劉備は本当に英雄なのか?

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1諸葛亮
疑わしいよね。
2無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 19:39
うんこですよ。
3諸葛亮:04/05/02 19:39
>>2
それは言いすぎ
いや、劉備の能力が人並みだったら、蜀が全国統一していたのでは?
単に人気のある変なオサーンとか云いようがない。
5無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 19:47
普通に英雄
>>4
馬鹿じゃねーの?
7無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 19:50
劉備は英雄って感じがしない。
8無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 19:53
>>4
おかしい
9無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 19:55
┏┏イラク人質三バカを「英雄」と発言した左翼の教祖太田光をとりまファンの左翼の極み満載スレ┏┏
問題となった4月21日の太田光のラジオ放送(太田が三バカを英雄扱いして真剣に擁護し、「自己責任などと言っている世間の奴らは本当に馬鹿だ。彼ら三人こそ世界で最もイラクに貢献した」
おまけに「テロはメッセージ」「テロに屈していく国が理想」と発言して大ヒンシュクを買った放送)の話を
下記の、当番組専用スレでするとものすごい擁護をしてくる。 太田教祖の汚点に触れられるのは相当辛いらしい。 即座に別の話題をふって話を変えようとする。
「自己責任などというものは古代王朝の儒教思想の左翼思想なんてもんじゃないぐらい時代遅れな考え方で、
社会契約論の近代国家体制以降じゃ完全に否定されていて
人質3人は税金を払っているのだから他の国民全員の税金を、彼ら三人の為だけに遣う事は正しい。
よって、3人を「英雄」と言った太田に賛成」と擁護するなど、この徹底はすごい。 これでもかというぐらいの左翼発言集団が即座に終結し、太田の問題発言を擁護する。
「2chには右翼集団が工作活動するために常駐している」というのが決まり文句(←これも痛い)。番組関係者が交じっているのかも。
http://tv4.2ch.net/test/read.cgi/am/1082731602
qt26PcBe=Ti7AVPtg=RYURukHbに注目
田舎のヤクザの親分みたいな感じ
>>9
それで?こんなとこまで逃げてきたの?
マルチポスト&コピペにマジレスすんなよ
どうせ見ちゃいないんだから・・・
13陳宮:04/05/03 19:02
劉備は民衆を惑わす迷惑な存在
14無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 19:04
曹操=覇王
孫権=英雄
劉備=梟雄
15無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 19:13
何を持って英雄とするのかって言うのはあると思うけど、
新野での状況から、魏・呉と対向できる国を作ったのを
客観的に見たらやはり英雄でしょう

日本の戦国で、天下統一は出来なかったけど地盤を大きく固めた
各大名達も英雄だと思っているので。

例え私の田舎のような辺鄙な所でも、長宗我部は英雄なのだ!(涙)

どうだろう。」
劉備と曹操が逆だったら、両方とも早くに死んでそう・・・
耳でかいから英雄
19野茂:04/05/03 20:38
漏れも英雄
20無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 20:40
村田だ
21無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 20:43
>>14
あなたにとっての英雄の定義とは?
22ちんちん:04/05/03 20:52
英雄は孔明だよ!劉ちゃんは人柄だけ!
23無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 20:54
じゃぁ何故劉ちゃんは英雄たる孔明に軍を任せず、自ら率ゐてゐたのでせう
ガキがバカだと英雄台無し
25八作 ◆144/FHQQQQ :04/05/03 20:59
手も長い
蜀を作ったのだから、英雄と言えるのでは(実際は孔明が作った?)
劉備は本当に英雄(ひでお)なのか?
なんの目立った才能もないのに
あれだけの人望があったつうのが、逆にすごい
新野の状態からあそこまでいったってのが凄い。
英雄の数には上限が存在する。
だから歴史を重ねればボーダーが上がって英雄から弾かれる者も増える。

例:○○は英雄?
  →英雄ってのは××の様な奴を言うものだ。
  →じゃあ○○はエセ英雄だね!
英雄とは



野茂のことだよ
32無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 16:24
野口秀雄は?
33細胞・調印:04/05/08 18:17
英雄じゃなくて奸雄だね。
とうけんの善意にあやかって徐州を私物化し、
自分は呂布に好い顔しておきながら曹操に擦り寄って呂布を殺させ、
密勅により逆賊を討つと称して曹操を裏切っておきながら、帝の為に働くこともなく
炎症のもとに逃げて、曹操と合戦することをけしかけておきながら
関羽を迎えに行くと称して真っ先に戦線離脱し劉表のもとに身を寄せて、
曹操に攻められて衰弱したエン家を助けることも無く傍観し、
劉表の死去をいいことにけい州を乗っ取り、曹操に手痛い敗北を喫するや
今度は孫権をけしかけて赤壁で曹操と戦わせ、どさくさに紛れて南郡も奪い、
孫権にケイ州を譲ると約束しながら、のらりくらりと約束を反故にし、
益州の劉章に救援を求められると、助けに行くと称して益州を奪い、ついには朝廷の許可無く
勝手に漢中王を自称する。劉備こそ大逆無道の鼠賊である。
中国人の英雄観にぴったり当てはめられた様な人物像だよね劉備は・・・。
本人は無能だが人徳が有り、周りの優れた人物が身を投げ打ってそれに使える。
ただね、実際の劉備がそんなんだったかっていうと、かなり疑問なんだけど。
他の豪族達にかなり頼られてるのとか見てると、とても無能な人間には思えない。
時流を読み、それにうまく乗れることの出来る才能は確実持ってるし。
まあ戦下手だったのは事実の様だが・・・。

>>33
俺にはそれらのエピソードは劉備の人柄の良さを表すものにしか見えない。
情に流される人間って概して結果を伴わないものだし。
35無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 19:13
>>34
そうだね。中国の英雄感と日本の英雄感は結構ギャップがある。
中国では英雄だが、日本では微妙。

色々有るが、あえてパロッて説明するとすれば、
中国は広い国土で言語、文化も違う。特に当時は違う国の集合体と言うイメージ。
だから能力のある将軍、政治化は現場の人で、それらも英雄だけど、
大事なのはその上で、それらの人を引きつけまとめれるかどうか。

劉備を狡猾だから鼠賊で英雄としないのであれば、
初代劉邦なんて、正に英雄ではなくなってしまう。
相当、粛清もありますし、人も状況も利用している。

だから、日本では英雄ではないと言えるかも。
36無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 19:14
劉備が英雄って、誰が言ったのさ? 曹操?
37無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 19:18
物語の主役はたいてい善者に描かれる。
ゴンタも曹操を姦雄として描くわりには宮廷内惨殺などを正当化して描いているし。
>>35
なるほど
雑多な民族が集まる国だからこそ、それをまとめる能力の有る人間が英雄視されるんだね。
黙っててもまとまってくれる日本人を扱うのとは事情が違う訳だ。
トウケンて、曹操に攻められてる状態で助けに行ったんだろ?
こんな人間なかなかいないぞ。
40無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 20:08
陶謙は袁術派だから同じ袁術派の公孫サンの部下劉備が救援に行っても偉くないよ。
偉いとか偉くないとかそういう事じゃないだろ
一応部下じゃなくて客将だろ?

それに呂布はあれは呂布が悪いだろ。
城乗っ取っちゃったんだし。
43無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 20:19
まとめ

劉備=汚れた英雄〈ダーティヒーロー〉

〜〜糸冬〜〜
44無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 20:20
耳がでかい英雄て劉備以外に誰?
45無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 20:31
日本人の英雄像ってどんな感じ?
西郷隆盛みたいなの?
46無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 20:34
マジレスするとヤマトタケル
ヨシツネみたいのかな?
頭に「悲劇の」とかがつきそうな感じだ。
>>45
西郷隆盛は政治的にも軍事的にも優れた能力を持っている。
劉備的な存在になろうと努力して、実際にそうなっただけのこと。
劉備は最初から劉備。
49無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 20:47
織田信長とか・・・。
ワンマンで周りの人間を引っ張って行く様なタイプ
中国はボーっとして何考えてるかわからん人間が好きらしいな。
>>48

そんな違う時代の話されても。
まあ時流に乗るのも英雄の条件なら、劉備の方が圧倒的に上だがw
52無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 21:01
日本の英雄つったら九郎判官義経しかいねーだろ。
>>48
西郷は鹿児島限定の英雄だろ、関東人の俺から言わせれば
英雄どころかカス同然だ。
>>53
オマエみたないゴミカス野郎にカス扱いされる西郷って・・・・
55無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 21:08
>>34
劉備の用兵については昨今擁護論も出てきてる。
無能だったわけじゃないし、当時の状況から考えて
酷く狡猾だったわけでもない。

ぶっちゃけ、
正史厨のイメージする「ただの侠客の頭」劉玄徳も、
演義厨の言う儒教思想コテコテの劉玄徳も、
どちらもほんものの劉備を精確に表しているとは思えないんだよな。
ホント、なにかが違うんだよ。

結構この話題って三國志の根幹に関わるかもな。
56無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 21:09
英雄の英訳はヒーロー。

けどヒーローは名声>実力、英雄は名声<実力。
ってイメージがある。
蒼天航路の劉備像が一番近いんじゃない?
ただの無類のお調子者だったのが事実です
59無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 21:17
>どちらもほんものの劉備を精確に表しているとは思えないんだよな

同意
所詮中国の歴史書なんて事実を描いてるとは言い難いわけだし、
正史を鵜呑みのするのは考え物。
劉備の人物像って、なんか劉邦とか意識しすぎて歪められてるような気がするなあ。
実際はどんな人だったんだろ。
彼の行動を辿って行くと、多少なりとも見えてすると思うんだが。
60無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 21:17
>57初登場時の劉備なら概ね同意
関東人って表現めずらしいな・・・
東京なら東京って言うもんな。
62無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 21:19
劉備は無頼漢の大親分だから893っぽい奴じゃないかな。
劉アニイなんか完全に親分だもんなw
64無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 21:35
まず劉邦と劉備の決定的な違い。
劉邦が非情になり切れるのに対して、劉備は何処までも情の人。
どちらも部下に頼ってる所は共通してるんだが、
劉邦の部下の扱い見てるとホント道具として使ってたんだなあって思ってしまう。
自分が必要とあらばどんな人物でも受け入れて使ってしまう度量の広さを見せるが、用済みとなると情け容赦なく切り捨てる。
彼の元で活躍した部下達の悲惨な末路を見ると、その辺りの彼の非情さを感じる事が出来るだろう。天下を取るのには必要な資質なのかもしれないが・・・。
一方で劉備はこれでもかって程情に流されて、チャンスを逃して居る。
夷陵の件はもとより、徐州、荊州での対応、そしてその最後には、孔明に「息子がだめなら、お前が変われ」と迄いうお人よしさ・・・。
はっきり言って劉備に天下人の資質は欠けてると思う。こんなに情に流されて優柔不断な行動しか取れない人間に国を治める資質は無い。
でも人間的には・・・。
部下達の忠誠心は恐らく本物だろう。利害関係で主従を結ぶのが一般的な世の中で、ただ彼の人徳をしたって使える奇跡のような主従関係が結ばれていたんだと思う。
俺は心から劉備になら使えてもいいと思う。
65無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 21:39
長文ご苦労。

で、どこを縦読み?
>>64
俺は劉備には仕えたくないぞ。
生き残る自信がないw
。・゚・(ノД`)・゚・。

いっしょうけんめい書いたのに〜
68無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 21:44
劉備を慕って仕えても彼が死んだら・・・。
頭でっかちな丞相と馬が合わければ悲劇だし。
喪男から正義!ネカマ出動3
http://love3.2ch.net/test/read.cgi/motenai/1083932517/l50

2ショットチャットで、女に扮して男を騙す。いわゆるネカマになる。
そして、男を引き付けて引き付けて引き付けた後に、
「ここにきてみて」などと言い、↑のスレのURLを出す。
男がそのスレにアクセスすると、「○○!!ようこそ」などと
男の名前コールが・・・。
スレはお祭りのよう。
劉備だって股肱が次々に置いていかれて捨てられた点はおんなじだしw
名古屋人の俺からすれば英雄といえば信長と言いたいが、
ここは、特別攻撃隊員など靖国の英霊たちこそ今の日本の英雄と思う。
72無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 22:35
自分達に無いものを英雄に求めてるんだろうねみんな。
中国人・・・協調性(劉備のような人の仲を取りまとめる事の出来る人物)
日本人・・・積極性(信長のように周りのしがらみに縛られず、行動する事の出来る人物)
あの時代、劉備ほど独裁的なヤツも少ないぞ。
協調よりもむしろカリスマ的に引っ張ってる。
>>71

お前が特攻機乗ってみれば、そんな勝手なこといえないから
75ガンゾウ:04/05/08 22:45
そうか?独裁的だったら曹操だろ。
>>74
特攻隊員は志願制だから。
77偽善者:04/05/08 22:49
英雄の定義はなんですか?
人それぞれ見方がちがうんなら英雄なんていないだろ!”

>>76
半強制されてたようなもんだとおもうが
小林ヨシノリの見すぎ。
>>77
おまえこそアカヒ新聞に毒されすぎw
>>73
ちょっと待て
どこからそんな考えが出てくる

そんな描写有ったか?
まぁ、このままウヨサヨに持ってくのは望ましくないな。

>>79
なかったような気がする。。。
81無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 22:54
中国人は日本での曹操の人気に驚くらしい。
82偽善者:04/05/08 22:56
俺はアカは死ぬほど嫌いだチョ
でも保守もきらいだ、
83無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 22:56
このスレに特攻隊にアレルギーを起すチョソがいます!
>>81
やっぱり蒼天航路を読んだら気が動転でもしてしまうのだろうか。。。
中国人は。。。
85偽善者:04/05/08 22:58
特攻したやつはあほ
家族を非国民よばわりされる事覚悟で
逃げるべきだ。
物故見したやつは偽善者だ。
自分の為に特攻するんだろう
86無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 23:00
偽善者=チョソ
中国では曹操なんて悪人の代名詞。
88偽善者:04/05/08 23:01
>>86
おまえがなー

>>87
中国人は多角的なみかたができないからな
国から提示されたものをそのまま信じてるんだろプ
確か毛沢東が曹操好きなんじゃなかったか。
バカ2匹がスレと関係ない口喧嘩してますが・・・・
詐欺師
92無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 23:04
  Λ_Λ  
  <ヽ`∀´>     ←偽善者(チョン)
  ( ̄ ⊃´∀`⊃
  | | ̄| ̄
  〈_ゝ__ゝ
         
  ∧_∧    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 <=( ´∀`)  < 特攻したやつはあほ 家族を非国民よばわりされる事覚悟で 逃げるべきだ。
 (    )    \____________
 | | |
 〈_フ__フ
93無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 23:04
>85
逃げてどうするんだ?
今のような腐った社会になる事は当時の人々には分らなかったんだぞ。

その点、今は楽だな。
臆病で逃げた奴らが帝国主義に立ち向かった英雄扱いされてるからな。
94無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 23:05
たのむよ〜
三国志の話しよ
とりあえず他のところでやってくれ、その特攻隊とかの話は。
ウヨサヨ論は政治思想板でどうぞ。

ずっと前にやってたNHKの三国志の子孫の話でも曹操の子孫は苦労してたらしいな。。。
あれは曹植の子孫だったんだっけ?
偽善者っていろんなスレで荒らししてるヤシ?
98無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 23:08
で、劉備は野茂英雄なの?
99無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 23:08
保科か偽保科かは知らんが、激しくおもろない
ヤキがまわるとはこの事よな
さ、いずこへと去れ!
>今のような腐った社会になる事は当時の人々には分らなかったんだぞ

そうかもしれんがスレが腐ってくるのはおまいの責任
101無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 23:10
>>96
豆腐やがどうとかいう奴だろw
孔明の子孫が質素ながらも堅実な生活を送ってるのに比べて、落ちぶれたなあって感じたよ。
っていうか文革氏ね、あれの所為で貴重な資料が・・・。
102偽善者:04/05/08 23:10
>>93
今の社会は全然腐ってないだろ。
おもzしrといまmんががあるじゃないか

>>99
あおりおつ。おまえも俺のような才能がないよ
だから、バカを相手にすんなよ。徹底放置しとけ。
>>101
それだよ。それw

本当、文革は勘弁してください。
中共のバ━━━━━━━━━━━━ヤ!
・゚・(ノД`)・゚・
105無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 23:13
放置放置。
英雄とは何なのかから始めないとスレタイに沿えないかも…
106偽善者:04/05/08 23:14
NHKはサヨだjから糞だよ。
特攻を美化してるのはウヨにもいるしサヨにもいる
特攻は自分の為にやったとおもえばやってもいいが
公のためにやったとおもってるならただのあほだ
したいとおもったjからやったんだろうが「
偽善者目
107無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 23:15
定義事態曖昧だす
108無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 23:16
   偽善者(チョン)
    ↓
   ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  <ヽ`∀´> <  したいとおもったjからやったんだろうが「ニダ
  (ぃ9  )  \_______
  /    ∧つ
  /    \
 / /⌒> )
(_)  \_つ
109無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 23:17
英雄・・・仁君とは違うものかな。
110無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 23:18

英雄の定義・・・自分達に不足してる部分を補ってくれる人物
ってなトコでどう?
111110:04/05/08 23:20
>>109
仁という概念自体中国人に徹底的に不足してるものだからなあw
俺の定義でいくない?
>>72
えいゆう 【英雄】

(1)才知・気力・武力にひいで、偉大な事業をなしとげる人。
「不世出の―」「国民的―」「―的行為」

(2)〔「えいよう」とも〕「英雄家」の略。
「当家はさせる―にはあらざれども/平治(上・古活字本)」
113偽善者:04/05/08 23:22
仁の具体的な定義を教えてください、。
114無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 23:23
>>113
半島に帰れ
115無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 23:25
仁とは・・・偽善者の持ち得ないもの。
116偽善者:04/05/08 23:26
>>112
それの具体的な例をおしえてよ。・
辞書に書いてあるようなうわっつらだけの
teigihairaneenndayop
117偽善者:04/05/08 23:28
英雄なんて抽象的な存在、
万人共通の答えなんて無いんだから
こんな糞すれた照るだけ無だ
118無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 23:29

じん 1 【仁】

(1)己に克ち、他に対するいたわりのある心。儒教における五常の一。
(2)愛情を他におよぼすこと。いつくしみ。おもいやり。

ワラタ
中国人には到底持てない感情だなw
119無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 23:30
儒教国のハズなのにな
120無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 23:32

じんくん 0 【仁君】

臣下をいたわり大切にする君主。仁愛の深い君主。


中国人には・・・あはは、もう笑うしかない・・
無いからことさらに言わなくちゃならないんだよ。
元々備わってたらわざわざ言わないもの。
中国人に欠けてるから、孔子さんが必死になって訴えたわけだな。
123無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 23:34
劉備を通して中国人が思う理想的な君主像を描いたんだろうな。
実際はどうだったか知らないが・・・。
124無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 23:36
日本には仁愛の深い歴代天皇陛下がいらっしゃる。
その孔子の子孫だっていう連中も礼儀知らずなこと書いてたなぁ・・・
126無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 23:37
そろそろ話を英雄に戻さないか?
ある意味蜀は反政府組織そのものだからなあ
そういう人々があつまって、劉備を理想的な人物に仕立てあげるのも自然な流れか・・・。
>>126
天皇家が英雄
129無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 23:40
水滸伝とかでも反政府的な者が好まれてるしね
けど最後は政府軍。
>>128
確かに仁がなければ21世紀まで残り得なかった。
1600年以上の家系を持つ家は天皇家しかないしな。
132無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 00:21
日本では仁は英雄の条件には入らないんじゃないか?
また別の定義が必要だろ
133無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 00:23
日本では誰が英雄よ?

家康はちょっと違うよね。
134無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 00:27
日本では和を乱す人間が英雄扱いされるかな
足を引っ張り合う社会だしね。それを超越してる人間が求められる。
判官びいきもその類じゃねえ?
>>134
例えば誰?
136無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 00:37
だから義経とか・・・
後は信長なんかもそうだよね
でも実際は周りが徹底的に潰しに掛かるからねえ
なんか複雑な社会かもw
義経や信長が和を乱す?
何か表現がおかしいような・・
曹操が人気有るのもそれの類だな
「ただ才のみ挙げよ」って周囲から猛反対されたんじゃ・・・。
>>138
べつに反対されてないよ
140無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 00:42
>>137
和=しがらみ=足を引っ張り合う世の中
141無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 00:43
>>138
当時儒教勢力が幅を利かせてたのは知ってるかな?
この発言はそれらの勢力を無視する事を意味する
そんなこと言ったら、出る杭を叩くくせに纏まりのない朝鮮はどうなるんだ?

