誤解を与えるような人物紹介をするスレッド

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予知能力者出現!?
しんと戦い、漢を興した。
劉姓とはいっても、名門とはいえない家柄の出だったという。







スマソ。絞れなかったッス
>>354の意味がわからん
  、、、、
 ミ・д・ミ<ほっしゅ
  """"
349無名武将@お腹せっぷく:04/08/21 22:42
幾百年続いた王朝の末期、北方に生を受け、長じて、精強軍団を率い、戦場を駆け巡った。
カリスマ的指導者に率いられた農民一揆を鎮圧するなど、
王朝のために尽力するも、奮闘虚しく、王朝復興かなわず、
元同僚でもあった姦雄のために、王朝の終焉は速まってしまう。
局地的には無類の強さを発揮するも、大局的には大きな戦果はあげられず、
自身による天下統一も、姦雄たる好敵手のために成す事はできなかった。
そんな彼の名を我々は・・・



「袁紹」と勘違いするかもしれないが、
この人物は、「袁紹」のような惰弱・優柔不断とは程遠い。
彼の軍の軍装を見ただけで、敵軍はおびえて戦いを避けたともいわれる程の猛将であり、
更に、彼の特徴を語る上で忘れてはいけないことは、隻眼であった、ということである。
隻眼の猛将・・・そう聞いただけで、
名前以上に有名な異名を思い出す人も多いかもしれない。
そう、彼の名・異名は、「盲夏候・夏候惇」



・・・ではなく、
   「独眼竜・伊達政宗」







・・・でもなく、
   「独眼竜・李克用」その人である。
長くなって、スマソ。
しかも、ageてしまった・・・。
修行が足りないので、
黄巣から塩ぶんどって、
朱全忠の陣に突っ込んできます。

生きてたらまた書き込みます〜。
>>349-350
乙!今までと違う展開の仕方、楽しませていただいたよ♪
>>349
夏侯惇、伊達政宗にはちょっと無理がない?
それぞれ部分的には合ってるけど。
>>343
「・・・ではなくて」パターンが定型化してるけど、
例えばなにも知らない外人や子供に語って聞かせたら
「へーそんなひとなんだ」となんか微妙な誤解を与えそうな
人物紹介ってのが最初のパターンだったと思う。

「まぁ、そういわれれば確かにそうなんだけどさぁ・・・」って感じの。

「ヒトラーに相当する、日本の歴史上最悪の民衆弾圧・大量虐殺者  織田信長」
とか、
>>26>>306とか
354無名武将@お腹せっぷく:04/08/22 12:11
>>353
(゚д゚)ハァ?
パターンの話して何になるのさ?
パターンって二つあるよね、みたいな話はかなり前にしてるわけだが
レスの意図がさっぱりわからん
頭大丈夫?
355無名武将@お腹せっぷく:04/08/22 13:11
ホントだ。>>347の言う通り>>354が何言ってるかわけわかんね
356無名武将@お腹せっぷく:04/08/22 23:39
>>355
氏ねバーカ
・身長2m以上
・毒の沼も平気







ゴットツコツ?リザードマンですよ
358キヨカズ:04/08/23 00:15
関東に拠点を構えた有名な武将の息子である。だが父との間は不仲で、他の家に養子に行った。その後後継者争いで殺される。結城秀康ではなく上杉景虎。
呂布

天下のビビリ屋。
味方であるはずの涼州兵にビビり、酷く扱って恨まれる。
義父董卓の行動にビビリ、猜疑心から殺してしまう。
董卓の部下達にビビリ、さっさと逃亡。
一つところに落ち着かず、散々放浪した挙句に曹操に敗北し、
惨めに命乞いし、部下にもあきれられた。
>>359
劉備の徐州を乗っ取ったのもちゃんとビビリが理由って書かないと
>>360
あれはビビリかなぁ。
どっかのサイトでは劉備に首根っこつかまれて
身動き取れなくなってて悶々としてたところに
袁術が助け舟出したんで兵を挙げたって説があったけど。

基本的な呂布の行動理念がビビリってことはまあ一貫してるけど。
孫策

破廉恥な恩知らず。
父、孫堅が朝廷に反逆したときに彼の身元を引き受けてくれた恩人の
袁術に仕えるが、若造の身で分を弁えず太守の地位を要求。
儒学に敬意を抱かない危険思想の持ち主であった。
それでも袁術は彼に多大な期待を寄せ、太子である自分の息子よりも
孫策が上だとも公言するほど。
やがて彼は袁術より将軍の位を授けられ、江東制覇の全権を任されるほどに
信任されるが、それを利用して遠征先で独立してしまう。
後の袁術の暴挙には信頼していたものに裏切られたショックが
大いに関係していると思われる。
彼はその後、母を自殺未遂に追い込んだりと暴虐な振る舞いを続け、
至極当然のことに名も知られぬ刺客の刃によって命を絶たれた。

