生理的に家康を好きになれないんです。
2get!(・∀・)
宇喜多秀家
糞スレ
織田信長
7 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 12:15
,r' /=ミ
/ 彡ll',''´
. / 彡lll
!-- .、 ,、、、、,,, 彡lノ
l,,,,,__ / ___ 'r''゙ヽ
. |`゙'' ./ `'゙'''" .〉,l |
|. ,' //
. ',. ,' , r'
. ゙, ゙'ー ‐` l |
゙、''゙ ,,、二''‐ ノ l、
''''''''7'ヽ ''' / /`〉`゙T''''''''''
l ` 、,,,,、- ' " / /.| |
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| | | ', / / l .l
【ゴールデンレス】
このレスを見た人はコピペでもいいので
10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。
そうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
8 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 18:18
まあ徳川の方が多いだろうけど
三成好きだから豊臣
9 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 18:44
鎖国のせいで日本が苦しんだ
徳川は氏んどけ。
10 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 18:52
たぶん豊臣のが人気あるだろう
11 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 18:55
徳川は苦労人なのは認めるが素人受けしない。地味だから。
12 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 18:57
徳川派・・・秀吉嫌い 家康信者
豊臣派・・・家康嫌い 徳川鎖国UZEEEE派 三成左近幸村etc信者 秀吉信者
一人で豊臣擁護を繰り返している馬鹿がいるな。
お前がバカ、一人ではないだろう。
15 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 19:01
この板もID制にすりゃいいのにな。
根拠も無しに自演呼ばわりする奴がいてうざい。
秀吉は天下とった後、はしゃぎすぎ。
しょせん、下賤はこんなもんなんだなとマジ引く。
家康は天下とった後でも用意周到、沈着冷静。
偉業を成し遂げる人間というのはやはり違うね。見習いたい。
17 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 19:11
まあ家康は日本を滅ぼすような事はしないだろうという安心感はあるな
18 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 19:17
豊臣に決まってるって。
この前の草薙のドラマ感動したよ〜。
人を殺したくないから水攻めしたり、平和を訴えるために朝鮮いったり。
秀吉サイコー
19 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 19:19
徳川に決まってるって。
この前の滝田のドラマ感動したよ〜。
最後まで秀頼親子を生かそうとしたり、若者達の勝手な暴動に涙したり。
家康サイコー
20 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 19:20
ワラタ
心配しなくてもどっちも悪人だよ
平和を訴えるために行くわけないし
秀頼親子を生かす気もない。
秀吉にしろ家康にしろ過度な美化は気分が悪い
22 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 19:23
おまえら花の慶次みたら家康の方がいいに決まってるだろ!
最高に感動したぞ!
23 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 19:25
島奔の正信に愚痴る家康がかわいい
>>22 花の慶次は隆慶一郎には珍しく豊臣に媚び過ぎないのがいいよな
つか花慶に関してならどっちも好きだ
ほんと地味すぎる。本当に信長とダチだったか疑問が
残るほど地味 配下も
26 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 19:32
>>25 誰からも忘れられてるような存在だったからこそあの乱世を生き延びてこれたのかもしれない
地味地味言ってるから足元を掬われるのさ(´・∀・`)9m
地味だから後世に人気がないのさ(´・∀・`)9m
29 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 19:40
家康はほんと疑問だよな。天下取るようなタマにはどうしても見えない(実際は大器なんだろうが)
同じタイプの司馬イよりはるかに地味。
家康は凄く倫理観のある人間だったと思う
というか江戸期から現代の倫理観を家康が作った訳でもあるのだが
つーか 水銀飲んでいたわけだが
>>28 当人からしたら後世の人気なんかどうでもいいんじゃね?
家康は教訓じみた逸話が多いね
人の一生は重荷を背負いて遠き道を行くが如し、急ぐべからず云々・・・
とか家康はあまり好きじゃないけど、こういった言葉は嫌いじゃない。
家康は嫌いだけど偉大
秀吉は嫌いだけど天才
秀吉の天下取りは応援出来るけど、家康の天下取りは不快になるんだよな、、、。
39 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 23:14
>>9 鎖国でくるしんだ?おまえアフォウか。わずか一行レスに突込みどころ満載だな。
自国の歴史に疎い白雉は死んでいいよ。
技術の進歩が遅れただの+面でしか語れない奴だろうからほっとけよ
41 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/16 01:06
42 :
山口一 ◆pmq2/FfQ96 :04/04/16 01:11
豊臣派、厳密に言うと羽柴派
横 山 派
>>43 回線切って、本格的に鎖国してとけよ。ひきこもり君
47 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/16 05:19
家康大嫌い!
へぇ
49 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/16 07:37
秀吉>>>>>>>(シベリアの木を数える)>>>>>>>ウンコ漏らし家康
不等号必死だなw
51 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/16 07:53
↑キモイ根暗モーヲタ
ほんと馬鹿が好きそうなスレだ。
>>46 おまえもうちょっと勉強したほうがいいな。
54 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/16 07:57
虐殺大好きな秀吉は屑なわけだがな。
58 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/16 19:15
だから鎖国政策をした徳川政権が嫌いだと言ってるだろ。
しかも日本の中で藩と藩とのあいだで「鎖国」状態に
してるし、まるで犬じゃないか。
戦国時代の次の時代としてはそんなもんだろ
人の営みは急に変われない
61 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/17 05:22
糞スレ立ててすますお。ペコリ
63 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/17 07:58
つーか、糞スレだね。
家康は豊臣直系を根絶やしにしたのが減点
秀吉が殺した信長の親族も家康が殺した秀吉の親族も同じ数だけどね。
66 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/17 19:03
つーか うんこ漏らしとか変な延命法とかまだいいけど
息子の信康殺しだけは、我慢ならねーな。
「信長にお前の息子は世の為にならぬ殺せ」と言われて
殺すか?普通、損得勘定で動くか?もののふのくせに。
信康に落ち度があったら自分で罰するのが普通で
なんで他人の家の信長に言われなければならないのか?。
それを実行する家康は最低だよな。後年家康は後悔から家康は、
府中に隠居後も、度々人を遣わして過ぎし日の非道を詫びていたけど。
1戦する覚悟で止めろよ。ヘタレが
67 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/17 19:16
>>66 息子でも謀反人じゃ殺さざるをえんだろ。低脳。
あと、信長の命令だったっつーのは後世の創作だ。
つーか、猿顔とかレイプ魔とかまだいいけど
自分の子供かわいさに甥を女ふくめて一家虐殺するのは人として許せんな。
ふつー殺すか?バカじゃねーの。滅んでしかるべき家だったということだな。
人の上にたつ器じゃねーよ。畜生の類のへたれ気弱猿だったんだな。
信長も弟を信玄も息子を伊達も弟を秀吉も甥を殺してるよな。
>>67 謀反人?どこかだおまえこそ低脳だろ ヴォケ!
徳川家では、代参をたててその霊を弔うことしてるし。
そして、三代将軍家光の代に至って信康を葬った江浄寺に
に葵の御紋の使用を許可しているだろ。謀反人に
そこまでするか アホが
>>70 では、謀反を企てる可能性が極めて高く殺さないと相当危険な状況だったに訂正。
もう信康信康飽きたんだよ。ぶっちゃけ、小笠原権之丞の方がよほど哀れだろ。
>>71 豊臣秀次のことか━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
>>66 結果戦国武将として最高峰の勝ち組になったので良し
天下取るまではどっち好きだ
家康は、天下とってからの対外政策はいまいち
しかし秀吉は天下取ってから、かなりやばいので・・
一応家康に一票
家康はなるべきものがなるべくしてなった積み重ねの結果とった天下だから祝福に値する。
秀吉はすべてが危なっかしい。所詮、ばくちにばくちを重ねて勝ったラッキーマンにすぎない。
秀吉が子沢山だったら家康の天下は難しかったろう
天下人にはやはり運も必要
>>77 子沢山でも信長みたく兄弟仲が悪い場合も考えると難しいね
80 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/18 18:17
幕末になって、戦国時代に徳川に逆らった長宗我部や毛利、島津などの
ゆかりの土地から徳川幕府打倒につながるのは皮肉としか言い様
がないな。
>>80 凄いね
250年間も豊臣家への忠義を貫くなんて♪
82 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/18 18:26
>>81 忠義じゃなくて恨みだろ。
土佐なんて下士とか呼ばれて馬鹿にされてたんだし。
83 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/18 18:36
江戸時代は凄まじいヒエラルキー社会だからそれが好きかどうかだけどね。
今も大してカワンネ
天下取るまでの秀吉は好き。
そのあとは・・・生まれの卑しさが出た感じで好きなれんなぁ。
でもまぁ、そういう人間臭いところも含めて好きだな。
87 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 00:39
>>86 お前わけわからん。どういう意味でチョンに繋がるんだ?
88 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 02:33
秀長と秀吉の寿命が逆だったらなぁ
秀頼も産まれず秀長と秀次の争いが始まるわけですな
90 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 07:16
平民と貴族の差
秀吉は今で言うなら田中角栄かな 閨閥という地盤がなかったから脆かった 個人の能力は凄いが
家康には閨閥を生まれながら背景にしていた強みがあった
同時代の貴族(武士階級)から(気分として)支持されたんだと思う
徳川にしても数代前は猟師の家系なんだが、
秀吉は一代目だもんな
大阪城は素直に譲り渡して才能ある子孫が輩出するのを待つべきだった
淀にはそういう見方がなかったのかなあ、浅井の血を受け継いでいたのに・・
それほど賢くもなく姫育ちで世間しらずだったんだろうな
秀頼にもう少し覇気があればよかったのに・・・
秀次よりも浅井の血筋なだけによっぽどマシな人物だったろうに
91 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 07:21
関ヶ原後の豊臣家は誰が実権握ってたのかな
淀の取り巻きの烏合の衆だったのかな
淀や秀頼に献策できる人材がなかったのかなあ
>>87 歴史捏造と粘着質なところがうりふたつだな。
93 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 07:51
>>39 鎖国してなかったら日本の国民性は今と違うものになっていたかなあ
また鎖国は西欧の侵略に対して効果は大だったのかな?
侵略しようとすれば大船団組んで遠征してくればいいじゃんと思うが
キリスト教の浸蝕はそれほど効果があったのかな?植民地化した国では
鎖国とともにキリシタンも禁令したんだよね
>>93 日本を征服できるほどの大船団を組んだら欧州国の財政が破綻するだろ。
実際は、原住民へキリスト教を宣教し、その信仰心を利用して政権を倒し国を植民地化していたわけだから。
96 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 08:06
>>93 あと、93は何も知らなさそうなんで、ついでに言っておくと秀吉もキリスト教の布教を禁じ宣教師を処刑しているぞ。
豊臣OR徳川 どっち好き?っつースレでキリシタン弾圧の話題を出す奴はアフォウすぎ。
豊臣も徳川もキリスト教を国内から排斥してたわけだから。
98 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 08:26
>>96 それぐらいは知ってるよ
>>97 徳川はマねしただけだからだめとかって発展させれば?「知識があってもばか君」
それから何か
話題だせよな おまえも
>>98 おやおや、これは痛い厨ですね。
しらなかったからこそスレに沿わないキリシタン弾圧野は話題をだしたんだろ。
知ってて出したならただの基地害だしな。
100 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 08:28
101 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 08:30
>>93 おいおい、キリシタン禁令は豊臣をだしてるぞ。
いくら厨板の三戦とはいえそんなことも知らない奴がいるとは驚きが隠せません。
>>98 そんな馬鹿そうなレスで発展≠ウせたといえるのかね?(苦笑
103 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 08:37
なにもそこまで考えてないよどーせあふぉなんでね
それに盛りあがるときっていうのは多少の脱線もするもんだとおもうが・・
そんなに冷ややかなレスばっか付けて盛り下げて楽しい以下?
なんかスレにそった話題を提示しろよな
おめーみたいな住人がいると迷惑なんだよ しんでクレ
104 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 08:38
>>102 かしこそうにかくのもどうかとおもうが こんな2ちゃんで
105 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 08:40
さてまずは煽ってレスの場そーか
106 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 08:42
107 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 08:45
>>95日本を征服できるほどの大船団を組んだら欧州国の財政が破綻するだろ。
根拠あるのかい?植民地たくさん抱えてもうかってたんじゃあないのかい?
分かりやすい実例をあげて反論してくれるとうれしいがな。
108 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 08:48
>>95 実際は、原住民へキリスト教を宣教し、その信仰心を利用して政権を倒し国を植民地化していたわけだから。
どことどこのくに?でちゅか
109 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 08:51
レスのラリーが津図化ねえとおもしろくねーんだよな ばかはうちかえしておわりだもんな ああばかばか
110 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 09:18
>>107-109 偉い態度のでかい教えて君だな
馬鹿をここまで臆することなく晒せるとはねえ
万が一にもスレを盛り上げているつもりなら救いがたい
福島政則と加藤清正が好きですが、石田三成が好きになれません。
上杉征伐以後の家康が好きになれません。
信長亡き後、織田家を差し置いて権力を握った豊臣に徳川が遠慮する謂われは
無いと思うので、(当方大阪在住。でも、泣いて秀頼の事を頼まれても困りますよね)
徳川ですかな。
息子や嫁が殺された事を思うと、良かったねってまぁ、思えますわ
112 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 11:01
>>92 歴史捏造?お前、ちゃんと歴史を勉強してから言ってる
発言だろうな?
結論。
豊、徳より織田信長が好き。
2人の小者雑者は権力の獲得と保持に躍起。
どうにも志の高さが違う気がする。
114 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 13:58
/∵∴∵∴\
/∵∴∵∴∵∴\
/∵∴// \|
|∵/ (・) (・) |
(6 つ | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ___ | < 父さんこのスレ盛り上がってきたね!
\ \_/ / \_________
\____/
116 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 19:17
>>114 はぁ やっぱり馬鹿か、ちゃんとしたレス返さず
煽りで返す奴だもんな。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 19:22
ていぞうごときなムキになりおって。馬鹿めが
>>113 実際、若い人はのぶなが好きが多いですな
3人の中では一番かっこいいしね
関係ないけど、明日手取川越えて越中まで逝ってきます
>>118 三傑の地元の愛知だと
尾張で圧倒的に信長、三河でやや家康、秀吉・・・大坂の人?って感じかな。
信長マンセー
>>113 信長がほかの二人に較べて保守的じゃないといっているが、それはは信長が天下を取る以前に死んだからにすぎないわけだが。
>>116 はたからみたら馬鹿はあんたなわけだが。
123 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 21:43
>>121天下をとってからももっと斬新な政策を行ったと思いますが
天皇をギロチンにかけて共和制を敷き初代大統領に。
>>124 信長がいかに当時の先を行っていたとしても革命やって共和制までは無理かな。
せいぜいヨーロッパに先駆けて絶対王政をやったぐらいかも。
>>125 たしかに。信長はあくまでも自分は統治する人間という考え方で
織田王朝の創始者になる以上の発想は持ってなかったかも。
スレッド止めてスマソ。
本能寺はホント残念な出来事ですよね。
信長の前にでたらさすがの秀吉も「猿」ですからね。
羽柴の家督も信長からの養子に譲ってお終いだったかもしれないもんね。
信長って全然名古屋っぽくないね。
家康が田舎臭さとか地味さとか、愛知の特徴がよく現れてるんじゃないかな
あと堅実さとか
信長ほど名古屋人らしい奴はいないぞ。
131 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 10:11
家康は全然地味じゃないだろ。派手でもないけどな。
家康が地味って言ってる奴は小説のイメージで抜かしてるだろ。
ぶっちゃけ家康以上に地味な大名ってのは数多ある。
名古屋人・・見栄っ張り、意地の張り合い、派手好み、合理主義者
信長まんまやん。
見栄っ張りと合理主義って反しないか?
どちらも信長が死ぬまでは割と好き
つーことで俺は信長が好き
信長マンセースレはここですか?
結果的にどなたも良い人生を送っていませんね
137 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/07 01:50
真田
138 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/07 08:25
信之
139 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/08 10:10
徳川は鎖国しやがったからなー…そのせいで日本の近代化が大幅に遅れた
外国がこなけりゃいまも鎖国でそれなり幸せだと思うぞ。
141 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/08 22:28
>>139 豊臣だったら近代化がはやまったとでもいうのかね?
いやまさかなw
143 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/08 22:50
>>142 少なくとも史実よりは。
鎖国さえしなければ後に太平の眠りを覚ます上喜撰…なんて事にならなかったと思うし。
っツーか、豊臣だろうが徳川だろうがどっちでもいいから、なぜもっと早く太平洋の探索始めなかったんだろ?
>>143 何を根拠に豊臣なら近代化がはやまったというのだ?脳内ソース以外でいえ。
145 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/08 22:53
むしろ豊臣だったなら今ごろもっとどうでもいい国になただろうな。
中国からも韓国からも貿易ほされてたしねえ。
まあ大陸との貿易すらない徳川以上の鎖国体制だったろうな。
147 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/08 23:00
>>144 オランダ1国よりは複数の国と交流持った方がいろんな分野で進歩があったって言いたいんでしょ?
ただ、朝鮮あたりは朝鮮出兵の件を謝罪してもすんなり受け入れてくれたかどうか・・・
ただでさえ当時の李朝も鎖国してたし。
アメリカの建国だって・・・
>>143 >豊臣だろうが徳川だろうがどっちでもいいから、なぜもっと早く太平洋の探索始めなかったんだろ?
ン名優秀な航続距離と船速を持つ船は当時の日本にはない。
>>147 どのみち当時の日本にはオランダくらいしかきてなかったでしょうに。
149 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/08 23:03
>>148 イスパニア(当時のスペイン)とポルトガルとイギリスは?
>>149 スペインとポルトガルがいつまで日本に来るというのだ?
イギリスだって日本への興味は早い段階でうしなっているだろ。
>>147 >>143 >豊臣だろうが徳川だろうがどっちでもいいから、なぜもっと早く太平洋の探索始めなかったんだろ?
>ン名優秀な航続距離と船速を持つ船は当時の日本にはない。
当時の日本の船は沿岸航海向けが常識
豊臣に治世だったなら、イスパニアとポルトガルが史実に反して制海権を失わず、
さらにイギリスが史実よりも日本に盛んに来たという根拠はなんだね?
>>150 興味を失ったっつーよりはなぜか知らんが当時世界最強(?)の陸軍国(これまた?)の日本を怖れて手を引いたんでしょ?
交易の主力商品だった鉄砲だって日本の国内の量産体制ができてしまって商売にならなくなったし
>>153 鎖国は外国との国交を断ち追い払うことではない。
鎖国をしなければもっと外国勢力が日本へやって来ただろうなんてのはでたらめもいいとこだ。
157 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/08 23:18
関係ないけど同じ日本人を奴隷として南蛮商人に売ってた島津、伊達、上杉よりは
徳川、豊臣の鎖国政策のほうがマシだよ
159 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/08 23:26
>>158 ん?
当たり前のことを書くなってこと?
それとも嘘を書くなってこと?
>>139-155 無理無理。豊臣だろうが徳川だろうがどちらの政権でも鎖国は避けて通れない道だ。
宗教抜きで交易のみって考えを持つ国とじゃないと交流なんて危険だってのが常識だったんだし。
161 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/08 23:29
まあ当時としてはベストの選択だよな
162 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 09:32
age
163 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/29 00:33
秀吉は嫌いだけど弟の秀長が好きなので豊臣に一票
164 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/04 03:10
徳川
165 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/04 03:11
それは、当然豊臣だらう。
なんじゃそりゃ
とくせんさんだな
真田丸が前田・井伊・本多らの軍勢を撃退?
その勢いで波に(732)乗っていきたいな!
ずっと人質さんになっていたし、前にこの板でスレ回ししてたから徳川。
・・・・・苦しい・・・・・
>>170 ちみに申し述べたいことがある。
その奢らなさに拍手!!
俺は波に乗れない秀頼公にお味方つかまつるがな。
秀頼公曰く、「なにさ!もう723スレッドになってるなんて!
母上にいいつけてやる!」
なあ、鬼のようなスピードで圧縮きてるよなあ。
>>173 まったく。すでに「ちわー、み(703)かわ屋ですー♪」モードにまで
スレ減ってる。
福島正則「そんなの、どっちとも言え714。」
毛利輝元「言え717、ハァ。」
真田幸村「負けないくぉと 投げ出さないくぉと 逃げ出さないくぉと
719
信じぬくくぉと♪」豊臣に一票。
それはないわぁ
179 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/27 06:00
だよなぁ
鎖国は家康が始めたわけではないぞ。
始めたのは、三代目将軍の家光で家康はなんら関係無い。
当時としては当然の選択
秀吉でもいずれ鎖国してたよ
やっぱ豊臣かなー
三河人じゃないんで
差別されそう
華やかさが足りない〉家康
185 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/01 19:25
家康は学生のころ習った時、別になんも思わなかった
色々な文献読むうち、秀吉没〜関ヶ原のあの陰気で悪質でねちっこいヤリ口を知って大嫌いになった
秀吉没後の五家老問題、大阪城問題、上杉家へ当て付けなど卑怯な手口を使った家康が好きなヤツの真理が分からん
頭がよく回った、先見の明などは認めるけど、やり方キタネーよ
戦国時代に何言ってんの?
>>186 それを踏まえたとしても、
陰湿過ぎる手口には辟易する
>>185 合戦で城を奪い取れば汚くないのか?
戦国時代に汚いの汚くないの、正々堂々だの卑怯だのなんて言ってられるかい。
家康が陰湿なのはまったくその通りだが、それが是とされる世の中であったことも認識しようぜ。
孫子も言ってるよ。「兵は詭道なり」とか、
「百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」
とかね。
秀吉は人徳をもってして
「戦わずして人の兵を屈させた」のが多多あるけど、
家康にそれがない。
ああいうやり方でしか天下を獲れない家康の方が格下なのは明らか。
>186>187
別にやっていけないとか、戦国時代の理念で考える、なんて一言も言ってない
今の価値観で見た場合の話
戦国時代では許されていた=自分は許容 じゃないだろ
名前欄間違った
186→185
徳川。
家康自体はさほどではないが、四天王を中心に三河武士が好き。
豊臣は、秀吉自体は魅力的(晩年は色々失敗したけど)だが
三成・如水以外の家臣が糞過ぎる。
>>188 「戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」
って全然家康じゃないじゃん。
関ケ原然り大阪の陣然り、逆に戦を起こそうと謀ってただろ。
逆に羽柴秀吉の城攻めなんて如何に兵を残し(敵味方区別なし)城を落とすかだぞ。
これこそ「戦わずして人の兵を屈する」だろ。
まあスレタイが豊臣なんでアレだが。
三方ケ原の戦い敗走時に馬上で小便漏らした家康萌え
>>193 結果ほとんど戦の無い時代が二百数十年訪れましたが
>>195 それは結果論
豊臣政権ではそれが無理だったという根拠がないとねえ
それに、そうはなったがすべてが家康の功績ではないだろ
そして"江戸幕府"を引き合いに出すのは論外
現実無理だったしなぁ
水攻めや兵糧攻めって人徳に入るのか
メモメモ
城に火を放って虐殺したり、
総攻撃かけて大量に兵を死に追いやるより、
水攻め・兵糧攻めで投降促す方がマシ。
まったくだ、
餓えさせて土や人肉食わせたりさせた方がマシだな。
>>200 そういう皮肉じみたレスやめろ
それに、どっちの方が死者が多く出ると思ってんだ?