あ、そういう民族性に相応しい歴史になってるか・・・。
143無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 00:46
偽善者の立てたクソスレ↓晒しage

ttp://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1083968529/l50
>>140
意味不明
脳内で何かが暴走してんのか?
145無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 01:01
>>144
うーん、日本人が「和を乱す」って言葉を使うのは、どういう時か考えた事あるかなあ?
つまりはそういう事
>>145
あんたの脳内で勝手に自己完結した日本人像を持ってるようだったので
ちょっと指摘してみたかっただけ。だいたいわかった。
和=足の引っ張り合いってのはやはりおかしい。
一人で出来ない事を、一致協力して為し遂げた事だって多々あるだろうに。
つーか、どう考えたっておかしいだろ
とんでもないDQNもいたもんだ
149無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 01:41
「分かったつもり」が一番怖い。
和も、三國志も、DQNもな。
150無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 01:54
第一劉備の話にいきなり「和」が出てくること自体論旨の飛躍だと
小一時間問(ry
151無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 05:16
日本人のイメージする英雄像に立志伝男の雄というのがあるのは
教育の影響だろうね。なんせ成り上がり国家だし。
152無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 05:35
>>151
さりげない日本批判をすると、「チョンではないか」と
痛くも無い腹を探られることになりますよ(^^)
そういう表現は、チョンの得意手法なので。
気をつけて下さいね。(^^)
嫌でしょ?チョンと間違われたら(^^)
>>151
日本人は成り上がり英雄をあまり好まないよ。実例が少ないしね。
農民→皇帝みたいなムチャな英雄を好むのは中国だ。
154豊臣秀吉:04/05/09 06:08
>>153
そんなに私が嫌いですか?
>>154
いや、あなたもその凄さのわりにはあんまり人気ないじゃないですか。
156:04/05/09 06:42
>>155
狸クンより人気ありますが何か?
>>55
三国志読んでると、劉備本人が自分をどう考えていたかはともかく、周囲のやつらの、
曹操と程いく郭嘉や孫権と周ゆの会話、袁紹陣営の劉備の評価とかを見ると、
ほとんど呂布と同じような扱いしてるような気がする。
「梟雄」と言ったり、「力を蓄えたらいつまでも配下では留まらないだろう」と言ったり。
ある時期までは、その軍隊を指揮する能力で有名だったのだとおもう。
それが、多分荊州で孔明に出会ったことで、はじめて方針と言うものを得て、
ほう統に出会ってその具体的な方法を得た!!
と思った。
>>156
狸って意外とカワイイから人気あるよ。
たぶん猿よりは。
英雄と呼ばれるぐらいの才能がなけりゃ一般人が皇帝にはなれないよな。
人気だろうが、人徳だろうが、運の良さだろうが、
世渡りの上手さだろうが、セコさだろうが、狡猾さだろうが、
例え部下が優秀なだけだったとしてもさ。
英雄か梟雄か奸雄かは、まあ見方は人それぞれだからどうでもいいよ。
中国の何分の一でしかないけど、一代で一国の皇帝にまでなったことは確かなんだし。

>>154
あんたは晩年があんま評判良くないしな。
160出羽:04/05/09 07:57
今更思うけど、三国時代とか群雄割拠の時代に外の世界に
眼を向ける香具師はいなかったんだろうか?
呉は後ろが海だから仕方ないけど魏の北方とか蜀の西方とかイパーイあるの出羽。
そこでなら皇帝を名乗ろうが自由なんだし。
161無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 08:27
>>159
まとまりの無い中国人にとって、人をまとめられる徳を持ってる事はそれ程重要だったんだろ。

>>160
何しろ人口が激減する程の乱世だからね
国内の統治に精一杯なのが実情かと
でも異民族の拉致には熱心だよ、3国供にねw
>>160
魏も呉も外の世界に目ぇ向けまくってるじゃないか。
特に孫権は日本探しで大ボケかましてるし。
>>160
実現させそうだったのは燕の公孫一族かな。
ショボく書かれてるけど、意外に大きな勢力を長い間維持し続けてたしさ。
周りの国は文化的・国力的に遅れをとっていたようだし、
流れてった人は多いだろうけど、中華至上の世情からか
取るに足らないと思われてたんじゃないかね。
三国それぞれの国は牽制しあって外征とかって余裕はないだろうし。
>>162
そういや人狩りに1万人連れてって、
何千人か拉致してきたけど自分達も大打撃受けたんだよな。
結局元いた人数より減った挙げ句に言葉も通じない人達が手元に残って
指揮官達が処刑されたんだっけか。
>>160
中華思想のせいで、外側なんかには目もくれなかったんじゃねーの。
勿論領地拡大はしようとしてたけど。
ここと項羽スレはクソ厨房のスクツだな。
そーくつってよむんだよ
>>166
巣窟

×すくつ
○そうくつ
こういうのをネタにマジレスというのだろうか
リア厨?
>>160
呉に至ってはベトナムやカンボジアまで手をつけてるし、何度も海上に進出して痛い目に
あってるぞ。
魏だって日本を手なずけてるし。北方の討伐もしてるぞ。
166=169
172無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 11:33
>>169
からかわれてる事にすら気づかない喪前こそ(ry
173無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 12:22
そもそも劉備が本当に漢室の血をひいてるのかどうかも怪しいわけで。
たまたま劉姓だったのをいいことに捏造したのかも。
献帝をして皇叔と呼ばせ、晩年には大漢皇帝を自称したのだから
もし詐称だったらペパーダイン大の比ではない。
やはり厨房のすくつ丸出し(ぷクソ
>173
乱世にはあれくらいの捏造はつき物。
劉備以外の劉姓にも結構怪しいのがいる。
また変なのが湧いてるな

>>170
呉は人口の確保に苦労してたみたいだね。
邪馬台国は向こうから勝手に来たんじゃないのか?
つまり魏は何もしてないんじゃ・・・。
魏帝曹丕から倭王卑弥呼に親魏倭王の金印がおくられましたとさ
劉備は英雄
凡人が平民から皇帝にまでなれるわけがない
>>177
明帝じゃないのか・・・?
180黒様:04/05/09 13:30
>>曹叡ですよ。
>>176
魏が公孫氏を潰したから倭から使者が来たんじゃないだろうか。。。
公孫氏は半島を勢力圏にしていたらしいからな。。。
それを潰したという報が倭まで伝わって倭が勢力が強いのは魏だと判断してやってきた。。。

となると、ある程度公孫氏も倭に影響力があったのかも。。。
182劉禅:04/05/09 22:50
>>1
はげどー
183無名武将@お腹せっぷく:04/05/10 17:26
>>181
そもそも中原押さえてるのは魏だしな。
呉や蜀はせいぜい辺境の一勢力に過ぎない。
いくら劉備や孫権が皇帝名乗った所で、周辺の国々は魏を正統と見なすだろうな。

倭と大陸との交流は結構あったのかもしれないね。
中国の情報も結構入って来てたんじゃないの
>>183
以前邪馬台国について調べてたら
思った以上に魏呉とのつながりが指摘されてて驚いた事があったよ
三角淵神獣鏡あたりでぐぐると面白いよ
倭の五王は南朝に入朝してる
187184:04/05/10 22:26
間違えた・・・orz
呉服とかあるじゃん
とりあえず>>160系の話題はスレ違いだから、
これ以上は専門スレがないなら新スレでも立てて
個別に討論した方が有意義だと思われ。
英雄の定義にもよるよな。
並の人間ではないことは確かだけども。
劉備っていうか劉備の軍は、戦術レベルでは強かったんだと思う。
戦略が備わってないから戦場で勝ってもその意味がなかったりするんだろうけど。
本当に戦術レベルから戦が下手だったら行く先々(公孫サン、トウケン、曹操、袁紹、劉表)で
重用されたりしないだろうから。
戦術レベルでは強かったんだと思う。
戦略的思想とかは欠如してたとは思うけどね。
戦うと馬鹿強いのに不器用に生きてる所とかが人気の秘密だったんじゃないの?
劉備の転がってった先って呂布のケースを除けば、戦略眼があるようなタイプだったし
戦略眼のある○○と馬鹿強い劉備軍が結びつけばって期待があったんじゃないの。

で、諸葛亮と結びついて独自の戦略眼を持つに至ったと考えるとそれまでの客将暮しから
一群雄として自立できたんじゃないの?
曹操が劉備を持ち上げていたのも、強い将劉備を買ってたから片腕にしたかったとか。
自分の子供投げ捨てて部下誉めたり、部下に謀反起こしても良いとか言えるのは凡人じゃ無理だな。

孫策も張詔あたりに言ってたが。
「英雄、英雄を知る」ってよく言ったもんでつね。
なんでヒデオをの話してんだ?このスレ。
島津英雄
>部下に謀反起こしても良いとか言えるのは凡人じゃ無理だな。

劉備そんな事言った。
>>196
何がいいたいのか良くわからんが、言ったのか?という問いだとすると

>>192のいってる謀反起こしても云々は、孔明への遺言で残した劉禅が馬鹿なら
君が継いでくれという言葉(皇太子を無視して帝位を取れ)のことだと思う。
君が継いでくれってのは、信頼してる部下に対して使う慣用句みたいなもんだ。
でも劉備が言うと重みが増すな。
恐らく本気で言ってるんだろうし・・・。
200土井たか子:04/05/13 18:56
家康も云ってた。
201無名武将@お腹せっぷく:04/05/13 19:05
>>200
香具師が言うと胡散臭さが増すな。
絶対本気で言ってないしw
秀吉は言わなかったな。
sine
>>156
>狸って意外とカワイイから人気あるよ。
>たぶん猿よりは。

ナイナイ

劉備は人物を見る目だけは確かだろう。
馬ショクしかり、呂布しかり。
客将として居座ってた所では常に優遇されているから、おそらく自分を危険視しない、
安全な所(人物)を選んでいたのだろうな。
危なくなったらさっさと逃げているし。
206無名武将@お腹せっぷく:04/05/13 22:17
劉備は2ちゃねらーみたいなヤシだったんだよ。
>>206
一気に劉備の評価が下がりました。
208無名武将@お腹せっぷく:04/05/13 23:14
劉備の特技・・・世渡り上手、人心掌握、万以下の兵の指揮
209無名武将@お腹せっぷく:04/05/14 06:22
>倭の五王は南朝に入朝してる

それは魏の正統後継者としての南朝だから、むしろ邪馬台国と連続していると
いうことの傍証になるわけで。勘違いか?
>>208
万以下限定って事はないと思う。特に数百数千の用兵が上手かったろうとは思うけど。
戦略が下手なだけで、戦術レベルでは常に三国一の用兵家だったのかもしれない。
結局、陸遜にやられたのも戦略のミス(むやみに補給線を延ばし兵力を分散させた)で
あって、まともな正面決戦でやられたわけじゃないし。

そう考えると、政略と戦略までは優秀だが臨機の戦術には劣る孔明と戦略が皆無で戦術最強な
劉備ってのはベストの組合せだったのかも知れない。

きっと兵1万ずつ指揮して野戦で対決選手権とか無理やり設定するとこんな感じだったり

呂布≧劉備>関羽≧趙雲>張飛=馬超=孫策=張遼>黄忠=周ユ≧魏延=呂蒙>魏の将達

1万位だとほぼ直接に近い指揮が行き届くギリギリだろうし、個人の武勇も影響できると
思う。
>>210
蜀>>>>呉>魏という貴様の趣味が見え透いておるわ!
>>211
曹操が劉備を一時重用した=当時は劉備達級の実戦指揮官が居なかったってのと
魏は戦略レベルで勝ってる戦いが多く寡兵で大軍を苦しめるような戦歴が少ないから

勿論大軍の運用能力って評価すると
曹操配下>袁紹配下>孫家配下>劉備配下ってな評価になるんだがな。

一番言いたいのは、劉備ってのは優秀な野戦指揮官だったんだろうってこと。
関張趙当たりが評価高いのもそういうところで長くもまれた結果じゃないかと

劉備 政治50点、戦略15点、戦術95点
曹操 政治90点、戦略90点、戦術90点
って感じだったんじゃないかなと思うわけだ。
>>212
それはわかるが、>>210はやりすぎw

劉備の戦術は80点くらいなんじゃないかと思う。
関張趙は劉備のヤバイ戦歴を凌いでいくうちに評価が上がり、
また実際に歴戦の勇士にもなっていったんだろう。
特に張飛には、揉まれまくった叩き上げの感が強い。
呉の韓当みたいな感じか。
214無名武将@お腹せっぷく:04/05/14 13:18
>>173
ププ
「俺は○○の末裔」は中国では常識。別に詐欺ではない。
一般大衆とかも怪しいとは思っていたと思う。
曹操だって「漢の曹参の子孫だ」みたいな事言ってたんでしょ。

拳児って漫画読んでみな。
村人「俺は水滸伝の英雄の○○の子孫なんだ」
拳児「えっ本当にそうなんですか?」
第三者「まあ、そういう確証は無いけど本人はそう思い、誇りに思っているんだよ」

織田信長も平清盛の直系とか言ってるしその辺はあんまかわらん。
>>215
藤原も名乗ってたしな
曹家は夏候家の亜流
>>214
劉備は名家の子弟でもないくせに遊学の経験があるから、
皇族の末端として租税を免除されていたのかもしれない。
まったく信憑性のない話でもないということはお忘れなく。
劉備戦術最強論か・・・新たな視点だね。
中国的価値観では劉備は無能の方が都合がいいみたいだしね。
劉備の立てた手柄や名声のかなりの部分が関羽・張飛のものになってるんじゃなかろうか・・・。
実際は関・張並に戦に強かったのかもしれない・・・。
っていうか、その方が自然かも・・・。
両脇に関・張従えて、先頭切って突っ込む劉備・・・いいねいいね。
>>219
勿論、剣を取って切りあうなら関張の方が強いんだろうけど
兵の動かし方や武人に限定した人を見る目、周囲の人間を乗せてその気にさせる運用
そういった前線指揮官としての将器がやたらと高かったから、名将と呼ばれるような
武人が育っていったとも思える。

最初はコウホ嵩将軍や公孫サンの戦略で、その後はトウケン、曹操、袁紹、劉表の戦略に従って
戦ってきた。その上で勝てる戦いに限れば勝ち続けてきたんだろう。
でも、戦略がない。特に兵站とかそういう部分が苦手だったんだろうな。
政治上の駆け引きもきっと下手だったんだと思う。だから筋目を通す愚直な義理堅さを
組んだ相手には見せてたのかもしれない。実際、契約者(?)健在で裏切ったのは曹操から
袁紹に転んだ時だけだよね。それは袁紹が仕掛けた引き抜きの性だとすると上司の命令には
忠実な将軍だったと言えるんじゃないかな?

そういう新しい劉備像の三国志ものとか読んでみたいかも。
221無名武将@お腹せっぷく:04/05/14 19:05
人が善くて、おとなしくて、誰からも好かれる
実際の劉備はこれとは全然違うんだろうなあ

実際の劉備
柄が悪くて、暴れん坊で、村中の嫌われ者
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
>>221
柄が悪いわりにどことなく風格があり、暴れん坊だが義理堅く、鼻つまみ者達からの慕われる
そういうやくざの親分みたいなキャラだったんじゃないかな?
223無名武将@お腹せっぷく:04/05/14 19:33
>>220
いやいや、荒くれ者だった関羽や張飛を従えるくらいだから
劉備も若い頃はかなり腕っぷしが強かったんじゃなかろうか?
年も関羽や張飛よりかなり上だし、荒くれどもを統率できるパワーがあったんだろう。
なんつったって督郵をしばき倒すくらいの猛者だからな。
>>223
リーダーってのは腕っぷしで決まるもんでもないだろう。
>>220
しかもだね、そんな劉備が官僚や豪族に祭り上げられたりもするわけだ。
何故かというと、劉備は一応は儒学を学んだインテリでもあったから。
腕っぷしや指揮能力で名を上げた叩き上げでありながら、一応は知識人階層の端くれでもある。
劉備が色々なところで支持されたのはその辺じゃないかな?
>>224
組織化されてないただのチンピラ集団で上に立つ者といえば大抵(ry
227>226:04/05/14 19:59
劉備は在日ニダ・・・ということか?
なんでいきなり在日になるw
>>225
鄭玄、陳紀らの大物とも交流があったみたいだしね。

赤壁以前の戦略の欠如を責めるのは酷じゃないだろうか?
そもそも他の群雄たちとは出発点が違う。完全に誰かの配下に組み込まれることなく
最低限の勢力を維持することが精一杯で、それを確実にやりぬいたことは評価できる。
英雄間違いなしの曹操が敵としての劉備を評して、彼の能力は自分と同等だと言ってるし。
褒め殺しか?
>>229
だから、曹操は名将劉備+関張を欲しがってたんじゃないの
君と余以外に英雄はない、だから名将の君と政戦両略に長けた余が組めば敵なしだ
っていって評価してたんだと思う。

でも、結局曹操とだけは馬が合わなかったんだろうなぁ。唯一存命中にはっきり裏切ったし
劉ショウのは、既に群雄として自立しているし孔明の策や張松らにも望まれた展開だろうから、
最初から奪うつもりでの接近だったんだろうしね。曹操ん時と同列にはできない。

ああ、本気で愚直な名将劉備とそれに鍛えられた精鋭関張趙雲とかいう三国志読んでみてえな
蒼天航路が終わったあとのモーニングで誰か描いてくれないかなぁ。
いや孫権も存命中に思い切り裏切られてるが・・・
>>231
孫権との関係は、見解の相違と孔明が言ってます。
戦略を得る前の劉備と独自戦略(孔明)を得た劉備は別物ってことで。
普段、あんまりしっかり書かれない徐州以前や曹操幕下時代、袁紹の下にいた時
この辺をしっかりと書いて欲しい。
孔明が呉をたきつけただけの赤壁はあっさりと済ませる。

普通の三国志程孔明を持ち上げすぎず、割れ鍋(戦略欠乏の名将劉備)に綴じ蓋(空論の戦略を持っていた孔明)
な関係で、劉備にとって丁度よい策と能力を持ってた扱いで、やるのも面白そうな。
劉備って当時の中国じゃ考えられないほど同郷意識がないんだよね。
魏や呉の政権はある地方に集中されているが
劉備の配下は、ほんと出身地バラバラ、劉備死後はケイ州閥中心になったけど・・
>>232
袁紹からも逃げてませんか?
>>234
表向きは、曹操の背後を突くため袁紹がジョナンに劉備を派遣したのじゃなかった?
>>234
袁紹の所から離れた時は形の上で派遣されていたわけなんで、それが裏切ってるのか別働隊なのかは
完全に解釈次第の領域だと思う。
名将劉備という切り口の解釈上は勿論裏切りではない方向で組むでしょう。
実際官渡の決戦が終わる頃まで戦ってたんでしょ?
袁紹が敗退した後合流できないのは、戦略的な無茶を要求しているんで劉表頼るのはまあ、変じゃない
範囲の行動なんでは?
>>233
> 劉備の配下は、ほんと出身地バラバラ、劉備死後はケイ州閥中心になったけど・・
けいしゅう? えきしゅうじゃなくて?
>>237
劉備は、人身掌握が上手いのでその土地の者(益州閥)や新参の魏延を大抜擢したりしていた。
益州閥(法正など)が勝手な事をやりはじめたので
バランスを取る為に諸葛亮は蒋エンら荊州閥を重用した。
239無名武将@お腹せっぷく:04/05/15 05:15
まあ一宿一飯の恩義というのもあるからな。
モウダメポの袁紹を見捨てるのも道義的問題は残る。

>238

荊州閥の重用は、バランスと言うより既定方針だったが、簡単にはいかないので
益州経営のために在地の豪族を重用した。その後は、荊州自体を失い、荊州グル
ープの基盤を作ってやる必要から逆に方針をむき出しにしても登用せざるを得な
かった。
戦術だとか、戦略だとか、言葉覚え立ての厨房じゃあるまいし
漢中攻防戦での劉備の粘り強い用兵はどうなんだ?
曹操だって、大兵力を率いると動きが鈍い
で、膠着状態になると小兵力を動かして状況打開しようとして失敗するような事がままあるし
>>240
残念ながらお前がいちばん頭悪そう
242関羽:04/05/15 08:29
>>1
ワラタ
>>230
曹操は劉備に韓信を求めたのだろうか
劉備って本当は無口であんまり感情表さない人間だったんだろ?
245無名武将@お腹せっぷく:04/05/15 11:59
まあ,人間誰しも年齢とともに性格も変わっていくからな。
今だって,人間的に魅力のあるヤツは昔ガキ大将だったなんてよくある話だし。

劉備も若い頃は荒くれ者のヤクザの親分。
年を取るにつれ,深みのある香具師になったのかもな。
ヤクザね・・・科挙に受かったヤクザか・・・エリートヤンキー玄徳?
247無名武将@お腹せっぷく:04/05/15 12:24
まあ、曹操の俺への警戒心は凄まじいものがあるからな。
許都滞在中に曹操の使者に、梅がなったからって酒宴に誘われて、嫌々行ってみたんだが、
まず梅が凄い。キロ単位で塊で落ちてくる。手土産に持ってった酒をみて「それじゃ足りないよ、
貧乏人」という顔をする。筵織りはいつまでもまともな食事には慣れないらしい、みたいな。
絶対、その梅4キロより、俺が買ってきた酒500gの方が高い。っつうか、それほぼ青梅じゃねえか。
で、曹操が英雄を切る。やたら切る。世間知らずの下女と召し使いもこのときばかりは主人を尊敬。
普段、目もあわせないらしい袁術を墓の中の白骨とか言ってる。ケンシロウか? 畜生、氏ね。
詩も凄い、まずうるせぇ。詩は作らんかねとか言ってくる。 作れ。自分で作れ。つうか詩作るな。
で、やたら飲む。飲んで好き放題言う。良い英雄から切る。ゲストとかそんな概念一切ナシ。
ただただ、切る。曹操が飲んで、曹操が好き放題にぶった切る。俺には主導権回ってこない。畜生。
あらかた片付けた後、「どうした飲んでないじゃないか?」などと、残った酒を寄越す。畜生。
で、曹操、5キロくらい梅を食った後に、戯れで俺と龍の話をする。
「龍とは人間のことだ」とか宦官の孫が言う。おまえ、酒どころか絶対頭痛薬やってるだろ?
しかも「今の世に英雄は二人しかおらん」とか言う。こっち見んな、箸落とすぞ。
雷が鳴って「あわわ」とか言って隠れたら、曹操が「雷は天地の声だ、それが怖いかね」とか言う。
関羽と張飛が走って来る意味がわかんねえ。畜生、何がおかしいんだ、氏ね。

まあ、おまえら、曹操に酒宴誘われたら、要注意ってこった。
>モウダメポの袁紹を見捨てるのも道義的問題は残る。

一般的にカントの戦いでボロ負けしたから袁家が滅亡したと勘違いしてるしてが多いが
(これはこれで正しい)
実は分裂した袁家にも曹操は苦戦していたり負けたりしている。
>>244
韓信の才ではなく、劉備の実行能力と信望が目的だったのではないかな?
皇室の血を引き、名士に評判高く、人民にも愛されている人物を配下に出来れば
孟徳ウハウハもう荀文若の殺せより郭嘉の助けろを信頼しちゃうって感じでw
>>246
科挙ほど大変じゃないはずだが、国立大出エリートやくざとかもいるし変じゃないだろ。

>>240
覚えて色々な所で使うようになって20年くらい立ってるけど。
粘り強い用兵は大半が戦術の領域だな。年単位の篭城とかなら戦略だが。
補給線の確保や援軍投入、そもそもそこを守るべきか放棄すべきかという判断が
戦略な訳なんだから。
戦術かってのは野戦で殴るだけじゃないよ。

若い頃から劉備は、戦うべき戦いかどうでもいい戦いかの区別ができなかったが
勝てる戦いは少々不利でも勝ってきたというのが、戦術家劉備像な訳だから。
昔は勝てる戦いに投入する役が、コウホスウ将軍や公孫サン、曹操、袁紹の仕事だった。
自前の軍師を得てからは、諸葛亮やホウ統、法正らの仕事になっていったんだろ。
そういう解釈の問題な。
曹操の英雄を煮て酒を飲むで
天下の英雄は君と余だという話は真実なのでしょうか?
>>251
真実かどうかは知らないが、裴松之の注釈ではなく、正史の方に記述がある。
烏丸の騎兵を率いた傭兵軍団として諸侯から必要とされたとか
戦術=ゲームで言う「統率力」
戦略=プレーヤーの操作でOK?
せんじゅつ 【戦術】
(1)個々の具体的な戦闘における戦闘力の使用法。普通、長期・広範の展望をもつ戦略の下位に属する。
(2)一定の目的を達成するためにとられる手段・方法。
「牛歩―」