・・・・・・すみません、。あんまり誤解になってないかも。
善政を敷いた地方太守
その都市の伝統だった「秦の始皇帝を祝う祭り」を中止させ、戦わずして逃れたものを匿った点から、人徳があったように思われる
漢の臣下を次々と破る軍勢にある武将は降伏を進言したが
「わしは漢の忠臣なのだから、sの敵に立ち向かわねばならぬ」
と漢室への忠誠を貫いた。






王朗でした。 駄文でスマソ
・異民族討伐で名を馳せる
・天下の猛将を手に入れるのだが最終的には見放される
・皇族を殺すという暴挙に出ている
・一度兵を率いて洛陽に入城している。
・彼の弟も遅かれ早かれ彼の仇敵に殺されている。

董卓








ではなく白馬将軍
365無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 17:00
  、、、、
 ミ・д・ミ<ほっしゅage
  """"

地方の豪族大名問わず、領土併呑の野望や下克上の恐怖に誰もが苛まれた戦国時代。
彼等の中にはその野心の強さ故、成就されない悶々とした夢や野望を
倒錯の世界に昇華させた者が多かったという・・・夜な夜な多数の大人たちが
まだ年端も行かぬ幼いつぼみを寄って多寡って毒牙に掛けたのである。
その倒錯した蛮行に涙せぬ親は無かったと云う。












青田刈り
人物じゃなくてゴメン
367無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 00:41:24
彼が仕えた家は、主が戦死してしまい、跡を継いだ息子も若くして死亡してしまい、
その隙を狙った強力な勢力に攻め滅ぼされようとしていた。
そんな主家を救おうと知恵を振り絞る彼の姿は後世でも語り継がれている。
だが、天はあまりにも彼に非情であった。若くして病に倒れその生涯に幕を閉じた。
彼のその才は、かの諸葛孔明に匹敵するものだったと言われる。





周瑜


ではなく、竹中半兵衛
368無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 19:25:39
半兵衛って斎藤家から出ていったよな?
369無名武将@お腹せっぷく:04/09/17 02:58:29
3行目は乗っ取りのことだろ
まぁあながち間違ってもないんでねーの?
それでも見るに見かねて出奔してしまった…でなかったか
370無名武将@お腹せっぷく:04/09/17 12:30:58
●呉公を称す
●周辺の群雄を平らげ江南を平定
●南京を本拠とする
●北方の大国と対立
●樹林をするなど、内政に力をいれる
●晩年、名臣を殺してしまう

孫権






ではなく朱元璋
371無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 02:14:45
兄「おい、もっと開けよ。よく見えないだろ」
妹「これ以上はダメ。恥ずかしいもん」
兄「小学生のころはよく見せ合いっこしたろ」
妹「あのころはまだ子供だったから・・・。私もう中学生なんだよ」
兄「親父には見せたんだろ、オレにはダメだっていうのかよ!」
妹「だってパパは・・・」
兄「じれったいな。オレが開いてやるよ!」
妹「ダメ、お兄ちゃん、ああ・・・」
兄「すげぇ、小学生のときとは全然ちがう」
妹「やめて、そんなに開いたら全部見えちゃうよ・・・」
兄「なんか複雑になってる」











妹「あたりまえでしょ、中学生になって科目も増えてるんだから」

妹の通信簿を無理矢理見ようとする兄。
372無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 13:20:58
>>371
(*´д`*) ハァハァ
373無名武将@お腹せっぷく:04/09/21 00:26:35
>>371
一行目で展開読めたけど(*´Д`)ハァハァ
374無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 00:39:56
頑張って挑戦します

およそ戦国の世に興味のある者ならば、一度は彼の名を聞いたことがあるだろう。主君には「猿」とも形容されるような小柄な身体ながら、彼の輝かしい功績を示す逸話は一つや二つではない。まだ若く無名だった頃でさえ、同輩と並んで主君に忠義を立てていたとも言われている。
また彼には、まつわる伝説が多いことでも知られている。特にその出自については虚偽の創作があったとする意見が一般的なようだ。
彼も、そして彼の主君も、結局天下の政権が安定するのを見届けないまま死んでいったのだが、もし主君らがもっと生きていたなら、政権安定を図る一派にとっては非常に脅威になったに違いないであろう。








豊臣秀吉と誤解させたかったのですが……






猿飛佐助で……(駄目ですか?すいません(汗))
375無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 09:35:53
いや、なかなかいいんでね?
まあ佐助まるまる創作の塊の気がするけど…
376無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 19:08:48
>>374

十勇士はアレだけど、次回作期待してるよ
がんがれ!
377無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 19:10:52
378無名武将@お腹せっぷく:04/10/01 02:01:29
出っ歯武将?
379無名武将@お腹せっぷく:04/10/07 23:36:40
無類の検断好きでそれがあまりに露骨だったため多くの人の反感を買ってしまった人物。
よく言えば正義感が強い、悪くいえば頭の固い人物として評価もされている。
自ら大勢力へと立ち向かおうとしたが、人望の無さが災いして破れてしまう。
しかし、最後の最後まで彼は諦めることはしなかった。