悪意に戦になるよう仕向け、死者を多く出した家康の方が良いって感じにしか見えんぞ
そもそも家康を擁護するってどこが気に入ってるんだ?
到底分からんので考察でも何でもしてくれないか
俺も納得してアンチ感が薄れるかもしれん
202 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/01 23:24
徳川好きなんてどーせ、
「天下割れ目の大戦で勝ったから」「超続いた幕府開いたから」程度だから。
武田にビビって失禁するタヌキにお似合いな取り巻きだな。
203 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/01 23:37
秀吉嫌いは在日です。
何だかんだ言って一番マシだったのは謙信か
やっぱ義でしょ、義!
205 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/01 23:45
義なら大谷吉継だって。
>>202 「西軍」や「大坂五人集」が大好きなお前よりはマシだな。
義だろうと私欲だろうと結局は
農村の働き盛りを狩り出した大量虐殺の理由付けに過ぎない。
ならば最高の結果を出すまでよ。
208 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/01 23:59
>>201 マジレスすると
1、人質時代・従属的同盟者・農民上がりに屈服、と苦難に耐えて最後に勝つ所
2、桶狭間から大坂の陣までを生きた戦国の生き字引的存在である所
3、どこか庶民的、というより貧乏性であり後年になってもその癖が抜けなかった所
4、本多平八郎・井伊直政などの華のある家臣団、家臣からほとんど裏切り者を出さなかった所
5、信長や晩年の秀吉のような無意味な残酷行為をしなかった(必要とあらば躊躇しないが)
6、先人の教訓をフルに取り入れる学習能力とその成長性
7、上の結果ともいえる卓越した采配と深遠な智謀、秀吉死後から豊臣滅亡までの
徐々に豊臣家を追い詰めてゆくプロセスは芸術的とすらいえる
8、律義者の仮面をかなぐり捨て豊臣家を潰しにかかった時の悪役的なカッコよさ
その本性を見た福島正則ら豊臣恩顧の武将達を戦慄させた
9、日本にとりあえずの平和をもたらした所
(大坂の陣の時にはもう豊臣家に天下を纏める力は無かったし、関ヶ原で三成が勝ったとしても
その後史実の徳川ほど天下を纏められたとは考えにくい)
まぁざっとこんな所か、嫌いな所も同じくらいありそうなんでだれか書いてくれ
秀吉の場合
1、日本史上最大の出世人である所
2、人間的魅力にあふれ多くの人々をひきつけた所
3、奇抜なアイデアの持ち主であった所
4、加藤清正・黒田如水などの華のある家臣団
5、家臣たちに太っ腹であった所
6、主君の死後の混乱を纏めて天下を統一した
7、晩年の狂気がある種の悲しさを内包している
8、一代で滅びたパセティックな運命
こんな所かなぁ・・・ほかにもなんかあったような気もするが
俺のアンチ家康は「完璧」が原因だったらしい
>3、どこか庶民的、というより貧乏性であり後年になってもその癖が抜けなかった所
見て、そういえばそんなエピもあったなあって、何だか柔らかくなったよ
何だっけ、はまぐりのエピだっけ?ちょっと意地悪いエピなんだけど、
なんではまぐり?みたいなトコもアレだしな
>7、晩年の狂気がある種の悲しさを内包している
>8、一代で滅びたパセティックな運命
俺が秀吉好きなのはここかな
晩年といい、一瞬の栄華といい、「完璧」じゃない部分
あとは地味だけど心温まるエピが多いとか
まあ徳川も良い目良い目で見ていこうと思いました
それから
>>201で噛み付いた言い方して、正直スマンカッタ
208じゃないが俺もなんとなくスマンカッタ
死者を出さずに勝つというのが良い事なら
宇喜多直家なんぞは善人に当てはまるな
>>212 死者を出さずに勝つことが”善”なること、というわけじゃないでしょ。
合戦をすれば、たとえ勝っても被害が出て、国が疲弊する原因になりかねないから、
戦わずに屈服させる方策を練れってこと。
214 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 03:43
つうか、なんで家康がそんなに嫌われるのかさっぱり解らん
太ってるからとか糞漏らしたからカッコ悪いてのなら解るが
秀頼や淀に同情してるの?自業自得じゃないか?
七歳の子供を殺した事?あの時代ではそんな珍しいことでもないだろ
江戸時代の制度が嫌い?豊臣政権よりはいくらかマシじゃない?
>>214 一番大きく単純な理由は判官贔屓からくる西軍厨が多いから
当然アンチ家康・大坂方贔屓となる
単純は同情で、どうせ小説とかドラマの影響だろう
あともうひとつ、意外なところで2chで流行の似非愛国・ネット右翼の影響もある
彼らに言わせれば明治維新〜第二次大戦で日本が苦労した原因は家康の鎖国のせいとなる
もし鎖国をしてなかったら・・・ と考えると
なぜか日本1国で白人ヨーロッパ帝国主義に対抗できたというところまで夢想が広がってしまい
なぜ当時鎖国(キリスト教排斥)が必要だったのかという面を全く考えようとしない
この資源の欠片もない国で世界敵にまわして何ができるんだよ・・・
まぁ家康の天下じゃなかったら日本人の国民性が多少違うものになっていたかもしれない
そんなんで国民性に影響なんて出ないよ
>>215 いや、2ちゃんではいざ知らずそれは一般的な理由ではない。
多くは秀吉の死後、家康のあの陰気で悪質でねちっこいヤリ口を見て大嫌いになったものが
ほとんどだろう。
その陰湿すぎる手口は到底万人に受けいられるものではない。
ほとんどのアンケート見ても常に家康は嫌いな偉人の常に上位に挙げられている事からも
いかに嫌われているか分かる。
>>218 そこが解らない、なにをして陰気で悪質と言ってるの?
確かに現代人の感覚からすればスマートなやり方には見えんが
戦国の時代ではむしろ畏敬されるべきことでは?
俺には淀&秀頼の親子が馬鹿だなぁ、って感じただけだったがなぁ
とっくに家臣や民の信望を失ってるくせに、内心は天下人きどり
浪人衆を使い捨て自分は結局一度も戦場に立たず、最後の最後に見苦しく命乞い
ただ千姫を殺さなかった点だけは男として評価できる、浅井の血か。
>>219 お前は現代人の感覚ではないってことか
「その時代では許されていた、認められていた」って、そんなの周知だよ
己が聞いて、知ってその結果、嫌悪するもんにそんなのは通用しないよ
それが通るなら、「戦争反対と騒ぐのは今の倫理観では考えられないから」と言うのと同じ
戦争に反対するのは今日の倫理ではく、己の心であるべき
下剋上の世の中だからな、卑怯なことをやるのも当たり前。
それを自分の感覚で許すか許さないかは、その人次第ではないかと。
ただし、歴史上の人を評価するとき、好悪の念を前面に出すのは良いこととは言えない。
徳川を嫌う人は、判官贔屓的な感情に左右される部分が大きいんでないかなあ、
逆に徳川を擁護する人は、客観的に見ることができているように感じる。
222 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 21:18
家康のやったことは現代の感覚からすると腹黒いと感じるのだが、
当時の戦国時代では他の武将も大同小異同じことをやっているんだよね。
家康だけが特別に腹黒くて卑怯だったわけではない。
家康にだけ非難の声を向けるのはおかしいんじゃないのか?ってこと。
まぁ、秀吉のほうが余程汚いことやってるけどな。
>>220 そりゃあ8才の子供を処刑とか偽りの和議とか
俺自身の感覚でいったら嫌ですよ、でもそれは戦国武将なら
そうであって然るべきことだし、信長も家康もそうだろう
それを徳川が嫌いな理由として挙げるのは戦国武将はみんな
卑怯で残酷だから嫌いって言ってるようなものでしょ?
少なくともその『戦国の論理』であの地位を築いた豊臣家の人間は
その事を肝に銘じておくべきだった。
小牧の戦いで
勝入斎「とりあえず三河進行ね」
長可「じゃあ俺もそれ」
運ばれてくる徳川四天王
ってかさ「どっち好き」というスレで
戦国の原理を説かれてもこまるわけですよ
好き嫌いなんて感情の問題ジャン
戦国の最後を決めた覇者=家康に戦国の負の決算が押し付けられてはいませんかね
江戸時代の庶民にとっては徳川がお上で悪役にしやすいでしょうし
後世の尾ひれの部分で出世のかがみ=秀吉が徳川より好感度は高くなりやすいでしょうね
>>226 でもアンチ家康は「徳川家康は残虐・卑怯の天下の大悪人!主君の子供を殺し〜」
とか言ってる奴が多いぞ、もしかしたら一人があっちこっちで書いてんのかもしれんが
2chで書き込むくらいなら全然かまわないけど
いまだに戦前の講談話や紙芝居の焼き直しのような
幼稚な小説が毎年腐るほど出てるからな・・・
やっぱ家康を露骨な悪役に書いたほうが
歴史知識のない一般人にも面白おかしく読めるからか・・・?
ご当地、岡崎市民の俺ですら家康大嫌いだからな
感情論レベルでは、家康=腹黒の刷り込みは思ったより根深いぜ
維新政府は喜んでるだろうな
岡崎に住んでる余所者だろ。
俺は西三河の豊田の本社がある市の出身だけど家康好きだよ。
子供の頃から徳川にまつわるエピソード聞かされて親しんでたし、
高校も水野藩ゆかりの人物が建てた高校に通って徳川の善政が息づく中で育ったからね。
もっとも、そんな俺の家も三河に土着した家系じゃなくて
TOYOTAの関係で静岡から三河へ移住した住民の口なんだけどさ。
それほど嫌われる人物とも思えないが、
好かれるような人物とも思えない>家康
んなもん秀吉も同じだろ。>好かれるような人物とも思えない
本能寺〜小牧・長久手あたりまでの徳川は好きなんだけどなあ。
秀吉っていうか豊臣家は支配体制が脆弱だった分、IFの要素を盛り込みやすいから、
いろいろ妄想を楽しむ事ができて浪漫を感じる部分がある。
なに?家康ってそんなに酷い事してきたの?
陰湿なイメージだから嫌いって言ってる人はたくさんいるけど
実際はっきりした理由はあまり聞かないよ。
238 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/28 00:57:11
家康はどうしても信長や秀吉あたりに比べると天下の覇者としてはやや地味杉な印象。
三河武士自体は魅力的だし、一大名としては好きだけど、天下を取る人はやっぱ室町末期の
争乱の時代にもうちょっと活躍してないと。
弱体化した今川の領地を削り取った後に、武田にコテンパンにやられたって人って印象の方が強い。
秀吉の方が好きだけど、どっちに仕えるかって言われたら、家康の方が安心感があるかも
240 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/28 20:22:03
>>208 >5、信長や晩年の秀吉のような無意味な残酷行為をしなかった(必要とあらば躊躇しないが)
『意味の無い』残虐行為をしたのは秀吉だけ
241 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 00:00:36
徳川も豊臣(羽柴)も政治で天下を取ったって印象が強すぎなんだよな。
特に家康って東海地方での戦いが主で、秀吉死後までは日本全体を見据えた戦略
を披露する機会が殆ど無かった。
徳川主体の大きな戦である関ヶ原・大阪の陣は戦闘前の政治の要素が強すぎだし、
多くの外様が参戦してる関係でいまいち徳川の戦って感じが薄い。
じゃ、織田で
じゃ、家光で
もこちり
豊臣派かなー
やっぱ農民から天下をとるのは凄まじい偉業だと思うしねぇ
なんとなく親近感のある秀吉が好きですな。
天下を取った後もう少し自制心があれば後世にも慕われる賢帝になれたと思うんだが・・・
>>245 豊臣の話であって秀吉の話では無いんだが・・・
家康は生理的に駄目
249 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 16:43:28
/::ヽ
|;;:::::|
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|;;;;;/::::::://:::/:::/:::/淀 ミi::::|;| /j/ ヾ、
|;;;;|::::::/ノ::ノ::ノ::ノ ⌒ |::::|;| l::||:::: |l
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/ ̄ ̄ ̄ ̄\,, /−、 −、家康 \
/__秀忠_ ヽ / | ・|・ | 、 \
| ─ 、 ─ 、 ヽ | | / / `-●−′ \ ヽ
| ・|・ |─ |___/ |/ ── | ── ヽ |
|` - c`─ ′ 6 l |. ── | ── | |
. ヽ (____ ,-′ | ── | ── | l
ヽ ___ /ヽ ヽ (__|____ / /
/ |/\/ l ^ヽ \ / /
| | | | l━━(t)━━━━┥
>>249 ワロタ。昔の夢に酔ってる豊臣家と現実見ている徳川家の
対比が面白い。
251 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 17:25:27
とにかく真田幸村がいるから豊臣。
キモッ
汚い手を使う豊臣は生理的に駄目
手はちゃんと洗わないとナ
秀吉に仕えて成り上がった後、家康に平身低頭して保身を図る。
そして幕末は薩長の先鋒として幕府に立ち向かうよ。
>>255 そんな正直なあなたは尾張徳川家へつかえなさーい
257 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/10 22:21:45
>>255は藤堂家の奴だな。
卑怯というか、こざかしいというか、勝ち組にはなるんだろうが、
尊敬の念は持たれないタイプだな。
家康は好きになれん。
やってる事が同じでも、律義者の仮面を被ってたせいで後半の陰湿さがどぎつく際立ってしまうんだな。
ツッパリみたいな悪より、表面いい子ぶって裏で弱いものいじめしてるやつを較べると、
例え同じことをしても、大概の人間には後者の方が印象が悪いだろう。
それに三河一揆の時の対処も酷薄さが目立つしな。
信長が長島一向一揆でやったことにくらべれば家康が三河一向一揆にやったことは善政もいいとこ。
260 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/11 22:12:45
釣りか?
それとも知らないだけか?
善政なんて言っちゃうあたり後者っぽいが・・・
一揆なんだから民百姓と戦う事になるのは当たり前として
思ったより和解してんじゃん。
262 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/11 23:57:26
俺は豊臣でも、徳川でもない。
韓国が、好き、です。
263 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/12 00:50:30
戦国時代は秀吉のせいで、とばっちりを受けて気の毒に思う。
しかし現代もそれを引きずるのはどうかな。
例えるならば、イギリス人がナポレオンはゆるせん!といまだに言っているようなもんで・・・
265 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/12 18:11:15
>>263 そうくると思った、このおばかさん!
ったく、いちいち説明させんなダホがっ!
じゃあ全イギリス人の何パーセントが今でもいってんだ?
それと比較して全韓国人の何割が秀吉ゆるせん、といってるんだろうか?
このバカ助!
おばかの分際で賢しらぶってんじゃねえw
>>263 イギリス国営放送のSFコメディドラマで
クルー全員から嫌われている登場人物が
好きな人物にナポレオンをあげていた理由が今解ったw
267 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/12 23:32:13
クルー聞きゃあ、そういう結果になるにいまってんだろ!ばかめ!ネルソンを崇拝してる連中にアンケートは無意味!
268 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/13 00:25:17
あんだけ長持ちした幕府の礎築いたんだからやっぱ尊敬するよ
秀吉は血迷い始めるまでは好きなんだけどねぇ
日本平定したあたりで腰すえて、政権と後継ぎの育成に力注いで欲しかった
269 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/13 00:27:56
李舜臣
武力 67
統率 92
政治 53
智謀 81
魅力 95
野望 63
特技 水戦、威風、奮戦、鼓舞、火矢
異名 世界三大提督の一人
朝鮮の至宝
列伝
いわずと知れた、朝鮮の誇り。
義弘、如水、清正らの参加した日本軍と抗戦し、撤退を強いた義将。
戦いの最中、落命するが、その威像は、今もソウルに泰然と聳えている。
270 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/13 00:35:42
俺は豊臣でも、徳川でもない。
韓国が、好き、です。
271 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/14 02:15:11
やっぱ織田政権が続いてくれれば一番平和で良かったな。
俺が好きな武将の家も滅亡せずにすんだかもしれないし。
信長には海外進出を実行に移す前に死んでもらって、後は信忠に堅実に治めてもらう。
既に世継ぎの秀信(三法師)もいて跡目争いも考えにくい。
毛利や上杉・長宗我部はあのまま倒されそうだから、外様は力弱そうだし。
272 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/14 05:46:01
信長→トウタク
秀吉→曹操
家康→司馬イ
秀吉=豊国大明神=恵比寿神
家康=東照大権現=大黒天
>269
スレ違いだが
李舜臣の政治は一桁でいいだろ。魅力も65ぐらい
文官の妬みで失脚しまくりだし。
水軍S 蜂烙 混乱 鼓舞
信長→曹操
秀吉→司馬イ
家康→北方騎馬民族
272より275のが近いな
277 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/15 19:01:38
俺は豊臣でも、徳川でもない。
韓国が、好き、です。
279 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/16 12:00:19
駿河の生まれなので、おのずと徳川。
駿府城周辺はよく行くし、初詣は毎年久能山だったし。
それはおいといても、秀吉の俗物・成金趣味は見てて気持ちのいいもんじゃないな。
華美な桃山文化も、信長ならカッコイイけど秀吉だと俗っぽく感じるのはなんでだろ?
真田のお膝元で育った私は
どっちを応援すべきでしょうか?
>280
貴方が信之好きなら、徳川へ。
信繁好きなら豊臣へ。
って感じかな?
282 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/16 21:06:18
いまの日本が好きなら家康、
嫌いなら豊臣
283 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/16 23:06:25
優れた朝鮮民族は秀吉を嫌います。
284 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/17 13:23:07
まあ、いいじゃん。撃退できたんだから。文句いうなよ。
285 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/17 14:45:11
断然、家康だよ。どこが地味なの?
信長は家康と同盟したから覇業を勧められた
んだよ。当時、家康が信玄と同盟してたら
信長は風前の灯火で、せいぜい今川や道三なみの
戦国大名で終わってた。当然秀吉も表舞台に出て来れない。
家康の江戸幕府は運命だったんだよ。
286 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/17 14:46:37
運命というか必然
287 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/17 14:48:27
昨日年上の彼女を捨てました
童貞は捨てたし、一通り興味のあったプレイはやったし
そろそろ結婚考えて若い年下女を狙っていこうかと思ってます
ゴメン 体が目当てだったんだ ごめんなさい でもキモチよかったです
288 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/17 15:10:13
じゃあ僕も。
今日からハワイにいきます。でも家族旅行です。(^o^;
勤めてからこんなに有給とるの初めてなんで、月曜出社してデスクがあるかとても心配です。((((;゚д゚)))ガクガクブルブル
三成は好きだけど豊臣も好きかと言われるとちょっとなぁ…
かといって徳川も好きじゃないし。
ということでおいらは石田に一票。
秀吉は好きでも嫌いでもないけど、秀長や秀次は好き
学校で習う歴史しか見てないと偏るね。
家康がなぜ、そうしたか?
小牧・長久手以降の家康の行動は、全てが天下泰平の為。
日本の為、日本から戦を完全になくす為の行動だった。
歪んだ心で見れば、それらも全て汚く見えるんだろうけど・・・
学校ではまあ2,3行で終わってしまうしね
294 :
M氏:04/11/20 16:00:52
>>292 それは誰を主役にした小説・映画を見たかで印象かわるな。
信長も秀吉も太平の世、日本から戦を完全になくす為って描かれてる。
戦国武将ならみんな野心の為でいいじゃん。
>>292 一部の漫画や小説ばっかり読んでると偏るね。
大河ドラマしか見てないと偏るね。
家康がなぜ、そうしたか?
小牧・長久手以降の家康の行動は、全てが天下泰平の為。
日本の為、日本から戦を完全になくす為の行動だった。
歪んだ心で見れば、それらも全て汚く見えるんだろうけど・・・
まあ一般に悪く言われてる松永久秀の悪行三昧も地球の平和を守るためだったしな。
最後は悪の宇宙怪獣「平蜘蛛」をみちづれに爆死したしね。
司馬遼太郎の小説しか見てないと偏るね。
家康がなぜ、そうしたか?
小牧・長久手以降の家康の行動は、全てが天下泰平の為。
日本の為、日本から戦を完全になくす為の行動だった。
歪んだ心で見れば、それらも全て汚く見えるんだろうけど・・・
影武者徳川家康しか見てないと偏るね。
家康(二郎三郎)がなぜ、そうしたか?
関ヶ原以降の家康の行動は、全てが天下泰平の為。
日本の為、日本から戦を完全になくす為の行動だった。
歪んだ心で見れば、それらも全て汚く見えるんだろうけど・・・
300 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/24 20:42:21
横山光輝の漫画しか見てないと偏るね。
家康がなぜ、そうしたか?
小牧・長久手以降の家康の行動は、全てが天下泰平の為。
日本の為、日本から戦を完全になくす為の行動だった。
歪んだ心で見れば、それらも全て汚く見えるんだろうけど・・・
301 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/24 21:06:13
韓国ドラマしか見てないと偏るね。
秀吉がなぜ、そうしたか?
小田原の役から文禄・慶長の役に至る秀吉の行動は、全てが天下泰平の為。
日本の為、ひいては明や朝鮮から戦を完全になくす為の行動だった。
歪んだ心で見れば、それらも全て汚く見えるんだろうけど・
星新一の小説しか見てないと偏るね。
家康がなぜ、そうしたか?
小牧・長久手以降の家康の行動は、全てが天下泰平の為。
日本の為、日本から戦を完全になくす為の行動だった。
歪んだ心で見れば、それらも全て汚く見えるんだろうけど・・・
そんなに面白くもないような・・・
片山まさゆきの漫画しか見てないと偏るね。
家康がなぜ、そうしたか?
小牧・長久手以降の家康の行動は、全てが天下泰平の為。
日本の為、日本から戦を完全になくす為の行動だった。
歪んだ心で見れば、それらも全て汚く見えるんだろうけど・・・
305 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/25 01:01:05
ネタも尽きた様だし、家臣団の比較でもしようか
ぶっちゃけ一時的に立っただけの短命政権と比較する時点で間違い
アンチ数正集まれー
309 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/26 01:31:39
>>309 せめて面白おかしく間違いを指摘しろよバカタレ。
家康のすべてが嫌いです。
秀吉のが嫌いだな。信長の下ではまだ抑制されていた劣情が全部でちまった感じで
朝鮮出兵もあまりにも戦略が無さ過ぎるし、開いた口がふさがらんよ。君主の器じゃないな。やはり信長の下で、
それなりの地位の武将としてやってた方が格好は良かったんじゃないか。
君主としてなら家康のがぜんぜんマシだな。武将としてなら秀吉のが活躍しただろうけど
313 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/27 01:09:56
三成が好き。男らしい!
314 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/27 01:23:32
>>310 論ずるのも値しないからだ。バカタレ。バカタレ。
>>312 今川時代、清洲同盟時代の家康の強さは?
強さの定義は?
>>315 強さはって武将としての強さ?まあなかなか優秀だったみたいだな家康、今川家の中では
でも家康は武将としての時間が桶狭間までの短い時間だから、評価するのはむずい
318 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/27 16:08:02
織田政権末期の徳川は、実質的に織田家の一武将として考えてもいいのでは?