せんりゃく 【戦略】
長期的・全体的展望に立った闘争の準備・計画・運用の方法。戦略の具体的遂行である戦術とは区別される。
戦術級−作戦級−戦略級
>>254
光栄のゲームなんかだと概ねそのとおり。
三国志IXとかだと、兵法や陣形の種類も戦術能力。
戦略能力には、実際に兵を集める作業や国力を高める要素も含まれるかな。
戦略ってのは外交とかも含める。
俺が野党の党首になったら、牛歩戦術などといったせせこましいことはせず
全体的展望に立った、闘争の準備として牛歩戦略を打ち出すけどな。
まあそういうことは党首になってから
なんて嫌な戦略だ
>>252
柱じゃなくて正史のあるとは・・
有難うございました。
263年金未払諸葛亮:04/05/16 14:30
劉備はAUじゃない。ドコモですよ。
>>246
おいおい、科挙なんかまだないだろ。
劉備は勉強嫌いじゃなかったっけ?
266無名武将@お腹せっぷく:04/05/16 17:43
>>197
遅レスだけど、その「息子が無能なら君が帝位を〜」って発言は、
劉備が諸葛亮を心の底から信頼しておらず、
自分の死後に諸葛亮に謀反を起こさせない為の牽制目的の発言だった。
という見解もあるね。
ちと怪しいが、諸葛亮が荊州閥の代表格であることを考えれば、
あながちそれはあり得ないとも言えないと思う。
この発言をどうとるかで、劉備像ががらっと変わってしまうな。
>>265
ろくに勉強はしなかったみたいだが、一応はまともな先生のところにいた、ということが大きい。
学があるという経歴が、インテリの世界の端くれくらいには入れてもらう資格として機能したと思うし。
あと、公孫サンのように同門とのコネが出来たのも大きい。
皇室の血筋なんてものより、この学があったということの方が劉備の出世にとって重要だったのでは。
ただ、マジメに勉強してる必要はあまりないんだよ。立派な先生の門下生だったという事が重要だった。
叔父さん様々だな
>>266
諸葛亮謀反はないと思うよ。
なぜかというと蜀漢の建前は、漢復興だから諸葛亮が帝位についちゃうと
簒奪になってしまうで誰も人がついてこないし
死ぬ間際の人間は本心を語ると中国の諺にあったと思う。
「うちの息子を頼んだぞ」ってつもりでの台詞だったんじゃないのか?
諸葛亮がまず受けないだろうなってのは予測していたのだろうけど
まったく打算で言ったのではないだろう。
劉備にとっては漢室復興が最優先だから本気で諸葛亮に託したのかも(自分の息子に才がなければ)
劉表や袁紹の末路を見てきてる訳だし。
正解なんて出しようが無いしな
でもまぁ、劉備の人を見る目は結構確かだからなぁ・・・
>>267
それ、「学」があったじゃなくて「コネ」があったの間違いでは?
どんなコネだよ・・・
田舎の無頼漢が結構一流の先生につくって・・・
>>274
いや、半分はコネだけど、
残り半分は、「おお、あの先生のお弟子さんですか!」と会ったこともない、遠くはなれた地のインテリどもとも話ができるってこと。
コネがあるのではなく、そこからコネを作れる。
それと劉備の一族は無頼漢ってほどじゃないんだよ。親、祖父も一応官僚の端くれだったんだし。
劉備がそこの不良息子だったのは確かだろうけど。
へ〜
親官僚だったんだ。
端くれ、のね。
地元で仕事してて、中央とかには行けなかったみたいだからはっきり言ってそれほど評判の家ってほどではないけど。
祖父は一応孝廉にも挙げられてるし。
本人はともかく一族はそれなりに羽振りよかったみたいだし、地元ではそこそこの豪族だったのでは。
「○○に才覚が無くば、君が継げ」ってのは中国じゃよく使われる言い回し。
三国時代で、もう一人いたはずだぞ。まったく同じ事いった奴。
誰か完全に忘れたが。
わざわざ陳寿が誉めてるってことは、
諸葛亮と劉備のはそういうありきたりとは一味違うぞ、って言いたかったんじゃないのか
そりゃあ劉備にだって打算はあったろうけどさ
そりゃあ誰でも思いつくことなんじゃない
>>279
孫策だろ?
あれは後世の劉備のパクリらしいが
諸葛亮
「孫策は死に際に、そんな事を言ったらしいですぞ」

劉備
「いけてるねぇ」
秦女絶美,王可自取
如其不才,君可自取
玉帛子女,諸兒可自取
>>279
孫策だろ。
AUはアフリカ共同体>263
けど孫策も劉備も言った人間は忠節尽くしてるので、
人を見る目があったと誉めるべきだろうな。
人を見る目というのはトップに立つ人間なとって最大級に重要な才能なんだろうな。
軍事的才能とか政治的手腕なんかは、一段階低い次元の能力になるのかな。
そんなのは下の人間にやらせとけば言い分けで、トップに立つ人間には他にするべき事があると。
290無名武将@お腹せっぷく:04/05/18 23:29
>>289
孔明先生に聞かせてやりたい言葉だな・・・・・・

まあ諸葛亮も、曹操や劉備に比べれば駄目なだけで、格別人を見る目がないとは思わないけど。
人材配置の才能が無いというより狭量だったって感じか。
>>290
おいおい
馬幼常の事だけで判断してないか?
魏延は?
人には向き不向きがある
>>290
孔明先生は、何をやらせても上手くできてしまう上に完璧主義者の人だったので、
他人に任せて結果効率が悪くなる事に耐えられなかったのです。その為に、
何から何まで自分でやろうとして過労死してしまいました。

>>288
トップには二つだけ能力があればいい。
他人にこの人のため何かしたいと思わせる能力と、そいつを信じていいか見極める能力
戦略も戦術も信じられる有能な部下の言に従えばいい
他人にこの人のため何かしたいと思わせる
ためには他の色んな能力が必要だと思うのだが
>>295
そうでもない。
可哀相だから(可愛いから)手助けしたいとかでもいいわけだから。
で、見極め能力がない場合だまされて利用されるだけになるんで見極めは必要。
孔明にはその両方とも欠けていたと
>>292
魏延の配置で拙かった所あるかな?
魏延と反目してたのは楊儀だしね。
>>297
諸葛亮に欠けていたというより才のタイプだ違うと思うな
劉邦より張良のほうが実力は上でも劉邦をトップを崇めるだろう。
三国時代にその二つも持っていたのは、劉備と曹操だけだと思うが・・
孫さんとこはそんなにデキが悪かったんですかね。
まあ劉備と曹操みたく一代で勢力を築いたわけではないから評価は落ちるか。
孫権は、曹操や劉備じゃなく曹丕と比べるのが相応しい気がする
>>301
はー、なるほどね!うんうん
性格の悪さ能力か?
孔明は馬ショクの一件でかなり見る目に関しては評価落としたよな。

他の人事はまぁ、及第点だと思うけど。
>>300
事実上呉を築いたのは孫策。
期間的には・・・恐ろしく短い
諸葛亮は、自分が実質的にトップに立ってからは、
自分の手足として動く従順な人ばかりを好んで使ってる印象がある。
人を使いこなすと言うより、自分の意志を代行してくれる人しか使えなかった印象。
まあ自分で言っててもツッコミどころ満載なのは分かるけどさ。
どうもそういう印象が拭えなくて…。
演義の孔明はまるっきりそうだな
魏延使ってるじゃん
つうか諸葛亮はトップじゃないじゃん
>>306-307
自演乙
まあまあ。
印象があるって言ってるだけだし、
実質的にとも言ってるんだから…。
孔明ネタはすぐ荒れるな
今までの過大評価の反発で
今度は過小評価の流れになってるんじゃないか。
過大評価って、どんだけ長いこと過大評価されてるんだよ・・・
2000年近く前の人で、
名前が残ってるっつうだけで普通じゃないわけだが。

日本人なんてこの頃、半分サルみたいなもんだよ。
>>315
そうでもない、日本でも名の残ってる人はたくさんいる。
決定的な違いは歴史を記録していたかの違いだと思うよ。
>>316
各時代でどれだけの人間が歴史に名を残せるかを考えれば、名を残せた時点で
英雄といっても過分ではないと思う。
どこがどう凄かったのかとか、同時代の他の英雄と比べてどうだったかという
問題点は残るだろうけどな。
だって卑弥呼の時代だもんな。
当時も日本の海運力はすごかったけれど、
後の遣随使の一件でダメダメちゃんなイメージがついてるからなあ。
古代の日本人だって中国史に名前を残してる人は多いぞ。
恐らく日本の古代史そのものは戦乱や政権交代によって喪失したんだろう。
古事記や日本書紀なんて正確性は疑わしいことこの上ないしな。
歴史を残そうと言う考えがなかっただけでしょ
残そうにも字が無いじゃん
>古代の日本人だって中国史に名前を残してる人は多いぞ。

たとえば誰よ?
倭国王とかじゃなく、ちゃんとした姓名が中国史に残った日本人なんて、
安部仲麻呂が最初じゃないの? それも三国時代から500年後だし。
多利思比孤
難升米
全然しらねぇや。
それぞれ何した人?
多利思比孤 聖徳太子
難升米 明帝への使者
894年までは属国みたいなもんだ
330無名武将@お腹せっぷく:04/05/20 22:40
>多利思比孤 聖徳太子
 難升米 明帝への使者

上はこじつけ。聖徳太子(平安時代に付与された名称)と同一人と証明する史料はない。
どうやったらウマヤド王子と読めるのか?つうか日本国王じゃねえし。
下は、日本(当時は倭国)のどの時代の使いかについても不確定。(つうか日本書紀と合
わない。)

字そのものは出土の金石文(別に金の文字ではない。一時史料になる古い文字)で相当
古くからあったらしいということはわかっている。(これも当然と言えば当然だが。)
たりしひこ
日本書紀>古事記>>>>>>>越えられない壁>>>>三国志>>>>史記>漢書>>隋書
333公遜淵 ◆A91YS3fPv2 :04/05/20 22:56
難升米はなしめって読むんだったっけ?
>>332
最下層は晋書キボンヌ
晋書が糞ってのはガセだよ
>>322
漢文を読み書きできる香具師はいたんじゃなかろうか?
>>335
とりあえず何でもかんでも書けるだけ書いてワケワカランになってしまったのを、
後代の人に批判されていると聞いているが。
日本国王源道義がいるんだからたりしひこが日本国王でも問題はないだろう
難升米は卑弥呼の使者で、明帝から銀印青綬を個別に受けた。
三国志の東夷伝あたりに出てる。
他にも牛利ら10人ぐらいの臣も受けてたらしいけど、詳しいことは忘れた。
日本書紀は別に歴史書じゃないんじゃないの?
どっちにしても500年も経ってからまとめられた記述は信頼できんね。
日本書紀とか言ってると世界を征服してた半島人と同じになっちゃうぞ
イチイチ嫌韓すんなよ
とりあえず話を無理矢理劉備に戻すため、
劉備のいいところを1つずつ挙げてみよう。
前向きに見つめればきっと劉備も英雄に見えてくる、かも。
やっぱまずは世渡りの上手さか。
情に脆い・・・
寧ろ欠点か・・・しかしその性格のお陰で着いて来る人間もいたわけだしなあ・・・。
劉備の「何」が人を引き付けたんだろうね
県尉→県丞→県尉→県令‥→国相
とかなりのスピードで出世してるな。時代がよかったってのもあるが
孫堅なんて何年もカヒの丞でくすぶってたのに
孔融助けたのが、かなり良かったんじゃない?
>>347
中身的なことも勿論だけど、
まずはルックスからして、尋常じゃなかったんだろうな。

といってもジャニーズ的な意味での「顔がいい」とかそういうレベルではなくて。
身体がでかくて押し出しがあって、なんか雰囲気もってるような。

ヤクザにもインテリにも百姓にも、どんな階層の人にとっても
惚れ惚れするような男振りというか。
まさにカリスマって感じだったのかね
352無名武将@お腹せっぷく:04/05/21 09:23
どうも劉邦とだぶるところばかりなんだが。
劉備そのものの実像って・・・。
まあ高祖の風有り、だからな
ただ致命的に劉邦と劉備の違う点は
劉邦は部下に任せっきりだったけど、劉備は自分でやろうとしたってところか
男を惹き付けるフェロモンが出てたんです
>>352
全然ダブらんよ
つーか劉邦に似せるために、無理やり性格作ってるだろ、正史は。
劉備の行動と劉邦のとった行動、あまりにも違いすぎる。これで似てる言われても無理があるよ。
>>343
どこが嫌韓?該当するのは>>342ぐらいだけど
>>342の意味もわからないし?

ただのつりか?
>>356
だから>>342に言ったんじゃないかな
あなたは何番さん?

ってつられた?
358無名武将@お腹せっぷく:04/05/21 18:44
>>355

まあ、漏れ的には蒼天の「おれは袋だ!」って司馬遼のパクリが刷り込まれちゃって・・・w

しかし、劉備から劉邦のイメージを除くとどんな奴だったのか非常に希薄になるのも事実。
士太夫や貴族でもなし、談林の徒でもなし、地方豪族でもなければ呂布のような刀渡世で
もない。まあせいぜい夜盗のボスと言ったところで、やっぱり劉邦と同じじゃんw
非常の時に有徳の人現る・・・というが、そいつらって平時には大概ごろつきだったりするの
なw
正史の先主伝以外で他の人間の伝に書かれている劉備像って総合するとどんな感じなんだろう?
その人物像に演義でこういわれるようになる『元』としての美化される前の庶民に好かれる要素
をあわせて考えると、演義よりも実際に近い劉備像が浮かぶんじゃないかな?
英雄的なペテン師
>>359
田豫と涙の別れをしたりデイコウに手紙を笑われたり
臧霸に依頼されて反逆者の助命を仲介したり、陳羣に決起を求められたり

デイコウの話はホントに劉備かどうか微妙だが・・・
>>361
劉備が頼った人間の伝には触れられてない?
公孫サンとかトウケン、曹操、袁紹、劉表あたりの
363361:04/05/21 20:04
陳羣×
陳琳○

(´・ω・`) ショボーン
劉備は才能は有ったと思うんだよね。
時勢を読んで、それに乗る術も心得てた。
実際何度もチャンスが訪れてる。
でも性格の優しさが、それを台無しにしてしまってる。
ここぞという時には非情に成りきらなければならないのに…。

その点立ち回りは下手だが、一度掴んだチャンスは絶対に逃さない性格の劉邦とは、大分趣が異なる。
そーか?
どっちかというと行き当たりばったりだっただけな気もする
366無名武将@お腹せっぷく:04/05/22 12:52
仁徳だけしか取り柄のない人間
日本の有名戦国大名の大半はコイツより内政手腕などに長けていると思う。
>>366
コイツに仁徳なぞあるわけないだろ!
>>365
その割には訪れるチャンスの数が多すぎない?
本当の駄目な奴ならチャンスその物が来ないと思うよ。
機会が訪れるための立ち位置を心得ていたと思われ。
まあことごとく逃してる訳だが…。

>>366
だから正史の評価を鵜呑みにするなって。
それじゃ話が進まない。
後、>>289でも嫁
369無名武将@お腹せっぷく:04/05/22 20:41
例え小国でも一代で国を興したんだから劉備は間違いなく英雄だろ。
お前らみたいな小物のカスがエラそうな分析してんじゃねーよ。ゴミが何ほざいても説得力なし。
370無名武将@お腹せっぷく:04/05/22 20:54
それはそうだな。

しかし、おもえもな(ポン)
371無名武将@お腹せっぷく:04/05/22 20:58
このスレを全部見たわけではないが、やはり劉備が村田英雄かどうかは疑わしいよね。
異郷の地で活躍したと言う意味で野茂英雄
真・実直拳!
>>96
曹操の家って、いまでも続いてるの?
それも曹植の家だったとは・・・(一番潰れてそうな感じがしてた)
曹信って曹操とは関係ないの?
>>366
当時の中国は、文明も科学技術も世界最高水準。
しかも、あれだけデカイ領土で
群雄割拠を生き抜き、天下を争ったんだから、
スケールも何もかも、日本の戦国大名レベルとはケタが違うと思う。
いやそれは時代も国も何もかもが違うわけで・・・
比べること自体間違ってるだろ。
378無名武将@お腹せっぷく:04/05/23 12:52
>文明も科学技術も世界最高水準

そうかもしれないが、中国の戦国時代って2千五百年も前の話だからな。漢や魏と周辺国とは
確かに天地の差があったけど。

なんで中国ってそんなに停滞したんだろうね。
文化の最先端に立ってしまったからかもな
380無名武将@お腹せっぷく:04/05/23 14:40
周りに文化的に高度な文明が生まれなかったからな
異民族に何度も征服されたけど文化的な面では常に勝っていた

で、いきなり高度な文明国がヨーロッパからやってきたもんだから・・・
いや、欧米にも戦闘力以外では決して負けてはいなかったぞ
382無名武将@お腹せっぷく:04/05/23 16:00
明、清と鎖国したのも大きかった。

でも本当の理由は、その頃既にいわゆる中原が荒土と化していたから。ヨーロッパもエジプトや
他の所も同じで、木を切って森が無くなり、生物多様性が失われると、そこは早晩没落する。ヨー
ロッパの産業革命もそのようなピンチから生まれたわけだが、唯一の違いは元々ヨーロッパは豊
かではなく、人口圧力もアジアほどではなかった。それと新大陸への移住が、かろうじて没落を
免れた理由。
一方の中国は、更に貧しい地方が中原へ次々に押し寄せ、更に荒廃を促進した。ただ、元々東ア
ジアモンスーン地帯という世界一豊かな土地柄と、人口も激減してもすぐに回復する多産型(ネア
ンデルタールとの混血が原因とも言われる)から、あまり外へ出ていかなかった。

もし明期の遠征が外征につながっていたら、世界史は変わっていただろう。結果的には世界中に
華僑が広がったから、せいぜい4百年のずれで同じ事になったとも言えるが。


>>381
負けてただろ(;´Д`)
ベクトルが違うとでも言いたいかな、俺は
化学だとかそういう西洋的な分野では圧倒的に劣っていただろう
が、思想だとか芸術といった分野では十分負けていないと思うぞ
思想とかそれこそ比べようがないじゃん
古代ギリシアで既に哲学は開花してたしな
それ、勝ち負けないじゃん・・・
アフリカの原住民の芸術だってすごいと思えばすごいぞ。
だから負けてないって言ってるじゃないか・・・
言うなれば「西洋的価値観」で見ても十分負けてないとでも言っておこうか
アヘンを持ち込むまでは欧米は相手にされなかったんじゃなかったっけ
相手にしなかった、の方が正しいかもなー
てか詳しく聞きたいなら世界史板に行けば?
390無名武将@お腹せっぷく:04/05/24 01:54
だれも言ってないのがなぜか分からん。
劉備のすごいところ。

戦争の継続能力。

三国時代の戦いの時間の長さは長い順に、
夷陵の戦い、益州攻略戦、荊州争奪戦である。
次に長いのは官渡の戦いとかだが、荊州争奪戦と比べても倍近い差がある。
これら長い戦いのすべてを起こしたのが劉備である。

精神力の強さというか、戦争の盟主に不可欠な不屈の意思が感じられる。
太平洋戦争で嫌戦状態になった日本の指導者を想起し比較せよ。

391無名武将@お腹せっぷく:04/05/24 02:18
新しい物の見方ですね
曹操=信長。劉備=秀吉。孫権=家康。
393無名武将@お腹せっぷく:04/05/24 05:20
益州入りまでは単なる傭兵部隊の隊長みたいなもんだったんだろ?
実際、傭兵レベルの軍団の指揮官としては超一流だったと思われる。
劉備は群雄として語られることが多いが、
実際には誰かの下で働いていた期間のほうが圧倒的に長い。
(劉エン、公孫サン、曹操、呂布、エン紹、劉表、孫権・・・やっと独立)
上記の人々のもとからはほとんどがはっきり言って不義理な形で
去っているにも関わらず、その後も多くの人に迎え入れられたあたり
彼の軍団の戦闘力は相当なものがあったのだろう。
だが劉備は決して人の下について満足するような腑抜けではなかった。
普通にやってりゃ曹操の下あたりで腰を落ち着けて
どっかの太守くらいまでには出世できただろうが、
あくまで誰にも指図されない地位に立つことにこだわった。
そして実際皇帝になった。まぎれもなく英雄だろう。
394無名武将@お腹せっぷく:04/05/24 05:40
>>393
然り。
1代で蜀漢帝国を築いた実績。
暁将つどう、その人間的魅力。
入蜀時、漢中争奪戦でみせた軍事能力。
ほかに英雄として何を望む?
流浪劉備軍団最強説登場
つまり、劉備軍団は鷹の団だと?
で、蝕(蜀)が来て、皇帝になったと?
俺が似てることを>>157で書いてるのに俺のはみんなに無視された…。
>>393は諸葛亮
>>157は田豊
劉備自身の凄さはいまいちわからんが
確実に言えるのは、色々と紆余曲折があり苦労させられているはずなのに
幽州の義勇兵時代から、徐州、荊州、益州と人材を増やしながら転がっていけた
この事実一つとってもかなり凄いんじゃないだろうか?
普通、よく言われる様に負け続けだったら人いなくなるよ絶対。
劉邦の例があるから、戦下手はむしろ劉備の評価を上げたとも考えられる。
402無名武将@お腹せっぷく:04/05/24 11:18
功明だよな主役
>>398
人望の差
凡夫じゃないと上に立てないんだな。
大半の人間は妬むものだし、努力するのも嫌いだからね。
今の社長とか考えれば分かるだろ
出来無い奴にはついてこないよ
出来なさすぎな人、出来すぎな人、どちらにも人は付いてこない。
その中間が正解。
死ぬ間際に孔明呼んで、帝位の禅譲を許可したやつだけど、あれって今思うと劉備の一世一代の大芝居だと思うんですよ。
死期間際の主君や、居並ぶ忠臣の前で「はい、帝位に就きます」なんて外様じゃ絶対言えないでしょ。趙雲とかがぶった切りそうだし。
劉備としては、死後の災いの種を孔明だと思って、そう言わせるように仕向けたのではないかと…
これが本当だとしたら劉備は相当の大物だよね。
408無名武将@お腹せっぷく:04/05/24 14:15
傭兵団長・劉備(笑)は呂布を倒した頃、すでに官職は重かった。
貧乏平民出身のただのボンクラに重い官職を与えるはずがない。
呂布を倒したあと、皇叔と呼ばれるようになった時点で
すでに相当すさまじい実績をあげていたと考えるのが妥当。
もちろん、その実績とは戦争に他ならない。
劉備は戦下手どころか、当時、劉備=戦のプロ
という評価を得ていたと考えるのが妥当では?
たしかに何度も裏切って負けてフラフラしてても、いつの間にか誰かに助けてもらって
人集めて再起しちゃう人心掌握術とゴキブリのような打たれ強さは他国にとって脅威だったろうな。
で、呂布と違ってイメージ戦略とフォローがうまいんだこの人は。
>>408
劉備の戦績ってどんなもんなんだろ?
演義は脚色されてるだろうから、正史に残る記述で。
正史も都合上、嘘にはならない範囲内で解釈が分かれる問題は魏晋を正当化し
あまり呉や蜀陣営を持ち上げすぎない(美化するために相対的に持ち上げる場
合はあるが)視点だというバイアスを取り除くと
一番実態に近い劉備像を捕らえられるんじゃないかな?

