は、魏を攻める方が良かったはずだがな。
>>749 う〜ん単純にそうとも言えない
呉は213年の合肥より217年の濡須まで、大規模中規模の戦争を繰り返しているし
それに益州と揚州が同等ではない
揚州は発展途上であるのに対して、益州はそれなりに開拓させれてる
とはいえ、大きな戦役の後であるため、劉備はたとえ兵力が消耗して無くても軍を動かすことは無理でしょう
>>756 いるの
俺には理解できんよ
益州の援助がないだけでなく、荊州の兵糧も不足してようだし
長期戦は無理としか思えない、というか無理
勢いに任せた攻勢が成功したとして、
万一劉備が曹操を倒せたとして
このままでは蜀>呉の勢力図は確定。
孫権は第三勢力から第二勢力になることで
キャスティングボードを握りたかった?
もしくは、感情的な問題か。
このままでは孫家は踏み台にされたようなもんだからな。
>>758 長期的も何も、成功する目算が立たないのだから
当時、居巣には夏侯惇の二六軍がいたわけで、呉から見れば魏に隙はない
また蜀の方は益州が動けず、関羽自身も兵糧不足の後方支援無し
これで成功する目算があるのですか
むしろ関羽の北進は、希望的観測に基づいた短期的視野としか思えないですよ
>>758 確かに、呉が荊州攻めて来ないという前提の下なら、
蜀本国の軍事力は低下していても、荊州に残存する兵力だけで、
勢いに乗って、ある意味ドサクサにまぎれて領土拡大というのは悪い考えではない。
漢中から目を逸らさせて漢中の支配を安定化させるという効果も期待だきるだろう。
ただし、呉が荊州へ出てこなければ。
ちなみに最後の一行への意見がこのスレの根本的な存在理由だね。
もし関羽が攻勢に出るとして
合理的な戦略目標ってものがあり得るとすれば、何?
短期的な侵攻によって曹操軍を拘束し、
漢川方面への圧力を軽減
上庸〜漢中の統治安定に貢献する
無理があるかな・・・
候音の支援に出たら思わず戦線が広がっちゃった
>>763 呉が攻めて来ないという楽観の元でなら
漢中での戦勝に乗って、打撃を受けた魏に攻め込むのは
それ自体合理的ジャマイカ?
関羽の北上は劉備以下の政権首脳部との合意の上の事だろうけど、関羽軍のキャンペーンの規模をどの程度にするか、と言うところで詳細なすり合わせが出来てなかったみたいだね。
劉備ら政権首脳の考えは、漢中平定後に獲得した上庸方面への圧力(反撃)を軽減させる程度の軍事行動って考えてたんじゃないかな。
あくまでも限定戦って事で。
それを関羽が勘違いしたのか、曹操自身まで出馬するような状況にまで長引かせたので呉も動けたのだろう。
呉としても、荊州は奪取したいが、関羽が江陵で睨みきかせていれば動きにくかったろうから。
>>766 >詳細なすり合わせが出来てなかったみたいだね。
↓
詳細なすり合わせが出来てなかったのではないか?
書き方一つで読み手が受ける印象が全然違う。
個人の妄想に断定を使うな。せめて推定にとどめろ。
全くの妄想って訳ではないよ。
詳細なすり合わせが出来てれば、益州(漢中)方面からの軍事行動があってしかるべき。
あるいは、益州からの軍事行動と言うものでなくても、一時的に荊州を援助するとかあるはず。
そういった形跡が全く史上に見えない点からも、関羽があそこまで軍事行動をとる事を政権首脳は把握してなかった証左だろう。
そもそも、三顧の礼の構想は益州方面が主攻で、荊州方面は助攻のハズで荊州単独の軍事行動は劉備集団の基本戦略と合致しないよ。
まぁ、普通に正史を読んでれば判る流れだと思うけど。
>>768 いずれにしろ推定であるのは間違いないぞ。
まあ、変にこだわるな。
やたらと断定表現を使われるのも鬱陶しいが、それに対し強い口調でつっこむのも雰囲気が悪くなると思う。
穏便にいきましょう
関羽の北進が首脳部の指示によるものだとしたら、それはいつ頃から計画されてたんだろうか?
>>770 いや、あなたがこだわっていると言いたかったのではなくて、
これ以上はこだわらない方がいいと思うよ、ってこと。
言い方が悪かったね、スマヌ。
なんて言うか上ではもう言われているんだが、首脳部の指示にしては連動が悪いし
増援を要請するはずが拒否しているし、個人的には半独断専行してしまったのではないかと感じる
関羽にそのような権限が無いから絶対あり得ないなんて言えないと思う
あの計画性の無さは良くても、発案段階で聞いた関羽が十分な打ち合わせをしないまま出兵してしまった
といった感が否めない
というか、もしこれが首脳部の計画に基づいての行動だったら、呉とも打ち合わせて行うだろうし
その時点で呉の態度が怪しかったら無防備にしないだろう
なんか、関羽の出兵には国としてあって当然のはずの準備・計画性が見られない
当時、呉と蜀は表面上は同盟関係だけど
内々はかなり対立状態じゃなかったっけ
友好的に接しようとしたのは魯粛と諸葛亮の一部ぐらいで
>>774 上7行同意。
>なんか、関羽の出兵には国としてあって当然のはずの準備・計画性が見られない
いくら関羽でも、準備無しじゃ出兵の仕様が無いよ
それに計画も無い訳ない、ただ単に計画が杜撰で見通しが甘々だっただけっしょ。
潘濬をチェック!
>774
関羽には荊州における軍事に関しては権限があったんだよ。
劉備が漢中王になった時に節を与えられて督荊州事に任命されてるから。
ただ、大規模な軍事行動に関しては、劉備の承諾が必須だったろうけど。
それと、増援要請にしても、関羽が拒否したんじゃなくて、関羽が要請したんだけど、劉封らが拒否した、って正史に記載されてるよ。
なんで劉封らって援軍を拒否したんだろう。
どんなに関羽が嫌いでも、
断わったら劉備からなんらかの制裁受けるのなんて、火を見るよりも明らかだ。
演義とかでも言われてる通りだろ
上傭は奪ったばっかで治まってない前線だし、兵もいなそうだしな
別に的はずれとは思わん
なんで曹操は遷都なんかしようとしたんだ?
こんな散々な関羽なぞ恐るるに足らず。
敵は大きく見えるんだよ。
もし怖じ気づいて遷都していたら
どうなったやら。
783 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/14 22:24:57
ハン城落ちてたら、さしもの魏もヤバイだろう。そう考えると、魏側の最大の功労者
は、やはり曹仁だな。次が徐晃で、その次が趙ゲンだな。
関羽が不十分な戦力で攻めるなんて、漢中でやられたばっかの曹魏には思えなかった
んじゃないかな?
万全の体制で攻勢に立った場合(限定)の関羽が強敵であるという認識はあるから
漢中であれだけすごかった劉蜀が関羽を送り込む以上万全の準備があると考えたん
じゃないか?
当時の事、敵の内情の深いところなんてわからないわけだし、蜀は30年来争いの
蚊帳の外で蓄えがあるはずという考えもあったろうし。
万全な関羽は、恐いから恐れた。
しかし前線にいた連中は関羽が万全でないと感じていたから恐れなかったってとこでは?