319 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/27 16:22:25
徳川派。
徳川四天王がみんな個性的でかっこいい。
秀吉の子飼い武将は、単純な人ばかりというイメージ。
>>319 秀吉の家来達も十分個性的だと思うが・・
秀吉の家来のほうがアクが強そうだな。
文治派と武断派がぱっぷたつになってるのが問題だが。
家臣一人ひとりをみると秀吉の家来のほうが人間的におもしろい。
名官僚三成と算術名人増田で太閤検地!
漏れは断然文治派だ。
>>322 長束正家もいる。
豊臣政権は天才肌が多い。近江人が多いからか?
徳川家臣団は全員、我を抑えることができる大人だからな
本多正純みたいな例外もいるが
本多正信と石田三成、榊原康政と福島正則
この二組を比べると実年齢以上の精神年齢の開きを感じる
数正のことかーー
荒削りなほうが魅力的だ。史実で最後にどうだったかは別として。
327 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/04 06:16:15
>>326 福島も加藤も最後まで馬鹿を貫いてたら男だったのに
結局、時の流れには逆らえない、家臣達のため・・・みたいな
妙に物分りのいい凡人に成り下がって、結局徳川に槍も向けずに
あっさり改易だもんなぁ・・・
328 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/06 00:35:49
羽柴が織田家の一武将のままだったら、加藤とか福島は九州戦線で暴れまわって
天下統一後に羽柴の配下として、どこか九州の小さな城の城主に収まったんだろうなあ。
加藤・福島の単純馬鹿っぽいとこも好きだ
石田にしろ加藤福島にしろなんで秀吉の家臣って両極端なんだろ。
>>330 秀吉じゃそう簡単にはまともな家格の奴を取りこめんだろ
まあいるにはいるが
332 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/10 18:39:15
清正公のことかーーーー
それは断じてちがう
334 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/11 01:22:36
豊臣政権で一番まともそうなのは外様の小早川隆景かなぁ
秀吉との交流が長かったり縁戚が近い奴ほどDQNな気がする
一門にいたっては・・・・
335 :
まろ:04/12/11 01:28:02
豊臣、徳川どっちも嫌い(^^;)伊達が好き。個人でなら鬼道雪。
336 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/11 02:19:19
断然羽柴。豊臣じゃないとこがみそじゃ!
338 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/11 14:47:08
チョソを頃しまくった秀吉だろ
339 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/11 18:37:11
だから羽柴っていってんだろがゴルア!!!
俺はあえて脆弱ではかなすぎる豊臣家が好き。羽柴じゃなくて。
もっとも秀吉のイメージじゃなくて、秀次や秀頼のイメージだが。
>>341 おれも実は豊臣好き。
秀吉も狂い始めて根底が崩れ始めた豊臣家の儚さがよい。
豪華絢爛のなかの闇、見たいな感じで。
狂っちゃった秀吉が魅力的。
何となく豊臣末期の世相って、ある意味現代に近いかもな。
飽食ってなかんじだわな。
秀吉の金ぴか趣味って真の成金くさくて割と好きなのだが。
テレビの時代劇って江戸時代のが多いけど、豊臣末期も題材にしやすいと思うんだけどなあ。
大阪の陣あたりなら、水戸黄門の由美かおる的なキャラも違和感無く使えそうな気がするし。
やっぱセットや衣装なんかで余計な経費がかかるから難しいのかな。
>>345 忍者とかめちゃくちゃ使えそうだよな。
でも豊臣末期ってめちゃくちゃ短いうえに秀吉のカラーが強すぎで時代劇って感じにはならなそう。
暴 れ ん 坊 関 白
〜京にはびこる一般人を秀次が斬る!!〜
一瞬かっこよかったw
大奥 -番外編:大阪城奥御殿-
〜正室vs側室 愛と権力の裏舞台!世継ぎを宿すのは誰だ!〜
もう昼ドラ以上にドロドロの大阪城奥御殿で。
↑それきっと登場する女性が多すぎて視聴者が覚えきれないぞw
側室は確認されているだけで16人。+おねの計17名なら大丈夫じゃね?
ワンナイトラブの女(残り300人くらい)は適当に。
家臣同士の派閥(尾張派、近江派)も絡むから政治的な話にもなって面白いぞ。
じゃあワンナイトラブの女は週替わりで豪華女優陣にゲスト出演してもらおう
そんなのギャラ的に無理じゃん・・・。
淀は長谷川京子にやってほすぃい
松の丸は小雪
355 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 00:48:55
長谷きょーと治長のちちくるあいシーンキボン
356 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 03:00:27
秀長・・・・・・
>>355 そうなると治長を誰が演じるか非常に気になる
秀長は高島弟決定
長谷京の目で見つめられたら俺狂うよ?
360 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 04:07:20
やっぱり豊臣派。
家康は何だかんだ言っても大名の息子だから、
今川家が天下を取ろうと、織田家が取ろうとそれなりの地位につけた。
ただ秀吉は元々は農民だから、己の才覚でのし上がって行くしかないわけで
その立志伝が面白い。
家康も秀吉も汚い手を使ったんだから、どっちもどっち。
徳川嫌いの理由って、最終的に秀頼を殺しちゃったってのが大きいの?
「天下を獲る過程で汚い手を使った」ってのは両者共通だし。
山岡家康の「助けるつもりだったけど井伊その他が勝手に発砲して
秀頼が自害しちゃった」はさすがに家康贔屓の俺も「ウソだろ」と思うけど、
大坂の陣以前の段階でも秀頼を殺す方針だったんだろか?
たとえば二条城会見のときに(それ以外でもいいんだが)、
「大坂城は徳川家にゆずって郡山に移ります」とか申し出たとしたら
秀頼が(織田家と同じように)存続を許されるなんてことはなかったのかね。
家康不人気の原因は大坂の陣だけじゃないだろう。
関ヶ原関連の姑息な手回しとかも関係してるかもしれない。
>>357 気弱な美男子が大河とかでは選ばれてるような気が。
そこで田辺誠一。
統治者として家康は有能だが秀吉は無能だからな。
>>362 関ヶ原のときの諸大名への根回しの、どこが卑怯なのかがわからない。
戦に勝つには敵より多くの兵力を集め、絶対的有利な状況を作り出してから開戦する
という兵法の大前提そのままの行動なわけだけど。
ちなみに「姑息」っていうのは、「一時しのぎの」という意味であって
「卑怯な、ずるい」という意味じゃないよ。
この前ラジオで聞いた。
たぶん戦国ファンって室町末期から信長の時代までに興味をもつ人が多いから、
東海地方を主戦場にして、弱体化してる今川の領地を切り取ってた家康の活躍は
あんまり印象に残らないんじゃない?信玄にコテンパンにやられたイメージも有るし。
でもまあ結局、好き嫌いは単に両者の性格による所なんじゃないの?
秀吉・家康両者を嫌う理由は沢山あるけど、家康を好きになる理由が少ないような。
あと一番決定的だったのは長谷川京子=淀を殺した事だと思うけどな。
秀吉はキャラクター的に憎めないのでは?
悪事三昧だったのは確かだがなぜか憎めない。
成り上がりで苦労した部分への評価もあるからな。
家康は元からある程度の地位はあった。
有能なのは認めるが、いかんせんマイナスイメージが付きまとう。
これもキャラクターのせいかな?
368 :
名無し募集中。。。:04/12/29 14:58:10
家康って華々しい戦績がないじゃん。
華のある戦に関しては義弘公が最強だけど
>>368 確かに。家康よりは義弘のほうが魅力的だな。
>>367 秀吉のどこが憎めないキャラなのかと小一時間問い詰めたいな。
島津は風土柄、漢ってかんじがするぜ!
サツマイモ侍
で、ごわす
>>372 あいつは人殺しが好きだと言うと怖いが
好色だというなら笑い話になるとか一夢庵風流記で信長と比較されてたな
明侵攻の目的も信長や家康のような解雇鉢植え型の支配を嫌ったからだとか
これは逆説の日本史だったかな? これも隆慶だったかも
ともあれそんなわけで熱い男らしい
秀吉と家康だったら断然秀吉
太閤になってからの基地外っぷりがもうすでに超人
解雇鉢植え型か。そういわれれば新しいやり方だったんだなって思うな。
信長が任命したのは領主ではなく領事だったと。
たしかに熱い男みたいだな
東京人も何故か豊臣好きの方が多いよな
まあ敗者に惹かれるのは日本人の性質か
383 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 00:07:04
家康age
豊臣好きが多いなんて聞いたことがないが。
信長の多大な恩に報いず、自分で政権握っちゃう秀吉は気に食わない。
家康は秀吉に恩があるわけじゃなく、むしろ政権を認めてあげた恩が
あるんだから政権握って当然。
>>384 握って当然、というのはどうかと思うが
まぁ、巷に出回ってる戦国関連の本なんかでは
豊臣贔屓の物が大多数なのは事実だな、内容は
どれも薄っぺらな『悪の家康に立ち向かう三成・幸村』って程度な代物だが
そっちの方が知識のない一般の人にもウケがよくて売れるんだろうね実際。
豊臣が好きだな。家康は戦が地味すぎる。
秀吉は「一夜城」、「金ヶ崎の退き口」、「高松城の水攻め」、「中国大返し」
など他にも色々、はなしのネタが多いけど、
家康は全然ないんだよなぁー。
糞たれたり、真田一族に何度もやられたり情けないネタばっかりで。
>>385所領としては弱者だが正義感あふれる三成や幸村が悪の家康に立ち向かう構図ってすでに定着してるからなあ。
豊臣が陽で徳川が陰のイメージは多分にある。
悪事を働いた逸話も多いながら豊臣家には華やかなイメージがある。
388 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/16 18:41:28
いーじゃん、べつに。
「一夜城」「金ヶ崎の退き口」「高松城の水攻め」「中国大返し」 の秀吉に、
家康は勝ってるんだから。
390 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/16 21:13:14
徳川は所詮凡人
豊臣や織田と肩並べて語られる自体おかしい
戦国時代の最終的勝利者は徳川
それ以外は皆その凡人徳川に負けたわけだ
家臣も秀吉は小粒だな、清正とか名前と扶持だけは立派だけど清原みたいなもんか
徳川と比べるのが可哀想なだけとも思えるが
>>389 それって直接秀吉と家康が戦ったというより、
秀吉配下の武将と家康が戦ったんじゃないか?
394 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/18 02:15:04
>>392 家臣は秀吉のほうがタレントそろってるんじゃね?
秀吉は家臣の出自を問わない分、家柄で劣るけど。
まず加藤清正は戦はもちろん、築城の名人でも知られる智勇兼備の人。
小粒というのは失礼。
家康の家臣のほうが譜代重視でまとまりがある感はあるが。
395 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/18 09:05:59
345<司馬遼太郎作品に「城塞」という名作品があるが大河ドラマや年末の長時間時代劇などに取り上げられたことがない。
恐らくあの原作をドラマ化すると豊臣方が余りに悲惨だからだ。
家康&正信の描いた絵に従って赤子の手を捻るように陥れられていく様は見ていてただただ辛いだけだと想像できる。
秀吉は天下を獲った後も家康に対して丁重すぎた。
東海道の所領を取り上げる為とはいえ、255万石は将来を考えても危険すぎたし、
5大老の上席に置いたにもやむをえないとはいえ、豊臣政権への影響が大きくなり過ぎることは
賢明な秀吉なら分かっていたはずだ。
小牧長久手の敗戦の負い目を挙げる人も多いが、やはり秀吉は人が善かった、悪く言えば甘かったのだといわざるを得ない。
秀吉が清盛タイプなら家康は頼朝タイプだろう。
頼朝には人間味ある愛らしい話はほとんどない。
秀吉や義経が多くの日本人に愛され、時代劇でも中心になる機会が多いのに
比べて、頼朝や家康は日本史では人気がないのは彼らの人生観の違いにある
のだろう。
城塞ドラマ化して欲しいけど、豊臣好きとしては、関ヶ原で譜代総排除された後の豊臣家のなぶられっぷりが痛々しくて見てられないかも。
>>394 豊臣の家臣は他所からの借り物が多いからなぁ
加藤も福島も最終的には徳川の臣下で落ち着いちゃってるしね
そもそもこの二人能力は一流に近いが、やはり秀吉が自分の周りを
縁者で固めたいがゆえに一気に出世させすぎちゃった感じがある
本多佐渡や榊原康政の慎ましい態度と比べると
恩賞や手柄のことで身内で内ゲバを起こす姿は浅ましく見える
加藤は徳川四天王の武運にあやかろうと
朝鮮行く前に榊原の馬印借りてるしね。
400なら柏原芳恵とセックスできる
>>393 その理屈をいったら、
戦ったのは一般兵士同士ですよとなってしまう。
小牧長久手の戦いは少なくとも戦術レベルでは、
どうしたって、家康の勝ちだよ。
>>402 そういう部分も含めて周到な家康と
他人に責任転嫁(この場合は池田)できる秀吉の差が人気に反映されるんだろうね
斯く言う自分も秀吉の方が好きだ
まず、人間的な部分、生き方の部分で秀吉とオレは全くかみあわない。
60にもなって堂々と「オレは秀吉を尊敬してここまでやってきたんだ」と豪語
する超ワンマン気まぐれ上司の下に1年半いたことも原因だが。
家康の嫌らしい根回しも好きにはなれないが、秀吉の軽薄さに比べれば何だって
ガマンできる。踊ってろ、という感じだな。ああいう成功ならオレはしなくたっ
ていい。あー、すっきりした。
>>404 >>377で秀吉は特別軽薄なわけじゃないと思うが
秀吉を尊敬して〜とかいう実業家や政治家に勘違い野郎が多いのはまあそうだな
406 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 17:17:28
圧倒的に家康派だな。
秀吉という人間は他人を騙す表面的な演技力が卓抜して
いるだけで、いろんな面で家康より劣る。
秀吉の悪事をあげてみると、
・一介の不浪人でしかなかった身を信長に拾われたという大恩
がありながら、信長の墓の土も乾かないうちに、信長の三男
一家を全員殺し、次男を追放同然とし、嫡孫の支配権を剥奪
したうえで、地方領主の地位に落としてしまう。
・自分に実子ができたために、すでに関白の地位をゆずってい
た甥とその妻妾および子供(幼児乳児ばかり)数十人を虐殺。
・妻妾間の衝突をまとも統御することができず、閨房の争いが
そのまま政争に直結する。また、臣下が徒党組み党争を起こす
制御できないままに放置。
・政治を全く関係のない個人的な趣味の建築を繰り返し、民力
を疲弊させる。
・信賞必罰によらない恣意的な人事(例えば小早川家の処分)を行う。
・戦国の末に休息が必要なのに外征を行いしかも負ける。
と、かなりひどい。
家康がやった悪事を言われているのは秀頼の処罰だろうが、秀吉
やったえげつない織田家簒奪に比べればかわいいものだ。
というより、家康の豊臣家処分は非常に寛容と忍耐の心に満ちている
といっていい。個々の細かいことより、関が原の後で臣従しない秀頼に
対して明日死んでもおかしくない晩年の十数年、相手が時勢を悟るのを
待ったことからもわかる。
どちらも偉大な人物であることに間違いないが、少なくとも人気は秀吉の方があるだろう
為政者としての実力は最終的な勝利者である家康の方がやや上かな
ただ、秀吉が秀頼が幼弱なうちに逝去せずに(62才)家康なみの長寿(73才)を誇っていれば
家康も易々と天下を獲れなかったと思う
408 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 17:47:50
>>407 たしかに秀吉が長寿を保っていれば、家康は天下を取れなかった
可能性が高い。特に、家康が先に死んだら徳川家が天下を取る
ことは無理だったろう。
しかし、その場合でも豊臣政権は秀吉の死後、2、3代持たず
に潰れたろう。そして、日本はも一度戦国に戻ったかもしれない。
なぜなら、秀吉が長生きするということは、外征は続き、浪費も続き、
臣下はいがみ合いを続け、その後にカリスマが低く御殿育ちで白痴に
近いほど世間知らずの2代目がトップになるということだからだ。
豊臣家の政治はトップによる独裁で制度と法をもって日本を統治
するという思想はないし、また、民衆を守るべきという感覚もない。
後継者に統治者として必要な能力・人格を与える教育能力もない。
天下を取るまでの能力は秀吉も家康も大差ないが、統治者としての
能力は段違いだな。
そう早く潰れたかどうかはともかく
二重三重の権力枠で鎌倉幕府みたいになってた可能性はあるね
部下には優秀なのが多かったんだし
徳川さえ抑えれば近隣にそれほど脅威になる大名家もない
福島加藤が東軍に付いたのだって家康の口車にのせられたようなもんだし
あと秀頼は秀吉が生きてればどうなったかわからんというのも一応挙げとくぞ
豊臣が嫌いなのはわかったからとりあえず口調のトゲを何とかしてくれ
410 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 18:04:26
信玄と秀吉を比較してみると面白いかもしれない。
武田も豊臣も二代目で滅んだんだが、その滅び方には
天と地ほどの差がある。勝頼は一流じゃなかったけど、
そこそこ及第点をあげれる君主だった。長篠の合戦に見れるように
信玄の死後も家臣団の結束は強かった。それに比べて秀頼は(プゲラ
信玄は天下人になってないけどな
まあ保守乙
豊臣嫌いの人、必死ですね。
秀吉と信玄比べるあたりが(ry
幼児と成人した武将を比較されてもな…
好き嫌いのスレなんだからいーんでねーの?議論の場じゃねーだろ。
まあ>>1はそんな感じのようだが
それじゃ糞スレけっていじゃんか
417 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 23:08:08
チョンども虐殺した功績の面で秀吉好き
418 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 23:13:42
419 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 23:14:48
420 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 23:20:03
>>418 おまえこそ馬鹿発見。
豊臣のほうが近代化がおくれてたにきまっとるわ
断言するとは流石だな
423 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 01:16:00
秀吉の朝鮮出征が成功し朝鮮、明を征服してたら
日本は大国になれたかなあ?
あほだな。
本国組と出征組がいざこざ起こしそうな予感・・・
もう、予感というか確信だが・・・
大陸はでかすぎで一代じゃ到底無理だし
半島があるのでそこを上手く併合できず侵攻が止まると思われ
なにせ官より民の方がいくさが強いんだからな
元の政治も無茶苦茶だし何より民族自体がアレだし
勝っても(というか一応陸戦じゃ勝ったが)実効支配は難しいと思われ
427 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 01:37:39
なんかしらんが秀吉は陽気で夢がいっぱいあるようなイメージだが
家康は陰気で夢がないように思われるのはナゼだろう・・・
428 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 01:44:12
410>守護大名時代から譜代の家臣を持ってた武田家と百姓あがりで天下を取った秀吉をくらべんの??しかも武田家二代目って……
429 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 02:52:21
431 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 04:14:24
>>410 小山田信茂や穴山梅雪、木曽義康とかが離反してるが?
結束が固いってwww
>>427 何故と言うな。実際陰気で夢がなかったんだ。
どっち好きという糞スレだからこれ以上は介入しないが、だからどうしたの?ってレベルの話。
433 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 04:49:41
オレは、マンコ将軍がすきだなぁ〜
ホント、価値観や個人的趣味の差で終了する話題で議論になってんだが分からんよ
秀吉好き、家康あんまり好きじゃないが嫌いってワケでもない
>>1は統計でも取りたかったのか?
435 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 05:13:57
以後、他人の好みについての話は禁止された
断然家康だな。
後の世代への貢献度が違う。三百年天下安寧の基礎を築いたのは偉大。
この時代が今の日本の技術、文化の礎だからね。
秀吉はお調子者っぱいから嫌い。
若いときは主君に媚びまくって出世。
天下人になると本性が現れて醜い疑心暗鬼の塊になり
家臣を重用したかと思えば遠ざけるなど、天下を治める器量からはかけ離れていた。
家康は武士の鏡。
秀吉自身が晩年に汚した豊臣政権の後始末をしたのが家康
取るべくして天下を取ったという感じ。
438 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 13:31:52
ヒデヨシって番組はあるが家康は無い
よって秀吉>>>>>>>>家康
江戸時代の三百年間で日本人は進歩などしてないよ
むしろ退化したと言い切っていい
思想はほぼ儒教一本だし、文学は下らない読み物が数点、芸術も幕府の目を盗んでこそこそとやっていた
技術の進歩も全くと言って良いほど無かった
って司馬遼太郎が言ってたけど全面的に同意
その代わり平和だったわけじゃん
戦国時代は進化しまくった代わりにいっぱい死んだわけじゃん
明確なソースは出せないが、中国の三国時代と違って日本の戦国時代の人口はむしろ増加傾向にあったはず
>>439 江戸時代は進歩しまくりだったろ。勉強しなおせ。小学校の勉強からな。
444 :
439:2005/03/28(月) 14:14:21
これは自分の意見だけど江戸時代の芸術で現在でも評価されていいのは芭蕉くらいかね
教科書的な言い方ですまんが日本人固有の芸術観である「侘び・寂び」を短歌として結露させたのは素晴らしい
まあ「侘び・寂び」といった概念も織豊政権下の利休が確立したものだけど
後の北斎とか歌舞伎ってのはぶっちゃけ大したもんじゃないです
織田が天下を獲ろうが豊臣政権が続こうがあの程度の芸術はどの時代でも生まれてきました
日本の文化レベルはそんなに低くない
446 :
439:2005/03/28(月) 14:21:40
江戸時代は開発が進んで農業・商業ともに栄えたし、
日本一国だけで考えれば、かなり良い統治だったとは思う。
と言ってもそれも江戸中期頃からはイマイチな印象があるなが。
448 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 17:09:19
江戸時代ってさ、特権階級じゃなく大衆文化が栄えた時代ではないだろうか。
花火大会やら相撲大会やら浮世絵とか立ち食い蕎麦などなど。
戦国時代ではなかなか出来んと思う。
そういうことが出来る余裕があるほど、天下が平和だったってことだろう。
確かにある程度の経済力のある町人には住みよい時代だったかもね>江戸時代
けど芸術や技術の革新が停滞したのは覆しようの無い事実だし、
別に平和であるだけなら徳川の政権じゃなくても何でもいいわけだ
いや、長期間にわたって平和を維持する強固な政権を築くことの難しさを知らないわけじゃないけど
東南アジア一体に多数存在した日本人街の連中は鎖国後どうなったんだっけ?
海外から様々な刺激を受けつつ進歩していく道を絶ったことが良かったのか悪かったのか。
まあ早期に欧米列強と衝突して悲惨なことになった可能性もあるけど。
地方の連中には多いんじゃない?
江戸時代に否定的な意見は。
その地方の藩主が無能なだけじゃん。
そういう意味だけの発言ではなかろう
薩長を筆頭にした雄藩に敗れた悪役だからな江戸幕府は
そういう地方では自然と幕府を否定する論調が根付いていくと思うぞ
明治ならともかく平成にもなってそういうこと意識するやつなんていんのかね
イメージの問題じゃねーの?
上で挙がってる講談のお陰で豊臣がみたいな奴。
なんで好き嫌いの個人的感覚を前提としたスレで、
日本の歩みだとか発展だとかの議論になってんだ
人が好きというものにケチつけたいなら、チラシの裏にでも書いてくれ
1の最大のミスは「チラシの裏」とスレタイにつけるのを忘れたことだな。
スレ50まで読んだけどチラシの裏すらもったいない内容
459 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/29(火) 15:21:28
小田原の陣の時、家康ー信雄ー北条同盟は無理だったの?