正史では○○と悪くいってるが、これは正当な権利に乗っ取ったものだったとか
そういう方向性で解釈をしてみるとか。

とりあえず正史の詳しい人、劉備の戦績分かる範囲でプリーズ。
>>409
演義は持ち上げすぎだと思うが、正史では実像より悪くいってると思うがな。
完全にでたらめな記述はできない史書でも、作った王朝に有利になる多少の
バイアスはかかってると思うな。
劉備を下に置く為に、先に見捨てられたのを裏切ったといったりとか、対等
の契約が両者合意で破棄されたのを裏切り呼ばわりしたりとか、実像よりも
幾分悪くいわれてる部分もあると思うがな。
三国時代から2000年ぐらい経ってるわけだが
劉備は戦が強かったと言う考えが出てきたのはいつぐらいからかね?
>>412
もてはやされる時代と殆ど忘れられる時代があったんだと思う。
でもてはやされる時代のたびに実はこうじゃね?
とかいわれるが、結論がでないまま消えてたんじゃないの?
今みたいにネットで誰でも発言できる時代じゃなかったから。
その時代に『戦上手劉備』で物語り書いたら面白そうとおもって
それを面白く書き上げられる人でも現れないと消えてしまってたんだと
おもう。
戦上手だったというより、兵力が頼りにされてたような気がする。
時先主自有兵千餘人及幽州烏丸雜胡騎
>>414
烏丸族の混じった1000騎ちょっとを従えてたって事?
特別凄い数ではなさそうだが。
領地ないのに千?
それはスゲェな・・・
実際に指揮官として優れていたなら
そういう記述が残っていそうなもんだがなぁ
そういや劉備、袁紹んとこでも文醜と一緒に騎兵を率いてるね。
劉備の負け戦の殆どは、
曹操、呂布、陸遜とかの超一流どころばかりだから、
弱くは無いのでは?とかってのを本で読んだことがある。
強いとも弱いとも断言できない状態ってことか

司馬遼太郎か誰かの言葉で、
自分の作品で人物の歴史認識を変えることができて遣り甲斐がある
みたいなことを言っていたが
そのうち劉備も戦上手として認識されるようになる可能性もあるかもね
かこうとんには勝ってるしな!
漢中でずーっと閉じこもって、曹操にも勝ったしな!
>>419
陸遜に負けたのは、戦術負けじゃなくて戦略負けだしな。
相手があえて引いて補給戦や連絡が延びきるようにしかけられて、
自分で直接できる兵力が制限された状態で各個撃破されたわけで
結局当人は城まで逃げ帰れている以上。
戦術レベルでは、陸遜は劉備を捕捉しきれなかったとも取れるかも

勝ってどうなるとか、この戦いにどういう意味があるという戦略は
よくなかったと思うが、やっぱ戦場では馬鹿強いんじゃないかな?

呂布は例外として、曹操に負けた時って兵力差とかどうなんだろう?
関羽、張飛並に馬鹿強かったに一票
>>422
陸遜が深追いしなかったのは、曹丕の侵攻に備える為だし、劉備を捕まえたら
国交回復が困難になるとの政治判断も働いたんじゃないの?

戦術的にも各個撃破とはいえないと思う。
425無名武将@お腹せっぷく:04/05/25 20:05
陸遜に負ける前までは破竹の勢いだったし、
曹操との戦もほとんどが弱いものいじめみたいな兵力差だったし。
ガチンコで曹操と戦えたのは漢中争奪戦くらいか?
三国時代なんてなかった。




漢→晋


427無名:04/05/25 20:19
肯定になったから英雄ともとれる。知的能力がなくても
魅力があったんだからすばらしい人材がついて来た。
正史に基づくなら、張飛、関羽の匹夫の勇はあまり問題ではないと思う。
剛勇と書かれているなら確かに彼ら二人は武芸達者だったのだろうけど、
実際のところ後漢時代には指揮官同士の一騎討ちの慣習はなかったのだから、
劉備も含めた三人は黄巾の乱の中、単純な指揮能力の強さで頭角を現したのだと思える。
張飛でさえ、「下の者に冷たかった」とは書かれているが、単純馬鹿とか猪突馬鹿だとは
言われていない。先入観を排して張飛伝を読むと、粗野で無学だが武直な武人の像
が見えてくる(と思う)

劉備はそういう奴ら二人を部下にして、ごく小規模な集団の頃から活躍して頭角を現し、
嘘か本当か曹操に「君と予だ」と言わせたのだから、直接指揮した戦術能力については
この時代A級と言って良い評価を持っていたと思う。それこそ曹操や孫堅と比肩できるほど。
陶謙が劉備を当てにしたのは、何より名声のある傭兵隊長だからだし、同じ理由で袁紹
にも劉表にも歓待されているわけだ。実際に戦が強かったのが関羽などだったりしたら、
本当に仁徳だけであの割拠の時代に長い忠誠を誓わせることができただろうか?
そうは思わない。そもそもそれぞれ性格には問題があった関羽や張飛の上に立ても
しなかっただろう。勿論「心の人であった」のだけど、少なくとも若い時の立身出世時代
では、その要素は軍人の能力の次、二次的なものだったと思う。

惜しむらくは、「勉強嫌い」だったせいで戦略眼に欠け、曹操のように上に昇るには
長い時間を必要としてしまったことだろう。
429428:04/05/25 20:41
因みにこれは、いわゆる正史「三国志」から捉えた想像です。
それ以外の「実はこうだったかも知れない劉備」をあまり無闇に想像するのは
意味がないと思う。
他の有力な史料がない限りは、今伝わっている三国志が一人の編纂者と一人の注釈者のみの
視点で書かれたものだと承知しつつ、それに対して評論する他ない。

んでもって、三国志は明らかに蜀贔屓の史書。少なくとも王朝の正統性云々については。
人物評については不明(まあ、陳寿も裴松之も諸葛亮ファンだったことは間違いないだろうけど)
長文カシコ。
>陳寿も裴松之も諸葛亮ファンだったことは間違いないだろうけど
「陳寿の親父は馬謖の部下で、孔明を好かなかったために蜀が主じゃなくなった」
とどこかの本に書かれてあったが・・・。鵜呑みにしちゃいかんのかな?
431無名武将@お腹せっぷく:04/05/25 20:57
劉備に足りなかったのは戦略。
早い頃から戦略をたてる人が1人でもいたらまず
劉備が曹操に並ぶ勢力を確保できたのは言うまでも無い。

また個人的な武力も関羽、張飛までとはいかないが人並み以上にあったのは確か。
ただ劉備がやられると軍の崩壊だからいつの間にか一番、後ろで指揮をとるようになっていたが
とりあえず個人的武力は人並み以上であり武闘派将軍であったのは間違いない。
また彼は政治もよくできただの武闘派将軍でなかったのもまた事実。

百点中の個人評価としては・・・

統率・85 武力・65 政治・90 戦術・75(80?) 戦略・30くらい

戦略30というのは黄巾征伐の時の功績などからと
曹操を騙したりした時の機転の良さからプラスしました。
それでも陸遜にまんまとやられたり戦略にかんしてはボコボコだったのは
言うまでもないかと思います。

統率85は統率力はけっこうあったと思うが夷稜の時にせっかちすぎて
劉備本隊と後軍が離れそれによって陸遜にやられてしまったことからマイナスしました。

武力65は関羽、張飛、呂布を100とした場合です。黄巾族を1人でもバカスカ斬っている、
3人がかりとはいえ呂布を追い払った功績などからプラスしました。
しかし途中からはすっかり大将になってしまい後ろに控えて自ら戦うことが無くなって
しまったので評価できなくなりました。

政治90はこれは一国を治める君主なら絶対に必要な要素。
劉備と曹操そして孫権は間違いなくその能力が高かったのではと予想されます。
農民を労わるすべを知り尽くしていたかと。

戦術に関しては>>212あたりの人々の考えに賛成から。
>>430
キチンと正史に目を通してればそれは与太話の類だと一蹴できるのだが
>>430
陳寿が「三国志」を書いた同時代にも「孔明オタ」ってのがいてw、諸葛亮を
稀代で悲運の大宰相だと思っていた。ところが陳寿が諸葛亮伝で、軍を動かしても
勝つことはできなかったのは「思うに、臨機応変の軍略は彼の得手ではなかった
のだろうか」なんて書いてしまったので、陳寿は反諸葛亮だ! みたいな非難を
浴びせられたらしい。
しかしながら、長い伝(君主の伝以外ではダントツの長さ)を読めば、陳寿の諸葛亮
への敬愛の深さが読み取れる。
因みに裴松之の注釈も諸葛亮にはやたら長い。彼の時代でも孔明オタとアンチ孔明が
鍔迫り合いをしていたようで、批判意見と取り上げてから擁護意見を採用する、という
形で、自分の意見を表明している。

この三国志に描かれる劉備と諸葛亮の像は、好きなのだ。
434430:04/05/25 21:16
>>433
へぇ〜。情報サンクス。
やっぱり正史読まなきゃなぁ・・・。読みたいなぁ・・・。
435無名武将@お腹せっぷく:04/05/25 21:23
>>431
ほぇ〜?劉備にただ一つあったのが「戦略」じゃないのか?
むしろ戦術こそ不得意だったんじゃねーの?
よく劉備を形容して「寝業師」と呼ばれる事があるが、
それこそが劉備の「戦略」でもっとも評価するべき部分なんじゃないのか?
一番安いのは筑摩の訳本か?
それでも1冊1500円、全部で12000円するが。
異民族が従ってたのはトータクさんに似てる気がする。
一番もクソも正史の邦訳はちくまのしかねーだろ。
英傑伝とかいうイレギュラーな邦訳本もあるこたあるが。
439無名武将@お腹せっぷく:04/05/25 21:29
>>428
たんなる「戦が強い奴」なら便利使いはされても
尊敬はされないし、高い官職も貰えないだろうね。
あの時代、有名人に人格を認められていないと
対等な人間とは見てもらえないヨ。

戦術能力を指して「君と余だ」なんて言わない
認められているのはあくまで人格。
440無名武将@お腹せっぷく:04/05/25 21:30
>>431
正史と演義がごっちゃになってる時点で
孟光「ぶっちゃけ」
来敏「ありえな〜い」
そう諸葛亮伝と陸遜伝は臣下の伝では断トツの長さ。
陳寿はこの二人には最大級の賛辞を送っている。

…但し裴松之は諸葛亮には大甘なのだが、陸遜には極めて手厳しい…
裴松之が一番手厳しくコキ降ろしてるはカク
>>435
多分戦略って言葉の意味がかなりずれていると思うけど、
劉備陣営に大局的な視点や将来構想が長いこと欠けていたのは事実だろう、
まあ、戦術が抜群に良かったかどうかは知らないが。

寝業師ってのは多くの陣営に加わりながら、
そのつど袂を分かち最終的には皇帝にまでなった、
にもかかわらずなぜか不義理な人物という批判があまりでない、
という不思議な世渡りの上手さを評したものではないかと思うけど、
多くの陣営にふらふらついたり離れたりを繰り返したのは、
長期的な戦略的構想が明白でなかったことの証拠だと思う。
444無名武将@お腹せっぷく:04/05/25 21:40
局地戦レベルでは相当強かったのは間違いない。
正史では、

1 黄巾の乱で手柄 → 安喜の尉 → 督郵をしばいて逃亡
2 何進の命で移動中賊軍に遭遇 → 軍功 → 下密の丞 → 去る
3 ? → 高唐の令 → 賊軍に敗北
4 公孫さんの元に逃亡 → 別部司馬 → (対袁紹で?)たびたび戦功
5 平原の相 → 袁紹が圧迫、斉に逃亡 → 陶謙からの救援要請で除州に
6 陶謙、麋竺、陳登、孔融らのすすめで除州牧に → 袁術をくい・わい陰で撃破
7 曹操の推挙で鎮東将軍・宜城亭候に

でこのあと呂布が荒らしにくるわけだが、ここまでは凄まじいサクセスストーリーだな。大筋では演義とも変わらない。
除州牧就任早々に帝を僭称する袁術と五分に渡り合うのもたいしたものと言える。因みに、陶謙の救援の時は袁紹
からの逃亡中であるにも関わらず、私兵千人、烏丸の騎兵と無理矢理組織した民衆数千人を引き連れている。
門閥政治の風がまだ色濃いこの時代にここまで出世できたのは、やはり戦で生き残る実力プラス人望が無ければあ
り得ない。武で関・張・趙雲、文化人で麋竺・麋芳、孫乾、簡擁らを引き連れていて、足りないのは王佐の才のみ。これ
らの股肱は一度離散するが再度荊州で合流する。大した吸引力である。

初期劉備は戦略と呼べるほどの事が出来る状態じゃないだろ
曹操とはスタートラインが違いすぎる
うん、それに経済面で麋兄弟に支えてもらったのも大きいね。
私材を投じてもいい、と思わせたんだからそれなりの何かは持っていたんだろう。
基本的に金持ちって、身銭を切るのが苦手だし。

ところで麋兄弟と魯粛ってどっちが金持ちなんだろう?
まあ関羽と張飛が部下にいる時点で劉備軍が弱いとは想像できんな
うーむ、1人だけ、正史と演義を混同したまま議論に参加してるヤシがいないか?
>>446
なんか伝説あったよな。。。糜竺には。
神様を車に乗せてあげてお礼に火事が起こることを教えてもらったってやつ。

そういう財に関わる話が作られてるくらいだからやっぱり糜兄弟のほうが凄いと思う。
放火魔?
>>446
あ〜、あったねぇ。魯粛も周瑜に倉一つポイっとあげちゃったり、私兵を組織して演習して
みたりと凄いんだけど、長期間にわたって根拠地の無い大所帯の軍団を支えた糜兄弟の
ほうが上かな?

にしても糜竺は貢献の割には報われなかったなぁ。麋芳はオイシイ人生送ったのに…
452451:04/05/25 22:07
スマソ
>>446→ミス
>>449→正、ね
453無名武将@お腹せっぷく:04/05/25 22:09
>麋芳はオイシイ人生送ったのに…

うそー!2千年後まで関羽を殺した男って言われ続けているのに・・・。
454無名武将@お腹せっぷく:04/05/25 22:10
劉備は戦略が無かったというよりは
戦略的に行動する基盤が無かったって気がしてきた
う〜ん、どうだろう
同じ行き当たりばったり男でもカエサルには戦略が感じられるんだが、劉備は素で何も
考えてなさそうなんだよな…
>>454
得手でもなかったかもしれないけど、生きるのに必死状態な時が長かったからね。
457無名武将@お腹せっぷく:04/05/25 22:15
いきあたりばったりっで皇帝になるのもある意味スゲー話だよな。
458無名武将@お腹せっぷく:04/05/25 22:15
劉備は徐州を二回、益州を一回領しているけれど
徐州はすぐに失い、益州も傾かせた
彼は統治者として全体を管理する能力に欠けている。

反面、劉備は天下の動向をよく見ている。
逃亡先で殺害されず臣従せず心中もしなかった
彼は天下に挑戦する機会を最後まで保持しつづけた。

劉備批判の先は戦略眼云々以前に基盤を保持する能力。
459428:04/05/25 22:16
>>439
最後の行以外はまったく同意。ただ、
「認められているのはあくまで人格」と、
「用兵能力が秀でていなければ頭角を現すことができない」
の、どちらにどれだけ力点を置くかという、見解の相違だね。

>>437
董卓も、宮廷で腐る前は西方の傑物だったしなぁ。
>>458
ああ、それは言えるね。
施政は善政だったらしいけど、なんというか、政治的な守勢は下手だという感じはする。
外交が拙かったのか? これも広い意味での軍学の範疇かなあ。
>>457
趙匡胤とか…
危機意識が強すぎたり、土地に対する執着が薄かったりして、戦わずして逃げたとか。
>>461
趙匡胤はもともと軍閥の御曹司だろ
464無名武将@お腹せっぷく:04/05/25 22:42
やっぱり人望はあっても、もともと確固たる基盤があったわけじゃないのと、群雄の中でも後発組だから、
曹操と袁紹の間に割って入れるほどの力を持ち得なかったというのが答えじゃないか?

荊州や益州ならともかく、守りにくい除州では草刈り場になるだけ、実際狂犬オヤジ・呂布に蹂躙されたし。

戦略的にはやはり曹操が北で戦ってるときに許都を陥れていれば・・・と思うけど、果たして曹操の巻き返し
を許さず中原を押さえてしまうほどの鮮やかな手際を見せられたかと言えば、???がつく。結局見送った
のは身の丈にあった選択だった。そしてそれ以外は曹操相手にはノーチャンスだろ?

かといって許都にいれば、いずれは目の上のこぶとして粛正されただろうし。
>曹操が北で戦ってるときに〜身の丈にあった選択だった。

劉表が許さなかったんじゃなかったっけ?
劉備の前半生は理論立った戦術とか政治観とかはなく、
超人的な時流を察知する嗅覚、戦いのセンスを兼ね備えた
一種の天才のような人間だったと思う。
でも確固たる理論に裏付けられてないが故に地盤を安定させる
ことができず、逆に才能と軍学者としての理論を兼ね備えた曹操に
先を越されてしまった。
ただ曹操自身は「あ、こいつ俺よりもセンスあるかも」と思っていたのだろう。
蜀を得た後は理論的な部分を補完する臣下を得て、漢中での曹操との
直接対決に勝利したわけだから、「君と予だ」の発言はそれを
予感した上の曹操の本音だったと思われる。
467無名武将@お腹せっぷく:04/05/25 23:02
いや、だから官渡で袁紹と対峙しているときだってw

袁術を撃つために兵を預かり、そのまま除州に居座って曹操の追っ手の劉岱と王忠を討った時点で
既に曹操に反旗を翻している。また東海の昌覇の反乱によって郡県の多数が曹操に反旗を翻したた
め軍勢は数万に膨れあがっていた。さらに袁紹とも連合し、あとは一刻も早く許都を囲めば曹操は官
渡で立ち枯れていたはず。逡巡しているうちに、曹操の方が離脱して少数で一気に攻めてきたので、
ほとんど丸裸で逃げ出してしまった。

ここが劉備の生涯最悪な所と言っていい。ここで曹操との将器の差があからさまに出てしまった。
>>467
劉備を討ってから官渡に逝ったんだろ>曹操
469468:04/05/25 23:09
あれ勘違いだった。スマン>>467
470無名武将@お腹せっぷく:04/05/25 23:13
>>468

「『魏書』にいう。このとき、曹公は官渡にいて、手を離せない状態だったが、諸将を官渡の各陣営に留め置き、
自分は精鋭をひきいて劉備征伐に赴いた。劉備は最初、曹公は大敵と対峙しているから、東征できないと思っ
ていたところが、斥候の騎兵が突然やってきて、曹公がみずから来ると報告した。劉備はひじょうに驚いたが、
なお信じかね、みずから数十騎を従えて陣の外へ出、曹公の軍を望見した。指揮の旗をみると、たちまち兵士
を見棄てて逃走した。」
>>467
確かに将器の差は出たが、劉備を責めるのは酷。
官渡をほっぽりだして曹操自身がくるとは劉備でなくても予想不可能。
それこそ前述の基盤整備優先が正解で、劉備は逡巡すらしていないと思う。
しかしこれも曹操の劉備重視の表れだから、「君と余だ」の裏づけになる。
曹操の凄まじさが際立つが、ある意味劉備の凄まじさも出たね。
…ちょっとなさけない方向で。
董承の内応に期待してたらあっさりバレて殺されたんで行くに行けなくなったんじゃないの?
>>472
むしろ徐州行きは董承の巻き添え食うのを避けたんじゃない?
そのへんの読みは鋭いぞ。
474無名武将@お腹せっぷく:04/05/25 23:39
>官渡をほっぽりだして曹操自身がくるとは劉備でなくても予想不可能

その通り。だから>444で「足りないのは王佐の才のみ」と書いた。だってね、あーた。
もし曹操が袁紹との決戦に勝ったら、次は自分。それもひねり潰される事明白。
ただ、官渡の時点ではまだ袁紹側が圧倒的に優勢で、有力な部下を派遣する余裕は曹操には全くなか
った。だからこそ郭嘉らが劉備を放つなと諫めた。没落した袁術を討つのは容易だし、その後除州を再度
獲るのも目に見えている。決戦を前にしてそれはご無体な・・・、という当然の反対だが、なんで曹操は聞き
入れなかったんですかね?

つまり、中国史的にも又劉備の生涯においても、この時が唯一最大のチャンスだった。それぐらい曹操
との実力差は隔絶していたということでもあるが。仮に皇帝就位後に、荊州を関羽の最大版図まで領有
し、連動して漢中から撃って出たとしてもこの時を超える可能性は無かっただろう。
ちょっと出たが、劉表の許で、あくまで劉備は北を見ている。曹操が着実に勢力を
固めていく中原を、じりじりとしながら睨み続ける7年間だっただろう。いつか隙が見えればその時はと。
中原が中心地である以上、これは『中原の群雄』として当然のことなのだ。権威も力もそこに集中している。

しかし、ある時噂から巡り合った諸葛亮という男は、それをあっさり覆して「南を見ろ。まだ地面がある」と
180度視線を転回させたのだな。
天下二分、三分の計は必ずしも諸葛亮のオリジナルではないとしても、問題じゃない。
能力という群雄を見定めて進言し、その実現に大きく貢献する実力を現に備えた「王佐」の才と、
劉備という叩き上げの群雄との、鮮やかな対比だと思う。
官渡で曹操が滅びたら遠紹の天下になるだけじゃないの?
失礼、最後から2行目、

>>能力という群雄
→能力のある群雄
歴史にたらればは無いからねぇ…
>>478
でも未来予測としては有るのだ。
>>475の意見を受けて想像するが、

曹操の見込みとしては、
・対袁紹戦を控えて子飼いの部下を主戦場外に向けたくない。
・一軍を率いて遠方を治めるほど権威がある人間は、夏侯惇級を除けば劉備のような
 外様の群雄しかいない。
・曹操としては劉備を信じたかった?