石田三成



じゃなくて>>97
380無名武将@お腹せっぷく:04/10/08 22:45:48
源氏の名門の家に生まれるが、嫡男でなかった為寺に入れられる。
しかし家を継いでいた兄が若くして死んだことにより(紆余曲折あったが)家督を継ぐことになる。
彼は持ち前の優れた政治力を駆使して活躍するが、そんな彼の前に立ちふさがったのは
自分より「下」の存在であった筈の男、「織田信長」であった。

今川義元



違った、足利義昭
381無名武将@お腹せっぷく:04/10/11 03:57:18
先に足利義昭の名前が出てきたぞ
382無名武将@お腹せっぷく:04/10/11 09:11:31
今川義元とでも足利義昭とでも取れる内容だからな。
意外性がなく、勘違いの起こりようがない。
383無名武将@お腹せっぷく:04/10/25 08:38:52
久しぶりにネタ投下。ちょと長いけど読んでみて下さい。

戦国時代を代表する戦国大名。甲斐・信濃を平定し、四天王をはじめとする
屈強な家臣団を率いて天下に名を馳せた。
嫡男に生まれたものの、当主であった父は彼への愛情薄く、若い頃は辛酸を
なめることが多かったが、当主となってからはその戦術の妙で順調に勢力を
拡大していった。
もっとも、上杉謙信の様に「戦い一本槍」ではなく、今川家や北条家等と同盟
を結んで自領の安定を図るなど政治面でも一流であった。(嫡男が反逆で自刃
している点はマイナスだが・・・。)
甲斐・信濃を平定した後は、傀儡を擁する中央政権と戦い、緒戦で勝利を収めた
が完全決着には至らなかった(息子の代に滅亡し最終決着)。
強さをもって知られた戦国大名は「龍」と呼ばれた上杉謙信や「熊」と呼ばれた
龍造寺隆信のように野獣の名を冠して呼ばれることも多いが、彼もまた同様で、
その存在感は戦国屈指と言っても過言ではない。彼の死期が5年違っていたら、
その後の日本の歴史は大きく異なっていたかもしれない。


「甲斐の虎」こと武田信玄








ではなくて「タヌキ」こと徳川家康
384無名武将@お腹せっぷく:04/10/25 11:42:08
>>383
惜しい!四天王でわかっちゃった。武田は二十四将だもんなぁ
385384:04/10/25 11:43:06
でもなかなかよかったよ。乙です!
386無名武将@お腹せっぷく:04/10/25 11:51:00
>>385
ありがとう。武田四天王(山県、高坂、内藤、馬場)が連想されるかと思った
んだけど徳川四天王の方が有名だよなぁ。
387無名武将@お腹せっぷく:04/10/25 14:51:57
俺も徳川家康を連想したが、なかなか上手いと思わされた、GJ
388無名武将@お腹せっぷく:04/10/25 22:18:29
>>386
上手いんだが、武田は「四名臣」なんだ。
389無名武将@お腹せっぷく:04/10/29 15:37:19
>>388
あっ!そうか四名臣だったか・・・。スマン。
今後はちゃんと確認することにします。
390無名武将@お腹せっぷく:04/11/15 18:55:03
ほしゅ
391無名武将@お腹せっぷく:04/11/16 12:35:30
随分下がっちゃってるんでage並びにネタ投下

戦国期の近畿を代表する武将、大名。「裏切り」といえばこの人を連想する人も
多いだろう。名門にはほど遠い家柄ながら、主家を傀儡とし、当主に成り代わって
勢力を広げ、一時は京を制圧して天下に号した。
信長の上洛に際してその勢力下に収まったかに見えたが、元亀年間、甲斐の武田
信玄上洛に呼応して反信長の兵を挙げるなど、その気質は覆いきれず、結局信長に
攻め滅ぼされている。
その最期の壮絶さは今も語り草となっているが、信長最大の危機であった朽木越え
を成功させてしまい、信長を無事京に帰還させたことを後悔しながらの最期だった
のではないだろうか。


松永久秀






ではなくて浅井長政
392無名武将@お腹せっぷく:04/12/08 01:24:32
家督を継ぎ、積極的な軍事行動を開始。
近隣の豪族や城を攻め落とし、彼に滅ぼされた人物も決して少なくは無い。
配下に智謀豊かな参謀的な武将を従え、その武将は秀吉に大いに絶賛された。
しかし、同時に彼は、信頼していた部下の裏切りも経験している。


彼の名を、こう呼んだ……政宗、と。





ただし浦上政宗。
393無名武将@お腹せっぷく:04/12/14 23:52:29
亀レスだが、>>136うまいな・・・。そうくるとは思わなかった。
特に「一夜で城を取った」ってところが後から考えて笑えたよ。
394無名武将@お腹せっぷく
信長

戦国時代の武将。
永禄年間に上洛を果たした。
その後、重臣の反乱により命を落とす。
しかしその反乱には黒幕の影が見え隠れする。





つまり、本当の黒幕は三戸南部晴政であり、晴政が八戸南部家の重臣・新田行政を操って
八戸信長を追い落としたのではないか、ということである。