そうとう戦えたと思うのだが・・・
伊達はスルーしてみた。
460 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/29(火) 16:16:33
晩年の秀吉がたまらなく好き。妖説太閤記みたいな暗黒秀吉が読める小説って何がある?
461 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/29(火) 17:06:28
>>459 信雄はやる気だったと聞いたことはあるが。本当かどうかは知らんけどね。
でも、家康としては二度と信雄と一緒にはやらんだろ。特に正念場で当てに
ならんことは嫌ってほど教えられたからな。それに、もう秀吉の配下に
入ったのにホイホイ裏切ったら自分の値打ちが下がるし。家康はそういう
目先の利益で行動しないよ。
>>460 妖説太閤記の暗黒秀吉が一番本物に近かったりして。
いろいろ読んだなかであれが一番人間らしい秀吉像だったけどなあ。
ちょっと変態っぽすぎるけど実際本当に変態だったろう。
>>459 無理だと思う。
既に九州まで支配下に置いた秀吉に、家康・信雄・北条が同盟組んだ
ところでどうにかなるもんではないだろう。
まぁ、小田原の陣では遅すぎだわな。
小牧までだな。
466 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 01:49:03
1607年に秀頼、右大臣罷免って年表みたんだけどなんで?
罷免ってなんかしたの?
おすえてエロイ人
467 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 00:34:23
誰か教えてageて
加藤清正や福島正則には最後まで豊臣方の武将としていてほしかったな。
まあ、時勢の流れなど、その他の事を考えたらそんな訳にはいかないだろうが・・・。
三成ってそんなに嫌われていたのか・・・。しかし、何で豊臣方は
武断派と文治派が対立して、徳川家では対立が起きなかったのか
不思議だ。徳川だって武断派と文治派がいるのだろうし。
文治派もいくさを知ってたし
家康が死ぬまでに幕府ある程度固まってたから
てか、対立してるしね。
程度の差はあるが。
471 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 07:25:50
家康も秀吉もどちらも好き。天下取りの駆け引きも面白いが、それより二人の生い立ちが好き。若い頃の苦労人秀吉と人質時代の家康のエピソードは涙なくして読めないよ。朝倉に退却したシンガリの時の二人の対面も感動的だ
472 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 07:30:19
武力には自信のない秀吉が決死の覚悟でシンガリをつとめたとき貧しい援軍の家康がシンガリは徳川に任せてくれと苦労を買ってでた、それが二人の初対面。それは黄巾の乱の時の若き劉備と曹操の対面にも似ている
>>472 いや、それ以前にどこかで顔を会わせているんじゃないの?>秀吉と家康
家康は織田家の貴重な同盟相手でちょくちょく信長に会いに上洛してきてたし
むしろ金ヶ崎撤退戦まで二人が会ったこと無いと言う方が不自然
まあ後に秀吉はその時のことを後々まで語ってるし、二人の因縁の始まりと言って良いかもしれないけど
>>473 秀吉は家康のことを知っていても、家康は何十人もいる
織田家臣の内の一人なんて知らんだろ。
しかし後の数奇な運命を鑑みると因縁には違いない。
>>474 1570年の時点では既に織田家の幹部だったが>秀吉
1568年から明智光秀と共に京都の政務を任されているし、賓客の饗応役を務めることも多かった
常識的に考えて秀吉と家康の個人的接触はこの頃だろう
ていうか家康も自分の命を危険に晒してまで未知の武将に協力するは思えん
476 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 15:46:47
>>475 >ていうか家康も自分の命を危険に晒してまで未知の武将に協力するは思えん
いや、家康は意外とそういうことをやるタイプだぞ。関が原以前の家康は
律義者が最大の看板だから、その評価を維持するためなら無理を惜しまない。
だいたい、かなり親密な仲でも殿軍をかばうなんてなかなかやれない。多少の
面識程度だったら、こりゃ助かると思いつつ退却するのが普通(織田家の
連中がみんなそうだったように)。だから、家康が秀吉を助けたのは、面識が
あったからというより、家康の性格だと考えた方がより近いだろう。
477 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 17:03:16
まぁ、金ケ崎で家康には信長から撤退指示を出さなくて逃げ遅れて残ってたって話もな
強すぎて調子に乗ったんだろ
三方ケ原まではノリノリだからな、三河勢が並以下ならあそこまで強気にならずに
武田相手でもなんとかなるはず
479 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 19:03:50
>>478 よくわからんが、徳川勢が強すぎたから秀吉助けたってことか?
で、その勢いで三方ケ原で戦って惨敗したと。
なんか、違うような気がするが。
家康は三方ヶ原まで負け知らずだったからな
気が大きくなってたのは確かだろ
なんとなく三方ヶ原の経験が無かったら、家康は天下取る前に死んでた気がする
何か、穴山梅雪の死も本能寺の変後の甲斐での一揆も家康の
謀略じゃないとかっていう説もあるが・・・
483 :
無名武将@お腹せっぷく:黄帝生年紀年4716/04/01(金) 11:12:35
なんでもかんでも家康の謀略にするってのは、ユダヤ陰謀説と
変わらないと思うぞ。
484 :
無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184/04/02(土) 11:42:40
家康と秀吉が戦場で会話したのはその時が初。シンガリ買ってでたのは若き家康は勝敗よりプライド重視の猪武者だったから言わずにおれなかったのだろう。特に対浅井朝倉の時の徳川は調子良かったし。秀吉の本音ではシンガリ替わって欲しかったに違いない。
家康はデブだから嫌い
486 :
無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184/04/02(土) 12:02:43
>>485 秀吉は猿面で変態だから嫌い・・・という低レベルな応酬にならざるを得ないんだが。
あと、お前の好みなんか知らん。
秀吉も家康も残っている記録によると両方不細工
信長は肖像画通り端正な顔立ちをしていたらしい
489 :
無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184/04/02(土) 13:21:00
家康が人気ないのは最後「死」に対してのドラマ性が無いからかも知れない。
信長も秀吉もやりたい放題しながら最後は志半ばで死んでるけど、
家康は何度も生き延びて最後は大往生してるから。
いっそ大阪の陣で真田に討たれていた方が人気でたかもね。
家康も最後は、やりたいことやって死んだだろ
491 :
無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184/04/02(土) 13:43:34
>>490 >志半ばで ←ココ
信長は天下目前で、秀吉は秀頼の行末を案じて
ついでに言えば信玄も。
492 :
無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/02(土) 15:43:39
家康は幕府の行く末を案じて
家康公はそんなケチな人物ではありませんよ
彼が死の直前に案じていたのは、真に泰平の世が続いてゆくかどうかです
この点、天下を束ねる責任にある立場であるにもかかわらず自分の息子一人という
私事にばかりとらわれていた秀吉との器の違いですな
>>493 秀吉はそこがイイんだよ
農民から天下人になって権威や家族に執着する卑近さと
>>377の言う熱い心を持ち続ける不完全な部分が人の心をひきつけるんじゃないか
大体家康にも太平だの考えてたかなんて証拠は残ってないしなあ
「家」に執着する武家らしい部分は長男や孫の話でよくみるけど
俺は秀吉の辞世の句が好きだな、秀吉の人生の儚さが感じられる名句だと思う。
本当に秀吉が書いたのかと思うくらいだ。
ふわぁ
辞世の句ってホントに今際の時に詠むんじゃなくて、
万が一のことを考えて先々に用意しておくものだったらしい
秀吉の場合は確か歌の先生が前もって添削してくれたものだった気がする
ちなみに二人の辞世の句
秀吉
「つゆとおち つゆときえにし わが身かな なにわのことも 夢の又夢」
家康
「先に行く 後に残るも同じこと 連れて行けぬを 別れとぞ思う」
ただしこれらには異説もあって、
秀吉
「露と散り 雫と消ゆる 世の中に 何と残れる 心なるらん」
家康
「嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」
こちらを二人の辞世の句だとしてる書物もある
まあ辞世の句に関しては秀吉の勝利かね
日本史上で最も濃い人生を送ったと思われる男が
人生の最後に当たって「人生って所詮儚いものよ」って詠むのは何か感慨深いな
家康の辞世の句は無難な出来でどうこういうものじゃない
むしろ家康は遺訓の方が趣き深い
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。」
499 :
無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/03(日) 20:14:16
>>498 なんか二つともいいね。
いつの時代でも共通する何かをかんじるね。
三成もなんかすがすがしく何かさみしげな歌よんでるよ。
「筑摩江や芦間に灯すかがり火とともに消えゆく我身なりけり」
500 :
無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/03(日) 21:33:20
500
501 :
無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/04(月) 19:41:35
三成の話っていいのも多いね。 賛否両論があるとして。
秀吉との出会いの3杯のお茶。
自分に足りないもんを補ってくれるからと四万石の内一万五千石を島左近に与える。
茶会での大谷吉継との友情。
佐和山城の豪壮さ。なおかつ落城のおりに発覚した質素さ。
関ヶ原での石田勢の三成に対する忠誠心。
捕縛の折の百姓との話。
切腹までの潔さ。
そして詩・・・
三成いい!!
502 :
無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/04(月) 20:05:36
領国経営のうまさでも
肥後の主計頭に近江の治部
503 :
無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/04(月) 20:19:12
結局みんな三成だよな
俺も三成
司馬の関ヶ原読んだからというわけではないけど、オレも三成なら好き。
俺も三成さん好き
でも徳川嫌いってワケじゃないけど
506 :
無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/05(火) 07:22:58
関ヶ原で三成が勝利しその後も忠実に豊臣家に仕えたなら、日本史上最高の義将にして
大英雄。
紙幣の顔にも間違いなくなっていた!!
燃料投下!
507 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 08:39:42
辞世の句っていいよね。誰か辞世のスレ立ててよ。三成は好きじゃないけど逸話はいい。島左近との半々出世の話。大谷が石田のために俺は死のうと黙って泣いたシーンとか感動する。関ヶ原では家康と鳥居の話もいい。
どうせ既出ネタしかあつまらんだろ。
509 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 22:29:15
徳川贔屓だが三成も好き、加藤なんかよりよっぽどいい
>>507 どうでもいいが三成は左近に4万石のうち1万5千石を与えたわけで、
本当は半々ではないんだが、勿論それにしたって桁外れに多い与え方なんだが。
たかが浪人に大名級の扱いだもんなぁ
その心意気には左近だって惚れるってもんだろ。
漏れも惚れた。
512 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 14:10:10
三成が死んだあと三成の城を調べたら財産ほとんど持ってなかったって!絢爛豪華な豊臣というより三成は質素倹約の徳川三河武士に近い心意気があるね。私腹を肥やす政治家どもに見習って欲しいね
513 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 14:38:40
やっぱベストの辞世は
「今ぞ知る みもすそ川の 御なかれ 波の下にも都ありとは」
だけどな
あんとくかよ。
>>510 三成が左近以外に合計1万石分の重臣を1人も持っていないのかが問題だな。
自分と近習の合計が1万5000、他の重臣で1万なら
左近とは五分の分け方といえる。
三成こそ徳川幕府初期にもっとも必要とされてた豊臣家臣だと思う
ほんだまさのぶ
520 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/07(木) 19:47:16
以外とみんな三成好きなんだね。
実は、家康より人気ある?
むしろ家康の人気が信長・秀吉と比べるとあんまり・・・
反面アンチは数多くいるし
秀吉の家臣ってどれもパッとしないのばかりだよな。
まあ秀吉のアンチが凄いのは確か
家康のアンチも結構いるのはいるみたいだけどな
天下取るまでの秀吉は好き。
小牧長久手までの家康は好き。
それ以降はどうも二人ともなんかなぁと言った感じ。
>>525 権力は人を腐敗させるってことだよ。
ま、下に居る者のこと考えると綺麗事だけですまないってのもあるだろうけど。
自分の決断にかかる重圧考えると奇行も已む無しだろう
秀吉は半島の方に嫌われてるからな
逆に家康は半島では憎い秀吉を倒した武将として人気が有るとか
家康も秀頼をもり立てていれば、余程嫌われる要素は無くなっただろうにな。
結果として400年平和になったからって、
建て前だけでも臣従しただけかもしれんが、跡継ぎがガキだからって
付け込むやり方はよくなかった。
戦国時代だったらまだしも、一応天下が治まった後にまた大戦引き起こしたしな。
529 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/07(木) 22:49:58
関ヶ原が一日で決着つかなかったら、その後泥沼化してた可能性も有るしな。
むしろ、官兵衛みたいに1日で終わる訳ねぇと思ってた方が多かったろうな。
1日で関ヶ原終わっても、結局ケリつくまでに後15年かかった。
平均寿命が恐ろしく短い時代の15年は庶民にとったらたまったもんじゃなかったろうな。
三成は死んだけど、その息子達は殺されず津軽藩に引き取られて
続いたということから、家康も何か凄いな・・・と思った。
三成にとっては軍事のプロである島左近はどうしても欲しかった
人材ではなかったのではないかな。
533 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 01:33:06
姉川で多勢の朝倉に向かって行くあたりの家康はイイね!
島左近ばかり注目されるけど、三成の家臣団て
けっこうイイ面子揃ってるんだよ〜
ちゃんと一日で終わらせてるんだけど
536 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 18:48:09
>>528 天下が定まった後に戦乱の種をまいたのは、むしろ豊臣家だけどな。
家康が死んだらウチらの天下だなんて妄想抱いて大阪城に引きこもってれ
ば、家康じゃなくたって滅ぼさざるをえないよ。
それ言い出すときりないじゃん
というかそれ秀吉も秀頼も関係ないじゃん
朝鮮人に秀吉は日本で人気がありますって言ったらファビョられるかな
関ヶ原以後の豊臣に戦乱の種をまけるほどの力があったとは思えないな
と言うか、
>>528は国を二つに割った合戦の危険性を指摘しており、
その危険性は、一大名にまで堕ちた豊臣とは比較にならない。
もっとも関ヶ原を第二の応仁の乱にしなかった家康の手腕は流石と思う。
540 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 20:00:30
家康好きはみんなチョンだけどなwwwwww
家康好きというかアンチ秀吉に痛い奴がおおい
上の方でなんでもこじつけて無茶苦茶言ってるような奴とか勘弁してほしい
>>512 そりゃ当たり前だろうが
兵を多数養ってたら金使うに決まってんだろ
543 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 23:05:11
醍醐の花見の仮装小屋みたいな発想、家康にはできんはな。
金があればこそ出来た事だと思うが
>>543 自分の命令のせいで朝鮮に渡った兵士たちは、その頃
泥水をすすり、馬の肉を食べて飢えをしのいでいたというのに・・・
実行するかどうかはともかく、人間そういう部分は必ず持ってるわけで
アンチ秀吉は、どうも卑屈なやつが多いな
俺は卑屈なとこあるけどアンチ秀吉でもないなぁ
アンチ秀吉って結局江戸時代以降の判官贔屓に基づく
講談とかに対する反発が根底にあるんじゃないかなぁ。
それはギャグで言っているのか
アンチ秀吉は、半…うわ何をする
江戸時代美化されたのは太閤秀吉だけでなく、神君家康もだ。
だが現在では双方とも暗黒面も功績も歴史ファンには、それなりに知られている。
暗黒面を知った上でも、俺は秀吉も家康も偉大だと思う。
両者のアンチで最も違うところは、日本人の比率。
某半島人にとって秀吉の関心事は、秀吉の暗黒面だけだろうからね。
比率なんて凄くどうでもいい
そういわれてしまうぐらい秀吉のアンチは無茶言ってるんだよ
552 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 13:11:36
541あたりからアンチ秀吉を特定して批判しまくってる奴の方が卑屈に見える
理論的に返せないから人格攻撃に奔ってるんだろうけど
スレ嫁といいたいが
歴史と無関係な
>>404 悪事と称して曲解した持論をあげる
>>406(これはおかしくないのもまじってるが)
論外
>>410 このスレで特に酷いのはこの辺だな
他にも気になるのはいくつかあったが
他の武将のアンチと比べてみればかなり嫌な偏り方してると思うよ
554 :
552:2005/04/09(土) 13:20:00
確かに404と410はワロス
555 :
541:2005/04/09(土) 13:29:35
>>552 あと俺は上の方でそういう連中に反論出してておいおいって思ったクチ
>>541書いたのも荒れそうな
>>540流すぐらいのつもりで書いたんだが
ちょっとまずかったかもな
他の人格攻撃とやらは知らん
秀吉は陽と陰の格差が激しいからね。
陽の部分しか知らなかったものが陰の部分を知ると急激にアンチ化したり、
陽の部分のみ強調することに反論して逆に陰を強調しすぎ、
傍から見ると痛いアンチにしか見えなくなるってケースは良くある。
老いて益々盛んな方
信者も半島人ネタでしか返せない時もあるからどっちもどっち
お前上のレス群見てそんなこといってんのか
つーか単にどっちもどっちって日本語の意味知らねーだけか?
>>558 半島ではなく我が国の歴史教科書に沙也可がのったことがあるんだよ
これが、どーいうことかわかるか?
アンチ秀吉がどの手の人間に支持されてるか少しは考えろよ
信者の方が数百倍マシにきまっとる
やはり半島人ネタでしか返せない
>>561 頭悪い奴だな
アンチ秀吉を政治的に利用してる奴らもいるんだよ。
反日の一環としてな
秀吉信者が竹島問題が注目されるたびに、某国大使館まで行列作って、
太極旗を燃やしたり大統領の写真に釘打ったりするか?
アンチ秀吉の支持層にはいるのよ
そして秀吉が戸籍を燃やしただのと捏造までするのよ(本当は朝鮮人が燃やした)
ここまで説明して、まだ信者とアンチをどっちもどっちと言えるなら、相当な釣り師だな。
>>563 素直に「豊臣秀吉公を盲目的にマンセーしろ」って言えよ
∩___∩ |
| ノ\ ヽ |
/ ●゛ ● | |
| ∪ ( _●_) ミ j
彡、 |∪| | J
/ ∩ノ ⊃ ヽ
( \ / _ノ | |
.\ “ /__| |
\ /___ /
566 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 15:09:11
「朝鮮の役ネタのみ必死な奴=半島人」
「それ以外の理由で秀吉嫌い=アンチ秀吉」
ぐらいの分別はしようぜ
すごいな…分別がつくのか…
自分には分別がつけられんよ
歴史上の人間にアンチって笑えるな
569 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 15:24:01
この板でそんなことが言える
秀吉の批判をするのに、なんで半島人のことなんぞ
いちいち気にかけりゃならんのだ
つうかもう半島人ネタはいらん
秀吉叩くのはいいがアンチスレは他所にあるんだから
ここじゃもうちょと感情省いてけなしてくれ
今叩かれてるのは秀吉じゃなくて
半島人にかこつけて秀吉批判を否定する563だろ
って、事にしておきたい半島人の
>>572の言い分でしたw
つうか秀吉叩きがすぐ火病るから半島人扱いされるんだろう
ちゃんとレス読め
575 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 16:04:53
573みたいな厨が居る限り平行線
つうか秀吉マンセーがすぐ半島人扱いするから火病るんだろう
ちゃんとレス読め
577 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 16:08:02
572も同類だけどな
>>563 そんな話はハン板でやれよ
徳川贔屓もアンチ秀吉も半島関係無しに存在してるって思えないなら
お前はあの半島に頭を毒されすぎだ
>>578 ハン板でこんなレベルの低いこと言ってたら嘲笑の的。
580 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 16:17:48
>>578 というかアンチ家康に反日がいるのか?いないだろ。
家康信者や秀吉信者にも、そんなねじ曲がった奴はいないだろ。
何故、アンチ秀吉の一部に毛色の違う奴らがいる事を認められんの?
問題は、
>徳川贔屓もアンチ秀吉も半島関係無しに存在してる
じゃなくて、このアンチ秀吉に半島系が混じってることだろ。
そして、そいつらが邪魔だと思ったことはないのか?
>>580 アンチとかいってる時点で、どっちも下らんと思ったことはないのか?
>>579 嘲笑されて鍛えられて「アンチ秀吉=全員朝鮮人」みたいな頭が治れば御の字
いや半島の話自体がウザイんだわ
変なのがよってくるし会話の質が下がるし
半島って言葉を入れなくでも馬鹿は馬鹿だと表現できるんだからそれでいいじゃないか
>>579 確かに
ハン板じゃ
>>563の主張なんて序の口レベルだな
何を今更って一笑に付されるだろうな
>>582 ところで「アンチ秀吉=全員朝鮮人」なんて、誰が主張してる?
そういこと言うから、煽られるんだよ。
>>584 ハン板でアンチ秀吉=チョンとか言ってる奴は馬鹿ってこと。
秀吉嫌いがみんなチョンとか思ってる程、次元が低い奴はいない。
587 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 16:26:20
無理に半島を持ち込むな。
あんな、元寇や騙り倭寇のことを棚にあげて秀吉を引っ張ってくるヤツラだぞ?
世界的に通用している「日本海」と言う呼び名を「東海」と呼べと諸国に要求するようなヤツラだぞ?
(でも、あの海が「東」なのはあんたらだけですから、残念!)
「さわらぬ韓にたたりなし」だ。
でも、それをオレ、こうやって口に出してしまいましたから、残念!
「アンチ秀吉=全員朝鮮人」「みたいな」
>>586 オイオイ、ハン板をあんま見てないだろ
ハン板には
>>563よりきつい事実がカキコされてんだぞ
>>563程度の発言で「秀吉嫌いがみんなチョン」なんて受け取り方するかよw
>>563が言ってるのはアンチ秀吉=半島人
じゃなくて秀吉に対する非難が半島人を調子付かせるから
秀吉叩くなって話だろ、無茶な話だと思うが
>590
違うだろ
アンチ秀吉に歴史を政治利用する奴らがいて
そいつ等よりは信者の方がマシって話だろ
>>558からの流れを読めよ
>>589 あ〜残念ながらハン板住人です。
>ハン板には
>>563よりきつい事実がカキコされてんだぞ
とりあえずコピペよろ
593 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 16:46:07
>>592 俺でも李朝時代と日本統治時代の比較写真を見たことがある。
どう考えても、半島人にとって
>>563の言い分よりきつい事実と思うが…
他にもイザベラバードとか、しょっちゅう見かけるが
>>593 それがアンチ秀吉の朝鮮人と何の因果が?