劉備としては、
・ここで裏切っちゃえばあとは袁紹勝ってくれるだろー

と思ったのではないか。
480無名武将@お腹せっぷく:04/05/25 23:54
>官渡で曹操が滅びたら遠紹の天下になるだけじゃないの?

その通りだよw ただし、連合軍&後方攪乱(つうか曹操の本拠占領)の功績は決定的で、守旧派で旧秩序
復活派の遠紹にとって、皇帝一族の玄孫を売り物にするスター・劉備は粗末に扱えるはずはない。劉表も
遠紹も劉備をすごく大事にしているが、いってみれば門伐貴族にとって宣伝に使いやすかったんだろう。曹
操も結局手元に置いているときに処分できなかったが、これが理由かもしれない。
>>475
なるほど…
天下三分なんてあまりにもあたりまえすぎて捏造間違いなしと思ってたけど、
その意味が劉備の視線の転回にあるとしたら納得できる。
だいたい、烏丸とかが近所にいるとこに住んでた奴が、最後はパンダが住んでるところで皇帝になってる、ってのがスゴイ。
483無名武将@お腹せっぷく:04/05/26 00:04
>>480
袁紹は元々反献帝派で、劉虞を皇帝に祭り上げようとしていたことがあった。
曹操を倒して中原を掌握した暁には、劉備を擁立しようとしていたかも・・・・・・
>>480

そうだな。みんながほしがった宝物みたいなもんかな。ルックスばっちり、部下は猛者連、野心はない(それは嘘w)、
でも礼儀をわきまえていて、みんなの人気もあるから。血筋も皇帝の子孫(?)w

「へっへ〜、俺劉備もってるんだぜ〜〜〜!!関羽も張飛もついちゃってさ!!」ってガキ見たく自慢する感じ?
>>433
うおーわかりやすい
ちなみに正史読むならどれがベストですか?
>>485

ちゃんと過去ログ嫁
>>482

ふ〜〜〜む・・・。

劉備はパンダ食ったんだろうか・・・・・・・。
劉表と劉備は同じ景帝の子供(魯王と中山王)の末裔だよ
>>485
陳寿著・裴松之注の『三国志』全訳としては、ちくま書房のものがある。文庫化している。
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480080406/qid=1085498245/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/250-6644653-7680239
これが日本語で手に入るほぼ唯一だろう。高いねぇ。

解説本としては、自分は読んだことはないが、
ttp://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?KEYWORD=%8E%4F%8D%91%8E%75%91%53%90%6C%96%BC%8E%AB%93%54
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198600635/qid=1085498631/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/250-6644653-7680239
前者は単巻なので、多分簡単なもの。
後者は前四巻でしかも単行本なので、1万以上する上に、情報量も「?」かもしれない。
多分他にもいくつか出てると思うけど、ミーハー本の類だろうと思う。詳しく知らないので書店で実見してくんろ。

翻訳『三国志』を読むとしたら、この手のものに慣れてない人は色んな意味で気合いれるベシ。解説とか面白いよ。
>>479
曹操はそこまで甘くないという立場からの妄想

劉備の徐州派遣は、反乱、討伐が前提だった。
官渡に従軍させるにも寝返りの不安があり、許都に残せばのっとりの危険が…。
かといって理由なく処分するには大物すぎた。
そこで徐州派遣。
思惑どうり反乱した劉備を油断させるため、まずはヘボ武将二名派遣。
あっさり返り討ちに成功し、曹操の今の状況ではこれが精一杯と高をくくる。
そこへ電光石火で曹操本人が来襲。

朱霊が同行してるし苦しいな…
朱霊って曹操から憎まれてたね、たしか
>>490
裏切りを前提として遠方に派遣する、というのは、よっぽど危険な賭けだと思う。
それに、不安定な基盤の上で貪欲に勢力を広げようとする覇道の途上で、
そういう計略をし掛けるのは群雄の心理に背くのではないだろうか。
成功して皇帝にでもなった後、武勲が巨大な臣下を叛乱するように仕向ける、
というのはありえるけども。

それから、本筋と違うし劉備偏愛と思われるかもしれないが、
劉備は敵と対面している戦場で正面の敵に寝返る人物だったとは思い難いし、
確かやってはいないはず。やばいと思ったらトンズラこきはするだろうけども。
>>482

物凄いほのぼのとした光景を想像しちまったよ
劉備の場合(劉表も?)、あくまで血統は自称だからわからねえよな・・・。

それにしても、やっぱり曹操が劉備を解放した理由がよくわからん。いくら袁術が
ごそごそしたって、既に崩壊状態だからほっといても京師を衝くどころか、袁紹と
連動して後背を攪乱することすらできなかったわけだし。

みんな劉さんには甘くなるんだよな・・・・・。催眠術?
>>492
呂布は?
まあ劉備が呂布と共同戦線を張って曹操と対峙してたわけじゃないか。

劉備を泳がせておいて、その土地周辺の
反曹操勢力を一網打尽にって妄想もできるかも。…無茶すぎか。
>>494
ま、当人だったのかどこかで摩り替わってたのかは知らないが
一応漢の戸籍では皇族として記録されてたんでしょ?
劉皇叔と呼ばれる経緯で記録の確認くらいはしてるだろうし、
情勢的に劉備の生家が皇統の特権で租税免除されてたらしいとかいうし

多少眉唾の部分がない事もないが、資料は整った状態で名乗ってた
ってのは確かだったんだろうし。
ま、同じ立場の皇統が数千人は居た程度のものらしいけどね。
漢王朝の劉家の末裔というのは、二万人ほどいたらしい(ノーソースですまん)。
劉備はその末端の一人に過ぎないが、れっきとした士大夫階級には違いない。
むしろ売りとか呼ばれているのは、父親が早死にして没落したためで、祖父は郡の令に
なっている。また、盧植に遊学した際には一族の人間に学資を出してもらっているので、
親近の一族達としっかりした関係を維持していたと考えられる。必然的にちゃんとした系図が
残されていただろう。士大夫の家系はちゃんと宮廷の当該部署で管理されているので、
信頼していいだろう。宗正府?
決して戦乱の中でぽっと出てきて後裔を自称していた無頼漢、というわけではない。
まあ、その若い頃の事績が全部捏造だとか、陳寿が都合の悪い記述は全部削除したとか
いうなら、別だが。

>>494
おりゃー、だいたいの人物に対して評価「甘い」よ
当時の群雄が劉備に甘いって事じゃないのかな…
袁紹や張迫、劉備が呂布を受け入れたのと
曹操らが劉備を受け入れたのに大した違いは無いと思うが

手元に置いておけば何かの役に立つだろうくらいの考えだったんじゃない?
互いに利用し合っただけで甘さとかは関係ないと思う
500無名武将@お腹せっぷく:04/05/26 16:56
500
501無名武将@お腹せっぷく:04/05/26 17:01
史実か知らんが、幼年時代にロショクのとこで勉強したのが本当ならそれなりに
裕福な家だったのかなあ?当時そんな教育を受けれるのは相当限られた人だろう。
そうすれば皇族の末裔ってのもうなずけるように思う。素人の妄想です。
うむ。
とりあえず過去ログ読もうな。
503無名武将@お腹せっぷく:04/05/26 17:35
前書いたのになんで誰も気にしてくれないの。

劉備のすごいところ。

戦争の継続能力 (継戦能力)。
少なくともこれだけは群雄の中で一頭地抜いてバケモノ並だよ。

三国時代の戦いの時間の長さは長い順に、
夷陵の戦い、益州攻略戦、荊州争奪戦である。
次に長いのは官渡の戦いとかだが、荊州争奪戦と比べても倍近い差がある。
これら長い戦いのすべてを起こしたのが劉備である。

精神力の強さというか、戦争の盟主に不可欠な不屈の意思が感じられる。
太平洋戦争の長期化で嫌戦状態になり崩壊した日本の指導者層を想起し比較せよ。
504無名:04/05/26 17:55
>>501
ロショクに教えを乞うことができたのは自分が皇族ということを
おしえたからなんだよ。
505無名武将@お腹せっぷく:04/05/26 18:06
>>504
じゃあ、平家の落人みたいなもんか?
2get
>>503
長けりゃイイって門でもないと思う。
早く終わらせる実力がなかったから、引き伸ばしたとも取れそうだし。

益州攻略戦の時って劉璋の息子に一年ぐらい足止めくらったんでしょ?
夷陵の戦いは長いというか長引かされたというべき。長大な三峡でさんざん補給線を引き延ばされて
頭を出したところで叩かれたに過ぎない。

老いたとはいえ皇帝としてその力の絶頂にあった劉備がガチで行った戦いと言うことで、ここに劉備の
戦術・戦略能力が如実に現れている。赤壁では本当に火計だけで曹軍が撤退したのかどうか不明だ
が、火計が脅威と言うことは季節的にも常識。また、補給については長江から容易であり、陣を引き延
ばした理由も不明。別働隊をうまく運用するでなし、後方攪乱するでなし、それほど攻めにくいわけでな
い夷陵に時間がかかった時点で半分失敗だった。

また、戦略目標としても何処まで行けば呉と停戦協定を結べるのかも不明で、仮に趙雲、張飛、馬超ら
がいてもどうだったか。全滅は免れたとしても。
>陣を引き延 ばした理由

陸遜の孫の陸機が弁亡論に「地形状そうならざるえない」とかえって弁護するようなことを書いてたぞ。たしか
地形的に陣が伸びるのは仕方なかったとはいえ、
黄権の忠告を無視して慎重さを欠いたあげくの大敗だからなあ
ホウ統や法正のような参謀が側にいれば良かったのかもしれないが
やはり地形が悪すぎと言うことじゃね?
第二次以降の北伐と一緒で、複数の侵入ラインがない状態だから、天然の縦深陣地に
引きずり込まれた時点でもう不利だという自覚が劉備にあったかどうか。
呉にすれば関羽の敵討ちという名目の怒りにまかせた進軍だから、落ち着いてゆっくり
受け止めればいいということは初めからわかっていた。まあ同時に魏にも攻められらか
ら危うかったのも事実だが。
512劉備はJPHONE:04/05/26 21:20
>>1
ワラタ
とはいっても陸遜の持久策に呉将の多くは反対してたし、まったく勝利の可能性がなかった
というほどではなかったろう。
>>513
呉の将は劉備と戦った事がないから強さを知らず侮ってたのかもしれない。
まともに正面きって戦うと恐ろしいほど強いという評価を知っていたのが陸遜だけ
だったという可能性は捨て切れないとおもう。

劉備が弱いなら、荊州の領有権でダラダラもめることなく一気に征服してれば良かった
訳だし。正面きっての戦いでは劉備を破るのが困難だと思わせるだけの強さはあったん
じゃないかな?
でも長江を蜀から下る作戦てたいてい成功してね?元とか。呉が滅びたときもそうだし。
夷陵直前なら、漢中で曹操を破って絶頂期の頃だから強いと思うのは普通なんじゃない
>>515
兵力が全然違うがな
多方面作戦だし
呉将が劉備を侮ったってことはないだろう
劉備が態勢を整える前に出鼻をくじこうってのが大半の意見で
劉備の方もこれを見越して罠を張っていたが、
結局、陸遜の方が一枚上手でボロが出てしまったんだろう

劉備は部将としては優秀だったかもしれないが、
駆け引きでは陸遜や曹操に及ばず、これを補佐する人材も
人材収集に出遅れたのもあって魏呉に遅れを取ってたんじゃないかなあ

まあ、最後が悪かったとはいえ、何もない所から一国を興したのは
英雄と呼ぶに十分だとは思うけど
とりあえず力を見せたところで交渉しながら撤退しとけばなあ・・・。
それなら最低でも三峡の出口は確保できただろう。

その時の戦力を温存できれば、漢中から関中に出て、魏を破るのもかなり可能性が高かった。
曹操も死ぬし、司馬仲達はまだ台頭してない。

確かに荊州閥にとっては存亡の秋!と色めき立ったのも無理はないが、それを押さえることが
出来て初めて名君と評されただろう。関羽を祀るのは中原を回復してからでも良かったし、実際
曹操も手厚く祀ってくれている。
520無名武将@お腹せっぷく:04/05/26 23:00
というか、自分の下した命令や戦いで、
沢山の命が失われてるということに耐えられるだけで凄いよね。
まあ劉備のばやいは耐えられずに憤死したからまだましかな・・・。

でも、4万が数百だからな。みんながみこし担いでやっと皇帝になったのも一人で
おじゃんにしてからに・・・。
間違えた、腐女子だ、ゴメン。
>>522
誤爆。
_| ̄|○
腐女子がおじゃんにしたかと思った
>>524
やっと腐女子になった、ってことじゃないの?
それをおじゃんにした。
>>507
別に一年以上かかる甲状腺など珍しくもなんともないが?
>とりあえず力を見せたところで交渉しながら撤退しとけばなあ・・・。

そんなに簡単に戦争は終わらないし交渉してケイ州とりかえしても
天下取れるほど甘くないと別スレで討論があった。
腐女子がみこし担いだ。
529無名武将@お腹せっぷく:04/05/28 00:06
age
>>527
戦争に勝たなきゃけい州は取り返せないよ。
夷陵の戦いって最初は蜀軍が押してて、呉は陸遜が出てくる前には
荊州を担保に和睦を考えてたんじゃなかったっけ。
蜀軍の方でもそれに応じるべきだって話だったけど、劉備が頑として聞かなかったって。
あー、でもこれ演義での話だったかな…。
その場にいないと分からない事もある
533無名武将@お腹せっぷく:04/05/28 01:22
スタート時点での勢力比で言えば、
曹操1000に対して劉備1か2ぐらい(当社比)、
曹操が死んだ時点で5:1位だっけ?
あれだけの数の戦闘を繰り返し、大負けしてもくたばらない所が
彼の集団が持っていた軍事力の凄さと
それをまとめ上げた彼のリーダーとしての
精神力・頭脳・体力・腕っぷし・人望が非凡で有る事を証明している。
運だけじゃのし上がれないよ。
534無名武将@お腹せっぷく:04/05/28 01:25
劉備が英雄の資質があったかどうかはともかく
演義で言われているように忠良の士であったのかと言われると、否定したくなるな。
だって劉表のケイ州も劉ショウの益州も奪ってるじゃん。
ケイ州の場合、劉キが控えめな性格で若死にしたのであまり奪ったという印象はないが
益州の場合は明らかに簒奪している。
劉備のセコイところは、野心があるくせに、仁義にもとるとか言って優柔不断になってみせ
群臣に説得される形で行動をとること。まだ自分の欲望に忠実な曹操の方が潔い?

仮に劉備が曹操を倒し、孫権を屈服させ、洛陽に入城したとしても
献帝が安らぐ日は来なかったと思う。結局は董卓、李・郭、曹操の再来。
献帝は劉備排除に動き出し、劉備も「悩んでみせて」、「群臣に説得される」形で
献帝の力を殺いで、行き着く先は劉備一族による皇位簒奪か。
(劉備自身は周の文王で終るかもしれんが、その子孫が孔明らの扇動により皇位を奪うだろう)
ただ漢王朝にとって幸いなのは、簒奪者自身も漢室の劉氏であること。名目上は漢王朝は持続することになる?
セコイって…
曹操も部下に説得される形で魏公になるんだけどねw
>>534
懐かしいな
PC-98時代の光栄ゲーやった後に三国志関連の書籍をちょっと読んだ厨房みたいな意見だな
今時分では恥ずかしいだけだぞ

>>534
> 劉備が英雄の資質があったかどうかはともかく

そもそもの、論点がずれてますがな兄さん。
良くそこまで一人で突っ走れるよなぁ…

とかいう漏れも、劉キは劉備に暗殺されてるとか思い込んでるけどなw
まあ利用はされてただろうね。
劉キを祭り上げてれば、呉は劉備の取った荊州南郡の権利を主張できない。
そして劉備が荊州南郡を掌握した頃に都合良く病死。
きな臭くはあると思う。
>>539
劉表や陶謙も結構臭いぞ
>>533
なるほど。スタート時が1000対1として、最終が10万対2万くらいだ。
差は999から8万に広がってるな・・・w
>>542
実は、スタート=黄巾の乱なり反董卓連合也なら
1000対1も差ないんじゃないの? 精々10倍〜頑張っても100倍
一度官渡頃に大差を付けられてその時が一番大差だったんじゃないか?

一度大きく差をつけられた状態から巻き返せたのは凄いと思うよ。
初期の話なら、手元の兵力差よりも、名士と交遊がある曹家の人間と士大夫階級の最末端という
差が一番大きいのではないか。
>>544
当然、一族的背景も含めた上での1000対1の実力評価な訳ですよ。
財力、名声も含めば実際は10000対1かもね。
そこで劉備流の宣伝文句が漢王朝の親戚筋って事になるのね。
そう言う立場の人はイクラでも居たので、
部隊長としての才能がなきゃ相手にもされなかっただろうけど。
実際、腕っぷしが評価されて地方官に任命されてるんだから、
周囲の人々は成る程、さすがは漢王室の血を引くだけの事は有るなー
とか思ったんでしょうね。
武力で出世し、それに名門の血筋の宣伝効果を被せて名声を集めた
ってのが劉備のサクセスロード。
>>545
曹操が1万だったら、
袁紹は100万ぐらいだな、
孫堅は10万ぐらいか。

だからどうしたって話だけどw
しょっぱな劉表が土地くれるっていったときに、
「私には忍びない」とか言って受け取らないとか、ちょっと理解できないところがあるんだよな。
良い所見せるって言うんなら、曹操攻めこんできてるのに博打っていうより自殺物だしな。

トウケンのときだってあんなもん自殺行為もいいところだろ。

やっぱ理解できん。
>>546
ヲイヲイ、長沙太守にすぎん堅親父がどうして曹操の10倍もあるんだよ(w
>>548
玉璽もってるからってのは駄目?

じゃあ3万ぐらい?1万5000千?
名声などは曹操よりあったと思うし。

しかし、劉備の1には突っ込まないのね。
何か急に厨臭くなってるなw

黄巾の乱で、各地の軍が動かなかったのを、刺使が太守に比べて権限が小さすぎるということで、
新たに牧を設けることになった。それが他ならぬ劉焉。そして半ば自分で選んで益州に出向いた。
お手盛りもいいところではある。

一方劉表はもっとせこい。劉表だって所詮は赴任した刺使だが、一気に荊州を掌握するためのか
い越の献策で、うまい話でおびき寄せて一気に太守や県令の首を刎ねてしまった。そのすう55に
のぼったとか・・・。

あと、裏切ったとか言われる公孫賛、袁紹、呂布、曹操、みんなそんなに誉められたヤシらかって
えのw 簒奪ってのも、禅譲の形が取れなかったとき使う言葉だし、皇帝権の場合だけ。蛇足過ぎ
て自分でもイヤになるが。
551550:04/05/28 19:37
おっと。

>新たに牧を設けることになった。それが他ならぬ劉焉

→ それを献策したのが他ならぬ劉焉

スマソ
劉焉は蜀には皇帝の気があるとかわけわからんこと言って自分から行ったんだよな。
当たってたけどな。
惜しかったな
>>548
そうだよね。
2万くらいかな。
地方の有力豪族って程一族に力は無いけれども、
孫子の後裔で孫堅自身は武勇の人。
海賊退治で有名になって地方の官職に着てたわけだし。
周りを固めてた子飼いの武人達に華北出身者が多いのが興味深い。
劉備の周りを関羽、張飛が固めてたのにちょっと似てる。
孫堅には任侠の親分的な匂いを感じますね。
袁紹は名門中の名門なので10万位で。
曹操の実家は金だけは持ってたぞ。発掘された墓から見てもかなりの豪族だ。
ただ代々中央権力に食い込んでた一族だから、軍事力必要なかっただけ。
汝南の袁一族は総合で100万位じゃないの。
袁紹、袁術、袁遺、袁隗等。
558544:04/05/28 21:12
>>545
背景まで含めるのか。戦闘力じゃあるまいし、そんな数値化してもなぁ。

さて。
>>547
陶謙の徐州については、結局受けている。

劉備は仁義に厚いと評価されているが、これは現実的な仁義だと自分は思う。
根底には劉備の人の良い部分もあったとは思うが、政治的には、劉【王宗】や劉璋を
不意打ちで殺して州を奪っても民や豪族の信頼は得られないと知っていたからではないか。
だからこそ、諸葛亮や張松が進言しても最初取り合わず「大事であるので慌ててはいけない」
と答えたのだろう。実際、後に薊・益は機会を捉えて手中にしているのだから。
もちろん、劉備の人生の中には結局失ったものも多いけれども。
また新野を放棄する際にも、民衆を連れていったのは「人質」だ、とする論をどこかで見たことが
あるが、自分の考えはもう少し柔らかい。あの時確か劉備は2000人の兵士を所有していた。その
兵士達の家族はどこにいるのか? という訳だ。7年も駐留していれば、もとから付いてきた
兵士達にも家族ができる可能性は十分ある。北から大軍が攻めてきて、街がどうなるか、
勢力図が今後どうなるか、わからない。民衆は城守について来たいと言っている(まあ、三国志
にはそう書いてある)。
これからの戦いを考えれば絶対に手放せない2000人だからこそ、不利を承知で民をも連れて行く
しかなかったのではないだろうか。
劉備という人間はこういう政治的に理に適う仁義の持ち主だったからこそ、若い頃から部下に
慕われ、最後には皇帝にまでなったのだろうと思うのだが。
腕っこきが集まってたと言う点では劉備と孫堅は似とるが、
華南の孫堅の古参の武将の韓当とか程普が華北出身ってのは、
何か理由が有るのか?
>>560
地元で嫌われてたから。
どこそこのお嬢さんを嫁に欲しいと申し込んだら、親戚一同に断られたという逸話がある。
>>559
長野県知事、田中康夫のブレーンが東京出身みたいな理由。
>>560
大変ですね
要するに良家の出身者から見れば鼻つまみ者ってことだな。
中央の目がゆるい所で一旗ageようっていう無頼集団の頭目くらいに思われてたんだろう。
孫堅は昔、小賢しいだけのしょうも無い男みたいに言われてたからな。
ちょっと曹操のアマンと似てるか?
565無名武将@お腹せっぷく:04/05/28 22:32
>劉備が曹操を倒し、孫権を屈服させ、洛陽に入城

→劉備の専横 →献帝、孫権に劉備討伐の密勅 →劉備側に露見・献帝一派の粛清
→孔明、劉備に帝位簒奪を勧める。劉備「わしは周の文王たればよい」
→劉備死去 →劉禅、献帝を廃し自ら即位、孔明を丞相に →孔明死去
→劉禅、遊楽にふける。宦官が実質支配。朝廷の腐敗 →天災・飢饉・疫病の流行
→誰かが怪しげな呪術により地方の人心をつかむ →そいつが乱を起こす
→朝廷軍が辛うじて鎮圧するも権威は地に落ちる。朝廷では宦官が跋扈が酷くなる
→酒女中毒で劉禅死去、後継ぎをめぐって宦官と外戚が内乱、共倒れ 
→朝廷の混乱に乗じてギエンが朝廷を制圧・専横
→関・張・超・馬・諸葛など建国以来の諸侯が反ギエン連合軍を結成
→両軍激突するも、連合軍の諸侯も野心があって結束が崩れ自然霧散
→ギエン、帝位簒奪の野心を逞しくするも美人局の計と馬岱の裏切りにより誅殺
→以下群雄割拠
566公遜淵 ◆A91YS3fPv2 :04/05/28 22:46
>>565
さすがに悪く考えすぎだろうとも思えるが。。。

孔明死去が速すぎるのが痛いか?
でも、費イや蒋エンはまだ健在だろうし。
まともな国があったら劉禅は良い二代目になってたと思うんだけど。。。

あと、魏延は朝廷を征圧して専横出来る器量は持ってないと思う。
あくまでも一将軍だしなぁ。。。

漏れは魏延の反乱は魏略の説を信じたい。。。
裴松之にも突っ込まれてるけどね。。。
567無名武将@お腹せっぷく:04/05/28 23:05
>>566
まてまて、反魏延連合軍からなんかおかしいぞw
568公遜淵 ◆A91YS3fPv2 :04/05/28 23:07
>>567
まぁ、ネタにマジレス覚悟でやってることだから。。。
>>565
最終的には、劉ェが再び統一して蜀の光武帝になるんでしょ、
と言ってみるテスト。
>>547
劉表は土地をあげるなんて一言も言ってないぞ
劉表は劉備のケイ州での人気が高まるごとに
警戒して最後まで疑って死んだんだぞ
>>570
誰かが劉表死んだ時に、「この隙に荊州を奪ってしまえばいい」と言ったのに、
「私には忍びない」と言ったんだけか?
まだ演義と正史をゴッチャにしてるアホウがいやがる。
多分>>572>>571に対して発言したんだろうけど、
劉備は本当にそう言ってるよ。

先主伝にちゃんと書いてある。
うん?よくわからんが
>>547は劉表が劉備に土地をくれるだろ?そのレスに正史に(柱だったけ?)
載ってた事を>>570が書いてくれていてその
レスの571は全く関係ないようだが?