続けざまに古参の将が蜀に負ければ、弱気にもなるんじゃない
単に一時的な動揺だと思うが。
787 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/14 22:42:03
どうでもいいが、漢中の淵は司令官としては、許されない行動だよな
>>785 でも司馬懿とか蒋済とかに代表される一部の魏の知識者連中は
ちゃんと情勢を判断できてたんだけどな。
後から入ってきた参謀格はそういうもんかな
曹操は、前線で一緒に戦い抜き、自分で目をかけたというのがあるからとか
あと持病の偏頭痛の悪化とかがあったりして
心理カウンセリングを開業しよーぜー
遷都なんておおそれたこと、よっぽどでないと口にせんだろ。
董卓の時の周りの反応考えると。
なんか関羽に有利な話題になると、急にレベル落ちるよな。
曹操の過大評価とか、曹操の頭痛が原因とか、死期が近かったのが原因とか。
諸葛亮が北伐に失敗したのは死期が近かったから…なんて言う?
批判するならもう少し客観的な題材で説明してほしい。
>>793 大それたことを口にするだけなら三国志にも数多く事例があるよ。
実際、当時の曹操は情報を正しく認識できていたかは疑問で、
「頭痛」とか「死期が近い」などは、ネタにしても、
関羽を「過大評価」していたという意見は考慮に値すると思う。
事実、魏は呉と連絡を取り合った後に夏侯惇と張遼を東方より呼び寄せているけど、
到着する前に徐晃によって関羽は撃破されている。
また曹操本人の率いる魏軍本隊も、戦線に投入されることはなかった。
これらは関羽に対する度を超した対応を示す根拠となる。
一方で、呂蒙は冷静に状況を分析し、ほぼ戦わずして荊州を奪い、
万全の軍政を施し、関羽が反転したとしても手の打ちようのない状態を作り上げている。
さらに陸遜には夷道などを奪わせ三峡を封鎖して、益州に対して備えている。
呂蒙の的確迅速な行動をに対して、曹操のあまりに大袈裟な対応を思うに、
曹操には以前の切れがないとか、関羽を過大評価しているという意見は十分根拠がある思う
当事、関羽の攻勢で、魏の荊州刺史以下の地方官が続々と関羽に降伏してたし、侯音の乱以外にも、荊北周辺の幾つもの野盗集団が関羽の支配下に入って暴れ回ってたと言う事もあるだろうね。
その上、派遣した援軍も壊滅してた状況だったからじゃないかな。
もし、曹仁まで敗れるたりすると、許都まで、関羽軍の射程に入りかねない事になるから、遷都も考えたんじゃないかな。
>>794 正面にだけ強い敵と当たった時
正面に立ってるのが必死で、後の奴が余裕あるのは過大評価と的確な評価と
わけなくても変じゃないだろう。
正面に立たされたときだけ怖い相手なんだろ、関羽ってのは。
魏への攻撃をするまでは、呉も睨み合いはしても関羽と戦ってなかったわけだし。
劉備及び蜀は諜報や情報処理関連が甘い。
名士は情報をもたらす存在でもあるから、
ちゃんと付きあわなければ負ける。
家臣の派閥をうまく調停できなかった劉備の責任は当然重い。
関羽が指揮官専門でいられる様な体制構築が必要だったな。
譜代のわがままで体制が成り立ってる。
>>796 関羽厨は擁護するならもう少し客観的な題材で説明してほしい。
組織がある程度に成るまでは、その方がいいのよん。
>>796 呉はその前まで合肥、濡須と総力戦やって軍備再編中。
217年には魯粛が没して呂蒙時代へまとめ上げるのに一年ぐらいか?
対曹操戦ばかりでほとんど荊州に目を向けていない。
結果論で見れば曹操の遷都は大袈裟に見えても仕方ない
上のほうにも書いてあるけど
張遼の諸軍や曹操の本隊が来る前に
徐晃の新兵をかき集めた軍隊に関羽が破れ敗走してる
しかし別の見方をすれば官渡などでさらに危機的な状況を経験してきた
曹操がこんなに畏れたのは関羽の威光が敵国でも大いに警戒されてたと見れる
ただ遷都を考えるほどの勢いがあったとしてもたまに出てくる
呉と共同攻撃なら天下が変わってたとかいうのは全く同意はできないけど
>>798 関羽厨とか使うなよ
そういう蔑称とか出てくるから
このスレはアンチとか言われるんだよ
アンチといわれるより
反論を書かずにスレ自体を否定する材料にされる
804 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/15 16:55:21
正史で曹仁伝に外から徐晃が関羽を攻撃したから、曹仁は包囲陣を突き破って出て、
関羽は退却したとあるのに、徐晃伝じゃ徐晃一人で包囲陣まで斬り込んだと書いてある。
これどっちが本当なのか?趙ゲン伝をみたところ、前者のほうが、正しそうに見えるが。
>>804 前者だろう。大げさに書いてあるだけだな。
城外から見れば、徐晃が単独で撃退したように見えた。
そういうことじゃないかな。
よく分からなかったんだが、
関羽が徐晃に敗れたのは呂蒙に江陵を陥されてから?それともその前?
>>804 徐晃包囲陣まで進撃。関羽が迎撃に出る。
それを見て曹仁も出陣の準備を整え、包囲陣が手薄になったところ
を突破関羽退却。別に何の問題もないな。
809 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/15 19:11:59
じゃあ一応曹仁も関羽を撃破したことになるな。とすると、荊州防衛プラス関羽撃退
ってことになるが、これはかなり凄いことじゃないか?
>>794 貴方の書いた文は説得力がありますね。
関羽批判も客観的な根拠を元に語られると、擁護派の自分も納得することができます。
>>804>>809 「趙儼伝」を見る限りでは、樊城がほぼ完全に外部と遮断されていた事になる。
実際、樊城・襄陽の位置する所は漢水の屈曲部に近く、さらに漢水に他に多くの
支流が合流する地点でもあって、増水して城が水没した場合、おそらく城外に
軍としての形態をとれる規模で出撃する事は不可能にちかい。
基本的に、当事者の伝では事績をいささか過大に記述される事が多いけど、
ここでいうところの「曹仁による関羽軍撃破」は、徐晃の大勝により趨勢が決した
後、とみる方が解釈に無理がないと思うんだけどな。
>>811 曹仁傳を読む限り、「徐晃が来る頃には水もだんだん引き始めた」だけど。
これについては?
曹仁の出撃が徐晃の勝利後ってのは、賛成だな。
どっちにしても曹仁の功を損なうもんじゃないが。
彼の功績はそこまで持ちこたえた事だからね
長篠の戦いを見ても思うけど
前線の城塞の役目は、
「後詰めが来るまで落ちないこと」なわけで。
落ちたら高天神城みたく戦略練りなおしってことになっていた。
「趙儼伝」に
>諸將呵責晃促救
とあるが、逸る諸将を抑えるため情報を多少操作したと考えるのが妥当なのでは?