漏れが言いたいのは、秀吉嫌いとチョンの悪行とは無関係ということ。
大清属国高麗国旗
なんてのもあったな
>>591 558は秀吉の信者やアンチのボキャブラリーの話をしてるのに
秀吉の信者やアンチの存在価値の話をし出したから叩かれてる
と読めるんだが
597 :
596:2005/04/09(土) 16:53:23
× 秀吉の信者やアンチの存在価値の話をし出したから叩かれてる
○ 563は秀吉の信者やアンチの存在価値の話をし出したから叩かれてる
>>594 おいおい、何言ってんだ。
>>593や
>>595のような事実が、しょっちゅう飛び交っているハン板でだ、
>>563程度の主張で「アンチ秀吉=全員朝鮮人」なんて解釈されはずもないだろって事なんだが…
599 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 17:02:43
俺の家康観は坂口安吾のすりこみがでかいなあ。
秀吉観はそうでもないが。
最近のニュースの影響で、
当時の秀吉に対する周りからの目って、今でいうIT企業家的なイメージがある。
>>598 む、よくわからん。
論点がずれているのか、漏れがアフォなのかわからんが
とりあえず、秀吉アンチより信者がマシって意味不明な意見に反対ということでつ。
>きつい事実
これが、何を指してきついかを勘違いしてたとおもわれ(漏れが)
>>591 いや、違うだろ563は
>>アンチ秀吉を政治的に利用してる奴らも
ってアンチ秀吉と歴史を政治利用する半島人・一部の左翼を区別してる
そのうえでアンチ秀吉を半島人に歓迎される存在として
信者より害悪であるって言ってるんだろ
でも秀吉の生前の行動自体に半島問題を除いてもかなりの問題がある以上
(半島人以外の)アンチ秀吉が存在するのはしょうがないことだし
それが間接的に半島人を喜ばせるものになったとしても
それでアンチ秀吉を責めることはできないだろ
歴史を政治利用する奴らが悪いでFA?
朝鮮半島がどう言おうと、
秀吉のことは大嫌いなんだから、これは仕方ないわなあ。
604 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 02:26:30
秀吉の朝鮮出兵って、全然狂気じゃあないだろ? 戦後教育の洗脳うけすぎ!!
当時の世界情勢を客観的にみて、強い国が弱い国を侵略するのはあたりまえだろ!
「朝鮮半島、日本両国民に多大な被害を与えた」とかもよく聞くが
これも当たり前だろ! 侵略されて喜ぶ国民はいないし、多大な出費をして侵略しそれが失敗し喜ぶ国民もいないだけ。
秀吉日本も当時の世界列強と同じように、先進国としての第一歩を踏み出そうとしただけ。
別に侵略を美化したり、朝鮮半島に迷惑かけてない。と言っているわけではない。
明治時代に秀吉朝鮮出兵が評価されたように、その時代時代で事の価値観は大きく異なる。
世界史的にみて当時の秀吉は何もおかしくない。
ただ完遂できなかっただけ。
勝ったか負けたか というだけ。 強者の意見で悪いが、当時は力こそ正義。
>>604 つか日本の国力じゃ明には物量で勝てんだろうて。
んなことは分かりきってるのに、それを強行したから叩かれるわけで。
>>604 アフォだなおまえ
チョン侵略が悪いんじゃなくて
無謀な出兵をして失敗したあげくにチョンどもにいつまでも愚痴愚痴言わせる口実を作ったから悪いんだろうが
もうオマエ消えろ
俺も韓国は嫌いだが、2chの嫌韓に毒されすぎて
なにかと言えばいちいち韓国朝鮮ネタに絡めなきゃ気が済まん奴もウザイ
607 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 04:26:23
>>606 君の発想も貧素だな! 親韓嫌韓なんてどうでもいいんだよ。
口実も君の見識であって、世界的にみたら口実ではなく「反日の国策」
国内の不満をそらせたり、一致団結するのにいい方法だろ!
現状では日本と半島では国力に差があるんだから。 良し悪しは別として彼等は有功な戦略を
とっているだけ。 俺も2chの無意味な嫌韓には嫌気がさす時もある。
そしてそれに毒されてるのは君だよ! もっと多角的に物事をみようね。
608 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 05:21:35
609 :
527:2005/04/10(日) 05:27:03
お前ら俺のレスに釣られてんじゃねーよ
2ちゃんではチョンネタの喰いつきがいいのは知ってたけど、
まさかここまで馬鹿がいるとは思わなかったぜ(プゲラ
・・・ていうかいい加減半島関係の話はやめにしないか
自分で振っといてなんだがこの流れはつまらない
じゃ織田と徳川どっち好き?ならチョンの介在する余地少ないんじゃないの?
汚らわしい話題でスレの雰囲気が悪くなるのは嘆かわしいことですね。
つうか
>>527は発端でもなんでもないんだがなあ
かまって欲しいのはわかるがばっちりスルーされてるし
400番台や
>>540前後からの話だろ
アンチ秀吉を装う反日を区別できれば、こんな不毛な争いすぐ片が付くのにな
最初からいねーよ。
価値観の違いを思想と民族のせいにする思想文化単細胞生物が生息しているだけだ。
>>615 思想文化単細胞生物←変な言葉作っちゃ駄目(笑)
いやまあアンチスレじゃないので火病らないでねってだけのことだと思うんだが
実際どうにもならんアンチカキコもあったわけだし
まあ信者か何か変な半島ネタ粘着が混じって余計に荒れたみたいだけど
>>616 えー?
2ちゃんっぽくて良いと思ったのにー(笑)
>>618 2ちゃんっぽさってなんだよ(笑)お前が2ちゃんのなにを知ってると(略
歯食いしばれ
というか…
>>615って、ある意味すごいと思うよ
ここまで断言できる奴って、尊敬するよ
まあつまんねーこと言ってるのは確か
上で暴れてた嫌韓野郎と同レベルだな
反日と嫌韓が巣くってるなら、スレがどうなるか分かり切ってたって事か…
623 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 15:48:36
秀吉は足軽から天下人になったんだから夢はあるよね!
足軽からじゃないだろ
草履取りから、もしくは百姓からが妥当では
625 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 01:04:23
足軽って徴兵された百姓じゃないの
秀吉は結構当てる気あったんじゃないの?
織田の池田さんに仕える前は今川配下の松下さんに仕えてたようだし
>>626 あそこまで頑張るんだから、そりゃああったでしょ
名古屋人の保守性は、信長秀吉によって革新的な人間が上方へ、
連れて行かれた結果として保守的な人間が残った、との説がある。
悪意ある言い方だと、有能な人間は皆連れて行かれてカスが残った、とも。
629 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 11:29:38
人類史上で一番出世した人って誰? 秀吉しか知らないからおすえて!
630 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 11:35:50
>>629 インド史で「奴隷王朝」ってのがある。
詳しくは知らないが、
あの、カースト制でガチガチの身分固定がある印度で、
奴隷出身でありながら一国の王となったヤツがいるらしい。
人類史上、と言うんだったら、秀吉以上の出世だろう。
奴隷つーてもマムルークだから、一般的に連想される奴隷ではないよ。
イスラムの歴史では、それなりにマムルーク出身の偉人が活躍する。
マムルークはアラビア語で男奴隷の事だけど、奴隷の戦士と考えた方がいい。
戦士だから戦場で活躍すれば普通に出世するし、将軍になれたりもするので、
日本の足軽より出世し辛いとは言い切れないように思います。
またバイバルスなどマムルーク出身のスルタンもいます。
奴隷王朝は、ゴール朝のマムルーク出身の将軍クトゥブディーン・アイバクが、
北インドを制覇し、主君であるゴーリーが暗殺されたことを機に、北インドで独立した。
これがデリー・サルタナット朝=奴隷王朝。
アイバクはムハンマド・ゴーリーの将軍としてエジプトなどで戦功を立て、
司令官としてインドを攻めるなど出世の方法は戦乱故の物で、秀吉に似てる面もあります。
またアイバクのマムルークで、養子になったシャムス・アッディーン・イレトゥミシュが
アイバクの子、アーラーム・シャーを打倒し三代目スルタンになるなど、
マムルーク出身のスルタンが多く誕生したため奴隷王朝と呼ばれるようです。
とまあ、秀吉の出世は国の規模やイスラム世界の規模による解釈を除けば、
奴隷王朝のスルタンに劣るという物でもないと思います。
632 :
630:2005/04/11(月) 14:28:13
>>631 おお、わかりやすい、サンキュ!
インドのカースト制には、「アウト・カースト」というものもあって、
アウトカーストはカーストの最下層よりもさらに下に見る、
と聞いていたから、すげぇ出世だと思っていたけど、
そうか、確かに、カーストは「インド」と言うよりも、「ヒンズーの身分制度」だ。
イスラム王朝としてみれば、珍しくはあるけれども、そんなにありえない話でもなかったか。
ってか、エジプトのマムルーク朝ってのもあったな。
いや、確かにそのとおり。サンキュー
村ー人朝ですよ。やはり
634 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 16:41:11
なんか変なの湧いてたんだな。秀吉信者なのか単にDQNなのか知らんけど。
(まぁ、秀吉信者には変なのもいるからなぁ。未だに家康を罵る会とかあるし)
荒らしはスルーするとして
秀吉の木綿針売りとか家康の人質時代の話とかどの辺りまでが本当なのかねえ
そういや秀吉は天皇の御落胤とか家康は別人と入れ替わってたとか後付けにしか思えん物が色々あるな。
家康別人は本人の語った話の中に辻褄が合わん部分があるとか聞いたことはあるけど。
637 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 16:55:12
>>631 よく知ってまつね。
>>634 そんな会あんだ? みんなノリでやってんでしょ?
厨坊の悪ノリみたいww
638 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 17:06:05
>>637 いや、本音の大部分は大阪者の東京コンプレックスだと思う。
秀吉については弟の秀長が生きてればとかよく言われるな
まあ秀長のスレも過疎の上に変なのが沸いてるが
家康についても長男が優秀だったとかよく言われるけど
640 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 17:12:02
>>635 ほとんど作り話だろ。例えば、秀吉が家から1貫だか持ち出して針売りを
したってことになっているが、貧乏百姓の家にそんな現金があるわけないし。
家康の人質時代だって、利発であることを強調しようとして、適当なことや
尾ひれがついた話になったんだろうさ。
ただ、両者の違いっていうのは、秀吉の話は秀吉が天下を取ってから創られた
り語られ始めたのが大部分だけど、家康の場合はリアルタイムに岡崎衆の中で
言われていた内容がたくさんあるだろうなってことかな。
641 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 17:15:08
>>639 秀長も人格者ではあったけど、たぶん、大勢に影響はなかったと思うけどね。
前田利家と同じで先に死んだんで言われているだけだと。利家が生きている
内でも家康は着々と政略を進めていたこと考えても、関が原が少し遅くなる
程度だろう。
あと、多分家康の子供で一番優秀なのは秀忠。家康の長男の信康はそうだな、
武田勝頼みたいなタイプだな。
なんと……
言われてみれば百姓にそんな金はなかなかないかもなあ
義理のとうちゃんはぐうたらだったらしいし(まあとうちゃん自体の真偽もわからんが)
>>641 勝頼が愚者だと思っている(無双)厨房ハケーン!
勝って駄目なイメージがあるけどどうだったの?
なんかエピソードとかあったりするんだろうか
てか別に
>>641は信康≒勝頼が愚者だとは言ってないと思うけど……。
>>642 1貫位ならそこまでありえない話じゃないだろう。
銅銭1貫で約1両だろ?
毎日1文溜めれば3年で溜めれるし。
貯金箱に溜められたなけなしの金10万元手に行商ってノリだし。
百姓は生かさず殺さずで薄い粟や稗の汁飲んでたって聞くけど
貯金する余裕はあったのかなあ
いや勿論無かったとは言い切れないと思うけど
というか俺の知識は聞きかじりだけど
しかし少ない銭元手に行商って三井さんみたいなエピソードですなあ
商人としても成功してたかも知れん、てのは無根拠な妄想だけども
647 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 17:44:07
>>644 愚者ではないよ。侍大将くらいだったら、かなりの名将として名を馳せたろう。
ただ、トップに立つ人間としては、重要な部分が欠落している。ただ、勝頼と
違って信康はまだ若いんで、歳を経ればそこらへんの機微がわかるようになった
かもしれないという面はあるけどな。
648 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 17:47:30
>>645 基本的に当時の農村では銭が流通してないんだよ。尾張は先進地帯だから銭の
流通量も多いんだけど、かといって、農村部まで円滑に銭があるわけではない。
だから、1貫分の物があったり、作物があったんならまだしも、現金があった
というところが、かなりうそ臭いわけ。
まぁ、完全否定はしないけどね。むしろ、奴隷として働いてたって方が信憑性
は高いわな。
649 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 21:32:34
長久手での引き分けって、当時の情勢からして奇跡でないかい??
>>648 農村っても一応下級武士の家なんだから、作物売って金に変えて蓄え
いざという時にはって考えてても不思議のない範囲じゃないか?
金銀どさどさってわけじゃないし。
というか秀吉の家自体案外それなりに大きな農家だったんじゃないか。
大政所の姉が杉原家次に嫁いでるけど、水のみ百姓レベルの家格だと
下級武士の家でもそこに嫁ぐのは難しくない?
>家康がなぜ、そうしたか?
>小牧・長久手以降の家康の行動は、全てが天下泰平の為。
>日本の為、日本から戦を完全になくす為の行動だった。
漫画の家康を読んだが、天下泰平の権化みたいなかかれ方で↑の印象がピッタリだった。
漫画だから過信してはいけないと思うが・・・多少はそういう理想像があったと思いたい。
大阪城をネチネチと攻め立てて豊臣を滅ぼしたのは、家康の意地悪というよりは、
淀 & 秀ヨリ(特に淀) & 取り巻き一味があまりにも身の程知らずで視野の狭い困ったチャンだったから、という感じなんだが、
こういう論も結構強いの?
結果論でしかないけどな
>全てが天下泰平の為。
>日本の為、日本から戦を完全になくす為の行動だった。
これって天下を取る様な大名ならみんなそう思うでしょ。
天下泰平で戦が起きない世界=自家が天下を支配し続ける世界
そのためには対抗勢力や自分の肉親まで殺してしまう事もある。
いや、割合はわからないけど
動機は権力掌握ってのもあるだろうよ
>>
>>641 秀長と利家とでは格が違う、
それに豊臣家内を取りまとめる事が出来る事が出来る秀長と、
五大老の一人としてしか指揮が取れない利家とは立場も違うし、
もっとそれ以前に秀吉の晩年を制止できたかもしれない。
それに利家が生きてる間に家康は政略を進めていたが、
それが原因で利家との諍いが生じたりしており、
その際に利家派と家康派が両者の下に参じたが、
集まった面子を見れば、利家生存中にさえ、
家康が天下を取れる可能性は低いだろう。
657 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 01:33:09
>>656 >集まった面子を見れば、利家生存中にさえ、
家康が天下を取れる可能性は低いだろう。
逆だろw
>>657 アンチでもいいからさ感情抜いて理由書いてくれよ
でないとつまらん
利家派
毛利輝元・上杉景勝・宇喜田秀家・細川忠興・加藤清正
加藤嘉明・浅野幸長・佐竹義宣・立花宗茂・小早川秀包
小西行長・長宗我部盛親・浅野長政・前田玄以・増田長盛
長束正家・石田三成
家康派
伊達政宗・福島正則・池田輝政・黒田長政・藤堂高虎
森忠政・織田有楽・黒田如水・有馬則頼・金森素玄・新庄直頼
660 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 02:04:16
オイ!!
清正、幸長が三成と同じ派閥に!!!
なんだ彼等、その気になれば三成と仲間になれんじゃん!!
どこまでもかたくななのは正則くらい?ww
福島正則は徳川家と婚姻関係になってるから、家康の下に参じてるからね。
福島正則は単に三成が嫌いというより、かなり早い段階で豊臣家を見捨ててる。
そうなんだ……
じゃあ家康が将集めて妻子には手を出さんから帰っても構わんとか言われたとき
真っ先に家康にしたがったとかいうのも結構打算ずくなんだね……
別に出生の貴賤なんてどうでもいいよ。残ってない資料で歴史捏造する必要なん
て好き嫌いスレではそんなに必要なかろ。小説家にまかせとけばいいんだよ。
別に煽らんでもいいと思うが
シリョウがないならないでいいけど
>>662 >妻子には手を出さんから
ガラシャとかが三成の人質にされそうになって死んだように
妻子はむしろ三成側に取られそうになってたのでは?
ごめん
妻子が人質同然になってるから、だね
無茶苦茶とんちんかんなこと言ってた
667 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 06:34:55
>>659 このメンツは優柔不断な輝元を筆頭に烏合の衆だな。修学旅行のバスの中で隣通し
になった清正君と三成君が不機嫌な顔で黙りこくっている図が浮かぶ。
そもそも1大老の家康に、4大老+5奉行が束になっても、太刀打ちできなかった状態だろ?
それから、口先だけの景勝を山形で大敗させた最上義光が抜けてるな。
668 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 07:45:58
関ヶ原で西が負けたから上杉は引き上げたんだろ、最上は運がいいだけ、本来長期戦だった関ヶ原がそのまま長期戦だったなら最上終わったよ?
影喝は口先だけではないよ
秀康にビビッテ江戸に攻め上らなかったヘタレ陰渇
670 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 10:16:29
>>656 利家と家康が諍いを起こしたときでも、利家の周囲はまともに武力衝突
まで前提にしていたのは三成だけと言っていいほどにやる気がなかった。
結局、家康側に非があるのに、利家が家康を訪問して和解させている。
家康の切り崩しは強烈で、北の政所を筆頭に、小早川家、宇喜多家など
への懐柔も続けているし、成り行きで反家康派に入った島津、長宗我部も
時間があれば切り崩したろう。そもそも、利家が反家康であれば、家康と
しては毛利を抱きこむ工作をしたはず。関が原を見ても、毛利家内はむし
ろ家康派が優勢だしな。
利家が死んだんでああなったが、死ななくても別の絵を描いたろ。
秀長が家康並に長生きしてれば切り崩し巧くいかなかったんじゃないの
672 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 11:04:51
>>671 やりにくくはなったろうが、その程度でしょ。
家康としては、天下が取れるだけの味方があつまればいいんであって、
その構成面子はさほど気にしないだろうしね。秀長の存在で譜代の切り
崩しができないのであれば、外様を手なずける方向にでるはず。
反家康と断定できる外様は上杉だけじゃないかな。宇喜多家も家臣が
不安定だし、三成派の佐竹も実権のある隠居が家康派だし。前田家ですら、
利家と息子の代で全然熱が違う。
それに、秀長がいても、北政所vs淀殿、文治派vs武断派の構造的な欠陥は
そのままなんだから、付け入る隙はありすぎるほどあるでしょ。
673 :
631:2005/04/12(火) 11:56:37
仮定に置いて、秀長の寿命をどれだけ見積もるかで、想像しうる結果は大いに変わると思いますよ。
まず秀長がいれば、後見人を外様の家康や利家にする必要がなく
また家康は、関ヶ原のように豊臣家の意を受けてというスタンスをまず取れなくなります。
(なぜなら、何らかの変事があれば秀頼を代行するのは家康でなく秀長だからです)
また家康が秀吉死後行った切り崩しも、秀頼の後見の一人という立場あってのもので、
文治派、武断派にしても豊臣を大義としている以上、
豊臣の大義を持たない家康が切り崩すのは難儀でしょう。
一番の難点は、豊臣家と争うことなく豊臣家そのものの力を奪えるかと言うことです。
家康は豊臣家中の争いとして関ヶ原を起こし、
その戦後処理を利用して豊臣家本体を大幅に弱体化させましたが、
この工程なくして徳川が豊臣に取って代わることは難しい、というかまず無理と思います。
数百万石(豊臣家の実数は計測不可能)の領地と、全国の鉱山など富の蓄積のある豊臣家と、
関八州の徳川家では、力に差がありすぎるのです。
関ヶ原後、多くの諸侯は徳川に走りますが、
豊臣と徳川の力が変化しないのに徳川に着く諸侯がどれほどいるでしょうか?
そして秀長は家康や利家と違い、立場上、豊臣家の代行者たり得ます。
秀長が、もし秀頼が豊臣家のことを差配出来る年齢まで存命であったなら、
それは利家のそれとは比較にならないほど家康の天下取りの障害と思います。
674 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 12:20:00
利家は確かに家康をつぶせるものならつぶしたいと思ってたはず
しかしその口実が必要 その口実をあたえるほど家康はバカじゃない
無理やり自力で家康をつぶそうと思っても不可能
やはり利家にチャンスはなかった
>>670 やる気がなかったねぇ、元々家康を詰問したのは利家等四大老、
利家等が訪問したのは、仲裁が入ったので、筆頭の家康の顔を立てただけだろう。
毛利家内も家康派が優勢とはいえない、殆ど吉川の独断にいる部分が大きいし、
宇喜多家も宇喜多秀家本人は豊臣派であり、島津が成り行きで西軍に入ったというのも違うな、
長宗我部も吉川の邪魔が入ったので関ヶ原で戦えなかっただけだし、
そして北の政所が家康派というのは信憑性は無いね、西軍を支援していたし。
>>672 利家と家康の諍いの時に武断派が分かれてる事を見れば、
豊臣家内を統率できる存在が居なくなった事が大きい。
ついでに書けば、家康と利家は単に和解しただけじゃなく、
利家は家康に向島に移ることを勧告しており、家康もそれに従っている。
だから4大老+5奉行が束になっても、太刀打ちできなかった、というのは違う、
実際には家康は利家派に押されている事が分る。
677 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 12:59:55
勝てない相手とは戦わない その簡単なようでなかなかできないことを
きっちりできたのが家康
>>672 豊臣家がしっかりしてれば外様の切り崩しなんて出来ないでしょ
徳川討伐の口実を与えるだけだし
679 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 13:36:38
>>676 結局、利家は家康と伊達等の縁組みをゴリ押しされてるわけで。
家康は利家の顔をたてつつ、実利をとっているから、押されている
という表現はおかしい。
680 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 13:44:41
家康は250万石 前田も毛利も単独では勝てない
みんなで家康をたおそうって雰囲気をつくらなければそれだけでよかった
徳川厨って存在するのか?
>>681 徳川厨は居ない
司馬の小説に洗脳されたヤツばかりだから
この板の住民の徳川家康のイメージは大河の津川そのものだから
>>681 ああ、俺がそうだ。家康厨で同時にアンチ秀吉。
といっても、秀吉厨でアンチ家康の香具師らに比べると、デムパ度が
低くって申し訳ないけどな。
徳川って、のめり込むと何か気恥ずかしい気がして
何となく准厨で止まっとこう、みたいな・・・
のめり込ませるだけの魅力がないってとこなのかな
徳川の御大に
686 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 19:20:38
どんな魅力があったって、のめり込むとか気恥ずかしくないか?
ひたすら妄信してるみたいでアフォくさく見える。
厨ってのはそういうもんだ
>>681-686 お前等せっかくの議論を台無しにするために、わざとやってるだろ
お前等のような奴らは、〜厨とかじゃなく、たんなる厨もしくは荒らしだ。
議論できてないからそういう話題が盛り上がるのさ
>>688 議論?アンチがどうたら、信者がどうたら言うのがか?
俺は徳川が好きだけど、別にマンセーする気はない。
>>690 数レス前の家康と秀長、利家などの議論が目にはいらんようだなw
お前にとってアンチだの信者だのが全てなんだろうな。
スレタイ見る限りそっちの方がスレ違いでねえの?