書いてててもよくわからん
劉表死後、諸葛亮が劉備を唆して、荊州を取ってしまえと言った。
劉備は、劉表に受けた恩を仇で返して劉【王宗】から土地を奪うのは「しのびない」と答えた。
(三国志先主伝)

また、裴松之の引用した「英雄記」の記述で、病床の劉表が劉備に荊州を任せると言い、劉備が
これを遠慮するという話はある。裴松之は、「そんなことはありえない」と反証するつもりでこれを
引用したのだけども、演義ではこれをあえて採用して劉備の人望と義心の描写を強化するのに
使っている。
どっちにしろ、荊州の曹操降伏前後では劉備がいきなり荊州牧になっても混乱するだけだと思うがな。
曹操降伏を推進した連中と抗戦派(劉備派)の対立がエライコトになるんじゃないかと。
義としてというより、やられないようにと荊州を奪わなかったんだよ、あの時点では。
現に曹操追い出したらなってるしな、結局は。
>>573

勝手に解釈すんな。
>>571は関係ねー。
>>577
お前もレス番ちゃんとつけろよ。
じゃないと誰に言ってるのかわからんだろ。
義に溢れてるのかどうか知らないけど、時々利に合わないことするんだよな。
荊州のときも民連れて逃げたり。

あと、単純な武力は結構あったと思うよ。
関羽や張飛なんかの無頼漢のリーダーだったわけだし。
劉備の人格と能力についての最近の評は、
 >>393 >>428-429 >>439 >>459 >>444 >>454 >>458 >>466 >>474-475 >>558
こんなところか。
曹操と立場が逆だったら、両方とも結構初期の段階で死んでそうだな・・・
荊州で妻子まで捨てて逃げるようなやばいときに民衆は捨てずにつれて逃げるから、
「何で捨てて逃げないんですか?」って聞たら、「全ての元は人にある」みたいなこと答えたりするのはやっぱりどっか凡人とは違うとは思うけどな。

劉備にとって
民衆≧関羽張飛>名将達>>>妻>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>息子

「妻子は衣服の如し、兄弟は手足の如し」ってのは劉備の言葉だったかな
って関係ないか
民衆の中には兵士たちの家族もいるわけじゃんか、
連れて行かなければ関羽のように家族を盾にとられて兵士離散になっちゃうよ
普通の人間の価値観から遠く外れてるが故に英雄なんだよ。
みんなと同じではただの人じゃないか。
そういうところにある人は仁義を感じ、ある人は英雄だと感じ、
ある人は庇護欲をかきたてられ、ある人は警戒する。
>>583
劉備にとっててのもあるだろうけど、
当時の価値観だから今では判断できないだろうね。

それと息子の評価が低いけど、当時の世襲するって背景からみれば
子供の評価は低いとは思えない。
自分よりは大事ではないが、その次ぐらいの評価だと思う。
ただ名将ってのが自分を守る存在であるから息子より評価は上ってことになるが。
>>586
投げ捨てた、ということを暗に言ってるとおも
中国人の価値観では
友>>>>(越えられない壁)>>>>子供
だそうです
子供はまた作ればいいからだとか
投げ捨てたってことは、逆に考えれば
子供が大事なものであり、それよりも部下が大事ってことを表すと思う。
当時の価値観で
友>>>>(越えられない壁)>>>>子供
であるなら子供を投げ捨てたって部分をあまり強調しないのでは?
劉表の世継ぎ問題とかみる限り子供ってのは
軽視される存在ではないように思う。

養子にポンポン出されてしまったりとかはするんだが。
ヤクザ集団だから仁侠の義理を軽んずるわけにはいかなかったんでしょう。
儒学では
友>>>>(越えられない壁)>>>>子供
>>589
儒学的な建前は>>591のいうとおり、
しかし、全ての人間がその建前どおりの行動できるわけではない、
一般的にやはり我が子はかわいい。
しかし、儒学的建前どおりに劉備は子供を投げ捨てた、
つまり、子供を投げ捨てた逸話は、
劉備が私情より儒教的倫理観をとる立派な人物ということになる話なわけですよ。
劉禅の評価から立ち返って、軽んじられている説。
先祖の劉邦の故事に倣ってる説。
劉禅の打ち所が悪かった説。
劉備は桑の木を見て俺は天子になるぞとかいったらしいから
高祖ぽいより項羽ぽい記述があったり
劉禅云々はまた別問題だろうけどね。。。

でも、先主伝に演義みたいに、趙雲が救出した劉禅を再び投げ捨てた話はなかったよな。。。
妻子を捨て、逃走したとはあるけど。。。

これは演義の創作なんだろうなぁ。。。
>>593
劉邦の故事ってあれか、
項羽に負けた劉邦が子供を二人連れて、他の部下一人と馬車で逃げている時に、
途中で追っ手に追いつかれると思った劉邦が子供を馬車から投げ捨てたってやつ、
それで、馬車を止めて子供を拾おうとする部下に向かって、
劉邦「馬車を止めるな、子を捨てるのは考えあってのことだ」
部下「いかなるお考えでございますか」
劉邦「馬車を軽くするためだ!」
と言ったっていうやつ、
司馬遼の「項羽と劉邦」で読んだが本当にそんなようなことがあったのか?
yes!yes!yes!!
曹操が曹昂を失った様に、
劉備にも若い時期に亡くした息子が居た様な気配がするのだが…。
今となってはわからない。
>>598
それよくある三国志の小説の話なんかじゃねーの?
>>598
まあ、160年前後の生まれである劉備が40代半ば過ぎる207年まで子供が1人もいないと
いわれるとそれはそれで変だろうしな。
入蜀以前に死んだ上の子がいたと考えた方が妥当ではあるだろうな。
子供が死ぬ機会なぞ幾らでもあったわけだから。
たしか汝南で娘は捕まってる
602598:04/06/01 18:51
確か、捕まった家族が殺された(らしい)と言う記述が史書に有ったよ。
徐州時代辺りかなぁ?
1.たまたま男の子だけできなかった
2.本気で作るヒマがなかった
3.できたけど育たなかった

という説明はできるが、まぁ若死にした可能性は否定できないね。
あんだけ流転して負けつづけてりゃ、無理もないと思うけど。
604無名武将@お腹せっぷく:04/06/01 22:06
赤壁では有名どころは死んでないけど、夷陵ではイパーイ死にまくり・・・・・。

つうことだから、少なくとも三国時代最大の敗北者は劉備だと思うが、どうか?
>>604
とはいえ、元手が元手だから負けても痛くないw
>>604
ソソは劉備に比べて引き際が違うね

赤壁しかり漢中しかり
昔は赤ん坊の出生率が低かったからな。
だから権力者はハーレムを作って確実なる子孫の繁栄を目指すんだよ。
>>604
そもそも赤壁でそんなに激しい戦闘が有ったかどうか事体が疑わしいわけだしな。
魏書では、手こずりそうだから止めたって書いてるだけだし。
確かに赤壁も大きかったけど、もし夷陵が無かったら劉備存命中に関中奪取も可能性が
あった。それぐらいの武力を保持していたという意味で。そうすれば、本当の三国鼎立が
成って、歴史が変わっていたと思う。官渡、赤壁と並び称されるが、猿昭はいずれ曹操に
破れたと思うし、官渡だけでそんなに兵力を失ったわけではない。分裂してた猿昭のガキ
どもにも時に曹操が負けたりしてたし。赤壁も史実だけ見れば本当に呉を取る気があった
のかよくわからないところもある。

つまり、夷陵だけ浮いてるって感じがする。
夷陵だけは本当に完膚なきまでに叩きのめされたって感じだな。
夷陵と街亭って三国時代でも有数の死者が出た戦いなんだっけ
どっちも蜀が負けてるのがにんともかんとも
劉封の親父が、奥さんの肉を劉備に食わしたから、劉備は劉封を
養子にすることを認めたってほんと?
やっぱチャンコロは最悪だね
街亭ってそんなに全軍には被害でてないぞ
一番の被害はこの後、魏が守りを固めた事
夷陵は4万人しか参加してないんでしょ?
何割がやられたの?
615無名武将@お腹せっぷく:04/06/02 18:43
魏・蜀の戦力国力差を考えると引き分けただけでも蜀にとって大被害。
616無名武将@お腹せっぷく:04/06/02 18:56
>>614

劉備と共に白帝城に逃げ込めたのは百数騎のみ。
長江北岸に別働隊として布陣していた黄権軍は
退路を断たれ降伏。

後は散り散りバラバラ。
>>616
まあ、死人自体は多くても2,3割にもならんだろうけどね。
逃げ出したり負傷して残していったりで、追従できるほどの傷の浅いのが
その程度にしかならなかっただけで。
皇帝になった直後だから大いに名声に傷が付いたのは否定できないよな。
対する遜権はまだ皇帝じゃないし。

もし夷陵で出兵しない若しくは負けなければ、むしろ名望は上がったのにな。関羽の失敗は
漢の皇帝になったことである程度薄まったし。
>>617
死者の割合はどんなもんか知らないけど
降伏者とかも続出、今後蜀を担う有能な人材もいなくなって
蜀の命運は夷陵で潰えたといって良いでしょう。

>>618
夷陵は名声とかそういうレベルの話では無いと思いますが。
わかってないね〜。
あそこで出兵しなきゃ、
「義の人」劉備はその人生を全うする事は出来なかったのよね。
自分の決めたルールに従った迄の事で、惨敗は結果なのでやむ無し。
張飛・関羽の次に付き合いの長かった趙雲でも止められなかったんだから、
しょーが無いよ〜。
621無名武将@お腹せっぷく:04/06/02 20:39
>>620

司馬版関ヶ原の石田光成じゃないけど
「劉備は成功した」ってヤツですな。
>>620
刑州閥に対してのデモンストレーションでもあっただろうしな。
初戦の勝利で有利に和平を進めるがベスト
>>620
あの時って、関張と同じかそれ以上に付き合いの長かった簡擁ってどうしたんだろ?
正史とか詳しい人ご存じないですか?
>>624
しんでたんじゃない?
生没年不明
627無名武将@お腹せっぷく:04/06/02 21:29
正史には何も書いてない。武将でもなさそうなので、参軍してないと思われる。
>>612
そのもてなしの心に感動して養子にもらったって感じだったんだろうね。
養子に貰うってのが、もてなしに報いるものであるってことが前提なんだろうけど、
自分の母親食べちゃった人を父って呼ぶのは嫌だな。
今の感覚ではわからないことが多すぎる。
今の感覚ってよりも中国人の感覚…
そもそも劉安と劉封は無関係だろ?
>>630
易牙とごっちゃになってるんだろう。と、好意的に解釈しとけ
>>628
吉川もわからねえと言っていたな。
人をもてなすために大事に育ててた梅の木を薪に使って暖をとったって話と
同じような解釈をするといいらすぃ。
大事な物を差し出すのが最上級の礼で、
嫁や子供は失ってもまた作ることができるというのが儒学にはあるので。
それでも理解には苦しむけどさ。
まあ、中国は記録の習慣が発達していたので、そういうエグい風習も知られていると
いうことだろう。同時期のヨーロッパ(北部)は蛮族ウッホホの時代で、日本は卑弥呼だぜ?
埋没してるだけでどんな習慣があったか解らん。
誰、このスレ立てたの?

陳寿評「英雄之器焉」。 終了。
>>634
400年ほど前にはなるが、秦がそれ以前の昔の記録をかなり焼き捨てたりしてる。
当時の日本には記録の風習がなかったわけではないが、
倭国が日本になった時に、秦がやったように失われた説が有力らしい。
ていうかヨーロッパにはローマ帝国があったはずだが…
この頃の戦闘ってどうなんですか?
本当に数十万人を動員して組織的に戦えるものなんですか?
>>637
組織的っても、十万人を平野に展開して一丸に突撃するわけじゃない。
例えば荊州攻略戦なら、襄陽を始めとして要所要害に兵を派遣して
実効支配を固めねばならないし、敵主力と会戦するにも、歩兵主力の場合
将棋のように尾根や丘陵など広い範囲に陣を連ねて、陣取り合戦を基本とする。

砦を包囲するにも、漫画のように城壁から数百メートルの距離に密集して
野営したら奇襲に対応できないので、少し離れた周囲の戦術的に有利な地点に
設営し、数多くの点の相互援護によって包囲を形成する。攻撃の規模にも依った
のだろうけど。要は敵軍や補給部隊を通さなければいいのだ。
そういう数多くの部隊が有効に働くために、史書に名前が残らない指揮官級が
数多く存在したわけだ。
まあそうだろうね。
各部隊長がしっかりと部隊を掌握し与えられた役割をこなす
この部隊長の人選が確かで、よく働くようにさせる人が将だったんだろう。
総司令官はもう一ランク上がって、将を束ねる人
君主ってのは最終的には総司令官を束ねる人ってな話になると思う
>>624
亡くなっていると思われます。
生きていれば、
殴ってでも止めるか血の涙を流して従軍とかしてそう。
後事を趙雲に託して病没でせう。
簡擁なら、もっと気の利いた言葉で説得してくれそう
まぁ、そんなので劉備がとどまるとも思えないけど
>>640
なぜ趙雲に?
それにしても今日の三戦板は不安定だな…
>>643
見れないスレとかレス取得まで異様に遅いスレととかあるんだが俺だけじゃなかったのね
ちょっと安心
>>642
夷稜の時止めたでしょ劉備を、そこに引っ掛けてる。
孫乾は既に死亡、麇竺は弟の裏切りでダウン。
古い付き合いが有るのは趙雲くらいしか居ない。
>>634
中国の食人文化は清の時代まで存在してた。
死ぬまでに一度は人肉を食った経験がある、というのは珍しい事じゃなかった。
四本足の物は机と椅子以外は何でも食べると言われているぐらいだしな…
中国の文化は普通にスゴイと思うけど悪習も多いよな。
宦官とか纏足とかさ。
宦官は中国に限った風習じゃないけどな
風習と言えばさ、俺はラーメンマンのせいで中国人はみんな辮髪って
中学生ぐらいまで思ってた
651無名武将@お腹せっぷく:04/06/05 09:12
一気にスレのレベルが下がったなw

まあ強制されてたのは事実だがな。
漫画でアルアル言うのはなんでかな?
653無名武将@お腹せっぷく:04/06/05 17:09
にしても、麇芳は正史だとちゃっかり生きてて、麇竺だけが不幸なんだよな・・・・・・。
裏切りについて麇芳だけが一概に悪いとは言えないが、兄さんが不憫すぎる。
蜀より呉の方が好きだが、やるせない話だ。
麇竺・麇芳には劉備の嫁になった妹も居た訳で・・・。
そりゃ、病気になって死ぬって〜、ビジクツラー!!
地位、財産、身内と、正真正銘劉備に人生賭けたのは麇竺だけだもんな
長生きして太傅になってほしかった
>>653-655
麋竺でわかるから、自作自演やめれ
マカーには読めねえんだよヽ(`Д´)ノ
>>656
実はみんな変換を面倒がって645のコピペという罠。
三戦板にいるなら辞書ぐらい登録してるので
>>658も↓に自演と書かれる罠
>>659
HDD容量が無さ過ぎて辞書登録に失敗したという俺は>>653
実は乱世の奸雄=劉備だったりする。立ち回りがな。
662無名武将@お腹せっぷく:04/06/06 17:55
話を医療に戻すと
戦死 馬良、張南、馮習、沙摩柯、王甫、程畿、フトウ
呉に降伏 杜路、劉寧
魏に降伏 黄権、ホウ林

こんなもんかな?
>>661
何をいまさらw
>>662
こんなに将軍クラスが戦死・降伏した会戦というのは
三国時代に他に類例を見ないよな。
副将として随行した
張南、馮習ってどのくらいの実力(位)にいたんだろうか?
2人ともイリョウ以外の記述がない・・
>>662

記録が少ないが、それは司令官クラスだから、魏書なら沢山出てくるような中・下級
士官クラスは膨大な戦死者を出したと思われ。
黄権が言ったように、三峡の狭隘路に長大な陣を敷いたと言うから、本当に悲惨な
負けかたをしたんだろう。いくら山猿の蜀兵といえども蜀の険阻を長距離逃げ帰った
というのは相当無理がある。まあ、捕虜になってその後送還された兵も相当いただろ
うが。

>>661

そりゃそうでしょ。曹操にしたら、あれだけの知力と死力を尽くして何度も死にかけなが
らやっと掴みかけた覇業を、うろうろしてただけのわけのわからないやくざもんが邪魔し
て、勝手に皇帝になったりしたんだから。歴史に残った事績でも曹操は星の数ほどある
けど、劉備ってなんかある?
星の数ほどってのは言いすぎw
そうかなあ・・・。いや、自分自身の発案であれだけ沢山の改革をやった皇帝っていないんじゃない?
軍略、孫子、詩、人材集め&階級の打破、異民族征伐(これは異民族側は迷惑だがw)、屯田や経
済改革・・・。

もし蜀が勝ってても、劉備伝に書くことあんまりなさげな・・・・・。
>>668
誰の事を言ってんだ?曹操は皇帝になってないだろ。
それと、星の数ほどって、お前の数の単位はどういう基準なんだい?
10個ほどで「星の数ほど」になるのか?w

まぁ、10個近くも後世に影響与える事跡を残した人物ってのはそうそういないだろうけどさ。
それとさ、全てが曹操自身の発案じゃないよ。
曹操は部下の意見を上手く取り入れて採用していったんだよ。
もちろん曹操の見識が高かったからこそ、それを理解し、実行できたんだけどね。
671無名武将@お腹せっぷく:04/06/07 00:34
おまいそれどう見ても揚げ足取りにしか見えねえぞ?

皇帝になってないっていうのも言葉の綾みたいなもんだろw
贈り名に皇帝とされるのは本人の意図と実体としてほとんどそうなってたからだよ。
大漢帝国からの禅譲というのは政治的難問だったわけ。

つうか「10個ほど」って・・・・。
曹操に並ぶ詩の一つでも書いてくれたら話を聞いてやるよw
672無名武将@お腹せっぷく:04/06/07 00:38
バカのくせに偉そうだな・・・w
「詩書け」って反論も珍しいな。
俺が知ってる三国志から派生した故事ことわざは蜀がらみばかりなのだが
、曹操の功績は凄いけど世界史的に見て10個近くも功績を残してるとは思えない
詩と屯田と九品中正ぐらいじゃないの?いや、これだけあれば十分すぎるが。
政治家にでもなってくれたら話を聞いてやるよ
>>676
いや、孫子の注釈だってかなりデカい事だと思うな。
曹操が散逸してた孫子の書物の再編集を果たしてなければ
ナポレオンも武田信玄も孫子を読んでない確率大幅UPな気が。
679司馬衷:04/06/07 01:02
孫子がなければ、呉子を読めば良いではないか
680無名武将@お腹せっぷく:04/06/07 01:03
劉備の話に戻ろうよ。
曹操は人間として完璧すぎて嫌いなんだよ。
>>680
蒼天航路みたいな神レベルの曹操像は確かにムカつくな。
でも本当の曹操は合理的で現代人に近い感覚を持ってた人間だったと思うな。
虐殺マニアが人間として完璧かぁ?