815 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/15 21:38:14
>812
関羽は水攻めにすれば、すぐに堕ちると思っていた。
少なくとも敵の援軍が来る以前には。
ところが意に反して城は堕ちず、延び延びになって、時間がたちすぎて水が引き始めたころに徐晃がきてしまった。
そんなところでない?
816 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/15 22:09:39
演義だけ見ると、ハン城の曹仁は情けないが最近の再評価でハン城の曹仁の働きが
大いに見直されてるよな。個人的には、目立たないけど、魏にとっての荊州攻防戦
で、最も功績があるのは曹仁だと思う。
呂蒙<<<<<<<<<<<<<<<関羽なのに勝てたのはすごいぜ。
819 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/15 23:07:51
穿った見方だが、背後を突いた呂蒙よりも、関羽を真っ向勝負で撃退した曹仁のほうが、
武将らしいと言えるだろうな。
>>819 それをいうなら徐晃がみせた用兵の方が評価されるな。
曹仁はもちまえの抗堪性を発揮して凌いだんであって、正面戦闘で勝利した
わけじゃないし。
百戦百勝は善の善なるものにあらざるなり。
戦わずして人の兵を屈するが、善の善なるものなり。
三国時代にゃ無理な話だな
823 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/15 23:48:42
なあ曹仁と徐晃のどっちのほうが、功績として称えられるかな?
呂蒙が関帝様を倒したのではなく!!
陸遜の知恵のおかげで!!
呉軍はなんとか!!
武勇・兵法が素晴らしい関帝様に勝てたのだ!!
(俺は関帝様がとても好きです^^)
徐晃ですねぇ!!
曹仁は徐晃が来なかったら
ハン城を75%ぐらいの可能性で
取られていたからねぇ
(徐晃が関羽の隙を突いていったのが大手柄だと思う)
>>819 個人的にはもはや呂蒙が一武将に留まらない存在になったと見るけどね
士族をうまく取り込んでこその州陥落だろうし、
関羽がしなければならなかったはずの軍事のみによらない統率を行った点を評価したい
まあ、孫子も乱世の時代の人だけどな
>>828 一応、完全な形でないが事例がある
荊州攻略の呂蒙と、麹山での郭淮と陳泰。
呂蒙は、自身の病を利し、さらに陸遜を配置して関羽を油断させ兵を遠ざけ、
瞬く間に公安、南郡を降伏させた後、見事な軍政を行いそれを計略に転換させて、
関羽から兵力を悉く奪っている。
麹山で陳泰は、麹城に籠城する句安らと交戦せず包囲して干上がらせ、
救援に来るであろう姜維の退路を断つことによって虜にすることを進言。
採用した郭淮によって実行されたが、姜維は危機を感じて退却。
句安らは孤立無援となり降伏した。
この両者は、正確に先を見通し、
敵将あるいは敵兵に行動の選択肢を与えず自身の意図を強要している。
完全に戦わずして勝利したわけでないにせよ、孫子の申すところを良く行ったと言えると思う。
>>829 そうだね、俺もこれに近似するとまではいえないけど、曹操のギョウ城攻囲なんかは
思いついた。
包囲したところで軍を転進させ、周辺の諸城を攻略して兵站を切断し、袁尚軍を撃退
して救援を断念させたあたりは、麹山での戦いと似通うところがある。
825
って関羽のファンでしょ^^
834
さぁ・・・・・?
832
って825と同一人物でしょ^^
違いますよ^^だって824を見てみ〈^−^〉
関帝「関羽」が好きって言ってるじゃん^^
どうして「関羽好き」となると変なのばかり涌いてくるんだろうな
そうですよね〜
840 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 12:53:20
普通に魏の一番手柄は曹仁でしょう。いくら徐晃が良くてもハン城落ちてたら、
どうしようもないし、さらにハン城は魏の荊州の最重要拠点だから、ここを
守り抜くのは荊州の魏領を守り抜いたに等しい功績だよ。ただでさえ、荊州は
どの陣営にとっても失えない重要な場所なんだし。
危機的状況下にある篭城軍が勝利した場合、世評や功績は解囲に成功した
救援軍の将に帰す方が多いけどな。
呉楚七国の周亜夫とか、邯鄲を救った信陵君とか、鉅鹿で勝利した項羽とか、
状況や条件、重要性の軽重なんかも大きく関係するけど、包囲に陥る状況を
生んだのはおおむね守将にある。
篭城する事で攻囲軍を拘束したうえで来援する友軍で撃破、といった戦略が
あるわけでもないかぎり、守将はさほど評価をうけなかったりもする。
曹仁の場合、対岸の襄陽ともなんの連繋もとれないまま苦境に陥ったわけで、
抗堪力はたしかなものがあるけど、作戦・戦術の面でみると傑出してはいないね。
842 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 13:24:21
でもこの後荊州だけじゃなくて、益州ら三州を統括する司令官に昇進してるし、曹叡の時
建国に特に功績があるとして曹仁は、惇とかと共に、特別に称えられているが、俺は、以前まで
の手柄もあるだろうが、元勲になれたのは関羽の猛攻から、荊州を守り抜いたことが、特に評価された
おかげだと思うんだが。当時の魏内部がどんな状況だったか詳しくはわからないけど、徐晃だけの働きで
うまくやって勝てただけなら、荊州の司令官が他の人物に変わってもいいはずじゃない?
総じていえば、元勲であり、荊州の事情に最も通じ、呉蜀双方に対して実績を
もって知られた人物、ってところだろうな。
周瑜・関羽の侵攻に対して抗しえた存在、というのは宣伝効果も大きいかも。
曹仁は、徐晃が来なかったらハン城は陥落していたぞ!!
曹仁がピンチになったのも、宇禁のせいだと思うなぁ〜〜^^
(゜∀°)キラン!☆☆(・ゝ・)フ―ン
>>845 宇禁って于禁のことですか?
もしそうなら于禁のせいになる理由を教えてもらえますか?
実は漢中戦あたりで、こっそり関羽と張飛は入れ替わってたんだよ
だから戦歴も逆
はい^^そうですよ^^
理由は、宇禁が陣を動かしたせいで、関羽の策にハマって、
宇禁が捕らえられたことが問題だと^^
>>848 関羽の策にはまったのではなく急な災害で捕らえられてしまったのでは?
>>848 いや……学習能力が無いのか? あんたは
”于”禁、だって
>>846がわざわざ訂正してくれてるじゃないか。
それに
>>849のいうとおり、関羽はなにも策を弄してはいないよ。
ついでに、つまらんコテハンと意図的なage行為は慎んだ方がいいよ。
また変なのが沸いてきたな・・・。
以後スルーで↓
852 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 17:02:00
最近の三国志人物伝の曹仁見ると、どれも関羽から荊州守ったことが特筆され
てるな。なかには生涯最大の功績って書かれているものもある。俺が持ってる本
でも、奴の粘り強さのおかげで魏は荊州失陥を免れたって書いてあるし。
戦術は、徐晃に一歩譲るだろうが、粘り強さは魏の将でダントツに一番だと思うな。
汝南の劉備も破ってるYO
今更かも知れないけど正史を知らないんで誰か教えてくれんか?
なんで呉は関羽を攻めたの?