当時の倫理基準からしても、今の倫理基準からしても、秀吉、家康どちらもひっかかる
せいか、のめりこむほど好きになるってのはないな。
それでも、二人のような天下をとった人にはそれ相応の長所というか魅力があるわけで。
結局、ここのスレタイは猿が好きか狸が好きかというような問題なんだろう。
スレタイ通りにやりゃいいってもんじゃないと思うぞ
常識働かせりゃ煽りあいより議論の方がマシだろうよ
何処に煽り合いがあるのか
つかお前が荒らしじゃん
まぁ、好き嫌いといえば秀吉ファンが良く言う「人間的だから好き」って
いうのがどうも受け入れられないんだよな。
我が子可愛さに、甥と妻妾幼児惨殺するような人間性の発露は醜悪にしか感じ
ないんだが。
どっちかっていうと、徳川家のために長男を切腹させたのが人生の痛恨事に
なって老人になるまで繰言ぶつぶつ言ってた家康の人間性の方が好ましいと
思うんだが。そういうのは、少数派なのかな。
家康も長男の件で、酒井忠次に言い掛かりに近いイジメをしてるけどな、
それに最近では家康主導だったという話も出てるし。
家康は何考えてたかよくわからんと思うんだが
なんか特定できそうなものあるんだろうか?
信長配下の例に漏れず秀吉もスパっと見せしめのように人殺すようなところが好きって人は
少ないだろうけど。家康になくて秀吉に在る魅力って言うと、家来として出世したってとこじゃ
ないかな。一つの家というものをもって出発した家康との立場の違いの反映。
逆もまたしかりで、家康の魅力にも反映される。
あと秀吉の金ぴか趣味に対して、家康の節制も相反する魅力だよね。
>>696 秀吉の「人間的」というのは、家康よりもより分かりやすく物質的な欲望が前に出て来る
し、他の人のそういった贅沢さへの志向を肯定するところじゃないかな。
あと、おねとかもあるかも。
家康にとってマイナスなのは、秀吉の織田家の扱いと家康の豊臣家に対する扱いじゃ
後者の方がより憎しみか冷たさのようなものがが感じられる潰し方になってるところ
じゃないかね。秀吉の場合、信長に対する思い入れが後々も感じられるのに対して
家康の場合、経緯が経緯なんだけど5大老としての立場上どうしても比較される。
>>697 主導っていうか結論出して実際に切腹させたのは家康だから、家康が殺したと
言ってもいいけど。
ただ、原因は明らかに信長の強引な要求にあるし、家康が助けたいと思ってい
たのに忠次や忠世が信康をかばおうとしなかったのは事実だし。
というか、そういう行動とられたら、ふつうは難癖つけて苛める程度じゃすま
さないだろ。もし、これが秀吉だったら忠次みたいな行動とったらたぶん殺す
だろうし(下手すると、一族全部殺すかもしれない)。
そこら辺の家康と秀吉に対する評価の温度差っていうのかな。それが、どうも
好きになれない。
自分の息子を自分で殺させる一端を担った忠次を多少イジめる程度で徳川家の
柱石として遇し続けた家康が冷酷非道で、自分の子供可愛さに、甥の一家を惨殺
したり、妻の一族の青年を理由もなく改易したりする秀吉の行為が愛すべき
人間味溢れる行為なのかとね。
家康が助けかったって思ってたってのはあんまきいたことないけど、そうなの?
主筋に当たる家を残さずに完全に断絶させるっていうのは家康にとっても
評判的にそれなりの覚悟がいることだったんじゃないかねえ。
>>699 秀吉の織田家に対する扱いは心温かいものだったとは、あまり思えないんだよな。
倫理的な面から非難すれば、家康の行為よりずっと酷いものだとして描けるわけで。
例えば、光秀を倒した後、信孝を殺すまでにほとんど期間がない。さらには、信孝が
敵対したからって、その母親(信長の愛妾)をあっさり殺しているし、次男の信雄が
いかに愚物とはいえ、追放同然にしている。嫡孫の秀信は美濃岐阜城で30万石程度
の扱い。
天下を取る過程で織田家を処分しないといけないんで、やったこと自体は別に非難する
つもりはないんだけど、関が原の後、臣従しない秀頼を15年かけて滅ぼした家康と、
一介の不浪人から拾い上げてくれた織田家の天下をあっさり潰してみせた秀吉と、どっち
が倫理的によりひどいかって言えば、秀吉の方だと思うんだけな。
うわひでえ
……とおもったけど嫡流は滅ぼしてないんじゃ?
外国人の目に映った家康像は、かなり正確に家康の実像をとらえてるかもしれない。
冬の陣の5年前の慶長14年、船が難破して上総の国に漂着したイスパニア人ロドリゴは
家康に謁見した際、「(家康は)中背で肥えており、愉快気な容貌をした6,70歳くら
いの尊敬すべき老人だ」と記している。
少なくとも「狸じじい」的なイメージはなかったことは確か。
>>701 というか、家康が率先して信康を殺そうしたって話は全然聞かないけどね。
一般には、酒井忠次が信長が言い出した信康の罪状を肯定してしまったため
に家康が反論できなくなったのと、わざと逃げやすい場所に信康を移したの
に大久保忠世が厳重に警備して逃がさなかった。このために、家康が二人を
終生うらんでいたってことになっている。
ただ、普通に考えて、自分の子供をわざわざ切腹させてよしとする人間は
少ないでしょ。武田信玄みたいなのは特別な例でね。
>>703 織田家は一応存続しているわけで、乗っ取ったときに織田という名前を残し、上位の大名と
しての扱いを授けるのに対して、豊臣家を完全に抹殺するのとでは、当時の家中心の
倫理観からすれば後者の方がより悪いんじゃないだろうか。
それこそ結城家のように、自分の親族から豊臣家の名前を継がせるだけでも
だいぶ違ってくると思うけど。
>>706 そうなんだ
なんか家康は長男以外にも次男とか六男とか
関が原前の子供には本当に冷たい印象しかないから
信康の件も割と苦にならなかったんじゃないかと思ってた
>>705 関が原以前の家康の印象は、まず第一に「律義」だったよ。
別に関が原の後も狸爺いとまで言われるほど悪辣なことをやったとも
思えないけどね。言ってみれば、家康の生涯で狸爺いに相当するような
政略は、対秀頼への開戦の口実だけでない?
(つうか、あれが悪辣な政略とも思えないけど)
710 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 20:44:37
秀信と秀頼の・・というよりは取り巻きの物分かりの善し悪しが・・
>>707 そこはだいぶ違うと思うけど。徳川家は独立の大名であって、豊臣家に
臣従した後でも最も遠い外様大名で、実際は客分に近かった。その外様
ぶりは、徳川体制での島津家以上でしょ。
しかし、秀吉は全くの身体一つから、大大名になるまで織田家によって
引き立てられた存在であって、しかも、普通だったらそんな抜擢はない
し、信長の存在が無ければ武士にすらなれたかどうかって存在。
この両者が主家を倒す行為を同列に論じるのは変でしょ。
それに、織田家の嫡孫である秀信は秀吉に敵対していないし、岐阜城が
名城とはいえ、地方の城にすぎない。コンスタンティノープル以東最大
といわれた大阪城に篭って家康に敵対姿勢みせてた秀頼とは、政治状況
も全然違うから、それを滅ぼした行為の倫理的非難もまた別だと思うな。
>>708 秀康については結構冷たいけど、豊臣家に対して養子に出しただけで、
後年は秀忠にもちゃんと礼遇するようにさせている。大領も与えてい
るし。べつにすさまじく冷たかったわけではない。
秀忠は、普通に子供とした愛されているでしょ。特に冷遇されたことは
ないんでない?
というか、たぶん秀吉の秀頼への盲愛と比較するから、冷たく見えるん
じゃないかな。家康も、晩年に作った孫みたいな子供には甘かったけど。
もともと、武家の教育なんだから、それなりに厳しいのは普通だよ。
ましてや、秀忠までは戦国時代の生まれなんだし。
>>711 たしかに、同列に論じるのはおかしいと思うし、自分もそれで家康の評価がどうのというの
はないんだけれど、当時の世論というか倫理での善悪感としては相当悪いことじゃないか
と思うんだよね。
一応、五大老として秀吉から涙ながらに秀頼のこと頼まれて、関が原で秀頼を主君として
持ち上げて、でそのあと豊臣家の名前すら亡くしてしまう。豊国神社は破却するというのは
状況が違うとはいえ、豊臣と織田家の関係と比較すべき類似性を持っているのだから
かなりひどいことだったんじゃないかと思うんだよね。
>>706 信長が信康を殺せと命じたと書いてあるのは、三河物語
当代記や安土日記では、家康が信長に対して信康切腹の許可を貰ってる事になってるが
>>714 まぁ、この場合被害者サイドと殺した側のどっちの意見を取るかだけど。
普通に考えて、子供殺したいんですけどなんていいだす香具師はおらんでしょ。
>>715 疑われるような非があったから責任とらせたんじゃないの?
武家らしいというならそういうこともしそうだけど?
717 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 21:10:26
信 康 は ガ チ で 親 殺 し を た く ら ん で た
徳川史観に犯された三河物語を取るか、豊臣政権下で書かれた
当代記や安土日記取るかだけどな
普通に考えて子殺し親殺しはありましたが
>>713 どうかなあ。むしろ、当時でも家康の行為の方が倫理的にはまともといわれる
んじゃないかな。当時は、明智光秀は散々に言われてたみたいにね。秀吉の行為
は光秀と似たようなものなんだから。そこら辺を自分の共犯者にすることで大名の
批判をかわしてしまった秀吉の手腕は見事なものだけど。
家康が倫理的に非難されるのは、あの種の行為の最後にあるのと、負けた連中
がたくさんいるからでしょ。ある意味、関が原と大阪の陣での敗者の恨みが悪評
になっている。これには、首都の地位から陥落して、豊臣家の落とす金が回らなく
なった京・大阪の人間の恨みも加わって、ひどいやつだってことになったんだと
思うけどな。もともと、秀吉の織田家処分の方法なんて、知っている香具師の方
が常に少数派だし。
内府様(家康)ご誓詞下され、身にあまりかたじけなく候。
子々孫々忘れまじく候。
毛利輝元
>>718 あったからといって、冷酷に親殺し、子供殺しをするようなのが普通ではない
でしょ。家康の生涯を見てみても、無用に人を殺すような人間ではないしね。
家康も鷹狩りの時に前を横切った商人を殺したりしてるし、
秀吉の墓暴き、古田織部・増田長盛・長宗我部盛親の息子達、
後藤又兵衛の家族なんかもあちこちで殺された、とかもある。
秀吉にせよ、家康にしろ陰性の部分は両者に存在してる。
>>703 期間の長さで捉えてどうする。
家康は秀吉死後から明らかに天下を取ろうする動きをみせており、
豊臣家を潰すのに時間が掛かったのは、単に口実が無かっただけだろう、
その証拠に最後は方広寺の鐘に無茶苦茶な難癖つけて、
それを口実にするという、無理な手段をとってる。
信孝の場合は秀吉に対して明確な敵対行動を取ったので仕方が無いし、
当時は柴田勝家も健在で、秀吉も磐石といえる体制ではないからな。
それに本能寺直後から、織田家の天下なんてとっくに消えてるし。
消えているって、
秀吉が消したんだろうが。
主家に対する関係の変化の比較という点では
秀吉が関白になることにより、秀信に対して主君と家来の関係を解消したというのは、
家康が将軍になることにより、秀頼との関係を微妙なところに持っていったというのに当たる。
家康が秀吉のようにスマートに服従させられなかったというのは、豊臣の恩顧の大きさが
織田のと比べて大きかったこと、関が原で主君秀頼の奸臣排除という大義名分で大名を
集めたこと、淀君の存在とかが大きかったせいだろう。
豊臣家の名前を抹殺したのも、数々の有力大名が豊臣姓をもらっているという政治的重要性
を考えてのことなんだろうな。豊国神社の廃祀も豊国大明神の神号を怖れたのか。
忠孝の美徳から考えれば家康の徹底したやり方は、秀吉のそれと比較して極悪にみえるが
天下をとっていなかった織田家と獲っていた豊臣家の違いのせいでずいぶん損したような。
まあ、秀吉にしろ家康にしろ主家を盛りたてていこうという気がさらさらなかったという点では
感心しない。
>>723 じゃあ長さは置いておいて、関が原自体が家康の豊臣家簒奪としても
よいけど。でも、その場合でも秀吉の行為より家康の行為の方が倫理的
に悪だと言える理由はないでしょ。同じ簒奪行為なんだし。
信孝が敵対していたのは事実だけど、秀頼も十分家康に敵対しているし。
そもそも、豊臣家に対して家康が反乱を起こすのは徳川家に島津家が反乱
するのと同じようなものだけど、秀吉が信孝を殺すのは、井伊家が将軍に
対して反乱起こすようなもんだ。
>>724 いや、秀吉が手を下す前にとっくに消えてるよ、
清洲会議に信雄と信孝が呼ばれず、重臣だけでの話し合いになってる時点で、
織田家の命運は尽きてる。
そもそも秀吉が光秀を討たなきゃ信孝なんかは生きてるかさえも怪しいが。
>>725 最大の理由は、後に戦乱があったかどうかだろうね。
秀吉の場合は、まだ日本は半分くらい統一されていなかったから、
これらをつぶしてゆくことで、恩賞をもって大名を釣ることができた。
家康の場合は、もう、次からは平和だし大阪の陣という最大の戦いを
経ないとだめだった。敗者の怨念が残ってしまった。
後、豊臣大明神を壊したのは、自分が神になる以上しょうがないだろ
うね。とっとくわけにはいかんだろうし。
あと、豊臣家に対して判官びいきの法則が働いてしまったのも理由と
して大きいかな。女子供をいたぶる狸親父ってことでね。でも、大坂
の陣のときの秀頼はもう子供もいるいい大人だし、日本最大の合戦を
行えるだけの力も持っていたわけだしね。判官びいきで語るべきでは
ないんだけど。
>>727 ま、んなこといったら、豊臣の天下だって、秀吉の死亡とともに
消えているわけだしな。最低でも、関が原の後では完全消滅している。
>>726 それはかなり歪めて捉えてると思う。
秀吉にとって主家は秀信であって信孝ではない。だから信孝の敵対と秀頼の敵対
は同列には捉えられない。ましてや井伊家が将軍に反乱起こすようなものではない。
また徳川家と島津家を同等に捉えるのもおかしい。少なくとも五大老という豊臣家に
とって特別な地位が与えられ、秀吉自ら後継ぎのことを頼まれるというような関係は
徳川家と島津家の間に見ることは出来ない。また関が原での家康は秀頼を旗印に
しているんで、豊臣家と徳川家の関係は徳川家と島津家よりもずっと深いもの。
>>730 じゃあ、その秀信を1大名の地位に落としてしまったのは、簒奪でないの?
家康だって、秀頼を1大名の地位に落とし、その後の臣従を待っていた
わけだが。
>>727 その清洲会議でよりにもよって幼児を後継ぎになんかしなければ、
まだまだ織田家としてまとまった可能性はあったと思うがね。
本来、織田家の跡目は年齢と器量から言って信孝がなるのが順当だった。
それを、光秀討伐の発言力を持って、強引に幼児を当主に据えたのが秀吉。
もう、この時点で織田家を乗っ取ろうとしていたのは明白なんだけどな。
>>731 そりゃあ、簒奪だよ。簒奪にしてもまずはどちらも朝廷から地位をもらうことによって
追い越そうとした。問題はその後で、秀吉は秀信を一応心服させた形になっているのに
対して、家康は主君から頼まれた秀頼を殺してしまった、しかもかなり時間かけて
謀略張って死に追いやったというように見えるところ。徳川側から見れば違うけど
在る意味立派な主家殺しなわけで。
そんなもの秀頼側の問題もあるからなあ。
もっと早くに臣従する態度をとればよかった。
>>734 なんか、すごく強引じゃない?
倫理的に簒奪だったら、どっちも極悪でしょう。さらに、秀吉が信長から
受けた恩は、家康が秀吉から受けた恩(あるのか?)よりはるかに大きい。
日本の武士のご恩と奉公の関係から言っても、秀吉こそ織田兄弟を守り立
てて織田家の天下を維持する強烈は倫理的責任があるでしょう。
大体、時間じゃないんじゃなかったっけ?
長い年月かけて謀略を張ろうと、即座に簒奪しようと同じでしょう。
秀吉が生き残った織田家の子孫のうち、信長の三男を殺し、次男を追放同然
として、嫡孫を一大名の地位に落として天下を簒奪したのは厳然とした事実
じゃない。
それと、軍事力で支配下に置かれた家康が、形ばかりの主従の地位にある
秀頼を圧倒し、臣従政策が無理だから滅ぼした行為をくらべて、
秀吉>>家康
って結果が出るのは何故なわけ?
家を潰してないからでしょ
>>735 家康として簒奪する以上、そのやり方は正解だったんだろうなと思うけど、
秀頼を殺したこと、豊臣の姓を残さなかったこと、亡き主君の祭祀を行う豊国神社を
破却したというのは、武家の道徳としてはかなり問題ある行為だろう。
>>732 無理無理、清洲会議に参加する事も出来ないボンクラ二人が
織田家を纏めれるとは思えないし、
織田家その後の命運を決める清洲会議を、重臣だけでやってる時点で、
既に織田家と重臣達の力関係が逆転してる。
織田家は敵だらけだったからなあ
>>736 時間じゃないっていったのは自分じゃないよ。ただ、豊臣家に対する扱いというのは
主筋に対する家の扱いとしては日本の歴史の中でも有数の厳しいものであるんじゃない
というだけ。
>>738 じゃあ、少し質問を変えようか。
もし、秀信が「俺は織田家の当主だ、秀吉は簒奪者」って態度を
とった場合、秀吉はどうしたと思う?
そして、京あたりの大きな城を築いて、朝廷を外交はじめるとか
してたりしたら、どうするかね。
743 :
741:2005/04/13(水) 00:16:17
>主筋に対する家の扱いとしては日本の歴史の中でも有数の厳しいものであるんじゃない
>というだけ。
ここは取り消します。良く考えると日本の歴史そんなによく知らないや。
>>742 いや、そういうことじゃなくてあくまでも主筋に対する家の扱いの問題として
自分は言ってるだけ。結果の比較をして、どっちが特定の基準でポイント高いかという
話しをしてるんで、もし秀吉が失敗していたらとかいうことじゃないんだよ。
>>741 違った? それはすまんね。
でも、主筋っていうけど、信長は秀吉の主筋だけど、秀吉が家康の主筋って
いうのは、かなり違うでしょ。子飼いの武将でも譜代でもないんだから。
また、大坂の陣みたいな大合戦の結果、豊臣家が残るって感覚の方が普通じゃ
ないと思うけどな。
>>744 うーん、あんまり深く突っ込んでもしょうがない内容のような気がするな。
つまりね、織田家嫡系を滅ぼさすとも天下を取れた秀吉と、豊臣家嫡系を
滅ぼさないと天下を取れなかった家康とを比べて、どっちが「家」に対して
やさしかったとか厳しかったとか言ってもしょうがないんじゃない?
それとも、家康が豊臣家を平和裏に臣従させられなかった政治的な無能さが
駄目だといいたいのかな?
臣下の礼をとった以上、家康の主君は豊臣家、
事実家康は豊臣家の五大老として関ヶ原でも行動している。
家康は一度定まった天下を、自分が他の大名に無茶苦茶な難癖をつける事で乱し、
それを足掛かりに天下取りに乗り出した(自分は破りまくってるが)、
そこが秀吉との最大の違いだろう。
破りまくってる、てのは秀吉が作った法な。
>>745 自分は詳しい人じゃないので研究者からすれば違うのかもしれないけれど、
五大老の地位にあったこと、主君から死の間際に直々に後事を託されたこと、
関が原の合戦で秀頼の側の奸臣を取り除くって旗を掲げたというのは、徳川家にとって
豊臣家が主筋に当たるというのを示しているとみえるんだ。
あと、大坂の陣の結果、秀頼を殺さざるを得ないとしても、豊臣姓を残すか残さないか
豊国神社を破却するかどうかというのは結構重要な判断ポイントだったように思う。
>>747 じゃあ、豊臣家末期の政治がずっと続く方が日本にとって幸せだった
と言いたいのかな。
まぁ、ここら辺は俺としては秀吉評価と家康評価の根本になる部分だが、
秀吉、特にその末期の政治はかなり悪いぞ。家臣は徒党と組んで諍いを
おこしているし、負け戦をズルズルと続けている。豊臣家の特徴である
浪費癖はとても直りそうもない。もし家康が関が原をおこなさなければ、
豊臣政権は党争の末に空中分解したろう。その後、どのくらいの混乱が
来たかな。そして、秀頼のような愚物にそれを収束させる能力はない。
家康が天下を取ったのは、それを多くの人間が望んだからだ。
はっきり言えば、当時の日本人は豊臣家ってものに辟易していたんだよ。
>>746 >>725で書いたように、自分は状況的にも家康はそういう選択をせざるをえないというのは
あったと思う。ただ、このスレタイが豊臣と徳川どっちが好きですかというもんなので
そこで、徳川嫌う人にとってはこういう点も大きいんじゃないかなという感じで書いてみた。
>>749 変に忠義の感覚を持ち込むねえ。別に俺は家康が豊臣家を簒奪したことを
否定しているわけではないし。
ただ、なんで、秀吉がやった織田家処分より家康の行動の方がはるかに
悪なのかって疑問を呈しているだけだよ。墓壊したとか子孫を0にしたと
か言われても、それが何って感覚しかない。逆に言えば、秀吉に比べて
家康が悪とされている理由は、単にそれだけなのかって思う程度かな。
>>750 曲解されても困るな、家康が既に定まっている天下を、
自分で乱して天下取りに乗り出したというのは事実を述べただけ。
別に家康の統治については語ってはいないが。
それと多くの人間が望んだなんて講談みたいなファンタジー語ってもらっても困る、
利家との争い際には、利家の下に多くの武将がはせ参じており、
別に家康は多くの人間が望んでいたから天下を取った訳じゃない。
家康は力で、あるいは政略を駆使してそれらを切り崩し、天下を取った。
>>752 >墓壊したとか子孫を0にしたと か言われても、それが何って感覚しかない。
これはかなり現代的な感覚だと思うよ。昔はここらへんを重要なこととして考える人も
多い。だから、豊臣と徳川どっちが好きという問題を古人が考える際に結構大切な
ポイントだったんじゃないかね。
明治天皇が豊国神社を再建したというのも、徳川幕府に対しての当てつけと同時に
そうした行為を重要な悪行として捉える空気があったからかね。
徳川には関ヶ原でのキンゴDQNの件がかなりマイナスイメージになってるのは否定できないよな
757 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/13(水) 06:54:11
>>753 ファンタジーに酔っていたのは、小田原役後、独裁者と化してた秀吉なんだが?