>>671
まあお前の尊敬する曹操が英雄と認めた劉備ちゃんの話をしましょうよ
貴重な医者までぶっ殺しちまうし
684無名武将@お腹せっぷく:04/06/07 02:25
>>680
むしろ激しい感情をもったアツイ奴だと思う。

父の死に我を忘れて闘犬の策略にかかったり虐殺したり
強敵(とも)炎症の死に涙したり
そして何より情熱的な野望
685無名武将@お腹せっぷく:04/06/07 02:30
徐州の虐殺の件は、実際の動機はなんだったの?
なんかやらなければならない政治的理由でもあったの?
どうも、親父殺されてぶち切れて・・・とは曹操のイメージからしてありそうないが・・・。
つーか、精神不安定なおっさん
確か陶謙が先にチョッカイ(曹操領で略奪)かけて来たから、その見せしめでだったかな。
徐州のときはかなりキテタらしいよ
惇ちゃんにまで刀向けたとか聞いた事ある
>>687
漏れは見せしめって言うのは口実臭いと思うな。
孔融や楊修処刑と言い、冷酷ではあっても常に
冷静な人間では無いかと
690無名武将@お腹せっぷく:04/06/07 03:24
親殺されたら切れるだろどんなに温厚なやしでも
691無名武将@お腹せっぷく:04/06/07 04:25
劉備はau派じゃなくてドコモ派らしいよ
ボーダフォン派だよ。蜀ではいつも圏外だったらしい。
孫堅は稀有なツーカー派
実はただの鮎ファンだけど
袁紹は携帯持たない派
>>685
多分、蒼天での虐殺みたいな解釈が近いんじゃないかなぁ?
吸収した青州兵の実力を測る意味もあって自由にやらせた。
結果大虐殺が起こるであろうことは予想の範囲だが止めなかった。

少なくとも結果として逆らう者に多大な覚悟を要求する存在になったのは確かだからな。
劉表の後を継いだ息子も下ったし、張魯も下ったし。
逆らってたのは劉備と孫権、馬超と袁紹の息子たち(袁紹の頃は曹操が逆らってたんだろうし)、
後は劉表が存命中位じゃないかな?
>多分、蒼天での虐殺みたいな解釈が近いんじゃないかなぁ?
吸収した青州兵の実力を測る意味もあって自由にやらせた。
結果大虐殺が起こるであろうことは予想の範囲だが止めなかった

それは無いだろう。
>>696
じゃあ、どういう解釈なのか聞かせてくれ?
わざとやらせたか、そうなる事を予想して避けなかったか、勝手にやっちゃたか3種類しか
大まかな区分けはないと思うんだが。
項羽がおじの敵討ちで虐殺したのに倣ってんじゃねーの?
当時の徐州では闕宣とか乍融みたいないろいろな信仰が乱立してたみたいだし
青州黄巾が曹操に降伏したときの書簡に「あなたが済南でやった、淫祠の弾圧は中黄太乙の道と同じ」
なんてことを言ってるし、宗教がらみの虐殺って面もあるんじゃないかな?
むしろ呂布の乱で3城しか残らなかったピンチでも除州を攻めようとして荀いくに諫められているぐらいで、
あとあと余計な苦労を背負い込んでいる。必要のあった虐殺とは思えない。なんで除州にこだわったんだ
ろう・・・・・。

徐州は男のロマンをかきたてるんだよ
♪徐州徐州と人馬は進む 徐州居よいか住みよいか
>>694
それは演義の虚構。
確かに史書には延焼の携帯に付いては記述が無いが、曹操よりもはるかに
貴族名門や名士との交流が広かった延焼が携帯無しだったとは考え辛い。
ちなみに官途の戦いで延焼が携帯を持ってなかったため負けたという話は
宋代の演劇が初出と言われている。
むしろ正史での袁紹は携帯メール派だった。
>>697
食料に関してではあるのではないか_?
当時30万の青洲兵と100万の流民を維持してたし
これ以上の流民は受け入れられなかった。
しかしこの虐殺がなければ諸葛亮や張昭などが避難することもなく
三国志はなかったかも知れない。
ちがうよ。袁紹は携帯持ってないけどその代わり三兄弟が持ってたんだよ。
>>705
まあ、いい歳した息子が3人以上もいるおっさんだからなぁ。携帯に慣れてなくても恥じゃない。
携帯ネタ、かなりサムイね。
袁紹は魏軍をケータイのカメラでパシャパシャ撮ってるところを斬られたんだよ。
>>707
comic4鯖の調子が悪いのが原因らしい
曹操だっていつも冷静じゃないだろ。
親殺されたから切れたってのが正しいんじゃね?<徐州

自分の領土になるのにわざと虐殺させたってのは合理的に見てもありえないだろ。
家畜まで殺したって言うし。
711無名武将@お腹せっぷく:04/06/09 00:36
死体で河を塞き止め、村には人影一つなくなったっつー話だからね。
実験の為だったとか食料不足の解決の為だとかじゃ説明つかないよな。
私怨でやったんじゃないとしたら、そっちの方が始末に悪い様な気が。
712劉禅:04/06/09 00:43
曹操の徐州虐殺が孔明の反曹操姿勢の遠因と言う説が在るのでおじゃるが…。
これは根も葉もない噂でごじゃろうか?
>>712
当時、諸葛家は徐州に住んでたらしいので曹操に恐怖や怨みを持っているというのは
花も実もあるとまではいかなくても、根や葉はあるでしょう。
714劉禅:04/06/09 00:57
徐州の虐殺はデメリットの腐臭ばかりが鼻にツクでおじゃる。
この事件に曹操の冷徹な軍略家としてのメリットは見出せぬのでおじゃろうか?
父上に反曹操の口実の一つを与えた訳でおじゃるし。
>>714
曹操に逆らうものを減らしたって要素はかなりあるかと。
張繍の一時投降とかもこの影響では?
後々張魯が下ったのとか、呉内部で投降派が主流になったり、劉表の跡継ぎが
下ったのもこの徐州攻めの苛烈さが、よほどの覚悟なしには逆らえないという
意識を周囲の諸侯に植え付けたし、住民も下る事を望むようになったのでは?

敵味方をはっきり色分けするという意味では効果は高かったんではないかと。
張繍・張魯・韓遂、みんな逆らってから降伏してるじゃないか。
荊州でも相当数の民衆が劉備にしたがって逃げてるし、
合肥あたりでも住民を移動させようとしてかえって呉に逃げられてる。

仮に計算に基づいた虐殺だとしても効果があったとは言いがたい。
717716:04/06/09 01:29
あっ・・・韓遂は降伏してないや。降伏したのは楊秋だったっけ?
>>714
それ以上に敵を増やしたんじゃないのか(汗
719718:04/06/09 01:30
ぐわ間違った
>>715
兵糧不足なのにまんまと誘い出された揚句張バクに反乱されて …
冷静なのにこんな失態する奴じゃないだろ、曹操は。
曹操はけっこう失態多いよ
そうそう
お調子者だしな
そうそう
軍師達も良い評価してないしな。
明らかに減点。ただでさえ中原の人口激減してるのに。

孔明も除州から出た理由として難民という説もあるし、実際に知ってる人とかも
殺されているかもしれない。根も葉もないどころか、それが劉備についた原因として
かなり信憑性はあると思うよ。更に荊州も曹軍が押し寄せる前夜と言うことで、逃げ
てきた貴族や将軍、浪人、百姓など曹操に降伏されたら困る人たちの議論かまびす
しい所だし。
反曹操派を糾合したのが劉備の集団って事で良いのかな?
曹操の私怨にせよ、実験的虐殺(これは個人的に無いと思うが)にせよ、
徐州の虐殺は失敗だったって事は間違いないよな?

>>715みたいな説もあるけど、それよりも敵の数のほうが多くなったのは明らかだし。
728無名武将@お腹せっぷく:04/06/09 23:06
そう考えるとやはり曹操の徐州大虐殺の件は計算も目論見もなく、
ただ感情のままに暴虐の限りをつくしたという今まで通りの説でFAって事だな。
曹操はお茶目さんという事さ。お茶目な気分屋で無ければ、七割の勝率は無かっただろうよ。
几帳面な人間、堅実な人間が勝利を重ねられるとは限らないから。
お茶目で気分屋な大量虐殺者か・・・・・
反曹操派を刺激して動かさせ特定→殲滅させるための布石として…
強引すぎるか。
曹操は偉大な人物だと思うが、それでも完全に天下をまとめられず
劉備や孫権のような反乱分子を生んだのは、そういう側面や非難される余地があったからだろう。
…曹操は敵味方ハッキリさせないと納得しないタイプなのか?
血液型は何型かな?
粘り強〜い劉備は何型じゃろ?
別スレたつ位話逸れてるね
>>733
曹操AB
張飛B
関羽A
劉備O
と予想
曹操は乙女座
>>736
おとめ座は張飛でしょう。
曹操の話は止めてくれー
劉備が食われてしまうだろ・・・
いやいや、その軌跡の面白さって点では
劉備は曹操には決して負けておりませんぞ。
曹操は初めはそんなに野望はなかったらしいけども、
玄徳さんは最初から野望全開だったんでしょうかね。
>>740
野望って意味によるんじゃないかな?
劉備は荊州に入る頃までは、群雄として立つという視点が無かったと思う。
流れの傭兵隊長って感じで。
742無名武将@お腹せっぷく:04/06/10 15:24
劉璋が劉備を迎えたのも傭兵としての名声が大きかったからだろうしな。
群雄として見てたら劉備を迎え入れたりはしないだろう。
徐州と夷陵って事の起こりとか似てるんだよな。
劉備と曹操って根本的なところじゃ似てるんだと思うよ。

だた違いは、
劉備はボロ負けするまで止めないで、
曹操はそういうときでもどこか冷静で居るってところか。
曹操は後方で呂布・陳宮が反乱を起こしたからだろ
>>741
> 劉備は荊州に入る頃までは、群雄として立つという視点が無かったと思う。
> 流れの傭兵隊長って感じで。

それは違うと思うぞ。劉備がどれだけ自勢力を築きあげかけては壊されてたと思うんだ?
もし群雄として立つ気がなかったらとっくのとうに曹操の配下になってるぞ。
>>745
曹操の下には付かなかったが、袁紹の下や劉表の下には付いてたし
曹操とは根本的に相容れない何かがあったとは思うが
良くも悪くも荊州以前は一軍団長としての視点しかなかったと思うがな。

徐州領有も頭不在の徐州閥の人たちに担がれてただけだろうし。
どうやって民を纏め、何と戦い何を捨て何を得るって思考が群雄の戦略眼でしょ。
与えられた物を生かして戦うだけじゃ軍団長どまり。
>>746
> 袁紹の下や劉表の下には付いてたし

とはいうが袁紹の元からはある程度勢力ができたら離脱を図ってるし、それらも一時の方便とみるべき。

> どうやって民を纏め、何と戦い何を捨て何を得るって思考が群雄の戦略眼でしょ。
> 与えられた物を生かして戦うだけじゃ軍団長どまり。

それは能力の問題。
というかそういう意味での戦略眼には特筆すべきものではなかったから、ちゃんとした勢力を築けなかった。
それだけのこと。
>一時の方便
それじゃ義にそむくことになる。
>曹操の下には付かなかった

呂布討伐から袁術討伐のために徐州逝くまでは曹操の下にいただろ
>>748
劉備はそういう人間ですが何か?
曹操も何度もぼろ負けしてますが何か?
曹操は負けても崩壊までいかず、逆にカウンターかましてる感じ
劉備は夷陵の一敗が痛すぎ
劉備ってまともな戦力で戦って、呂布と曹操以外に負けてないんじゃないの?
そもそも何倍もの兵力に勝てないのは普通だし。
>>753
最後に陸遜に負けたけのは、戦略的不利だったし。明らかに呉の方が部将で勝ってた。
陸遜のほうが劉備より兵隊多いしね。
孫子曰く
勝算が無ければ戦わない
>>754-755
にしても、負け方ってもんがあるよなー。壊滅的過ぎw
>>756
勝算はあるさ、呉だって蜀と一緒に滅びるのは嫌なんだもの。
英雄判断は不可能 時代が古すぎる
でも凡人には成し遂げられん偉業だから英雄かも
ギネスで出世記録があるなら、世界史的に見ても
ベスト10には入れそうだよな、それでいて仁君と
後世まで語られてるんだから、結構な英雄だろ
夷陵での戦況を聞いて曹丕が呆れたらしいね。
「劉備は兵法を知らない」って
曹丕こそ知らないけどな。
ケリが付いて防備整えたところで呉に侵攻したり(対峙中に攻めろよ)
ハリボテの城壁見て退却したり(親征の準備にどれだけかかったと小一時間・・・)
同じ2代目でも李世民とは偉い違いだよなw
曹丕は于禁を自殺に追い込む様なエゲツない野郎だからね。
曹丕の于禁への対応と、劉備の劉封への対応は似てるな。(状況も)
似てないだろ?
>>763
李世民は限りなく初代に近い二代目
曹丕は限りなく二代目に近い初代
真逆だよ。
768無名武将@お腹せっぷく:04/06/14 08:54
偉そうな事言ってるけど、曹丕って戦績有るの?
いくら戦下手とは言っても劉備は数々の死地をくぐり抜けてきたんだぞ。
曹操ですら手を焼いてるし・・・。
曹丕ごときに馬鹿にされるいわれはないだろ。

まあ陸遜が相当すごかったんだろうと思うよ。
相手の弱点を冷静に見破って、そこを的確に突いての勝利だしね。
普通の将なら勢いに乗った蜀軍に蹴散らされてるだろ。
>>768
> 曹丕ごときに馬鹿にされるいわれはないだろ。
逆だと思う。こんなど素人に「敗北する」と言われるほどの陣を敷いた、というエピソード、と。
>>769
世の中にはやむにやまれぬ事情というものがある。
補給路の確保に別部隊を配置できないから、仕方なく相互扶助が可能な陣を連ねてみたものの
陸遜が一枚上手でしてやられたって事だろう。
多分、曹丕あいてならその陣でも勝てたんだよ。
陸遜以外には無理そうな印象もあるよね。
夷陵での他の呉の将の言動とか見てると。
陸遜も1回はやられたし。

曹丕は自分で軍を率いるのはダメかもだけど、
客観的には見れるタイプだったのかも。
>>769
俺は「狭い地形の為にあのような陣しか敷けなかった。」と聞いたが。
>>509氏が出してる話もあるこったし。
むしろ、地形だけ見て現地の事情を見なかった曹丕のほうが問題な気がするが。

まあ、やっぱり黄権と法正は惜しいんだけどね。
(あまり関係ないのでsage)
>767
魏王としては、2代目だしょ?
皇帝としては初代だけど、勢力の君主としては2代目だよな。
>>774
「曹家」の魏王としてはおそらくね。
当然曹操以前にも沢山魏王は居ます。
曹丕の戦術レベルでの実績と言えそうなのは奥さんGETした時くらいかな?
まあ実際の初代は曹操だからな。曹丕は後を継いだだけの青びょうたんで、配下も
将軍として信頼したと言うよりも、曹操への忠誠心から曹丕に仕えただけのこと。

しかし、ならば他にいい方法は無かったのかな?>夷陵

諸君が劉備だったら、どうする?・・・あ、出兵しないと言うのは無しで。
>>778
魏に臣従して二正面作戦。
ただこの後の展開がさらに厳しくなりそうだけどね。
780無名武将@お腹せっぷく:04/06/14 22:06
>>778
出兵はする。初戦は勢いに乗って勝利。
勝っている時に有利な状況で和睦。
呉と本気で戦ったら魏を有利にするだけ。呉も長引かせたくはないはず。
>>779
おおっ
ぐんし「どうしても呉をお討ちになるおつもりでしょうか」
劉備「そうだ!必ず呉を根絶やしにしてやるつもりだ」
ぐんし「では少々お待ちください」
ぐんしが紙に何か書く
劉備「何を書いているのだ?」
ぐんし「魏に送るための降伏の手紙です。呉には陸遜がおります。我が国だけの力では呉を破ることはできません。
     そこで、一旦魏に臣従し、二手で呉を叩き潰すのです」
劉備「馬鹿なことをいうな、魏は長年の宿敵だ。漢朝に仇をなす魏に下ることなどできるか」
ぐんし「我が君!それでございます!漢にとって真の敵はどこでしょうか!呉の恨みは小さなものです。
     魏こそが本当の敵なのです。どうかもう一度お考え直しください!」
劉備「すまなかったぐんしよ!!わしが間違っていた!!ようし、呉出兵は取りやめじゃ!!
    諸葛亮を呼んでひそかに呉と和睦し、呉と二正面作戦で油断している魏を叩き潰し、一気に漢朝再興じゃ!!」
ぐんし「おおさすがは我が君だ!!」

そして蜀天下統一!!
>>772
まぁ俗に傍目八目というしな
友達の通っている大学の教授がむかーしに
私は三国志に詳しいのでゲーム会社から武将の能力値を決めてくれと
依頼があったがもちろん断りましたよとか言っていた。
どんなに詳しい人なのか友達に聞いたら
劉備はすごい戦下手とか言えない様な惨めな物だったw
勝てるから強いという観点からいけば劉備は英雄じゃないけど、
死なないから強いという観点からいけば劉備は十分に英雄だと思う。
やっぱり、最後まで乱世を生き抜けた曹操と劉備は英雄だよ。
小国とは言え、国まで押っ立ててるんだから
>>778
いや何をしても陸遜にしてやられそうな気がする。
結果はたまたまあんな形になったが、別の手を講じてもやっぱりやられるのが落ちだよ。

やるとしたら、軍だけだして戦闘は行わずに講和に持ち込む・・・orz
>>779
それやったら、蜀の存在意義そのものがなくなるよ・・・。
788769:04/06/15 02:12
>770
>771
>773
遅レスで自己弁護とは情けないが、
漏れは劉備の陣非難の意見を書いたわけではなくて、
「ソウヒに嘲笑われる」という演出は、そういう意味づけで記述されたんじゃないかな、と思うと書いたんだ。

戦術でソウヒが上回ってるとも思ってないし、劉備の陣の手落ちに気付けたのは陸遜だからこそだ、とも思ってるよ。
まああれだ。
いくら場数を踏んでても、兵法をきっちり学んでない奴は、どこか落ち度が出てきてしまうってことだ。
>>789
勉強嫌いだった、と言われてるよね。
791773:04/06/15 16:23
>>788
あ、ゴメン。
ちょいとせっかちだったかな。

>>790
確か「全く読書を嫌ったわけではないが…(略)」と書かれてたよね。
792無名武将@お腹せっぷく:04/06/15 22:25
別冊宝島のムック「三国志2-戦争編-」で、夷陵での劉備の陣立ては
「劉備に罪はない」と言い切ってるぞ。
そして陸遜の天才的な戦略を褒め称えてる。
793無名武将@お腹せっぷく:04/06/15 22:34
とりあえず。
彼自身の能力はともかくとして、人としては優れていた。これだけは言えると思うよ。
俺は劉備は好きじゃないけど、これは認める。
>>792
へぇー宝島からそんな本で出てるんだ。
結構内容は本格的なの?
>>792
たしか呉書のどっかに劉備に対する弁護が載ってたな。
あれはそういう陣に成らざるを得ないって・・。
諸葛恪伝だっけ?
陸遜はもう別格だからなぁ・・・
ありゃ相手が悪かった
後漢末は個人プレイ→集団戦に流れていくからね。
劉備は初期の英雄だったんじゃないのか。

個人的武勇と統率力で押すタイプ。
そこの足りなさを、ブレーンによって補っていたんじゃ。
まぁ、60前後の爺さんでは、武勇は残っていたかわからんが。

陸遜は完全に後期のタイプでしょ。
>>798
曹操前と曹操後って感じなのかな
いや、知らんけど
>>798
結構平和な時代が続いたんで、中央の士大夫は演劇とかの影響で、一騎打ちは戦場の華とか
ちょっとずれた意識を持っていたんじゃなかろうか。
>>760
中国史ベスト10にも入らないぞ、劉備は
曹操でも上位当選は難しいだろう。下手したらランク外
>出世記録

だから「曹操でも」という比較は妥当ではないのでは。
>>801
その中国史ベスト10の出世記録を教えてほしいな。
農民から皇帝まで出世した劉備以上の記録を上げてほしい。
劉備は農民じゃないぞ
というか、
中国史上でベスト10だって尋常なことじゃないぞ。
仮にそこまでいかなかったとしても、
英雄と呼ばれるためには充分及第点だ。

まあ、それとは別に劉備以上の中国史出世者10人てのも是非教えて欲しいが。
806無名武将@お腹せっぷく:04/06/17 22:47
普通に劉邦だろ
洪武帝とか
あと8人か。
俺はその二人しか浮かばん、
ヌルハチって出自どうだったっけ?
>>809
女真族の一部族の長、
でよかったと思う。
羊飼いから皇帝になった、劉盆子(皇帝)
同じく元羊飼いの義帝(帝)
貧農の朱全忠(皇帝)
劉盆子って何時の皇帝なの?
>>812
赤眉軍が擁立した皇帝
中国史だとそんなもんかな……
皇帝>王なら世界で考えると
ナポレオンは間違いなく劉備より上だが
皇帝そのものが、少ないから劉備の
ランクは案外高いかも知れん
>>811
やはりそろそろ疑問例が出てきたな、
上の二つは担がれただけだけだし、しかも一応皇族、王族の出だ。
朱全忠も代々儒家の家柄だったはずだし、
実際の支配領域から見ても「劉備以上」と断言は出来ないわな。
ただやっぱり贔屓目に見ても三国のうちの一国の皇帝でしかないわけだし、
弱小地方政権(それも史書的には正当ではない)の皇帝なんだし、
その辺で評価はぐーんと下がるよな…。
>>815
>代々儒家の家柄

其父誠,以五經教授郷里,生三子,曰全c、存、 温.誠卒,三子貧,不能為生,與其母傭食蕭縣人劉崇家

↑これじゃあ大差ないだろ
劉備の弱みはそこなんだよな、
出自の悪さはかなりの物なんだがw
スタートとゴールの距離を測る基準みたいな物が
在ると論じやすいんだが
>>818
しかし、朱全忠も全土支配したわけではないし、
劉盆子、義帝にいたっては実効的支配力は存在したのかどうかすら疑問だと思うが。
820811:04/06/18 00:10
単純に無位無官→皇帝という条件でチョイスしてみた。
異論反論はしごくもっとも
普通に考えて劉備は出世ランキングのベスト10には入ってるんじゃねーの。やっぱし。
世界はともかく、中国ならね。
>>822
世界だったら誰がはいるの? と振るべきか?
戦争奴隷から皇帝になった椰子たちとか、
ニポーンの秀吉とかかな?
皇帝の規模とかは無視の方向なのかな。
826801:04/06/18 01:42
ああ、出世ランキングな(君主限定?)
ま、文句無く一番は朱元璋だろ(多分世界一)
南宋の劉裕、前漢の宣帝、後趙の石勒、梁の朱全忠、夏の賓建徳、後蜀の王建、大順の李自成、漢の陳友涼
漢の劉邦は結構出自は悪くないんだよな……劉備もヤクザの親玉だし
朱元璋とか石勒、劉裕、朱全忠はかなり悲惨スタートだ
ベスト10なら、劉備もいけそう
毛沢東を忘れてるぞw
828無名武将@お腹せっぷく:04/06/18 19:13
ケザワアズマは豪農だよ。
貧農ってのは大嘘
後漢の劉秀も、皇室に繋がる大豪族の出自と思われがちだが、学生時代はバイト生活だった。
反乱軍を起こした際も、兄が主導になってやっていたのであり、劉秀はまったく注目されていなかった。
劉備の話から外れてるのでここらでネタを投下