855 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 19:29:20
元々荊州襲撃構想もあるが、確か関羽が孫権のガキを犬の子と言ったり、捕虜にした
ウ禁配下の三万の兵が関羽に降伏して兵糧が無くなったから、呉軍の兵糧を強奪したから
とかそんな理由だと思う。関羽もそんな暴挙するなんて、バカだけど、ハン城で曹仁
が粘ってなかなか落ちないから、かなり焦ってたんだろうな。
>じゃあ一応曹仁も関羽を撃破したことになるな。とすると、荊州防衛プラス関羽撃退
>ってことになるが、これはかなり凄いことじゃないか?
>元勲になれたのは関羽の猛攻から、荊州を守り抜いたことが、特に評価された
>おかげだと思うんだが
このスレの人間は、関羽はヘボ将とか、曹操の遷都案は過剰反応など言っているが
曹仁、呂蒙を誉める際には、関羽撃破を大手柄として挙げる。
関羽がヘボなら、曹仁・呂蒙の功は大したことないんじゃない?
どっちなんですか〜〜〜?
>ガキを犬の子と言った
↑は演義
呉が関羽攻めたのは荊州が欲しかったから。
ヘボだろうが何だろうが、敵に勝てば手柄となる。
相手は関係なく、あの状況下でハン城を守り抜いた事は、
高く評価しても良いのでは。
このスレでも野戦将軍としてなら、それなりの高評価じゃん
>>あの状況下でハン城を守り抜いた事は
「あの状況下」での曹操の遷都案は関羽への過剰反応、過剰評価。
「あの状況下」でハン城を守り抜いた曹仁を高く評価する。
関羽は脅威だったの?脅威でなかったの?
864 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 20:21:40
関羽みたいなクソ武将が中国じゃ神様だもんなwwwwww
まったくシナ人は昔からバカばっかだなwwwww
曹仁が守り抜いたから遷都案が過剰反応といえる程度の状況になった、
とかひねくれた論を展開しておく。
遷都に賛成した人っているの?
居たとしても記録はされないだろうな
所詮その程度の人間だ
868 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 20:47:33
なんかグダグダで日本シリーズみたいだな。
で話戻すと、戦だけなら、関羽は相当強いのは間違いないと思われる。天災でウ禁に
勝ったとかいうのは、結果論にすぎないよ。曹操が信頼したウ禁を撃破したのは
魏には脅威だよ。しかもこの後の関羽が軍船を用意して、ハン城を攻めてる辺り、
ウ禁は関羽の水攻めに敗れたと思う。で次に曹仁だが、篭城戦は、守備のうまさも
必要だが、兵の士気が無ければできない戦法だ。兵の心理は変わりやすいだろうし、
元々曹仁は関羽に急襲されたらしいから、この上は援軍を待って、それで撃退しよう
としたと思うが、援軍のウ禁が全滅した。曹仁はどう見たかわからんが、城兵は、援軍
が惨敗したから、逃げたくなっただろう。彼らは魏に大した恩もないだろうし。
さらに水が城内まで入り、城自体が水没しかけ、兵糧も底を突きかけ、さらに援軍も
全く来ず、関羽の完全包囲とこれほどの絶望的状況で、曹仁は決死の覚悟で城兵を励まし、
徐晃の援軍が来るまで守り通した。しかもハン城は当時魏の最重要拠点で、荊州の魏領
の中心ともいえる拠点だから、荊州の魏領の失陥を防いだも同然の働きだろ。関羽撃退
には徐晃の働きが大きいが、曹仁も長期篭城にも関わらず、城から打って出て、撃破
に貢献してる。普通に関羽は脅威だろうし、それを防ぐ曹仁も凄いと思うよ。
870 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 21:33:22
落城していたら三国志の中での影響力は大きいし、曹仁の
能力も高いのだろうが、この篭城に関してだと、3ヶ月だ
った事、徐晃・張遼・裴潜・曹操の援軍がある事、餓死者
が無い事等、絶望的な中で4ヶ月の張超、6ヶ月の審配と
比べて有利な状態での篭城だと思う。
何か中学生のレポートみたいだなw
まとまって無くて全部書いただけだから0点
>>863 脅威はあった。だから司馬懿、蒋済は呉を使えと進言した。
要は曹操と司馬懿、蒋済では脅威のとらえ方が違ったということ。
呂蒙の功は荊州平定。これは文句なしに大功。
曹仁の功は重要拠点であるハン城を守り抜いた事。
于禁の降伏、城の浸水、食料の欠乏といった状況を考えると守りきったことは評価できる。
大がつくかどうかは微妙だけど。でもこの件で昇進したり加増されたりはなかったような・・・。
つまり相手は誰でも良かったんだよ。
と、とりあえず関羽に否定的な意見を書いてみたが
このスレでの評価は将軍としてはそれなりで、司令官としてヘボというものだと思う。
関羽の水攻めがあったとすれば
>>868に同意。読みにくかったけど・・・。
868は文章の内容的にはイイと思うよ。
ただ、改行きぼんぬ。
>>870 違ってたら悪いが二人とも最終的に落城してるよね?
曹仁と比べれば不利な状況だし、その期間持ちこたえたのも凄いと思うが
篭城ってのは敵を撃退するための時間稼ぎなのだから
それができなかった二人と比べるのはどうだろう。
まぁ、上を読んでいけばわかると思うけど、
「曹仁、呂蒙を誉める際には、関羽撃破を大手柄として挙げる。」
ような意見を出すのは関羽を”名将”とする人間なんだがな
まぁ、釣りだろうけど結構盛り上がってるので言わせてもらえば
呂蒙は「戦わずして勝つ」を実践したといっても過言ではない勝利だったことが高評価の理由
どんな相手だろうとあそこまで策が見事に決まれば評価されて当然だと思う
877 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 23:17:28
>>875 そう落城しています。彼らも3ヶ月たち援軍により包囲が
解かれていれば功績となったはずじゃないかな。
呂蒙に失点があるとすれば、直後に死んだこと。
大手柄なのはやはり曹操の恐れた武将を撃退したことにある。
関羽も呂蒙もすごい武将なのだ。もし関羽がへぼいならなんでこんなに
たくさんの武将で取り囲む必要があったのか?それに関羽が司令官として
劣るってのもそれは陸遜とかに比べると劣るってことなんだろうな。
そうでなければ大手柄ってことに矛盾が生じる。へぼなのにたくさんで
囲んで倒したなら呂蒙、徐晃、曹仁の能力はそのへぼ以下になる。
880 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 23:42:11
曹仁は直後に加増されてないが、曹操の死がすぐだから、加増する気があったか、
分からない。しかし、曹ヒ即位時に荊州だけじゃなくて、益州とあとどこか忘れた
けど、統括地域が三州に増えて、車騎将軍にもなってるから、この時加増されたと見て
いいのでは?
ところで疑問なのが、大将軍と大司馬に奴は共に就任したが、どっちのほうが、官職
は上なんだろうか?あとこの二つの職務をそれぞれ知ってる方に教えて頂きたい。
>>879 そうだよな!
さらに陸遜、ウ禁、満寵、ハンショウ等等。
1対7なんて呂布でも勝てねえよ!!
(・∀・)カエレ!!