秀吉死後の、家康等が行った最優先課題が「朝鮮の役」の終結と撤退作業だった
(これは秀吉の政策の180度の否定だ)ことを考えれば、海外での戦乱に西軍大名
から庶民までいかに辟易していたかがわかるだろう。
>>757 捏造はやめろよ。
朝鮮からの撤兵は秀吉の遺言だろ。
>>757 横レスだが秀吉がファンタジーに酔ってようといまいと
>>753のいってることには
直接は影響ないと思うぞ。
>>753は単に
>>747で秀吉と家康の簒奪の状況の違いに
ついて述べたって言ってるだけだし、秀吉死んだ後の豊臣体制と秀吉のファンタジー
はまた別物だ。
760 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/13(水) 07:18:31
「秀吉の遺言」?笑止なり。
連続放火犯が、あまりの被害の拡大に慌てて自ら119番をしているようなものだ。
まさにマッチポンプ。
捏造して尚かつ開き直るなんて、凄い神経だな
それに独裁者とか庶民とか、いつの時代の歴史観だよ。
丹羽長秀への書状
けっして前田利家には心を許すな。
あれは上杉防護のための木戸で、あなたのために設置してあるに過ぎない。
上杉とは毒をもって毒を制すのじゃ。あなたは越前をきちんと守ってもらいたい。
上杉のために、前田がどのように消耗しても、手を出すな。
加賀に一揆が生じようと前田に委せておけばよい。
兵力が要るなら申してほしい。五千、一万の兵、何時にても取り計らって上げたい。
羽柴秀吉
家康がやったのは敵対的買収の会社乗っ取りで
秀吉がやったのは、創業者の遺児(孫)だがを名誉職に祭り上げての経営の実権獲得
大義名分的には後者の方が立つというのは当然だろう。
家康の方は完全に外部だから臣下の盟に縛られる義理がないという主張にも道理はある。
がまあ、秀吉が継いだ段階の織田軍団は最有力だが過半になるわけでもない状態で
まだまだ転覆されないだけの実行力が重要だった時代。
家康が秀吉に託された時点では、家康が野心を起こさず筆頭の忠臣に納まるつもりだったら
そのまま終り、場合によっては鎌倉幕府の執権北条氏の様になった可能性もあった。
乱の中での叛意か、治世の中の叛意かという違いはとり方が違うんじゃないかな?
秀吉はハデ
家康はケチ
それだけの話
765 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/13(水) 12:04:45
なるほど、創業者一族を追い出して社長になったのがヒデヨシ、
外部から買収してのっとったのが家康か
そうかんがえるとそんなに悪ではないわな
5大老で、遺書の宛先の筆頭に名前挙げられて、なおかつ秀吉死亡後すぐに
大坂城西の丸に入って天守まで築ける家康が豊臣家にとって完全に外部なわけはない。
外部取締役といったところか
>>766 外部からきてる顧問みたいな役所だろう。
つーか豊臣家の五大老という地位を使いまくってるのに、
外部の人間です、なんてのは無理がある。
豊臣内部の人間って五奉行ぐらいまでじゃないの?
それ以外はグループ会社の人間みたいな感じ
おいおい、例えるなら民間じゃなくて政府で例えろよー
構造違い杉だよー
五大老と五奉行は一応ともに合議制で政務に当たるということだから、少なくとも
五大老が江戸時代の外様にあたるということはないんじゃない。
その役割はずれているにしろ、多少江戸時代の幕閣に通じるところもあるんじゃ。
五大老は仕事内容はどうか知らんが
顔ぶれは明らかに外様だな
家康が五大老という制度の害を身を持って知り尽くしていたからこそ、
江戸幕府の外様大名との厳しい区別が生まれたんだろうな。
>>770 現在の政治形態よりは、企業形態の方が構造が類似しているから企業を例に使うんだ。
>>771-772 だから外部から招聘された顧問が五大老でその筆頭兼若社長の後見人が家康じゃないの?
でその家康が敵対的買収で会社を奪ったみたいな流れ。
アホ臭い流れだな
>>774で? その例えで言うと秀頼は何になるんだ?
◆受賞者 堀越祐一氏
受賞論文 「豊臣『五大老』・『五奉行』についての再検討―その呼称に関して―」
(『日本歴史』第659号〈2003年4月号〉掲載)
◆選考の経緯
昨年本誌に掲載された45本の論文を対象に、気鋭の研究者への奨励という賞の趣旨と、
評議員の推薦にもとづき検討した結果、その呼称をめぐってかねてより論議のあった豊臣
政権の「五大老」「五奉行」について再検討し、手堅い史料分析によって、説得的かつ興味
深い結論を提示することに成功した、堀越祐一氏の表記の論文を受賞作に決定した。
堀越論文は、豊臣政権末期の「奉行」「年寄」という呼称について、広く史料を収集したうえ
で、史料の性格をも吟味して再検討を加え、両呼称の使い分けのなかに石田三成らの政治
的意図を明快に指摘したものである。その論証過程においては、新たな史料分析の視点が
導入され、丹念に諸史料の検証が行われている。また、得られた結論をさらに当該期の
政治権力構造や政治情勢と関連づけて、興味ある論点をも提起している。堀越氏による
今後の研究の展開を大いに期待したい。
五大老良く分からないからぐぐったら、こんな論文が出てきたよ。詳しい人内容紹介よろ。
>>775 例えてあるじゃん
アホとかいう前によく読めよ
まぁ、内部の人間と外部の人間って話になっているみたいだがな。
家康:
・もともとは秀吉の主人の織田家の同盟者。
・その地盤は自分で切り取ったもの。
・政略的に負けて秀吉に臣従。
・北条氏滅亡後、関東に移封される。このとき、秀吉により100万石程度の
加増。(ただし、東海地方からの移封が家康にプラスであったかは疑問)
・秀吉生存中に五大老に任じられる。ただし、秀吉生前に政治に関わった
様子はなし。
・秀吉死亡時に前田利家と共に後事を託され豊臣家の家政をみることになる。
→ で、簒奪。
秀吉:
・一介の不浪人の身分から信長に拾われる。
・地盤となった近江・播磨は信長から与えられたもの。織田家の重臣として信長に
抜擢されて第一の出頭人となり、最大の軍団をあずけられる。
・光秀討伐後に織田家重臣として、清洲会議に参加。織田家の方針を決定する。
その際、幼児である秀信を当主とすることを主張し、実現させる。
・信孝から秀信を奪取し、対勝頼戦の勝利および信孝を殺した後に、秀信唯一
の補佐者となる。
→ で、簒奪。
まぁ、簒奪した相手に対するかかわり方から言えば、どうみても秀吉の方が遥かに深い
し、また、簒奪しやすい状況を能動的に作りあげているのは確かだな。
家康も十分能動的に動いてるよ、家康の簒奪までの手順抜きすぎ。
・秀吉死後、禁止されている筈の他の大名との婚姻を結ぶ。
・利家死後、前田等に謀反の疑いを掛け、豊臣家の切り崩し工作を行う。
・家康単独での、豊臣家の知行分配を行うなどの動きをみせる。
・上杉家に謀反の疑いを掛け、上杉討伐に向かうが関ヶ原が起きる、
しかし家康は関ヶ原に勝利し、豊臣家の領土を各大名に分配し、
豊臣家の弱体化に成功する。
・方広寺の鐘を口実に開戦、豊臣家を滅ぼし、簒奪完了。
簒奪しやすい状況をつくっていく腕は家康のもなかなか見事なものだぞ。
秀吉シボンヌ→西の丸で年賀挨拶受けて政権内の地位を確かに
→上杉討伐で五大老制の動揺→反発した五奉行、五大老を一掃し豊臣体制切り崩し
→豊国社祭を派手に行わせるも大名参加許さず、将軍職受ける→秀忠に譲る
→大坂の陣へっていう流れは、まさにこつこつと外堀埋めて将棋さながらに詰めていく
家康の手腕がフルに発揮されたものだ。
かぶった。
キニスンナ
簒奪の手順については、後継者を操作するということをしているか
してないかで、随分と違うからな。
秀次のような成人を後継者に据えずに幼児を後継者に決定したのは秀吉で
あって家康ではない。信孝や信雄のといった成人の後継者を排除して秀信
を後継者にしたのは秀吉。
そもそも幼君を立てるというのは、簒奪者の常套手段だし。
あとまあ、簒奪に対して能動的であるかというより、どちらがより倫理的に
非難させるべきかだな。どっちも簒奪者だから倫理的問題を追求していけば
多数の非難はできるが、すくなくとも、あれだけの恩を受けておきながらあ
っさり主家を簒奪した秀吉の方がより悪だろう。
蛇責めの秀吉は鬼畜
実行した三成も鬼畜
秀吉の方が悪なのに秀吉の方が人気あるのは何故?
秀吉
>>786 まぁ、性格が陽気だとか日本最大の立身出世の実現者だとか、
金銀きらびやかに派手に金使ったとか、次の代であっさり滅び
たんでかわいそうだとか、大阪を代表する有名人だとか
(阪神状態。もっとも、本人名古屋人だが)といったところが
理由でしょ。
ただ、全部が全部そうじゃないが、秀吉ファンは秀吉が好きって
言っているだけでなく、なぜか家康非難が後に続くんだよな。
(っつーか、判官ひいきは全体的にそうなんだが)
>>789 あーなるほど判官贔屓ね
じゃああれか秀吉と言うより豊臣家が人気あって
それの創業者だから秀吉も人気あると
いやいや、蛇責めをさせるようなヤツが陽気なわけないって
三成もニヤニヤしながら利休の娘が苦悶する様を眺めてたんだろうな
>>791 そこは相乗効果でそ。
ただ、少なくとも、豊臣政権が続いてたらあんなに人気はでてないと思われ。
いや秀吉>家康ではあるもののどっちも好きなんだが
決め付けないでほしいなあ
むしろこのスレに限っちゃ家康持ち上げる連中の方が秀吉への中傷が多い
>>792 表面は陽気だから。
顔は猿そっくりで指も6本あったっていうから、餓鬼のころからかなり
コンプレックス植えつけられてそうだし、大名になってからも、 地位の
高い武家貴族の女ばっか手を出しているとか、結構、心理の底にある
ものは結構ドロドロしてそうだけど。
>>794 でも、基本的に秀吉ファンってのは、家康の豊臣家簒奪を非難するでしょ。
このスレの前の方の議論ってのは、家康がやっていること以上のことを
秀吉もやっているぞ、なんで、一方だけ非難するのかってことだと思うが。
それは別に中傷ではないと思うが。
金遣いが荒い=陽気
倹約家=陰気
というのが秀吉ファンの短絡思考
>>796 どっちも善人では片付けられないと思うけどね
簒奪云々はともかく
家康と比べる分に秀吉は余りに後期の酷い部分ばかり取り上げられるなあと思って
まあ俺は単なる隆慶信者だから秀吉は陽気で善人な好人物という気はないけどね
むしろ俗物丸出しのコンプレックスや詰めの甘さが魅力だと思うんだけど
それをわざわざ悪意で解釈するのはちょっと面白くないなあと思って
>>797みたいにファン云々に言及して荒らす気満々な人も多いし
>>377みたいな解釈はカッコイイと思うね
勿論そうだと言い張るつもりもないしそれだけだとも思わないけど
>>798 >家康と比べる分に秀吉は余りに後期の酷い部分ばかり取り上げられるなあと思って
それを言うなら家康も同じ
家康にたいする批判は関ヶ原〜大阪の陣のことに集中しているが
これも家康の人生にとっては後期の極一部
秀吉ファンが家康の簒奪を非難するように、
家康ファンは秀吉の暗い部分を取り上げ、家康を正当化する。
そして家康ファンは家康の、秀吉ファンは秀吉の陰性の部分から目をそらす、
又は、あっちの方がこんな酷い事してるんだぜ、と言ってる、結局それだけの事。
>>799 ああそうかもね
でも家康は信康周りのエピソードなんかも取り上げられていいなあと
なんだか秀吉より一貫した感じがあるし
まあ秀吉の若い頃はよくわからんて部分も多いんだろうけどね
802 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/13(水) 20:47:51
>>800 >秀吉ファンが家康の簒奪を非難するように、
>家康ファンは秀吉の暗い部分を取り上げ、家康を正当化する。
それは違う
秀吉ファンが秀吉を讃えるだけじゃ済まずに必ず家康の悪口を言わなきゃ済まないのが原因
家康ファンは家康が最終的な勝利者になったためもあり、秀吉のことをクサすつもりは元々ない
家康ファンは秀吉を嫌っているのではない、秀吉ではなく五月蝿い秀吉ファンが嫌いなのだよ
>>802 ここはファンに対する言及をやめればもっと良スレになりそうだけどね
おまえらまだやってんのかw
好きなもんは否定したってどーしようもないべよw
家康ファンって、家康のどす黒い部分も含めてファンっていう人が多いと思う。
主家簒奪しましたが、それが何か? 戦国時代ですから。というような感じ。
秀吉ファンは、秀吉が主家簒奪したのを棚に上げて、
家康がやった主家簒奪をあげつらう人が少なからずいるような気がする。
このスレにいる人たちは違うようだが。
秀吉ファンって、秀吉のどす黒い部分も含めてファンっていう人が多いと思う。
主家簒奪しましたが、それが何か? 戦国時代ですから。というような感じ。
家康ファンは、家康が主家簒奪したのを棚に上げて、
秀吉がやった主家簒奪をあげつらう人が少なからずいるような気がする。
このスレにいる人たちは違うようだが。
俺にはアンチがファンを装って、貶しあってるようにしか見えんよ
まあ今日のチャンピオンは、歴史捏造の
>>757なんだから、
わざわざ傷つけあうなよな。
おまえら!
秀吉と家康はあの世で信長と仲良くささを楽しんでるというのに!
おまえらがいがみ合ってちゃ彼らも嘆くだろうよぅ
家康の場合、三河の律義者という看板があって、そこに惹かれる人もいる一方で
秀吉死後の家康の行動から、律義者という看板を狸の化けの皮のように感じる人もいる。
家康の好き嫌いにとってはそこらへんの受け止め方が大きく関わってそうな気がする。
ああなるほどな
そういう意味じゃ晩年様変わりしたような秀吉とにた捉え方もされるんだなあ
逆に秀吉の場合、信長傘下の頃から残酷な話しはいくらでもあるからそういうのが
駄目な人は秀吉嫌いになりそうだ。
秀吉の若い頃の残酷なエピソードきぼんぬ
全然しらんかった
一向一揆をなで斬りにしたり、中国遠征に際して、多数の女子供をくし刺しにして見せしめにしたり
してなかったっけ。
それって織田家の部将だからで柴田とか前田とかも例外じゃないよ
うん、まあご多分に漏れずってやつでそうなんだが、そのせいか秀吉が晩年変わった
といっても、残虐なところについてはそう変わったわけじゃないんじゃないと思う。
816 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/13(水) 22:04:25
蛇責め見たい!
817 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/13(水) 22:19:54
>>807 いや、むしろ「捏造」などと早とちりしているオツムの軽そうな
>>758 が本日のチャンピオンだろう。そもそも「伏見、大坂城の城塞の統監及び
朝鮮在陣の将兵の帰還」を命じた秀吉の遺言など自明の理なわけだしね。
>>817 悪いけど
>>756からは、そのような意図は汲み取れないよ。
最高権力者の死によって戦争が継続できなくなるのは自明の理で、
それを>秀吉の政策の180度の否定なんて解釈してるのだから…
君なら、秀吉の遺言を失念しないだろうが、
>>756はそのことを失念していたか、無視したと取らざる得ない。
それくらい
>>756の書き込みであろう
>>760のカキコが酷い。
俺は三成が好き
戦国武将占いでも三成だった俺はなぜか孤独を感じずにはいられない
820 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/13(水) 22:39:22
>>819 秀吉の側室になるのをいやがった利休の娘を蛇責めで責め殺したのが三成だぞ!
猟奇的殺人者だぞ!
>>820 そういうイヤ〜な部分は秀吉より有名で承知の上でも好きなんだよー
人間の影・陰・悪・闇なんて大小当たり前に存在するんだしさ
そこを差し引いても俺には魅力的なんだよー三成はさ
幾らなんでもその話は講談ネタのたぐいだろう。
まともな史料にはそんな事書いてあるものは存在しないと思うぞ。
講談ネタも悪いもんばっかじゃないし
>>821 俺は三成はだめ。っつーのも、中国の歴史を読んでて、あの種の教条主義って
いうか、自分の忠義や思想に酔っているよーな香具師がたくさん出てきたから
だな。イデオロギーに捕らえれて、忠義がすべてになってしまっている。
いや、忠義すべてでも三河者みたいに本当に犬みたいな忠義なら、可愛げを感
じるんだが、三成はそれを正義だとしているところがとても痛い。簡単に言え
ば、宋学で洗脳された典型的な人間って感じがする。
色眼鏡外すといいよ!
外すまでも無く嫌な奴だ。三成は。
828 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 20:44:47
三成はなんといっても蛇責めを実行したやつだからな
チャンコロ並の残虐さだ
>>828 お前、蛇責めに執着しすぎ。触手物のロリアニメ見てオナニーしてなさい。
まぁ蛇責めはほっとくとしても
火の無い所に煙は立たぬと言うし三成は実際の処分にかかわったんだろうな
梶原や本多みたいに主君にかわって泥を被ったつもりだったんじゃないの
>>831 三成の忠義は視野が狭いから。秀吉のやることは全部正義だと仮定しない
と三成自身の忠誠と正義が成り立たないので、結果として秀吉の悪事を
そのまま実行してしまう。忠義としても半端者だよ。
>>832 そういう見通し立てられる三成なら左近も直江も大谷くんもついてこねーよ。
いや、むしろ秀吉の純然たる軍師として太閤にもしっかり物を言う盤石の天下が
できて戦国終了。それはそれで別のifでありんすー。
834 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 23:31:25
>>833 まぁ、純粋君ではあるからそれを愛でた連中はいたろうな。
日本には珍しいタイプではあるから。
しかし、直江兼次ってほんと「へたれ」なんだが、なんで
人気あるんだろう。不思議だよな。少なくも、左近や吉継
と並べられる人間じゃないと思うんだが。
>なんで人気あるんだろう
おまえみたいに戦バカばっかりじゃないから
>なんで人気あるんだろう
おまえみたいな戦バカばっかりじゃないから
837 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 19:04:08
>>836 何を焦ってマルチ投稿しているんだ?
「へたれ」が心に刺さったか?
それを言ったら家康は子供殺しですな。
今川を裏切って独立した時には人質にされていた女子供なんか見殺しですしな。
猟奇殺人者なみの極悪人扱いですね。
アメリカだったらもっと罪が重いね。
秀吉も毛利や宇喜多の女子供虐殺してるな。あほが。
なにがアメリカだったらだ?基地害かおまえは。
子供殺した数は秀吉のほうが圧倒的に多いな。
またいつもの流れになってきたな
もったいない
数を問題にする時点で厨
845 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:52:28
>>844 他人の子供ならいいと考えている時点でとても痛い。
>>845 親になればわかるよ(w
他人の子より我が子。
いやwとかつけなくても普通にそうだと思う
ってかそこが味
家康はどうも人間像がはっきりしないんだよね
これってのがあればいいんだが
戦国の世において、他人の子を殺すってそんなに珍しくないと思うが。
850 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 21:51:26
>>848 わが子可愛さに他人の子供打ち殺す香具師のいい味ですか。
そうですか。
>>850 わが子ヌッ殺す家康公に比べりゃましってもんでしょう
どっともどっちだと思うけどね。
ただ、御家の為であるか自分個人の既得権の保護の為かはともかく、
目的の為には我が子も殺すってのは、戦国大名としては、
むしろ冷徹で評価すべき点だと思うよ。無論人間としては問題だが。
我が子の為に罪なきものまで殺すという同様に問題な行動を取った秀吉が、
結果的に政権の基盤を揺るがし後々の禍根を作ってしまったのとは対照的だ。
結果的に〜と言っても、秀次が居ればいるでやっぱり火種になるだけ。
結果的に、秀吉と家康の後世の評価は、種が多かったか少なかったかっていう差に依るところ
が大きいんだろう。
信康一人しか子供がいなかったからといって、家康の決心変わらなそうだけどね。
家が大事というところから理詰めで考えていく家康だったら、結論は同じでしょ。
>>853 それもそうだな。
あえて実子の方を切るって手もあるが、そこまで冷徹にはなれないか。
仮に家康でも同じ立場になったらどうしたかわからないわな。
ifの話すれば、もし、家康が養子とるとするとどこから取るんだろう?
信康自害のタイミングだったら、ひょっとすると織田家からってこともある?
>>857 信長はあくまでも「力が強くなりすぎる」ことを懸念したからであることを考えると
そこまではやらなかったんじゃないかな。徳川の家風では信康の仇の養子という名目
で何されるかわからないし、そこで養子(縁組)に何かあったとしたら同盟手切れに
なるからね。
どうでもいいけど、秀吉厨そっちのけだな。w
>>856 秀次を切腹させたところまでは、政略の範囲内といってもいいし、
実際そこを責めているやつはごく稀にしかいない。
これは、家康が信康を自害させたのも同じ。
秀吉が責められているのは、何の罪もない秀次の妻妾や子供まで
惨殺したこと。将来の禍根になるっていうんなら、男の子だけ
殺せばいいのに、女の子まで含めて全員殺し、さらに墓も作らさず
河原に埋めて畜生塚などと呼ばせる残忍は行為に対して。
860 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 09:44:15
そこで蛇責めですよ、これこそ猟奇ですよ
家康の鋸引きの十倍は酷いですよ
861 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 04:34:11
しかし、若かりし頃の秀吉なら、権力の空白期間を作ることがどれだけ危険な事か分かってたハズ。
自分もその隙をついて天下人になった訳だし。実子かわいさに本来の目的を見失った。
そういう意味で、政略としては失敗だと思う。
他の方法、例えば秀頼が成人するまで秀次が関白を務める等の方が、豊臣家存続の可能性は高かった
ように思う。もちろん内部抗争の火種にはなるけど、その場合でも豊臣vs豊臣となる可能性が高いし。
関が原よりはよっぽどまし。
天下取る前の秀吉なら、自分の後継者がたとえ養子だろうがなんだろうが大切にしたと思うんだけどな。
いやそもそもね
朝鮮に出兵したと思ったら和平しようとして、さらにまた出兵して、自分が死にそうになったらさらにまた引き揚げろとかね
天下人として日の本をどのように治めてゆくかの明確なビジョンを示さずに
日本全体ではなくただただ豊臣家(というか自分の息子)の権力の安泰だけを気にしてた時点でね
もう豊臣は天下人たる資格を失っていたんじゃないの?
遺言にしても、今後具体的にどのように日本を治めてゆくかってことを言い遺すべきところを
単に強い大名を5つ集めただけの五大老の合議制という制度だけを残して
とにかく自分の息子のことだけを頼むって・・・ 単なる一人の父親としては当然だが天下人の遺言としてどうよ?
日本を統治する最高責任者っていう自覚が全く感じられない、完全に天下を私物化してる
自分のコトしか考えてない全くの無責任な遺言でしょ
なのに豊臣贔屓の人はこんな馬鹿げた天下人の遺言にはまったく疑問を抱かずに
それを守らなかったといって家康をなじるんだよな
自家の権力の安泰計るのなんて当たり前だろ
家康がやってないとでも思ってるのか
>>862 お前は痴呆のこと何にも知らないんだな。オレは秀吉アンチだが、その部分には触れない。
老害をあれこれ言っても、誰にもどうしようもない。
朋友も師もいない孤独な天下人。秀吉の晩年は悲しいだけだね。
このスレはもうちょっと上のレベルで好き嫌い語る空気あったと思うので、何となく残念だ。
断然徳川。
天下人の自覚w
>>861 秀次は秀次で自身の権力固めに動いている、
諸大名に聚楽第の金蔵から金を貸したり、
朝廷に献金したり、自身に忠誠を誓うように諸大名に連判状を書かせたり、
>秀頼が成人するまで秀次が関白を務める等
というのはまず不可能だろう。
>>867 しかし、秀次を殺してしまったことにより。
秀頼が成人するまで政務を代行する役目は家康のものに・・・
まあ、おれらは後世の歴史を知っているからアレだが、
当時の秀吉は家康の方が信頼できると考えていたのかね。
秀吉の頃の家康って、メチャメチャ評判のいい人格者だから、同時代人にとって
秀頼の補佐として家康>秀次ってのが成り立ってもおかしくないと思う。
てか秀次の行状が酷すぎて
選択肢がなかったんじゃ
>>868 家康の方が信頼できるというより、
消去法の結果、家康になったと言うべきだろう。
秀次が秀頼が成人するまで政務を代行する、というのは無理がある訳だし。
>>870 いや、行状云々は言いがかりだって話だと思うが?