劉備って夏侯淵を討ち取ったとき一番の大物を逃してしまったと
張コウを恐れてたけどなんでだろ?
直接戦った事ないハズ
袁紹のとこにいたとき会ったんじゃない
>>830
ていうか、在った事なくても分かることだろ・・・
夏侯淵は短気だから組し易いとか思ってたとかな
あるいは勝って兜の緒を締めよ的な発言ってのは無いか?
敵方の将なんだから、ちゃんと分析ぐらいしてるだろ。
劉備軍は曹操の親族武将ナンバーワンクラスの夏侯淵を斬って、
関羽は五将軍の一人の于禁を捕まえてんだから、
この頃の蜀の勢いってのは物凄いよな。
曹操も相当ビビってたろうね。
夏侯淵が討ち取られるよりも前に劉備と張コウは直接対決があるよな。
劉備が精兵1万で張コウに夜襲をかけたやつ。

ガチの白兵戦で劉備を追い返したんだから、張コウすげーって
劉備も思うでしょ。
単純に部下の士気が緩まないように戒めただけ

と言ってみるテスト
そういや張コウは長坂でも趙雲に殺されてたなw
>>838
ジョナンでも殺されてたよw
計三回死んでる…
血煙の中に倒れたとか、馬まで斬り下げられたって感じのことは
書いてあるけど、実は前の2回は死んだとは書かれてない罠。
841無名武将@お腹せっぷく:04/06/19 19:35
>>840
馬まで切り下げられて生きているほうが不思議なんだがなw
きっと張コウはちょっと斬られた(掠られた)だけで
馬がやられたんだよ…
843無名武将@お腹せっぷく:04/06/19 19:48
>>841
汝南では、蒼天楽進みたいに鎧と体の皮をちょっと馬ごと斬られただけとか。
長坂では袈裟掛けに斬られたけど剣先がちょっと当たっただけとか。
・・・そうとでも考えればいいんじゃない?かなり無理あるけど
吉川英治だって間違えることはあるさ
メメタァ

曹洪「きゃあああああッ」

曹操「ううッ!!」
なんせ、その頃の日本は中国と戦争してたんだからさ。
今手元の吉川三国志(文庫版)を確認してみた

汝南、4巻p167、6行目
(略)趙子龍と協力して、とうとう敵将張合βを屠ってしまった。

長坂、5巻p43、7行目
(略)張合βの肩先から馬体まで、一刀に斬り下げて、すさまじい血をかぶった。

という感じだった
都合よく解釈すると
汝南の場合
まず屠るという表現。屠るを辞書で調べると
ほふる 【屠る】<
(動ラ五[四])
(1)鳥や獣の体を切りさく。
「牛を―・る」
(2)試合などで、相手をうち負かす。
「優勝候補を―・る」
(3)攻め滅ぼす。皆殺しにする。
「傍の郡を―・りとる/日本書紀(雄略訓)」

2の意味で使われたので殺したわけじゃない
試合じゃないって突っ込みはなしの方向でw
張合βは便利だな
>>848

はふ・る 【▼屠る】
>(動ラ四)
>体を切ってばらばらにする。ほふる。
>「その軍士(いくさびと)を斬り―・りき/古事記(中)」
三省堂提供「大辞林 第二版」より

大辞林だと、もうダメだな。
張郃=村雨。
死なずの張郃。
>>847
> (略)趙子龍と協力して、とうとう敵将張合βを屠ってしまった。
趙子龍と協力して、とうとう敵将張合βを体を切ってばらばらにしてしまった。

もうダメだ…
>>852
ナチスの某少佐のごとく復活したんだよ、きっと
スーパーストロング張合βマシーン2号です
みんな優しいな。
作者自身が認めたって言うのにw

でも、張合βは名将だと思うよ。最後がどうのこうのと言うヤシがすぐに湧くけど、あれだって
司馬懿の罠にはまったようなもんで、しょうがなしに追撃して自分の予想どおりにやられてし
まっただけのことで。

それにしても、なんで張合βより司馬懿の方が司令官になるの?そもそもここがわからん。
張合βの方がキャリアも名声も武将としての実力も、当時としては遙かに上だったと思うんだ
が。やはり曹操といえども完全には貴族制度の残滓を払拭できなかったということなの?
>>855
野戦の部将と全軍の司令官とでは、求められているものが違う・・・
とでも言っておこう。
>>855
マルチ乙
>>845
波紋かよ!!張合βを斬ったのに馬だけ真っ二つ。
>>855
中国では文官>>>>>武官
蜀で新参の文官の劉巴が最古参の大元帥の張飛を冷たくあしらって
「男と生まれたからには天下の英雄と交わるべきで軍人野郎なんかと話が出来るか」
といったエピソードもある
儒教は文治を尊ぶからな・・・
武官はエライ馬鹿にされる。
シビリアンコントロールですね。
862無名武将@お腹せっぷく:04/06/21 00:12
>シビリアンコントロールですね

宦官がその最たるものですな。あんなの他の国ではありえねえw
863無名武将@お腹せっぷく:04/06/21 00:41
シビリアンコントロールの意味をはきちがえた厨が集まるスレはここですか?
864無名武将@お腹せっぷく:04/06/21 00:53
>>863=シビリアンコントロールの意味をはきちがえた厨
シビリアン-コントロール [civilian control]
政府の文民の指揮のもとに職業軍人である軍隊の最高指揮官が置かれなければならない
という近代国家の原則。軍隊の政治への介入から民主政治を守るために唱えられる。
文民統制。
シビリアンコントロールというより、武を卑しい物として見るからな。
平和だったら必要ないって事で。
中国の太守って日本の国司と同じで、貴族の文官が任用されるからな。
>>855
ノンキャリアで巡査からの叩き上げベテラン刑事(巡査部長)さんとキャリア組のインテリ警部補さん。
珍しい話じゃないな。
869無名武将@お腹せっぷく:04/06/22 21:16
>>865の説明文を読んでもまだ意味がわかりません。
もっと判りやすく教えて下さい。
870無名武将@お腹せっぷく:04/06/22 21:18
871無名武将@お腹せっぷく:04/06/23 00:14
>>869
軍人は政治家に従わなければならない
世の中結局一番権力を握れるのは法学部卒ということだ
軍人政権も有るじゃん。
874無名武将@お腹せっぷく:04/06/23 02:36
>>871
イラク派兵は反対ってことで
>>873
それをさせないためのシビリアンコントロール
軍部が政権を握ると戦前の日本のように暴走しかねない
シビリアン・コントロールって民主主義が前提だから民主主義でないところにはそもそもシビリアン・コントロールなんて存在しないんじゃないの?
まあそうだね >>873は的外れ
民主主義以外の制度では、一般に、軍事力=政治力という構図が成立する。
皇帝が巨大な権威を持つのも、彼が強大な軍事力を有しているからに他ならない。
その皇帝の権威があればこそ、武官より文官優位の発想が生じてくる。
これが中国史安定期の治世形態で、シビリアン・コントロールとはちと違う。

ところが、何らかの理由で皇帝の権威が低下してしまうと、
個々が軍事力を有し軍事力を背景に発言権を得なければならなくなってしまう。
これが軍閥政治と呼ばれ、中国史混乱期の治世形態の特徴ともなっている。
三国時代は、この軍閥政治の伝統の雛型が誕生した時代。
解りやすいけど、暴力装置が不可欠な限り民主主義も例外では無いと思われ。

そんでもって強力な暴力装置を持つ者は法秩序を無視して権力足り得るから
軍部を誰かに独占させたり軍人に大きな発言権を与えたり出来ないわけで。
>>875
軍部が暴走して戦争が起こったのではないぞ。
アメリカやヨーロッパ諸国に圧力に対して起こるべきして起こされたのだぞ。
>>880
その圧力自体、軍部が拡大路線を取らなければ(しかも内閣をテロで黙らせて)
あり得なかったんだが…
大人しく満州・朝鮮・台湾を維持してブロック経済してれば戦渦に巻き込まれずに
アメリカ同様の勝ち組になれた可能性もあったのに。
>>881
無理だろう
あの戦争の陰には、有色人種の権利を認めないという白人の裏がある。
883無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 00:41
>>880
日中戦争は軍部の暴走で起きたわけだが…

>>882
アメリカは蒋介石と手を組んで、人種より市場を優先してる
つーかそろそろスレ違いもいいとこじゃない?
外交とかのやり方次第で丸く納まり勢力温存も出来たのに。
被害妄想や勝手な正義感に囚われ無理な拡大戦略をとった結果、
木葉の様に焼かれて無残なまでの敗戦ってのもねぇ。










いや、劉備の事ですがね。
人生の集大成として夷稜はなんか漢のロマン。
あの劣勢の中から勝機を掴むのが楽しんだよな
劉備は医療で今迄目指してきた大義を捨ててまで
兄弟を取ったところに人気があるのだと思う。
あと死に際のセリフも・・
>>888
兄弟の仇をとるために、大儀を捨ててる様は美しいと見るか。
戦火に巻き込まれる人々や戦死する雑兵のことはどうなのか。
自分一人だけで仇を打ちにいくわけではないからね。
父の敵討ちのために徐州を攻め虐殺をおこなった曹操
部下の敵討ちに無謀な戦争をして国を疲弊させた劉備
父の敵討ちに黄祖を付狙い、滅ぼすと住民を攫う孫権

誰が好きかは人ぞれぞれ
仇討ちしないとヤクザの仁義でついてきた古い連中が納得しない。
>>891
面白い
べつに敵討ちだけが目的じゃないだろう、夷陵の戦いは。
荊州取られたまま何も行動を起こさなかったら
蜀の国内で大きな影響力を持つ荊州閥が黙っちゃいないだろうし。
もともと蜀に本拠地置いて荊州維持ってのが無理ないか?
あんなの輸送や情報伝達がスムーズに行くわけないっつーの。
どうしても荊州閥がさわぐんならああなる前に全員カンヌの下に
付けときゃ良かったんだよ。
895りゅうび:04/06/26 23:16
そういうことは1800年前に言ってくれ。
雷の日にソウソウを殺しときゃ、
もっとすげぇ三国志(とは限らないが)だったはず。
素人のうえ、調べるのもキライなので親切なヒト教えてください。
トウタクって子供いっぱいいたの?
個人の感情で大勢の人間を振り回せるのは古代ならという注釈つきで英雄といえるんじゃない?
>>896
いたと思う。
血縁者は皆殺しにされたけど。

つーか曹操がそんなに早くに殺されてたら
三国志そのものがなかったと思われ。
>>893
ヤクザな考え方かもしれないが
劉備はやられたらやられっ放しには出来ない性分だったんじゃネーの。
呉に対する怒りは赤壁以降累積していただろうし。
900無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 18:44
農民上がりは大人気
>>888
そこが劉備と劉邦の決定的な違いだね。
劉邦だったら絶対そんな事しない。

そして劉備はその欠点故に天下を取ることは出来ない。
劉邦には目指す大義もなければ、
関羽張飛に当たるような家臣もいないからな。
>>900
劉備は農民じゃないんだな、コレが。
筵売って生計立ててたから
農民じゃなくて職人だね
そんなもん農家の副業だってw
おじいさんが県令でおじさんも劉備に学資を援助できるくらいの財産はあった
907無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 22:57
劉備は自営業?
908無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 22:59
おじいさんもオヤジさんも役人だったし、家系的には死体腐だったんじゃないかと。
浪人が傘張りするようなものだろ。
傍系で父親死ぬと悲惨。
荒くれ者をまとめはじめたから、びびって金出したのかもw
誤  子  母
り  の  は
ま  育
し  て
た  方
    .を
912無名武将@お腹せっぷく:04/06/29 01:54
職業:農民
出自:士大夫
家系:劉氏

ってことじゃないの
俺は劉備は腕力結構あったと思うけど?
914 :04/06/29 15:15
俺の中での劉備への評価は
「超一流のペテン師」かな。
叔  叔
父  父
上  上
命をかけたペテン師ですよ!
>>912

し  黙
ゃ  ら
い  っ
WAHT
江戸時代のような身分制度があったわけじゃないから定義づけ出来ない。
農民で兵士で商人で職人ってのがいてもおかしくない。
920無名武将@お腹せっぷく:04/06/29 19:16
劉邦は豪農の出自だよね。劉備は農民でもなけりゃ商人でもない。
れっきとした士大夫だったが、親父が早死にしたので食うのに困って草鞋売りをしていただけ。
今風に言えばフリーターだったんだよ。
親が肢体婦だろうがなんだろうが劉備は官職なんて貰ってないし、
貴族と言える程の財も無かったのなら(多少の教養があっても)
タダのフリーター定職無しですな。
そんでも、家系はけっこう重視される。
たとえ駄法螺だろうが皇弟の末裔と自称し信じるヤシもいたわけだから、
まるきり無意味というわけでもない。
誰か信じた?
>>923
当時の皇帝が…
有力諸侯だから味方に付けたかったってのもあるだろうケドね
皇叔って称号のこと?
皇帝のおじさんって感じの改まった呼び名程度
そもそも正史にはないよ>皇叔
どの三国志漫画でも呂布を捕らえた曹操が劉備に意見を聞く時は笑える。
備「殺しちゃえ」
布「お前、かくまってやったのになんてこと言うんだこのバカ」
みたいな会話なんだもの。
>>928
「耳デカの言うことは信じるな」みたいなことも言ってたよな
マンガじゃないけど、
そいつが一番信用できないやつだぞ!
ってのもあるね。
至極尤もな意見だと思いました。
小説とかだと大概は丁原や董卓の最後をお忘れか?
だな。
張遼にまで「ふざけるな」みたいに言われてたのも笑う
劉備は腕っ節は強いって。
長い爪楊枝をくわえて、こめかみから頬にかけて傷が有るタイプだって。
曹操ど---ん
呂布を殺してくんな------!!
劉備は喧嘩は強かったかもしれないけど、
それは戦場でどうこうって類いのものでもないしな。
曹操よりは強いと思う
劉備自信、自身はあったと思う。
>>936
しかし、曹操の武勇伝は残っているが、劉備は無い。
督郵に対する武勇伝とかがあるじゃないか
つーか侠の親玉って時点で十分
曹操はあの時代にしてもかなりの小男なので、強くはないだろ。
金持ちのドラ息子だから無茶しても許されたかもしれんが、
若いうちから命のやり取りしてるってわけじゃないと思う。

そのへん、劉備には想像の余地があってまだよい。
>>940
中常侍の屋敷に乗り込んで護衛とやり合ったって話は?
高官の護衛なら素人ではないはずだけど。
まあやり合っただけですし
最初は小さな傭兵集団のリーダーなんだから腕力は有った筈。
>>943
本当に腕力があったのなら、猛獣と格闘したとか、
正史でいろいろ大袈裟な形容されたハズ。(曹操&孫権)
それすらないのだから、腕力もあんまり当てにはならなかったのでは?(^^;
雌雄一対の剣とか的櫨などの武具が伝わってるってことはそれなりの武芸者だったんでしょう
腕はあったとしても大将自らが戦場で危ない橋を渡る必要はないしな。
しかも劉備には最初から関羽や張飛のような猛者がついてたわけだし。
…最初から?
何らかのエピで彼等を心服させたと思われ。
脾肉の嘆から察するに、いつもムキムキマンだったのだよ。
ウマに乗りっ放しだったので痔だった。
>>947
それはそれで決め付けすぎだろう。

例えば、クラスの中でリーダーシップをとるやつはいつも喧嘩が一番強いやつではないだろ。
そこそこスポーツができるやつが親分風を吹かせて、その下にラグビー部だったり相撲部だったりがつるんでいたりするのはよくある光景。
しかしだからといって、このリーダーがクラスのやつらに「オレと一緒に天下をとらないか!?」とか言ったり、
マッチョなやつらに面と向かって「お前らにオレが倒せるとは思えん!なぜならオレは天下人となるべき男だからだ!」とか言って心服させたりとかいうことではないわけで。
つまり、大将の器にあるやつには自然と人が集まってくるのよ。
劉備はそれの度が過ぎてしまったパターンなんだろ。
>>950
小市民的なレベルでも、何故かリーダーになる人間はいるよな
なんでそうなるんだろうか。やっぱり頼りがいがあるとかそういうものなのかな…
否、劉備は口だけの漢ではない。
当時の戦乱の状況ではそんなのが通用する筈がない。
>>952
口だけじゃないだろうが、腕っ節が凄く強くないと誰も付いてこないって事もない。
弱くはないんだろうけど、腕の立つ武将達のどの程度までに勝るかは不明。

行動力と信じさせるカリスマが武力よりよっぽど重要。
人相占いも関係あるのかな。
今でも中国は風水を参考にしてビジネスしてるし、
良い人相の人物に投資しようということがあったのかも。
当時は姿形にその人の本性が現れるって考えだしな
見た目が偉丈夫じゃないとなかなか辛かろう

まあどこかにチビの君主もいたけどな
>>955
そのチビは容姿のために出世が遅れ、その苦い経験から革命を考えた。
なんかますます劉邦そっくりに見えてきたな。漏れは最近、曹操の方が親近感持てるように
なってきたよ。なんか、近代人ぽい感性持ってるし。

劉備の方は・・・・・・・。

もし今生きてたら、やっぱりやくざの大親分しか思い浮かばねえな。「当節はせちがらくって
いけねえ。」とか言いそうな、昔の大親分。
正史みたら項羽ぽい一面もあるんだな
不思議な実物だ・・
吉川劉備に長いこと騙されてた。
劉備といえば体育座りでママンを思い出してる男だもの。
劉備自身も高祖・劉邦を意識してたのかな?腕っ節は流石に劉備の方がありそうだけどw

ところで、おまいら劉備が劉邦の立場だったらどうなってたと思う?
どうもならんと思うが・・
962諸葛亮:04/07/04 19:31
怪しい
意識してたのかな?どころの問題じゃなく
中山靖王劉勝の末孫を売りに漢室再興を掲げてたのを考えると
高祖劉邦を自ら気取ってたふうな趣きさえある。
正史にも「漢高祖の風あり」みたいな記述があったような気がする。
陳寿の評だっけか。
でも風ありってことは真似してるんじゃなく、
似たような雰囲気や才を持つとも取れるしな。
真似はしてない感じだけどなぁ
真似したのは洪武帝だっけか
とりあえず諡は光武帝の真似。
すごい諡だよな。
昭烈帝って。
>>966
といっても、諡は本人がつけるものではないからな。

>>967
長い中国史上にも二つとない諡の一つだね。
もっとも先主といった方がしっくり来る感じもするが…。
侯とか王ならいるみたい>昭烈
>>969
それはしらんかった。侯とか王とかって普通地名が付けられるんじゃない?
スレ違いになるが、出来ればソースキボン。
後漢末の劉ェの諡名が昭烈侯
あと陳覇先の兄、道談が追諡されて昭烈王
>>971
dクス。
劉ェってことは若干劉備より早いのか。
昭烈帝って諡は光武帝の光武を意識して付けられたてどっか見たことがあったが、
劉備以前の人物の諡に昭烈が使われてるとなると、そういう意味はないと見るべきなのかな。
老子読んだら玄徳って言葉が出てた。
劉備は知ってて字をつけたのかな?
>>973
字って自分で付けるもんなの?
成人した時に親が付けるんじゃなかったっけ
あ、違うかも…
字は名と密接に関係するのが普通。
超雲の「雲」と「子龍」のように、関連性のあるものを選ぶ。
日本の元服とは制度が異なるので、親がつける場合も自分で選ぶ場合もあるだろうな。

「玄徳」とは、道教で言う人間が持つべき大いなる徳のこと。
道教の成立はもう少し後の時代だが、三国時代には元になる老子思想が流行していた。
そのへんから、「玄徳を備えた人物」という意味で、字を選んだと考えるのも自然だね。
>>976 へぇー勉強になった。ありがとう。
俄然あざなに興味が出てきたんだけど、字について語るスレってないものでしょうか。
スレ違いでスマソ
無いけど、切り込み方は面白い。
名や字の漢字から考察できることって結構あると思われ。
こんなかんじ?
袁術、字は公路
漢書刑法志第三
城池邑居,園囿術路,三千六百井
          ~~~~
ただ、古代中国と現代日本とでは漢字の意味がかなり違ってきてる。
現代中国でもまた微妙に違う。
真面目に正確に考察しようとしても、この板ではたぶん無理だろうな。
羅列スレになり100ぐらいで廃れると見た。
じゃあ張飛は「益徳を備えた人物」?
「備」に「玄徳」がかかるように、
「飛」に「益徳」がかかる。
これではイメージと異なるので、演義では「翼徳」になったのではないか?
次スレは字スレでケテーイ?
>>985
>>976>>981>>984は全部俺だが、そんなスレは参加しないぞ。
漢書は読めるけど、知識中途半端だし突っ込まれたらボロ出る。(^^;
987某コテ:04/07/10 20:03
字なんて連想ゲームですよ
エロいひとにはそれがわからんとです!
ヒロシめ…。
とにかく・・・良スレであると認定する!
成人男子に対して名前を呼ぶのは失礼にあたるから
字で読んだんだっけ。
礼記とか読むとその辺書いてあったと思う。
でも目上の人間に対しては字は失礼なんですよね?
馬超が劉備を字で呼んで関羽と張飛が激怒したという話でそう解釈した。
字スレ、欲しいけど無理かな。そんなに正確な考証でなくとも一通りでも……。
それは「主君」と呼べということで激怒したんではなかろうか?
わからんけど
>>991
それはまったく逆。
名で呼んでいいのは、明らかに目下もしくは家臣に対して人物だけ。
あの曹操ですら、劉備を「玄徳どの」と呼んでいる。(吉川三国志だけどw)

馬超の場合は>>992の言ってるとおりなんじゃないの?
べつに同盟関係結んでたってわけじゃなく、手兵ごと指揮下に入ったわけだから。
994991:04/07/11 03:46
>>992>>993 ありがとう。
なるほど、凄い誤解だったんだ。
自分の理解はあてにしないで調べます……(;´Д`)
普通は名字+官位や役職名で呼ぶけどな。
字で呼ぶのも大抵は目下か個人的に親交のある人だけだったはず。

で、次スレ行くの? 字スレ本当に立てるの?
必要ないと思う。
いまでも中国・台湾では自分より目上の人を○○先生と呼ぶ習慣がある。
呼ばれるとかなりこそばゆい感じではあるのだが、やめてくれんのだよね。

姓+名もしくは姓+字で呼ぶのはたしかに親交があって目下の場合だけのようだ。
それとはべつなのだが、姓名+字という使い方はまずしないのは皆知ってるよな?
>>984
「備」にかかるのは「徳」、 「飛」にかかるのは「徳」じゃないの?

周「瑜」 公「瑾」
諸葛「瑾」 子「瑜」
とかいう例もあるな。

読み方、のスレにこの話題が出てた気がするが。
日本で言うなら、「本多忠勝」、「本多平八郎」はあっても、「本多平八郎忠勝」っていうのがおかしいと言う感じ?
ちがう
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