>>879 禿げ同
関羽は魏にとって大いなる脅威
で、その関羽を防いだ・撃破した曹仁・徐晃・呂蒙も高く評価する
でいいと思う。
魏的にはあのタイミングで軍事的脅威と言えるのは
荊州方面だけなんだから関羽相手じゃなくても
気合い入れまくって当然だろ
(・∀・)カエレ!!
>>886 おまえは敵の実を知らずに戦をするのか?
脅威の大小は敵将に因るところが大きいと思うが。
敵将が誰であろうと関係ないっていうのは
例えば、呉にとっての張遼の脅威や(泣く子も黙る張遼の逸話)
馬超の劉備軍への帰順が、劉璋の降服をもたらした事実を否定するようなもんだ。
(要はネームバリューの有効性)
>>887 つまり、曹操は関羽の脅威を過大評価し((((;゚Д゚)))ガクガクブルブルしてると
司馬懿と蒋済が( ´ー`)タイシタコトネーヨと突っこんだわけだな
>>889 そして、その大したことない関羽の攻撃を耐えた曹仁の功も大したことない。
吉本・烏丸・侯音・夏侯淵戦死・漢中撤退・魏諷
これだけ凶報が続けば弱気にもなるだろ。
>>890 荊州軍事総督の全力を挙げた攻撃を退けたのだから功は大きい。
曹仁の能力を量る場合にはこの戦で大きく評価を上げることはない。
これじゃ駄目か?
曹仁「荊州軍事総督の全力を挙げた攻撃を退けたのだから自分の功は大きい。」
司馬懿・蒋済「荊州軍事総督の全力を挙げた攻撃だったけど( ´ー`)タイシタコトナカッタヨナ」
>>892 う〜ん、関羽を荊州軍事総督に置き換えてたところで、
その脅威を否定する以上、曹仁の「大手柄」への疑問は変わらないなぁ。
魏を脅かす脅威の大きさと、曹仁の手柄は大きくさは比例するのだから。
誤字スマン
正:魏を脅かす脅威の大きさと、曹仁の手柄は大きさは比例するのだから。
関羽が大した事ねーなんて
一言も言ってねーよ
ちなみに俺は関羽ファンだコノヤロー
>>886の文章の本意を読みとれませんか?
(・∀・)カエレ!!
896 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/17 09:58:44
一部で関羽弱いとか言う奴いるが、普通に関羽強いと思う。正史の伝でも劉備配下
では一番最初に描かれてるし。状況を見れば、曹仁の危機、荊州一帯が、関羽の謀略
で、蜀側につく奴が多く、ウ禁も降伏した。さらにハン城取られると、許昌まで、
簡単に行けるようになる。一国が遷都するのは、天下に大きな影響を与えるだろうし、
世間も魏大敗で首都放棄したら、曹操の信望は大いに下がり、覇業も危うくなるから、
曹操がびびるのも無理ないだろう。
司馬イや蒋済が曹操にどこまで忠誠心があるか分からないしね。彼らは支配者が曹氏じ
ゃなくてもいいから、曹操とは違い、冷静に物事を見れたんじゃないか?
曹仁の功について言えば、やはり大功といっていいと思うが。孤立無援という言葉が
あるが、ハン城の曹仁はまさしく徐晃が来るまで、そんな状況だし、ここ失えば、荊
州失うし、許昌を一気に取られてた可能性もあるし、そうなれば呉も逆に合肥や徐州を
攻めてるだろうしね。
結果論だが、俺が曹仁の功績を上げるとしたら、まず戦略的に最重要な拠点を守り、
絶対的不利な状況を耐え抜き、荊州を守ったこと。
次に、徐晃の働きに依存する所が大きいとは言え、一応関羽の包囲陣を撃破したこと
だろう。
最後に曹仁がハン城で粘ったおかげで、関羽は、荊州軍を北伐に大量に使う結果になり、
呂蒙がその隙をつける要因を作ったこと。
この3つの功績をみれば、曹仁に大功があるのは明白だと思われる。
強いとか弱いとか、ガキじゃねーんだからさ・・・w
結果論だけで人物評価しようとするアフォもアレだけど。
仕方ないよ。だいたい荊州のことだけで関羽を評価してるやつだらけだしね。
その中では896のような意見は正当な評価と言えるだろう。
晩年の評価だけで強い弱い言ってるのは非常にナンセンスだけどね。
>>898 あたかも正論の様に語っているが
関羽が”将軍”として”大軍”を率いた記録で考察できるものがない以上
>だいたい荊州のことだけで関羽を評価してるやつだらけだしね。
この評価が仕方ないものであることは当然。
関羽の才を否定する様な意見を語っている人間も、
顔良の件など関羽の部隊長としての能力を否定しているのではないことも含まれていない。
あと直接は関係ないが、「兵一万」の評を述べられるたび、
直前に関羽が魏将に敗北しているのも何故か触れられていないのが何とも
兵一万云々って流浪時代の評価じゃないの?
901 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/17 11:16:00
曹仁=関羽=呂蒙
曹仁・徐晃>関羽
曹仁・呂蒙>関羽こんな感じ。
そりゃあ、魏と呉で挟み討ちにされりゃ誰だって負けるさ
そりゃあ、後背地の守備無視で攻めちゃ誰だって挟み撃ちされるさ
いや、誰でも挟み撃ちされるワケじゃない
>>900 流浪時代の評価でも
後世の歴史家が史書に記載に値すると思ったから書いたんだろ。
それだけでも、頼れる資料だと思いますが。
906 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/17 12:17:21
どうでもいいが、光栄の出してる無双の本だと曹仁の最大の功績は関羽撃退とあった。
俺も三国志の本はかなり持ってるが、奴の場合どれみても、関羽撃退が書いてあるから、
当時はかなり武名を上げたと思われる。演義ほどではないが、どの本でも関羽強いで一致
してるから、関羽ヘボ将はあり得ないだろう。ところで徐晃は、正史じゃ無敗だが、
本当かな?そうならばもっと最強の名将としてプッシュされてもおかしくないのに、
魏将で最強は曹仁か張遼って意見が多いし。
907 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/17 12:26:06
関羽は兵卒には優しかったが、自分と同じ将軍職にあるものに対しては傲慢になるところがあったらしい
劉備が関羽に荊州を守らせるとき、孔明が「東とは和をむすび 北と対をなせば荊州は安泰」と忠告していた
・・・が後に関羽の娘と孫権の息子との縁談を「虎の子と犬の子では結びつかぬ」と断っている
これが原因?で魏と呉が軍事同盟を結んでしまう また ビジクやフシジンなどが裏切り行為に走ったのも
日頃の関羽の態度を快く思っていなかったらしい
孔明の忠告に反する状態でも魏の都を突こうと考えた関羽は”自分>人”であり”人の意見<自分の考え”
みたいな脳内処理が働いて判断を誤る事が多々あったとおもう
ちなみに孔明はその性格を見抜き弱点であることを知っていた
関羽の脳内処理的な性格についての話はまだ沢山あるけど決定的だったのはこのあたりではないでしょうか?