敗者の行状として、後世に伝えられている悪行のうちどれが真実で真実でないか見抜くのは
大層難しい。勝者の善行についてもまた然り。
874 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 21:18:58
秀吉が一番エライ!!!
と、とりあえず適当にいってみる。
秀吉好きにはこういうテキトーなヤツ多い希ガス
かくゆう俺も適当人間で秀吉好きだったり
876 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/19(火) 15:31:23
「天下の孤児」秀頼をどう扱うかは全国の有力大名の最重要事項だった。
天皇の扱いが家康より秀吉の方がマシなので秀吉の方が好きかな。
秀忠は最悪。
豊臣家が続いたら、幕府はなくなってたのかな?
>>878 難癖つけられて潰される、かなりの確立で秀忠に。
>>879 文がおかしかったかな。豊臣体制が存続して、徳川幕府成立が起きなかったらというifの話しで
その場合、豊臣体制のもとでは、将軍職と付随する幕府という制度について義昭以来の消滅状態が
続いたかな?ということ。
>>880 ごめん、秀頼が大阪退去して大阪の陣がなければ再起していたか?という風にとってしまった。
>>881 いやいや、
>>878はいろんな場合考えられる曖昧な言葉足らずの文なんで気にせずに。
>>880に続ければ、5摂家の扱いとかはどうなっていったんだろう?結構朝廷の仕組みへの
影響が大きそう。
だいたい、秀次の後、関白職空白にしとくのがよくわからない。小早川秀秋に関白やるとか
三成が言ってるし。豊臣家の権威維持のための考えが薄かったような。
秀頼に関白職与えとくとか、秀吉が亡くなったらすぐに秀頼に関白職与えさせるとかぐらい
やっとくべきように思える。後者だと家康が五大老としてストップできそうだけどね。
自己レスになるけど、秀次切腹させた時点で関白職の権威がなくなってしまったのか。
やっぱり、秀吉呆けてたんじゃない。権威利用し尽くした人物がそこまで自家の権威維持に
疎かになるとは思えない。頭が弱って、北条執権職みたいな感じでゆけるだろとか考えてたんじゃ。
886 :
885:2005/04/19(火) 16:54:02
執権じゃなくて得宗ね。
全国の豊臣氏のたくさんの大名達の中で、豊臣氏の長者として秀頼が君臨。
これだったら、関白なんていらないやって感じ? 甘すぎ。
まずシュリ殿と淀殿をぶった斬る勇士が出てくれなくては・・・。
889 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/20(水) 06:49:34
幕府って、形としては軍務大臣が政治を仕切っていたようなものだな。
結局徳豊ともに朝廷による権威付けをしているわけだが、
豊臣家もいずれは源氏の人間を迎え入れて将軍を自家からだす構想はあったのか。
素人考えだが、羽柴秀吉は、平氏になったり、養子になって藤原氏になったりしてるのに
なんで、源氏になれなかったのだろう?よく、源氏じゃないから将軍職になれなかったという
けれど、摂関家の養子になれるのだったら、足利義昭の養子にもなれそうなものだ。
>>890 義昭には断られたそうだがね。
もっとも、「源氏」だって足利氏だけじゃあないし、
そもそも藤原氏が将軍になったこともある。
どうしても、征夷大将軍になりたければ何か手段はあっただろう。
それほど、将軍の地位に執着がなかったか、
あるいは関白の方が好みに合ったのではないかね?
まあ、義昭がなかなか将軍職を辞さなかったので、
これを無理に罷免するのも角が立つというか騒ぎになる可能性もあり面倒だったのかもね。
もっともそれだって、どうしてもということになれば何とかなったと思うが。
892 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/20(水) 16:24:50
政権を運営するシステムが全くと言っていいほど”ない”
どうやってあの10年ほどを運営できたのかが不思議なぐらい。
信長が将軍職に推挙されたとき就任するための条件が関東を支配下においていることだった。
その条件は秀吉のときにも適用されたはず、当時関東は北条気が治めていたわけだから
秀吉は将軍職を断念せざるを得なかったとか。
>>893 そうなのか!なんでわざわざ家康を関東に移封させたんだろう。
秀吉が将軍にそれほどこだわらなかったというのは、農民出身の彼にとって
武家より公家に憧れてたとかそんな理由かな。
一応、秀次切腹までの時点では、関白後継による豊臣体制維持のシステムがあったのでは。
せっかく作ったシステムを、呆けてしまった秀吉はすべてぶち壊してあの世へ逝ってしまったとか。
>>776の論文の内容知らないけど、以下の紹介文
>豊臣政権末期の「奉行」「年寄」という呼称について、(中略)、両呼称の使い分けのなかに
>石田三成らの政治的意図を明快に指摘したものである。
を読んだ限り、五大老、五奉行制は秀吉というより、三成とかそこらへんから出てきた制度なのかな?
>>894 秀吉はどっちかっつーと将軍になりたかった。
でも、秀吉が平氏(信長が平氏だったため)だった事や
将軍足利義昭に禅譲を断られた事で事実上不可能になったから。
>>896 秀吉は平氏じゃないだろ。
しかも将軍就任に平氏とか関係ない。
現に平氏を名乗ってた信長が将軍へ推挙されている。
>>896 >>890-891にも書いてあるけど、関白の養子となって、藤原氏を得ることが出来るのだから
もし秀吉がよほど将軍職につきたい場合、源氏を得ることもできたんじゃ?
秀吉がどうしても手に入れたいものであれば、とことんやりそうな感じするから
そこまでするまでのものでないということは、関白にも十分匹敵する魅力が秀吉に
あったということじゃないか?
そもそも、「幕府」っていうと何となく磐石な武家政権ってイメージがあるが、
それは多分江戸幕府の印象によるもので、
秀吉の時代以前の幕府ってのは、鎌倉幕府は創始者一族は3代で断絶実権は奪われたし、
室町幕府は義満のときに一時隆盛を極めたが、前半は南北朝後半は戦国時代で荒れに荒れ、
将軍も傀儡にされたり謀反されたり暗殺されたり討ち取られたりで散々な状況だったからね。
秀吉の中であまり良い印象がなかったのかも知れない。
だからあえて征夷大将軍にもならず幕府も開かなかったのかも。
時の最高実力者秀吉が何が何でも将軍になりたいと言えば、
それに逆らう気概も力も朝廷や公家にはなかっただろうし。
いや、義昭の養子になろうとしたことはあったらしいから、
最初から将軍になる気がなかったわけではないか。
しかし、ちょっと面倒なら他の手を考えれば良いだけってくらいの感じで、
あまり執着はなかったのではないかなあ。
>>899 なるほど、そうかもしれん。
ここで俺の予想。
秀吉にとっては天下の主になることが大事なのであって、
別に関白でも将軍でもどっちでも良かったんじゃないかと思う。
一応ステップとして、将軍になろうとしてはいるようだが。
幕府と関白だと政権の構造が違ってくるんだよ。
幕府ってのは頼朝依頼、武士に関わる政治全体を任されることになる。
武士が持つ土地に対する裁判とかそういう権限の一切が将軍の統括下に
入るわけでね。
法制的な面から見れば、幕府っていうのは日本中で武士という一部階層
の統括者なんだが、実態は日本全国ほとんどすべてが武士の支配下にあ
るわけだから、実質的に日本の支配者と変わらない。
関白だと、法政面からだと日本全体の政治の統括者だけど、上に天皇が
いるのが建前だし、将軍の周囲をまとめるのは、将軍の配下だけど関白
の周りは天皇の部下であり、人事権なんかも表面上は天皇にある。
まぁ、最終的には実力がものを言うんだが、将軍の方がいろいろやりや
すいのは事実だろうな。
>>902 ところが実際には、
鎌倉幕府の将軍も室町幕府の将軍も、
部下に傀儡にされたり、暗殺されたり、面と向かって反乱起こされたり、
散々な有様だったからねえ。
やはり幕府というシステムそのものよりも、
「江戸幕府」という組織が優れていたと見るべきだと思うよ。
まあ、家康が長生きで自分の生きているうちに火種を消しつくしたこと、
二代目が比較的優秀だったおかげでもあるが。
秀吉が関白を選んだのは、関白の方が格上だったのと、
秀吉の海外思考が影響してるんではないだろうか。
征夷大将軍は元々は東北遠征軍の司令官でしかない、
それを頼朝の拡大解釈と右大将とかの他の官位との合せ技で、
征夷大将軍を武家の棟梁として、朝廷の他に統治権を持つ存在としたもの。
秀吉は海外に進出するにあたって、征夷大将軍では職制からいって不都合で出ると考え、
公卿と武士を抑えれて、天皇の次(ほぼ同等)の権限を持つ存在である関白を選らんだ、とか。
今までの歴史を見ると、前政権の対抗上の理由で、武家、公家の政治が交互に
繰り返されているような気がする。秀吉も、その流れに乗ったということじゃないかな。
平氏の専制政治(公家)
↓
源氏の鎌倉幕府(武家)
↓
後醍醐天皇の建武の親政(天皇親政)
↓
足利氏の室町幕府(武家)
906 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 22:35:07
>>903 まあ、簡単に言えば、幕府の場合は天皇公家寺社とは別ってところを
貫けるのが一番の強みなんだけどね。
しかし、このスレは「秀忠=ぼんくら2代目」に犯されてないのかな?
そりゃ、よいことだが。
>>902 人事権は表面上も実情も関白にあるよ。
関白になればそれ太政大臣をはじめ全て官位を
自由に任命できるようになる権限が与えられる。
関白は天皇に代わって政治を行う役職。
政権上の構造は関白の上に天皇がいるわけではない。
天皇の代わりに関白がいるんだよ。
秀次を処刑した後の処置があまりにもお粗末過ぎたということか。
>>907 関白の人事権はあっても、それは朝臣のTOPとして。天皇が「やっぱやめ」と
いえないことはない。
でも、将軍が持つ人事権は武士に関する限り、天皇の声が及ばないというのが
基本。幕府ってのは、朝廷から武士の人事権を切り離すところから成立したん
でね。
まぁ、これはあくまで傾向でしかないけどね。しょせんは実力が物をいうんで。
ただし、いざ物事が紛糾したときに、こういう部分が有効なことは多い。
「武士は武士のやりかたがある」の一言で済ませてしまうとかね。
朝廷にしてみれば、関白は同一政権内の存在だけど、幕府はある意味独立国政府
だしな。
>>909 関白に対して、天皇が拒否権を持っているというなら、
征夷大将軍に対してだって当然あると言えるだろう。
両者とも天皇の形式的には配下であることに違いはない。
ただし、「幕府」は「朝廷」と別個の行政機関であるが故に、
「幕府で政治をする」ということにすれば、
既存の或いは旧権力者階級である貴族と直接対立せず、
ある程度距離を置いて並存することが可能であった。
この点で武家政権の黎明期には極めて有効なシステムだったと言える。
具体的に言えば、平家は自らが「朝廷」の内部で高位にのぼり、
それによって政治の実権を握ったが、このことは旧来その地位にあった、
貴族にそのまま取って代わるもので、その激しい反発を招き政権の不安定化の一因となった。
これに対し鎌倉幕府という別個の行政府を設けてそこで政治を行うという形式をとった源氏は、
貴族層ともある種の二重権力構造となりながらも、直接決定的に対立することなく、
政権を維持できた。
その後、武家の実行権力は大きく増大し、
秀吉の時代には自らが関白という朝廷のトップについても、
貴族たちは実効的な反発も抵抗も出来なくず、そもそもその気にもならなくなっていたと思われるので、
秀吉が関白として政治を行っても、またその地位を豊臣家の世襲にしても、
特に問題はなかったと思われる。
ただし、武家は鎌倉以来400年近くにわたって幕府という形式で統治されていたので、
その方が馴染むという側面はあるいはあったかも知れない。
関白を占めた豊臣家に対して、旧来の五摂家からは反発とかなかったの?
心中はただならないものがあったかも知れないし、
何らかの反発があったかも知れないが、
気にする必要があるほどのものではなかったでしょう。
そうなのか。なんとなく、関白がまわってくる家というステータスに代るものなかったら反発する
んじゃないか、近衛家の徳川家の将軍就任斡旋とかも、そうした背景あるんじゃと思ってたけど
あの時代では、お金さえ入ってくればどうでもよかったのかもね。
まあ、私が知らないだけで本当はあったのかも知れないけどね。
しかし、仮にそういうことがあったとしても、
それで政権が揺らいだなんて事実はないのだから、
さほど気にするほどのものはなかったのでは。
確かに政治的重要性では、それこそ平家の時代とは比較にならないほど小さいよね。
ここからは、単純な疑問なんだけど、豊臣時代の武家社会に呑みこまれた公家社会、それに対して
徳川時代の切り離された公家社会、どちらが公家にとって望ましかったんだろう?
後水尾天皇の抵抗みると、天皇としては前者の方がましかな。近衛家としては後者の方がいいかも。
それにしても、近衛前久は上杉謙信と血の盟約交わしてたっていうけど随分、前後の時代の
公家の価値観と違う人だったんだろうか。徳川家康の改姓に関った繋がりもどれぐらいの重みがあるのか
興味あるし、関が原で島津家の家領安堵のために奔走した際とかに役立ってそう。
>>貴族層ともある種の二重権力構造となりながらも、直接決定的に対立することなく
これはあくまで鎌倉室町の話だね。
家康の場合は禁中並公家諸法度なんて出してしまっている。
国王と重臣の行動を軍務大臣(征夷大将軍はもっと下の地位か?)が規制しては
本来治まる訳も無い。
システム上の理由で対立が無かったのではなくて単に力関係が圧倒的だっただけ。
秀吉の関白としての統治に関しては
鎌倉・室町と権力二重構造で幕府という武家勢力に実権を取られていた公家が
武家の最有力である秀吉を朝廷の権力構造に組み込む事で
トップの出自こそ武家であるものの、政治の実権が朝廷にある状態をつくり、
その尻馬に乗る形で上手い汁を吸いたいとかいう思惑はあったんじゃないか?
そう考えると、秀吉にとんとん拍子に朝廷の官職が与えられるのも解る。
秀吉一代はがまんして、乱世を終らせておいて平和になったら権謀術数で豊臣
政権を骨抜きにして政治の実権も取り戻そう。
ってな感じだと公家の思惑はピッタリはまりそうだ。
>>910 ちょっと違うと思う。
例えば、公家の尾張の守を解任したいばあいは、確かに関白の意向は重要視
されるが、天皇が直接解任を言い出すことが出来るけど、武家の尾張守護を
解任する場合に、将軍を通さないということはまず無理ということ。
これをやるということは、幕府に対して敵対したと取られても仕方が無いと
いう、いわば武士(正確には将軍の配下だけど)に関する統治権が将軍と幕府
には歴史的に存在する。
関白の場合は、そういった厳然としたがないということ。
本来、将軍は朝廷の臣なのだから敵対したと受け取るなど僭越の極みだが、
それを当然のようにしてしまう実力差があった。
>>919 つうか、実際に幕府の人事に首を突っ込もうとして、上皇が流罪になっとるが。
>>920 上皇によって流罪にされた天皇もいれば、天皇によって流罪にされた上皇もいると
いうような話であって、それは別に
>>919の否定になっていないような。
>>916 無論鎌倉幕府の話ですよ。
>>918 いや、ただ単に実力で将軍を通さないとダメだということにしていただけですよ。
不要いに口を出せば天皇でも退位させたり、島流しに出来るほどの実力を幕府が持っていた、
だから、口出しできなかったのであって、制度上できなかったというわけではない。
そもそも、建前上は将軍の上位者でその任免の権を持っている天皇が、
将軍に逆らえないという道理はない。実力で逆らえないようにしていただけのこと。
実際鎌倉幕府のときも江戸幕府のときも幕府の力が衰えた時には、
禁中や公家が武家に口出ししてその滅亡の一因となっている。
>>922 うん、だからさ、その「将軍を介さないと口を出せない」っていうのが、
とても重要なんだよ。明文化されてなくても、幕府内のことについては、
将軍を介さないとダメだというのが幕府制度の根幹なわけ。
これって朝廷の介入を許さないためには、かなり大きい重要ポイントなん
だよ。家康はこれを徹底させて、公家法と武家法を分けて完全分離を図っ
たしね。
>>923 だから、
「口出しをさせない」というのは征夷大将軍という地位や、
幕府というシステムによるのではなく、単純に実力の問題だということ。
実力さえ伴えば別に関白の位でも天皇の意思を排除することは可能だし、
逆に実力が衰えれば、将軍だろうと幕府だろうと、天皇や公家の介入を阻止できないと。
つまり、関白では天皇の意思を無視できないが、
将軍なら出来るということはない。問題なのは単純に実力が伴うかどうかだけ。
>>924 そりゃ、実力は最終的にものはいうが、幕府というものは朝廷とは別だという
先例と認識にあるのとないのとでは全然違う。それが如何に慣習法で明文化さ
れていなくてもね。
そもそも、実力というものは一気に逆転することは稀であって、次第に一つの
勢力が他方を侵食してゆく場合がほとんど。そのときに、関白と同じ朝臣とし
して大名達が列しているのと、 将軍の下に全大名が付属しているとではやはり
侵食されやすさがかなり違ってくる。例えば、家康は公家に対する法律を作って
朝廷を縛ったが、これが関白だったら、この法で自分も縛るということになって
しまう。結構違うよ。
>>925 その、先例や慣習が如何に頼りないものかは、各幕府の末期の状況で分かると思うけどね。
結局実力が伴わなくては意味がない。
それに、関白の言うことに天皇は口を出さないってのだって、
十分慣例になっていたと思うが?
というか、関白だと公家への法で自分も縛ることになるという理屈だと、
将軍として統治する場合も、武家諸法度で自分も縛ることになってしまうということで、
同じことでは?
>>926 実力が伴わなければ意味が無いのは当たり前で
その上でそれを補強する必要があったわけでしょ
実力のみで滅んでいった勢力がいたわけで
>>927 ところが、幕府という制度は創始者の家という主観で見ると、それを補強するのに、
一度は失敗(鎌倉幕府、お家断絶)、
もう一度も不完全(室町幕府、謀反・暗殺・討ち死に等が相次ぐ)、
という状況なわけよ。
江戸幕府があまりにも上手く成功させたからそういうイメージがあるが、
秀吉の段階では「幕府」ではあまり良くないのでは?
という感想がもたれてもおかしくはない。
その意味でも征夷大将軍にそれほどは執着せず、
「関白」という選択肢を考えたことも、
別に不思議でも不自然でも不適切でもなかったと思うよ。
>>928 秀吉は朝廷の権威を利用できると思っていたんだろう。
だが、実際はそんなに簡単にはないだろうがな。
もし豊臣の天下が続いてら、武家が公家化したんじゃないかな。
実際、秀頼は武家というより濃厚に公家っぽいからな。
半公家化してしまった武士達で、外国の侵略に耐えられたかどうか?
外国の侵略?
黒船来るまで問題ないのではないか?
うーんヌルハチとか?
まあ豊臣家も平家みたいになっちゃっうような気もしないでもない
933 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 23:29:08
>>930 イギリス、オランダは早目に来ているしね。ロシアの出没も早めだし。
934 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 07:17:54
>>933 いずれにしろヨーロッパが具体的な脅威になるのは幕末以後でしょう。
どこぞの宣教師の占領計画なんてものもあったらしいが、
荒唐無稽もいいところだからなあ。
>>934 九州のキリシタン大名は南蛮貿易の見返りに日本領土を教会に寄付して
そこの日本人の領民は海外へ奴隷として売買された。
国家の概念が希薄な状況で南蛮貿易を各大名に無制限に許可するのは極めて危険な行為だろうな。
南蛮貿易を幕府が1元的に統制するのは懸命な判断だ。
ついでに、自国の領土と領民を耶蘇教会に寄付したびっくり大名は大村純忠、有馬晴信、大友宗麟な。
937 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 10:21:53
>>935-936 それは軍事力による侵略とは全く別の話だがね。
キリスト教への傾倒の度合いの問題であって、
武家が貴族化すると侵略に対して脆弱になる云々という今の話題とは関係ないのでは?
938 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 10:32:54
>>937 別ではない。そもそも、家康の禁教令は、有馬晴信と岡本大八事件が
発端になっている。ポルトガル等の軍事侵略の危険性を、慧眼な家康
は十分見抜いていた。
>>938 ポルトガルが何人の兵士を送ってこれるね?
何万人もは無理でしょう?
であるなら、現地のキリシタン大名の協力は不可欠だ。
確かにそういう危険性は多少はないことはなかったかも知れないが、
しかしそれはキリシタン大名の入れ込み具合によるのであって、
「貴族化すると脆弱になって」という今の話題とは別の話だということ。
940 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 11:43:41
生理中なので家康を愛せないんです
941 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 11:49:36
日本のキリシタン大名は秀吉の禁教令で
ほとんどが棄教してる程度の宗教的な情熱だから
大して脅威でもないと思うけど
問題は大名より民衆だったんだろ
943 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 07:05:20
キリスト教への不信感は岡本大八事件が契機となり、
島原の乱で決定的になった。
>>939 侵略はあからさまな武力ではなく、キリスト教と貿易という
「平和的」な手法で入り込んでくるから。
>>943 いやだから、もうわかっていると思うけど、
そのいう話は今の話題とは関係ないってことよ。
元の話題は秀吉が関白として統治したことで公家的になる可能性もあるというものだった。
しかし、武士が公家化しようがしまいがその手のキリスト教の活動には直接影響ないからね。
岡本大八事件は単に事件を起した人物がキリシタンだったというだけの話で、
単に有馬晴信が詐欺に引っかかってポルトガル船を沈めた事件なだけで、
キリシタンだったからこういう事件が起きた、という類の事件ではないと思う。
島原の乱も松倉重政・勝家の圧政・失政や、高く見積もり過ぎた石高による重税、
天候不順による凶作が原因の農民一揆というべきもので、
これも、キリシタンだったから〜、っていう類の事件ではないと思う。
仮にも大名たる有馬が岡本のような軽輩に取次ぎを頼む事は、
切支丹同士の繋がりなくしてはありえない。
島原の乱にしても、キリスト教が一揆の収束力になった事は間違いない。
他に乱の要因が無いとは言わないが、キリスト教が要因の一つである事は間違いない。
947 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 17:12:14
岡本大八事件は武断派の大久保党と文治派の本多親子の勢力抗争で大騒ぎになっただけだろ
948 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/23(月) 21:15:55
大久保派と本多派の対立が続けば、
関ケ原の時の豊臣のようになると考えた
家康が、大久保派を一掃したのだろうか。
つまんない話は止めて
蛇責めについて語ろうよ