>>905 >あと直接は関係ないが、「兵一万」の評を述べられるたび、
>直前に関羽が魏将に敗北しているのも何故か触れられていないのが何とも
に対して、流浪時代の劉備が他勢力に勝てるだけの戦力なんか持ってなかったのだから、
そのころの敗北はそこまでの減点にはならない・・・と言いたかった。
909 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/17 12:41:55
ニューガンダムは伊達じゃない
関羽は伊達雑魚ちなみにあるぱぁージールみたいな感じ〜
ちんこみたいにデカイのにリィガズぃのミチャイル一発でアボぉーン♪
ぷぷぅ
>>906 コーエーをなぜ信じるの?
>>907 中学生か高校生だな?
登場人物の名前と全体の流れをある程度覚えたら、
次は「図解雑学三国志」や「三国志新聞」や
「三国志の迷宮」あたりを読みなさい。
それと、投稿前にとりあえず過去レス読むのは基本
>>910 とりあえずは正史を勧めてやれヨ!
で、合わなかったら〜〜だろ
>>899 >関羽が”将軍”として”大軍”を率いた記録で考察できるものがない以上
俺的考察では、劉備が任命>曹操の評価>貴殿の考察←判断材料として
なワケで大軍を率いる能力は充分に有ったかと
欠陥だらけで、荊州地域の長官には不向きだとは思うけども。
915 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/17 14:24:06
朱桓に負けたのは、先鋒だけだから、そこまで曹仁の減点にならないと思うが。
むしろ虚報を用いて朱桓をおびきだした辺りは見事だな。徐晃は、有名
な相手で戦ったのは関羽だけだからね。それ以外は、二流の相手か、反乱軍鎮圧
だけだから、それで無敗でも最強とは言えないかもしれん。
張遼は孫権軍の本隊を大破してるし、曹仁は周喩とほぼ互角で、関羽撃破、さらに
汝南で劉備も破ってるから、この二人のどちらかが魏最強の武将だと思う。
魏スレとまるで違う評価だな
>>914 貴方の考察には、正史における関羽の行動の記述が判断材料としてないのですか?
寡兵の甘寧に渡河を阻まれた事などは、判断材料にすらならないのですか?
それとも、そういったマイナス面を考慮した上で大軍を率いる能力が十分だといっているの?
>>915 いちいちageんなよ
>>917 そりゃまあ当然、一応は考慮して言ってますけど‥
>>918 それなら良いのよ
曹操や劉備の評価のみを根拠にしてる人が多いから
挟み撃ちにあったってのは関羽が逃げなかったから受けたわけだ。
よく言えば義に基づいた勇気ある行動。
悪く言えば無謀にも勝負を挑み敗北。
関羽には当然諸葛亮や呂蒙のような駆け引きの能力はなかった。
>>907 >・・・が後に関羽の娘と孫権の息子との縁談を「虎の子と犬の子では結びつかぬ」と断っている
>これが原因?で魏と呉が軍事同盟を結んでしまう
蜀の一武将に縁談断わられたくらいで、国の基本方針曲げるほど、孫権もアホではない。
それに何度も出てるが、犬の子云々は演義の話し。
907は演義が何かも知らないかと思われ
次スレ立てる時はココが正史基準で語られている事を明記した方がいいかと。
もちろんスレタイにも分り易いように明記しておこうよ。
あと、「過去ログ読め!!!」も追記な
>>920 >挟み撃ちにあったってのは関羽が逃げなかったから受けたわけだ。
>よく言えば義に基づいた勇気ある行動。
>悪く言えば無謀にも勝負を挑み敗北。
>関羽には当然諸葛亮や呂蒙のような駆け引きの能力はなかった。
自分の拠点が落とされるかもしれないって時に義、勇気、勝負を挑むなんてことを
考えていたとすれば関羽は池沼だな。逃げなかったってw
関羽は南郡がそんなに簡単に落ちるとは思わなかった。
このまま包囲を続けるか、南郡に戻るか迷っているうちに
徐晃に敗れ南郡も落とされていた。
926 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/17 16:43:52
赤壁の敗戦後・・・
荊州の関羽に対して、魏は襄陽に曹仁を配置し備えるわけだが・・・
実は曹仁は二枚目でハンサムgay、そしてセクシーだったらしい(正史より)
そんな彼をモーホーの呂蒙が気に入り 打倒関羽 に発展したらしい
それを思うと関羽は成仏できんだろうなぁ (=人=)合唱
927 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/17 16:54:43
荊州ってホント重要な場所なんだろうな。ある意味、荊州を治めてた三人が、各陣営
の最強武将と言えると思うな。だが、曹仁がハン城守るとき、兵はわずか数千らしい
が、意外に兵少ないよな。確か征南将軍だから、数万ぐらいの兵がいてもいいはずなのに
どこいったんだろう?
呉=コウモリ
合肥の時もかなり手薄にしてたし、呉蜀を舐めきってたんだろうな、魏は。
大兵力を中央から離れた場所で維持するのは
負担が大きすぎるのが一番の原因だとは思うけど
辺境に大軍張り付けるよりは
多少手薄でも軍事行動が起きた後に遠征する方がお得だからね。
戦乱でその負担に耐えれるだけの生産力が無くなってきたってのもあるかね
荊州は赤壁の戦役以降、相当に荒れたろうからな
>>927 北は洛陽、許昌を望み、西は益州の地を覗き、
東は陸口、呉郡に通じ、南は交州に通じる用武の地。
曹操も赤壁まで追撃せず、荊州統治を最重要視してれば
孫権の方から降伏してきたかも知れないぐらいの土地です。
>>927 曹操の時代、基本的に地方の戦力は多くなく、変事に応じて曹操が中央軍を
率いて対応する、という形態が主流。
(これに懸念を示したのは皮肉にも司馬朗だったりするが)
督州諸軍事の制度が確立し、軍管区の戦力が拡大されたのは曹丕の時代以降。
その分、地方での叛乱が大規模に発展する可能性が高いのは、文欽や毋丘倹、
諸葛誕らが実証してる。
ひとつ考えられるのは、関羽の北進時は農繁期と重なるってことかもしれない。
>>932 それは無いでしょ、軍閥同士で年中ゴチャゴチャやってるよりは
3国で戦ってる方が国力溜まってるはず。
937 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/18 13:44:13
曹仁って荊州で何度も戦ったよな。まあ江陵は、支援もなかったから、保守できなかったが
それ以降はしっかり襄陽以北の魏領を死ぬまで守り抜いたから、曹操の信頼に十分応えた
と言えるだろう。他の武将だったら、関羽に取られていただろうか?
>>915 擁護もけっこうだが、「孫礼伝」「蒋済伝」も参照した方がいい。
>>936 関羽の北進時期って軍閥のゴチャゴチャが終わって
三国の争いに移行する時期だろ?
そんなあっさり国力が回復するものか?
こういう戦乱の時期が長く続く原因の一つが全体的な生産力の低下だろう。
たしかに関羽との戦役で襄陽・樊城の荒廃はすすんでる。
文帝即位時に、いったん焚却して呉の手に移ってるくらいだから。
その後にほどなく奪回したけど。
だけど文帝期には税政の改革や大規模な移民に伴う広範囲での租税の
免除などを行う一方で、呉への大規模な軍事行動も行われたから、この時期
になると曹操の時代に進められた中原の回復が実を上げてたとは思うよ。
941 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/18 15:50:01
蒋済伝は読んだが、孫礼伝にどんなこと書いてあるか教えてくれないか?家に正史
無いので。曹仁、あの遠征の直後に死んだから、指揮能力がだいぶ低下してたように
も思えるんだけど。
>>941 偉そうな書き方になってて謝るほかないんだけど、「孫礼伝」はこちらの記憶違い。
ただし濡須での戦いに関していえば、曹仁・蒋済・朱桓らの伝をつきあわせてみれば
曹仁に戦術眼に欠ける事と作戦に柔軟性の乏しい事は容易に察せられると思う。
ふりかえってみれば曹仁の戦歴は野戦と防衛戦が殆どで、拠点攻略での実績に
乏しいのは確か。
>曹仁、あの遠征の直後に死んだから、指揮能力がだいぶ低下してたように
>も思えるんだけど。
それは擁護としては根拠の欠片も無い以上、あまりに御粗末じゃない?
当時の曹仁は大司馬。
ともなれば幕下には長史・司馬・軍師といった補佐すべき属官がいるし、
その中には蒋済もいる。
曹仁の年齢を思うと、軍人としてはちょうど円熟した時期にあるし、耄碌したとは
とても思えないけどね。
943 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/18 22:03:07
確かにこの戦いは曹仁のせいだな。でもほんとに拠点攻略苦手だったのか?なんか
曹仁伝見たら、前半エン紹戦や陶兼戦でも、県とか落としてるし、曹ヒの代には、
一度破却した襄陽を奪還したりしてるから、本当はどうなんだろうかな?
ただ防衛戦の上手さは魏一番だと言っていいと思うけど、どうかな?
>>943 初期の功績の中では、曹操が引いた作戦のラインを忠実にこなしただけかもしれない
実行力の優秀さを損なう話じゃないが、自分で作戦を起草し取捨選択する部分は不得手
だったのかもしれない。
篭城戦は普通相手の書いた構想の中に対応して動く的確さと確実さは要求されるけど、
自分で構想を描くのはあんまり得意じゃなかったのかもしれない。
ま、全部が全部最強の武将なんてそうそういるもんじゃないし、苦手の1つや2つ
あっても良いんじゃないかな?
945 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/18 23:12:12
まあどんな武将でも何らかの欠点はあるしね。関羽戦なんて篭城戦の見本のような
戦い方だったし。でもよく大将軍、大司馬になれたなと思うよ。だってこの2つの
職務って自分で作戦起草するような重職で、並の武将と違い王同然の独立した扱いだ
し。確か関羽戦でも荊州方面の総司令官だったよね?
>>943 壺関での献策をみれば拠点攻略苦手ということはないと思う。
ただ初期に関しては
>>944の意見は的を射ていると思うし、
襄陽は詳細がよくわからない。どっかに載ってたっけ?
>>944 曹仁は周瑜、朱桓に戦術で劣っていたとは言えるだろうけれど
江陵に関しては+評価が多いだろうし、濡須も大敗ではない。
劉備戦をはじめ野戦でも勝利は数多いし、作戦立案が不得手と言う程のものだろうか?
まあしかし個人的な曹仁のイメージは用兵の鬼って感じなんだが。
天上世界のときのように戦術の失敗を神懸り的な用兵で挽回みたいな。
なんか自分でも何書いてんのか分かんなくなってきた。結論は
>>944に同意なのか?
947 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 00:00:32
関羽戦の後に、襄陽奪還は曹仁伝にあるよ。しかも、意外にその付近の住民を移住
させたりと、政治的なこともしてるのに驚いたな。南は完全に曹仁が管轄してたよう
だね。
>>947 スマソ。曹仁伝以外でってことだったんだよ。
あれだけじゃ状況がさっぱりわからなかったもので。
陳邵なんてあそこにしか出てこないし。
移住は張コウとかもやってるし指示があったのかもしれない
曹仁の立場でいえば自分の発案であったとしても不思議ではないけど。
949 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 10:57:59
ただ曹ヒは曹仁をかなり信頼してたみたいだから、任せてた可能性もあるかも。
その後も諸軍を率いて、烏江を制圧して、揚州の政治も多少やってたみたいだから、
晩年はかなり権力があったようだな。後に大司馬になる曹真はそれほど、政治らし
きことはしてないし、元勲だから曹仁は別格の扱いだったのかな?
関羽は、陸遜を甘く見ていたから、呉に捕まり、斬首されたんだなぁ〜
孫権が浅はかだったから関羽を斬ったんだよ。
関羽と同じ状況になったらうまく切り抜けられたであろう武将はいるかな?
まあ陸遜とか孔明だったらこんな状況になる以前に挟み撃ちなんかされないだろうが。
最期の最期の状況を切り抜けられるとは思えないね
曹仁からあっさり城を取る事なんてできないだろうし、徐晃に勝ったところであまり意味はないし
ただ、藩濬の件は関羽だからこそ招いたことなのだろうから、
アレがなかったら命からがら逃げ延びる時間ができないだろうか
藩濬の件
って何?
まあ、関羽の攻められるべき点は、あの状況を招いた戦略眼と政治センスの欠如であって
必ずしも兵を率いて戦う能力の不足といい切れないんじゃないかな?
他の名将でも同じ状況を覆せたと思えないといってる以上、関羽の戦術・用兵が劣ってる
証左にはなりえないって事で良いよな。悪くない証拠でもないが。
都督の器でなかっただけ
董督じゃなかったっけ?
>>959に同意。
結局のところ自信過剰と経験不足が招いた悲劇だろう。
戦う経験ではなく戦略を用いる経験がね。
なんにしても、兵力も兵站も不足。
荊北を攻める以上は長期戦になるのはわかりきってるんだし、
襄・樊の二城が容易く落ちるはずもないんだから。
>>850 人を責めるな!!そんな奴は!!!
(´ゝ`)プッ
関羽は、王甫が気をつけろ、って言ったのに、
呉軍を甘く見ていたので、
呂蒙の策に引っかかり、捕らえられた・・・・・
すいませんm(_)mくだらいない様なことを言ってしまい。
王甫は夷陵で死んだんじゃないの?
曹操は漢中で劉備に負けて、劉備軍には当陽までには無かった高度な戦略(strategy)や
作戦(operations)能力が備わっていると思い知らされた。
その上で、戦術(tactics)や用兵(tactics)面では高く評価し個人の戦闘力は当代1,2
という評価の関羽が攻めてきた事で。
関羽+法正の作戦+諸葛亮の兵站の強さを想定して恐れたんじゃないかな?
で、漢中での敗退を直接経験せず荊州の動静を見てた司馬イ達には劉備軍そのものへの
怖れは存在せず。冷静に分析し呉の思惑も組み入れたから怖れ無かったんじゃないかな?
ははははは
>>971 個人名を出すなら恐れたのは関羽だけでいいと思う。
別に漢中や巴蜀との連携を心配していたわけではないから。
もちろん劉備軍に対する意識は以前とは変わっているだろうけど、
遷都案が出てきたのは七軍の降伏、関羽の存在が主要因で
他にも
>>891のような内乱・外憂が多すぎたこともあるだろう。
>>971 曹操と司馬懿らの認識が違うのはおそらく関羽に対する評価。
程c・郭嘉の言から考えると関羽は昔、なんか凄いこと(多分個人能力)をやった。
けど司馬懿らはそれを知らなかった(若しくは詳しく知らなかった。)
簡単に言うと曹操の評価は演義の関羽、司馬懿らの評価は正史の関羽といった感じ。
七軍の降伏で曹操は関羽の過去の武勇から関羽を恐れる。
司馬懿らにとっては災害で軍が失われただけで関羽とは結びつかない。
その結果冷静な判断が出来たと。妄想だけどね
関羽の驕った性格を読まれてたんじゃない
燃料投下…か?
>>976 そこのページ、あらゆる微細に入って
関羽を非難しまくってるからなぁ…余計な仕事を感じる。
相当関羽が嫌いなんだな。もしくは教育的。
>>974 曹操も関羽の性格を見抜いてると思うけど。
俺は曹操を、結構思い付きの多い武人的カリスマの人だと捉えてる。
関羽と結構被ってるかもしれないという妄想。
あと、潘濬関連知らないヤツらは調べろ。
俺はだいぶ前に“潘濬”って書いたのに、誰も反応しないし。
糜芳を無能だと思ってる人も多いかもしれない。
もすの論法で逝けばどんな事跡・評価も「虚構虚飾の類」にできると罠
>関羽の評価が虚構なら関羽の失敗や戦功が無いことなどで辻褄が合うし
まあ劉備が荊州の責任者に任命してるという事実だけで
発言者が難癖つけてるだけなのは、ふつう分かると思うけどね。
>>980 あのサイトの管理人。
むかしは有名だったのになぁ・・・
>>976 >士人達の関羽評価
この部分についてはそれなりに納得できる。
しかし、全体的に悪意が先行してるし、
劉備が兄になってたり、
関羽を捨て駒扱い(荊州に捨て駒置く位なら呉に返還しろよ)
したりと突っ込みどころも満載。
>>978 そういう一面はあるかも知れんが
その二人は能力が違いすぎて比べる対象ですらない。
潘濬の件を索引で調べてみたが分からん。
誰の伝を読めばいいの?もしかして原文?
潘濬は潘濬伝だろ
>>984 関羽と全然絡んで無いじゃん。
関羽と潘濬の絡みなんて季漢輔臣賛に少しあるだけで
>>957のいってる潘濬の件とかアレとかはどこに載ってるの?
関羽に難癖と言われてもおかしくないんだろうけど、もし虚構じゃないなら
魏が恐れるどんな戦功があったのか、という疑問が残るんだが。
関羽は蜀だから史書に残らなかったとして、
魏が本当に恐れるなら魏や呉の史書に何らかの形で書かれていないとおかしくないか?
それについて、何か意見お願い
>>986 >程c:「関張は一万に敵する」
>直前に楽進や徐晃に敗走させられた人物を何故そんな高評価するのか不明。
>もし、事実だとしたら「一万の敵を破った味方がいるのに一万の敵を恐れている」ことになり、訳が判らない。
例えば↑だが、当時撤退南進が既定路線だった関羽とそれを追撃、捕捉するのが目的の魏将らの勝敗を
単純に関羽の負け、魏将の勝ちと捉えている時点でアレだろ。
また評価が必ずしも実質を伴うとは限らない。
世間的には高い評価を受けながら、実際には能力があったかどうか疑わしい結果を残した人物は数多くいる。
評価・評判に納得できないからといって「評価されたこと」そのものを疑うのは短絡的としか言い様がない。
>>987 単純に勝ち負けでないとしたら、関羽の撤退が見事だったと考えるのが自然だと思う。
で、撤退作戦を遂行した時に評価されるとしたら「兵を良く率いる」というたぐいになるのが普通だろう。
「一万に敵する」というのは攻撃したり拠点を守ったりしたときに評価として下されるならともかく、
撤退作戦で一万に敵するなんて言うのは、あまりにも不自然なのでは?
その文章の信憑性に対する否定にはなっているけど、
関羽の高評価(兵一万)の理由にはなってないような気がする。
今聞きたいのは関羽の兵一万の評価が、虚構なのか?そうでないのか?
虚構である可能性は否定されたとして、どうしてその様な評価がくだったのか?
なんだけど、また反論などおねがいします。
劉備は英雄である上に関羽張飛を従えてるから危険だ、って流れの話じゃなかったっけ?
>撤退作戦で一万に敵するなんて言うのは、あまりにも不自然
程c伝を読む限り、「万人敵也」が荊州戦限定での関羽評価だとすること自体が不自然だろう。
孫権が劉備を殺すという大方の予想に対して
>劉備有英名,関羽、張飛皆萬人敵也
と言って「有能だから殺さないだろう」と予測した話の一節に過ぎない。
また、大勢を占める意見に対する反論だから多少大げさな表現でハッタリをかますことだってある。
関羽の北伐以前になされた評価じゃなかった?
<万人
そうだよ
じゃあ、北伐の失敗を敵万人の評価と
結びつけるのは無意味じゃん。
>>988 撤退における「万人敵也」を普通に受けとめれば、
関羽は撤退する際に追撃する魏将を斬りまくった、でよいのでは
>撤退作戦を遂行した時に評価されるとしたら「兵を良く率いる」
オレ的には「万人敵也」を「兵を善く率いる」と捉えても違和感ないが。
おまえら関羽に難癖つけるためだか知らんが、深読みしすぎ。
程cが関羽の戦いぶり(撤退ぶり)をみて「強いな〜」って思っただけ。それじゃダメなの?
>>994 一体どこからそのような妄想が沸いてくるのでしょう?
なんだかんだ言っても関羽が楽進らによって敗走したというのに
魏将を斬りまくったってなんて根拠がなさ過ぎ
>>994 ほぼ同意できる。
「万人敵也」に起因する事象といえば、白馬での戦功が多分を占めてる
思うんだけど、そこまで実数に拘ってる人はおかしくないか?
”いささか誇張ではあれども猛将である事の証明”
って事で十分だと思うんだけど。
それとも本気で関羽の武勇が兵士一万に匹敵したり、大局を覆せたり、
なんて思ってる人がいるわけ?
書き忘れた。
>ほぼ同意できる。
の前に「二行目を除いて」がつく。
>>995 言葉が足りなかったかな?
>>987の↓の書き込みを前提に言っているのだが。
>例えば↑だが、当時撤退南進が既定路線だった関羽とそれを追撃、捕捉するのが目的の魏将らの勝敗を
>単純に関羽の負け、魏将の勝ちと捉えている時点でアレだろ。
『撤退南進が既定路線だった関羽』が万人敵也の評価をされたとしたら
追撃する魏兵を斬りまくったんじゃないの?ってこと。
程cの発言を言葉通りに普通に捉えただけ。
根拠は?と言われれば、「程cの発言」と答えるのみ。
あと
>>996の言う通り、「万人敵也」=一万人斬ったではないからね。
>>998 >程c伝を読む限り、「万人敵也」が荊州戦限定での関羽評価だとすること自体が不自然
↑これも読んでね
>>999 何を言っているのか
程cの「万人敵也」評価は荊州戦での関羽でないことは、普通に考えればわかると思うが。
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